迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
昭和48年 (1973)         _
1月1日
 妙信講、妙縁寺にて元旦勤行、「転換期の年」
 松本日仁能化「幸い妙信講におきましては、この本年、昭和四十八年から昭和五十六年十月・宗祖大聖人七百年遠忌を迎えるまでを目標に十万世帯折伏達成に向って決起せらるるとの事、誠に喜こばしき極みであります。つきましては講員の皆様には、ますます一致団結、異体同心の御聖訓を奉戴して所期の目的を貫徹すべく邁進せられますよう、切にお祈り致す次第であります」
 浅井甚兵衛講頭「昭和四十八年の新春を迎え、「仏法は体・世間は影」の御聖旨を深く感ずるものであります。昨年、御遺命の歪曲は辛じて訂正せられました。だが未だ御遺命の正義たる王仏冥合・国立戒壇の正義の声は聞かれず、遺憾の限りであります。… 妙信講は本年より十万達成に向って折伏法戦を開始する。今強盛に折伏一筋に立つ妙信講の使命をよくよく自覚すべきであります」(「冨士」第113号 )
1月1日  創価学会、聖教新聞に池田大作会長の「新しき開拓への道」掲載。
「異体を同心とする輪を、幾重にも、幾次元にも広げていくことが、私たちの今後の戦いなのであります。それは、けっして阿練若の世界に住む聖者ぶった人々の仮面の遊戯とは根本的に異なり、民衆自身の不断の忍耐と勇気の結晶作業であることを知っていただきたいのであります」
1月13日  創価学会、(財)民主音楽協会 代表理事 姉小路公経。職員の松本勝彌に、"配置転換(企画部所属から事業部所属に変更)拒否、水増し請求"などの理由で解雇を通告。
1月15日  文藝春秋社、池田大作・野崎勲共著「私の釈尊観」発行。
1月16日  創価学会、松本勝彌、東京地方裁判所に提訴。地位保全の仮処分ではなく、雇用関係存在確認請求の裁判を起こす。合理的理由もなく配置転換することは、原告の信仰上の理由にほかならず、配置転換の拒否は正当であり、解雇は無効とした。
1月26日
 妙信講、1月度総幹部会開催(豊島公会堂)、「いよいよ第一年目の法戦開始」
 浅井昭衛本部長「今、妙信講を除いて、大聖人様の御遺命・国立戒壇建立に向かって叫んでいるものがありましょうか、この妙信講以外に断じてない。さればこの妙信講の前進をはばむものは、必ずや三世諸仏の仏罰を蒙って身がもたなくなることは必定であります。今、妙信講が師子王の心を奮い起して毅然として立たなければ、国立戒壇は虚妄になってしまう!。そうなれば、この日本国の前途はない。どうか歴代猊下がその実現を祈念してこられた国立戒壇建立に向い、お互いにいやしき身ではありますが、目師様御出現のその日まで一丸となって露払いの御奉公をうけたまわって、これから前進をしていきたいと思う」
 本部辞令:長岡孝志 青年部参謀に、村岡長治 男子部長に任ずる。佐藤良子 女子部長に、加藤礼子 女子部幹事に任ずる。(「冨士」第114号 )
1月29日  創価学会、池田大作会長。第3回全国寺院総代会で「寺院というものは、たとえ法そのものが正しくても...権威主義や法権の牙城化によっても白法隠没を引き起こすことになる」と、宗門批判。 
2月1日
 宗門、「大日蓮」2月号、細井日達管長の戒壇本尊についての指南を掲載。
「近頃、戒壇の大御本尊様に不敬のことを申す人がある様に見受けられます。
 この戒壇の御本尊は、先程の正本堂における説法の如く、宗祖大聖人様が身延において本門戒壇の事の御本尊として、弘安二年十月十二日御書写遊ばされた御本尊様でございます。長い間当山に格護しておりましたのでございます。その六百何年の間の御本尊様でございますから、その間に御本尊様の御衣替と申しまして、漆を塗り、中に金箔を入れましたことが再度ございます。…
 いろいろなことを言われても、信徒としての皆様は少しも動揺することなく、大聖人様の魂魄ここにあるの深い信念のもとに信心に励まれんことをお願いする次第でございます」
2月1日
 妙信講、「冨士」巻頭言、本部長 浅井昭衛「ただ一筋の道」
「然るに近年の歪曲、世に諂うの故とは云えまことに恐ろしき極みではあった。有難きかな御本仏はこれを許し給わず、昨年秋 違法は打ち摧かれ、歪曲は訂正された。だが、誤りだけは打ち消されたが、顕わさるべき御遺命の正義は未だ匿されたままである。不可解とは此の事である。自らの失あらわれるを恐れるか、真の懺悔とはこのようなものとは到底思えない。…
 七十年代に入って年々に傾く日本を見よ。すべては仏法の道理のままである。国立戒壇の柱なくば国は持たない。大聖人様のお悲しみ、お叱りを思えばじっとしてはいられぬ。 妙信講の御奉公の道はすでに決っている。この路線こそ大聖人様の待ち給う大法戦場に直結していることを強く確信すべきである。… 十万世帯の基盤は断じて本年で確立する。これが本年の意義である。二月一日」
