迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
昭和42年 (1967)           _
1月1日
 宗門、細井日達管長『大白蓮華』1月号に寄稿。
「日蓮正宗総本山に、事の本門戒壇堂ともいうべき、正本堂の建立起工式が行なわれる」と。
1月1日
 宗門、松本日仁能化「新年を迎えて」
「昨年は講頭先生の発願でありました5千世帯折伏達成が完遂されまして誠に御目出度う御座いました。是れ全く講員の皆様が、講頭先生のご指導を素直に受けきって一致団結、折伏斗争に努力邁進された結果と思います」(「冨士」第41号 )
1月1日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭「年頭の辞」、「我々末法の衆生はこの末法の御本仏大聖人の大慈悲・大徳に此の御誓願をよくよくは我身に体し、先ず人生の基本方針を決定することが大切である。いよいよ信心強盛に充実した信心を養い、『一生虚しく過して万歳悔ゆる事なかれ』の仰せに励み、信心の充実に努力しなければならない」
 浅井昭衛本部長、「昭和45年を目指しての出陣の年に当たり、根本の信心に立ち還り油断なく『充実』の二字を心に染め、本年も死身弘法の前身をしようではないか」(「冨士」第41号 )
1月22日
 妙信講、研修部。昇格試験・登用試験実施。三級昇格試験は92名、部員登用試験は183名が受験した。
(※ 小生はこのとき、登用試験を受験した。 櫻川 忠 )
1月25日
 妙信講、1月度総幹部会開催(拓殖大学)。「2月から証拠をもって論ずる斗い」
1月29日  第31回衆議院議員総選挙。政界を揺るがす「黒い霧事件」を受け、佐藤榮作内閣総理大臣が政権の求心力回復を期し衆議院を解散した。
 公明党、衆議院初進出でいきなり、25名が当選。
1月31日  創価学会、池田大作会長。突如、辻武寿公明党委員長を更迭、竹入義勝を委員長、矢野絢也を書記長に指名した。
(※ 竹入義勝はそれまで都議会議員、創価学会・世田谷第1本部長 )
2月1日  公明党、竹入委員長、就任後のイソタビユー。「池田会長から申し渡されたばかりで、正直いって面くらっています」(「毎日新聞」2月1日号 )
2月7日  創価学会、本部職員全体会議での池田大作会長発言。
「折伏戦をしきってゆけば、地方統一選にもその他の選挙にも勝つ。かつて折伏があまりできない時に戸田先生は "大、そろそろ立ち上がれ" と仰言った。それからできるようになった。本部職員は五老僧になりやすいが、絶対になってはならぬ。戸田先生の事業は壊滅状態だった。それを(私が)たった一人で全部やりきった、その福運なのだ」(「池田センセーの思い出」高村萬之助 )
2月13日  公明党、第4回党大会。竹入義勝委員長、矢野絢也書記長が就任。
2月25日
 妙信講、2月度総幹部会開催(拓殖大学)。「広布の歯車を逆転させるな」
 2月度折伏成果 47世帯。三級昇格試験合格者29名、部員登用試験合格者51名。
(※ 小生は登用試験に合格、研修部員となった。以後、浅井昭衛本部長から御書十大部、六巻抄の薫陶を受ける。櫻川 忠 )
2月 日  創価学会、「前進」2月号に池田大作会長の指導を掲載。
「私から幹部の任命を受けることは、記別を受けることです。会合もただ列座しているのと、記別を受けて出るのとでは違う。記別とは信心の血脈です。これなくしては『法華経を持つとも無益なり』である。私は現在の仏法の指導者です。私を中心にして御本尊を信ずることによってこそ、『霊山に近づく鳥は金色になる』との御金言のごとく、幸福境界を確立することができるのです」
3月10日  創価学会、池田大作会長。臨時本部幹部会で、「国際都市東京」のビジョンを発表。
3月15日
 妙信講、研修部入部式開催。                                          
3月25日
 妙信講、3月度総幹部会開催(拓殖大学)。「立宗の4月に果敢な折伏線」
