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学会批判は歴史の必然
四十五年五月三日、ようやく箱根から出てきた池田大作は日大講堂を埋め尽くした数万人の創価学会員を前に、言論出版妨害事件に対して初めて正式に釈明した。
左手にマイクを握った池田は壇上から開口一番、お得意のワザを決めて見せた。「どうですか、わたしがヤメてよろしい、と思う人、手をあげてください!」重苦しい空気の場内はシーンと静まりかえつたままだった。
「では、やめては困るという人、手をあげてください!」「ハァーイ」と会場全体を揺がすほどの大歓声が上がった。
事件当時、一般学会員の大半は事件の真相を知らされず、ただ「池田先生を信じろ」と徹底して教えこまれた。ある程度の事情を察した中堅幹部、本部の若手会員らでさえ「池田先生を守るしかない」が合言葉だった。
池田大作はそこまで巧みに学会全体を「洗脳」してしまっていたのである。だから学会指導者として致命的な誤りを犯し、天下に正体を暴露したはずの創価学会三代会長はこの日、わずか数秒間で、言論出版妨害事件における自分の責任をすべて帳消しにしてもらえた。あとは調子に乗った池田の独演合であった。
「ボルテールの有名な言葉に『私はおまえのいうことに反対だ。だが、おまえがそれをいう権利を私は命にかけて守る』というのがあります。私はこれこそ言論の自由の根本だと思う」
この演説原稿を書いたのは原島嵩だった。池田大作はそれをただ棒読みしただけ。(略)
この昭和四十五年五月三日、第三十三回創価学会本部総会において、細井管長はこう述べたのでした。
「今日、世間の多くの人々は、日蓮正宗の教義の本質を見極めず、また、創価学会の信心のあり方を曲解し、種々の非難を会長池田先生の一身に浴びせております。池田先生がこれらのいわれなき非難にひたすら耐えておる姿を見る時、私は仏道修行のためとはいいながら、実に気の毒でなりません」と。
「仏道修行のため」などと、冗談もほどほどにしなければいけない。いわれなき非難ではなく、池田会長自身が指示し・悪あがきした言論出版・妨害弾圧とその不正なもみ消し工作に世論が批判・糾弾をし、よって国会でも取り上げられたことでありました。
悪い冗談は聞き流すとして、細井管長はここで
「今日では『国立戒壇』という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします」と述べ、これが「国立戒壇放棄の公式宣言」とされたのでした。
では、「念仏無間・真言亡国」等は、「世間の疑惑」の将来や「布教の邪魔」とはならないのか。
大聖人の仏法は、而強毒之でありましょう。 「定めて日蓮が弟子檀那、流罪死罪一定ならん、少しも之を驚くこと莫れ。方方への強言申すに及ばず、是併ながら而強毒之の故なり、日蓮庶幾せしむる所に候。各各用心有る可し、少しも妻子眷属を憶うこと莫れ、権威を恐るること莫れ、今度生死の縛を切つて仏果を遂げしめ給え」(弟子檀那中への御状)と。
破邪・立正たる大聖人の御遺命・国立戒壇を云えば、世間の非難・怨嫉が来るのは、もとより当然ではないか。御遺命の国立戒壇に「世間の疑惑」があれば、それを解く努力をするのが佛弟子のつとめではないか。
しかるに池田会長はただ我が身可愛さの自己保身と、権威を恐れて度を失いパニック状態となり、あろうことか自ら御遺命を放棄するのみならず、宗門に激しい圧力をかけて「日蓮正宗の使命」たる「国立戒壇」を放棄・否定せしめたのでした。
そして細井管長また、すでに妙信講の諌暁をうけて御遺命に違背することを知りつつ、犬が主に尾をふるが如くに「今、奉安殿に安置し奉る本門戒壇の大御本尊は、正本堂にご遷座申すのでありますから、その時は正本堂は本門事の戒壇であります」と述べたのでした。
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