迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    近現代戒壇問題年表 (私家版)

              近現代戒壇問題年表 (私家版)

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1月1日
 法道会、早瀬道應主管「新春賀詞」。
「昭和三十年度、法道會の全體は、異體同心の組織と編成のもとに、なんとしても折伏體型を綜合して一本化さねばならぬ年である。十人十色で、考へはいろいろあらう。… さあ、同志諸君、お互ひにかたを組んで行かう! 始終一貫!」(「法之道」1月7日号
「法道会は、現在の法道院(東京都豊島区)に本部を置いた、大石日應上人(大石寺五十六代)が明治期に設立した信徒組織である。…「法之道」の創刊は昭和二十九年一月で、発行は「法之道社」である。その発行兼編集兼印刷人は、「浅井昭衛」となっている」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
1月 日  創価学会、戸田城聖会長、青年部幹部の夫妻を集め、恒例の食事会。
「戸田先生の縁結びで一緒になった青年部幹部の若夫婦が総勢15、6組。毎年1月、東京・南甫園へ食事に招待され、いわば戸田子飼いの若い家族が一堂に会した。…
 戸田会長は毎年決まって同じ言葉を繰り返していた。『長男はツギオで、次男がダイサクだぞ』… この頃はだれもが石田を戸田二代会長の跡継ぎだと考えていた。池田自身もそうだったから、彼の石田に対するオベッカ遣いは凄かった。… 池田は石田に対してだけは懸命にゴマをすった。石田が腰を上げると見るや、池田は素早い。パッと立って、石田の手荷物を持とうとするのである。いくら相手が次期会長候補とはいえ、宗教団体の創価学会でそこまで媚びを売る人間はほかにいなかった」(「池田大作の素顔」藤原行正 )
1月 日
 法道会、講頭會議開催、多岐に亘る昭和30年度の指針を打ち出す。
「折伏誓願目標の決定、組織の中樞としての總擔當・補導部の確立、法華講の一列として各講の在り方、組織の整備充實、講頭・支部長・班長・組長のあり方、次いで各講の實狀報告、等があり、本因妙講の支部制等の發表も見た。信仰即生活を徹底する様に、一人前にかせいで一人前に折伏する様 生活指導を、講頭はやって欲しいといふ意味が、特に御主管より強調された」(「法之道」2月7日号
1月16日  創価学会、男子青年部第3回総会開催、戸田城聖会長「しかして、この私に言わせれば、(広宣流布は)この年から25年のあいだでなければできない。来年や明後年にできるものではない。…
 私も、ことしで、もう56になった。25年でできるとしても、加算すると、どうなる。81ではないか。それまで、生きているわけにはいきません
(※ 27年後の昭和57年10月、浅井昭衛会長は第23回総会開催(日本武道館)で「あと25年で広宣流布せねば日本は滅亡」と叫んだ。
「浅井昭衛会長の思考には、現世利益の強調、在家主導の布教活動、仏教の世俗的解釈、教学の振興、組織拡大路線、登山・御開扉の重視、国立戒壇志向として、戸田思想が形を変えて受け継がれている。浅井昭衛会長こそ、戸田氏の思想的後継者であると言えよう」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 ))
1月24日
 宗門、蓮華寺事件発生。創価学会員、蓮華寺前でピケを張り参寺を阻止。
「時の会長戸田城聖の意をうけた宗門の庶務部長は、管長の諒解もとらずに、崎尾(正道師)を檀家もほとんどない田舎の寺に左遷しようとした。その辞令に押された管長印は、庶務部長が盗用したものといわれている。…
 崎尾はこの左遷辞令を拒否、事態は硬直したまま御法主上人の代が替った。新御法主・堀米日淳上人は、この辞令の破棄を命ぜられて、崎尾は元通り蓮華寺住職の身分を保証された」(「私は創価学会のスパイだった」下山正行 )
1月30日  創価学会、豊島公会堂で第1回本部財務部員会開催。参加財務部員4千余と幹部が一緒になり、会場に入れず帰宅した者が出る程の盛況であった。
 戸田城聖会長、「此の度財務員会に、この様に多数集られたことは恐懼の至りです。財務員バッチを2千個作っておけば間に合うと思ったが、間に合わなくなった。学会は金がないのが自慢である。… お蔭で大威張で地方に行くことが出来る。厚く御礼申し上げます」と。
2月1日  創価学会、大白蓮華 2月号発行。男子部幹部の論文として、「本門戒壇を建立する関係はどの様にすればよいか。三大秘法抄に仰せの如く御教書即ち国会の衆議院の議決が最も必要である。そのためには日本一国の民衆を日蓮正宗に帰伏さすことである。これは日々の折伏闘争において日々行っている所である。この衆議院の議決は実質的には日本国憲法第二十条の宗教の自由条項の改正を行わなければならないのである。宗教の自由は現在認められているけれども、邪宗教を信じて不幸になる自由など与える必要は毛頭ないのである。日蓮正宗をもって日本一国の国教とするのである。憲法改正のその時こそ衆議院の四分の三は創価学会をもって固めなければならない。しかも国会の議決だけをもってこれを定める事は出来ないのである。茲に国民投票が必要であります」と。
2月6日  創価学会、聖教新聞 第1面に「大阪に鬼入其身の見本!! 蓮華寺・崎尾正道」「全御本尊の返却迫る 宗門唯一、広布妨害 学会は同人追放迄斗争」のトップ記事掲載。
2月13日  創価学会、聖教新聞 第1面に「宗門追放 崎尾師問題、俄然反響呼ぶ」「全国寺院に意見御伺 派遣青年部幹部に積極的賛意表明」「御法主猊下へ御願言上 蓮華寺からは常住御本尊御下渡し差止め決定 崎尾住職の策謀これで完封」等の記事掲載。
3月4日  宗門、細井精道庶務部長と早瀬道應教学部長。創価学会本部に戸田会長を訪ね、小樽での法論に協力を要請。
 戸田城聖会長「実に重大なことである。法論の日取りは十一日で、先方は身延本山から法論者が派遣され、北海道在住の身延の僧侶が全部集まるということであり、日蓮正宗側から妙光寺の柿沼尊師、法道会の早瀬教学部長の二人が法論の当事者として、先方へ明示されているとのことである。しかも、当日は日蓮正宗法主水谷日昇上人が北海道御親教の途路、小樽へ立寄られる日である。両尊師の御心配も当然の事である。そこで私は、事重大でもあるし、且つはまた信仰も哲理もない似非日蓮宗身延山が法論を仕掛けるのは、片腹痛いと思った。そこで即座に『この法論は私がお引受けいたしますから、心置きなく法主上人の御供をしていただきたい』と申し上げた」(「小樽問答に大勝利を得て」戸田城聖 )
3月6日
 法道会、第八支部結成式開催、「折伏系統による縦の線が、着々と實狀に即して整備されつつある現在、ここに百世帯を単位とした新支部結成に葛飾方面の講組が異體同心に合同した事は五ヶ年計畫の完成に向って大きな新局面を開いたものと云える。大講中に於ては既に支部單位制が布かれている、即ち一昨年妙信講に於て三支部の分化が行はれ、本年一月には本因妙講にも三支部が設けられ、それぞれ約百世帯を一単位としている。こに葛飾方面の正信講、篤信組、里見組がそれぞれの長所を生かし、更に各講の發展存續の為に合同して支部結成をなし、前記大講中の支部と共に本部の力強い指導下に入る事は、まことによろこばしい事である」(「法之道」3月7日号
「昭和三十年の法道会の弘通目標は、千六百八十世帯。妙信講はその中で、九百世帯という高い目標(「法之道」第13号 )を掲げている。ちなみに本因妙講の目標は、二百世帯であった。高い弘通目標が立てられた所以は、創価学会という強力なライバルの躍進を横目でにらんでのことである。このような法華講は、当時として宗門に法道会を除いては皆無であった。大石日應上人が、帝都弘教を志して設立した法道会であればこそ、凄まじいまでの心意気が伝えられていた。法道会では、早瀬主管の強いリーダーシップのもとで僧俗一体の実を得、講中組識の改変が行なわれて行った」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
3月11日  創価学会、小樽問答、身延派日蓮宗と公開法論。会場、小樽市公会堂。
 創価学会側 司会:池田大作(参謀室長) 講師:小平芳平(教学部長) 辻武寿(青年部長)
 日蓮宗側 松井義海(宗会議員) 室住一妙(身延山短大教授) 長谷川義一(元顕本法華宗統合宗学林長)
 会場は定員千人で、双方の席は半々との取り決めであった。警備は創価学会の青年隊員であり、会場はほぼ創価学会員に占拠され、会場の外にも溢れんばかりの状態となった。結局、会場の席は7割以上が、創価学会で占められた。
 創価学会側講師の登場とその論説には大声援と大拍手が送られ、日蓮宗側講師に対しては罵詈雑言が容赦なく浴びせられた。最後の30分ほどで、多少の問答らしき講師間における質疑応答があったが、喧噪の会場を日蓮宗側は引き上げてしまった。その後、会場では狂喜した創価学会員が、「勝利の万歳」に躍り上がった。
3月12日
 宗門、水谷日昇管長。戸田城聖会長以下、小樽問答関係者を招き慰労の宴を設ける。
 水谷日昇管長より「諸君の奮闘に感謝する」というお言葉をいただいて、一同は感激をあらたにした。
「その時、戸田先生は立上って『将来、御本山の命令があれば創価学会はいつ潰してもよい。学会は潰してもいいが、日蓮正宗は絶対潰してはならない』と、御法主上人にお誓いする形をとりながら、勝利の美酒に酔っている学会幹部に対して厳しく将来に向って学会のあり方を、示された」(「有徳王」龍年光 )
3月19日  第二次鳩山内閣発足、鳩山一郎、第53代内閣総理大臣に任命さる。
3月23日
 法道会、第十支部結成式開催、早瀬道應主管「私は今回の支部結成には心魂を傾け眞劍勝負の氣持をもつている。支部については結成の當初でもあり、不明な點もあらうが、私を信じて欲しい。… 思うに今の宗門の動きはすでに居眠りを許さない。私共は小たりと云へども卑下する事は少しもない、堂々たる確信を持とう。そして組織を通じて信心を燃やして行く事を忘れてはならない」(「法之道」4月7日号
4月3日  創価学会、聖教新聞社説、「文化部員の政界進出」掲載。
「即ち文化部の目的としてはこれ等の活動は全部広宣流布完成への目的の下にこの目的へ集約されて来なければならない。…
 文化部員が何故政治に進出し、教育界に活動し、経済や労働問題に乗り出すか、… 広布の終点は国立戒壇建立である。その為には国会での決議が必要だ、すると宗教の正邪に対して確たる信念を持ち国立戒壇建立を願う人々の代表が、国会議員として多数居なければならない事は論をまたないのである」
4月6日
 宗門、大石寺宝物殿建立。
4月11日
 宗門、大阪・浄妙寺落慶式。創価学会が、蓮華寺に代わる寺として寄進。
4月17日  創価学会、「聖教新聞」社説、「立正安国実現の国立戒壇建立」掲載。
「この国立戒壇とは、日本の全国民が宗教の正邪に目覚めて大聖人の真の仏法を信仰する様になった時に建てられるべき、仏法の一大根本道場である。…
 では何故国立の戒壇を実現しなければならないのか。もちろんこの様な大問題の御仏意は到底測り知る所ではないが、浅智をもってその一端をうかがい奉るならば、その必要は立正安国論にはっきり御示しあるものと信ずるのである。…
 この戒壇を実現する為にはたゆみ無き折伏が必要であり、その最後に正法を理解し国立戒壇の必要を痛感する人々を国会に送って、その議決を獲得しなければならないのである。正法を信ずる者の中から政治家出でよ、学会員から政治家出でよと要望されるのも、唯この国立戒壇建立の為であって政治そのものを左右する為ではないのである」
4月 日  創価学会、18万4千世帯となる。
4月30日  第3回統一地方選挙。
 創価学会、「公明選挙」「政界浄化」をスローガンに、地方議会へ初進出。東京・市区議会議員に33名全員当選、その他の市議会議員に18人当選。合計、全国で51名の創価学会員の地方議員が誕生した。
 龍年光、品川区議にトップ当選。森田悌二、横浜市議会(鶴見区)でトップ当選。
5月1日  創価学会、戸田城聖会長、女子青年部総登山における三門の挨拶で「広宣流布は20余年間に、成し遂げられることを私は確信いたします」と。
5月1日
 宗門、大橋慈譲師(正継寺)、「蓮華寺崎尾住職を非難する書」を聖教新聞に寄稿。
5月3日  創価学会、第12回総会開催。年頭に戸田城聖会長から宗務院へ出された、"御宝蔵建設請願書" が宗会の認可を経たとして、計画と募金の発表がなされた。
 戸田城聖会長「ここにおいて私は宣言する。これは迂遠のように考えられ、遠い先のようにも考えられているが、宗教を根底としなければ、真の幸福はないということであります。その宗教のなかでも、日蓮正宗でなければ絶対に日本の幸福はない、日蓮正宗でなければ日本の国に幸福というものをもたらすことはできないのだという提案を、日本全国に向かって宣言するものであります」
 水谷日昇管長「布教の困難は唯々困難な仕事であるとつくづく感ずる次第であります。仏法を修行しつくした菩薩もなお、このことにおいて最後の難しさを思い、その適切な方法に迷うといわれております。私共はこの困難な仕事に当面し、日夜よりよき方法の発見につとめ、無用な衝突や誤解を排除し、一人も多く信仰の恩恵に浴せしめなければならないと思います」
 創価学会版「小樽問答誌」刊行。
5月15日  創価学会、聖教新聞 第1面トップに「御宝蔵建設募金始まる 学会挙げて御奉公 一世帯百円見当 二千万円で鉄筋建築」「信心根幹に募金」の記事掲載。
 理事室談、「今度の大宝蔵建設は、広宣流布の時まで大御本尊様を御安置申しあげておく場所をお造り申し上げるのであり、信徒としてこの上ない名誉であり、我我の福運である。… 熱心のあまり借金してまでも出すような事があってはならない。どうかこれらの諸点の注意して大事業達成に協力されたい」
 寸鉄欄、「今募金中の大御宝蔵の奉納式、本門戒壇大御本尊様の旧宝蔵よりの御遷座は、広布の暁の正本堂への御出ましをほうふつとさせるものがあろう。御供養の出し惜みしてその時後悔してもおそいぞ。御供養は額の多少ではない。他人とのつり合いなど考えて見栄で出しても功徳にはならんぞ。もち論出し惜みは論の外だ」(※「寸鉄居士」とは、戸田城聖会長である )
5月 日  創価学会、4月の選挙でタテ線の非効率性が明らかとなり、急遽、東京からブロック制の導入を開始。(※ 全国的にブロック制移行が完了したのは 1962年 )
5月25日
 宗門、小笠原慈聞著「日蓮正宗入門」出版。
 前書きに、「その抱負の偉大なるため、永年沈衰してゐた本宗も俄に活気を帯び生き吹き還すに至り、今や全国で正宗信者の無い土地は無く、広宣流布の魁をなすに至つたことは、只管ひたすら感激の外はありません。自分は不徳にして一時調子に乗り、その為学会と論争の不幸を醸した事のありました事は、誠に遺憾の至りでありました」と。
5月31日  創価学会、本部幹部会開催、戸田城聖会長「このたびの奉安殿建設には、金銭の大小を問わず、大御本尊様広宣流布までのお住まいを御供養しましたことは、日蓮大聖人様のお目にとまり、生々代々、住む家に困らないと確信いたします」
(※ これまでの "御宝蔵" から、呼称が "奉安殿" に変わっている。)
6月16日
 宗門、総本山綜合大改修計画委員会設置、委員長に高野日深師就任。(「大日蓮」第112号 )
7月7日
 法道会、「法之道」巻頭言。早瀬道應主管「法道會法華講五ヶ年計畫も今なかばである。異體同心に前進すべきである。… 思ふに個人には限度がある、良き御本尊とよき信心によき師を得て總合的に前進しなければならぬ。小さなワクに執着し小善にこだわり廣宣流布の大善のさまたげをしてはならぬ、個人も支部講組も總てを生かしてあくまでも團結し異體同心でなければならぬ、一部講組も法道會法華講の中の細胞であり法道會の前進をはなれて存在しない事を自覺し一體となつて前進しよう、さなくば脱落するであらう。…
 私は無智無戒にして云ふに甲斐なき貧僧である、だがみにくい凡身を御法に生かされて同志と肩を組み異體同心に前進する。同志よ君等は己れの任務をしっかりと覚悟し總合して一丸となつて前進しよう、外には謗法を突破し內には結束を固め、はるかなる廣宣流布に前進だ。同志よ異體同心だ」(「法之道」7月7日号
「早瀬主管の五ヶ年計画とは、昭和二十八年を初年度として従来の講中組識の統合をはかり、昭和三十二年に精鋭三千世帯を達成するというものである。昭和二十九年八月当時、法道会は八つの講と四つの組からなり、本部には幹部二〇名、補導二名、布教部三二名、会計部二名、地方部三名、報道部一〇名、婦人部委員七名、書記部五名、青年部運営委員六名、中等部少年部委員四名が置かれていた。妙信講の浅井甚兵衛講頭は、このとき法道会の総講頭を務めている」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
8月23日  創価学会、蒲田支部函館地区総会開催、戸田城聖会長「広宣流布の暁には、大聖人様が御存命中に、広宣流布ができたならば、紫宸殿へかざって、時の天皇に拝ませなさいと、予言をなさっておつくりになった紫宸殿御本尊という御本尊様があるのです。…
 この紫宸殿御本尊のある寺こそ、広宣流布をする寺なのです。それが、この紫宸殿御本尊というのは、七百年も近く、富士大石寺に、厳然と奉持し奉っているのです。この一事をもっても、われわれ日蓮正宗の者は、広宣流布をしなければならない責任があるということになっているのです」
8月27/28日
 宗門、法華講登山会。法道会は、370名の登山者。
 水谷日昇管長「殊に一ヶ寺院教会として三百五十有余の一団体の登山は宗門未曾有の事であり、これ一に主管早瀬道應師の熱誠なる教導の下に幹部の指導尽力に依る事で、定めし法道会開基五十六世恩師日應上人を始め奉り、二代日轟大徳も霊山浄土に於て御照覧、御満悦の事と存じます」
 早瀬道應主管「開基日應上人より受けつぐ法道会の歴史を見るに、今迄は只なごやかではあつたが、何か力の弱いものであつた。… この第一回登山を期して、今後は団結の力強さを持つて名実共に折伏の第一線に立ち上つて頂きたい。創価学会は戦後の第一回夏期講習会には、わずか三十数名であつたと聞いている。それが現在では三十万世帯にまで大発展した。実に私はその努力を尊敬します。… 法道会の信徒は力を協わせて全国法華講のさきがけとして力強く広宣流布の土台石となろうではないか」(「法之道」9月7日号
「日昇上人の師範が日應上人である。当時として、三百五十名の一団体の登山は宗門未曾有のことであり、法道会は宗内の法華講において抜きん出た存在であった」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
9月12日
 宗門、堀米日淳著「日蓮聖人と法華経」刊行。
9月30日
 法道会、青年部臨時総会開。三班体制の新組織が制定され、青年部長に浅井昭衛が就任した。「新組織は青年部の現段階に即応した態型が強く打ち出され、組織の簡素化と共に内容充実に重点を置いて、更めて青年部が力強き第一歩を踏み出した」
 早瀬道應主管、訓示「青年部が新しい組織を組み立て、発足するに当つて一言、去る日運営委員の諸君が私の所に来て一同の輿論として組織の改革を願い出た。私はその内容を聞いて法道会の青年部もよくここまで成長したと思つた。全法道会の組織に於いてひとり青年部が旧来のからを脱皮して革新したことは非常にうれしい」(「法之道」11月7日号
10月16日  毎日新聞(茨城版)、「正教か邪教か。無理に入会させる。結婚も信徒以外はダメ」の記事掲載。
10月27日
 宗門、堀米日淳著「初心者への指針」刊行。
 富士学林研究科特別講義、大石寺に開講。
10月27日  山形新聞、「強引な布教に非難。神だなや仏壇焼く創価学会。県警で動向注視」の記事掲載。
11月1日  創価学会、大白蓮華 11月号。小平芳平教学部長の「創価学会批判の妄論を破す」を掲載。
11月3日  創価学会、第13回秋季総会開催(後楽園球場)、参加人数 7万人。
 池田大作参謀室長「親衛隊の決意」と題し、「わが日蓮正宗創価学会が、絶対唯一の宗教であると断言するゆえんのひとつには、じつに世界最高の教学、すなわち民族救済の永遠不滅の哲学をもっているという事実であります。
 第二に、末法の御本仏・日蓮大聖人様の御確信であり、予言であり、御命令である仏国土の建設、すなわち真実の世界平和の実現たる、広宣流布への一大目的に、身命をささげて邁進しているという事実なのであります。… 進んで、一国本尊流布の終了にともない、御予言たる『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つ べきのみ、事の戒法と云うは是なり』(身延相承書) と申されし、日本国の、いな東洋の黎明たる国立戒壇の建立がなされるのであります。…
 仏意仏勅にこたえまして、戸田会長先生のもと、われら青年部三万名の同志は、会長先生の親衛隊として、仏勅実現の日まで、いかなる法戦に臨んでも、見事な、そして壮烈なる闘争を展開して、必ずや闘争することをお誓い申し上げるしだいでございます」(「会長講演集」第三巻
11月6日
 法道会、青年部秋季大会開催、145名結集。
 早瀬道應主管、訓示「私がまだ深川に居た頃、今から見ればもう古い昔になるがその当時の信者の人達はただ「時を待つべきのみ」と云つておとなしく信心をしていた。… 集つてお経を上げて自分だけが満足して御馳走を喰べて好い気になつていると云う姿だつた。…
 実にこれは変ったお寺です。形式にこだわるお寺ではない。… 世の為人の為になるならば遠慮なしにどんどん動ける、形式にしばられない寺なのだ。この様に私は御法の為、国の為になるなら遠慮なしにひつこしでもなんでもやつて行く考えである。したがつて法道会の中枢を為す所の青年部諸君もまた遠慮なんか要らない、正しい仏法の上に立って伸びる為だつたらこだわらずに組織でもなんでも変えてぐんぐんやりなさい」(「法之道」12月7日号
11月13日
 宗門、法道会妙信講総会開催。天高く晴れ渡り、900名が道場を埋め尽した。
 早瀬道應主管「皆様が日頃真剣にやつている事が今日の集りで証明されています。大聖人様の仏法が盛んになるにつれて、次第に悪口、批判、邪魔もまた活発になつて来ます。世間の悪口は折伏が盛んになつて来た証拠です。…
 皆さんは広宣流布に向った信心をして下さい。まず第一に御本尊への給仕をよくし、勤行をしつかりやる、そして化他の折伏を修行する、幸福は必ず掴めます」(「法之道」12月7日号
11月15日  自由民主党結成、神田の中央大学講堂(当時)にて結党大会が開かれた。党規・党則・綱領・政策活動大綱・党役員が満場一致で可決・承認され、近代政治史上初の単一保守政党が成立した。
11月23日
 宗門、奉安殿落成法要奉修。大御本尊、御宝蔵より御遷座、御儀厳かに挙行さる。創価学会の建立・寄進による。
11月25日  創価学会、「創価学会批判の妄説を破す」を発行。
11月26日  毎日新聞、法務省公安調査庁 藤井長官の「学会の折伏行進は破防法にひっかかる」との講演(千葉市公会堂)記事掲載。
12月13日  創価学会、関西本部落成入仏式奉修、水谷日昇師書写「大法興隆諸願成就」と脇書のある常住本尊を安置。
 戸田城聖会長「祈りは必ずかなう。それには時がある。良き法と、良き師と、良き檀那との三つが、そろわなければだめだ」
 水谷日昇管長「先年(1951)は、本部の御本尊といい、ここにまた関西本部の御本尊をお認めすることは、私は実に何たる幸福で、人生の幸福、大満足に感謝にたえません」
12月23日  創価学会、30万世帯となる。創価学会青年部、他宗への過激な折伏闘争が社会問題化。
 
  年表  
1月1日
 法道会、法之道巻頭言、早瀬道應主管「学会の人々に遅れじ」と、五ヶ年計画の四年目にあたる今が分岐点であると述べ、安逸を誡めている。
「折伏を忘れた過去の講中の安逸や、お寺ののどかな雰囲気は、釈迦仏法の摂受であつて、今、末法、日蓮大聖人の真剣な仏法ではない。… 不惜身命の者でなくては、正しい宗教と正しい政治の冥合した、住み良い国家は建設出来ぬ。… わが法道会法華講は、本部を中心として、縦の支部、横の地区、この二門の十字砲火をもつて折伏戦に望む覚悟である」(「法之道」1月7日号
「"学会の人々に遅れじ"との言葉に、早瀬主管が強く創価学会を意識していることが知られる。そして、「のどかな雰囲気の寺」と「折伏を忘れた安逸な講中」を、明確に否定していることは注目に値する。「二門の十字砲火」「折伏戦」等の言葉は、法道会が折伏弘通の戦闘組織であることをよく示している。法道会時代に入信した妙信講の先輩幹部は、信心決定して授戒を受けた後、勤行と会合参加の半年間の活動を経てようやく本尊下附を受けたと、当時の思い出をわたしに語ってくれた。法道会の弘通は厳格であり、入信後の指導も行き届いていた。対して、当時の創価学会には強引な本尊下附が一部で行われ、戸田会長は何度もそれを戒めている」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
1月3日
 法道会、青年部新年総会開催。6月の法道会総会に、360名の精鋭結集の目標を掲げる。(「法之道」2月7日号
1月29日  創価学会、戸田城聖会長、六十四世水谷日昇師の隠退の報に接し「信者の大精神に立て」と論述。
「学会は猊座のことには、いっさい関知せぬ大精神で通してきたし、今後も、この精神で一貫する。これを破る者は、たとえ大幹部といえども即座に除名する。信者の精神はそうでなければならない。… どなたが新しく猊座に登られようとも、学会会長として私は、水谷猊下にお仕えしてきたのと、いささかも変わりはない。新猊下を大聖人としてお仕え申しあげ、広布への大折伏にまっすぐ進んでいくだけである」 
1月31日  創価学会、本部幹部会開催、戸田城聖会長 "御肉牙"について語る。
「このお肉は、しだいにふえて、歯を包んでいる。私が最初に拝んだ時は六百五十年遠忌の時であります。その時には、このくらい、マッチ棒の先ぐらい、お歯が出ていたが、他の部分はほとんど包んでいた。
 次の機会には私は行かれず、先代の牧口先生が行かれたが『まだ包まってはいないが、上のほうにイボのようなものが出ていたよ』と言われた。
 ところが、七百年祭の時、拝んだが、歯はすっかり包まっていたのです。ただ、裏のほうの歯が見えていた。裏はまだ包まれていなかった。今度はどうなったかわかりませんが、これがですね、ガラスの中に入れてあり、それを金で作った宝塔の中に入れ、それをまた箱の中に入れ、それを、もう一つの箱の中に入れ、長びつの中に入れてある。なにも御飯などあげるわけではないのですが……。たしかに生きている。まことに不思議である」
2月1日
 法道会、全支部の名称を統一。旧来の妙信講第一、本因妙講第一等を廃し、第一支部から第十支部の名称となった。また、横の組織である地区は、都内を10地区に分けていたが、28地区の編成となった。(「法之道」2月7日号
2月8日
 宗門、堀米日淳師、第四十五代大学頭となる。
2月16日
 宗門、堀米日淳著「日蓮正宗聖典について」刊行。
3月1日  創価学会、戸田城聖会長、巻頭言「化儀の広宣流布とは国立戒壇の建立である」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
3月29日
 宗門、堀米日淳師、管長就任。
3月30日
 宗門、水谷日昇師、法を堀米日淳師に付す。
4月1日
 宗門、堀米日淳管長、訓諭す。「野衲ココニ本宗管長ノ職ニ就キ三月三十日未明日昇上人ヨリ血脈相承ヲ受ケテ総本山第六十五代ノ法灯ヲ嗣ギマシタ … ネガワクハ一宗ノ緇素コノ微衷ヲ諒セラレテ三業ヲ正シ和装協力各自其ノ分ヲラズ宗門ノ為ニ寄与セラレンコトヲ願ウテ止ミマセン」(「日淳上人全集」上巻 )
4月1日  創価学会、学生部結成。大白蓮華 第59号、"国立戒壇の建立こそ創価学会の唯一の大目的" と。
 池田大作青年部参謀室長「奉安殿建立の意義」と題し「戒壇御本尊奉安殿設置は正しく広宣流布への第一実証を意味するのであります。国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります。即ち三大秘法抄に云く、『戒壇とは王法仏法に冥じ(中略)時を待つべきのみ事の戒法と申すは是なり』云々」(「会長講演集」第4巻
 戸田城聖会長「この国立戒壇は、当日蓮門下において、遂行されなければならないが、これは重大なる仕事であって、一朝一夕になし得られるような、やさしい仕事では断じてない。さればこそ、日蓮宗内に七百年近くの間、ただ夢のごとく言いならされてきて、大部分は単なる理想境とし、実現不可能事とせられているのである」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
4月1日  創価学会、仙台支部旗返還授与式(仙台市公会堂)。戸田城聖会長、"御肉牙"について。
「今度の4月20日から、お山においても、御肉牙の拝観が許され、この御肉牙というものについて、これは不思議なものだ。話だけは、なんべんも聞いたかしらんが、もういっぺん言います。… 生きているのですよ。こういう不思議なものはありますか。身延が威張ったって、仏立宗がなんと言ったって、こういうお歯は、富士大石寺以外は絶対にない。それから、仙台からも、福運あってこの御生骨を拝観する方々は、帰ったら、わが目で見てきた、その実態を、みんなに話して、わが日蓮正宗の誇りとして、語り伝えてもらいたいと思います」
4月8日  創価学会、関西連合総会開催、戸田城聖会長「民衆救済こそ、日蓮大聖人様の弟子たる者の覚悟でなければならないと信ずるものであります。しこうして、大聖人様は、化法の広宣流布をなされた。すなわち、大聖人様の広宣流布は、法体の広宣流布でありまして、後のわれわれ弟子に向かっては『化儀の広宣流布、すなわち国立戒壇の建立』を御命令であります。今まさに、その時です。断じて、われわれの手で、広宣流布をしなければならない時がきているのであります」
4月16日
 宗務院、創価学会地元幹部から目の敵にされていた法宣寺(北海道・中愛別)八木直道住職へ、転任を命じる。
「しかもなぜか、後任の住職の発令もなかった。… たまりかねた法宣寺信徒が宗務院に対し、7月、後任住職の派遣を願う『嘆願書』を差し出した」(「妙教」第49号 )
4月20~30日
 宗門、堀米日淳師代替法要、大石寺参詣者に "御肉牙" の拝観を許す。
5月1日  創価学会、戸田城聖会長、巻頭言。「国立戒壇の建立とは、日蓮門下の重大使命であることを論じた。しかし重大使命であるとしても、もし、国立戒壇が、現在の状態で建立されたとしたら、どんな結果になるであろうか。一般大衆は無信仰であり、無理解である。単に国家がこれを尊重するとするならば、現今の皇大神宮や明治神宮の如き扱いを受けるであろう。しからば「かかる日蓮を用いぬるとも、あしく敬はば国亡ぶべし」との御聖言のように、国に災難がおこるであろう。
 ゆえに、国立戒壇の大前提として、本尊流布が徹底的になされなければならぬ。日本全国の津々浦々まで、この御本尊が流布せられ(中略)最後の国立戒壇の建立、すなわち三大秘法の本門戒壇の建立は、本尊流布の遂行とともに、当然完成されることは、いうまでもないと信ずる。また、このことは至難事中の難事中であることも、いうまでもない」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
5月3日  創価学会、第14回春季総会を開催(両国日本大学講堂)、3万人が参加。
 池田大作参謀室長「三類の強敵を迎え撃たん」と題し、「国立戒壇建立を20数年後にひかえ、第一類の俗衆増上慢はすでに数年が間、雑誌新聞および世間の人々の学会に対する悪口罵詈等に激しく現われ、また第二類の道門増上慢は新宗教連盟の結束および既成宗教・既成仏教等の学会誹謗はいよいよ狂乱の姿をみせており、第三類の強敵・僭聖増上慢は一部評論家等の啓蒙によってはじまりゆく学会弾圧をなさんとするさきがけでございましょうか。…
 われら会長先生の弟子たる学会人は、三類の強敵をふりおこす、勇ましき信心に立ち、三類の強敵の出現によって、ますます強盛なる大信力、また三類の強敵の出現あらば、いよいよ広宣流布の間近かなるを自覚して、異体同心の信心に立って、強く前進してゆかれんことを切望して講演にかえます」(「会長講演集」第三巻
5月31日
 宗門、細井精道師 総監となる。高野日深師 重役となる。
6月 日  多磨書房、安永弁哲編著『板本尊偽作論』を出版。大石寺の戒壇本尊を日有師の作とする。
6月 日
 法道会、早瀬道應主管の念願であった統一組織なる。「新講頭に浅井甚兵衛氏 単一な陣容で驀進」
「新たなる法道会法華講は、名実共に全法道会が打つて一丸となつた組織であり、御主管の御指導のもとに一人の講頭に帰したすつきりとした陣容を整へたものである。この新講頭には浅井甚兵衛氏が御主管より任命され、当日御法主上人よりの認証状を頂載した。強盛なる信心を以て立つ新講頭を迎えて、法道会には新しい空気が漲るであろう」
 浅井昭衛青年部長「陣容は整つた。進軍あるのみ」
「法道会は広宣流布の土台石になればよい。捨石になればよいのだ。その他に何がある。大聖人様のおほめを受ける御奉行をして行くのみではないか。人材よ出でよ … 男女は問わぬ、老若は分たない。踵を接して人材の出ぬわけがない」(「法之道」6月7日号
「ついに甚兵衛は法道院講頭の地位を手中に収め、甚兵衛の妻が婦人部長、昭衛が青年部長という浅井一家の春を迎えたのです。そこで持って生まれた増上慢を一気に爆発させたのです。… しかし、法道院は主管の力が絶大であり、いくら逆立ちしても主管には勝てません」(「元妙信講問題について」浜中和道 )
7月8日  第4回参議院議員通常選挙。保守合同による自由民主党の発足と、社会党再統一後、初となる国政選挙。第3次鳩山内閣は改憲を公約としており、1955年の第27回総選挙に引き続き、改憲に必要な2/3の議席を占めるかが争点となった。
 創価学会、全国区に原島宏治統監部長、辻武寿青年部長、小平芳平教学部長、北条雋八(しゅんぱち)文化部顧問。東京地方区に柏原ヤス指導部長、大阪地方区に白木義一郎関西総支部長の、計6名を立てる。6名中、辻・北条・白木の3名が当選。
7月12日  創価学会、戸田城聖会長、一級講座で "王仏冥合" について講演。
「まず、三大秘法の王仏冥合の哲理からいって、王法、仏法ともに冥合する時に戒壇の建立があるということが、日蓮大聖人様の御予言であります。… 広宣流布と、口ではかんたんに言うけれども、自分がやってみると、つくづくむずかしいと感ずる …
 まず一般の人は、創価学会が議員の全体を占めて日本の政治を左右するという、とんでもない間違った考えをおこしているらしい。われわれは、勅宣ならびに御教書を申し下してという、ただそれだけを行なわんがための政治です。なにも日本の政治をどうする、こうするのというのではないのです。また、国立戒壇の決定は、日蓮正宗一色にするという考えがみえているけれども、それも違った話である。ただ日本民族が納得して、大聖人様の教えのとおり戒壇を建てなければ、日本の国のほんとうの安定はないのです」
8月1日  創価学会、大白蓮華 8月号。戸田城聖会長、巻頭言「われらが政治に関心を持つ所以は広宣流布にある。すなわち国立戒壇の建立だけが唯一の目的なのである。ゆえに政治に対しては、三大秘法禀承事における戒壇論が、日蓮大聖人の至上命令であると、われわれは確信するものである」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
 この号から昭和32年4月まで大白蓮華に、戸田城聖会長の『王仏冥合論』を9回に渡り連載。
「七百年の間ただ夢のように叫んできた広宣流布を、「どうすれば広宣流布ができるのか」と問うて、実現に向けて具体化を進めたのは戸田会長であった。「こうした同宗の戒壇論を、具体的なタイム・テーブルの上にのせたのは戸田であった」とは、西山茂・東洋大学教授の指摘(「教義解釈の変更をめぐる一仏教教団の葛藤過程」、西山 茂著)するところである。日蓮正宗に「国立戒壇」が浸透して行くのは、ここからなのである」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
8月 日  創価学会、戸田城聖会長、信濃町の創価学会本部で倒れ、数日間療養。
8月10日
 宗門、妙霜寺(岡山市)の落慶法要、創価学会寄進の10番目の寺院となる。
 戸田城聖会長、数日前に倒れたにもかかわらず、落慶法要に出席。法要後の懇談で、堀米日淳師に「今後、創価学会が大きくなって、宗門に内政干渉したり、いろいろなことを言ったら、猊下、即刻、解散を命じて下さい。猊下の命令一つで解散を命じて下さい」と述べる。
9月1日
 宗門、大日蓮「悪書板本尊偽作論を粉砕す」特集号発刊。(「同」第127号 )
9月1日  創価学会、戸田城聖会長「王仏冥合論」。
「国とは、今時の世界情勢からすれば、全世界のことであるが、いまただちに、この一大秘法の大法を理解させることはできない。ゆえに、この深秘の一大秘法に縁があり、かつは、その理解がなされる民族の国、すなわち日本国を意味することになる。この日本国に、一大深秘の大法が発生して広宣流布し、しかるのちに、全世界が救わるべきものとなる」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
9月8日  保田妙本寺、日蓮宗より離脱して単立となる。
9月10日  創価学会、池田大作参謀室長「言論界の誤報を破す」と題して論説。
「現在はなばなしく行われている新聞雑誌の学会誹謗の働きは俗衆増上慢であるが、しかしこれは第三の強敵・僭聖増上慢に通ずる働きと考えて間違いないと思う。すなわち彼らは戒壇建立の闘争段階に入ったいま、学会をめぐる世論を喚起させてやがて弾圧してくる」(「会長講演集」第四巻
9月30日
 宗門、日蓮正宗布教会、細井精道著「悪書板本尊偽作論を粉砕す」刊行。
10月1日  創価学会、戸田城聖会長「王仏冥合論」で「時」を論ず。
「しこうして、この経において結論していうのには、禿人といって、職業僧侶すなわち生きんがため食わんがためのみの僧侶が世に充満して、少しも僧侶として世人を救う力のない時代に、国のため、世のため、法のために、不惜身命のものが現われたときには、その僧侶等は、徒党をつくって迫害するであろう。… 要するに、大聖人がこの御文をひいて、国立戒壇建立のときの世相を予言せられたものである」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
10月12日
 法道会、御会式奉修、堀米日淳管長御親教。
 早瀬道應主管挨拶「本日は、御法主上人猊下の、御出ましを賜りまして、宗祖大聖人様の、御会式をつとめさせていただきましたことは、身に余る光栄と存じます。唯今、お掛け申し上げてをりまする御本尊様は、宗祖大聖人弘安三年五月九日比丘日禅御授与の御本尊様でございまして、開基日應上人以来本日まで法道会に護持申し上げる御本尊様でございます。本日はこの御真筆の御本尊様を御開扉申し上げて、尊くも御法主猊下の御親教を賜りまして、まことに一生に記念すべきところの、良き日であると存ずるのであります」
 堀米日淳管長、「国立戒且建立こそ究極の大事」「邪宗には絶対解釋出來ぬ三大秘法」。
「御法主猊下には三大秘法に就いて御懇篤なる御教示を下され。折伏弘数の活溌化に伴い、寄せ来る邪宗の論難に対し三大秘法を如何に正しく拝し奉るか、終究の目的は国立戒壇建立にあり、七百年来嫡々伝承し来った正法を今こそ弘めよと、約二時間に亘つてお説き下された。連日の御説教にもかかわらず、少しのお疲れの色もなく御説法の終りに近づく程お声も高く、熱のこもられた御姿はまことに尊く拝せられた」(「法之道」11月7日号
(※ 堀米日淳師は、三大秘法を二重に拝察すること、本覚法門との差異、本門戒壇を一番の根本において解釈すること等を説示されたが、国立戒壇という文語は一度も用いられていない。"国立戒且建立こそ究極の大事"とのタイトルは、浅井昭衛発行・編集人が加増したものである。櫻川 忠 )
10月19日  日ソ共同宣言(日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言)、鳩山一郎内閣総理大臣がモスクワで署名し同年12月12日に発効、両国の国交が回復し外交関係も正常化した。
11月1日  創価学会、戸田城聖会長「王仏冥合論」で「国立戒壇」を論ず。
「『勅宣並に御教書を申し下して』とは守護付嘱の謂である。この守護付嘱の意が明らかになれば、この『勅宣並に御教書を申し下して』の御文の意が、諒々として明らかであろう。…
 また、『戒壇を建立す可き者か』とは、未来の日蓮門下に対して、国立戒壇の建立を命ぜられたものであろう」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
11月4日
 法道会、法華講第1回総会、講員約1千8百名が参加し豊島公会堂で開催。場内には左右に「法華講精神」「火の玉折伏」と大書したビラが掲げられ、法道会一丸となった火の玉の様な総会が繰り広げられた。明年度上半期の指導目標が発表され、半年先に3千世帯の明確なる目標がうち立てられた。
 早瀬道應主管「これが今から五十九年前に法道会を設立せられた日應上人の御姿である。現在、法道会の法華講衆二千数百、日應上人を知り奉るものは一割もない。更に上って、百分の一位ではあるまいかと思う。まあ、しかし、つねに法道会の信徒が日應上人の御徳をかたり、日應上人の御心意を深く拝し、三大秘法広宣流布の仏道に団結して、結集して、精進しておる事は、私といたしまして誠に喜びにたえません。 日應上人が、手塩にかけた寺は全国にいくつもあります。その中で、少数の同志をたよつて御自身の命を託された道場が法道会です。また、日應上人の御慈悲を載いた法華講は、数え切れない程たくさんあります。しかし、自ら心魂うち込んで、本因妙講を始めとし、妙道講、妙典講、だんだんと講中を育てられてまた更に、私の師匠伯耆阿闍梨慈雄房日轟大徳の代に、更に、私にいたつて十数余の講中、組が出来ておつたのでございます。その講中、組を折伏闘争の第一線に配列するために、本年六月、日應上人の御正当を期して、二千余の中から、浅井甚兵衛氏をぬきんでて、選挙でもない、相談でもない、私がはつきりと任命して御本山に申請して、この十幾つかの講、組を大政奉還して、法道会法華講を設立した次第であります。その、第一回の総会はまさに、大聖人様の御慈悲を載き、日應上人の御心意を拝し出発するところの、出陣の首途での日なりと私は存じております」(「法之道」12月7日号
「早瀬主管の五ヶ年計画は、昭和28年を初年度として従来の講中組識の統合をはかり、29年には納骨堂の落成と一千世帯達成、31年は法道会御宝蔵建立と法道会講中の統合と、着実に実をあげつつあった。実力ある幹部諸氏の尽力はもちろんであるが、主管のリーダーシップが卓越していたことは疑いない」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
12月10日  創価学会、池田大作参謀室長の父、子之吉 逝去。真言宗の八幡山密嚴院に葬られる。
「父親が死んだとき、池田は折伏を推進する参謀室長として、青年部ナンバーワンの地位にいた。だが父親は真言宗徒で、ガンとして宗旨変えをせず、葬儀も真言宗で行われた」(「週刊実話」2000年11月16日号 )
12月17日
 法道会、青年部、本門仏立宗と法論。
「仏立宗がまたまた巣鴨方面に於て青年部に法論を挑んで来た。… 乗泉寺の教務吉田日邦、仏立宗内で一応教学の権威といわれる田中日広、ならびに土屋慎一の二名をも加えて正式に申し込んで来た。…
 青年部は、仏立宗の邪義を破折する絶好の機会とばかり、即日これに応答、書類を交換の上12月17日夜、増田光義氏宅に於て正式に対決した。ところがである。いざ対決の場に臨むや、仏立宗側は従来の傲慢ぶりはどこえやら突然態度を豹変し、遂に正邪決着を恐れてか法論に入らず、逃ぐまくつて了つた。…
 田中日広氏は仏立宗教学院学頭等の肩書を持ち、先般、『創価学会破折十二問答集』を著し、すばらしい珍説を披露した僧侶、一応仏立宗内では教学の権威で通つているらしい。吉田が口を開けば必ず「田中日広上人」と奉つている御当人である。青年部よりは浅井昭衛、小牧祥一、荻須輝彦、田島豊年、木内純一郎、木内哲三が出席、机をへだてて向きあつた。…
 尚当日の経過は約二時間、その対論の始終はテープレコードに記録してあり、仏立僧の無恥と臆病の軌跡は明々確々として残っている」(「法之道」32年1月7日号
12月18日  国際連合総会、全会一致で日本の加盟を承認。日本は80番目の国連加盟国となった。1933年の国際連盟脱退から、23年目に国際社会に復帰した。
 昭和27年6月、日本は国際連合に加盟を申請。同年9月の国連安全保障理事会で圧倒的多数の賛成を得たが、ソ連が拒否権を発動したため否決されていた。
12月21日  創価学会、40万世帯となる。
12月23日  石橋湛山内閣発足。石橋湛山、第55代内閣総理大臣に任命さる。
(※ アメリカ追従を主張する岸信介が自民党総裁選に立候補、石橋湛山は他の共産圏とも国交正常化することを主張し立候補した。第1回投票では岸が1位であったが、石井光次郎と2位・3位連合を組んだ決選投票で、岸に7票差で競り勝って総裁に当選した。
 内閣発足後、福祉国家建設、対米自主外交、世界平和確立の「五つの誓い」を掲げ、池田勇人を大蔵大臣に抜擢し「1000億円施策、1000億円減税」の積極財政路線を取った。
 )
 
  年表  
1月1日
 宗門、堀米日淳管長「正法による国教樹立こそ必要」と指南。(「日淳上人全集」下巻 )
1月1日
 法道会、早瀬道應主管、年頭の辞。「折伏の誓願とか、事業の面や、その他の事は、本部から打ち出して参ります。私としては、第一次五ヶ年計画の、仕上げの年として、世の中に出て行く、準備の良き年として、事実をもつて同志の諸君と俱に、信、行、学、を行じ度いと思います。 謹みて、諸賢の最上の幸福を祈ります。…
 総会3千世帯結集を期す、第2回は5月19日に行われ、第3回は11月17日。会場としては豊島公会堂が予定されている。すべての行事の最たるものである。単独登山会は、8月17、8日。大御本尊様にお目通りと同時に、結集と訓練をかねたもので、異体同心の実をあげるために、一人でも多くの参加が望まれている。
 本年は法道会創立六十周年にあたり、その記念御講が12月12日に行われる。第二期斗争を展開中の青年部は、1月20日、第二期結集大会が開かれ、第三期斗争に突入し、6月下旬、その結集大会がひらかれる。その間、3月下旬、全部員を糾合して、登山会が催される」(「法之道」1月7日号
「昭和三十二年新年号の「法之道」には、五月と十一月に総会開催予定が発表され、結集目標は三千世帯とされた。三千世帯達成予定が四月であるが、その翌月には三千世帯を総会に結集しようというのである。驚くべき勢いである」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
1月20日
 法道会、青年部第二期結集大会開催、6百名が結集し誓願を完遂。当日は御主管を始め、講頭、本部役員、各班長も出席され盛大を極めていた。これより青年部はいよいよ第三期斗争に入るが御主管の直属部隊としての見事な斗争を展開して行く事が期待されている。
 早瀬道應主管訓示「法道会を日應上人が建てられて法道会という妙な名前をつけられて、皆から時々法道寺とか法道院とか何とかしてくれと云はれる。… 何故法道会というふうに、名前をつけたかというと、日應上人のお心の中には、普通の寺じゃない。広宣流布への、本当に信心をきたえてゆく道場として、作戦本部として、この法道会を建てられた。…
 私は常に日應上人の思召しを拝して、その夢を行いたい。法道会の在り方が、広宣流布に向つて、組織を持つた斗争の第一線部隊として、その実体を本当に実現していき度い。…
 法道会でも、半期半期に目標を立てる、又五ヶ年計 画を立てる、更に第二次五ヶ年計画もある。これをあくまでも団結した力で、開基日應上人の御理想を実現するという事を、いつでも目標とする。… 日應上人の御理想を、将来に本当に実現するのは誰か、それは諸君しかない。本部から出される所の指揮に従つて諸君の徹底した団結心が、日應上人より授けられた私の夢を実現するものだ、こう考えております。しっかりとたのみたいと思います」
 浅井昭衛青年部長、「よき師を得たるは我等の福運」と題し「法道会は、唯授一人の血脈をつがれた時の猊下日應上人が、止むにやまれぬ法憤の故に東京に大折伏して築かれた法城であります。その当時の東京には、田中智学等の偽日蓮宗の悪侶がはびこり、三大秘法の光をさえぎつておったのです。日應上人はこの状態をじつと御覧になり、『正統の嫡流に浴する者、豈に此の状態を観て誰か法憤を発さざらんや』と、決然として東京に折伏せられたのです。この法道会の伝統は、今第三代の御主管がうけつがれ、厳然と立つておられるではありませんか。我々は実に、徳高き師匠を戴いております。これはとりもなおさず、我等青年部の福運です」(「法之道」2月7日号
「帝都弘通の作戦本部、信行錬磨の道場、折伏弘通の前線部隊である法道会の特徴が、明瞭に説明されている。言わば「闘う法華講」である。当然のことであるが、妙信講は多くのものを法道会から受け継いだと言える。… 現在は、顕正会員が浅井会長を「無二の師匠」と仰いでいるが、法道会にいれば在家が「師」と呼ばれることはあり得ない」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
1月25日  石橋湛山首相、軽い脳梗塞を発症、「政治的良心に従う」と潔く退陣表明した。
2月16日
 宗門、佐藤覚仁師(日照)・貞広祐覚師(日文)・漆畑孝純師(日広)、能化となる。
2月24日
 宗門、堀米日淳管長、第1回園遊会を開催。大石寺蓮葉庵の梅林に、戸田城聖会長ほか創価学会幹部を招く。
2月25日  岸信介内閣発足。岸信介、第56代内閣総理大臣に任命さる。
3月5日  西山本門寺、日蓮宗より離脱し単立となる。
(※ 上条大石寺、重須本門寺、下条妙蓮寺、小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成、京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて「興門八本山」 )
3月30/31日
 法道会、青年部登山会挙行。青年部 "第三期斗争" における、三大目標の一つである第1回登山会、250の部員が参加して盛大に行われた。(「法之道」2月7日号
4月1日  創価学会、戸田城聖会長「王仏冥合論」の結論。「国立戒壇の功徳すなわち平和論」と題し「ここに、日蓮大聖人が、政治と個人の幸福とは一致しなければならぬと主張あそばされたのが、王仏冥合論である」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)と。
4月2日
 法道会、4月度定例幹部会開催、組長以上約百余名が参集。
 浅井甚兵衛講頭「信心が強ければ、魔が現われる。然し必らず、勝つのである。御本尊様の大功徳を信じ、修行に励まなければならない。愈々来月は、第二回法道会法華講総会である。今月一杯、三千世帯達成に各班とも馬力をかけて折伏し、誓願目標完遂、広宣流布のために精進して貰いたい」(「法之道」4月7日号
4月3日  立正安国会、山中喜八編「日蓮大聖人御真蹟」刊行。
4月7日
 宗門、大石寺御影堂において、保田妙本寺・末寺4ヶ寺の帰一奉告法要を執行。
4月22日  創価学会、「大阪事件」。参議院大阪補欠選挙の前日、候補者名を書いたタバコと候補者の名刺を添付した百円札を、創価学会員がばらまいた。「それが行われたことはまぎれもない事実である」(池田大作著、『人間革命』第11巻)
4月 日
 法道会、3千世帯達成。
4月28日
 宗門、保田妙本寺において、帰一奉告法要を執行。
 創価学会、戸田城聖会長、奉告法要の席で「しかるに石橋君が7票で勝った。… このまま彼が総理をつとめれば、日本の国に災いがある。彼が病気で倒れたのは、それから3日目だ。そうして、岸君が総理の位置についた」と。
5月18日
 法道会、第2回総会開催。1千7百余名が参集、3千世帯達成の歓喜にわく。下半期の本部指導強調点として、「教学の研讃・組織の強化・供養の精神」の三点が、本部幹事より示された。
 浅井昭衛青年部長「必ずや次代の双肩をになつて斗争していく」、浅井甚兵衛講頭「自他ともの幸福は折伏以外ない」と。
 早瀬道應主管「宗門に於ては、今や将に創価学会が戸田会長さんの下に僅か6ヶ年にして60万世帯の折伏が成し遂げられ、更に猛烈な折伏を展開せられつつ有る時、法道会法華講は数十年の歴史をもち乍らも、未だ足踏みをしていることは御本尊様にも、御開基日應上人にも申訳けのない事だと思つて居ります。… 又、この度は御聞き及びの通り、敢て折伏目標を立てません。要するに無限折伏だと御承知願います」(「法之道」6月7日号
6月1日  創価学会、大白蓮華 6月号巻頭言、戸田城聖会長「国立戒壇建立こそ遣使還告の役目であり、地涌の菩薩のなすべきこと」、そこに折伏の意義があり、学会の使命がある」(「戸田城聖先生 巻頭言集」)
6月 日  北海道炭労、第10回定期大会で、組合からの創価学会員締め出しの具体的な計画や指令を検討。
6月16日  週刊サンケイ、「衝突した"現世利益" 炭労と創価学会」の記事掲載。(「同誌」6月 日号 )
6月30日  創価学会、麻布公会堂で学生部結成大会。500名が参加。
7月2日  創価学会、小泉隆理事長、大阪府警に出頭、百円札バラまきによる買収を指示した容疑で、逮捕・勾留さる。
7月3日  創価学会、戸田城聖会長、妙悟空の筆名で小説「人間革命」を発刊。「日蓮正宗の潰れることを恐れて、なにになる!仏法の力によって、日本を栄えさせてこそ、大聖人はお喜びになる。… 総本山の安泰のみ願うのは、弟子の道ではない」
7月4日  創価学会、池田大作参謀室長、大阪参院補選の最高責任者として大阪府警察本部に出頭。戸別訪問教唆の疑いで15日間留置、後にこれを7月3日と改竄し身を飾る。「奇しくも、戸田城聖が2年間の獄中生活を終えて出獄してから、12年後の同じ日であった」(「人間革命」第11巻 池田大作 )
7月9日
 法道会、講頭・浅井甚兵衛、青年部長・浅井昭衛、法道会の一切の役職を辞任
「この度、講頭浅井甚兵衛氏から、一身上の都合から辞任の申し入れがあり、去る九日、御主管から班長会議に其の旨をはかられ、辞任を受理する事に決定した」(「法之道」8月7日号 )
「浅井会長は父・甚兵衛初代講頭を懐古し、「昭和三十一年、所属の末寺住職の要請により、妙信講を発展的に解消し、同寺全信徒で結成する法華講の講頭に就任された。しかしその後、末寺住職の広宣流布を忘れた腐敗堕落を見て、苦難の中に妙信講を再建された」(「冨士」248号、昭和五十九年六月)と、妙信講再建の経緯を言葉少なに語っている。ここで、末寺住職とはもちろん早瀬主管のことであるが、「広宣流布を忘れた腐敗堕落」とは、一面的な見方からの言い様であろう」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
7月12日
 法道会、臨時本部役員会開催。「浅井講頭辞任に伴う後任講頭及び会計補充の件に関して会議した。席上、御主管より新講頭に赤沢猛氏を、会計に阿部唯七郎氏 田島栄一氏を推す旨発言があり、満場一致をもつて赤沢氏を新講頭に、阿部、田島両氏を会計に決定し、御法主上人猊下の認証を仰ぐことになつた。また法道会法華講としては、来る九月十二日に講頭就任式を行う」(「法之道」8月7日号 )
「昭和三十二年当時、広宣流布を目指して折伏弘通を推進していたのは宗門にあって、法道会だけであったといっても過言ではない。広宣流布を忘れるどころか、早瀬主管が「学会の人々に遅れじ」として「のどかな雰囲気の寺」と「折伏を忘れた安逸な講中」を明確に否定していたことは、既に見て来た通りである。五ヶ年計画を自ら指揮・推進し、昭和二十九年当初には五二五世帯であった法道会をして、三年半後の昭和三十二年四月には三千世帯を達成し、翌五月の総会には千七百余名が参集しているのである。五十余年後の今日の宗門法華講から見ても、刮目すべき実績であることは間違いない」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
7月12日  創価学会、蔵前国技館で東京大会。2万名参加。
7月17日  創価学会、池田大作参謀室長。全面自供で釈放。
「拘置所入りして、21日間の拘留満期まで頑張り通さず、全面自供して17日に出てきた。だから、この後しばらくは会内でもきわめて低姿勢を貫いて… 」(『内外一致の妙法 この在るべからざるもの』石田次男著 )
7月17日  創価学会、大阪大会開催(中之島中央公会堂)、戸田城聖会長「今度は、学会としては、事件を起こしまして、理事長や、参謀室長が、10日か15日はいってきました、… 新聞社なんていうのは、自分のつごうの悪いことは書かないよ。みんな、インチキばかり書いている」
7月29日  創価学会、参議院大阪区補選の公職選挙法違反容疑で、池田大作参謀室長ら幹部が起訴さる。起訴事由は、池田参謀室長らが大阪府下の約6万世帯の学会員を動員し、戸別訪問にあたらせたこと。
 この事件では最終的に、創価学会関係者 65名が起訴された。昭和37年1月25日、池田大作容疑者は無罪、他の創価学会員ら2人は 罰金・公民権停止等の有罪判決となった。
8月2日
 宗門、堀米日淳管長、覚林房日如師に上人号追贈。(「大日蓮」第139号 )
(※ 覚林日如師は、元文五年(1740)奥州磐城黒須野(福島県いわき市)に生まれ、細草檀林に学び日真上人の弟子となり、仙台法難で入牢・流刑等の弾圧を受けた )
8月3日
 妙信講、法道会にて再建総会を開催。 法道会法華講から離脱し、380世帯の講員を以て一年ぶりに、妙信講を再結成した。
(※ 妙信講再建時の人数については、350名、380名、450名と諸説あり。浅井昭衛会長が、異なる数字を述べている。)
8月9日
 法道会、班長会議、浅井甚兵衛・浅井昭衛の役職辞任を受理。(「法之道」9月7日号 )
「広宣流布を目指す浅井昭衛氏が内に吉き師を求めるなら、早瀬主管こそその人に他ならなかった。さればこそ「この法道会の伝統は今第三代の御主管がうけつがれ」、「我々は実に徳高き師匠を戴いて」(「法之道」第35号)と、当時の浅井青年部長は述べていたのである。そうしてみると、少なくとも「末寺住職が広宣流布を忘れた」などと言うことはできない。三千世帯達成後の下半期方針、教学の研讃・組織の強化・供養の精神において、前の二つに何ら問題はない。最後の「供養の精神」についても、「腐敗堕落」とは言い過ぎであろう。現在の顕正会でも「広布御供養」という名目で、同様に供養の精神を説いているのである。
 広宣流布に向けて粉骨砕身して来た早瀬主管からすれば、「広宣流布を忘れた腐敗堕落」などという侮辱的な言葉は、思いもよらないことであっただろう」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
8月28日  創価学会、本部幹部会開催、戸田城聖会長「今月の折伏の数がひじょうに多い。これは一面まことに喜ばしいことでありますが、半面またひじょうな憂いをもつものであります。それは、この多い入信者が、ほんとうに最後まで信心していけるかどうかという憂いであります」
8月30日
 宗門、日向定善寺において、本末六ヶ寺(定善寺・本善寺・本建寺・本照寺・本蓮寺・法蔵寺)の帰一法要執行。
9月6日  創価学会、聖教新聞に池田大作参謀室長の「遺誡置文講義」掲載。「広宣流布の時には参議院議員、衆議院議員もいてさ。皆な財布の中には少くとも十万や二十万入れて、洋服も月賦じゃないの着てさ、一つ国会議事堂やプリンスホテルや帝国ホテルで会おうじゃないか。要所要所を全部ね、学会員で占めなかったら、広宣流布出来やしませんよ」
9月8日  創価学会、第4回東日本・体育大会開催(横浜・三ツ沢競技場)、戸田城聖会長、「原水爆禁止宣言」。「これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります。… それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります」
9月12日
 法道会、講頭就任式開催、新講頭に赤沢猛が就任。
9月13日  創価学会、池田大作参謀室長「このような世界情勢の中にあって、上行、無辺行、安立行、浄行の四菩薩は、最高の文化の建設である国立戒壇の建立を間近にして、必ずや出現せられていることと確信するのである」(「会長講演集」第四巻 )と。
10月14日
 宗門、第六十四代水谷日昇師 逝去。
10月19日
 妙信講、法道会において第2回総会開催。
11月8日  創価学会、第17回本部総会開催。
 細井精道総監、「この予証を真実ならしめるところの、一閻浮提広宣流布を着々と実践されておりまする創価学会のこの活動はまた釈尊の教典を、真実ならしめるものである」と挨拶。
11月17日  法山閣、松本和道著「尋勝論」刊行。
11月23日
 宗門、第五十九代堀日亨師 逝去。
12月6日  創価学会、第6回男子部総会開催(東京都体育館)、参加人数 2万人。
 池田大作参謀室長「一生成仏めざせ」と題し、「会長先生の御意思を体し、断じて、われわれは国立戒壇建立に、会長先生のもとに続いていかなければならない」(「会長講演集」第三巻
12月25日  創価学会、76万5千世帯。
 
  年表  
昭和33年 (1958)   _
1月1日
 宗門、早瀬道應主管「昨年に於て来るべきものは来終つて、あとは整理整頓するばかりだ。無駄は止め、エネルギーを最も有効に使つて、真剣に幸福を掴む年である」(「法之道」1月7日号 )」
1月15日
 宗門、堀米日淳管長 浅井甚兵衛・昭衛父子を本山に呼び、妙縁寺所属「法華講支部妙信講」を認証。「今まで法華講というのは墓檀家のように言われてきたが、法華講とは熱原の法華講衆を鑑として、闘う法華講となって御奉公しなさい。まず三千の弘通を成し遂げてごらんなさい」と
1月 日
 妙信講、総登山。265名参加。
1月25日
 妙信講、第3回総会。(妙縁寺)
2月1日  創価学会、池田大作参謀室長。「広布途上の大講堂建設の意義」と題し、「われらが究極の目的である、国立戒壇建立に思いをいたすとき」(「会長講演集」第四巻 )と。
2月11日  創価学会、戸田城聖会長、満58歳の誕生祝いで在京の大幹部にあいさつ。「会長就任以来7年になるが、私は7年目ごとに難に逢っている。今度の病魔も打ち破ったのだから、もう7年また会長としてがんばるから一つよろしく頼む。…『源深ければ流れ遠し』の通りで、要するに学会の振興は会長自身がしっかりしなければならん。… 明日から以前と同じように本部へ行って指揮をとる」と。(「聖教新聞」2月14日号 )
3月1日
 宗門、総本山本門大講堂落慶大法要奉修。創価学会の建立寄進による。
 戸田城聖会長、「これは、私一代のうちにできればありがたいと思っていたことですが、まだ死にそうもない時代にできましたので、これから法主様からお酒をくださるそうですから、… ちょっとからだを悪くしましてね、このごろはからだのほうがいうことをきかないのだけれども、飲むほうは前と同じに飲めるから… きょうはじゅうぶんに飲んで、… 」等と挨拶。
「この講堂は工期1年3ヶ月を要し、工費4億円は創価学会員の寄付で賄われていた。創価学会員はその日から3月いっぱい慶祝登山することになっており、戸田は本山で滞在しながら指揮を採った」(『悪魔の邪望』武田了円 )
3月16日  創価学会、青年部6千人が総登山。大講堂前で、『広宣流布の模擬試験』と称した記念式典を挙行。岸信介首相は不参加、戸田会長これに落胆。首相の代理として、首相夫人と令嬢・令息、娘婿の安倍晋太郎、南条徳男等が列席。
「その16日の行事がすんで、戸田先生は急速に衰弱された。翌日か翌々日に、宿舎になっている理境坊の二階の一室で、枕もとに最高議決機関の理事、参謀室のメンバーが集まった。理事は、原島、小泉、辻、柏原ヤス、馬場勝種、それに参謀室の4人が戸田先生を囲み、辻が口火を切って、『三代会長はだれにするんですか』と聞いた。先生は起き上がられて『それはおまえたちが決めるんだ』とはっきり言われました」(月刊「Asahi」龍年光 91年4月号 )
3月29日  創価学会、池田大作参謀室長。青年部を指揮して的場正順師を潤井川に投げ込む。
「(創価学会)青年部員たちが、小僧さんたちに、煙草や日用品を買いに行かせるなど私用を頼み、そのお礼として菓子をやったりソバ代を出してやったりしていたらしい。所化・小僧さんたちの親代わりとして指導する立場にあった「所化頭」の的場正順師(当時33歳)は、これを知り、再三にわたって青年部に抗議していた。青年部と的場師の感情的対立は、星野を通じて、逐一、池田に報告されていた。池田はこれをもとに、一騒動起こすために総本山にやってきたのだ」(『日蓮正宗の敵・池田創価学会を解散させよ』龍年光 )
「池田は重篤の戸田先生を理境坊に見舞うこともなく、いきなり「これから所化頭の的場を徹底的にやっつける。彼は大変素行が悪い、小僧さんをいじめる、こんなことではこれから学会員の子弟は僧侶に志願しなくなってしまう。だから断固として粛正するのだ」と言って、大石寺の内事部に押し掛け、「的場を出せ」と怒鳴り散らし、3時間後に、出てきた的場師を六壷において大勢で吊るし上げたのです。その後、的場師を潤井川の川原へと連行していき、自ら裸になった的場師を青年部員に担ぎ上げさせて冷たい水の中に頭を何回も押し込ませたのです。午前8時に始まり午後5時に終わった一連の暴行事件の指揮をとった池田の形相は、これまで誰にも見せなかった険悪なものでした」(『フォーラム21』龍年光 平成15年2月15日 )
「真相は、当時、大坊に宿泊し、所化さんと同じように寝起きしていた青年部員達が、所化頭から、所化さんと同じく、旧軍隊のしごきのような待遇を受け、"俺達の部隊(男子部の部隊では、旧軍隊並みのスパルタ式教育やしごきが行なわれていた)よりひどい !!"と幹部に訴え、この報告を受けた池田大作が、"可痩い子分をいじめられた仇討ち"をやったのだ」(『内外一致の妙法』 石田次男著 )
3月30日
 宗門、戸田城聖会長を法華講総講頭に任命。
4月1日  創価学会、戸田城聖会長、日本大学属病院に入院。
「戸田先生は、本山で最後を迎えるつもりでおられたが、一切の行事が終了したので小泉理事長がお願いして、3月31日下山し、日大病院へ入院して頂くことになった。理境坊へ駆けつけてこられた奥様に、「あなたたちは何ですか、戸田がこんな状態になるまで、こんな寒い所に置いておくなんて!」と、涙声で叱られたのを私は覚えている」(『有徳王』龍年光 )
4月2日  創価学会、戸田城聖会長 日本大学属病院で逝去。堀米日淳師、大宣院法護日城大居士の戒名を授く。
「昭和33年4月2日、戸田城聖氏は、東京都内、日大病院で死去した。死因は、肝硬変による心不だった。享年58歳。戦後、またたく間に巨大教団を作り上げた風雲児は、妻のみに看取られ、孤独な死を迎えたのである。本人は、「俺には、まだまだ使命があるから、当分死ぬはずはない」と言い続け、医師の注意も聞かず、大酒を飲み続けた。その結果、肝臓を壊してしまい、自らの生命を縮めてしまった感がある。(中略)58歳といえば男盛りであり、"早死に"の感は否めないから、会員の間の動揺も少なくなかった」(「慧妙」2002年6月1日号 )
4月3日
 宗門、堀米日淳管長、戸田宅で読経唱題。
「御法主堀米日淳上人は、戸田先生の訃報を聞かれ直ちに下山され、午前2時頃の富士駅発の列車で上京され目黒の戸田先生の自宅に、4月3日午前5時頃到着された。二階の居間の御本尊様の前に安置されていた戸田先生の御遺体に、ねんごろに読経唱題された後、辞去された」(『有徳王』龍年光 )
4月3日  創価学会、本部幹部会(豊島公会堂)。池田大作参謀室長、「迫撃の手をゆるめるな!」と題して、「どのように今度は会長先生に御恩返しをしたらばいいか」、「ただひとつ創価学会の目的である国立戒壇の建立、不開門を開いて、会長先生に、このように戦ってまいりましたという、御報告をする以外に、なにもない」と。(「会長講演集」第三巻
「ポスト戸田の創価学会において、池田大作氏は会長位獲得のため、さまざまな工作を展開した。その方策の一つが、戸田会長の遺命たる国立戒壇実現を強調することで古参幹部との差別化を図り、自分こそが戸田会長の跡を継ぐ者だと示すことであった。他の主要幹部と較べると、池田氏の国立戒壇への言及は、当時群を抜いている。この戦略はみごとに実を結んだ。そして池田氏は、会長に就任して一年ほどで、国立戒壇の語を口にしなくなった。池田大作氏にとって国立戒壇の宣揚は、創価学会内でポスト戸田の地位を獲得するための、手段の一つに過ぎなかったのである。戸田会長が熱願した国立戒壇の実現を、本気で遂行しようとしていた妙信講とのねじれは、ここから始まることになる」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠 )
4月8日
 宗門、常在寺にて、堀米日淳管長の大導師で戸田家の葬儀。
4月10日  創価学会、男子部幹部会(豊島公会堂)。池田大作参謀室長、「青年部こそ昭和の高杉・久坂」と題して、「会長先生は『二十数年にして戒壇建立を実現する』という確信を甲されたことがございます。会長就任いらい七年にして、厳然たる化儀の広宣流布への盤石なる基礎は、おつくりくださっております。そして青年部にもあらゆる立場から訓練、薫陶をくだされてこられました。あと残されたのは二十数年です」と。(「会長講演集」第三巻
4月20日  創価学会、堀米日淳管長の大導師で、青山葬儀場にて戸田城聖会長の葬儀。25万人が参列、岸信介総理大臣、松永文部大臣も参列。
「戸田死後、池田の打った最初の手は戸田の葬式を取仕切ることであった。本来なら牧口門下の長老、または、学会全体の暗黙の了解事項となっていた後継者の石田に委ねるのが筋であったが、池田が参謀室長の肩書を利用してしゃしゃり出、25万人の葬儀参列者に自分という人間を印象付けた」(『悪魔の邪望』武田了円 )
4月28日
 妙信講、青年部結成式を開催(音羽・本部)、 青年部長に浅井昭衛が就任。
「この頃、浅井青年部長は心労から体調をくずし、床に伏せる日々が続いていた」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠 )
4月 日  創価学会、池田大作参謀室長、遺品を預かるとして戸田城聖宅から、品々を持ち出す。
「恩師戸田先生逝去直後、御本葬から10日も経たないうちに、池田氏は戸田家へ赴いて、香典4千万円の方は渡さずに、幾子奥様から、戸田先生の御遺品を持ち出し、そのうちの一つとして先生御所持の刀を借り出した。奥様の御意向を踏みにじって、築地支部幹事の吉崎区議を使って、その他いろいろ戸田家の私物を持ち出した。池田の意志ではなくて、小泉筆頭理事の意向、と称して、「戸田会長の御遺品は学会として大切に永久保存させていただきたいので、曲げて御承諾ください。お願いします」と、懇願という形、お願いという形で、強引に談じ込み、いやおうなく承服を克ち取ったのである。吉崎区議を指揮者とする運び出し実行部隊は、トラックで運び出した」(『内外一致の妙法 ―― この在るべからざるもの』石田次男 )
「無遠慮に上がりこみ、まるで家探しでもするように二代会長の遺産を洗いざらい調べ上げ、本部へ持ち返ったのである。戸田会長の遺品のなかに、三代会長を本命視された石田次男に有利な材料があるのではないか、とおそれたこと。また自分に有利になる材料を見つけ出そう、という池田の魂胆が隠されていた」(『池田大作の素顔』藤原行正 )
「あこぎはそれにとどまらなかった。戸田先生の葬儀に寄せられた4千万円余りの香典さえ、遺族には渡さず、創価学会が独り占め。幾子未亡人らの再三の抗議で、四十九日法要をすませてのち、ほんの一部が返されたのみ、という」(『現代』80年7月号 内藤国夫 )
5月1日  創価学会、「大白蓮華」。池田大作参謀室長、「先生の御遺命となった国立戒壇建立に向かって、怒涛のごとく大進軍せねばならない」、「会長戸田城聖先生の遺弟として、われらの目的たる、信・行・学に励んで、各自の幸福を築き、さらに国立戒壇建立の大偉業を、りっぱに果そうではないか」と。(「会長講演集」第三巻
5月3日  創価学会、第18回本部総会開催(両国日本大学講堂)、2万5千名参加。
 池田大作参謀室長「すなわち昭和5年から12年まで第一の鐘とするならば、12年から19年、これ第二の鐘ともいえると思います。そして昭和19年より昭和26年、第三の鐘ともいえます。また、昭和26年から昭和33年、これ第四の鐘であり、次の七年が第五の鐘であり、次の七年が第六の鐘であり、次の21目が第七の鐘であると信ずるものでございます」(「会長講演集」第三巻
 原島理事、「われわれで、会長になりたいなどと考えているものは、それこそ1人もいない」。
 小泉理事長、「会長という職は当分おかないつもりであります」。(「聖教新聞」5月9日号 )
 細井総監、「先程来大幹部の方、役員の方、又皆様方が相い応じて心も一つにし明日への誓を新たにされましたことは、全く霊山一会儼然未散と申すべきであると思うのであります。… 六万恒河沙の大士の方々が霊山会に集まって、必ず末法に妙法蓮華経を弘通致しますという誓いをされたのでございます。その方々が今ここにでてこられることは、これはもう霊山会の約束でございます。その方々を(戸田)会長先生が末法に先達となって呼び出されたのが創価学会であろうと思います。即ち妙法蓮華経の五字七字を75万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」「宗門も及ばずながら皆様方といよいよ相呼応致しまして、会長先生のあの大きな仕事に報いて一生懸命にやるつもりでおります」と。
「本部幹部会の空気は、会長代行の形で小泉が戸田体制を引継ぎ、そのあと和泉理事がワンポイントでつないで、戸田会長の7回忌法要のあと石田が3代会長に就任するというもの」(「池田大作の素顔」藤原行正 )
5月11日
 妙信講、第4回総会。(妙縁寺)
5月18日  創価学会、第1回男子部九州総会(久留米市公会堂)。池田大作参謀室長、「国立戒壇建立をもしかできなければ、日本の国は永久に属国とし、永久に日本民族は滅びる」、「国立戒壇を建立するならば、仏法の加護によって日本の国には原子爆弾は落ちなく、日本民族は必ず繁栄する」(「会長講演集」第三巻 )と。
6月30日  創価学会、6月度本部幹部会。総務・庶務部・出版部を新設。池田大作参謀室長、新設の「総務」に就任。ただし、この時点での総務の権限は曖昧で、参謀室の昇格程度に周囲では了解されていた。
「同年6月30日、本部幹部会は機構改革を発表した。総務、庶務部、出版が新設され、池田は総務に任命された。この役職は当初、池田の発案で職務権限そのものが曖昧なまゝ設置され、大体は参謀室長を本部に格上げしたもの、くらいに漠然と認識されていた。だがこれは恐るべき狙いを秘めた、池田大作畢生の妙手だったのである。極論すれば、池田の生涯を通じ、観賞に値いする言動はたったこれ一つしかないと断言していいくらいである」(『悪魔の邪望』武田了円 )
7月14日  イラク革命勃発、イラク共和国成立。王政が倒され、国王ファイサル2世は処刑された。
8月5日
8月7日  創価学会、男子部幹部会(品川公会堂)。池田大作参謀室長「広宣流布は、不思議にも本門戒壇の大御本尊様を弘安二年十月十二日に御建立あそばされてから、ちょうど七百年、いまから21年目にあたるのです。大客殿のことも正本堂の建立のこと、会長先生が申されたぜんぶを実現できるように、準備は着々すすんでおります」(「会長講演集」第三巻
8月23日  台湾海峡危機、中華人民共和国・人民解放軍が金門・馬祖砲撃激化。
8月23~24日
 妙信講、第一回夏季登山。(総本山)
9月1日  創価学会、「大白蓮華」9月号。池田大作総務。「創価学会は、日本の国をとるのでもなければ、政治団体でもなければ、…あくまでも国立戒壇の建立が目的なのである」、「三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布、すなわち国立戒壇の建立が目的なのです」と。
11月9日  創価学会、第19回本部総会。
12月7日  創価学会、第7回男子部総会(両国日本大学講堂)、3万名参加。池田大作総務、「国立戒壇の建立は日蓮正宗の願望であり、また会長先生の、創価学会の目的でございます」、「国立戒壇は日本一国のものではない。大聖人様の仏法は一閻浮提総与の大御本尊様である。全世界にわたっての宗教であります。日本の国立戒壇の建立ということは、全世界の国立戒壇に通じていくと、私は信ずる」と。(「会長講演集」第三巻
12月25日  創価学会、105万世帯。
 
  年表  
1月1日
 宗門、「大日蓮」1月号。堀米日淳師、「この元朝勤行とても、宗勢が発展した今日思いつきで執行されたというのでは勿論なく、二祖日興上人が宗祖大聖人の御遺命を奉じて、国立戒壇を念願されての広宣流布祈願の勤行を伝えたものであります」と。(「日淳上人全集」下巻 )
1月1日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭「年頭の辞」、「茲に我日蓮正宗の信者のみ大御本尊の御力用により民族を救う真の国士たる事を自覚しなければならない。特に我妙信講々員は御法主上人猊下の命に従い亡国の癌である謗法者の折伏を強化し以って大聖人様の御報恩に答へ奉りたい。宗祖は立正安国論の結文に「先ず生前を安じ更に没後を扶けんのみ」と、今生も未来も折伏の功徳により根底より幸せになるぞと仰せられて居る。本年は講員各位に於ては一人が必ず一世帯を折伏する事を念願としたい」と。
 浅井昭衛青年部長、「信心が凡ての根幹」との青年部総会の講演を「講報」に掲載。
「私が未だ学生であつた頃に三谷素啓という方の書いた"立正安国論精釈"を読みました。その中には大聖人様の仏法哲学が説かれてあつて、普通宗教というと夢の様な世界を描いているものですが、東洋の宗教というのは現実的きわまるものであつて、その宇宙観生命観また政治に対する見解とかあらゆる凡ての一人が考えられぬ以上の事を説いてあつて、かくすればかくなるのだと云う方程式が如実に過去の歴史において示され、だから日本も見なさいと大聖人様がお教え下さっておられる。
 それを見た時に仏語実不虚の云う事は決して観念的な夢でない、事実において、その事が行われなかったから、行われなかった事の結果が自分達の生活の中に出て来るんだと、この事を深く感じたことがあつた。もし安国論に説かれてある様な宇宙観が事実で本当であるならば、この流布に目分の人生の凡てをかけても悔いはない、これを知った自分は幸せなんだと感激した事をまざまざ憶えております。
 大聖人様が最後の御理想として説かれたのが王仏冥合国立戒且ということです。しかしながら仏法というものが世間では理解されておりません。信心しなくたつて大石寺の御本尊を拝まなくとも生活はしていかれるじゃないか、国は政治を行っているではないか、これが常識になっています。仏法という生活の根本原理がどういう影響を及ぼすかが理解出来ないのです。政沿家経済学者、事業者、科学者等がそれぞれ分野において研究していけば幸福になるであろうと思っている。しかしそれは必ず行き詰まる時が必ず来る。政治の技術、経済の技術、暮しの術を探求し切っても最後に自分の生命の不思議という事に行き詰まってしまう。こういう時に仏法の生命原理によって得た福運プフス技術の研究 これが相まつて本当の幸福が得られる。
 王法と仏法が冥合した時に平和が得られる、この事は今の人間にはわからない。しかしこれも訳る時が必ず米る、余りにも大きな深い革命なるが故に、最も根本的な解決なるが故にです、訳るには永い時間がかかる。ですから大聖人様が七百年前に御本尊を建立あそばされて、理論の上から体験の上から完壁をきわめながら大聖人様がお亡くなりになる時に、時をまつべきのみ時(ママ)の戒法と申すはこれなりと仰せられたのは、余りに深きが故に余りに根本なる故に、これを理解するのに何百年かの歳月を要すると大聖人様がお見抜きになったからだと思います」と。(「講報」第3号 )
(※ このとき、浅井昭衛青年部長は27歳、この講演はその後の浅井昭衛会長の思想展開を考察する上で、多くの示唆に富んでいる。小生の所感は、所詮「立正安国論精釈」(三谷素啓)の域を出ていない、というところである。
 それにしても、若き浅井昭衛青年部長はよい顔立ちをしている。若き池田大作総務も 若き阿部信雄師も、精悍で将来を嘱望すべきに足る "如是相"をしていた。櫻川 忠 )
1月1日  創価学会、池田大作総務、「国立戒壇の建立と学会員の前途
国立の戒壇建立は、全民衆の要望によって成就されるものであることを忘れてはならない。… 国立戒壇建立の際には、大御本尊様が奉安殿より正本堂へお出ましになることは必定。… 国立競技場・国立美術館・国立公園等もすべて国民の要望であり、国民のものである。宗教にあっても、最高の宗教が国民の幸福のために、国立戒壇として建立されることは必然」と。(「会長講演集」第四巻
 池田大作総務、「大白蓮華」1月号に「立宗ここに703年を過ぎ、仏命たる富士山に本門寺の戒壇の建立は未だならず。『時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり』の御予言こそ、残された唯一つの大偉業であり、事の戒壇の建立につきる。これを化儀の広宣流布と称し、国立戒壇の建立というのである」。
1月1日  キューバ革命、カストロらの指導でバティスタ独裁政権を打倒し、社会主義政権を樹立した。
1月10日
 宗門、法華講支部組織許可制施行。(「大日蓮」第156号 )
1月11日
 妙信講、登山会(総本山)。350名が参加。
1月16日  創価学会、石田次男、文化部員に任命さる。
「池田は術策をめぐらして一歩、また一歩と石田の影響力を削いで行く。まず夏頃から石田が聖教新聞に登場する度合はめっきり減った。次いで秋には『折伏教典』から石田の書いた第一章生命論が戸田の講演と入替えられた。翌年草々、石田潰しは頂点を迎える。… 石田次男は文化部員に任命されたが、それは石田の、参議院議員選挙への出馬と、前線からの離脱 ―― 無力な名誉集団への繰入れを意味した。彼は早くもこの時点で会長候補としての資格を失ったのである」(『堕ちた庶民の神』溝口敦 )
1月18日
 妙信講、青年部会。浅井昭衛青年部長、「国立戒壇めざす一粒の種」と講演。
「大聖人様が最後の御理想として説かれたのが、王仏冥合国立戒壇ということです。… 余りに深きが故に、余りに根本なるが故に、これを 理解するのに何百年かの歳月を要すると思し召されたからだと思います。… ここに講中として認可があり、妙信講は立ち上りました。 妙信講は小なりといえども、総ての素質を具えた一粒の種として誕生したのです」
3月13日
 妙信講、初の初級講習会開催。
4月2日  創価学会、池田大作総務。「会長先生の一周忌を迎えて」と題して、「三祖日目上人様の、老齢の御身をいとわず国家諌暁あそばされた、粛然・襟を正す御最後をしのび、広宣流布に向かって・国立戒壇に向かって、身命を惜しまず前進を続けなくてはならぬ」、「先生の墓前に、『勅使門が開きました。広宣流布が終わりました』と、御報告できる日を楽しみに」(「会長講演集」第四巻 )と。
4月5日
 妙信講、機関紙「顕正新聞」第1号発刊
4月20日  創価学会、京都大学法学部在学中の山崎正友(22才)、妙霑寺(岡山市)で授戒をうけ入信。
「この頃の私は、3年近くに及ぶ慢性腎炎の療養のため、長期休学中で、入退院を繰り返し、憔悴しきっていた。(中略)そんな折、母・兄・叔母、そして近所の学会員から、折伏の波状攻撃を受けた。(中略)『お前を幸せにしようとしているこの親心がわからぬのなら、もう我が子と思わない。勝手に死んでいったらよい』 涙ながらに迫る母に負けて、義理で入信を承知した」(『あの頃のこと』山崎正友 「慧妙」2000年11月1日号 )
4月30日  第4回統一地方選挙、創価学会は市区議会に287人立候補、261人当選。東京・区議会は76人全員当選。この結果、全国で合計293人の創価学会地方議会議員が誕生した。
5月3日  創価学会、第20回本部総会開催(両国日本大学講堂)、2万5千名参加。
 池田大作総務、「勝ってカブトの緒をしめよ」と題し、「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべき、どうしても通らなければならないのが創価学会の選挙なのでございます」と。(「会長講演集」第四巻
5月5日
 妙信講、本部企画室を設置。浅井昭衛、青年部長兼務で本部企画室主任に就任。木内純一郎、室員に就任。
5月10日
 妙信講、第5回総会(妙縁寺)。9百世帯突破。「快晴に恵まれた、第5回妙信講総会は、去る5月10日(日)午後2時半から墨田区吾妻橋の妙縁寺で盛大に行われた。… 松本尊師からお祝いの言葉と三大秘法抄の一節についての法話を頂いた。さらに高山副講頭の喜びの挨拶は、妙信講の誇りと情熱をもって御法主猊下の御期待に応えようと結ばれた。最後講頭さんより別項の通り講演され御法主猊下の慈愛にこたえ、より厳しい広宣流布への精進に新たなる自覚を持って前進するのみと、一同の奮起を促した。こうして午後5時30分、総会は無事終了した」(「顕正新聞」第3号
5月20日
 宗門、寺族同心会第1回大会開催(総本山)。(「大日蓮」第160号 )
5月28/29日
 妙信講、六巻抄講義(三重秘伝抄)、約2百名が聴講。
5月 日  創価学会、登山会のバス輸送のため、大富士開発(株)設立。
6月2日  第5回参議院議員通常選挙、創価学会候補者 6名( 全国区5、地方区1 )全員当選。創価学会の参議院議員は合計9名に、得票総数 2,855,000票。
 全国区;原島宏治、石田次男、中尾辰義、小平芳平、牛田寛。東京地方区;柏原ヤス。
6月19日  日米安全保障条約改定。5月20日に岸内閣は衆議院で強行採決、反対運動が続く中6月19日に成立した。
6月30日  創価学会、池田大作総務が(総務のまま)理事に就任。
「石田を潰し先輩を抑え、自分一人が会長候補に残り、断然有利な態勢を構築した上、さらに34年6月30日の機構改革で自派として育てゝ来た青年部を大躍進させることにより、事実上、創価学会を乗取ってしまった。この時の改革機構で池田は手下の北條浩、森田一哉、竜年光を引連れて理事になった」(武田了円著、『悪魔の邪望』)
7月3日  創価学会、男子部幹部会開催、池田大作総務「第三文明」を提唱。
「いま必要なのは第三文明です。… 精神文明の世の中も、また物質文明の世の中ももの足らぬ。… 色心不二の哲学が必要な時代である。最高の文化が広宣流布であると会長先生が仰せになったこともあります。最高の文化とは何か、第三文明です。… いまだかつてない、全人類が根底から要求しているところの "新社会主義" こそ、王仏冥合の思想であると、わたくしは信ずるんでございます」(「聖教新聞」7月10日号 )
7月15/16日
 妙信講、六巻抄講義(三重秘伝抄)。
7月19日
 妙信講、男女合同部会開催。浅井昭衛青年部長、「十年後に焦点合わせて学習を」と題して講演。
「妙信講は再建以来、1万世帯を目標に戦っております。妙信講の進軍の目的はただ一つ、大聖人様が七百年前に日興上人に御遺命された本門戒壇建立というそのことに、私たちの力のあるままに全力を挙げて御奉公していこう、… ただそれだけを目的にしておるのであります。そして4百数十世帯を以て再建した講中が満2年を経て今日、約1千世帯に達しました。しかし現在の状態から見ると、目標の1万世帯までにはあと十年はかかると思われます。… 十年と言うと馬鹿に長い気がするが、焦っては駄目です。十年の歳月は要するに、人材を鍛え上げる養成の時期なんです。…
 青年部員は非常に皆、職業に忙しい。だがそれだけを至上として、信心が大事だということを忘れてしまったら駄目だ。いかなる職業についても構わない。しかし、大聖人の眷属であるわたくしたちは、商売で大金を儲けるのが人生の目的ではない。社会的地位を得るなんていうのが大目的ではない。… 信心第一の清浄な気持ちで見るならば、必ず自分の持って生まれた使命がわかってくる。この使命に向かって、勇猛精進していく者が、本当の青年部員です。十年後を目指して、お互いに一人も落伍せぬよう、しっかりやって行こうではありませんか」(「顕正新聞」 第5号
(※ 「あと十年」「十年後を目指して」等のフレーズは、浅井昭衛会長の常套句であるが、その片鱗がここに見て取れる。十年後の昭和44年はというと、登山停止・講中解散危機の "試練と忍従" の時期で、世帯数はすでに7千に達していた。翌年の、正本堂誑惑問題への "御遺命守護" 決起は、目前となっていた。櫻川 忠 )
7月21日  経済白書発表、この年は過去最高の景気で「岩戸景気」と名付けられた。
8月1日  創価学会、池田大作総務。「今後7年の戦い」と題して、「国立戒壇建立の関所ともいうべき、今度の参院選における大勝利」、「会長先生は、巻頭言に『国立戒壇の必要性を理解させるためには、一般大衆の支持を受け、言論界の理解を根本とすべき…』とおおせられていたではないか」(「会長講演集」第四巻 )と。
8月9日  創価学会、夏期講習会。池田大作総務、『創価学会の歴史と確信』と題して「御法主上人様の深い御構想で、やがては正本堂と、どういう名前になるかわかりませんが……そこへ奉安殿の御本尊様がおでましになるのです。そのときが広宣流布の姿、儀式なのです。そんなに遠くないような気もいたしますが、仏智はかりがたしです」(「会長講演集」第四巻 )と。
(※ この変節を捉えて、「先の1月1日の発言においては、正本堂へ大御本尊がお出ましになるのは『国立戒壇建立の時』と言っていたものを、ここでは逆に『正本堂へ大御本尊がおでましになる』その時が“広宣流布”との考えに変っている。そしてその時期も、「そんなに遠くないような気がする」と述べているのである。ここに創価学会における、戒壇建立の時期と条件に関する微妙な変化が看取される」(「正本堂に関する御指南の真意」)と、後に宗門が "微妙な批判" をする。櫻川 忠 )
8月22/23日
 妙信講、夏期登山会。3百数十名が参加、宿坊は久成坊。
8月30日
 宗門、細井精道総監著『日蓮本仏論』刊行。
9月21/22日
 妙信講、六巻抄講義、三重秘伝抄を終了。
10月15日  創価学会、学生部第1回弁論大会。池田大作総務、「3、4年前・立正佼成会の庭野日敬が、国会に招喚されていろいろ調べられたことがある。このとき会長先生は、ニッコリ笑って『こっちへくればちょうどいいな、このときこそ立正安国論叫びたい』と、申しておられました。大事なときに叫ぶことこそ、わたくしは本当の雄弁ではないかと思う」(「会長講演集」第四巻 )と。
10月18日
 妙信講、嵐の中に青年部第1回結集大会開催(板橋産業会館)。226名参加、「誓願目標見事完遂 場内を揺るがす若人の獅子吼」
「この日、台風18号北上の余波を受けた天候は、朝から肌寒く雨が降り続くという悪条件であったが、過去数々の苦難を試練として乗り切ってきた青年部の情熱が全てを上回り、誓願180名結集を大きく破る大成果を上げ、その実力を内外に示して、ここに記念すべき第一歩を飾った」
 浅井昭衛青年部長講演、「背水の陣の勝利 広宣流布に参加する資格を得たり
「おおげさな云い方かもしれませんが、今日の結集大会に私は青年部の今後のすべてをかけていました。もしも今日、この結集が失敗してしまったならば青年部は明日からもうやる資格はない、解散だ ! これは前々から幹部に言っておった事なんですが、ハッタリで言っていたんじゃないのです。… 遂に今日、皆さんの本当の信心でもって見事、意義ある最初の戦いが勝てた。これでもって、広宣流布に進軍する資格ができたんだという事を、皆様の前にはっきりと宣言いたします !(拍手起る)…
 今、各々が御本尊様の鏡に照らして命に感じてかくあるべしと使命を発見できるならば、未だ若輩にして浅学たるわたくしたちであってもひとたび妙信講の船に乗って行くならば、もれなく広宣流布の最後の一戦に参加して、相違なく成仏の境涯に到達するものと私は深く確信するものです。以上」(「顕正新聞」第7号
11月1日
 妙信講、御会式大法要奉修。恒例の妙信講御会式は、1千世帯折伏達成への誓いを持って、11月1日午後2時から吾妻橋妙縁寺に約4百名の講員が参加して盛大に行われた。(「顕正新聞」第7号
11月10日
 妙信講、青年部を対象に御書の「学習会」を開始。(「顕正新聞」第7号
11月16日
 宗門、堀米日淳師 丑寅の刻に細井精道総監に御相承。
11月16日  創価学会、小泉理事長・池田大作総務が日淳師宅に呼ばれる。柿沼広澄庶務部長と早瀬道応教学部長が同席。淳師、「今度常在寺に、あとをまかせることにしたから、よろしく」「戸田先生には、私よりもっと長生きしていただきたかった。あべこべになってしまいました」と。
11月17日
 宗門、堀米日淳師逝去。(「顕正新聞」第8号
11月21日
 宗門、細井日達師 能化となる。柿沼広澄師 総監就任。(「院達」第678号 )
11月23日
 宗門、中島日彰師、上人号免許。
12月2日
 宗門、御座替り式奉修。細井日達総監、第六十六代貫首に登座。
「後に日達上人猊下は、御登座された頃のこととして、側近であり肉親でもあった僧侶に、次のように漏らされた」
「登座直後に池田大作がやってきて、私に、けんか腰で怒鳴り散らした。"俺や学会をなめるとただではおかんぞ"と、さんざん脅していった。私は、法主であるのに、こんな若僧から何で頭ごなしにやられなくてはならぬのかと思うと、口惜しくて涙の出る思いだった」(『あの頃のこと』山崎正友 「慧妙」2002年6月1日号 )
12月23日  創価学会、117万世帯。
12月25日
 宗門、千葉県君津郡 顕徳寺・本乗寺・本顕寺、安房郡 遠本寺、帰一入仏式奉修。
 
  年表  
昭和35年 (1960)         _
1月1日
 宗門、宗内一般に『訓諭』。「日達先きに日淳上人より昭和34年11月6日丑寅の刻に血脈相承をうけ、12月2日 日蓮正宗管長の職につき、総本山六十六世の法燈をつぐ」、「身口意三業を謹んで和衷協力・各自その分を尽くして宗門の願行たる戒壇建立に勇猛精進せられんことを」と。(「日達上人御説法集」)
1月1日
 宗門、細井日達管長。「日蓮正宗の僧俗は、共々一致協力して、真の世界平和は国立戒壇の建設にありと確信して、本年も益々折伏行に徹底邁進せられんことを願う」と。(「大日蓮」1月号 )
1月1日
 宗門、細井日達管長、「大白蓮華」1月号に寄稿。「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命であり、本誌大白蓮華の使命であることを忘れてはならない」と。(「日達上人御説法集」)
(※ 「大白蓮華」誌上では「国立戒壇」であった文語が、「日達上人御説法集」では「本門戒壇」に改竄されている。「日達上人御説法集」の発行所は創価学会傘下の鳳書院、発行日は昭和39年1月である )
1月1日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭「年頭の辞」、「さて昨年は、壱千世帯の誓願のもとに進み、最後11月12月の折伏戦に於て、美事に12月15日を以て誓願を完遂致しました。… 本年は新しき進軍の第一歩であります。日淳上人は、かつて「折伏は鼠算でやるんだね」との御詞を賜つて居りました。本年の折伏に於ては、壱千世帯全部が必ず最底 壱世帯折伏する信念を実行にうつし、以て御法主第六十六世日達上人猊下の御下命の下、講中力のあらんかぎり御奉公申上げる次第で御座います」(「顕正新聞」第9号
1月3日
 妙信講、初登山。
「妙信講初登山会は、好天気にめぐまれた1月3日、326名の参加を持って挙行された。… 東京駅から午前7時34分豊橋行で出発、沼津駅で下車、沼津よりバスで本山に向かった。このコースは、今回が初めての試みである」(「顕正新聞」第10号
1月5日
 妙信講、1月度総幹部会開催。整理班設置、「去る1月5日の総幹部会の席上、新たに整理班の設置の発表が行われ、班長に木内哲三氏、主任に浅井信衛の両名が任命された。新たに誕生した整理班は、講中の主要行事及び登山会等を秩序ある機動性を持って、円滑に進行させる整理の任務を帯びている」
 浅井昭衛本部企画室長、年頭挨拶「退転者の屍を乗りこえて」
「昨年までの足掛三年は、再建妙信講の旗をかかげるに力一杯の姿でした。450世帯から出発した同志が、お互いに励し合い唯一途にやったとはいえ、所詮折伏行進は甘いものでありません。弱き者は落ちました。妙信講精神の心に染らざる者、ごまかしの信心、こういう人達は矢張り退きました。当然の事とはいいながら、厳しい風雪の試練でした。残った人達こそ鉄の意志と節操を備えた、鍛え抜かれた人材だったのです。すべては御仏意の守護と感じないわけに行きません」(「顕正新聞」第10号
1月16日  日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)が、アメリカ合衆国・ワシントンD.C.で締結された。条約には「日米地位協定」が付属している。
2月16日  法性寺顕本法華仏国会、窪田哲城著『日蓮聖人の本懐 日蓮正宗・創価学会批判』を発行。
「去る昭和35年、私は「日蓮聖人の本懐」を発行した。これに対し学会は大白蓮華の122号・126号でとりあげ、さらに最近に至って「日蓮正宗創価学会批判を破す」という単行本を発行した。この本は「身延派・国柱会・仏立宗・顕本法華宗・その他」とある様に、日蓮門下各派の学会批判に答えたものである。そのうち顕本法華宗の処に"狂論「日蓮聖人の本懐」を破折す"と、拙著をとりあげている」(「日蓮聖人の本懐」窪田哲城 1965年8月第三刷 )
「ともあれ、窪田哲城ごとき頭破作七分の輩のたわごとを、まともにとりあげて論破するのも大人気ないがかかる悪書が世に横行するのをだまってみすごす理由もないので、その狂論をとりあげて破折し、もって妄執の根をたち切らんと思うものである」「本述相対さえもわからぬ窪田哲城ごときには、一生かかってもこの質問には答えられまい。釈迦を本仏とするような狂学で、天下の創価学会に太刀打ちしようとしても、労多くして益なきことを知るべきだ」(「日蓮正宗創価学会批判を破す」創価学会教学部編 )
2月23日  浩宮徳仁親王(第126代天皇)、御誕生。
2月25日
 妙信講、3月度から講中挙げて「目覚まし運動」展開。
「2月度の支部長会において、この運動の活動方針が企画室より明らかにされた。それによると
(一)目覚まし運動の精神の徹底を持って活動に入る事
(二)如何なることを強調し指導するか
  (イ) 御本尊様のまつり方及び御給仕は正しく出来ているか
  (ロ)朝夕の勤行が行われているか
  (ハ) 信心即生活を根本として、前記の2点を中心に相手の良き相談相手になって、正しいやり方に力をかしてあげること
  (ニ) 組織の中に溶け込ませる手がかりを作ってあげる
  (ホ) 最後の結論は、正しくご本尊様を受持すれば必ず無量無辺の功徳がいただけること
    そして4月度に行われる御代替りを知らせ、その意義を強調して一人でも多く参加を進める
(三)どのような組織形態で活動するか
  (A) 組単位で、組長を中心に常時活動されている組員並びに青年部員の協力のもとに、二人ないし三人のグループ活動を促す
  (B) 班長は、それを適時適切に応援し、その結果を必ず支部長迄に報告をする
等で、3項目にわたる具体案が示された」(「顕正新聞」第11号
3月5日
 妙信講、3月度総幹部会、「成果に現れた気の緩み」
「3月度の総幹部会は、去る3月5日午後7時より本部に約100名の幹部が出席して開かれた。まず最初に前月度の折伏成果が司会者男子部長より5世帯と発表され、これで昨年よりの累計1千26世帯となったが、この折伏成果は妙信講再建当初における最低の折伏成果をかろうじて一世帯上回るという、近代にない低調な成果であった。したがって幹部会の焦点は、3月度から一斉に展開される目覚まし運動の問題とともに、この折伏成果に現れた幹部自身の信心に強い反省が加えられ、講頭先生より厳しい指導が行われた」(「顕正新聞」第12号
3月8日  厚生省公衆衛生局環境衛生部長、墓地問題(墓地・埋葬等に関する法律 第13条の解釈)につき新通達、"改宗を理由に埋葬拒否はできない"とし、1949年の通達を事実上破棄した。
「各地の寺院で、離檀していった学会員家族の遺骨埋葬をめぐって、はげしい争いが起こっていた。そしてこの争いに対し、昭和35年3月8日、厚生省は通達を出して「依頼者が、他の宗教団体の信者であることのみを理由として、この求めを拒むことは、"正当な理由"によるものとはとうてい認められない」という解釈をしてきた」(『第三文明の宗教創価学会のめざすもの』 高瀬広居 )
3月10日  創価学会、男子青年部。約千名が鼓笛隊を先頭に気勢を上げ、身延山久遠寺に威勢行動。
3月15日
 妙信講、初級講習会開催。
3月28日
 宗門、第一回年分(少年)得度者 22名。
4月1日
 妙信講、4月度総幹部会。「今ぞ剛毅の折伏精神に立て」
「4月度の総幹部会は、2月3月と続いた意外な折伏成果の不信に絞られ、去る1日午後7時より本部で開かれた。… ここで前月度の折伏成果が司会者より、4世帯と発表された。一瞬 場内は沈黙、各幹部ともあまりの低調さに強い自責の念に打たれた。… 最後に講頭先生が登壇され、別項のごとく慈愛あふるる中に厳しい指導が行われた」
 浅井昭衛企画室長、「摂受的安逸は退転の第一歩」と。
「さて今の妙信仰は、壱千世帯を達成して、やれよかったとエンコしてしまい、なんとなくこのやわらかい摂受的な気風が流れているように見られる。"自分の支部は和気アイアイです"等と言って、これでよしとしていったならば大聖人様にきびしく叱られます」(「顕正新聞」第13号
4月2日  創価学会、戸田城聖第二代会長の3回忌法要。(大石寺)
4月4日  創価学会、女子部幹部会(台東体育館)、参加人数 1万名。池田大作総務「七回忌には大客殿が出来上がって、そこで大法要ができる段階になっていると考えられます。『それが終わったならば、すぐに正本堂を作りなさい。いまの御影堂の裏に世界各国の粋を集めて世紀の建築をしなさい』と、このようにも会長先生は御遺言なされております」(「会長講演集」第四巻 )と
4月17日
 宗門、東京法道会を「法道院」と改称。(「大日蓮」第173号 )
4月19日  創価学会、池田大作総務の第三代会長就任を決定。
 池田大作会長「願わくは、早く次の偉大なる会長にバトンを渡すまで、しっかりがんばっていきたい」、
「私にはなんの力もありません。なんの確信もない私でありますけれども、そういう先生方に守られ」、「あくまでも学会員の小使いみたいな立場でいかねば、いけない」、「変わったことはなんにもありませんし、変わることもありません」と。(「会長講演集」第四巻
4月19日  大韓民国、大統領選挙の不正が問題となり国民の批判が公然化、不正選挙を糾弾するデモ隊と警官隊が衝突し死者186人を出す。( 4・19 学生革命 )
4月20~30日
 宗門、第六十六代細井日達師御座替り慶賛奉告大法要。
 細井日達管長「今日は朝からはげしい風雨でございます。このはげしい風雨こそ私が宗門の棟梁として行く前途のあらわれである、ということを堅く信じている次第でございます。… どうぞ皆様の御協力、ますます折伏をはげしくして大聖人様をおよろこばしたてまつりたいと存ずるのでございます」(「顕正新聞」第14号
4月20~22日
 妙信講、総登山、303名が参加。
「日蓮正宗総本山第六十六代細井日達猊下の御代替慶賛奉告大法要は、去る4月20日午後2時からの代替報告大法要を皮切りに、11日間に亘る幕が切って落とされた。妙信講からは、第一陣として講頭先生以下29名が20日、21日の両日に亘って代表登山し、この御儀に参列した。翌22日は、第2陣として佐藤財務部長以下274名がバス5台を連ねて総登山し、日達上人猊下の御登座を謹んでお祝い申し上げた。それと同時に、宗門秘宝の大聖人様の御生骨内拝が特別に許されて、参加者全員がその栄に浴した」(「顕正新聞」第14号
4月28日
 宗門、大客殿建立委員会を宗務院に設置。
5月1日
 妙信講、浅井昭衛本部企画室主任、顕正新聞のコラム「大鉄輪」に記す。
「悪い時は悪いと、良い時は良いと、自らの組織をありのままに見つめる勇気は常に持ちたいもの。戦中の大本営発表の如きは愚の見本。妙信講は、何でもありのまま行くのだ。ハッタリも不要、敗北主義はなおイカン。前途に大いなる確信あればこそ、現実の足元をありのままに見つめ得るのだ」と。(「顕正新聞」第14号
(※ 自身の「自らの組織をありのままに見つめる勇気は常に持ちたい」との言葉を、存命中に浅井昭衛会長の耳に届けたいものである。「大本営発表の如きは愚の見本」「妙信講は、何でもありのまま行く」と述べたこと、もうすっかりお忘れになっているだろう。浅井昭衛会長は、目的(国立戒壇)のために手段を選ばず、やがて目的が「自己保身」「組織防衛」にすり替わってしまった。"ハッタリ" と "大本営発表" と "情報隠蔽" と "危機の予言" と "会員への不誠実" を重ね続け、今年(令和3年)90歳となる会長の余命は幾ばくであろうか。これまで為して来た「ハッタリ」と「大本営発表」等の "数々" について、この「近現代戒壇問題年表」はその検証のための "根拠" を提示して行こう。櫻川 忠)
5月3日  創価学会、第22回本部総会 (日大講堂)。池田大作第三代会長の就任式挙行。
 池田大作会長「創価学会は、全大衆の味方であります。敵は邪宗教です。… 再び門下生一同は、邪宗教撲滅に猛然と襲いかかっていきたいと思うのでございます」「私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人猊下に御奉公申し上げることが学会の根本精神であると信じます」「恩師である戸田城聖先生の、総本山に忠誠を尽くされたその心を心として今、私は全学会員を代表して日達上人猊下により以上の御忠誠を誓うものでございます」と。
 細井日達管長「宗祖大聖人様の仏法は、順逆二縁ともに成仏せしむるところの大慈悲の仏法であります。大聖人様の正法をつぐわれわれ日蓮正宗は、一度縁につながったら、その人がたとえあとでそむいても、慈悲の上から、それを救ってやろうとするのが、正宗の心でございます。しかも、それをいっそうひろげて、乃至法界平等利益におよび、そして、無縁の大慈悲におよぶというのが、本当の仏教であります」と。
戸田城聖先生 巻頭言集」発刊さる。
5月6日  創価学会、池田大作会長「いま創価学会の私どもは、日夜、朝な夕な、不幸の人々を救おうと折伏に励み、また教学に、座談会に、支部結成に、総本山を、日達猊下をお守り申し上げているその精神、その姿、その方程式こそ、有徳王の精神であり、姿であると私は信ずるのであります」(『聖教新聞』5月6日号 )」
5月8日  創価学会、池田大作会長、関西総支部幹部会で「関西の邪宗教の牙城」である「天理教を総攻撃せよ」と号令。
5月10日  創価学会、池田大作会長、男子部幹部会(東京体育館)で「立正佼成会を撲滅せよ」と号令。
5月29日
 妙信講、第6回総会開催。(山口ホール)
「妙信講第6回総会は、さる5月29日午後2時 から台東区御徒町山口ホールで盛大に開かれた。この日、集まつた妙信講員は719名、… 今回の総会は、再建3年目、そして本年から 妙信講本来の広宣流布の使命に向つて、五カ年計画三千世帯折伏達成の進軍に踏出した講想実現の第一年目として、五カ月間の斗争中に迎えた総会であり会場も始めて外に移す等、新しい息吹が随所に展開 … 」
 浅井昭衛青年部長、「仏語に妄語なし 今ぞ戒壇建立の時 使命を自覚して猛進」と題して講演。(「顕正新聞」第15号
5月  創価学会、140万世帯。
6月1日  創価学会、「大白蓮華」109号。池田大作会長、「化儀の広宣流布とは、国立戒壇建立のことである。(略) 一閻浮提の一切衆生の信行の中心道場であり、依所依託となるべき国立戒壇建立が、大聖人様御入滅後の弟子に残されたのである」と。
「戒壇の研究」と題する記事では、「今日の戦の仕上げは、戒の流布、すなわち、国立戒壇の実現であると決定された。ここに初めて、あと20年後には、大聖人の仏法も完成をみんとするわけである」、「創価学会は、今や、第三代会長池田先生のもとに、あと19年、ひたすら国立戒壇の建立に前進をつづけている」と。
「いうところの国立戒壇とは、「三大秘法抄」「一期弘法抄」における「御遺命の戒壇」であることが明白である。とすれば、国立戒壇を二十年後に建立するということは、取りも直さず、二十年後に御遺命の戒壇を建立するということに他ならない。(中略)しかし、「自ら」や「自らの団体」が、戒壇の建立主であることに固執することは、我執と言うべきではないだろうか」(『正本堂に関する御指南の真意』日蓮正宗時局協議会 )
6月10日  創価学会、中部総支部幹部会。
 池田大作会長「創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから、政治団体ではありません」と、学会政治部の衆議院進出を否定。
6月15日   安保闘争激化、東京大学の女子学生、樺美智子が死亡した。共産主義者同盟(ブント)の活動家として、安保闘争に参加。
6月28日  創価学会、大宮支部幹部会。池田大作会長、『破和合僧』をテーマに講演。「御僧侶であっても、創価学会をバカにし、創価学会の団結を破壊した場合には、地獄に落ちるのです」と。
6月29日  大韓民国、李承晩大統領、ハワイに亡命。建国以来、12年間続いた独裁体制が崩壊。
7月1日
 妙信講、「顕正新聞」第16号発刊。この号には「日本人の宗教観は間違っている」「仏法とは何か」「世界唯一の正法 日蓮正宗の歴史」が掲載されている。(「顕正新聞」第16号
(※ これらの論文に署名はないが、浅井昭衛 本部企画室主任の手になるもの。後に「冨士」4号、「冨士」63号に結実し、さらに「折伏理論解説書」、「基礎教学書」に引き継がれて行く )
7月 日  創価学会、150万世帯。
7月15日
 妙信講、御書「学習会」に青年部だけでなく、全妙信講員の参加が可能となる。
「教学の研鑽として毎月15日、30日の2回にわたって開かれている青年部の学習会は、回を重ねるにしたがって益々盛況で、一般講員の参加要望の声も強く聞かれるので、7月から一般講員の参加も自由ということになった」
7月15日  創価学会、本部に海外係を設置。( 海外の信徒世帯数:北米 232、南米 108、東南アジア 96、欧州 6 )
7月19日  池田勇人内閣発足、池田勇人、第58代内閣総理大臣に任命さる。
8月7日
 宗門、総本山大講堂で全国法華講講頭と創価学会幹部との懇談会開催。
「去る8月7日に総本山富士大石寺で、御法主上人猊下の召集により学会幹部と全国法華講々頭との懇親会が行われた。当日の参加は、本山御僧侶、学会幹部、全国法華講々頭を合わせて120名であった。妙信講からは淺井講頭先生、高山副講頭が出席された。この席上、最初に立たれた御法主上人より「大聖人の平等の弟子としてお互いに堅く提携して、本山を厳護し広布の日まで強く精進していただきたい」とのお言葉を賜り、一度を堅く広布への団結を誓った」(「顕正新聞」第17号
8月21日
 宗門、忠正寺(富士宮市)、日蓮宗より帰一。
8月27日
 妙信講、夏期登山会で初の教学試験実施。
「妙信講恒例の夏期登山会は、絶好の快晴に恵まれた8月27・28日の両日、日蓮正宗総本山富士大石寺に450名の参加をもって盛大に行われた。… 向こう4年間の斗争指針も "猊下をお迎えして文京公会堂に3千名結集" が力強く打ち出され…」
「第2日目は、午前8時からの教学試験で始まった。青年部員と一般の幹部級が約150名参加」
「登山会の講演会の席上、淺井本部企画室長より突如として、今後4年間の大目標が次のごとく発表された。『3千人の大結集は今までも夢のごとく言われてきたが、その実現をはっきりと昭和39年とする。しかも、もったいなくも法主上人猊下には講頭先生の熱願に応えられて御来臨の御内意を賜った。妙信講一門の名誉、これに過ぎるものはない。再建以来の苦闘を思えば、胸が一杯です… ついに猊下がお出ましくださる この戦いに勝てば、もう何時死んでもよい、勇気百倍、歓喜雀躍です』」(「顕正新聞」第17号
9月5日
 宗門、富士年表作成委員会設置。柿沼広澄師、委員長に就任。
9月10日  カラーテレビの本放送開始、世界で3番目にカラーテレビの本放送が開始された。
9月23日  創価学会、青年部第3回全国体育大会 "若人の祭典" を開催。細井日達管長、来賓として臨席。
10月2日  創価学会、池田大作会長、北條浩副理事長、秋谷栄之助青年部長、石田次男理事、柏原ヤス理事、小平芳平理事の6名、ハワイ・南北アメリカ9都市指導に出発。初の海外指導、世界広布への第一歩となる。( 訪問国:アメリカ、カナダ、ブラジル )
 英文による創価学会紹介書「ザ・ソーカガッカイ」発刊。
10月12日  浅沼稲次郎・日本社会党委員長、日比谷公会堂で "3党首立会演説会" の演説中に、反共主義者の山口二矢に暗殺された。
10月16日
 妙信講、青年部第2回結集大会開催。(板橋医師会館)目標の320名をはるかに上回る、380名の結集となった。
 浅井昭衛青年部長、「猊下御来臨の総会目指し 怒涛の進軍開始せよ」と題し講演。
「世間の人は宗教と言うと、何か迷信だと思う。確かに日蓮正宗以外は、邪教であり迷信です。なぜならば、科学的なる裏付けがないからです。宗教も冷静に道理に立って科学的に見るならば、正しいか誤っているか一目瞭然に分かるのです。科学科学と言うけれど、科学とは何か、原因と結果を追求して、その法則性を生活に活用することです。例えば医学というものは、人の健康を対象として、原因と結果を追求するのです。… 但し社会がどうやれば栄えるか、不幸の運命に泣く人がいかにしたら自分の宿命を転換するか、… 生きる苦しみ、死ぬ苦しみ、こういう事を奥深く探求したものは、日蓮大聖人の仏法以外にありえないのです。単なる理論であっては、私たちの役に立ちません」
「大聖人様は、自分亡き後は、この御本尊様を護持する法主上人を自分と思へ、と仰せになっているのです。その御法主上人が、昭和39年の妙信講総会にわざわざお出かけくださるのです。これを聞いて奮起せぬものは青年ではない。(拍手)」(「顕正新聞」第20号
10月23日  創価学会、アメリカに総支部結成。総支部長に北條浩、総支部婦人部長に柏原ヤスが就任。
 ブラジルとロサンゼルスに支部結成。
10月31日  創価学会、本部に海外部を設置。
11月13日
 宗門、一月寺(松戸市)改宗入仏式奉修。
11月27日
 宗門、「日淳上人全集」刊行。
11月27日  創価学会、学生部機関誌 『第三文明』を創刊。
11月30日
 宗門、総本山御会式。妙信講では班長以上の幹部が代表登山。
12月11日
 妙信講、講中御会式。妙縁寺本堂改修遅延のため、常在寺で実施。
「去る12月11日午後7時より、池袋常在寺において妙信講御会式が厳修された。定刻きっかり松本諦雄師の導師のもと、御住職佐藤舜道尊師のご臨席を仰いで式は始まった。勤行の直後、異例ではあるが講頭先生が立たれて御宝前に進み、大御本尊様へ本年の折伏闘争完遂の奉告文を読み上げられた」
奉告文)「… この時に当り我ら妙信講一同また広宣流布に一分のご奉公を誓い、日淳上人より再建妙信講の大旗を賜りてより今日まで、同志糾合し但一途、微力ではありますが勇猛に折伏闘争に挺身して参りました。ここに三年、大前進の基礎漸く固まり、本年より5カ年を以て三千の流布を計るに至りました。…
 上に、日達聖人を大師匠と仰ぎ、賜った法華講支部妙信講の大旗を汚すことなく前進するならば、必ずや我ら信心の大願も成就するの確信に立つものでございます。願わくは我らの信心、もし仏意に違うなくばこの進軍を御照覧給い御守護賜らんことを、本日ここに本年の誓願完遂を報告し奉るとともに、今後の精進を誓い御報恩の一端に供えんとするものであります。昭和35年12月11日 日蓮正宗法華講支部 妙信講々頭 浅井甚兵衛」(「顕正新聞」第22号
12月13日
 宗門、蓮光坊・心教坊・法善寺・忠正寺(富士宮市)、帰一入仏式奉修。
12月21日  創価学会、172万世帯。
 