 浅井昭衛本部長「ベトナムのあの二分された戦いに当たって、あの小乗経の僧侶が焼死自殺をもって抵抗したが、所詮力なき小乗経なるがゆえに国を救うには至らなかった。もしも今、日本にこの危機がおとずれたらどうするのか、… すでにその危機は、そばまで近づいてきている。この国家の急を救うのは、この大聖人の三秘の大仏法を伝持する大石寺門流以外にはない。その富士門流の生粋の精神を受け継ぐ妙信講の折伏こそ、この泥沼から日本国を救う戦いである」(「冨士」第44号 )
(※ 浅井昭衛会長の"伝統芸"「危機の煽り」は、すでにこの頃からである。櫻川忠 )
3月26日
 妙信講、研修部。「法華取要抄」講義開始。
3月 日  日蓮宗、現代宗教研究所、現代宗教研究所報、中濃教篤「公明党・創価学会のイデオロギー ― その史的背景の分析から批判へ ―
 「以上分析してきた創価学会・公明党のイデオロギーは、必然的にコスモポリタニズへと傾斜する一面を内包する。 「われわれの思想は、文明論でいえば第三文明、政治観からいえば仏法民主主義、経済観からいえば、人間性社会主義、新社会主義、福祉経済、国際観からいえば、地球民族主義である」と「地球民族主義」という珍語が製造され、… 「世界連邦論」につながるコスモポリタニズムのとりことなる。
 ここまでくると、創価学会創立当初から、敗戦後の折伏大行進時代までの旗印であった「国立戒壇論」はむしろ足かせの役目に転落する以外にない。けれども、これを捨て去っては一枚看板を失うことにもなる。… 公明政治連盟が発足し、… 同年九月、公政連の第一回全国大会がもたれる頃からしだいに、とくに一九六四年の公明党結成を迎えるにいたって、「王仏冥合論」がぐっと前面に押し出され「国立戒壇論」は背後に追いやられてきている。
 とくに驚くべきことには、一九六五年公明党が参議院選に一一名の当選を勝ちとった七月頃からは「国立戒壇などということは一度もいったことはないし、考えたこともない。われわれはは民衆立の戒壇しか考えていない」などといい出している。こうして創価学会は「三大秘法抄」をもてあましながら、なおかつここに拠りどころを求めなければならないといというジレジレンマに陥ち込んでいるのである。
 ここにこそ、さきに見てきたように公明党・創価学会が仏教とは縁もゆかりもないキリスト教社会主義や新カント派社会主義に立脚しながら、なおかつ「ファシズム」への危険をうんぬんされる問題点がある」 (「同」 第01号)
4月15日  東京都知事選挙。美濃部亮吉が、松下正寿、阿部憲一(公明党・創価学会推薦)を下して当選、初の革新都政が誕生した。
 自民党は当初、東都政で筆頭副知事を務めた鈴木俊一を推し、社会党内では元総評議長の太田薫が候補として浮上。党勢拡大を狙う公明党は、創価学会幹部の阿部憲一を独自に擁立した。反共を掲げる民社党は、自民・社会と候補者を一本化すべく働き掛け、松下正寿を担ぎ出した。
 社会党は太田薫を降ろしハト派イメージのマルクス経済学者・美濃部亮吉を擁立、反自民の革新統一戦線を呼び掛け共産党は美濃部亮吉に相乗りした。鈴木俊一では勝てないと見た自民党は、松下正寿を推薦した。
 美濃部亮吉は、「東京に青空を」というキャッチフレーズを掲げ、マスコミから「美濃部スマイル」と好意的に報道され、史上初の革新都知事が誕生した。
 阿部憲一の得票数は 601,527、以後、創価学会は東京都知事選挙に独自候補を立てない。
4月26日
 妙信講、浅井昭衛本部長、男子部会で「仏法と政治」講演。
「私共日蓮正宗の信者は、権力を求める政治運動ではなく、政治権力に対し、信心を以って富士山に国立戒壇を建立すべしと迫る、これを猊下を中心として生命賭けて烈々と戦いぬく、これが諫暁団体のあり方であります。
 今妙信講は五千を達成し、やがて一万、さらに三万・五万・十万となる。この妙信講の信心の叫びで、いかなる政党といえども本門戒壇建立に賛成させなければなりません。そして天皇陛下もこの仏法を受持する時が来る」
