迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    顕正会年表 (私家版)


      
昭和46年 (1971)          _
1月1日
 妙信講、妙縁寺にて元旦勤行。
 松本日仁指導教師「新年を迎えて」、「昨年は妙信講に取りまして誠に重大な年でありました。しかし講頭並びに本部長の確固不抜なる信念の力と、講員御一同の団結の力によりまして見事御奉公が貫かれ、更に御法主上人猊下よりは御開扉を願わるる趣きの御言葉を頂戴して、10月25日を期し6年振りに総登山を行う事が出来ました事は、妙信講として何よりも喜ばしい極みでありました」
 浅井甚兵衛講頭「年頭の辞」、「二陣三陣と続かん」(「冨士」第89号 )
1月9~11日
 妙信講、初級講習会開催(豊島振興会館)。「三日間の延べ参加者は実に千7百余を越え、会場は連日超満員、立ったままでの受講者が続出するという熱況であった。会場の最前列に20畳近い畳を入れるなど、応急処置を取ったがそれでも間に合わなかった」(「冨士」第90号 )
1月17日
 妙信講、研修部。三級昇格試験実施(豊島区民センター)、出題範囲は「三大秘法抄」。
1月24日
 妙信講、研修部。部員登用試験実施(文京区民センター)、出題範囲は「冨士4号」「冨士63号」。
1月26日
 妙信講、1月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
1月26日  創価学会、第44回社長会(羽吹宅)開催。  池田大作会長「正本堂の御供養。五年間であれだけ。十年間はあの倍。あの発表の外に百億やった。又、稼ぐよ」
(※ 正本堂御供養は355億円以外に、100億円集めていたことを明かす )
2月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長「冨士」巻頭言。「御生誕七百五十年を迎えて」
「かかる時、断じて弱々しくずるい摂受の眷族になってはいけない。… 「摂受の者は折伏をわらう、折伏の者は摂受をかなしむ」と。若し、「… 今や既に広宣流布である」などと云う者あれば、誰人の言たりとも用いてはならぬ。仏説に依らざるものはこれ已義である。広宣流布は未だ来ていない … 一国は謗法で充満しているではないか。…
 日本の運命は、唯一の正系門流の信心にかかっている。大聖人の御仰せを一分も曲げずに、三大秘法抄の御遺命をめざして一国を諫めねば、無慈悲の者である。ここに、御生誕七百五十年を迎え奉り、ただ心に決するは「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれ」の一事のみ。以て罪業深重の身の御奉恩に擬し奉らん。二月一日」(「冨士」第90号 )
(※ 「もしあと25年で広宣流布できなければ、核戦争によって人類は絶滅する」(昭和57年 第23回総会)等は、「仏説に依らざる已義」にして「誰人の言たりとも用いてはならぬ」、すでに当人も用いていないが..。櫻川 忠 )
2月2日  横井庄一、28年ぶりにグアム島から帰還。昭和19年、グアム島の歩兵第38連隊に陸軍軍曹として配属され、同年7月にはアメリカ軍が上陸し日本軍は壊滅状態となり、同年8月に同島で戦死との戦死公報が出されていた。
2月3日  創価学会、聖教新聞紙上に「人間革命」執筆につき、会長コメント掲載。
 池田大作会長「ともあれ、執筆にあたって、今までも多くの方々にご協力を戴く。… 特に、私を激励してくれたS氏に至っては、資料の収集は勿論のこと、文体の運び方、文章の調子、結構の仕組みまでご協力を戴き、感謝の言葉もない。益々のご協力をただ乞う」
(※ S氏とは、池田大作会長のゴーストライター、創価学会幹部の篠原善太郎 )
2月8日  文部省、学校法人創価大学を正式認可。
2月11日  創価学会、細井日達管長臨席のもと創価大学竣工式。
2月15~16日
 宗門、宗祖日蓮大聖人生誕七五〇年慶讃法要奉修。
2月16日  創価学会、聖教新聞紙上に「本門戒壇建立」と掲載。
「まことに仏法は不思議です。五字七字の南無妙法蓮華経が流布して、今日750万世帯を数え、しかも御生誕750年の佳節であり、来年は本門戒壇が建立される」
2月17日
 妙信講、研修部入部式開催(豊島区民センター)。
2月18日  創価学会、聖教新聞紙上に「戒壇の建立」と掲載。
「今、この地に、仏法史に燦たる正本堂建設の槌音がいよいよ高鳴り、戒壇の建立の日近しを告げている」