  年表  
1月1日
 宗門、細井日達管長、「年頭のことば」を「大白蓮華」1月号に寄稿。
「つまり、創価学会員は日蓮大聖人様のお使いであり、大聖人様の所遣として、大聖人様の事を行じているのであります。さすれば、創価学会員は日蓮大聖人の子であり、一分である、と考えられるのであります。すなわち、創価学会員こそ即身成仏の人々であると申すのであります」
1月1日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭、「新春の祝い」
「われら妙信講は上に血脈付法の大導師、六十六世日達上人を大師匠と仰ぎ勇躍本年も驀進する。… 再建五年目、基礎ようやく固まらんとしている。本年は昨年に倍する信心の情熱をもつて、いよいよ将来の構想実現のくさびを打ち込む建設の年であります」(「顕正新聞」第22号
1月3日
 妙信講、初登山会。(総本山)
「快晴に恵まれた1月3日、年頭恒例の初登山会が、360名の参加をもって盛大に挙行された。当日、午前6時出発。池袋駅東口前からバス8台を連ねて、一路総本山大石寺へと向かった。… 午後1時30分、御出仕された総本山六十六代日達上人猊下の大導師のもとに、厳粛な御開扉が始まり方便品、寿量品の読経、唱題が行われた。… 午後3時、高鳴る折伏の斗志を秘めて大石寺に別れを告げ、勇躍下山の途についた」(「顕正新聞」第23号
1月5日
 妙信講、総幹部会、新春祝賀会開催。
「本年前進のトップをきって、定例の総幹部会が、去る1月5日夜、音羽会館に組長以上の幹部130名が集って開かれた。… 午後6時、本部より御本尊を迎え、講頭先生の導師のもとに全幹部が打揃った初の本部勤行が行われた。… 最後に感動につつまれた面持ちで立たれた講頭先生は別項のような気合のこもった講演をなされ、万雷の拍手に包まれた。終わって後、直ちに新春祝賀会に移り、和やかな1時間を過ごし最後に万歳三唱をもって本年の完勝を誓い定刻9時に閉会となった」(「顕正新聞」第23号
1月8日
 妙信講、1月度男子部会開催。「勝ちとるぞ建設の年 先陣をきって百名結集」
1月23日  創価学会、池田大作会長、渡印歓送会で「私どもは、全部猊下の家来でございます。このたび家来を代表させていただき、また、日蓮正宗の信徒を代表させていただきまして、日達上人を外護申し上げ、東南アジアの旅行に行ってまいります」と。(『「僧俗平等論」の誤りを破す』)
「今回の山本伸一のアジア訪問の目的は、日蓮大聖人の御予言である、"仏法西還"の第一歩を印し、東洋の幸福と恒久平和への道を開くことにあった。… もしも、創価学会がなければ、この仏法西還の御本仏の御予言も、虚妄となってしまったにちがいない。その先駆けの歩みを、伸一は会長に就任して迎えた新しき年の初めに、踏み出そうとしていた」(『新・人間革命』第3巻 )
(※ "月氏国ヘ正法が流布していく歴史的先鞭をつけたのはオレだ"、と自賛 )
1月 日
 宗門、細井日達管長、「今回、創価学会会長池田大作先生の道案内によりまして、東南アジア方面へまいることになりました。まことに身に余る光栄と存じておるのでございます」
「この大聖人様の仏法を、不肖私が創価学会の案内で、今あの釈尊の悟りを開いたブッダガヤの地へまいりまして、大聖人様の『三大秘法抄』をもってそこに埋蔵し、再び化儀の広宣流布と、この印度に到達する時を希って、今回行って来たいと思うのでございます」と挨拶。
 1月28日~  2月14日
 宗門、細井日達管長、池田大作会長の案内で渡印。ブッダガヤに『三大秘法抄』一巻、『法華経』要本一巻、願文一通等を埋納する。
「御法主上人猊下には随行早瀬理事並びに学会池田会長他5名の一行を従えさせられて東洋広布を御身以て示され給うため来たる1月28日羽田空港発午前10時の飛行機にて印度へ御下向遊ばされることとなりました。御帰国は2月14日の御予定であります。唯授一人の御法主の尊き御身としてかかる有難き陣頭指揮の御事は前代未曾有でましまして宗門旭日昇天の発展に伴い巨大なる足跡を留め給うことを拝するものであります。… 尚、御渡印中総本山の法務は柿沼総監御代理をせられます。(大日蓮より)」(「顕正新聞」第23号
2月1日
 妙信講、2月度総幹部会開催。
「2月1日午後7時から本部で行われた2月度総幹部会では、最近の急テンポの前進から「年間組で5世帯の折伏完遂」「教学はまず患部から」「座談会の心構え」の3点が取り上げられ、斗争の先陣を切る幹部の信心充実が急務であると指導があり、集まった130名の一同に深い自覚を促した」(「顕正新聞」第25号
2月6日
 妙信講、班長会開催。参加者、50名。浅井昭衛企画室長、「班長の任務」について。
「まず講中の組織構成を知る事が強調され、組長は5世帯に一人、班長はこの組が5つ集まって出来る25世帯に一人、支部はこの班が5つ集まって出来る100世帯以上であると原則論が示され、ついで具体的な班長活動に触れて次の5点が取り上げられ指導があった。
 一、班長は組長を通じ、また自ら足を運び担当班員がどんな信心をしているか、功徳の生活をしているかを常に見守って知っている事。
 二、広布の斗争に役立つ人材の発掘を心構ける。
 三、座談会は折伏と信心指導の場。組座談会、末端の折伏中心者は斑状である。したがって中心者の気構えを身につける。また座談会は形式にとらわれず、御本尊の功徳を語る場、折伏の場を作ることが肝要である。
 四、組織の動脈硬化をなくす。支部長、班長、組長の連絡の密度を深める。末端の出来事がその日のうちに本部に報告され、指示を受ける受けられるような態勢にする。
 五、班長は、実践教学を身につけ、豊富な斗争体験を持つ事。それによって滲み出てくる厳しさと、暖かさを身に付ける事」(「顕正新聞」第25号
2月28日
 宗門、日達猊下帰国歓談会開催
「意義深い渡印を終えられて無事帰国された日達猊下御一行を祝して、去る2月28日午後1時から総本山大講堂で「帰国歓談会」が行われた。当日、猊下の御招待で全国から御僧侶・学会幹部・法華講々頭が歓喜に満ちて参加。我が妙信講からは浅井講頭先生が出席された」(「顕正新聞」第26号
3月12日
 妙信講、教学部 第1回登用試験実施、116名参加。
「注目の妙信講教学部第1回登用試験は、去る3月12日文京区の社会福祉会館において午後6時から8時までの2時間にわたって行われた。昨年8月夏季登山会で行われた模擬試験以来2度目にあたる教学試験ではあるが、今回は正式な教学部の登用試験であり受験者の態度は極めて真剣であった。また受験率は申し込みの70%で、116名が参加した。… 試験の答案は直ちに本部企画室に集められ、浅井企画室長によって採点されている」(「顕正新聞」第27号
3月25日
 妙信講、本部会議開催。第1回登用試験、合格者発表。教学部員は17名、基準点数に近い教学部員補は22名となった。(「顕正新聞」第28号
4月15日
 妙信講、教学部結成式開催、「将来の大教学部へ 終始厳格の気満つ」
「妙信講教学部の結成式は、去る4月15日午後7時より本部で行われた。… 最後の指導に登壇された講頭事先生は、教学部員となった以上、おざなりな勉強を止めての血のにじむような研鑽にはげめと厳しい精進を要請され、全身を耳にしてきく一同の肺腑をえぐり、感動も頂点に達した」(「顕正新聞」第30号
4月16日
 妙信講、婦人部第1回大会開催。(文京・社会福祉会館)
「結成以来初めての大会とあって、喜びと感激のうちに迎えた第1回婦人部会は、去る4月16日午後2時から文京区社会福祉会館で盛大に開かれた。… 私鉄の春闘ストで、一部に出足をそがれたところもあったが、堂々220名を結集。妙信講前進の陰にある婦人部のたくましい姿を示し、列席された講頭先生をはじめ本部役員並びに全支部長の目を見張らせた」(「顕正新聞」第30号
5月1日
 妙信講、5月度総幹部会開催。
「冒頭の4月度成果の発表は別項の通り19世帯で、累計総数は1,283世帯となり、1,300の線にあと一息と迫った。… この後登壇した浅井企画室長は、戦い前に流れる全幹部の安易な勝利感を強く誡めて、順風満帆に心許すなと別項のごとく厳しい指導があった」
「みんなで歌おう "時来たる"
 妙信講では、いま「時きたる」という歌が各会合で合唱されています。この歌は昨年8月の夏期登山会で発表されたもので、広布の使命にひたすら邁進する妙信講の姿をあますところなくとらえて力量感があふれています。近ずく第17回総会には全員で合唱することになっております…。
 一、我は、日本の柱なり 見よ本仏の大確信 法水瀉瓶、七百年 いざ黎明の光さす
 二、今や広布の時来たる 夕べに死すとも悔いなきと 鋼を溶かす情熱は 妙信講の誇りなり
 三、獅子は、百獣恐れずと 獅子の子もまた是くのごと 大聖の弟子自覚あり これ折伏の大精神
 四、血涙にじむ再建の 試練の波をけちらして 今堂々と立ち上がる 妙信講のゆく手見よ」(「顕正新聞」第31号
5月3日
 宗門、大石寺版「真訓両読妙法蓮華経並開結」刊行。
5月3日  創価学会、文化部を文化局に昇格。文化局の下部組織として、政治部・経済部・言論部・教育部・学芸部(後に学術部・ドクター部・芸術部)の各部を設置。
 『折伏教典』第3版発行、国立戒壇への言及が多数。
「三大秘法とは、本門の題目・本尊・戒壇の三法である。しかして大聖人化導の順序を拝するのに、まず題目を流布せられ次に本尊の御建立があり、ついで国立戒壇の建立を予言あそばされている」(p120)
「戒壇とは、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申しあげる国立の戒壇、事の戒壇である。それまでは大御本尊のいらっしゃるところが義の戒壇である」(p163)
「本門寺とは国立戒壇建立のとき、富士大石寺に名づける寺号であるべきなのに北山本門寺は富士大石寺より離れてから勝手に本門寺と名のり … そのことのみが広宣流布、国立戒壇建立の真近い現在、宗開両祖にまみえる唯一の道であろう」(p189)
「田中智学の唱えた富士戒壇説とか曼陀羅本尊中心説とか本尊雑乱撤廃説など、従来の身延派の教義を修正した新説は、すべて日蓮正宗の教義から盗み取ったもので、それだけ悪質の邪宗というべきである」(p204)
「御本尊が大聖人の御真筆であっても、大聖人に直結しなければ何の功徳もないのである。富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」(p321)
「また世間の無智の批判の中には、日蓮正宗における学会の存在を、あたかも邪宗身延と立正佼成会との関係のように考え、学会は日蓮正宗の本山を喰い物にして、やがては一派独立の野望に燃えている新興宗教だというような、およそ誤認識も甚だしい考え方をするものもいる」(p363)
「日淳上人様にも、「戸田は決して一宗一派を開く者ではございません。ただ生命の続く限り御本山へ忠誠一途につくすのみであります」と言上しておられた通りの御振舞であられた。… すなわち日蓮正宗の良き檀那、大信者として、偉大な御一生を貫かれたのであり、「お前たちもこのようにせよ」と示されたのである」
「本門の戒壇に義の戒壇と、事の戒壇がある。義の戒壇とは御本尊の在します場所を指す。事の戒壇とは国立の戒壇である。国中の信仰の中心となる場所である」(p371)
5月4日  創価学会、聖教新聞社の新社屋(現在の別館)が落成、移転。
5月11日  創価学会、広報局を設置。
5月19日  創価学会、言論部を設置。
5月24日  創価学会、聖教新聞に「言論部の設立目的」を掲載。
「言論部員は、内外の問題を広く勉強し、論じ、正義を主張する力をもって、世論の源泉に立つ」
5月15日
 妙信講、教学部。「三重秘伝抄」講義始まる。
5月28日
 宗門、「日蓮正宗の歌」発表。
5月28日
 妙信講、第7回総会開催。(九段・千代田公会堂)「躍進誓う一千余の同志 熱と意気、三年後を目指す」
「妙信講五カ年計画の第2年目にあたるこの総会は、3年後の模擬総会と言われ宗内外より多大な注目を浴びていたが、それに応えての堂々たる勝利であり、建設の年の前半を着実に締めくくると共に、後半の躍進へ力強い第一歩を踏み出した」
 浅井昭衛本部企画室長、「使命あればこそ妙信講は試練に耐える。信心が仏意に叶えば必ず広布のお役に立つ」と。(「顕正新聞」第32号
6月1日  創価学会、「大白蓮華」6月号。池田大作会長、創価学会政治部の衆議院進出を否定。
「しょせん、王仏冥合の実践の関所ともいべき選挙戦は、日蓮大聖人の至上命令である。だれが、なんと批判しようが、末法の救世主日蓮大聖人の大精神をば、われわれ地涌の菩薩は、断固、選挙を通して貫き通そうではないか。しこうして、われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒を進めるものではない。参議院並びに、地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人材を送るものである」
「王仏冥合への一手段に過ぎない選挙が、こうして「日蓮大聖人の至上命令」へと擦りかえられて行くこととなる。選挙が大事になれば、国立戒壇が邪魔になるのは当然である」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠 )
6月10日  大白法書林、由比宏道著『毒鼓の縁』出版。日蓮正宗の日蓮本仏論を、慧心流の天台自受用身の亜流と批判。
6月11日
 妙信講、男子青年部に「参謀室」設置。
「躍進を目指す妙信講男子青年部に、今回、新らしく参謀制がしかれることになり、6月度男子部会終了後に開かれた男子部班長会の席上、浅井青年部長から発表された。男子部はこの参謀の誕生によって、今後強力な策戦が展開され飛躍的な発展が推進されるもようである。初の男子部参謀には主任参謀に、男子部第七班長 木内哲三氏、参謀には男子部第一班長の浅井信衛氏の二名が、現役兼任のまま就任する」(「顕正新聞」第33号
6月25日
 妙信講、千3百世帯。
6月26日
 宗門、松本日仁師、監正会長に就任。
6月27日  創価学会、2百万世帯。
 全国6方面に「総合ブロック」制設置。
7月16日
 妙信講、7月度男子部会。「不覚かな男女青年部 中間結集に誓願下回る 雪辱期して厳しい反省」
「10月の結集大会を3ヶ月後に控える男女青年部では、7月度定例部会をそれぞれ決起大会に切り替えて中間結集を行ったが、意外に振るわず、男女とも目標を大幅に下回る結果に終わった。 青年部発足以来かってなかったこの敗北に、男女青年部では、いずれも強い責任を感じ、直ちに反省会を行ったが、その原因の大半は、順風満帆に心を許した全幹部の信心にあったことが如実に認められ、8月を期して面目一新の激烈な斗争を展開、雪辱を期することになった」(「顕正新聞」第36号
7月21日  創価学会、大客殿御供養金受付。142万世帯から、32億7千万円を集める。
7月28日  創価学会、「顧問」制度創設。平沢益吉、戸田喬久(戸田会長子息)、塚本素山が就任。
 平沢益吉「学会池田先生のご指導のもと、皆様と手をたずさえて、世界広布の大道にまい進する覚悟 … 」
8月3日
 妙信講、教学誌「冨士」創刊号発刊。編集者 浅井信衛、発行者 木内純一郎。
 浅井甚兵衛講頭「発刊の辞」、「此の濁悪の時に臨み誰が宗祖の遺訓を体し、国土の災難の根源たる謗法を退治し、平和文化国家を建設するか、是は日蓮正宗を信ずる者以外に誰があろう。我々は宗祖の末弟たるを自覚し、信心と教学と折伏に徹し広宣流布にはげまなければならない。… 今回、富士発刊に当り松本日仁尊能師を始め先輩山峰淳先生の御後援、御寄稿を下されし事を講中同志と共に御礼申上る次第であります」
 冨士、本部企画室長・青年部長 浅井昭衛「仏法とは何か(一)」掲載。(「冨士」創刊号 )
(※ 題号の「冨士」は、佐藤日成尊能師より頂戴したものである )
8月10日
 宗門、松本諦雄師(日仁)、渡辺慈海師(日容)・佐藤舜道師(日成)・能勢安道師(日住)、能化となる。
「妙信講の指導教師松本諦雄師(妙縁寺御住職)は、この度宗門で能化に昇進なされ、去る8月10日総本山大石寺で行われた能化補任式にのぞまれて、日達上人猊下より晴れの補任状をいただいた」(「顕正新聞」第37号
(※ 富士学林発行の「富士年表」には、松本諦雄師が削除されている。「院達」に掲載されていても、"歴史" から妙信講と妙信講に係わる存在を抹殺する強い意思が、年表編集に働いている。松本日仁師の擯斥も、年表に記載はない。平然と"歴史改竄"を行う宗門である。櫻川 忠 )
8月 日  創価学会、池田大作会長。常在寺檀徒 平沢益吉宅を訪問、創価学会顧問への就任を要請。
「平沢益吉は日達上人の叔父である。その後法華講は、全国連合登山会など、はじめての統一行動を開始。昭和37年には全国法華講連合会が結成され、平沢が会長に就任した。池田は平沢を創価学会顧問に迎えて厚遇した。さらに、東京・墨田区に鉄筋コンクリート3階建の"富士会館"を建てて寄贈している。現在の法華講連合会本部である。こうして現代の法華講は、池田創価学会の傘下にとりこまれた。当時の創価学会員からは、良くて"弟分"、一般的には"居眠り集団"とみなされていた。
 その"居眠り集団"である法華講のなかで、池田にとって目障りな講中がひとつあった。規模こそ小さいが、黙々と折伏弘通にはげむ「妙信講」という講中である」(『冨士大石寺顕正会』下山正恕 )
8月13日  創価学会、サンフランシスコ支部結成。
8月13日  ベルリンの壁、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が東西ベルリンの境界を封鎖、後に境界線上に壁を建設した。往来が自由であった境界線を経由し、東側から西側への人口流出が続いていた。東ドイツは8月13日、突如東西ベルリン間の通行を遮断、西ベルリンの周囲を有刺鉄線で隔離、のちにコンクリートの壁を作った。
8月15日  創価学会、シカゴ支部結成。
8月21日  創価学会、ワシントン支部結成。
8月24日  創価学会、『会長講演集』第一巻刊行。
8月26/27日
 妙信講、夏期登山会。「折伏の意気燃える感激の嵐 堂々530名の総登山」
「待ちに待った妙信講夏期登山会は、快晴に恵まれた去る8月26日27日の両日、日蓮正宗総本山大石寺に529名が参加して盛大に行われた。特に今回の登山会では、「大客殿建立に内陣の御供養」が発表され、また大客殿・大講堂を使って講演会、御書講義、指導会が開かれ、今までにない前進のいぶきにみちたが、このいずれも御法主猊下の御慈悲で行われたもので、参加者一同、御法主猊下の深いご慈愛をひしと感じ、燃えるような広布への情熱をたぎらせて、五カ年計画への果敢な意気を示した」
 浅井昭衛企画室長「世紀の大客殿建立に参加 御供養は真心が大事」として講演。
「この客殿の前に小さなカビの生えた門があります。丁度、旧御宝蔵の真正面です。なんの門かと言うと不開(あかず)の門と言うのです。七百年間一度も開いたことがない故に、カンヌキはサビております。ただ天皇陛下のおつかいが国立戒壇建立の時に参詣するとき、その客を迎える殿堂が大客殿でございます。…
 やがてもうその御本尊様がお出ましになる時がまいりました。もう何十年かでもつて必ずまいります。私達の生きているうちに実現しそうな時代になってまいりました。すでに大講堂が完成しましたし、こんど大客殿が完成されるならばあと私どもが御奉公する仕事は、我々の自発的な仏道修行としてご供養させていただく殿堂というものは、御座いません。あとは何かと言うと国立戒壇だけです。国立戒壇は国家の力でもつてなされるのでしょう。そうなってくると此度の大客殿建立の御供養をのがして、我々の一生涯において自発的なる信心の功徳はもうやる機会はないのだ。こうひとつ思っていただきたい。千載一遇の機会である!」
「男子部相撲大会」、「夏季登山会の呼物、男子青年部の相撲大会は第1日目の午後3時から学林前の仮設土俵で行われた。講頭先生、浅井企画室長、佐藤財務部長を迎えて、血気盛んな一同俄然張り切り、日頃の情熱を思いきりぶつけあっていた。… 個人勝ち抜き戦では、40数名が参加。講頭先生より寄贈された "法華経"(真訓両読 妙法蓮華経並開結)を目指して、熱戦を展開した」(「顕正新聞」第38号
9月1日
 宗門、阿部信雄師 教学部長に就任、佐藤日成師 富士学林長に就任。。
9月1日
 妙信講、9月度総幹部会開催、浅井昭衛企画室長「今年が構想実現の大事な要」と。
「妙信講の底力というものは、今までやろうと思ったことで、できなかった事は一度もありませんでした。… よしやるんだと奮起して立上がった時、必ずやりとげています。… 妙信講は、32年から7年かかって三千を達成致しま す。7年かかって作るこの土台! この三千が誠に貴重なる種となりまして、その後の前進というものはまさに期して待つべきであります。妙信講には使命がございます。使命があるのです。使命があるのに、力がなければ果せないのです」
 教学誌「富士」第1号を発刊。「広布の言論分野に第一弾」
「大好評を呼んだこの「富士」は、妙信講教学部が広宣流布の言論分野に初めて放った第一弾であり、再建妙信講の満々たる気迫と広宣流布へのたぎりたつ情熱が紙面を通してうかがわれる」(「顕正新聞」第39号
9月12日  創価学会、「会長講演集 第二巻」発刊。
9月23日
 妙信講、教学部。教学部員昇格試験実施。
「教学部員昇格試験は、注目の中にさる9月23日午後7時から文京の音羽会館で行われた。今回の試験は、教学部員補22名の人達に限られて行われたもので、これに合格すると同時に教学部員に昇格するという、受験者にとってはまたとない機会であった」(「顕正新聞」第40号
9月30日
 宗門、法華講。第1回全国連合会登山会。
10月2日  創価学会、男子部幹部会開催。
 池田大作会長「私もあくまでも、学会っ子にぜんぶ譲ります。また、青年部出身者が代々の会長を継いでいくということを、重ねてこの席上を借りて申し述べておくしだいであります」
10月7日  創価学会、池田大作会長。「宗教界にあって(略)世襲制度ということは、もっとも誤った、いやしい姿」、「代々の財産をそのままうまく受け継いで、金儲けしようという、その縮図でもあるし、その一端だけをみても(略)“邪教”であると断言できる」、「日蓮正宗、創価学会は、永久に世襲制度ではありません」と。
10月8日
 妙信講、女子部第1回大会開催。(文京・社会福祉会館)
「はじめての単独結集で浅井講頭先生を迎えた女子部第1回大会は、幹部一同の強力の団結に220名を結集、喜びと感激の中に去る10月8日午後6時、文京の社会福祉会館で開かれた」(「顕正新聞」第41号
10月12日  創価学会、「戸田城聖先生講演集 下」発刊。
10月14日  創価学会、池田大作会長、初の欧州指導で9ヵ国を歴訪。西ドイツ、フランス、イギリス、スイス、イタリアの5ヵ国に連絡責任者が設置される。
10月15日
 妙信講、男子部第1回大会開催。(文京・社会福祉会館)
「3年後に1千名の精鋭部員結集を目指す男子部は、その出陣式とも言える第1回大会をさる10月15日午後7時から、文京の社会福祉会館に290名の部員を結集して堂々と開会した」(「顕正新聞」第41号
10月29日
 宗門、総本山大石寺大総合計画委員会を設置。
10月31日
 宗門、奥法道師編「日蓮正宗化儀資料集」刊行。
11月5日  創価学会、第10回男子部総会開催。東京・国立競技場に、国士10万を結集。
 池田大作会長「願わくは、おのおのの境遇にあって、大御本尊様をしっかりだきじめ、大勝利者になっていただきたいことを、まず念願し、ともに広宣流布のため、日蓮正宗のため、全民衆の幸福のために、私は、ただただ、諸君の成長と健闘だけを祈っていることを、ここに声を大にして叫ぶものであります」 「会長講演集 第三巻」発刊。
11月7日
 宗門、妙縁寺新改築完成。「日達猊下迎え盛大に落慶式」
「さる11月7日午後1時、墨田区吾妻橋の妙縁寺では、総本山から日達上人猊下の御来臨を仰ぎ、本堂、庫裏の増築並びに納骨堂新築の落慶法要を恒例のお会式とあわせて盛大に営んだ。当日、東京第2布教区の御僧侶、学会幹部、法華講幹部を始め有縁の地元信徒多数が参列、妙信講からは講頭浅井先生、高山副講頭、鳥居参議、佐藤財務部長の四人が代表して列席。心からお祝い申し上げると同時に、今後の折伏に一層の精進を誓われた。また席上日達上人猊下の御親教があり、「聖人御難事」の御説法が別項のごとく行われ、参加者一同深い感激にひたった」(「顕正新聞」第43号
11月12日
 妙信講、女子部会開催。
11月18~24日
 宗門、宗祖大聖人六百八十遠忌大法会。
「総本山御会式『宗祖大聖人第六百八十遠忌大法会』はさる11月18日から24日にかけての一週間に亘り、初会、中会、終会、付会に分かれて、総本山富士大石寺で古式ゆかしく厳修された。儀式は第六十六代日達上人猊下が御親修あそばされ、全国末寺から出仕された御僧侶を始め、学会代表信徒、法華講代表信徒が多数参列、盛大を極めた。妙信講では中会にあたる11月20日21日の両日、講頭浅井先生はじめ120名の代表信徒が参列され、日蓮大聖人様の現有滅不滅、常住此説法のすがたを慶祝申し上げた」(「顕正新聞」第43号
11月19日
 妙信講、男子部会開催。
11月20日
 宗門、富士学林研究科編「日興上人身延離山史」刊行。
11月25日
 妙信講、12月度総幹部会開催。
「12月総幹部会は急遽日程が変更され、定日から約10日間繰上げた さる11月25日夜、文京の社会福祉会館4階大ホールで開かれた。席上、注目の11月の成果が23世帯と報告され、これで累計総数は1,427世帯となり、本年度目標にはあと73世帯と迫ることになった」(「顕正新聞」第44号
11月27日  創価学会、文化局の政治部を解消し公明政治連盟(公政連)を発足。原島宏治委員長、辻武寿幹事長、小平芳平政調会長。
12月3日
 妙信講、お会式奉修。
「日蓮大聖人のお会式は、… さる12月3日午後2時から、新装なった吾妻橋の妙縁寺で盛大に奉修された。この日、御本尊流布に挺身する妙信講員約650名が元気いっぱいに詰めかけて場内を埋め尽くし、現有滅不滅のおすがたを現ぜられた御本仏日蓮大聖人様を偲んで、真心を込めた読経、唱題を申し上げ御報恩にかえた」(「顕正新聞」第44号
12月8日  創価学会、池田大作会長、第4回学生部弁論大会で「大御本尊を持たぬ人の言論は爾前経、根無し草である。我らこそ本門」と。
12月23日  創価学会、「会長講演集 第四巻」発刊。
12月25日
 妙信講、12月度総幹部会開催。「本年度誓願目標完遂 情熱の大勝利 全講歓喜に沸く」
「注目の折伏総計は 1百1世帯と報告されたが、瞬間、場内から一斉に驚きの声がもれ、同時に割れんばかりの拍手がわき上がり、興奮と感激にどよめいた。これで年間累計は1千5百28世帯となり、堂々と目標を突破したのである。
 また席上、浅井企画室長から明年度の方針が ① 2千世帯達成、② 大客殿建立の内陣御供養、③ 教学の振興 と打出され、いよいよ五カ年計画3年目の前進に入ることになった」(「顕正新聞」第45号
12月 日
 宗門、「日興上人身延離山史」発刊。
「この「日興上人身延離山史」は日達上人猊下の命により、富士学林の研究生によって編纂され日蓮正宗布教会で出版したものである。日興上人身延離山史は、先年、五十九世日享上人が御著述なされているが、これは非常に学究的で一般の人々には難解で、しかも今日においては絶版となっており、正宗信徒からはそれに関した平易な解説書が強く望まれていたものである。… また日蓮正宗聖典も同時に再販された」(「顕正新聞」第44号
12月 日  創価学会、233万世帯。
 
  年表  
昭和37年 (1962)         _
1月1日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭、年頭の辞「前進」
「広宣流布は実に仏法による全民衆の幸福実現そのものなのである。これほどの大善は他にあり得ぬ。今、その時を迎えたのである。しかも上に六十六世法主、日達上人猊下を戴き、もし勇猛精進の意気満たぬものは名誉ある正宗信徒の資格を自ら抛つものといえよう。勇猛精進とは即前進である。…
 前進とは折伏進軍のみならず、本年こそ各個人がその生活に目標を立てて、家庭においても幸福への前進を図るべきである。正しき仏法を行ずるものとして、全講員が本年も一段と幸福に満んことをひたすら念願する次第であります。昭和37年元旦」(「顕正新聞」第46号
1月17日  創価学会、公明政治連盟。「基本要綱」と「政策要綱」を記者発表。
「基本要網」には「われらの政治理念は、日蓮大聖人の立正安国論の精神を根本とし、その最高の哲理と最大の慈悲を基調とし、近代的にしてもっとも民主的な団体としての活動を行なうとともに、いっさいの不正に対し、厳然たる態度を明確にすることを公約する」と。
1月25日  創価学会、大阪事件判決。池田大作会長には無罪判決、他の創価学会員2人には罰金刑、及び公民権停止。
「池田は大阪で傍若無人な選挙運動を繰り返しており、すでに悪名高かった。そのため、検察は池田に対し、かなり過酷な取り調べをしていたのだ。この事実をもとに裁判長は、池田に関する検事調書をことごとく却下した。池田大作は、この裁判長の情熱的な正義感のお陰で命拾いし、無罪になった」(『日蓮正宗の敵・池田創価学会を解散させよ』龍年光著 )
1月27日  創価学会、聖教新聞、判決批判の特集記事掲載。『大阪事件に勝利の判決』、『無実の罪晴れる』、『むりやりにねつ造、反感と偏見の検察陣』、『拷問に等しい取り調べ』など。
1月27日  創価学会、「東洋学術研究所」(現・東洋哲学研究所)設立。
1月29日  創価学会、「会長講演集 第五巻」発刊。
2月1日
 妙信講、2月度班長会開催。浅井甚兵衛講頭「班長以上の幹部は妙信講の機関車である自覚をもって一層の信心の充実を図ってもらいたい」(「顕正新聞」第48号
 教学誌「富士」第2号発刊。
 冨士、巻頭言、浅井甚兵衛講頭「誇るべき伝統
 冨士、本部企画室長・青年部長 浅井昭衛「仏法とは何か(二)」
2月12日  創価学会、バンコク、香港に支部結成。
3月1日  創価学会、公明政治連盟(公政連)、 記者会見で具体的政策を発表。日中貿易の促進、沖縄復帰の推進、勤労所得税の撤廃、北方領土の返還、税制の簡素化、中小企業の近代化、農林漁業の振興、教育制度の刷新、社会保障の充実、住宅問題の解決、災害の抜本的解決、交通問題の解決、最低賃金制の確立、など15項目にわたる具体的政策を発表した。
3月3日
 宗門、創価学会の建立寄進による大坊落慶式奉修。
 池田大作会長、「日本一国が広宣流布された暁には、民衆の総意によって国立戒壇を建立するのです」と。(「聖教新聞」3月4日号 )
「これ以降、池田会長の『国立戒壇』への言及は途絶える」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠)
3月3日
 宗門、池田大作会長を「法華講大講頭」に任命。
3月4日
 妙信講、教学部。昇格試験、登用試験実施。
「昇格並びに登用試験は、去る3月4日文京の社会福祉会館で一斉に実施された。すなわち助師への昇格試験は午後2時から3時間にわたって会議室で、また部員登用試験は午後7時から2時間にわたって大ホールで行われた。受験者総数は167名、そのうち昇格に25名、登用に142名で、昨年を大きく上回るものであった」(「顕正新聞」第50号
3月10~12日
 妙信講、総本山大客殿建立内陣御供養に参加。
3月25日
 妙信講、3月度総幹部会開催。
「総幹部会は、さる3月25日午後7時から墨田区吾妻橋の妙縁寺で盛大に開かれた。席上3月で、年間三大目標のうちの二大目標、教学の昇格登用試験、並びに大客殿建立内陣御供養を見事な成果で飾った妙信講は、さらにゆるまず本年の最大目標2千世帯達成を目指して進軍する …
 本堂いっぱいにつめかけた2百数十名の全幹部は、浅井本部企画室長の闘争方針にこたえ、講頭先生の力強い指導に奮い立ち勇躍歓喜して散っていった」(「顕正新聞」第52号
3月27日  創価学会、池田大作会長。「それからもうひとつの公場対決の原理は、これは選挙です。国会に議員を送って国会の中で日蓮正宗の仏法が正しい、日連正宗の仏法を奉持した人々の議員は、たしかに国家のために、民衆のために、あらゆる政治家の代表として尽しているということを示すことが公場対決になるのです、今では」と。(「聖教新聞」3月28日号 )
3月30日
 妙信講、教学部。「文底秘沈抄」講義開始。
4月1日
 宗門、大客殿落成にともない、池田大作会長を「法華講総講頭」に任命。
「昭和37年4月1日、大客殿落成と共に池田は法華講総講頭になった。総講頭というのは日蓮正宗全信者の指導者である。だからその任命式のとき細井日達上人は、満座のなかで池田に「日蓮正宗の信徒は、ことごとくお任せします」と明言している。… 法主をはじめとして宗門全僧侶、そして法華講が、一致して阿諛称賛しているのだった。池田が"宗門統制は成った"と思いこんだのも無理はない。指導する人もいなければ頭をおさえる人もいないとなれば、たいかいの人間はノボセあがる。池田も例外ではなかった」(『冨士大石寺顕正会』下山正恕 )
4月2日  創価学会、鳳書院より創価学会教学部編 『日蓮正宗・創価学会批判を破す』を発行。
「じつに、国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人にのみ御遺命になった」、「日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命をうけて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきたことは明白になった。近ごろは、田中智学門流でさえも、囀っている」、「智学はもともと邪宗身延派の出身だが、戒壇の大御本尊に反逆したほかは、ことごとく日蓮正宗の正義を盗みとって、富士戒壇説、蔓茶羅本尊論、法国冥合、三秘説などの邪義をかまえ、国柱会を創設して、おおいにその邪義を宣伝した」と。
4月2日  創価学会、「公明新聞」を創刊。(月2回刊行、2ページ建て)
4月24日
 宗門、中野教会(東京杉並区)、昭倫寺と寺号公称。
4月29日
 妙信講、婦人部第2回大会開催(豊島振興会館)、450名結集。
4月 日
 宗門、法華講全国連合会、「法華講総登山ニュース」発刊。次号から「大白法」となる。
5月3日  創価学会、第24回本部総会開催。
 山喜房仏書林、東大法華経研究会編著『日蓮正宗創価学会』刊行。
5月6日
 妙信講、千7百世帯突破。
5月15日  創価学会、英文紙『ザ・セイキョウニューズ』創刊。
5月25日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭「参院選挙と我等の態度」表明。
「学会が強力に選挙を推進する所以は、広宣流布の手段としてであるに違いない。王仏冥合広宣流布は、宗門の七百年来の悲願である。日蓮大聖人の御一代の国家諌暁、さらに歴代法主上人の時の権力者に対してなされた身命を賭しての国諌、正宗信徒としてその御精神の烈々たるに接せば粛然として誰人も襟を正さざるを得ない。…
 学会の全力を持って推進しているこの運動に対して、如上の立場より我等妙信講員は清らかに推そうではないか」(「顕正新聞」第55号
6月1日
 妙信講、教学誌「富士」第3号発刊。
 冨士、浅井甚兵衛講頭「巻頭言
6月3日
 妙信講、第8回総会開催。(豊島公会堂)
「日蓮正宗妙信講第8回総会は、さる6月3日午後2時から池袋の豊島公会堂に1千4百余名の同士が結集して、盛大に行われた。席上、御来席を賜った指導教師妙縁寺御住職松本日仁能師の暖かい励ましのお言葉、さらに講頭先生の確信みなぎる信心指導に一同感激にひたりきった。浅井企画室長の「あと2年の」闘争指針に全講員の情熱は爆発、場内にはさらに新しい前進の息吹がうずまいていた」
 浅井昭衛企画室長「今から丁度二年前でございます。夏期登山会のおりに、 先生が猊下にお目通りをなさいました。『妙信講もやっと進軍の情熱がみなぎってまいりました。広宣流布のお役に立たせていただきます。ついて三千折伏達成の上は三千を集めて文京公会堂において猊下をお迎え申し上げたいと思うのですが是非ひとつ御来臨いただけますでしょうか』 こう熱願されたのです。猊下はただちに『わしがいってやろう!』とこう仰せ下さったのでございます。…
 どうせ人間は一度は死ぬんだ、若し死ぬならば死ぬ場所を決めようではないかと、猊下に先生が誓われたことだけを断じて反故にしてなるものか。… 三千達成して猊下をお迎えできたならば、いつ死んでもいいのだ! 断じて悔いはない、こういう気持でもっていっぱいでございました」(「顕正新聞」第56号
6月16日  創価学会、池田大作会長。「邪教などはみんなうまい事を言って、金を巻き上げ(略)、これが邪宗教の姿です。創価学会としては永久に皆さん方から、ただの1銭も寄付を願ったり、供養を願うようなことはいたしません」と。(「聖教新聞」)
(※ 「学会の施設には、賽銭箱がない」「学会の信仰は一銭も金がかからない」「学会は金儲けが目的ではない」というのが、創価学会員の自慢だった )
6月23日  創価学会、九州本部幹部会開催。池田大作会長、「法華初心成仏抄」講義。
「戸田先生は、空仮中の三諦にお説きあそばされています。宇宙それ自体も本尊である、それは空諦の本尊。わが身は仮諦の本尊である、大御本尊様は中道法相の本尊であられる、このようにも申されておりました。したがって、わが身が本尊といおうが、宇宙それ自体が本尊といおうが、それはまだ観念論です。日蓮大聖人様の図顕あそばされた、中道法相の大御本尊様に関係を結ばなければ、冥合しなければ、宇宙の本尊の実体も感じられないし、わが仮諦の本尊の事実の確信もできないわけです。そこに一大事の因縁としての、日蓮大聖人様の大御本尊様、ご図顕の不思議、それからまたありがさがあるわけなのです」(「会長講演集」第七巻 )
6月24日
 妙信講、7月度総幹部会開催。
「7月度総幹部会は … さる6月24日夜、文京の社会福祉会館で組長以上の幹部230名が集まって力強く開かれた。… 浅井企画室長は下半期の前進を展望すると共に、"本年度目標2千を9月までに達成しよう"と呼びかけ、一同の闘志をゆすった」(「顕正新聞」第58号
6月 日
 宗門、「大日蓮」誌、「王仏冥合の実現をめざして」の緊急特集。「平和楽土建設の実現は国立戒壇建立という王仏冥合の姿においてなされる」と。
(※『日蓮正宗・創価学会批判を破す』と連動か )
7月1日  第6回参議院議員通常選挙実施。公明政治連盟、9人( 全国区7、地方区2 )の全員当選。一挙に6議席増やし、議席15となって民社党に代わり、参議院の第三勢力に。
7月 日
 宗門、法華講全国連合会結成。会長 平沢益吉(創価学会顧問)、「会長の名はおこがましい」と自ら呼称を「委員長」に変更。
7月3日  創価学会、「巻頭言・講義集」発刊。
7月5日  創価学会、女子部幹部会開催。池田大作会長、「政界進出は当然」と。
「宗教団体が政界に進出することはとうぜんであり、いわんや、仏法のうえで、日蓮大聖人様のご遺命のままに、堂々と政界に進出するのが、わが創価学会の戦いなのであります」
7月6日
 宗門、総監選出規定をめぐり宗会紛糾、解散命令下る。
7月20日  創価学会、「会長講演集 第6巻」発行。
「あくまでも師匠は日蓮大聖人様即御本尊様です。それから『遣使還告』あそばされる、代々の御法主上人猊下です。われわれは全部その弟子です」と。
7月20日  公明政治連盟、参議院内における交渉団体の資格を得、院内交渉団体「公明会」を結成。
7月25日
 妙信講、8月度総幹部会開催。「青年部一千を堂々突破
7月31日
 宗門、法華講全国連合会、結成大会を開催。(大石寺・大講堂)5千2百余名が参加。
 細井日達管長「本日は、全国法華講の結成大会に当たりまして六千の法華講員が集合致し、ここに大会をせらるることは、誠にこの上もない喜びと存じます。わが宗が、宗祖大聖人宗旨建立から正法をまもってきたにもかかわらず、この七百年来、本宗は実に勢力微々たるものでありました。徳川時代の末の、今から百二、三十年前におきましても、わずかその時分の大石寺の法華講員は奥州地方法華講衆また福島地方の法華講衆、江戸地方、それからこの駿河地方それから金沢、それから浪速、それだけが中心の法華講衆でありました。… それが明治維新になって、信教の自由によって、あの名古屋地方が盛んになり、あるいは九州地方において、あるいは信州において、それぞれ正宗の信徒がふえていったのでございます」
(※ 宗門の正式な組織でなく、創価学会の発展に刺激されての自発的組織として活動を開始 )
8月12日  創価学会、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)のデュッセルドルフで、初の欧州総会。
8月20日
 宗門、法華講全国連合会 機関紙を創刊。細井日達師、「大白法」と命名。
 発刊の言葉、「法華講全国連合会の機関紙が皆様の集まった力で発足いたしました。御法主上人猊下からは、本紙名をおつけくださいましたばかりでなく、題字の揮毫までも賜りました。… 創刊号は僅か2頁ですが、根深ければ枝繁し、大発展が近いうちに行われますよう、計画しております」(「大白法」創刊号
8月23日
 妙信講、9月度総幹部会開催。
8月25~26日
 妙信講、総本山夏季登山会に8百余名参加。
「妙信講の恒例大行事夏期登山会はさる8月25日26日の両日、総本山富士大石寺で行われた。講頭先生のもとに集った講員8百2十余名は、戒壇の大御本尊様へのお目通りに深い感激にむせび、また二日間に亘る行事で楽しい中にも信心錬磨の厳しい指導を受けた。各支部単位の山内めぐり、また本山境内に散っての野外座談会、青年部の訓練、大講堂での講演会、御書講義など多彩な行事の中に前進のいぶきが力強く脈うち、参加者一同は信心の歓喜につつまれ勇躍下山の途についた」(「顕正新聞」第62号
8月31日  創価学会、池田大作会長、学生部代表44人に対し「御義口伝」講義を始める。
(※ 毎月1回、昭和42年4月まで、5年間続けられた。実際に下調べと解説を行ったのは原島嵩を始めとした教学部で、池田大作会長は本編の解説が終わった後、自身の野心を語ることに終始した )
9月3日
 宗門、法華講全国連合会の妙信講への抑圧始まる。
「昭和37年9月、平沢は妙信講の浅井講頭と浅井昭衛本部長、それに指導教師である妙縁寺の松本住職を自宅に呼びつけた。法華講連合会委員長は、それほどエラクなっていた。
 平沢の用件は、"創価学会・原島宏治理事長が『妙信講が目障りだ。連合会の力で潰せないか』と言っている。私が抑えているが、連合会に従わなければそうせざるを得なくなる。だから全面的に従え"というものだった」(『冨士大石寺顕正会』下山正恕 )
9月4日  創価学会、本部起工式奉修。
 池田大作会長「この創価学会本部はだれからの一銭の寄付を受けて建てるものではない。私は、このことを第一の誇りとしております」
9月6日
 妙信講、法華講全国連合会からの強要の件につき、細井日達師に「御伺書」提出。
「謹んで申し上げます。… 但し此の件は宗門の現状よりして然るべきが穏当ならば否応を申すべき筋合いではございません。今まで不加入であったのは、連合会なるものはあくまで自発的に有志相寄った東京方面の私的会合で、加入も不加入も自由意志が許されるグループとの認識に依ったからであります。当講に於ては激烈なる法戦に他を顧みるいとま非ずという所でございました。
 ただ慮外と申しますのは、学会の原島理事長の言として、平沢連合会長に再三に亘って、妙信講をつぶしてしまえと云う、おだやかならざる意が示されているとのことであります。学会で直接手を下すのは不穏当であるから連合会で処理せよ …
 ここに学会の真意那辺にあるのか、井底の蛙の如き私共には判断し得ません。全宗門は御法主上人の統卒遊ばす所でありますれば、全体の上より今後妙信講の前進に就いて何卒指標を賜り、御指南を仰がんとここに妙縁寺住職を通じ、伏して御願い申し上げるものでございます。激忙の御法務の間を侵して一講中の為に御胸中を煩わし奉る事、只管恐れ入るものでございます。恐々
 昭和三十七年九月六日 法主上人猊下  妙信講講頭 浅井甚兵衛」(「冨士」第180号 )
(※ この「御伺書」に対し、細井日達管長から具体的な指南はなかった。しかし間接的に、連合会への加入は宗門の至上命令であると、松本日仁尊能師に伝えられた )
9月8日  創価学会、『南無妙法蓮華経』の縦書きを「登録商標」に申請。後、これを取り下げる。
9月13日  公明政治連盟、結成式をかね 第1回全国大会開催(豊島公会堂)。全国から、約2千名の連盟員代表が参加。青年局、婦人局を設置。政治理論誌『公明』の発刊を決定。
 創価学会、池田大作会長挨拶。「大政治団体になり、皆さん方が一流の名士になったときに、もしも派閥を生じたり、反目するようなことが毛筋ほどでもあったならば、もはや大衆の政治団体ではない、そういう資格はなくなったものとして即座に解散すべきであると思うのであります」(「公明党の歩み」)
9月20日
 宗門、大白法、柳沢喜惣次 東京地区連合会企画部長「統一要する信心の概念」
「今、日蓮大聖人の御化導についてこの種の信心を見て行くならば、大衆の指導というものは、掌を返すようなわけには参りません。長い年数のかかる事は誰人も、少し折伏で苦労して来た者ならば簡単に理解できる事です。… 即ち戒壇の大御本尊様に向かって御題目を上げなければ、大聖人様の信心ではなくなるわけです。更に円戒は死後に留むという事になって来ると、今の我々は更に一歩突込んで戒壇を建立する所の信心の概念に統一致してかからなければ、何時まで待っても整頓された、きびきびした信心修行の集団にはなる事は出来ません。今や時代は大きく転換して来ております。我々の信心は、戒壇を建立する所に相寄り相集まった集団であるという事を忘れては肝心の意義を失ってしまうのでありあります」(「大白法」002号
9月23日  創価学会、青年部第4回全国体育大会、"若人の祭典"を開催。細井日達管長、来賓として出席。
9月30日
 宗門、総本山大石寺観行坊に於て、全国法華講連合会結成後はじめての講頭会議が開催され、各講中に青年部の設置が求められた。
「第3項目として、全国講中の組織の整備にともない、各末寺の講頭の任証の手続の完備、また各講中に於いては、すみやかに青年部の結成をなし、責任者を本年末までに報告すること」(「大白法」003号
9月 日  創価学会、学術部結成。
10月 日  創価学会、東洋哲学研究所を設立。
10月20日
 宗門、大白法、光明「無責任な民主主義礼賛は天魔の邪教」
「民主主義を物差しにして仏教を良いの悪いのと言ったら、仏教は民主主義以下のものになってしまう。… 第一に民主主義は確かな心棒が無い。ソ連の人民民主主義と米国の自由民主主義がイガミ合っているのは、民主主義そのものが骨無しで、ドウにでも解釈できるからだ。… 第二に民主主義は凡夫中心主義である。生の侭(まま)の、ムキ出しの人間性をそれその侭で無上尊厳だとするから、欲張り根性や鉄面皮が大手を振ってマカリ通って、正直者がいつでも損をすることになる。第三に民主主義は、その生まれからして階級的対立を含む。… 民主主義という言葉を使って法華主義を宜伝するのは、一往低抗がなくて俗耳に入り易かろうが、其では国体主義の名の下に日蓮主義を宣伝した為に、右翼の連中に庇を貸して主屋を取られた田中智学の失敗を繰返すことになる。だから私は敢て言う。民主主義は天魔の邪教だ、と」(「大白法」003号
10月21日
 妙信講、青年部第4回大会開催。(両国公会堂)「明年度の大目標に勇み立つ」
「さる10月21日午前9時半から、墨田区の両国公会堂に760余の部員を結集して盛大に開かれた。席場で、明年度の指導方針が(一)男子部結集1千名、女子部結集450名、(二)支部活動への積極的協力、(三)教学の充実 の三項目に渡って打出された。このほか青年部長の烈々たる指導、講頭先生の青年を見つめられる慈悲あふれる講演に一同大感激、誓願の三千世帯達成をめざして勇み立った」(「顕正新聞」第64号
10月20日  中印国境紛争、人民解放軍が中印国境の東部(マクマホン=ライン)と西部(カシミール地方)で軍事行動を開始、インド共和国も「祖国防衛」を呼びかけ応戦し戦争状態に入った。
10月22日  キューバ危機、ケネディ・アメリカ合衆国大統領、キューバ共和国を海上封鎖。
10月25日
 妙信講、教学部を「研修部」と呼称変更
「再建以来妙信講において、最も重視し努力を重ねたものの中に教学の研鑽がある。この現状に即していよいよその内容の充実を図るため、今回制度を整え将来に向かっての体制を固めるに至った。名称も従来の教学部より研修部と改め、一般部員からさらに上級の三級・二級・一級部員と段階を設け、それぞれの力に応じた研鑽を続けて将来の体成を期す事になった」(「顕正新聞」第64号
「冨士」第4号「初級講習読本」発刊。
「この「冨士」第四号は浅井昭衛氏が書き下ろした教材で、「日蓮大聖人の御一生」、「仏法の実践」、「宗教批判の原理」の三章からなり、教学の入門書として長く用いられた。先行した「仏教手保登記」(中村徳之進遺著、昭和二十六年十月十三日)や創価学会の「折伏教典」と比べると、かなり洗練されている」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠 )
11月1日  創価学会、文化局言論部、月刊誌『言論』発刊。
11月8日
 宗門、多宝富士大日蓮華山大石寺(総本山)に於て、御大会奉修。
「去る11月8日・9日(旧歴10月12日・13日)の両日 … 全国法華講員は北は北海道、南は九州各地より総本山了性坊に設置された、全国法華講連合会本部に参集した。全国法華講連合会として割当てられた380名が御登山申し上げ、お練り、三々九度儀式、御申状奉読の儀等に参列させていただいた」(「大白法」004号 )
「宗門恒例の日蓮大聖人のお会式はさる11月8日9日の両立、総本山大石寺で厳粛に奉修された。
 妙信講からは講頭浅井先生はじめ高山副講頭、浅井企画室長、佐藤財務部長、さらに本部参議、代表支部長等一行10名が代表で参列… 」(「顕正新聞」第66号
11月11日
 妙信講、講中お会式奉修。
「妙信講の秋の大行事、日蓮大聖人の御会式は、快晴に恵まれたさる11月11日午後2時から墨田区吾妻橋の妙縁寺で盛大に営まれた。この日、歓喜に満ちた講員9百余名が続々とつめかけ、本堂はぎっしりと埋めつくされた」(「顕正新聞」第66号
11月18日
 宗門、東京地区法華講連合会、第1回体育大会開催。都下東伏見早大グランドで、平沢益吉法華講全国連合会々長の下、講員3000名が参加した。(「大白法」005号 )
11月20日
 宗門、大白法、「日蓮正宗法華講要旨 沿革と趣旨」
「日蓮正宗法華講は、日蓮正宗の信徒全体によって日蓮大聖人の正法を護持し、各自の信行増進と相互の親睦を計り、異体同心の実を挙げるために結成せられておる講中であります。抑(そもそ)も法華講の名称は日蓮大聖人が御在世に於て、大聖人の御法を正しく尤も熱心に信仰し修行せられた信徒の集りに、直々御付けなされたものであります。… 本宗に於て法華講衆を結成して、一切の信者の方々に、その講員となって信行に励んで頂くのは、大聖人の御本旨にもとずくところであり、真の仏弟子の一類として正統の信仰を継ぎ大法広布に寄与せられたいからであります」(「大白法」004号
11月20日
 宗門、大白法、投稿「宗教とマルクス主義 宗教は果たして阿片か」
「マルクスは何故この様に宗教を阿片と定義づけたのか。… その日の生活にも困る労働者達をみて資本家からの自由の獲得の為労働者は、団結して闘争に立上がらなければならないと考えた。然も実際において、このように団結して容易に資本家に立向かわないのは何故であろうか。つまり宗教がこれを邪魔するのであって、実に彼等労働者の闘争意識をはばむものは、他ならぬキリスト教なのであると断定した。現世の不幸をそのままにして来世の幸福のみを説き、現世へのあきらめ、神へのすがりのみを説くキリスト教こそは支配階級の利益のためのものでしかないのだ。従って神こそは民衆の敵であり阿片にすぎないのである。… さて西欧には仏教はない、… マルクスは勿論仏教は知らない。だから、因果の教えなど知るわけがない。… 若しマルクスが、大乗仏教の極度である日蓮大聖人の御法門を拝していたならどうであろうか。まさか宗教は阿片であるとうそぶく筈もあるまいし、唯物論も姿をみせなかったことは確かで、彼も敬虔な日蓮正宗の信徒として其の悪説を吐くこともなく、正法流布に邁進したであろうと思われるのである」(「大白法」004号
11月21日
 妙信講、11月度総幹部会開催。
「11月度総幹部会は、さる11月21日午後7時より文京の社会福祉会館に組長以上の幹部2百余名が結集して力強く開かれた。席上、浅井浅井企画室長から38年度の闘争指針が、①三千世帯の達成 ②人材の育成と打ち出され、いよいよ宿願をかけた明年度の闘争に火ぶたをきることになった」(「顕正新聞」第66号
11月25日
 妙信講、研修部。第3回登用試験、第2回昇格試験実施。
「三級部員が9名、研修部員29名の合格者が新たに出て、ここに妙信講研修部の陣容は三級部員15名、研修部員74名と、約100名に達する充実を見ることになった」(「顕正新聞」第67号
11月27日  創価学会、3百万世帯となる。
12月15日
 妙信講、研修部入部式開催。
 浅井甚兵衛講頭、「人生の背骨である信心に、光かがやくような教学を身につけて欲しい」と。(「顕正新聞」第68号
12月20日  弘文堂、高瀬広居著『第三文明の宗教 創価学会のめざすもの』を発行。
「学会の組織訓育の基本は、会長絶対主義の徹底である。班長が善いか悪いか、会員をどうすべきか、それを決定するのは会長ただ一人に委ねられた特権である。会員に命令し、行動目標を与えることのできるものは会長だけである。学会理事長も理事も青年部長も婦人部長も、いかなる大幹部も会長と較べることは許されない。理事とても仏法上は会員と同じく全く平等なのである。しかし会長は違う。学会では、会長を有徳王という立場でみる。また大師匠だという。全会員は、それが最高幹部であっても会長の弟子なのである」
 
  年表  
昭和38年 (1963)         _
1月1日
 宗門、細井日達管長「新年の辞」
「昭和38年の新年を迎え、同信の皆様と共に我が日蓮正宗の発展を謹んでお祝い申しましょう。法華講に於ては我が宗門の初めから、宗門維持と発展の為めに勤めてきたのでありましたが、各講中が独立しておって、個々別々な行動をしておりましたが、昨年春より大合同の気運動いて法華講全国連合会が結成され、折伏弘法の一大勢力となったのであります。此の事は昨年度に於いての宗門史上に重大なる事柄であります」
 平沢益吉法華講全国連合会々長「新春所感」
「昭和38年の新春を迎え謹んで御祝詞を申し上げます。近時、日蓮大聖人の御出世の本懐たる三大秘法の正法正義は弥やが上にも顕揚せられて四海を圧せんとし、総本山大石寺に於ては世紀の大客殿の建設工事もとみに進展して落慶も愈々明年春に迫り、大総合計画委員会にては広宣流布への準備大構想を逐次審議せられ、かつて広布の暁を夢の如く脳裏にえがいていた天母山一帯も、ついに昨年本山の所有に帰したことはまことに御同慶にたえません」(「大白法」005号
1月1日
 宗門、細井日達管長「新年に当りて」
「"光陰は矢の如し"の古諺の通り、この一年はいつの間にか過ぎて、昭和三十八年の新年を迎え、諸事新らたに今年の希望を以て進むべきことを自他共に覚悟したことと思います。まことに仏道修行は命を掛けて行うべきことでありますから難行であります。しかしながら一度その軌道に乗って信心して行く時は又まことに楽しい生活であります。… 新年の初頭に当り大聖人様の御教えの通り、身命を以って信心折伏にはげむことを私共一同はお誓い致しましよう」(「顕正新聞」第69号
1月1日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭、「年頭の言葉」。
「大聖人は 御義口伝に「一念に億劫の辛労尽せば本来無作の三身念念起るなり。所謂南無妙法蓮華経は精進行なり」とド指南である。この御聖訓に順じ一念に億劫の辛労を尽くすならば、仏果を成就することは絶対に間違いない。本年の三千達成への折伏は一段と楽しい修行である事を思うのであります」(「顕正新聞」第69号
1月1日
 妙信講、登山会。初登山盛大に挙行、総本山に730名参詣。
「当日、学会大幹部ならびに全国の法華講員とともに、妙信講からは726名が参詣した。元旦の午前6時、池袋東口駅前に集合した一行は、13台のバスに分乗、6時30分予定通りに出発した」(「顕正新聞」第69号
1月8日  創価学会、ハワイ支部結成。池田大作会長、世界一周指導に出発。
1月12日  創価学会、ドイツ支部結成。
1月13日
 宗門、全国法華講連合会、久遠山常泉寺に於いて第1回会長会議開催、5部門を新設。
「<登山部>
 このたび、全国法華講連合会登山部が結成された。このため、全国連合会の登山会においては、全面的にここに於いて担当されていくことになる。登山部に於いては、右の如き部門が新設され、
 『輸送・整理関係』=青年部の有能な人材をもって編成されてこの任に当たる。
 『内事部関係』=御開扉・御目通り受付、会計、宿泊・日帰りの連絡、先行準備を任務として、内事部との折衝に当たる。
 『東京地区受付』=東京地区連合会の登山に関する一切の申し込みをここに於いて受付ける。
 『地方関係受付』=各地区連含会(各地区連合会 登山係)よりの申し込みを受付ける。
 <編集部> (略)
 <庶務部> (略)
 <会計部> (略)
 <青年部> (略)」(「大白法」006号
(※ この規定を以て、妙信講は登山を阻まれることとなる。櫻川 忠 )
1月13日  創価学会、ニューヨーク支部結成。
1月15日
 妙信講、研修部。本年初の研修部会開催、「依義判文抄」講義開始。
「本年初の研修部会は、さる1月15日の午後7時から本部で開かれた。この日、第三期合格の新部員を含めて約百名が出席、場内を埋めつくした」(「顕正新聞」第70号
1月16日  創価学会、ヨーロッパ総支部、パリ支部結成。
1月20日
 妙信講、1月度男子部会開催。浅井昭衛青年部長、「三方ヶ原の戦いに学ぶ」と。
「徳川家康が、三方ヶ原で武田信玄に大敗した時、戦死した兵は一人として敵に背中を向けているものはなかった、ことごとく前をむいて倒れておった。これを見て「家康恐るべし、一門においてこれ程の団結あるならば、必ず将来大をなすであろう」と武田方の一武将が驚いたという。今妙信講において、先生を中心に将来の御奉公を誓う我々男子部が結束して、いかなることがあっても後を見せることなく、堂々と邪宗折伏の前進をしようではないか」(「顕正新聞」第70号
(※ 教学部を廃止し研修部に変更、顕正新聞の廃刊も間近という時期であったが、浅井昭衛青年部長は講員に一切知らせず胸に秘めていた。そうした背景があればこそ、「三方ヶ原」の言葉に重みがあった )
(※ 後に(昭和53年)、「冨士」に上記講演を再掲したが、微妙に改竄をしている。「先生を中心に」とは、講頭浅井甚兵衛先生であるが、その部分を抹消している。
「今妙信講においても、将来の御奉公を誓う我々男子部が結束して、いかなることがあっても後を見せることなく、堂々と前進をしようではないか」「冨士」第180号 )
1月20日  創価学会、シアトル支部結成。
2月 日  創価学会、教学部。助教授試験の模範答案に「池田会長の折伏に比して僧侶は摂受」を掲載。
「末法は折伏に限るのであるが、なお御僧侶の立場よりする法の上の折伏を、檀那の立場よりする武力・権力・金力による化儀の広布の時の折伏に比べれば、摂受とおおせられる」
「(化儀の広宣流布とは)今、わが創価学会が、選挙により権力を持ち、会長池田先生のもとで勇敢にあらゆる魔と戦い、本尊流布に進む姿がそれである」(「大白蓮華」141号)
2月20日
 宗門、大白法、「総本山大総合5ヶ年計画の御供養について」
「第65世、日淳上人第3回忌御法要が厳修せられた後、御法主日達上人猊下より、日蓮正宗総本山大総合計画委員会の設立、並びに同委員の任命の発表があって、総本山大総合計画委員会が設立されている … 総合計画委員会は、このたび、御法主上人猊下の思召しによって、5カ年計画をもって大総合計画にもとずく御供養申し上げることが決定されている。この時に当り、全国法華講連合会としても、是非とも御供養申し上げたいとの決意を以て・東京地区連合会として年間壱千万円を決定して、傘下各寺院支部の目標も内定、御供養させていたゞく光栄に浴したのである。尚、御供養メ切日は、全体として、昭和38年10月末日とされている」(「大白法」006号
2月25日
 妙信講、2月度総幹部会開催(拓殖大学茗荷谷ホール)。
「注目の成果では2月の本尊流布合計は 98世帯、累計総世帯数は 2,384世帯と報告され、場内からどっと拍手がまき起こった」(「顕正新聞」第73号
2月 日  週刊文春、池田大作会長のインタビュー記事を掲載。
「創価学会は、ある目的を達すれば解散します。それが他の宗教や団体と違うところです。私も早くやめて、文春にでも勤めたいですよ。これでも、昔出版社にいたことがあるんですよ、ハハハ」(「週刊文春」1999年10月28日号 )
3月1日
 宗門、第3回大客殿落慶法要準備委員会開催さる。
3月16日
 宗門、阿部信雄師・大村寿顕師、米国出張御授戒へ。
「3月16日午前10時、東京国際空港を出発され、アメリカ15各都市で御授戒が行なわれる」(「大白法」007号
3月17日
 妙信講、第3回婦人部大会開催。(茗荷谷ホール)
「本年度の妙信講行事の先陣をきって開かれた注目の第三回婦人部大会は、快晴にめぐまれたさる17日午後2時より、講頭先生をはじめ本部幹部を迎えて、文京の拓殖大学茗荷谷ホールに6百余名が参集して盛大に行われた」(「顕正新聞」第74号
3月20日
 宗門、阿部信雄師、シアトル7番街で売春婦とトラブル、と後に創価学会が攻撃。
3月30/31日
 宗門、全国法華講連合会春季総登山会、5000名が登山。(「大白法」008号
 妙信講、春季総登山会、千有余名が参加。
「全国法華講春の総登山は、さる3月31日若葉薫る総本山富士大石寺で、御法主上人猊下の御慈愛につつまれて盛大に挙行された」(「顕正新聞」第75号
 (※ 妙信講は、当時2千3百世帯 )
4月4日  創価学会、池田大作会長。「私どもの選挙戦は、他の政権欲を考えておる政治、選挙とは違います。第一番目に、日蓮大聖人様のご遺命である王仏具合をめざしての、世界最高の崇高なる選挙戦であり、政治であります」と。(「聖教新聞」)
4月17日  第5回統一地方選挙。創価学会、東京都知事選挙で自民系無所属・東竜太郎を支持。
「あれは1963年の東京都知事選挙に、自民党から東龍太郎が再出馬して、創価学会の60万票の行方が鍵を握っていたときだ。自民党としては、なんとかこの学会票60万票がほしいから、大野伴睦が池田大作さんに会おうとしていた。そこで関係者を探すと、財界人で塚本総業の塚本素山が創価学会の実力者で、池田大作さんとしょっちゅう会える立場にあるという。それで彼が池田大作さんを大野伴睦に紹介してくれて、ホテル・ニュージャパンで二者会談が行われたんだ」(「渡遊恒雄回顧録」渡辺恒雄 )
4月28日
 宗門、法華講全国連合会公認さる、日蓮正宗管長が会長を任命。
「今まで全国連合会は公認というのではなく、私設的存在として活躍してきたことは、周知のことであるが御法主上人猊下の御慈悲に応え奉るためにかねて、平沢全国連合会長は如何にして強固な骨のある連合会としていくかを、深く考慮されていた。… 去る4月13日、正式に宗務院の認可があり全国法華講連合会も公認として発足することに決定された。発足に当り全国法華講連合会規約も同時に発表された。… 尚、規約の施行は昭和38年4月28日をもって効力を発することになった。
 全国法華講連合会規約
 第1章 名称及び事務所
  第1条 本会は日蓮正宗法華講全国連合会と称する。
  第2条 本会の事務所を、日蓮正宗法華講全国連合会会長宅に置く。
 第2章 目的
  第3条 本会は日蓮正宗法華講各地区連合会を糾合して所属信徒の信仰を増進せしめ日蓮正宗の教義を護持宣揚し、堅く異体同心の聖訓を体して宗勢を振興し以て広宣流布の大願成就を期するを目的とする。
 第3章 事業
  第4条 本会は次の事業を行う。
  1、総本山大石寺の外護
  2、年2回の総登山と月例登山
  3、機関紙発行
  4、地区連合会の育成とその活動の推進
  5、各法華講支部全信徒の和合と自行化他に亘る信行の増進
  6、其の他本会の目的達成に必要なる事項
 第4章 会員
  第5条 本会の会員は日蓮正宗法華講各地区連合会を単位として、その傘下の法華講支部信徒を以て構成する。
 第5章 役員
  第6条 本会に次の役員を置く
  1、会長 1名
  2、理事 若干名
  3、幹事 若干名
  4、会計 2名
  第7条 本会の役員は日蓮正宗法華講各地区連合会役員中より選出する。会長は法主上人猊下の任命を仰ぐものとする。理事は各地区連合会会長を以て之に充て、幹事、会計は地区連合会役員中より会長が選任する。
  第8条 会長は本会を代表し会務を統轄する。理事は会長を補佐し会務の審議に当る。幹事は会務を分掌し処理する。会計は資産収支の処置並に保管に当る。
  第9条 役員の任期は2ヵ年とする。ただし再任を妨げない。
 第6章 役員会
  第10条 役員会は必要に応じ随時会長が招集し、開催する。
 第7章 会計
  第11条 本会の経費は各地区連合会の拠出分担金、寄附金その他の収入を以て支弁する。
  第12条 各地区連合会の分担金は別に之を定める。
 第8章 罰則
  第13条 宗制宗規に違反する行為、謗法の行為、若しくは法華講衆としての団結を乱すが如き行為のあるものは、役員会の決議により除名し且つ、宗務院に上申する。
 付則
  1、会長が規約の変更を必要と認めたる場合は役員会に諮り改正することができる。
  2、本規約は昭和38年4月28日から施行するものとする」(「大白法」008号
5月19日
 宗門、細井日達管長臨席の下、法華講東京地区連合会第1回大会開催(東京台東体育館)、参加者 5千余名。
 細井日達管長「日蓮正宗法華講東京地区連合会第1回大会に当たり、謹んで御祝いを申します。…
 わが正宗の三宝は、宗祖大聖人様を仏宝と立て、久遠元初の自受用報身の法体たる南無妙法蓮華経を法宝と立て、二祖日興上人より歴代を僧宝と立てておるのでありまして、古来より少しも変っておりません。…
 ところが一般世間の謗法者は、宗祖本仏論は、わが日寛上人によって造り出されたものであると考えておるのでございます。… 神奈川県の高木某という人が、「日蓮本仏論は終戦後できたものだが」などと言ってきております。… また、昨年三宅某が、『御義口伝研究』という本を出しました。それにはやはり、本宗の日蓮本仏論を批判して、本仏はどこまでも釈尊である、五百塵点劫の本仏は釈尊以外にはないのである、宗祖は釈尊の使いだと … 発表しております。… 五百塵点劫の当初(そのかみ)というその二字を … 見落としておるのであります。… 今日の高木某や、三宅某等のいわゆる世間の仏教学者らしい顔をしている人びとに、この法華経の文底を究める事が出来ないのは当たり前であります。…
 どうぞ、法華講の皆様、また学会、法華講と分けず、我が日蓮正宗の信徒は大同団結し、もって大聖人様の大理想を達成し、世界平和の大磐石をきづくべく折伏に邁進せられる事をお願いする次第でございます」(「大白法」009号
 (※ 三宅重也著「御義口伝研究」、御義口伝研究刊行会、昭和37年7月刊行 )
5月22日
 宗門、法華講全国連合会を認証。細井日達管長、姻戚の平沢益吉を会長に任命。
「去る5月22日付をもって御法主上人猊下より正式に許可書が出された。また法華講全国連合会規約にもとづき、役員の決定が待たれていたが、今度、5月22日付をもって、平沢益吉氏に法華講全国連合会会長の辞令が通達せられた。また理事、幹事、会計の各役員も認証されて、ここに法華講全国連合会の会長及び役員の人事が決定した」(「大白法」009号
5月24日  アメリカ合衆国、宗教法人『創価学会・オブ・アメリカ』を認可。
5月26日
 妙信講、第9回総会開催。(茗荷谷ホール) 宿願三千を目前に、9ヶ支部が揃う。
6月5日  文藝春秋、7月号。藤原弘達、林健太郎、宮城音弥、平林たい子氏等による「創価学会についての座談会」記事を掲載。藤原弘達、平林たい子氏宅に学会員からの抗議の手紙が殺到。
6月9日
 宗門、法華講全国連合会辞令伝達式盛大に行われる。
「常泉寺(東京)に於いて、法華講全国連合会組織の件についての許可書授与式、及び法華講全国連合会長の任命・理事・幹事・会計の承認の辞令授与伝達式が、御法主上人猊下の御名代として総監・柿沼広澄尊師の御臨席を賜り、… 東京地区連合会法華講員約1200名が参集して、盛大に執り行われた」
 平沢益吉法華講全国連合会長挨拶『法華講衆の自覚を胸に聖教に恥じない信心を』
「私共待ちに待ちました、全国法華講の力強い歩みを出さんとする公認を、ここに得まして御辞令を頂戴致しました。… 我々は、昨年7月より現在までは、所謂、私設の連合会であってなにかと運営或は登山業務におきましても不便の点が多々あったのでございますが、今日からは、御法主上人猊下の御心を体しまして全国法華講の皆さんを、純真なる心持ちをもって正しい法華講のあり方に就いて、御指導・御誘導申し上げたいと存じます」(「大白法」010号
6月20日
 宗門、大白法、論苑「鉄は熱いうちに鍛えよ」
「今、連合会全般を見て現われている信心の幾つかの是正すべき点を拾ってみましょう。
 ・概して理屈を並べたがる傾向。
 ・自己に課せられた此れからの時代の責任を忘れ、先祖の功を誇りたがる風習。
 ・経済戦の観念にうとく、殊に此の事の工夫、努力を惜しむ傾向にある。
 ・礼儀作法をうとみ、外道流の自由を好む傾向。
 ・実践体験の修行利益を低く見、書見を尊ぶ傾向。
等々、何故に此の様な姿が発生して来たかを検討して是正すべき所は大急ぎで手を入れ歴史の教訓から脱れなければなりません。…
 個々の信心が云々でなく、今こそ「鉄は熱いうちに鍛えよ」と言われて来た教訓を一段と強固に実践して行く時が来ていると、固く信ずるものであります」(「大白法」010号
6月23日
 宗門、大石日進師 (大乗院日進贈上人、磐城妙法寺第24代住職) 逝去、享年82歳。
7月 日  創価学会、聖教新聞 『社説』。「こうした事態は『言論部』の活動の前進であり、評論家に悲鳴をあげさせたのは、民衆の間から湧き起こった、たくましい真実の言論による勝利だ」と。
7月6日  創価学会、水滸会第8回野外訓練実施(伊豆・天城荘)。
7月15日
 宗門、細井日達師管長、宗内教師僧侶一般 並びに法華講講員一般に 『訓諭』。
「若し聊爾たりとも、此の清浄無比にして護惜建立の赤誠に燃ゆる一大和合僧団 創価学会に対し、実にもあれ不実にもあれ謬見を懐き謗言を恣にする者ありとせば、其籍、宗の内外に在るを問はず、全て是れ広布の浄業を阻礙する大僻見の人、罪を無間に開く者と謂ふべし」と。(『大日蓮』8月号 )(「大白法」011号
「日達管長は、この訓諭を発した翌年、池田を法華講総講領に任じている。その任命とこの訓諭が、名刹蓮華寺の本宗離脱の理由になったことは既に述べた通りである。そして宗門僧侶の創価学会批判もこれによって完全に沈黙した。池田は総講顛の任命を受けて約一ヶ月後に、公明政治連盟の政党化とその衆議院進出を発表している」(『私は創価学会のスパイだった』下山正行 )
「ジャーナリズムへの言論統制と宗内への言論統制が連動していることは、時系列にみれば明らかである」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
7月20日
 宗門、大白法、論苑「組織の理解」
「全体の利益を考えて、最も勝れた集団の環境を作るとするならば、此処に一つ考え落しをしてはならない大事な事があります。それは「ルール」を守る事です。… 、口が達者で物事を軽く考え総べてを好い加減にちょろまかして行く人もあります。此の現実の中で自他相互間に尊敬の気風を作り出して行く事が、即ち「ルール」を守ると云う事になるのです。… 中核をなす幹部に於いては忘れてはならない重要な事であります。…
 組織を組む上に於いては考えなければならない点に、「目的」の明確と名分と云う事が必要になってまいります。… 次には環境を取り巻く諸般の情勢と其の分析の上に於いて「要員」の問題が出て来ますが、此の要員の問題には質と練度が大切になってまいります。… 組織には当然、「統率と運営」と云う問題が出てまいります。… 油断をすると忽ちに方向を転換したり又、機能を麻痺させてしまう恐れが発生するものです。…
 常に所期の目的に向って組織は全機能を発揮して、たゆまず前進致して行くと同時に厳しく評価されていなければならない性質を持つものであります。若し此の評価に耐えられない運営は、自らの交替の時期と自覚されなければならないものでしょう」(「大白法」011号
7月28日  創価学会、言論部第1回大会。池田大作会長、「いままでは思い上がり独断的であり利己主義である彼ら(言論人)を、恐れさせて身ぶるいさせて、ほんとうに正しい言論戦はこわい どうしようもないというところまで、追って追って追いまくっていこうではありませんか」と。
7月30日  創価学会、中部第2本部幹部会。池田大作会長、「今の政治家は、やれ勲章を貰うとか、金をとるとか、また有名人は利己主義になって、自分の名だけ売って、金儲けをするとか、めちゃくちゃな世界であります」、「私ども創価学会員は、位もいらない、名前もいらない、有名でなくともよい、大臣もいらない、また権力もいらない」と。(『会長講演集 第9巻』)
8月3日  創価学会、シカゴで第1回「全米総会」開催。参加者 1,500人
8月24~25日
 妙信講、夏季登山会。総本山に千7百余名参詣。
8月30日  創価学会、渉外局を3局に分割。渉外第1局長は藤原行正(マスコミ対応)、第2局長は大野潔(内部トラブル対応)、第3局長は竹入義勝(外部トラブル対応)が就任。
9月1日  創価学会、東京・信濃町に創価学会本部完成。
 第26回本部総会を開催 (日大講堂)、代表2万人が参加。池田大作会長、「遣使還告であられる御法主上人猊下は、日蓮大聖人であります」と。
 民主音楽協会(民音)創立。
9月5日
 宗門、法華講九州地区連合会第1回総会開催(福岡 中村学園)。
9月15日  創価学会、アジア文化研究所発会式。雑誌「アジア文化」発行。
 池田大作会長、学生部に「百六箇抄」講義、昭和39年8月29日まで。
9月22日
 宗門、法華講東京地区連合会、第2回体育大会開催。小石川サッカー場に、青年部約千名が結集。
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会、宿願の三千世帯達成。
 浅井昭衛企画室長「本日を以て6年間の宿願でありました三千世帯の法城がものの見事に完成を政しました。この6年に亘る悪戦苦斗、只まごころ込めて難信難解の三大秘法の御本尊を弘通せんと、汗をふりしぼって来た妙信講の姿を大聖人様も御覧遊ばして必ずお喜び下さると確信するものであります。また先生の誓願をお受けになって三年前に御遷化になった日淳上人も霊山に於て「よくぞ約束を果した」とにっこり遊ばしておられるに違いないと思うのであります。......
「勝ってカブトの緒をしめよ」と、これからがいよいよ大事な御奉公の段階である。ますます信心に油断なく肚を固めて行く時であります」(「顕正新聞」9月5日号 )
10月1日  創価学会、池田大作会長、「登山について」
「かかる絶対の大御本尊にお目にかかる登山会であれば、学会の登山会こそ、行事の中の最大の行事として、他の一切の行事に優先して行なわれているのである。…
 登出会は、日蓮大聖人様のまします霊鷲山への参詣であり、さらに、日興上人・日目上人等、三世諸仏の住処であり、われらが真如の都である、久遠元初の故郷へ還ることなのである。このように、学会の登山会は、極めてその意義が深いのであるから、軽々しく考えてはならない。あたかも、大聖人様ご在世当時の阿仏房の精神をもって、登山の精神とすべきである。阿仏房の精神こそ、たとえ時代は隔つともわが学会の登山精神でなければならない」(「大白蓮華」10月号 )
10月5日  創価学会、学生部機関紙『学生ジャーナル』発刊。初代編集長は、原島嵩 学生部副部長。
10月6日
 宗門、法華講関西地区連合会、第1回総会開催。尼崎文化会館に、1800有余名が結集。
10月18日  創価学会、文京公会堂で民主音楽協会(民音)創立記念演奏会を行なう。
10月20日
 妙信講、御会式大法要で三千達成奉告。(茗荷谷ホール)
 浅井昭衛企画室長「ここに三千世帯を代表した方々が集って、誠に厳しゅくな式を迎えて喜びでいっぱいであります。6年間妙信講を激励して下さった松本日仁尊能師も本当に喜んで下さった。また公私共に多忙な、全国法華講連合会長 平沢益吉先生も三千達成の意義を理解下さって御出席下さいました。…
 本日皆さんに報告をいたしますが、もったいない事であります。三千達成の報告に全講員の登山をお許し下さり、大講堂においておことばを賜るとの仰せを正式に宗務院を通じて頂きました。私共のたった三千のつたない御奉公ではございますが、晴れて戒壇の大御本尊にお目にかかる。御法主上人におことばを賜る、私共日蓮正宗信徒として喜びこれにまさるものはない。妙信講一門として名誉これに勝るものはございません。…
 本日連合会長の平沢先生も来て下さった。平沢先生は貌下の命により、何とか法華講を本当に立上がらせようと苦心しておられる。......
 ここに妙信講も三千の法城完成の上は新しく、洋々たる前途を迎えて、法華講の方々とも手を取り猊下の御もとに馳せ参じ、広布近き全宗門の中において、その一翼として目覚ましき働きを示して行く時です」(「顕正新聞」10月25日号 )
〔解説:浅井昭衛〕「妙信講に敵意を懐く平沢会長を、三千達成奉告の儀式に招かざるを得なかった当時の状勢はまことに辛く悲しかった。だが泣きごとを云ってはいられない。妙信講を信じ、三千にすべてを賭して悪戦苦斗してきた同志を強く暖く励まさねばならぬ。前途の見通しの全くつかぬ、トンネルの中を手さぐりで進む思いであった」(「冨士」第180号 )
10月24日
 宗門、堀日亨師著「富士日興上人詳伝」刊行。
10月27日
 宗門、法華講中部地区連合会第1回総会開催(名古屋市 日生ビル)。
10月28日  創価学会、本部幹部会、韓国総支部結成を発表。
「当時、すでに韓国には1千世帯ちかくの学会員がおり… こうした実態を踏まえて創価学会は、1963年10月28日の本部幹部会で、韓国に総支部を置くことを発表。… ところが、韓国では、東亜日報や朝鮮日報、韓国日報、京郷新聞などのマスコミ各紙が、いっせいに激しい反創価学会キャンペーンを開始した」(『現代』乙骨正生 2000年10月号 )
11月1日
 妙信講、法華講全国連合会の圧力により、機関紙「顕正新聞」を廃刊
11月 日
 宗門、法華講全国連合会。妙信講統制のため、形木本尊下附願書の扱いを連合会統一様式に変更するよう、宗務院と調整。翌年、2月11日から施行。
11月21日  第30回衆議院議員総選挙。池田勇人首相、所得倍増政策、また翌年に控えたオリンピック東京大会へ向け、政治の安定を期す為に国民への信を問うべく解散を断行。
11月22日  ケネディ大統領、ダラスで暗殺。現地時間12時30分、テキサス州を遊説中の第35代アメリカ合衆国大統領 ジョン・F・ケネディがダラス市内をパレード中、銃撃され死亡した。
11月24日
 宗門、法華講全国連合会 第1回総会開催。大石寺御影堂前に、8千余名が参集。
 細井日達管長「富士山本門寺実現へ」、「当山において戒壇の大御本尊を深く秘蔵し奉っておって、仮に寺号を大石寺と称しておりますのは、広宣流布の時を待っておるがためであります。… その広宣流布はまさに来たらんとしております。これ実に我が創価学会の折伏の力によったものであると言えるのであります。… 現在は創価学会に折伏の先陣を取られてしまったのであります。どうか法華講の皆様、我が日蓮正宗の檀信徒は、異体同心に一致団結して、末法流布の仏法を広宣流布し、この大石寺の仮の名を捨てて、富士山本門寺の戒壇の実現を期して、一層御奮闘あらんことをお願いいたしまして、今日の講演といたします」(「大白法」015号
11月27/28日
 宗門、総本山御大会奉修、法華講員300名が参加。
「妙信講からは、浅井講頭先生を中心に、7人の代表幹部が参加した」(「冨士」第5号 )
11月 日  創価学会、秋山慈本師(大乗寺住職)を吊し上げ。
「昭和三十八年十一月、四国大乗寺に突如学会大幹部の原島・小泉等数名が乗り込んできた。これは当時、四国の学会組織内で重大な内紛があり、その鎮圧のために大幹部が赴いたものであるが、ついでに地元の寺院に立ち寄り、学会の威を地元の会員に示さんと、住職をつるし上げたのである。原島らは秋山慈本住職に対し「住職は学会員と法華講員に対しどんな信念で接しているか」と質問し、住職が「学会員も法華講員も同じ御本尊の信者であるから、平等に扱い差別はつけぬ」と答えると、何が気にくわぬか、それから揚げ足とりの下劣な罵倒をくりかえし、捨てぜりふを残して帰った。
 果せるかな数日後、秋山住職に対して宗務院から呼び出しがあり、理由もなく住職転任の処分が一方的に申し下された。秋山師は学会のあまりの横暴と、宗務院の主体性のなさに悲憤し、転任を拒否、ついに宗門を離脱してしまった。この事件は、学会に逆らうことの恐ろしさを、全僧侶に植えつけた。まさに学会は見せしめにこれを行ったのである。以来「物云えばくちびる寒し」の風潮が宗門を覆い、また学会にへつらっていれば経済的には裕福な暮しが出来ることから、すべての僧侶が学会に従うようになったのである」(「試練と忍従の歴史」浅井昭衛 )
12月10日
 妙信講、学習会開催。研修部、登用・昇格試験合格者発表。
「昇格では5名の三級部員が、登用では31名の研修部員が誕生。ここに妙信講研修部は、三級部員20名、研修部員97名となり、質量ともに一段と充実」(「冨士」第5号 )
12月11日  創価学会、男子部部隊長会開催。
 池田大作会長「私はおこがましく、自分が師匠であり、諸君が弟子であるということは一返もいいません。あくまで根本は御本尊様が師匠であり、いっさい私どもは弟子であります」
12月15日  創価学会、第12回男子部総会開催。男子部員、百万名達成。
 細井日達管長「学会員の皆さまは折伏の上の折伏、すなわち、別して折伏を行じ、われわれ僧侶は折伏の上の摂受、すなわち、別して摂受を行じておるということになるのでございます」と。
12月23日
 妙信講、12月度総幹部会開催、「二大目標堂々と完遂
「宿願達成の年の最後を飾る12月度総幹部会は、さる12月23日午後7時から講頭先生を迎えて茗荷谷の拓殖大学3階教室で行われた。… 一同は、"東洋広布の歌" "時来る"を大合唱し、勇躍解散となった」
 教学誌「冨士」第5号発刊、発行兼編集者 白石秀一。
 冨士、巻頭言、浅井甚兵衛講頭「常に精進の気魄を持て
12月 日  創価学会、学生部に法学委員会を設置。
「弁護士をはじめとする法曹資格者や官僚を自前で育てる必要性を、強く感じていたところに、後に造反する山崎正友氏が、学会員弁護士第一号となった。そこで、池田は山崎正友を重用、学会本部の機構や組織改革、そして法的側面の整備を担当させるとともに、山崎に命じて弁護士や官僚の育成に全力を傾注させた」(「週刊実話」元学会本部職員 2000年10月26日号 )
12月 日  創価学会、396万世帯。
 