 [解説 浅井昭衛]「池田大作の宗門統制の成功により、この頃の宗門は選挙協力一色にぬりつぶされていた。選挙ともなれば、宗門機関誌「大日蓮」は候補者全員の写真を巻頭に掲げ、細井管長は率先して「政府の鉛筆を持ち、政府の紙を持って、正宗の信心をしている人の名前を書いてくればいいのである」(法華講連合会北海道地区大会)」… などと、全信徒に選挙勝利を呼びかけた。
 また全国の末寺では候補者の氏名やスローガンが本堂いっぱいに貼りめぐらされ、その垂れ下がるビラのすき間から、やっと御本尊が拝めるというような有りさまであった。末寺住職は、学会からの依頼で、後援会作りに檀徒をかけずり廻らねばならなかった。
 この42年は1月に衆院選があり、公明党は初の当選者25名を出した。そして4月には統一地方選挙が行われた。勝利の余勢を駆る学会員は、各地の妙信講員に対して、選挙の協力は当り前、協力せぬ者は逆賊、といわんばかりの態度で接してきた。
 そのような中で、「仏法と政治」について男子部会で話したのがこの講演である。信心を利用し、教義を曲げても政治権力を得ようとする学会に対して、妙信講は信心の力で時の政治権力に、大聖人仰せのままに国立戒壇の建立を諌暁すべきであると、基本的姿勢の違いを明らかにしたものである」(「冨士」第182号 )
4月24日
 宗門、早瀬道應主管が総監に就任。藤本栄道師、庶務部長就任。
4月25日
 妙信講、4月度総幹部会開催(拓殖大学)。「5月は総会一本の前進」、4月度折伏成果61世帯、総世帯数5,197世帯。
5月3日  創価学会、第30回本部総会開催。細井日達管長臨席のもと、池田大作会長「正本堂は三大秘法抄の御遺命の戒壇、これで立正の二字完璧」と。
5月17日  創価学会、アメリカ合衆国総合本部設置。
5月26日  創価学会、オランダ王国に支部結成。
5月28日
 妙信講、第12回総会開催(文京公会堂)。「仏法の正義曲げずに唯一筋、妙信講は在野の諌暁団体」と、「三大秘法抄の御遺命の戒壇」との池田大作会長発言を牽制。
 浅井昭衛本部長「妙信講は信心一筋の講中である。いかなる権力にもへつらわず近づかず、唯正直に大聖人様の仰せになる『正法は国を治め、邪法は国を乱す』との仰せを、気一本に一筋に云い貫く在野の諌暁団体である。捨身の信心で、与えられた諌暁団体の大使命を、堂々と果していこう」
 浅井甚兵衛講頭「法華講の伝統を受ける妙信講は、今本部長が申した通り、諫暁団体として、此の一大重責と使命を以て、茲に立上っているのであります。御一同の皆さんは一人一人が悉く地涌の菩薩であり、国士である」
 松本日仁能化「昭和45年までには、目標の一万世帯を是非とも完遂するよう、がんばっていただきたい」(「冨士」第46号 )
 [解説 浅井昭衛]「"在野の諫暁団体"ということを、この第12回総会で初めて打ち出した。池田は自ら「賢王」を気取り、「不開門を開けるのは天皇でなく自分である」(「大白蓮華」40年8月号)と管長を前にして高言し、自分が政権を取ることが即王仏冥合であると会員を選挙に駆り立てていた。「人盛んにして天に勝つ」という言葉があるが、当時の池田の当るべからざる威勢を見ては、宗門の上下もあるいは本気でそう思いこんだのではなかろうか。だが私には、真の王仏冥合がこのようなものとはとうてい思えなかった。…
 選挙のためには教義すら曲げる学会の王仏冥合はまやかしである。妙信講は権力に近ずかず、へつらわず、そしていかなる政治権力にも、捨身で大聖人の御正意・国立戒壇を迫る在野の諫暁団体でなければならない、それが広布の時の法華講衆の姿である、との信念をこの総会で述べたのである」(「冨士」第182号 )
5月 日  創価学会、顧問制を廃止し、顧問の塚本素山を組織から排除。
6月3日  創価学会、アメリカ合衆国ハワイ州に本部設置。
6月15日
 宗門、大石寺蔵大聖人御真筆御書26巻が、文部大臣により重要文化財に指定された。
6月19日  創価学会、「学校法人創価学園」の設立及び創価中学・高校の設置が認可される。
6月23日
 妙信講、浅井昭衛本部長「妙信講の組長諸氏へ」を「冨士」に掲載。(「冨士」第47号 )
(※ これが後に「組長訓」として、班長会の冒頭で朗読されるようになった。櫻川 忠 )