2月15日
 妙信講、研修部入部式開催(豊島区民センター)、本年の研鑽は「報恩抄」と決定。
2月18日  創価学会、第21回男子部総会開催。池田大作会長「諸君の心身には、久遠元初以来の尊い血脈と使命とがある」
2月 日  創価学会、公明党との連絡協議会を設置。
2月 日  創価学会、山崎正友顧問弁護士、紀尾井町のホテル・ニューオータニで「創価学会対策連絡協議会」(創対連)の稲垣和雄と梅沢十四夫に面会。創価学会に協力するよう要請し、10万円の交通費を渡す。以後、7年間で5千万円以上の報酬を支払う。(「実録創価学会=七つの大罪」)
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島公会堂)。「三月もさらに折伏を推進」、2月度折伏成果 182世帯、総世帯数は 10,205世帯となった。
 浅井昭衛本部長「まだ今は妙信講の斗いは、微々たるもので、月間ほぼ二百というような斗いであるが、これからは斗いが一変し、やがて月に三百、五百、一千、三千、五千という弘通ができるようになる、そのまえぶれである。見ててごらんなさい。必ず出来るようになる。何故か、これ即ち広宣流布は私達がやっているのではない、… 実に大聖人様の御力でもってこの御本尊流布が進んでいるのである。その御本仏の御力、御命令を感じて眷族が折伏に立つのである」(「冨士」第115号 )
3月1日
 宗門、東北地方を中心に宗門末寺において、妙信講の弘通に対し不可解な御授戒拒否頻発、末寺住職の意志に非ず。宗務当局、言を左右し理由も責任の所在も不明。
 妙信講、「冨士」巻頭言、本部長 浅井昭衛「転換期」
「いま妙信講は大きな転換期に立っている。顧みれば、昨年までの御奉公は、まさに曲げられんとした御遺命の正義を只々死守することにあった。… まさしく国立戒壇の柱なくば日本の国はたもたない。而してこの大事を一国に迫るには捨身の決意と実力なくしては叶わない。捨身の決意とは開目抄の御精神、実力とは即ち十万の法華講衆である。
 本年からの妙信講の前進は、すべてこの一事に焦点が合わされている。飛行機においても、軽量の荷を積んで短距離を行くものと、重き荷を背うて長距離を飛ぶものとでは、エンジンも翼も構えが異る。妙信講も十万の弘通をなし一国に於て斗うには、自ずとそれに対応した態勢を整えねばならぬ。本年中にはこの基盤を断じて築く。ゆえにこそ本年を妙信講の転換期と云うのである。
 本年中に整えるべき態勢、解決すべき問題は幾つかある。だが、その中の第一の問題は、地方寺院における御本尊御下附の問題である。この事の解決なくして十万世帯の弘通は不可能である。然るに、本年に入って、御授戒拒否の不可解な事件が東北を中心に頻発している。… 直ちに寺院に問い糺すに、御授戒拒否の理由は全く不明である。現地御住職の個人的意志ではない事だけは判明した。一体誰がかかることを指示しているのか。関係御当局に糺しても言を左右にし、理由も責任の所在も曖昧である。而して拒否だけは依然として続いている。… 妙信講員卑しといえども、捨身弘通の者たることは断じて疑いない。姑の嫁イビリのごとき、ネチネチしたイヤがラセは無用に願いたい。それとも拒否すべき正当の理由あるならば、堂々と御当局は妙信講に示さるべきである。
 御遺命守護ののち妙信講は求める何ものもない。ただ御本仏の御命令のまま、いま大進軍を開始して一国諫暁の死地に自ら赴かんとしているのみである。然るに …… 。激しい憤りはすでに胸を衝いている。とまれ、一日も早くこの事の解決されんこと、ひたすら御本尊に祈り奉る。三月一日」(「冨士」第115号 )
3月2日  創価学会員ら15名、正本堂御供養金の返還を求め、東京地方裁判所に訴訟を起こす。
3月7日  創価学会、池田大作会長。千葉県幹部会で「学会活動をしている人にのみ、法華の血脈が存在している」と。
3月10日
 宗門、「法華講百年史年表」刊行。
3月10日
 妙信講、折伏講習会開催(豊島振興会館)、1千名が参加。
3月15日
 妙信講、研修部。「報恩抄」講義開始。
3月26日
 宗門、宗務院通達。妙信講への全国地方寺院の御本尊下附問題、解決す。
3月26日
 妙信講、3月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「全国地方寺院の御本尊下附問題解決」、3月度折伏成果 110世帯。
