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沿革:
講中設立、
試練と忍従、
七千即一万、
確認書、
誑惑訂正、
解散処分、
本門寺改称阻止、
誑惑崩壊、
国家諌暁
御 報 告
お互い信者の間で話し合いの結果誤解がとけ相互に友好的
な理解と合意に達したので 御報告申し上げます。
一、正本堂は 三大秘法抄 一期弘法抄にいうところの最終の
戒壇であるとは 現時において断定はしない。
ここに猊下の御宸襟を悩まし奉ったことを深くお詫び申し
上げると共に 今後異体同心にして広宣流布達成をめざ
して邁進することをお誓い申し上げます
昭和四十五年九月十一日
和泉
覚
森田 一哉
秋谷
栄之助
浅井
甚兵衛
浅井 昭衛
日達上人猊下
浅井会長の解説によれば、この確認書( 御報告
)は、『それまでの数年「正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇である」と断定し続けてきた学会が「断定しない」と訂正し、また「広宣流布は達成」と言い続けてきた学会が「広宣流布達成をめざして邁進」と訂正したのです。
この確認書こそ、誑惑の主犯たる学会と、これを訂正せしめた妙信講が署名し、さらに誑惑に加担してきた宗務院が立ち会った上で細井管長のもとに収めた文書であれば、公表こそされなかったものの、正本堂の誑惑訂正についての全宗門的合意だったのであります』という意義があると言われます。
(顕正会の歴史と使命、平成五年十二月十五日、日蓮正宗顕正会発行)
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