  年表  
昭和39年 (1964)         _
1月1日
 宗門、細井日達管長、大白蓮華 (1月号)に寄稿。「今や池田大作会長は四菩薩の跡を継ぎ折伏の大将として広宣流布に進軍しております」と。
1月1日
 妙信講、妙縁寺にて初勤行、「新段階に堅い決意
「希望に輝やく立宗712年 昭和39年の初春を祝す元旦勤行は、本所吾妻橋の妙縁寺で午後2時から盛大に厳修された。… 最後に全講員で「お流れ」を頂戴して散会となった」(「冨士」第6号 )
(※ 「希望に輝やく」とは、"暗雲漂う"という意味であった )
1月1日  創価学会、「日達上人御講演集」を鳳書院より刊行。
(※「国立戒壇」の語を「本門戒壇」と改竄している )
1月5日
 妙信講、三千達成報告の総登山、「十年間の大目標発表さる」、参詣 1,545名
「宿願三千世帯達成御奉告と、新しき前進の出陣式をかねた初春の登山会は、内外の注目の中にさる1月5日(日)総本山富士大石寺に一千五百四十五人が参加して盛大に挙行された。午後1時、御開扉が厳修され三千世帯達成が戒旦の大御本尊に御奉告されたあと、午後2時から全講員熱望の日達上人猊下の御説法が大講堂で行なわれ、一同胸をあつくしておききした。講演会では、講頭先生より「向う十年間に十万世帯達成」の大号令が下り、場内は期せずして強い感奮につつまれた。かくて妙信講の新しき活動の路線が決定、いよいよ本格的な広宣流布への大法戦に力強い第一歩をふみ出した」(「冨士」第6号 )
 細井日達師「本日は妙信講の方々千五百余名、御本山に御参詣あって大御本尊様にお参りし、誠に仏恩報謝の為これ以上の喜びはないものと存じます」と。
(※ 一講中の千5百余名の単独登山の意義は大きい)
1月15日
 妙信講、研修部、「末法相応抄」講義開始。
1月19日
 宗門、法華講東京地区連合会・法道院支部青年部総会開催。豊島公会堂に、千百余名が結集。
1月23日
 妙信講、教学誌「冨士」第6号発刊。
1月27日
 妙信講、1月度総幹部会開催、「精進の気魄・全幹部に燃ゆ
2月1日  創価学会、大白蓮華 (2月号)、秋谷栄之助「(広宣流布の時には)わが男子青年部の手によって内閣を組織して…」と。
2月2日
 妙信講、本部に「庶務部」新設。
「此度、妙信講本部に庶務部が設置され、庶務部長に右島敏和氏が就任した。新設の庶務部は、講中活動の記録・辞令・名簿作成管理等、本部の事務関係一切をまとめていくものである。任務は地味で目立たないが、激しい組織活動を円滑ならしめる影の力として重視されており、今後の活動が期待される」(「冨士」第9号 )
 本部辞令、右島敏和、庶務部長に任ずる。白石秀一、男子青年部参謀に任ずる。
2月 日  大韓民国、朴正煕政権、文教部と内務部に創価学会内偵を命ず。
 文教部宗教審議会は、「創価学会は日本天皇と皇室を崇拝し、東方を遥拝するなど、日本の国粋主義的傾向が濃く、政治思想からみて明らかに侵蝕性を帯び、それは邪教であるばかりでなく、韓国にとって、反国家的、反民族的宗教であるゆえに布教は禁止すべきである」と報告。
 国務会議は、創価学会の布教活動防止対策を講じる事を決議。これをうけて全国の警察、創価学会の集会の禁止・通信の調査・刊行物の廃止等、布教活動を妨害。(「覚醒運動の興亡 激動の日蓮正宗」高橋公純 )
2月11日
 宗門、法華講全国連合会、御下付願用紙を統一
「法華講全国連合会として、宗務院と話し合われていたが、この度宗務院の許可があって、新しく全国的に統一された御本尊下付願用紙が使用されることになった。統一された用紙は、平沢会長より各地区連合会長を通じて、各支部に配布されることになっている。今後、法華講員は全てこの用紙を以て、御本尊下付をお願い申し上げることになった」(「大白法」018号
2月23日
 妙信講、教学誌「冨士」第7号発刊。
(※ 以後、各月に発刊される )
2月25日
 妙信講、2月度総幹部会開催(拓殖大学)、「躍進を前に充実を期す」、280余名が参加。
「2月度成果が、別報の通り43世帯と報告され、累計総数はこれで 3,327世帯となった」(「冨士」第8号 )
2月26日  創価学会、アジア民族協会発足。「会長池田先生御出席のもとに発会式が行なわれた。全員30名、先生から力強く暖かい激励をいただいて、心新たに、第三文明建設の大使命の自覚のもとに、勇握、前進を誓い合った」
「第三文明建設の先生の御構想の一つとして、この度、アジア民族協会が生れた。すでに設立されている、東洋学術研究所、アジア文化研究所とともに、王仏冥合の実践活動の一翼を担う使命をもつものであることはいうまでもない」(「(前進」No.47 ))
2月28日
「広布祈願の殿堂たる世紀の大客殿は、さる2月末ににめでたく完成された。創価学会の真心の寄進、そして妙信講も内陣の荘厳の御供養に猊下のお許しを得て参加させていただいた。37年4月2日の着工以来、実に1年11ヶ月の歳月を費やして行われた大工事で、広宣流布の鼓動高鳴る総本山大石寺に新たな威容を加える事になった」(「冨士」第8号 )
3月1日
 妙信講、3月度班長会開催、「三千世帯の名簿作成を
3月2日
 宗門、大乗寺(四国)、本宗離脱。
3月23日
 妙信講、冨士、男子部参謀・浅井信衛「主師親の三徳について」掲載。(「冨士」第8号 )
3月25日
 妙信講、3月度総幹部会開催(拓殖大学)、「大法戦に歓喜勇躍の出陣
3月29日
 宗門、法華講全国連合会、大乗寺(四国)一部講員を除名。(「大白法」号外
4月1日
 宗門、総本山大客殿落成慶讃大法要を奉修。
「日蓮正宗総本山・多宝富士大日蓮華山大石寺に於いて、… 大客殿落成慶讃大法要が厳粛に執り行なわれた。 この日、法華講大講頭池田創価学会々長はじめ、全国からの代表幹部五千人が参列。法華講より来賓として、平沢法華講全国連合会々長はじめ代表幹部百六十名、一般来賓として灘尾文部大臣、小林厚生大臣、東都知事はじめ各界の名士約六百人がこの式典に参列した」(「大白法」019号
 池田大作会長、「"三大秘法抄"に『時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり』との大聖人の御聖訓がございます。その時がついにやってきたとの感を深める者は、私ひとりではないと信じます」と。
4月1日
 宗門、創価学会 池田大作会長を法華講総講頭に任命。
「この落慶大法要のみぎり御法主上人猊下より、法華講大講頭池田創価学会々長に対し、「日蓮正宗法華講 総講頭を任ずる」との辞令が授与せられ、今後、総講頭指揮のもと一致団結して、広宣流布にまい進することになった」(「大白法」019号
 法華講全国連合会々長 平沢益吉「総講頭指揮のもと広布達成に勇猛精進
「池田先生の日夜止暇断眠のたえざる闘争は、全て大聖人様の三大秘法の広宣流布によって大衆を救済せんとするものであり、王仏冥合実現への実践活動であります。… 法華講総講頭と申せば、大聖人の仏法を信ずる者の師表であり、正宗全信徒の棟梁として、総指揮を取られるべきものであります。… 今法華講員は、この尊敬すべき偉大なる指導者を法華講総講頭として頂く身の幸福を感激して、その指揮のもと南妙法蓮華経を信じ身口意の三業に徹して、広宣流布達成へ勇猛精進すべきであります」(「大白法」019号
4月2日  創価学会、戸田城聖会長七回忌法要。池田大作会長「本門の時代」と宣言。
「戸田城聖氏の七回忌が過ぎた頃から、池田大作は「戸田先生の御遺志はすべてやり遂げた,これからは私流にやる」と宣言した。この頃から、"逸脱" が次第に公然化し、エスカレートしていくのである。39年という年は、池田大作が "正本堂建立御供養" を発表し、また "衆議院進出" を宣言した年である。それは池田大作が、自らの "本仏化" と "日本の国主たらん" との野望を剥き出しにしていく第一歩であった。まず池田大作は、正本堂建立をもって、日蓮大聖人御遺命の「事の戒壇」が建立されると意義付け、世紀の大事業であると喧伝すると共に、その建立者たる自分を、"御本仏の生まれ変わり" だとする演出を、巧妙に行なった」(「あの頃のこと」第二十一回 山崎正友「慧妙」第228号 )
4月10日
 宗門、日蓮大聖人入滅日を陽暦換算した、11月21日を以て大石寺御大会奉修日と定む。
4月23日
 妙信講、冨士、「妙信講歌集」掲載。(「冨士」第9号 )
4月25日
 妙信講、4月度総幹部会開催(拓殖大学)、「全幹部に満々の斗志」、200余名が参加。
「4月度の成果が別表のように報告(88世帯)…。佐藤財務部長から、昭和38年度の財務会計報告があり、講中の力として果たしてきた役割を示した」(「冨士」第10号 )
(※ 妙信講では発足当初から、各支部に会計担当、本部には財務部長が会計を管理し、年度ごとに財務会計報告を行っていた。まさに、"講" としての組織であった。櫻川 忠 )
5月3日  創価学会、第27回本部総会。正本堂建立と衆議院進出を決定。
 池田大作会長、戸田城聖会長から「大客殿の建立が終わったならば、ひきつづいて、すぐに正本堂の建立をしなさい」との遺言があった旨を述べ、さらに
「正本堂の建立は、事実上、本山における広宣流布の体制としてはこれが最後なのであります。したがってあとは本門戒壇堂の建立を待つばかりとなります。…
 公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、王仏冥合達成のために、また民衆の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするもよし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか。… 恩師戸田先生も、時きたらば衆議院へ出よとのご遺訓があったのです。…
 来年の10月までに三十億円の御供養をば、皆さん方のご協力を得て行ないたい。大変であると思いますが、一世帯七百円の御供養を基準といたしたい。来年10月までは、約15ヵ月間でございます。従って一世帯で1ヵ月に五十円ずつ、なんらかの方法で節約し、貯金していただければ、七百円になるわけでございます。皆さまがた、どうでありましょうか。(大拍手)。それでは満場一致でそう決定といたします」と。
「池田大作という、戸田氏に比べて信仰心も薄く教学力も劣り、そのかわり野心と自己所有欲のみが異常に発達した人物が、仁と徳ではなく策略で会の実権を握ったために、創価学会の教義逸脱と弊害が極端に肥大化されていくことになった。そして宗門側からの警告を無視して、創価学会は逸脱を重ねエスカレートして、ついに日蓮正宗とはまったくかけ離れた "邪教・池田大作教" へと変質していったのである。大御本尊と御法主上人猊下の大恩を忘れ、「すべて俺がやった。すべて俺のものだ!!」とするその増上慢が、池田大作をしてさらなる大謗法、第六天の魔王への道を走らせた。その分水嶺が正本堂御供養であり、公明党の衆議院進出であったと思う」(「あの頃のこと」第二十二回 山崎正友「慧妙」第230号 )
5月6日
 宗門、総本山大客殿にて霊宝お虫払い大法会奉修。(「大白法」020号
5月12日
 法華講全国連合会、平沢益吉会長、松本日仁師に指導教師辞任を強要。
「昭和三十九年五月十二日、平沢は妙縁寺の総代であり連合会の幹部でもある佐藤悦三郎をお供に連れて妙縁寺を訪れ、松本日仁尊能化に対し『妙信講と縁を切らないと学会に睨まれ、あなたの宗門僧侶としての立場も危なくなりますよ』と威し、指導教師を辞任するよう説得した」(「顕正会の歴史と使命」浅井昭衛 )
5月13日
 宗門、蓮華寺(大阪)。本宗離脱。創価学会の干渉と介入への反発と、宗門の学会への融和姿勢による。
「崎尾住職は、離脱理由として、
 (1) 池田の法華講総講頭任命、
 (2) 末寺総代に必ず創価学会員を入れる、
 (3) その意をうけて末寺住職を左遷する、
など、宗務当局が創価学会の傀儡と化していることを挙げた」
5月23日
 妙信講、冨士、巻頭言、浅井甚兵衛講頭「勤行」掲載。(「冨士」第10号 )
5月25日
 妙信講、5月度総幹部会開催 (拓殖大学)、「6月は指導の月」、280余名が参集。
「注目の折伏成果発表では、別表のごとく班別支部別に報告された後、総計131世帯の本尊流布と、さらに年間累計で3,500世帯を突破したことが報告され、期せずして場内から拍手がまき起こった」(「冨士」第11号 )
5月31日
 妙信講、庶務部、三千五百世帯の本部名簿完成。
「庶務部の最初の業務として行われていた3,500世帯の本部名簿が、去る5月末をもってついに完成された。… 広布への御奉公に本格的な活動に踏み出す妙信講の基盤として注目されていた3,500世帯の名簿が完成されたことは、新しい十年後への前進にその"準備態勢なれり"を感ずるものである」(「冨士」第11号 )
5月 日  創価学会、4百万世帯となる。
6月12日  創価学会、『巻頭言・講義集第三巻』発行。『御法主上人猊下は遣使還告で、日蓮大聖人と拝し奉るのです。このことは信心の上からはっきりしたものです。創価学会の会長を過大評価したりしてはいけないのです』と。
6月15日
 妙信講、研修部、「当流行事抄」講義開始。
6月23日
 妙信講、冨士、巻頭言、浅井甚兵衛講頭「七月」掲載。
 冨士、お知らせ、「冨士に第三種認可下る
6月25日
 妙信講、6月度総幹部会開催(拓殖大学)、「7月は安国論御建白の月」(「冨士」第12号 )
6月30日  創価学会、第27回学生部総会。池田大作会長、『創価大学の設立、王仏冥合の理念』等について講演し、国立戒壇を否定
「それで『創価学会は国立戒壇をめざしているからよくない』このように陳腐な論議をしております。まったくナンセンスのかぎりであります」、「御書にも日興上人のおことばにも、日寛上人のおことばにも”国立戒壇”ということばはないのです。”戒壇”といえば”本門戒壇建立”となるのです」
「戸田先生は「本尊流布が、信心がトウフである。戒壇建立はオカラである。カスの様なものだ」この様に何度もおおせになっていました。その本質を皆さん方もよく知っていただきたいと思います。戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない … ひとつの石碑みたいなしるしとして置くのが戒壇建立にすぎません」と。(「聖教新聞」7月2日号)
「やがて、『国立戒壇論』をあっさりとおろしてしまった。それもこれも、すべて池田氏の野望のためであり、政治も宗教も、池田氏にとっては、野心を果たすための道具だったのである」(「闇の帝王、池田大作をあばく」 山崎正友 )
「池田会長の国立戒壇否定が、衆議院進出・公明党設立と連動していることは明らかであろう」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠 )
7月 日
 法華講全国連合会、平沢益吉委員長、妙信講との折衝記録を記す。
「彼曰く、協力の限界を考慮して貰へまいか、即ち、御供養とか登山とかは会長の言はれる通りにして猊下への御奉公はするが、其他の事は講頭以下三・四名が代表して参加することで認めて貰いたい。末端の者を色々な行事に出したり、青年部を連合会の青年部へ参加させる事は、切角大きく前進しておる講中に動揺を来たすので、妙信講の指導訓練はこのままにして貰いたい。… 妙信講の特別事情を許して貰いたい。
 余曰く、連合会中に於て、特別事情を許した上での協力を認める等とは、もっての外である。ある場合場合に即して理事会が納得、承認した場合ならともかく、全面的協力でなければならない。(略)
 彼曰く、全面協力は即ち無条件降伏である。それでは妙信講講員に破たんを来たす因をなす。だから条件を認めた上での協力と言う事に願いたい。
 余曰く、何回も言うておる通り… 何処まで話しても、時間をとるばかりで無駄であるから之で打切りにしたい」(「平沢日記」平沢益吉 )
7月27日
 妙信講 浅井甚兵衛講頭、松本日仁能化と共に平沢益吉委員長宅を訪問し登山を嘆願。
「午後二時、妙縁寺御住職松本御能化、妙信講浅井父子の三名、私宅を訪問さる。父子曰く、今迄の事は全部何も言はずに、
 一、唯これからは妙信講は連合会に協力しよう。
 二、八月登山を認めて貰いたい。以上、之が為に頭を下げて来た。
 併し話の内に数々本音が出て来て、… 妙信講青年部を連合会青年部と共に活動させる事は困るからも除外して欲しい等々。依って余は彼等の言う連合会へ全面的協力なる事は甚だ疑はしいので緊急に臨時理事会を開き検討して決すべしと申し渡す」(「平沢日記」平沢益吉 )」
 7月度総幹部会開催。「八月は再建の月」
「成果発表では別報の如く86世帯と報告され、ここに総世帯数は3,600世帯を突破、いよいよ4千台に迫ることになった」
 浅井昭衛企画室長、「いよいよこれからが、猊下にお仕いしての本番の斗いである。苦難が襲いかかる事は百も承知で我等幹部一同は、講頭先生のもとに益々強き団結を示し、法華経に勝る兵法なしの法戦を力強く推し進めていこう」(「冨士」第13号 )
7月30日
 法華講全国連合会、妙信講に「全面協力しなければ登山は認めない」と書面で通告。
8月1日
 妙信講、再建・満7周年記念班長会(妙縁寺)。
 浅井昭衛企画室長「天下挙ってそしろうとも一人の大聖人様がうなずき遊ばされれば何を恐れる事があろう。…
 妙信講が次の七年にはどれ程の御奉公が出来るであろうかと、又 魔障の嵐もますます激しい事であろうと、だが既に勝利の証拠はつかんでいる。これからの法戦こそ妙信講の使命を果たす本当の戦いなのだと、肚を固めるのが今日の集まりであります。妙信講は小手先の小細工は用いない。ただ生一本な信心だけで貫き通して、法主上人猊下の下に勇敢に斗っていく講中であります。大事な使命があるのです」と。(「冨士」第180号 )
8月1日  創価学会、池田大作会長「御本尊様は日蓮大聖人の生身と拝することです。その信心でなければなりません。… 御本尊を"物"と扱うようになった場合は罰を受けます。学会精神に反します。信心ではありません」(「大白蓮華」8月号 )
 29年後の池田大作会長「宗祖日蓮大聖人がこの御本尊も、ただ信心の二字におさまれりと言われたのであります。信心の二字の中にしか本尊はないんです。本門戒壇の板御本尊、なんだ寛尊、信心の中にしか本尊はないんです、ただのモノです。一応の。機械です。幸福製造機だもの」(本部幹部会 平成5年9月7日 )
8月2日
 宗門、全国法華講連合会 東海地区第1回大会開催(清水・妙盛寺)。
8月8~9日
 妙信講、男子班長以上 野外訓練(富士宮 要行寺)。
「8月度男子班長会は初の野外訓練を取り入れて、さる8月8日9日の二日間にわたって富士宮並びに本栖湖で行われた。… 第一日目、… 直ちに班長会に入った。… 二日目は勤行の後、御尊師の御説法並びに青年部長の指導が行われた。… 途中、白糸の滝を見学、記念写真等をとった。本栖湖では、若さに溢れたエネルギーが爆発、水泳、ソフトボール、ボートとそれぞれに躍動、楽しいひと時を過ごした」(「冨士」第13号 )
8月12日
 妙信講、法華講全国連合会の登山妨害につき、細井日達管長に「歎願書」提出。
「今般大客殿落慶々祝の登山に付き、恐れ乍ら法主上人猊下に歎願し奉ります。…
 然るにこのたび、連合会より突如として登山の拒絶が申し渡されました。その理由は「妙信講の連合会に対する協力の度合いが足りぬ」との事であります。余りの事に、只呆然とするのみでありました。私共の思いには、御開扉を許す許さぬは、昔より血脈の御一人の為されるところにして、一般僧侶すら口にする所ではないと。況や尊き戒壇の大御本尊への参詣を、統制の道具に利用し、無条件に従わなければその道を塞ぐなどと云う連合会の処置は、まことに非理の甚しいものと思わざるを得ません。…
 事ここに及んで、私共にては解決の方途もございません。よって枝葉のいきさつを尊き御耳に入れ煩わし奉るを恐れながらも、敢えて御法主上人猊下に歎願申し上げる次第でございます」(「冨士」第180号 )
8月13日
 妙信講、臨時班長会開催、「緊急招集に全幹部集う 本山登山に歓喜
「緊急召集の臨時班長会は、さる8月13日午後7時から本部で行われた。… 冒頭に浅井企画室長が立たれ、緊急招集の趣旨『大客殿落慶々祝登山が猊下の御慈悲を賜って急遽この8月19日に挙行されることになった』と発表された。あまりの急に一瞬驚いた全幹部は、ついで歓喜の拍手をもってその発表に応えた」(「冨士」第13号 )
8月19日
 妙信講、大客殿落成慶祝登山挙行、1千余名が参加。
「待望の大客殿落成慶祝登山は、快晴にめぐまれたさる8月19日総本山富士大石寺に一千余名が参加して盛大に挙行された。わずか4日間の呼びかけで馳せ参じた一同だけに、戒壇の大御本尊様をひたぶるに慕う信心がほとばしり出て、いつにも増して感激に満ちた登山であった。想像を超えた大客殿の威容に深く感激するとともに、いよいよ広布への確信と決意を固めた」(「冨士」第13号 )
(※ 以後、法華講全国連合会の妨害により5年間登山不能となった )
8月25日
 妙信講、8月度総幹部会開催(拓殖大学)、「第二の七年へ出陣
9月16日
 宗務院、法華講全国連合会の「問い合わせ」に書面で回答。
「妙信講の件について、左の通り御回答申し上げます。
 一、本宗においては『おあづけ講中』という制度はありません。
 二、本宗ではすべての講中が寺院に所属しており、妙信講は現在妙縁寺所属の講中と認めております。
 三、他の法華講支部と異っていません。本宗にあってはすべての講中を平等に取扱っております。
 四、宗制に則った講中として認めております。以上」
「妙信講は法華講連合会に対し、「他の講中とは異なった独自の立場で日淳上人より認証されている」と主張した。このため連合会は宗務院に対し、妙信講の扱いについて書面で問い合わせた。宗務院からの九月十六日附の回答は、妙信講が他の法華講支部と同列の講中であるとしてそれ以上の特別な独自性は認めず、宗制に則った講中であることを確認したものだった」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠 )
9月24日
 法華講全国連合会、臨時役員会開催(常泉寺)。 連合会役員と妙信講代表の論議の末、「妙信講は連合会に参加せざる団体」との結論に至った。
「あくまで他の法華講とは異なると言い、現在の妙縁寺法華講支部とは一緒にはやれぬと議事進行に協力せず。… 連合会と妙信講は今迄の数回に亘る会議も効なく、浅井父子の不誠意のため、妙信講は浅井父子のもとに連合会に参加せざる団体であり、連合会は浅井父子の率いる妙信講を含まざる全国法華講支部を網羅した法華衆の大集団である事を確認して閉会する」(「平沢日記」平沢益吉 )
9月16日
 妙信講、男子特別幹部会開催、「明年4月に力強い出陣
 浅井昭衛青年部長「私は諸般の情勢をみま して、今妙信講に於て、きっすいの信心で立つところの若き地涌の菩薩が一千集まらん筈は絶対にな い、こういう事を強く確信しております。 二年前からいっておりました、一千が来年4月にできないならば、この青年部をひきいるものの罪である、私の一切の責任である、こう思います。もしも明年出来なかったならば、その以後私を青年部長と呼ぶ必要もないし私の指導を受ける必要もない、かくの如く一切を明年4月にかけまして、断固として一千達成をやってのける決意をしております」(「冨士」第14号 )
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会開催(拓殖大学)、「七年の節・第10回総会に全力
「9月度の折伏成果は 83世帯で、累計総世帯数世帯は 3,715世帯となった」(「冨士」第15号 )
10月3日
 妙信講、男子部班長会、「男子部幹部会で "武田節" を歌っていく」事が発表された。
 浅井昭衛青年部長、「我々は依義判文して、"妙信講が家" の武田節として歌っていくのです」(「冨士」第15号 )
10月10日  東京オリンピック開催。第18回オリンピック競技大会、有色人種国家における史上初のオリンピック開催となった。
10月16日  中華人民共和国、原爆実験に成功、5番目の核保有国となる。その後も核兵器開発を続け、1967年には水爆実験に成功した。
10月25日
 妙信講、第10回総会開催(神田共立講堂)、「新しき広布の船出、第二の七年
 特別講演、松本日仁師「成仏とは煩いもなく障りもなき境涯
 講頭講演、浅井甚兵衛講頭「立正安国論の御聖旨に沿おう
 浅井昭衛企画室長「信心一本の伝統精神を見つめよ」と題して、「妙信講は、使命と妥協を許さぬ清純な信心ある故に、三障四魔が行手をさえぎる。これを強盛な信心で乗り切った時、始めて妙信講の大使命がわかる」と。
11月1日  創価学会、青木享「学会の目的はただひとつであり、それは広宣流布といい、王仏冥合といい、国立戒壇建立といい、ぜんぶ同じことを指している。… 民主国家における民衆の総意は、同時に国家の意思であるから、それが国立戒壇と呼ばれても何ら不思議ではない」(「大白蓮華」11月号 )
「これが創価学会における、「国立戒壇」主張の最後となった」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川忠 )
11月9日  佐藤榮作内閣発足、佐藤榮作、第61代内閣総理大臣に任命さる。
11月15日
 妙信講、御大会式厳修(妙縁寺)、1千余名が参列。
11月17日  創価学会、公明政治連盟を改組し『公明党』を発足、日大講堂で結党大会開催。委員長・原島宏治、書記長・北條浩。結党宣言では、『立正安国論』を引用して「王仏冥合の大理念に立つ」と。
 綱領には、1)王仏冥合と地球民族主義による世界の恒久平和、2)人間性社会主義による大衆福祉の実現、3)仏法民主主義による大衆政党の建設、4)議会制民主政治の確立、を掲げる。
「公明党結党宣言
 今や混沌たる世界情勢は、一段と緊迫の度を加えるにいたった。一方、国内情勢は依然として低迷をつづけ、国民不在の無責任政治がくりかえされている。このままに放置せんか、日本は激しい東西対立の犠牲となることを、深く憂うるものである。
 日本出世の大聖哲、日蓮大聖人、立正安国論にいわく「所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽う所、土民の思う所なり、夫れ国は法に依って昌え法は人に因って貴し」と。この仏法の絶対平和思想、即ち、王仏冥合の大理念のみが、世界を戦争の恐怖から救いうる唯一の道なりと、われわれは強く確信する。
 ここにわれわれは、公明党の結党を内外に宣言するものである。公明党は、王仏冥合、仏法民主主義を基本理念として、日本の政界を根本的に浄化し、議会制民主政治の基礎を確立し、深く太守に根をおろして、大衆福祉の実現をはかるものである。
 しこうして、ひとく地球民族主義の立ち場から、世界に恒久的平和機構を確立することを、最大の目標として、勇敢にたたかうことを、国民の前に堅く誓うものである。右、宣言する。昭和39年11月17日 公明党」
 池田大作著「政治と宗教」刊行。
11月24日
 法華講全国連合会、第1回総会開催(総本山)、法華講員8千余名が参加。
11月25日
 妙信講、11月度総幹部会開催(拓殖大学)、「指導の徹底で信心の歓喜を
11月27日
 法華講全国連合会、平沢益吉委員長、妙信講に書状を送付。妙縁寺における形木本尊下附の妨害強まる。
「当時、下附申請用紙は連合会で統一され、妙信講もその用紙を使う以外に下附が受けられなかったが、平沢会長はこの返却を迫ってきたのである」(「冨士」第180号 浅井昭衛 )
12月5日
 妙信講、上記書状への回答を、法華講全国連合会に送付。
「拝啓 十一月二十七日付の書状拝見致しました。「何等善処する行動之無く」との御意を承りましたが甚だ心外であります。当講の連合会に対する心情は一貫して「何卒協力出来得る計らいを給わり小講も又宗内の一翼として存分の御奉公をさせて頂きたい」との存念に尽きるものであります。…
 かかる所存なれば当講に脫会の意志など毛頭なく、又それは猊下に対し奉り此の上なく申し訳ない事であります。然るに今回の御文面に「連合会の名儀にも支障を生ずる為」として御本尊下附願書の返却を迫る貴翰に接し、不審極り無く、若し御意に随って返却仕つれば自ら心ならずも脫会を認めた事になり、却って連合会に対する当講の真情の誤解を招くものと恐れるものであります。故に敢えて返却は猶予させて頂きます」(「冨士」第180号 浅井昭衛 )
12月9日  公明党、原島宏治委員長逝去。後任に辻武寿が就任 。
12月22日
 妙信講、12月度総幹部会開催(拓殖大学)、「黎明の年へ勇躍の第一歩
12月22日  創価学会、仏教哲学大辞典 第1巻発行。
12月 日
 妙信講、冨士、「黙々と練習にはげむ楽隊
「過日の第10回総会で見事な成長を見せた楽隊は、その後も月の日曜日毎に本部に参集、次の大会を目指して黙々とした練習を行っている。この楽隊は、38年2月に編成されたものであるが、最初の一年は隊員の固定メンバーが決まらず足ぶみ状態を続けていたが、本年6月に新編成しその後数ヶ月の練習で非常な進歩を見せている。現在隊員は9名、橋本泰朗楽隊長を中心に全員が10代の高校生で、明るく団結しており今後の成長がさらに期待されている」(「冨士」第17号 )
12月 日  創価学会、524万世帯。
 
  年表  
1月1日
 宗門、細井日達管長「大白蓮華」1月号に「新年の辞」を寄稿。
「思えば昨年春、会長池田先生との談話の時に、私が『すでに広宣流布しておる』と語ったら、会長は、『そうです舎衛の三億です』と即座に答えられたので、私はその見識に内心感嘆したのである」と。
1月1日  創価学会 池田大作会長、年頭挨拶。
「日蓮大聖人様のご予言、そして日興上人様のご構想が、日達猊下の時代にぜんぶ達成されると思われます。じつに、名前におふさわしき日達上人であられます」と。
 池田大作会長、聖教新聞紙上に法悟空の名で、小説『人間革命』(第1巻)の連載を開始。
「『人間革命』の実際の著者は、社長会にも名を連ねている東西哲学書院の社長である篠原善太郎氏であり、池田氏は篠原氏の原稿に手を入れているだけなのです。継命新聞社発行の『社長会全記録』を読むと、池田氏が篠原氏に対し破格の扱いをしているのが分りますが、それは『人間革命』の著者ゆえの扱いにほかなりません」(「池田証言ハイライト」)
(※ 後年、篠原善太郎の死去により連載が途絶える。池田大作会長、残りの原稿探しに大慌て )
1月1日
 妙信講、「黎明の年」。初春を祝す元旦勤行、妙縁寺に1千余名が参加。
 浅井昭衛企画室長「黎明は暗黒の次に来る」「魔障の嵐はすべて覚悟の前である」
1月7日
 妙信講、研修部。昇格・登用試験実施。
1月9日  創価学会、ロサンゼルスで第2回全米総会開催、2,300名が参加。
1月17日
 妙信講、研修部。登用・昇格試験実施。
1月21日
 宗門、正本堂建設委員会を設置。創価学会 池田大作会長、委員長に就任。
1月24日  創価学会、南米本部総会開催、1,700名が参加。
1月25日
 妙信講、1月度総幹部会開催。「力強く大衆救済に第一歩」
1月30日
 妙信講、研修部。六巻抄講義完了。
「さる1月30日の研修部会をもって、浅井企画室長による当流行事抄の講義が終わり、ここに六巻抄の講義が完了」(「冨士」第19号 )
2月7日  ベトナム戦争開始、アメリカ軍、北爆を本格化し陸上部隊も派遣、全面的な戦争に突入した。東西冷戦中で最も激しい戦闘が展開されたが、1973年3月29日にアメリカ軍はベトナムから撤退した。
2月7日  創価学会、ストックホルムで第2回北欧総会開催。
2月 日  公明党、辻武寿委員長。東京・信濃町の聖教新聞社に隣接した、文部省の職員住宅地約2千5百㎡を、公明会館別館を建てるとの理由で大蔵省に払い下げを申請し取得。
 当時、田中角栄蔵相の小佐野賢治氏と関連した虎ノ門公園跡地不正払い下げ事件が問題化しており、公明党も追及質問の先陣に立っていた。公明党は払い下げから2年間放置した後、その土地を創価学会に贈与。国が宗教団体に国有財産を払い下げれば、憲法に抵触するため、公明党をトンネルに利用。
2月 日  「中央公論」、評論家・村松剛の論説掲載。
「創価学会にはさわらない方がいい、という一種の暗黙の申しあわせが、このごろのジャーナリズムにはできかかっているようにみえる。(略) ことに大新聞は2、3年前からこの宗教団体にたいして何も批判めいたことを言わなくなった」(「同誌」3月号)
2月15日
 妙信講、研修部入部式開催。「総勢140余名で新しい出発」「四年間の六巻抄研鑽を終えて十大部に」
2月16日
 宗門、第1回正本堂建設委員会を開催(大石寺大講堂)。
 細井日達管長、「一般の見解では、本門寺のなかに戒壇堂を設けることであると思っているが、これは間違いであります」、「大御本尊のおわします堂が、そのまま戒壇であります。したがって、大本門寺建立の戒も、戒壇の御本尊は特別な戒壇堂でなく、本堂にご安置申し上げるべきであります」、「今日では、戒壇の御本尊を正本堂に安置申し上げ、これを参拝することが正しいことになります。ただし末法の今日、まだ謗法の人が多いので、広宣流布の暁をもって公開申し上げるのであります」と。
(※ 後に、正本堂完工式における北條浩建設委員会副委員長の経過報告で、「このとき猊下が、正本堂は戒壇の大御本尊を御安置申し上げる本堂であると決定」と)
2月18日
 宗門、崎尾正道師を法規違反により擯斥処分。
2月25日
 妙信講、2月度総幹部会開催(拓殖大学)、「手をゆるめずに折伏弘通を」。
「2月度本尊流布…33世帯で、ここに累計総数は 3,801世帯となった。ついで佐藤財務部長より39年度の財務決算の報告があり、妙信講前進の基礎となった経済活動が如実に示された」(「冨士」第20号 )
3月3日  大韓民国、ソウル高等法院特別第一部、「創価学会活動禁止取消し」訴訟で創価学会側の勝訴。これに対し、学生・宗教界・遺族会などの団体が、創価学会の糾弾集会を開催。
3月5日
 宗門、『大日蓮』3月号。(正本堂建設委員会での)「猊下のお言葉は、戒壇に対する一般の見解についての誤りを御指摘なされ(略)、正本堂建立が実質的に戒壇建立と同じ意義であるという、日蓮正宗の奥儀にわたる重大なお言葉があった」と。
3月5日  創価学会、聖教新聞社説で「この尊い戦いに、我が身を惜しまず参加した者のうける功徳は絶大である」と、公明党の選挙戦に功徳があるとした。
3月7日  創価学会、ローマで第2回南欧総会開催。
3月8日
 妙信講、御登山につき細井日達管長に、嘆願書提出。
「私共の存念と致しましては、連合会はあくまでその名の示す如く、法華講の横の連絡機関で、毫も統合に手を出すべきものではないと存じます。猊下の意を体する全宗門的な法華講の連絡調整の窓口であると思っております。現在の連合会が猊下の御意を曲解・逸脱し、単一統合体なりとし、命令に随わざる者には見せしめに御開扉を拒否し、御本尊下附用紙を取り上げる如きは、あたかも戦時中の悪統制の再現を思わしめるものであります。この様に連合会が統合体への路線をあゆむ以上、講中活動は絶体絶命の窮地に追いこまれ、円満解決は到底望むべくもありません。事ここに至って松本尊能師も途方にくれ、共に長大息の外はございませんでした。幸いにも現在講員は一人として此の間の事情を知る者なく、悉く純信に折伏に励んでおります。然し乍ら理不尽なる連合会の権力乱用により、一途に信心しながら尚年一回の登山も叶わぬと知った時の四千講員の悲憤慨を思う時、前途暗澹胸に釘を打たれる思いであります」(「冨士」第181号 )
(※ 宗務院、柿沼広澄総監。嘆願書に対し7月31日に、妙信講に文書で回答 )
3月13日  創価学会 池田大作会長、聖教新聞に談話を掲載。「公明党の選挙戦は、宿命転換のための絶好のチャンス」と。
3月25日
 妙信講、3月度総幹部会開催(拓殖大学)。「正直な修行が功徳の源泉」
 3月度折伏成果は 36世帯。(「冨士」第21号 )
3月25日  創価学会、大客殿落慶記念300万総登山終わる。
3月26日
 宗門、正本堂建設委員会、『正本堂建立御供養趣意書』(宗務役僧・宗内高僧等21名が委員として連名)を発表。
「かねてより、正本堂建立は、実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成であるとうけたまわっていたことが、ここに明らかになったのであります。…
 総本山における大建築についての御供養は、これで最後の機会となるでありましょう。千載一遇とはまさにこのことであります。末法万年の外、未来までも人類救済の大御本尊様を御安置申し上げるこの正本堂建立の大事業に参加できることは、永遠の誇りであり、大福運であります」(「大日蓮」3月号 )
4月2日  創価学会、池田大作会長の『御義口伝講義 上』を刊行。
 細井日達管長、池田大作著「御義口伝講義 上」の序に寄稿。「私は、本書を一読して、この講義に一言をも加うる余地なきことを知った。そして、池田先生の死身弘法の寸暇を、さらに止暇断眠して、この大講義をなせるは、実に在世の維摩居士の、今に出現せるかの感を深くしたのである」
 池田大作会長、「御義口伝講義 上」の序に記す。「総本山第六十六世日達上人猊下の御監修を賜り、ここに、御義口伝講義を刊行する運びとなったことは、誠に無上の光栄である。日蓮大聖人の極説中の極説たる御義口伝を講義することは、もとより資性凡愚な私のよく耐え得るところにあらず、果たして御本仏の真慮に叶うや否や、ただただ恐懼の限りである。… 「御義口伝に云く」とは、日蓮大聖人の観心より、あらゆる生命論、宇宙観、社会原理を、信心に約し、生活に約し、縦横に説かれたものである。この一言一句こそ、あらゆる思想、哲学、宗教を超越する偉大なる大哲学の極説といえよう。… 最後に、編纂にあたり、原島崇君の援助を心から感謝して止まない」
4月6日
 宗門、総本山六壷落慶入仏式。大石菊寿宗務支院長、「この度池田大作先生によって御供養されるところの正本堂は、実質において、まさに本門戒壇堂の建立となったのでございます」と。
4月8日
 妙信講、浅井昭衛青年部長「男子部一千結集の檄文」
「世界は動乱の兆すら見える現今、一千の精鋭結集の意義は計り知れぬものがあります。戦いは最後の五分間に決するものであります。此の大法戦に若し油断があったなら、悔いを千載に残すものであります。最後の数日をここに迎え、この数日に過去数年の思いを込め「唯体をぶつけて御仏意を待つ」の捨身の戦いを展開しようではありませんか」(「冨士」第181号 )
4月18日
 妙信講、男子青年部大会開催(北区公会堂)。講中の存続を賭した一千名を結集、「黎明」の幕を開く。「再建以来、講頭先生の直属として青年部長の下に団結、試練の嵐を突破して敢然と斗つ てきた男子部が、ここに力を以って広布への御奉公を成さんとする堅陣を固め、第二の七年をめざす妙信講の黎明の幕あけを成した」(「冨士」第21号 )
 講頭講演、浅井甚兵衛「国土の盛衰は仏法の明鏡で見よ
 浅井昭衛青年部長「『御本仏の弟子』のお許し賜うを確信」、「仏法は証拠を以て論ずるのであります。いかように大言壮語し、大聖人の口真似をし、御書を論じようとも、難信難解の御本尊を事実に於て弘通し、一千結集の儀式が出来ぬならば単なる虎の威を借る狐ではないか、大聖人の弟子ではない、広布の人材の集りではない、かく常々思っておりました。現在の男子部の実力からすれば未だ一千の結集は不可能に近い事でありました。… 遂に本日ここに精鋭一千が見事勢揃い致しました。ここに私共は此の証拠を以て、御本仏の眷族、大聖人の弟子たるのお許しを賜われる事と強く確信するものであります」(「冨士」第21号 )
4月24日
 妙信講、4月度総幹部会開催。「5月は二年ぶりの支部総会」、4月度折伏成果26世帯。(「冨士」第22号 )
5月3日
 妙信講、男子幹部会開催。
 浅井昭衛青年部長「『つたなき者のならいは約束せし事を、まことの時はわするるなるべし』と、大事を成す者は一度口に出した事は必ず実行するものである」
 [解説 浅井昭衛]「かくて、無謀と思えるこの結集大会の成否にすべてを賭けたのであった。「敗れたらそれまで」自分は直ちに青年部長を辞めようと心に決めていた。それが妙信講の瓦解に連がることは百も承知していたが、そこまで当時の心境は追いつめられていたのであった。ただすべてを賭けて大聖人の御意を拝したかった。… 大会の内容には特筆すべきものはない。一千結集の一事にこの大会の意義はあったのである。… また一万世帯めざして、本格的な全講中の前進を開始せんと、… 一万達成への推進本部が設けられ、自分は本部長となった」(「冨士」第181号 )
5月3日  創価学会、池田大作著「科学と宗教」発刊。
5月5日  真世界社、「創価学会・公明党の真相」(新田倫三著)発刊。
5月25日
 妙信講、5月度総幹部会開催。二大目標として「正本堂建立御供養」と昭和43年「一万世帯達成」を掲げる。「いよいよ正本堂建立の御供養、真心を尽して悔なき結晶を」。5月度折伏成果 42世帯。
「今回、総本山において御法主上人猊下の御思召により、正本堂を建立される事になりました。妙信講も宗門の一翼として、講中の全力を挙げ、真心を込めて猊下に御供養させて頂く事になりました。… 今までの七百年はひたすら時を待たれて御宝蔵の奥深く秘せられてまいりました。唯そのスキマもる光を拝して、一部の宿縁深厚なる信者が許されて猊下より内拝を賜っていたのであります。その御本尊様がいよいよ時を得て徐々に大衆の中に御出ましになる、御宝蔵より、奉安殿へ、更に猊下の深い御思召により大客殿の奥深き正本堂へとお出ましになるのであります」(「冨士」第23号 )
〔解説 浅井昭衛〕「正本堂の御供養には妙信講も参加した。今日から見れば、なぜこれに参加したのか不思議に思う人もいようが、当時はまだ誑惑が顕著ではなかった。… 池田がなんといおうと、管長猊下は、本宗の相伝に則って、正本堂を大客殿の奥深く位置させることにより、正本堂を広布の時を待つ蔵、すなわち大御宝蔵の意味を持たせたかったのであろう。これが猊下の本意であったことは間違いない。しかし一方には池田大作の「猊下の御説法に基く」旨の、正本堂を御遺命の戒壇とする歪曲があり、管長はこれも黙認していた。管長はまさに両義を存していたのである。… 妙信講が正本堂の御供養に参加することを打ち出したのは、このような時であった。… 本門戒壇は本宗の重大教義である、我々信徒が軽々に論ずるのは恐れ多い、またこの根本教義に狂いを生ずることを猊下が断じてお許しになるはずがない… だが、妙信講が御供養参加を打ち出すと、連合会が騒ぎだした。させない。というのである。平沢益吉は「連合会に加わらぬ妙信講の供養な-どは宗門で受け付けるはずがない」と豪語していた」(「冨士」第181号 )
6月4日  創価学会、池田大作会長「私を離れて、いくら戦ってもダメだ。私と境智冥合していなければ、異体同心とはいえない。… 境智冥合しなさい。それ以外にないよ。私は信心の指導者だ。私しかいないよ」(『前進』6月号 )
6月22日  日韓基本条約締結、佐藤栄作内閣が大韓民国の朴正煕大統領との間で締結した。過去の日韓併合条約等は失効し、日本は韓国を「朝鮮半島唯一の政権」であると認めた。日本は無償3億ドル、有償2億ドルの経済援助を行い、以て賠償問題は終了した。
6月25日
 妙信講、6月度総幹部会開催。「あと45世帯で四千達成」、6月度折伏成果50世帯。(「冨士」第24号 )
6月28日  創価学会、九州臨時幹部会。池田大作会長、参院選を前に「王仏冥合の指導者は私であります。創価学会の前進は宗教のための宗教の実践ではありません。あくまでも政治の源泉になり、社会革命の源泉になり、……これが真実の宗教のありかたです」と。
7月3日
 妙信講、男子幹部会開催。「「忍」の一字」
 浅井昭衛本部長「あの平家全盛の時代、源氏の再興を志した頼朝は十三歳より十八年間辛苦をなめたが、じっとんで時を待ち、三十一歳の時に再興を果したという。妙信講も本当の使命を果すまで「忍」の一字を帯して、うまずたゆまずの前進の中で力をつけていきたい」
7月4日  第7回参議院議員通常選挙、公明党 11人当選。
「昭和四十年の三重県での選挙違反事件では、多数の逮捕者から"手づる式"に候補者・小平芳平氏(元参議院議員)まで逮捕されかねない状況だった。この時は、竹入義勝氏(当時、公明党都議団長)、和泉覚氏(当時、参議院議員、参議院法務委員長)らが、検察や警察に圧力をかけまくり、何とか候補者への波及はくい止めた」(「創価学会・公明党の犯罪白書」山崎正友 )
7月12日  創価学会、青年部最高幹部会。
 池田大作会長、「来年には衆院選挙が予想されるにあたり、今後10年先20年先のため、王仏冥合の根本的なあり方を、ここに強調しておきたい」、「創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である。ともに日蓮大聖人の教えを奉じ、王仏冥合をめざす同体異名の団体である」、「創価学会を離れて公明党はありえない。されば創価学会と公明党は、永遠に一体不二であります」と。
7月 日  創価学会、池田大作会長。評論家・高瀬広居のインタビュー記事の発言。
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」
7月15日
 妙信講、研修部。「三大秘法禀承事」講義開始。
「待望久しい研修部会が、4ヶ月間の沈黙を破って、さる7月15日午後7時から本部で開催された」(「冨士」第24号 )
7月15日  創価学会、「聖教新聞」日刊化。
7月23日  東京都議会議員選挙、公明党 23名全員当選。
 元・都議会公明党幹事長、龍年光「もともと公明党の原点は都議会。東京都が宗教法人創価学会を認証した所轄庁だったため、創価学会は殊の外東京都を重視した。また、創価学会の選挙は戸別訪問が主体であり、警視庁が本気で捜査を開始したらひとたまりもない。(略)そこで、警視庁の予算と人事を審議する都議会を重視した」と後に暴露。
「昭和40年代から50年代にかけて、公明党は築地の料亭を警視庁幹部の接待場としており、手の空いている議員は、昼からそこに詰めていた。そうして得た警察情報や人脈を活用し、竹入委員長をはじめ、現在の都議会公明を牛耳る藤井富雄都議、大川清幸都議などが選挙の度ごとに全国の警察幹部を接待。創価学会・公明党の選挙活動に手心を加えてくれるよう依頼していた」
 また、「学会員に対する都営住宅や低利融資の斡旋、清掃事業をはじめ公共事業への学会系企業の参入など、都議会公明党は都議会での政治力を背景に、学会に対して有形無形の大きな利益を今までもたらしてきた」と。(「諸君」平成11年7月号)
7月25日  創価学会、本部幹部会、細井日達管長臨席。
 池田大作会長「広宣流布の時には、不開門が開きます。その時は、どういう儀式になるか … 後々のためにいっておかないと、狂いが生ずるから言うのです。私は謙虚な人間です。礼儀正しい人間です。同志を、先輩をたてきっていける人間です。そのため、かえってわからなくなってしまうことを心配するのです。… いいたくないことでありますが、将来のために、私はいっておきます。私が御法主上人猊下様、大聖人様に、不開門を開いて、このように広宣流布いたしましたと、猊下をお通し申して、一閻浮提総与の大御本尊様にご報告することが、究極の広宣流布の暁のその意義なのであります。(大拍手)」(「聖教新聞」7月26日号 )
7月26日  創価学会、聖教新聞。第1面に『会長が "不開門" 開く 広布の大儀式楽しみに』の見出しで、本部幹部会の池田大作会長講演を掲載。
「そうした背景のもとに広宣流布の儀式が行なわれるのです。それが創価学会の究極の目的の一つです。その時に不開門が開く。一説には、天皇という意昧もありますが、再往は時の最高権力者であるとされています。すなわち、公明党がどんなに発展しようが、創価学会がどんなに発展しようが、時の法華講総講頭であり、創価学会の会長がその先頭になることだけは仏法の方程式として言っておきます」
7月28日
 妙信講、安田生命ホールに5百余名が結集し幹部大会開催。4千世帯突破、画期的な本部機構改革の本部通達が発表され、浅井昭衛企画室長が本部長(一万世帯達成推進本部長)に就任
 浅井昭衛本部長「新しい任務を命ぜられました今、ただ頭に浮ぶことは「死身弘法」の四文字だけであります。我々のいのちは露の如くはかないものである。六十年、七十年で消えてしまう。 営々と築いた富も名誉も権力もやがて夢の如く消えてしまう。…
 新しい出陣に際し、信心強き妙信講の皆さんと一体になって突き進んで行きたい。 船の機関室に在って石炭さえ真剣にほうり込めば船は前進する。あとは梶は先生が取って下さる。一万世帯達成までは唯「死身弘法」の四文字を以て本日より全講団結して先生の構想を実現して行こうではありませんか。(拍手)」(「冨士」第25号 )
7月31日
 妙信講、宗務院より3月8日付嘆願書に対する回答書受領。
「法華講連合会は宗制宗規に則った日蓮正宗法華講であり、而して法主上人が御認証せられた規約によって法華講の一本化による発展を期して運営せられている。従って連合会の活動と運営とは宗門の基本方針である。貴講中は、この宗門の基本方針たる連合会に当然加入して、その発展に協力せらるべきであるが、若し、あくまでも連合会への加入を拒むならば妙縁寺所属の一単独講中として運営すればよろしいと思ふ。以上。日蓮正宗総監 柿沼広澄」
 [解説 浅井昭衛]「連合会を"宗制宗規に則った団体"といっているのは真っ赤な偽りである。宗制宗規には『連合会』などの文言はどこにもない。しかし宗門の基本方針であることだけは間違いなかった。… "妙縁寺所属の一単独講中として運営すればよろしいと思ふ"とは、文面一見穏やかだが、これは糧食を断って死に至らしめる冷酷さが秘められているのである」(「冨士」第181号 )
8月1日
 宗門、法華講東北地区連合会第1回大会開催(仙台・仏眼寺)。
8月8日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭・昭衛本部長、嘆願書の宗務院回答の件で妙光寺に柿沼広澄総監を訪問。柿沼総監は両名を叱責し、後日「これで妙信講は空中分解」と。
 [解説 浅井昭衛]「何とか宗務院に事情を理解してもらおうと、松本尊能師と私達は柿沼総監を品川の妙光寺に尋ねた。だが、話し合いどころではなかった。総監は席に着くなり「法華経には五千の増上慢は席を立つと説かれているが、正本堂の御供養が始まるという今日、宗門の方針に従わないのは増上慢である」と形相を変えて罵声を浴びせるや、席を立ってしまった。… 柿沼総監はそのあとで、松本尊能師に電話を入れて云く「今や宗門は千五百万人である。四千の少数などにはかまっておれぬ、泣いて馬謖を斬ることに院議が一決したのだ」と。また平沢会長にもこの処置を伝え、「これで妙信講は一・二年以内に必ず空中分解する」と放言したものである。だがそれから三月後、この柿沼総監が満座の中で池田に罵倒され、いたたまれずに辞表を出しているのは何たる皮肉なことであろうか。… かくて昭和四十年より、妙信講の御登山の道は全く塞がれた」(「冨士」第181号 )
8月10日  あそか出版社、「政治と宗教 岐路に立つ創価学会」(笠原一男著)発刊。
8月22日  創価学会、サンパウロで第2回南米本部総会開催、4,000人参加。
9月1日  創価学会、大白蓮華9月号。池田大作会長、「創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体でありますが、ともに日蓮大聖哲の教えを奉じ、王仏具合をめざす私どもの同体異名の団体であります。… されば、永久に創価学会と公明党は、一体不二の関係で進んでいこうではありませんか」
「いま、われわれの化儀の広宣流布、王仏冥合の実践をば、その方程式にあてはめてみるならば、学会員が日本の総人口の三分の一となり、さらに、信仰はしないが、公明党の支持である人たちが、つぎの三分の一となり、あとの三分の一は反対であったとしても、事実上の広宣流布なのであります。王仏冥合の実現は、この舎衛の三億を築けばよいのであります」。
9月12日
 宗門、細井日達管長、正本堂御供養に関し『訓諭』。
「日達、此の正本堂に本門戒壇の大本尊を安置して、末法一切衆生の帰命依止、即身成仏の根源となさんと欲するなり。… 冀くは、本宗緇素、仏恩を深く思い、能く鑑みて蔵の宝に執著することなく大本尊に供養して、以て身の福運を安明に積まんことを」と。
9月12日
 宗門、院達を発布。「今般、管長猊下より、別紙の通り訓諭が発せられたので通達いたします。今回の正本堂建立は宗門僧俗にとって此の上ない誠に重大な事業であります。すなわち、訓諭に仰せ遊ばされてあるように、本門戒壇の大本尊を奉安申しあげる清浄無比の大殿堂であり、このことは、大聖人の御遺命にしてまた我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布の弥々事実の上に於て成就されることなのであります。此の千載一遇の秋に当り、宗内各位には、訓諭の御意を体し、総講頭発願のもと打って一丸となり、その浄財を尽して深信の御供養を下種三宝の御宝前に捧げ、以て未曾有の鴻業達成を期されんことを願います」と。
9月20日  創価学会、池田大作会長。「戸田先生も我々も、一時『国立戒壇建立』といってきました。どこを捜しても御書には『国立戒壇建立』ということばは無いのです。大聖人様はちゃんと未来を考えていらっしやったのです。いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』と云いますが、私は何をいうかと云いたい。そんなことは御書にはありません。彼等はなにもその本義を知らないのです。猊下が正本堂が本門戒壇の戒壇堂であると断定されたのであります。……私ども創価学会員ならびに日蓮正宗信徒の真心の結集によって本門の戒壇堂はもうできてしまうのです。安保間題のある一番大事な年である昭和45年にできるのです」と。
9月22日
 妙信講、「冨士」第26号、青年部班長の「確信」を掲載。
「先生は常に云われる、『お山を守る、御法主上人猊下に御奉公する講中になるのだ。お山の姿によって、日本国の姿が決まるのだ』と。先生の御法主上人猊下に対する絶対の忠誠心を我等はとくと学ぶべきである。この中にこそ真実の師弟相対の姿があるではないか。
 私はこの純粋にして気骨ある講中を誇りに思う。純粋なるが故に難に遇い、気骨ある故に難に屈せぬ講中を。忍の一字で大聖人様の御金言に寸分も違わぬ仏道修行を、広宣流布の暁迄黙々と続ける講中を。だが妙信講は惰眠をむさぼる講中ではない。師子吼せねばならぬ時は敢然として立つのである。開目抄に曰く「睡れる師子に手をつくれば大に吼ゆ」と。愈々妙信講の使命をかけた一万への戦いが始ったのだ」( 男子部第三隊班長 高岡真佐雄 )
(※ 「お山の姿によって、日本国の姿が決まる」「お山の姿を見れば、日本国の姿が判る」、こうした言葉を小生もよく耳にした。櫻川 忠 )
9月23日  創価学会、少年部結成。
9月25日
 妙信講、9月度総幹部会開催。「正本堂の御供養は真心で」、9月度折伏成果 43世帯。(「冨士」第26号 )
10月2~3日
 妙信講、音羽の本部にて正本堂御供養受付。
 [解説 浅井昭衛]「御供養の期日は、僧侶が十月五日、信徒が九日から十二日までの四日間と宗門で定められていた。御供養の期日が近ずくにつれ、平沢の言葉がなんとなく現実味を帯びてきた。… 九月に入ってから、改めて松本尊能師に御相談した。尊能師は柿沼総監を尋ねて下さった。総監は一ヶ月前の妙信講に対する面罵を内心疾しく思ったのであろうか、好意的であったとのことである。そして猊下にこの事を取り次いでくれた。 その結果、妙信講の名儀では差しさわりがあるが、松本住職の供養として出すなら受け取るということが伝えられた。もとより妙信講の名儀などどうでもよい、猊下が受け取って下さればよいのである。 松本尊能師も喜ばれ「猊下からお許しが出た以上、力いっぱい御供養するように、僧侶の供養日は十月五日であるから、それ以前に集めてほしい」と云われた。 直ちに緊急支部長会が開かれた。そして、妙信講の御供養日を十月二・三日の両日と定め、全講中に通達した。全講員はただ信心の赤誠で浄財を貯えた。ある婦人は妊娠中にもかかわらず、飲むべき牛乳を毎日節約して御供養に廻したとも伝え聞いた。かくて十月二・三日の両日、本部で御供を受け付けたが、涙ぐましい光景であふれた」(「冨士」第181号 )
10月5日
 妙信講、正本堂御供養金を松本日仁師に託す。
 [解説 浅井昭衛]「十月五日、全講員の赤誠を、父と私と佐藤新太郎財務部長の三人で松本尊能師のもとにお届けした。尊能師は感激を色に表わし、「確かに猊下にお納めする」と、預り証一通を下さった。私達はホッとした。これで事なく御供養は済んだと......。だが、事件はそれから起きたのである」(「冨士」第181号 )
10月7日
 宗門、早瀬道応庶務部長。妙信講の「正本堂御供養」受取拒否を、松本日仁指導教師に通知。
 [解説 浅井昭衛]「二日後の十月七日、松本尊能師から電話があった。柿沼総監の意向とて、至急供養者名簿を提出せられたしとのことであった。直ちに父と私は名簿をたずさえて妙縁寺に飛んだ。尊能師は「猊下が、妙信講の御供養に関心をお示しらしい」とニコニコしておられた。その時、早瀬庶務部長(現総監)から尊能師に電話が入った、やがて受話器を置いた尊能師の顔からは血の気が引いていた。庶務部長は「猊下には松本の御供養の中に妙信講の金が入っていることを知り、これを突き返すと仰せられた。まもなくそちらに返送されるであろう」と云ったとのことである。 そして私達が妙縁寺にいるうちに、御供養の全額は尊能師のもとに返送されてきた。尊能師はあわてて柿沼総監に電話された。総監は「猊下は確かに受け取ると約束されたのだから、何かの間違いである。再び本山に送るように」と云った。指示に従って御供養は再び本山に送られた。だがまたしても返送されてきたのである。 ここに至って、松本尊能師は真意を確めるべく本山に電話をされた。応対に出たのは内事部の早瀬義孔理事であった。彼は「平沢会長を"信仰の確信もなき指導者"というような講中からは供養を受け取れない、これは猊下の御意である」と突っぱねた。奈落の底に突き落されたとはこの時の心境であった。今になってこの言は何たることであろうか、それならば、何ゆえ柿沼総監に約束せられたのであろうか、まさに騙討ちにも似た所行、信者の赤誠を嬲ものにした残酷非情の処置であった。しかし奥歯をかみしめて耐える以外にはなかった。 この時、講員のことだけが頭に浮かんだ。この御供養にこめた講員の真心を思えば、どうして今さら「突き返された」などと残酷なことがいえよう。もし云えば、どれほど悲しむであろうか、どれほど憤ることであろうか。また説明のしようもなかった。背後に誰がいるにせよ、突き返した直接の当事者は尊き御方である。これを知れば講員の信心にも影響しようと慮った」(「冨士」第181号 )
10月9~12日  創価学会、10月12日までの4日間、正本堂御供養金を全国1万6千ヶ所で受付、355億円を集める。これに先だって、メーンバンクの三菱銀行 水色の貯金箱・5百万個を配布。このご供養は一部が正本堂に使われたが、学会の会館、研修所その他に使われ、不法な使い方として、内部からご供養返還訴訟を起こされる。尚、海外信徒から集めたご供養は公表せず、そのまま創価学会が使った。
 山崎正友元顧問弁護士の告発によれば、『第27回本部総会で、「正本堂建立寄進」を発表した当初の計画では、昭和40年10月9日から12日までの4日間で30億円を集める、というものであった。(略)日達上人が、「正本堂建立は、実質的に戒壇建立と同じ意義を持つ」と述べられたことから、募金活動は過熱化していった。集まった金額は...目標の11倍余に及ぶ巨額に達し、世間に衝撃を与えた。(略)ただし、渡されたのは"目録"のみであり、金は、創価学会の銀行口座に入ったままであった」、
「もうこれが最後の御供養です。逃したら二度とチャンスはない」、「この御供養に参加したら福運がつき子や孫の代はおろか、生まれかわるたびに金持ちになれる」等、ありとあらゆる意義づけで、御供養への参加がしつようにくりかえされた。(略)学会員は、生命保険を解約し、老後のためのなけなしの預金をとりくずし、結婚資金や毎日の食費をけずって「御供養金」をつくり出した。(略)要するに、"あとさきを考えず"あらんかぎりの方法で会員からしぼりあげた結果が350億円という途方もない金額となったのであり、その後遺症は後々まで社会問題となった(『池田大作 日本経済乗っ取りの野望』山崎正友 )
10月12日
 妙信講、返送された妙信講の正本堂御供養金は、財務部長佐藤新太郎預かりとされた。
 [解説 浅井昭衛]「松本尊能師は柿沼総監に事後の処置を相談された。総監は「二・三年もすれば、受け取れるようにもなろうから、それまで講中で保管したら」と云ってくれた。その結果、妙信講の名儀で協和銀行神楽坂支店に定期預金し、佐藤新太郎財務部長がこれを管理することになった。時に昭和四十年十月十二日であった。
 今後、恐らく連合会は鬼の首でも取ったように、定めて"猊下に突き返された講中"と喧伝するであろう、それを聞いた講員は不審して尋ねるであろう。しかし私は一言も説明するつもりはなかった。ただ「浅井を信じてくれ」の一語で押し通す所存であった。信じられねばそれまで、と肚を決め切っていた。しかし、すでに風雪に鍛えられた妙信講の団結は堅かった。噂を耳にしても誰一人として講中を疑い、下らぬことを尋ねる者もなかった。云わず語らずのうちに、こちらの苦衷がわかっていたのであろうか。
 さて、この御供養金の顛末であるが、三年五ヶ月のち、どうしたことか、管長猊下が「受け取る」との意向を伝えられた」(「冨士」第181号 )
10月12日  創価学会、池田大作会長執筆の小説『人間革命』第1巻を発刊。
10月16日  創価学会、「理事会メモ」
「正本堂御供養は、創価学会が天下を盗る瑞相である」「学会は家来ではない。旧信徒が家来になってきた」「学会は僧侶の家来ではない」
10月17日  創価学会、10月度本部幹部会。池田大作会長、細井日達管長に正本堂御供養金全額、355億36万4309円を奉呈。
 細井日達管長「ただいまお聞きのとおり、だれも想像しなかったほどの多額の御供養をお受けいたしました。広宣流布達成のための、大折伏の大将である池田会長が、… 戒壇の大御本尊様安置の正本堂建立を発願せられ、学会の皆さんに建立御供養を発願せられて、この立派なる成果となったのでございます。… この全額を、私の依頼をもって正本堂建立ならびに広宣流布達成のための事業設備等に使用していただくために、池田委員長に委任したいと思います」
「池田大作は、… 一年間かけてありとあらゆる方法を用いて会員を煽り続けた結果、… 三百五十億円余の当時としては空前絶後の金額を集めることに成功した。この巨額の集金の裏には、学会員たちからの異常なまでの金集めが行なわれたことは、いうまでもない。学会員たちは、生命保険を解約、一家の貯金を下ろし、子供の貯金箱の金まで拠出させられた。家財道具や商売のための道具まで売り払い、タンスの中はカラになった。このような超過酷な収奪は、その後に数々の家庭不和や夜逃げ、倒産、自殺などの悲劇を生んだが、池田大作も創価学会も、"本人の信心が足りないからだ" と突き放し、知らん顔であった。…
 一方、この時の正本堂建立御供養に、宗門および法華講でも精いっぱい参加したが、その額は四億円余であり、この三百五十億対四億という創価学会と宗門側との落差はあまりにも大きかった。この、正本堂建立御供養を境に、力関係では創価学会が決定的に宗門より優位に立つことになった。数で圧倒し金力で圧倒し、本山も末寺も、財政上も運営上も創価学会の支えなくしてはやっていけない状態に追い込んでいった。そして、本山の運営も、末寺の運営や役員人事も、信者の九十九%を占める創価学会具に、すべて左右されることになった」(「あの頃のこと」第二十二回 山崎正友「慧妙」第230号 )
「こうなることは初めから池田の読みだったのである。だから、建築費を支払うまでの金利は全部自分のものとなった。それだけではない。建築費そのものにも疑義がある。… しかも業者への支払いは、5年から10年の手形だった。『利息だけで作れたはずだ』という声があがるのも当然」(『月刊ペン』室生忠 昭和51年4月号 )
10月23日  創価学会、フランクフルト、ニュルンベルクに支部結成。
10月25日
 妙信講、10月度総幹部会開催。「獅子王の斗いで断固勝利」、10月度折伏成果 53世帯。(「冨士」第27号 )
10月 日  産経新聞、石原慎太郎議員の新興宗教論、『巷の神々』を連載。
「しかし、また、いついかなる時もひずみに満ちた人間の世界が、果して政治を手段として採択した『宗教』によって実際に是正されることがあり得るだろうか。… この大きな実験が、果してこの先、どの段階まで成しとげられ、人間に何をもたらすか、新しい希望か、新しいひずみか、或いはまた新しい絶望か、甚だ興味深い」(「巷の神々」石原慎太郎 )
 池田大作会長、石原慎太郎議員と接触。「池田氏が石原氏に『一緒に天下を取りましょう』と何とも嫌らしいおべんちゃらを言ったことがあったんです。しかしそれに対して石原氏は話を合わせることをせず、嫌悪感を露骨に示した。それからだったと思います。池田氏が石原氏を『悪党』と罵るようになったのは」(「諸君」創価学会古参幹部 平成11年7月号 )
11月10日
 宗門、第2回正本堂建設委員会(品川、妙光寺)。355億円に驕る池田大作会長、猊下と総講頭の席次の同列化を要求し、会議の準備に当たった柿沼広澄総監を面罵。
「池田大作会長は、日達上人と、立派な正本堂の寄進者である自分の席が同等でないことに怒り、会議の準備に当たった柿沼広澄総監を面罵し、結局このツルの一声で委員会は流会になってしまった。日達上人がわざわざ富士宮から出てきたのに、である」(『週刊文春』、昭和51年9月1日号)
「総監といえば、宗門で管長につぐ地位である。池田の態度は驕慢の極みといえよう。本山から日達上人も出席したというのに、会議は流会になった。そんな池田に、ごうごうたる非難がまきおこるのが当然である。ところが宗門からは声ひとつあがらなかった。それどころか、柿沼は責任をとって辞職した。さらに宗門では、臨時の宗会(国会に当たる)を開いて、池田への待遇を定めた。… こんなことが度重なれば、池田が天井しらずにノボセ上がるのは当然だろう。戒める立場の者が、拱手傍観どころか阿諛迎合したのである」(『冨士大石寺顕正会』下山正恕 )
「池田大作は、そのまま会場から席を蹴って出ていった。委員会は、自動的に流会となった。… 柿沼総監は5日後、「宗門のためになるなら、いくらでも泣く。いくらでも折れる」と、悔しさを周囲に漏らし、引責辞任した」(『あの頃のこと』山崎正友 「慧妙」2002年9月1日号 )
11月15日
 宗門、柿沼広澄師は総監を辞任、渡辺日容師が総監に就任。
11月17日
 宗門、第71回臨時宗会開催。柿沼広澄師、富士学林長就任。
11月19日
 宗門、「宗務院通達」第980号。『宗内一般』宛に、『法華講総講頭の待遇について』と題して指示。
 「法華講総講頭は、仏法守護の総領として僧俗挙って尊敬すること、たとえば、
 ①法要の席は、特に設け
 ②行列の場合は、仏法守護のため先陣をなし
 ③法要以外の席は、猊下に並び
 ④末寺へ来寺の通知があった場合は、住職は出迎え
 ⑤その他の場合もこれに準じて尊敬のまことをつくして待遇すること」(『大日蓮』昭和41年1月号 )
「さらにこの徹底のため、総本山の費用負担で末寺の僧侶を本山に呼び指導」(『週刊文春』昭和52年9月1日号 )
11月23日
 妙信講、浅井昭衛本部長、今月の指針「なぜ教学が必要か」
「妙信講は再建以来 孜孜としてたゆむ事なく教学への苦悩を持ち続けて来た。それは求道の辛労であり、真剣勝負の気魄であった。唯々大聖人様の教えをそのままに学ばせて頂こう、余計なものを附け加えず、大事な事を削り取らず、御書のままに学んで、将来真に御奉公し得る講中になって行こう、その念願以外はない。これが一貫して先生のお考えである。この12月を迎えて妙信講員たる者一人残らず教学に励み、深き信心を確立して広布の斗士として立たん事を切に願うものである。十一月廿三日」(「冨士」第28号 )
11月25日
 妙信講、11月度総幹部会開催。「五千世帯の法城建設に前進」
「注目の11月度総幹部会は、さる11月25(木)午後7時から、茗荷谷の拓大三階教室で行なわれた。席上、総仕上げの法戦で81世帯の本尊流布が成り、妙信講の総世帯数は4千2百世帯を突破、見事に黎明の年をしめくくった。更に、浅井本部長より明年度の指針が「41年に五千世帯の法城完遂」と打出された。会場いつぱいにつめかけた全幹部は、この浅井本部長の斗争方針にこたえ、講頭先生の力強い指導に奮い立ち、歓喜勇躍して新年度への第一 歩をふみ出した」(「冨士」第29号 )
11月28日
 妙信講、御大会式盛大に厳修。妙縁寺に1千余名の講員が参集。
12月10~13日
 妙信講、教学講習会開催(拓殖大学)。三日間で、8百余名が参加。
12月19日
 妙信講、研修部。昇格・登用試験実施(拓殖大学)。
12月 日  創価学会、「大蔵商事」を金融・不動産関係会社「大道商事」とする。
12月 日  創価学会、「創価学会フランス」をパリに設立。
「日本人医師や元三菱フランスの社員であるフランス人を中心に勢力を伸ばし、60年代末で信者は千人ほど。90年代には8八千人ほどに増えた。… 88年、エソンヌ県の地元紙が『創価学会が三菱商事の仲介で超機密の軍事施設、原子力実験場から数百メートルにある城を買おうとしている』と報道。このことから、『創価学会は、フランスの原子力施設をスパイしようとしているのではないか?』、そんな疑惑が持ち上がったのである。これをきっかけに、仏公安当局も調査を開始、ル・モンド紙など全国紙もこの疑惑に目を向けるようになった」(「週刊文春」1995年10月19日号 )
12月 日  創価学会、585万世帯。
 
  年表  
昭和41年 (1966)         _
1月1日
 宗門、松本日仁師(妙信講指導教師)「新年を迎えて」
「故に吾々宗祖大聖人の弟子たり檀那たる者は如上の御指導を御指導通り素直に受けきって、本当に身命をなげうって、広宣流布達成の為に自行化他の両行に向って努力邁進せねばならぬのであります。 つきましては此の昭和41年の新たなる新年を迎えたるを機として、本年度の折伏目標であります五千世帯折伏達成に講中の内外からどのような迫害があろうとも、これに屈する事なく忍辱の鎧を着て一致団結以て所期の目的を完遂しようではありませんか。一言申し上げて新年の御挨拶と致します」(「冨士」第29号 )
1月1日
 妙信講、「建設の年」。
 浅井甚兵衛講頭、「昭和41年の元旦にあたり、妙信講員一人一人が決意も新たに五千の法城建設に勇猛精進せられんことを祈ってやまないのであります。「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ。」の御聖訓を拝し、いよいよ信心強盛に励み信行に打ち込んでもらいたい」
 浅井昭衛本部長、「先生は特に本年の目標・五千世帯を指して「法城」と云われた。妙信講は再建八年を経ている。その間、数々の魔障を打ち破り、三千で土台を固め、四千で黎明を迎え、本年ここに屹然として法城が築かれんとしている。… 妙信講には力もない、故に豪華な有形の城は持っべくもない、また欲しくもない。だが、信心の鉄の絆で結ばれた人材の城がある。この城は天魔も砕けぬ法城である。法城の石垣となり、堀となる人材とは何か、即ち、一に御本尊の絶対の力を知り奉り、二に妙信講の精神に徹する者である。これが使命を果す妙信講の五千法城の成員たる人材である。妙信講は安逸を貪ぼる講中ではない。大事な時に御奉公申し上げるべく生れ、育ち、鍛えられて来た信心一本の講中である。人材また雲の如く涌き出でぬ筈はない。先生指導の下、意義重大なる本年の斗いを全うさせて頂く為、唯々大御本尊に祈念申し上げようではないか」(「冨士」第29号 )
 [解説 浅井昭衛]「試練の嵐吹き荒れた昭和40年はやっと過ぎ新年を迎えた。千尋の谷に突き落された師子の子が必死にはい上るように、まず五千法城を築かんと、大地をはうような折伏弘通が開始された。「妙信講は安逸を貪ぼる講中ではない。大事な時に御奉公申し上げるべく生れ、育ち、鍛えられて来た信心一本の講中である。人材また雲の如く涌き出でぬ筈はない」とはこの時の確信であった。事実この頃より人材が続々と涌き出てきた。今日活躍の幹部の中にも昭和41年入信の士が多く見られる」(「冨士」第181号 )
1月5日  創価学会、『折伏教典』改訂11版を発行。
「戒壇とは、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を正式にご安置申し上げる本門の戒壇、事の戒壇である。それまでは大御本尊のいらっしゃるところが義の戒壇である』と。
 従来の『国立戒壇』の語は、すべて『本門戒壇』に置き換えられた。
1月15日
 宗門、椎名日澄宗務支院長「七百年来の尊き御遺命が、時来りて今こそ霊峰富士の麓に堂々と建立されるのであります」と。(「大日蓮」1月号 )
1月23日
 妙信講、研修部試験合格者発表。昇格試験19名、登用試験28名。研修部の陣容は、三級部員33名、研修部員134名、総数167名となった。
 研修部試験(三級昇格)の優秀答案を「冨士」に掲載。「三大秘法禀承事」を範囲とした全十問の内、戒壇に関する二問の優秀答案は優秀者の氏名を記すのみで掲載されなかった。
[問題六] 本門戒壇を明かし給う御文を挙げ之を説明せよ。答案を略す。
[問題七] 王仏冥合における王法を論ぜよ。答案を略す。(「冨士」第30号 )
(※ 優秀答案省略理由は、正本堂建立御供養趣意書の「実質的な戒壇建立」、院達の「大聖人の御遺命…門下最大の願業である戒壇建立」と、見解が異なるからであろう。櫻川 忠 )
1月25日
 妙信講、1月度総幹部会開催。「身体をぶつけた折伏弘通を」
 1月度折伏成果は20世帯、総世帯は4,257世帯となった。(「冨士」第31号 )
1月30日
 妙信講、研修部入部式開催。
1月 日  創価学会、各宗加盟の「宗教センター」に加入申し込む。
(※ 仏教、神道、新宗教、キリスト教の各宗が加盟 )
2月1日  創価学会、『大白蓮華』2月号。主師親の三徳と池田大作会長を結びつけた「講師筆記試験優秀答案」を掲載。
「主徳 眷属をまもる力。…全日本を、そして、世界を守る池田先生のみ、現在において主徳をそなえてらっしゃる」、「師徳 眷属を指導する力。…私たちの師匠池田先生のみ師徳具備でいらっしゃる」、「親徳 眷属を慈愛する力。 …身命を惜しまず、われわれ学会員のしあわせを願ってくださる池田先生こそ、親徳具備でいらっしゃる」
「主師親の三徳とは仏のみが具えている徳であり、日蓮正宗の教義ではそれは、御本仏日蓮大聖人以外にはありえないのである。この模範解答は、まさに池田本仏論の動かぬ証拠であり、しかもこれが、創価学会の教学理論誌結である「大白蓮華」に公然と掲載され、しかも教学試験の"模範解答"として推賞されているのである。この例でもわかるとおり、池田大作は巧妙に首脳達を動かし、メディア・口コミ等を使って、"池田本仏論"を会内に浸透させていった。
 池田大作は、さらに言った。「三大秘法のうち、題目と御本尊は、御在世において大聖人が建立された。戒壇の建立だけは果たすことができず、将来の弟子達にゆだねられた。戒壇建立のためには、広宣流布しなくてはならない。題目、本尊の建立より、はるかに大事業なのだ」。そして、その御遺命の戒壇たる正本堂を自分が建立したのだから、俺こそ真の末法の本仏であり、日蓮大聖人以上の存在だ、と言いたいのである。池田大作は、かくて「正本堂こそ御遺命の事の戒壇だ」として、その建立者たる自分を仏法史上の頂点に立つ存在として意義づけようと、夢中になったのであった。これが、"池田本仏化"の基本ストーリーである」(「あの頃のこと」第二十一回 山崎正友「慧妙」第228号 )
2月15日
 妙信講、研修部。「立正安国論」講義開始。
2月25日
 妙信講、2月度総幹部会開催。「獅子王の戦いで3月も力強い前進」
 2月度折伏成果は37世帯、総世帯は4,294世帯となった。(「冨士」第31号 )
2月27日  創価学会、理事長に和泉覚が就任。
3月6日  新宗教新聞社、「創価学会犯罪白書」刊行。
3月25日
 妙信講、3月度総幹部会開催。「五千の成否をかけた4月の前進」
 3月度折伏成果は42世帯、総世帯は4,336世帯となった。(「冨士」第33号 )
3月26日
 宗門、法華講全国連合会。自主運営方針を打ち出す。
4月4日
 妙信講、松本日仁師校訂、妙信講研修部編纂「日蓮大聖人御書十大部」刊行。
4月15日  創価学会、小説『人間革命』第2巻。「戸田は、いつか牧口という一人の不世出の教育者に、『主』『師』『親』を見出し、終生献身をもって、純真に仕えたのである」
4月23日
 宗門、関東関西両布教区懇談会。「総講頭のもとに大法華講の実現を期する」と要望。
4月28日
 宗門、富士学林。細井日達監修「昭和新定日蓮大聖人御書」第1巻刊行。
5月1日
 妙信講、4月度総幹部会開催。「5月は総会めざして指導の徹底」
 4月度折伏成果は122世帯、総世帯は4,458世帯となった。(「冨士」第34号 )
(※ 小生の入信はこのときで、4月度の折伏成果締切最終日、妙縁寺で松本日仁師より御授戒を受けた。思想・宗教に無縁のぼ~っとした高校1年生が、友人宅で浅井昭衛青年部長に鍛えられた男子部幹部に囲まれ「やってみなければ判らないだろう」の言葉に撃沈、気弱な青年は入信を拒否する手立てを持たなかった。櫻川 忠 )
5月3日  創価学会、第29回本部総会開催。
 池田大作会長、「猊下より、僧侶より、われわれが敬われるなどということは、とんでもないことです。… 信者には信者の道があります。これは皆さんも忘れてはいけません」
「昭和54年から11年目の昭和65年 … この年を目標にして、広布流布の大総仕上げにかかりたい。こう決意している次第であります。なお、この年になりますと、それまでに参議院の選挙は8回になります。また、衆議院の選挙も、最低7回ぐらいはあるでしょう。したがって、公明党も、その時までにはひじょうに力がつくのではないかと考えます。
 また折伏も、一千万の基盤は、… 昭和54年にでき上がれば、65年までには、さらに4、5百万世帯ぐらいはいくのではないかと考えられます。… 一千万世帯になれば、いまの日本の世帯数は、二千四百万世帯ぐらいですから、ゆうに半分以上を占めることになります。そうなれば、釈尊の"舎衛の三億"の方程式は、事実上まちがいなし、それ以上の結果になることは明らかです」と、大石寺開創七百年に言及。(「聖教新聞」5月4日号 )
 阿部信雄教学部長、広宣流布の条件として三大秘法抄を引き「いよいよその時が到来した事を、だんじてはばからぬものでございます」と。
 細井日達管長、「六難九易を身をもって行ない、末法の広宣流布を実現しておるのも学会であります」、「法華講の真の精神は、いまの学会員にあるのであります」と。
5月8日  創価学会、本部幹部会で国立戒壇放棄の機関決定
「今後、国立戒壇という言葉は使わない」との発議が承認された。同時に「正本堂は、天皇帰依や国会議決によらない『民衆立』である」と、戸田城聖会長の主張であった国会議決による戒壇建立路線は正式に否定された。
(※ 名称放棄だけでなく、本門戒壇の意義の変更である。「正本堂=御遺命の本門戒壇」と「国立戒壇放棄」は、表裏一体・ワンセットであることが知られる。後に宗門は、創価学会のこの機関決定に追随した。櫻川 忠 )
6月1日  創価学会、池田大作著『指導メモ』刊行。『師弟』の項に、「たとえ師匠が地獄に落ちようと、師匠のそばへ行くと決めていた。(略)それが師弟相対だ」と。
6月5日
 妙信講、第11回総会開催(神田共立講堂)、2千余名が参集。
 浅井昭衛本部長、「捨て身の信心に立たん」と講演。
「この妙信講は信心の力だけで立っております。昔から金で立つ者は金で亡び、権力で立つ者は権力で亡びる … 妙信講は幸か不幸か … 権力もない、金もない。… 妙信講は信心の講中であります。九ヶ年前に時の御法主日淳上人猊下より命を受けて、先生が真にお役に立つ講中を作るのだと、捨身の信心を以て築いてこられた講中であります」
 浅井甚兵衛講頭、「仏法で真の国の繁栄 折伏は日本民族を救う大善行」と講演。
 松本日仁師、「かくの如く盛大に此の総会が開かれた状況を、御本山に在します猊下に逐一御報告申し上げます」と挨拶。(「冨士」第35号 )
6月11日
 宗門、大石寺五重塔、文部大臣により重要文化財に指定される。
6月16日
 妙信講、6月度男子部班長会開催。「したたかな善人となれ」
 浅井昭衛青年部長「この濁り切ったどぶ泥の中で活躍する者は、ただのお人好し善男善女であっては、どうして勇猛なる斗いが出来ようか。… 如何なる悪党とも四つに組んで、それを信心の力で降していく、信心の智慧でもって魔を魔と見破ってつんざいていく、そして最後には御本尊様に信伏随従させていくという力をもたなければならない。大聖人様に対しては赤子の如く無邪気きわまるひれ伏した信心を続けると共に、一度末法濁悪の悪党を相手には、したたかなる善人になって斗ってもらいたい! 」(「冨士」第35号 )
6月25日
 妙信講、6月度総幹部会開催。「一挙に179名の幹部登用」
7月 日  創価学会、正本堂建設に関連して墓苑を増設するため、大石寺名義で静岡県富士宮市・上井出の土地約67万平方メートルを購入。(富士桜自然墓地公園)
7月3日  創価学会、池田大作会長の「日蓮大聖人御書十大部講義」の第1巻として、『立正安国論講義』を刊行。
「広宣流布 王仏冥合の達成、本門戒壇の建立 人類三千年の夢は、創価学会の前進によって虚妄でないことが明らかにされ』、「国権の最高機関たる衆議院に、三大秘法の仏法を奉じした真の民衆の代表を送り出すことこそ、現代の国家諌暁」、「正本堂建立こそ、日蓮大聖人の御遺命たる本門戒壇建立の具体化であり、宗門七百年来待望の壮挙」、「日蓮大聖人御建立の三大秘法は、われわれ創価学会員の手による正本堂建立をもって完全に終了する」、「この正本堂は、実質上、日蓮大聖人御遺命の本門戒壇になる。したがって、正本堂御供養をもって、奉安殿、大講堂、大客殿と、戸田前会長の時代から続けられた、学会総力を結集しての御供養は終わったことになる」、「本門の戒壇を建立せよとの御遺命も、目前にひかえた正本堂の建立によって事実上、達成される段階となった。七百年来の念願であり、久遠元初以来の壮挙
(※ もはや言いたい放題である。「久遠元初以来の壮挙」とは慢心の窮み、何という高上がりの言辞であろうか。これだけの大言を発した人は、他に例を見ない。櫻川 忠 )
 細井日達管長「この立正安国論講義は、会長池田先生の畢生の大講義の一つであると信じて序となす」と、その『序』に記す。
(※ 池田大作会長の "本門戒壇建の御遺命達成、久遠元初以来の壮挙" との惑義を、細井日達管長はかくも絶賛している。宗門僧侶も法華講全国連合会もこれに呼応、根檀家はそもそも戒壇問題に関心がない。
 600万世帯の会員数、355億円贈呈の金力、御書全集の発刊、小樽問答の主導、御書講義集発刊、活溌な海外布教、衆参両院・地方議会に地歩を固める公明党、強力な弁護士団等々、創価学会の宗門に対する圧倒的優位は多岐に渡っていた。池田大作会長にとって、久遠元初以来の壮挙を果たし折伏の「大賢王」となること、このとき一点の曇りもなかった。
 誰人が、この池田大作会長の暴走を、止め得ただろうか..。はからずも、「お山を護る」ため雌伏していた講中、妙信講の存在があった。櫻川 忠)
7月 日
 宗門、内事部通知。「正本堂建設のため総本山墓地移転」
8月8日  中華人民共和国、プロレタリア文化大革命の決定を採択。毛沢東が文化大革命を指揮、紅衛兵が各地で実権を掌握し破壊活動を行った。毛沢東が自身の権力を守るため、政敵を排除する政治的な権力闘争であったが、日本のマスコミ各社はこれを賛美した。毛沢東が死去した後 1976年10月に、華国鋒政権は文化大革命を推進した四人組を逮捕し、終幕をむかえた。
8月25日
 妙信講、8月度総幹部会開催(拓殖大学)。「いよいよ法城実現の時を迎う」
 8月度折伏成果は124世帯、総世帯数は4,596世帯となり、五千法城にあと404世帯と迫る。
9月1日
 宗門、東京都墨田区に法華講「富士会館」建立。創価学会の寄進による。
9月25日
 宗門、台風24号被害。丑寅勤行中、客殿東側ガラス大戸七枚大破、数十名負傷。
9月25日
 妙信講、9月度総幹部会開催(拓殖大学)。「10月に雌雄を決する大法戦」
 9月度折伏成果は107世帯、総世帯数は4,703世帯、五千法城にあと297世帯と迫った。
9月25日  創価学会、本部幹部会を開催。海外で、創価学会が政治団体とみられることを受け、摩擦を回避するため海外法人の名称を『日蓮正宗』と改め、政治活動を行わないことを決定。
10月25日
 妙信講、10月度総幹部会開催(拓殖大学)。「妙信講の興廃を賭す大法戦」
 10月度折伏成果は138世帯、総世帯数は4,841世帯、五千法城にあと159世帯となった。
11月25日
 妙信講、11月度総幹部会開催(拓殖大学)。「五千の法城遂に11月に達成」
 11月度折伏成果は214世帯、総世帯数は5,055世帯となった。「この瞬間を待った一同はどっと沸き返り、その喜びを万雷の拍手にかえた」
 浅井昭衛本部長「五千法城は御仏意である。"この11月に興廃を賭して戦いぬきます"、こういう事を天下に向かって宣言し、もしもできなかったら使命を達する資格がない。… 大聖人様の御命令のまま、明年からこの法城を根城として、本来の使命を声を大にして叫んでいこう」と。(「冨士」第40号 )
 [解説 浅井昭衛]「正本堂の御供養が突き返されて以来、予期していたように連合会は幹部を動員して、鬼の首でも取ったように妙信講の中傷に狂奔した。「妙信講の御供養は本山に届いていない」「お前達はだまされているのだ」と。中にはご丁寧にも、電話番号を見せ「これを廻せば本山の僧侶が出るから確認してみろ」などと云って妙信講員を威し歩く悪質な連合会幹部もいた。その番号を調べさせたところ、塔中の東之坊であった。
 これらの中傷を聞く妙信講員はどれほど無念であり、くやしかったであろう。このような中で、五千達成をめざして黙々と折伏が続けられたのである。最も苛酷な試練に折伏で打ち勝つなら、もう妙信講の法城は天魔も砕けない。これがこの時の思いであった。「五千法城」の意義はまさにここにあった。十一月と目標を定め、全講中火の玉のごとき弘通が展開された。そして所期の月に、所期のごとく法城は成った。その月の総幹部会は拓大教室で行われた。恥しいことだが、私は講演の途中、幾たびか絶句した。五千世帯が出来たから嬉しかったのではない。連合会の悪罵中傷に耳もかさず、一言も説明しないのに妙信講を信じてくれた同志の心が、ただただ有り難かったのである」(「冨士」第181号 )
11月27日  創価学会、600万世帯。
12月 日  創価学会、池田大作会長。小説『人間革命』 第3巻を、聖教新聞に連載。
「この若い革命家の『妙法への帰命』という理念は、具体的な実践でいうならば、稀有の師匠への帰命、すなわち『戸田城聖への帰命』でなければならぬことを、彼は知ったのである」
12月18日
 妙信講、五千法城達成幹部大会開催(安田生命ホール)。席上、全支部の名称変更の本部通達、浅井昭衛本部長「妙信講は諌暁団体」と初めて宣言。
「宿願五千法城実現の中に迎えた妙信講幹部大会は、さる12月18日(日)夜、新宿の安田生命ホールに松本尊能師の御臨席を仰ぎ、講頭先生の下、5百余名の精鋭幹部が参集して盛大に開かれた。… 4年後の一万達成の必勝を誓い、力強い第一歩をふみ出した」
 浅井昭衛本部長「私共大石寺の生粋の法華講中が七百年来の伝統を持つて、仏法のあり方、そして国家のあるべき姿を、身を捨てて強盛にいいつのっていくならば、この五千の叫びが国に影響しない筈がない、この生命がけの諫暁団体として新たに進んで行こう、これが妙信講の成さねばならぬ使命であります」
 浅井甚兵衛講頭「いよいよ広宣流布の御役に立つ講中として来る昭和45年を目指し、一万世帯を折伏して御奉公する事を決定した」(「冨士」第41号 )
 
  年表  
昭和42年 (1967)           _
1月1日
 宗門、細井日達管長『大白蓮華』1月号に寄稿。
「日蓮正宗総本山に、事の本門戒壇堂ともいうべき、正本堂の建立起工式が行なわれる」と。
1月1日
 宗門、松本日仁能化「新年を迎えて」
「昨年は講頭先生の発願でありました5千世帯折伏達成が完遂されまして誠に御目出度う御座いました。是れ全く講員の皆様が、講頭先生のご指導を素直に受けきって一致団結、折伏斗争に努力邁進された結果と思います」(「冨士」第41号 )
1月1日
 妙信講、浅井甚兵衛講頭「年頭の辞」、「我々末法の衆生はこの末法の御本仏大聖人の大慈悲・大徳に此の御誓願をよくよくは我身に体し、先ず人生の基本方針を決定することが大切である。いよいよ信心強盛に充実した信心を養い、『一生虚しく過して万歳悔ゆる事なかれ』の仰せに励み、信心の充実に努力しなければならない」
 浅井昭衛本部長、「昭和45年を目指しての出陣の年に当たり、根本の信心に立ち還り油断なく『充実』の二字を心に染め、本年も死身弘法の前身をしようではないか」(「冨士」第41号 )
1月22日
 妙信講、研修部。昇格試験・登用試験実施。三級昇格試験は92名、部員登用試験は183名が受験した。
(※ 小生はこのとき、登用試験を受験した。 櫻川 忠 )
1月25日
 妙信講、1月度総幹部会開催(拓殖大学)。「2月から証拠をもって論ずる斗い」
1月29日  第31回衆議院議員総選挙。政界を揺るがす「黒い霧事件」を受け、佐藤榮作内閣総理大臣が政権の求心力回復を期し衆議院を解散した。
 公明党、衆議院初進出でいきなり、25名が当選。
1月31日  創価学会、池田大作会長。突如、辻武寿公明党委員長を更迭、竹入義勝を委員長、矢野絢也を書記長に指名した。
(※ 竹入義勝はそれまで都議会議員、創価学会・世田谷第1本部長 )
2月1日  公明党、竹入委員長、就任後のイソタビユー。「池田会長から申し渡されたばかりで、正直いって面くらっています」(「毎日新聞」2月1日号 )
2月7日  創価学会、本部職員全体会議での池田大作会長発言。
「折伏戦をしきってゆけば、地方統一選にもその他の選挙にも勝つ。かつて折伏があまりできない時に戸田先生は "大、そろそろ立ち上がれ" と仰言った。それからできるようになった。本部職員は五老僧になりやすいが、絶対になってはならぬ。戸田先生の事業は壊滅状態だった。それを(私が)たった一人で全部やりきった、その福運なのだ」(「池田センセーの思い出」高村萬之助 )
2月13日  公明党、第4回党大会。竹入義勝委員長、矢野絢也書記長が就任。
2月25日
 妙信講、2月度総幹部会開催(拓殖大学)。「広布の歯車を逆転させるな」
 2月度折伏成果 47世帯。三級昇格試験合格者29名、部員登用試験合格者51名。
(※ 小生は登用試験に合格、研修部員となった。以後、浅井昭衛本部長から御書十大部、六巻抄の薫陶を受ける。櫻川 忠 )
2月 日  創価学会、「前進」2月号に池田大作会長の指導を掲載。
「私から幹部の任命を受けることは、記別を受けることです。会合もただ列座しているのと、記別を受けて出るのとでは違う。記別とは信心の血脈です。これなくしては『法華経を持つとも無益なり』である。私は現在の仏法の指導者です。私を中心にして御本尊を信ずることによってこそ、『霊山に近づく鳥は金色になる』との御金言のごとく、幸福境界を確立することができるのです」
3月10日  創価学会、池田大作会長。臨時本部幹部会で、「国際都市東京」のビジョンを発表。
3月15日
 妙信講、研修部入部式開催。                                          
3月25日
 妙信講、3月度総幹部会開催(拓殖大学)。「立宗の4月に果敢な折伏線」
 浅井昭衛本部長「ベトナムのあの二分された戦いに当たって、あの小乗経の僧侶が焼死自殺をもって抵抗したが、所詮力なき小乗経なるがゆえに国を救うには至らなかった。もしも今、日本にこの危機がおとずれたらどうするのか、… すでにその危機は、そばまで近づいてきている。この国家の急を救うのは、この大聖人の三秘の大仏法を伝持する大石寺門流以外にはない。その富士門流の生粋の精神を受け継ぐ妙信講の折伏こそ、この泥沼から日本国を救う戦いである」(「冨士」第44号 )
(※ 浅井昭衛会長の"伝統芸"「危機の煽り」は、すでにこの頃からである。櫻川忠 )
3月26日
 妙信講、研修部。「法華取要抄」講義開始。
4月15日  東京都知事選挙。美濃部亮吉が、松下正寿、阿部憲一(公明党・創価学会推薦)を下して当選、初の革新都政が誕生した。
 自民党は当初、東都政で筆頭副知事を務めた鈴木俊一を推し、社会党内では元総評議長の太田薫が候補として浮上。党勢拡大を狙う公明党は、創価学会幹部の阿部憲一を独自に擁立した。反共を掲げる民社党は、自民・社会と候補者を一本化すべく働き掛け、松下正寿を担ぎ出した。
 社会党は太田薫を降ろしハト派イメージのマルクス経済学者・美濃部亮吉を擁立、反自民の革新統一戦線を呼び掛け共産党は美濃部亮吉に相乗りした。鈴木俊一では勝てないと見た自民党は、松下正寿を推薦した。
 美濃部亮吉は、「東京に青空を」というキャッチフレーズを掲げ、マスコミから「美濃部スマイル」と好意的に報道され、史上初の革新都知事が誕生した。
 阿部憲一の得票数は 601,527、以後、創価学会は東京都知事選挙に独自候補を立てない。
4月26日
 妙信講、浅井昭衛本部長、男子部会で「仏法と政治」講演。
「私共日蓮正宗の信者は、権力を求める政治運動ではなく、政治権力に対し、信心を以って富士山に国立戒壇を建立すべしと迫る、これを猊下を中心として生命賭けて烈々と戦いぬく、これが諫暁団体のあり方であります。
 今妙信講は五千を達成し、やがて一万、さらに三万・五万・十万となる。この妙信講の信心の叫びで、いかなる政党といえども本門戒壇建立に賛成させなければなりません。そして天皇陛下もこの仏法を受持する時が来る」
 [解説 浅井昭衛]「池田大作の宗門統制の成功により、この頃の宗門は選挙協力一色にぬりつぶされていた。選挙ともなれば、宗門機関誌「大日蓮」は候補者全員の写真を巻頭に掲げ、細井管長は率先して「政府の鉛筆を持ち、政府の紙を持って、正宗の信心をしている人の名前を書いてくればいいのである」(法華講連合会北海道地区大会)」… などと、全信徒に選挙勝利を呼びかけた。
 また全国の末寺では候補者の氏名やスローガンが本堂いっぱいに貼りめぐらされ、その垂れ下がるビラのすき間から、やっと御本尊が拝めるというような有りさまであった。末寺住職は、学会からの依頼で、後援会作りに檀徒をかけずり廻らねばならなかった。
 この42年は1月に衆院選があり、公明党は初の当選者25名を出した。そして4月には統一地方選挙が行われた。勝利の余勢を駆る学会員は、各地の妙信講員に対して、選挙の協力は当り前、協力せぬ者は逆賊、といわんばかりの態度で接してきた。
 そのような中で、「仏法と政治」について男子部会で話したのがこの講演である。信心を利用し、教義を曲げても政治権力を得ようとする学会に対して、妙信講は信心の力で時の政治権力に、大聖人仰せのままに国立戒壇の建立を諌暁すべきであると、基本的姿勢の違いを明らかにしたものである」(「冨士」第182号 )
4月24日
 宗門、早瀬道應主管が総監に就任。藤本栄道師、庶務部長就任。
4月25日
 妙信講、4月度総幹部会開催(拓殖大学)。「5月は総会一本の前進」、4月度折伏成果61世帯、総世帯数5,197世帯。
5月3日  創価学会、第30回本部総会開催。細井日達管長臨席のもと、池田大作会長「正本堂は三大秘法抄の御遺命の戒壇、これで立正の二字完璧」と。
5月17日  創価学会、アメリカ合衆国総合本部設置。
5月26日  創価学会、オランダ王国に支部結成。
5月28日
 妙信講、第12回総会開催(文京公会堂)。「仏法の正義曲げずに唯一筋、妙信講は在野の諌暁団体」と、「三大秘法抄の御遺命の戒壇」との池田大作会長発言を牽制。
 浅井昭衛本部長「妙信講は信心一筋の講中である。いかなる権力にもへつらわず近づかず、唯正直に大聖人様の仰せになる『正法は国を治め、邪法は国を乱す』との仰せを、気一本に一筋に云い貫く在野の諌暁団体である。捨身の信心で、与えられた諌暁団体の大使命を、堂々と果していこう」
 浅井甚兵衛講頭「法華講の伝統を受ける妙信講は、今本部長が申した通り、諫暁団体として、此の一大重責と使命を以て、茲に立上っているのであります。御一同の皆さんは一人一人が悉く地涌の菩薩であり、国士である」
 松本日仁能化「昭和45年までには、目標の一万世帯を是非とも完遂するよう、がんばっていただきたい」(「冨士」第46号 )
 [解説 浅井昭衛]「"在野の諫暁団体"ということを、この第12回総会で初めて打ち出した。池田は自ら「賢王」を気取り、「不開門を開けるのは天皇でなく自分である」(「大白蓮華」40年8月号)と管長を前にして高言し、自分が政権を取ることが即王仏冥合であると会員を選挙に駆り立てていた。「人盛んにして天に勝つ」という言葉があるが、当時の池田の当るべからざる威勢を見ては、宗門の上下もあるいは本気でそう思いこんだのではなかろうか。だが私には、真の王仏冥合がこのようなものとはとうてい思えなかった。…
 選挙のためには教義すら曲げる学会の王仏冥合はまやかしである。妙信講は権力に近ずかず、へつらわず、そしていかなる政治権力にも、捨身で大聖人の御正意・国立戒壇を迫る在野の諫暁団体でなければならない、それが広布の時の法華講衆の姿である、との信念をこの総会で述べたのである」(「冨士」第182号 )
5月 日  創価学会、顧問制を廃止し、顧問の塚本素山を組織から排除。
6月3日  創価学会、アメリカ合衆国ハワイ州に本部設置。
6月15日
 宗門、大石寺蔵大聖人御真筆御書26巻が、文部大臣により重要文化財に指定された。
6月19日  創価学会、「学校法人創価学園」の設立及び創価中学・高校の設置が認可される。
6月23日
 妙信講、浅井昭衛本部長「妙信講の組長諸氏へ」を「冨士」に掲載。(「冨士」第47号 )
(※ これが後に「組長訓」として、班長会の冒頭で朗読されるようになった。櫻川 忠 )
6月25日
 妙信講、6月度総幹部会開催(拓殖大学)。「7月は安国論御建白の月」、6月度折伏成果86世帯。
 浅井昭衛本部長「隣の国中国にも水爆ができ、その危機は一段と深くなった。この日本国を救うのは、今の政治家ではない。現在しゅくしゅくと国家諌暁の土台を作っているこの妙信仰の戦いが、やがて日本国を水爆の危機から守っていくのである」(「冨士」第47号 )
6月25日  創価学会、第1回社長会開催(於小富美)。
 池田大作会長、外郭企業の社長等を集め『社長会』を発会。「広布の闘いで、政党・学校・文化・民音等もできた。最後に残ったのは経済だ。これから社長会を中心に、経済革命をする」(「社長会全記録」継命新聞社 )
(※ 昭和47年4月18日まで、61回開催された )
6月 日  公安調査庁、月一回作成の対創価学会報告書『新文化研究』を、内閣に提出開始。内容は、池田大作会長の発言録、創価学会本部来訪者名簿など。
「このレポートを引き続き"愛読"すれば、創価学会・公明党の組織、幹部の動向が手にとるようにわかる。…
 創価学会・公明党の動向を調べているのは、公安調査庁だけではなかった。本誌が入手した警視庁の資料も十年以上前から担当警部を置き、現況、性格や問題点まで列記したリストを作り、所轄警察署を拠点に継続調査している。公安調査庁ほど詳しくないが、ちゃんと月報態勢になっているようだ。『警視庁が創価学会に対する監視を強めたのは、五十年の創共協定締結以来です。学会が共産党と協定したというので驚いた警視庁では、右翼担当の公安二課が本腰を入れてマークしはじめたわけですよ。月に一回の報告書を作成しはじめたのは、それから』(警視庁詰め記者)…
 いつから公安当局が調査対象にしたのか、ということだが、公安情報に詳しい評論家・伊達宗克氏は『昔から聞いていますよ』という。『創価学会は昭和二十年代後半から折伏大行進ははじめ、相手の家に押しかけて仏壇を焼き払うような事件がよく起きたものです。これは届け出があれば捜査しなければならないし、それ以前の調査するのが公安当局ですから、当然、創価学会は調査対象にされますよ。学会に限らず、過去に過激な行動をとった宗教団体は、やはり現在も調査対象になっています』…
 創価学会・公明党担当は調査第二部第三課で、法務省組織令によれば、この課は「爆発物使用、公務執行妨害」が職務内容とされているが、実際は右翼、宗教団体を調査している。『公安調査庁の法律上の職務内容はまったく形式だけで、実際には創価学会・公明党だけではなく、各野党や大衆団体から自民党の派閥抗争まで調べ上げている』(公安担当記者)」(『週刊現代』1978年10月26日号 )
7月1日  大白法書林、山本雅著、由比宏道編集発行の小冊子『打倒創価学会 第二集』を発行。脱会者の弁を中心に、創価学会・宗門を批判。
7月25日
 妙信講、7月度総幹部会開催(拓殖大学)。「8月は充実を期す指導の月」、7月度折伏成果127世帯。
 浅井昭衛本部長「この明治維新に於きまして日霑上人が、宗門の先頭に立たれて国家諫暁をされた。やがてそういう時が、将来必ずやってくるのです。 「有徳王・覚徳比丘の乃往を濁悪の未来に移さん時」との仰せの如く、時の御付属を受けた本門弘通の大導師としての御法主上人が、宗門の命運を賭して先頭に立たれた時、我々は断じておくれをとってはならん。末弟の一人として、法華講として真先に立ち上る、これが妙信講の精神であります」(「冨士」第48号 )
 〔解説 浅井昭衛〕「明治維新後、政府は一派独立の本寺を廃する布告を出した。それは、本宗に対しては大石寺の本山たるを廃し、身延山久遠寺を以って総本山とせよという官命となった。時の御法主・日霑上人は一命を賭して政府に上書せられた。
 その末文に云く、「若し其の明答に能わず、啻に彼の門葉の強大なるを以って、我をして屈せしめて、彼に所轄たらしめんとならば、臣等寧ろ服を更之、道路に餓死することありとも、敢えて奉命に耐えざる処なり。願わくば、寛大の哀憐を垂れさせられ、明らかに其の邪正を決し、而して後その処置を給わん事を。臣・日霑等恐懼再拝頓首泣血謹白す」
 強大なる権力に追いつめられ、ついに生命にかけても正統門家を護らんと立たれた日霑上人の御気魄が、当時胸に痛いほど響いた」(「冨士」第182号 )
 整理班、新編成。「講中活動の守護と整理に挺身する整理版が今回、再編成され総括・若原行平君、主任・神野武美君の指揮の下、3年後を目指して新しい第一歩をふみだした」(「冨士」第49号 )
8月13日  創価学会、サンフランシスコで第4回全米総会開催、代表4,000名参加。
8月17日  創価学会、第3回社長会開催(於ホテル・ニューオータニ)
 池田大作会長「私と会って会食するだけで良くなってしまう。社長の目、顔、声で全部分ってしまう。その上で必要な手を打つのだから正確だ。最高の指導だ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
8月20日
 妙信講、奥武蔵高麗川原にて、整理班訓練実施。
 整理班再編成後、初めての試みの整理班野外訓練は、8月20日実施された。… 整理班員38名が高麗駅に到着したのは10時30分。… 高麗川原に出、石だらけの中を進み30分ばかりで訓練場所に到着。… 訓練に入り整理班の目的と訓練の意義の指導、自己紹介、「整理班綱領」斉読、タクトの訓練を実施。12時半、持参の弁当で昼食。途中、自由行動が許され、泳ぐもの、魚を取るもの、石を拾うもの、自然の中でくつろぐこと1時間。さらに前進して訓練場所に到着、ここで隊別、個人別の相撲大会が行われた。… 訓練を終え池袋駅で6時に解散。(「冨士」第49号 )
8月24日  創価学会、池田大作会長、第10回学生部総会で講演。
 (1) ベトナム戦争における米軍の空爆停止と平和維持会議の開催、 (2) 紛争防止のため非武装地帯に国連監視軍の常駐、 (3) 沖縄の即時返還、を提唱。
8月25日
 妙信講、8月度総幹部会開催(拓殖大学)。「龍ノ口の巨難を拝し不惜身命の法戦」
 浅井昭衛本部長「もう一つ、… 夜おそくなってはいけないという事です。広宣流布の御奉公は長期戦であります。二十年、三十年、四十年と大聖人の御仏智による広布の日まで、うまずたゆまず勇んで斗って行くのが地涌の流類であります。いまゝでともすると熱心さのあまり、夜中の一時、二時までやっている人があった。だがこれは本当の姿ではない。… それでこう支部長会で決めました。一切の集会は従来の如く9時解散、問題はそのあとなんですが、色々な打ち合せで幹部だけが残ったとしても必ず10時までには解散をするように。…
 隣りの中共では既に水爆を開発して、それを運ぶミサイルも45年までには出来るとの事です。… ソ連や米国の水爆もさることながら、中共のそれは一層なにか不気味です。何故か、御書に西海侵逼の仰せがありますが、同じ方向、同じ国土、仏法の上から見て日本の運命に強い影響を持つ国だからであります」(「冨士」第49号 )
8月29日
 宗門、「日蓮正宗教師必携」刊行。
9月1日  創価学会、細井日達管長の大導師で『創価文化会館』落成入仏式奉修。
 池田大作会長、富士短期大学を卒業。「この年をして(卒論を)百枚も書いたんです」と発言。 (※ 卒業論文は、後に教学部長を務めた桐村泰次に書かせたと、原島崇が証言 )
9月 日  創価学会、10月に刊行予定の植村左内 編著『これが創価学会だ、創価学会幹部413人の告白』のゲラ刷りを入手。
 辻武寿・矢野絢也・竜年光の三氏、自民党本部に福田赳夫幹事長を訪ね、『これが創価学会だ』の出版中止を依頼。福田氏の拒絶により、さらに自民党・賀屋興宣氏に依頼。賀屋氏これを承け、出版元の「しなの出版」に働きかける。
9月12日
 宗門、細井日達管長 正因寺にて説法。「今年その正本堂の発願式が、10月12日に行なわれる次第 … 成仏の根本である、本門の戒壇が建立せられる」と。
9月12日  創価学会、正本堂礎石収集。世界135ケ国より収集完了。
9月25日
 妙信講、9月度総幹部会開催(拓殖大学)。「妙信講の使命をみつめて更に一歩前進」、9月度折伏成果82世帯、総世帯数は5,493世帯となった。
 浅井昭衛本部長「この折伏という二字を聞いた時に、もしも又か等と思うようであったならば、その信心は腐ってると思う。… この二字が消えた時、それは大石寺の門流の信心ではない。この大石寺門流だけは大聖人滅後七百余年、いかなる弾圧を蒙ろうとも二祖日興上人の昔から「折伏」(広宣流布)の二字は絶対に一門から消えることはなかったのであります」(「冨士」第50号 )
9月27日  創価学会、第4回社長会(於松野茶屋)
 池田大作会長「広宣流布への挑戦をして行こう。天下を取らなければ途中の苦労が何にもならない」(「社長会全記録」継命新聞社 )
10月1日
 宗門、第4回法華講全国連合会総会開催。
 細井日達管長「法華講の講中ができ、ひとつの団体ができましても、組織はお互いに人間がやっておるのであります。そうすれば、そこには不満もできる、あるいは間違いもできる。これらの不満とか間違いを盾にとって、お互いに争い合い、お亙いに信じなく、そしてついに自分の根本の信心を忘れるようなことをしては大変なことになる」 「少しくらいの不満、また組織の欠点、そういうものによって、その異体同心の団体を破るというようなことが、もしあるとすれば、それはすでに信心の退転であると考えなければならない」 等と述べ、法華講側の創価学会批判を牽制。
「裏で、このような狡猾な"着服"をしていながら、池田大作は、さも、宗門のために献身的な奉仕をしているかのように振舞い、宗門に恩を着せ続けた。 それに対する宗門の感謝の意思表示や賞賛の言葉が少ないと、池田大作はむかっ腹を立て、突然、血相を変えて怒り散らすのだった。
 私も、何度も、宗門首脳と学会首脳の合同の委員会等に出席したが、池田大作の独演会であり、宗門側僧侶は、ひたすらうやうやしく聞いているほかなく、 "先生のおっしゃるとおりです" "大変ありがたいことです" "池田先生にお任せします" 以外の言葉を述べられる空気ではなかった。
 このように、正本堂建立は、始めから終わりまで、 「池田大作の、池田大作による、池田大作のための事業」 であり、正本堂は、すべての点で池田大作の宣揚のための施設となっていた。…  これら(第4回法華講全国連合会総会の細井日達管長講演)は、宗内に、創価学会の行き方に批判的であったり不信を抱く人達が、少なからずいたことを示すものであり、御法主上人自らこれをたしなめられたお言葉である」(『あの頃のこと』山崎正友 「慧妙」2002年9月1日号 )
10月3日  創価学会、池田大作会長・竹入委員長。連名で、植村左内・編著 『これが創価学会だ』の出版中止仮処分申請を、東京地裁に提出。
10月4日
 宗門、法華講全国連合会組織、役員の名称変更。
10月10日
 宗門、細井日達管長、正本堂建立発願式奉修。
 創価学会、池田大作会長。発誓願文にて、「夫れ正本堂は、末法 事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又、仏教三千余年 史上空前の偉業なり」、「詮ずるところ正本堂の完成を以って三大秘法ここに成就し、立正の二字すでに顕現せんとす」、「今 茲に発願せる正本堂は文底独一本門の戒壇にして、唯 我が日本民衆の鎮護国家の道場なるのみならず、世界人類の永遠の平和と繁栄とを祈願すべき根本道場なり」と。
10月13日  創価学会、聖教新聞に細井日達管長の『願文』全文を掲載。また、「本門事の戒壇建立平和と繁栄の根本道場」の見出しで、池田大作会長の「発誓願文」を掲載。
10月13日  東京地裁、創価学会の 『これが創価学会だ』の出版禁止仮処分申請を却下。
10月15日  創価学会、国立競技場で東京文化祭開催、細井日達管長が臨席した。4万2千人の人文字、人間5段円塔が話題を呼ぶ。
「東京・国立競技場で、世紀の大祭典・東京文化祭が、晴れやかに開催されたのである。すべてが、未曾有の祭典であった。すべてが、感動の大ドラマであった。すべてが、歓喜の大絵巻であった。すべてが、希望の未来を映し出していた。出演者は人文字の四万二千人を含め、六万二千人で、学会の文化祭史上、最も大規模なものとなった。…
 文化祭の直前の十月十二日に、正本堂建立発願式が行われることから、この文化祭は、世界平和の根本道場たる正本堂建立の、前夜祭と意義づけられたのだ。…
 来賓も、財界人、言論人、学者、各国の駐日大使など五千人が出席。また、外務大臣や文部大臣などの閣僚や、都知事をはじめ東京近県の知事、野党のリーダーなど政治家の顔もあった」( 小説「新・人間革命」池田大作 )
10月25日
 妙信講、10月度総幹部会開催(拓殖大学)。「各々が随自意の誓願で大折伏」、10月度折伏成果94世帯、総世帯数は5,587世帯となった。
 浅井昭衛本部長「私たちは大聖人様の弟子として、願ってこの世の中に生まれてきた眷属です。眷属というのは、楽な時に生まれてくるのではないのです。楽な時にお膳立ての出来た時に出てくるのはお客様である。…
 この国を救うには、大衆一人一人が聞こうと聞くまいとにかゝわらず、この三大秘法の大御本尊がこの国にあるのだ、これを大事に供養し尊重し讃嘆していく、こういう一つの国立戒壇建立に対する本当の諌暁がなされなければなりません。… されば日蓮正宗が猊下を先頭に諌暁する、その宗門の国家諌暁に対して、我々はその宗門における引き金になるのだ、これが妙信講に於ける一万世帯を達成して本当に御奉公する使命であります」(「冨士」第51号 )
10月30日  創価学会、池田大作会長、汎欧主義者のリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵と初会見(東京文化会館)。
 伯爵に「ノーベル賞を貰えるでしょう」と激励され、「そのような栄誉は欲しくもありません。また下さるといっても、受けることはありません。そのような人間が世界にひとりぐらい、いてもよいでしょう」と応じた。
「伯爵と池田大作を引き合わせたのは、塚本素山氏である。… 池田大作は、カレルギー伯との対談を、有名人利用の第一号とした。昭和40年初めの教学試験の問題に「クーデンホフ・カレルギー伯について述べよ」という趣旨の問題が出された程である」(「池田大作日本経済乗っ取りの野望(二)」山崎正友 )
10月 日  植村左内・編著、『これが創価学会だ』 出版。大手取次店等、悉く取り扱いを拒否、書店の店頭に並ぶことなし。
10月 日  創価学会、『これが創価学会だ』の出版に対し、名誉毀損で告訴。加えて、謝罪広告を求める民事訴訟を起こす。さらに同書出版は新宗連の企てとして、新宗連理事長 立正佼成会庭野日敬会長を告訴。この後、日本大学 古田重二良会頭(社団法人「宗教センター」理事長)の仲介が成立。古田会頭、『これが創価学会だ』を廃棄処分。
「古田氏は、日本で二大宗教団体といわれる創価学会と立正佼成会をなんとか和解する方途を考え、両者に接触していたが、植村氏の『これが創価学会だ』が出版されるに至って、立正佼成会側が、自らの手で植村氏の本を破棄し、それによって『布教戦争』の一時停戦をするといった古田氏の案が両者を動かしたのだった。植村氏の本は日大の校庭でもやされた。これが世にいう"焚書事件"である。ところが、植村氏が自著をもやされたと喧伝しているが、実際は裁断されたのであり、焚書ではなかった」(『「月刊ペン」事件の内幕』丸山実 」
11月15日
 宗門、『大日蓮』11月号。正本堂発願式に際し、宗門高僧の賛嘆記事を掲載。
 1) 阿部信雄教学部長、「宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より680数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭梁・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている」。
 2) 大村寿顕宗会議員、「その御遺命通りに、末法の今・機熟して本門寺の戒壇たる正本堂が、御法主上人猊下の大慈悲と、法華講総講頭・池田大作先生の世界平和実現への一念が、がっちり組み合わさって、ここに新時代への力強い楔が打ち込まれたのであります」。
 3) 佐藤慈英宗会議長、「この正本堂建立こそは、三大秘法抄や一期弘法抄に示されたところの『事の戒法』の実現であり、百六箇抄に『日興嫡々相承の曼茶羅をもって本堂の正本尊となすべきなり』と御遺命遊ばされた、大御本尊を御安置申し上げる最も重要な本門戒壇堂となるのでございます」。
 4) 椎名日澄宗会議員・参議・宗務支院長、「『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ』との、宗祖日蓮大聖人の御遺命が今正に実現されるのである。何たる歓喜、何たる法悦であろうか」。
 5) 藤本日潤庶務部長、「何か遠い未来の夢の如くに考えておったものでありますが、それが私共の時代に先づもって『戒壇建立』の実現を見ることが出来るということは、本当に身の福運を感ぜずには居られません」。
 6) 豊田広栄宗会議員、「事実上の広宣流布、そして本門戒壇の建立発願と言う大偉業は、……『三国並びに一閻浮提の人、懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王、帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇なり』の御金言にふさわしく」。
 7) 梶原慈霑宗務支院長、「三大秘法抄の事の戒壇ここに成り、梵天帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇」、「本門戒壇建立こそ、七百年来宗門の僧俗全てが宗祖日蓮大聖人の御遺命として受け継ぎ、瞬時も忘れることなく抱き続けてきた願いであり、使命であり一大目標である。それが今此処に池田大作会長によって、全ての者を代表して発誓願せられたのである」。
11月15日
11月19日  創価学会、第16回青年部総会を開催。池田大作会長、創価学会系労働組合の結成を提案。
11月25日
 妙信講、11月度総幹部会開催(拓殖大学)。「3年後の一万に絶対の確証」、11月度折伏成果204世帯、総世帯数は5,791世帯となった。
「充実の年、最後の法戦として注目された11月度総幹部会は、随自意の大折伏のなかにさる11月25日(土)の夜、茗荷谷の拓大新館四階教室で開かれた。席上、期待の十一月度折伏は、「本年最高の204世帯」と報告があり、三カ月の連続法戦を見事にしめくくった大成果に場内からどっと拍手がまき起った。これで妙信講の累計総数は5,791世帯となり6千世帯にぐんと近づいた。… 浅井本部長の「この11月の204世帯でもって45年一万は絶対間違いがない。その証拠を大聖人様がみせて下さったのである」との大確信にみちた指導 … 勇躍、力強い第一歩をふみ出した」(「冨士」第52号 )
11月25日  創価学会、第6回社長会開催(於小富美)。
 池田大作会長、「目立たないように枝を伸ばし、産業界に網の目を張りめぐらして、最後に総合商社を作って決戦だ」 「中曽根康弘は心配ない、こちらの小僧だ。総理大臣になりたいと云っていたので、よしよしと云っておいた。ケネディきどりだ、坊やだ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
12月10日
 妙信講、妙縁寺にて御大会式奉修。
12月22日
 妙信講、12月度総幹部会開催(拓殖大学)。
12月 日  大正大学、竹中信常教授(宗教学)。『創価学会』を出版(労働法学出版)。
 創価学会、山崎尚見渉外局長。校正段階より介入し、ゲラを見せるよう強要。約1ヶ月の後、ゲラに朱を入れ「この本は、創価学会を正しく書いていない。手を入れたように変えて刊行せよ」と要求し、もし原文通り刊行するなら、名誉毀損で訴えると脅迫。よって同書の刊行、2ヶ月の遅れを来す。
12月 日  創価学会、650万世帯。
 