 浅井昭衛本部長「どうしたことか、去年十一月頃から、地方の折伏に於て現地の寺院に御授戒におもむく妙信講員に対して、それを拒否することが出て来た。十二月に入って、これはいかんと思い、私の方からそれぞれ拒否のお寺に電話を入れてお聞きした。その結果、各末寺の御住職の意志ではない事がわかったが、何故かというその事情をなかなかおっしゃらない、よってその関係筋の責任ある立場の方々に向って強く強く糺し解決を迫った。…
 何としても解決したいと、三月に日を切って御当局に申し入れていたが、その決められた日の前日、妙信講に対する解答ということで、妙信講の指導教師である妙縁寺の松本日仁尊能師のところに早瀬総監がお見えになり、妙信講の地方寺院に於ける御本尊御下附の件を、正式に許可するとの通達を下さった。よって、本日総幹部会より、東京都内は全部妙縁寺で、地方の場合には、北は北海道から南は九州に至るまで現地の寺院に於いて御本尊下附を頂くことが決定、この一件はすべて解決した」(「冨士」第116号 )
3月 日  富士宮市議会、日蓮正宗・創価学会による市道敷地(市道21路線)の無断占拠・侵奪が問題化、本会議が紛糾する。
3月 日  創価学会、宗門を経済的に支配するため、種々の工作をはじめる。
「さらに、池田大作の第三の頭痛のタネは、創価学会の"金庫の枯渇"であった。正本堂御供養金を使い果たした上、言論問題を切り抜けるためにマスコミや政治家への接待や贈り物、造反防止のための職員に対する給料やボーナスのアップ等で、支出がむやみにかさんだ。…
 日蓮正宗に対する"仕返し"と"締め上げ"は、昭和48年の3月頃から開始された。… 7年間にわたり、池田大作の思いつきのままに、行き当たりばったりでやってきたため、会計処理や土地の処狸が不明朗を極めた。それを是正し、帳簿を作り直す作業の一方で、「会計上、税務上の対策のため、宗門側ときちんと突き合わせをしておく必要がある」という私達弁護団の主張を大義名分として、大石寺側と創価学会側の帳簿の突き合わせが行なわれた。…
 これは、"突き合わせ"を口実にして、提出させた大石寺側の帳簿を調べ、大石寺の経理を丸裸にして手の内を探ることが目的だったのである。日達上人は、このことに、明らかに不快の念を示された。「… 何で学会の経理の者が、本山の帳簿を調べるのか!?」」(『あの頃のこと』山崎正友 「慧妙」2003年5月1日号 )
3月29日  アメリカ合衆国軍、べトナム撤退。1968年から断続的に続けられたパリ和平会談が妥協に動き、1973年1月27日にべトナム和平協定(パリ和平協定)が成立した。アメリカ軍は軍事活動を停止し同年3月、南ベトナム駐留部隊が撤退を開始、3月29日までに完了した。
 ベトナム政府軍と南ベトナム解放民族戦線(および北ベトナム軍)との内戦は継続されたが、アメリカ軍の支援を失った南ベトナム政府軍は急速に弱体化し、1975年のサイゴン陥落によって終結した。
4月1日
 宗門、日蓮正宗 宗制宗規改正委員会発足。
 法華講連合会初代委員長、平沢益吉逝去。
4月 日  創価学会員 大草一男、法道院法華講に移籍。
4月 日  創価学会、山崎正友。配下の北林芳典を日本宗教放送協会へ"大山正"名で送り込む。以後、北林は協会発行の「宗教評論」編集次長として宗教界攪乱工作を行なう。(「実録創価学会=七つの大罪」)
5月2日
 妙信講、4月度総幹部会開催(豊島公会堂)、4月度折伏成果 168世帯。国鉄ストライキのため、日程を延期して開催された。
 浅井昭衛本部長「個人の祈りはさておき、妙信講の講中としての祈りは何であろうか、昨年妙信講は大聖人の御命令のまま御遺命を守護させて頂いた。いま妙信講の祈りは、一国諫暁の斗いに立つことが出来るか否かである。これ目師様・本化国主御出現の露払いの法戦である。… 今、九年後十万達成、そこから逆算しての本年の斗いがある。今はまさに転換期、十万の基盤は断じて本年で築きあげる」(「冨士」第117号 )
5月2日  創価学会、第3回教学部大会開催、記念文集として「教学と私」第1巻を刊行。
「池田先生こそ本門弘通の大導師」(八矢英世)、
「池田先生と境地冥合できる人材になろう}(平塚一雄)、
「『人間革命』は現代の御書である」「大聖人との不可思議な血脈の相承がある」(福島源次郎副会長)
5月3日  創価学会、大石寺境内に「財団法人 富士美術館」創立。
5月11日
 妙信講、登山願いを宗務院に提出。
5月13日  創価学会、「ヨーロッパ日蓮正宗会議」設立、13ヵ国が加盟。
 池田大作会長、歴史学者アーノルド・J・トインビー博士と対談。
5月26日
 妙信講、5月度総幹部会開催(豊島公会堂)、「本部会館・顕正新聞復刊等、本年中に」、「十万の基礎、断じて築かん」とし、「転換期」の大構想を示す。十万達成の基礎たる6綱目として、