6月25日
 妙信講、6月度総幹部会開催(拓殖大学)。「7月は安国論御建白の月」、6月度折伏成果86世帯。
 浅井昭衛本部長「隣の国中国にも水爆ができ、その危機は一段と深くなった。この日本国を救うのは、今の政治家ではない。現在しゅくしゅくと国家諌暁の土台を作っているこの妙信仰の戦いが、やがて日本国を水爆の危機から守っていくのである」(「冨士」第47号 )
6月25日  創価学会、第1回社長会開催(於小富美)。
 池田大作会長、外郭企業の社長等を集め『社長会』を発会。「広布の闘いで、政党・学校・文化・民音等もできた。最後に残ったのは経済だ。これから社長会を中心に、経済革命をする」(「社長会全記録」継命新聞社 )
(※ 昭和47年4月18日まで、61回開催された )
6月 日  公安調査庁、月一回作成の対創価学会報告書『新文化研究』を、内閣に提出開始。内容は、池田大作会長の発言録、創価学会本部来訪者名簿など。
「このレポートを引き続き"愛読"すれば、創価学会・公明党の組織、幹部の動向が手にとるようにわかる。…
 創価学会・公明党の動向を調べているのは、公安調査庁だけではなかった。本誌が入手した警視庁の資料も十年以上前から担当警部を置き、現況、性格や問題点まで列記したリストを作り、所轄警察署を拠点に継続調査している。公安調査庁ほど詳しくないが、ちゃんと月報態勢になっているようだ。『警視庁が創価学会に対する監視を強めたのは、五十年の創共協定締結以来です。学会が共産党と協定したというので驚いた警視庁では、右翼担当の公安二課が本腰を入れてマークしはじめたわけですよ。月に一回の報告書を作成しはじめたのは、それから』(警視庁詰め記者)…
 いつから公安当局が調査対象にしたのか、ということだが、公安情報に詳しい評論家・伊達宗克氏は『昔から聞いていますよ』という。『創価学会は昭和二十年代後半から折伏大行進ははじめ、相手の家に押しかけて仏壇を焼き払うような事件がよく起きたものです。これは届け出があれば捜査しなければならないし、それ以前の調査するのが公安当局ですから、当然、創価学会は調査対象にされますよ。学会に限らず、過去に過激な行動をとった宗教団体は、やはり現在も調査対象になっています』…
 創価学会・公明党担当は調査第二部第三課で、法務省組織令によれば、この課は「爆発物使用、公務執行妨害」が職務内容とされているが、実際は右翼、宗教団体を調査している。『公安調査庁の法律上の職務内容はまったく形式だけで、実際には創価学会・公明党だけではなく、各野党や大衆団体から自民党の派閥抗争まで調べ上げている』(公安担当記者)」(『週刊現代』1978年10月26日号 )
7月1日  大白法書林、山本雅著、由比宏道編集発行の小冊子『打倒創価学会 第二集』を発行。脱会者の弁を中心に、創価学会・宗門を批判。
7月25日
 妙信講、7月度総幹部会開催(拓殖大学)。「8月は充実を期す指導の月」、7月度折伏成果127世帯。
 浅井昭衛本部長「この明治維新に於きまして日霑上人が、宗門の先頭に立たれて国家諫暁をされた。やがてそういう時が、将来必ずやってくるのです。 「有徳王・覚徳比丘の乃往を濁悪の未来に移さん時」との仰せの如く、時の御付属を受けた本門弘通の大導師としての御法主上人が、宗門の命運を賭して先頭に立たれた時、我々は断じておくれをとってはならん。末弟の一人として、法華講として真先に立ち上る、これが妙信講の精神であります」(「冨士」第48号 )
 〔解説 浅井昭衛〕「明治維新後、政府は一派独立の本寺を廃する布告を出した。それは、本宗に対しては大石寺の本山たるを廃し、身延山久遠寺を以って総本山とせよという官命となった。時の御法主・日霑上人は一命を賭して政府に上書せられた。
 その末文に云く、「若し其の明答に能わず、啻に彼の門葉の強大なるを以って、我をして屈せしめて、彼に所轄たらしめんとならば、臣等寧ろ服を更之、道路に餓死することありとも、敢えて奉命に耐えざる処なり。願わくば、寛大の哀憐を垂れさせられ、明らかに其の邪正を決し、而して後その処置を給わん事を。臣・日霑等恐懼再拝頓首泣血謹白す」