  年表  
昭和43年 (1968)           _
1月1日
 宗門、細井日達管長、「大白蓮華」1月号に寄稿。「この正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も教化の儀式も定まり王仏冥合して、南無妙法蓮華経の広宣流布であります」と。
1月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長「冨士」巻頭言。
「鳴呼、日目上人のこの御振舞いを偲び奉るとき涙せぬ者は信心なきの輩である。妙信講の前進の精神はここに立ち、ここに存するのである。「根深ければ枝しげし」と、浮薄の前進は却って大聖人の御意に叶わぬを知るべきである」
 [解説 浅井昭衛]「この43年は諫暁に立つ前年である。池田の慢心と御遺命歪曲は露骨の度を加えてきた。これを見て、いつかは立たねばならぬ、諫めねばならぬ、さもなければ大聖人のお叱りをも蒙ろうとの思いが日ごと月ごとに強まってきたのであった。この思いが「もう道は決ったのだ」「妙信講の前進は講中を大きくする為にあるのではない。唯仏弟子の自覚ある所、為すべきを為さず、努むべきを努めずしては大聖人の御眼恐しと感ずるままに、権威を恐れず、只々使命を果さんとするのみである。肚を据えようではないか」との言葉となった。
 この頃になると連合会のいかなる妨害も、もう妙信講の折伏前進を阻み得なくなっていた。まさに試練の嵐に打ち勝ちつつあったのである。この年、「富士」63号「仏法とは何か」が刊行されたが、本格的弘通をなさんとする気魄の表われであった」(「冨士」第182号 )
1月14日
 妙信講、研修部。三級昇格試験実施、出題範囲は「法華取要抄」、百余名が受験した。
1月21日
 妙信講、研修部。部員登用試験実施、204名が受験。
1月28日
 妙信講、幹部大会開催(豊島公会堂)。浅井昭衛本部長、「日目上人の御振舞いを偲び奉り、生命かけて一万世帯を達成せん」と。
「そこに今、内外の状勢を見るに、いよいよ日目上人御出現の時は迫って来ていると感ぜずにはいられない。これを思いまするに、その御出ましをお待ち申し上げ一日も早からん事を願って妙信講は捨て身の御奉公を為さねばならない。妙信講の折伏が、戦いが、日目上人御出現の道を開いているのです。この大確信を持って、この2月から全魂こめて折伏を進めて行こうではありませんか。妙信講の使命を思い、この緊迫した内外の状勢を見る時、昭和45年の一万達成は断じて遅らせてはならないのであります。自分は思っております。講頭先生の良き指導を受けながら、しかもこれ程人材の揃った妙信講でありながら、万々が一これが達成出来なかったら、それは誰の責任でもない、私が本部長として全責任を一身に負うべきだと心に決めております」
1月29日  創価学会、創価中学・高校落成式。池田大作会長、記念にイチョウを植樹。
2月5日
 宗門、松本佐一郎氏遺著『富士門徒の沿革と教義』発行。(大成出版社)
「三大秘法は..閻浮同帰を目標にする。国立戒壇は、閻浮同帰への前提だ。国立戒壇の前提は、異体同心である。下々の下々たる土民までが聖人の師子王の心に同心し得たとき、国立戒壇への道が開ける。勅宣はその結論である」と論ず。
2月10日  創価学会、第9回社長会開催(於築地・小富美)。
 池田大作会長「大蔵商事では一番いやな仕事をした。どうしてこんないやな仕事をするのかと思った。
 戸田先生は葉っぱを御札にする。本当にする。そうしなければ広宣流布は出来ない。必ずそうする。広宜流布の為ならば葉っぱを札にしてみせる、と云う戸田先生の強信が今日の学会を築いた。  これからの最後の闘いは経済戦だ。10年後の経済革命への闘いだ。武力の時代は去った」(「社長会全記録」継命新聞社 )
2月11日  創価学会、出版妨害依頼。隈部大蔵著『日蓮正宗・創価学会・公明党の破滅』の出版に際し、日本大学・古田会頭等が介入。初版からただちに絶版、市販されず。
2月16日
 宗門、歴代上人墓地御遷座法要、新墓苑起工式を奉修。
  ブラジル連邦共和国サンパウロ市にて、一乗寺開院式奉修。
2月18日
 妙信講、男子部大会開催(拓殖大学)。「一万完遂後に二千名結集せん」、450余名を結集。
 浅井昭衛本部長「一万達成後、いよいよ妙信講は外に向かって立正安国の大運動を起こす時である。その時に於いて男子部は、その先陣を切って文京公会堂に二千名を集めて、堂々と出陣の大会を開いて行こう。… その成し遂げた後で、妙信講の全力をもって立正安国の大運動を起こして行かねばならない。これが指針であります」(「冨士」第55号 )
2月19日
 宗門、ラジオ放送「日蓮正宗創価学会の時間」開始。第一回、阿部信雄師担当。
2月25日
 妙信講、2月度総幹部会開催(拓殖大学)。「油断一擲、師子王の心で必勝を」、2月度折伏成果75世帯、総世帯数は5,866世帯となった。
 浅井昭衛本部長「折伏に当っては、獅子王の心をもたなければ相手を救うことは出来ない。2月の斗いでは、この決意が甘かった。故に破れたのである。この2月の油断を一擲しまして、未だ足らざる思いをかけて、この3月の斗いに入ろうではないか」
 研修部、三級昇格試験合格者は24名、登用試験合格者は42名であった。(「冨士」第55号 )
3月5日  創価学会、池田大作会長。聖教新聞に「政治の正邪を決する公場対決とは、選挙のことをいうのです。すなわち仏法、政治ともに、その正邪は折伏と選挙によって、民衆の前で決定していくべきである、との大聖人の御金言であります」とし、選挙活動が宗教活動であると位置づけた。
3月15日
 妙信講、研修部入部式開催。
「研修部では、今回従来の研修部制度を全面的に検討、現在の妙信講にふさわしい教学の実力を備えるため、三級部員並びに研修部員の資格を次のように決定した。
 要項
 三級部員 三級昇格試験を突破して三級部員になってもその後2年間著しく出席を怠った場合、或いは次の三級試験に3ヶ年連続して落ちた場合は、その資格を取り消し一般部員とする。
 研修部員 研修部員となってから2年間、著しく出席を怠ったものは自動的にその資格を失う」(「冨士」第56号 )
3月22日  創価学会、第10回社長会開催(於プリンスホテル)。
 池田大作会長、九州・霧島山麓に68万坪の土地買収を指示。「68万坪に独立国を作ろう。創価王国、創価共和国だな。そうすれば文部大臣は森田さん。大蔵大臣、中西さん。外務大臣、小島さん。軍需大臣、木村。運輸大臣、田中。建設大臣、杉本。宣伝大臣、横松。北條さんは警視総監。全部いるよ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
3月24日
 宗門、湊邦三、「富士大石寺」刊行。
3月25日
 妙信講、3月度総幹部会開催(拓殖大学)。「3月で6千世帯を突破」、3月度折伏成果127世帯、総世帯数は5,993世帯となった。
 浅井昭衛本部長「折伏成果は昨日の9時現在で、お聴きのごとく6千世帯にあと7世帯不足をして5993世帯、まことに皆様の悪戦苦闘にもかかわらずこのわずか7世帯でもって、6千突破が言えなかったのであります。しかし本日6時現在、各支部の報告を集めまして9世帯できており、24時間ずれましたけれどこの総幹部会では、妙信講の現在世帯数は6千を突破しました」(「冨士」第56号 )
3月26日
 妙信講、研修部。初の三級部会、六巻抄の研鑽開始。
3月29日
 宗門、全国15布教区を29布教区とする。
4月1日  チェコスロヴァキア社会主義共和国、ドプチェク第一書記が「プラハの春」を宣言。検閲制度を廃止し言論の自由を保障、70余人の知識人が署名した「二千語宣言」が発表され、ドプチェク路線は国民に強く支持された。
 しかし同年8月20日、ソビエト社会主義共和国連邦のブレジネフ政権は、ワルシャワ条約機構5ヵ国軍15万を以て一斉に国境を越えて侵攻、首都プラハの中枢部を占拠した。ドプチェク第一書記、チェルニーク首相ら改革派は逮捕され、ウクライナのKGB(国家保安委員会)監獄に連行・収監された。
4月2日
 妙信講、「関西信徒某氏への手紙」
「拝啓桜花爛漫の候、愈々御健勝の事と存じます。
 さて先頃より妙信講の事に付き種々御心配を頂き、御好意は感謝に堪えません。しかしながら翻って考えまするに、小講の事はあくまでも小講の事ゆえ、終始一貫私共当時者の責任と信心に於て解決すべきが本筋であり、小講の事に関して第三者の力を借りたり、或は御迷惑をおかけしたりするのは本意でなく、誠に心苦しく思うものであります。又妙信講の仏法上の立場に付いては、私共に日頃より懐く所の存念もあり、若し未だ深く相識らぬ第三者の御方に、小講の事に関して論趣を添えて頂けば、却って真意伝わり難く、若し曲解誤伝を招けば将来お互いの恥辱ともなるものと深く憂うる次第であります。
 また御登山の事は小講が将来真に御奉公を為すに当っての大試練、更に沈考すれば罪業深重の身の先謗の所感ともつくづく観念している次第であります。いまは只身を捨てて弘通を為し、以てお目通りの叶う日をお待ち申し上げる心境の外は全くありません。依って今後は妙信講に関する限り義俠の添言も一切御無用に願います。もとより此の度の件は貴殿の自発の御好意よりなされし事なれば、当方より事改めての書面は筋違いかとも思われますが、事の重要に鑑み、敢えて一筆申し上ぐる次第であります。先ずは要用のみ。頓首」
 〔解説 浅井昭衛〕妙信講が連合会に妨害されて長いこと御登山できずにいることは、いつの間にか宗門に知れわたっていた。たまたま宗門で特殊な立場にあった関西の信徒某氏がこれを耳にした。彼は早速、事の真偽を確かめるべく、妙縁寺に松本日仁尊能師を訪れた。そして経緯を確認するや、直ちに連合会と宗務院に出向き、妙信講の登山を妨げることが理不尽であることを訴え、強い調子で談判を始めた。この某氏の行動が、妙信講に対する好意から出たものであることはわかっていたが、私は敢えてこの運動をお断りした。
 それは、御登山を歎願する時期はすでに過ぎたと思っていたからである。この頃、もう池田大作の御遺命歪曲は動かし難く、また管長猊下がこの違背を擢くことも、とうてい期待し得なかった。ならば妙信講が立たねば大事の御遺命はどうなろう、と思わずにはいられなかった。かく案じて、昭和37年秋以来の連合会のただならぬ妨害を見た時、それはまさしく妙信講に使命あるがゆえの試練であり、魔障であったのである。
 かかる段階で、大事の御奉公もせずに、ただ一講中のために御登山を願うことは、いかにも大聖人に対し奉り不忠である。いわんや第三者を介して妙信講が運動したとの誤解を招けば、将来なさんとする大事の御奉公に傷がつく。この恐れから、某氏の義俠を一切謝絶したのであった」(「冨士」第182号 )
4月3日
 宗門、阿部教学部長と藤本庶務部長が妙縁寺に来訪。妙信講について調査。
4月4日  米黒人運動の穏健派指導者、マーチン・ルーサー・キング牧師、暗殺さる。
 アフリカ系アメリカ人の牧師、公民権運動の指導者であるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、1968年4月4日午後6時1分にテネシー州メンフィスのロレーヌモーテルで致命的な銃撃を受け、セントジョセフ病院に運ばれ午後7時5分に死去した。
4月8日  創価学会、創価中学・高校を、東京・国立たかの台に開校。第1回入学式。
 池田大作会長、「モットーの碑」「青年と鷲の像」の除幕式、「栄光橋」の渡り初め、新入生(1期)と記念撮影、栄光寮の寮開きに出席。
「いうまでもなく、創価学園は、創価学会のために設立したのではない。われらの願いは、妙法の大地を根底に、崩れざる人類の繁栄と豊かな人間主義の文化の花を咲かせることである。したがって、教育はあくまで教育の分野で、見事な花を咲かせていくのは当然である。 事実、創価学園においては、宗教教育は行わないし、生徒のなかには、学会員以外の子弟も含まれている。創価学園は、あくまでも日本の未来を担い、世界の文化に貢献する、有為の人材を輩出することを理想とするものであり、それ以外の何ものもないことを断言しておきたい」(「創価学園の開校にあたって」池田大作 )
4月11日  公明党、党大会で「日米安全保障条約」の段階的解消方針を決定。
4月15日
 妙信講、研修部会開催。「四信五品抄」講義開始。
4月25日
 妙信講、4月度総幹部会開催(拓殖大学)。「5月は前三後一の指導の月」、4月度折伏成果121世帯、総世帯数は6,114世帯となった。
 浅井昭衛本部長「折伏には無駄という事は一切ない。必ず相手の心田に下ろされた仏種はいつかは芽ばえて成仏の因となる」(「冨士」第57号 )
4月29日  創価学会、第11回社長会(於南伊東・井清寿)
 池田大作会長「学会の外郭は、100、200、1000となければ駄目だ。下手をすると合併、合併で大資本に綱を張られてしまう。戸田先生が焼鳥屋をやろうと云ったのもこれだ。社会と接触できる。大きな建物を作ってやってゆくのは駄目だ。小さいのを沢山つくって、気がついた時には綱が張られていたと云う様に。成功させたいな。外郭は流通分だ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
5月3日  創価学会、第31回本部総会を開催。池田大作会長、正本堂を「法華本門の大戒壇」と呼ぶ。
 細井日達管長、「大聖人様の仏法を、今日の時代にひろめ、広宣流布のお手伝いをするのでありますから、我々の折伏は、化儀の折伏であります。故に、化儀の折伏は、政治、経済、文化、あらゆる方面にわたるべきであります」と、選挙活動を宗教活動とする池田見解を擁護。
5月16日  創価学会、パナマ共和国に支部結成。
5月23日  創価学会、第12回社長会を料亭「初波奈」で開催。
 池田大作会長「今は悪い奴等がのさばっている。石原慎太郎や今東光が出るなんてなげかわしい。松下幸之助はずるい奴だ。「PHP」50万部ですごく儲けている。もう少し下ると思うが、道徳をとりあげている。松下教祖だ。社内の訓練も松下教だ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
 同年7月、参院選全国区に立候補した石原慎太郎は、前代未聞の三百万票を獲得しトップ当選。
5月25日
 妙信講、5月度総幹部会開催(拓殖大学)。「着実な前進で全講に信心の血脈を」
 浅井昭衛本部長「指導と折伏の場が十日・二十日の学習会 … 御奉公を成さんとする者は御書を真剣に学んでいくのは当然」(「冨士」第55号 )
6月1日
 宗門、高野日海宗会議員。ラジオ番組『日蓮正宗・創価学会の時間』で、「正本堂と申しますのは、日達現猊下が事実上の本門の戒壇であると御説法下さいましたが、(略)この戒壇建立と云う事は、実に日蓮大聖人七百年来の悲願でございまして…」と。
6月25日
 妙信講、6月度総幹部会開催(拓殖大学)。「7月は強烈な立正安国の斗い」、6月度折伏成果39世帯。
 浅井昭衛本部長「妙信講がこんな折伏の状態では、着実な前進ではなくて着実なる停滞である。あの日目上人の垂井の宿での御遷化のお姿を忘れているのではないか。もしもこんな事が続くならば一万もざれごととなり、広布への御奉公も戯論となる。1ヵ月かかってわずか39世帯、これは妙信講の折伏ではない」(「冨士」第59号 )
7月7日  公明党都議会議員、「船の科学館」に使用する東京都の跡地払い下げのため、笹川良一に便宜を計る。
7月8日  創価学会、第13回社長会(於ばん居)
 池田大作会長「三年先の参議院は北條、柏原でやろう。衆議院もそろそろまとめよう。大久保だな、大沢の代わりに。小島のところは山崎か秋谷だな。やっぱり30代だ。東京は大久保、山崎だ。人材が必要になってきた。上田君なんかもよい。身体が一寸弱いな。西は西中だな。…
 警察だって、動かしているのは竹入、井上だよ。竜なんかおどかすだけで味方にならない。竹入の一声だよ。竜も藤原も出さないでゆこう。 22~25名位にしよう」(「社長会全記録」継命新聞社 )
7月10日
 妙信講、学習会開催。7月から、会場を池袋の豊島公会堂に移し毎月10日と20日、学習会が開催されることになった。
7月10日  毎日新聞等 新聞各社、「投票入場券 十万通消える」「大量の不正投票か」と報道。第8回参議院選挙(7月7日)「新宿替え玉投票事件」。
 後に東京地裁、「新宿替え玉投票事件」に判決。「他人の投票入場券を盗み..公明党候補に詐偽投票をおこなった」として、宮本孝・砂川昭夫被告に禁固1年・執行猶予4年、北林芳典被告に禁固4ヶ月・執行猶予3年など、創価学会員・被告8名に有罪判決を下す。
 山崎証言では、「これは新宿区総指令(選挙責任者)八矢英世氏 直々の指図で行われた、組織ぐるみ事件である。(略)池田大作は..『覚悟して、腹を決めて対処しろ』と竹入氏に指示した。私も公明党都議、区議団とともに必死の証拠隠滅工作に奔走した。(略)竹入義勝委員長は警視総監と会い、手加減を頼みこんだ。(略)結局8人に有罪が宣告されたが、摘発は組織末端に止まった」と。(「週刊文春」平成8年9月12日号 )
7月17日  創価学会、小説『人間革命』第4巻発刊。
「この折りの彼の明晰な悟達は、仏法を見事に現代に蘇らせ、近代科学に優に伍して遜色のないものにした、といえよう。そして、仏法に鮮明な性格と、現代的な理解とを与えたのである。いや、そればかりではない。日蓮大聖人の生命哲学を、あらゆる古今の哲学のうえに位置せしめた、記念すべき強力な発条であったというべきではなかろうか」と。
7月25日
 妙信講、7月度総幹部会開催(拓殖大学)。「8月は学習会に全力を」、7月度折伏成果70世帯、総世帯数は6,179世帯となった。
 浅井昭衛本部長「今 学習会は、七百名を突破している。わずか数ヵ月前には四百数十だったのが、ぐんぐん伸びている。大聖人様の御書に取り組んで、真剣に勉強しようという気運がみなぎってきた。私は思うのであるが、量の変化は必ず質の変化を将来する」(「冨士」第60号 )
7月31日  創価学会、第14回(臨時)社長会(於三崎会館)
 池田大作会長「3年たったら第2党だ。今迄メチャクチヤに突進して来たが、我が軍も大したものだ。こうなったら21世紀迄生きよう」(「社長会全記録」継命新聞社 )
8月18日
 妙信講、研修部。初の二級昇格試験実施、試験範囲は「六巻抄」で、28名が受験した。
8月20日
 妙信講、奥武蔵・高麗川原で整理班野外訓練実施。
8月22/23日
 妙信講、折伏講習会開催(拓殖大学)。
 第1日目は「何のために信心するのか」「幸福とは何か」、第2日目は「生活の種々相」「何故御本尊を受持するのか」「何故利益と罰があるのか」「折伏の心掛け」の講義があった。(「冨士」第61号 )
8月25日
 妙信講、8月度総幹部会開催(拓殖大学)。「本年最後の法戦の火ぶた切る」
 浅井昭衛本部長「妙信講は、大聖人の御正意に添い奉る、折伏に立つ講中である。45年一万をめざし、火の玉のような信心があるならば大聖人様の御力をかりて、大衆を救えることは火を見るように明らかである。すでに本年は、充実に充実を重ねきた。… その出発としてこの9月は、百世帯の御本尊流布をやっていこうではないか」
 本部辞令:加藤礼子 女子部第五支区長に任ずる。(「冨士」第61号 )
8月25日  創価学会、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルルにて、第5回全米総会開催。
9月1日  創価学会、ブラジル連邦共和国サンパウロにて、第4回南米総会開催。
 公明党、「在日米軍基地総点検」を開始。
9月8日  創価学会、第11回学生部総会開催。池田大作会長、「日中国交正常化への提言」を発表。
(1)日中国交正常化、(2)日中首脳会談の早期実現、(3)中国国連加盟実現へ強い努力、(4)日中貿易拡大への道を開き平和・文化に貢献、等を提唱。
9月10日
 宗門、細井日達管長、日正寺に親教。
「大聖人様の大理想は日興上人にお継ぎなされ、富士山に本門寺の戒壇建立の時は、と云う二箇の相承となって日興上人に御遺命遊ばされているのであります。それが今日、戒壇の本尊の奉安殿となり、また今回、法華講総講頭池田先生の大発願のもとに、本門の戒壇堂とも云うべき正本堂建立が、来月の12日に着工」と。
9月11日  創価学会、出版妨害。公明党 北條浩副委員長、隈部大蔵を赤坂プリンスホテルに呼出す。
「お前は、こんなくだらんことを書いて、ジャーナリストとして恥ずかしくないか。我々は巨大な象のようなものだ。お前は蟻のような存在だ。こんなものは屁とも思わん。しかし、我々は、蟻であろうと、向かってくる者は本気でふみつぶす。お前もふみつぶされたいか。お前も西日本新聞杜に圧力を掛けてクビにするぞ!」と脅迫。(『「月刊ペン」事件埋もれていた真実』山崎正友 )
 隈部大蔵、5月から執筆していた『現代のさまよえる魂、釈尊と邪教の対話』なる、学会教義批判書の出版を断念。
9月11~12日  日米安全保障協議、日本の外務省首脳が米国政府関係者に、創価学会池田大作会長の民間外交を批判。
「1960年代末に外務省首脳が、創価学会の池田大作会長(現名誉会長)の『民間外交』を日本外交の妨害になるとして、米国政府との協議の場で同会長非難を強く表明していたことが、このほど解禁された米国政府の秘密外交文書で明らかとなった」(「産経新聞夕刊」95年9月25日 )
9月20日  創価学会、英訳版『仏教入門』完成。
9月25日
 妙信講、9月度総幹部会開催(拓殖大学)。9月度折伏成果119世帯、総世帯数は6,298世帯となった。
 研修部、二級昇格試験合格者発表。加賀陽子、浅井信衛、石原康一の3名。(「冨士」第62号 )
10月11日  東京地方裁判所、新宿替え玉投票事件で "他人の投票入場券を盗み、本人になりすまして公明党候補に詐偽投票をおこなった" として、宮本孝・砂川昭夫に禁固1年・執行猶予4年、北林芳典に禁固4カ月・執行猶予3年など、創価学会員8人に有罪判決。
 山崎正友は後に、新宿替え玉投票の指示は、新宿区・港区の総指令の八矢英世から発せられ、新宿区男子部司令・松山久男が直接指揮をとったと告発。
「この事件の全容について、創価学会は"デッチ上げだ"などと言っていたが、全貌を知る竹入義勝氏が、一昨年秋、朝日新聞に連載した"回顧録"で事実を認め、自ら、河井次席検事に"お手柔らかに"と頭を下げに行ってさんざん文句を言われたことを公表したから、もはや否定のしようがなくなった。その恨みと怒りを、池田大作は、竹入氏に対する個人攻撃に振り替えているのである」(『あの頃のこと』山崎正友 「慧妙」2001年1月16日号 )
10月12日
 宗門、正本堂建立着工大法要奉修。
 池田大作会長、「この法華本門の戒壇たる正本堂の着工大法要を、血脈付法第六十六世日達上人猊下の御導師により、無事終了することができました」と。
10月23日
 妙信講、折伏講習会講義「仏法とは何か」(「冨士」第63号 )発刊。「冨士」第4号と並んで妙信講の教学の理論的支柱となる。
「日蓮大聖人は三大秘法という、此の上もない大法をこの世界にお残し遊ばされた。目的は唯一つ、全人類の真の幸福の為にであります。若し、この大法が無ければ世界はやがてどうなるか。行き着く所は決っています。即ち、自界叛逆(内部分裂)と他国侵逼(国際紛争)という、自らが招く大渦に、いかなる人も国も巻き込まれ、滅亡へと向うのです。それは何故か … 。仏法の中心なきところ、個人も国家も貪・瞋・癡の三毒が益々強く激しくなり、その趣くところ地獄・餓鬼・畜生・修羅の生命活動になり切って了うからです。四悪道の生活は弱肉強食、終点は互いの破滅以外にはありません。況や、戦慄すべき核兵器・細菌兵器を無数に蓄えた現今の国際状勢に於ておやです。沈思すれば思い半ばに過ぎるものがありましよう」(「冨士」第63号 )
10月24日  創価学会、第17回社長会(於三菱関東閣)
 池田大作会長「下之坊、妙蓮寺、正本堂を結ぶと三角形になる。やがて道路をつくる。又、大客殿、大講堂の壁を近代的にタイルをはる。動物園はくさいから廃止。…
 正本堂の土地もやっぱり私が出て、やっと目鼻がついた。勅使門も今迄の軽い考えではなく、本当の意味の勅使門を作るよ。大化城はこわさなければならない。あれは私の発案ではない。
 正本堂に御本尊様を安置すれば、御宝蔵、奉安殿より広く拝ませる事になるが、あくまで大信者に限るので内拝である。将来一国の総理等が信者で、又、国家権力を押さえた時に国中の人に拝ませる。内か外かはまだわからない。
 正本堂の位置も、日興上人は大石寺と北山本門寺の中間を考えていらっしゃったが、現猊下も大聖人様ですから、現猊下がおきめになった。現在の位置が最高、又名前も本門戒壇堂であるが、正本堂の方が通ずる。戸田先生がつけられた名前だ」 (「社長会全記録」継命新聞社 )
11月1日  「月刊ペン」創刊。左翼勢力に対抗するためのメディアとして、財界、右派筋の支援のもとにつくられる。資本金1億円、社長の原田倉治は右翼大物総会屋。
11月17日  創価学会、細井日達管長臨席のもと第17回男子部総会開催。
 池田大作会長、「私どもの最大の念願であった本門の戒壇たる正本堂」、「一閻浮提総与の大御本尊まします本門戒壇」、「広宣流布は、今や名実ともに総仕上げの段階に入っている。かかる重大な驚異すべき時は、過去の歴史にかつてなかった」と。
11月21日  創価学会、『日蓮正宗教学小辞典』を刊行。『戒壇建立』の項で、「本門戒壇即正本堂の建立が実現」と記載。
「そして今まさに、本門戒壇建立の時である。すなわち大御本尊を信受し、功徳に浴し、歓喜している衆生が、日本ばかりでなく世界に満ち、日蓮大聖人のご予言である化儀の広宣流布の時が到来したのである。ここにおいて、創価学会第三代会長の発願により、これら純真な民衆の、心からの供養によって、本門戒壇即正本堂の建立が実現されることになったのである。この正本堂は、日蓮正宗総本山富士大石寺において、一閻浮提総与の大御本尊をご安置する本堂であり、事実上の本門の戒壇である」(※ 後にカットされる)
11月25日
 妙信講、11月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「一万への関所、最高の折伏で突破」、11月度折伏成果130世帯、総世帯数は6,502世帯となった。会場はこれ以降、豊島振興会館となる。
 浅井昭衛本部長「今年は「前進」を合言葉に進んでまいりました。だが一万世帯達成が重大なればこそ魔障も当然でありました。途中遅々として進まぬ事もありました。何とか此の壁を突き破らんとして「乞眼の婆羅門」にも似た責めに堪え抜き、勇猛に突き進んで来ました。そしてその厚き壁を此の11月で始めて打ち破ったのです。若し此の11月が信心弱くしてだらしない法戦に終ったなら、誰が来年の事を確信以て云い切れよう。すべて口先だけの虚妄となって了うではないか。だが強盛なる信心さえあれば、いかなる障碍も断じて突破出来るとして、明年への明るい道が、この11月に大きく開かれたのであります」(「冨士」第64号 )
11月30日
 宗門、早瀬道應総監が妙縁寺にて、松本日仁能化と浅井甚兵衛講頭に本山登山の許可を伝える。
〔解説:浅井昭衛〕「妙信講が願い出もしないのに、御登山の道は自然と開けてきた。43年11月30日のことである、どうしたことか突然宗務院の早瀬総監が妙信講の登山のことで、妙縁寺に来寺されるというのである。松本尊能師より報を受けて父と私は妙縁寺で総監を待った。
 総監は藤本庶務部長を随えて席に着くと、厳かに云った。「いま平沢さんと会ってきた。明年(44年)1月7日に連合会の正月登山が行われるが、妙信講も参加できるよう取り計った。ついては12月9日、富士会館(連合会本部)で理事会が開かれるから、出席の上宣しく挨拶をするように」と。
 総監は池田大作の意を受けてこれを取り計らったように思えた。連合会を使って登山を妨害していることが非理であることは、池田大作が誰よりも知っている。彼は一流の敏感さで、何かを感じていたのであろう。いずれにしても妙信講が歎願したのではない、自然と道が開けたのである。これぞ「大聖人様のお呼び出し」と直感した。「参詣遙かに中絶せり、急急に来臨を企つべし」の御金言が胸に浮かんだ」(「冨士」第182号 )
12月8日
 妙信講、御会式大法会奉修。臨時班長会開催、浅井本部長「躍進」の大号令。
12月9日
 法華講連合会、理事会に登山の件で妙信講を招集。
〔解説:浅井昭衛〕「やがて理事会は始まり、その中途で私達は会場に通された。私達が席につくと、平沢益吉は、妙信講の登山問題について、いまいましげに理事達に説明を始めた。「総本山への登山を許す権限は、今宗門で二人だけが持っている。学会では池田会長、法華講においては自分である。… しかし今回宗務院から、理事会でどうか検討してくれと申し入れがあったので、妙信講の登山を許すかどうかきょう検討したい」と。
 次いで司会者が、妙信講の講頭に挨拶するよう促した。… 「講頭に替って私が挨拶したい」といって私は立ち上がった。「連合会が清浄なるべき御登山を統制の道具に使っているのではないか。… 宗務院が何と云ったかは知らぬが、妙信講は連合会などに登山をさせてくれなどと頼んだ覚えはない。宗務院から、すでに取り計ったから出席するようにと云われたから、今日来たまでである」。云いおわると、三人そろって席を立った。平沢・柳沢を始め、数十名の理事はアッケにとられ、ポカンと口をあけて見ているだけであった」(「冨士」第182号 )
12月12日
 妙信講、法華講連合会からの「登山決定通知書」を受領。
〔解説:浅井昭衛〕「これで御登山は当分できまいと思っていたところ、案に相違して、三日のちに連合会から"登山を決定したから"と、連合会庶務部長の名で細目を通知する書状が送附されてきた。聞けば、私達が帰ったあとの理事会では、全員が妙信講の登山に反対したそうである。しかるにこの結果はいったいどうしたことか。虎の威を借る狐とは悲しいものである。平沢はどれほど自分で妙信講を憎々しく思っても虎殿が決定すればそれに従わざるを得ないのだ。池田大作は平沢の頭ごしに高度の政治的判断を下し、宗務院にその意を伝えたのであった。平沢はせめてもの虚勢を、先の登山決定通知の文面に表わした。「今般貴講中より依願の昭和四十四年一月七日総本山登山の件、東京地方部として左記の通り決定いたしましたので通知いたします」(原文のまま)と。"連合会に頼んだ覚えはない"と、妙信講からはっきり云われても、なお"頼まれたから決定した"と虚勢を張った」(「冨士」第182号 )
 臨時班長会開催、浅井昭衛本部長「参詣遥かに中絶せり、急急に来臨を企つべし。是にて待ち入つて候べし。哀哀、申しつくしがたき御志かな、御志かな」(南条殿御返事)を引いて、「日蓮大聖人が妙信講をお呼びになっている」と。
(※ 高揚した口調て語られたその声を、小生は今もはっきり覚えている。当時はその背景に、このような事情があったことは、まったく知らなかった。櫻川 忠 )
12月23日
 妙信講、12月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「4月総会までに七千を突破」
 浅井昭衛本部長、1月7日の代表登山につき、本山登山の意義とその精神にふれ「自分達は、一万世帯を達成せねばお目通りの資格はないと思っていましたが、はからずも今回御法主上人猊下よりもったいなくもご配慮を給わった。これは一万への大精進、この仏事を本当に勇気をもって成し遂げよ、という大聖人様の有難いお励ましである」
 本部辞令、浅井盛衛 新宿支部中村班組長に任ずる。(「冨士」第65号 )
12月26日  創価学会、12月度本部幹部会開催。教学部長に、原島嵩が就任。
12月27日  創価学会、第19回社長会(於吉兆)開催。
 池田大作会長「横松、山崎等若手がしっかりする年だ。原島新教学部其は良いだろう。5年間御義口伝をつききりでやった。その的確さ、深さにはかなわない。…
 本部の裏に200坪、7階のビルを作る。3DKにして身近な人を入れる。皆さんの子供も結婚したら入れてあげる」(「社長会全記録」継命新聞社 )
12月 日  創価学会員 松本勝弥、学会本部職員となり財団法人民音の企画局に勤務する。
12月 日  創価学会、687万世帯。
 
  年表  
昭和44年 (1969)          
1月1日
 妙信講、妙縁寺にて元旦勤行。
1月7日
 妙信講、総本山大石寺に七百名代表登山。平沢法華講連合会委員長、「三大秘法抄・一期弘法抄に云われた戒壇が、いよいよ昭和47年に立つ」と講演。浅井昭衛本部長は、ただちに妙信講員を別室に集め会場を封鎖し、平沢講演を訂正した。
 [解説 浅井昭衛]「妙信講の代表七百名は、午前八時なつかしき三門の前に勢揃いした。… 午前九時半、大講堂で連合会の指導会が行われた。全国の法華講員五千名に交って、妙信講員も出席した。講員にとっては初めて連合会の指導に接する機会であった。やがて平沢委員長が登壇した。彼は初めて集会に加わった妙信講を明らかに意識していた。…
 彼は重大な発言をした。「本年は正本堂の定礎式が行われる。… 正本堂こそ、三大秘法抄・一期弘法抄に"時を待つべきのみ"と云われた事の戒壇である」と。妙信講員は初めて"御遺命の歪曲"を耳にしたのである。心ある者は我が耳を疑ったであろう。… 大化城に戻るや … 私は云った。「正本堂が大聖人御遺命の戒壇とはとんでもないことである」。そして、御遺命の戒壇とはいかなるものかを、御書と歴代先師上人の仰せを引いて強く指導した。これが、妙信講員を前にして正本堂の仏法違背を論じた初めであった。…
 やがて妙信講員は粛然と襟を正して奉安殿に入った。まさに五年ぶりである。感泣せぬ者はなかった」(「冨士」第182号 )
(※ 小生の緊張の初登山であり、総本山での光景が断片的に記憶に残っている。櫻川 忠 )
1月12日
 宗門、法華講連合会。大化城安置本尊紛失につき、妙信講に嫌疑をかける。
 [解説 浅井昭衛]「下山して五日後、連合会総務部長・柳沢喜惣次より、一通の書面が送られてきた。文意は"登山当日、妙信講員がいた大化城の同階の空室において、安置されていた御本尊が紛失したから、登山に参加した全講員を至急調査してほしい"というものである。まことに不可解、未だ曽って聞いたこともない事件が起きたものである。さっそく返書を送った。「一月十二日附御問合わせの件、調査の結果、当講員は御安置の部屋の有るさえ知る者なく、依って当講参詣者は本事件とは何等関係なき旨報告します」と」(「冨士」第182号 )
1月12日
 妙信講、研修部。三級昇格試験実施(拓殖大学)、範囲は「四信五品抄」、受験者は109名。
1月13~15日
 妙信講、初級講習会開催(拓殖大学)。「三日間で延千三百余の参加」
 第一日目・日蓮大聖人の御一生、第二日目・仏法の実践、第三日目・宗教批判の原理等の講義が行われた。
1月19日
 妙信講、研修部。登用試験実施(拓殖大学)、範囲は「冨士4号」と「冨士63号」。
1月22日  創価学会、第20回社長会(於留園)開催。
 池田大作会長「皆んなは公私混同、公私混同と云うが、私は公私混同で全部公だよ。仏法に私はないよ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
1月24日
 妙信講、1月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「初陣の二月、開目抄の精神で」
 浅井昭衛本部長「これからの毎月の斗いは、学習会と総幹部会の二つを柱として進めていく。特に総幹部会は、いまゝでともするとその月のしめくくりの感を持っていたようであるが、これからはこれを改め、総幹部会は新しい斗いの出発の場としていく。即ち学習会において大聖人様の御書に接して御本仏大聖人様の御徳がわかったならば、この仏法の何たるかがわかったならば、大聖人様の大衆救済のお手伝いをしていこう、こういう気持ちを持った人たちは幹部であろうとなかろうと、この総幹部会に馳参じて頂きたい」(「冨士」第66号 )
 本部辞令:長岡孝志、男子部幹事に任ずる。
1月25日
 宗門、第1回寺族指導会。細井日達管長、「昭和47年、法華講総講頭池田大作先生の大発願によって本門戒壇が将に建たんとしている」と。
2月8日  創価学会、京都文化会館入仏式奉修。
2月10日  創価学会、池田大作会長。関西幹部会において「妙法の一念三千論は、敷衍していけば、王仏妙合論となります」と。
 小説『人間革命』のラジオ放送始まる。
2月11日
 宗門、法華講連合会から妙信講に詰問。宗務院連合会連絡会議(法道院)で松本日仁師に、正本堂の意義等につき妙信講への「四箇条」の詰問を渡す。
 [解説 浅井昭衛]「二月十一日、法道院において、宗務院・連合会の連絡会議が開かれたが、平沢益吉はその席に松本日仁尊能師を呼びつけた。妙信講が、自分の頭越しに御登山したこと、またそれに関連したもろもろのいまいましさが、ここに爆発したのである。彼は御高齢の尊能師を嬲るように満座の中で詰問した。妙信講のことはすべて指導教師の責任であるとばかりに、まず「妙信講は正本堂の御供養と称して集めながら未だに出さないで蔵っているのは怪しからん」と丈丈しくかみついた。これにはさすが温厚な尊能師も顔色を更えて反論され、そのいきさつを説明して「すべては柿沼総監が知っている」と云われたそうである。
 次いで平沢は、用意していた妙信講に対する四箇条の質問を突きつけた。尊能師は「妙信講に尋ねてから返事をするから、質問を書いてくれ」と云われた。軽率にも、宗務院教学部長・阿部信雄は、宗務院の用箋を使ってこれを書きとめ、尊能師に渡した。それは次の如くである。
「一、妙信講の帰途、大化城のそばで青年部が注意した処『生意気云うな、不祥事の起らぬように気をつけろ』と浅井昭衛氏が云ったことについて、之がどう云うイミか聞くこと。
 一、今の正本堂は事の戒壇ではない、奉安殿が狭くなったので、広い処へ移すためだけのものである。
 一、公明党を結成し、政治運動をすることは御書のどこにもない、邪道である。
 一、猊下は現在の大聖人とは拝せられない、法の番人である。
 以上の事を妙信講で指導していると、はっきり聞いた人がいる」(原文のまま)
 以上四箇条を指導教師として妙信講に確認し、釈明せよというのである。そしてさらに平沢は「返答の次第によっては、総講頭に伝えて妙信講をとりつぶして見せる」と凄んだ」(「冨士」第182号 )
2月12日
 宗門、松本日仁師、妙信講に四箇条の返答を問う。
 [解説 浅井昭衛]「私は、第一条に関しては状況説明と共に嫌疑をかけた非礼を謝罪するよう求めた。また第二条以下はまず質問内容を確認すべく、平沢と直接会いたいと申し上げた」
2月14日
 妙信講、松本日仁師に託し法華講連合会に、「四箇条」への返書を提出。
 [解説 浅井昭衛]「尊能師はそのまま書かれて、自らの報告として平沢に送附された。ところが、あれほど威張っていた平沢はウンともスンとも云ってこないのである。狐の限界はもうこれまでであった。私も連合会ごときを相手に重大法義を論ずるつもりは初めから無かった。以後連合会は妙信講の前から姿を消した。「人をよくなすものはかたうどよりも強敵」と、連合会は大事の御奉公をなす妙信講を鍛える役目を立派に果したのであった。次は宗務院である。数日して早瀬総監が会いたいと連絡してきた。」
「ただ第二条だけは重大である。これは連合会の云いがかりではない。まさしく、正本堂を御遺命の戒壇に非ずとするは、妙信講のいのち賭けての所信であり、すでに御登山で公言言したところでもあった。いま連合会は公式の席で"正本堂を事の戒壇と云うか、云わないか"と、妙信講に二者択一を迫って来たのである。私はこの詰問に大聖人の御仏意、厳たる御命令を感じた。今までともすれば"いつの日か猊下が歪曲をお摧きになるであろう、また重大法義へのたやすき容喙は恐れ多い"とためらっていたことがこれでふっ切れた。もう躊躇は全くなかった。佐渡御書の「師子王の如くなる心を持てる者必ず仏になるべし」の御金言で全身が熱くなった。ついに「時」は来たのである」(「冨士」第182号 )
2月18日
 宗務院、法道院にて妙信講と正本堂につき会談。
 [解説 浅井昭衛]「宗務院側は早瀬総監・阿部教学部長・藤本庶務部長、こちらは松本尊能師と父と私が出席して会談した。その中で正本堂について強く問い糺したところ、結局阿部信雄は「猊下は未だ一度も正本堂を事の戒壇といわれたことはない」と釈明した。宗務院は妙信講の決意を不気味に感じたのか、三月四日再び会いたいと云ってきた」(「冨士」第182号 )
2月19日  創価学会、第21回社長会(於プチモンド)開催。
 池田大作会長「『科学と宗教』はどうだ。いい名前だな。息の長い潮新書になるな。ロングセラーだな。あれも最初、森田康夫と二人でやった。三年かかった。森田が途中でやれなくてやめてしまい、苦労した。やっぱり東大出は駄目だ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
2月23日  創価学会、第1回婦人部総会開催。日本武道館に、1万数千人が参加。
 池田大作会長「今"全体人間"というのも、その究極は輪円具足の事の一念三千の御本尊と境地冥合することにほかならない。すなわち、我が身即一念三千の当体とあらわれることが"円人"即ち円融円満の人格であり、真実究竟の"全体人間"なのである。… 今、日蓮大聖人の全生命は、創価学会という一個の生命に、そして、そこ生きる学会員の皆さん一人一人の生命に脈々と流れている …
 創価学会を守ることは大聖人の仏法の血脈を守ることであり、すなわち、汝自身の生命に、妙法の血脈を流れ通わしめることに通ずる。… されば、創価学会を離れて、末法の仏法の全体も、修行の一切も、真実の悟りも、絶対にない。また、人生も、社会も、文明も、ことごとく、仏の血脈を離れた根無し草であり、かわって、魔の血脈となってしまうことを、ここに断言しておきたい」
2月25日
 妙信講、研修部入部式開催。
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「七千世帯達成は五月」、2月度折伏成果 149世帯、総世帯数は 6,651世帯となった。
 浅井昭衛本部長「御仏智と表現するしか云いようのない初登山以来、1月2月の前進のなかに、この妙信講がいよいよ立たなければならぬという使命をひしひしと感じている。そこに4月に開かれる第十三回総会が非常に重大なる意義をもってきた。… 七千達成の暁に於ては、いつでも妙信講は大聖人様の御命令あり次第堂々と立ち上ろうではないか」(「冨士」第67号 )
2月26日  創価学会、7百万世帯となる。
3月2日  珍宝島事件、中ソ国境紛争起きる。中ソ国境のウスリー川(黒竜江支流)の珍宝島(ダマンスキー島)で、両国が軍事衝突した。中国側の攻撃によりソ連の国境警備隊32名が戦死、25日にはソ連側が反撃して中国側に68名、ソ連側に58名の戦死者が出て、その後もにらみ合いが続いた。
3月4日
 宗務院、法道院にて妙信講と再び会談。
 [解説 浅井昭衛]「そして、次の三つのことを申し入れるのであった。
 一、妙信講の正本堂御供養は受け取る。
 二、連合会からの質問四箇条は取り消しにする。
 三、妙信講から連合会への希望・意見があれば宗務院が取り次ぐ。
 えらい変わりようである。
 私は尋ねた。「三年前には妙信講の御供養を不浄の金のごとく突きかえし、いま急に受け取るといわれるのはどういうことなのか」。総監はバツが悪そうに沈黙した。その時、傍にいた阿部信雄が突然興奮して「猊下が受け取るというのに妙信講は不服なのか」と大声を出した。私は「三年前には、猊下の任命せし平沢会長に従わぬからと突き返された。妙信講は今も少しも従っていない。然るに突然受け取るといわれるのは、いかなる理由があってのことかと総監に尋ねているのである。事情も知らぬ者が、その横柄な態度は何ごとか」と強く詰った。彼は黙ってしまった。
 しかし御供養はもともと猊下に納めまいらせるものであるから、その取り次ぎを早瀬総監に託した。納むべきは納め、諫むべきは徹底して諫めんとの意であったのである。
 宗務院のいま一つの申し出である連合会の四箇条質問の取り消しについては「第一条の無礼の嫌疑は連合会が謝罪すべきである。但し、正本堂に関する質問は、妙信講の日頃の所信であるから、少しも取り消す必要はない」と答えた」(「冨士」第182号 )
3月5日
 宗門、妙信講への詰問 取り下げ。阿部信雄教学部長、妙縁寺を訪れ法華講連合会からの「四箇条」を取下げる旨、文書を持参。
3月8日
 宗門、妙信講の正本堂御供養を宗務院として正式に受理。
 [解説 浅井昭衛]「どうしたことか、管長猊下が「受け取る」との意向を伝えられた。よって四十四年三月八日、法道院において早瀬総監に定期預金の証書のまま、元利すべてを手渡した。この時はもう正本堂の誑惑は隠れなき事態となっていた。妙信講はすでに一死を賭して歪曲を糺さんと決意を堅めていたのであった。恐らくこのことを知った池田大作が、管長にこの処置を取らしめたのであろうが、御供養は初めより猊下に申し上げるつもりで集めたものであるから納むべきは納め、諫むべきは徹底して諫めようと、金子を早瀬総監に渡したのであった。まもなく総監からは「フクサ」が多数届けられた」(「冨士」第181号 )
「四日のち、再び早瀬総監と法道院で会った。総監は「どうか連合会の質問を書きとめた阿部のメモを返してほしい」と云った。私は「これは重大なものである。よってコピーならお渡しするが原本は返せない」と拒絶した。 宗務院の真意はここにあったのである。連合会の愚劣と悪意に満ちた質問を傍観していたのみならず、その尻馬に乗って宗務役僧がこれを筆記して迂闊にも妙信講に渡した。もしこれが重大な問題に発展したら、池田大作に対してどう申し開きしたらよいか、宗務院は心配になってきたのであろう。 ともあれ、立つべき時は到来した。「試練と忍従」はここに終ったのである。まさしく五年ぶりの御登山こそ、大聖人のお呼び出しであった」(「冨士」第182号 )
3月15日
 妙信講、研修部会開催。「撰時抄」の講義始まる。
3月16日  創価学会、第1回壮年部総会開催、広布流布大願成就祈念勤行会。
 池田大作会長、「六巻抄講義序文」に「戸田会長も、常々"教学は日寛上人の時代に帰れ"と述べられていた。事実、われわれの教学研鑽の伝統は、日寛上人の六巻抄を基盤として築かれたといって過言ではない」
3月19日  創価学会、第22回社長会(於つくし)開催。
 池田大作会長「今度羽吹さんに葬儀屋をやらせる。白蓮社を作ってやらせる。仏壇も一諸にやらせる。もう、死んだ時だけ邪宗に頼む必要はないよ。こっちでやろう。…
 その時によって大事なものがある。今は何か、今は文筆家が大事だ。文筆家がどれだけいるかどうかがこれからの鍵だな。議員は沢山いるが、文筆家はいない。仕方がないから、私が小便から血の出る様な思いをして書いている」(「社長会全記録」継命新聞社 )
3月26日
 妙信講、3月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「第13回総会へ総力を結集」、3月度折伏成果 96世帯、総世帯数は 6,747世帯となった。
 浅井昭衛本部長、第13回総会について「唯一筋の信心だけで立つ妙信講が、いま異体同心の団結を持って、いつでも大聖人様のご命令とあらば身を捨てて立たんと、その決意をご照覧いただくのである」と。(「冨士」第68号 )
3月28日
 妙信講、法華講連合会からの「四箇条」詰問に対し、反論の書を早瀬道應総監に手渡す。
4月1日  創価学会、「前進」に池田大作会長寄稿。
「天下を盗ろう、それまでがんばろう。今まで諸君を困らせたり、学会をなめ、いじめてきた連中に挑戦して、最後に天下を盗って、今までよくも私をいじめたか、弱い者をいじめたか、ということを天下に宣言しようではないか。それまで戦おう」(「前進」4月号 )
4月2日  創価学会、創価大学起工式。
4月初旬  エール出版社、内藤国夫著『公明党の素顔』出版。
「内藤、呼び出され笹川良一事務所へ行く。笹川、「私は前に公明党に借りがあるので、この際、その借りを返したい。そのためにあなたの本を全部買い取りたい」と申し入れるが、内藤これを拒否。笹川、エール出版社に一括買い上げを申し入れるが拒否され、複数の書店から約9千冊を購入」(『実録創価学会=七つの大罪』)
4月6日
 宗門、御虫払法会。細井日達管長、「法華講総講頭池田大作先生が大願主となり、事実上の本門戒壇堂である正本堂の建立が進行中」と。
4月17日  創価学会、第23回社長会(於柳光亭)開催。
 池田大作会長「忘れないよ。中川をアメリカにやり、呼びよせ、立候補させたのも全部私の操作なんだよ。私は恐ろしい男だよ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
4月27日
 妙信講、文京公会堂に3千名を参集し第13回総会開催。
 浅井昭衛本部長、「こゝで最後に一言申し上げます。再建以来 … その間すでに十二年、正法を行ずるしるしとして堪え難き魔障・屈辱にも堪え抜き、遂に今日七千世帯にも達する所まで参りました。… よって今回五月の七千世帯突破を大きな節として、それ以後に於て、若し客観状勢がその必要を迫るのなら、それこそ日蓮大聖人の御命令なりとして、妙信講の命運を賭しても、いつでも法の為、国の為、宗門の為に敢然と立ち上らんと、いまこゝに堅く意を決するものであります。(大拍手)」(「冨士」第69号 )
(※ 総会開催は創価学会本部総会(5月3日)直前であり、法華講支部の一講中として大檀越の横暴を強く牽制した )
5月1日  創価学会、メキシコ合衆国で機関誌『トリビューナ・デ・メヒコ』創刊。
5月3日  創価学会、第32回本部総会開催。池田大作会長、「本門戒壇たる正本堂の定礎式を…」と、細井日達管長臨席の元で講演。
 辻武寿総務、「中外日報」紙上で四日後に開催予定の「日蓮聖人展」を賞讃した。
(※「日蓮聖人展」参加が、国政選挙進出の創価学会の主導であることは、明白であろう )
5月3日  中外日報、「日蓮聖人展」を讃嘆する創価学会辻武寿総務の記事掲載。
「現代日本の最大の苦悩は、政治と教育の行き詰まりだと思います。… その意味において、今回の『日蓮聖人展』が、国民大衆に大いなる啓蒙の役を果たしていただきたく、深く期待している次第であります。… 日蓮正宗大石寺では、今回の聖人展に七百年来の伝統を破って、門外不出の御書数点を出品されました。大事な『秘すべし秘すべし』の法門も、今日、広宣流布の時代を迎えて、いよいよ山外に出ることになったわけであります」
「同じページに、片山日幹(身延)・藤井日達(日本山妙本寺)・長沼基之(立正佼成会)・田中香浦(国柱会)・田中日晨(仏立講)などの談話が、写真入りで掲載されていた。いずれも日蓮宗系宗派で、日蓮正宗では邪宗と断じている。その邪宗とあえて同座するのは、池田の対世間融和工作であろう」(「冨士大石寺顕正会」下山正恕 )
5月5日  創価学会、第24回社長会(於松野茶屋)開催。
 池田大作会長「とにかく正本堂を作って大学を作って、高校を作って、政党を作った人なんかいないよ。どの一つだけでもたいしたものなんだからな …
(念珠について)出来るだけ早くやりなさい。… もう内の人達が使うもので、外部に儲けさせる事はない。線香もローソクも東洋精光でやんなさい。正本堂のみやげものも作れ、とにかく作るものは全部東洋にやらせる。仏壇もプラスチックで出来るだろう …
 しきみの造花もやれ、赤沢の80円は安いな。一応赤沢を呼んでしきみ造花は赤沢と東洋精光にやらせると契約書を作りなさい。一社にすると変なことをするから」(「社長会全記録」継命新聞社 )
5月7~21日  毎日新聞社主催「日蓮聖人展」、池袋の東武百貨店で開催。大石寺、興師御影像を出展。
5月12日
 妙信講、「日蓮聖人展」への御影像出展の即時中止を、書状を以て宗務院に訴う。
5月18日
 妙信講、「日蓮聖人展」につき、二度目の諌訴状を宗務院に提出。
5月21日
 宗門、阿部教学部長。法道院で妙信講と面談。妙信講、謗法同座の違法を責め、即時中止を迫る。
5月24日
 妙信講、臨時班長会開催。「重大発表に全員熱涙を以て決意」
広布への御奉公にきわめて重大なる発表を三十分間に亘ってされ、一同に深い覚悟をうながされた。場内はこの間水をうったように静まりかえり一言も聞きもらさじと全身を耳にした一同は、いよいよ重大なる広布への大使命と講頭先生、浅井先生の総本山への忠烈なる赤誠・法を惜しむ一念に感きわまり、滂沱と流れる涙をぬぐいもせず割れんばかりの拍手で、運命を共にして御奉公せんとの強い決意を示し、表現しがたい興奮が場内に渦まいた」(「冨士」第70号 )
(※ 浅井昭衛本部長、「日蓮聖人展」の謗法同座と宗門への諌訴の事実を明かす )
5月31日
 宗門、寺族同心会で細井日達管長「日蓮聖人展」の釈明。「不開門を開いて、筵を敷く意味は謗法の供養を受けるため」と。
6月1日
 妙信講、7千世帯突破。
 浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言。「師子の子は生れるや否や、千尋の谷に蹴落されてその資質を試されるという。妙信講の過去十二年間はまさにその試練であった。… 不思議な程の謂れなき悪罵・中傷・妨害の数々、だが今や師子王の子はよじ登った岩壁の上で身震いして立ち上ったのである。… 大事な法戦場に馳せ遅れなかった事を唯々有り難いと思うものである」(「冨士」第70号)
(※ 名実共に宗内最大の法華講支部であり、創価学会の圧倒的な影響下にあった宗門において、権勢(宗務院、連合会、創価学会)に媚びない7千の単独講中の意義は大きい。櫻川 忠 )
6月1日  創価学会、臨時社長会(満月開店記念)開催。
 池田大作会長「戸田先生の時代に、26、7歳の時、3年かかってかせいだ歩合のお金、私の貰い分が当時の金で200万、今の金にすると数千万円になるな。それで先生の借金をかえしたが、戸田先生は少しも有難とうなんて云わない。… 本当に先生に仕える事はむつかしい事だった。金は払わない、こき使う、どなりつける、これではついてこないよ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
6月2日
 宗門、能化会議開催。総本山大奥に細井日達管長 能化・重役等が参集、「日蓮聖人展」につき協議。浜中和道師によれば、議事内容(要旨)は以下の通り。
 一、正法顕揚のために必要なこととして、(宗務院独断で)御影像を出した。
 二、展示会に出す前に、宗務院から長老に連絡していなかったこと、遺憾とする。
 三、妙信講 浅井甚兵衛父子が、これを謗法与同として攻撃している。
 四、松本日仁 指導教師、柿沼学林長、千種支院長、以上三人で妙信講の説得に当る。( 「元妙信講問題について」、浜中和道 )
6月3日
 宗門、能化会議の使者三名。妙縁寺にて「日蓮聖人展」につき妙信講を慰撫。
6月9日  創価学会、第25回社長会(於伊豆長岡・三養荘)開催。
 池田大作会長「本当にやっている人は何も云わない。篠原さんや北條さんや中西君も何も云わないよ。本当に真剣にやっている人はわかるよ。警備の中では竹入君だな。真剣勝負で生命をかけている。藤原や渡部も真剣にやる。戸田先生のもとで真剣勝負で育てられた者だからな …
 日大は定員の4倍を募集して、80億かせぐ。早稲田は1.5倍で良心的。創価大学は1.1~1.2倍位でゆく。創価高校出身者200名で、外部より300名。試験は初年度4学科。2年度より6学科とする。創価高校出身は内申書に推薦書をつけるが、同じ様に受験する」(「社長会全記録」継命新聞社 )
6月15日  創価学会、学生部有志を主体に「大学立法粉砕全国連絡協議会」(全協)結成。
6月18日
 妙信講、「日蓮聖人展」につき三度目の諌訴状を宗務院に提出。
「もし宗務当局にして違法なしとするなら妙信講と対論すべし」として、その末文にはこう認められていた。
「万一にも外圧有るありて、更に為す事あらば、我等護法の故に許さず。外圧の如何なるを問わず、実力を以て之を阻止せん。既に我に千五百の男子精鋭あり、而も仏法守護の刀杖すでに持す。隠忍の過去十二年、枚を啣(ふく)み鳴(なり)を鎮めて鍛えし捨身の精鋭なり。一朝事あらば、自ら率いて在家の本分に殉ぜんのみ。此の事永く忘れ給う可からず」(「冨士」第106号)
(※ 千五百の男子精鋭はハッタリで、精鋭と呼べるのはその一割に満たなかったが、鍛え抜かれた捨身の存在があったのは事実である。宗務院への「外圧」とは、創価学会に他ならない。櫻川 忠)
6月25日  創価学会、杉並公会堂で全協(大学立法粉砕全国連絡協議会)結成大会。全国180大学、代表1,600名が参加。
6月26日
 妙信講、6月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「7月は身引締まる安国論御建白の月」
 浅井昭衛本部長「大聖人様は「家に柱なければたもたず人に魂なければ死人なり」… との仰せであられる。今、仏法の柱、大聖人様が日本の国に立っていないからこそ、右往左往するばかりで、亡国に至る道を歩んでいるのである。そこに今、我等が声を大にしていうことは、なにはさておき宗教の正邪を分別し一人々々の胸に正法の信を植えつけ、やがてこの大聖人の三大秘法を国家の力でもって立てる、所謂、本門戒旦の大御本尊を国家の力をもって守れ、という事を云い切るのである」(「冨士」第71号 )
 本部辞令:浅井信衛 青年部企画部長に任ずる、長岡孝志 男子部長に任ずる。
6月30日
 妙信講、早瀬総監に内容証明を送付。三度の抗議に宗務院からの返答はなく、妙信講は内容証明を以って「日蓮聖人展」問題の決着を通告。
7月13日  東京都議会議員選挙。公明党は、25名の候補者全員が当選し、第2党となった。都議会第1党だった社会党は、議席を大幅に減らし第3党に転落。自民党は第1党となったが過半数に至らず、共産党は選挙前の議席を倍増した。
7月13日  創価学会、選挙妨害の練馬事件を起こす。
 東京・練馬区の選挙投票所(豊玉第2小)において、投票終了時間後に訪れた2人が投票できなかったことを理由に、市川雄一(元・参謀室長、元公明党書記長・代議士)を首謀者に百数十人の創価学会員が投票所を取り囲んで襲撃、女性・高齢者を含む投票立会人4人に集団暴行を加えて流血させた。
7月20日  アポロ11号、月着陸船イーグルが初の有人月面着陸成功。アームストロングとオルドリンは、21時間半を月面で過ごした後、月周回軌道上で司令船コロンビアに合流し地球に帰還した。
7月21日  創価学会、第26回社長会(於三崎会館)開催。
 池田大作会長「共産党も葬儀屋をやっている。うちもあらゆる分野に根を張らなければならない。… 又病院の中に菅原えい子も最近入って、敵の情報を全部つかんで闘った」(「社長会全記録」継命新聞社 )
7月23日  創価学会、全協(大学立法粉砕全国連絡協議会)、明治公園で大学立法粉砕大抗議集会開催。
 聖教新聞、『旗を持ち行進の先頭に立つ池田会長』の記事。ヘルメットに覆面スタイルで、大学立法粉砕抗議集会デモ参加の池田大作会長の写真を掲載。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「8月は指導と下種をのびのびと」、7月度折伏成果 105世帯、総世帯数は 7,108世帯となった。
 浅井昭衛本部長「徳川三百年のあのワクの中においても、日寛上人の指導によって強烈な折伏が進められ、富士門流の信心は各所に浸透していった。そのために幕府の大老より、何度も折伏の禁止のふれが出たというのです。今は時にあたり全く折伏に対しても弾圧はない、… 法華講の代表としてこの使命ある妙信講に於いて、やがてひと月に五百・千の折伏ができないはずは断じてない!」
 本部辞令:高山清人 筆頭参議に任ずる、神村信勝 本部庶務に任ずる。(「冨士」第72号 )
7月26日  創価学会、第6回全米総会をロサンゼルスで開催。富士鼓笛隊、海外初公演で参加。
8月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言「火の信心と水の信心」
「信心の強弱は逆境の時に現れる。順境の時は燃え立つばかりの確信を述べても、少し逆境になればすぐに意気消沈して持続しないのは火の信心である。水の信心とはたとえ派手ではなくとも、いかなる逆境も乗り越えたゆまず貫き通す信心の姿である。… いま広宣流布の重大なる時を迎え、妙信講の使命を思う時、派手さはなくとも水の如き不退転の強信者が続々と出ねばならない。かかる人材の団結によってこそ、始めて大事は成し遂げられるのである」(「冨士」第72号)
8月12日
 妙信講、研修部会開催、「撰時抄」講義。会場が、新たに豊島区民センターとなった。24、25日にも開催される。
8月12日  創価学会、第1回世界学生平和会議を日比谷公会堂で開催。
8月15日  創価学会、第27回社長会(於松山)開催。
 池田大作会長「原爆は残虐だ。キリスト教はよくない。憎しみの宗教だ。… ここは創価学会の最高会議だ」(「社長会全記録」継命新聞社 )
8月21日  創価学会・公明党、世界連邦身延大会に参加申込み。 (※ 仏教各宗派、神道、キリスト教等の代表が身延に集まる集会 )
8月24日  創価学会、香港本部結成大会開催、代表2,300名が参加。
8月24~25日
 妙信講、研修部会開催(豊島区民センター)、「撰時抄」講義。
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「三大秘法広宣流布の八文字を胸に」
 浅井昭衛本部長、4年前に行われた正本堂建立御供養に対し、今回その志をめでられて猊下より袱紗を賜ったことを発表。「妙信講の清純なる前進に魔障が起こるというのは、これ大事な使命あるが故である。乞い願わくば、将来は外部の信心なき権力者・邪宗の者共より強き怨嫉を受けるまでに修行したきものである。我々はこの袱紗を通して、猊下の御意を有り難く頂き、妙信講の使命を益々強く確信し、この9月を戦いぬいていこう」(「冨士」第73号 )
8月30日  創価学会、創価青年会館落成入仏式。
8月31日  創価学会、藤原行正渉外第一局長。池田大作会長の指示で、藤原弘達氏邸を訪問。「創価学会を斬る」の出版に際し、「五項目の依頼」を提示するも拒絶された。
 一、できれば本の出版そのものを取り止めてもらいたい。
 二、それが無理なら『創価学会を斬る』という刺激的な題名を変更してもらいたい。
 三、出版時期を延期してほしい。
 四、それも駄目なら事前に原稿を見せてほしい。
 五、最後、もっとも重要な依頼項目として、池田会長への言及を遠慮してもらいたい。(「池田大作の素顔」、藤原行正)
9月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言「三大秘法広宣流布」
「もしこの三大秘法が末法に出現せねば、人類は自らの欲と怒りと愚痴の三毒によって破滅せざるを得ない。科学技術は加速度的に進歩しても、用いるのは人の心である。いまや大量殺戮兵器である恐るべき水爆・細菌兵器は三毒の心に握られていつ爆発するかも知れぬ状態にある。… 国の将来を担う青年、とりわけ学生が酔えるが如く狂えるがごとくである。「造反有理」とて全国で自らの学舎を毀し、彼等の恩師を集団でこづき廻している。…
 野獣の如き隣国は既にあり、しかも国内には悪鬼乱れ入りて酔えるが如く狂えるが如き現状を見れば、日本の将来を深く憂えずにはいられない。七千以後の法戦こそ、妙信講の御奉公の正念場である。たとえ限りある身は倒れようとも、三大秘法広宣流布は大地を的として外れぬ御仏意である。大聖人様の御照覧のもと、為すべき使命を只々身を捨てて貫かんのみ」(「冨士」第73号)
9月1日  創価学会、第1回第三文明展開催。
9月8日  創価学会、第28回社長会(於ホテル大倉)開催。
 池田大作会長「第三文明展、出品作をー社10万円位で購入しなさい。東洋も買いなさい」(「社長会全記録」継命新聞社 )
9月14日  創価学会、藤原行正・秋谷城栄が藤原弘達宅を訪問。ここでの約1時間40分におよぶ会話内容が隠しマイクで録音され、言論妨害の動かぬ証拠となった。
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「遂に月間弘通200世帯を突破」、9月度折伏成果 204世帯。
 浅井昭衛本部長「七千達成で仏法上の発言の資格を得てより、いよいよこれからは力をもって御奉公をせねばならぬことをひしと感ずる。故に一万、十万、百万の実力を得よう。そういう事から従来の如く月に七十、八十或いは百の折伏では御奉公は出来ない。是非とも月に二百、三百、五百、千という爆発的な折伏が出来なければならない」(「冨士」第74号 )
10月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言「仏法は体、世間は影」
「病人を治するに当たって、対症療法と原因療法ということがある。… いま一国の社会を対象として見た時、その乱れに対して政治的策を加えるのは対症療法であり、仏法を以て民衆の生命を革命するのは原因療法に当たる。… 既に三大秘法の正法は此の国に在り、しかるに用いず。故にひとごとにすでに謗法あり。この生命の濁りにより、もろもろの災難を招来しているのである。… 日本の興亡盛衰の原因を真に知っているのは、仏法の正系門流たる我ら富士の一門だけではないか。… 妙信講は七千世帯を本年6月に突破して不思議なる御奉公の節を迎え、… すべては御本仏大聖人の御守護による以外には考えられない。よき時、よき国、よき講中に縁して、大事な御奉公の叶うのもお互いの宿縁である」(「冨士」第74号 )
10月10日  創価学会、第29回社長会(於松野茶屋)開催。
 池田大作会長「御念珠が出来たか、よかった。… 男・女、大きさを異えて、金箔押しで「御念珠 創価学会」といれて呉れ、男・女共170円で納めてほしい。… 次の5,000連は博文堂にお願いしなさい。京都の業界がさわいだら、贈呈用の物をどうしてもたりなくてやっていると云って、あまり刺激をあたえない様に当分やろう」(「社長会全記録」継命新聞社 ) 
10月12日
 宗門、総本山で正本堂建立定礎式奉修。表白文に「此の正本堂は一閻浮堤総与の大御本尊を安置し奉る法華本門事の大戒壇である」と。
10月12日  創価学会、池田大作著『政治と宗教』(新版)を潮新書として出版。小説『人間革命』第5巻発刊。
10月15日  創価学会、池田大作会長 盗聴。赤坂の料亭「千代新」で、藤原弘達と田中角栄自民党幹事長が一回目の会合。池田会長、隣室で田中・藤原会談の話を盗み聴く。後に、サンケイ新聞政治部記者 俵孝太郎に、その事実をスッパ抜かれた。
10月19日  創価学会、全協(大学立法粉砕全国連絡協議会)を解消し「新学生同盟」(新学同)を結成。代々木公園で結成大会開催、7万5千人が参加。
「北條浩氏から呼ばれた私は、『学生運動をやりなさい』といわれて、一瞬、耳を疑った。… あたりさわりのないスローガンをかかげ、形だけはヘルメットやタオルで、左翼の運動と同じスタイルを真似ることにした。… 10月末に、代々木公園で10万人の大集会を行なったが、集まった人数のうち、8割は一般青年部のメンバーだった。学生は2万人にも満たなかったのである。… 池田大作は、この頃から秋にかけて、すっかり学生運動スタイルにかぶれ、夏季講習会の学生部の集会には、みずから赤ヘル、タオル、マスクのゲバスタイルで参加し、シュプレヒコールの音頭をとる、という悪のりぶりだった。… この「新学同」も、10月末の結成集会が最初で終りの活動となり、11月からの総選挙、そして言論出版妨害事件の騒ぎの中で、いつのまにか立ち消えてしまった。そして新学同機関紙局のメンバーは、私の下で、盗聴などをもっぱらとする"情報師団"に衣がえしていった」(「池田大作日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 ) 
10月23日  田中角栄幹事長、藤原弘達を赤坂の料亭『乃婦中川』に呼び、「創価学会を斬る」出版断念要請の二度目の会談。
『「なんぼ出せばいいんだ?」「金でやるんじゃない」と断ったら、次は地位だ。『潮』に書かしてやるとか、連載させるとか、あげくには「オレは権力があるんだからNHKの解説委員でもどうだ」とか。… 「頼む、頼む」と手を握って放さない』(『創価学会に未来はあるか』藤原弘達・内藤国夫 )
10月26日
 妙信講、10月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「いよいよ本年最後の大法戦」
 浅井昭衛本部長「私達は愚痴を言わず、日妙殿の如き不惜身命の信心に立ち、信じぬいていこう。…かくの如くよくよく信じ切る男女を、諸天が放っておくわけがない、必ず不可思議な守護がある。これを私達が、自分の短かい七十年の人生の中に於いて味わうのが、最大の目的ではないか。… 今の日本を見、妙信講が立たなければどうするのか。まず1970年代の10年間こそ、法華講の代表たる妙信講の御奉公する場所であり … 」(「冨士」第75号 )
11月9日 『時事放談』(TBS)で、小汀利得が藤原弘達著『創価学会を斬る』を推薦。
11月10日  日新報道出版部、藤原弘達著『創価学会を斬る』を発行。
「(創価学会の)やりくちは、およそ人間の内面に自然にくいいる宗教とは無縁な、はなはだ強権的、高圧的なものなのだ。ひとことでいえば、まことに攻撃的性格をもっている … 一部野心家たちの御本尊利用であり、学会組織利用であり、大衆利用であるにすぎないと考える。それ故に創価学会が危険であり、公明党が危険である、と断言するのである」(「同書」)
(※ 「創価学会を斬る」は言論出版妨害問題が大きな話題となり、結果的に百万部を超える大ベストセラーとなった )
11月10日  創価学会、池田大作会長「学会を大きくしてがっちり固めたら、いよいよオレは政界入りする。その時には公明党委員長じゃなく公明党総裁に変えてやろうじゃないか」
11月23日  創価学会、第30回社長会(於芝・松山)開催。
 池田大作会長「世の中で一番悪い奴は評論家だな。… 正本堂建立の時、いろいろの美術品をあげよう。篠原さんに印籠をあげよう。印籠は薬入れと同時に印鑑であった。1つ48万円だよ。篠原さんと中西君、それに北條さんに印籠をあげる。八矢、横松に刀を上げる」(「社長会全記録」継命新聞社 ) 
11月25日  角川書店、田村芳朗著(東洋大学教授)『日本仏教史入門』を出版。
「学会渉外総局から部長、部員が来社、原稿の閲覧を要求、… 角川書店が原稿閲覧を拒否すると、「中小出版の一つや二つどうにでもなる」と言い、その後も電話で原稿閲覧を再三にわたり要求」(『実録創価学会=七つの大罪』)」
11月26日
 妙信講、11月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「いよいよ明年は"出陣の年"」、11月度折伏成果 213世帯、総世帯数は 7,523世帯となった。
 浅井昭衛本部長「一万世帯達成の事でありますが、前々から昭和45年に達成すると申してまいりました。… 今一年伸ばしまして、再来年の46年に一万世帯を達成していきたい、これを皆様にお図りしたいのですがどうでしょうか。(大拍手)
 如何なる理由があるにしろ、かつて2年前豊島公会堂の幹部大会に於きまして、昭和45年までには断じて達成すると自ら誓った事が、片時も忘れられないのであります。1年間延びるということは誰の責任でもない、本部長をつとめる自分の責任であります。… 恥を感じております。若し許される事ならば責任を取らせて頂きたいと、この間から悶々と考えてまいりました。だがそれはあまりに安易に過ぎる。さればこの十年間に身を捨てる御奉公を申し上げ、その御奉公を以て一万達成の遅れた事を、大聖人様にお詫び申し上げたい所存であります」(「冨士」第76号 )
(※ 「45年一万達成」の言葉は、小生の脳裏に刻み込まれている。男子部の班長会では、登壇の最後は皆必ず「45年一万達成」で締めくくった。櫻川 忠 )
10月26日  創価学会、第4回欧州総会をパリで開催。
12月1日
 妙信講、早瀬道応総監に書状を提出。「法華講全国連合会の不法を糺し、妙信講の単独登山を許さるべき」と。
12月 日  展望社、隈部大蔵著『創価学会・公明党の解明』を出版。
「隈部、前回・前々回の体験から創価学会員のいない印刷、活版、製本屋を自力で探し、自費出版同然に同書を完成する」(『実録創価学会=七つの大罪』)
12月7日
 妙信講、妙縁寺にて御大会式奉修。
12月9日  創価学会、池田大作会長、言論問題を「王仏冥合の戦いにおける魔の働き」と。
12月10日
 妙信講、学習会開催。「学習会の参加ついに一千を突破、豊島公会堂を埋める求道の熱気」
「去る12月10日、躍進の年の最後の学習会で遂に参加者は千名を突破。池袋の豊島公会堂の一、二階は、御書を手にして熱心に浅井先生の講義に聞き入る、1千60余人の人々で埋め尽くされた」(「冨士」第77号 )
12月13日  NHK、特別番組 公明党・共産党討論『日本の進路』を放送。
 共産党の松本善明衆院議員、『創価学会を斬る』の出版妨害をとりあげ公明党・正木良明議員を追及、正木議員は「そんなことはしていませんよ。すべてウソです」と否定。
 創価学会の言論妨害、藤原行正・秋谷栄之助が藤原弘達に出版中止を要請、その会談内容がテープに撮られていた。全国の創価学会員に非難の手紙を書かせ、送りつける嫌がらせ行為を実行。潮出版幹部・池田克也は、大手取次ぎ各社・大手書店に圧力を加えた。さらに、公明党・竹入委員長は、田中角栄幹事長に事態収拾を依頼。
 仏教タイムス、『創価学会・公明党の解明』の広告掲載。「虚偽、秘密主義! 閉ざされた深い霧の中に躍動、国土を崩壊の危機に巻込まんとする黒く巨大な塊! 圧力! 暴力! 買収? 行為をえらばない」
12月14日  日本共産党、機関紙『赤旗』で創価学会の言論弾圧への批判キャンペーン開始。
 内藤国夫著『公明党の素顔』(エール出版)、 植村左内著『これが創価学会だ』(しなの出版)、竹中信常著『創価学会』(労働法学出版)、隅田洋著(隈部大蔵)『日蓮正宗創価学会・公明党の破滅』(東北出版)、塚本三郎著『公明党を折伏しよう』(名南経済振興会)、森ごろう著『創価学会をあばく』(日本出版センター)、梶山季之著『小説・創価学会』等も出版妨害されたとする。
12月15日  日本共産党、赤旗記者・木谷八士、赤坂プリンスホテル別館ロビーで藤原弘達に取材。藤原弘達、妨害関与者として田中角栄自民党幹事長の名を、初めて明かす。
12月17日  日本共産党「赤旗」、六段見出しで「藤原弘達談話」を掲載。創価学会の言論弾圧に、田中角栄幹事長が関与と報道。
12月23日
 妙信講、12月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
12月23日 「言論・出版の自由に関する懇談会」(代表世話人・草鹿外吉)、声明文を発表。
12月28日  第32回衆議院議員選挙。公明党は言論問題にもかかわらず、前回の25議席から衆院勢力を47議席に伸ばし大躍進、第3党になる。社会党は大惨敗。
12月 日  創価学会、741万世帯。
 
  年表  
昭和45年 (1970)          _
1月1日
 宗門、細井日達管長。大客殿前の噴水の「エンゼル像」について、「いかなる天使であろうが神であろうが妙法の使いとみなければならぬ」と。
1月1日
 妙信講、妙縁寺にて元旦勤行。
 浅井甚兵衛講頭、年頭の辞「本年は妙信講の大切なる出陣の年である「師子王は百獣にをぢず、師子の子又かくの如し、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」との御聖訓を旨に奉戴し、大勇猛心を奮い起し、信心折伏に決定いたさねばならない。一言以て新年の詞といたします」(「冨士」第77号 )
1月1日  新日本出版社、木谷八士著「疑惑のなかの公明党 ― 出版妨害と創価学会の体質を追う」刊行。
1月2日  創価学会、池田大作会長。総本山雪山坊の創価学会々長室に福島源次郎青年部長を呼び、「師への帰命」の使用禁止を申し渡す。
「『師への帰命』は、この者たち(原島嵩ら特別書籍局)がまずいと云うのだ」
1月5日  創価学会、副会長制施行。北條浩、秋谷栄之助、森田一哉が就任。
 竹入義勝と矢野絢也、創価学会の役職(総務)を辞任。
1月5日  公明党、記者会見。竹入義勝委員長、「出版会社に出版のとりやめを依頼したおぼえはない。… 自民党の実力者を通じて出版を取り止めるよう依頼した事実はない」
 矢野絢也書記長、「事実無根としかいいようがない。それを一方的に事実というのなら、立証責任は向うにある」
1月6日  朝日新聞、藤原弘達の談話掲載。「まぎれもない事実だ。電話の録音テープもあるし、国会での証言もいとわぬ」と反論。
 田中角栄幹事長、記者会見。「藤原弘達への執筆中止依頼は公明党に頼まれてではなく、つぶやきを聞き、おせっかいを焼いた」と発言、「出版妨害」に自身の関与の事実を認める。
1月6日  公明党、矢野絢也書記長、記者会見。「著者に対して正確な認識と客観的な批判を要望した事実は認められる」と、「事実無根」を撤回し反省の意を表明。
1月8日  公明党、北條浩。党副委員長を辞任、創価学会の職務に専念。
1月11日  公明党、渡部一郎国対委員長。創価学会の学生部幹部会で「言論の自由の問題について」講演、以下の暴言を発して 2月27日に国会対策員長を辞任。
「このバカバカしい事件、まるっきりウソとゴマカシとデマと中傷でかためたハナ紙みたいなものをもってきて、恐かつにくるアホウがまだいるということなんです」
「そうしたらまた社会党のうすバカどもが調子にのって『言論の自由の問題は … われわれもとりあげたい』… とにかくひがんだヘンな目つきして、傷だらけの傷病兵みたいなもんだ」
「そこへ民社党が、『あの問題はうちがいいだしたものだ … 』とかワイワイいう。… 気がちがってるとしか思われない」
「うちは自民党に"貸し"はあるけど"借り"はないですよ。… 最近は"角"とか"福"とかいう連中がつぎの総理になるそうなんだな。はっきりいっておくけど、両方とも"黒い霧"のヒモがちゃんとついてるんだ。導火線をうちは握っとるんだ(笑い)。いつだって火はつけられるんだ(拍手)」
「また日本共産党は、自分自身がひどすぎるじゃないですか。… 共産党では、反対者はみな殺しです」
1月12~15日
 妙信講、初級講習会開催(豊島振興会館)。
1月16日  創価学会、聖教新聞「論説」に、正本堂の意義を掲載。
「三大秘法抄にいわく『戒壇とは … 』、ここに「勅宣・御教書」とは天皇・将軍(幕府)の命令書のことだが、これは古来、戒壇が勅許であった例にならわれて、当時の民衆の機根にあわせて大聖人がかく仰せになったものである。建立の本意が全民衆の幸福にあることは、末法万年変わらぬ宗祖の御遺命である。そして民主政体の今日、それは民衆立であるのが、大聖人のご真意であり、権力の魔性に身に寸鉄帯びず斗われた御本仏の心にかなったものといえよう。御書を逐条的・訓話注釈的に読み、御教書を国会の議決とみるのは、まだ皮相的であり、国会の議決などの形式は不要なのである」
1月 日
 宗門、常在寺にて時局懇談会開催。
「創価学会から和泉覚・辻武寿らが出向いて、『国立戒壇を言い続けたら、創価学会はおろか、日蓮正宗も弾圧され、潰される』『国立戒壇論は憲法違反である』等と説明して、協力と了承を求めた」(「あの頃のこと」山崎正友 )
1月26日
 妙信講、1月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
 本部辞令:大久保力 本部幹事に、佐藤新太郎 本部参議に、小木義馬 財務部長に、白石秀一 研修部長に、田島豊年 本部庶務に任ずる。
1月28日  創価学会、会員世帯数750万世帯に、総務会で折伏活動の中止を決定。
(※ 戸田会長が作り上げた教団モデルの根本的改変であり、この決定により創価学会の爆発的な大躍進は終焉した。中止の決定で成長がピタっと止まったということは、ノルマとプレッシャーをかけなければ教団組織の過剰な拡大がないことの、何よりの証明である。日本の現代史において、「創価学会を斬る」の刊行が果した役割は大きい。櫻川 忠 )
2月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言。「御在世の信心に還れ」
「出陣の本年を迎えて、今や恐れる何ものもない。… 講中7千6百有余世帯の命運を賭して、いささかも諂わず御意に叶わん御奉公を熱顧するのみ。…
 大聖人の御意のままに正直に法を説き、世間の失一分も無くしてなお一国の謗りを受けるならば、まさに末法当鉾の法難の純乎たるものにして、上は大聖人の御賞歎を蒙り下は逆謗の二人に下種結縁の益を蒙らしむる事ともなるではないか。…
 所詮、一人の大聖人の御眼を恐れるのが道心である。道心が薄れれば見愛を増し、恐れるは一人の御眼ではなくして大衆の受けが気になるものである。今こそ御本仏の御守護を蒙る御在世の信心に宗門僧俗は立たねばならぬ」(「冨士」第78号 )
「編集後記:前号の「御在世の信心に還れ」の巻頭言、宗門に大なる反響を呼んだ。連日のように届く封書・葉書を手にしながら、ひしと胸に迫るものがあった」(「冨士」第79号 )
2月初旬  創価学会、池田大作会長。国会証人喚問が取り沙汰される中、創価学会の箱根研修所へ一部側近のみを連れ逃避行
「公明党議員に恥さらしなモミ消し工作を命じながら、自分は二月初旬、創価学会の箱根研修所へ逃避行を図り、同年春までその山の中に身を隠していたのである。… この時、原島と一緒に上田雅一現副会長も同行していた。そして、二人は逃避行中の池田大作の真の顔、ふしだらな女性関係をまざまざと見せつけられてしまう」(「池田大作の素顔」、藤原行正 )
2月9日  五木寛之・生島治郎・戸川昌子・梶山季之・野坂昭如・佐野洋・結城昌治の7作家、"出版妨害問題が解決をみるまで、創価学会系の出版物・雑誌等への取材・執筆をさし控える"との趣旨の文書を、『潮』『週刊言論』編集部に手渡す。
2月18日  共産党、米原 昶(いたる)衆院議員。特別国会の代表質問で、創価学会の"出版妨害問題"を追及。
2月23日  言論・出版の自由に関する懇談会、1月11日の公明党渡部一郎国対委員長の講演全文を記者会見で発表。
2月24日  日本共産党、「赤旗」に渡部一郎国対委員長の講演(1月11日)全文を掲載。
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島振興会館)。2月度折伏成果 162世帯、総世帯数は 7,687世帯となった。(「冨士」第79号 )
2月27日  日本共産党、不破哲三衆院議員、国会で公明党・創価学会の"出版妨害"を追及。
 公明党、渡部一郎衆院議員。「講演内容に穏当を欠くところがあった」として、公明党国対委員長を辞任。
2月28日  民社党、塚本三郎議員。衆議院予算委員会で「国立戒壇・王仏冥合は憲法違反」として、池田大作会長の国会証人喚問を要求
「たくさんのいわゆる犯罪の数々というものが、不幸にして創価学会さんのものがあまりにも私は目につきました。… この際、創価学会池田大作会長を証人として喚問することを、委員長に要求いたします」
3月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言。「大法弘通」
「大聖人の御法が政治の濁流によって大きく誤解されている。内・外の政党の党利党略に正法が弄されている感じである。… 仏法守護の為には党の一つや二つはつぶしてもよいではないか。その因って来る所に思い至れば、深い憤りと憂いを懐かずにはいられない。…
 法を惜しむ一念があるならば、宗門人は今こそ身を捨て、大聖人様に仕え奉るべきである。星霜七百年、先師上人の身を削る御苦心によって化儀・化法一点の汚濁もなく、清純に伝えられて来た宗門である。いまこそ化儀・化法御在世のまゝに正し、国中の謗法を責め全邪宗と対決すべきである。誰に謳う必要があろう。文永免許の折の毅然たる御本仏の御振舞いを拝すべし。謗法も責めず暖衣飽食は恥ずべきである」(「冨士」第79号 )
3月2日  社会・民社・共産の3党、「調査特別委員会設置」を要求。池田大作・田中角栄・竹入義勝等、12名の証人喚問を検討。
3月3日  共産党、谷口善太郎代議士。衆議院予算委員会で、創価学会が目的として来た「国立戒壇」について糺した。
3月14日
 宗門、正本堂建立記念出版委員会設置。委員長に早瀬道應師が就任。( 「大日蓮」第291号 )
 3月14日 ~ 9月13日  日本万国博覧会開催、9月13日までの183日間、 大阪府吹田市の千里丘陵で開催、アジア初かつ日本で最初の国際博覧会であり、当時史上最大の規模を誇った。
3月15日
 妙信講、研修部。「三大秘法禀承事」講義開始。
3月17日  社会・民社・共産の3党、「出版妨害問題真相究明議員集会」を衆院第一議員会館で開催。藤原弘達、内藤国夫など証人8人に質問する。3党、「この集会を出発点として院内外で出版妨害に対する究明を続行する」と表明。
3月18日  カンボジア王国、ロン=ノル将軍がクーデタ蜂起。シハヌークを追放し大統領に就任、親米右派政権を樹立した。シハヌークは北京にあって赤色クメールと提携、"反米・反ロン=ノル"の闘争を開始、カンボジア内戦が続いた。
3月19日
 宗門、知法寺(北海道)落慶入仏式奉修。
 細井日達管長「今日世間では、この学会が非常にさかんに折伏して信者を増していくことに対して、非常に妬んでいろいろとあげ足をとって悪口を書いて、問題になっております。色々の言論妨害だとか出版妨害だとかいって、表向きは大きな問題にしようとしておりますが、実はその裏をかえせば、まことに情けない、ただ自分らの感情の表われである。… ただ学会が大きくなった、正宗の信心が世界に流布していくということを恨んで、いろいろと策謀しておる。一種の悪魔であります。これを魔民と申します」
3月24日  創価学会、渋谷研修所で、「竹入委員長談話」について会議。
「池田大作の他、北条浩、竹入義勝、秋谷栄之助、山崎尚見といった最高首脳と共に私も呼はれ、さらに、かつて特別顧間だった塚本素山氏と、その顧問弁護土の橋本公旦法学博士がいた。… 橋本氏は、極めて強気の方針を述べて会議をリードし、そのため、談話の内容は 「けっして言論妨害ではない。しかし、そのように受け取られたことについては、遺憾に思う」という、従来の強行突破路線を維持することになった。…
 会議後、私を、専用車に乗せ … 池田大作は、さらに、「あれで世間の学会批判は収まると思うか」とたずねた。
 私は、意を決して口を切った。「そうとう思いきって引くしかありません。ある程度、覚悟して、思いきって頭を下げ、そして、この際、これを契機として、すべての面で思いきった改善をして、やり直した方が、かえってやりやすいのではないでしょうか … 」
 池田大作は、膝をたたいて大きくうなづき、「負けるが勝ちだな。君もそう思うか。じつは、私もそれしかないと考えているんだ。よし、そうしよう。謝ってしまおう。… たしかにやり過ぎもあった。体質を変えるチャンスだよ」」(「自由の砦」山崎正友 2001年2月10日号 )
3月25日
 宗門、法道院、所蔵の真筆曼荼羅(日禅授与本尊)を大石寺に奉納。
3月31日  よど号ハイジャック事件、共産主義者同盟赤軍派が起こした、日本初のハイジャック事件。日本航空351便(羽田空港発 板付空港(現・福岡空港)行き)が、赤軍派を名乗る9人によってハイジャックされた。犯人グループは北朝鮮に向かうよう要求、福岡空港と韓国・金浦国際空港を経由し、4月3日に北朝鮮の美林飛行場に到着、犯人グループはそのまま亡命した。
4月1日
 宗門、永井善次郎(土浦本妙寺信徒)、所蔵の真筆曼荼羅を大石寺に奉納。
3月25日
 妙信講、「正本堂に就き宗務当局に糺し訴う」を、宗務当局並びに創価学会中枢の12箇所に送付。
「この書の内容は、正本堂が御遺命の戒壇すなわち「事の戒壇」ではないことを、法義上からは四つの理由を以て論証し、次いで池田が唯一の拠り所とする細井管長の第一回正本堂建設委員会における説法を、「猊下は未だ事壇とは仰せられず」と会通し、さらに池田の誑惑と大聖人を軽んずる慢心を強烈に破し、最後に宗務当局に対し、正本堂を事壇ならずとせば、学会の御遺命歪曲を速かに推き猊座を守るべしと糺し訴えたものである」(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
「此処に黙す能わず、敢えて麁語を構え微衷を訴えんとするものであります。只畏るは宗門に幾多の大徳・賢哲あり。而も未だ言を為し給わぬに、在俗愚痴の小身を以て濫りに大事に言及し、その上権威を侵し奉る。その僭越の甚しき、まさに万死に値するかとも思うものであります。されば今生、為にいかなる苛戮を受けるとも、敢えて辞する所に非ず。只只、御当局の賢慮を煩わし奉るのみであります」(「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」浅井昭衛 )
3月下旬  創価学会、山崎正友。創価学会本部別館"五月荘"で、広野輝夫学生部主任部長らと相談し、電話盗聴が技術的に可能であることを確認。北條浩副会長に、計画実行の許可と資金提供を依頼。
3月27日
 宗門、早瀬道應総監、妙信講に「4月3日、本山に出頭せよ」と連絡。
4月2日  創価学会、大石寺で戸田城聖前会長十三回忌大法要奉修。
 池田大作会長、「今まさに広宣流布実現の表徴ともいうべき、三大秘法、事の戒壇たる正本堂が、清浄なる富士の裾野に、その雄姿を現わさんとしております」
4月3日
 宗門、細井日達管長、妙信講 浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛本部長を本山に呼ぶ。
 対面所にて、「よく書けてますね。私にもこうは書けませんよ。この本は本当に宗開両祖の仰せのまま、宗門七百年の伝統のままです。一分の誤りもありません。… 国立戒壇は当然であり、場所は天母山である。… 正本堂は最終の戒壇ではありません。… だから私は『須弥壇は蔵の形にする』と説法したのです」
「最後には「諌めてくれたのは妙信講だけです。浅井さんの信心に私は負けました」とまで、率直な言葉を吐かれた」
 その上で、妙信講の登山を「8月に」と許可。
「しかしこれより以後、細井管長は態度を二転三転させる。私と会えば貫主としての本心を取り戻し、池田と会えばまた魔の手先となるという変節を、最後まで繰り返されるのであった」(「折伏理論解説書」第十章 )
4月5日
 妙信講、細井日達管長に礼状を送付。
「深甚の御説法を承わり、愚痴の身といえどもその御内意しかと窺い奉った思いでございます。その上、御自ら歪曲の徒を教誡し給わるとの御意に接したもったいなさ、今は小輩等ただ口を慎み身を調えるばかりでございます。但し、万万一にも猊下の御本意をないがしろにし、御教誡にも背き奉り、なお私曲を広言する輩を見るにおいては、その時こそ一死以て御本意を守り奉り捨て石たらざるべからずと、秘かに胸に決するのみでございます」(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
4月6日
 宗門、御霊宝虫払大法会奉修。
 細井日達管長「王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕したならば、必ず勅宣並に御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから、私は未来の大理想として信じ奉る」と、正本堂が御遺命の戒壇ならざることを明言。
4月8日  共産党、谷口善太郎代議士。「国立戒壇」につき、質問趣意書を国会に提出。
「国立戒壇」は憲法違反であり、かつ宗教団体が、違憲の国立戒壇の実現を目的として政治活動を行うとすれば、その活動も憲法違反ではないかとして、政府に答弁を求む。
4月9日  文部省、質問趣意書を承け、東京都を通して創価学会に対し、正式に「国立戒壇」について照会。回答期日は、4月23日であった。
「池田会長と創価学会首脳が、テンヤワンヤの大騒ぎになったであろうことは、想像に余りある。… 政府への回答となると、これは正真正銘、公的なものである。"国立戒壇否定、正本堂即事の戒壇"は、日蓮正宗内の統一見解でなければ、回答はサマにならない」(「冨士大石寺顕正会」下山正恕 )
4月14日  創価学会、池田大作会長。早瀬道應総監・阿部信雄教学部長を創価学会本部(聖教新聞社応接室、第二青葉寮)に呼び、「政府照会」への対策会議を開催。創価学会側は、池田大作会長、秋谷栄之助副会長、小平芳平、辻総務、原島崇教学部長。そこで、
 一、宗門が公式に国立戒壇の永久放棄宣言をすること、
 二、宗内でひとり国立戒壇を主張する妙信講を抑えこむこと、
が合意された。このときの『阿部信雄教学部長の直筆メモ』が、後日流出。
 池田大作会長「国立と云うと追いつめられる恐れがある。先手をとりたい。日淳上人にも現猊下にも国立の言あり。… これは違憲になる。… 猊下より宗門の定義として大日蓮に発表して頂きたい。そうでないと私の独創になってしまう。… この件につき宗門内の統一を願いたい。…
 浅井によく云って下さい。… 本山も危いのだということを、よく云って下さい。… 浅井に、憲法違反で潰されてよいかということを云って下さい。猊下より、民衆立は自分が(始めに)云ったんだと、むしろ云って頂きたい。…
 浅井の件、どうか、しっかりたのみます」(「折伏理論解説書」第十章 )
4月16日
 宗門、細井日達管長「政府照会対策会議」を受け、常泉寺に下向。
 妙信講 浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛本部長に共産党の「質問主意書」を見せ、「国立戒壇を捨てて下さい。国立戒壇をいうと、日蓮正宗は潰される」と述べるも、妙信講の諫めを諒として池田大作会長に誑惑を訂正させると約す。
4月17日
 宗門、細井日達管長。妙信講に電話にて「四ヶ条」を示し、従うよう命令。
  一、日蓮正宗を国教にはしない。
  二、国立戒壇とはいわない、民衆立である。
  三、正本堂を以て最終の事の戒壇とする。
  四、今日はすでに広宣流布である。だから事の戒壇も立つ。
4月18日
 妙信講、「正本堂に就き宗務当局に糺し訴う」を宗門の全国末寺住職に発送し、松本日仁師に報告。松本能化は柿沼前総監に報告し、細井日達管長の耳に達した。
4月19日
 宗門、細井日達管長。電話にて妙信講に「今が広宣流布の達成ということと、正本堂が最終の戒壇であるということは取り消す」と通告。
4月20日  創価学会、北條浩副会長。山崎正友に対し、共産党への電話盗聴を承認し、工作資金として3百万円を渡す。同年5月末までの間、2回目2百万円、3回目5百万円を渡す。(「盗聴教団」山崎正友 )
4月下旬日  創価学会、箱根研修所で第33回本部総会の池田大作会長講演原稿の討議。
4月22日
 宗門、宗内合意のため総本山大客殿にて「臨時時局懇談会」開催。共産党の「質問主意書」配布の上、創価学会・辻武寿総務室長が登壇、「共産党の攻撃により、いま宗門は危急存亡の時を迎えている。国立戒壇をいえば宗門はつぶされる」と述べた。
 それに対し、妙信講・浅井昭衛本部長が「なぜ潰されるのか、その法的根拠を示してほしい」と質問、辻室長は返答できず降壇。国立戒壇放棄の宗内合意ならず。
4月23日  創価学会、「国立戒壇の意義」についての政府照会に対し、「正本堂の建設 … これが本門戒壇にあたる」とし『国立戒壇否定』の回答書を政府に提出
「一、本門戒壇とは、本尊をまつり、信仰の中心とする場所のことで、これは民衆の中に仏法が広まり、一つの時代の潮流となったとき、信者の総意と供養によって建てられるべきものである。
 二、既に現在、信徒八百万人の参加によって、富士大石寺境内に、正本堂の建設が行なわれており、昭和四十七年十月十二日には完成の予定である。これが本門戒壇にあたる。
 三、一時、本門戒壇を"国立戒壇"と呼称したことがあったが、本意は一で述べた通りである。建立の当事者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって国家権力とは無関係である」
「この回答文の原案は、私と原島嵩氏が中心となって作成した。それをもとに、北条浩らの首脳と公明党書記長(当時)矢野絢也氏らが、中央大学憲法学教授の橋本公旦氏を招いて、創価学会太田会館において作り上げたものである」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2003年1月15日号 )
4月 日
 妙信講、早瀬道應総監を介して創価学会・森田一哉副会長を法道院に呼び、三者で会談。
 浅井昭衛本部長は「猊下に正本堂を事の戒壇などと云わせ奉っては絶対にいけない」と、森田一哉副会長に迫った。論議の末、早瀬道應総監は「その旨を猊下に取り次ぐ … ただし猊下の仰せの『事の戒壇』とは御遺命の戒壇を意味しない」と。
 しかし創価学会は、「事の戒壇」だから「御遺命の戒壇」である、としたいのである。浅井本部長が森田副会長を問い詰めると、森田副会長は「その時は全学会員が誤解せぬよう、自分が責任を取る」と。
4月28日
 妙信講、4月度幹部会開催(音羽・本部)。4月度折伏成果 284世帯、総世帯数は 7,971世帯となった。新宿の安田生命ホールで行われる予定であった総幹部会は、当日の"沖縄デー"の騒乱により急遽班長以上の幹部会に変更、文京・音羽の本部で午後7時から開かれた。
 浅井昭衛本部長、1970年代の展望と現在の宗門に於ける妙信講の立場、そして為さねばならぬ御奉公、さらに「本門戒壇」の大事について数十分にわたり重大の指導。
広宣流布の日まで、我々に栄光の二字はない。… 今の時に若し褒められるなら、大聖人に叱られる。この妙信講八千世帯は、純粋なる御在世の信心に毅然と立ち、猊下の御内意を守るために生まれてきたものである。この3月・4月に、妙信講始まって以来の重大な御奉公を申し上げたが、本来の御奉公はまだまだこれからである。5月から先のことは考えていない」
5月1日  創価学会、「大白蓮華」5月号に北条浩副会長の「三大秘法完結の時代を迎えて」を掲載。
「すでに大聖人御在世中に、"慧"たる本門の題目、"定"たる本門の本尊は建立された。そして、ただ"戒"たる本門の戒壇のみが「時を待つべきのみ」と後世に残されたが、ここに深い意義を感ずるのである。… ここに正本堂建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法史上重要な意義 …」
5月3日  創価学会、内外注視のもと第33回本部総会開催。池田大作会長は、言論・出版問題、正本堂の意義、創価学会と公明党の関係、王仏冥合の原理、共産党に対する態度、創価学会の体質問題等について1時間27分にわたって講演、そこで「私は猊下におうかがいしたうえで、国立戒壇という表現を使わない」と述べ、国立戒壇否定の責任を細井日達管長に転嫁した。
「一、広布は『教勢拡張』から『大文化運動』の時代へ
 二、言論・出版問題の公式謝罪
 三、これまでの"国立戒壇・国会議決"を正式に否定
 四、創価学会・公明党の『政教分離』を宣言
 五、公明党を誕生させた理由
 六、共産党に対する態度
 七、創価学会の体質問題
 八、創価学会は"創価文化"の母体」(「大白蓮華」6月号 )
「その原稿の草案は、箱根研修所で先生のご指示のもと、桐村泰次氏(現教学部長)と私の二人でつくらせていただきました」(「池田先生への手紙」原島嵩 )
「五月三日、ようやく箱根から出てきた池田大作は日大講堂を埋め尽くした数万人の創価学会員を前に、言論出版妨害事件に対して初めて正式に釈明した。左手にマイクを握った池田は壇上から開口一番、お得意のワザを決めて見せた。『どうですか、わたしがヤメてよろしい、と思う人、手をあげてください!』、重苦しい空気の場内はシーンと静まりかえったままだった。『では、やめては困るという人、手をあげてください!』、『ハァーイ』と、会場全体を揺がすほどの大歓声が上がった」(「池田大作の素顔」、藤原行正 )
 細井日達管長、「国立戒壇という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、今後、本宗ではそういう名称を使用しない」と、“国立戒壇否定”の公式宣言。さらに「本門戒壇の大御本尊安置のところは、すなわち事の戒壇であります。… 正本堂は本門事の戒壇であります」と。
5月4日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言。「師子王の心」
「宗祖大聖人佐渡御書に宣給わく「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し、智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる、諛臣と申すは是なり。強敵を伏して始て力士をしる。悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず、正法を惜む心の強盛なるべし」と。この御金言よくよく拝せよ。時に当りて万感胸に迫って筆紙進まず。御本仏大聖人は必ず御照覧である。いま妙信講を除きて誰人か身を捨ててこの大事の御奉公を為さんとするや」(「冨士」第81号 )
5月5日  創価学会、第34回社長会開催。
 池田大作会長、言論妨害問題につき「竹入に今迄以上に王仏冥合、政教一致でゆけ、と云おうか。… 何もかも一切終わったら、断然やろう、まず内部だな。… ざまあ見ろと云うには10年かかるな、でもやろうよ」と。
5月20日
 宗門、細井日達管長。聖教寺にて「三大秘法抄の戒壇は、未来の理想の戒壇」と。
5月20日過ぎ  創価学会、北條浩副会長。山崎正友・広野輝夫に対し、宮本顕治宅電話盗聴のゴーサインを出す。
「北条氏の他、秋谷栄之助、原島嵩、中西治雄の各氏、そして私が集まり、会議を開いた。… 秋谷氏と原島氏は、消極論だった。… 北条氏は、決めかねていたが、黙っていた中西氏が 「日本が太平洋戦争に負けたのは、情報戦で負けたのですよ。… 共産党にウチが敗けているのも、情報で遅れをとってとっているからですよ」… かくて、中西氏の発言をきっかけに、会議の結論は"実行"へと決着した」(「自由の砦」山崎正友 2001年5月10日号 )」
5月24日
 妙信講、8千世帯突破、第10回総会開催。浅井昭衛本部長、「大聖人の御遺命を曲げては宗門も国家も危うくなる。妙信講は講中の命運を賭しても、誑惑の訂正を迫る決意である」と、御遺命守護の決意を述べた。
「大聖人の御理想とせられる本門戒壇がいかなる規模を持つものか … 時来らざる以前の宗門や一部民衆の手で立てられるべき性質のものではない。これは何も国家の予算とか財政とかいう金銭上の問題を云っているのではありません。大切なのは一国の絶対帰依、いのちがけの信心によって立てられるべき戒壇が本門事の戒壇であるということであります。かくして始めて国家そのものの祈りとなるのではありませんか。…
 若し妙信講の云わんとしている事が仏法の道理に照らして正しいならば、法の為・国の為虚心に取り入れて頂きたいと私は心から念願する。また若し、云っている事は正しいが妙信講は憎いとならば、遠慮なく妙信講をつぶし抹殺したらよい。但しこの云わんとする正しい道理だけは断じて取り入れて頂きたい、さもなければ国が持たない」(「冨士」第82号 )
5月26日
 宗門、法道院で早瀬道應総監と阿部信雄教学部長が浅井昭衛本部長と面談。早瀬総監は妙信講の捨て身の決意に驚き、「私達ではどうにもならない。この上は猊下と池田会長と浅井さんの三人が、膝詰めで話しあって頂くほかはない」と。
5月26日
 妙信講、5月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
 本部辞令:白石秀一 青年部参謀に、水野初美 女子部長に、加賀陽子 女子部幹事に、吉田久美子 女子部参与に任ずる。
5月26日  創価学会、山崎謀略師団。宮本顕治日本共産党議長宅前の電柱に、発信器式盗聴器を仕掛ける。
「その日、午後になって、広野から「今夜やります」と連絡を受けた。… その夜、自宅の二階で、電話機を脇に置いて寝ずに待っていた私のところへ、広野から明け方3時頃、「無事、作戦は終了しました。異常ありません。… 朝になったら、受信、録音が始まると思うので、また報告します」と、報告の電話が入った」(「自由の砦」山崎正友 2001年5月10日号 )
5月29日
 宗門、細井日達管長臨席の元、総本山対面所で妙信講代表と創価学会代表が諭判、正本堂の意義について激しい諭義を交わした。理に詰まった創価学会側は、「すべて猊下の御指南を頂いた上で発言している」と開き直ったが、浅井昭衛本部長は細井日達師の文意を会通して創価学会の誑惑を破折、議論の帰趨は明白になった。
 細井日達師は論議を総括し「正本堂は未だ三大秘法抄に御遺命の戒壇ではない。未だ広宣流布は達成していない。どうか学会は訂正をして下さい」と、創価学会代表に対し訂正を指示した。このときの創価学会代表は、秋谷栄之助副会長、森田一哉副会長、和泉覚理事長である。秋谷副会長等は血相を変え「これほど重大なこと、自分たちの一存では決められない。後日改めてご返事申し上げる」と、憤然と席を立った。
5月31日
 宗門、第13回寺族同心会大会開催。細井日達管長「国立戒壇名称不使用」について釈明、「大変あちらこちらで不平の方もあったらしい」と。
5月 日  創価学会、山崎正友を顧問弁護士とする。
6月1日
 宗門、八木直道師が「御伺書」を宗務当局に提出。「もし正本堂が事の戒壇ならば、天生原に建つべきではないか」と質問。
6月日7  創価学会対策連絡協議会(創対連)、東京・三宅坂の社会文化会館で結成。
 表向きは、創価学会脱会者の被害者同盟であり、理事長の稲垣和雄は元・立正佼成会の青年本部付、元・創価学会員である。
「機関紙『創対連』の編集者・野村力は日本共産党幹部でもある。相談役として植村左内。結成大会には社会党・民社党の代表も出席。『新宗教新聞』の清水雅人、紙上で『創対連』を良心的な市民運動としてマスコミ各誌に紹介する」(「創価学会=七つの大罪」吉良陽一 )
6月9日
 宗門、宗務院。八木直道師の「御伺書」に回答。
「法主上人は去る四月六日御虫払法要の砌の御説法中に『有徳王・覚徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並に御教書があって霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来るとの大聖人の仰せでありますから、私は未来の大理想として信じわるのであります』と仰せられ、明かに三大秘法抄の事の広布を未来に属せられ、かつそれを信じ奉ると明言なされている。猊下の御示しはまた即ち宗門一同の義であると信ずる。乃至宗門において天母原の戒壇について否定したことはない。先に述べたごとく将来天母山にいかなる建物が建てられるかは未来のことであって今は想定できない。宗門は現在の立場において奉安殿より更に大きく事の広布に近ずく大前進の象徴である正本堂建立にあげて邁進しているのである。乃至正本堂が三大秘法抄等に示し給う最極の戒壇でない以上、奉安殿に引き続いてより大なる、戒壇御本尊格護の殿堂として建設する場合、大石寺境内またはそれに隣接する地所を撰ぶことが諸般の実状と便宜上当然のことである」
「少し物足りないが正論です。学会自身が訂正を誓った時だからつい当局も正しいことを書いてしまった。文中、正本堂が三大秘法抄等御遺命の戒壇でないこと、当局自ら天母原と天母山と同じに扱い、未来究極の戒壇建立の地と暗に認めていること、正本堂は奉安殿の延長であること、だから大石寺の境内に建設されるのも止むなし等々の見解。みな正論です。歯切れは悪いが妙信講が宗門声明に求めた三ヶ条と同趣旨です。だが一たび学会の意を受けるや、手のひらをかえしたようにネジまげ … 」(「冨士」第105号 )
6月11日
 宗門、創価学会・妙信講代表が本山で細井日達管長に目通り。森田一哉副会長、細井日達師に「猊下の仰せを守り、今後学会は絶対に『正本堂は御遺命の戒壇』、『広布はすでに達成』とは言いません。あらゆる出版物からこの意の文言を削除し..」と、恭順の態度で誓う。
 細井日達師、「浅井さん、これでいいでしょう。とにかく宗門でいちばん大きいのと、いちばん強いのがケンカしたのでは、私が困ってしまう。これからは仲よくやって下さい」と。
 浅井昭衛本部長、将来の違約なき事を期してその内容を書面にすることを求めたが、創価学会代表は即座に拒絶した。
6月16日~
 宗門、宗務当局立合いの元、「確認書」をめぐって妙信講と創価学会の論判開始。
6月18日  日本共産党、宮本議長秘書が盗聴器を発見。
「熊谷秘書が、宮本邸への電話引き込み線を調べた際、宮本邸の前の電柱「厚生九・七六―八五」の端子函の上に直径3センチほどの円筒形の異物を発見 … とりつけた犯人を捕らえるため、盗聴器をそのまま放置して監視を続けた」(「自由の砦」山崎正友 2001年11月10日号 )
6月25日  公明党、第8回党大会開催、「政教分離」を決定。
「王仏冥合の大理念を高く掲げ」「地球民族主義により世界平和」「人間性社会主義により大衆福祉」「仏法民主主義による大衆政治」… 等の党綱領を改訂、仏教用語・創価学会用語を削除し「日本国憲法をまもる」と明記。
6月26日
 妙信講、6月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
 浅井昭衛本部長「妙信講の過去13年は、試練に耐え抜いた忍従の時代であった。だが第14回総会を了えたいま、いよいよ大聖人の御馬前に於いて捨て身の御奉公を為すべき立場にある」(「冨士」第83号 )
6月28日
 宗門、総本山大講堂で「戒壇について」の研究発表会を開催。5名の発表者のうち2名が発表を辞退、八木・青山両師は「国立戒壇こそ宗門伝統法義」と論じて妙信講の主張を支持し、もう一名は国立戒壇否定の論陣を張った。
 細井日達管長、「国立戒壇の名称不使用」につき釈明。「日興遺誡置文」の新解釈を示し、「大坊棟札」「紫宸殿本尊」「天母山戒壇説」を否定。
7月9日  創価学会、山崎謀略師団。共産党側に盗聴器を発見されたことを察知、ひそかに盗聴器を撤去。
7月11日  日本共産党、盗聴器取りはずしに気づき、東京地検に対し犯人の捜査と処罰を求め、有線電気通信法違反と公衆電気通信法違反などで犯人不明のまま盗聴犯人を告訴。また、電電公社も同様の趣旨で告訴した。
「共産党は氏名不詳の犯人を刑事告発したが、幸いなことに共産党は"公安筋のしわざ"と決めつけており、警察も日頃敵意をもっている共産党の告発を受けて、本気で捜査する気配がなかった」(「自由の砦」山崎正友 2001年10月10日号 )
7月12日  マスコミ各社、「共産党宮本議長宅で電話盗聴器発見」を報ず。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島振興会館)。7月度折伏成果 79世帯、総世帯数は 8,050世帯となった。
8月4日  創価学会、先般の約束を違える。細井日達管長への誓いを破り、再び聖教新聞に「正本堂は御遺命の事の戒壇」と掲載。
8月19日
 妙信講、創価学会の違約を面詰。創価学会、ついに二度と歪曲せざる誓状を猊下に奉るむね、妙信講に約束す。
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催(豊島振興会館)。8月度折伏成果 71世帯、総世帯数は 8,121世帯となった。
9月3日
 妙信講、浅井昭衛本部長。合意書の案文チェックのため、要請を受け創価学会本部に出向く。屈辱を和らげるため多くの文言が費やされていたが、浅井本部長は余分な言葉を文面からすべて削除させた。
9月11日
 宗門、早瀬道應総監、「確認書」を細井日達管長に納める。
 法道院において、早瀬道應総監・阿部信雄教学部長・藤本栄道庶務部長立ち会いのもと、創価学会の和泉覚理事長・森田一哉副会長・秋谷栄之助副会長と、妙信講の浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛本部長が「御報告」に署名した。
「御報告
 お互い信者の間で話し合いの結果、誤解がとけ相互に友好的な理解と合意に達したので、御報告申し上げます。
 一、正本堂は、三大秘法抄一期弘法抄にいうところの最終の戒壇であるとは、現時において断定はしない
 こゝに、猊下の御宸襟を悩まし奉ったことを深くお詫び申し上げるとともに、今後異体同心にして広宣流布達成をめざして邁進することをお誓い申し上げます。
 昭和四十五年九月十一日
 和泉覚 森田一哉 秋谷栄之助 浅井甚兵衛 浅井昭衞」
 森田副会長は「御報告」の署名に先立ち、「この文書が公開されたら、学会は直ちにこれを取り消す」と、立会いの早瀬主管に何度も念を押した。
(※ 誑惑の主犯・創価学会とこれを糺した妙信講が署名し、与同の宗務当局が立会って管長に納め奉り、ここに誑惑訂正の全宗門的合意形成なる。しかしこれは密約であり、一般信徒も宗門僧侶も存知しない )
9月15日
 妙信講、臨時班長会開催(音羽・本部)。
 浅井昭衛本部長より、御遺命守護にかかわる「重大発表」。同時に6年振りとなる総登山が、10月25日に挙行と発表された。
9月28日  創価学会、聖教新聞社新社屋(地上7階、地下3階)完成。
10月1日  創価学会、池田大作会長、「大白蓮華」10月号で「本門戒壇」に言及。
「大御本尊の前で全世界の人々が世界平和を祈願するとき、そこが本門の戒壇なのです。この戒壇に事と義があり、事の戒壇とは、本門戒壇の大御本尊の安置される場所であり、義の戒壇とは各家庭で御本尊が安置されているところで、戒壇の義に通ずるのです」
10月 日  創価学会、本山登山者に配る「しおり」に誑義掲載。
「正本堂建立の意義は、あらためていうまでもなく、大聖人の御遺命の事の戒壇であり、仏法三千年史上空前の大偉業であります。… 大聖人の御遺命たる戒壇堂の建立は、今や正本堂として47年に完成を見ることになっており、その上棟式が今年10月12日に行われるのです。思えば仏法三千年の悲願が池田会長の手によつて完成されんとする現在 … 」
10月5~8日  創価学会、日本武道館「’70東京文化祭」開催。
10月12日
 宗門、正本堂上棟式奉修。
10月25日
 妙信講、晴れて6年ぶりの総登山、参詣2千有余名。
 御開扉の後、大講堂にて浅井昭衛本部長「妙信講にとって試練と忍従の十三年は終った。すでに大聖人の御馬前に於いての斗いである。いつ倒れようと悔いはない。本年出陣と銘打って、一身はもとより講中の命運を賭して御奉公を続けて来たが、5月の第十四回総会に於いて宣言したことも大聖人の御守護を蒙り、遂に9月11日を以て決着がついた、正義は遂に貫き通された。 … 今日よりは十万達成に向って前進を開始する」
(※ 停止されていた登山が許されたのは、4月3日の約束にもとづく。浅井昭衛会長が、以後多用する「大聖人の御馬前」の第1号である。櫻川 忠 )
10月29日
 妙信講、10月度総幹部会開催(豊島振興会館)。10月度折伏成果 122世帯、総世帯数は 8,244世帯となった。
11月18日  創価学会、創立40周年。これを記念し『創価学会四十年史』を発刊。
11月19日  創価学会、第40回社長会開催。
 池田大作会長、「なんだかんだ云っても、私とつながりがあるから福運がつく」と。
11月25日  三島由紀夫、市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で、割腹自殺。三島は "楯の会" の会員4人とともに総監部に押し入り、益田兼利総監を縛り上げたうえ、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を促す演説を行った。その直後、三島と楯の会の隊員1人が、割腹自殺した。
11月26日
 妙信講、11月度総幹部会開催(豊島振興会館)。11月度折伏成果 125世帯、総世帯数は 8,370世帯となった。
11月29日
 妙信講、妙縁寺にて御大会式奉修。
 松本日仁指導教師「出陣の年の妙信講の重大な御奉公がつらぬかれ、また6年ぶりの総登山が叶い、誠に喜ばしいことである。今後も、一筋の信心に一層はげまれるように」(「冨士」第88号 )
12月13日
 妙信講、女子部大会開催。
12月20日
 妙信講、男子青年部大会開催。1千名が豊島公会堂に集結、「師と運命を共に」
 浅井昭衛本部長、「教条主義との非難甘んじて受く、御金言のままの実践こそ如説修行、一筋に謗法厳禁と国立戒壇を一国に叫ばん」と。
「ここに正法治国・邪法乱国の問題こそ、国立戒壇の問題こそ、一国永遠の繁栄の為に超党派で取り上げさせねばならぬ重大事であります。当然始めは一笑に附そう、のちには未曾有の大反対があろう。だが世論を換起し、繰り返えし繰り返えし毅然として云い迫る所に、漸く一国に信謗彼此決定して、冥々のうちに国土に変化がおきてくるのであります。すべてはこれ御本仏の御力用であります。凡慮には及びがたし。… 妙信講が再建以来一貫して「在野の諫暁団体」と云い貫いて来た所以もここにあるのであります。
 私はこの8月、ある人から面白いことを云われた。云く「妙信講は教条主義である」と、… 私は喜んでその批判を受けたい。大聖人の仰せを一分も違えずに云い貫く事が教条主義であるというのなら、むしろ名誉であります。… 教条主義とは如説修行に対する怨嫉の言ではないか。もし世間からは寛容である、物わかりがよい、人格者である、平和主義である等とほめそやされるとも、大聖人の御眼より見て不審なりとお叱りを蒙むるならばこれほど恐しいことはない。逆に世間からは時代を知らぬ、偏狭なり、独善なり、排他なり、或いはまた思わざる筋より教条主義などと云われようとも、大聖人御一人の御うなずきを頂けばそれでよい。
 妙信講は誰がなんと云おうとも、御本仏大聖人の御本願そして歴代御法主上人の御悲願たる謗法の禁断と国立戒壇の建立をただ一筋に一国に叫んでいく決意である。… この七十年代に妙信講の死身弘法は必ず十万世帯に達する。その時、男子青年部は一万人の国士を以て集ってもらいたい。いよいよ大聖人様の御照覧のもと、その御馬前に死すの決意を以ってこの九ヶ年を堂々と斗おうではないか。(大拍手)」(「冨士」第89号 )
12月23日
 妙信講、12月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
12月 日  創価学会、貞永昌靖をアメリカ日蓮正宗理事長に任命、桐ケ谷章を顧問弁護士とする。
 文化本部(教育・学術・芸術・ドクター・文芸・国際の各部)を結成、国際部を結成。。
12月 日  創価学会、山崎正友・八尋頼雄・桐ヶ谷章の3弁護士、正本堂事業会計の帳簿を精査し改竄作業を始める。
「池田大作は、本来、創価学会の会計でまかなうべき費用を、さまさまな名目で、正本堂事業会計から支出させた。… 幹部の顕彰や行事のための費用、あるいは、創価大学建設のための費用、一部職員の給与、会食費などを「正本堂会計から出すように」という池田大作のツルの一声で、創価学会の支出が、正本堂会計から支払われていたのである。はっきり言って横領である。
 私と、八尋頼雄、桐ヶ谷章の三人の弁護士は、十名近い本部職員を使って、会計処理のすべてを洗い直し、本来の姿に修正する作業に3年近くを要した。そのために、会計帳簿や伝票はむろんのこと、宗教法人創価学会の理事会議事録、正本堂建設委員会の議事録まで、すべて一いち作り直した。…
 裏で、このような狡猾な"着服"をしていながら、池田大作は、さも、宗門のために献身的な奉仕をしているかのように振舞い、宗門に恩を着せ続けた」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2002年9月1日号 )
12月 日  創価学会、755万世帯。
  年表  
昭和46年 (1971)          _
1月1日
 妙信講、妙縁寺にて元旦勤行。
 松本日仁指導教師「新年を迎えて」、「昨年は妙信講に取りまして誠に重大な年でありました。しかし講頭並びに本部長の確固不抜なる信念の力と、講員御一同の団結の力によりまして見事御奉公が貫かれ、更に御法主上人猊下よりは御開扉を願わるる趣きの御言葉を頂戴して、10月25日を期し6年振りに総登山を行う事が出来ました事は、妙信講として何よりも喜ばしい極みでありました」
 浅井甚兵衛講頭「年頭の辞」、「二陣三陣と続かん」(「冨士」第89号 )
1月9~11日
 妙信講、初級講習会開催(豊島振興会館)。「三日間の延べ参加者は実に千7百余を越え、会場は連日超満員、立ったままでの受講者が続出するという熱況であった。会場の最前列に20畳近い畳を入れるなど、応急処置を取ったがそれでも間に合わなかった」(「冨士」第90号 )
1月17日
 妙信講、研修部。三級昇格試験実施(豊島区民センター)、出題範囲は「三大秘法抄」。
1月24日
 妙信講、研修部。部員登用試験実施(文京区民センター)、出題範囲は「冨士4号」「冨士63号」。
1月26日
 妙信講、1月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
1月26日  創価学会、第44回社長会(羽吹宅)開催。  池田大作会長「正本堂の御供養。五年間であれだけ。十年間はあの倍。あの発表の外に百億やった。又、稼ぐよ」
(※ 正本堂御供養は355億円以外に、100億円集めていたことを明かす )
2月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長「冨士」巻頭言。「御生誕七百五十年を迎えて」
「かかる時、断じて弱々しくずるい摂受の眷族になってはいけない。… 「摂受の者は折伏をわらう、折伏の者は摂受をかなしむ」と。若し、「… 今や既に広宣流布である」などと云う者あれば、誰人の言たりとも用いてはならぬ。仏説に依らざるものはこれ已義である。広宣流布は未だ来ていない … 一国は謗法で充満しているではないか。…
 日本の運命は、唯一の正系門流の信心にかかっている。大聖人の御仰せを一分も曲げずに、三大秘法抄の御遺命をめざして一国を諫めねば、無慈悲の者である。ここに、御生誕七百五十年を迎え奉り、ただ心に決するは「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれ」の一事のみ。以て罪業深重の身の御奉恩に擬し奉らん。二月一日」(「冨士」第90号 )
(※ 「もしあと25年で広宣流布できなければ、核戦争によって人類は絶滅する」(昭和57年 第23回総会)等は、「仏説に依らざる已義」にして「誰人の言たりとも用いてはならぬ」、すでに当人も用いていないが..。櫻川 忠 )
2月2日  横井庄一、28年ぶりにグアム島から帰還。昭和19年、グアム島の歩兵第38連隊に陸軍軍曹として配属され、同年7月にはアメリカ軍が上陸し日本軍は壊滅状態となり、同年8月に同島で戦死との戦死公報が出されていた。
2月3日  創価学会、聖教新聞紙上に「人間革命」執筆につき、会長コメント掲載。
 池田大作会長「ともあれ、執筆にあたって、今までも多くの方々にご協力を戴く。… 特に、私を激励してくれたS氏に至っては、資料の収集は勿論のこと、文体の運び方、文章の調子、結構の仕組みまでご協力を戴き、感謝の言葉もない。益々のご協力をただ乞う」
(※ S氏とは、池田大作会長のゴーストライター、創価学会幹部の篠原善太郎 )
2月8日  文部省、学校法人創価大学を正式認可。
2月11日  創価学会、細井日達管長臨席のもと創価大学竣工式。
2月15~16日
 宗門、宗祖日蓮大聖人生誕七五〇年慶讃法要奉修。
2月16日  創価学会、聖教新聞紙上に「本門戒壇建立」と掲載。
「まことに仏法は不思議です。五字七字の南無妙法蓮華経が流布して、今日750万世帯を数え、しかも御生誕750年の佳節であり、来年は本門戒壇が建立される」
2月17日
 妙信講、研修部入部式開催(豊島区民センター)。
2月18日  創価学会、聖教新聞紙上に「戒壇の建立」と掲載。
「今、この地に、仏法史に燦たる正本堂建設の槌音がいよいよ高鳴り、戒壇の建立の日近しを告げている」
2月19日   あさま山荘事件、軽井沢町の保養所「浅間山荘」に、連合赤軍の残党5人が管理人の妻を人質に立てこもった。警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が人質救出作戦を行い、死者3名、重軽傷者27名を出した。10日目に部隊が強行突入し人質を救出、犯人5名は全員逮捕された。
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島振興会館)、2月度折伏成果 208世帯。
 浅井昭衛本部長「ここに瑞相をつかませて頂いた。されば本年一万達成は断じて間違いはない」(「冨士」第91号 )
3月3日  雄渾社、「ホワイト調査班の創価学会レポート」(宗教社会学研究会・訳)を刊行。
3月10日  創価学会、池田大作会長。外郭企業の代表を集め、第1回金剛会総会を開催。社長会を発展させ、東西哲学書院、日本図書輸送、創造社、ひさご印刷、鳳書院、東洋物産、栄光建設、白蓮社の8社で構成。
 池田会長「いままで言えなかったが、本当は違うんだよ。外郭が源氏で、創価学会本部や聖教新聞は平家でいつかは滅びる。源氏がやがてリードする時がくる」
3月14日
 妙信講、研修部。「立正安国論」講義開始(豊島区民センター)。
3月25日
 妙信講、3月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
3月28日
 妙信講、宗務院に登山願提出。
4月2日  創価学会、創価大学創設。
4月13日  創価学会、第46回社長会開催。
 池田大作会長「いざとなったら全部城を明け渡し、全部日蓮正宗の信者になっても良い」
4月26日
 妙信講、4月度総幹部会開催(豊島振興会館)。4月度折伏成果 195世帯。 
5月3日  創価学会、聖教新聞社編「創価学会」発刊。
「仏教が僧侶という特権階級の独占物から、広く社会に根をおろし始めたのです。… いつのまにか僧侶仏教となってしまったのは、一面では僧侶の側の責任でもありますが、僧侶のみが仏教の哲学を学び、教えるものであるとしてきた民衆の側の自覚のなさにも責任の一端がありましょう。… 学会における教学のあり方は画期的なものであり、本来の仏教のあり方である」と、在家の教学運動の優越性を強調。
5月12日
 宗門、月刊誌「蓮華」創刊。
5月15日  沖縄返還、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権が、アメリカ合衆国から日本国に返還された。
5月26日
 妙信講、幹部大会開催。浅井本部長、「大聖人の御守護を蒙り 妙信講の使命つらぬかん」と講演。
「さき程から異常気象のことが云われております。… なんで妙信講が現在この異常気象をとり上げ、重大視しているかと云うことを申し上げたい。… いまの異常なる気象はまさしく天の諫め、警鐘の乱打であります。地球が狂ったのではないかと思われるような、気象異変がこれからますます頻発する。… 気象学者も云っております。いまおきつつある気象変動は、数千年に一度と云われるほどの大規模な異常であると。されば一年や二年で止むものではない、歳ごとに連々と異常さを増すことは必至であります」
「去年、宗門七百年の重大法義が政治目的の為に一部に歪曲されるを厳然と正し、九月十一日ついにその一応の決着を見たのであります。だがその後の経過を見、その本質を考えるに、未だ事おわらずと思わざるを得ない。仏法は厳しい。御書のいたる所に、他のあやまりを見て黙っているのは同罪であるとお誡めであります。… 見ながら、知りながら、気附きながら、人をはばかり、権威を恐れて云わないのは不忠の者であり、仏弟子ではない。妙信講はただ大聖人の御眼を恐れるものであります。いま妙信講は何を為すべきか、妙信講は未だかって身の為、講中の利益の為に動いたことはない。今もし、大聖人様・日興上人様おわしませば、何を妙信講になせと命じ給うか」(「冨士」第94号 )
(※ ささいな寒波にかこつけて、"地球が狂った" "数千年に一度" "歳ごとに異常さを増す"と、己義・妄想で脅し威嚇する"話芸"は年季が入っている。櫻川 忠 )
6月15日  公明党、第1次訪中団出発。中華人民共和国との間で共同声明を合意。
6月24日
 妙信講、6月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「8月に本山登山決まる」、6月度折伏成果 80世帯。本部辞令:高岡真佐雄 青年部参謀に、星修一 男子部幹事に、村岡長治 男子部幹事に任ずる。
6月27日  第9回参議院議員通常選挙。総裁選四選を果たした佐藤栄作首相の自民党は、沖縄返還交渉・大阪万博成功・大学紛争収束等の成果をみたが伸び悩び、佐藤栄作長期政権への「飽き」が顕在化した。公明党は10名当選(前回は13名)。
7月3日  創価学会、富士美術館起工式。
7月 日  創価学会、本部幹部会。池田大作会長、「我々が力を合わせ真心をこめて、大聖人様の御遺命である正本堂を建立したのであります」と。
(※ 細井日達師に文書で誓った、妙信講との約定あからさまに破っている。表面には慎んでいるように見せつつ、裏では依然として創価学会は違約を繰り返していた )
7月7日  田中角栄内閣発足、田中角栄が第64代内閣総理大臣に任命された。
 5月9日に佐藤派から81人の議員を引き連れ田中派を結成、6月に「日本列島改造論」を発表、7月5日に佐藤栄作が支持した福田赳夫を破り、自由民主党総裁に就任した。
7月8日  創価学会、第50回社長会(於・八矢宅)開催、「学会員は奴隷」発言。
 池田大作会長「竹入は一番忠実である。矢野など問題でない。言論問題の時、竹入でなければあそこまで頑張らなかった。… 学会っ子は名前もいらない、金もいらない、身体もいらない。奴隷のように学会につかえよ、それが御本尊様につかえる事だ」
7月15日
 宗門、奥法道師「事の戒壇について」を発表。
7月23日  創価学会、第8回北米総会開催、代表1万人参加。
7月25日  公明党、竹入委員長が中華人民共和国訪問。周恩来首相、国交正常化の中国側案を示す。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島振興会館)。7月度折伏成果 123世帯。
7月27日  創価学会、第51回社長会(於・松野茶屋)開催。
「アメリカの体制は非常にいい。貞永体制は完璧だ。… 今、私が考えているのは『師弟不二』だ。先生は日本、私達はアメリカで、世界は一つと考えなければ、『師弟不二』にならない。ポスト正本堂は"世界の池田先生"とするしかない」
7月29日  創価学会、聖教新聞に「仏教三千年史上で未曾有の大偉業である正本堂が建立される」と掲載。
8月20日
 宗門、阿部信雄教学部長。音羽の妙信講本部を訪れ「妙信講のいうところ大聖人の御意に叶えばこそ、宗門の大勢も変った。宗門がここまで立ち直れたのも、妙信講のおかげである」と。
「"去年八月二十日に家に見えた時、顔色を革めて、宗門全体が一時はあそこまで曲ったがそれが正されたのは実に妙信講の力による、とまではっきり云われたではないか。… それほどまでに妙信講の申し分を正しいとして同意しながら急変するとは何事か。これは、もう法義を論ずる以前の人間性の問題だ"… 宗務院は何ともバツの悪い顔をしておりました」(「冨士」第105号 )
8月24日
 妙信講、8月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
8月28日
 妙信講、総登山。参詣2千百余名、「渇仰恋慕ただ感涙の御内拝」
 浅井甚兵衛講頭、御開扉の後「一難あるたびに色を増す信心に立て」
 浅井昭衛本部長、「国家騒然の時 今こそ御在世の信心に還れ」と講演。
「妙信講は昨年3月以来、正義を守る為の御奉公を連々と続けて参りました。そして昨年の9月、一往の決着を見ました。だがその後一年間、本日まで沈思し黙考するに、その本質は何ら変っていない、何ら解決を見ていない。悲しみまことに胸に残る。… いま妙信講が身を捨ててこの御奉公を真に徹底せねば誰人が為す。… 妙信講の置かれている立場を考え、為すべき事を思えば、肚の底からつき上げてくるものを感ずる。…
 改めて発表いたしますが、一万達成の期日、いままで本年いっぱいとして前進してきましたが、改めて明年7月までといたします。… ただいま九千世帯、これから一万世帯までの間に、大事な御奉公をせねばならない。この9月より明年7月まで、この十一ヶ月こそ妙信講の過去十四年の歴史においても最も重大な時であります」(「冨士」第97号 )
9月1日
 宗門、法華講富士会館創立五周年記念法要。
 細井日達管長「法華講の大指導者が、出現せられたのでございます。… この時代に広宣流布をさせんがために、大聖人様がそうなさった、と推測するのでございます。… この法華講総講頭という大指導者を得た今日、皆一致して、そして広宣流布へ邁進して、大聖人様の御意を達成していただきたいと思うのでございます」
9月17日
 宗門、東京文京区西片町に、大石寺東京出張所を開設。
9月21日  公明党、第9回党大会。竹入義勝委員長、暴漢に刺される。
9月25日
 妙信講、9月度総幹部会開催(豊島振興会館)、「今ぞ大法弘通の時」。
 浅井昭衛本部長「前々から話しているが、70年代の激動の初期における一つの山場は1972年、昭和47年と思われる。世間・出世間ともに広宣流布の前提として、どうしても通らなければならぬ、そういう位置にさしかかっている。… 私達は一切濁った政治に流されない、そして今妙信講が叫んでいることが大聖人様の御精神である。この事を一国の大衆に知らしめていかなければいけない」(「冨士」第98号 )
9月29日  田中角栄首相が訪中、「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」に調印、日中国交正常化が実現。
10月12日
 宗門、正本堂躯体完成式開催。
 池田大作会長、「止住の戒場正本堂」と講演。(※ ただし、『大白蓮華』の躯体完成式の記事に、上記池田発言は掲載されず )
10月13日  創価学会、第56回社長会開催。
 池田大作会長「本山の全T・V報告。東洋(東洋物産)やらせようね。いいね。どれほど儲かる。10%かそれでは少ない、15%儲けなさい。かまわないよ」
10月25日  国際連合、総会で中華人民共和国の中国代表権を認め、中華民国政府(台湾=国民政府)を追放する決議を採択。中華人民共和国は、国連の常任理事国となった。
10月27日
 妙信講、10月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
10月 日  創価学会、再び違約をくり返す。会員配布の「登山会パンフレット」に、「正本堂建立の意義はあらためていうまでもなく、大聖人の御遺命の事の戒壇であり、仏法三千年・史上空前の偉業であります」、「大聖人の御遺命たる戒壇堂の建立は今や正本堂として四十七年に完成」、「仏法三千年の悲願が池田会長の手によって完成」等と記されていた。
11月2日  創価学会、日本武道館で第34回本部総会開催。池田大作会長、地涌の菩薩の本義上から自発性・能動性を強調。「広宣流布を決定づけるものは、どこまでも地涌の菩薩という内証の自覚であることは不変の原理であります」
11月5日
 妙信講、「正本堂に就き池田大作会長に糺し訴う」を、池田大作会長に送附。
 その骨子は以下の二点。
 一、全宗門信徒に対し、正本堂が御遺命の戒壇でないと公表せよ。
 二、政府に対し偽りの回答を撤回し、国立戒壇の正義を示せ。
(※ 先の「御報告」は内々に事を収めるべく非公開としたが、池田会長に誠意がない以上、今度は広く訂正を公表せよとした )
11月8日
 妙信講、「御報告」作成に立ち合った早瀬総監に書状提出。「何のための確認書だったのか」と。「されば既に一死を賭するのみ。… 直接、池田会長に対し、改めて厳重なる糾明を為すの外はありません」
11月26日
 妙信講、11月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
11月30日
 宗門、研究論文誌「富士学報」創刊。
12月10日  第33回衆議院議員総選挙、自由民主党は 284議席(-16)と安定多数を維持したが、「日中国交正常化」という実績を引っさげ "角栄人気" の中で臨んだ中、事前の予測に比べやや不振とされた。公明党と民社党は選挙協力したが、公明党は "言論出版妨害事件" の影響もあり29議席(-18)と敗北、民社も20議席(-11)と不振に終わった。
12月12日
 妙信講、12月度男子部会開催(豊島振興会館)、「広宣流布へ凛冽の気満つ」
 浅井昭衛本部長「あの中国の毛沢東は、偉大な仕事を成し遂げる条件として「地位がなく、金がなく、若さのあること」の三つを挙げているが、一理がある。あの明治維新でも、革命を為したものは地位も金もない青年たちであった。諸藩の家老がやり遂げたのではない。いわゆる草莽浪士が大事をなした。人間は地位が出来ると、自分の地位を守るために理想を失う。これは人の持つ弱みです。仏法の世界だけは、こんなことは断じてあってはならぬ」(「冨士」第101号 )
(※ 他人のことは見えても、自分は別だと思うのは、"人の持つ弱み"である。「地位を守るために理想を失」ったのは、地位と金があり若さがない現在の浅井昭衛顕正会々長である。櫻川 忠 )
12月15日  創価学会、社長会開催。
 池田大作会長「寺院と会館で39カ所か、すごいね。日蓮正宗の名義ではなく、法的にはアメリカ創価学会の寺院であって、本山のものではなく、御僧侶も一応雇用契約になる。お寺に対する御供養も、法的には、アメリカ創価学会のものである」
12月23日
 妙信講、12月度総幹部会開催(豊島振興会館)。
 12月末の妙信講総世帯数、9,235世帯。(「冨士」第101号 )
 
