|
創価学会の宮本議長宅電話盗聴事件判決
第三 証拠
三 言論出版妨害問題及び学会、公明党と共産党の対応
(六) ( 共産党によるキャンペーン )
共産党は、前記のNHK二党討論で言論出版妨害問題をとり上げた後、同問題を含めた学会、公明党に対する批判を、ビラ、街頭宣伝、赤旗によるキャンペーン、国会審議等を通じて行ってきた。赤旗によるキャンペーンは、昭和四四年一二月一四日から、連載特集記事及び個別の記事、論説によって行われており、昭和四五年一月から同年五月までの間に掲載された連載特集記事は、次のとおりである。
1) 創価学会の断面(
全八回、同年一月
)
2) 幻の書、受難の書(
全六回、同月
)
3) 公明易の弁明をつく(
全五回、同月
)
4) 公明党と池田大作氏( 全一五回、
同年一月から同年二月 )
5) 黒い“鶴”のタブー(
全五五回、同年二月から同年五月一九日)
また、その後も次の様な公明党、学会批判の論説、記事を掲載している。
1) 「公明党指導部の政治的、道義的責任」
2) 「公明党幹部の居直りをつく
--- 出版妨害被害者が談話」
3) 「池田発言と矛盾 --- 問題さらに複雑化」
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
こうして、創価学会・公明党と日本共産党との、宿命の対決の幕が切って落とされたのでした。
いざ・政治の世界に進出してみると、無理もないことですが「国立戒壇」への風当たりは激しいものでした。とりわけ日本共産党は、そのイデオロギー的立場から、創価学会・公明党の政治学的には素朴・幼稚な「国立戒壇」論に対し、厖大にして論理的・精密な批判を展開したことでした。
そして創価学会・池田会長には、その批判に正面から反論するだけの、信心と知性がありませんでした。
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」と云い、「先生の御遺命となった国立戒壇建立」と云ってきた池田会長は、会長の座を獲得するや「国立戒壇」をカスのように捨て、昭和三十九年には「御書には“国立戒壇”という言葉はありません。(略)戸田先生は『本尊流布が、信心が、トウフである。戒壇建立はオカラである。カスのようなものだ』このように何度もおおせになっておりました。(略)戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない」(『聖教新開』、昭和三十九年七月二十八号)などと観測気球を上げては、世間の批判に屈して国立戒壇放棄のチャンスを窺っていたのでした。
また、同じく昭和三十九年には細井管長の登座直後の説法から、「国立戒壇」の文字を「本門戒壇」に改竄して御説法集を出版することまで、していたことでした。
「国立戒壇放棄」と「正本堂を事の戒壇」とする惑義は、一体不離・ワンセットであって、宗門に対するその誑惑工作は昭和三十八年後半からひそかに進められ、昭和四十年九月には「舎衛の三億」論が高唱されたことでした。
細井管長またこのとき「正本堂は事実上の本門戒壇」との言質を池田会長に与え、池田会長はその言葉を承けて「いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』といいますが、私はなにをいうかといいたい。そんなことは御書にはありません。彼らはなにもその本義を知らないのです。猊下が、正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります」(聖教新聞、昭和四十年九月二十二日)と、細井管長臨席のもとで呼吸を合わせた二人三脚。事実上の、「国立戒壇放棄」宣言と、「正本堂は事の戒壇」宣言を果たしたことでした。
さらには 昭和四十二年十月の正本堂発願式では、「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究極の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり」(発誓願文)等と、宗内には誑惑の大合唱盛んにして、大聖人の御眼を畏れずして池田法華講総講頭の眼を恐れるばかりの宗門高僧たちは、悉く阿諛追従の呈でありました。
さて、昭和四十四年一月、妙信講は五年ぶりの本山登山の折り、法華講連合会・平沢委員長から「いま総本山に建設中の正本堂こそ、大聖人が三大秘法抄・一期弘法抄に御遺命されたところの事の戒壇である」との、誑惑の講演を直に聞いたのでした。
この重大な御遺命違背に、正系門下たる宗門にあって、仏飯を食む一人の僧からの異論とて出て来ない。この事態の重大さを深く憂慮した妙信講は在家の身ながら、昭和四十五年三月二十五日
護法の一念を四万二千余字に込め、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」と題する一書を、猊座を守るべき宗務院役僧と池田会長以下学会首脳、あわせて十二人に送附。時に当たって、いささかもその歴史的諌暁の時期を逸することがありませんでした。
その書の内容は、「正本堂は事の戒壇でない」こと、「御遺命の戒壇とは国立戒壇」であること、そして池田会長の慢心の文言を挙げて責め、宗務当局に対し「猊座の尊厳を守り奉り、池田会長の誑惑を摧くべし」と、訴えたものでありました。
妙信講の諌暁書が発送された直後、共産党の谷口善太郎代議士が「国立戒壇の違憲性等について」の質問主意書を政府に提出、四月九日 政府からその答弁のため正式に創価学会に対し、「国立戒壇の意義」について照会が発せられたのでした。
(
平成十四年二月十一日、櫻川 記 )
戻る 次
|
|
|