2月19日   あさま山荘事件、軽井沢町の保養所「浅間山荘」に、連合赤軍の残党5人が管理人の妻を人質に立てこもった。警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が人質救出作戦を行い、死者3名、重軽傷者27名を出した。10日目に部隊が強行突入し人質を救出、犯人5名は全員逮捕された。
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島振興会館)、2月度折伏成果 208世帯。
 浅井昭衛本部長「ここに瑞相をつかませて頂いた。されば本年一万達成は断じて間違いはない」(「冨士」第91号 )
3月3日  雄渾社、「ホワイト調査班の創価学会レポート」(宗教社会学研究会・訳)を刊行。
3月10日  創価学会、池田大作会長。外郭企業の代表を集め、第1回金剛会総会を開催。社長会を発展させ、東西哲学書院、日本図書輸送、創造社、ひさご印刷、鳳書院、東洋物産、栄光建設、白蓮社の8社で構成。
 池田会長「いままで言えなかったが、本当は違うんだよ。外郭が源氏で、創価学会本部や聖教新聞は平家でいつかは滅びる。源氏がやがてリードする時がくる」
3月14日
 妙信講、研修部。「立正安国論」講義開始(豊島区民センター)。
3月25日
 妙信講、3月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
3月28日
 妙信講、宗務院に登山願提出。
4月2日  創価学会、創価大学創設。
4月13日  創価学会、第46回社長会開催。
 池田大作会長「いざとなったら全部城を明け渡し、全部日蓮正宗の信者になっても良い」
4月26日
 妙信講、4月度総幹部会開催(豊島振興会館)。4月度折伏成果 195世帯。 
5月3日  創価学会、聖教新聞社編「創価学会」発刊。
「仏教が僧侶という特権階級の独占物から、広く社会に根をおろし始めたのです。… いつのまにか僧侶仏教となってしまったのは、一面では僧侶の側の責任でもありますが、僧侶のみが仏教の哲学を学び、教えるものであるとしてきた民衆の側の自覚のなさにも責任の一端がありましょう。… 学会における教学のあり方は画期的なものであり、本来の仏教のあり方である」と、在家の教学運動の優越性を強調。
5月12日
 宗門、月刊誌「蓮華」創刊。
5月15日  沖縄返還、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権が、アメリカ合衆国から日本国に返還された。
5月26日
 妙信講、幹部大会開催。浅井本部長、「大聖人の御守護を蒙り 妙信講の使命つらぬかん」と講演。
「さき程から異常気象のことが云われております。… なんで妙信講が現在この異常気象をとり上げ、重大視しているかと云うことを申し上げたい。… いまの異常なる気象はまさしく天の諫め、警鐘の乱打であります。地球が狂ったのではないかと思われるような、気象異変がこれからますます頻発する。… 気象学者も云っております。いまおきつつある気象変動は、数千年に一度と云われるほどの大規模な異常であると。されば一年や二年で止むものではない、歳ごとに連々と異常さを増すことは必至であります」
「去年、宗門七百年の重大法義が政治目的の為に一部に歪曲されるを厳然と正し、九月十一日ついにその一応の決着を見たのであります。だがその後の経過を見、その本質を考えるに、未だ事おわらずと思わざるを得ない。仏法は厳しい。御書のいたる所に、他のあやまりを見て黙っているのは同罪であるとお誡めであります。… 見ながら、知りながら、気附きながら、人をはばかり、権威を恐れて云わないのは不忠の者であり、仏弟子ではない。妙信講はただ大聖人の御眼を恐れるものであります。いま妙信講は何を為すべきか、妙信講は未だかって身の為、講中の利益の為に動いたことはない。今もし、大聖人様・日興上人様おわしませば、何を妙信講になせと命じ給うか」(「冨士」第94号 )
(※ ささいな寒波にかこつけて、"地球が狂った" "数千年に一度" "歳ごとに異常さを増す"と、己義・妄想で脅し威嚇する"話芸"は年季が入っている。櫻川 忠 )
6月15日  公明党、第1次訪中団出発。中華人民共和国との間で共同声明を合意。
6月24日
 妙信講、6月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「8月に本山登山決まる」、6月度折伏成果 80世帯。本部辞令:高岡真佐雄 青年部参謀に、星修一 男子部幹事に、村岡長治 男子部幹事に任ずる。
6月27日  第9回参議院議員通常選挙。総裁選四選を果たした佐藤栄作首相の自民党は、沖縄返還交渉・大阪万博成功・大学紛争収束等の成果をみたが伸び悩び、佐藤栄作長期政権への「飽き」が顕在化した。公明党は10名当選(前回は13名)。