  年表  
昭和47年 (1972)          _
1月1日
 妙信講、妙縁寺にて元旦勤行、「正念場の年」。
 浅井甚兵衛講頭、年頭の辞「宗開両祖の御金言のままに」
「この濁悪の時、宗祖大聖人・日興上人の仰せのままに進み貫くことこそ大事である。我等の行くべき道は只一筋、立正安国論の御意たる謗法禁断・国立戒壇建立に向って前進あるのみである」(「冨士」第101号 )
1月5日
 宗門、細井日達管長。創価学会員の登山者数減少に言及、池田大作会長の思惑を嘆いた。
1月7日  創価学会、『南無妙法蓮華経』の横書きを、商標登録申請。
1月8~10日
 妙信講、初級講習会開催(豊島振興会館)。「寒風をついて求道の大熱気」、1千8百余人が参加。
1月16日
 妙信講、研修部。三級昇格試験実施(拓殖大学)、試験範囲は「立正安国論」、186名が受験した。
1月23日
 妙信講、研修部。部員登用試験実施(拓殖大学)、試験範囲は「冨士」4号と「冨士」63号、178名が受験。群馬県南蛇井の地方拠点でも、12名が受験した。
1月26日
 妙信講、1月度総幹部会開催(豊島振興会館)、「いよいよ正念場の法戦開始」
 浅井昭衛本部長「仏法は大事なことを削ってはいけない、また余計なことを付け加えてはいけない。大聖人様の仰せのままを伝えていかなければならない。…
 開目抄の … 烈々たる御本仏の大誓願を拝し奉るとき、小さな我が身が大地にめり込むような大聖人の御確信を感ぜずにはいられない。この御心を拝しこのいやしい身体をぶつけて、大聖人様の国立戒壇建立の御義を守り奉る。そして全講中は、立正安国のご奉公の土台となる一万達成に向かって、一丸となって折伏を開始していこう!」(「冨士」第102号 )
1月 日  創価学会、池田大作会長、山崎正友顧問弁護士に「妙信講問題を処理せよ」と指示。
2月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長。「冨士」巻頭言、「雪中の御本仏を拝し奉って」
「ここに思うに、たとえ世間眼前の主・師・親をあなずる者も、出世の三徳・即ち御本仏日蓮大聖人は断じてあなずれない。その故は、誰人たりとも仏法に背けば、身が持たぬからである。… 既成の一切の秩序・道徳、そして世間の三徳ことごとく権威を失った今日こそ、誰人も否定し得ぬ根源の徳に人類がめざめる時である。今こそ、一切大衆に声を大にして根本の帰依所を教えねばならぬ。さもなれば、遂には個人も国家も世界も亡びざるを得ない。…
 七十年代に入って三年目、柱なき日本は不気味にゆれ動いている。この時、折伏の大精神に立たぬ者は大聖人の弟子ではない。二月、雪中の御本仏を拝し奉って、妙信講は折伏と大事の御奉公に毅然として立つのみである。二月一日」(「冨士」第102号 )
2月4日  創価学会、社長会開催。
 池田大作会長「新宿の選挙違反事件等は絶対にいけない。八矢は、アブノーマルな点が、心配だから、絶対いけない」(『社長会記録』)
2月5日
 妙信講、池田大作会長に「訂正の意志ありや否や」と、確認の一書を送る。
 創価学会、池田大作会長。宗務院に、妙信講の懐柔を要請。
2月13日
 宗門、宗務院が介入して妙信講を説得。
 妙信講、浅井昭衛本部長。「院達をもって、正本堂の誑惑訂正と国立戒壇の正義を、全宗門に布告されたらどうか」と提案。
「去る二月十三日、宗務院より呼び出しがありました。講頭先生と二人で参りました。総監殿の云くには『学会が黙殺したと云って慣る気持は一応わかるが、何とかならないものか、と思って宗務院が乗り出した』と。そこで申し上げた。…
『この期に及んで、学会の返事も無いのに亦々宗務御当局が間に入るという。どうも筋がよくわからぬ、もし宗務御当局が本当に解決なさろうとする御意志あるならば、御当局こそ自らの責務として今此処に毅然として学会を訂正せしめるべきである。それには宗務院の公式声明、即ち院達を出し歪曲の訂正を厳然と全宗門に布告すべきだ』と申し上げた。
 そうしたら傍におられた阿部教学部長が云われた『これは仮定の話だが、もし院達さえ出されれば、すべてこれで収まるのか』と。私は云いました『それは院達の内容によりましょう、曲文すでに顕然なれば、訂正も亦顕然ならざるべからず』と」(「冨士」第103号 )
2月15日
 妙信講、研修部入部式開催(豊島区民センター)、「妙信講の使命すでに明らか」。
 入部式の後、緊急臨時班長会開催。浅井昭衛本部長、妙信講全班長に御遺命守護の全貌を初めて明かす。班長一同、「聖人展」以来の妙信講の御遺命守護の御奉公の全容を耳にし、感激止まず。
「冨士」編集後記。
「◇ 緊急の臨時班長会が開かれ、時にあたって極めて重大なる発表が、浅井先生より行われた。常に信義を重んじ「たとえ倒れても筋を貫き通す」と申される浅井先生が、宗門に於ける妙信講の御奉公を始めて明かし、更に一身を賭しての強烈なる決意を吐露されるのを伺い、言葉に尽くし難い感動の中に …
 ◇ 浅井先生は申されている。「かかる大事に言及する以上、すでに一身の破るるは覚悟の上」「然る時は、妙信講こそ日蓮正宗の法華講衆として、大聖人・二祖上人の命じ給うまま一万世帯の団結を以て、一死を賭して御奉公するのみ」
 ◇ 天の一角を凝視して敢然と立つ師匠の勇姿には、大聖人の御正意をつらぬく大確信があふれ出ている。いざ続かん、弟子の一人として … 」(「冨士」第103号 )
2月19~28日  連合赤軍、浅間山荘事件を起こす。新左翼組織「連合赤軍」の残党5人が、管理人の妻を人質に浅間山荘に立てこもった。警視庁機動隊と長野県警察機動隊が人質救出を行うが、救出作戦は難航し 死者3名 重軽傷者27名を出した。
2月21日  アメリカ合衆国ニクソン大統領、中華人民共和国を訪問し毛沢東ら首脳と会談、米中共同宣言(上海コミュニケ)を発表した。
 一、体制間の相違を相互に認め、国際問題及び二国間問題を処理する。
 二、米中ともアジアに覇権を求めず、覇権主義に反対する。(※ 覇権主義とはソ連を指す )
 三、「中国は一つであり、台湾は中国の一部である」との中国の主張を米側が認識。
 四、米中の関係正常化はアジアと世界の緊張緩和に貢献する。
 中華人民共和国では、毛沢東のプロレタリア文化大革命が1996年の開始から5年が経過、後継者に指名した林彪がクーデタ未遂で失脚・死亡するなど不安定な状況が続く中、国境紛争で中ソ対立が激化していた。
 ニクソン訪中が日本に通知されたのは、わずか数十分前にすぎず、日本政府(佐藤栄作内閣)は仰天した。その数ヶ月前にはニクソン=佐藤栄作会談で、両国の緊密な連携を約束していた。アメリカが、重大な外交方針の転換を同盟国日本に相談なしに実行するとは、考えられなかった。
 ニクソン=キッシンジャー外交は冷徹で、事前に日本の了解を得ることは困難と判断し極秘裏に訪中を進め、発表の数十分前に電話で日本の外務省に知らせただけであった。
2月22日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「全講中に漲る死身弘法の決意」、2月度折伏成果 127世帯、総世帯数は 9,362世帯となり、一万法城達成まであと 638世帯とせまった。
 浅井昭衛本部長「七百年間、かつて国立戒壇建立の正義は乱れたことがない、失われたことがない。それが曲げられ危うくなるということは、まさしく事の広宣流布、国立戒壇建立が近いのではないか、その大瑞相ではないかと深く思わずにはいられない。…
 いま妙信講が成さんとする御奉公は、一妙信講の問題でなく、宗門の大事、日本の問題、そして全人類の運命にかかわる重大な問題である。ゆえに生命にかえてもこのことをつらねかねばならない」(「冨士」第103号 )
2月24日
 宗門、早瀬道應総監、浅井昭衛本部長と面談。妙信講に、「正本堂は現時点における"事の戒壇"である」「ただしこの"事の戒壇"とは、御遺命の戒壇を意味しない」旨の了解を求む。
 妙信講、以下の「三ヶ条」を示し、宗門声明を重ねて要求。宗門の回答は、4月10日とされた。
 一、正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄に御遺命の事の戒壇ではない。
 二、正本堂は奉安殿の延長として、大御本尊を厳護し奉る殿堂である。
 三、正しく御遺命の事の戒壇とは、一国広布の暁、国立の戒壇である。
「そして二月二十四日、再び宗務御当局より呼び出しがあった。総監殿の云われるには、『宗務院の考えとして、宗門声明を出そうと思っている、だがその時期と内容は未だ云えない』と。こんな漠とした話ではつかみようがない。はっきりするよう強く求めた所おっしゃった。… ただ一ヶ条、云わく『正本堂は現時点における"事の戒壇"である』と。但し、"事の戒壇"の定義は宗門古来のそれとは違う、御遺命の戒壇を意味しないのだそうです。そして、三大秘法抄・一期弘法抄の御遺命の事の戒壇については、将来に属する問題だから、今は一切ふれないのだそうです。
 何たる事か。… 『これでは訂正どころか、学会の歪曲を再び宗務院が支持裏付けするのと同じ結果になるではないか。こんな宗門声明は断じて承伏できない』と申し上げた。そして更に『もし、御当局が毅然と訂正せんとする御意あるなら、宗門声明は宣しく次のごとき内容であるべきである』として、妙信講の考えを強く申し上げた。それは次の三ヶ条(※ 上掲)です。…
 されば、此処で宗務御当局の決意を伺いました。… 『かかる重大な事、御虫払い法要が済む以前には決められない』と。『それでは御虫払いの後の四月十日までお待ちする』と申し上げて座を立った」(「冨士」第103号 )
3月1日
 妙信講、班長会開催(豊島区民センター)、「四月十日を見つめる」。全班長に初めて「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」と「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」の二冊の『諌暁書』を配布。全講、「三ヶ条」に対する4月10日の宗務院の回答を注視。
 浅井昭衛本部長「私は学会を少しも蔑るものではない。あの戦時中、初代牧口会長は獄中に身命を軽うされた。また弾正講講頭・藤本秀之助氏も信州の獄中に散られた。いつか藤本氏の亡くなる一ヶ月前の手紙を見て涙が止まらなかった。死を賭した人の言葉はまざり気がない。学会は大衆へ弘通し、藤本氏は国家諫暁を叫ばれたが、道こそ違えこのお二人こそ正宗信徒として、戦争中の弾圧にも節を曲げず、遂に生命を棒げられた方である。また第二代戸田会長の死身弘法によって、今の広宣流布の気運は正しく出来したのである。学会の曾っての死身弘法は心から敬意を表する。…
 だが、広宣流布の前夜、一番大事な時になって、重大な誤りを侵したらどうなる。大聖人の御心に背いてはいかなる大組織も持つべきはずがない。功徳を失う、これは一学会だけの問題ではない、宗門の大問題でもある。…
 此処に思う。在俗の者が、宗務御当局に対し、宗門声明の内容にまで立ち至って強言を申し上げる事が、どれほど礼を失い僭越であるかはよくよく承知である。だが、こと此処に及んでは既に非常事態である。一宗の大事、国家の大事、かかる時、宗務御当局への礼にこだわり、大聖人様への大事の御奉公をおろそかにするわけには行かぬ。それこそかえって大不忠の者、非礼の者、仏法中怨の者となる。…
 四月十日、宗務御当局は何と御返事なさるか。どのような御返事であろうともよい。いまは只御当局の信心に任せ奉る。私は最悪の事態も覚悟している。もしそうなれば、それが大聖人様の御仏意であるとする。なまじ表面だけの誤魔化しで通れば却って将来に禍根を残す。大聖人様はどのように思し召され、どのように命じ給うか。妙信講はその御命令のままに一死を賭する。… 今はただ、四月十日をよくよく見つめるのみである」(「冨士」第103号 )
3月17日
 妙信講、研修部会開催(豊島区民センター)、「開目抄」講義開始。
3月22日
 宗門、正本堂の意義につき指導会開催(総本山大客殿)。細井日達管長、「正本堂は一期弘法抄の意義を含む、現時に於ける事の戒壇である」と。
3月26日
 妙信講、3月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「宗旨御建立の御徳を偲んで」、3月度折伏成果 91世帯、総世帯数は 9,453世帯、一万法城まであと 547世帯となった。
 浅井昭衛本部長「すでに異常気象は盛んに起こり、経済は大きな壁にぶつからんとし、米・中・ソの3匹の猛獣にはさまれて日本は方向を失っている。…
 妙信講は七千世帯達成を以て、大聖人様より発言の資格を給わり、宗門における御奉公を貫きつつある。4月10日、それがどうなるかは知らない。すべては御仏意である」
 本部辞令:佐藤良子 女子部幹事に任ずる。
 編集後記「今、全講はこの4月10日をみつめて、かってなき緊張に満ちた前進をなしている。総幹部会・支部幹部会・班長会・男女青年部幹部会における、火を吐くような決意がそれを如実に物語っている。… 今、広布の前夜たる末法濁悪の入り口に立って決然と立たれる、師匠の御奉公をしっかり見つめ、弟子としての斗いに立たんと思うものである」(「冨士」第104号 )
3月31日  三一書房、溝口敦著「池田大作 権力者の構造 堕ちた庶民の神」を発行。
4月1日
 妙信講、「冨士」巻頭言、浅井昭衛本部長「三月の悪風に思う」
「三月二十日、突如春の嵐吹き来りて富士山で大量遭難。その後わずか十日、再び悪風は全国に三日間吹き荒れて死者不明実に百十余名に及ぶと聞く。近年の異常気象は今さら目新らしい事ではないが、この三月の再三の悪風は何か気になる。御書に云く「風は是れ天地の使なり、まつり事あらければ風あらしと申すは是れなり」(八幡宮造営事)と。御本仏大聖人の一期の御遺命、いま立つとやせん、曲げられるとやせん。天これを知るか。而して御書に云く「師子王のごとくなる心をもてる者必ず仏になるべし」と。又云く「争子家に在れば則ち其の家直し」と。又云く「寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれ」と。 正しく本年こそ、広布の前夜たる末法濁悪の入り口・七十年代の初期の山場なること疑いない。天変いよいよ盛んなる中、折伏も亦必ずしんしんと進む。濁悪の世に大慈悲を以て御本尊の功徳を説く者、まさに仏様の使いではないか。この四月、心豊かに題目を唱え、断じて勝とう。必ず、大聖人様は見てて下さるのである。四月一日」(「冨士」第104号 )
4月6/7日
 宗門、総本山で恒例の霊宝お虫払い大法会奉修。
4月9日
 宗門、「三ヶ条」に対し妙信講に回答。
「初めに、猊下の御指南であるとして、正本堂を定義して云く「正本堂は一期弘法抄の意義を含む現時における事の戒壇である」と。
 これに宗務院がさらに解釈をつけ加えて「正本堂は広宣流布の暁に一期弘法抄に仰せの本門寺の戒壇たるべき大殿堂である。但し現在はまだ謗法の人が多い故に安置の本門戒壇の大御本尊は公開しない。この本門戒壇の大御本尊安置のところはすなわち事の戒壇である」(「冨士」第105号 )
4月9日  創価学会、「月例登山会」を激減させ、本山への経済封鎖等、種々の圧力を加う。
4月10日
 妙信講、宗務院の早瀬道應総監に面会要請。
「四月十日夜おそく総監殿に電話しました。『何としてもお会いしたい』と、そして四月十六日午后四時から八時半までお会いした」(「冨士」第104号 )
4月16日
 宗門、妙信講と法道院にて論判。宗務院は早瀬道應総監・阿部信雄教学部長・藤本栄道庶務部長、妙信講は浅井甚兵衛講頭・浅井昭衛本部長。
「教学部長「宗務院は論判するつもりはない。今日はそんなつもりで出て来たのではない」
 浅井「まず入る。あの三ヶ条の回答、一つづつ確認したい。まず,一期弘法抄の意義を含む、との御指南につき … 詮ずる所、条件はまだ満足していない、意義は整わないが、建物だけは最終のものを立ててしまったと云うことではないか」
 教学部長「まあ、そういうことになる」
 総監殿と教学部長が共にこれを認めるまで約一時間、ああでもない、こうでもないとウナギかナマズのごとし。… だが釘でやっと止めて「もうこの結論を変更してはならない」とダメを押して先に進んだ。
 浅井「あらためてお聞きする。未だ広宣流布も達成せず謗法充満の時、建物だけは先に立ててよいという文証と道理があいったらお聞きしたい」
 教学部長「文証といわれるが、御書の読み方にも文・義・意の三段があってなかなか難しい」
 浅井「その文・義・意の三段というのをぜひお聞かせ願いたい」…
 教学部長「......。いや、すでに流行の広布の相であるから立ててよい」
 浅井「流行の段階で究極の戒壇を立ててよいという文証はあるか。もし広宣流布に約せば流行ではなく、まさしく流溢の時始めて立てられるのではないか …」
 教学部長「… 我々はただ猊下の御指南に従うほかはない」… あとはこれを繰り返えすだけ、…
 浅井「明らかな道理も文証も示さず、ただ猊下をかくれみのにして逃げていることだけはよくわかった。第一条はこれで結論、次の第二条に移りたい」
 浅井「… 国立戒壇でなければどんな戒壇が御遺命か」…
 教学部長「妙信講の解釈のほかに、あるいはもっと深い意味があるかも知れない。御書は甚深です」
 浅井「その甚深の意をぜひお聞かせ願いたい」
 教学部長「いや、我々は猊下の御胸中より御書を拝する以外にはない。また逃げると云われるだろうが猊下に随うだけだ」
 浅井「おっしゃる通り、たしかにお逃げになった。これが結論である。それでは次の第三条に移りたい。… "天母山を云う者は要山日辰の亜流だ"と、これ又思いきった事をいわれたが、… 日寛上人も日穏上人も当るがどうか」
 教学部長「.......」
 浅井「… これでは現総監も又まさしく日辰の亜流となってしまうではないか」
 教学部長「.......」
 総監「とにかく、こうして新しく正式の御指南が出た以上は随ってほしい。猊下の仰せには、いかなる事といえども随うべきだ」
 浅井「血脈付法の猊下が宗開両祖の御遺訓に違うことを申されるはずは断じてない。そのような御指南は猊下の御本意でない。… 妙信講に仰せられた猊下の御指南は宗開両祖の御遺訓のまま、歴代先師の御伝承のままである。これこそ猊下の御本意である。妙信講はただ御相承の御本意を守り奉る。これが真の忠節である」… 」
 かくて、講頭先生と二人で帰って来ました。家に帰っても口をきく気になれない。… 一体仏法はこれでどうなるのか。御遺命を曲げて宗門はこれからどうなるのか。…
4月17日
 妙信講、臨時班長会開催、「公場に是非を決せん」。浅井昭衛本部長、池田大作会長との「公場対決」を宣言。
「この四月十日、宗務院よりいかなる回答が為されるかと、全妙信講員が緊張し心配してくれました。… 四月九日、宗務院の回答が書類で送られて来ました。今から発表します。(※ 前掲 )… これを大前提として、妙信講が宗門声明として出すべしと先に求めた三ヶ条についてもそれぞれ回答をして来ました。以下その要旨を云います。…
 以上が宗務院回答の要旨です。曲げに曲げて恐ろしいことを云って来たものです。まさしく最悪の事態です。かねての覚悟とは云いながら、これほど悲しいことはない。妙信講がとりつぶされる事なんか少しも最悪の事態ではない。たとえ妙信講はどうなろうとも、正義をとり入れて頂ければ有り難い。…
 いまの状況でこれを決するのはただ一つ。妙信講の代表とも池田会長と公場において是非をはっきりさせる以外にない。みんなの見ている前で、いずれが是、いずれが非かを決したい。池田会長もし確信あるならば、いたずらに玉座を障壁とすることなく、公場に出て堂々と是非を決すべでいないか。(大拍手)
 公場対決の結果、もし妙信講の云うこと誤りなりとすれば、妙信講は直ちに解散して、私は肚を切る。だが、もし学会のいうところ誤りなれば、虚心担懐に今までの歪曲を訂正してほしい。そして猊下の御本意のもと、日蓮正宗信徒として真の異体同心・団結を以て御在世の信心に立ちかえり、御遺命のままに死身弘法と一国諫暁をなすべきである」(「冨士」第105号 )
4月18日  創価学会、第60回社長会開催。
 池田大作会長「お墓はたくさんあった方がいい。… 三多摩に菩提寺を作りますよ、日本一のお寺を作る。三百年前の様式で作る。創価山立宗寺で、萩を植えて、月をあびながら、生きるために永遠のために懇談しましょう」
4月26日
 妙信講、4月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「一万法城にあと四二五世帯」、4月度折伏成果 122世帯、総世帯数は 9,575世帯。
 浅井昭衛本部長「5月は、先般4月17日において発表しましたが、今、妙信講が行なっている国立戒壇の正義を守る御奉公の一つの山場を迎えております。為さねばならぬことがあるので、支部会は中止。班座談会を中心として活動してほしい。…
 妙信講は誰に誤解されようとも、けなされようとも構わない。… 妙信講は毅然として、大聖人の仰せを貫いていく。たとえ今は誰にけなされようとも、将来もし一人の御方より、"よくぞこの力のない講中で、国立戒壇の正義を守り斗い抜いてくれた、御苦労であった"という一言をお聞きするならば、いつ死んでもいい。… 今、妙信講が立たずして、誰がこの御奉公をなすのか」(「冨士」第105号 )
4月28日
 宗門、細井日達管長、「訓諭」を発布。
「さきに法華講総講頭池田大作発願主となって、宗内僧俗一同の純信の供養により、昭和四十二年総本山に建立の工を起せる正本堂はこゝに五箇年を経て、その壮大なる雄姿を顕わし、本年十月落成慶讃の大法要を迎うるに至る。
 日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす。
 正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。
 即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。然れども八百万信徒の護惜建立は、未来において更に広布への展開を促進し、正本堂はまさにその達成の実現を象徴するものと云うべし。
 宗門の緇素よろしく此の意義を体し、僧俗一致和衷協力して落成慶讃に全力を注ぎ、もってその万全を期せられんことを。右訓諭す。昭和四十七年四月二十八日 日蓮正宗管長 細井日達」(「大白法」113号 )
「本来、日蓮正宗側は、創価学会の数と力にものを言わせる威圧的なやり方や、既成事実を次次とつくって、なしくずしに伝統教義を曲げていくやり方を快く思っていなかった。蔭で妙信講の肩を持つ僧侶も少なくなかった。…
 池田大作氏と創価学会は、必死になって宗務院を固めた。なかば威圧と、理論闘争と、そして、『ここまできて、いまさら正本堂が事の戒壇でない、などと言ったら、正本堂御供養金の返還さわぎがおこり、宗門までつぶれてしまう』という脅しで、創価学会への同調を迫った」(「盗聴教団」、山崎正友 )
4月28日
 宗門、細井日達管長「正本堂の意義についての御法主上人猊下御説法」
「唯今、教学部長から「正本堂は一期弘法抄の意義を含む現時に於ける事の戒壇である」と、定義を公表致しました。これについて、もう少し詳しく私の見解を述べてみたいと思うのでございます。その解釈は、「正本堂は広宣流布の暁に、一期弘法抄に於ける本門寺の戒壇たるべき大殿堂である。現在は未だ謗法の人が多い故に安置の本門戒壇の大御本尊は公開しない。この本門戒壇の大御本尊安置の処は即ち、事の戒壇である」―――これは先程、昭和40年2月16日の私が申しました言葉の意味とピタリ合っておるわけで、それを判り易く要約すれば、こうなるのでございます。このなかの「一弘弘法抄の意義を含む」という事について、もう少し述べたいと思うのでございます。まず、この解釈に当って二方面から考えてみたいと思います。第一は、世間儀典的。第二は、出世間内感的。…
 しからば今、末法において、我々大聖人の弟子檀那が南無妙法蓮華経と唱える、我々の己心においての有徳王・覚徳比丘の王仏冥合の姿こそ、我々の己心にあると考えなければならないのであります。これ実に、我々行者の昔の己心の姿を顕されていると拝すべきであって、その己心の上に勅宣並びに御教書がありうるのであります。…
 又、日寛上人の事・義の戒壇について、もう一言加えて解釈するならば、寛尊は所化の弟子を教導する為に、戒壇を事義の二段に別けられ、三大秘法を六義にわけられて説かれておるのでありますが、詮ずるに、六義は本門戒壇の大御本尊を顕彰するためであって、本門戒壇の大御本尊は六義の正主である本門戒壇の大御本尊を顕わさんがために、六義に立て分けて説明せられたのに過ぎない。… 今、この言葉を転用して本門戒壇の大御本尊安置の処を事の戒壇と申すのは、六義を超越した所謂独一円妙の事の戒壇であるからであります。「正本堂は一期弘法抄の意義を含む、現時に於ける事の戒壇である」と宣言する次第であります」(「大白法」113号 )
4月28日
 妙信講、浅井昭衛本部長。池田大作会長に対し、「公場対決申し入れ書」を送付。
「然るに池田会長には此の御金言を侵し、未だ広宣流布も達成せず一国に謗法は充満の時、俄かに正本堂なるものを建立寄進して、自らこれを「三大秘法抄・一期弘法抄の事の戒壇」「宗門七百年の悲願の達成」「仏教三千年史上空前の偉業」と断定、自讃を致しました。其の文既に顕然であります。これ正しく大聖人一期の御遺命を歪曲し、宗門七百年の悲願を蹂躙するものでなくて何でありましょう。…
 若し会長自身正本堂を御遺命の戒壇と確信し、御金言に照らして少しも愧ずる所無くば、誰の権威を借りる必要がありましょう。自ら堂々と其の所信を述べて妙信講を摧き、天下に声明すべきであります。然るに応えるべき自身は全く隠れ、宗務当局を使嗾し、其の上恐れ多くも再び猊座を障壁とする。まさに袞竜の袖に隠れる卑劣とはこれであります。…
 若し妙信講だにも承伏すれば、日本国に誰か正本堂を違法と云うものがありましょう。されば此の対決、池田会長にとっても仏教三千年史上空前の偉業を愈々飾る無二の好機でもあります。
 日時は五月二十日、場所は豊島公会堂(当方で既に契約)、入場者は学会員・妙信講員共に五百名、更に加えて報道関係者、これ既に四十五年五月三日の学会総会に歪曲を聞く故であります。かくて全宗門僧俗の眼前、更に日本国中の見守る中、大事の仏法の正義公然と糺明すべきであります。万一にも五月二十日が不都合とあれば、会長御希望の日時を示し給え
 されば、右応否の返報、来る五月十二日までに必ず給わるべく鶴首して待ち入るものであります。恐々 四月二十八日」(「冨士」第105号 )
4月29日  創価学会、聖教新聞に訓諭を掲載。「正本堂について猊下、全僧俗に訓諭 広布の暁には本門寺の戒壇 一期弘法抄、三秘抄の意義を含む」の見出しを付す。
5月1日  創価学会、「大白蓮華」5月号発行。宮本忠憲副教学部長の論文「主師親の三徳の意義」掲載、凡夫の身に主師親の三徳がそなわることを強調。
「主師親の三徳は仏が備えている根本的資格であって、我々の九界の凡夫にはそうした徳はないとするのは大きな誤りである。なぜなら、九界の衆生も一念三千の当体であり、仏知見を具えているからである。… 以信代慧の原理によって、… 仏知を開き顕すことができるのである。そこには主徳も師徳も親徳も一切含まれている」
5月5日
 宗務院、妙信講に対し「訓諭に従い公場対決を撤回せよ」と、公場対決取り消しを迫る。
「池田会長へのこの書状に、はじめに反応したのは創価学会ではなく、宗務院であった。通告文書をもって"猊下の御本意は訓諭にあり、これに従わないことは信徒としてとどまる意思がないと考える。池田会長への公場対決申し入れを撤回しなければ、宗制宗規により処分する"と威嚇してきた。
 後でわかったことだが、日蓮正宗の宗制宗規には、その時点で講中への処分規定はなかった。妙信講へのこの通告を発送した翌日、臨時宗会を召集して処分条項を新設したのである。…
 妙信講は全講員に呼びかけて、広く創価学会員に"御遺命違背"を知らしめる文書の配布、伝達を開始した。これに対応するかのように、宗門は阿部教学部長が書いた「国立戒壇論の誤りについて」という文書を刊行して配布した」(「冨士大石寺顕正会」下山正恕 )
5月6日
 宗門、臨時宗会開催。法華講支部に関する「解散・活動停止」等の処罰規定を新設。解散処分の事由に「宗門の公式決定に違背し、宗内を乱したとき」の一項が設けられた。
5月9日  創価学会、和泉覚理事長、妙信講に「公場対決には応じられない」旨の返書送付。
「創価学会としては、猊下の正式のご決定に対して異議をとなえる貴殿の非を正すことにやぶさかではありませんが、以前より、猊下からは、教義に関しては、みだりに信徒同士で争ってはならないとの御指南があり、それを遵守してきたことであり、いわんや四月二十八日の訓諭があって、猊下の正式の御決定があったにもかかわらず、信徒同士で、公開討論というのは、猊下をないがしろにする結果となることを慮り、恐れ多くもこれが可否を猊下にお伺いしたわけであります。これに対して、猊下の御教示は、別紙Ⅱのごとく、かかる行為を禁止されたものでありました。したがって学会としては、公開における討論には応じかねます」(「冨士」第106号 )
5月10日
 妙信講、細井日達管長への目通りを願い出る。
5月12日
 宗務院、妙信講に回答。「池田会長に対する公場対決申人れを撤回し、訓諭に随わざる以上、目通りは不可能」と。
5月15日  沖縄返還、琉球諸島及び大東諸島の施政権が、アメリカ合衆国から日本国に返還された。
5月23日
 妙信講、臨時班長会開催。浅井昭衛本部長、宗務当局に提出(昭和44年)した、「日蓮聖人展」における諌訴状を始めて妙信講員に公開。
 第一回諌訴状(昭和44年5月12日)。
 第二回諌訴状(昭和44年5月18日)。
 第三回諌訴状(昭和44年6月18日)。「既に我に千五百の男子精鋭あり、而も仏法守護の刀杖すでに持す。隠忍の過去十二年、枚を啣み鳴を鎮めて鍛えし捨身の精鋭なり。一朝事あらば、自ら率いて在家の本分に殉ぜんのみ」(「冨士」第106号 )
5月26日
 妙信講、5月度総幹部会開催(豊島振興会館)、「全講挙げて御遺命を守る戦いを」。
 浅井昭衛本部長、「されば、学会の歪曲は猊下のおそばにある宗務当局こそ糺すべきではないかと、まず当局に訴えた。当局は妙信講の所論を正論と認めた。さらに恐れ多くも猊下には御本意を仰せ下され、学会に訂正を命じ給うた。学会は確認書に署名をした。しかるに違約を為したゆえに会長に直接糺し訴えた、ところが前言をひるがえし、逆に開き直り、圧力を以て宗門声明を出さしめ、これを障壁として再び曲げてしまった。止むなく会長に公場対決を迫った。そしたら、五月九日に学会より正式の返事がありました。…「公場対決には応じられない」…
 同時に、宗務院からは「公場対決を取り消せ」と再三に亘って文書を以って迫って来ました。そして「五月十五日までに取り消さぬなら、宗制宗規に照らして厳重処分をする」と云っておどして来ました。だがこんな乱暴な規則は本宗には昔から無い。そこであわてて五月六日宗会を開き、妙信講を罰する為の新しい宗規の条目をにわかに作った。… 本日まですでに十二日を経ている。遠慮はいらない。早く処分なさったらよろしい。…
 もう、妙信講はすべて云うべきことは云いつくし、踏むべき手順もすべてふんだ。此処に及んでは遂に決意せざるを得ない。この御遺命の曲げられた重大事実を、信心あらん日蓮正宗全信徒に知らせ訴える以外にない。全信徒の護法の道念に訴える以外にない。… 会長への諫暁書「富士」の三月号五月号、この三冊をセットにして、無料で配布してほしい。何千部でも、何万部でも、何十万部でもよい、資力の続く限り正論を聞かしめようではないか。… 本日よりこの一万世帯の火の玉の団結を以て、"御遺命を守る斗い"を決然とおこしていこうと思うがどうでしょうか。(大拍手)
 最後に申し上げる。それでは妙信講はどうなるのか … 解散・除名などは少しも悲しむことではありません。嘆くにはあたりません。むしろ喜びであります。妙信講には世間の失一分もない、ただ法を惜しむゆえに、いま大聖人様の御遺命を守り、御金言に方人申し上げている。その為に首を刎ねられるなら本望ではありませんか。…
 さればこれからが正念場の中の正念場、御本仏日蓮大聖人は必ず御照覧であります。いまこそ熱原の法華講のあとをも継ぎ、生涯二度となき御奉公、御遺命を守る斗いに毅然として全妙信講員は立とうではないか。(大拍手)」(「冨士」第106号 )
5月 日  美濃部亮吉東京都知事、都議会での公明党の協力を、パリ滞在中の池田大作会長に要請。
 公明党は、自公で連携をとって美濃部知事と徹底的に対立、人事案・予算案・条例案に反対し都政を妨害した。美濃部知事は再選から一年後の昭和47年5月、単身フランスに飛びパリ滞在中の池田大作会長を訪問、「どうか助けて下ざい」と懇願。
「美濃部知事がパリで頭を下げた直後、都議会の公明党控え室に池田から国際電話がかかってきました。竹入さんが控え室に待機しており、その電話を受けました。『いま、美濃部が来た。明日から与党になれ』との指示を受けた竹入君が、我々に向かって『明日から与党だ!』と叫んだことを鮮明に憶えています。あの事件以後、池田は『都知事の首など俺の意向一つでどうにでもなる』と豪語するようになったんです」(元公明都議会議員) 。
6月1日  創価学会、「大白蓮華」6月号発行。宗会議員・参議会議長・高野永済師の「訓諭を拝し奉りて」を掲載。"領解の不徹底"の章で、「ピエロ的要因を含ん」だ「頑迷固陋」な「保守派」、「閉鎖的セクト主義に蟄居」と妙信講を批判。
6月6日  創価学会、妙信講の文書配布停止を宗務院に訴える。
6月12日
 宗門、阿部信雄教学部長。「国立戒壇論の誤りについて」を刊行。
(※ この書の所詮は『日本国憲法のもとでは「国立戒壇」は成立し得ないから、国家と無関係に建てられた正本堂こそ、時代に即した御遺命の戒壇に当る』というにある。本書の根底には、憲法を主、仏法を従とする顛倒が横たわっている )
6月12日  創価学会、第61回社長会開催。
 池田大作会長「本当は全体主義は一番理想の形態だ。… 本当にやった人は表彰する。創価山立宗寺にも(※銅板に名を刻んで)入れてあげる」
6月13日
 宗務院、「通告書」を妙信講に送付。妙信講の文書配布を「猊下に敵対する破和合僧の行為」とし、「文書配布の中止と公場対決要求の取り消し」を迫り、弁疏を求めた。
「通告 … 
 猊下の訓諭に敵対し、宗門ならびに創価学会を誹謗中傷する言辞を弄しているとのことであります。これが事実であるならば、猊下に敵対し、宗門の統制を乱す重大な破和合僧の所為であると断ぜざるを得ません。…
 妙信講が、右通告を無視したのみならず、今回、再び、かかる不法な行為に及んだことについて、宗務当局は妙信講の指導者である浅井甚兵衛講頭及び浅井昭衛本部長に重大なる責任を問うものであります。よって宗制宗規の定めるところにより、本書面到達後一週間以内に、貴殿等の弁疎を書面にて宗務院に提出するよう通告いたします。…
 昭和四十七年六月十三日  日蓮正宗宗務院 総監 早瀬道応」(「冨士」第107号 )
6月22日
 妙信講、宗務院に回答文を送付。訓諭は猊下の御本意ではなく仏法違背と責め、かえって7月7日までに訂正の意志の有無につき、回答するよう迫った。
「阿部教学部長の曲論『国立戒壇論の誤りについて』のごとき、邪智にまかせて一を三と読む、まさに御金言に弓を引く者である。もし宗務当局に一分の道念でもあるならば、今からでも違法の訂正をせよ。改めて尋ねる、訂正の意志は全くなきか、あくまでも正本堂を"御遺命の戒壇"と云い切る所存か。7月7日までに返報せよ。もし一分の誠意なく敢えて違法を強行するというならば、妙信講は非常手段を以てしても、断じて御遺命を守り奉る。宗務御当局、その道を誤らぬよう、最後の忠告を申し上げる。…
 只々在家の本分に殉ずるのみであります。さればその時、妙信講も斃るべし、同時に猊下の御本意を覆う学会の暗雲もなし、阿諛の御当局も除かる。而して大御本尊と猊下は厳として輝き、純信の宗徒数百万は亦清浄の外護に立つ」(「冨士」第107号 )
6月26日
 妙信講、6月度総幹部会開催(豊島振興会館)、「御遺命守護と折伏さらに進めん」。
 浅井昭衛本部長「只今、全宗門に大聖人の御遺命の正義がこだましつつある。… 御本仏大聖人の御法魂まします宗門ならば、必ず大聖人様が、御遺命の正義を気付かせて下さるに違いない。…
 必ず大聖人の御裁断がある。いまや、日蓮正宗の御僧侶で御遺命の正義を知らない人はない。但し御僧侶はどういう立場か知れませんが、この事について発言をなさらない、しかし心の中では全部わかっていらっしゃるに違いない。…
 この日蓮正宗の中に、猊下の御本意を守って立つ一万世帯の妙信講がある以上、断じて御遺命は曲げさせない。必ずこの大聖人様の御遺命は誰人たりと雖も曲ることができずに、再び宗門に厳然と輝くこと断じて疑いない」(「冨士」第107号 )
6月 日
 妙信講、「冨士」編集後記。
「◇ 師匠の烈々たる憂宗護法の叫びを全宗門にこだまさせんと、六月から七月にかけて、全講をあげて大聖人の御遺命の正義を守る斗いが活発に進められた。ことに、仏法守護の実力部隊としてきたえぬかれた男子青年部では七月、一部の有志を選出、師匠の命を帯しまずは序戦として組織的な行動を開始した。…
 ◇ 全講をあげて御遺命を守る斗いに入ってから早くも一ヵ月半、正宗信徒から正宗信徒へ、妙信講の正論は今や北は北海道のさいはてから、南は九州まで全国に流れ渡り、その波紋は次第に大きな広がりをみせつつある。
 ◇ 「ここ数年前から、おかしいおかしいとは思っていたが、やはり」「これまさしく自分達が、かって叫んでいたことである」「この書を読んだ時、全身に電流が走るような思いに襲われた」等々、各地から、御遺命の正義にめざめた人々の声が送られてくる」(「冨士」第107号 )
6月 日
 阿部信雄教学部長と早瀬道應総監、7月7日の期限を待たず 細井日達管長に辞表を提出し失踪。
「創価学会、妙信講双方からの圧力が、宗務院にかかって板ばさみとなったうえ、宗内からも、妙信講に同情する声が上がり、宗務院をつき上げはじめた」(「盗聴教団」山崎正友著)
6月30日
 妙信講、細井日達管長への書状を認め、松本日仁能化に托す。
「すでに一切の覚悟も定めておりました。そして七月七日を待って、一日々々緊迫せる日が続いたのであります。ところが、突然猊下より妙縁寺・松本尊能師に対して七月一日に登山するよう御命がありました。そのことを御能師よりお聞きした時、ぜひとも猊下に直接お手紙をお手渡し下さるようお願いしました。すでに妙信講としてはお目通りの道も宗務当局によって塞がれている、郵送も不確実と聞いている、だが宗門重大の秋、事の真実を猊下が御存知なければ悔いを千載に残すとの思いでありました。早速、今までのいきさつと妙信講の心情を必死の願いを込めてしたため、七月一日松本尊能師に託しました」(「冨士」第108号 )
7月1日
 宗門、細井日達管長、本山に松本日仁能化を呼ぶ。松本能化、細井管長に妙信講からの書状を渡す。
「小輩等の非力にして猊下の御本意を学会の強圧より守り得なかった事、只々伏して愧じ入るのみでございます。… 講員は学会・宗務当局の無懺無愧に血涙を流し、男子精鋭二千の憤りは抑えがたきものがあります。もし妙信講一死を賭して立つの時、流血の惨を見ること必至であります。この時一国は震撼として始めて御本仏の御遺命を知り、宗務当局また始めて御遺命に背くの恐しさ、正直の講中を欺くの深刻さをはだえに感じ、ここに誑惑は一挙に破れ、仏法の正義は輝くものと確信いたします。… 妙信講、貧にして捧げるに財なく、但し一万の命を以て供養にかえ、此処に時に叶う御奉公を為し奉ります」
「だが猊下におかせられても、妙信講へのお手紙を御用意されておられ、松本御能師に下されたのであります。そのお手紙を拝見して、再び七月四日御返書を申し上げた」(「冨士」第108号 )
 下山した松本能化は、細井管長の「親書」を妙信講に渡した。書状の内容は自重を求めるもので、案文は山崎正友顧問弁護士の手になるものである。
7月1日
 妙信講、浅井昭衛本部長。班長会において「国立戒壇論の誤りについて」の曲文を破折。
7月3日
 妙信講、男子部。御遺命守護の為、組織的行動を開始。都内の全末寺にて、出入りする信徒に文書(先の三点セット)を配布。
7月3日  創価学会、池田大作会長、細井日達管長に妙信講対応を懇願。
「宗務院は、非常につらい立場に立たされた。そして、総監と教学部長は辞表を提出された。…
 一方、強引に妙信講追放のレールを敷いたものの、その結果、妙信講が脅しに屈するどころか、暴発はますます避けられない情勢になってきたことから、池田大作のほうが耐えきれなくなった。池田大作は、側近・首脳にも、また、宗務院にも相談せず、直接、御法主上人にお目通りして「かくなる上は、何とか、貌下御自身で妙信講を説得してください」と泣きついた。昭和47年7月3日のことである。御法主日達上人は、これを受けて7月6日、浅井父子に直接面談される決心をされた」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2001年5月1日号 )
「本心は臆病な池田大作氏は、日達上人の説得工作に、円満解決の望みをかけたのだった。しかし、日達上人のお言葉次第では、すべてが裏目になってしまう危険のあることも明らかであった。むしろ、その可能性の方が強かった。そのときには、ただちに対策を講じ、裏目の被害を最小限に防がなくてはならない。そのためには、一刻も早く、ダイレクトな情報を入手する必要があった。結局、盗聴という手段が取られることになった。いつも池田氏の思いつきや恐怖心にかられた発作的な行動から生まれる学会を危くするような行為の後始末が、私に非合法な手段を強いるのだった」(「盗聴教団」山崎正友 )
7月4日
 妙信講、7月1日付け細井日達管長の「親書」に、返書を提出。
「このうえは、大事出来して一国の耳目驚動の時、公延において厳たる証拠と道理を示し、一国に正義を明かすのほかなく、… さればその時、小輩等早く霊山に詣で、宗開両祖の御尊前にて、聖人展の違法・正本堂の誑惑さし切りて言上、さらに宗門の現状と猊下の御苦衷、つぶさに申し上げる所存でございます。猊下には永く御健勝にてわたらせますよう、偏えにお祈り申し上げる次第でございます」
7月4日  創価学会、山崎正友顧問弁護士、墨田区妙縁寺に行き盗聴器の設置場所を物色。
「とにかく、一分でも一秒でも早く正確な情報を手に入れ、間髪を置かず対応しなくてはならなかった。そのために、北条副会長らと相談の上、宮本邸以来、ほとんど封印していた"盗聴"という手段を用いることになった。電話盗聴と違って、仕掛けるのも非常に簡単で、失敗の気遣いはなかった。私は、広野輝夫(学生部主任部長)を呼び、宮本邸電話盗聴の時の経験を元に、盗聴器の作製を命じた。…
 7月4日午後、私は、会談会場の墨田区妙縁寺に行き、「警備のため」といって内外を点検した。対談の場所である二階の和室のかもいの隙間に、盗聴器を放り込んでおけば、発見されることもないし、充分盗聴できる、という状況を見極め、広野輝夫に設置を指示した」(「あの頃のこと」山崎正友氏 「慧妙」2001年7月1日号 )
7月5日  創価学会、山崎正友ら盗聴実行グループ、妙縁寺に盗聴器をしかける。
「7月5日の午前中に、広野輝夫は、妙縁寺二階の会談場所と予定される部屋に侵入し、欄間と壁の間に電波発信式の盗聴器をしかけた」(「盗聴教団」山崎正友 )
7月6日
 細井日達管長、妙縁寺へ下向。浅井講頭・本部長を呼び、「今回、確認書の約束が破られたような形になったことは、まことに遺憾に思っている」、「訓諭については不本意な箇所がある。よって新しい解釈を『大日蓮』8月号に発表する」と指南。さらに。聖教新聞社へ「国立戒壇論の誤りについて」の連載中止を命令。
「そして七月六日、思いもかけぬことがおこったのです。実に恐れ多くも、猊下が直々に妙縁寺に御下向せられ、講頭先生と私に目通りを仰せつけられたのであります。当日朝八時半、恐々として妙縁寺に参詣するに、猊下には直ちに重大なる種々の御指南を下された。恐れ多いから公表を悼かりますが、伝えねばならぬことだけをお伝えする。
 その折申し上げました。「私共はおろかの在家、むずかしい御書・経文のことは全く存じません。但し、堅く約束された確認書が、弊履のごとくふみにじられたのは道理とはおぼえません。その上、約束を破った学会・宗務当局はかえって訓諭を障壁として、妙信講に対,『猊下に背く者』『破和合僧の者」『師子身中の虫」と悪罵し、処分を以ておどしております。この行為は許し難き所行と存じます」と申し上げた。
 猊下は仰せ遊ばした。「すでに早瀬総監・阿部教学部長は辞表を提出している」と。そして更に仰せられるに「確認書はたしかに私が摂っている。この事実を否定する者は宗門には無い。だが今回、この確認書の約束が、破られたような形になったことは誠に遺憾なことである」
 さらに訓論について御指南を仰ぐに「訓論については不本意な箇所がある。よって全宗門に誤解なきよう近々に新しい解釈を発表したい」と仰せられた。具体的に、どの箇所が、どのようにと云うことも、はっきりと承わりました」
 山崎謀略師団、この会見を盗聴。後に東京地裁が盗聴事実を認定
「私は、広野から受け取った録音テープを創価学会本部に持ち帰り、文化会館6階の会議室で、北条・秋谷・原島の各氏と共に、再生して聞いた。
 日達上人は、席に着かれるなり、『言うことを聞かぬなら殺す、というなら、私を殺しなさい。さあ、殺しなさい。やれるものならやってみなさい』と切り出され、浅井親子を圧倒した。『下替も着替えて、このように辞世の歌も用意してきた。法のために死ぬのなら、何の悔いもない』 … 『宗務院はどうでもいい。学会は学会だ。訓諭は私が出した。私がやったことだ。不満があり、殺すというなら、まず私を殺しなさい』… 『国立戒壇というのは、今後、いっさい当家では言わない、と決めたのは私だ。だから、当家の教義として国立戒壇がある、などということは、今後、いっさい言わないでもらいたい。そろいう主張もしないでほしい』(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2001年7月1日号 )
「日達上人は、浅井父子に"あの訓諭は、最初の部分(御遺命の意義を含むという趣旨の内容)は、私が言ったことであるが、あとの部分(将来、御遺命たる本門寺の戒壇となるという趣旨の内容)は、私がやったのではない"といわれ、"さらに訓諭の訂正文を出す、訂正文といってはおかしいから解釈文を出す"といわれ、浅井氏を包容されたのでした」(「池田先生への手紙」原島嵩 )
「日達上人ははじめは、「殺すなら殺せ。今日は白装束できた。これが辞世の句だ」と、威勢よく浅井父子を圧倒した。さすがの浅井昭衛氏も、こうなっては下手に出るしかなかった。しかし、そこは、名うての強者、下手に出ながら巧妙な話術で、つぎつぎと肝心のポイントを取っていった。終わってみれは、すべてが浅井昭衛氏ののぞみどおりの結果になっていたのである」(「盗聴教団」山崎正友 )
「浅井父子は妙信講本部へ帰ると、『勝った。勝った』と大騒ぎした。… 正本堂は、ただの建物にすぎないことがはっきりする。それを見極めて、一斉に創価学会攻撃をやる。今がチャンスだ。必ず創価学会はつぶれる。少なくとも、宗門から追い出す」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」第204号)
7月7日  田中角榮内閣発足、田中角榮、第64代内閣総理大臣に任命さる。
7月12日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言「仏意恐るべし」
「深く慎しみ、御仏意を恐るべきである。所詮、御本仏大聖人一期の御遺命を曲げては、誰人の身が持とう、いや国が持たない。御法主上人猊下の御本意、ひとたびは顕われ、学会また確認書に署名をなせしこと、誰人も否定し得ぬ厳たる事実である。しかるに、約を違え、剰え御本意を曲げ隠し奉ったのは一体誰か。また阿諛の宗務当局の責は重大である。…
 事きわまれば必ず大聖人の御裁断は下る。血脈付法の猊下の御本意、厳として再び輝きわたること断じて疑いはない。妙信講は伏して待ち、一死を賭して此の御本意を守り奉るのみ」(「冨士」第107号 )
7月17  六藝書房、蓮悟空著『変質した創価学会 - 現創価学会大幹部の告発』発行。いわゆる板本尊偽作説を展開、千葉県・保田の妙本寺(当時・日蓮正宗、その後再離脱)の「万年救護本尊」こそ信仰の対象と結論する。
(※ 妙悟空は戸田城聖、法悟空は池田大作、蓮悟空は松本勝弥 各氏のペンネーム )
7月18日
 妙信講、臨時男子部指導会。浅井昭衛本部長、胸中の決意を披瀝。男子部精鋭一同、共に御遺命守護の重大御奉公に殉ぜんことを誓願、決意を表明す。
7月19日
 宗門、細井日達管長、大石寺対面所にて妙信講と目通り。「大日蓮」に掲載する訓諭の訂正原稿を、松本日仁能化、浅井甚兵衛講頭、浅井昭衛本部長に示す。
「そして七月十九日、猊下より再び登山するよう命ぜられ、松本尊能師と講頭先生と私、三人でお目通りを給わりました。種々御指南を給わりましたが、その所詮は、正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄に御遺命の戒壇ではないと云うこと、即ち「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂」ではない、と云うことをよくよく重ねて承わってまいりました。未だ謗法充満の時に、最終の戒壇が前以って建てられる、などという事は断じてないのです」(「冨士」第108号 )
7月25日  公明党、竹入義勝委員長、訪中。周恩来・中華人民共和国国務院総理、中国は一つである以上台湾は不法な存在であるとの認識を持つよう、竹入委員長に強く要求。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島振興会館)、「訓諭やはり御本意にはあらず
 浅井昭衛本部長「いま、有り難きかな、猊下の御決断によって、訓諭が猊下の御本意でないことは明かになった、宗門としては"最終の建物"とは認めぬとの御意は明らかになった。だが学会の初めの動機は己然として貫かれております。未だ学会から内外への正式訂正は一度も行われていない。…
 これこそ、これから先は妙信講が御奉公せよとの、大聖人の御命令と私は拝する。未だ本質は解決されていないのです。このままでは国が危うい。私はただ大聖人の御眼を恐れる。法を守るに、徹底を欠く「ゆるき行者」「懶惰懈怠の者」とのお叱りを、ひたすら恐れる。
 ここに、決意をいたしました。どうしても云わねばならぬことを云うべき、最後の時はまいりました。すでにいのちは投げ出しております。大聖人様のおうなずきを頂くまで、非力のすべてをなげ出して最後の御奉公を申し上げる。成否は知らぬ、すべては大聖人にまかせ奉る。ただただ御本尊の御加庇を祈り奉るのみであります。いかなることあろうとも、全妙信講員は一糸乱れず、異体同心について来て頂きたいと思うものであります。(大拍手)」(「冨士」第108号 )
7月29日  創価学会、学生部前期全国大会開催。
 池田大作会長、「仏法の真髄、東洋哲学の真髄は人間原点である」と述べ、
 (1) 世界 のあらゆる国家は武器ならびに交戦権を放棄する決意をすべき、
 (2) 人間 としての権利、特に生存権に目覚めるべきだ、と主張。
7月 日
 妙信講、「冨士」編集後記。
「◇ 御遺命の正義を守る御奉公に馳せ参じた一同が、思わず息をのんで伺った御法主上人猊下の妙縁寺御下向、そして「訓諭」の御本意にあらざること。だが臨時班長会でその経過を述べられた浅井先生の面は、けっして晴れてはいなかった......その胸中は知るべくもない。
 ◇ その先生が、遂に七月度総幹部会で重大なる決意を示された。すでに命を投げ出されている先生が「あとは一切大聖人様におまかせ奉る」「いかなることがあろうとも一糸乱れず付いてきてもらいたい」と申されるのを伺い、まさに妙信講の斗いに於てかってなき、のるかそるかの大なる御奉公が、いよいよこの八月九月に行なわれるのを感じ、ここに弟子としてすべてを賭けて斗う時がきたことを覚悟したものである」(「冨士」第108号 )
8月 日  創価学会、大石寺で夏季講習会開催。
「朝から晩まで、妙信講の対策のため御宗門や学会本部と連けいをとり、池田先生の側にあっては様々な報告をし、話もしました。その際、私はずいぶん先生の前で日達上人が時には学会側に、時には妙信講側に立ったというような話をしていたのです」(「池田先生への手紙」原島崇 )
8月12日
 宗門、細井日達管長、再び妙縁寺に下向。浅井甚兵衛講頭・昭衛本部長に「大日蓮」への訓諭訂正の発表不可能を告げ、創価学会と妙信講の討論を要請
「先日の約束は取り消します。もう私にはどうにもならない」、「あなたが学会代表と話し合って、解決して下さい」と。
「『解釈文を出されるのは結構だが、その内容によっては大変なことになる』などと陳情し、圧力をかけた。そして一ヵ月ばかりのやり取りの後、結局、解釈文を出させないことにしてしまった。そのかわり、創価学会側と妙信講とで直接話し合え、ということになり、正本堂落慶式を前にして九月初めから九月三十日までの間に、実に七回にわたり、両者が対決して激論を交わすことになった」(「盗聴教団」山崎正友 )
8月16日
 宗門、細井日達管長。「猊下妙縁寺に御下向御指南給う、訓諭はやはり御本意にあらず、一死を賭して最後の御奉公貫かん」とした記事掲載の「冨士」8月号(第108号)の回収を命ずる、管長名義の書状が妙信講に到着。
8月18日
 宗門、大石寺内事部。全国教師に「冨士」8月号の記事を否定する旨通達。
(※ 宗務院が機能停止のため )
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催(豊島振興会館)、「9月は大折伏の月」
 浅井昭衛本部長、池田大作会長に書状提出。正本堂の誑惑訂正と、不信の来賓を正本堂に入れぬことを、書面で申し入れた。
「万一にも御遺命を詐ったまま一分の回心無く、敢えて御遷座を強行するとならば … 妙信講は護法の故に之を阻止、只一死を賭して在家の本分に殉ずるのみであります」
8月29日
 宗門、大石寺内事部。「冨士」8月号の回収について、妙信講に重ねて要請。
8月 日
 妙信講、「冨士」編集後記。
「◇ 本部直属一千五百の男子青年部は、いついかなる時でも先生の命下るならば、すべてを投げ打って先生のもとに馳せ参ずると、鋼のごとき堅い決意をみなぎらせている」(「冨士」第109号 )
8月29日
 妙信講、浅井昭衛本部長。池田大作会長との対論を求め、創価学会に重ねて書状を急送。
 その趣旨は次の三点である。
 一、直ちに誑惑の訂正を公表し、正本堂の意義を如法に正すこと。
 二、来賓を招くとも、不信・謗法の輩は正本堂の中に入れぬこと。
 三、訂正がなされぬうちは、断じて戒壇の大御本尊の御遷座をしないこと。
(※ 「妙信講と対論せよ」との細井日達管長の要請に、創価学会はこれを無視。正本堂落慶式はすでに、一ヶ月余に迫っていた )
9月5日
 宗門、「大日蓮」。「妙信講機関誌『冨士』八月号の御法主上人猊下と浅井氏の面談記事について」の記事を掲載、「冨士」8月号の内容を否定。
9月6日  創価学会、妙信講との論判を受諾。和泉覚理事長の名で、「猊下の御指示のとおり、整然と話し合いたいと望んでおります」と。
9月6日
 宗門、大石寺内事部。妙信講、創価学会の両者に対し、討論の要旨を通知。
9月13~28日
 妙信講、創価学会と常泉寺にて論判開始。妙信講代表は浅井甚兵衛講頭、浅井昭衛本部長。創価学会代表は秋谷栄之助副会長、原島嵩教学部長、山崎正友顧問弁護士。これより7回にわたり討論。
 山崎謀略師団、この論判も盗聴。発信機を仕掛けたアタッシュケースを会場に持ち込み、隣家の学会員宅に集まった配下の広野輝夫、竹岡誠治のほか、学会弁護士の桐ヶ谷章・八尋頼雄、現職検事の神崎武法らが受信・録音。
「私たちの発言にきわめてまずいことがあればチェックし、途中で僧侶に頼んで会場にメモを入れて注意を喚起するという役割のほかに、対談内容を分析して、その夜、私たちとの打ち合わせの席で、問題点を指摘する、などの役割を担当していた。一日たてば、テープから速記録が起こされ、私たちの手元に届けられて、次の戦いの準備に役立った」(「盗聴教団」山崎正友 )
 創価学会側は時間切れを狙って論議を延し、一人が詰まれば他の二人が口を出し、形勢不利とみれば時間を理由に論議を打ち切ることもしばしば、激論のすえ双方が「これで決裂」とする局面もあった。
「会談は、双方、自分の主張を繰り返して譲らず、ついに秋谷栄之助が憤然と立ち、『よし、もうこれ以上話しても無駄だ。実力で決着をつけるということなら、創価学会青年部は受けて立つ。阻止できるならしてみろ。次は、総本山で会おう!!』と宣言した。売り言葉に買い言葉で、浅井昭衛らも『やりましょう! やりましょう! 大いに結構だ!』と席を立ちかけた。…
 そこで、私が、当面の妥協案を提案した。… 浅井昭衛は、『たしかに、広宣流布はまだまだ先であるから、御遺命の達成ではないという.ことをはっきりさせること。そして、創価学会の方で既成事実を積み重ねるような"正本堂が御遺命の戒壇である"という発言や指導を絶対にしないこと。そのことをきちんとした形の上で示し、今後、妙信講と国立戒壇の是非を論じていくというのであれは、今日のところはそれで結構だ』と答えた」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2001年8月1日号 )
(※ 浅井昭衛本部長は、「ついに決着がつきました。御遺命の正義は守られました」と講員に報告したが、「国立戒壇の是非を論じていく」という重要な"約定"については講員に隠した。櫻川 忠 )
9月28日
 宗門、柿沼広澄師(日明)、早瀬道應師(日慈)、千種法輝師(日健)、能化となる。
9月28日  創価学会、「聖数新聞」紙上に訂正を誓う。
 決着の内容は、「御報告」として書面で宗門に提出された。
「内事部の通達にもとづいて、創価学会及び妙信講は、去る九月十三日以来、会談をつづけましたが、ここにそのご報告をいたします。
           記
 一、 三大秘法抄、一期弘法抄の解釈については、双方に見解の相違があり一致するに至らなかったので、今後折をみて更に誠意を持って話し合う。
 二、 広布達成、御遺命達成の如何については創価学会機関紙上に、未来にわたることである旨を明記した論文(但し一、の点については双方の意見の相違を考慮してふれない)を掲載する。
 三、 正本堂の落慶に伴う儀式については、総本山の儀式であり、信徒としては干渉しない。
 四、 この会議の内容については一切公表しない。
 五、 今後双方一致して広宣流布をめざして戦う。
 以上の通りでございますので、総本山におかれましても私共の意中をおくみ戴き宜しくお取りはからい下さいますようお願い申し上げます」
9月29日  田中角榮首相、中華人民共和国訪問、日中共同声明。田中首相と周恩来首相との間で、「日中国交正常化に関する合意文書」に調印。
 日本は、中華人民共和国を中国唯一の合法政権であることを承認し、満州事変以来の両国の不正常な状態の終結と外交関係の樹立を宣言し、中国側は対日賠償請求権を放棄した。これによって、断絶していた両国の国交が回復された。日本は日華平和条約を破棄し、中華民国(台湾政府)と断交した。
9月30日
 妙信講、臨時総幹部会開催(豊島振興会館)、「御遺命守護の御奉公遂に貫かれる
 浅井昭衛本部長「大聖人様の一期の御遺命が曲るか正されるか、この決着がつかなくておめおめと他の事が出来るであろうか。この歪曲が糺され正義がつらぬかれなければ、十月から先の妙信講はありえないと考えていた。…
 この正義がつらぬかれるかどうか、私にもわからなかった。しかし、一昨日 28日、ついに決着がつきました。御遺命の正義は守られました。妙信講の御奉公はついに貫き通されました。…
 一朝ことあらばと、文字通り命を預けてくれた男子部一千五百のまごころを、私は生涯忘れない」と述べ、論判の決着と創価学会が訂正を誓ったことを報告した。
 浅井甚兵衛講頭・昭衛本部長を信頼し、正本堂問題の行く末を注視して来た講員は、「御遺命の正義は守られました」の一語に涙した。
「妙信講は御遺命守護の御奉公に、やむなしとは云え分に過ぎたることを申し上げてきた。御遺命の正義がつらぬかれたならば、他に求める何ものもない。妙信講は再び地にもぐり、野武士として不開門が開くまで、身を捨てて斗っていく。妙信講には栄光の二字はない」(「冨士」第110号 )
9月 日
 妙信講、「冨士」編集後記。
「◇ 思えば九月十三日以来、浅井先生の相は変っておられた。近づき難いほどの厳しさに、まさに御遺命守護の大詰め、まさに最後だ、予断は全くゆるさないのだ … 一日々々が、かくも深くきざまれたことはなかった」(「冨士」第110号 )
10月1日
 宗門、正本堂落成慶讃大法要に先立ち、正本堂完工式を営む。
 池田大作会長、「宗教的権威を象徴する殿堂ではなく… 人類の恒久平和と世界文化の健全なる進歩・発展を祈願する殿堂」と。
「宗門・学会・法華講・海外の日蓮正宗メンバー、設計・工事関係者、国内外の来賓や報道陣など合計約六千人が参列。猊下の大導師で読経・唱題したあと、建設共同企業体から正本堂建設委員会、そして猊下へと、正本堂の引き渡し、御供養の儀式が行われる。
 この完工式に学会の招待で、ローマ法王庁特命全権大使ブルーノ・ヴェステンベルグ大司教とデュモリン神父が列席。ヴェステンベルグ氏は「昨日、正本堂完工式に出席できましたことは、デュモリン神父および私自身にとりまして非常な喜びであり、また名誉でありました」とのメッセージを残す」(「正本堂の詩」聖教新聞社 )
10月1日  創価学会、「大白蓮華」10月号発行。井上光央副教学部長、「万年救護の本尊について」掲載。日蓮正宗・保田妙本寺の"万年救護本尊こそ大聖人の出世の本懐"とする説を破折。
10月3日  創価学会、聖教新聞に「正本堂の意義について」の訂正記事を、和泉理事長名で約束通り掲載。
「大聖人の仏法は本因妙の仏法である。全民衆を救おうとの大聖人の大精神に立つならば、現在は広宣流布の一歩にすぎない。したがって、正本堂は猶未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇の完結ではない。故に正本堂建立をもって、なにもかも完成したように思い、御遺命は達成されてしまったとか、広宣流布は達成されたなどと言うことは誤りであるまた、この正本堂には信心強盛の人のみがここには集いきたり、御開扉を願う資格がある。したがって、正本堂は広宣流布のその日まで信徒に限って内拝を許されることはいうまでもない」
「『正本堂は、いまだ御遺命の戒壇の完結ではない』というのが重要な部分です。このうち『の完結』の三文字を入れるか入れないか、最後の争点となりました。浅井氏は、先生を思う私たちの一念を感じ、『の完結』を入れることに同意したのです。会長談話を要求してきたのですが、それも理事長談話に落ち着いたのです。この三文字を入れるか入れないかでは、まったくちがうのです。正本堂が御遺命の戒壇ではないとすれば、これまでの学会の主張は音を立てて崩壊するからです。そのとき、たとえ敵対関係にあるとはいえ、"信義には信義゛"礼には礼゛であり、私たちは感謝しました。ここで悪戦苦闘の末・合意点に達し、死んでも正本堂の儀式を阻止しようとする妙信講との"流血の惨事゛は何とか食いとめることができたのです」(「池田大作先生への手紙」原島嵩著 )
10月4日
 宗門、大日蓮編集室。妙信講に対し、不当記事の取り消しと陳謝を表明。
お詫び 本誌八月号に掲載の『妙信講機関紙「冨士」八月号の御法主上人猊下と浅井氏の面談記事について』の記事は、編集室として、内事部の意向を正確に伝え得ず、穏当を欠く表現がありましたので、これを取り消し、ここに内事部と妙信講に御迷惑をおかけしたことをお詫びいたします」
10月7日
 宗門、大御本尊御遷座お練り奉修。
「大御本尊を奉安殿から正本堂に御遷座申し上げる折のことである。日達上人より私一人が呼ばれ、次のようなお話があった。"実は、正本堂建立の功績を永遠に留めるために、大御本尊のお厨子の中に池田先生のお名前を刻みました。日蓮正宗の外護と発展に尽くされた池田先生の大功労を、万年まで伝えます"とのお言葉であった。…
 池田氏は『大御本尊の最も近い場所に私の名前が刻まれている。日顕以下の坊主どもは、毎日、私の名前を拝んでいるのだ。どうだ、凄いだろう』と自慢したわけだ。池田氏は、同じ正本堂内の大前机に裸で寝そべる自分のカラーレリーフを据えつけて法主以下の僧侶に拝ませては、一人悦に入っていた」(「諸君!」内藤国夫 1994年1月号 )
「このことが妙信講の耳に入った場合を恐れてか、10月7日の戒壇御本尊遷座は、かなり密やかに行われていた。この時のことは、末端の創価学会員だった筆者にもある記憶がある。"御遷座は午後1時か2時、その時間に家にいる会員は唱題するように"と云われていた。ところが当日の朝、幹部から電話があって、"どこかの妨害があるといけないので、… 早くなったからその時間にあわせて唱題しろ"というのだった。怪冴な思いをした記憶がある」(「冨士大石寺顕正会」下山正恕 )
11~17日
 宗門、正本堂落成慶讃大法要。
10月11日
 宗門、大御本尊御遷座御遷座大法要、正本堂で初御開扉。
 細井日達管長、「今後、この正本堂において、永久にこの戒壇の御本尊様の御開扉をして信徒皆様の即身成仏、現当二世の大願を祈願し、世界平和の祈願の大殿堂とすることに決定した次第でございます」
「それでも、池田大作は、万一のことに備えて、日達上人をせかし、大御本尊の御遷座を、予定した日の2日前に、総本山に居合わせた幹部達だけが供奉する中で、そそくさと行なった。私もその中の一人として、大御本尊を支える榛の一端を肩に乗せながら、参加させていただいたが、何とも言えない気分であった」(「あの頃のこと」山崎正友「慧妙」2001年8月1日号 )
10月11日
 妙信講、浅井昭衛本部長、「冨士」巻頭言「御遺命ついに曲らず
「事きわまって大聖人の御裁断は此処に下り給うた。大御本尊御遷座の九日前・九月二十八日ついに決着、ゆえに十月三日の聖教新聞の公式声明に云く「云々」と。また不信・謗法の来賓数千も大御本尊の御座所をついに踏み奉らず。御遺命の正義・本宗七百年の伝統は辛じて此処に死守せられた。
 これに至る経過、まさしく御本仏大聖人の御加庇なくしては、と思えば両眼滝のごとし。今は静かにその誠意を見守らせて頂く。もし不実ならばすでに仏天これを許さず、自らその身を亡ぼすのみ。
 而して一国広宣流布は未だおわらず、御遺命の事の戒壇は未だ立たず。御遺命の正義守護せらるれば、いよいよその達成に身を捨てるべきである。妙信講はその大法戦場に向って新たなる前進を開始する。 十月十一日」(「冨士」第110号 )
10月12日
 宗門、正本堂落慶大法要。
 池田大作会長の「慶讃の辞」には、「御遺命の本門戒壇」も「宗門七百年の悲願」も「仏教三千年史上空前の偉業」も「久遠元初以来の壮挙」もなかった。
「妙壇は夫れ正本堂の中心にして則ち一宗一山の根本大道場たる処なり。その大屋根は現代技術の最高峰をゆくサスペンション構造を採用し、リーマン多様体(マニフォード)四次元宇宙の形相構造にさも似たり。其の頂は一際高くして法華独妙醍醐の正主此処にましますを示し、高さ六十六メートルの頂上は法灯連綿六十六世を寿ぎ表わすものにして、華麗悠々・姿は鶴翼広く虚空を舞い羽ばたく様に相似たり。… 
 凡そ世俗の大業は、此れ全て東奔西走に事始まり、概ね大建築を完遂して栄えの幕を閉ずるなり。心すべき事にこそ。… 史例を徴せばオリンポスの栄華、バビロンの神殿も既に空しく、三国権迹の諸堂宇・亦人影絶えて瓦礫の土と化す。我等若し殿堂眼前の美麗に酔いて、此の荘厳に驕らば如何がせん。…
 然れ共、信受の人未だ天下一同の義数に満たず、此れを以って省れば大願未だ達せず広宣流布は未来に在り」(「正本堂の詩 落慶式典記録」聖教新聞社 )
10月12日  創価学会、池田大作会長。側近の福島源次郎氏に命じ、落慶式の後 下山するバス車中の創価学会員に、「本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました」とのメッセージを伝えさせた。
「ところが、法要が終わってから、ある一件が起きたのです。下山のバスの乗客に池田先生のご伝言が伝えられました。『本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう』。私は、それをいちはやく聞くやすぐに手を打つことを考えました。… 私も若気のいたりで、真剣さのあまり少々感情が高ぶっていました。先生の伝言をそのまま伝えたのはある首脳でした。私は、その人に責任をとれといいました。しかし、そのことが池田先生の逆鱗にふれてしまいました。雪山坊の一階ロビーで『責任をとれとは何だ! 正本堂は御遺命の戒壇ではないのか!』等々、烈火のような先生の怒りは周りの人々にさえ恐怖感をいだかせたようです」(「池田先生への手紙」原島嵩 )
「このようにして、何とか、法義上の体面はかろうじて守れたが、しかし、いったん白けた気分はどうしようもない。来賓も、当初プチ上げたような大物の顔は並べられなかったし、一般マスコミの扱いは極めてさりげなく、冷淡で、扱いも小さかった。…
 池田大作は、表向き元気に機嫌よく装い振る舞ってみたものの、内心の不満と憤懣を抑えきれない様子だった。行事の合間に、池田大作は、何を思ったか、福島源次郎氏らを呼び、 『皆さん、本日をもって大聖人の御遺命は達成されました。ありがとう』と、バスで下山していく会員達にメッセージとして伝えさせた。
 原島嵩氏がこれを耳にして、福島原次郎氏をつかまえ、血相を変えて、『やっと妙信講をなだめ、押さえられたというのに、そんなことをしては、明らかに違約になり、耳に入ったら、浅井父子らが騒ぎ出すぞ。何でそんな無責任なことを言うのか』と問い詰め、謝らせた。
 その夜、池田大作は、原島嵩氏と私を呼びつけ、首脳達の前で総括した。『俺が指図して福島にやらせたのだが、文句があるのか!!』。原島高氏が二言三言言いかけると、『お前らは、一寸手柄を立てたと思って艮い気になるな!! 増長するな!! 俺は、妙信講なんか怖くも何ともない。来れるなら来てみろ!!』と怒りちらした。十日前、妙信講との最後の対決から、私たちが帰るのをそわそわして待ち、『何とか話がついた』と聞いて胸をなで下ろした十日前とは、打ってかわった虚勢であった。原島嵩氏も私も、黙って頭を下げるしかなかったが、何とも情けなかった」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2003年4月1日号 )
10月17日
 宗門、正本堂記念品埋納大法要。池田大作会長の「慶讃の辞」やモーニング等々の記念品を、妙壇の基底部に格納。
 池田大作会長、「この部屋は...第1回は今日より7百年後、第2回は3千年後、そして第3回は1万年後に開かれる」と。
10月22日
 妙信講、第15回総会開催(渋谷公会堂)、「国立戒壇こそ世界平和の鍵
 松本日仁能化より祝電「皆様の一致団結の力により、御遺命守護貫徹と新たなる妙信講の船出の総会を祝福し、広宣流布達成の為各位の奮起を祈る」
 浅井昭衛本部長「七百年の宗門の大事な時、大聖人の御遺命のまさに曲げられんとする時、宗門の中でその正義を守るために発言をするその資格を、妙信講は大聖人様より与えられていたのであります。… だが非力の妙信講になにが出来ましょう、しかるに大聖人様の御守護を給わり、その御裁断により去る九月二十八日遂に決着、七百年来の御遺命の正義・本宗の伝統を辛じて死守することが出来たのであります。而して、今は静かにその誠意を見守らせて頂く、もしその誠意が不実であるならば、すでに大聖人様がお許しになるはずはありません。
 そして此処に思うことは、たとえ御遺命の正義は守られても、守られただけでは達成できないという事であります。まさしく御遺命の正義を守った者こそ、その達成に身を捨てるべき義務と責任がある。されば本日のこの総会こそ、妙信講の過去十五年の悪戦苦斗の歴史をしめくくり、その一万世帯の弘通と御遺命守護の御奉公により、ここに新たに大聖人様より御命令を給わり、いよいよ妙信講が一国広宣流布・国立戒壇建立への大法戦場に堂々と出陣する儀式であると、強く強く確信するものであります。…
 ここに末法濁悪・事の広宣流布の前夜、一国の前途に只ならぬものを感ずる時、十五年の試練に堪えぬき御遺命を守った妙信講こそ、目師様の露払い・諫暁団体として毅然と立たねばならぬ使命がある。私は確信します。もし国に十万の捨身の法華講衆あれば一国は必ず動く。また、たとえ非力にして事ならず途上斃れるとも、必ず骨は時の御法主上人がひろって下さるに違いないと確信しております。… されば妙信講たとえ途上に斃るるとも、何の憂える所がありましょう。ただ目師様御出現の露払い、本化国主の王路を開く斗いをするのみであります。…
 然らば、この十万世帯をいつまでに達成すべきか。今まで漠然としていたが、本日はっきりと申し上げる。… 次の80年代こそますます濁悪は深まり、末法濁悪もその直中、真中の年代と思われる。しかもその80年代の初め1981年即ち昭和56年は宗祖日連大聖人御入減七百年の歳にあたる。… あと九ヶ年、この時までに一国諫暁の十万世帯、断して達成しようと思うがいかがでしょうか。(大拍手)」(「冨士」第111号 )
10月26日
 妙信講、10月度総幹部会開催(妙縁寺)、「さあ十万世帯への第一歩」
 浅井昭衛本部長「妙信講は、宗門のことに於ても七千達成までは発言をしなかった。そこに今、一国諫暁の発言資格には十万世帯の弘通がなければならない。そこで今月から、この十万世帯の大法弘通の実践にとりかかっていく。斗う法華講衆、あの熱原の方々の血潮をくむ、流れをくむ私達が、いよいよ一国広布への前進である。肚をすえて折伏に猛進しようではないか。
 私は、この両三年。ことに本年は、御遺命守護のことで頭がいっばいで、講中のことを顧みるいとまがなかった。だが十五回総会をおえた今、心に決したことは「よしっ、これからは講中の事に真剣に取り組もう」ということであった」
 十万への第一布石として、全支部の総班を改称し、新たに「支区」制を布き、8個支部のもと37支区の陣容となった。また、整理班を整理部と改組した。(「冨士」第110号 )
11月2日  創価学会、日本武道館で第35回本部総会開催。
 池田大作会長「創価学会は生命論に始まり、生命論に終わるといってよい。すなわち、戸田前会長のあの獄中での悟達に、創価学会の原点があったのであります」と、73年を出発点として教学の充実、新しい理論構築、高度な言論活動を展開することを表明。
(※ "学会万代路線"の実質的な出発点となる )
11月7日 「週刊サンケイ」、特別増刊号「世界一を誇る正本堂のすべて」発売。特別付録に新聞紙大カラーポスターと、細井日達管長の唱導による読経、池田大作会長の挨拶を録音したソノシートが付く。
11月11日  創価学会、民音職員・松本勝彌、「正本堂御供養金返還請求」訴訟を東京地方裁判所に起こす。
「民音の職員で男子部部隊長であった松本勝彌が、東洋物産の社員や学会幹部十数名とかたらって、千葉県保田・妙本寺に接近し、同寺の"万年救護の本尊こそ本物の大御本尊で大石寺の板本尊は二セモノである"として、分派行動を始めた。…
 松本勝彌は、後に、『週刊ポスト』誌上において、池田大作の私生活や、外郭会社の実態を、本部職員としてはじめて暴露する内部告発を行ない(「蓮悟空」のペンネームで行なった)、さらに学会に対し、数人で正本堂御供養金返還訴訟を起こした。その他にも、組織のあちこちで不穏な動きをする人物が出てきたし、また学会本部職員や創価学園教師の中にも、造反的態度の者が現われた。
 こうした造反対策のため、私が担当者に指名され、あらゆる手段を用いて鎮圧にあたったのである。… 造反者対策については、私の下に、情報師団・謀略師団を作り、電話盗聴をはじめ、あらゆる手段を用いて鎮圧に当たった」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2003年5月1日号 )
11月 日  創価学会、聖教新聞紙上で松本勝彌夫妻の日蓮正宗宗門除名と、創価学会除名を発表。
11月 日
 宗門、地方末寺。妙信講員に対する御授戒拒否頻発。
11月28日
 妙信講、11月度総幹部会開催(豊島公会堂)。「宿願一万世帯、遂に十一月で突破」、11月度折伏成果 166世帯、総世帯数は 10,023世帯となった。
 浅井昭衛本部長「今、十五年の妙信講の歴史をふりかえって、その底に流れる行動理念とはなんであったか。たとえば企業の行動原理は利潤の追求であり、政党の行動原理は政権獲得にある。
 しからば妙信講の行動の原理はなんであったか、それは"大聖人様の御眼を恐れる"これ一つであります。… 過去もそうであったように、広宣流布の暁まで妙信講は『大聖人様の御眼を恐れる』、これを基本原理として更に強力な斗いを進めてまいります。…
 妙信講はここにいよいよ堅固な団結をはかり、やがて時が来て御出現になられる日目上人、そして本化国主出現の露払いとして、九年後十万をめざして強力なる斗いを起さねばと決意するものであります」(「冨士」第112号 )
11月 日
 妙信講、「冨士」編集後記。
「◇ まさに今の妙信講員こそ、嵐の中に船出した再建妙信講の精神を身に味わったものとして、この事を未来に語り伝える権利と義務があるのだと深く思うのである。そしてまたこの正念場の年にめぐり合せ、講頭先生・浅井先生に師事することの出来た我が身の、言葉に尽せぬ福運も加えねばなるまい(白石)」(「冨士」第112号 )
(※ 小生は、白石秀一研修部長(青年部参謀、研修部長、総務を歴任)に格別に目をかけていただき、当時しばしば音羽の本部に呼ばれ話を伺った。いま「近現代戒壇問題年表」を作成していて、思いがけず「未来に語り伝えよ」の言葉に接し、その篤実な面影が瞼に浮かんだ。櫻川 忠 )
12月10日  第33回衆議院選挙、公明党は言論出版妨害事件の影響もあり、前回より18議席減らし29議席まで落ち込んだ。
「創価学会が、なりふりかまわず総力をあげて選挙運動をしなければ、公明党は成り立たないことを、この選挙は、はっきりと証明した。『このままでは、公明党はつぶれる。そうなると創価学会もつぶれる』、こう見極めた池田大作は、創価学会首脳に、秘かに"政教一致路線"への回帰を宣言した。そして昭和48年以降・最小限、表向きの"分離"のゼスチャーは維持しつつ、公明党の選挙も人事も、そして路線も、池田大作が直接指揮し、統制する方向へ逆もどりさせた」(「池田大作日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
12月10日
 妙信講、妙縁寺で御会式厳修。参加者全員に「一万達成記念の盃」が配布された。
 浅井甚兵衛講頭「一万世帯達成奉告文」奉読、「まさに御本仏一期の御遺命の政治の濁流によって曲げられんとした時、その仏法の相違は御金言に照らして明々白々なるも、非力の我等には如何ともし難く、ただ身の仏法中怨の責めに当るを恐れ、因っておこる国土の衰乱を嘆くのみでございました。然るに事極まりて遂に御本仏の御裁断は下り給い、此処に御法主上人の御本意、宗門七百年の正義と伝統を辛うじて守護し得ましたこと、只々感泣の他はございません」(「冨士」第113号 )
12月23日
 宗門、鎌倉寛全師(日櫻)能化となる。
12月23日
 妙信講、12月度総幹部会開催(妙縁寺)。「いよいよ地方折伏の布石」
 浅井昭衛本部長「妙信講は今まで東京だけを主体に置いていましたが、来年から一国広宣流布の斗いを全国各地にひろげるために地方の拠点を大事にしていく …
 すでに時は来たのです。全国いたるところで必ずや妙信講の折伏を待っているに違いない。… 若しその地に三十人の同志が集まるようになったなら、私はたとえ北海道であれ九州であれ、どんなところでも必ず出席いたします。…
 来年からいよいよ大きな斗いをする。その出発に教学を真剣にとりくんでいく。願うことならば、全幹部が研修部員になってもらいたい。又研修部員は全部、三級に昇格してもらいたい。教学をおざなりにしては、広宣流布は夢物語となる
 本部辞令:鈴木志郎 整理部長に、星修一 整理部主任に任ずる。
 妙信講全国分布図(「冨士」第113号 )
12月26/27日
 妙信講、研修部会。「開目抄」講義終講。
12月末  創価学会、池田大作会長。山崎正友に直接、機密費を渡し始める。
「私が記憶しているかぎりで、最初、池田大作から直接金をもらったのは、昭和47年の末である。当時、全国的に、"正本堂御供養金返還運動"を起こしかけていた"創対連"(創価学会対策連絡協議会)の幹部を買収するため、池田大作は私を呼んだ。…
 私の計画を聞くと中西治雄氏を呼び、「金庫から例のやつを …」といい、中西氏は風呂敷につつんだ500万円の札束を持ってきて、池田大作の指し図で私に手渡した。… この500万円で、私は、創対連の稲垣和雄、梅沢某、徳田賀一、小池某らを買収し、組織を崩壊させるとともに、彼らを手先として、これまで彼らを裏であやつっていた新宗連や立正佼成会攻撃を行なったのである。…
 昭和47年までは、私の師団の電話盗聴等、裏の活動の機密費は、北条浩氏から、公明党の選挙の際の陣中見舞をピンハネした金などから与えられていたが、この頃から、池田大作からも直接手渡されるようになった。その後も、日蓮正宗対策や、「月刊ペン」事件裏工作のための交際費等、折にふれて池田大作から渡された。』(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
 