 1)全国地方寺院における御本尊下附問題の解消、
 2)本部会館の建設、
 3)顕正新聞の復刊、
 4)折伏手引き書の発行、
 5)御書要集の発行、
 6)日寛上人要集の発行
を挙げ、以て一国諌暁の基盤とする。
 浅井昭衛本部長「第二番目の問題はなかなかメドがつかず悩んでおりました。だがなんとしても、折伏法戦の根拠地・一国諫暁の法城として大御本尊を御安置申し上げ、斗う機能を備えた本部会館が欲しかった。… 御存知のように妙信講には信心はあっても金がない。また募財はしたくないのです。本年も財務に皆さんが喜んで応じて下さった。さっき小木財務部長が発表しておりましたが八百数十万円だそうです。… 財務はこのように大事にして講中活動にだけ使っていきます。…
 しかし、この悩みはついに解決されました。すべては大聖人様の御はからいと云う以外にはないのですが不思議に道が開き、一切皆さんには負担をかけずに本部会館の立つメドがつきました。よってここに、講頭先生が私財を投げ打って立てて下さり、講中に寄附して下さることになりました。… かくのごとく質実剛健な斗うだけの機能を具えた法城にしたい。そして七月には起工式を行ない、完成は出来得れば十一月、おそくとも本年中にはなしとげる予定であります」(「冨士」第118号 )
6月27日
 妙信講、6月度総幹部会開催(豊島公会堂)。「広宣流布・戒壇建立の外に救済なし」、6月度折伏成果 171世帯。
 浅井昭衛本部長「大聖人様が御入滅にのぞみ、武州池上の宗仲の邸においてお弟子を集めて遊ばした、最後のお説法がこの立正安国論であられた。ゆえに安国論の実践こそ、門下に命ぜられた御遺命であります。すなわち、謗法を折伏し国立戒壇を建立し、以て日本および全世界を安穏ならしめよ、との御命令であります。… いま立正安国の御精神たる、謗法禁断・国立戒壇の声、日本に消えて久しい。… 御本仏御入滅に当っての最後の御遺訓を忘れるは、宿縁つたなき者である」(「冨士」第119号 )
6月 日  富士宮市の一部市議ら、細井日達管長と池田大作会長を「市道を廃道に必要な手続をしないまま勝手に破壊し、正木堂建設のための敷地にしてしまった」とし、道路法違反・侵奪罪で富士宮署に告発。
 創価学会、市政に協力するという名目で、池田教育基金3億円と池田公園(2億6千5百万円)の寄付、天母山公園(4千5百万円)の市民開放などを行ない、告発を取り下げさせる。
7月3日
 妙信講、男子青年部幹部会。浅井昭衛本部長、「この御遺命守護に於いて、男子青年部の精鋭が身を惜しまず一歩も退りぞかずに斗ってくれた事、妙信講の歴史に於て特筆大書し将来に記録すべき大きな御奉公である。この御奉公の功徳は将来に必ず残っていく、この真心の御奉公を良き思い出としていこう。そして一瞬々々新しい歴史を作り、新しい又思い出を作っていこうではないか」(「冨士」第109号 )と。
(※ 「一歩も退かず戦った男子精鋭」は精鋭であるがゆえ、浅井昭衛会長にとって邪魔な存在となり、やがてことごとく使い潰されて行った。「一瞬々々新しい歴史を作り」とは、つねに幹部を入れ替えて自分だけが組織に君臨し、自らの神格化の歴史を作ることであった。櫻川 忠 )
7月7日  創価学会、映画「人間革命」が完成。
7月8日  東京都議会議員選挙、公明党は改選時より1議席増やし26名全員当選。
 2年前の都知事選挙で再選を果たした、美濃部亮吉都知事の与党(社会党・共産党・公明党)が、どの程度まで伸びるのかが注目された。
7月12日
 妙信講、「冨士」巻頭言、本部長 浅井昭衛「立正安国」
「まことに仏法は厳しい。今日になっては、誰が「広宣流布は達成」「立正は成就」「七百年の悲願達成」などと寝ぼけたことを云えよう。事実一人としてこれを云う者は無くなった。だが恐るべき僻事として、果してこれを懺悔しているのであろうか。大聖人の御眼を蔑ってはいけない。仏法は体、世間は影である。日本の運命は正系門家の信心にある。いま立正安国論御建白の月を迎え、沈思して大聖人の御意を拝し御奉公せねばならぬ。七月十二日」
7月16日
 妙信講、「顕正新聞」復刊第1号を発行、浅井昭衛本部長「天鼓」欄に記載。
「◇ 涙をのんだ廃刊より実に十年。此の隠忍の歳月、ただ破邪の一剣を磨く。今ぞ大龍の始めて生ぜるがごとし。
 ◇ まさしく日本の柱とは日蓮大聖人御遺命の国立戒壇である。この声一国に消えて久し。聞こえるはただ諂いの曲声のみ。
 ◇ 崩れ行く日本を見、御本仏の告勅を思えばジッとしてはいられぬ。
 ◇ 云わねばならぬ。行動せねばならぬ。日本の崩壊に内外の二因あり。云く、内の歪曲と外の捨離。あに破邪の利剣を振い、顕正の大燈を掲げざらんや」
