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    政教分離の舌の根も乾かぬうちに

 
この事件が創価学会、公明党に与えたダメージは想像以上に大きかった。
 社会から初めて
批判の集中砲火を浴びた学会は方向転換を余儀なくされ、二年後の第三十三回衆院選挙(四十七年十二月)では倍々ゲームどころか、公明党は前回より十人議席も減らして二十九議席へと落ち込んだ。

 創価学会に対する社会の風当たりが強まり、それまでの
折伏という強行手段はとれなくなった。
 戸田二代会長から伝授された組織拡大の秘密兵器を奪われた池田大作はなす術がなくなり、広宣流布による日本社会の制覇という「天下取り」の野望は崩れ去った。

 それどころか学会勢力の伸びは横這い状態からやがて五十年代に入ると減少傾向を示し、今日まで一度として上向きになることはなかった。つまり、四十五年から今日までの約二十年間、池田創価学会は最初の十年間とは逆に勢力を衰退させ、現在の実数は三百万世帯前後の間に落ち込んでいる。(略)
 また、一時は七百万世帯まで伸びた組織の衰退をもたらした最大要因もやはり、池田大作にあり、その馬脚を現す直接の引き金となったのが言論出版妨害事件だったという見方もできるのである。

 仮に 『創価学会を斬る』の出版を黙って見逃していたらどうなっていたか。事件直後、私はそう考えることがあった。何度か問題の本にも目を通してみた。まず内容的にかなりハイレベルだったこと。したがって読了するにはかなりの知的水準がいること。この二点から『創価学会を斬る』は売れてもせいぜい二、三万部程度だったのではあるまいか。
 それが創価学会の言論弾圧だとしてマスコミが大きく取り上げたために実際には百万部近い
大ベストセラーとなってしまった。そして学会は取り返しょうのないイメージダウンを招いた。テープが表面化する前後に池田が画策した裏工作がかえつて火に油を注ぐも同然の結果を呼び込んだからである。

 この事件の当事者は私だ。社会に対しても、相手の藤原弘達氏に対しても、また学会に対しても重い責任を痛感している。しかしすべては池田大作の命令からはじまったのだ。
 「
選挙前に学会批判の本が出るのは邪魔だ、余計な雑音は押さえ込め」というのが池田の私への指示だった。この指示自体が池田の思い上がりであり、それにつづいて重大な判断ミスが連続した。彼の打つ悪手がどんどん事態を悪化させた。その意味で、言論出版妨害事件を大きくする種をまいたのは池田自身だったわけである。

 その本人が事件から五年後、そのいきさつを一般学会員へ向けて書き綴った一文がある。
 
「四十五年には、いわゆる言論問題が起きた。実は、その前年の暮れ、かなり強行スケジュールの旅をし、無理をしたこともあり、私は四十度を越える熟を出し、従来の結核と肺灸が結びついたかたちで、体力を衰滅させてしまっていた。その以前から、なるべく創価学会の運営面については、副会長制を敷いて一切を任せ、私は、執筆活動などに打ち込みたいと念願していた。四十五年一月、この件を総務会にはかり、副会長制が実施されることになったわけである。
 私が一歩引いたときに極めて予想外のところから事件が起きていた。これが言論問題である。私は、事の真相が初めわからなかった。よくよくその本質を追求していったときに、これは創価学会の体質にかかわることであることを知った。そのことについては、四十年ごろから考え始めていて、なんとかしなくてはいけないと思っていたところであった。それが、極めて意外なところから噴出したわけである。
 四十五年の四月ぐらいまで、全く熱が下がることはなかった。しかし、これは私が解決しなくてはいけないと思った。私は五月三日の第三十三回本部総合の席上、創価学会と公明党の
政教分離の徹底、量より質への転換を示す数々の指針を示した。これが契機となって、創価学会は、強固な創価学会より強靭な創価学会へ変換していったことは、まぎれもない事実である」(私の履歴書)。

 実に立派な作文である。一般会員はこの内容を頭から信じた。池田大作という男がいかに一般学会員を小バカにしているか。
 また、この書物が日本経済新聞社から刊行されたものであることを考えれば、世間に対しても平気でウソをつける男であることがわかる。(略)




 
日本経済新聞に掲載・出版された<私の履歴書>によれば、この昭和四十五年五月三日、第三十三回創価学会本部総会において、池田会長が宗門に圧力をかけて云わせた<国立戒壇放棄>が、創価学会と公明党の政教分離の徹底ということになるのだそうである。

 藤原氏はこの
ウソでかためた池田会長の「作文」をして、いかに一般学会員を小バカにしているか」と云い、また「世間に対しても平気でウソをつける男」と批判・糾弾しているが、その前にまず第一に日蓮大聖人に背き、その御遺命を自己保身の故に捨て去ったこと、を指摘すべきでありましょう。

 しかして、そうした
檀那の不法に対し護法の一念なくして、妙信講の諌暁を知りつつ唯々諾々と創価学会・池田会長の財力と権威の前にひれ伏した宗門のあまりの無道心が、むしろかえって鮮明となるのでした。
 これこそ、聖滅後未だかつてない「大悪」の将来であれば、やがて「大善」の来る可き瑞相であるのかもしれません。




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