7月3日  創価学会、富士美術館起工式。
7月 日  創価学会、本部幹部会。池田大作会長、「我々が力を合わせ真心をこめて、大聖人様の御遺命である正本堂を建立したのであります」と。
(※ 細井日達師に文書で誓った、妙信講との約定あからさまに破っている。表面には慎んでいるように見せつつ、裏では依然として創価学会は違約を繰り返していた )
7月7日  田中角栄内閣発足、田中角栄が第64代内閣総理大臣に任命された。
 5月9日に佐藤派から81人の議員を引き連れ田中派を結成、6月に「日本列島改造論」を発表、7月5日に佐藤栄作が支持した福田赳夫を破り、自由民主党総裁に就任した。
7月8日  創価学会、第50回社長会(於・八矢宅)開催、「学会員は奴隷」発言。
 池田大作会長「竹入は一番忠実である。矢野など問題でない。言論問題の時、竹入でなければあそこまで頑張らなかった。… 学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない。奴隷のように学会につかえよ、それが御本尊様につかえる事だ」
7月15日
 宗門、奥法道師「事の戒壇について」を発表。
7月23日  創価学会、第8回北米総会開催、代表1万人参加。
7月25日  公明党、竹入委員長が中華人民共和国訪問。周恩来首相、国交正常化の中国側案を示す。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島振興会館)。7月度折伏成果 123世帯。
7月27日  創価学会、第51回社長会(於・松野茶屋)開催。
「アメリカの体制は非常にいい。貞永体制は完璧だ。… 今、私が考えているのは『師弟不二』だ。先生は日本、私達はアメリカで、世界は一つと考えなければ、『師弟不二』にならない。ポスト正本堂は"世界の池田先生"とするしかない」
7月29日  創価学会、聖教新聞に「仏教三千年史上で未曾有の大偉業である正本堂が建立される」と掲載。
8月20日
 宗門、阿部信雄教学部長。音羽の妙信講本部を訪れ「妙信講のいうところ大聖人の御意に叶えばこそ、宗門の大勢も変った。宗門がここまで立ち直れたのも、妙信講のおかげである」と。
「"去年八月二十日に家に見えた時、顔色を革めて、宗門全体が一時はあそこまで曲ったがそれが正されたのは実に妙信講の力による、とまではっきり云われたではないか。… それほどまでに妙信講の申し分を正しいとして同意しながら急変するとは何事か。これは、もう法義を論ずる以前の人間性の問題だ"… 宗務院は何ともバツの悪い顔をしておりました」(「冨士」第105号 )
8月24日
 妙信講、8月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
8月28日
 妙信講、総登山。参詣2千百余名、「渇仰恋慕ただ感涙の御内拝」
 浅井甚兵衛講頭、御開扉の後「一難あるたびに色を増す信心に立て」
 浅井昭衛本部長、「国家騒然の時 今こそ御在世の信心に還れ」と講演。
「妙信講は昨年3月以来、正義を守る為の御奉公を連々と続けて参りました。そして昨年の9月、一往の決着を見ました。だがその後一年間、本日まで沈思し黙考するに、その本質は何ら変っていない、何ら解決を見ていない。悲しみまことに胸に残る。… いま妙信講が身を捨ててこの御奉公を真に徹底せねば誰人が為す。… 妙信講の置かれている立場を考え、為すべき事を思えば、肚の底からつき上げてくるものを感ずる。…
 改めて発表いたしますが、一万達成の期日、いままで本年いっぱいとして前進してきましたが、改めて明年7月までといたします。… ただいま九千世帯、これから一万世帯までの間に、大事な御奉公をせねばならない。この9月より明年7月まで、この十一ヶ月こそ妙信講の過去十四年の歴史においても最も重大な時であります」(「冨士」第97号 )
9月1日
 宗門、法華講富士会館創立五周年記念法要。
 細井日達管長「法華講の大指導者が、出現せられたのでございます。… この時代に広宣流布をさせんがために、大聖人様がそうなさった、と推測するのでございます。… この法華講総講頭という大指導者を得た今日、皆一致して、そして広宣流布へ邁進して、大聖人様の御意を達成していただきたいと思うのでございます」
9月17日
 宗門、東京文京区西片町に、大石寺東京出張所を開設。
9月21日  公明党、第9回党大会。竹入義勝委員長、暴漢に刺される。
9月25日
 妙信講、9月度総幹部会開催(豊島振興会館)、「今ぞ大法弘通の時」。
