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   創価学会第三十三回総会 池田会長講演

     七〇年代および二十一世紀の展望

 僭越(せんえつ)ないい方ではありますが、私は、十年間、否、戸田前会長時代から二十数年間、一瞬たりとも学会のことを忘れたことはありません。この体を痛めつけ、また、神経をすり減らして、広宣流布のために戦ってきたつもりであります。学会も、これだけ大きくなったのですから、今度は、皆さん方幹部全員が力を合わせ、学会を支えていく以外にありません。

 しかも、新しい段階に入ったということは、学会の新路線は、全学会員が、そうした自覚ある団結、めざめた意識に立つべき時代を意味すると申し上げておきたいのであります。
 この考えに基づき、学会本部の機構も、抜本釣に近代的なシステムに変えていきたい。現在、検討中でありますが、やがて実現してまいります。

 なお、宗教法人法に基づく創価学会の規則についても、全宗教界の先駆を切って最も民主的な内容にしていきたい。現在、委員会で検討中でありますが、たとえていえは、会長の任期を三年ないし四年にするとか、選挙制にするといったことであります。
 今までの規則では、会長は終身制と定められできました。世間から会長はカリスマ的支配だなどといわれてきましたが、会長だけ終身制ではそういわれてもやむをえない。もっとも、私にいわせれば、これは終身制でなくして、終身刑と同じでこれ以上わりにあわない話はないのであります。

 すでに七百五十万世帯になり、正本堂建設もできたも同然であります。公明党も第三党となり、立派なおとなの政党として成長していくであろうし、創価大学も来年開学になります。一切の基礎を整えた現在、あとは皆で学会を守り、学会を育てていっていただきたいと重ねてお願い申し上げるものであります。私も、総本山の整備もあり、小説「人間革命」も今後十数巻続くであろうし、未来のために人材を育てておかねはなりません。これからの学会は、なんとか皆さんで力を合わせてお願いします。
 そのほか、創価学会規則の全般にわたって、現在、検討を進めております。できあがりましたならば、本部幹部会等で、皆さん方におはかりしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

                       ( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )


 前回に引き続いて原島元教学部長から、さらに鋭い興味深い分析を聞いてみることとしましょう。
 「
どうやら、ニヒリストというより、むしろ稀代のナルシストといった方がより的確かもしれません。(略)ナルシシズムは、ある心理学者によると、一体感と万能感をその特質とするのだそうです。一体感とは、自己と他人を一体とみなすことです。池田先生のそれは、自己即創価学会、自己即学会員となってあらわれています。そして、万能感は、これは幻想の自己を限りなくふくらませて、自分は何でもできるとの錯覚に酔いしれるのです。このナルシシズムに権力欲が結合した場合、これほど恐ろしくて危険なものはありません。しかも、そこには本来純粋である信仰がついているのです」(池田大作先生への手紙)と。
 これは江川紹子氏がその著「救世主の野望」で、オウム真理教の麻原こと松本教祖について語った事と、まさに軌を一にすることでありました。

 さて、ここで池田会長は「
私は、十年間、否、戸田前会長時代から二十数年間、一瞬たりとも学会のことを忘れたことはありません。この体を痛めつけ、また、神経をすり減らして、広宣流布のために戦ってきたつもりであります。学会も、これだけ大きくなったのですから、今度は、皆さん方幹部全員が力を合わせ、学会を支えていく以外にありません」と語ります。
 「
学会がこれだけ大きくなった」のは、すべて「一瞬たりとも学会のことを忘れ」ず、「この体を痛めつけ、神経をすり減らし」て、「広宣流布のために戦ってきた」<わたし>の力であり功績であって、あなたがた会員の功績ではないのだと、池田会長はその自身の「万能感」を押さえもせずに自賛するのでした。
 ゆえに「
今度は、皆さん方幹部全員が..」なのであり、「恩師のあの草創期の苦難の偉業」とても「序文」に過ぎないのであって、自分の成し遂げたことこそが「広宣流布の正宗分」なのだ、ということなのでありました。

 また池田会長はここで、「
会長は終身制と定められできました。世間から会長はカリスマ的支配だなどといわれてきましたが、会長だけ終身制ではそういわれてもやむをえない」などと述べているのでしたが、その後の実態は藤原元総務によればこういうことでありました。

 『
池田は強引に創価学会の会則を変えた。池田会長時代は「終身」であった会長任期は「五年」と制限され、「創価学会はオレのもの」という自分の立場を守るために名誉会長という新しいポストを設けた。(略)池田は三十年近い長期政権の間に学会上層部を完全に掌握し、巧妙に分割統治するシステムをつくり上げてきた。いい換えれば、どんな立派な規則や会則をつくっても、それはあくまで対外的なタテマエであって、池田独裁という内情は変えようがないわけである。(略)こうした権力構造の上に君臨するのが池田大作だ。創価学会や公明党が対外的にどう体面をとりつくろってみても、最終的な意志決定の権限はこの男にしかない、そんな権力構造がガッチリでき上がってしまっているのである。(略)組織の構造上、いまの創価学会の意志決定や公明党の政策決定は最終的に池田大作の了解が必要とされる。池田の意志ですべてが決まるわけである。(略)それを黙って見ている学会首脳たちの大半は借家住まいで、生活権まで池田名誉会長に握られている。これが創価学会上層部の現状なのである』(池田大作の素顔)と。

 こうした池田会長であれば、当時の妙信講員たちにとっては必ず諸天の働きによって疾く自滅・自壊するはず、であったことでした。しかしてこのとき・昭和四十五年の総会から現在まで、すでにはや三十二年。池田名誉会長の創価学会における権威にいささかのかげりもないこと、藤原元総務の指摘のとおりでありました。
 念願であった宗門からの独立を果たし、今や森・小泉と歴代内閣において政権与党の一角を占め、二十一世紀の「
わが世の春」を謳歌する池田名誉会長でありました。

 「
天下取りの野望が破れたのちの池田は器用に方向転換して学会私物化、すなわち世間の目にふれない宗教団体内部に君臨して、ひたすら私利私欲のまま巨大組織をむさぼり尽くす生き方を選んだ」、「宗教家を名乗りながら、池田大作の素顔は俗物臭にまみれた『ニセ仏』にすぎない」(池田大作の素顔)等の指弾などにも微動だにせず、諸外国の機関からの名誉教授や名誉博士の称号授与がすでに百を越すその姿は、とうてい余人の追随することあたわず、さすがというのほかはありません。

                        ( 平成十四年五月五日、櫻川 記 )


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