  年表  
昭和48年 (1973)         _
1月1日
 妙信講、妙縁寺にて元旦勤行、「転換期の年」
 松本日仁能化「幸い妙信講におきましては、この本年、昭和四十八年から昭和五十六年十月・宗祖大聖人七百年遠忌を迎えるまでを目標に十万世帯折伏達成に向って決起せらるるとの事、誠に喜こばしき極みであります。つきましては講員の皆様には、ますます一致団結、異体同心の御聖訓を奉戴して所期の目的を貫徹すべく邁進せられますよう、切にお祈り致す次第であります」
 浅井甚兵衛講頭「昭和四十八年の新春を迎え、「仏法は体・世間は影」の御聖旨を深く感ずるものであります。昨年、御遺命の歪曲は辛じて訂正せられました。だが未だ御遺命の正義たる王仏冥合・国立戒壇の正義の声は聞かれず、遺憾の限りであります。… 妙信講は本年より十万達成に向って折伏法戦を開始する。今強盛に折伏一筋に立つ妙信講の使命をよくよく自覚すべきであります」(「冨士」第113号 )
1月1日  創価学会、聖教新聞に池田大作会長の「新しき開拓への道」掲載。
「異体を同心とする輪を、幾重にも、幾次元にも広げていくことが、私たちの今後の戦いなのであります。それは、けっして阿練若の世界に住む聖者ぶった人々の仮面の遊戯とは根本的に異なり、民衆自身の不断の忍耐と勇気の結晶作業であることを知っていただきたいのであります」
1月13日  創価学会、(財)民主音楽協会 代表理事 姉小路公経。職員の松本勝彌に、"配置転換(企画部所属から事業部所属に変更)拒否、水増し請求"などの理由で解雇を通告。
1月15日  文藝春秋社、池田大作・野崎勲共著「私の釈尊観」発行。
1月16日  創価学会、松本勝彌、東京地方裁判所に提訴。地位保全の仮処分ではなく、雇用関係存在確認請求の裁判を起こす。合理的理由もなく配置転換することは、原告の信仰上の理由にほかならず、配置転換の拒否は正当であり、解雇は無効とした。
1月26日
 妙信講、1月度総幹部会開催(豊島公会堂)、「いよいよ第一年目の法戦開始」
 浅井昭衛本部長「今、妙信講を除いて、大聖人様の御遺命・国立戒壇建立に向かって叫んでいるものがありましょうか、この妙信講以外に断じてない。さればこの妙信講の前進をはばむものは、必ずや三世諸仏の仏罰を蒙って身がもたなくなることは必定であります。今、妙信講が師子王の心を奮い起して毅然として立たなければ、国立戒壇は虚妄になってしまう!。そうなれば、この日本国の前途はない。どうか歴代猊下がその実現を祈念してこられた国立戒壇建立に向い、お互いにいやしき身ではありますが、目師様御出現のその日まで一丸となって露払いの御奉公をうけたまわって、これから前進をしていきたいと思う」
 本部辞令:長岡孝志 青年部参謀に、村岡長治 男子部長に任ずる。佐藤良子 女子部長に、加藤礼子 女子部幹事に任ずる。(「冨士」第114号 )
1月29日  創価学会、池田大作会長。第3回全国寺院総代会で「寺院というものは、たとえ法そのものが正しくても...権威主義や法権の牙城化によっても白法隠没を引き起こすことになる」と、宗門批判。 
2月1日
 宗門、「大日蓮」2月号、細井日達管長の戒壇本尊についての指南を掲載。
「近頃、戒壇の大御本尊様に不敬のことを申す人がある様に見受けられます。
 この戒壇の御本尊は、先程の正本堂における説法の如く、宗祖大聖人様が身延において本門戒壇の事の御本尊として、弘安二年十月十二日御書写遊ばされた御本尊様でございます。長い間当山に格護しておりましたのでございます。その六百何年の間の御本尊様でございますから、その間に御本尊様の御衣替と申しまして、漆を塗り、中に金箔を入れましたことが再度ございます。…
 いろいろなことを言われても、信徒としての皆様は少しも動揺することなく、大聖人様の魂魄ここにあるの深い信念のもとに信心に励まれんことをお願いする次第でございます」
2月1日
 妙信講、「冨士」巻頭言、本部長 浅井昭衛「ただ一筋の道」
「然るに近年の歪曲、世に諂うの故とは云えまことに恐ろしき極みではあった。有難きかな御本仏はこれを許し給わず、昨年秋 違法は打ち摧かれ、歪曲は訂正された。だが、誤りだけは打ち消されたが、顕わさるべき御遺命の正義は未だ匿されたままである。不可解とは此の事である。自らの失あらわれるを恐れるか、真の懺悔とはこのようなものとは到底思えない。…
 七十年代に入って年々に傾く日本を見よ。すべては仏法の道理のままである。国立戒壇の柱なくば国は持たない。大聖人様のお悲しみ、お叱りを思えばじっとしてはいられぬ。 妙信講の御奉公の道はすでに決っている。この路線こそ大聖人様の待ち給う大法戦場に直結していることを強く確信すべきである。… 十万世帯の基盤は断じて本年で確立する。これが本年の意義である。二月一日」
2月15日
 妙信講、研修部入部式開催(豊島区民センター)、本年の研鑽は「報恩抄」と決定。
2月18日  創価学会、第21回男子部総会開催。池田大作会長「諸君の心身には、久遠元初以来の尊い血脈と使命とがある」
2月 日  創価学会、公明党との連絡協議会を設置。
2月 日  創価学会、山崎正友顧問弁護士、紀尾井町のホテル・ニューオータニで「創価学会対策連絡協議会」(創対連)の稲垣和雄と梅沢十四夫に面会。創価学会に協力するよう要請し、10万円の交通費を渡す。以後、7年間で5千万円以上の報酬を支払う。(「実録創価学会=七つの大罪」)
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島公会堂)。「三月もさらに折伏を推進」、2月度折伏成果 182世帯、総世帯数は 10,205世帯となった。
 浅井昭衛本部長「まだ今は妙信講の斗いは、微々たるもので、月間ほぼ二百というような斗いであるが、これからは斗いが一変し、やがて月に三百、五百、一千、三千、五千という弘通ができるようになる、そのまえぶれである。見ててごらんなさい。必ず出来るようになる。何故か、これ即ち広宣流布は私達がやっているのではない、… 実に大聖人様の御力でもってこの御本尊流布が進んでいるのである。その御本仏の御力、御命令を感じて眷族が折伏に立つのである」(「冨士」第115号 )
3月1日
 宗門、東北地方を中心に宗門末寺において、妙信講の弘通に対し不可解な御授戒拒否頻発、末寺住職の意志に非ず。宗務当局、言を左右し理由も責任の所在も不明。
 妙信講、「冨士」巻頭言、本部長 浅井昭衛「転換期」
「いま妙信講は大きな転換期に立っている。顧みれば、昨年までの御奉公は、まさに曲げられんとした御遺命の正義を只々死守することにあった。… まさしく国立戒壇の柱なくば日本の国はたもたない。而してこの大事を一国に迫るには捨身の決意と実力なくしては叶わない。捨身の決意とは開目抄の御精神、実力とは即ち十万の法華講衆である。
 本年からの妙信講の前進は、すべてこの一事に焦点が合わされている。飛行機においても、軽量の荷を積んで短距離を行くものと、重き荷を背うて長距離を飛ぶものとでは、エンジンも翼も構えが異る。妙信講も十万の弘通をなし一国に於て斗うには、自ずとそれに対応した態勢を整えねばならぬ。本年中にはこの基盤を断じて築く。ゆえにこそ本年を妙信講の転換期と云うのである。
 本年中に整えるべき態勢、解決すべき問題は幾つかある。だが、その中の第一の問題は、地方寺院における御本尊御下附の問題である。この事の解決なくして十万世帯の弘通は不可能である。然るに、本年に入って、御授戒拒否の不可解な事件が東北を中心に頻発している。… 直ちに寺院に問い糺すに、御授戒拒否の理由は全く不明である。現地御住職の個人的意志ではない事だけは判明した。一体誰がかかることを指示しているのか。関係御当局に糺しても言を左右にし、理由も責任の所在も曖昧である。而して拒否だけは依然として続いている。… 妙信講員卑しといえども、捨身弘通の者たることは断じて疑いない。姑の嫁イビリのごとき、ネチネチしたイヤがラセは無用に願いたい。それとも拒否すべき正当の理由あるならば、堂々と御当局は妙信講に示さるべきである。
 御遺命守護ののち妙信講は求める何ものもない。ただ御本仏の御命令のまま、いま大進軍を開始して一国諫暁の死地に自ら赴かんとしているのみである。然るに …… 。激しい憤りはすでに胸を衝いている。とまれ、一日も早くこの事の解決されんこと、ひたすら御本尊に祈り奉る。三月一日」(「冨士」第115号 )
3月2日  創価学会員ら15名、正本堂御供養金の返還を求め、東京地方裁判所に訴訟を起こす。
3月7日  創価学会、池田大作会長。千葉県幹部会で「学会活動をしている人にのみ、法華の血脈が存在している」と。
3月10日
 宗門、「法華講百年史年表」刊行。
3月10日
 妙信講、折伏講習会開催(豊島振興会館)、1千名が参加。
3月15日
 妙信講、研修部。「報恩抄」講義開始。
3月26日
 宗門、宗務院通達。妙信講への全国地方寺院の御本尊下附問題、解決す。
3月26日
 妙信講、3月度総幹部会開催(豊島振興会館)。「全国地方寺院の御本尊下附問題解決」、3月度折伏成果 110世帯。
 浅井昭衛本部長「どうしたことか、去年十一月頃から、地方の折伏に於て現地の寺院に御授戒におもむく妙信講員に対して、それを拒否することが出て来た。十二月に入って、これはいかんと思い、私の方からそれぞれ拒否のお寺に電話を入れてお聞きした。その結果、各末寺の御住職の意志ではない事がわかったが、何故かというその事情をなかなかおっしゃらない、よってその関係筋の責任ある立場の方々に向って強く強く糺し解決を迫った。…
 何としても解決したいと、三月に日を切って御当局に申し入れていたが、その決められた日の前日、妙信講に対する解答ということで、妙信講の指導教師である妙縁寺の松本日仁尊能師のところに早瀬総監がお見えになり、妙信講の地方寺院に於ける御本尊御下附の件を、正式に許可するとの通達を下さった。よって、本日総幹部会より、東京都内は全部妙縁寺で、地方の場合には、北は北海道から南は九州に至るまで現地の寺院に於いて御本尊下附を頂くことが決定、この一件はすべて解決した」(「冨士」第116号 )
3月 日  富士宮市議会、日蓮正宗・創価学会による市道敷地(市道21路線)の無断占拠・侵奪が問題化、本会議が紛糾する。
3月 日  創価学会、宗門を経済的に支配するため、種々の工作をはじめる。
「さらに、池田大作の第三の頭痛のタネは、創価学会の"金庫の枯渇"であった。正本堂御供養金を使い果たした上、言論問題を切り抜けるためにマスコミや政治家への接待や贈り物、造反防止のための職員に対する給料やボーナスのアップ等で、支出がむやみにかさんだ。…
 日蓮正宗に対する"仕返し"と"締め上げ"は、昭和48年の3月頃から開始された。… 7年間にわたり、池田大作の思いつきのままに、行き当たりばったりでやってきたため、会計処理や土地の処狸が不明朗を極めた。それを是正し、帳簿を作り直す作業の一方で、「会計上、税務上の対策のため、宗門側ときちんと突き合わせをしておく必要がある」という私達弁護団の主張を大義名分として、大石寺側と創価学会側の帳簿の突き合わせが行なわれた。…
 これは、"突き合わせ"を口実にして、提出させた大石寺側の帳簿を調べ、大石寺の経理を丸裸にして手の内を探ることが目的だったのである。日達上人は、このことに、明らかに不快の念を示された。「… 何で学会の経理の者が、本山の帳簿を調べるのか!?」」(『あの頃のこと』山崎正友 「慧妙」2003年5月1日号 )
3月29日  アメリカ合衆国軍、べトナム撤退。1968年から断続的に続けられたパリ和平会談が妥協に動き、1973年1月27日にべトナム和平協定(パリ和平協定)が成立した。アメリカ軍は軍事活動を停止し同年3月、南ベトナム駐留部隊が撤退を開始、3月29日までに完了した。
 ベトナム政府軍と南ベトナム解放民族戦線(および北ベトナム軍)との内戦は継続されたが、アメリカ軍の支援を失った南ベトナム政府軍は急速に弱体化し、1975年のサイゴン陥落によって終結した。
4月1日
 宗門、日蓮正宗 宗制宗規改正委員会発足。
 法華講連合会初代委員長、平沢益吉逝去。
4月 日  創価学会員 大草一男、法道院法華講に移籍。
4月 日  創価学会、山崎正友。配下の北林芳典を日本宗教放送協会へ"大山正"名で送り込む。以後、北林は協会発行の「宗教評論」編集次長として宗教界攪乱工作を行なう。(「実録創価学会=七つの大罪」)
5月2日
 妙信講、4月度総幹部会開催(豊島公会堂)、4月度折伏成果 168世帯。国鉄ストライキのため、日程を延期して開催された。
 浅井昭衛本部長「個人の祈りはさておき、妙信講の講中としての祈りは何であろうか、昨年妙信講は大聖人の御命令のまま御遺命を守護させて頂いた。いま妙信講の祈りは、一国諫暁の斗いに立つことが出来るか否かである。これ目師様・本化国主御出現の露払いの法戦である。… 今、九年後十万達成、そこから逆算しての本年の斗いがある。今はまさに転換期、十万の基盤は断じて本年で築きあげる」(「冨士」第117号 )
5月2日  創価学会、第3回教学部大会開催、記念文集として「教学と私」第1巻を刊行。
「池田先生こそ本門弘通の大導師」(八矢英世)、
「池田先生と境地冥合できる人材になろう}(平塚一雄)、
「『人間革命』は現代の御書である」「大聖人との不可思議な血脈の相承がある」(福島源次郎副会長)
5月3日  創価学会、大石寺境内に「財団法人 富士美術館」創立。
5月11日
 妙信講、登山願いを宗務院に提出。
5月13日  創価学会、「ヨーロッパ日蓮正宗会議」設立、13ヵ国が加盟。
 池田大作会長、歴史学者アーノルド・J・トインビー博士と対談。
5月26日
 妙信講、5月度総幹部会開催(豊島公会堂)、「本部会館・顕正新聞復刊等、本年中に」、「十万の基礎、断じて築かん」とし、「転換期」の大構想を示す。十万達成の基礎たる6綱目として、
 1)全国地方寺院における御本尊下附問題の解消、
 2)本部会館の建設、
 3)顕正新聞の復刊、
 4)折伏手引き書の発行、
 5)御書要集の発行、
 6)日寛上人要集の発行
を挙げ、以て一国諌暁の基盤とする。
 浅井昭衛本部長「第二番目の問題はなかなかメドがつかず悩んでおりました。だがなんとしても、折伏法戦の根拠地・一国諫暁の法城として大御本尊を御安置申し上げ、斗う機能を備えた本部会館が欲しかった。… 御存知のように妙信講には信心はあっても金がない。また募財はしたくないのです。本年も財務に皆さんが喜んで応じて下さった。さっき小木財務部長が発表しておりましたが八百数十万円だそうです。… 財務はこのように大事にして講中活動にだけ使っていきます。…
 しかし、この悩みはついに解決されました。すべては大聖人様の御はからいと云う以外にはないのですが不思議に道が開き、一切皆さんには負担をかけずに本部会館の立つメドがつきました。よってここに、講頭先生が私財を投げ打って立てて下さり、講中に寄附して下さることになりました。… かくのごとく質実剛健な斗うだけの機能を具えた法城にしたい。そして七月には起工式を行ない、完成は出来得れば十一月、おそくとも本年中にはなしとげる予定であります」(「冨士」第118号 )
6月27日
 妙信講、6月度総幹部会開催(豊島公会堂)。「広宣流布・戒壇建立の外に救済なし」、6月度折伏成果 171世帯。
 浅井昭衛本部長「大聖人様が御入滅にのぞみ、武州池上の宗仲の邸においてお弟子を集めて遊ばした、最後のお説法がこの立正安国論であられた。ゆえに安国論の実践こそ、門下に命ぜられた御遺命であります。すなわち、謗法を折伏し国立戒壇を建立し、以て日本および全世界を安穏ならしめよ、との御命令であります。… いま立正安国の御精神たる、謗法禁断・国立戒壇の声、日本に消えて久しい。… 御本仏御入滅に当っての最後の御遺訓を忘れるは、宿縁つたなき者である」(「冨士」第119号 )
6月 日  富士宮市の一部市議ら、細井日達管長と池田大作会長を「市道を廃道に必要な手続をしないまま勝手に破壊し、正木堂建設のための敷地にしてしまった」とし、道路法違反・侵奪罪で富士宮署に告発。
 創価学会、市政に協力するという名目で、池田教育基金3億円と池田公園(2億6千5百万円)の寄付、天母山公園(4千5百万円)の市民開放などを行ない、告発を取り下げさせる。
7月3日
 妙信講、男子青年部幹部会。浅井昭衛本部長、「この御遺命守護に於いて、男子青年部の精鋭が身を惜しまず一歩も退りぞかずに斗ってくれた事、妙信講の歴史に於て特筆大書し将来に記録すべき大きな御奉公である。この御奉公の功徳は将来に必ず残っていく、この真心の御奉公を良き思い出としていこう。そして一瞬々々新しい歴史を作り、新しい又思い出を作っていこうではないか」(「冨士」第109号 )と。
(※ 「一歩も退かず戦った男子精鋭」は精鋭であるがゆえ、浅井昭衛会長にとって邪魔な存在となり、やがてことごとく使い潰されて行った。「一瞬々々新しい歴史を作り」とは、つねに幹部を入れ替えて自分だけが組織に君臨し、自らの神格化の歴史を作ることであった。櫻川 忠 )
7月7日  創価学会、映画「人間革命」が完成。
7月8日  東京都議会議員選挙、公明党は改選時より1議席増やし26名全員当選。
 2年前の都知事選挙で再選を果たした、美濃部亮吉都知事の与党(社会党・共産党・公明党)が、どの程度まで伸びるのかが注目された。
7月12日
 妙信講、「冨士」巻頭言、本部長 浅井昭衛「立正安国」
「まことに仏法は厳しい。今日になっては、誰が「広宣流布は達成」「立正は成就」「七百年の悲願達成」などと寝ぼけたことを云えよう。事実一人としてこれを云う者は無くなった。だが恐るべき僻事として、果してこれを懺悔しているのであろうか。大聖人の御眼を蔑ってはいけない。仏法は体、世間は影である。日本の運命は正系門家の信心にある。いま立正安国論御建白の月を迎え、沈思して大聖人の御意を拝し御奉公せねばならぬ。七月十二日」
7月16日
 妙信講、「顕正新聞」復刊第1号を発行、浅井昭衛本部長「天鼓」欄に記載。
「◇ 涙をのんだ廃刊より実に十年。此の隠忍の歳月、ただ破邪の一剣を磨く。今ぞ大龍の始めて生ぜるがごとし。
 ◇ まさしく日本の柱とは日蓮大聖人御遺命の国立戒壇である。この声一国に消えて久し。聞こえるはただ諂いの曲声のみ。
 ◇ 崩れ行く日本を見、御本仏の告勅を思えばジッとしてはいられぬ。
 ◇ 云わねばならぬ。行動せねばならぬ。日本の崩壊に内外の二因あり。云く、内の歪曲と外の捨離。あに破邪の利剣を振い、顕正の大燈を掲げざらんや」
(※ 顕正新聞復刊により「冨士」の報道欄が消失し、新聞なしでは総幹部会や本部辞令等の情報を追えなくなった )
7月26日
 宗門、法華講全国連合会第十回総会開催。
 細井日達管長「日女抄に「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(全集一二四四頁)とおおせになっております。しかしながら、一般日蓮宗の人々は、この胸中の肉団に御本尊がましますといぅ言葉を取って、大曼荼羅本尊は要らない。自分自身の御本尊を拝めばよいのだというような説を立てている人もおります。 しからば、何をもって自分自身の御本尊を見極め、崇めることができるでしょうか。我々凡夫においては到底そんなことはできないのであります。自分自身が御本尊だ、などと考える時は、既に増上慢に陥って、地獄の苦を受けるということになるのであります。そこで大聖人様は御自身の当体を戒壇の御本尊として、我ら末法の衆生の依止の本尊と顕されておるのでございます。… この御本尊は、我々の十界互具、一念三千の姿を書き顕わされたのでありますから、これが我々の正境でございます」
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島公会堂)。「転換期の画竜点睛は組織と人材」、7月度折伏成果 151世帯。
 浅井昭衛本部長「重大な御遺命守護の御奉公を貫き、今ここに、いよいよ内海から一国諫暁という大海原に妙信講は船出をしました。それが今年の転換期という事であります。そしてここに今思うことは、その転換期の六綱目の大構想は決まり、一つ一つ具体的になってきましたが、この六綱目の大構想の画龍点睛するものは何かというならば、それはこの生きて躍動する妙信講の信心の充実である。どの支部も、青年部も、そして婦人部も、更に力強い、生き生きとした組織に脱皮をしなければいかん、これが転換期の総仕上げ、画龍点睛だと思うのです。一国諫暁・国立戒壇建立は、口で云うのは易いが行うことは難事中の難事であります」(「冨士」第120号 )
7月 日  創価学会、松本勝彌宅盗聴。立正大学の宮崎英修教授が、板本尊偽作裁判で松本氏の後援に立ったことを把握。
8月3日
 妙信講、「冨士」巻頭言、本部長 浅井昭衛「再建満十六年を迎えて」
「もしこの僻事がそのまま内外にまかり通ったならば、宗門と国家はどうなったであろうか、思うだに背筋が寒くなる。だが御本仏はかかる不純を許し給わず、ゆえに妙信講をして立たしめ、云わしめ、斗わしめ給うたのである。ここに御本仏の御加庇により歪曲は遂に訂正された。猊下の御本意は顕われ給うたのであった。
 だが歪曲だけは訂正されるとも、顕わるべき正義は未だ顕われない、正法治国・邪法乱国、国立戒壇の声は国に絶えて久しい。いや国立戒壇をたとえ口にするとも、云うだけでは実現はあり得ない。ここに妙信講の新しい御奉公の道は決ったのである。
 思えば十二年の忍従とたゆみなき弘通により御遺命を守護する資格を得、必死の御遺命守護により国立戒壇を叫ぶ資格を得た。そして今や妙信講は、その実践たる一国諫暁の大法戦場に向って新しい前進を開始したのである。「すべてはこれからである」この決意こそ再建満十六年の日を迎えた意義でなければならない。全講員油断なく大法戦場への旅を急ごうではないか。八月三日」
8月8日  金大中拉致事件、韓国中央情報部 (KCIA) により、千代田区のホテルグランドパレス2212号室から拉致された。金大中は船で連れ去られ、ソウルで軟禁状態に置かれ、5日後にソウル市内の自宅前で発見された。
8月19日
 妙信講、臨時青年部会開催(豊島公会堂)、「国士三千集わば 一国諌暁の序戦に立たん」
 浅井昭衛本部長「自分は倖せに思っていることがある。もし旅をするにも、主君の命とあらば辛くとも淋しくとも一人でも行かねばならない。だがその時、良き道づれがあったならどれほど楽しいことか。… 今、厳しく困難な一国諫暁の長途を行かんとする時、このような信心強き好ましき青年部諸氏の集い来って、共に楽しく斗えることまことに有難いことと思っております。…
 何ゆえ妙信講は一国諌暁に立たんとするか。…
 一、日本の傾き急なるが故。…
 二、大聖人の御遺命が曲げられたまま時の政府に伝えられている故。…
 三、いま国立戒壇の正義を叫び一国に迫る資格は妙信講以外にはなくなってしまった故。…
 されば妙信講が非力であろうとも、またどれほどその斗いが辛く厳しくとも、立たねば大聖人様に申しわけがない。これまさしく、将来御法主上人猊下の遊ばす大諫暁の露払いの御奉公と深く心に決しております。… もし、信心強盛なる三千の国士集うならば、その時こそ決然と一国諫暁の序戦を起そうと思うがどうか。(大拍手)
 今から云っておきます。もとより非力の妙信講の斗いゆえ、天下挙って謗り、嘲笑し、やれ「時代錯誤よ」「教条主義よ」と悪口するに違いない。… また、たとえ妙信講非力にして斃れるとも、日目上人・本化国主は必ずお出ましになる。妙信講は正々堂々とやりたい。妙信講の為す斗いこそ、仏法の上からは大聖人様の御命令、世間の上からは国民としての権利、仏法・世法ともに道理に立ち、合法的に正々堂々と私はやりたい。… 本日この誓願式を出発として、やがて三年後に国士三千を結集し、大聖人様の御馬前に見事なる法戦を展開しようではありませんか。(大拍手)」(「冨士」第121号 )
8月23日
 細井日達管長、『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』を書写し、池田大作会長に授与。
「まだ表具のされていない御本尊を取り出し、開いた後、巻き戻してポンと放り出し、『三百五十億のお礼が、これ一枚だよ!!』と言い捨てた。それを見ていた人が、腹に据えかねて日達上人にお伝えし、日達上人は非常にショックを受けられた」
「それでいて池田大作は、この賞与御本尊を最大限に利用した。さっそく無断で模刻した上、本部文化会館の最上階に安置し、幹部達に拝ませた。授与書きに『賞本門事戒壇正本堂建立』とあるのを、自己流に解釈。『猊下が、正本堂を御遺命の戒壇建立と認めた』と得意気に言った。… 池田大作は、この模刻した板本尊を調子に乗って、早瀬総監以下、宗務院の役僧の方々にも披露し、拝ませた」(「あの頃のこと」第33回 慧妙 第256号)
8月24日  創価学会、写真集『正本堂』(聖教新聞社)出版。
 細井日達管長、本書に『池田会長と正本堂』の一文を寄稿。
「池田大作先生は会長就任以来十三年にして我が宗に有形無形の二つの大事業を成し遂げられた。その無形の事業とは八百万人の信心を喚起して本因下種の当体を覚知せしめ広宣流布への大行進を確実にしたことである。その有形の事業とは八百万信徒の信心を結集し、本仏への供養の真心を以て正本堂を建立したことである」「此の大御本尊を正本堂は永久に守護し奉る建築物である」
 細井日達管長、写真集『正本堂』に自ら『本門事の戒壇』と揮毫、右脇に『建立大願主法華講總講頭池田大作』、左脇に『昭和四十八年八月二十四日 総本山六十六世日達在判』と認め、池田大作会長に贈呈。
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催(豊島公会堂)、「百余名の幹部一気に抜擢」
 浅井昭衛本部長「昨年、御遺命守護の御奉公の時には、どこで聞きつけたか朝日、毎日、読売の各新聞、週刊新潮、週刊現代の各記者が大勢面会を申し込んで来たが、すべて拒絶した。… かかる大聖人様の重大法門は、興味本位の信心なき輩が関与すべきことではない。… 他に語ることは秘すべきであり恐れ多いことである。そして、ついに妙信講は大聖人の正義を守り奉り、猊座の御尊厳をお守りした。…
 いま日本の国はまさしく暗礁に乗り上げんとしている船、断崖絶壁の上に立つ家である。… この外海への初陣の九月、全講員が真心込めて御奉公を貫こう」(「冨士」第121号 )
8月28日
 妙信講、松本日仁能化の導師により本部会館起工式(板橋区常盤台)。
 浅井昭衛本部長「必ず日本国に於いて、日蓮大聖人様の立正安国論の御主張と、そしてこの妙信講の本部会館の存在を知らぬ者はいなくなる」
9月1日  創価学会、「大白蓮華」9月号「在家仏教の開幕」。
「あえて言えば、僧俗ともに大聖人と直結なのです。… 寺院は授戒所といってよい。これを間違えると、往時の僧侶仏教に、寺本位の仏教に傾斜してしまい … 広布流布はできなくなってしまうであろう。…
 大聖人が生涯、一寺も持たれなかったということは、これまでの寺院の権威の座を、たたき破られたのだと私は思う。… 寺院が令法久住を忘れて形式や権威に堕せば、大聖人のご精神に反すると考えるべき … 僧は信徒の為に懸命に尽くすことが第一義となろう」
9月8日  公明党、中道革新連合政権構想を発表。「日米安保の即時廃棄」に方針転換。
「共産党が躍進し、世の中、野党は左だという気分があふれていた。例外だった」(市川雄一代議士)、「この年、美濃部革新都政の与党となり…」( 公明党議員OB)
9月8日  東宝映像・シナノ企画共同製作、東宝配給の映画『人間革命』公開さる。
「創価学会々長・池田大作の同名小説の映画化。創価学会の今日までの歴史を、史実、時代の背景をドキュメンタリー風に織り込みながら描く。脚本は「どですかでん」の橋本忍、監督は「剣と花」の舛田利雄、撮影は「商魂一代 天下の暴れん坊」の西垣太郎がそれぞれ担当。1973年9月8日より先行ロードショー」(東宝)
9月21日
 宗門、財団法人「日蓮正宗妙観会」設立許可。
10月6日  第四次中東戦争勃発、第一次オイルショックへ。6年前の第三次中東戦争でイスラエルに占領された領土の奪回を目的として、エジプト・シリア両軍がそれぞれスエズ運河、ゴラン高原正面に展開するイスラエル国防軍に対し攻撃を開始した。OPEC加盟産油国のペルシア湾岸の6カ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ、70%引き上げると発表。
10月11~17日
 宗門、正本堂建立第一周年記念大法要。
 池田大作会長、正本堂から退出する細井日達管長に、正本堂東側広場にて大衆の面前で「約束の十億円をはやく出せ」と面罵
「猊下はウソつきだ!! 正本堂で、あれだけやらせておいて、ご本尊一幅ですまそうとする。ずるい。約束の13億円、私に下さい。必ず下さい!!」(「池田大作日本経済乗っ取りの野望」、山崎正友 )
「池田大作は、裏では日達上人にいろいろと圧力をかけていたが、表向きは、信伏随従の姿を見せてた。日達上人を頭ごなしに怒鳴りつけ、それも会員達の前で、『俺の方が上なのだ』と見せつけるような振る舞いをしたのは、このときが初めてだった。日達上人は、その場の混乱を収拾されるため、『わかりました。あとで、皆とよく相談してお答えします』と、その場は引き下がられたが、顔を真っ赤にされ、足早に立ち去られた。大坊に戻られた日達上人は、憤懣やる方ない御様子だったという」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2003年7月1日号 )
「猊下の気性から思えば、その時はずいぶんと押えられたと思うが、その後、内事部へ来られて、『ああいう体質では、もう学会とは一緒にやっていけない。たとえ小さくなっても日蓮正宗の信仰を守っていきたい』と悲痛な表情で仰せられた」(『暁鐘』第20号、小川只道師 )
10月12日  創価学会、編年体「日蓮大聖人御書」刊行。
10月17日
 宗門、早瀬日慈総監。宗門から学会へ、13億7千万円を寄付するという覚書を、北條副会長と取り交わす。
 一、創価学会の多年に亙る広布創業の労に対し、宗門は満腔からの誠意を表しここに一金壱拾億円を贈る。
 二、正本堂基金 3億7千60万円については昭和49年4月以降、創価学会において自由に使用していただきたい。
 三、富士宮市の市民センター建設に対する寄付要望については、大石寺として7億円を考える。
 四、富士学林の建設は大石寺で行う。
10月17日  創価学会、「日蓮正宗国際センター」構想を機関決定。
10月17日  第1次石油ショック、全国各地のスーパーで「買いだめパニック」が発生。翌年の消費者物価指数は23%上昇し、「狂乱物価」という造語が生まれた。
 国際原油価格は3カ月で約4倍に高騰、先進国を中心に世界経済は大きく混乱した。エネルギーの8割近くを輸入原油に頼っていた日本では、 石油関連製品の値上げに直結し、物価は瞬く間に上昇した。急激なインフレは、旺盛だった経済活動にブレーキをかけ、1974年度の日本経済は戦後初めてマイナス成長となり、高度経済成長は終焉した。
10月21日
 妙信講、婦人部大会開催(豊島公会堂)。「前代未聞の婦人運動を」
 浅井昭衛本部長「思えば明治以来、色々な婦人運動が行われてきました。だがそれ等は、男と比べて女性の権利を主張する運動だとか、あるいはオシャモジに代表される消費者の運動であるとか、あるいは政党の党利党略に利用された色のついた運動ばかりです。未だかって、三大秘法を以って女人成仏・家庭和楽・国土成仏をめざして起された婦人の運動はない。妙信講の婦人部こそ、目先のことに負けず、愚痴に流されず、三大秘法を持つ聡明な婦人となってこの大事をなし遂げて頂きたい。日本国の一切の女人に三大秘法の題目を唱えしむる、この大聖人の大願を胸に、日本第一の婦人部を作って広宣流布に立ち上ろうではないか … (大拍手)」(「冨士」第123号 )
10月24日  第四次中東戦争、国際連合による停戦決議をうけ停戦が成立。
10月26日
 妙信講、10月度総幹部会開催(豊島公会堂)、「日本の崩壊はすでに始まっている」
 浅井昭衛本部長「昨年の九月、御遺命守護の決着がついた時、心に決めたことは、「よし!、この上は妙信講は地下に潜ろう、そして次の大事な御奉公に備えよう」ということでありました。すでに大聖人の御遺命の正義は死守せられた、猊下の御本意は守られた、もうこれ以上重大法義が歪曲されることはあり得ない、いやさせない、この確証がついた時、次の御奉公に進もうと肚をきめたのです。よって直ちに踵を返して黙々と新しい前進を開始した。「地下に潜る」とは、何も求めない、右顧左眄しない、ただまっしぐらに大聖人様のお待ち遊ばす法戦場に到達したいという気持でありました。…
 "日本の崩壊はすでに始っている"
 "見よ! 悪性インフレを"
 "高度成長も根無し草の繁栄"
 "前途を阻む資源の枯渇と公害の壁"
 "一進一退はあるとも破滅の淵へ"
 "経済崩壊は餓鬼道の苦報"
 "国立戒壇なくして日本は持たぬ"
 "死身弘法・一国諌暁の旅を急ごう"」
 すでに日本の崩壊は経済から始まり出しているのです。やがて自界叛逆、他国侵逼に至るかも知れない。しかもこれを諫める者は無いのです。これを思えば、なんとしても妙信講は力を持たねばならぬ。…
 妙信講の弘通の真心がある一点に達した時、必ず一国諫暁の御奉公に立つことが出来る、一国はゆさぶれます。すでに一万に満たざる弱小の講中を以て、この大宗門の中で重大な御奉公を果したではないか、十万の時はまさしく一対千となる。昔から「一騎当千」という言葉があります。… 妙信講の前進は必ず大聖人様が見てて下さる」(「冨士」第123号 )
12月16日  創価学会、第36回本部総会開催。
 池田大作会長「たとえ私どもと 異った思想、意見を持った人々であったとしても、もしその人たちが暴虐な権力によってその権利を奪われ抑圧されそうな時代 … 断固それらの人々を擁護していく。… 例えば他宗教の人であれ、また宗教否定の思想をもつ人であったとしても、これらの人を守りたい」
 細井日達管長「故に『観心本尊抄』に『天晴れぬれば地明かなり、法華を識る者は世法を得可きか』とも説かれているのであります。… この法華経の肝要である大聖人の仏法を、よく研鑽されている池田先生の言論が、政治、経済にわたっても、しぜんとその実相に到達していることは、深く評価せられるべきであると考えます。この英知の池田先生を会長としていただいている学会員の皆さまは、まことに幸福であり、名誉であると思うのであります」
12月22日
 妙信講、常盤台に本部会館落成、「天魔も砕けぬ法城」
 松本日仁能化、慶讃文。「維持昭和四十八年十二月二十二日の佳き日を卜し、妙信講本部会館新築落成せるに依り本門の大御本尊を御奉安申し上げ、恭しく落慶入仏の式典を挙行せんと欲す。仰ぎ願はくは仏祖三宝尊証智証鑑し玉へ。…
 講頭浅井甚兵衛には再建已来今日に至る迄十有六年の間、一日も猊下の御思召をゆるがせにせず、ひたすら宗祖大聖人様の御書の御正意を遵守し一意専心教学の研讃と折伏弘教に邁進し、更に聖人展についての諫訴、つづいて御遺命守護の為めに日夜挺身、奮戦努力邁進せり。… 本年よりは愈々一意専心、一国諫暁・広宣流布・民族救済の大業に向って邁進せんと其の準備に着手、既に去る五月には六綱目の方策を立てて着々其の具体化を進めたり。此の会館又其の六綱目の一つにして、今その会館の落成を見るに至る。誠に慶祝の極みにたえず、依て本日茲処に落慶御入仏の式典を挙行するものなり」
 浅井甚兵衛講頭「日本は根本の妙国であれば、時来れば必ず本化国主・日目上人がお出ましになる。妙信講は、その露払いとして斗わせて頂くのであります。… 日本は崩壊に向って突き進んでいる。これを止め国家を安泰になすのは、広宣流布・国立戒壇建立以外にはない。この本部会館はその斗いを進める根城であります。十万達成は一国諫暁の基盤であります。ゆえにこの本部会館を依り所として、折伏に教学に、歓喜勇躍して精進してもらいたい。(大拍手)」
 浅井昭衛本部長「思えば再建以来十六年、妙信講には城もない、ただ山に寝、野に伏して斗ってきた。だが本日ここ本部会館に大御本尊がお出ましになった。もうすでに、この法城は天魔も砕けぬ法城であります。… 本日お出ましの御本尊こそ、妙信講の大願たる十万達成・一国諫暁を全講員が祈念し奉る御本尊であります」(「冨士」第125号 )
(※ 講員に一切の負担をかけず、浅井甚兵衛講頭が私財を投じての建設であった )
12月29日  創価学会、池田大作会長。第2回御義口伝受講者大会で『賞本門事戒壇正本堂建立本尊』を、すでに板本尊として模刻してある事実を明かす。
 創価学会の五つの宝について、
「一、本部にある大法弘通の御本尊さま。
 二、戸田先生からいただいている刀。
 三、留言集だ。一つの相伝書だ。秘みつなんていうものではない。
 四、玉璽だ。代々の会長に伝えるのだ。つくってある。
 五、実は、本門事の戒壇は正本堂という御本尊がある。猊下と私だけの唯仏与仏だ。板本尊で、まさしく化儀の広宣流布の八百万は、明確に終わった。文化会館の七階の座敷に安置してあるのだ。これは、私が直接うけたもの。私が拝ませてあげよう。この五つを全部、後世に伝えていくのだ」(『継命』、原島嵩 1980年9月15日号)
 
  年表  
昭和49年 (1974)          _
1月15日  創価学会、第5回教学部大会開催。原島崇教学部長「池田先生が何回も重ねて表現する『創価教学』とは一体何なのか。端的に申し上げれば未曾有の仏法実践者である会長に直結する教学であります。即ちこれこそ日蓮大聖人にダイレクトにつながっていく教学」と講演。
1月23日  創価学会、聖教新聞に「本当の仏法は僧侶仏法ではない」と掲載。
1月25日  創価学会、福島源次郎副会長。聖教新聞紙上で「『感応の妙』の基本は、あくまでも『師弟の感応』であることを忘れてはなりません。…… 池田会長の心に、自分の心をどのように感応させていくか。たえずその姿勢が自分にあるかどうかが大事なのです」と。
1月26日  創価学会、池田大作会長、香港訪問。1月26日 ~ 1月31日。
1月28日
 妙信講、理事室設置。理事長を設置する布石である。11支部の陣容となる。
1月 日  創価学会、「正本堂事業の会計上のつき合わせをしておかないと国税局にふみ込まれる」との名目で、大石寺の法人事務と経理のすべてを公開させ、詳細な検討作業に着手。
2月16日  創価学会、池田大作会長、大聖人の再誕を匂わす。
 日蓮大聖人誕生の地を訪れた際、「確か、あの時もこのメンバーだったなあ」、境内の千年杉に「なつかしいなあ!」と、自身が大聖人の再誕であるかのように側近に振る舞う。
(※ その杉は、大聖人入滅後の木であり、却って馬脚を顕した )
3月1日
 妙信講、「冨士」巻頭言、浅井昭衛本部長「大御本尊に祈念せよ」
「妙信講、卑しく非力なりとも今国立戒壇を叫ぶべき資格を有する唯一の講中であれば、『寧喪身命不匿教』の仏誡を恐れてただ死地に赴かんとするのみである。…
 お出ましの大御本尊は、妙信講の大願たる十万達成祈念の御本尊であられる、不可思議の力まします、祈りの叶わぬことはない。…
 十万達成すれば国立戒壇は再び宗門の公論となること間違いない。これ大聖人の御意なるがゆえである。それにつけてもあの悪書「国立戒壇論の誤りについて」を刊行した宗務院はどのような気持でいるのか、懺悔の一分も無いのなら必ず大罰を蒙ろう、名利の為に権力に諂い法を曲げるくらい恐ろしいことはない。御本仏の御眼を蔑ってはならない。妙信講はジッと見ている。三月一日」(「冨士」第127号 )
3月7日  創価学会、池田大作会長。アメリカ合衆国、ペルー共和国、パナマ共和国を訪問。3月7日 ~ 4月13日。
3月10日  小野田寛郎 (陸軍中野学校出の旧日本兵)、フィリピン・ルバング島で29年ぶりに発見される。
 1945年2月28日、アメリカ軍約1個大隊1000名がルバング島に上陸、日本陸軍の各隊はアメリカ海軍艦艇の艦砲射撃の大火力に撃破された。米軍にフィリピン全域を制圧され、小野田は終戦後もルバング島に取り残された。
3月14日  創価学会、聖教新聞に戸田会長の獄中の悟達を、「自らの生命を燃え尽くすような実践があって『自解仏乗』は可能になる」とし、「御本尊、池田大作会長に直結し」と、本尊と池田大作会長を同列に並べる。
3月19日  創価学会、池田大作会長、パナマ共和国にてノリエガ将軍と初対談。
3月25日
 妙信講、研修部。「如説修行抄」講義開始。
3月27日
 宗門、在勤式。細井日達管長、「今、我々はたいへん馬鹿にされておる。坊主、坊主といって馬鹿にされておる。馬鹿にしている人が正しいのか、馬鹿にされておるの我々が正しいのか、一概には言えないでしょう」
4月1日  創価学会、池田大作会長。「法華経を媒介として、ご自身の境地を開き "生命" そのものに迫っていかれた。… 創価仏法の原点は、いうまでもなく戸田前会長の悟達にあります」と。(「大白蓮華」4月号 )
4月2日  創価学会、池田大作会長、「私の仏教観」刊行。
4月8日
 妙信講、宗務院に登山について意向確認の書状送付。
「妙信講の御登山御内拝について昨年五月十一日、書状を以て妙縁寺御住職を経て正式に願い出ましたが、その後一年を経んとして未だお許しもなく、而もその折「国立戒壇を主張する間は許されず」との意向が妙縁寺御住職を経て伝えられております。… 此処に事は極めて重大なれば、改めて真意を糺します。宗務院の御意向はこの伝言に、相違なきやと。
 もし妙信講が仏法の歪曲に与せず、国立戒壇の正義を主張するが故に御開扉を妨害せられるならば、妙信講は本望であります。未だこれ御遺命の正義守護の御奉公ことおわらず、徹底を欠くの証拠であります。さればいよいよ妙信講の命運を賭して、歪曲の根源を断つのみであります。… よって正式の回答、必ず四月中にせらるべきであります」(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
「日達上人は、これを、七百年来続いた日蓮正宗にとっての危機だと感じられ、「たとえ自分一人でも大石寺と御本尊を守る」とまで宣言された。… このように緊迫した状況の中で、宗門内には「創価学会と手を切るべし」という御僧侶達も増え、その中から陰で妙信講をけしかける人達も出ていたのである。こうした状況を見て、浅井昭衛は「今こそ創価学会を叩き、宗門から追放して自分が宗内の主導権を握るチャンスだ!」と判断したのである。「御法主上人も宗務院も、そして僧侶方も、最後は創価学会を叩く妙信講を支持してくれるだろう。そして創価学会さえ追い出せば、宗内にはもはや恐いものはない。宗務院や法華講など力で押さえつけられる」。こうした打算があったから、浅井はにわかに「信義に悖ると言われようと結構だ」と言い放って、第二次大戦末期、急に不可侵条約を破棄して北方領土や旧満州に攻め込んだ、ソ連にも似た行動を取ったのである。この見方が正しいことは、その後の妙信講の振る舞い、行動を見ればよくわかる」(「あの頃のこと」第九回 山崎正友 「慧妙」第202号 )
4月10日
 宗門、弾正教会、千葉県市川市大和田に移転、弾正寺と寺号公称。
4月12日  創価学会、山崎正友・八尋頼雄顧問弁護士、報告書『本山について』を作成・提出。(「山崎・八尋報告書」)
「本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理していくかについて、二通り考えられます。
  一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかからない範囲で、つまり向こう三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係ではいつでも清算できるようにしておくという方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて、背後をかためるという方法です。…
  本山、正宗は、党や大学、民音以上に学会にとっては存在価値のある外部と思われ、これを安定的にひきつけておくことは、広布戦略の上で欠かせない要素ではないかと思われます。…
 そのための布石としては、
 一、本山事務機構、法人事務、経理事務の実質的支配。
 二、財政面の支配、学会依存度を高める。
 三、渉外面の支配。
 四、信者に対する統率権の支配、宗制宗規における法華講総講頭の権限の確立、海外布教権の確立等。
 五、墓地、典礼の執行権の委譲。
 六、総代による末寺支配。
が必要です。
 これらのことは機会をとらえながら、さり気なく行うことが必要であり、今回のことは、一、二、三を確立し、さらに四までを確立できるチャンスではあります。いずれにせよ、先生の高度な判断によって決せられるべきと思いますので、ご決断を仰ぐ次第です」
4月25日
 宗門、細井日達管長、法華講連合会春季総登山で創価学会の"会長本仏論"を批判。
「御書に「天に二日無く地に二王なし、一仏界二尊の号なし」という事を、仰せになっております。… 最近ある所では、新しい本仏が出来たようなことを宣伝しておるということを薄々聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。… そういう間違った教義をする人があるならば、法華講の人は身を以てくい止めて頂きたい。… 教義の間違った広宣流布をしたら大変であります」(「蓮華」6月号 )
4月30日
 宗門、早瀬道應総監。総本山で、細井日達管長の意向として「国立戒壇を捨てねば登山は不許可」と、妙信講に伝えた。
「4月30日、宗務院の一室で早瀬総監は、悪びれた様子でいかにも云いにくそうに、この手紙について次のように回答した。 「実は猊下の御意向として、妙信講が国立戒壇を主張する以上、御登山を許すことはできないと云われているので......」と。池田大作はまたも宗門に圧力をかけたのであった。この時点でなぜこのように見えすいたことをと、一見不可解でもあるが、それなりの理由はあったのである。
 当時彼が最も恐れていたのは、宗門の中では妙信講、外では共産党であった。ゆえに共産党から昭和45年4月に「国立戒壇は憲法違反ではないか」と質されれば、政府の照会に対しあわてて「国立戒壇は放棄した」と回答し、細井管長にも「国立戒壇の名称は今後使わない」旨を宣言させたのであった。 一方、宗門内において妙信講から御遺命違背を強く責められれば、その道理に屈伏して確認書を作り、さらに聖教新聞紙上においても正本堂の意義を訂正してきたのであった。 しかしこの上妙信講に「国立戒壇」を高唱され、宗門がこれを黙認すれば、日蓮正宗は国立戒壇を放棄していないことになり、こんどは共産党から反撃される恐れがある。よって細井管長をして、登山にことよせ妙信講の口を封じようとしたのである。
 この年に「創共協定」なるものが結ばれたのも、このことと無関係ではない。後年、池田大作は法廷において「創共協定は妙信講対策のために結んだと日達上人に説明した」と証言し、また宮本共産党委員長は、昭和50年7月30日に「学会が国立戒壇を捨てたので、創共協定を結んだ」と語っているが、この両者の発言を並べ見る時、思い半ばに過ぎるものがあろう。
 そもそも御遺命守護の戦いは、創価学会が憎くて起こしたものではない。ただ法を惜しむ一念、大聖人への忠誠心のゆえである。ゆえに学会の首脳部さえ懺悔すれば、組織に動揺もなくやがては末端にも滲透すべしと思い、初めは内々の確認書で決着とした。…
 しかるにいま再び不実を見た。ならばどうしても、政府への欺証を徹回せしめなければならない。この根が残っている以上、学会も宗門も、国立戒壇を否定し続けなければならないし、正本堂の誑惑を保持し続けなければならないのである。
 しかしこれを迫れば、今度こそ妙信講に死罪たる解散処分が下されることは目に見えていた。だが私は大聖人の御眼を恐れた。大事の御遺命を守るに徹底を欠く「ゆるき行者」との御叱りを恐れた。未だ御遺命守護の御奉公は終っていないのだ。ここに三度目の諫暁に立つ決意を堅め、第十六回総会においてこれを発表した」(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
(※ 浅井昭衛理事長は、「登山にことよせ妙信講の口を封じようとした」と云うが、そうだろうか。試練と忍従の長期間、登山停止は妙信講員の結束を固めこそすれ、そんなことで妙信講の口を封じることはできない。登山停止に効果がないことは、細井日達管長も池田大作会長も、そして浅井昭衛理事長も判り切っている。新設の妙信講本部会館には妙縁寺重宝の御本尊が安置され、十万達成を目指して全国末寺で御本尊下附が可能となっている。「宗門がこれを黙認すれば、日蓮正宗は国立戒壇を放棄していない」ことになるのは、妙信講にとってむしろ願わしい事態ですらある。櫻川 忠 )
5月6日  創価学会、池田大作会長。細井日達管長に目通りし「賞本門事戒壇正本堂建立」本尊の裏書に、「此の御本尊は、正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇たることの証明の本尊也」と付け加えるよう要求。
 細井日達管長これを退け、「此の御本尊は、正本堂が正しく三大秘法抄に御遺命の事の戒壇であることを願って建立されたのを証明する本尊』と修正。(藤本メモ)
5月9日  創価学会、北條副会長。「日蓮正宗国際センター」設立の承認を求めて細井日達管長に目通りするも、細井日達管長これを強く拒否。
 細井日達管長、「日蓮正宗とは別個に学会として作ればいい。… 正宗は小さいままでけっこう。… 教義はどんなことをしても守らなければならぬ。国際センターのことは学会だけでやったらよい。… いくら学会が折伏して増えたといったって、謗法する人が増えたのでは何もならん」
 北条浩副会長、創価学会本部に戻るや烈火のごとく顔を紅潮させ、「もうこれでハイ、オサラバだ」と怒り、後に池田大作会長に「本山の件」とする報告書を提出。
「9日の本山お目通りの際、猊下の話は大へんひどいものでした。之が猊下かと疑うほど、また信心そのものを疑いたくなるほどひどいものでした。… 広布の上に重大障害となりまた宗門僧侶等の問題の一切の根源がここから出ていると感じました。(池田)先生が前々から見抜いておられた本質がさらけ出されたように思いますが、あまりにひどいので、かえすがえす残念です。
 広宣流布など全く考えていない。自分達の私財がふえることと、信徒を見下してえばって暮せれば満足、という風にしか考えられません。学会が生きぬいてゆく為には、相手に信心がないならうまく使ってゆくか、徹底的に戦って学会の旗を守って死んでゆくか。いづれにせよ、先生の最大のご苦心にふれる思いで決意を固めました」 「広布の上に重大障害となり、また宗門僧侶の問題等の一切の根源がここから出ている」(北条報告書)
「日蓮正宗から分離独立し一宗一派をつくるその土壌は、創価学会内に池田大作会長中心に十分できあがっていたからこそ『北条報告書』もそれをかくことができた」(『池田先生への手紙』、原島 嵩 )
(※ "北条報告書" 流出の経緯 … 山崎正友顧問弁護士は創価学会の実態を知ってもらうべく、内部資料を持ち出し阿部日顕管長に預けていた。この資料の返却を願った際、山口法興師(後に正信会)によってコピーされ流出した )             
5月18日  インド共和国が核実験、6番目の核保有国となった。インディラ=ガンディー政権は、西部ラジャスターン州で地下核実験を行った。核軍縮の世界的な流れに反し、国際的批判が巻き起こった。
5月19日
 妙信講、第16回総会開催(渋谷公会堂)。「"国立戒壇の正義"断じて護持」、浅井昭衛本部長、理事長に就任
 浅井甚兵衛講頭、「今妙信講の為すべきことを思えば、この斗いにはどうしても若き精力と、強盛なる信心、勇猛心が必要である。この斗いの前に私は憶憾ながら、すでに七十歳をこえております。老人が指揮を取ることは斗いのマイナスである。「麒麟も老ゆれば驢馬に云々」と言葉がある。故に私は専ら後方の任務に当る所存であります。 そしてここに改めて本日、信心と勇気と実力を具えた若き新理事長に、今後の斗いの一切の指揮采配を一任いたします。講中一同新しき理事長指揮の下に、御遺命たる国立戒壇建立の御奉公に、一路前進してもらいたい」と述べ、浅井昭衛新理事長に講務を統括し対外的に講中を代表する一切の責任と権限が附与された。
 浅井昭衛理事長、「先月4月30日、宗務院に出向いた時、それについてキッパリと云い切ってまいりました。「妙信講はいかなることありとも国立戒壇の正義は捨てない。不純な取引きの如き御登山は大聖人の御意に叶わぬから、今はかえって御辞退申し上げる」と答えてまいりました。… 妙信講はいかなる誘惑にも脅迫にも負けない。…
 今後、妙信講はいかにすべきか。重大なことであれば、私はここしばらく人を避け、心を静めてこれを勘えておりました。そして今、結論として決意することは "御遺命守護の御奉公未だおわらず、徹底してその悪を断ち、法の為、国の為、早く国立戒壇を宗門の公論とせねばならぬ" との事であります。… 師子王の心を取り出し、国立戒壇への怨嫉をこの際徹底して打ち砕き、さらに政府への詐わりの回答も断じて訂正せしめる。…
 私は決意しております。この事をなすに当って、その徹底を期するためには、時として、或は止むなく信徒の分をこえた発言もせねばならぬかも知れない。今これを憚り恐れていては大事は為し得ない。宗門に秩序あるはよくよく承知であります。護法の為とは云え、万一にも権威を犯し奉り、正宗信徒として分をこえたる非礼僭越がもしあれば、事おえたる後に幾重にもお詫び申し上げ、自分の責任はとらせて頂く。
 また妙信講の行動は出所進退正々堂々と、仏法の上にはもちろん、世間の法においても一分のあやまちも犯さない、但し、もし自分の不明により、国法の落し穴あらば、一切の責任はこの私にある。ただいかなることありとも、大聖人の御守護を給わり、断じて国立戒壇への怨嫉は打ち擢く決意であります」(「冨士」130号 )
 総会終了後の支区部長会で、浅井昭衛理事長「この理事長職を私の死装束とする。断じて国立戒壇への怨嫉を粉砕する」と。
(※ 70歳の父に「麒麟も老ゆれば驢馬に劣る」と云わせ、全権を掌握した浅井昭衛理事長、今(令和3年)や90才である。浅井甚兵衛講頭からすれば、申し分のない驢馬となっている。櫻川 忠 )
5月24日
 妙信講、創価学会に公開討論申し入れ。常在寺にて浅井昭衛理事長、秋谷栄之助副会長に「公開討論申入書」を手渡し、回答を5月末日までにせよと要求。
 公開討論申し入れ書「此処に妙信講黙す能わず諫訴三年有半、その間、昭和45年9月11日には確認書、同47年10月3日には公式の訂正文を学会に出さしめ、歪曲すでに是正されるかに見えて今日に至りました。
 然るに此の度、宗務院より妙信講に対し国立戒壇の放棄を迫り、応ぜざれば登山停止との暴挙が行われました。これ表面は宗門の意志のごとくに見えるも、裏に学会の意向瞭然にして本心よりの懺悔訂正なき事また顕然であります、… 事、此処に及べば、その無懺すでに大聖人の許し給わぬ所であります。果してすでに立てたる正本堂が御遺命の戒壇なりや、将又広宣流布の暁に立てらるべき国立戒壇が御遺命の戒壇なりや、この事、仏法の大事・宗門の大事・国家の大事にして、これに過ぎたる大事は無ければ、学会と妙信講において各々命運を賭して公場にこれを諍論すべきであります」(「冨士」第131号 )
 浅井昭衛理事長「総会終了後、直ちに御遺命守護の徹底のためにまず第一歩の斗いを進めて参りました。さる5月24日、総会の5日後ですが池袋の常在寺に於て、学会の代表三人に来てもらってその席で公開討論の申し入れ書を正式に渡しました。その公開討論とは、一つには口頭討論、いわゆる言論による討論、この豊島公会堂に於て、出来れば来たる6月20日に、お互いの聴衆の見ている前で果して大聖人様の御遺命とは何であるか、という事を徹底して論議しその道理のおもむくまま一挙に事を決したい。もし口頭討論ということが先方が好まなければ誌上討論ということも提案しました。… 今月(五月)の月末迄に、何等かの返事がくることになっております」(「冨士」第130号 )
「無用な騒ぎはできるだけ避けたいとの学会側の配慮で、学会幹部が浅井に会い 再三再四「戒壇問題は冷静に論議しよう。その間おろかな行為を慎むべきである」と説得し、一時は浅井もその気になって具体的な話し合いのルールとスケジュールの段取りについて三案が話題にのぼり、いよいよ5月24日に常在寺において最終的に煮つめて結論を出そうということになりました。
 ところが、5月24日、常在寺にあらわれた浅井は、今までの話を一切破棄して 一方的な内容の公開討論申し入れ書を読み上げ「イエスかノーか」と迫りました。学会側は大いに驚き、その信義に違背する姿勢を非難したところ、浅井は「どのような無茶なこと、信義を無視した、ルールを無視したと云われてもかまわない」「けしからんというのも一つの返事であるし、こんなもの受け取れるのかというのも自由である」等と横暴な言辞をはき、文書を置いたまま逃げるようにして帰りました」(「元妙信講等処分の経緯について」)
「国立戒壇と正本堂の意義については、双方主張が平行線となってしまい、引き続き、継続して法論を行なうということで先送りされたから、法論が続けられるはずだったが、双方ともあまり熱意を示さず法論は行なわれなかった。それでも数ヶ月に一度くらいのぺースで、秋谷・山崎対浅井の会談は続けられた。昭和四十九年五月末になって、妙信講は浅井昭衛を理事長にする人事を総会で発表し、… 浅井昭衛の独裁的地位を確立して、その上で秋谷副会長および私との対決の席で一方的に『公場対決申入書』を突き付けた」(「あの頃のこと」 山崎正友 「慧妙」第202号 )
5月26日
 妙信講、5月度総幹部会開催(豊島公会堂)。「仏法が曲がれば必ず国は亡ぶ」
 浅井昭衛理事長「いずれに致しましても、道理を尽して大聖人様の御遺命とは何であるか、若しそれがわかったならば全責任をとって、宗門に対し国家に対し身をもって過ちを正す、正義を示さなければいけないという義務を双方に負って進めておりますので、このことが軌道に乗れば誠にありがたい事、すべてが道理を先とした平和裡の解決がつくものと思っています。 万一このことが軌道にのらなければ、それはその時、すべて大聖人様の御仏意であります。事の済むまで徹底して行なわなければならないと思っております。
 私は十万達成・八年後になれば、国立戒壇は自然に宗門の公論となるという路線を今までとっておりましたが、恐らくは大聖人様が "それでは遅い、日本でたった一つの正系門家が八年間も国立戒壇を放棄するとは何事か" ということの思し召しが、いわゆる今回の「御登山停止」ということになって、妙信講に対し事の解決を迫られているのだ、すなわちこれ大聖人様の御命令であるということを強く感じております」(「冨士」第130号 )
(※ 「これ大聖人様の御命令」というのは、認知心理学でいう典型的な「確証バイアス」に他ならない。"八年" が待てずに暴走し、"試練と忍従" も "御遺命守護" も自ら台無しにしてしまった。その自身の大失態に対し、大聖人様に宗門に妙信講員に重い責任を負うべきである。しかし、浅井昭衛会長は責任のすべてを他者に転嫁し、自身に一切の非を認めない。櫻川 忠 )
5月27日  創価学会、聖教新聞『名字の言』、「仏法僧の三宝であるが、この『僧宝』が問題なのである。『僧宝』と言っても僧侶を意味するのではなく、社会の中で実践し『法』を正しく伝持する人々のことである。… 今日における『僧宝』つまり仏法実践者の組織としては創価学会」と掲載。
5月29日
 宗門、創価学会に「妙信講との公開討論禁止」との返書。
「私は、二度にわたり浅井昭衛と一対一で会い、暴発を思いとどまるよう説得した。「ことによっては、創価学会が宗務院にとりなして、登山が叶うように力添えしてもいい」とまで言った。だが、浅井昭衛は「あなたや秋谷さんの気持ちはよくわかる。しかし、我々はもうこれ以上、我慢を続けるつもりはない。今、根本的に邪義を糺さなければ、もはや糺す時は永久に来ないだろう。今、振り上げた拳を降ろそうとしたら、妙信講は空中分解する。もう、後戻りはできない」と、方針を変えようとしなかった」({あの頃のこと」第九回 山崎正友 「慧妙」第202号 )
5月29日  創価学会、池田大作会長、第一次訪中。5月29日 ~ 6月16日。
 池田訪中団は、香港から深圳へ徒歩で国境を超え、北京・西安・鄭州・上海・杭州・広州の6都市を巡り、北京大学などを訪問。李先念副首相との会見では中ソ対立を背景に、中国の核兵器先制不使用、平和5原則堅持の言明を聞き出した。
(※ 池田大作会長は訪中直前に、東京で陳楚駐日中国大使、トロヤノフ駐日ソ連大使と相次いで会談している。6年前(1968年9月8日)、池田大作会長は第11回学生部総会で「日中国交正常化への提言」を発表していた。当時の日本政府は、外交の障害になるとの見解を有し、外務省幹部が駐日米国大使・在日米軍司令官等との協議の席上で、池田発言への懸念を表明していたことが、後年明らかになっている )
5月31日
 宗門、細井日達管長、寺族同心会大会で創価学会批判。
「このままでは軒を貸して母屋を取られる。… 大聖人のご法門を、永久に少しでも曲げずに、また、いろいろな混じりものもなく純粋に保っていく、ということがもっとも大切なことと思います。その時、そのためには、あるいは一時身を小さくするときもありましょう。… 私は、どこまでも一人でいいから本山を護りたいと思います」
6月3日  創価学会、細井日達管長の意向によるとし、妙信講との公開討論を書面で拒否。
「我々としては、今日まで貴殿との実りある話し合いを望んで、そのために誠意ある姿勢を貫いて参りました。また今もその気持ちには変わりありません。しかるに、貴殿の24日の突然の挙に対し甚だ心外の念を禁じえません。そもそも宗門が話し合いを要望されたのはあくまで宗門の統制内で信徒同士で誠実に、紳士的に意見の交換を行うようにということであり、決して対決・公開の席での討論といった形をさすのではありません。… 猊下を苦しめ、本山の宗教上の権威を冒潰するような形での討論にはとうてい応ずることはできません」(「冨士」第131号 )
6月13
 妙信講、重ねて創価学会へ念告。
「見えすいた小細工こそ厳に慎むべきであります。もし真に猊下の御意とならば、学会・妙信講の代表打ち揃って御前に詣で承わるべきであります。それも為し得ず、しかも強いて猊下の御意なりと学会が強言するならば、敢えて此処で云わねばなりません。即ち猊下御自身が近年学会の横暴と教義の歪曲に対し、いかほど御心痛と御憤りを懐かれ給うかを。すでに活字にされた公式の御指南なれば此処に引き奉る。猊下には本年4月25日、全国の法華講信徒に対し、次の如く仰せであります。『最近ある所では、新しい本仏が出来たようなことを宣伝しておるということを薄々聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません … 』(蓮華五月号所載)と。
 この強烈の仰せ下しを学会はいかように拝し奉るか。猊座利用の大不忠が自ら招いた業報と深く慎むべきであります。いずれにせよ熱願せる公開討論はすでに不可能となりました。私は道理を前とした唯一の平和的解決の手段として、この公開討論に賭けておりました。今やその道も閉されたのであります。… いさゝかの怖畏懺悔もなきこの無道心、断じて大聖人の許し給わぬ所であります。されば「当に苦治すべし」の御金言に任せ、妙信講非力なりとも御守護を給わり、一死を賭して歪曲の根源を断ち、更に御遺命の正義を一国に顕わすのみであります。右念告まで」(「冨士」第131号 )
「折から、一度攻撃の矛を収め、静観していた妙信講が、日蓮正宗と創価学会のただならぬ雲行に宗内の主導権を握ろうと、創価学会との休戦協定を一方的に破棄し、攻撃を開始した。秋谷栄之助(当時・副会長)と私が、東京・常在寺において、妙信講の浅井昭衛と面会し、懸命になだめたが、浅井昭衛は、『理不尽と言われようと、信義にもとると言われようと、かまわない。御自由にどうぞ。我々は、創価学会に宣戦布告する』と言い残して席を立った」
「妙信講は、さっそく堰を切ったように、機関紙や街頭示威行動、パンフレット等で、激しく創価学会攻撃を展開、さらに宗務院に対しても噛みついた。… 宗内では『毒を以て毒を制すだ』と、妙信講の肩を持つ僧侶も少なからずあった」(「あの頃のこと」山崎正友「慧妙」2003年11月16日号 )
6月15日
 宗門、細井日達管長。「信徒が、もし僧侶を驕慢の心をもってばかにし、あえて、僧侶をなき者にしようとする心がもしあるならば、それは信徒としての道を誤る」と。(応供師満山供養、法華講目通りの際)
6月18日
 宗門、細井日達管長、富士学林研究科にて創価学会と妙信講の双方を批判。
「この辺でも、最近、或る書が御書だということを盛んに言われてきております。私の耳にもしばしば入ってきています。又、誰れ誰れが仏であるという言葉も、この近所で聞かれるのであって、私は非常に憂慮しています。… 大聖人以外に本仏があるなど日蓮正宗ではない。日蓮正宗の教義でないものが、一閻浮提に広がっても、それは、広宣流布とはいえないのであります。…
(戒壇建立の)この建立という言葉が、建物を建てると、こう決まっているものではない。… じゃ、建物が国立っていう、誰か偉い人が立ててくれなければ、そこへお参りしてもさっぱり御利益がないのか、というような考えではしかたがない。建物なんかどうでもいいんです」(『蓮華』7月号)
「創価学会、池田会長と固有名詞こそ出てないが、この談話が誰を指しているのかは明瞭である。注意したいのは、これらの談話が掲載されたのは、それぞれ昭和49年5月、6月、7月である。妙信講への解散処分は同年8月12日。不協和音を奏でながらも、妙信講抹殺のためには一致団結で共闘していたのである。…
 宗門の伝統教義である事の戒壇即国立戒壇説の抹殺は、池田大作の野心から発している。それに日達上人と宗門が、伝統教義を歪曲してまで追随協力した。これに金魚の糞のように法華講連合会がくっついていった』(「冨士大石寺顕正会」下山正恕 )
6月18日  創価学会、北條浩副会長。報告書 『宗門の件』を、池田大作会長に提出。
「広布の前途を大きく開いて帰国された先生に、このような報告を申上ることは洵(まこと)に残念なことであり、且つ申訳ない限りでありますが、報告を怠ってご判断をあやまらせてはより以上重大なことと思い、中西、秋谷、山友と相談の上、ご報告申上ます。また私たちなりに検討しました対策もしたためますので、ご指示賜りたく、その上で、私どもいかなる事なりとも闘う所存です。
 かねて先生の仰言っておられた通り、私たちの到底想像することの出来ない、みにくい姿であります。いづれにしても私たちは断乎たたかいぬく決心です。Gの心理は、一時的なものではない … 長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。本質は、カトリックとプロテスタントのような違いである。戦術的には、すぐ決裂状態となることは避けて … 当面Gの異状心理をしづめ、新しい進路を開きたいと考えます。但し、やる時がきたら、徹底的に闘いたいと思います」
6月26日
 妙信講、6月度総幹部会開催、1万2千世帯突破。
 御遺命守護特集号の「顕正新聞」第18号発行。浅井昭衛理事長の号令一下、創価学会との公場対決を求めて、「顕正新聞」第18号の百万部一斉配布を開始。
「妙信講の一方的な宣戦布告によって、創価学会は、折から日蓮正宗との関係が悪化していたこともあり、背腹に攻撃を受けることになりそうな形勢となった。それではたまらないから、日蓮正宗との関係修復に必死となった。…
 国際センターは、創価学会だけでやります。数々の非礼はお許しください。今、創価学会は、正本堂建立に全力をあげてきた直後で、無理を重ねてきた反動もあり、苦しい中で内部充実を計っています。しかし、必ず近いうちに寺院建立など、御奉公を再開します。…
 妙信講は、無法な暴力集団であり、浅井昭衛は、創価学会に取って代わって、宗門を思うがままに牛耳ろうとしています。御奉公を何もしないで、要求を突きつける、えげつない連中です。彼らの天下になったら、宗門は暗黒です。ここは、妙信講を徹底して排除するために、御宗門と創価学会が、一致団結して当たらなくてはなりません。宗門と学会がいがみ合うようでは、必ずつけ込まれます。我々は、全力をあげて、妙信講の暴力から御宗門をお護りします等々と、宗門側の説得に努めた。…
 結果、御法主上人も宗務院も、何をするかわからない妙信講に実力で対抗できるのは創価学会しかないから、当面は創価学会と和解し、一致して妙信講問題を根本的に片付けることになされた。
 逆に、創価学会にとっては、妙信講の暴走のおかげで、『危機一髪』だった日蓮正宗との関係を修復し、破門される危機を免れることができたのである」(「あの頃のこと」山崎正友「慧妙」2001年9月1日号 ) 。
6月 日
 妙信講、正本堂完工式の来賓を問題視。
「正本堂の落慶式に先立って行なわれた完工式に、ローマ法王庁から二人、米国から二人、都合四人のキリスト教神父を正式に招いていたのであった。… しかし妙信講がこの悪事を知ったのは二年後の49年夏であった」(「なぜ学会員は功徳を失ったか」 浅井昭衛 )
 宗門、浜中和道師。「聞くところによると浅井昭衛は、6月頃に『いよいよ学会をやっつけようとしている時に、こういう願ってもない攻撃のネタが見つかった』と大喜びしていたそうです」(「元妙信講問題について」)
7月1日  創価学会、「大白蓮華」7月号発行。「指導の要点」(雪山居士)で、謗法容認の論。
 伝統的な宗教行事への参加について「悪鬼乱入の寺社に関係するのであるから、それ自体『謗法』であることは否定できない。ただ広布のためという目的観と、御本尊への信仰によって、これを越える善根を積み、帳消しにするのである。その意味で、それが謗法であると自覚できる人ならば、自らの責任において、あえて、これを犯してよいともいえる」
(※ 内藤国夫によれば、"雪山居士"とは桐村泰次とのこと )
7月2日
 妙信講、国立戒壇に関する五箇条の質問書を、宗務当局に発送。
7月3日
 妙信講、「冨士」編集後記に「顕正新聞」第18号の配布状況。
「◇ 6月28日の夜、全支部に配布されてからわずか三日間で、実に二年前の御遺命守護のあの一ヵ月に及ぶ斗いを大きく上廻る御奉公が展開され、7月3日現在の配布数は実に20万部に及んでいる。
 ◇ 都内全域、さらには地方に於ても、前回にはみられなかった新しい地域での御奉公がある。ことに各地で、正義に目覚めて行動を共にする正宗信徒が次々に立ち上がっており、その反応も顕著で様々な形であらわれている」(「冨士」第131号 )
7月4日
 宗門、妙信講に対し五箇条の質問書につき、宗務院より第1回目の回答。
7月 日
 宗門、細井日達管長。「大白蓮華」7月号の謗法容認記事について『蓮華』にその破折特集を組むよう指示。ただちに全国僧侶から、破折論文が集められる。
7月6日  創価学会、池田大作会長。お詫び登山の体裁で、細井日達管長に目通り。謗法の是正と正宗の厳護を約束し、『蓮華』での破折論文掲載の中止を求む。
7月7日  第10回参議院議員通常選挙、公明党は14名当選。
 物価上昇や地価上昇が社会問題化し、田中内閣による経済失政への批判が強まっていた。投票率は史上最高(73%)となり、野党に票が流れた。自民党は、目標とした参院過半数維持に必要な63議席に1つ及ばず敗北。田中内閣は求心力を失い、やがて金権問題が問題視され、退陣に追い込まれる。
7月8日
 妙信講、重ねて宗務当局に質問書を発送。。
7月15日
 宗門、妙信講に対し宗務院より、第2回目の回答。
7月20日  創価学会、聖教新聞で周徳光議長(東南アジア仏教会議)の「香港メンバーは、久遠の師である池田大作会長を大歓喜の中で迎えることができ……」との、海外代表挨拶を掲載。
7月25日
 宗務院、妙信講にデモ行進を中止するよう誡告。
7月27日
 宗門、細井日達管長。「宗門の現況」指導会で、創価学会批判。
「先月の中頃でしたか。… 北條副会長ならびに山崎弁護士が …. 創価学会と日蓮正宗とのまん中に、もう一つに日蓮正宗国際センターというものを造るという趣旨で来られました。私ははっきり断りました。… 正宗としてはその上に一つ、また被宗教法人ができることになる。… こっちもその下につくんだから何ともする事ができなくなる。その意味からはっきり断りました。どこまでも日蓮正宗は、たとえ小さくても宜しいから、大聖人の教義を守っていきます。…
 会計を、大石寺の会計を調べるという。大石寺も宗教法人で、その年その年に税務署へちゃんと会計報告して通っておる。それにもかかわらず、また第三者が来て会計報告まで調べるというのは、どうも私には意味がとれない。その時に北條さんがいうには、もし調べさせなければ手をわかつ。おさらばする、とはっきりいったのです。…
 一人でもお山を守りたい。たとえ学会と手を切っても、百姓をしてもいいからお山を守ろう、と皆にも言っているんです。… それは正本堂を造ってもらって有り難い。… もし学会が来なくて、こちらの生活が立たないというならば、御本尊は御宝蔵へおしまいして、御開帳願う人があったら御開帳しよう、と覚悟を決めたわけです」
7月 日  創価学会、池田大作(名誉)会長。山崎正友裁判における法廷証言。(昭和58年)
 弁護人:「…先程あなたは昭和49年の7月ごろ、日達上人が学会とは手を切るという発言をしておられたことをきいた覚えがあると、こう言われましたね」
 池田:「手を引くですね。手を引いてもいいという意味の話があったようです」
7月28日
 妙信講、明治公園で「立正安国野外大集会」開催。炎天下、パトカーに先導された3千名の妙信講員が、「政治のために仏法を曲げるな」「謗法与同を許すな」「国立戒壇こそ大聖人の御遺命」等のプラカードを持って、四谷駅まで2キロをデモ行進。「8月15日までに、国立戒壇を否定した政府への欺瞞回答を撤回せよ。もし撤回しなければ、妙信講が文部省に対して訂正する」とした決議文を創価学会本部に届ける。
 決議文「然るに創価学会池田会長は、政治選挙のために世間に迎合し、恐れげもなく御本仏一期の御遺命たる国立戒壇を否定し、未だ広宣流布もせぬ今日、俄かに正本堂を立て、これを以て「宗門七百年の悲願の達成」「御遺命の戒壇の成就」と宗内外に宣伝し、さらに昭和45年4月には、時の政府の国立戒壇についての照会に対し文書を以て公式に御遺命を詐わりました。これ、まさしく上は御本仏大聖人に背き奉り、下は純信の数百万信徒を欺き、外には一国を誑かすものであります。
 而してもし8月15日までに訂正なき時は、誠意すでに無きものとして、則ち妙信講は文部省に対して訂正を為し、以て学会の国家欺瞞の罪を正系門家の一講中として償うものであります」(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
 浅井昭衛理事長「大聖人の御遺命を政府に尋ねられたのに、世の抵抗を恐れ、偽わりの回答をするとは何事か。国家を諫むべき正系門家が国家を欺き御遺命を曲げたということは、日本の将来に重大なる悪影響を及ぼすこと疑いない。これ国の破れる第一の原因であります。さればここに本日、立正安国野外大集会の総意を以って、創価学会に対し、政府への欺瞞回答を撤回するよう強く求めたい、そして万一にも撤回せぬ時は、妙信講が正系門家の一講中として文部大臣に対して訂正を為し、はっきりと御遺命の正義を示そうと思う、これを本日この席で決議しようと思いますがいかがでしょうか。(大拍手)」(「冨士」第132号 )
7月31日
 宗務院、妙信講に解散を前提とした「通告書」を送付。「訓諭に従わず機関紙配布・デモ等を強行したのは宗規違反、8月7日までに弁疏せよ」と。
「傘下の講員を量動員し、機関誌の大量配布、デモ行進などの大衆行動にまで及んでいます。これらのことは宗門の秩序と統制を乱す破和合僧の行為であり、… いやしくも日蓮正宗を名乗り、多くの信者を宗門の方針通り指導すべき講中としては、このようなことは断じて許されるべきではありません」
「まず、宗務院から、妙信講に対し、宗規に定められた手続きにのっり、処分手続きに入ること、処分に対して書い分があれば、言い分を『弁疏』として提出するよう、通告書を送り付けた。その上で、所定の手続きを経て、妙信講に対する解散命令が出された。浅井昭衛は、講中の動揺を恐れて、解散命令を受けたことを隠そうとしたから、私が集めた講員名簿に基づき、『解散処分』を発表した日蓮正宗の機関誌『大日蓮』と、法華講連合会機関紙『大白法』、そして、御法主上人に肉筆で認めていただいた講員に対する呼びかけの書状(速やかに寺院につくように、との内容)を、全講員に送り付けたのである。同時に、法華講青年部と創価学会青年部が共同して、妙信講員への『折伏』を開始した。こうして、日蓮正宗と創価学会の徹底した反撃にあって追い詰められ、うろたえた浅井昭衛は、ついに創価学会本部襲撃という最後手段に踏み切ったのであった」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2001年9月1日号 )
8月1日
 宗門、阿部日顕師、総監代務者に就任。
8月1日
 妙信講、「冨士」編集後記。
「◇ されば浅井先生は、8月1日の班長会で次のように指導をされている。『立正安国野外大集会を契機に、かくれたる悪が必ず表に出てくる。早ければこの八月、遅くともこの九月には何等かの山がくると思っている。自分はこの山を楽しみにしている。悪を呼びよせ、この悪を乗り越え、この悪を成仏せしめなければ、この事は絶対解決できないと覚悟している。御遺命守護の為にすべてを投げ打つ妙信講でなければ到底頑張れるものではない。もし大きな山を迎えれば正宗信徒としての本懐これにすぐるはない。正しいものは必ず勝つ。… 』と。
 ◇ 迎える山とはなにか、いままでの経緯よりみれば、先生が敢て口にされない一事にあることを伺い知る我等である。すでに一同の決意は出来ている。この先生の斗いが、妙信講の斗いが勝利せねば、日本の運命はない。正系門家の存在もなくなる」(「冨士」第132号 )
(※ 表に出てくる「かくれたる悪」とは、池田大作会長を想定していたのだろう。しかし「悪」は、かくれて出てこない。やむなく矛先を「悪」に加担すると見なす、阿部信雄総監代務者へと変更した。しかし阿部師との公開討論も果たせず、裏にかくれて着々と妙信講対策を練っていた策士 "山崎正友" から、ノーガードでカウンターパンチをまともに喰らい、"大きな山" を迎えてしまった。櫻川 忠 )
8月4日  創価学会、池田大作会長。大石寺における高等部夏期講習会で、「仏法者として、本門戒壇の大御本尊を、一生涯忘れないでください」と。
 久留米「水天宮カッパ祭」に、創価学会が組織的に参加した。
8月6日
 妙信講、宗務院に「通告書」への回答書を提出、総監代務者阿部信雄師に公開討論を申し入れ。
「いずれが仏法上正しいか、即ち "御遺命の戒壇は正本堂にして国立戒壇に非ず゛との義と、"御遺命の戒壇は広布の暁の国立戒壇なり゛とする義といずれが大聖人の御意に叶うか、この事こそ事態を解決する鍵であります。
 されば全宗門の見守る中に、是非を決すべきであります。此処に七百年未聞の悪書たる『国立戒壇論の誤りについて』をものせし阿部信雄師を宗務当局の代表として、妙信講は公開討論を申し入れるものであります。… もしかかる道理を尽さず暴戻の断罪を行うならば、それも亦良し。御遺命を守護して身命を喪えば、在家の本分これに過ぎたるは無しと、心中より悦ぶものであります」(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
(※ 創価学会との継続討議を打ち切って、宗務院に公開討論を申し入れるとは、戦う相手を取り違えている。問題の元凶は池田大作氏であり、創価学会が変わらない限り意味がない。浅井昭衛氏はその構図を嫌と言うほど知り抜いていたはずであり、また創価学会と論判する資格と権利を持っていたのは妙信講であった。しかし浅井昭衛理事長のしたことは、創価学会と初めて本気で戦おうとしている宗門を、後ろから殴りつけたようなものである。この判断ミスは打算からというより、慢心による全能感に加えて、独善思考による認識能力の欠如に由来するだろう )(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
8月6日  創価学会、聖教新聞に西口浩・学生部副教学部長の「原典」を論じた文章を掲載。
「仏教という大きな立場で言えば、それは「法華経」であるといえます。そして、大聖人門下という観点からいえば「御書」であり、さらには創価学会という立場からいえば、小説「人間革命」であります」
8月12日
 宗務院、妙信講に「解散宣告書」を送付。同日、松本日仁能化が総本山に呼ばれ、細井日達管長は妙信講解散処分を申し渡した。
宣告書 一、主文 講中解散に処する。
 右妙信講は、数年来「国立戒壇の名称を使用しない」旨の宗門の公式決定に違反し、更にまた昭和四十七年四月二十八日付「訓諭」に対して異議を唱え、数度におよぶ宗務院の説得、誡告等にも従わず、かえって宗務院並びに他の信徒に対して非難中傷を加え、機関誌の大量配布、デモ行進などを行なった。これは、宗門の秩序と統制を乱す行為であり、甚だ許し難いものである。… よって宗規第百六十四条(旧第六十一条ノ三)の二号の処分事由に該当するものと認め、頭書の如く処分する」
 細井日達管長、全妙信講員宅に自筆の手紙「元妙信講員の皆様へ」(写し)を発送。
「一宗の統率者として宗門の秩序を守り、統制を保っていくためには、万やむを得ないこととして、遂に今回の措置をとらざるを得なくなった」とし、4ヶ寺の寺院を挙げ「今日より60日以内にその寺へ申出」よ、「その寺においては、他の法華講員と何ら変らぬ平等の気持ちをもって遇す」と。
(※ 管長からの手紙にかかわらず、妙信講を離れる者はなかった )
8月16日
 法華講連合会、「大白法」に宗務院通達「妙信講解散について」を掲載。
8月20日
 妙信講、豊島公会堂にて臨時幹部会。浅井昭衛理事長、「妙信講は断じて解散せず、仏法の破壊者 池田大作こそ宗門追放を」と宣言。
「へらぬ口のようではありますが、御遺命たる国立戒壇の正義を守って死罪に処せられるなら、これに勝る喜びはないと私は思っております。… なぜこんなバカげた解散命令が出たのか。理由は簡単であります。"自ら仏法を曲げ、その悪事がバレそうになったから諌める妙信講を処分した" というだけのことです。…
 妙信講は国立戒壇を云うゆえに解散処分を受けた。だが、それなら、日蓮正宗七百年の歴代猊下は全部除名になる。… 七百年来の義を勝手に改変したいのなら、妙信講に"解散"などと生意気なことをいわず、池田大作こそトットと日蓮正宗から出て行って池田宗を作ったらどうか。
 私は今日ここであえて云う。仏法の破壊者 池田大作を宗門から追放しようではないか。(大拍手)
 偽善者 池田大作を社会から追放しよう。(大拍手)
 国を傾ける国賊 池田大作を日本から追放しよう。(大拍手)
 今回の卑劣なる解散処分こそ、必ず学会の命とりとなり、池田大作がその卑劣の恥を天下にさらすことになる。かかる大悪がおこれば大善は近い。闇が深くなれば暁は近い。この斗い、長くても三年、早ければ一年で必ず解決すると私は確信する」(「冨士」第133号 )
(※ 「浅井理事長は「なぜこんなバカげた解散命令が出たのか」、その理由を分析して縷々述べている。「悪事がバレそうになったから諌める妙信講を処分した」というのであるが、ものごとには遠因と近因、主因と傍因がある。
 解散事由の一つである、公式決定違反は名称使用問題であり、国立戒壇の是非は妙信講と創価学会が今後議論を重ねるという約定を、宗門は承知の上である。「訓諭」も不本意な点も含む内容であることは、宗門当局としてよく判っている。これは遠因であり、これで除名にはならない。
 二つ目は、妙信講からの「返答の出来るわけがない」要求に対し、抹殺する以外にはなくなったとしている。「これこそ悪人が身を守るたった一つの道」と、なるべくしてなった近因であるかのように昭衛氏は講員に解説するが、それは恣意的な誘導である。創価学会は、妙信講が文部省に訂正を申し入れても、痛くもかゆくもない。事実、昭和五十年四月に妙信講は文部省に請願書を提出し、国立戒壇否定回答の真相の速かなる調査糾明を求めたが、何の効果もなかった。それよりも創価学会にとって焦眉の急は、宗門との関係修復であった。
 三つ目は、制止されていたデモ行進の実施で、「宗門の秩序と統制を乱す行為であり甚だ許し難い」、ということが解散処分の決定的な主因である。
 四つには、浅井昭衛氏は言及しないが、山崎氏により破綻寸前だった宗門と創価学会の「共通の敵」に妙信講は仕立て上げられ、それが講中解散につながったのである。
 浅井昭衛氏は、「バカげた解散命令」の一と二の理由だけを強調するが、それだけでは解散処分には到らなかった。そして本当の理由には、口をつぐんでいる。…
 浅井理事長はこのとき、どのような見通しがあって「長くても三年、早ければ一年で必ず解決」と述べたのだろうか。法廷闘争が念頭にあったとしても、教義問題は日本の裁判制度になじまない。根拠のない確信に過ぎなかったかもしれないが、捨て身の行動を眼前にして来た妙信講員に、浅井理事長の言葉を疑う者はなかった。この後、山崎正友氏の怒濤の攻撃にさらされ、妙信講は守勢に甘んじることになる。池田大作氏の宗門追放が実現したのは、十六年後の平成三年である。宗門追放まで十六年の猶予を、池田会長に与えたのは浅井理事長である」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 ))
8月25日
 宗門、法華講連合会第11回総会開催。細井日達管長、妙信講解散につき言及。
8月26日
 妙信講、「偽善者池田大作の仮面をはぐ」の号外、再び百万部配布。
「創価学会も、全面対決の態勢に入った。私が実行貴任者となり、全情報師団や法律師団を投入した。… この日が来ることを予想して、すでに妙信講内に何人もスパイを潜入させてあった。
 館岡倉市事務局長配下のM1、福島源次郎氏配下のM2、M3と暗号名で呼ばれるスパイは、すでに妙信講本部の中堅幹部に昇進しており、本部や浅井の自宅の警備や電話番の役割を与えられるまでになっていた。さらに、私の情報師団からも、二名を潜り込ませた。彼らを通じて、妙信講の内部情報は創価学会側に筒抜けとなっていた。妙信講本部近くのマンションにアジトを作り、そこに情報員を常駐させ、監視に当たった。文京区音羽に妙信講本部があった頃、それを見張っていた私の情報師団のアジトが、"過激派学生運動集団"のアジトではないか、と公安警察に目をつけられるというハプニングもあったが、その後、妙信講本部が板橋区常盤台に移転すると、すぐ隣のアパートを借り、監視と盗聴器の受信、そして宣伝力ーの見張りや破壊等の妨害活動を行なった。
 さらに、創価学会直属の興信所を使って、妙信講幹部の身辺調査を徹底的に行なった。私の元には、このように妙信講に張り巡らされた情報報網から、妙信講のあらゆる会合における指導内容、各支部組繊の実態とその活動、浅井昭衛をはじめ、村岡青年部長、長岡男子部長といった主な幹部の言動が、毎日逐一、正確に報告されてきた」(「あの頃のこと」第十二回 山崎正友 「慧妙」第208号 )
8月30日  三菱重工爆破事件、千代田区丸の内で発生。東アジア反日武装戦線「狼」による、無差別爆弾テロ事件。実行犯4人は、三菱重工業東京本社ビル1階出入り口に時限爆弾を仕掛け、三菱重工ビルの電話交換手に「三菱重工前の道路に2個の時限式爆弾を仕掛けた、付近のものは直ちに避難するように、これは冗談ではない」旨の電話をかけ、直後の午後0時45分に時限爆弾が炸裂した。表通りにも破片が降り注ぎ、多数の通行人が巻き込まれ死傷した。死者8人、負傷376人、戦後日本最悪の爆弾テロ事件となった。
8月 日
 妙信講、八木直道師に御会式奉修を要請。
「妙信講が解散処分を受けてまもなく、同講理事長・浅井昭衛氏より、十月十二日に御大会式を奉修したいので是非、出席願いたい旨の要請があった。 私は、妙信講が宗祖大聖人の御遺命を死守せんと、身命・財を抛って御奉公している姿を見て、この一万有余の純信の徒に応(かな)うため "一命を賭しても出席する" と約束した。これは僧侶として違法どころか、かえって大聖人の末弟としての責務であるとさえ思い決意したものである」( 八木直道師 「冨士」第136号 )
9月2日
 宗門、創価学会連絡会議開催。創価学会から紙幅の本尊を、板本尊にしたいとの伺い立てた。宗門側は「いいでしょう」としたが、新たに板本尊を下附するという意図である。しかし、すでに創価学会は、模刻本尊を製作済みであった。
9月6日
 妙信講、男子部150名。学会本部前にて、抗議演説。
9月8日  創価学会、池田大作会長。モスクワ大学の招聘で、創価大学代表団とソビエト社会主義共和国連邦訪問。9月8日 ~ 9月18日。訪問最終日に、クレムリンでコスイギン首相と会見、訪中の折に李先念副首相から託されたメッセージを伝えた。
9月10日
 宗門、宗務院通達。全国末寺に「元妙信講員より面会を求められても会う必要はなく、なおも面会を強要された場合は、警察へ連絡して退去せしめられるように」と。
 全国各地で妙信講員が末寺等に赴いて、創価学会員や末寺僧侶に正本堂問題を訴え、困惑した末寺から対応について宗務院に伺いが立てられていた。
9月13日
 宗務院、妙信講に「日蓮正宗の名称を使用せざる」旨の「宗務院通告」
9月15日
 妙信講、男子部代表50数名。総本山におもむき、宗務院に解散理由を詰問。
9月16日
 宗門、細井日達管長の「再び元妙信講員の皆様へ」の文書を、全妙信講員に送達。
9月19日
 法華講連合会、岩井氏。「大白法」の発送は、「北条浩副会長の指示」と告白。
9月22日
 妙信講、男子部。大阪・京都にて、顕正新聞号外を配布。
9月27日
 宗門、阿部信雄総監代行・藤本栄道庶務部長。八木直道師を訪問し、妙信講の御会式へ出席しないよう説得。
「これをどこで聞きつけて来たのか、九月下旬頃より、色々な人を介して、出席を断念させる動きがあった。その中で阿部総監代行・藤本庶務部長両師も九月二十七日に来訪し何とか行かぬようにと云われた。そこで私は、事の原因となっている教義上の重大問題について、これを抜本的に解決するためには、阿部総監代行と妙信講理事長浅井昭衛氏が直接会って、宗門のため誠意を以って対論することが最もよいのではないかと考え、自分がその仲介をしようと試みた」( 八木直道師 「冨士」第136号 )
9月28日
 宗門、細井日達管長。松本日仁能化に、妙信講本部会館の本尊返還請求を命じた。同日、宗務院からの「本部会館安置本尊の返還請求」の内容証明が、妙信講に到着。
10月1日
 宗門、八木直道師、対論条件を双方に示す。
「そこで十月一日、左のごとき対論の条件を双方に示した。
『対論条件
 左記の条件を以って双方に提示するものである。
 対論の結果において是非明らかになりし時は、双方誠意を以って次の義務を履行すること。
 一、妙信講が非なる時は、直ちに解散処分を受け入れ、之を全講員に指示徹底する。
 一、阿部総監代行の非なりし時は、直ちに「宗門の公式決定」を改正し、妙信講の解散処分撤回を文書を以て猊下に具申する』(但し、対論受諾の応否については本年十月十日迄とす」( 八木直道師 「冨士」第136号 )
10月3日
 宗門、八木直道師、細井日達管長に目通り
「実は十月三日、日蓮正宗総監・早瀬尊能化より、法道院の在勤者を使に立てての一通の書状が届いた。総監殿には只今御病中にて代筆を以ての御芳書で、まことに御懇篤なる誠意があふれ、ぜひ猊下にお目通りし、意見あらば充分に開陳して御指南を仰ぐようにとの憂宗の念に満ちた内容であったので、自分はお目通りを願う決意をした。同日午后四時頃対面所にてお目通りを許された。同席者は藤本庶務部長・光久理事・遠信坊住職信榮師の三名であった。
 総監殿の御芳書には、自分の意見を充分開陳して御指南を仰げ、とのことであったから、自分はまず、国立戒壇の否定は大聖人の御遺命に違背することを、昭和四十五年以来の経過と共に縷々(るる)開陳したが、猊下には何の御指南も下されなかった。また、今一つの重大問題の四十七年の「訓諭」についても、「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と仰せられているが、この一事こそ大聖人の御遺命を冒潰するものであるの(ママ)申し上げた。ところが猊下には「そのような事があったかなあー」と、お言葉を濁された。その時、藤本庶務部長が「確かに仰せられています」と進言した。この訓諭の問題についても、猊下からは何らの御指南もなかった。…
 そこで妙信講のことについて申し上げた。「妙信講はただただ大聖人の御遺命を純信なる信念を以て守らんとする者である。その云わんとするところは『国立戒壇の否定は御遺命に背く、仏法は体・世間は影であれば、仏法が曲れば即ち国亡ぶ』と、何等臆することなく正々堂々-と御書並びに歴代先師上人の御指南を本として云っている。謗法行為など寸分もなく、ただ一筋に御遺命を歪曲する輩を強折し、御遺命の国立戒壇の実現を完うせんと自行化他の信行に精進して参った純信の信者である。しかるに、かくのごとき純信の妙信講を、何ゆえ解散せしめたか、全く不審極まりなき次第である。解散処分は信仰者にとって死罪に等しい、無懺極まる行為である。純信の人の要請であれば、自分は法華講・学会員の区別なく、一死を賭しても之を救済するこそ僧侶の本分と心得る。妙信講に仏法上の誤りなき限り、その要請に応えて小生は来る十月十三日の御大会式には万難を排して出席する」と申し上げた。
 これに対し、猊下は、ただ「困る、困る」とくり返えされ、「なんとか行かぬようにしてくれ」とだけの仰せであった。恐れながら私はこれを拒否申し上げた」( 八木直道師 「冨士」第136号 )
10月3日
 妙信講、浅井昭衛理事長、対論を受諾。
「これに対し、十月三日には浅井昭衛氏より受諾する旨の文書が送附されて来た」( 八木直道師 「冨士」第136号 )
10月4日
 宗門、阿部総監代行、対論を拒否。
「だが、阿部総監代行は、十月四日 藤本庶務部長と拙宅を訪れた際、「対論に応ずることは出来ない」旨の答えを口頭でされた。これで、小生の宗門の重大問題を解決せんとする企ては、水泡に帰したのである」( 八木直道師 「冨士」第136号 )
10月4日
 妙信講、男子部80余名。創価学会本部前にて、北條浩副会長の卑劣を糾弾。全員、「暴力及び家宅侵入」の現行犯容疑で逮捕、四谷警察署に連行された。
 山崎正友氏は、この「創価学会本部襲撃事件」について、実は創価学会が仕掛けた罠であったことを、後に明らかにしている。
「妙信講作戦では、盗聴もさることながら、スパイの活躍が効果的であった。… 妙信講のあらゆる行事の発言内容、主な支部の実態と正確な行動、主な幹部一人一人の言動、浅井昭衛氏、長岡、村岡といった人物の言動が、毎日正確に私のもとに伝えられてきた」(「盗聴教団」山崎正友 )
「前日までには、襲撃に参加する人数、その集合方法や服装、指揮官および指揮系統、押し入る方法、最終日程等々が、詳細にわかっていた。当然、創価学会は迎え撃つ準備を整えた。本部地下に、柔・剣道、空手や拳法などの有段者や、警備のプロの男子部員を五十名ばかり待機させた。… また、念のため、本部前の青年会館や周辺施設にも、同様に待機させた。聖教新聞社、公明新聞のカメラマンを、要所要所に配置した。都合のよい証拠写真を撮るためである。また、後日の法的手段に備えて、弁護士も本部前の見えるところに待機した。…
 鉢巻き姿で目をつり上げた八十名を越える妙信講青年部員が集まり、宣伝カーと共に閉ざした表門の前で気勢を上げはじめた。しばらく警官をはさんで押し問答をしていたが、長岡青年部長の命令一下、数名が塀(へい)を乗り越えて侵入し、内から門扉を開き、全員を構内になだれ込ませた。… そこで、待機していた五十名ばかりの学会の警備隊が出動した。彼らは、たちまち妙信講員の大部分を門の外に押し返し、再び門を閉ざした。中に取り残された十名たらずの幹部達は、そこで袋叩きにあった。これを見ていた塀外の妙信講員は、宣伝力ーを門扉に衝突させて押し開け、再びなだれ込んだ。… 妙信講側は、建物の中に一歩も入れなかったのみか、数では劣る創価学会青年部に徹底的に叩きのめされ、多勢がそうとうの手傷を負わされた。しかも、全員が逮捕され、長岡・村岡らは、さらに拘留されるし、浅井昭衛自身も取り調べを受けるハメとなって、うろたえ、取り乱した。
 何も事情のわからない世論は、『暴力はいけない』といって妙信講を非難したし、宗内においても、… 同情や支援も失ってしまった。池田大作は、自ら御法主上人に電話をし、『徹底的にやっつけました。お山へ行くようなことがあっても、創価学会が護ります』と得意気に報告した。御法主上人は、『いやはや呆れた。あんなことをする連中は処分しておいてよかった』と述べられた」(「あの頃のこと」第十二回 山崎正友「慧妙」第208号)
10月5日  朝刊各紙は全国一斉に、「創価学会本部に妙信講青年部八十人が広報車と共に乱入し、暴力行為をなし十二名逮捕、原因は教義の対立」と報道した。この事件を契機に創価学会は、妙信講が過激な暴力集団であると、宗門ならびに一般社会に印象づけた。
10月9~12日
 宗門、正本堂建立第三年記念大法要。皆成仏塔(題目供養塔)開眼式、正本堂記念資料館開館式、久遠の塔点火式。
10月13日
 妙信講、御大会式厳修。八木直道師、導師を勤める。
10月14日
 宗務院、妙信講員に「所属替えの期限延長」の通知発送。
10月15日
 宗門、八木直道師を擯斥処分。
「一、主文 擯斥に処する
 其方儀、先に宗門の公式決定に違背し、訓諭に異議を唱え、宗門を乱すなどの行為によって講中解散に処せられ、更にその後もなお宗務院を誹謗し、他の信徒に対して集団的暴力事件を起すなどの行為で宗門を乱している信徒に加担し、宗務院より訓戒を受けても改めず、彼等の行動を是認奨励する行為に及んだことは甚だ許し難いことである。依って宗規第二百四十九条第四号により、主文の如く処す」
10月17日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。富士宮市から甲府への移動の車中、池田大作会長から共産党対策を相談を受ける。
「従来、学会・公明党は幹部が手分けして各界にパイプを通じていたが、そのとき、あらためて整理して、『右翼関係は北条(浩)副会長と辻武寿総務室長。自民党と警察は竹入義勝公明党委員長。文化人は公明党と潮出版社、民音。社会党や総評系労組は山崎弁護士と矢野絢也公明党書記長、民社党及び民社系労組は秋谷栄之助副会長と矢野書記長、がそれぞれ担当することにし、財界、銀行筋は池田会長自身がやることになった』
 共産党に対しても話し合いのパイプは作るべきと山崎は勧めたが、そのための妙手は思い浮かばなかった。池田会長は出版妨害問題に関し、『骨身にしみており、火つけ役となった共産党に対して、憎しみと恐怖で固まっていた。どちらかといえば、恐怖心の方が憎しみより勝っていた』」(「週刊文春」80年2月21日号)。
10月18日
 宗門、妙縁寺責任役員会で妙信講に対し、本尊返還請求を決定。
10月19日
 宗門、妙信講幹部33人に対し、宗務院より弁疏を求む通告を送達。
10月21日
 宗務院、「応ぜざれば法的処置も辞さず」とした、本部会館「本尊返還請求」の第二回内容証明送達。
10月23日
 妙信講、10月19日付けの「宗務院通告」に対し、回答書を送附。
10月23日  創価学会、池田大作会長。来日したパナマのノリエガ将軍と、聖教新聞社で懇談。ノリエガ将軍、「池田先生のいらっしゃる所は、私にとっていずこの場所でも我が家と同じであり、その会長と再会できた喜びは、とても言葉では言い表せるものではありません」と。
10月28日
 妙信講、法廷闘争開始。本部会館本尊守護のため、仮処分申請を東京地方裁判所に提出。
10月28日  創価学会、池田大作会長。聖教新聞社で、パナマ共和国・ノリエガ将軍と、2度目の対談。
10月29日  創価学会、池田大作会長、創価学会代表役員を辞任。北條浩が代表役員並びに理事長に就任。
「創価学会が訴えられても、価学会が訴えるときでも、池田大作には類が及ばぬようにしたのだ。法人としての創価学会の全責任は、代表役員の北条浩に負わされたから、池田大作はやりたいことをやり、その責任は一切負わないという、まことに手前勝手な地位にみずからを置き、実権は相変わらず握り続けたのである。(『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』、山崎正友 )
10月30日  創価学会、野崎勲・志村栄一。京王プラザホテルで、共産党の上田耕一郎・山下文男と初顔合わせ。松本清張、仲介者として同席。『創共協定』調印まで、予備会談は7回持たれた。
11月1日   光文社、「宝石」12月号発行、「次期ノーベル平和賞を狙う創価学会、池田大作会長の悲願」を掲載。
11月7日  東京地方裁判所、妙信講本部会館本尊の仮処分命令を下す。 
11月7日  創価学会、池田大作会長。聖教新聞第2面に、『永遠の師弟』『久遠誓今眼前激斗』『師弟不二共進共栄』の揮毫を掲載。
11月8日
 宗門、妙信講幹部33名を除名処分。 
11月12日
 妙信講、臨時班長会開催。浅井昭衛理事長、本部会館安置本尊貸与に際し、松本日仁能化と交わした「覚え書」に言及。
「もう事を解決するには、法廷で対決する以外にない。断固として私は四つの裁判をおこします。
 その一つは本部会館の大御本尊をお守りする裁判。
 二つには正しい御僧侶・八木直道尊師を守る裁判。
 三つには妙信講の解散処分をはねとばす裁判。
 四つには池田大作と法廷で対決する裁判です。…
 この四つの中で最も緊急を要するのは、本部会館の御本尊を御守護する裁判であります。…
 実は、この本部会館落成御入仏の日、すなわち昨年の12月22日、松本御能師と堅いお約束の文書を取り交していたのであります。『十万達成まで日開上人御筆の妙縁寺重宝の御本尊を本部会館安置の御本尊として確かに貸与する』という覚え書きを頂いております。妙信講が十万に向って前進し、国立戒壇を叫べば必ず怨嫉がおきる。その時、この御本尊を卑怯な者は必ずねらう、… 寝てもさめてもこの事が心配でした。そこで妙信講から逆に、仮処分の申請を裁判所に起こした。…今回その仮処分の決定が11月7日に下りました。…
 私はこの裁判を通じて、一国注視の中で大聖人の御遺命が国立戒壇であること。それを池田が圧力で宗門に曲げさせたこと。猊下の本当のお心は歴代猊下と寸分も違わぬものであることを明らかにしたい」(「冨士」第135号 )
11月14日
 宗門、松本日仁能化は本山に呼ばれ、細井日達管長上人より妙縁寺住職代務者設置を命じられ承諾。
11月15日
 宗門、松本日仁能化。宗務当局に、住職代務者設置拒否の電報を打つ。
11月17日  創価学会、第37回総会開催。
 池田大作会長「『人』への帰命は今日いかなることを意味するのか。… すなわち御書の体得こそが『御義口伝』にお示しの『人』への帰命にあたると主張したい」
 細井日達管長「日本国全人口の三分の一以上の人が、本門事の戒壇の御本尊に純真な、しかも確実な信心をもって本門の題目、南無妙法蓮華経を異口同音に唱えたてまつることができたとき、そのときこそ日本国一国は広宣流布したと申しあげるべきことであると、思うのであります。その時には我が大石寺は、僧侶の指導者たち、信徒の指導者たち、相寄り相談のうえ、大聖人御遺命の富士山本門寺と改称することもありうると、信ずるのであります」(「大日蓮」75年1月号)。
11月18日
 宗門、正副新住職、妙縁寺に入るが妙信講(浅井昭衛理事長と青年部200名)の妨害により退去。
11月25日
 宗門、妙縁寺正副新住職、裁判所の仮処分を以て妙縁寺に入る。
11月26日
 妙信講、11月度総幹部会開催(豊島公会堂)。「松本日仁尊能師 御遺命守護に立つ」、11月度折伏成果 305世帯。研修部を教学部と改称。
 浅井昭衛理事長「まもなく、松本御能師に対して擯斥処分が本山から出されるでしよう。しかし、いかなる弾圧も、すでにいのちを賭して正義を守らんとする松本御能師の心を動かすことはできない。… 御能師は法華講の佐藤総代にも決意を語られたそうです。「事の戒壇がどういうものか、御書・日寛上人の御指南に明らかで、誰がなんと云おうとも動かすことの出来ぬものだ。この大聖人の教えを永遠に残すことが僧侶の任務だ。いま妙信講の浅井さんのやっていることは、本来は我々僧侶がしなければならぬことだ。もし百年後に、あの時僧侶は誰一人守らなかったではないか、といわれれば恥になる。それでは御本尊様に申しわけない」といわれたそうであります。…
 広宣流布は末法濁悪を経て到来する。その末法濁悪は先ず宗門の中にあらわれてくるのです。学会と宗務院が、大聖人のお徳を利用して、利権を貪り御遺命を曲げんとする時、法の為には身を惜まぬ捨身の信心が宗門の片すみにいま出て来たこと、まさしく、やがて御出現の日目上人御出ましの先兆ではないかと私は確信する。…
 まず宗門に不惜身命の大道念がみなぎらなければならない。現在のように、自己保身のために大事の法義を曲げるようなダラシない信心で広宣流布が出来ますか、宗門がこの濁悪を乗りこえて、御在世の信心にかえるため御奉公するのが妙信講の使命であります。…
 やがて一波が万波をよび、国立戒壇が再び宗門の公論となるの日、これを曲げた者は身を震い、おぞけをふるって御宝前に身を投げ懺悔するに違いない。その日はそう遠くはありません」(「冨士」第136号 )
(※ 浅井昭衛理事長の「その日はそう遠くはありません」は、"果てしなく遠い"という意味だった。櫻川 忠 )
12月1日
 宗務院、「元妙信講等処分の経過について」発行、「大日蓮」第346号掲載文書の別刷り。
「七百年間、いかなる迫害にもめげず、生命がけで法灯を守り抜いてきた不屈の伝統に輝く日蓮正宗の猊座の権威に対し『圧力で言うことも言えない』とは、何という言いぐさでしょうか。六十六世日達上人猊下は歴代上人の中でもまれにみる英まい、剛毅な御資質であられることは、宗内で知らない人はありません。その不惜身命の御振舞いに対して、かかる言いがかりをつけることは、信徒として最大の謗法をおかしていると断じても、決して言いすぎではないでしょう」
12月2日  創価学会、池田大作会長、北京大学からの招聘により第二次訪中。12月2日 ~ 12月6日。
 鄧小平副首相と会見、ソ連のコスイギン首相からのメッセージを伝えた。その直後、入院中の周恩来総理は周囲の反対を押し、池田大作会長と会見した。
12月8日  創価学会、『広布の走者 創価学会学生部史』(第三文明社)発刊。
「大学会と池田会長という『師弟血脈』の契りは後世、広宣流布実現の時どのように歴史家は評価するであろう。日蓮大聖哲の宇宙最極の法理を、この世に表現せしめた大革命の源流にこの師弟のきずなを見落とすことがあれば、それは画竜点睛を欠くことになる」
12月9日  三木武夫内閣発足、三木武夫、第66代内閣総理大臣に任命さる。
 田中金脈問題で田中角栄が辞職、田中の後継総裁候補としては、三木、福田、大平が名乗りを上げていた。自由民主党副総裁の椎名悦三郎は、次期総裁に三木武夫を指名(椎名裁定)した。三木は池田内閣時代に党組織調査会長として三木答申をまとめており、田中内閣の閣僚を辞任して党近代化を訴えていて、クリーン三木こそ金権問題で退陣に追い込まれた田中の後始末を行うにふさわしい人物と考えられた。
12月10日  佐藤栄作、ノーベル平和賞を受賞。受賞理由として「平和裏に沖縄返還を実現した功績」、その基盤となった「核兵器を造らず、持たず、持ち込ませず」という、"非核三原則" の意義が強調された。
12月20日
 宗門、「破邪新聞」を発刊。妙縁寺執事・浜中和道師編集、妙信講の破折と切り崩しを行う。
「妙信講を、徹底的に押さえるために、宗門と創価学会で専門機関が作られた。… 妙縁寺に、執事として派遣された浜中和道師を名義上の編集・発行人として、顕正新聞に対抗するために "破邪新聞" を発行し、妙信講への攻撃と批判を徹底して行なった。この破邪新聞は、妙信講の全講員にダイレクトメールで送り付けられたから、浅井昭衛は、講中に "読むな" "開封せずに送り返せ" などと指令したが、ダメージは深刻だった。もちろん、新聞作りの実際の作業は、浜中発行人ではなく、私と部下の岩住俊典の二人でやった。御法主上人は、妙信講掃討作戦を全面的に支援してくださり、いろいろと応援してくださった」(「あの頃のこと」第十二回 山崎正友「慧妙」第208号)
12月25日
 宗門、松本日仁師を擯斥処分とする。
12月25日
 宗門、富士学林、「戒壇論」を発刊。
 阿部信雄教学部長、再刊後記「軽々しく一信徒の立場で御遺命の文を即断し、法主上人の御教示に背いて御遺命かくの如しという者は、法主上人のみならず御遺命御金言それ自体に背反することを知るべきである」
12月28日
 宗門、久保川法章妙縁寺住職、松本日仁師に立ち退きを要求。
12月28日  創価学会、日本共産党と相互理解などを謳う協定に署名。「日本共産党と創価学会との合意についての協定」、略称は"創共協定" または "共創協定"。
「 第二条 創価学会は、科学的社会主義、共産主義を敵視する態度を取らない 」
 池田大作会長、この直後「宮本顕治より私の方が長生きする。これは私の勝ちだ。いまごろ、代々木は乾杯しているぞ、バカな奴らだ」と漏らす。
 協定の期間は10年とされ、協議によって更新されるとした。協定は公明党と共産党の政党間ではなく、公明党の頭越しに共産党との間に結んだものである。公明党は反発し、公安調査庁や警察が警戒を強め、自民党にも巻き返しの動きが出た。創価学会は態度を変え、協定は公表と同時にほぼ死文化した。1980年、創価学会の顧問弁護士山崎正友を中心とした、宮本顕治宅盗聴事件が発覚。両者の対立は決定的となり、協定の更新は行われなかった。
 月 日  創価学会、この年特別財務をスタート、「それぞれの地域に相応しい会館を建てる」との名目で実施。
 