(※ 顕正新聞復刊により「冨士」の報道欄が消失し、新聞なしでは総幹部会や本部辞令等の情報を追えなくなった )
7月26日
 宗門、法華講全国連合会第十回総会開催。
 細井日達管長「日女抄に「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(全集一二四四頁)とおおせになっております。しかしながら、一般日蓮宗の人々は、この胸中の肉団に御本尊がましますといぅ言葉を取って、大曼荼羅本尊は要らない。自分自身の御本尊を拝めばよいのだというような説を立てている人もおります。 しからば、何をもって自分自身の御本尊を見極め、崇めることができるでしょうか。我々凡夫においては到底そんなことはできないのであります。自分自身が御本尊だ、などと考える時は、既に増上慢に陥って、地獄の苦を受けるということになるのであります。そこで大聖人様は御自身の当体を戒壇の御本尊として、我ら末法の衆生の依止の本尊と顕されておるのでございます。… この御本尊は、我々の十界互具、一念三千の姿を書き顕わされたのでありますから、これが我々の正境でございます」
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島公会堂)。「転換期の画竜点睛は組織と人材」、7月度折伏成果 151世帯。
 浅井昭衛本部長「重大な御遺命守護の御奉公を貫き、今ここに、いよいよ内海から一国諫暁という大海原に妙信講は船出をしました。それが今年の転換期という事であります。そしてここに今思うことは、その転換期の六綱目の大構想は決まり、一つ一つ具体的になってきましたが、この六綱目の大構想の画龍点睛するものは何かというならば、それはこの生きて躍動する妙信講の信心の充実である。どの支部も、青年部も、そして婦人部も、更に力強い、生き生きとした組織に脱皮をしなければいかん、これが転換期の総仕上げ、画龍点睛だと思うのです。一国諫暁・国立戒壇建立は、口で云うのは易いが行うことは難事中の難事であります」(「冨士」第120号 )
7月 日  創価学会、松本勝彌宅盗聴。立正大学の宮崎英修教授が、板本尊偽作裁判で松本氏の後援に立ったことを把握。
8月3日
 妙信講、「冨士」巻頭言、本部長 浅井昭衛「再建満十六年を迎えて」
「もしこの僻事がそのまま内外にまかり通ったならば、宗門と国家はどうなったであろうか、思うだに背筋が寒くなる。だが御本仏はかかる不純を許し給わず、ゆえに妙信講をして立たしめ、云わしめ、斗わしめ給うたのである。ここに御本仏の御加庇により歪曲は遂に訂正された。猊下の御本意は顕われ給うたのであった。
 だが歪曲だけは訂正されるとも、顕わるべき正義は未だ顕われない、正法治国・邪法乱国、国立戒壇の声は国に絶えて久しい。いや国立戒壇をたとえ口にするとも、云うだけでは実現はあり得ない。ここに妙信講の新しい御奉公の道は決ったのである。
 思えば十二年の忍従とたゆみなき弘通により御遺命を守護する資格を得、必死の御遺命守護により国立戒壇を叫ぶ資格を得た。そして今や妙信講は、その実践たる一国諫暁の大法戦場に向って新しい前進を開始したのである。「すべてはこれからである」この決意こそ再建満十六年の日を迎えた意義でなければならない。全講員油断なく大法戦場への旅を急ごうではないか。八月三日」
8月8日  金大中拉致事件、韓国中央情報部 (KCIA) により、千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致された。金大中は船で連れ去られ、ソウルで軟禁状態に置かれ、5日後にソウル市内の自宅前で発見された。
8月19日
 妙信講、臨時青年部会開催(豊島公会堂)、「国士三千集わば 一国諌暁の序戦に立たん」
 浅井昭衛本部長「自分は倖せに思っていることがある。もし旅をするにも、主君の命とあらば辛くとも淋しくとも一人でも行かねばならない。だがその時、良き道づれがあったならどれほど楽しいことか。… 今、厳しく困難な一国諫暁の長途を行かんとする時、このような信心強き好ましき青年部諸氏の集い来って、共に楽しく斗えることまことに有難いことと思っております。…
 何ゆえ妙信講は一国諌暁に立たんとするか。…
 一、日本の傾き急なるが故。…
 二、大聖人の御遺命が曲げられたまま時の政府に伝えられている故。…
 三、いま国立戒壇の正義を叫び一国に迫る資格は妙信講以外にはなくなってしまった故。…
 されば妙信講が非力であろうとも、またどれほどその斗いが辛く厳しくとも、立たねば大聖人様に申しわけがない。これまさしく、将来御法主上人猊下の遊ばす大諫暁の露払いの御奉公と深く心に決しております。… もし、信心強盛なる三千の国士集うならば、その時こそ決然と一国諫暁の序戦を起そうと思うがどうか。(大拍手)
