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     創価学会の宮本議長宅電話盗聴事件判決

第三 証拠
 三 言論出版妨害問題及び学会、公明党と共産党の対応

 
) ( 創価学会本部総会の池田会長発言

 昭和四五年五日三日、学会第三三回本部総会において、池田会長は次の内容の講演をし、翌四日、その内容の全文が学会の機関紙「聖教新聞」に掲載された。

  1)
言論出版妨害問題について
 右問題は、「正しく理解してほしい。」という個人の熱情からの交渉によるものであり言論妨害という意図はなかったのであるが、結果としてそれが言論妨害と受け取られ、関係者に圧力を感じさせ、世間に迷惑をかけたことについては反省し、謝罪する。

  2)
「国立戒壇」について
 国立戒壇という表現により、国教化をめざすような誤解を与えたが、そのようなことはあり得ない。

  3)
学会と公明党の関係
 学会は公明党の支持母体であることには変わりないが、今後制度、機構の分離を明確にし、役職の兼任も解消していく。

  4)
共産党との関係について
 共産党と学会が常に敵対関係にあるかのような印象を世間に与えることは本心ではなく、このようなことはできるだけ避けたいというのが本意である。学会はかたくなな反共主義を掲げるものではない。

                        句読・改行等、便の為に当サイトにて添加


 
四月二十二日に開催された「臨時時局懇談会」では冒頭、全員に共産党の「質問主意書」のコピーが配られ、創価学会・辻武寿総務室長が「共産党の攻撃により、いま宗門は危急存亡の時を迎えている。国立戒壇をいえば宗門はつぶされる」旨を述べました。

 もちろん共産党が問題にしているのは、
公党たる公明党がかつて王仏冥合を綱領に掲げたことであり、国立戒壇を唯一の大目的と宣揚して来た
創価学会と公明党が一心同体・一体不離
であることなのであり、はたまた創価学会の言論出版妨害の体質なのであって、宗門の「国立戒壇」の伝統法義に対してではありません。
 国家や政党が、その教義がいけないとして「
宗門をつぶす」などという宗教弾圧をすれば、それこそ重大きわまりない憲法違反となりましょう。辻総務室長の冒頭発言はまったくのコジツケ・すり替えでしたが、まさしくこの会議の主旨を明瞭に語っていたことでした。

 ここで全住職が黙する中、ただひとり質問に立った妙信講の問いに、細井管長は閉口して臨時時局懇談会は流会。「
国立戒壇否定」の宗内合意を謀った、創価学会のもくろみは潰えました。
 しかし翌・四月二十三日は、政府への回答の期日でありました。創価学会はこの日、「国立戒壇の意義」について宗内合意もないまま勝手に、そしてひそかに文書をもって政府に欺瞞回答を提出したのでした。

 さて 昭和四十五年五月三日、日大講堂で開かれた内外注視の第三十三回創価学会本部総会における池田会長の登壇のありさまを、藤原元総務はこう描写しています。
 『
左手にマイクを握った池田は壇上から開口一番、お得意のワザを決めて見せた。「どうですか、わたしがヤメてよろしい、と思う人、手をあげてください!」重苦しい空気の場内はシーンと静まりかえったままだった。「では、やめては困るという人、手をあげてください!」「ハァーイ」と会場全体を揺がすほどの大歓声が上がった』と。
 池田会長はここで、「
宗門七百年来の宿願であり、創価学会の最大の目標であった正本堂がついに完成する運びとなりました」と言い、その講演のサビの部分 「ボルテールの有名な言葉に『私はおまえのいうことに反対だ。だが、おまえがそれをいう権利を私は命にかけて守る』というのがあります。私はこれこそ言論の自由の根本だと思う」という会長演説の原稿を書いたのは、原島嵩教学部長でした。

 こうして池田会長は宗門に「
国立戒壇放棄」を強要し、政府にも国立戒壇放棄」の回答を果たしたことでしたが、ここで脅しても誘惑しても国立戒壇放棄」に納得しない二つの団体があることを承知していました。他の政党に対しては接待による懐柔も効くし、種々の取引材料に事欠きません。新聞やマスコミも不買運動の脅しや宣伝広告費の実利提供で、うまくやりさえすればほぼ意のままになる。しかし、共産党と妙信講の二つだけは、いかなる飴もムチも効かないことでした。
 創価学会があえて
謀略の牙を剥き出しにして、盗聴犯罪という危険を冒した相手が
共産党と妙信講であったということは、それこそが創価学会にとって最も手強い敵であり脅威であったことを物語っています。

 本件・宮本議長宅盗聴を実行したのは、この年・昭和四十五年五月下旬のことでありました。そして六月下旬には宮本氏が電話の雑音に気付いて盗聴器を発見、事件が発覚したのでした。
 
舌の根も乾かぬうちに、とはこのことでありましょう。「言論出版妨害について反省し謝罪する」と言い、「学会と公明党は今後制度、機構の分離」と述べ、「共産党と学会は敵対関係にあるのではない」と云い、あげくはボルテールを引いて「これこそ言論の自由の根本だと思う」とは、なんという不実..なんという説得力のなさでありましょう。

 宮本議長宅盗聴の実行は、これらの浅薄な言葉のわずか二週間後でありました。されば 五月三日の池田講演とは、世間の眼・批判から免れ・ごまかすための、
自己保身の口先三寸の誑言でありました。
 そしてその最たるものこそ、大聖人・歴代先師の御眼を怖れぬ「国立戒壇放棄」であり、強烈な圧力を以て
宗門をして与同せしめ、御遺命と三大秘法の法義を歪曲したことでありましょう。

 それにもまして無慚なのは、 その五月三日の細井管長の講演でした。総会の席上、池田会長本人が言論弾圧問題に「反省と謝罪」を述べているのに、細井管長はなんと宗門の貫首・責任者としてその不始末を誡めるどころか 「今日、世間の多くの人々は...種々の非難を会長池田先生の一身に浴びせております。池田先生がこれらのいわれなき非難にひたすら耐えておる姿を見る時、私は仏道修行のためとはいいながら、実に気の毒でなりません。学会の皆さん、一致団結して、この会長を守り..ご精進願いたいのであります」と、いわれも証拠もある言論出版妨害に対する世間からの批判を「いわれなき非難」とかばい、「実に気の毒でなりません」とへつらい、「会長を守」れと創価学会員を前に檄を飛ばしたこと、犬が主に尾を振るが如くでありました。

 そして自らが範を示して、池田会長の自己保身を扶け、池田会長を守って言って云く。「今日では『国立戒壇』という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします」と述べ、「この正本堂が完成すれば、今、奉安殿に安置し奉る本門戒壇の大御本尊は、正本堂にご遷座申すのでありますから、その時は正本堂は本門事の戒壇であります」と。
 まことに、ウソ・偽り・誑惑・不誠実・無慚無愧・御遺命違背の大総会でありました。こうして本件盗聴事件の背景に、まさしく言論出版妨害問題と国立戒壇放棄問題があったことが知られます。

                          ( 平成十四年二月十三日、櫻川 記 )


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