  年表  
1月1日
 松本日仁師、「新年を迎えて」
「講員の皆様には、講中としてもあのような予期しない事件に直面されましたが、講頭先生並びに理事長先生の御指導の下、一糸乱れず少しのゆるぎもなく、一致団結して憂宗護法の精神に燃え、万難を排して御遺命守護・折伏弘教に邁進されました事は誠に有難き極みでありました。…
 本年は最早八十四歳の老齢になりましたので、いつ一生を終わるかもわかりませんので、他人様の申される事には頓着なく、せめて此の世に生きている中に、過去世から積んで来た測り知る事の出来ない沢山の罪障を、幾分でも現世に於いて消滅させて行きたい、…
 忍び難きを忍び、堪え難きに堪えて、更に宗祖大聖人の大慈大悲に答え奉るべく、御遺命守護達成の為、一生を捧げ御奉公申し上げ、御報恩の万分の一でもお尽くししたいと、このように考えて居ります」(「冨士」第137号 )
1月1日
 八木直道師、「年頭の辞」
「大聖人の仏法は、寿量文底、独一の本門の三大秘法をもって宗旨の眼目とされているから、この点から拝さねば真実の事はわからないとの仰せである。そもそも本門戒壇と国立戒壇は同意である。御開山上人を始め奉り、とくに日寛上人はその意義を詳細に教義上御教示になり、歴代先師上人もこの御教示のままを拝して、いささかの疑念も動揺もなく、従って珍説異議等の邪説を唱うる者はなかった。
 しかるに第六天の魔王の魅入りしか、創価学会の例の言論圧迫問題、政治進出のためか、昭和四十五年五月三日、日大講堂における学会総会の席上、池田会長は「国立戒壇」の四文字を削除すると宣言し、同席の細井管長も「今後、国立戒壇を言わぬ」と夢想だにもしなかった異説(これが正論だろうか)を主張され、惑耳驚心し、宗内僧俗間に密に疑惑動揺の色を生じたが、いずれも擯斥・罷免・左遷を恐れてか、自己保身のため、表面に押し出して諫言する御能化もなければ、いやんや平僧においてをや。かくてついにこれが「公式決定」となった。
 しかるに唯一人、東京妙縁寺所属妙信講が敢然とその矢面に立って、身も財も総てを投げ捨てて、御遺命の「国立戒壇」の正義を叫び続け、再三諫言糺訴したが、公式決定に反逆したと横暴の事由をもって、無法無慚も甚だしき講中解散という、信仰者に対して死罪に等しい処分となった。その是非はただ大聖人の御裁断あるのみ」(「冨士」第137号 )
1月1日
 妙信講、「降魔の年」とする。
 浅井甚兵衛講頭「昨年来、学会・宗務当局の無懺無愧はあさましき限りであり、まさに「酔へるがごとく、狂へるがごとし」の姿といわざるを得ない。これ広宣流布の前夜、第六天の魔王が正系門家をたぶらかしているゆえである。…
 正系門家に国立戒壇の正義失せればこそ、世間の濁乱もいよいよ盛んである。… 。早く国立戒壇の正義が宗門の公論とならねばならぬ。これを妨げる魔の働きを本年は断固粉砕し降して行こうではいか」(「冨士」第137号 )
1月1日  創価学会、池田大作会長、創価学会本部(模刻)本尊入仏式奉修。
「大白蓮華」1月号発行。細井日達管長の新年の辞、「舎衛の三億」を掲載。
「此の舎衛三億の言葉は今日の我が国内に当てはめて、日蓮大聖人の仏法の流布を鑑みる時は大いに意義の深いこと」と。
1月1日  公明党、竹入委員長、矢野書記長。学会本部へ年始の挨拶、野崎男子部長に詰寄る。
(創共協定について)「まったくもって、えらいことをしてくれた。あんたら気でも狂ったのか。こんな馬鹿なことをしたら、学会も党も自民党と権力につぶされる。… 私は公明党委員長をやめさせてもらいますよ。やって行けないもの」と激しくなじる。(「週刊文春」80年8月21日号)
1月 日  共産党機関紙『赤旗』、宮本委員長と編集局長の対談を掲載。宮本委員長、池田会長が本部総会で、核兵器全廃、ファシズム反対、権力の抑圧に対する人権擁護を述べたことについて、「反共主義ではなくて、反権力、反ファシズムの前向きな姿勢」と評価、「国民の多くが持つ切実な要求が、この団体の活動にも反映している」と。
1月4日  創価学会、「聖教新聞」紙上で「これまでの紙幅御本尊(模刻した元の御本尊)は、学会の重宝として永久に保存されることになった」と報じる。
1月5日
 妙信講、浅井昭衛理事長。班長会で「大聖人様の御裁断の下る日まで、法廷闘争と折伏と諌暁運動の三本の柱を以って降魔の闘いを力強く進めていく」と。「救国の歌」、発表。
「妙信講は、一方で訴訟を起こし、法廷で争う戦術を採った。妙信講そのものの処分無効を訴える訴訟の他に、松本日仁の掻斥処分を争う訴訟、八木直道師に対する処分を争う訴訟、およびそれぞれに対する仮処分異義事件等や多数の訴訟が起こされた。それらに対する対応も、また私に委ねられた。その後、昭和52年の初頭まで、創価学会と妙信講の間の小競り合いは続いた。しかし、すでに宗門にとっても創価学会にとっても、妙信講問題はさほど重要なことではなくなっていた」(「あの頃のこと」第十二回 山崎正友「慧妙」第208号)
1月6日  創価学会、池田大作会長、アメリカ合衆国訪問。1月6日 ~ 1月28日。
 創価学会員、妙縁寺にて松本日仁師を殴打し逃走。
1月6日
 妙信講青年部、妙縁寺にて松本日仁師警護のため、交代で警備体制を布く。
1月10日  創価学会、野崎勲。松本清張宅で松本と共産党の上田、山下に会った際、松本に公表を急ぐように迫られ、「2、3週間のうちに、矢野、竹入に言うつもりである。矢野は執行部の中心である。矢野さえ諒承すれば、竹入も従うだろう」と。(「実録創価学会=七つの大罪」)
 核廃絶1千万人の署名を国連事務総長に提出。
1月15日
 宗門、阿部信雄教学部長。「御法主上人猊下には、… 日本全民衆の三分の一が純真かつ確実な信心を持った時は広宣流布であり、またその時僧俗の関係首脳協議の上で本門寺と称することもありうるという、広宣流布の一大指針を御指南あそばされました。まことに時と望意に叶いたまう鳳詔であると拝察いたします」(「大日蓮」1月号 )
1月26日  創価学会、創価学会インターナショナル(SGI)発足。池田大作、SGI会長に就任。グァムで、第一回世界平和会議開催、細井日達管長臨席。のちに「SGIの日」とされる。
2月12日
 妙信講、「冨士」巻頭言、「一華を見て春を推せよ」
 浅井昭衛理事長「いま学会とその走狗たる宗務院は、歪曲を証伏せぬ正義の者を次々と弾圧し、権力で仏法の道理を抑えんとしているが、愚しき限りである。かかる行為は、御本仏ならびに歴代先師上人を敵とするものである。御本仏大聖人を敵として誰人の身が持とう。必ずその身は亡び、かえって正義は顕われる。見よ! いま各地において真面目なる学会員が続々と正義にめざめ御遺命守護の斗いに加わりつつある姿を ...
 これらの人々が弾圧下の妙信講に加わるは容易なことではない。… あるいは従来の組織から、村八分の仕打ちさえ受けた者もいる。だが、一たび御遺命の正義を知った以上、身を惜んでは大聖人様に申しわけなしと、捨身の決意で御遺命守護の斗いに馳せ参じているのである。そのけなげの姿を見れば、胸にこみ上げるものがある。「一華を見て春を推せよ」と。宗門の片隅で名もなき信徒が続々とこの大道念に立つを見るは、正系門家に国立戒壇の正義蘇える日の近きを物語るものではないか。すべては大聖人の御計いなのである」(「冨士」第138号 )
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催。「学会員を救おう」、2月度折伏成果 346世帯。
3月1日
 宗門、佐藤悦三郎、第二代法華講連合会委員長に就任。
3月15日
 妙信講、教学部。「当体義抄」講義開始。
3月26日
 宗門、早瀬日慈師総監に復帰、阿部信雄師総監代務を退任。( 院達2509 )
4月4日  創価学会、池田大作会長のヴァチカン訪問を発表。(「聖教新聞」)
4月13日  東京都知事選挙。現職・美濃部亮吉が石原慎太郎候補・松下正寿候補を破り三選。知事選において、革新が大都市を押える。
「2期8年で退任することを表明していた美濃部氏は、昭和50年の都知事選挙で自民党が石原氏を擁立したことから「都政をファシストに渡せない」と急遽三選を目指し出馬したが、その翻意の推進力となったのが創価学会・公明党だった」
「不出馬の決意の固かった美濃部氏が翻意した最大の要因は、やはり竹入委員長が強調した『反自民・反石原』『都民党』という、都知事選の原点を強く認識したことによるものであろう」(「諸君」99年7月号 )
4月14日  創価学会、池田大作会長、第三次訪中。4月14日 ~ 4月22日。
4月15日  暮しのガイド社、下山正行著「これでも池田大作を信ずるか」刊行。公明党の浅井美幸議員、同書を廃棄処分に追い込む。
4月26日
 妙信講、4月度総幹部会開催、「池田大作会長のヴァチカン訪問に警告」。4月度折伏成果 512世帯、総世帯数は 1万3千世帯突破。広島支区誕生。
 浅井昭衛理事長、「池田がバチカンへ行った後でその大謗法を攻めるならば、それは学会の致命傷となろう。だが知っていわざるは無慈悲である。何としても出発前に警告する」と。その後の会合においても、くり返し警告を発した。
4月28日
 妙信講、浅井昭衛理事長、"「大日蓮」誌四月号の歪曲を見て"
「隠れたる佞人にお聞きする。どうして国立戒壇が形式論にとらわれたものといえるのか。また、もし国立戒壇を否定するならば、どのような戒壇が大聖人御遺命の戒壇といえるのか明確にすべきである。よも正本堂を御遺命の戒壇などとは、今更恥ずかしくて云えまい。誑惑というものは、云っている本人が最も内心ではシラけているものである。あれほど喧伝していた正本堂の誑惑、今や歪曲の主犯たる池田大作さえも口にしなくなったのは、何よりもこの事を雄弁に物語っている。
 だが、国立戒壇だけは何としても否定しなければならないということは、會って文部省を欺き、各政党を偽ったため、今さらどうにもならぬという所なのであろうか。自ら犯した偽証の露見を恐れ、正信の徒を弾圧するは、悪に悪を重ねるものというべきである。もう小細工ではどうにもならない。心からの懺悔だけが抜本の解決となるのである。
 管長の名を利用すれば、いかなる重大法義も曲げ得ると思うのは、浅薄の限りである。本宗の信仰は、そんな脆弱なものではない、富士門流の信徒は、そんな甘いものではない。魔の眩惑を見破らずに、大聖人への御奉公が叶おうか。重ねて尊名利用の佞人に強く云いたい。もし管長の名を以って国立戒壇を否定せんとするならば、先ず宣しく猊下の曾っての正しき御指南といまの歪曲の言との自語相違をしかと会通せよと」(「冨士」第141号 )
4月 日  創価学会、池田大作会長。北京で鄧小平副主席と会見。
4月30日
 宗門、細井日達管長、「大日蓮」に「国立戒壇は大聖人の正意ではない。民衆が国主であり、信者の総意によって建てられてこそ本門事の戒壇である」と。(「大日蓮」6月号 )
5月1日  創価学会、「大白蓮華」、「特集・会長就任十五年の歩みと展望」を掲載。
 福島源次郎副会長「師が身をもって実践した真実の軌跡をとどめたこの一書に、… その往復作業の中に妙法への帰命、即具体的実践としての『師への帰命』の展開があり、自身の人間革命もまた一歩一歩進められるのである」(「大白蓮華」5月号 )と。
5月3日  創価学会、「伸一会」発足。中心メンバーに、野崎勲、原田稔。
「ひのくに」第10号発行、村野宏「実践の中に教学を学ぶ」を掲載。
「まさしく、現代における『人』への帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる。また、池田会長が大聖人の御書を寸分違わず、身に移し実践されていることから考えても、必然的にそうなるのである」
5月4日  創価学会、 辻武寿総務室長、はじめて「入会」の言葉を使用。以後、入信と入会が混在する。(「大白蓮華」4月号 )
5月13日  創価学会、池田大作会長、フランス共和国訪問。5月13日 ~ 5月30日。
5月14日  創価学会、池田大作会長のヴァチカン訪問中止を発表。(「聖教新聞」)
5月18日  創価学会員、松本日仁師殴打犯人逮捕。
5月26日  創価学会弁護士団、八木直道師の裁判で陳述。
「妙信講や債権者の主張を認めることになるならば、日蓮正宗や創価学会が信徒をあざむいて供養金を集めたことにもなり、その信用性を著しく失なう結果となってしまう」と。(「陳述書」) 」
5月27日  創価学会、池田大作会長、ソビエト社会主義共和国連邦のモスクワ大学より、名誉博士号を授与さる。名誉称号コレクションの第1号となった。
6月1日
 妙信講、第17回総会開催(渋谷公会堂)、「池田の姦策から猊座を守れ」
 八木直道師「いま思いおこしまするに、ちょうど昭和四十五年の四月三日、妙信講講頭先生、理事長先生が突如として私の住寺、富士宮の要行寺に御訪問になったのです。… 実は四十五年の三月二十五日に宗務当局に対して「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」という大諫訴状を提出された。それに対して細井管長が両氏を当日招いた、その帰りに私の所へ寄られたのであります。そうして、御両氏のお話の内容というのは、いま申しました諫訴状に対して、管長は両氏を対面所に招いて「誠によくこの諫訴状は書けておる。これこそ本宗の伝統の教義である。国立戒壇はあたりまえだ、ただ学会は政治のためにいえないだけだ」と仰せになって、妙信講の主張は教義の上において誠に正当のものであって一点の誤まりもないと激賞したとの事であります。それで両先生は、非常に喜んで私のところへ立ち寄り、その話をされ、私はこれを聞きまして、本宗の伝統は未だ崩れないのだ、と思わず感激の涙を流したことを、いま眼前に思い出してるのであります。しかるに、その正義はいまはいずくぞや。いわゆる第六天の魔王の見入りしか、この憂宗護法の諫言が、俗にいう "諫言耳に逆う" そうして妙信講を抹殺せんがために、よこしまなる法制を作りあげた、そうして八月の十二日に、一ヵ月違うが大聖人の発迹顕本の十二日に妙信講の解散を命じた」
 浅井昭衛理事長「最近妙信講対策の一環として、創価学会が「破邪新聞」という、ウソで固めた新聞を出しております。その中でしきりと、管長猊下の仰せとして、「妙信講は謗法である、断固宗門追放するまで斗え」などという記事を載せて、盛んに宗門に配っております。… 猊下に関することは極めて重大であります。よって私は本総会で、猊下に対する妙信講の態度を改めて明確にしておきたいと思っております。… 現在、この猊下のお言葉を楯に、「牙城会」と名乗る創価学会の青年部のグループが、集団で妙信講員宅を毎晩回わり「猊下のテープを聞け、猊下がこうおっしゃっている」などと押しかけております。…
 さて、かくのごとき背後の実相を知れば、妙信講員は、断じて池田大作の卑劣なる策略に乗ってはなりません。… たとえ、猊下が自らお書きになり、仰せになられたとしても、断じて御本意ではありません。今後どのような粗悪な妙信講攻撃の言葉が猊下から述べられましょうとも、妙信講員は「これは池田が云わせているのである」として、少しも慣る必要はありません。むしろ "おいたわしい" と思っていただきたい。… 学会との関係で、管長の立場からはもう抜き差しならなくなり、知っていながら歪曲を云い、知っていながら大聖人に背き奉る、この猊下の御苦悩はどれほどでしょうか。… 猊下をかかる窮地に追い込んだのは誰か。妙信講こそこの悪の根源を断ち、猊下をお救いしなければならない立場にある、宗門たったひとつの講中であると私は思うが、いかがでございましょうか(大拍手)。
 次に、御遺命守護の斗いの路線について申し上げたい。本年初頭、折伏と法廷闘争と大諌暁運動、これを三本の柱として『降魔』の闘いを進めると申してまいりました。この三本の柱は御遺命守護の完結の日まで不変であります。…
 最後に御遺命守護の完結の姿について申し上げたい。正本堂の誑惑を言葉で訂正するという段階はもうすでに過ぎ去りました。… 池田大作が辞任をする、或いは、与同した宗務当局が辞任をすればよいのか。そんなことは政治的な解決であり、個人の問題であります。…
 されば、清らかなる元の奉安殿に戒壇の大御本尊がお還り遊ばすことこそ、御遺命守護の完結の姿と私は拝し奉りますがいかがでしょうか(大拍手)。これこそ、御遺命歪曲に対する徹底せる仏法上の清算であります。その時顧みれば、正本堂の誤りこそ事の広布の前夜、正系門家が第六天の魔王に眩惑された、一場の悪夢であったことに気づきましょう」(「冨士」第142号 )
(※ 法廷闘争は2年後に和解で終了、「三本の柱は御遺命守護の完結の日まで不変」ではなかった。そして、浅慮の「御遺命守護完結」は23年後(1998年)に実現したが、その姿は当初の思いとは程遠いものだった。それが "御仏意" ということであろう。櫻川 忠 )
6月1日  オール読物7月号、下田忠男の小説「大寄進」を掲載。下田忠男は、志茂田景樹の本名。「黄色い牙」で直木賞を受賞 (1980年)。境 忠雄のペンネームで「法城壊滅の日」(1978年)刊行。
 創価学会、志茂田景樹に対しスパイ活動を行う。
6月10日  創価学会、第2東京本部最高会議開催。
 池田大作会長「学会のために本山が犠牲になる。学会が全ての主体である」「創価国、創価王国を、地球上に宇宙に作って、みんなを守ってあげよう」
「ひのくに」第11号発行。
 福島源次郎九州総合長「師匠に人法があります。… 更にもう一歩進んで、帰命していこうという決意に至ります。… まさしく、我々の師弟の道はその人法一箇としての師匠というものを、学び取っていかねばならない」
 北風清松九州長「この決意に対して、ただ今拝読されましたごとく、久遠の師・池田会長より、メッセージが寄せられたのであります」(※ 後に廃刊処分 )
6月16日  創価学会、第1回本部中央会議開催、「八王子本山構想」
 池田大作会長、「(創価)大学の近くに数万坪の土地を買って数十億。牧口児童館とか戸田記念館…世界の本部にする。公会堂、講堂、地方の人がもう何千人でも泊まれる恒久的な本部、広宣流布の本山をつくっておきたい。会員から応援してもらって。これでほぼ日本の機構が確立 … 本山は坊さん … どうしようもない。学会は別法人。見事なものをつくりたい」
「創価学会が手段になってはならない。とんでもない。創価学会が原点。日蓮正宗、法華講はおとぎ話 … 創価学会さえ健在であれば、全て守られる。日本、世界も…。その大前提に立って、世界観、創価学会観を築け。一閻浮提の広宣流布のため、世界にも手を打っている」(「79年原島流出文書」)と。
6月 日  創価学会、池田大作会長、福島源次郎副会長と懇談。
「生粋の池田派は中西・福島・原島だな。他は、北条派や秋谷派に属しているから、生粋とはいえない」
6月18日
 宗門、八木直道師、依鉢費請求裁判和解。
6月27日
 宗門、学林開校式開催。
 細井日達管長「ある人から、こういうものを貰いまして、… 九州方面で出している「火の国」という新聞ですね。それに『現在に於ける人々の帰命とは師匠への帰命であり、池田会長への帰命となる』… という事が書かれています。…
 これは本宗の教義とは大変間違っている。帰命という事は、御存知の通り南無である。南無とは帰命である。それ故もし、人本尊としてだれそれに帰命するならば『南無某さん』となってしまう、これは大変な事です」
6月28日
 妙信講、日比谷公園大音楽堂にて「正義宣揚野外集会」開催。創価学会の欺瞞回答訂正文書を文部省に届け、雨中に大行進。
誓願書 文部大臣 永井道雄殿
 請願の趣旨
 昭和四五年四月二三日付創価学会から政府に提出した国立戒壇の意義についての回答は、同会が信奉る日蓮大聖人および日蓮正宗の教義に全く相違するものであります。よって日蓮正宗法華講支部妙信講は右回答の教義上の偽証を指摘し、本門戒壇の正義を示すと共に、右回答が政府ならびに国会を欺いた事実に基き、主務官庁たる文部省が速かに真相を調査糺明せられ、国立戒壇の本義を改めて国会に訂正報告せられるよう請願するものであります」
(※ 文部省は「誓願書」を事務的に受理したに過ぎない。この請願書が、政府や政界、宗門や創価学会に対し、いささかの影響を与えただろうか。この無益な誓願書を出すため、浅井昭衛理事長は宗門から追放され、御遺命守護の赫々たる功績も失い、宗内の立場と諌訴の資格を失った。何という大失態であろうか..。さらに、その失態の上塗りをしたのが、宗門に対し "教義の正統性" を争う「法廷闘争」であった。そもそも、宗教上の教義である "国立戒壇" の正統性の是非を、司法が判断するわけがない。櫻川 忠 )
7月3日  公明党・日本共産の両党、三木武夫内閣の不信任案を提出。
7月4日  創価学会、池田大作会長。
「言論問題のとき、何人かが退転した。反逆した人は結局行き詰まっている。松本(勝彌)なんかも行き詰まっている。大敗北だ」
「いっぺん反逆した人がどうしてやりなおせるか。私は感応妙でだれがインチキかわかる。そんなことがわからなくて仏法の指導者はやってられない」
「いろいろな弾圧があったら世界に逃げて態勢を整えて、その時は反逆者をやっつける」(「池田先生への手紙」原島嵩 )
7月5日
 宗門、細井日達管長 大奥対面所で法華講代表に目通り。
「浅井昭衛は、法主である私の名前を利用し、私が浅井父子だけに内意を打明けたと宣伝しておるのであります。... 何も知らない人達を "国立戒壇こそ法主の内意である" などとあざむくことは卑劣この上ないやり方であり、ことは私の名誉にもかかることであり、放置しておけば宗内のみならず世間までもさわがせる結果になりかねませんので、私は断固たる措置をとります。... 浅井昭衛のいう内意云々はまったくの虚言であり、訓諭及び説法以外に私の真意はないことを、元妙信講の人々にもはっきり伝えて下さい。それでもなお法主の指南がきけず、浅井の指南を聞こうという、そういう人は、もはや本宗の信徒と認めるわけにはまいりません。…
 とかく宗内の混乱は、その立場、資格にないものが相伝を受けた、内容を知っているとか、法主から特別な使命を与えられたと主張するところから起り、何も知らない信者が付和雷同して大きくなっていくものであります。こういうことを言い出す人には、必ずなんらかの野心か下心があることは、過去の実例が証明しております」と。(「大日蓮」9月号 )
7月12日
 妙信講、顕正新聞第42号を、都内主要駅頭にて配布。
7月12日  創価学会、池田大作会長 宮本顕治日本共産党幹部会委員長と対談。毎日新聞の主催により、東京のホテル・ニューオータニ山茶花荘で、約4時間にわたって対談、大聖人の名を呼びすてにする。
「会談から帰ってきた池田大作は側近を集めて、いかに上手く演技し立ち回ったかを自慢した。『宗教と共産主義の協定というのは歴史上はじめてのことだ、後世に残るだろうな』 と、自画自讃する一方で、『しかし、宮本顕治というのは、ずるくて悪い奴だ。二人きりのときは下手に出るが、記者やカメラマンが見ていると、《自分が上だ》ということをことさら態度で示そうとする。本当にいやな奴だ。二度と会いたくない』と、疲れ果て、苦り切った表情で、吐き捨てるように言った」 (「月刊ペン事件 埋もれていた真実」、山崎正友 )
7月21日
 宗門、細井日達管長。
「妙信講はまるで自分が相承を受けたようなことをいっている」
(創共協定につき)「仏教も共産党も共に存して、世の中をよくして行こうというのになんの不思議もない」(「大日蓮」9月号 )
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島公会堂)、7月度折伏成果 319世帯。
 浅井昭衛理事長「周の武王と殷の紂王の闘い始まる。学会と宗門首脳の醜い策動に断固たる処置をとる」
7月27日  創価学会、「日本共産党と創価学会との合意についての協定」公表。
(※ 相互理解や敵視政策の撤廃などを骨子とする旨の協定、前年12月に調印。協定の期間は10年とされ、協議によって更新されるとした。創価学会が、公明党の頭越しに選挙戦で直接対峙する共産党との間に結んだもので、公明党が反発。公安や警察が警戒して動き出し、自民党からも巻き返しの動きが出た。創価学会も態度を変え、協定は公表と同時にほぼ死文化した」(「ウィキペディア」)
7月30日  日本共産党、宮本顕治委員長。記者会見で、協定を結んだ理由として「学会が国立戒壇を捨てたこと」と。
8月1日
 妙信講、浅井昭衛理事長。「池田会長が共産党との不可侵条約を結んだ真意は、正本堂の誑惑露見を恐れた故である」と。(「顕正新聞」第45号 )
8月1日  創価学会、「元妙信講問題について」を総B長に配布。
8月1日  公明党、「創共協定」を否定する見解を発表。
8月2~4日  創価学会、特別財務を募る。
8月8日  創価学会、夏季講習会開催。池田大作会長、「あらゆる主義主張の異なった人といえども包容し、理解しあう」と。(「聖教新聞」8月9日号 )
8月12日
 妙信講、創価学会 池田大作会長へ、三度目の公場対決申し入れ。
「然るに池田会長は世間の名利・政治野心から、この御遺命を曲げて正本堂の誑惑を為し、その上純信の信徒を欺いて血の滲む供養を為さしめた。これまさしく仏法の破壊者と云わずして何ぞ。また仏法を曲げれば国亡ぶゆえ、国賊ともいうべきである。
 而も妙信講の諫訴により漸くこの悪計が一国に顕われんとするや、宗門に命じて妙信講を解散せしめ、その後猶講中の抹殺を画策して、あるいは管長猊下の尊名を利用して種々の文書を講員に送附し、あるいは腹心の山崎正友等に悪質の誹謗新聞を刊行せしめ無実の中傷に終始した。
 中にも許し難きは、本年七月五日、亦々管長猊下をして「国立戒壇は本宗の教義に非ず」と云わしめ、これを宗内外に宣伝した一事である。およそ猊下をして大聖人に背き本る言を為さしめるほどの悪はなく、大不忠はない。池田大作よ! いい加減に卑劣を止めよ。自ら確信あるならば、何故自ら発言しないのか。…
 此処に解散処分より一ヶ年を経て、かえって道念ある学会員の続々と正義にめざめるは如何。今や創価学会七百五十万会員は妙信講の正論を耳にし、一同に動執生疑を生じ、いずれが是・いずれが非かの決着を切に望んでいる。されば全学会員の眼前に進んで是非を決するは会長の責務、またその方法は公場対決には如かず。過去再度にわたり対決を申し入れるに、その都度池田会長は猊下の意向を以て回避して云く「猊下には同門同志の対決を禁止せり」と、而して今妙信講は解散・除名せらるれば猊下の制約すでに該当せず、対決を避くべきの理由は除かる。定めて会長には勇躍歓喜ならん」(「冨士」第145号 )
8月12日  創価学会、本部防衛のため機動隊一個中隊の出動を要請。
8月13日
 宗務院、「創共協定」につき、池田大作会長擁護の院達発布。
8月19日  創価学会、池田大作会長、公場対決申を三度拒絶。
 [解説 浅井昭衛]
「過去二回はいずれも「猊下が信徒同志の対決を許さぬゆえ」と返答して来たが、今回はそれが通用しない。よってこの対決申し入れ書に対し、彼は黙殺の一手を用いた。
 解散処分以後の細井管長の発言は、物狂わしい限りであった。「国立戒壇は大聖人の正意ではない」「"勅宣並びに御教書"とは、建築許可ということである」「キリスト教神父を正本堂の完工式に招いて何が悪い」等々の己義が、次々と公の席で述べられた。
 中にも昭和50年7月5日、総本山に法華講連合会の青年部代表を集めて "妙信講と戦え" と唆した時の言葉は、目にあまるものであった。「浅井昭衛は、法主である私の名前を利用し、私が浅井父子だけに内意を打明けたと宣伝しておるのであります。... 何も知らない人達を "国立戒壇こそ法主の内意である" などとあざむくことは卑劣この上ない … 」と。
 この時、細井管長は用意した原稿を読み上げていた。この原稿が山崎正友のそれであることは一点の疑いもない。しかし誰の作製であろうと、発表しているのは細井管長である。管長の振舞いはあまりにも無懺であり、すでに法に過ぎている。それはもう正念を失っているとしか、云いようがなかった。この日の管長発言は、直ちに宗門機関誌「大日蓮」、法華講機関紙「大白法」、そして山崎の編集している「破邪新聞」に載せられた。ここに始めて私は、細井管長に対して「公開御伺書」を差し出し、回答を求めたのである」(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
8月20日
 妙信講、本部役員会開催(本部会館)。浅井昭衛理事長、新講頭に推挙さる。
8月20日  創価学会、壮年部代表者集会開催。池田大作会長「我々は日本共産党と共斗する意思はない」と。(「聖教新聞」8月21日号 )
8月21~23日
 妙信講、「御遺命守護講習会」開催(本部会館)。1千3百名が参加。
8月26日
 妙信講、浅井昭衛理事長、細井日達管長へ「御伺書」提出。
「一、国立戒壇について
 二、正本堂について
 三、事の戒壇について
 四、日興上人遺誡置文について
 五、広宣流布について
 六、謗法与同について
 七、猊下の御本意について
「浅井に対し実に七回にわたって、あるいは本宗伝統の正義をお述べになり、あるいは前言の歪曲を訂正なさり、あるいは学会を誡むる等と約せられたこと、猊下にはよもこれらの事実を浅井の面前では否定し得ないことと存じます。これら正義の御発言を妙信講が「猊下の御本意・御内意」と称し七百年来の猊座の尊厳を守らんとするに何の不可がありましょうか。… 然れば歴代先師の仰せのままの御指南は御本意と拝し、然らざるものは学会に阿諂された不本意の齟齬と判ぜざるを得ません。… 而して妙信講への御指南につき、「もし証拠あらば否定せぬ」と仰せあるならば、厳たる証拠を提示公表いたしますが、いかがでしょうか。
 以上七箇条につき御伺い申し上げます。勝手ながら九月十二日までに必ず回答御指南給わるようお願い申し上げます」(「冨士」第145号 )
8月26日
 妙信講、弾圧一周年記念幹部大会開催(豊島公会堂)。浅井昭衛理事長、講頭に就任
 浅井昭衛理事長「本来ならば、私ごとき者が講頭職などを断じて受けるべき筋合いのものではございません。ただし、現在は非常事態でございます。…
 来年九月からは、法廷斗争もいよいよ口頭弁論に入ります。今までの、書類を出しあうという段階から、弁論を以ってその道理を明かすという段階になってまいりました。… 私は、妙信講の当事者として発言の資格を得て、どうしても法廷の場において大聖人様の正義を明らかにしたい。また、その責任がございます。… 講頭先生に指一本触れさせたくない。悪人の相手は私が承りたい。
 現在の重大な段階におきまして、あえて講頭職を受け、名実ともに妙信講の責任者として、御遺命守護の御奉公の終るその日まで、本日より講頭として御奉公させていただきます」(「冨士」第145号 )
8月29日
 宗門、細井日達管長、「勅宣・御教書は許可ということ」と、国立戒壇を否定。(「大日蓮」10月号 )
8月 日
 宗門、細井日達管長。「公開御伺書」受取拒否、三度返送。
8月 日  創価学会、池田大作会長、「弟子分帳」を制作。池田大作の直弟子たる証明として、「記別」の称号を数千人の幹部に与える。
9月10日  創価学会、池田大作会長、「私の天台観」刊行。
9月26日
 宗門、日寛上人第二五〇遠忌大法要。
 細井日達管長「もし国立戒壇が正しい、大聖人の教えが国立戒壇であるならば、その人は世間に向かって云えばいいのです。新しい宗旨を立てて、国立戒壇宗というものを建てたんだといって、世間をどんどん折伏して広げて下されば、結構だと思います」(「大日蓮」11月号 )
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会開催(豊島公会堂)。9月度折伏成果 460世帯、総世帯数は 1万4千世帯突破。浅井昭衛講頭「御伺書を徹底しよう。追撃の手をゆるめず、折伏をさらに強力に進めよう」
10月1日
 妙信講、「冨士」巻頭言「時に叶う御奉公」
 浅井昭衛講頭「末法の始に三大秘法が出現して一切衆生が利益を得べき時、悪王と邪僧が結託して正法を失わんとする時は「師子王の如くなる心を持てる者必ず仏になるべし」と仰せである。これ御本仏大聖人一人の御振舞いであられる。
 然らば、いま大聖人の末流として、我らの為すべき「時に叶う御奉公」とは何か。… 大聖人の御悲しみと御憤りを思えば、仏弟子たる者一身を賭してこの歪曲を摧き、御遺命の正義を顕わさなくてはならぬ。これこそ時に叶う唯一の御奉公ではないか」
10月1日  創価学会、「大白蓮華」10月号発行。教師講習会における8月29日の細井日達管長の説法「戒壇について」を掲載。国立戒壇に固執する妙信講の主張を百六箇抄の「脱益・種脱の戒壇」の観点から論難。
10月4日
 宗門、宗会、妙信講を管長の指南に異議を唱える大謗法と決議。
10月5日
 法華講連合会役員会、妙信講を「管長の指南に背く師敵対の大謗法者」と決議。
10月8日  創価学会、副会長室、妙信講を「管長の指南に背く師敵対の大謗法者」と決議。
10月13日
 妙信講、八木直道師の導師で御大会式厳修(本部会館)。
10月17日
 八木直道師、静岡地方裁判所富士支部に、地位確定訴訟の第二回目準備書面(擯斥処分無効確認法廷提出書類)を提出。
「一、「公式決定」の無効。
 被告は、昭和四五年四月二七日に被告管長が為したといわれる「本門の戒壇」の意義に関する「本宗教義の本質より鑑み、国立戒壇の名称は不適当につき、今後一切右名称は使用しないこととする」旨の教義上の裁定と、ならびに、昭和四七年四月二八日に正本堂の意義に関して同管長より公布された「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち、正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり云々」との「訓諭」を以て、宗門の「公式決定」と称し、原告が、この「公式決定に違背して解散処分に付された妙信講に加担し、原告自身も「公式決定」に異議を唱えたと主張している。しかしながら、右「公式決定」は、以下に述べる理由により、全く無効である。…
 (1) 手続違反。
 被告責任役員会の不開催。
「公式決定」ならびに「訓諭」の公布が有効であるためには、被告管長のなした右宗務が、被告責任役員会の議決に基づいたものでなければならない(被告宗規第一五条三号・五号)。しかるに右「公式決定」ならびに「訓諭」の公布に関しては、右手続が経られていない。よって「公式決定」ならびに「訓諭」は不存在かつ無効である」(「冨士」第147号 )
10月30日
 妙信講、浅井昭衛講頭。細井日達管長へ「通告書」提出。
11月1日  創価学会、「大白蓮華」11月号発行。北條浩理事長、「仏法の正義と謗法」で、前年の「友好拡大のためなら謗法を犯してよい」との解釈を、軌道修正。
11月1日
 妙信講、浅井昭衛講頭。班長会にて「大悪は日目上人御出現の瑞相、妙信講は身を挺して露払いの御奉公を」と。
11月9日  創価学会、第38回本部総会開催(広島市県立体育館)。
 細井日達管長、創共協定を「真実の仏教の求道者なればこそ、こういう協定ができるものと信ずる」と賞賛。(「大日蓮」12月号 )
11月9日
 妙信講、男子青年部。広島に赴き、創価学会本部総会への抗議活動。
11月30日
 妙信講、広島支区大会開催(平和記念館)。広島支区が支部に昇格、西日本に砦が築かれた。
12月5日
 妙信講、11月度総幹部会開催(豊島公会堂)、11月度折伏成果 585世帯。
 浅井昭衛講頭「来年は諌暁『七年』の大事な節、御本仏の厳たる賞罰近きを確信」
12月15日
 宗門、細井日達管長、「ある講の人が、円妙院日彰上人から相承を受けたということを、盛んに言っている」(「大日蓮」1月号 )
12月21日
 妙信講、青年部大会開催(豊島公会堂)。
 浅井昭衛講頭「そもそも正本堂とは一体いかなる建物か。… 池田大作は政治に出るにつれ、選挙をやるにつれ、国立戒壇が邪魔になってきた。共産党等が国立戒壇について批判をする。これを恐れて彼は「国立戒壇はもう捨てた。国立戒壇なんか御書のどこにもない」と宣言したのです。だが世間は彼のいうことを信じない、そこで国立戒壇を捨てた証(あかし)として正本堂を建てたのです。… されば、まさしく正本堂こそ、大聖人御遺命の国立戒壇を抹殺し、一国を誑(たぶらか)すために建てた殿堂であります。…
 私は来年こそ、大聖人様のこの御憤りと御悲しみを、声を大に叫び、御遺命を曲げた悪人達がたとえ耳をふさごうとも、その心胆に響くまで、徹底して大諫暁を行いたいと思っておりますが、どうでしょうか(大拍手)。
(※ この頃から、浅井昭衛講頭は "正本堂こそ御遺命を抹殺し一国を誑す殿堂" と云うようになった。妙信講は、御供養に参加し御遺命を守護し、正本堂への参詣を願ったのである。登山を拒否され逆切れし、筋違いの正本堂への八つ当たりがはじまった。御遺命守護完結の姿を、"奉安殿に大御本尊がお還り遊ばすこと"、と勝手に定義したことによる。やがて正本堂を、"偽戒壇"と貶めるようになって行く。櫻川 忠 )
 
  年表  
1月1日
 妙信講、「大諌暁の年」。男子青年部、創価学会本部前で抗議行動。
 松本日仁師、新年の挨拶。「かえりみますれば、昨年巳来からの法廷斗争も、其の後、講頭先生の御尽力御指導に依り、愈々順調に進み、本年中には其の所期の目的を完遂する事が出来得るものと確信致します。但し、愈々というその最後の段階になりますと、また第六天の魔王のはたらきに依って、如何なる予期しない大事件が勃発しないとも限りません。
 然しどのような大事件が突発致しましても、皆様は皆様のすべての行動が私事でなく、終始一貫、何等一点の野心あっての行動でもなく、勿論名利名聞の為でもなく、ただただ御遺命守護の一点に其の目的があるのでありますから、いざと云うそのどたん場に直面致しますれば、必ずや宗祖大聖人様の偉大なる御守護が厳然と現われて、所期の目的を必ず貫徹する事が出来得るものと確信いたします」
 八木直道師、「そもそも「公式決定」なるものこそ大聖人の根本教義を否定し、先師上人に師敵対するものであります。私はただ日蓮正宗の僧侶として、御遺命守護に不惜身命の修行をしておられる純信の徒の招きに応じ、先師上人の御指南を依拠として妙信講の信心の正しさを賞賛しただけであります。「公式決定」なるものが、管長の本意でない事は、すでに妙信講の諫暁の経緯からも明瞭であります。この事は、管長の「国立戒壇を心で思うのはよいが活字にはしないように」とのメモによっても明らかであります。…
 私はいささかも大聖人の御遺命・先師上人の御指南に異説を唱えたものではありません。だが「公式決定」に違背したと云うなら、国立戒壇を唱えた歴代上人はすべて違背であります」(「冨士」第149号 )
1月3日
 妙信講、男子青年部。総本山大石寺にて抗議行動。
 創価学会、牙城会員百余名、路上で待ち伏せて襲撃し、妙信講の広報車2台を破壊。
(※ 「牙城会」は、創価学会会館の自主警備組織。委員長、副委員長、警備長、言論企画部長、運営委員、部長などの役職を有する )
1月4日
 宗門、細井日達管長「戒壇にこだわるのは本当の信心が足りない」と。(「大日蓮」2月号 )
1月5日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭「昨年、公開御伺書にも公場対決状にも寂して声なく、ついに攻守所を変えた。悪が追いつめられ犯罪行為に及んでいるが、暴力で正義の叫びを止め得ない。信心で大諫暁の年を驀進しよう」
1月6日
 宗門、細井日達管長「事の戒壇とは本門戒壇の御本尊」と。(「大日蓮」2月号 )
1月6日
 妙信講、男子青年部。創価学会教育部総会(日比谷公会堂) で抗議行動。
1月17日
 妙信講、牙城会の暴力行為を富士宮署に告訴。
1月21日
 妙信講、男子青年部。総本山大石寺にて、定期的な抗議行動開始。
2月1日  創価学会、「大白蓮華」2月号発行。僧侶寺族初登山における、細井日達管長の「事の戒壇とは本門戒壇の御本尊」を掲載。妙信講の疑義への反論。 
2月1日
 妙信講、男子青年部。創価学会青年部結成二十五周年記念総会(日大講堂)で、抗議行動。
2月3日
 妙信講、男子部幹部会開催。浅井昭衛講頭「今日の創価学会は末期の幕府、懺悔なくば崩壊は歴史的必然」と。
2月5日  「月刊ペン」、3月号発売、「連続特集・崩壊する創価学会 四重五重の大罪を犯す創価学会」
「俗界にも珍しいほどの女性関係をとり結ぶ、日蓮大聖人の生まれかわり(!)、末法の本仏(!)といわれる『池田本仏』が、煩悩に満ちた現実の人生から理想の人生への変革を説く、清浄にして神聖な仏教を語り指導する資格は、絶対にない」( 「同誌」隈部大蔵 )
「戸田城聖が情婦の柏原ヤスを参議院議員にしたように、池田大作も、情婦を国会議員にしている。渡部通子と多田時子である。… その他、池田大作のお手付け女性は数知れず、いずれも、やせがたで、プロポーションが良く、インテリ風のタイプである」( 「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
2月6日
 妙信講、正本堂の西側に大広告塔設置。「御遺命に背く正本堂から早く大御本尊を奉安殿へ」と大書。
2月15日
 妙信講、教学部。「三大秘法禀承事」講義開始。
2月16日
 宗務院、阿部信雄教学部長。「本門事の戒壇の本義」を発表、細井日達管長の緒言付き。(「大日蓮」3月号 )
2月16日
 妙信講、御生誕報恩勤行会奉修。
 浅井昭衛講頭「産湯相承には「日蓮は富士山自然の名号なり、富士は郡名なり、実名をば大日蓮華山というなり。我中道を修行するゆえに、かくの如く国をば日本と云い、神をば日神と申し、仏の童名をば日種太子と申し、予が童名をば善日、仮名は是生、実名は即ち日蓮なり」と仰せであります。
 仏法に三妙合論ということがあります。本因妙・本果妙・本国土妙の三つです。下種仏法の本果妙は日蓮大聖人、本因妙は日興上人、本国土妙は富士山です。富士山が三大秘法の住処であることが、母君の霊夢にすでに表われているのです。大聖人様がこの富士山に国立戒壇を建立することを御遺命されたこと、実に符節を合せるごとくであります。この富士山に広宣流布の暁、大聖人の御法魂たる戒壇の大御本尊を一国の総意を以って御奉安申し上げ、上一人より下万民に至るまで声をつるべて南無妙法蓮華経と唱え奉るこそ大聖人の御本願であります」(「冨士」第151号 )
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島公会堂)。2月度折伏成果 388世帯、総世帯数は 1万5千世帯を突破。
3月1日  創価学会、「大白蓮華」3月号発行。原田稔学生部長、「師弟の道は創価学会の血脈」と。
3月5日  「月刊ペン」、4月号発売、「連続特集・崩壊する創価学会」
「極悪の大罪犯す創価学会の実相」「戸田・大本仏に勝とも劣らない漁色家・隠し財産家『池田大作・本仏』」を掲載。( 「同誌」隈部大蔵 )
3月 日  創価学会、池田大作会長。熱海研修所に山崎正友を呼び、月刊ペン対策を促す。
「秋谷副会長が、言いにくそうに話しはじめた。『その件は、警視庁や検察庁を政治的な力で動かさなくてはならないから、党(公明党)の首脳とも話し合ったんだが、検察や警察に顔のきく大物弁護士を使って告訴しようと、打ち合わせ中だ。矢野君(元委員長、当時書記長)が、江(江田三郎)・公・民の打ち合わせで知り合った、伊達秋雄・小谷野三郎という弁護士を起用しようと考えているんだ』」 (「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
3月18日
 八木直道師、創価学会弁護団の和解案を拒絶。
3月21日
 妙信講、教学部。二級昇格試験実施。(本部会館)
3月26日
 妙信講、3月度総幹部会開催 (豊島公会堂)。
 浅井昭衛講頭「学会がどのように宗門を制圧し、何の目的で国立戒壇を抹殺して今日に至ったか、必 ず法廷で明白になる」
3月 日  創価学会、この春 公職に就いた創価学会員。
 弁護士 33名、検事 18名、判事 3名、司法研修生 16名、国家公務員上級 36名、外交官上級 9名、中級 8名、語学研修 18名。
4月1日  創価学会、宗門発表の「本門事の戒壇の本義」を掲載。(「大白蓮華」4月号 )
4月5日  「月刊ペン」、5月号発売、「連続特集・崩壊する創価学会」
「学会を滅ぼす池田本仏のスキャンダル」「根源の悪『人間革命』を火中に投げ込め」「人間・日蓮の裸像」を掲載。( 「同誌」隈部大蔵 )
4月12日  創価学会、代表役員 北條浩。名誉毀損事件として隈部大蔵と月刊ペン社社長 原田倉治の告訴状を警視庁に提出。
「隈部氏を告訴するに当っては、矢野公明党書記長、大野潔代議士、竜年光、藤井富雄、大川清幸東京都議会議員らが法務省幹部、検察幹部、警視庁幹部と、めんみつな打合せをしました。衆、参両院議院法務委員長の権限を背景に法務省筋に圧力をかける一方、東京都議会におけるキャスチングボードをにぎる与党としての力、即ち警視庁予算を左右する力を背景に警視庁に圧力をかけたのであります」(「山崎上申書」81年1月 )
4月16日  創価学会、墓苑事業第一号、北海道の「戸田記念墓地公園」完成。
 池田大作会長、羊ヶ丘会館(北海道)にて「墓苑60億円、公園で180億円、土地代4億円、200~200億円ぐらいだな。正本堂御供養一回分だな。御供養返還だ(笑い)」
4月20日
 妙信講、教学部。二級昇格試験に 5名が合格。
4月22日
 妙信講、浅井昭衛講頭。宗務院 阿部教学部長に対し、公開討論申し入れ書を送付。(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
4月24日  創価学会、多田時子 渡部通子。警視庁に名誉毀損事件として、隈部大蔵の告訴状を提出。
4月26日
 宗門、阿部教学部長。公開討論申し入れ書を返送、三度対論 を拒否。
4月26日
 妙信講、4月度総幹部会開催(豊島公会堂)、4月度折伏成果 542世帯。
4月30日  警視庁捜査四課(暴力団担当)、月刊ペン社 原田社長、隈部大蔵宅を家宅捜索。
4月30日  文化庁宗務課、創価大学を訪問。
「文化庁宗務課の件」(創価学会内部文書)
「先方 宗務課長 山本研一、専門職員 洗建、同 竹村牧男。当方山崎(尚見・副会長)、岡安(博司・副会長、創価大学事務局長)、鈴木(啄郎・創価学会広報室長)〔挨拶 高松(和男・創価大学学長)、唐沢(照男・創価大学理事長 )」
「松本裁判(元民音の職員・松本勝弥氏がご供養金の返還を創価学会に請求した)については、宗務課として全面的に当方立場を支持、各宗教界にも事の重要性を訴えたいと共鳴しておりました」(「宗教の火遊び」溝口敦 )
(※ 宗教法人法を所轄する文化庁宗務課と巨大教団が癒着 )
5月1日  創価学会、「大白蓮華」5月号、表紙に「新入会の皆さんに」と。
 巻頭言(北条浩)、「会長就任16周年のよき日。ああ16年、何という重みであろうか。牧口先生は御書を身を以て読まれた。そして戸田先生は、獄中の悟達を以てこれに答えられた。師弟久遠のちぎりは、かくして創価学会の永遠の原点としてつきせぬ泉となっているのである」
5月 日  創価学会、聖教新聞社から『創価学会年表』を発刊。76年5月までの事項を収録。
5月3日  創価学会、5・3の記念行事。
 北條理事長、「久遠の誓いも固く……」
 野崎男子部長、「我らは久遠の師たる池田会長にどこまでもお仕えし、今後広布の前途にどのような事態が起ころうとも、いかなる烈風が吹こうとも、勇敢に無疑曰信の信に立ち、永代にわたって、師の振る舞いを伝えきって参ります」と。(「聖教新聞」5月4日号 )
5月9日  創価学会、富士宮市天母山自然公園を完成し、同市に寄贈。
5月21日  警視庁捜査四課、隈部大蔵を警視庁に出頭させ、取調べののち名誉毀損の容疑で逮捕。6月14日までの25日間、長期拘留。
「告訴に当っての条件は、隈部大蔵氏を即刻逮捕すること、及び池田大作氏を法廷に証人として立たせないよう配慮することの二つでありました。警察としてはこの要求に充分にこたえました」(「81年1月 山崎上申書」)」
5月 日  創価学会、創価学会万代路線を提唱。
「およそ2年がかりで、やっと日蓮正宗と創価学会の関係は一応修復されたが、お互い強いしこりは残したままだった。創価学会が、懸案事項をほとんど解決し、上昇気流に乗ったのをチャンスと見て、池田大作は『後顧の憂い』を一気に取り除くため、日蓮正宗に対する『徹底的な攻撃』に乗り出した」(「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
5月23日
 妙信講、第8回総会開催 (渋谷公会堂)、「七百年御遠忌までに五万世帯達成、戒壇の御本尊誹謗の仏敵を粉砕」
 松本日仁師「一昨年の八月十二日には宗務当局から妙信講に対して、国立戒壇を主張するがゆえに解散の命令が下され、妙信講に同調したという理由から、八木直道御尊師と私に対して宗門擯斥という処分が行われました。… 私利私欲のため名聞名利のためではなく、ただ宗祖大聖人の末流として、宗開両祖並びに歴代先師の御教えに従って人のため国のために斗っているのですから、少しも恥づるところはありません。私も八十五歳の老齢ではありますが、いのちのあらんかぎり一層頑張ってまいりたいと思っております」
 八木直道師「妙信講はこの御遺誡を体し大仏法の壊らるるを黙止し得ず、正法護持・令法久住のため身を捨ててこれを諫め正義を叫んだために、理不尽にも講中解散という死罪に等しき宗門史上にかってなき暴挙の断罪に処せられた。だがこれに屈せず、敢然と師子王の心を以って御遺命守護に講頭先生のもと講員異体同心一丸となり、折伏に法廷斗争に諫暁運動に捨身で邁進しております。この浄行の前途はきわめて明るく、光明の兆(きざし)また明瞭であります」
 浅井昭衛講頭「いまの学会と宗務当局の関係は、醜い利権の癒着でありますが、妙信講と二人の御僧侶の団結は、法を守るための捨身の異体同心であります。… いま事の広宣流布の前夜、いかなる弾圧にも屈せず、身も財も抛ってただ大聖人への御奉公のために立つ異体同心の僧侶と講中が正系門家の中にあるということは、まさしく日蓮正宗が御在世の信心に還るの魁、国立戒壇建立の先序でもある、と私は確信しておりますがいかがでございましょうか (大拍手)。…
 私はいまでも覚えております。今から七年前、あの謗法同座の聖人展を諫めた時、宗務当局は聞き入れない。そこで前総監柿沼広澄尊師を妙光寺に訪ねました。そして「一日も早く聖人展を中止するよう、宗務当局に妙信講の意のあるところを伝えてほしい」と前総監に頼みました。その時、一部始終を黙って聞いていた柿沼前総監が、しみじみと最後に一言云われた。「ああ日蓮正宗はありがたい。われわれ僧侶が一言も云えない時は、御信者の方がこうして直言して下さる。これが本宗のありがたいところである。この妙信講の諫めを大聖人の声と思わなければ宗門は大変なことになる」と。…
 さて近頃、私は憤りに堪えないことがある。それは、一般社会に戒壇の御本尊を侮る風潮が瀰漫しておるということでございます。あの学会を退転した松本勝弥などという男は云うも恐れ多し、戒壇の御本尊を誹謗して下劣極まる裁判まで起こしているということであります。しかもこれをタネに、週刊誌までがあちらこちらで、戒壇の御本尊様を写真に掲げて侮っている。私はああいうのを見ると、腸(はらわた)が煮えくりかえるのであります。まさしくこれらは、正系門家が御遺命を曲げ、謗法に対して惰弱になっている、この隙を見て魔が跳梁跋扈している姿でなくて何でありましょうか。… 不思議なことに、近頃の大御本尊怨嫉の風潮を見るに、これらの仏敵はことごとく保田妙本寺の万年救護の本尊をたたえて、本宗の戒壇の御本尊を誹謗している。…
 まさしく七十年代は末法濁悪の入り口、八十年代こそ、その直中でありましょう。そして御入滅七百年の昭和56年はこの八十年代の初めであります。… しかも八十年代の半ば、すなわち今から十年後の昭和61年には、巨大なるハレー彗星が出現する。彗星というのは、世間でも云われておりますが、ことに仏法の上においては吉凶ともに変動の前兆とされております。…
 されば、ここにその昭和56年を見つめて、私は全妙信講の皆様に提案をしたい。すでに今、大聖人御遺命の国立戒壇を叫び、一国の謗法を責め得る講中は、妙信講以外にはない。そして、今後、内外にいかなる情勢出来するとも、この妙信講が正しい力を持って大聖人様に御奉公しなければならない。よって、御入滅七百年の昭和56年までに、妙信講は五万世帯の折伏を達成し、熱原のごとき鉄石の大法華講を作り上げ、来るべき仏法上の御奉公に備えようと私は堅く決意しておりまするが、皆様いかがでございましょうか (大拍手)。」
5月27日
 宗門、寺族同心会(総本山)。
 細井日達管長「未だに、妙信講の事について、妙信講の方が正しいんだなんていうような僧侶があるかのようにこの間聞きまして、誠に残念に思っております。… 明治の時代に、あるいは大正の時代に、そういう取り方をした時があったけれども、それは本宗において、現在はそういう取り方をしないんだ、という事をはっきり方針を建てて布教をして来ておるのであります。
 それを未だに一、二の人がそういう事をいって、妙信講が正しいんだなどと、口走って若い者を指導しておる。若者を唆しておるという事を聞いて誠に残念であります。もし、そういう人に気が付いたならば、どうかそういう事をやめて、宗門は宗門として、一致して一つの方針で布教して行かなきゃならないという事を説得をお願いする次第でございます」(「大日蓮」7月号 )
6月1日
 妙信講、五万達成めざし組織充実。新理事に星春雄、本部幹事に木内哲三 就任。
6月11日
 妙信講、創価学会弁護団の手先として、講中潜入の沢崎和雄を除名。
6月 日  講談社、「現代」7月号。内藤國夫の「公明党=創価学会七つのウソ」を掲載。
6月8日  創価学会、池田大作会長。警視庁に名誉毀損事件として、隈部大蔵の告訴状を提出。
「被害者である池田先生が告訴しないのはなぜか、と誰もが不審に思うでしょう。警察は、それでも創価学会に対する義理から、強い要望に応じて告訴を受理し、隈部を逮捕してくれたのです」(「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
6月11日  東京地方検察庁、隈部大蔵を名誉毀損罪で起訴。
6月19日  東宝映像・シナノ企画共同製作、東宝配給の映画『続・人間革命』公開。
6月19日  創価学会、「日蓮正宗懲罰委員会」発足。委員長に秋谷栄之助、副委員長に野崎勲が就任。
6月26日
 妙信講、6月度総幹部会開催(豊島公会堂)。広島支部を発展的に解消。高知支部・大牟田支部を新たに結成。支部長には寺田浩三・藤木国義が任命さる。
7月2日
 妙信講、武田満男元広島支部長を、退転反逆したとして除名処分。
7月16日
 妙信講、「冨士」巻頭言「つたなき者は約束を忘る」
 浅井昭衛講頭「宗門においては七百年、歴代の御法主上人は一筋にこの御遺命を説かれ、宗門僧俗でこの御遺命実現に不惜身命の決意を誓わぬ者はなかった。しかるに、ひとたび世間の批判がおきるや、池田大作ならびに宗務当局者はたちまちに肝を消し、この大事の御遺命を抛った。この変節・この無道心、まさしく開目抄の「つたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし」の仰せのままである。
 しかも己れの非を隠さんとして、必死に御遺命を守り奉る妙信講を断罪に処し、二人の道念の御僧侶を追放した。このような大悪がいつまで続こうか。宗祖大聖人は憤り給い、諸天はようやく動き出した。歪曲者よ! 崩壊の地鳴りが聞えぬか。御遺命を曲げた卑劣のいきさつも今秋にはすべて明白となる。所詮、大聖人に背き奉っていつまでの栄えがある。御裁断の日は刻々と迫っているのである」(「冨士」第155号 )
7月27日
 宗門、法華講連合会第13回総会開催。
 細井日達管長「"国立戒壇" "国立戒壇"と、九官鳥のごとく叫んでも広宣流布は出来ない」 (「大日蓮」9月号 )
7月28日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島公会堂)、7月度折伏成果 654世帯。「八月は妙信講の歴史の原点」
7月29日  公明党、竹入義勝委員長。長男の東海大学医学部不正入学が発覚。
8月17日  創価学会、弁護士 桐ヶ谷・若旅ら12人、51年1月3日の広報車襲撃事件で書類送検さる。
8月18日
 宗門、富士学林行学講習会開催。
 細井日達管長、「高野山に行って何が悪い、キリスト教神父を正本堂の完工式に招いて何が悪い」(「大日蓮」10月号 )
8月20日
 妙信講、「妙信講の歴史と使命」特別講習会開催。1千6百余名が豊島公会堂に参集。
8月22日  創価学会、牙城会員。妙信講 本部会館外壁をよじのぼり、電源装置の破壊を企てる。
8月26日
 宗門、教師講習会。細井日達管長、「妙信講との裁判は一歩も退かずにやる」と。(「大日蓮」10月号 )
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催。新曲「使命に立つ」発表。
8月28日
 妙信講、男子青年部。創価学会神奈川文化祭で、池田大作会長に広報車で抗議行動。
8月30日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。妙信講を除名された武田満男・沢崎和雄両名の名を以って手記を執筆し、自ら編集の「破邪新聞」に掲載。以って武田・ 沢崎を繰っていた黒幕が、山崎本人であったことを自ら証明。
9月2日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、証言(主尋問)開始。
(※ 尋問は当事者が交互に行い、これを交互尋問という。取調べを申し出た当事者が、最初に尋問を行いこれを主尋問という。妙信講が、解散処分を不当として宗門を提訴した裁判であるから、主尋問で妙信講の主張を展開。反対尋問は、翌年2月より開始。 )
9月6日日  創価学会、池田大作会長の母 池田一、逝去。 1976.10.24
9月13日
 妙信講、「冨士」巻頭言「一切は現証に如かず」
 浅井昭衛講頭「それにつけても思い出されるのは、正本堂の完成を以って「広宣流布の達成」と偽わり「三大秘法の成就」「立正の成就」「これより平和楽土が実現される」と、空々しい妄語を並べた池田大作の破廉恥ぶりである。正本堂が立てられてから、一体日本はどうなってきたか。異常気象は年々激しく、駿河湾を震源とするといわれる巨大地震の到来に人々はおびえ、強大な隣国は我が国の隙をうかがい、しかもこれらに対処すべき政治は混迷の極に達しすでに統治能力を失っている。まさしく仏法は体・世間は影の道理のままである。…
 しかるに、池田大作にへつらい、彼に与同してこの大悪を進めた宗門御高僧らに未だ一分の懺悔なきはどうしたことか。我が身の長養のため、知りながら大悪に加担した罪は大きい。たとえ池田大作が政治野心から御遺命を曲げんとしても、宗門御高僧らにこれを摧く護法の道念あらば誰が非違を為し得よう。…
 仏法を私物化してはならない。大聖人の御法は日本のため、人類のために存する。私利・私欲のため仏法を曲げることは断じて許されないのである。御遺命歪曲の共同謀議に加わった者は即刻罪を御本仏に謝し、一国に詫びるべきである。大聖人の御眼を蔑ってはならない」(「冨士」第157号 )
9月13日  創価学会、池田大作会長の母の葬儀。
「日蓮正宗総本山大石寺の細井日達猊下(当時)が臨席して合計80人の僧侶が読経し、約6千人が焼香に訪れる盛大なものだった。喪主は増雄(次男)。葬儀委員長は学会の中西治雄総務(当時)である」(『宝石』96年4月号 )
9月16日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第2回証言。
9月23日  創価学会、牙城会員二十数名。富士宮周辺で、妙信講広報車を再び襲撃。
9月27日
 妙信講、9月度総幹部会開催、9月度折伏成果 353世帯。浅井昭衛講頭「11月までに法廷斗争において悪の根を断つ」
(※ 浅井昭衛講頭への主尋問は、11月終了の予定となっている。 )
10月10日
 妙信講、婦人部第6回大会開催。1千名、豊島公会堂に結集。
10月14日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第3回証言。
10月16日
 妙信講、浅井信衛、新理事に就任。
10月24日  創価学会、札幌文化会館で第39回本部総会開催。池田大作会長、「五項目の基本理念」を発表。
 宗教的権威を逆転させる戦いが、創価学会の主張する「人間のための宗教」とする。
「いかなる宗教においても、聖職者が、権威をかさに信者の上に君臨する場合、民衆の信仰心は薄れ、その宗教は死滅するのであります。… 現在の既成仏教は、僧侶が寺にあぐらをかいて葬式仏教になりさがっております。…
 不変の創価学会精神として定めておきたいのであります。それは、
 一、創価学会は、永遠に民衆の側に立つ。
 一、創価学会の実践は、人間革命の運動である。
 一、創価学会は、仏法中道の大道を歩む。
 一、創価学会の社会的意義は、平和を守り、人間文化の興隆にある。
 一、創価学会は、人間の精神の自由、なかんずく信教の自由を死守する」
(※ 細井日達管長臨席のもと、"宗教的権威"と貶める )
10月28日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第4回証言。
11月2日  創価学会、池田大作会長、男子部所属の人材グループに「創価班」と命名。後に、メンバーの中から、謀略部隊(広宣部)を輩出した。
11月4日  創価学会、「創価班」結成(創価文化会館)、初代委員長・佐藤政春。
 創価学会の歴史と理念を学び、大きな会合の運営に携わる。会館内での場内整理、駐車場誘導など、仏道修行として無償で活動する。盾にSをあしらった銀色のバッジを付け、青のブレザーを着用する。
11月11日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第5回証言。
11月12日
 宗門、細井日達管長。「謗法の寺社めぐり」について弁明。(「大日蓮」51年4月号 )
11月16日  創価学会、池田大作会長、公明党議員との記念撮影。
「天下をとれることが少しばかり私には見えてきた。天下をとらない党なら、やる必要はない。私がひかえているから心配するな」「今まで創価学会をいじめた者を今からやる」と、宗門へ宣戦布告。
11月18日  創価学会、「日蓮大聖人御書辞典」発行。
11月22日
 妙信講、広報車襲撃につき、創価学会員を富士宮署に告訴。
11月26日
 妙信講、11月度総幹部会開催、11月度折伏成果 632世帯、総世帯数は 1万7千298世帯となる。
 浅井昭衛講頭「十一月までの証言で悪の根は断った。誰が、何の目的で、どのようなからくりを用いて御遺命を曲げたかを、証拠を以って明らかにした。根なき枝葉がいつまで栄えようか」
11月28日
 宗門、第2回全国法華講青年部大会開催 (大講堂)。
 細井日達管長「一昨年でしたか、法華講の皆さんが、山桃の木を正本堂の外の、御塔橋のそばへ植えました。それに歌を作ってあるのです。 『山桃の、実は小さくも、身を守り、広布の願い、萌えいづるらむ』 という歌を作っておきました。どうぞ、たとえあなた方が法華講は小さいけれども、必ず広布の根本は法華講であるという精神に生きて、また折伏もして、信心を励んで自分の家を大事に守っていただくことをお願いして、今日のご挨拶といたします」と。
11月30日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。ホテルニューオータニの料亭「さざんか荘」で笹川陽平をまじえ、月刊ペン側弁護人 重富義男と懇談。池田大作会長の証人喚問を阻止することで合意。
「この段階で私は学会首脳に泣きつかれ、池田氏の証人出廷を防ぐための裏工作に入りました」「最大のネックは、隈部氏自身が和解には反対で、話し合いにのらないことでした。結局、本人には知らさないで弁護士の裁量で、池田氏を法廷に出さないような弁護活動をすることにより、目的を達することになりました」(「81年1月 山崎上申書」)
12月2日  創価学会、月刊ペン裁判第2回公判。検察側調書朗読で、被告人が女性スキャンダルを書くにあたっての、その情報ルートが明らかにされる。弁護側証人として高橋喜代司・月刊ペン副編集長が出廷、「事実確認せず掲載するのは編集者として好ましくない」「連続特集の契機は創共協定」等と証言。
12月3日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。笹川陽平の仲介で、重富弁護士との間で和解条件を合意。
「和解の条件
(1)「月刊ペン」社側と創価学会とは、争いを水に流し和解する
(2)「月刊ペン」側は、隈部に対し、和解に応じるよう説得する
(3)仮に、隈部が和解に応じなくとも、池田大作が証人出廷しなくてもすむようにはからう」(「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
12月5日  第34回衆議院議員総選挙、公明党は 55人当選、第3党に返り咲く。
12月7日
 宗門、阿部信雄師、富士学林長に任命さる。
12月9日  創価学会、池田大作会長。原島理事長法要で、宗門批判を開始。
「昭和五十一年後半になると、創対連、妙信講、松本勝彌事件といった内憂外患が少し納まってきた。政治・マスコミ等も、"創共協定" を最後に、強い批判勢力は無くなった。最後の厄介事だった『月刊ペン』事件も、同年暮れ、笹川良一氏を使っての "証人出廷阻止" の裏工作が成功し、いちおうの解決を見た。そして、暮れの総選挙では、元どおりの"政教一致選挙"を復活させて、公明党は五十を超える議席を獲得した。
「もう大丈夫だ。言論問題の後遺症から立ち直った!」 こう判断した池田大作は、それまでの協調路線を一挙にかなぐり捨てた。昭和五十一年暮れ、大阪・関西センターにおいて、首脳陣に「天下のことが見えてきた」「俺がやる。もう二度と倒れたりしないぞ!」と宣言した池田大作は、まず「今まで、いじめた奴をやる(仕返しする)。まず、猊下と日蓮正宗をやる」と、首脳達に指令した。この日から、"昭和五十二年路線" と呼ばれる日蓮正宗攻撃の作戦が開始されたのである」(「あの頃のこと」第四十回 山崎正友「慧妙」第269号 )
12月 日
 妙信講、女子青年部大会開催(牛込公会堂)、6百80余名を結集。
12月19日
 妙信講、男子青年部大会開催(豊島公会堂)。1千百余名結集、「下からの革命、一対一の白兵戦を」
 浅井昭衛講頭「いよいよ来年からは、周の武王と殷の紂王の斗いを、加速度をつけ本格的に展開していきたい。私はいま肚をきめております。私は完結に対して、あの宗務院の懺悔訂正などは全く期待しておりません。彼らは大聖人をあなずり、ただ自己保身から学会の権力に諂っているだけです。だから学会が『国立戒壇を捨てろ』と云えば『はい、わかりました』と捨てるのです。いまの宗務院に学会の誑惑を砕き、訂正を命ずるなどのことが出来るわけがない。すでに当事者能力を失っております」
「しからば、こういう時はどうしたらよいのか。上が腐敗しているならば、下から革命を起していく以外にない。学会を支えているのは真面目な学会員であります。この一人一人の真面目な学会員が、大聖人の御遺命にめざめ、『曲げたら功徳がなくなる、日本が亡びてしまう、大聖人様に申しわけない』とめざめた時、始めて宗門は動くのです。腐った宗務当局に頼む必要はありません、学会首脳部の懺悔を待つ必要はない。妙信講の実力を以って、下からの革命をやってのけようと思うがどうでしょうか (大拍手)
 来年から妙信講では鶴の丸のバッジを胸につけようと思っております。曽っては日蓮正宗信徒はすべてつけておりましたが、どういうわけか今ははずしている。… この大仏事は御本尊に祈念し、仏力・法力を頂いて為しとげるのです。私利私欲ではない、日蓮大聖人の御遺命を守る、男子一生の仏事であります。この完結を見たら、いつ死んでもいいではないか。どうか本日を出陣として、この次の大会には、御遺命守護みごと完結いたしました。と晴れて日蓮大聖人様に御報告を申し上げようではありませんか (大拍手)」(「富士」第161号 )
12月21日  月刊ペン裁判第3回公判。弁護側証人として、同誌編集顧問の高橋正雄東北学院大学教授が出廷。
12月23日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第6回証言。
12月 日
 妙信講、「冨士」、浅井昭衛講頭「三大秘法抄を拝し奉る」
「三大秘法抄は御一代を通じ、最も重要なる御書である。そのわけは、大聖人御弘通の所詮たる三大秘法を整足して、その姿を余すところなく明し給う御書なるがゆえである。…
 ことに本門の戒壇については、その意義内容全く他抄に明かされていない。ただ日興上人への御付属状に、それが重大なる御遺命たることを窺うのみである。ここに大聖人究極の大理想たる本門の戒壇は、御付属状の助証たる本抄によってのみ、その全貌を余すところなく拝し得るのである。…
 しかるにいま悲しいかな、正系門家の中において本門戒壇について異議を生じ、その正義はまさに失せんとしている。しかれば大聖人の御聖慮は、まさに今日のためにあられたと拝すべきである」(「冨士」第160号 )
12月24日  福田赳夫内閣発足、福田赳夫、第67代内閣総理大臣に任命さる。
 ロッキード事件への対応を巡って党内で三木おろしが決定的になり、総裁選で他の立候補者がなかったため両院議員総会での話し合いにより、自由民主党総裁に選出された。
12月26日
 妙信講、浅井昭衛講頭「三大秘法抄を拝し奉る」執筆、「冨士」12月号に掲載。
 御遺命守護のシンボルとして「鶴の丸」バッジを作製。
12月 日  流動社、陶郷栄一著「小説創価学会」第一部を出版。
(※ 陶郷栄一は、後に「創価学会の悲劇」を出版、日禮と名乗って「妙法蓮華宗」の開祖となる元創価学会員 玉井禮一郎である。浅井昭衛講頭の「池田大作とのわが宗教論争」(「宝石」昭和52年9月号 )の冒頭に、解説文を執筆している。浅井昭衛講頭と、どういう関係であったのか? 櫻川 忠 )
 