 今から云っておきます。もとより非力の妙信講の斗いゆえ、天下挙って謗り、嘲笑し、やれ「時代錯誤よ」「教条主義よ」と悪口するに違いない。… また、たとえ妙信講非力にして斃れるとも、日目上人・本化国主は必ずお出ましになる。妙信講は正々堂々とやりたい。妙信講の為す斗いこそ、仏法の上からは大聖人様の御命令、世間の上からは国民としての権利、仏法・世法ともに道理に立ち、合法的に正々堂々と私はやりたい。… 本日この誓願式を出発として、やがて三年後に国士三千を結集し、大聖人様の御馬前に見事なる法戦を展開しようではありませんか。(大拍手)」(「冨士」第121号 )
8月23日
 細井日達管長、『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』を書写し、池田大作会長に授与。
「まだ表具のされていない御本尊を取り出し、開いた後、巻き戻してポンと放り出し、『三百五十億のお礼が、これ一枚だよ!!』と言い捨てた。それを見ていた人が、腹に据えかねて日達上人にお伝えし、日達上人は非常にショックを受けられた」
「それでいて池田大作は、この賞与御本尊を最大限に利用した。さっそく無断で模刻した上、本部文化会館の最上階に安置し、幹部達に拝ませた。授与書きに『賞本門事戒壇正本堂建立』とあるのを、自己流に解釈。『猊下が、正本堂を御遺命の戒壇建立と認めた』と得意気に言った。… 池田大作は、この模刻した板本尊を調子に乗って、早瀬総監以下、宗務院の役僧の方々にも披露し、拝ませた」(「あの頃のこと」第33回 慧妙 第256号)
8月24日  創価学会、写真集『正本堂』(聖教新聞社)出版。
 細井日達管長、本書に『池田会長と正本堂』の一文を寄稿。
「池田大作先生は会長就任以来十三年にして我が宗に有形無形の二つの大事業を成し遂げられた。その無形の事業とは八百万人の信心を喚起して本因下種の当体を覚知せしめ広宣流布への大行進を確実にしたことである。その有形の事業とは八百万信徒の信心を結集し、本仏への供養の真心を以て正本堂を建立したことである」「此の大御本尊を正本堂は永久に守護し奉る建築物である」
 細井日達管長、写真集『正本堂』に自ら『本門事の戒壇』と揮毫、右脇に『建立大願主法華講總講頭池田大作』、左脇に『昭和四十八年八月二十四日 総本山六十六世日達在判』と認め、池田大作会長に贈呈。
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催(豊島公会堂)、「百余名の幹部一気に抜擢」
 浅井昭衛本部長「昨年、御遺命守護の御奉公の時には、どこで聞きつけたか朝日、毎日、読売の各新聞、週刊新潮、週刊現代の各記者が大勢面会を申し込んで来たが、すべて拒絶した。… かかる大聖人様の重大法門は、興味本位の信心なき輩が関与すべきことではない。… 他に語ることは秘すべきであり恐れ多いことである。そして、ついに妙信講は大聖人の正義を守り奉り、猊座の御尊厳をお守りした。…
 いま日本の国はまさしく暗礁に乗り上げんとしている船、断崖絶壁の上に立つ家である。… この外海への初陣の九月、全講員が真心込めて御奉公を貫こう」(「冨士」第121号 )
8月28日
 妙信講、松本日仁能化の導師により本部会館起工式(板橋区常盤台)。
 浅井昭衛本部長「必ず日本国に於いて、日蓮大聖人様の立正安国論の御主張と、そしてこの妙信講の本部会館の存在を知らぬ者はいなくなる」
9月1日  創価学会、「大白蓮華」9月号「在家仏教の開幕」。
「あえて言えば、僧俗ともに大聖人と直結なのです。… 寺院は授戒所といってよい。これを間違えると、往時の僧侶仏教に、寺本位の仏教に傾斜してしまい … 広布流布はできなくなってしまうであろう。…
 大聖人が生涯、一寺も持たれなかったということは、これまでの寺院の権威の座を、たたき破られたのだと私は思う。… 寺院が令法久住を忘れて形式や権威に堕せば、大聖人のご精神に反すると考えるべき … 僧は信徒の為に懸命に尽くすことが第一義となろう」
9月8日  公明党、中道革新連合政権構想を発表。「日米安保の即時廃棄」に方針転換。
「共産党が躍進し、世の中、野党は左だという気分があふれていた。例外だった」(市川雄一代議士)、「この年、美濃部革新都政の与党となり…」( 公明党議員OB)
9月8日  東宝映像・シナノ企画共同製作、東宝配給の映画『人間革命』公開さる。
「創価学会々長・池田大作の同名小説の映画化。創価学会の今日までの歴史を、史実、時代の背景をドキュメンタリー風に織り込みながら描く。脚本は「どですかでん」の橋本忍、監督は「剣と花」の舛田利雄、撮影は「商魂一代 天下の暴れん坊」の西垣太郎がそれぞれ担当。1973年9月8日より先行ロードショー」(東宝)