 強大なる権力に追いつめられ、ついに生命にかけても正統門家を護らんと立たれた日霑上人の御気魄が、当時胸に痛いほど響いた」(「冨士」第182号 )
 整理班、新編成。「講中活動の守護と整理に挺身する整理版が今回、再編成され総括・若原行平君、主任・神野武美君の指揮の下、3年後を目指して新しい第一歩をふみだした」(「冨士」第49号 )
8月13日  創価学会、サンフランシスコで第4回全米総会開催、代表4,000名参加。
8月17日  創価学会、第3回社長会開催(於ホテル・ニューオータニ)
 池田大作会長「私と会って会食するだけで良くなってしまう。社長の目、顔、声で全部分ってしまう。その上で必要な手を打つのだから正確だ。最高の指導だ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
8月20日
 妙信講、奥武蔵高麗川原にて、整理班訓練実施。
 整理班再編成後、初めての試みの整理班野外訓練は、8月20日実施された。… 整理班員38名が高麗駅に到着したのは10時30分。… 高麗川原に出、石だらけの中を進み30分ばかりで訓練場所に到着。… 訓練に入り整理班の目的と訓練の意義の指導、自己紹介、「整理班綱領」斉読、タクトの訓練を実施。12時半、持参の弁当で昼食。途中、自由行動が許され、泳ぐもの、魚を取るもの、石を拾うもの、自然の中でくつろぐこと1時間。さらに前進して訓練場所に到着、ここで隊別、個人別の相撲大会が行われた。… 訓練を終え池袋駅で6時に解散。(「冨士」第49号 )
8月24日  創価学会、池田大作会長、第10回学生部総会で講演。
 (1) ベトナム戦争における米軍の空爆停止と平和維持会議の開催、 (2) 紛争防止のため非武装地帯に国連監視軍の常駐、 (3) 沖縄の即時返還、を提唱。
8月25日
 妙信講、8月度総幹部会開催(拓殖大学)。「龍ノ口の巨難を拝し不惜身命の法戦」
 浅井昭衛本部長「もう一つ、… 夜おそくなってはいけないという事です。広宣流布の御奉公は長期戦であります。二十年、三十年、四十年と大聖人の御仏智による広布の日まで、うまずたゆまず勇んで斗って行くのが地涌の流類であります。いまゝでともすると熱心さのあまり、夜中の一時、二時までやっている人があった。だがこれは本当の姿ではない。… それでこう支部長会で決めました。一切の集会は従来の如く9時解散、問題はそのあとなんですが、色々な打ち合せで幹部だけが残ったとしても必ず10時までには解散をするように。…
 隣りの中共では既に水爆を開発して、それを運ぶミサイルも45年までには出来るとの事です。… ソ連や米国の水爆もさることながら、中共のそれは一層なにか不気味です。何故か、御書に西海侵逼の仰せがありますが、同じ方向、同じ国土、仏法の上から見て日本の運命に強い影響を持つ国だからであります」(「冨士」第49号 )
8月29日
 宗門、「日蓮正宗教師必携」刊行。
9月1日  創価学会、細井日達管長の大導師で『創価文化会館』落成入仏式奉修。
 池田大作会長、富士短期大学を卒業。「この年をして(卒論を)百枚も書いたんです」と発言。 (※ 卒業論文は、後に教学部長を務めた桐村泰次に書かせたと、原島崇が証言 )
9月 日  創価学会、10月に刊行予定の植村左内 編著『これが創価学会だ、創価学会幹部413人の告白』のゲラ刷りを入手。
 辻武寿・矢野絢也・竜年光の三氏、自民党本部に福田赳夫幹事長を訪ね、『これが創価学会だ』の出版中止を依頼。福田氏の拒絶により、さらに自民党・賀屋興宣氏に依頼。賀屋氏これを承け、出版元の「しなの出版」に働きかける。
9月12日
 宗門、細井日達管長 正因寺にて説法。「今年その正本堂の発願式が、10月12日に行なわれる次第 … 成仏の根本である、本門の戒壇が建立せられる」と。
9月12日  創価学会、正本堂礎石収集。世界135ケ国より収集完了。
9月25日
 妙信講、9月度総幹部会開催(拓殖大学)。「妙信講の使命をみつめて更に一歩前進」、9月度折伏成果82世帯、総世帯数は5,493世帯となった。