 浅井昭衛本部長「前々から話しているが、70年代の激動の初期における一つの山場は1972年、昭和47年と思われる。世間・出世間ともに広宣流布の前提として、どうしても通らなければならぬ、そういう位置にさしかかっている。… 私達は一切濁った政治に流されない、そして今妙信講が叫んでいることが大聖人様の御精神である。この事を一国の大衆に知らしめていかなければいけない」(「冨士」第98号 )
9月29日  田中角栄首相が訪中、「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」に調印、日中国交正常化が実現。
10月12日
 宗門、正本堂躯体完成式開催。
 池田大作会長、「止住の戒場正本堂」と講演。(※ ただし、『大白蓮華』の躯体完成式の記事に、上記池田発言は掲載されず )
10月13日  創価学会、第56回社長会開催。
 池田大作会長「本山の全T・V報告。東洋(東洋物産)やらせようね。いいね。どれほど儲かる。10%かそれでは少ない、15%儲けなさい。かまわないよ」
10月25日  国際連合、総会で中華人民共和国の中国代表権を認め、中華民国政府(台湾=国民政府)を追放する決議を採択。中華人民共和国は、国連の常任理事国となった。
10月27日
 妙信講、10月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
10月 日  創価学会、再び違約をくり返す。会員配布の「登山会パンフレット」に、「正本堂建立の意義はあらためていうまでもなく、大聖人の御遺命の事の戒壇であり、仏法三千年・史上空前の偉業であります」、「大聖人の御遺命たる戒壇堂の建立は今や正本堂として四十七年に完成」、「仏法三千年の悲願が池田会長の手によって完成」等と記されていた。
11月2日  創価学会、日本武道館で第34回本部総会開催。池田大作会長、地涌の菩薩の本義上から自発性・能動性を強調。「広宣流布を決定づけるものは、どこまでも地涌の菩薩という内証の自覚であることは不変の原理であります」
11月5日
 妙信講、「正本堂に就き池田大作会長に糺し訴う」を、池田大作会長に送附。
 その骨子は以下の二点。
 一、全宗門信徒に対し、正本堂が御遺命の戒壇でないと公表せよ。
 二、政府に対し偽りの回答を撤回し、国立戒壇の正義を示せ。
(※ 先の「御報告」は内々に事を収めるべく非公開としたが、池田会長に誠意がない以上、今度は広く訂正を公表せよとした )
11月8日
 妙信講、「御報告」作成に立ち合った早瀬総監に書状提出。「何のための確認書だったのか」と。「されば既に一死を賭するのみ。… 直接、池田会長に対し、改めて厳重なる糾明を為すの外はありません」
11月26日
 妙信講、11月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
11月30日
 宗門、研究論文誌「富士学報」創刊。
12月10日  第33回衆議院議員総選挙、自由民主党は 284議席(-16)と安定多数を維持したが、「日中国交正常化」という実績を引っさげ "角栄人気" の中で臨んだ中、事前の予測に比べやや不振とされた。公明党と民社党は選挙協力したが、公明党は "言論出版妨害事件" の影響もあり29議席(-18)と敗北、民社も20議席(-11)と不振に終わった。
12月12日
 妙信講、12月度男子部会開催(豊島振興会館)、「広宣流布へ凛冽の気満つ」
 浅井昭衛本部長「あの中国の毛沢東は、偉大な仕事を成し遂げる条件として「地位がなく、金がなく、若さのあること」の三つを挙げているが、一理がある。あの明治維新でも、革命を為したものは地位も金もない青年たちであった。諸藩の家老がやり遂げたのではない。いわゆる草莽浪士が大事をなした。人間は地位が出来ると、自分の地位を守るために理想を失う。これは人の持つ弱みです。仏法の世界だけは、こんなことは断じてあってはならぬ」(「冨士」第101号 )
(※ 他人のことは見えても、自分は別だと思うのは、"人の持つ弱み"である。「地位を守るために理想を失」ったのは、地位と金があり若さがない現在の浅井昭衛顕正会々長である。櫻川 忠 )
12月15日  創価学会、社長会開催。
 池田大作会長「寺院と会館で39カ所か、すごいね。日蓮正宗の名義ではなく、法的にはアメリカ創価学会の寺院であって、本山のものではなく、御僧侶も一応雇用契約になる。お寺に対する御供養も、法的には、アメリカ創価学会のものである」
12月23日
 妙信講、12月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
 12月末の妙信講総世帯数、9,235世帯。(「冨士」第101号 )
 

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