9月21日
 宗門、財団法人「日蓮正宗妙観会」設立許可。
10月6日  第四次中東戦争勃発、第一次オイルショックへ。6年前の第三次中東戦争でイスラエルに占領された領土の奪回を目的として、エジプト・シリア両軍がそれぞれスエズ運河、ゴラン高原正面に展開するイスラエル国防軍に対し攻撃を開始した。OPEC加盟産油国のペルシア湾岸の6カ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ、70%引き上げると発表。
10月11~17日
 宗門、正本堂建立第一周年記念大法要奉修。
 池田大作会長、正本堂から退出する細井日達管長に、正本堂東側広場にて大衆の面前で「約束の十億円をはやく出せ」と面罵。「猊下はウソつきだ!! 正本堂で、あれだけやらせておいて、ご本尊一幅ですまそうとする。ずるい。約束の13億円、私に下さい。必ず下さい!!」(「池田大作日本経済乗っ取りの野望」、山崎正友 )
「池田大作は、裏では日達上人にいろいろと圧力をかけていたが、表向きは、信伏随従の姿を見せてた。日達上人を頭ごなしに怒鳴りつけ、それも会員達の前で、『俺の方が上なのだ』と見せつけるような振る舞いをしたのは、このときが初めてだった。日達上人は、その場の混乱を収拾されるため、『わかりました。あとで、皆とよく相談してお答えします』と、その場は引き下がられたが、顔を真っ赤にされ、足早に立ち去られた。大坊に戻られた日達上人は、憤懣やる方ない御様子だったという」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2003年7月1日号 )
「猊下の気性から思えば、その時はずいぶんと押えられたと思うが、その後、内事部へ来られて、『ああいう体質では、もう学会とは一緒にやっていけない。たとえ小さくなっても日蓮正宗の信仰を守っていきたい』と悲痛な表情で仰せられた」( 小川只道師 『暁鐘』第20号 )
10月12日  創価学会、編年体「日蓮大聖人御書」刊行。
10月17日
 宗門、早瀬日慈総監。宗門から学会へ、13億7千万円を寄付するという覚書を、北條副会長と取り交わす。
 一、創価学会の多年に亙る広布創業の労に対し、宗門は満腔からの誠意を表しここに一金壱拾億円を贈る。
 二、正本堂基金 3億7千60万円については昭和49年4月以降、創価学会において自由に使用していただきたい。
 三、富士宮市の市民センター建設に対する寄付要望については、大石寺として7億円を考える。
 四、富士学林の建設は大石寺で行う。
10月17日  創価学会、「日蓮正宗国際センター」構想を機関決定。
10月17日  第1次石油ショック、全国各地のスーパーで「買いだめパニック」が発生。翌年の消費者物価指数は23%上昇し、「狂乱物価」という造語が生まれた。
 国際原油価格は3カ月で約4倍に高騰、先進国を中心に世界経済は大きく混乱した。エネルギーの8割近くを輸入原油に頼っていた日本では、 石油関連製品の値上げに直結し、物価は瞬く間に上昇した。急激なインフレは、旺盛だった経済活動にブレーキをかけ、1974年度の日本経済は戦後初めてマイナス成長となり、高度経済成長は終焉した。
10月21日
 妙信講、婦人部大会開催(豊島公会堂)「前代未聞の婦人運動を」
 浅井昭衛本部長「思えば明治以来、色々な婦人運動が行われてきました。だがそれ等は、男と比べて女性の権利を主張する運動だとか、あるいはオシャモジに代表される消費者の運動であるとか、あるいは政党の党利党略に利用された色のついた運動ばかりです。未だかって、三大秘法を以って女人成仏・家庭和楽・国土成仏をめざして起された婦人の運動はない。妙信講の婦人部こそ、目先のことに負けず、愚痴に流されず、三大秘法を持つ聡明な婦人となってこの大事をなし遂げて頂きたい。日本国の一切の女人に三大秘法の題目を唱えしむる、この大聖人の大願を胸に、日本第一の婦人部を作って広宣流布に立ち上ろうではないか」(「冨士」第123号 )
10月24日  第四次中東戦争、国際連合による停戦決議をうけ停戦が成立。
10月26日
 妙信講、10月度総幹部会開催(豊島公会堂)、「日本の崩壊はすでに始まっている」
 浅井昭衛本部長「昨年の九月、御遺命守護の決着がついた時、心に決めたことは、「よし!、この上は妙信講は地下に潜ろう、そして次の大事な御奉公に備えよう」ということでありました。すでに大聖人の御遺命の正義は死守せられた、猊下の御本意は守られた、もうこれ以上重大法義が歪曲されることはあり得ない、いやさせない、この確証がついた時、次の御奉公に進もうと肚をきめたのです。よって直ちに踵を返して黙々と新しい前進を開始した。「地下に潜る」とは、何も求めない、右顧左眄しない、ただまっしぐらに大聖人様のお待ち遊ばす法戦場に到達したいという気持でありました。…