 浅井昭衛本部長「この折伏という二字を聞いた時に、もしも又か等と思うようであったならば、その信心は腐ってると思う。… この二字が消えた時、それは大石寺の門流の信心ではない。この大石寺門流だけは大聖人滅後七百余年、いかなる弾圧を蒙ろうとも二祖日興上人の昔から「折伏」(広宣流布)の二字は絶対に一門から消えることはなかったのであります」(「冨士」第50号 )
9月27日  創価学会、第4回社長会(於松野茶屋)
 池田大作会長「広宣流布への挑戦をして行こう。天下を取らなければ途中の苦労が何にもならない」(「社長会全記録」継命新聞社 )
10月1日
 宗門、第4回法華講全国連合会総会開催。
 細井日達管長「法華講の講中ができ、ひとつの団体ができましても、組織はお互いに人間がやっておるのであります。そうすれば、そこには不満もできる、あるいは間違いもできる。これらの不満とか間違いを盾にとって、お互いに争い合い、お亙いに信じなく、そしてついに自分の根本の信心を忘れるようなことをしては大変なことになる」 「少しくらいの不満、また組織の欠点、そういうものによって、その異体同心の団体を破るというようなことが、もしあるとすれば、それはすでに信心の退転であると考えなければならない」 等と述べ、法華講側の創価学会批判を牽制。
「裏で、このような狡猾な"着服"をしていながら、池田大作は、さも、宗門のために献身的な奉仕をしているかのように振舞い、宗門に恩を着せ続けた。 それに対する宗門の感謝の意思表示や賞賛の言葉が少ないと、池田大作はむかっ腹を立て、突然、血相を変えて怒り散らすのだった。
 私も、何度も、宗門首脳と学会首脳の合同の委員会等に出席したが、池田大作の独演会であり、宗門側僧侶は、ひたすらうやうやしく聞いているほかなく、 "先生のおっしゃるとおりです" "大変ありがたいことです" "池田先生にお任せします" 以外の言葉を述べられる空気ではなかった。
 このように、正本堂建立は、始めから終わりまで、 「池田大作の、池田大作による、池田大作のための事業」 であり、正本堂は、すべての点で池田大作の宣揚のための施設となっていた。…  これら(第4回法華講全国連合会総会の細井日達管長講演)は、宗内に、創価学会の行き方に批判的であったり不信を抱く人達が、少なからずいたことを示すものであり、御法主上人自らこれをたしなめられたお言葉である」(『あの頃のこと』山崎正友 「慧妙」2002年9月1日号 )
10月3日  創価学会、池田大作会長・竹入委員長。連名で、植村左内・編著 『これが創価学会だ』の出版中止仮処分申請を、東京地裁に提出。
10月4日
 宗門、法華講全国連合会組織、役員の名称変更。
10月10日
 宗門、細井日達管長、正本堂建立発願式奉修。
 創価学会、池田大作会長。発誓願文にて、「夫れ正本堂は、末法 事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又、仏教三千余年 史上空前の偉業なり」、「詮ずるところ正本堂の完成を以って三大秘法ここに成就し、立正の二字すでに顕現せんとす」、「今 茲に発願せる正本堂は文底独一本門の戒壇にして、唯 我が日本民衆の鎮護国家の道場なるのみならず、世界人類の永遠の平和と繁栄とを祈願すべき根本道場なり」と。
10月13日  創価学会、聖教新聞に細井日達管長の『願文』全文を掲載。また、「本門事の戒壇建立平和と繁栄の根本道場」の見出しで、池田大作会長の「発誓願文」を掲載。
10月13日  東京地裁、創価学会の 『これが創価学会だ』の出版禁止仮処分申請を却下。
10月15日  創価学会、国立競技場で東京文化祭開催、細井日達管長が臨席した。4万2千人の人文字、人間5段円塔が話題を呼ぶ。
「東京・国立競技場で、世紀の大祭典・東京文化祭が、晴れやかに開催されたのである。すべてが、未曾有の祭典であった。すべてが、感動の大ドラマであった。すべてが、歓喜の大絵巻であった。すべてが、希望の未来を映し出していた。出演者は人文字の四万二千人を含め、六万二千人で、学会の文化祭史上、最も大規模なものとなった。…
 文化祭の直前の十月十二日に、正本堂建立発願式が行われることから、この文化祭は、世界平和の根本道場たる正本堂建立の、前夜祭と意義づけられたのだ。…
 来賓も、財界人、言論人、学者、各国の駐日大使など五千人が出席。また、外務大臣や文部大臣などの閣僚や、都知事をはじめ東京近県の知事、野党のリーダーなど政治家の顔もあった」( 小説「新・人間革命」池田大作 )
10月25日
 妙信講、10月度総幹部会開催(拓殖大学)。「各々が随自意の誓願で大折伏」、10月度折伏成果94世帯、総世帯数は5,587世帯となった。
 浅井昭衛本部長「私たちは大聖人様の弟子として、願ってこの世の中に生まれてきた眷属です。眷属というのは、楽な時に生まれてくるのではないのです。楽な時にお膳立ての出来た時に出てくるのはお客様である。…
 この国を救うには、大衆一人一人が聞こうと聞くまいとにかゝわらず、この三大秘法の大御本尊がこの国にあるのだ、これを大事に供養し尊重し讃嘆していく、こういう一つの国立戒壇建立に対する本当の諌暁がなされなければなりません。… されば日蓮正宗が猊下を先頭に諌暁する、その宗門の国家諌暁に対して、我々はその宗門における引き金になるのだ、これが妙信講に於ける一万世帯を達成して本当に御奉公する使命であります」(「冨士」第51号 )
10月30日  創価学会、池田大作会長、汎欧主義者のリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵と初会見(東京文化会館)。
 伯爵に「ノーベル賞を貰えるでしょう」と激励され、「そのような栄誉は欲しくもありません。また下さるといっても、受けることはありません。そのような人間が世界にひとりぐらい、いてもよいでしょう」と応じた。
「伯爵と池田大作を引き合わせたのは、塚本素山氏である。… 池田大作は、カレルギー伯との対談を、有名人利用の第一号とした。昭和40年初めの教学試験の問題に「クーデンホフ・カレルギー伯について述べよ」という趣旨の問題が出された程である」(「池田大作日本経済乗っ取りの野望(二)」山崎正友 )
10月 日  植村左内・編著、『これが創価学会だ』 出版。大手取次店等、悉く取り扱いを拒否、書店の店頭に並ぶことなし。
10月 日  創価学会、『これが創価学会だ』の出版に対し、名誉毀損で告訴。加えて、謝罪広告を求める民事訴訟を起こす。さらに同書出版は新宗連の企てとして、新宗連理事長 立正佼成会庭野日敬会長を告訴。この後、日本大学 古田重二良会頭(社団法人「宗教センター」理事長)の仲介が成立。古田会頭、『これが創価学会だ』を廃棄処分。
「古田氏は、日本で二大宗教団体といわれる創価学会と立正佼成会をなんとか和解する方途を考え、両者に接触していたが、植村氏の『これが創価学会だ』が出版されるに至って、立正佼成会側が、自らの手で植村氏の本を破棄し、それによって『布教戦争』の一時停戦をするといった古田氏の案が両者を動かしたのだった。植村氏の本は日大の校庭でもやされた。これが世にいう"焚書事件"である。ところが、植村氏が自著をもやされたと喧伝しているが、実際は裁断されたのであり、焚書ではなかった」(『「月刊ペン」事件の内幕』丸山実 」
11月15日
 宗門、『大日蓮』11月号。正本堂発願式に際し、宗門高僧の賛嘆記事を掲載。
 1) 阿部信雄教学部長、「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より680数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭梁・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている」。
 2) 大村寿顕宗会議員、「その御遺命通りに、末法の今・機熟して本門寺の戒壇たる正本堂が、御法主上人猊下の大慈悲と、法華講総講頭・池田大作先生の世界平和実現への一念が、がっちり組み合わさって、ここに新時代への力強い楔が打ち込まれたのであります」。