 すでに日本の崩壊は経済から始まり出しているのです。やがて自界叛逆、他国侵逼に至るかも知れない。しかもこれを諫める者は無いのです。これを思えば、なんとしても妙信講は力を持たねばならぬ。… 妙信講の弘通の真心がある一点に達した時、必ず一国諫暁の御奉公に立つことが出来る、一国はゆさぶれます。すでに一万に満たざる弱小の講中を以て、この大宗門の中で重大な御奉公を果したではないか、十万の時はまさしく一対千となる。昔から「一騎当千」という言葉があります。… 妙信講の前進は必ず大聖人様が見てて下さる」(「冨士」第123号 )
12月16日  創価学会、第36回本部総会開催。
 池田大作会長「たとえ私どもと 異った思想、意見を持った人々であったとしても、もしその人たちが暴虐な権力によってその権利を奪われ抑圧されそうな時代 … 断固それらの人々を擁護していく。… 例えば他宗教の人であれ、また宗教否定の思想をもつ人であったとしても、これらの人を守りたい」
 細井日達管長「故に『観心本尊抄』に『天晴れぬれば地明かなり、法華を識る者は世法を得可きか』とも説かれているのであります。… この法華経の肝要である大聖人の仏法を、よく研鑽されている池田先生の言論が、政治、経済にわたっても、しぜんとその実相に到達していることは、深く評価せられるべきであると考えます。この英知の池田先生を会長としていただいている学会員の皆さまは、まことに幸福であり、名誉であると思うのであります」
12月22日
 妙信講、常盤台に本部会館落成、「天魔も砕けぬ法城」
 松本日仁能化、慶讃文。「維持昭和四十八年十二月二十二日の佳き日を卜し、妙信講本部会館新築落成せるに依り本門の大御本尊を御奉安申し上げ、恭しく落慶入仏の式典を挙行せんと欲す。仰ぎ願はくは仏祖三宝尊証智証鑑し玉へ。…
 講頭浅井甚兵衛には再建已来今日に至る迄十有六年の間、一日も猊下の御思召をゆるがせにせず、ひたすら宗祖大聖人様の御書の御正意を遵守し一意専心教学の研讃と折伏弘教に邁進し、更に聖人展についての諫訴、つづいて御遺命守護の為めに日夜挺身、奮戦努力邁進せり。… 本年よりは愈々一意専心、一国諫暁・広宣流布・民族救済の大業に向って邁進せんと其の準備に着手、既に去る五月には六綱目の方策を立てて着々其の具体化を進めたり。此の会館又其の六綱目の一つにして、今その会館の落成を見るに至る。誠に慶祝の極みにたえず、依て本日茲処に落慶御入仏の式典を挙行するものなり」
 浅井甚兵衛講頭「日本は根本の妙国であれば、時来れば必ず本化国主・日目上人がお出ましになる。妙信講は、その露払いとして斗わせて頂くのであります。… 日本は崩壊に向って突き進んでいる。これを止め国家を安泰になすのは、広宣流布・国立戒壇建立以外にはない。この本部会館はその斗いを進める根城であります。十万達成は一国諫暁の基盤であります。ゆえにこの本部会館を依り所として、折伏に教学に、歓喜勇躍して精進してもらいたい。(大拍手)」
 浅井昭衛本部長「思えば再建以来十六年、妙信講には城もない、ただ山に寝、野に伏して斗ってきた。だが本日ここ本部会館に大御本尊がお出ましになった。もうすでに、この法城は天魔も砕けぬ法城であります。… 本日お出ましの御本尊こそ、妙信講の大願たる十万達成・一国諫暁を全講員が祈念し奉る御本尊であります」(「冨士」第125号 )
(※ 講員に一切の負担をかけず、浅井甚兵衛講頭が私財を投じての建設であった )
12月29日  創価学会、池田大作会長。第2回御義口伝受講者大会で『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』を、すでに板本尊として模刻してある事実を明かす。
 創価学会の五つの宝について、
「一、本部にある大法弘通の御本尊さま。
 二、戸田先生からいただいている刀。
 三、留言集だ。一つの相伝書だ。秘みつなんていうものではない。
 四、玉璽だ。代々の会長に伝えるのだ。つくってある。
 五、実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の八百万は、明確に終わった。文化会館の七階の座敷に安置してあるのだ。これは、私が直接うけたもの。私が拝ませてあげよう。この五つを全部、後世に伝えていくのだ」(『継命』、原島嵩 1980年9月15日号)
 

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