 3) 佐藤慈英宗会議長、「この正本堂建立こそは、三大秘法抄や一期弘法抄に示されたところの『事の戒法』の実現であり、百六箇抄に『日興嫡々相承の曼茶羅をもって本堂の正本尊となすべきなり』と御遺命遊ばされた、大御本尊を御安置申し上げる最も重要な本門戒壇堂となるのでございます」。
 4) 椎名日澄宗会議員・参議・宗務支院長、「『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ』との、宗祖日蓮大聖人の御遺命が今正に実現されるのである。何たる歓喜、何たる法悦であろうか」。
 5) 藤本日潤庶務部長、「何か遠い未来の夢の如くに考えておったものでありますが、それが私共の時代に先づもって『戒壇建立』の実現を見ることが出来るということは、本当に身の福運を感ぜずには居られません」。
 6) 豊田広栄宗会議員、「事実上の広宣流布、そして本門戒壇の建立発願と言う大偉業は、……『三国並びに一閻浮提の人、懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王、帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇なり』の御金言にふさわしく」。
 7) 梶原慈霑宗務支院長、「三大秘法抄の事の戒壇ここに成り、梵天帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇」、「本門戒壇建立こそ、七百年来宗門の僧俗全てが宗祖日蓮大聖人の御遺命として受け継ぎ、瞬時も忘れることなく抱き続けてきた願いであり、使命であり一大目標である。それが今此処に池田大作会長によって、全ての者を代表して発誓願せられたのである」。
11月15日
11月19日  創価学会、第16回青年部総会を開催。池田大作会長、創価学会系労働組合の結成を提案。
11月25日
 妙信講、11月度総幹部会開催(拓殖大学)。「3年後の一万に絶対の確証」、11月度折伏成果204世帯、総世帯数は5,791世帯となった。
「充実の年、最後の法戦として注目された11月度総幹部会は、随自意の大折伏のなかにさる11月25日(土)の夜、茗荷谷の拓大新館四階教室で開かれた。席上、期待の十一月度折伏は、「本年最高の204世帯」と報告があり、三カ月の連続法戦を見事にしめくくった大成果に場内からどっと拍手がまき起った。これで妙信講の累計総数は5,791世帯となり6千世帯にぐんと近づいた。… 浅井本部長の「この11月の204世帯でもって45年一万は絶対間違いがない。その証拠を大聖人様がみせて下さったのである」との大確信にみちた指導 … 勇躍、力強い第一歩をふみ出した」(「冨士」第52号 )
11月25日  創価学会、第6回社長会開催(於小富美)。
 池田大作会長、「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ」 「中曽根康弘は心配ない、こちらの小僧だ。総理大臣になりたいと云っていたので、よしよしと云っておいた。ケネディきどりだ、坊やだ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
12月10日
 妙信講、妙縁寺にて御大会式奉修。
12月22日
 妙信講、12月度総幹部会開催(拓殖大学)。
12月 日  大正大学、竹中信常教授(宗教学)。『創価学会』を出版(労働法学出版)。
 創価学会、山崎尚見渉外局長。校正段階より介入し、ゲラを見せるよう強要。約1ヶ月の後、ゲラに朱を入れ「この本は、創価学会を正しく書いていない。手を入れたように変えて刊行せよ」と要求し、もし原文通り刊行するなら、名誉毀損で訴えると脅迫。よって同書の刊行、2ヶ月の遅れを来す。
12月 日  創価学会、650万世帯。
 

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