  年表  
1月1日
 宗門、細井日達管長。元旦勤行にて、創価学会員の参詣なきことを憤る。(「大日蓮」2月号 )
1月1日
 妙信講、松本日仁師の導師で元旦勤行奉修(本部会館)。
 松本日仁師、年頭の辞「異体同心で大仏事を」
「一昨年已来から皆様に御心配をかけてまいりました法廷闘争も、浅井講頭先生のなみなみならぬ御尽力によりまして、順調に予定通り進展してまいりまして、いずれ本年中には決着がつきまして、大勝利を勝ち取ることができると思います。つきましては、この法廷闘争と表裏一体となって一致団結、広宣流布のために御活躍あらんことを重ねてお願いいたします」
 八木直道師、年頭の辞「真の仏子の法悦を感ず」
「宗門の一時の恥を忍び、正法護持の大願のためその是非邪正を紀明せんとついに法廷斗争の止むなきに至り、昨51年9月16日東京地裁民事第九部法廷において、浅井先生は国立戒壇の正義放棄の陰謀と本宗伝統の教義の真髄を、三時間に及び余す所無く解明されました。… 悪の根源の肺腑をえぐる大信力をもって御遺命歪曲の全貌を白日のもとにさらし、聞き入る人々に深き感銘を与えられたことは、顕正新聞(昭和51年9月25日号)に委細に記載されております … 今ここに千載一遇とも申すべき御遺命守護の聖戦に参加の光栄に浴し、折伏行に精進されつつある純信の各位の前途を祝福し、新年の詞といたします」(「冨士」第161号 )
1月1日  創価学会、大白蓮華「慈剣」欄で妙信講を中傷。「元妙信講、猊下の悪口を言うことしきり。いよいよ化けの皮がはがれたというもの。『猊下を仰ぎ奉る』『猊下を信じ奉る』等と、かつて形だけ猊下をたてまつっているようで、裏では『後白河法皇』などと罵っていた人間。策士策におぼれると知れ。浅い(浅井)浅い」(「大白蓮華」1月号 )
「日蓮正宗をがんじがらめに縛りつけ、自らの下に置こうとする池田大作の発想は、いったい、どこから出てきた戦略なのか。根本的には、自らを本仏の再誕とし、仏法上の最高権威者に収まり、この国の最高権力者、"国主"となる ― そこへ向けてのプロセスであることは間違いない。しかし、それにしても正本堂完成後、短兵急に拙速ともいえる強引な手法に及んだのには、じつは別の理由がある。…
 昭和45年の言論妨害問題によって、昭和54年に「不開門」を開くという池田大作の「七つの鐘」構想は、ほぼ潰えてしまった。この時に公明党との政教分離を宣言させられ、そして、これに続く妙信講との紛争の中で、「正本堂完成をもって、御遺命の戒壇の達成とする」という目論見も潰えてしまった。… この頃、池田大作は対山荘で、深夜、枕頭に私を呼んで話したとき、「じつは、まだ広宣流布達成ではない、ということで、内心、ホッとしているんだ。戸田先生は、"広宣流布を達成したら、創価学会は解散します"と、宗門に約束されていた。まだ達成していないのだから、"解散しろ"と言われることはない …」と言った。要するに、池田大作は正本堂完成を機に、宗門が手の平を返すのではないか、と内心恐れていたのである。… 宗門から突き放されては、どうしようもない。しかも、池田大作はこれまでの自分のやり方を、宗門が、内心いやがり、嫌いぬいていることを、誰よりも知っていた。… 両者の間に、しこりと不協和音があることを、まず宗内の僧侶方が感じ取り、それが創価学会に対する批判的態度となって現われていることを、池田大作は、敏感に感じ取っていたのである。これらの理由によって、池田は先手を打って、宗門を学会に隷属させるための攻撃に出たのである」(「あの頃のこと」第三十三回 山崎正友「慧妙」第256号 )
1月3日  創価学会、新年勤行会開催(全国放送)。
 一.大聖人御遺命の戒壇建立は創価学会がした。
 二.寺院は儀式の場、我々は広布流布、そして大聖人の御遺命は広布流布。
 三.学会を中傷批判すれば堕地獄。
 池田大作会長「だから、創価学会の信心には、世界一、宇宙第一の功徳があるんだ。こう私は宣言します。いいですか!! あるんですよ。その創価学会を馬鹿にしたり、金儲けの手段にしたり、又は権威でおさえつけようとしたり、又は中傷批判した場合には仏罰があります。全部地獄へ行きます」(「妙観」91年10月15日号 )
 (※ これより創価学会で、"日蓮正宗では成仏できない" との指導がなされ始めた )
「池田大作は再出発に先立って、創価学会にとって内憂の根源であると考えていた宗門との問題を、一挙に片づけてしまおう、と考えたのである。『宗門を完全に支配下に収め、背後の憂いをなくそう。俺にとって最大の目の上のコブは、宗門、というより法主の権威そのものだ。法主の権威を折ってしまえば宗門は屈服する。その上で、"天下取り" に心おきなく乗り出そう』。昭和五十一年暮れから始まった宗門攻撃は、用意周到に計画されたものであった。そして、それは、結局のところ、日達上人御一人に向けられたものであった。
 一、僧侶と寺院の権威と存在価値を否定する
 二、在家優越を宣言する
 三、創価学会根本、創価学会永久路線を確立する
 四、学会員の、寺院参詣や登山を差し止める
 五、日達上人の弟子達を狙い打ちして吊るし上げ、総括する。日蓮正宗の兵糧を断ち、包囲した上で、暴力的に権威を冒涜し、踏みにじる
 六、最後に日達上人に詰め腹を切らせ、辞任に追い込む。その後には、創価学会の傀儡となる僧侶を法主に据え、日蓮正宗を創価学会の支配下に置く(後の離脱僧の出現を見れば、池田大作が、これを実現可能と思っていたことが判るであろう。自分の名聞名利のため、池田大作に宗門を売ってもかまわない、と思っていた売僧が現実にいたのである )
 七、最終的には、池田大作が、法主の権威を奪い、あるいは法主以上の地位につくことで目的を達する
 八、僧侶は、次第に学会の古い幹部と入れ替え、宗門を完全に学会の下部機関化する
 このような意図と計画のもと、池田大作は日蓮正宗攻撃を開始したのである。しかし、池田大作も創価学会首脳も、宗内僧侶の根性の座り具合いを見誤っていた」(「あの頃のこと」第四十四回 山崎正友「慧妙」第277号 )
1月6日  創価学会、第1回創価班総会開催、池田大作会長出席。輸送班を創価班に改組。
1月9日
 妙信講、教学部。三級昇格試験実施、受験者 342名。
1月13日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第7回証言。
1月 日
 宗門、富士学林、教学研究誌「富士学報」(第5号)発行、菅野憲道師の「広宣流布と本門寺の意義」を掲載。
「かつて、折伏闘争の成果主義は、本尊流布をもって折伏であるように錯覚し、ために行き過ぎや誤った折伏闘争が頻繁にあった事実を我々は知っている。……これはまた、信徒の広宣流布の概念の中には、数のみが問題であって、質という事が全く省られなかったためもあろう」
 阿部教学部長、宗内に通達を発して「富士学報」第5号の全冊を回収。
「私がアメリカから帰ると、宗務院教学部より通達が来ていた。それは『菅野論文』が掲載された『富士学報』(第五号)の回収命令であった。… 『万一、返送を怠ったことが表れた時は、何らかの措置を講ずることがありますので、必ず御返戻下さい』との一文があった。菅野氏の論文は、なかったものとして阿部教学部長の指示で抹殺されたのである。これでは菅野氏が僧侶をやめたくなっても当然であろう」(「浜中和道回想録」)
「こうした宗門への攻勢が続く中で、宗務院の対応はどうであったか。阿部教学部長は、学会首脳部に、日達上人はじめ宗門内の批判派を粛正する計画のあることをいち早く察知して、これは批判派=日達上人および妙観会と池田大作とその門下伸一会の喧嘩であるとして、自らは『君子危うきに近寄らず』とばかり、日和見を決め込んだのである。
 ところが、そこにやっかいな問題が降ってわいた。同年一月になって宗門の教学研究機関・富士学林の学術誌『富士学報』第五号が発刊され、菅野憲通師の「学会批判論文」が掲載されたのである。こうした宗門と学会との関係が微妙な時期に、自身が総責任者でもある機関誌に批判的な論文が掲載されたことは、池田大作のご機嫌を損ね、そのまま自分が宗門攻撃の矢面にたたされる……こう判断した阿部教学部長は、そこで先手を打って学報を本部に持参した。そして平身低頭して謝罪し、自分の関知しないことで日達上人や若手のやっていることと弁明につとめた。
 すると学会側はこれを契機に批判派僧侶をつるしあげて、日達上人を引責辞任に追い込もうとの作戦に出たため、阿部教学部長も、この機に乗じて次期法主の座をねらおうと、池田大作のご機嫌を取り結ぶことに終始したのである。また早瀬総監らは、すでに学会に弱味をつかまれていたから、身動きもとれず、右往左往して成りゆきに任せるしかない状態であった」(「時事懇談会記録」)  
(※ 論文はのち「継命新聞」(79年10月1日号)に再録される。阿部教学部長、菅野憲通師の論文を創価学会に持ち込み内通、これをきっかけに創価学会による若手僧侶 "吊し上げ" が始まった。 )
1月15日  創価学会、第9回教学部大会開催(関西戸田記念講堂)。池田大作会長、「”人間のため”こそ仏法の根本精神」(仏教史観を語る)を講演。(※ 初級試験の出題範囲となる )
「本義に立てば、現代において創価学会は、在家、出家の両方に通ずる役割を果たしている …
 大乗の菩薩僧の主流は、『大荘厳法門経』の経文のごとく、剃髪せず、俗衣を着した在家 …
 在家の身であっても供養は受けられる
 創価学会の私たちもまた、大法師の名に含めてくださり、今日における真実の出家 …
 日達上人猊下も『有髪、無髪を問わず』とはっきり申されている。すなわち出家も在家もまったく同格であるとの言である …
 儀式だけを行い、我が身の研鑽もしない、大衆のなかへ入って布教するわけでもない既成の寺院の姿は、修行者の集まる場所でもなければ、ましてや道場であるわけは絶対ない …
 大聖人も、一生涯、既成仏教のような寺院はもたれなかった …
 すなわち、学会の会館、研修所もまた『近代における寺院』というべきである」
「1)戸田会長の悟達が創価仏法の原点
 2)大聖人直結、血脈・途中の人師論師不要
 3)「人間革命」は現代の御書
 4)会長に帰命、久遠の師、本門弘通の大導師、 主師親三徳
 5)寺院・会館混同(寺院軽視)
 6)謗法容認
 7)在家でも供養を受けられる
 8)学会僧宝論」
 野崎勲、伸一会メンバーを集め "宗門と交戦・離山" の檄を飛ばす。「宗門に対して我々は断固戦う。第二の身延離山も辞さず。池田先生は徹底して戦われる。伸一会の諸君は覚悟して事に当たっていただきたい。第二の身延離山のことは、妻子兄弟とはいえど口外してはならない。…
 その動機は、池田先生が菅野憲道師(現大阪源立寺住職)の学会の信仰のあり方を問うた論文に、烈火のごとく怒り、私たちに1月15日に「会館は近代の寺院」と発表するから大至急つくれと命ぜられたものです。菅野師の論文をよくよく吟味することなく、ただ「学会を批判した」の一点であの講演となったものです。… その草案は急を要し、私たち何人かで手分けして一晩で作成したものです。… 後に、この菅野憲道師の論文について、反論がつくられましたが、それは、教学部幹部や青年部幹部が勘でつくり、先生に申し上げ、西口浩氏の名前にして発行元を明らかにせずに出したものです。これなども正々堂々と反論せず、ウラで策を弄する証拠と、いまでは恥ずかしく思います」(「池田先生への手紙」原島 嵩 )
1月16日  創価学会、第4回伸一会総会開催。池田大作会長「大聖人の場合は人数も少なかった、時代も違う。弟子も少なかった。信者も少ない。そういう意味からいえば楽である。我々の場合には時代は激動である。そしてマスコミもある。陰険な人間ばかりである。大変なことである」
1月17日
 宗門、細井日達管長。妙修尼法事にて、創価学会の路線を批判。
「最近、宗門と学会の間に冷たい隙間風が吹いてきた感じで、困ったことである。宗門としては今後、向こうがどう出てくるかを、静観していこうと思う。… 将来、学会と訣別することになるかもしれぬが、その時はその時で去るものは追わず、来る者は拒まぬつもりだ。そしてクルミのごとく、堅くじっと古来の正宗の形を守っていこう」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
1月18日  創価学会、方面長・県長・地元最高幹部会合(関西 白浜研修所)。
 池田大作会長「宗門は、キリスト教で言えば旧教で、学会は新教である」
「昭和五十一年暮れの総選挙における公明党の大勝に気を良くした池田会長は、勢いに乗じて一挙に宗門支配の布石を敷くか、さもなくば、宗門教義から一切干渉を受けない、実体としての独立教団確立にむけて、いわゆる創価教団旗揚げの路線を鮮明にしはじめた。それは昭和六十五年(1990)の会長就任三十周年、学会創立六十周年を目標とする、王仏冥合という名の権力支配構想を実現するために、言論抑圧事件以来停滞していた組織の、態勢立て直しのスタートでもあった。
 そのためにまず着手したことは、日達上人をはじめとする宗門内の批判分子の粛清であった。当時、池田大作はさかんに中国に出入りして紅衛兵による文化大革命を賞賛していたから、いわゆる反動分子の総つるし上げの手法を見習い、学会青年部(とりわけ伸一会)を紅衛兵に見立てて、批判的な僧侶のつるし上げにかかったものであった。
 また、これと平行して会内では『教学の年』と銘うち、創価教学の理論構築を計り、自ら代作させた『仏教史観を語る』『生死一大事血脈抄講義』を発表して、既成仏教や僧侶批判にことよせて宗門批判を展開、在家教団としての創価学会の独立の正当化を計った事は記憶に新しい。要するに、創価学会の血脈なるものを案出して、名実ともに池田によるカリスマ支配の体制確立を狙ったものである。
 このような五十二年路線の企図するところは、結局のところ、創価学会が日蓮正宗の信徒団体としての位置づけから脱して、逆に宗門を併呑して、学会の一部局にしてしまうための布石であった。また経本観念文の改訂や会館での法要執行、教師制度の新設、墓地経営等々、次々に手を打ってきたのは個々の信徒をして、日蓮正宗信徒としての意識を払底し、創価学会会員としての意識改革をはかろうとしたものであることはいうまでもない」(「時事懇談会記録」)
1月19日  創価学会、第2回全国県長研修開催(関西 白浜研修所)。
 池田大作会長「供養は、何百億、何千億でも全部 日蓮正宗に。最後はみんな年とって、疲れて、批判だけ受けて笑われて。… 坊主だけ太って、食べて、儲かって … こんなバカな、愚かなことをしておったならば、私がいる間はなんとかなる、福運があるから。僕がいなくなったらどうするか ? … それから登山会、二ヶ月か三ヶ月に一ぺんにしてもらって、これも労力をはずしてもらう」
1月20日  創価学会、第一回「広布会」(寺院総代の会)開催。池田大作会長、全国の寺院総代(責任役員)の幹部を白浜研修道場に集め指示。
「僧侶は女子部を引っかけ、金ばかり集め、芸者遊びやバー・クラブで遊興に耽っている」などと中傷した上で、寺院・僧侶に対する五つの方針を示した。
「一、衣の権威を振りかざし、創価学会の悪口を言う僧侶は、相手にしない。
 二、寺院とは不即不離を原則にする、寺信心になると信心が濁り、折伏もできなくなる。
 三、僧侶のやろうとすることや言動を、速やかに本部に報告せよ。
 四、会員を守るため、責任役員の立場を活かせ。総代も住職と同格である。
 五、寺院の世話役に成り下がるな。僧侶の素行を監視し、証拠を掴んで報告せよ」
(「あの頃のこと」山崎正友、「慧妙」2004年4月16日号 ) (※ 文意を要約 )
 池田大作会長「陰で学会の悪口をさんざんいっているという、… 信者をいじめたり、女子部をひっかけたり、バーいって、札ビラを切りながら学会の悪口をいったり、ホステスなんかみんないるから、みんな入ってきてしまう。… 池田会長のことを御本仏といっているから、けしからんと。みなさん、いいましたか、御本仏と。そんな仏(ほっとけ)の話なんかわざわざつくって本山にざん言するのです。なんでも今度の論文もそうなんです。会長は御本仏と学会はしてると、私が御本仏、御本仏といって。 … だれかいってたねえ区長さんが、"御本仏だったら向こうから拝みにくればいいじゃないか。ゼニばかりとって"。… 広宣流布のやり方が間違っていると、今度は、そういう論文を書いているのです。そうだろう、「富士研究(学報)」という本があるんです。秘密に「蓮華」という本がある。全部、そこにそういうことを書いている。… 私たちは、正本堂だってはじめはね、ご供養の時に "事実上の事の戒壇だ" といったから全力をあげたなら、こんどは違うというんだもの。それで、やっと "現時点" にすると、それで妙信講動かした。ペテンですよ。そうでしょう、それじゃ。ちゃんと発表したんですもの。… みなさん方は、責任役員なんだもの。役員という意味においてはね、住職と同格なんですから、そうでしょう。それをただ、何でも、へいへいへいへいと言っていたら、役員じゃないもの」
「第一回の広布会は、池田大作が指示して、聖教新聞には全く内容が掲載されない、秘密の会合として行なわれた。この時の池田スピーチの内容は、あまりにもひどい話の連続であった。池田の話しぶりは、あたかもチンピラヤクザが、相手を追い込むような口調で、御法主上人猊下をはじめ、御宗門、御僧侶に対する、無慚きわまりない誹謗・中傷を延々と繰り広げたのだ。そこには、池田大作が「学会員総代」たちに、「法主は権威主義」「僧侶は堕落」という概念を植え込み、洗脳しようとする、狡猾にして小心な、しかも、日蓮正宗に対する深い怨念が感じ取れるのである」(「続・偽仏の"如是我聞"を検証する」小多仁 伯「 慧妙」2004年7月1日号 )
1月20日  創価学会、原田稔年部長・野崎勲男子部長等、菅野憲道師を創価学会本部に呼び出し、数時間にわたって監禁・恫喝、池田会長宛の詫び状を書かせる。創価学会はこれを "つるしあげ" ではなく "話合い" とする。以後、僧侶への「吊し上げ」事件続く。
「1月20日、まず、日蓮正宗若手僧侶の中でも、反学会の急先鋒的な論客であった菅野憲道氏に対する、学会青年部によるつるし上げで火ぶたが切られた。原田稔副会長らを実行部隊の長とする青年部幹部は、反学会的とみられる僧侶を次々とつるし上げて行った。… この "つるし上げ" について、事務局長的な立場の竹岡誠治氏の書いた報告書のコピーが、手元に現存する。
 同文書によれば、
『本年一月より、詫び状をとった坊主は、次のとおりです。
 1月20日、27日 菅野憲道、
 1月28日、29日 松本珠道、
 2月6日、7日  坂井進道、
 2月12日、14日 栗林開道、
 2月16日、22日 小野顕道、
 3月12日     西本暁道、
 3月14日    中村福道、
 8月3日     玉沢研済 』
 この報告には、学会側担当者、詰問内容や時間等がくわしく書かれている。つるし上げられたメンバーは、日達上人の直弟子達であり、創価学会は、はっきりと日達上人に照準を当て、その責任を追及して退座に追い込み、そのあとに、自分達のいいなりになるカイライ法主を擁立しよう、というのが最終目的であった。その上で、創価学会にたてつく僧侶は一人のこらず宗門からたたき出す、池田大作はこう目論んでいた。
 日達上人と日蓮正宗は、まったく不意をつかれた形となり、創価学会側の、これでもか、これでもか、とくり出す攻勢に対して、対応の準備もなかった」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
「昭和五十二年に入ると池田大作は、元旦から宣戦布告を行なうとともに、次々と攻撃の手を繰り出した。前々回に述べたとおり、「創価学会中心主義」「創価学会万代路線」を高らかに宣言し、寺院僧侶不要論をブチ上げた後、日頃創価学会に対して批判的な日達上人のお弟子達を、青年部が集団で吊し上げ詫び状を書かせる、という暴挙に出た。野崎勲・原田稔らの指揮のもと、青年部幹部が御僧侶を学会本部に呼び付け、あるいは会館や寺院で吊し上げた。汚ない言葉で罵り、大声で怒鳴りつけ辱め、それでも頭を下げない御僧侶に対しては、「お前が謝らないなら、総本山へ大挙して押しかけ、猊下を吊し上げるぞ!!」と脅した。竹岡誠治(共産党宮本委員長宅電話盗聴事件の実行犯)らは、情報の取りまとめ役として係わっていたが、吊し上げに立ち会った感想を、私に「これで、宗門と学会の間は決定的に壊れたなと思った」と語った。ここまで辱められては、もはや人間として絶対に許せないだろうと思われる吊し上げを、たくさんの御僧侶に対して行なったのである。後に、吊し上げを受けた僧侶達のほとんどが「正信会」に走った。「正信会」ができる原因も、じつはこの時創価学会が播いたのである」(「あの頃のこと」第四十一回 山崎正友 「慧妙」第271号 )
「(山崎正友)『筋としては "菅憲" の言い分が通っていた』と原島が言ってたよ』… 『結局、野崎たちは、そんなんじゃ、詫びじゃないと言って、"菅憲"に詫び状を突き返したんだけど、池田さんはカンカンらしいよ。アイツらは絶対に"菅憲"を首にするとか、寺を潰して会館にする、山に押しかけて猊下に談判するとかメチャクチャに頭にきているよ』…
 後日、菅野師が話してくれたが、論に詰まった野崎氏らは、『坊主のクセになんで結婚している』とか、『お前は学会の女子部を引っかけた』、そして『土下座しろ、土下座しろ』の連発であったとのことであった。
 私は山崎氏に阿部教学部長(註、後の第67世法主阿部日顕)はどうであったか尋ねた。『阿部さんはね、もうオロオロして、野崎らと一緒になって『あやまれ、あやまれ』と言っていただけみたいですよ。でもあとで野崎らは"菅憲"のことを『敵ながらあっぱれ』と言っていたみたいだよ。それに比べて『なんだ、"阿部教"は』というのが、青年部の感想ですよ。その阿部教学部長の情けない姿が目に浮かぶのか、山崎氏は大きく笑った」(「浜中和道回想録」)
1月25日
 妙信講、1月度総幹部会開催、女子部組織を充実。
 浅井昭衛講頭「本門戒壇の本義とは、戒壇の大御本尊の妙用により、日本を仏国土とすること」
1月26日  創価学会、第2回インタナショナルの日。
 池田大作会長「大聖人は七百年前に出現なされた。しかし、全然広まらなかった。創価学会が正しいんです」
1月27日
 妙信講、法廷闘争。浅井昭衛講頭、主尋問で第8回証言。以って、主尋問における証言終了。
1月28日  創価学会、池田大作会長。教学部代表と懇談、創価学会独自の観念文を作るよう指示。
2月1日  創価学会、「大白蓮華」2月号発行。特集「青年と教学」、原田稔青年部長「師弟不二の教学運動」を強調。
「慈剣」欄、「戸田前会長が現代の宗教界の封建性をつき、坊主を『無用の長物』と破折し、宗教革命を断行していた事実 … もはや衣の権威などは、腐敗と堕落の象徴といえる。創価学会の戦いは、当初この最も根強い病巣へのメスを入れることから始まった」
 著名な評論家、「国立戒壇を打破し、世界普遍的な宗教に路線を決めた事は先見であり、日蓮仏法の永遠性を昇華しましたね、… 仏法を世界に流布し、衰退の宗門を日本的 世界的にしたのは池田会長であり、創価学会でしょう」(「同誌」2月号 )
2月2日  創価学会、第1回社会部勤行会。
 池田大作会長「いわゆる日蓮仏教と称する各宗派の発生と、その歴史を概括すると、その流れは 1) 教条主義的狂信 2)権威主義的堕落 3) 企業的体質 4) 犠牲による玉砕 等々の形態に分類できる。… 既成宗教の誤れる偏狭で慢心の行為は、この『時』をわきまえず、法のもとに人間を独善的に従属させたところにある」
2月3日  創価学会、第3東京壮年部勤行会。
 池田大作会長「御書に『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』とある。これは成仏への案内人ともいうべき "学会指導" を活動の基盤にすえなければ、御本尊を持ったとしても、そこに真の人間革命、境涯革新の実現はありえないという重要な御文である」
2月5日  創価学会、第1回東京教育部勤行会。
 池田大作会長「たしかにキリスト教は、世界的な宗教へと発展したが、中世における教会の勢力の増大が、結果的に教会主義に陥り、民衆を宗教の奴隷へと追いやってしまったことも、多くの識者が鋭く指摘しているところである。この歴史の教訓によって私たちは、教会なり伽藍というものは、つねに民衆の側に立つべきであり、教会は神と人間との間に立ちふさがる障壁であってはならないことを学ぶことができる。マルチン・ルターの宗教改革の原点も、まさにここにあったといえよう」
2月7日  月刊ペン裁判、第4回公判。弁護人証人として渡辺文太郎、松山治郎駒沢大学教授が出廷。
2月中旬  創価学会、拡大Z会議。「元民音職員の松本勝彌らが起こした "正本堂御供養金返還請求事件" や "民音不当解雇事件"、妙信講との間の数件の訴訟事件や仮処分異議事件等とともに、『月刊ペン』事件の進行についての報告と、今後の予定が討議された」
2月10日
 宗門、法廷闘争。妙信講に対する、反対尋問開始。桐ヶ谷章弁護士、準備を理由に次回期日の延期を、裁判長に申し入れる。
2月11日  創価学会、第26回男子部総会。池田大作会長、「彼(ビクトル・ユゴー)は、『宗教的権威の象徴となった法衣という虚飾のマントを脱ぎ捨てよ』と激しくエセ聖職者を糾弾し、社会悪に対する慈悲の思想が流れるこの作品(レ・ミゼラブル)を『宗教的な本』と自ら定義した」等と述べ、宗門から小説『人間革命』の記述に何らかのクレームがついていることをほのめかした。
 池田大作会長。中原正男ほか多数に「広宣流布血脈の新弟子たるを証す」との新弟子証を発行。
「池田大作はこの頃、代々会長に伝える "重宝" を定めたり、『創価学会は永久に存続する。後世、"創価学会仏” と呼ばれるようになる』等と発言し、自らを、日蓮大聖人の再誕であるとの演出を開始 … 日蓮大聖人の故事にならって『本弟子』『新弟子』を定めたりしている。私も、原島嵩氏も、また行方不明とされた細谷昭氏らもレッキとした新弟子であり、竹入義勝氏、竜年光氏、矢野絢也氏らは、本弟子である。もっとも、池田大作は造反者の出ることを予感していたようで、『背いた者の名は朱線で消し、"背き了んぬ" と書く。その者は地獄に落ちる。そうならないように心せよ』と脅した」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
2月15日  創価学会、池田大作会長、第二東京壮年部勤行会で、「『宇宙即我』『瞬間即永遠』『一身一念法界に遍し』の原理で、題目による生命の無線は、宇宙に還元された死後の生命にも瞬間のうちに通じ、連結していく。これが仏法究極の回向となるわけである」と。
2月16日  創価学会、日蓮大聖人御聖誕御報恩記念勤行会。
 池田大作会長、「この日興上人の遺誡置文どおり、広宣流布のため戦っている創価学会を軽んじることは、即日興上人のご遺誡を軽んじ、同時に日蓮大聖人のご精神に反するものであります。皆さん、この点いかがでしょうか …
 日達上人猊下は、かつてこの創価学会に対し、謗言をなす人間が、どのような結末となっていくか訓諭において、次のように断言しておられる。『若し聊爾たりとも、此の清浄無比にして護惜建立の赤誠に燃ゆる一大和合僧団創価学会に対し、実にもあれ不実にもあれ謬見を抱き謗言を恣にする者ありとせば、其籍、宗の内外にあるを問わず、全て是れ、広布の浄業を阻礙する大僻見の人、罪を無間に開く者と謂うべし』と」
「この原稿も、池田先生が骨子を私に話してくださり、それをもとにつくったものです」(「池田先生への手紙」原島 嵩 )
2月 日
 宗門、細井日達管長。学会問題を憂うる僧侶と目通り(大奥対面所)。
 ある学会県長の「創価学会の広宣流布と日蓮正宗の広宣流布とはちがう」発言に、創価学会幹部の意識を厳しく批判。(「慧燈」第8号 )
「この、"寺院もうで禁止令"は、昭和52年になって更に徹底され、幹部が毎日寺の玄関を見張り、下駄箱の下足の数をかぞえる、という有り様だった。こうした措置や、つるし上げの実態が広まるにつれて、宗内には異様な空気がみなぎった。創価学会の力を恐れて、"さわらぬ神にたたりなし" をきめ込む者もいたが、大勢は、『このまま追い込まれるなら、寺はのたれ死にするしかない。それならば死にもの狂いで反撃しよう』という空気が大勢を占める勢いとなった」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
2月 日
 宗門、細井日達管長。文京区西片町の大石寺出張所に山崎正友を呼び、お仲居の光久諦顕師と二人ですきやきを馳走し接待。
「ここまで日蓮正宗をふみつけにされては、いよいよ腹を決めるしかありません。私も歳だが、このままでは、霊山に行って歴代の御先師方に会わせる顔がない。根性のある僧侶と、根性のある信者を頼りに、ひとつ戦うしかありません」と述べられ、「山崎さん、あなたとこうなったのも御仏縁だ。どうか、日蓮正宗のために力を貸してください」と、私ごとき者に頭を下げられた」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
「私もいちおう学会首脳で、池田先生の側近の一人といわれています。正直言って、立場は非常に困難で苦しいのです。… 猊下におかれましても、直ちに、宗門と創価学会、猊下と池田先生が、公然と仁義なき全面戦争になって争ったら、社会的な影響も大きいですし、今、共同して対処している妙信講問題等も収拾がつかなくなります。どうか、しばらくは、慎重になさってください」(「あの頃のこと」山崎正友「慧妙」2004年5月16日号 )
2月 日  創価学会、山崎正友、北條浩理事長に「一切、手を引かせてください」と申し出る。
「そうなると全面戦争になります。完全に決裂するでしょう。それでは、創価学会と宗門の協力を前提に進めている、妙信講対策や正本堂御供養金返還訴訟もブチ壊れます。また、マスコミが大騒ぎするでしょうから、いろいろと攻撃を受けるでしょう。『月刊ペン』事件も、そうなると収拾がつかなくなります。せっかくの裏工作もパーになります。多かれ少なかれ、言論問題の時のような状況になります。そうなれば、これらの仕事は私の手にはおえませんので、この際、辞退させていただきます」(「あの頃のこと」山崎正友 「慧妙」2004年6月16日号 )
2月21日  創価学会、第3東京男子部勤行会。池田大作会長、国立戒壇を批判。
「七百年前の時代にのみ通用した時代性をおびた論理を、今日もまったく形態的にも同じにしなければならないとすれば、われわれはいまだに "わらじ" をはいて生活しなくてはならないことになる。また日蓮大聖人の仏法は『一閻浮提』という世界の民衆に対して説かれた本源の哲理であるにもかかわらず、これを『国教にせよ』という教条的論理がまかり通るとするならば、御本仏の意に反することはとうぜんのこととして、世界の民衆を冒涜することに通じよう」
2月22日
 宗門、院達にて創価学会に対する僧侶の反発を抑え、創価学会に屈服の姿勢を取る。
2月22日  創価学会、第5東京男子部勤行会。池田大作会長、反逆者に言及し "我見、我慢、偏執、はったり、臆病、驕慢" と批判。
「信仰の本義から逸脱した人間の生き方というものは、往々にして非常識な "火の信心" から始まっている … 例外なく本部の指導を無視するばかりでなく、その振る舞いはすべて我見であり、我慢偏執の "はったり的" な言動にもとづいているといってよい。… 反逆者の傾向性というものは、大聖人ご在世当時の三位房等の例でも明らかなごとく、我慢と臆病な生命から発している。… それは、自分こそ最高に偉い人間と思いあがった存在にほかならない。臆病で驕慢な習性は、機をうかがい相手が弱ったとみるや、謗法と結託して派閥をつくり、社会的な事件を引き起こし、結局、最後は敗北の姿を現ずるであろう。仏法違背の行く末は、かくも厳しい仏法因果の明鏡に、歴然と残されていくわけである」
(※ "我見、我慢、偏執、はったり、臆病、驕慢" は、池田大作会長自身によく当てはまる。そして、浅井昭衛会長にも..。櫻川 忠 )
2月27日
 妙信講、2月度総幹部会開催(豊島公会堂)、2月度折伏成果 423世帯。
 浅井昭衛講頭「池田大作の一連の妙信講誹謗発言は、周武の斗いの本格化におびえるゆえ」
3月1日  創価学会、金舞会館開館記念勤行会、池田大作会長、しきりと妙信講を誹謗。
「宗教というものは、形式、儀式というものを尊重し、荘厳なふんいきをつくりあげて、民衆を誘引しようとする傾向をもっている。これは教低きがゆえの粉飾といっても過言ではない。しかし、現代においては、そうした"虚像"が、民衆から見放されつつある。… 分身散体の義にもとづいているのであり、どの御本尊も、その功徳無量の力用に変わりはない。大聖人が御図顕された御本尊と等しいのである。あとは、信心の厚薄によって、おのおのの信力、行力をいかに仏力、法力として顕現させるかである」
3月 日  創価学会、宗門攻撃を一時抑えて、懐柔策に出る。
「北条浩氏は首脳を集め、私の強い進言ということで、攻撃中止をはかった。… 池田大作も、どこまでやるか、日達上人を退座にまで追いつめられるか、自信がなかったところであったから、同意せざるをえなかった。しかし、"経済封鎖" だけはゆるめなかった」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
3月6~9日
 妙信講、本部指導会。連続四日間行われ、浅井昭衛講頭「開目抄」の一節を指導。
3月9日
 宗門、細井日達管長。「今の状態を、流れの上からいうと広宣流布である。或る人はまだ広宣流布してないとか、広宣流布してないのに戒壇の正本堂を建てたとか悪口をいう人があるが、それは考えが小さい。全国津々浦々にまで一人の謗法もなく、広宣流布してゆくということは無理なことである」と、妙信講を論難。(「大日蓮」4月号 )
3月9日  創価学会、立宗記念勤行儀式奉修。池田大作会長「恩師戸田前会長は、だれから教えられたわけでもなく、獄中において自らが仏法の極理に肉薄し、悟達の境涯に達せられた … 大聖人が大御本尊を残されて入滅された後は、だれが地涌の菩薩として広布流布を進めて行くのか。ここに戸田前会長の、大聖人御入滅七百年後の出現が重大な意味をもってくる」
3月15日
 妙信講、入信勤行の際の指導要綱「新しく入信された方へ」、入講勤行の際の指導要綱「創価学会から新しく入講された方へ」作成。(「富士」第163号 )
3月15日  創価学会、創価班大学校発足式開催 (地涌会館)。
3月16日
 妙信講、教学部、「立正安国論」講義開始。
3月24日
 宗門、法廷闘争。妙信講への第2回反対尋問。桐ヶ谷章弁護士、浅井昭衛講頭に論破され、裁判長も失笑。
3月26日
 宗門、法華講春季総登山会(大石寺大客殿)。細井日達管長、創価学会の法華講への非難を、間接的に批判。「法華講の方々が、真面目に働いているのに、よそから色々のことを言われるということも聞いております。自分等は、大聖人様の仏法を間違いなく信心しておる。その清い心を持ちていくときには、必ず最後はその清さが顕われて、仏様の加護があると深く信じなければならないのであります」
3月26日
 妙信講、3月度総幹部会開催(豊島公会堂)。浅井昭衛講頭「法廷斗争は4月が山場、私は断じて勝つ。4月こそ『決戦の月』である」
3月31日  創価学会、第2回学生部最高会議開催。池田大作会長「御本仏に直結した運動でなければ、末法の『四弘誓願』の行たる広宣流布も推進できないからである。この生き方を根本とせずして途中の人師、論師を基準としたときには、大聖人の真意はもはやわからなくなり、御仏意にかなった真の宗教革命の軌道から大きく逸脱していこう。… この法体の広宣流布の”結晶”ともいうべき御本尊を受持し、その功力をいかに時代に即して、社会に反映し顕現させていくかこれが、化儀の広宣流布の意義なのである」
4月1日  創価学会、勤行要典の観念文を改変。
 四座に「祈念し奉る創価学会興隆、慈折広布、大願成就の御為に」
 五座に「祈念し奉る創価学会初代会長・牧囗常三郎先生、二代会長・戸田城聖先生、死身弘法、御報恩謝徳の御為に」(「大白蓮華」4月号 )
4月2日  創価学会、静岡研修道場(創価山・牧口園)にて、僧侶不在で戸田第二代会長20回忌法要を営む。池田大作会長、「第五十九世日亨上人も、もしもこの両会長がおられなかったならば、今日の宗門の存在はない、とはっきり明言されている … 最後に、後世のために留言しておきたい。それは、われわれの最大の恩人である牧口初代会長、戸田前会長への報恩の信心を失い、学会を守る心がなくなった人は、もはやその姿は"五老僧"であり『身はおちねども心おちる』不知恩の者といわざるをえない」と、宗門を暗に"忘恩の徒"と非難。
4月14日
 宗門、法廷闘争。第3回反対尋問。創価学会弁護団、尋問継続不能となり中途で打ち切り。和解条項を以って、訴訟取り下げを申し入れる。二年六ヶ月の法廷斗争ここに決着。
「数ある妙信講関係の訴訟の中でも、松本日仁が原告となっている地位確認訴訟が、妙信講にとって、一番、勝訴の見込みが残っていた(他の訴訟は、すでに宗門側勝訴の見通しがついていた)。松本日仁の死亡により、この訴訟が中断してしまうと、妙信講側の旗色は極めて悪くなる。…
 松本日仁個人の1億2千5百万円の預金を、顕正寺建立準備資金口座へ振り込むことで、宗門・学会への一切の訴訟を取り下げ、"和解"」(「あの頃のこと」山崎正友、「慧妙」2001年10月1日号 )
(※ 浅井昭衛講頭は、三条件(本部会館本尊の安泰・日蓮正宗の名称使用・新寺院の建立)を以って、「法廷闘争大勝利」と講員に説明した。しかし、裁判所は「誰が、何の目的で、どのようなからくりを用いて御遺命を曲げたか」という教義論争に介入せず、浅井昭衛講頭の論述は空を切った。"不変の三本柱"と位置づけた法廷闘争で和解の結果、浅井昭衛講頭は「解散処分=宗門追放」を、自ら受け入れた。櫻川 忠 )
4月14日  創価学会、池田大作会長、細井日達管長の誕生日を祝し夫妻を招待。
 席上 細井管長、池田会長に「七百年遠忌記念法要」の委員長を委嘱。
「池田大作は宗務院を通して、『悪いのは猊下です。猊下が宗門僧侶をきちんと指導されないから、こういうことになるのです』との意を述べ、日達上人が『すべて、私の責任です。すみませんでした』と述べられたことで、創価学会の攻撃は終わった。あとで、秋谷栄之助氏(当時副会長)が私に、『あと一歩で、猊下を責任取って辞めさせられるところだった …』と残念そうに言った」(「あの頃のこと」山崎正友「慧妙」2004年6月16日号 )
4月16日
 宗門、勤行観念文の改変了承。五座に、創価学会 初代・二代会長への「御報恩謝徳」追加。
4月16日
 宗門、火災発生。大石寺、正本堂前の西寮150坪、全焼。
4月20日  月刊ペン裁判、第5回公判。検察・弁護側双方の申請により、鑑定人の立場で”刑法の権威”藤木英雄東京大学教授が出廷。名誉毀損罪の免責三条件である「真実性」「公益性」「公共性」について言及。
4月 日  民社党、春日一幸委員長。創価学会による国立公園等での違法な開発、施設設置を糾明する国会「質問主意書」を公明党竹入義勝宛に送付。「創価学会は、近年、全国的に莫大な不動産を取得、保有し、その巨額な資金や取得目的につき、一般に疑いを抱かせるものがある。よって、その疑問を解消するため、左の諸点につき、政府は事実を明らかにし、且つそれに対する見解を表明せられたい」
「北条は … 急遽、山崎正友などの参加を求めて全国施設の総点検と、善後策を決定するプロジェクトチームをつくった。調査の結果は最悪のため、取り壊しや改造を進める一方、公明党は民社党と折衝を進め、なんとしても国会質問だけは取りやめてくれるよう頼みこんだ」(「実録創価学会=七つの大罪」)
「同年4月末、民社党党首(春日一幸氏当時)から竹入義勝公明党委員長(当時)に送られてきた一通の書簡に同封された、"衆議院における質問趣意書" が、池田大作と創価学会首脳を一瞬にして凍りつかせてしまったのである。民社党が衆議院議長に提出する、と言ってきた質問趣意書には、池田大作が特別財務で全国に建てた会館や研修所にかかる、違法開発や違法建築、不正な土地取得、そしておびただしい池田専用施設について調査した結果にもとづく、きびしい質問が羅列されていた。まかり間違えば、脱税、横領、背任といった刑事事件にまで発展しかねない。
 これと前後して、国税局による、研修所や会館の査察が行われ、"檜風呂"をそなえた池田専用フロアーに対して「宗教活動に使用されているものとは思われない」等の疑問が出された。
 更に、6月頃から、日蓮正宗の反撃がはじまった。各地で急進的な住職達が "反創価学会運動" を展開し、批判活動と会員の切りくずしをはじめた」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 ) (※ これを一つの契機として公明党は、自衛隊容認、日米安保存続、原子力発電容認へと、政策変更 )
4月26日
 妙信講、4月度総幹部会開催(豊島公会堂)、4月度折伏成果 746世帯、総世帯数 1万8千476世帯に。浅井昭衛講頭「法廷斗争の全面的大勝利」を発表、満場熱涙に満つ。
「法廷闘争は、秋の判決を待たずしてこの "決戦の月四月" に学会がついに屈服、全面的な大勝利となりました。(大拍手)…
 一 妙信講本部会館の本尊は妙縁寺に返却しない、
 二 本部会館の「日蓮正宗妙信講」の看板は撤去しない、
 三 妙信講のために宗門が新寺院を寄進する(趣意)、
 以上の条件を示して、よって裁判をすべて取り下げてくれというのです。皆さん、どうでしょうか。これはまさに事実上の全面勝利であると私は思うのですが、いかがでしょうか(大拍手)。ここに私は、法廷斗争の目的はすべて達せられたと判断し、この決戦の月の四月、二年と六ヶ月にわたった裁判に終止符を打ちました。… この大御本尊が御守護できたということは、やがて御遺命の正義が完全に守り切れる大瑞相である。…
 今だから云いますが、私が最も恐れていたのは裁判の長期化・泥沼化でありました。裁判というのは長くかかるものです。最初の判決は秋に出る予定でありましたが、それで事は済むかと云えば済まない。… 途中、二審・二審でどのような裁判官が出てくるかわからない。裁判官といったって、すべてが人格識見を具えた人ばかりとは限らない。… たとえ仏法上の道理はこちらにあったとしても法律的には負けるかも知れない。… ここに私は、なんとしても、この反対尋問の山場である四月に事を決し、判決以前に法廷斗争の目的を事実上達してしまおう、と決意しておりました。
 考えてみれば、解散処分に付した妙信講、擯斥処分に付した僧侶に対して、宗門が寺を一つ建てなければならなくなったというのは、いかなることでしょうか。これほどの皮肉がこの世の中にありましょうか(笑)。… 最初にはっきりと云っておきますが、この顕正寺は、宗門に国立戒壇の正義が蘇った時、すなわち御遺命守護完結の大使命がおえた時に、時の正しい御法主上人猊下に、寺院のすべてをお返えし申し上げる、御供養申し上げるということになっております。…
 今回の法廷斗争の大勝利こそ『大陣すでに破れたり、余党は物のかずならず』の現証であります。もう妙信講の前進を阻み得る者は誰もない。いよいよ来る第十九回総会を出陣式として、御遺命守護完結へ怒濤の前進を開始しよう。そして本格的な周の武王の斗いを御本仏日蓮大聖人に御照覧頂こうではありませんか。以上。(大拍手)」(「富士」第165号 )
(※ 「今だから云いますが、私が最も恐れていたのは裁判の長期化・泥沼化でありました」とは、何を今さら … である。法廷闘争が長期化することは、誰でも常識として知っている。それに思い至らず、短慮のままに法廷闘争を仕掛けたなら「間抜け」である。法廷闘争長期化を前提しながら 「折伏と法廷闘争と大諌暁運動、これを三本の柱として『降魔』の闘いを進める … この三本の柱は御遺命守護の完結の日まで不変」と云っていたのなら、妙信講員への「謀り」である。「間抜け」なのか「謀り」なのか、その両方であったかもしれない。
 解散処分直後、浅井昭衛理事長は宣言していた。「仏法の破壊者 池田大作を宗門から追放しよう … 偽善者 池田大作を社会から追放しよう。国を傾ける国賊 池田大作を日本から追放しよう。… かかる大悪がおこれば大善は近い。闇が深くなれば暁は近い。この斗い、長くても3年、早ければ1年で必ず解決すると私は確信する」と。それから3年、法廷で「誰が、何の目的で、どのようなからくりを用いて御遺命を曲げたか」を熱弁したが、"御遺命守護完結" も "降魔" も叶わず、得たものは本部会館安置の本尊と解散処分の受容だった。そして、池田大作会長を大いに喜ばせた。「法廷斗争の目的はすべて達せられた」と、浅井昭衛講頭は "法廷斗争の目的" をすり替え、"全面的" な "事実上" の "大勝利" と称して、講頭を信頼し運命を共にした講員を欺いた。櫻川 忠 )
4月27日  創価学会、中部文化会館落慶式奉修。創価学会の重宝として、永久に本部で保管すべき紙幅常住本尊を、宗門に無断で同会館に遷座した。
 池田大作会長「この中部文化会館に御安置申し上げた御本尊は、創価学会の生命ともいえる『大法弘通慈折広宣流布大願成就』の重要な御本尊である。学会は、昭和26年5月に賜ったこの本部常住の御本尊をいっさいの原点とし、全国に折伏、弘教の波を起こし、広宣流布の盤石なる基盤をつくってきたのである」
5月1日
 妙信講、「御本尊守護奉告法要」を本部会館で奉修。八木直道師、導師を勤める。
「昭和52年2月になり、裁判の法廷に出廷した松本日仁は、すでに九十歳近い高齢であり、衰弱が目立っていたが、その後、千葉県下の病院に入院した、との情報を入手した。その病院を突き止め、学会員の看護婦にカルテを調べさせたところ、老衰が激しく進み、危篤状態だということがわかった。この頃、じつは、私は、妙信講裁判を早急に片付けなくてはならぬ状況に置かれていた。いわゆる五十二年路線で、池田大作が御法主上人と宗門を徹底的に痛めつけたのに対し、御法主上人は、反撃のために、私の協力を求められたのである。…このような事情があったため、一日も早く妙信講問題に決着をつけることが必要だったのである。…
 この情報を得た数日後、妙信講側の主任弁護士と、桐ヶ谷章弁護士が地下鉄の中で出会った際、先方から、「一度、山崎先生と酒でも飲んで話し合いたい」との申し出があった。かくて、数日後、妙信講の主任弁護士と私との間で、和解の話し合いが始まった。私が、松本日仁の病状を先刻承知していることを伝え、それにも拘わらず、妙信講側に、メンツを保ったまま撤退する機会を与える用意があることを伝えると、相手はただちに、ざっくばらんな話し合いを求めてきた。結果として、日蓮正宗側が、妙縁寺松本日仁名義の預金一億二干五百万円を、松本日仁個人の財産として松本日仁に渡す、ということと引き替えに妙信講関係のすべての裁判を取り下げる、ということで合意に達した。
 もっとも、その具体的な実行について相手方の弁護士は "松本日仁の意思" であるとして、一億二千五百万円を "顕正寺建立準備資金口座に振り込む" ことを強く要求し、「これが容れられなけれは、和解の話は御破算だ」とまで言った。擯斥された松本日仁が、自前の寺を建てたいという意志を持ち、そのために苦労して数十年にわたって蓄えてきた貯金を、その建設費に充てたいと思うのも不自然なこととは思えなかった。…
 一方、日蓮正宗の方からは、「妙信講が、松本日仁から受け取ったとして本部に安置している、寺宝の本尊の返却を求められないか」「今後、日蓮正宗と名乗ってはならぬ、という条件をつけられないか」という要望があった。しかし、御本尊については相手方が返却を拒否したからといって、法的手段で執行吏(り)の手を借りて差し押さえたりするというのも、信仰という観点からはそぐわないように思うし、次の名称については、たとえ制限を付けても向こうが勝手に名乗るのを差し止めることは困難である。…
 結局、松本日仁個人の資産として渡すべき一億二千五百万円の預金は、松本日仁の指示に従い顕正寺建立準備資金口座へ振り込む形で支払う、ということで妙信講側は一切の訴訟を取り下げるという和解が4月下旬に成立した。このことを浅井昭衛らは、「日蓮正宗が妙信講のためにお寺を作ってくれることになった」等と宣伝したが、… それは先方の勝手というものである」(「あの頃のこと」第十三回 山崎正友 「慧妙」第210号 )
「浅井講頭の「法廷闘争大勝利」の宣言に、総幹部会の会場は感動の坩堝と化したが、わたしは喜べなかった。不遜ながら「話が違う」と思った。法廷闘争の目的は「悪の根を断つ」ことだったはずであるが、宗門も創価学会も戒壇論について何も変わっていない。それでどうして、「法廷斗争の目的はすべて達せられた」ことになるのだろうか。浅井昭衛講頭への、一分の誤りもないとのわたしの信頼と思い込みが、ここで初めて揺らいだ。浅井昭衛氏の、二枚舌と不誠実にわたしは敏感になった。後になって山崎正友氏の証言で、創価学会は松本日仁師の病状を把握したことで、妙信講の顧問弁護士と事前に和解の調整を行っていたことを知った。「学会弁護団を打ち砕いてまいりました」等というのは、浅井昭衛氏の講員向けのポーズに過ぎなかった」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
「"悪の根を断つ" 法廷闘争の決着の焦点は、松本日仁師の一億二千五百万円を "顕正寺建立準備資金口座に振り込む" ことを強く要求するという、 "金の問題" に帰着していた。当時、総幹部会で浅井昭衛講頭の "法廷斗争全面的大勝利" 宣言を聴いていて、いきなり宗門が "新寺院を寄進" という話が出てきたことに小生は違和感を覚えた。解散処分が撤回された、というなら筋は通るが..そうではない。その背景に、その資金が松本日仁師の資産だったということは、後の山崎証言によって知ることができた。誑惑を責め謀りを追求する者が、"大勝利" を演出するため講員を謀ったのである。櫻川 忠 )
5月1日  創価学会、会長就任17周年記念表彰式。池田大作会長「創価学会を中傷、批判した場合には、即、御本尊への中傷、批判につながっていく。これが "生死一大事血脈" の極理の一面であることを知っていただきたい」
 本部事務総局内に「宗務局」を設置。局長・和泉覚、局次長・森田康夫。
 池田大作会長「君は、私の弟子になるか! 弟子というものは、師匠が地獄の相で死んでいったとしても、疑わずに自分も共に地獄へついて行くというのが弟子だ!」(「前進」5月号 )
5月3日  創価学会、池田大作会長就任17周年記念式典開催(創価大学)。全国の主要会館で、記念勤行会を行なう。会長就任17周年「記念品」として、"創価学会版" 経本を全国各会館で無料配布。(後に回収される)
 池田大作会長「戸田前会長は、牢獄の中、御本尊のないところで、大宇宙にむかって二百万遍の題目を唱え、法華経を色読され、地涌の菩薩の棟梁としての開悟をされた」
「この時、池田大作は絶頂にあり、まさに得意満面、云うところなしという気分で、"ほくそ笑み"を押さえ切れない風情を、隠そうともしなかった。会長就任以来、目の上のコブであった日蓮正宗に対しては、1月以来、会員の寺院参詣を停止して経済封鎖を行ない、総代として送り込んだ学会員に、住職を監視させ締め上げる態勢が整った。そして、日達上人の御弟子で、創価学会に批判的な若手住職を、片っ端から吊し上げた。…
 加えて、池田大作を喜ばせたのは、この年の4月、昭和45年以来創価学会に牙をむき続けてきた妙信講に対し、訴訟上の和解を成立させ、宗内から完全に追い出すことに成功したことであった。下半身を直撃した『月刊ペン』事件も、裏工作で隈部大蔵氏を押さえつけ、証人出廷の危機を脱した。長いこと鳴かず飛ばずだった公明党も、前年暮れの総選挙で、53議席という、望外な議席を獲得した」(「あの頃のこと」山崎正友、「慧妙」2004年9月15日号 )
5月 日  創価学会、特別財務(広布基金)廃止。代わって、財務部員の名称を広布部員に変え、1口1万円、何口でもOKという納金制度とし、広く会員から募るようにした
「昭和50年から開始した "特別財務" は、650億円を集めたところで、民社党が全国の研修所等の調査を行い、池田大作の専用施設等について国会で追及する構えを見せたため、昭和52年5月で中止した」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
5月12日  月刊ペン裁判、和解交渉成立。
「池田大作証人出廷の危険は、ここに完全に消えたと言ってよかった。それを見極めて、約束の2000万円の授受が行われた」(「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
5月17日  創価学会、(宗門・学会)最高教導会議。
(1)学会版経本を大石寺版経本と交換する手続きを順次進めている
(2)会館の山号はすべて廃止すること
(3)護符は一切廃止すること
の3点を、宗門側に報告。
5月27日
 宗門、細井日達管長。寺族同心会で、西寮火災について言及。「宗門は今非常に停滞している。我々はもっと反省しなければならない」と。(「大日蓮」6月号 )
5月29日
 妙信講、第19回総会開催(渋谷公会堂)、三千余名が結集。「大御本尊を早く奉安殿に遷し奉れ」
 浅井昭衛講頭、「完結」への大路線を明示し、4年と6ヶ月の決意を促す。
「先般の法廷闘争の大勝利こそ、『完結は必ずできる』ということを、大聖人様が見せてくださった大瑞相である。…
 宗門のある御僧侶が云っておりました。『今正宗の僧侶で、正本堂を御遺命の戒壇などと本気で思っている者は一人もいない。だから、猊下があの間違った訓諭を訂正さえすればよいのだ』と。だが私は思います。このような小手先の不誠実な訂正で、今さら大聖人様へのお詫びが叶うか、これほどの大悪の清算ができようかと。もうそのような事の通る時ではありません。… 。すでに訂正をする資格は失われております。このような、御都合によって大事の教義をクルクル変えるような、懺悔なき訂正を大聖人様が断じてお許しになるはずはございません。…
 完結の姿とは、大聖人様の御法魂たる戒壇の大御本尊を、汚れた正本堂より元の清らかなる奉安殿に、御遷座申し上げること。…
 完結は必ずできる、三つの理由を心腑に染めよ。
 一、広布が絶対なら歪曲の訂正も絶対。
 二、正しき道理は必ず顕われる。
 三、大聖人の御裁断を見奉れ
 ここで思うに、七百年御遠忌こそ大聖人御入滅後の、最も大きな節であります。… 七百年御遠忌の時になっても、まだ戒壇の大御本尊は汚れた正本堂におわしますままでは、なんとも大聖人様に申しわけがない。… よって非力なりとも、妙信講は七百年御遠忌までに御遺命守護の完結を成し遂げることを決意し、死力を尽して御奉公申し上げることを、本日全員で大聖人様にお誓い申し上げようではございませんか(大拍手) …
 七百年御遠忌に当る昭和五十六年十一月二十日まで、あと四年と六ヶ月であります。この四年と六ヶ月の御奉公こそ、私共の一生成仏を決めるものであります。… 今生に二度とないこの大仏事、本日の出陣式を機に、七百年御遠忌を目指し、みごとなる斗いを展開して御本仏日蓮大聖人のお褒めを、妙信講全員で頂こうではございませんか。以上。(大拍手) 」(「冨士」第166号 )
 松本日仁能化御祝辞 (代読)、「吾等が生涯の大仏事、不退の精進で『完結』へ
「かくして吾等の目的が貫徹して、宗門が本当に宗開両祖の御在世の信心に立ち返り、創価学会も法華講も共に過去の迷夢よりめざめて、真に宗開両祖の御遺命を守護する時至れば吾等なにをか云わん。近く建築落成する顕正寺も直ちに時の御法主上人に御供養申し上げ、妙信講・学会・法華講共々に異体同心の祖訓を奉戴して日蓮正宗総本山大石寺を御守護申し上げ、宗門一結していよいよ本格的に広宣流布大願成就の大目的のために斗うものであります」
 八木直道師御挨拶、「宗門に正義蘇える日近し、『完結』めざし一層の御奉公を
「学会弁護団は、池田大作の至上命令で死力の限りを尽くして浅井先生に対し反対尋問を行ったのでありますが、先生の大信力・大弁論の前には敵する術がありませんでした。四月十四日、東京地裁民事第九部法廷において第三回目の反対尋問が行われましたが、前回にまして、あたかも利剣を以って瓜を割るが如く鎧袖一触でありました。学会弁護団は尋問続行不可能となり、三条件を提示し秋の判決を待たずに全面降伏となったのであります」
(※ 妙信講員に「七百年御遠忌までに御遺命守護完結」と述べた言葉は重い。しかし、浅井昭衛講頭は自らの言辞をなかったことにし、その "無責任" は今日に至るまで一貫不変である。
 かつて(昭和44年11月)「誰の責任でもない、本部長をつとめる自分の責任であります。… 恥を感じております。若し許される事ならば責任を取らせて頂きたいと、この間から悶々と考えてまいりました。だがそれはあまりに安易に過ぎる。さればこの十年間に身を捨てる御奉公を申し上げ… 大聖人様にお詫び申し上げたい」(「冨士」第76号 )と浅井昭衛本部長は詫びたが、妙信講員の信頼と団結は揺るぎないものだった。
 今回の法廷闘争で仮に浅井昭衛講頭が "敗北宣言" をしたとしても、妙信講員の信頼と団結は微動だにしなかっただろう。当時、妙信講男子青年部の端くれにいた小生でも、なおさら大事の "御遺命守護" の困難さにむしろ奮い立っただろう。しかし浅井昭衛講頭は、自ら鍛え上げた妙信講員を、信頼していなかった。それから "無謬神話" を紡ぎ続け、"はったり"と"謀り"と"無責任" で講員・会員を惹きつけて行く。第六天魔王に魅入られた、ターニングポイントであった。櫻川 忠 )
6月1日  創価学会、「前進」6月号発行。池田大作会長「"師弟血脈" という観点から大聖人の仏法の本因・本果の流れを見るならば、大聖人のお立場は本因妙の仏法の上の本果妙であり、第二祖日興上人が本因妙ということになる。… 今度は私が本果、北條理事長をはじめ副会長が本因の立場になるのである」
「大白蓮華」6月号発行、聖教新聞連載の池田大作会長の「生死一大事血脈抄講義」を再録。「戸田先生の獄中での『仏とは生命なり』との悟達は、まさしく日蓮大聖人の仏法を生命論としてその原点に立ち返ることにより、現代に蘇生させ、人類文明をリードする不変の哲理として打ち立てた一大壮挙であったのであります」
6月1日  月刊ペン裁判、第6回公判。検察側、弁護側双方の意見書の陳述。
6月2日  創価学会、聖教新聞」に『会長 先師の死身弘法の生涯を語る』の記事掲載。「総じて民衆を幸福へと指し導いていく指導者こそ、この『導師』『大導師』の今日的謂でもある」と明示。さまざまな世界の指導者のなかにあって牧口初代会長こそ、真実の成仏即幸福の道を指し示し、広宣流布の大願へ民衆を導いていった指導者であり、大導師であると
6月12日
 宗門、「蓮華」6月号発行、児玉大光師(無辺寺住職)「池上相承を拝す」掲載、池田大作会長の「仏教史観を語る」を批判。
「これは池田先生の『仏教史観を語る』のなかで『近くは末法の御本仏日蓮大聖人も、一生涯、既成仏教のような寺院は持たれなかった』… に対し、児玉大光師は、池上相承書に『身延山久遠寺の別当たるべきなり』の御文を引用して、大聖人は寺院を持たれたと主張した内容でした。これを先生にお見せするや「すぐ反論を『前進』に出しなさい。私(先生)が見てあげるから」と私に指示されました」(「池田先生への手紙」原島嵩)
6月15日
 松本日仁師 逝去。
6月19日
 妙信講、高知支部大会開催(高知県民センター)、100名が結集。
6月25日  国際商業出版、大山正 著「宗教成金PLの素顔」を刊行。大山正は、創価学会員 北林芳典の筆名。
6月26日
 妙信講、松本日仁師の講葬、本部会館で執行。一千余名が参列。
 浅井昭衛講頭、弔辞「妙信講は貧にして、御存生のおりには尊能師の御高恩に報い奉る何ものもございませんでした。但し、一万八千の講員は、いま身命を捨てて御遺命守護の一事を貫かんとしております。この御奉公もし近き将来成就せば、その功徳はすべて松本日仁尊能師の御一身に帰するものでございます。されば報恩抄に云く「されば花は根にかへり真味は土にとどま」と。我等全講員、本日のお別れに臨み、改めて御霊前に御遺命守護完結を堅く誓い、以って尊能師の御報恩に擬し奉るものでございます」(「冨士」第167号 )
(※ 浅井昭衛講頭は弔辞の中でも、顕正寺が松本日仁師の遺産一億二千五百万円を以て建立されたことを、講員に一切伏せたままである。妙信講員は皆、顕正寺は宗門から寄進されたものと、漠然と思い込まされた。顕正寺建立は、松本日仁師の意思であり、願いであった。浅井昭衛講頭は、"利剣を以って瓜を割るが如く" 創価学会弁護団を "全面降伏" させ、"法廷闘争大勝利"という筋立てを講員に信じ込ませるため、その証として "宗門からの寄進" という "物語" をでっちあげ講員を欺いた。口先では松本日仁師の功績を讃えつつ、指導教師として利用しつくしたあげく、顕正寺を私物化した。第19回総会(5月29日)、松本日仁師の『時至れば … 近く建築落成する顕正寺も直ちに時の御法主上人に御供養申し上げ』の言葉を小生等迂闊に聴いていたが、"顕正寺は宗門に供養" とは、松本日仁師の強い御意向なのであった。浅井昭衛講頭は後に、松本日仁師の真正直に富士門流の僧道を貫かんとする、その願いをも踏みにじった。正本堂を "御遺命の戒壇" と謀った池田大作会長の誑惑を糺し訴える当人が、顕正寺を "宗門の寄進"と謀ってしまっては "同じ穴の狢" ではないか。"我が身を上げる" ための、謀り・誑惑であることは 両者とも、同じ構造である。櫻川 忠 )
7月10日  第11回参議院議員通常選挙、公明党 14議席獲得。
「この年の七月、参議院選挙が行われましたが、そのバネとなった教材も、この "生死一大事血脈抄" でした。したがってこの選挙をさして "血脈選挙" ともいわれました」(「池田先生への手紙」原島 嵩 )
「たとえば77年の参院選に際し、自ら替え玉投票を行った学会男子部の大ブロック長が語っている。『法に三法がある。世法、国法、仏法の、三つです。世法は問題ではない。国法は人間がつくった法律であり、最低の道徳だ。仏法は大宇宙の法則であり、これこそ絶対なのです。公明党の逮挙は王仏冥合の大法戦であり、仏法律に照らして我々のやったことは絶対に正しいのだ』、と」(「宗教の火遊び」溝口 敦 )
7月 日  東京都、創価学園に立ち入り調査、創価学園教員の無免許問題(高校3人、中学2人)。
 事前に公明党・藤井議員にタレ込みがあり、創価学園側は証拠書類を焼却。「開校のときは、『いま、免許を取っている最中』ということで対外的にごまかし、そのままズルズルやってきた」( 学園関係者の証言 )
7月16日  創価学会、正本堂の意義づけ部分を密かに削除し、「立正安国論講義」を再刊。
(※ 「宗門七百年来待望の壮挙」「七百年来の念願であり、久遠元初以来の壮挙」等の "誑惑" の記載は削除された。櫻川 忠 )
7月21日  週刊新潮、「宗門と創価学会の離反」記事。「メッカ大石寺が創価学会と喧嘩して参詣者ただ今ゼロ」を掲載。以後、週刊誌・月刊誌で、創価学会報道続く。
7月22日  創価学会、「聖教新聞」紙上で週刊新潮の記事に反論。
7月23日  創価学会、静岡創価学会記念勤行会。池田大作会長「量の拡大のみを目的とした行き方には、真の永続性はない。永続的広布の観点からいっても、いよいよこれからは、一人の力を五倍、十倍にみがき、伸ばす作業が、なににもまして重要な段階に入っている」
(※ これ以降、会長講演における宗門批判の論調が弱まり、"創価仏法" "戸田前会長は地涌の菩薩の棟梁" といった表現が消える )
7月 日
 宗門、細井日達管長。創価学会の教義逸脱に、反撃開始。
「同年7月に入って、若手僧侶による池田大作講演批判論文が、教学雑誌に掲載されたことで火ぶたが切られた。つづいて、全国で数十ヶ寺の寺院で、創価学会の教義違背に対する批判と、創価学会をやめて日蓮正宗信徒になるよう勧める "脱会運動" が展開された。『山崎さん、見てくれましたか。いよいよ始めましたから、よろしく』。7月のある日、日達上人は、はずんだ声で電話をくださった」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
7月25日  月刊ペン裁判、第7回公判。弁護側証人として小室朗人が出廷。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催(豊島公会堂)、折伏成果 570世帯、総世帯数は 1万9千世帯を突破。
 浅井昭衛講頭「妙信講の使命とは広宣流布前夜の大悪を砕き、日目上人御出現の露払いを申し上げるにある」
7月27日
 宗門、法華講連合会第14回総会開催。細井日達管長、「三宝」について述べ「僧宝=学会論」を間接的に否定。「我々も僧宝であるから、他の人々が我々を拝んでもいいんだと云うような心を起こせば、それは既に驕慢であります。どこまでも本宗の行き方は、御本尊、大聖人、僧宝としての日興上人を安置し、その三宝を中心として宗旨が建立されておるのでございます」
8月1日  創価学会、浜田憲司。児玉大光師の「池上御相承を拝す」(「蓮華」6月号 )に対し、「大聖人が寺を建てよといわれた御書が一つでもあるか」と反論。これより宗門・学会の論争激化。(「前進」8月号 )
「正直に告白しますと、九州在住の浜田憲司氏は、いっさいこの論文にはタッチしていなかったのです。先生は、野崎勲氏と『だれの名前にしようか』と相談され、児玉大光師が九州ですので、野崎氏が浜田憲司氏がいいだろうと名前をあげました」(「池田先生への手紙」原島嵩 )
8月4日  創価学会、副会長会議。池田大作会長を、"創価学会根本師" "大師範"として、会長職を超えた存在と規定するための、創価学会規則改正案を検討。
「池田大作を "本仏" として祭り上げるための、規則改正の準備作業が、断続的に行なわれた。昭和52年8月4日の副会長会議に出席した、原島嵩氏のメモが私の手元に現存するが、それによれば規則改正案として、
『一、会則と規則の二本立てとする
 二、牧口・戸田・池田について、永遠に変わらない、創価学会の原点と定める。
 三、会長は任期制とするが、池田大作は "創価学会根本師" "大師範" 等、それを超えた立場とする』等のことが検討されている。
 現在施行されている会則の原案は、すでにこの頃に作られていたのである」(「あの頃のこと」山崎正友、「慧妙」2004年2月16日号 )
8月5日  光文社、「宝石」9月号発行。浅井昭衛講頭の論文「池田大作 ― 仏法の破壊者を裁く」を掲載。
 これよりマスコミ各社、宗門・学会対立を一斉に取り上げる。
「創価学会々長・池田大作が、いま内心もっとも恐れ、かつ憎んでいる存在は、わが日蓮正宗妙信講である。昭和四十九年の春、彼はある席で『学会の敵は三つある。左に共産党、右に妙信講、背後には本山』と語ったそうである。共産党を敵というのは、今さら説明を要しまい。「本山」とは、日蓮正宗の管長猊下を指している。…
 さて、創価学会は七百五十万といわれている。妙信講は一万八千にすぎない。数の上では全く比較にならぬ、しかも同門の妙信講を、池田大作はなぜ恐れ憎むのであろうか。理由は簡単である。妙信講がこの日本に存在する以上、彼は枕を高くして眠れないからである」(「同誌」9月号 )
8月12日
 妙信講、解散弾圧三周年記念幹部会開催。浅井昭衛講頭、「三年間で悪の大陣は破った。今後の四年有余こそ過去に倍する斗いを」と。
8月13日  創価学会、桐ヶ谷章弁護士。光文社「宝石」編集部に対し、掲載記事の取り消しと謝罪を要求。
8月18日
 宗門、細井日達管長。行学講習会開講式で、創価学会教授 浜田憲司の論文に対し「寺が不要なら正本堂を造って事の戒壇と崇める必要もない」と反論。(「蓮華」9月号 )
8月18日  文藝春秋社、週刊文春に「創価学会と大石寺離反の真相」記事掲載。妙|信講と国立戒壇の間題を取り上げる。(「同」8月25日号 )
「創価学会顧問弁護士として得た情報や捏造情報を流し、あたかも創価学会のなかに大量造反が起こりつつあるかのような雰囲気を醸成する道具として使ったのだ。この謀略は、日蓮正宗の僧たちに、創価学会につけ入るスキができたかのように思わせ、全国の檀徒作りを勢いづかせていった。
 これらの意図に基づいて作られたのが、『週刊文春』(昭和52年8月25日号)「創価学会と大石寺離反の真相」、『同』(10月6日号)「学会員初の大量反乱」、『同』(10月13日号)「池田独裁を倒せ! 全国蜂起した学会革命軍」、『同』(10月27日号)「池田大作に宣戦布告し覆面を脱いだ学会反乱軍」、『現代』(12月号)「あえて問う、創価学会と池田大作の変貌」などであった。 これ以降、山崎はマスコミで偏りながら、日蓮正宗内の反学会僧侶に対し、工作をおこなう」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 ) 」
8月20日
 妙信講、「富士」8月号に「池田大作 ― 仏法の破壊者を裁く」を転載。
「さて、国立戒壇をめぐる創価学会と妙信講の血みどろの激闘は、すでに八年に及んでいる。うかつな者が見れば、七百五十万は勝ち、一万八千は負けると思うであろう。だが『悪は多けれども一善に勝つことなし』である。妙信講は必ず勝つ。…
 また仏法の正系門家・日蓮正宗に、このような不祥事がおきたということも、深く考えれば広宣流布の前兆なのである。大聖人は『大悪は大善の来るべき瑞相なり』と仰せられている。国立戒壇否定という大悪は、国立戒壇成就の大瑞相であるのだ。…
 とまれ、この闘いの帰趨が、日本の運命に重大な関わりを持っていたことを、世人は後に知ることであろう」
8月20日
 妙信講、特別講習会開催。「妙信講の歴史と使命」講義、1千850名参加。
8月25日  文藝春秋社、 週刊文春に「創価学会と大石寺 離反の真相」掲載。池田大作会長の僧侶リンチ事件、国立戒壇と妙信講の諫訴に言及。山崎正友顧問弁護士、誌上で創価学会による本山への圧力を明言、また "顕正寺問題" を否定。
「日達上人と浅井講頭、上人と学会の間で、それぞれ何度も話し合いが持たれたが、ピシッとした線を打ち出し信者を導くべき上人が、浅井講頭には『浅井のいうことは全く正しい』と国立戒壇論を支持し、門下の僧侶には『国立戒壇を否定したのは国立という言葉をいったので、精神は変わらない』とあいまいな表現を使い、一方、学会に行くと『正本堂こそ戒壇』というなど、まるで風にそよぐ葦。創価学会が大石寺を兵糧攻めにする原因は、まさにここに存在する。日達上人が妙信講側に傾くたびに『本山登山』を禁じるなど、一連の措置をとって一時的に寺院の糧道を断つ。そして再びスポンサー側になびけば登山が始まる。ともあれ、大スポンサーの威力の前に遂に上人が正本堂を "日蓮遺命の戒壇" だとする『訓論』(日蓮正宗信者にとっては "勅語" に当たる重みのあるもの)を出す」(「同誌」9月1日号 )
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催(豊島公会堂)。浅井昭衛講頭、「九月は一対一の本格的な白兵戦を展開せよ」と。
8月26日  創価学会、池田大作会長の「M師リンチ事件」について、週刊文春に抗議。
(※ 昭和33年3月29日、池田大作参謀室長が青年部を指揮し、的場正順師に暴行を働き潤井川に投げ込んだ事件 )
8月27日  光文社、「宝石」編集部。創価学会の要求に屈し、記事訂正の了解を妙信講に求める。
 妙信講、これを拒絶。
8月28日
 妙信講、顕正寺起工式挙行。浅井昭衛講頭、「顕正寺こそ歪曲者が屈伏した証拠であり、『完結』の大瑞相を顕わす寺」と。
8月28日  創価学会、「聖教新聞」に "的場師リンチ事件" の弁明。
 吉田日勇渉外部長「週刊文春に書かれた記事は、その内容が極端な誇張と悪意の偏見によるものであり、はなはだ遺憾に思う。… 私は当時、大石寺理事をしており、この時のことは一部始終しっているが、およそリンチといわれる様な出来事は全くなかった事は断言できます」(「聖教新聞」8月28日号 )
8月30日
 宗門、全国教師講習会開催。早瀬道應総監挨拶、「(リンチ事件につき)聖教新聞紙上での、吉田渉外部長の言葉について、事実無根とはいいきれない」と。
 細井日達管長、「『日蓮大聖人の寺院観』浜田憲司氏に答う」と題して講演、みずから浜田論文を破折。また、「週刊文春に載ったM師というのは的場師のことで、あれは事実だった。書かれてもしかたのないことだ」と。
「池田大作は、『見ていろ日蓮正宗を手玉に取ってやるからな!!』と側近に大見得を切って、宗務院を通じてのかけ引きに熱中した。… だが、日達上人は、池田大作の手に乗らなかった。宗務院を通して池田が申し込んで来たことについて、これまでのように直接、上人が決裁するのでなく、宗会や臨時僧侶会にかけ、宗内の世論を尊重する形をとった。これまで、創価学会に対して、いろいろといじめられたり、いやがらせを受けてきてハラワタが煮えくりかえる思いをじっとこらえていた僧侶達、それも若手だけでなく、中堅・古老級の僧侶が,日達上人の御意向を慮って、びっくりするような強硬意見を述べ、学会からの和解提案をぶちこわした」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
8月 日
 宗門、足立堅泉師(神力寺住職)、創価学会 浜田憲司論文に反論。(「蓮華」9月号 )
8月 日
 宗門、創価学会連絡会議。
「秋谷:こちらに入っていること、総監さん、阿部さんらで、あいつの事ではないかと思いあたるふしはあるか。
 阿部:直接ではないが、或る程度の見当というか、いろいろの雰囲気からいって、大分前に五人程宗務院へ来た者がある。九州、佐々木秀明、児玉大光、丸岡文乗……。
 阿部:山口は二ケ月前に電話よこして、佐々木が教学部長と話したいと言っている、といってきた。それ切りになってしまっている。
 阿部:『和党』大宣寺、一寸変なこと書いたのがいる、宗務院へ呼んで話した。宗内の運営や宗制宗規など何も知らない。宗務院批判、話し合って解った」(「宗務院・学会記録文書」)
(※ 阿部信雄教学部長、"宗門・学会連絡会議"で、宗門内の反創価学会僧侶の動向など、創価学会に内通。)
9月 日  創価学会、青年部。組織的に妙信講員宅を訪問、いやがらせ事件頻発。
9月1日  創価学会、「前進」9月号発行。辻副会長、「二箇相承に思う」で、大聖人は一生寺院を持たなかったとする「浜田論文」の誤りを訂正。
「今度は、浜田論文をたしなめるものを書くようにとの指示が秋谷副会長からあり、それも私が教学部副教学部長に書かせ、辻武寿師範の名前で掲載したのです。考えれば愚かしいことです。浜田論文もそれをたしなめる論文も、私が指示を受けて推進したのであって、しかもなおかつ猊下への反論も、私が指示を受けて副教学部長の一人に書かせていたのです。こうなっては私も精神分裂というか、どっちも論証できる人間にならなくてはいけない、一種の教学をもてあそぶ"技術屋"になりさがっていたのです」(「池田先生への手紙」原島 嵩 )
9月1日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭、「創価学会の信心には功徳がない。その理由は、1) 国立戒壇を放棄し誑惑の正本堂を建てたこと (御遺命歪曲)。2) 正本堂の完工式にキリスト神父を招いたこと (謗法与同)の、二つによる」と。
9月2日
 宗門、早瀬道應総監・阿部信雄教学部長・藤本栄道庶務部長、学寮で池田大作会長・北条浩理事長・秋谷栄之助副会長・辻正信副会長と会談。
「会長、『日々の教学について阿部教学部長はどう思われますか、間違っていますか』と質問。これに対し阿部教学部長は『社会に開いた先生の教学はよくわかります。完ぺきであると思います』と発言」(「北条浩メモ『学寮にて』」)
9月2日
 妙信講、横浜・鶴見方面における悪質な創価学会青年部数名を、脅迫罪で告訴。
9月3日
 宗門、日蓮大聖人第七百遠忌法要・第1回慶讃委員会開催、池田大作会長を第七百遠忌慶讃委員長に任命。 細井日達管長「昭和56年に迎える七百遠忌へ向け、この大偉業を成就すべく全力を尽くしていくように」(「大日蓮」10月号 )
9月22日
 宗門、細井日達管長、創価学会に対し "遺憾の意" を宗内に通達。
9月22日  文藝春秋社、週刊文春に「池田会長口紅事件」を掲載。(「同誌」9月29日号 )
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会開催(豊島公会堂)、折伏成果 273世帯、うち創価学会よりの入講 203世帯。浅井昭衛講頭「妙信講の名が知れ渡るは完結の前兆、下劣な妨害こそ学会の末期症状」
9月27日  毎日新聞、創価学園で無資格者が教授と報道。
9月28日  創価学会、聖教新聞「寸鉄」欄、週刊文春の「僧侶は聖職者」の記事に反論。
「この大時代的な錯誤。いつになったら人間のための宗教が到来するのか。命がけで信者を守る僧こそ真の聖職者。それなら民衆も心から尊敬する」
9月28日  日本赤軍、ダッカ日航機ハイジャック事件。フランスのシャルル・ド・ゴール空港発・東京国際空港行きの日本航空472便(乗員14名、乗客142名)が、経由地のムンバイを離陸直後、拳銃・手榴弾などで武装した日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた。
9月29日  創価学会、「聖教新聞」紙上で「でっち上げられた口紅事件」と、週刊文春に反論。
10月1日  創価学会、北海道厚田に墓園完成。細井日達管長、「日蓮正宗創価学会戸田記念墓苑」と命名。
「(厚田墓苑は)総面積157ヘクタール、… 4万4000基、1基 40万5000円の墓は、完成前に完売した。… 宗教法人の墓苑事業は少しも腹が痛まない。会員から集めた金で造成し、再び会員に販売するからだ。こうして学会は、全国に墓苑事業を展開していく」(「創価学会財務部の内幕」)
10月 日  創価学会、幹部用月刊機関誌『前進』(部外秘)を廃刊。
10月 日  自由民主党、玉置和郎代議士、宗教政治研究会(宗政研)を発会。
10月3日  創価学会、北海道創価学会広布功労者追善法要(厚田戸田講堂)。
 池田大作会長「私が、この戸田記念墓苑を”生死不二の永遠の都”としたい旨、提案するのも、妙法に生きるわが同志が、御本尊に照覧されながら福運に満ちた尊い生涯を送ってほしいとの願いからにほかならない。皆さん方が、このように晴れがましく戸田講堂に参集している姿こそ、まさに"生の仏"であり、いずれは、墓苑に入る(笑い)これは"死の仏"となる。そしてまた、この現実世界に生をうけ、波乱万丈の広布の生涯を送っていくこうした繰り返しの姿が、すなわち"生死不二の都"である」
10月6日  週刊文春、「池田独裁を倒せ! 全国蜂起した学会革命軍」と、創価学会初の大量反乱記事を掲載。(「同誌」10月13日号 )
「寿福寺に学会の指導に疑問を持ち、学会を離れて佐々木師の下に結集した信徒、のちに日達上人のお声がかりで "檀徒" とよぶようになるが、それらの人々が三百人いるということが(週刊文春に)載った。…
 今度、佐々木師と心を同じくして学会批判に立ち上がった僧侶が、本山に登山し日達上人にお目通りをするという。その人数は、佐々木師の目論見では、百人以上いるとのことであった。そのことに対しても日達上人は、そのメンバーをしっかり固めておくようにと、佐々木師に指示されていた。佐々木師や児玉大光師の働きによって、いつの間にか、それまで創価学会に攻撃されっぱなしだった宗門は、反撃に転じようとしていたのであった」(「浜中和道回想録」)
10月11日
 宗門、細井日達管長。「"寺へ御供養持って行けばみんな住職が飲んでしまう"などと … 近頃は色々な問題がある。兎角お寺は疎んぜられているのは残念」と、創価学会の僧侶批判に反論。
10月12日  望月好郎(富士宮市民)、『創価学会の墓園計画はどのようにして始まったのか』と題するチラシを配布、富士桜墓園建設を批判する。
「かかる不当な工事及び計画をしている証拠は、山口系伊堂組・後藤組と手を結び、善良な市民への弾圧暴力を加えると云う状況にまで発展した。… 私宅も前の折込作成中の本年7月25日に、拳大の投石8個を神田川町の自宅に受け、当時臨月の娘は泣き叫んで電話して救いを求めた」
10月13日
 妙信講、御大会式厳修(本部会館)。
 臨時支部長会で浅井昭衛講頭、「必要なら、顕正寺に関する正式文書を、学会弁護士・山崎正友立合いの上公開せん」と。
(※ "顕正寺に関する正式文書" 、ぜひ公開して欲しいものである。顕正寺建立準備資金口座への入金記録を出して、振込元が"妙縁寺"だから"宗門"からだ…、と強弁するつもりだろうか。櫻川 忠 )
10月16日
 妙信講、群馬支部大会開催(富岡市中央公民館)。百余名が結集。
10月18日
 宗門、細井日達管長。京都での法要の際、北條浩理事長に「私も池田先生については二十年にわたってよく知っていますが、… 結論していうならば、これだけ総本山、宗門に未曾有に尽くしてきた学会が、だれが見ても、離れるわけもないし、また、宗門も離すわけがない深い深い因縁なのであります。ともかく、日蓮大聖人の広大無辺なご境涯からみれば、こんなさざ波のような問題などマメ粒みたいなものだと、私は思うのであります。登山会についても、一部に取りざたされていますが、時代が深刻な不況に直面していることを考えれば、時代とともに多少の増減は当然のことであり、やむを得ないではありませんか」と。
10月18日  月刊ペン裁判、第8回公判。隈部大蔵に対する、被告人尋問が行なわれる。
10月23日
 妙信講、初の大阪地方部大会開催(大阪府立労働会館)、百余名が結集。
10月25日  創価学会、10月度本部幹部会(第216回)開催。
 北條浩理事長、マスコミの創価学会批判、創価学会独立説、会長勇退説があること、宗門と和解しつつあることを示唆。「世間の一部に、本山と学会が離反するのではないかという風評を聞きますが、永遠に不二に進んでいくことは、常に会長が明言している通りであります。この一点でおわかりのように、いわゆるためにする風評に紛動されないでいきましょう」
 池田大作会長、僧俗和合の意思を表明、同時に創価学会の教義逸脱を宗門に伝える内通者の存在をほのめかす。「敵と味方が峻別できなければ、現実において敗北してしまいます。敵を敵と見定め、味方を味方と明確に判断しつつ、なおかつ一切衆生を救っていく戦いが、真実の仏法の慈悲なのであります。… 次に、将来のことを申し上げれば、これまでつねづね申し上げてきましたように、一九九〇年を合言葉に進んでいきたいのであります。この年、四月は戸田前会長の三十三回忌法要が行われ、十一月に学会創立六十周年を迎えます。このあたりが、創価学会の広宣流布の一つの大きな山であると考えていただきたい。… 広宣流布に邁進しゆく私どもの前途にも、それを阻もうとする動きは、すべて内外の讒言から起きているといってよい。讒言は内部破壊の根本原因であり、もっとも卑劣な、もっとも醜悪な人間の心のあらわれなのであります。… ともあれ私たちは、永遠に興隆しゆく前進のために、改善すべきことは潔く改善し、反省すべき点は反省し、また整備すべきことは整備しながら、21世紀に向かって広宣流布一筋に邁進しゆくことを誓いあっていきたいと思うのであります」
10月27日  創価学会、創立47周年記念幹部会開催。北條浩理事長、「世間の一部に、本山と学会が離反するのではないかという風評も聞きますが、永遠に不二で進んで行く事は常に会長が明言している通りであります。池田会長は正本堂をはじめ … 無量のご奉公御供養、外護の任を全うされているのであります」
「昭和五十二年には、池田大作は、後顧の憂いを無くした上で再度、日蓮正宗支配を目指して攻撃を行なった。創価学会が主であり、日蓮正宗は従であること、創価学会は、従来日蓮正宗が独占していた権威や化儀を自らも持ち、供養を受けることができると宣言した上で、僧侶つるし上げによって御法主上人を退座に追い込み、そのあとに傀儡政権を立てて、力で日蓮正宗をねじ伏せようとしたのである。この時は、御法主上人の退座までは達成できなかったが、"創価学会独立路線"の確立ということは達成した。しかしその直後、民社党が国会で池田大作の豪華専用施設の疑いなどを、本国会で取り上げようとしたことから、にわかに創価学会の足元が崩れ、その間に日蓮正宗の逆襲を招いてしまった」(「あの頃のこと」第四十五回 山崎正友「慧妙」第279号 )
10月30日
 妙信講、第2回青森県大会開催(青森市共済会館)。
11月1日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭、内得入信の勤行について指導。「戒壇の御本尊遙拝の精神で、方便・自我偈・唱題を」と。
「勤行の内容は、最初入信時は方便品・自我偈、そしてお題目を百ぺん(約五分)くらいしっかりと唱えれ ばよろしい。… 內得信仰の勤行の功徳についてでありますが、これは御本尊に向う勤行と全く同じ、断じて差別はありません。…
 御在世においても、熱原の法華講の人々は名もなき農民、恐らくは個々に御本尊を頂いてなかったに違いない。いわゆるいまの内得信仰の形で信心修行に励んでいたのです。しかしその不惜身命の信心は大聖人の御意に叶い、ついに本門戒壇の大御本尊に『願主』として、永遠にその名を留められた」(「富士」第171号 )
11月1日  講談社、月刊「現代」、毎日新聞記者・内藤国夫執筆記事「あえて問う 創価学会と池田大作会長の変ぼう」掲載。(「現代」12月号 )
11月7日
 宗門、細井日達管長、創価学会本部常住板本尊を正式に允可(いんか)。
「学会の方で板御本尊に直した所があります。それは私が知らなかった。しかし、後で了解して、こちらも承認した」(「大日蓮」第390号)
11月9日  創価学会、創立47周年慶祝法要(創価学会本部)。細井日達管長が大導師をつとめ、創価学会本部模刻本尊を開眼。
 池田大作会長「世間では、宗門と学会が離反するのではないかと一部で言われておりますが、誠に迷惑至極。なお、僧俗の和合にあたり、短期間のうちに膨大なる発展を成し遂げた宗門ならびに学会にとって事実、多少のトラブルはやむをえないし、それが将来への大いなる結実への第一歩となれば幸いと思っております」(「聖教新聞」11月10日 )
 細井日達管長「私は会長・池田先生を、またよく先生の信心を信じております。この先生あってこそ、学会は万全である。また宗門も援助していただける、と深く信じておるのでございます」
11月13日
 宗門、11ヶ寺が御講で創価学会批判。
「反学会の意識の強い僧侶らは、月一回寺院でおこなわれる御講で、学会批判をするまでになった。同年11月13日の御講では、11ヵ寺が公然と学会批判をおこなっている。反学会僧侶らの活動は、その後、山崎の思惑どおり全国規模で拡大していった」(「反逆の裏にある顔」北林芳典)
11月14日  創価学会、宗務院に「僧俗一致の原則」(五か条)、「僧俗一致のために」(七か条)、反学会僧侶11名の「処分要求書」を開示。
 宗門たたきに調子に乗っていた池田大作会長であるが、マスコミからの攻撃に動揺し「創価学会は宗教法人ではあるが、法人設立の三原則を遵守し、日蓮正宗の信徒団体たる立場を明確にする」ことを盛り込んだ「僧俗一致の七カ条」を発表した。
「まだ草庵の段階でしたが、池田先生はそれを聞くと、直ちに秋谷副会長から取り寄せ、当時の総監、教学部長に手渡してしまったのです」(「池田先生への手紙」原島嵩)
11月16日  月刊ペン裁判、第9回公判、引き続き被告人尋問。隈部被告「警察官調書は全くのデッチ上げで、取り調べも脅迫的だった」と。
11月17日  創価学会、本部幹部会開催。池田大作会長、いわゆる「会長本仏論」を否定。
「牧口先生も、戸田先生も、また私達も、全部凡夫でありますゆえに、南無=帰命すべきその根本は、唯一、御本尊であるということを忘れてはならない。すなわち御本仏は日蓮大聖人御一人であるということであります。したがって私どもは、三宝を敬うことは当然であります」(「聖教新聞」11月19日 )
11月18日  創価学会、宗務院に「僧俗一致の五原則」を提示。
「一、日蓮正宗並びに創価学会は、共に日蓮大聖人の三大秘法の仏法を広宣流布することを目的としており、その目的遂行のため、永久に僧俗和合して進む。
 二、創価学会は、日蓮正宗の信徒団体として宗門を外護し、宗門は創価学会の宗教法人上の自立性を十分尊重する。
 三、創価学会は、宗門・僧侶を尊敬する。宗門並びに僧侶は、学会を大事にし、批判しない。相互間に問題があれば、必ず連絡会議及ぴ僧俗協議会で協議する。
 四、宗門は、創価学会が宗教法人上の必要性から行なう一定の儀式法要については認める。また学会は、寺院での儀式にも参加する。
 五、僧侶は、寺院に来た学会員の相談に応ずるのはよいが、その際必ず創価学会の組織につける。また、学会員で個人的に法華講に入講を希望するもの、及び法華講員で学会に入会を希望するものがあれは、僧俗協議会にはかり、検討する。但し、この場合でも、双方互いに批判しないことを条件とする」
 宗門、末寺僧侶一斉に反発の色を示す。
「佐々木師は怒ったように、『よく読んでみろ! これは完全に創価学会が日蓮正宗と対等な、一宗一派をつくると宣言しているようなものじゃないか』と言った。… 佐々木師は、『近いうちに猊下のところに、これをどうされるか聞きに行くつもりだ』と言っていた。…
 私は佐々木師のもとから帰って、山崎氏に電話をしてみた。… すると、山崎氏は、『知ってるよ、和道さん。あれは完全な独立宣言書だよ。池田さんは宗門があれを飲めば、しめたものと言ってホクホクしているよ。早瀬さんは、それをハハーと言って、有り難く受け取って帰ったそうだよ。『これで宗内も収まります』と言っていたそうだよ … 』と」(「浜中和道回想録」)
11月21日  山口組系後藤組、富士桜墓園造成反対派リーダーに暴行・傷害。
 若頭代行・佐野慎、富士宮市神田川町の望月好郎宅へ12トン用の大型ブルドーザーで突っ込み、ブロック塀を22カ所10mにわたって突きくずし、玄関をえぐりとる。さらに、日本刀を持って家の中に侵入。居間にいた望月さんに切りつけ、重傷を負わせて逃走。(「岳南朝日新聞」77年11月23日)
 望月氏は、背中・肩・顔を斬られ、特に背中の傷は肺に達する重症。一命は取りとめたが、数年後に死亡。
「創価学会の忠犬となった自民党市議の会社が中心となって、二百数十億円にのほる工事を請け負うこととなった。市長や自民党市議の勢力と反対勢力との政争などから、種々トラブルが起き、最後は傷害事件まで生じたが、双方の陣営に対するワイロと、地元暴力団の積極的な協力によって、何とか完成にこぎつけた。最後まで妨害した人物に対しては、暴力団がブルドーザーで家に突っ込み、日本刀で片腕を切り落とす、という荒療治で鎮圧した」(「懺悔の告発」山崎正友)
11月22日
 宗門、阿部信雄師、常泉寺住職となる。(「大日蓮」53年1月号 )
11月22日  富士宮署、佐野某を殺人未遂の疑いで緊急逮捕。
11月23日
 妙信講、「特別調査班」設置、主任に神野雅満任命さる。
11月27日
 妙信講、11月度総幹部会開催(豊島公会堂)、11月度折伏成果 752世帯、総世帯数 2万を突破。
 浅井昭衛講頭「二万達成は法の為、国の為、宗門の為、最大の喜び、これこそ昭和56年に熱原のごとき五万の大法華講必ず成るの瑞相」
11月28日  創価学会、正本堂建設事業費の疑惑に反論。(「聖教新聞」11月28日号 )
12月1日
 妙信講、班長会開催。浅井昭衛講頭「2万は仮の宿、大聖人の待ち給う大法戦場へ驀進せよ」
12月1日  講談社、月刊「現代」。内藤国夫記者、再び「創価学会批判」記事掲載。(「現代」1月号 )
12月4日
 妙信講、第1回特別調査班会開催。
12月4日  創価学会、池田大作会長。宮崎・日向本山定善寺本堂新築落慶入仏式で、形勢不利と見てご寛恕願い。
「私は愚鈍の身であり、日達猊下にも、わがままを申し上げながらも、いかなる波風にも微動だにしない僧俗和合の妙法の万里の長城をさらに深く、広く築いていきたい。どうか御尊師の方々には、私ども信者の、今までのわがままを、ここに謹んで御寛恕くださるよう、お願いしたい」と。(「聖教新聞」12月5日 )
12月6日  創価学会、第14回全国県長会議。池田大作会長、対宗門への軌道修正を示唆し、宗門への低姿勢を指示。
 1.七百遠忌を目指し、僧俗和やかに進もう。
 2.猊下を悩ましてはいけない。
 3.御僧侶を理解し、宗門外護の原点を忘れてはいけない。(「聖教新聞」12月7日号 )
12月8日
 妙信講、顕正寺上棟式奉修。
12月12日
 宗門、第2回七百遠忌慶讃委員会開催。僧俗和合をいっそう充実推進するため、宗門と学会による「僧俗協議会」の設置を決定。慶讃海外代表登山について、管長の第六十六世にちなみ、海外66ヶ国からの代表参加を決める。(「聖教新聞」12月13日 )
 細井日達管長、池田大作会長に対し「若い僧侶の連中が、創価学会と手を切るとまで言っておるのを私が抑えておるんだ、いよいよ手を切るならば、宗会も開いてはっきりしなければならんと思っておる」と。(「時事懇談会記録」)
12月22日  月刊ペン裁判、第10回公判。被告人の供述調書における任意性の否定に対し、取り調べに当った三井今朝光警部が検察側証人として出廷。
12月25日
 妙信講、「顕正新聞」月3回発行とする。
12月28日
 宗門、池袋・法道院(早瀬日慈住職)の法華講から、大草一男ら209名が離籍。その後、本山・塔中の理境坊(小川只道住職)に所属し、「法華講理境坊東京支部」となる。理境坊に移ったメンバーは、機関紙等で早瀬日慈能化批判を行った。
「私以下、元法道院所属信徒二百九名は、昭和五十二年二月二十八日をもって、日蓮正宗法華講・法道院支部を離籍した。しかし、離籍したとはいえ、御法主日達上人猊下に随順せんとの信心に変わりなく、また、決して法道院に造反するつもりなど毛頭ないことも、お断りしておく」(「法の道を歩む法道院信徒209名離籍の真相」)
「早瀬総監が住職を勤める法道院の法華講が、早瀬総監に反旗を翻したとのことであった。その理由は、法道院の執事であり、日達上人の弟子でもある志岐長導師が、早瀬師のことを『本従の師』と法道院の法華講員に指導したとのことであった。
 そのことが日達上人の耳に入り、『本従の師』というのは、宗祖大聖人のことであり、その名称を一末寺の住職に冠することはケシカランと烈火の如く怒られたとのことであった。そして、日達上人はその志岐師の指導に疑問をもった法華講員が法道院を離れることを許可し、そのメンバーを小川只導師住職を勤める理境坊に所属させた。日達上人の弟子の集まりである妙観会は別にして、宗内で "法器会" という大人数の僧侶派閥率いる早瀬総監の法道院の出来事だけに、宗内の耳目を集めた、法道院三千世帯の法華講の中、二百人ぐらいが脱講したとのことであった。
 これについて宗内では、『創価学会ベッタリの早瀬総監を日達上人がいよいよ排除する決意を固めた』『これはいってみれば、池田会長に対する日達上人の決意を表すものだ』との噂が流れた」(「浜中和道回想録」)
12月28日
 妙信講、浅井昭衛講頭「立正安国論を拝し奉る」執筆、「富士」12月号に掲載。
12月28日  創価学会、杉並区代表幹部会、池田大作会長「世間では、学会は世襲制にするのではないかという人もいるが、学会は、永久にそういうことはしないということを申し上げておきたい。… 信仰を根本とすべき宗教において、世襲制はそれ自体、もはや堕落である」
 
  年表  
1月1日
 妙信講、本部会館で元旦勤行。導師、八木直道師。
 八木直道師、年頭所感。「さて、この法廷斗争の大勝利が起爆剤になり、全国二十余ヶ所の地方寺院の僧侶と学会員による反乱が競い起り、学会は全力を傾注し微笑と恫喝を以て鎮圧に務めているが、一方宗門はこれを陰で煽っているではないかとさえ、うがった見解の声が聞えて来る。これらの醜態は、御遺命を曲げた罰の現証の表われであるが、おしむらくは、この反乱の徒と呼ばれる僧俗は枝葉末節の小事を捨てて、敢然と御遺命守護の大使命に立ち上がられば、道は自ら開け真の仏子としての栄光に輝くではないかと確信する。… こいねがわくは、歪曲の真俗総懺悔し、共々御遺命守護の正義に目覚めこの大浄業に協力せられんことを、熱望してやみません」(「冨士」第173号 )
1月2日
 宗門、細井日達管長。第七百遠忌について訓諭を発布。「池田大作を慶讃委員長に任じ … 僧俗一致・寺檀和合して世紀の大遠忌法要を盛大に奉行し、後世の範となすことを期す」(「大日蓮」2月号 )
1月4日
 宗門、細井日達管長。本山において池田大作会長・北條浩理事長・辻武寿副会長等に対し「会長本仏論を本にしている。改めなければ本宗の信者とは認めない」と。
1月5日
 妙信講、浅井昭衛講頭、年頭の辞「大法戦場をめざして」
「なかんずく、理不尽なる解散処分の弾圧と戦って三年、そしてついにこれに打ち勝った今日、妙信講の行くべき道、為すべき仏事は霧晴れた嶮路を見るがごとく、くっきりと浮かび上ってきた。
 三沢抄に云く『各各はかかる法門にちぎり有る人なれば、たのもしとをぼすべし』と。まことに、正像未弘の三大秘法にちぎりを持たせて頂いた宿縁の有り難さは、曇華・浮木のたとえも及ばない。しかもその上、事の広布の前夜、大事の御奉公をさせて頂ける有り難さは、とうてい筆舌には尽しがたい。…
 七百年御遠忌 -- まさに大聖人の待たせ給う大法戦場は目前に迫っている。さあ! 決意も新たに進軍を開始しよう。行く手を阻む魔障は覚悟の上である」(「冨士」第173号 )
1月6日
 宗門、細井日達管長。全国末寺住職寺族初登山で、早瀬道應総監の「本従の師云云」の言葉に言及。「弟子でありながら師匠を卑しみ、信徒にへつらって、唯自分の生活を豊かにしようと考える者が、今日の僧侶にあるならば誠に残念。我々の師はどこまでも、大聖人であるということをどうぞ忘れずそれ以外に本従の師だなんてそういう間違った事を言う人があったらば、どうかこれを呵責して本当の日蓮正宗の僧侶であり信徒であるようになっていただきたい」と。(「大日蓮」53年2月号 )
1月6日  創価学会、池田大作会長。創価学会教学部師範会議で「『減劫御書』の『智者とは世間の法より外に仏法を行ず』の文について、『行ぜず』が正しいと判明した」と。 (「聖教新聞」1月7日号 )
1月8日  創価学会、池田大作会長。東北・信越合同本部長会で、再び会長本仏論を釈明。「私ども信徒が、南無し帰命するものは、御本尊のみである。あくまでも、私どもは平凡な人間である」と。(「聖教新聞」53年1月9日 )
1月10日
 妙信講、浅井昭衛講頭 初講義。講題、「日蓮大聖人一代御化導の大綱」
1月11日  公明党、第15回定期大会開催。竹入委員長、「自衛隊の存在は、既定の事実として認めなければならない」と。
「(1)企業献金を認める、
 (2)自衛隊は『既定の事実』であり認知する、
 (3)日米安保の存続を認める、
 (4)原子力発電を容認する」
などの個人的見解を示す。
 これを受けて、佐々木良作民社党委員長。「竹入発言によって、公民両党間にあった政策上の障害が、ほとんど取り除かれた」と、歓迎の意を表す。
1月15日  創価学会、僧俗協議会開催。「宗門と学会、本年初の連絡会議。戒壇の大御本尊の威光に照らされ、一段と僧俗和合の前進」と。(「聖教新聞」)
1月18日
 妙信講、初の本部会議開催。浅井昭衛講頭、「幹部は、妙信講の前進の位置を知れ」と。
1月19日
 妙信講、臨時班長会開催。浅井昭衛講頭、守護付属を強調。
1月19日
 宗門、本山対面所に僧侶約二百人集まる。細井日達管長、創価学会の悪しき体質が書かれた「ある信徒からの手紙」を、有志僧侶に対し読み上げる。「遠からず学会と縁を切るから、末寺は檀信徒名簿を整備しておけ」と。
「この謀略文書(※ある信者からの手紙)は、昭和53年1月19日の反学会僧侶160名が集まった本山での集会で読み上げられ、反学会感情を一挙に過熱させた」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
(※ 有志僧侶の前で、自ら「総監、教学、庶務部長、常泉寺派、その他 要所の僧は弱味をにぎり、あるいは懐柔しつくしているから、だれが次の猊座にのぼっても自分達の意のまま」と読み上げた細井日達管長、その場はどのような雰囲気だったのだろうか。櫻川 忠)
1月19日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。匿名で、『ある信者からの手紙』という文書を宗門に流す。
「山崎は … 謀略文書第一弾『ある信者からの手紙』を作成。その後、活動家僧侶・浜中和道(現・正信会伝法寺住職)が、細井管長の御仲居(お側役)・光久諦顕(現・妙縁寺住職)の女房に清書してもらい、それを細井管長に直接手渡した」(「創価学会の真実」野崎勲 )
「池田会長の側近、及び直系と云われる弟子達の間には、次の二点は自明の理であり端的に云うならば、この為にこそ学会首脳部の団結は維持されていると断言出来る。第一点は、池田会長は仏であり、なかんずく末法の御本仏の再誕である、と云うこと … 第二点は、池田会長ひいては創価学会の目的が来る二十年の間に天下をとること、即ち政治権力をとって日本を支配することにある。… 学会のすべての行動は、この二点に照らして見るならば、すべての意味がとけるのである。… こうした本質から見れば、昨年一月以降の学会の宗門に対する態度は決して一時の行きすぎと云うものではなく、用意周到に計画された路線であり … このことは言論問題の四十五年の前と后、妙信講問題の一つのピークであった四十七年から四十九年まで、そして妙信講問題の第二のピークであった四十九年から五十年・五十一年への経過をみればはっきりしている。… 総監、教学、庶務部長、常泉寺派、その他 要所の僧は弱味をにぎり、あるいは懐柔しつくしているから、だれが次の猊座にのぼっても自分達の意のままである」(「ある信者からの手紙」山崎正友 )
1月19日  月刊ペン、第11回公判。前回公判に引き続き、三井今朝光警部が検察側証人として出廷。
1月19日
 理境坊法華講員(法道院から移籍)、小冊子『「法の道」を歩む!法道院信徒二〇九名離籍の真相』を発行。法道院法華講の、"開基日應上人直結即大聖人直結" の指導等を、我見として批判。(「地涌」第169号 )
1月21日  創価学会、「総ブロック」の名称を「支部」とし、支部制に改める。(「聖教新聞」53年1月22日号 )
1月25日
 宗門、「法道院信徒二〇九名離籍の真相」公刊。小川只道師(理境坊)、序文を執筆。
1月26日
 妙信講、一月度総幹部会開催。五万めざしての、支部・青年部にわたる大人事発令。本部幹事に生越弘毅、石原康一 任命さる。
1月 日
 宗門、細井日達管長、赤澤朝陽の社長から板本尊を多数模刻した事実を聴取。驚いた管長は、菅野慈雲師(大宣寺)に調査を命じた。
「昭和53年1月初め、日達上人よりお電話があり、『今、赤澤朝陽の社長が年始の挨拶にきて、学会からの依頼で多数の御本尊を板本尊に直したと聞いた。何体彫刻したのか、赤澤に行って調べて来るように』と言われまして、調査したのが初めであります。浅草の赤澤佛具店本店に出向き、社長に面会して尋ねたところ、『全部で八体です』とのことでした」(「大白法」菅野慈雲師 1992年4月1日号 )
2月1日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭、「妙信講を弾圧して三年、いま諸天の働きか、仏法を曲げた者にまことに不思議な現証が起きている。妙信講の折伏がぐんぐん進むからこそ、諸天善神も励むのである」と。
2月7日
 宗門、阿部信雄教学部長。帝国ホテルで、河辺慈篤師と面談。河辺師、このときの内容をメモに残す。宗門から離反した憂宗護法同盟が、「同盟通信」(1999年7月7日)で取り上げる。
「S53.2.7. A面談 帝国H
一、戒旦之御本尊之件
 戒旦の御本尊のは偽物である。種々方法の筆跡鑑定の結果解った。(字画判定)多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、その他は時師か有師の頃の筆だ。日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている。
一、Gは話にならない
 人材登用、秩序回復等全て今後の宗門の事ではGでは不可能だ。
一、Gは学会と手を切っても、又二三年したら元に戻るだらうと云う、安易な考へを持っている」
2月9日
 宗門、全国教師代表時事懇談会開催(本山大化城)。宗務院、「僧俗一致」についての宗務院案提出。
 細井日達管長、創価学会を批判、「戸田会長時代にも、創価学会とのマサツは、 狸祭り事件など、一部の僧侶をつるしあげたりし て、いろいろあるにはあったが、こと教義に関し てのマサツはなかった。ところが昭和四十七年に正本堂が建立された、その直後から、創価学会の態度がおかしくなってきた。僧侶をバカにしたり、 教義上においても変化が非常に多くなってきた。… こんな要求(僧俗一致五原則)に、宗門がいちいち応じなければならないとしたら、それは宗門が創価学会と別れなければならないときだ。… これから先、いかなる困難があろうと も、大聖人様の仏法を守る宗門として、たとえ小さくなろうとも、真っすぐ切り開いていかなければならん」
 出席僧侶も、創価学会と池田会長を激しく非難、「学会の云いなりになっている」と宗務役僧をつるし上げる。丸岡雄道師(総本山 蓮東坊)、「売られたケンカなら買って、もし話がつかなかったら別れようじゃないか」。小牟礼匡道師(熊本県 正化寺)、「学会では我我僧侶のことをクソ坊主とか、クソ小僧とか云っております。宗務当局は創価学会に厳重に申し入れをする勇気があるかどうか」
「かくして同年二月九日の時事懇談会が開催された。この会議で学会側の五原則案が反発をかったのは当然のこととして、宗務院案もまた創価学会の自主性を尊重するとか、学会を批判してはいけないとか、学会員はお寺に相談しにきても学会組織につくよう指導する、などという学会案の文句を多少変えた程度の内容であった。しかも、一見すると対等に見える協調案の文言も、よくみれば、信徒は学会で指導するから寺では学会員に指導するなというものであり、そのうえ寺院総代は学会幹部を送り込んで運営に関与してくる方式であるから、実質的には信徒団体が宗門を包囲して管理下におくという、いかにも本末転倒した内容である。
 そして長時間にわたる阿部教学部長のねばりにもかかわらず、この両案ともに僧俗全体の大変な反発をかい、最終的に会議の意見を集約した日達上人の裁断によって
 ① 学会案は突き返す
 ② 宗務院案は撤回
 ③ 学会と手を切るか、また協調するためにはどうしたらよいかというアンケートを実施する
という結論になった。
 また、この宗務院案が一顧だにされなかったことによって、いかに阿部教学部長の感覚が、宗内世論や日達上人のご意志ともかけはなれ、学会べったり姿勢であるかを示す格好の場になってしまった」(「時事懇談会記録」菅野憲通師等 )
 宗務院、「僧俗一致」(宗務院案)を撤回。
2月12日  創価学会、池田大作会長・辻武寿副会長・和泉覚副会長、緊急登山。池田大作会長、細井日達管長に全面屈伏。「学会を切る、などとご僧侶の間で議論されたと聞いて、ビックリしています。学会が誤まっているところは改めますから、どうか破門だけはやめてください」と嘆願。
2月13日
 宗門、御報恩御講。全国末寺で、学会批判が噴出。
「同日、全国86ヵ寺が御講で創価学会批判をおこなった」(「反逆の裏にある顔」北林芳典)
2月14日  創価学会、再び、池田大作会長と中枢幹部(福島・辻・原田・野崎・八矢)、細井日達管長に詫びて嘆願。
 細井日達管長「一.の学会を切るのはやめる。しかし 二.の項目アンケートを取る」
2月16日
 宗門、全教師にアンケート用紙配付。
2月16日  創価学会、日蓮大聖人御生誕報恩勤行会、池田大作会長「私ども信徒は、各地域の寺院にあって理想的な僧俗和合でなければならない。いささかたりとも、御法主上人猊下の御宸襟を悩ませることがあってはならない」(「聖教新聞」2月17日 )
「1.正しい信仰はただ一つ。正本堂にまします大御本尊。日達上人に受け継がれている。
 2.日蓮正宗の外護をし信徒の団体として、よき正宗の信徒として …
 3.主師親の三徳具備の御本仏は、三世永遠に御一人であらせられる。… また遣使還告のお姿として、代々の御法主上人と拝すべきである。
 ( 研修シリーズNo.6 昭和53年2月16日 広宣会館 ) 」
2月17日  月刊ペン、第12回公判。被告人に対する、裁判長の尋問が行なわれた。
2月22日
 宗門、第二回全国教師代表時事懇談会開催。細井日達管長、2月12・14日の池田大作会長の目通りの内容を公表、その上で反創価学会僧侶を抑える。
「一往五ヶ条の事だけは向こうの方へ返したのであります。そうすると学会の方で会長がいち早く宗門の動勢というものを察知して、それで十二日の午後 … 会いまして種々話をしました。…
 "どうか手を切るという様な事をしないでくれ、自分の今学会員が一千万人ある。この人達を正宗から手を切るという事は地獄へ堕す様なものであるから、どうかそういう事をしないでくれ" … 第二回目にも、又どうかその、それ専門で、"どうかその手を切るという様な事をしないでくれ、とそれをその案件も、どうしても皆が動揺するからやめてくれ"と、こう云ってきたので私は、あなたの信心は当然立派なもんだ。牧口さんは立派な信者だった。戸田さんも飲んだくれで困る様だけれども信心は強かった。あなたも信心があるでしょう。だからもし種々な教義の間違った事や或いは、お寺へ行っちゃいけないと、日蓮正宗では成仏しない様な事を云いふらしておるから、それを徹底してやめさせてくれれば宜しいです。どうか貴方の意志を下の方まで徹底してもらいたい。それならば手を切るということはやめます。しかしその最後のですね、どうしたならば仲良くやっていけるかとアンケートは取りますからと、… 最後に、私の方では創価学会の会員は学会の会員であって、全員日蓮正宗の信徒であるという事を徹底してもらいたいという事を私は言いました。…
 講和を求めて来たことに対して、ムゲにけっとばす事はできない。… ここはまァ一往退いて、そしてもう一遍手を握ってやって、それでまだ尚かつ、二、三年先へ行って、まずければ、又その時はその時の考えもあるんだ。… 私の個人の心からいけば、それはどうしても、ちょっとまずい事があれば、いちいちケンカをしているよりも、いっそ別れて自分らで小さくてもいいから、昔みたいに小さくなってもいいからやっていくと、そういう心では思っている」 (「時事懇談会記録」)
 若手僧侶、細井日達管長と、激しいやり取りを交わす。
 佐藤正英師、「吊るし上げを絶対にやめさせるという確約はおとりになりましたか」
 佐野知道師、「その体質というものは変わらないんですね。ですからその組織というものをですね、完全に破壊しないと、これは宗門がやられると思うんですよ」
 菅野憲道師、「四十九年度の謗法問題と、それから一連の正本堂の種々なゴタゴタがありまして、… 三年前よりはるかに学会の体質と云うものが日蓮正宗の信者としてのワクから逸脱しておるという現状になってきておるわけです。… 気がついた時には手遅れになってしまうのではないかという事を我々は一番憂えておるわけです」
 佐々木秀明師、「妙信講は国立戒壇に固執し、御法主上人を誹謗し悩し奉った。宗門を混乱した。こういうかどで解散処分を受けました。我々僧侶法華講、大多数の学会員もそれはそれで納得しました。今一連の学会の問題もなんらこの妙信講問題とはソン色のない重大問題です。本門弘通の大導師は会長である、会長に帰命しよう。人間革命は現代の御書。… どれ一つをとっても重大問題です。これを解決処分せずしてあやふやにすれば、日蓮正宗七百年の伝統にキズをつけ、近い将来必ず悔恨のもとに日蓮正宗の権威は失墜する事は理の明白であります」
 渡辺広済師、「我々僧侶は辛棒いたします。又ガマンもいたします。しかしながら、宗門を案じ、そして学会の教義の誤りに気がついて学会をぬけて、しかしお寺を守ろうといって … 今、立ち上がっている人達は、決して間違っていなかったんだという事を訴える手段をハッキリとこの際、学会の方に示す様にお求めをいただきたいと思います」
 萩原昭謙師、「何らかの方法を以って、末端までその誤りというものがテッテイする手法を講じなければ、決して今回の事は解決がつかないと思います」
 中島広達師、「出来る事なら末端に知らせたくないと云う様な姿勢が、今迄もありありとうかがわれるわけでございます」
 浜田敏道師、「人間革命が御書であるとか、又は会長本仏であるというふうに、向うの出版物にあきらかに出ておるわけでございます。… これらの事は全て間違いであると云う事を、ハッキリ向うの出版物に出していただきたいと思います」
 関開道師、「向こうが謝って来たからといって、うやむやにしないで何らかの機関をもって、一般の信者さんに訴えていく方法をとっていただきたいと思います」
 菅野憲通師、「猊下と会長が仲直りしたと、僧俗一致だという建て前で持って来て、だからそういう事を云う坊主は勝手にさわいでる、つまりは師敵対だという事になりかねないわけです。… 我々のやってる事は師敵対の様にとられる、という事をよくお考えになっていただきたい」
 丸岡文乗師、「我々がこれまで辛酸をなめまして展開してきた運動、これはやはり正論であったという風に御認めいただけるかと思うんですけれども、もちろん猊下その様にお考え下さって…」
 丸岡分乗師、「又ひらきなおった様な風潮が出ておるという事、この一つをとりましても学会が本当にこれであやまっているのであるか … その危惧というものを払拭することが出来ないのであります。… 今度が千載一隅の、最後のチャンスじゃないだろうか」
 2月25日に全国僧侶会合の開催が決定されたが、細井日達管長と僧侶の意見対立に進展がなく、25日の会合は中止となった。
 アンケート結果
 ・ 宗教法人の解散、223(以下数字は同意見数)、
 ・ 包括関係の設定、63、
 ・ 三原則の遵守、168、
 ・ 幹部等の辞任勧告、宗制宗規及び寺院規則に従う、教学上の誤りの是正、131、
 ・ 学会教学の正誤表を作る、覚書を交わし聖教新聞に掲載して一般信徒に知らせる、7、
 ・ 異流義を唱えた者は幹部に登用しない、人間革命の廃刊、2、
 ・ 選挙活動の強要廃止、20、
 ・ 吊し上げの廃止及び収拾、73、
 ・ 協調後の指導徹底、26、
 ・ 法人規則の公表、収支決算の公表、出版物の検閲
「この会合以降、阿部師は全く宗門僧侶から支持を失い、次第に孤立していく。池田大作も、阿部教学部長を使っても全く事態の打開ができないので、日達上人の側近であった光久師、菅野師等に直接接近し、あるいは山崎弁護士を介して青年部幹部と活動家僧侶との交渉にあたらせるなど、別のパイプをつなげたため、宗務院・学会連絡会議はほとんど開かれることもなくなっていった」
2月23日
 宗門、狛江・仏寿寺落慶入仏式。
 池田大作会長「御宗門の隆昌のため … 私は今、御法主上人猊下に、じっくりと御指南を仰ぎながら、万代にわたる僧俗の理想的和合と広布流布への前進ができうる体制を考えております」
2月 日  創価学会、北林芳典、山崎正友顧問弁護士から寺院寄進利権の話を聞く。
「山崎はこの訣別の少し前、有頂天になって油断したのだろう、『創価学会が日蓮正宗に寄進する寺院や墓地の建設を、一手に引き受けようと思うんだ。本山はオレに任せるよ。百カ寺を寄進し、それに全国に何カ所か墓園を建設すると、一千億円はくだらないぞ。一割マージンとしてもらっても百億円だ。二億、三億は、はした金だ。土地取得の権限を任せられるだけでもすごいぞ』と、新宿区荒木町にあったマンション「サンライズ四谷」の一室で私に話した。山崎は宗門と創価学会を離間し、その関係修復を自分が斡旋し巨利を得ようと目論んでいたのだ」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
2月24日
 宗門、大化城で盗聴器発見。
(※ 創価学会員の本山職員と創価学会系仏具商 東洋物産の社員が、翌日に行なわれる僧侶の集会を盗聴しようと大化城二階大広間のテレビに盗聴器を仕掛けた )
2月26日  創価学会、「聖教新聞」に池田大作会長の "三宝論" を掲載。
「即ち、仏法とは末法御本仏・日蓮大聖人、法宝とは御本尊、そして僧宝とは本門の大導師であられる二祖日興上人である。… ここで『僧宝』とは、今日においては日興上人よりの唯授一人の法脈を受けられた御法主上人猊下であられる。また、ご僧侶は全部猊下の弟子である。ゆえに、いかなる理由があるにせよ、我々はご僧侶を大切にしなければならない」
2月27日
 宗門、阿部信雄師、大御本尊に言及(河辺メモ)。
「S53.2.7、A面談 帝国H
 一、戒旦之御本尊之件
 戒旦の御本尊のは偽物である。種々方法の筆跡鑑定の結果解った。
(字画判定)
 多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、
 その他は時師か有師の頃の筆だ。
 日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている」(河辺慈篤師)
2月27日
 妙信講、二月度総幹部会開催、2月度折伏成果 532世帯。
 浅井昭衛講頭「妙信講が伸びることが、宗門に正義が蘇る姿である。… 妙信講の前進が本格化するに従い、学会と宗門の間で深刻な争いが生じている。昭和四十五年ごろは大聖人の御眼も恐れず、なれ合い、癒着して国立戒壇の御遺命を放棄した間柄であったのに、いまやお互いに疑心暗鬼、陰に陽に激しくののしり合っている。この実相こそ、御遺命を曲げたゆえの罰である。今後、たとえ目先的には表面を取りつくろうことがあろうとも、罰なるがゆえに本質的解決はない。これ、まさしく諸天の働きによる。但し、これらは諸天にまかせ、妙信講は一筋に五万鉄石の、大法華講建設に前進をする」
2月28日  創価学会、各部代表懇親会。池田大作会長、学会版経本は宗門の許可を経たもの、と釈明。(「聖教新聞」3月1日 )
2月 日  創価学会、静岡研修道場で僧侶の選別を行う。
「昭和53年2月、静岡研修道場で池田先生を前にして何人かで寺院名簿をつくり、いい僧侶、悪い僧侶の点検が行われていました。つまり、池田先生や学会を批判する僧侶は悪い僧侶、批判しないもしくは池田先生や創価学会に好意を寄せる僧侶がいい僧侶なのでした。そして、そのあと徹底して、"いい僧侶" には本や品物を届けたのです。こうした裏工作、差別策が、かえって若手僧侶をさらに決起させる因となり、事態は悪化するばかりとなったのです」(「池田先生への手紙」原島 嵩 )
3月1日  文藝春秋社、別冊「文藝春秋」(143号)発行、境忠雄(志茂田景樹)の小説「折伏鬼」を掲載。
3月5日
 宗務院、僧侶の怒りを鎮めるため、全国の僧侶に創価学会に対する「意見書」の提出を求む。
3月4日  創価学会、立川文化会館にて池田大作会長講演。「凡愚な私である。しかし、妙法の力と、時に相まって十の誇りがある。
  一つは、法灯連綿七百年の総本山を未曽有に荘厳申し上げたことである。
 第二には、日蓮正宗の名を世界に知らしめたことである。
 第三には、世界広宣流布の基盤をつくれたことである。
 第四には、日本の広宣流布の基盤をつくれたことである。
 第五には、令法久住のために宗門始まって以来、幾百か寺を御寄進申し上げたことである。
 第六には、二十一世紀の指導者養成の教育機関を完備できたことである。
 第七には、三千数百人の同志を、国家の安泰のために治世に送り出したことである。
 第八には、あらゆる階層に指導者を送り出したことである。
 第九には、文化と平和の大いなる推進機関をつくったことである。
 第十には、広宣流布のために、会館を確立できたことである」
(※ 正本堂建立からわずか6年、あれほど誇った「事の戒壇」に言及できなくなった。櫻川 忠 )
3月5日
 妙信講、顕正寺落慶御入仏法要厳修。開基 松本日仁師、住職 八木直道師。
「慶讚文 今正に陽光四辺に満ち清気一天に亘る秋、此処埼玉和光の地に一宇を建立して、本門の大御本尊を安置し奉り、恭しく落慶入仏の大法要を厳修し奉る。…
 御金言に曰く『悪は多けれども一善に勝つことなし』と。かくして当寺は御遺命守護の法城として建立せらる。日仁その大使命に因み『護法山顕正寺』と命名す。正に当寺こそ大聖人の大慈大悲により賜わりし寺院と拝し奉る。ここに真俗異体同心して御遺命守護完結と広宣流布を目指し、捨身の御奉公を誓願し、仏恩報謝の為め落慶入仏の大法要を厳修し奉る。希い願くば、宗祖日蓮大聖人悉知照覧し、我等が微意を哀感納受し給はんことを。
 昭和五十三年三月五日 日蓮正宗護法山顕正寺開基 観惠院日仁 敬白 直道房日至 代拝」
 浅井昭衛講頭、「ゆえに、このお寺は誰のものでもない。… 御遺命守護完結のその日まで、私等がお預かりしているに過ぎないのであります。よって、御遺命守護完結のその日にはこの顕正寺は時の御法主上人猊下に御供養申し上げる。…
 寺院でありますれば、今回顕正寺の寺院規則を新たに定めましたが、その中でこの旨を明記いたしました。すなわち、顕正寺の目的とその目的達成した暁の処置について、『顕正寺は、日蓮正宗に日蓮大聖人の御遺命たる国立戒壇の正義を蘇らせることを唯一の目的とし、この目的が達せられた時は、日蓮正宗大石寺の時の御法主上人に、顕正寺を御供養するものとする」と明記いたしました」(「富士」第175号 )
(※ 23年後の平成10年4月5日、大御本尊は奉安殿に遷座された。その5日後、顕正会は「御遺命守護完結奉告式」を奉修した。「宗門の懺悔なくして御遺命守護完結なし」(第21回総会 昭和54年5月)は誰の言葉か、"国立戒壇" は宗門に蘇っていない。御遺命守護は未だ完結していないのに、浅井昭衛会長は "御遺命守護完結" と偽りを重ねた。そして、会員を宗門から遠ざけるため、さらに "相承授受否定" に踏み込んで行く。櫻川 忠 )
3月5日  創価学会、池田大作会長。東大会・慶大会合同総会で、会長本仏論を再び否定し、弟子に責任を転嫁。「今までいくたびも注意してきたが、一部とはいえ、会長に帰命とか、あるいは主師親の三徳、本仏ではないか、本門弘通の大導師等と論ずることは大なる間違いである。迷惑なことである。正宗の本義並びに学会の指導に反することは、全部否定するとともに、正しい根本義の道を歩んでいただきたい」と。(「聖教新聞」3月6日 )
3月7日
 宗務院、右「意見書」に基き、創価学会との「協調案」を作成。
3月8日  創価学会、第17回全国県長会議、池田大作会長「ある幹部が、『人間革命は現代の御書』であるといったことがあるが、全く迷惑なことである。このようなことは厳に戒め、慎んでいただきたい。過去、現在、未来にわたって、『御書』こそ元初の聖典であり、これに比せられるべきものは他にありえない」と、責任転嫁。(「聖教新聞」3月9日 )
3月10日  月刊ペン、第13回公判。検察側論告求刑、懲役1年6月を求刑。
3月11日  創価学会、第2回各部代表懇談会、独自の『学会教学』『創価仏法』を否定。
 池田大作会長「教学部は、あくまでも正宗の根本の教義を基としなければならない。… われわれ在俗信徒の立場が、この教義にのっとることは当然であり、また今後も、永久に根本の教義として遵守していかなければならない」
3月14日
 宗門、全国教師指導会開催。細井日達管長、創価学会との協調を強調。「池田会長がこれほどまでに非を認め、詫びを入れてきたのは、いまだかってない。ここはもう一度だけ、池田会長の信心を信頼して、破門することだけはとりやめたい。破門をせずに、学会と協調する方向で、協議を進めてほしい」と。
 宗務院、九ヶ条の「協調案」を全僧侶に計り、創価学会に提出することを決定。
「Q. 学会版の経本を注意してよいか。
 A. してよい。経本は従来通り大石寺版に限る。
 Q. 会員をやめる時、御本尊を返せといわれる。
 A. いわれても返す必要はありませんって、はっきり言え。本人のものだ。
 Q. 聖教・大白等は末法万年残るもの。教義の誤りは具体的に大白の何月号にこう書いたが誤りであったという様に訂正してほしい。
 A. その通りだ」
3月15日
 妙信講、教学部。「種種御振舞御書」講義開始。
3月 日
 宗門、僧侶間に創価学会批判の怪文書が乱れ飛ぶ。九ヶ条の「協調案」は創価学会に提出されず、僧侶は創価学会に諂う宗務院を憤り、「態度が変わるのでついて行けない」と管長を批判。細井日達管長、「学会におせじをつかいすぎる」と宗務院を批判。早瀬道應総監、管長への憤懣から辞表を提出。
3月26日
 宗門、大化城に細井日達管長、僧侶20名、信者が集う。細井日達管長「今後寺院を中心とし、学会員を折伏して檀家にする」と。
3月27日
 妙信講、3月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭、「四月は、前代未聞の大折伏を以って、完結への道を開かん」と。
3月27日  創価学会、第5回各部代表懇談会で池田大作会長、重ねて僧俗和合を訴える。「僧俗の和合を堅持し、同時に社会のなかにあって、社会と強調しながら信心を深めつつ、仏法の拡大を新しく考え、実践していっていただきたい」
3月30日
 妙信講、初の教学部二級部会開催。六巻抄の第一、「三重秘伝抄」講義。
3月30~31日
 宗門、第17回妙観会(大石寺)。細井日達管長、「富山で学会の幹部が、私の写真を足でふみつけ、皆にも勧めた」と憤る。
3月 日  創価学会、山崎正友顧問弁護士、文書「今後の作戦」を細井日達管長に提出。
3月 日  流動出版、陶郷栄一(玉井禮一郎)著「小説創価学会」第二部(鶴と歯車)を発刊。
4月1日
 妙信講、班長会、浅井昭衛講頭「内得信仰に誇りを持て」と。
「五十九世堀日亨上人は「近年各地方の信徒の倍増にともない、その信仰度の決定を試練するある期間の勝境に、仮本尊(御型木本尊)を祀ることあるは止むを得ぬ暫時の方便であって、… 」(富士日興上人詳伝)と解説されております。「近年」というのは明治の末頃か大正か、はっきりとはわかりませんが、いずれにしても御型木御本尊という制度は、近年の信徒の状況に基いて為された「止むを得ぬ暫時の方便」であって、決して日蓮正宗の昔からの姿ではなかった。むしろ、常住御本尊のお下げ渡しまでは、内得信仰を貫くことが、富士門流本来の、伝統的姿勢であったわけであります。… いま妙信講は解散の弾圧を機に、計らずも大聖人・日興上人の御時代の厳格な信心を求められているのであります。… 御遺命守護完結の暁には、この御奉公を以って、班長以上の幹部で強盛の信心を貫いてきた人に、常住御本尊のお下げ渡しが頂けるよう、私は妙信講の講頭として、必ず時の御法主上人に御願い申し上げる所存であります。それまで、内得信仰に誇りを以って進んで頂きたい」(「冨士」第177号 )
4月1日  講談社、「現代」5月号発刊。「衝撃!創価学会と池田大作会長の新事態」(内藤国夫)掲載。
4月 日
 理境坊法華講東京支部、教学理論誌「暁鐘」を創刊、創価学会の教義逸脱を批判。
4月6日
 宗門、御霊宝虫払大法会、細井日達管長「本宗の信者でありながら、自分は死んだらまた何処のお寺を縁として生れ変って来るとか、あるいはだれだれが地獄に堕ちれば自分も堕ちてもいい、などと思って居る人が居ります。之れは大変間違って居ります」と、法道院と創価学会を暗に批判。(「大日蓮」5月号 )
4月11日  創価学会、北條浩理事長・山崎尚見副会長等、首脳幹部約十名。他宗(日中友好宗教者懇話会)主催の、中国仏教代表団歓迎パーティー(ホテルニューオータニ)に出席。
4月 日
 宗門、丸岡文乗師(涌化寺)、創価学会批判の「地涌の友」創刊。
4月 日
 宗門、細井日達管長、山崎正友に対し「何とか、若手の僧侶達を抑えてもらえないか。もう彼らは、私の言うことを聞かないんだ」と依頼。
4月15日
 宗門、細井日達管長、総本山大奥において阿部信雄総監に "お言葉”。
「昨年4月15日、総本山大奥において、日達上人猊下より自分(阿部)に対し、内々に御相承の儀に関するお言葉があり、これについての甚深の御法門の御指南を賜ったことを御披露する」
「この日の日達法主のスケジュールは以下の通りだ。
 ▽午前0時 大客殿にて丑寅勤行、終了後大奥で就寝
 ▽6時30分 起床
 ▽7時 御影堂にて第三祖日目上人の御講の導師、約1時間で終了
 ▽8時 塔中住職が大坊を訪れ誕生日祝いを受け、その後大奥へ戻り朝食
 ▽9時30分 誕生日祝いのため、大石泰成、三宅統道、山口範道の三人が目通り
 ▽10時前 本住坊で結納を行った原田篤道が、… 細井珪道と結婚の報告に訪れる
 ▽11時 身支度の後、大石寺東京出張所(西片)に向け出発、到着後休憩
 ▽午後6時 千代田区内のレストランで、約30人と誕生祝賀パーティー
 ▽午後9時 西片の出張所に戻り、就寝 (※ 要旨)
 以上が、当日の日達法主の行動記録だが、これでは、もはや厳粛な相承の儀式を行う時間などまったくない」(「法主の大陰謀」憂宗護法同盟 )
4月15日  創価学会、埼玉布教区内で懇談会開催。
「僧侶「本山・宗門から離れてしまうと新興宗教になってしまいますからね」
 会長「全くその通りです、私どもはどこまでも七百年の伝統を守り、三宝を敬っていくことは三カ条の約束通りです」
 僧侶「池田さん、本部の本尊を板にしたということですが、どうしてしたのですか? 」
 会長「学会本部の紙幅の御本尊は日差しが直接当たり年月も経っているし、このままではさらにひどくなり、不敬になるので板御本尊にした。また入仏法要に高僧にきてもらったが、それだけでは具合が悪いので法主に来てもらった」
 この時点で、この場にいた僧侶たちは … 大謗法を池田が犯したことを確認した。それは、全国の僧侶にすぐさま伝わることになった」(「創価学会からの脱出」)
4月 日  月刊ペン、第14回公判。弁護側最終弁論と、被告人の意見陳述が行なわれる。
4月19日  創価学会、池田大作会長。細井日達管長に、中日友好協会副会長からの伝言を報告。(「聖教新聞」4月20日 )
 聖教新聞、細井日達管長講述の「日興遺誡置文」を掲載。依然として「時の貫主たりと雖も」の一条を "管長の人事権" とする。
4月28日
 宗門、七百遠忌記念として「日蓮正宗要義」発刊。
4月28日  創価学会、立宗記念勤行会(関西センター)。池田大作会長「主師親の三徳を具備なされた御本仏日蓮大聖人の仏法の清流を、血脈付法唯授一人であられる代々の御法主上人猊下が、今日まで厳然と令法久住あそばされたのである」
4月29日
 妙信講、四月度総幹部会開催。折伏成果、再建以来最高の915五世帯。浅井昭衛講頭、弟子分帳を引いて熱原の法難について論じ、「未曾有の折伏で鉄石五万近づく、待ち給う法戦場へ一路進まん」と。教学部長に、石原康一就任。
4月30日  創価学会、’78千葉文化祭開催。池田大作会長「ごぞんじのように、日蓮大聖人は熱原三烈士の活躍を一つの機縁とされて、本門戒壇の大御本尊様を御建立あそばされたわけである」
4月 日
 妙信講、教学部。二級部会で「文底秘沈抄」講義開始。
5月1日
 宗門、細井日達管長。杏林病院へ入院。
「この山崎、(中略)昭和53年5月1日から8日にかけて杏林病院へ、5月18日には聖路加病院へ、細井管長を一週間入院させる。この間、細井管長に会えたのは、山崎と御仲居役の光久諦顕のみであった。光久には、山崎から操作情報が入っているのだから、細井管長はこの入院中 山崎の思いのままに洗脳されてしまった、といえる」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
5月1日
 妙信講、「富士」巻頭言、浅井昭衛講頭「罰」
「法に大小・浅深があるから、招く罰にも大小・浅深がある。… 仏法の中にも小乗・権大乗・法華経と所対に随って軽重があるが、極重の罰は法華経文底の三大秘法に背くことにより生ずる。… ひるがえって思うに、いま御本仏一期の御遺命を自己の名利のために曲げんとしている輩があるが、この罰はいかなるものであろうか、兆はすでに現われつつある。恐れぬ者は大愚者である」(「冨士」第177号 )
5月2日  創価学会、関東・東海道合同本部長会開催。池田大作会長「私どもは、大聖人の御遺命であられる広宣流布のために人生を生きてきた、地涌の眷属である。… 広布のためにはいちだんと僧俗和合でなければならない」
(※ 従来の、創価学会員は "地涌の菩薩" との表現を "地涌の眷属" または "地涌の本眷属" という言い方に変更 )
5月3日  創価学会、池田大作会長著「仏教思想の源流」刊行。
 広布功労者表彰式典開催。池田大作会長、「なによりも御法主日達上人猊下のご健勝、ならびに宗門のますますの興隆をお祈り申し上げるものである。… 御本仏日蓮大聖人の教えどおりの信行学だけは、月々日々に着実に前進させていただきたい」と。
 池田大作会長、山崎正友顧問弁護士に色紙「四面楚歌 君がおわせば 王の道」を贈る。
5月4日  文藝春秋社、「創価学会の変貌」(週刊文春編集部)発行。
5月12日  創価学会、全国県長会議。創価学会版経本の作製中止を発表。(「聖教新聞」5月13日 )
 池田大作会長「本日、僧俗和合について、さまざまな徹底指導があった。令法久住のため、広宣流布のため、その根本である僧俗和合のため、全力をあげてその理想の実現に尽力を」
5月17日  毎日新聞社、サンデー毎日(5月29日号)発売、「学会批判者たちの終焉(1)」(野崎勲副会長)を掲載。
5月18日  創価学会、山口市・大歳支部座談会。池田大作会長「学会員であるとともに、日蓮正宗の信徒としての自覚を忘れてはならない」
5月20日  新東京国際空港 (現・成田国際空港)、開港。
5月23日  創価学会、池田大作会長。初の「国連軍縮特別総会」に提言。
(1)全世界首脳会議の開催、
(2)国連に平和のための資料館(仮称「国連平和館」)の設置、
など核軍縮・廃絶へ10項目の提唱を行なう。
5月24日  毎日新聞社、サンデー毎日(6月5日号)発売、「学会批判者たちの終焉(2)」(野崎勲副会長)を掲載。
5月28日
 妙信講、第20回総会開催(渋谷公会堂)。浅井昭衛講頭、熱原法華講衆の大信心を説き「三年後、日本武道館で大総会を開き、鉄石五万の総力を以って悪の止めを刺さん」と。
「ここに諫暁十年の歩みをふりかえり、私はつくづく思う。妙信講の斗いは、妙信講が勝手に起しているものではない、実に大聖人様が妙信講をして云わしめ、斗わしめておられる、大聖人様が指揮をお取り下されているのだと。されば妙信講は法王の軍勢であります。…
 一方、御遺命を曲げた学会と宗門はその後どうなってきたか。さきほど村岡本部幹事が発表したごとく、今や深刻な亀裂を生じ、醜い争いを生じております。これまさしく自界叛逆・罰の姿でなくて何でありましょうか。 曾っては共同謀議して国立戒壇を放棄し、また一国を欺くあの正本堂ができた時には、池田大作のモーニングと管長の法衣を、将来の記念にと、須弥壇の下に埋めてはしゃいだ、あのなれ合いの姿は今や夢のようであります。まことに妙信講を解散処分にした三年前には想像もつかぬ事態になってきたのです。まさに諸天の働きとはこれであります。… 所詮大聖人の御遺命に背き奉って誰人の身が持ちましょうか。今後たとえ見せかけの和合を一時見せることがあろうとも、ついにはどうにもならなくなること必定であります。 名聞と利養のために大聖人をあなずった者が、御遺命違背の大罰に身震いする時、宗門は始めて御在世の信心に立ち還えるのであります。…
 いま池田大作は再び管長猊下を籠絡せんと、しきりと管長の中国訪問を勧めております。… 妙信講はこれに、前以って強く反対申し上げる。そのゆえは、大事の仏法が政治のために利用されれば法を下げることになるからであります。… 尊き猊座がこのようなことに利用されてはなりません。…
 日蓮正宗の中に、熱原のごとき鉄石五万の大法華講が築かれる時、悪は必ず粉砕されると確信する。されば昭和五十六年、七百年御遠忌の年こそ、まさに大法戦場到着の年であります。その年、妙信講はまず日本武道館で大総会を開く。そしていよいよ鉄石五万の総力を以って、悪の止めを刺そうと私は決意しておりますが、皆さんいかがでしょうか(大拍手)」
 八木直道師、「御遺命を歪曲し大法を悪用し、保身に汲々たる輩においておや。彼らに毒されて御遺命違背を犯しつつある人々を教化し、正しい信心に立ち還らしむることこそ、大慈大悲行であり真の仏子・菩薩行であります」(「冨士」第178号 )
(※ 昭和56年、七百年御遠忌の年、熱原のごとき鉄石五万の大法華講が築かれ "大法戦場に到着" したが、"悪は必ず粉砕"とはならなかった。翌年11月、日本武道館で第23回総会を開催、浅井昭衛講頭は自ら "妙信講" の名を捨て「日蓮正宗 顕正会」と改称、"迷走" が加速して行く。櫻川 忠 )
5月30日
 宗門、寺族同心会。高橋公純師(信正寺)、韓国について猊下にお伺い。細井日達管長、「韓国は、学会に任せてあるから手をつけるな」と。
5月31日  毎日新聞社、サンデー毎日(6月12日号)発売、「学会批判者たちの終焉(3)」(野崎勲副会長)を掲載。
5月 日  大陸書房、境忠雄(志茂田景樹)著「法城壊滅の日」を発刊。
6月2日
 妙信講、教学部二級部会。「依義判文抄」講義。
6月7日  毎日新聞社、サンデー毎日(6月19日号)発売。「学会批判者たちの終焉(4)」(野崎勲副会長)を掲載。
6月8日
 宗門、反学会僧侶代表。創価学会青年部幹部と、教義問題について堅持院で会談。
6月14日  毎日新聞社、サンデー毎日(6月26日号)発売。「月刊ペン事件差し戻し審 … 隈部被告に有罪判決」を掲載。
6月15日
 妙信講、松本日仁能師一周忌法要奉修(顕正寺)、記念碑を境内に建立。
 浅井昭衛講頭「妙縁寺の総代であり、現在の法華講連合会委員長である佐藤悦三郎に対して『事の戒壇がどういうものかは、すでに御書と日寛上人の御指南で明らかである。これは誰がなんといおうと動かすことはできないものである。いま妙信講の為していることは、本来ならば我々僧侶がやらなければならぬ御奉公である。もし百年後に、あの時僧侶は一人として立たなかったではないか、御遺命を守らなかったではないか、と云われたら恥になる。それでは大聖人様に申しわけがない』と、御自身の決意を述べておられました。かくて、覚悟の前とはいいながら、翌十二月に苛酷な擯斥処分を受け、耐え忍び、昭和五十二年四月、法廷斗争の大勝利を御覧になり、将来のすべてを託され、安祥として霊山へ旅立たれたのであります」(「冨士」第179号)
6月19日
 宗門、質問状を創価学会に送付。全国僧侶の報告に基き作成した、34項目の教学上の質問状「創価学会の言論資料について」を送付し、回答を求む。(「蓮華」7月号 )
「振り返ってみると、創価学会の教義の逸脱は、昭和四十八年頃より顕著となり、同五十二年に、その極に達したと見られるのであるが、その指向する到達点は、いわゆる『会長本仏論』であったと言っても過言ではないのである。もちろんこの間に、宗門僧侶の中からも指摘の声があったが、そのつど、学会の強力な圧力により隠蔽され、その結果として、正論を述べた僧侶が吊るし上げにされるという事態にまでなったのである。…
 こうした経過の中で、昭和五十三年六月十七日、全国の僧侶より寄せられた学会の逸脫事項を、質問形式にまとめて学会本部に提出し、回答を迫ったのであった。これは創価学会が池田体制になってからの、宗門当局から初めての正式な批判であり、もちろん、その回答の如何によっては、学会との分離もやむなし、との当時の御法主日達上人のもと僧侶一同の強力な意志によって提出されたのであった。そういう意味では、回答の欺瞞性とは裏腹に重要な意味を持つものであった」(「『創価学会の言論資料』の解説」小川只道師「暁鐘編集室」 )
(※ 「創価学会の教義の逸脱は、昭和四十八年頃より顕著」と、正本堂の "教義逸脱" を隠し、なかったことにしている。櫻川 忠 )
6月21日
 宗門、法性寺移転新築落成法要。細井日達管長、「信心しておっても、謗法をすれば帳消しになる」と、暗に創価学会の謗法与同を批判。(「大日蓮」8月号 )
6月27日  創価学会、第10回教学部師範会議を開催。宗門からの"質問状"(19日付)に対する回答を審議、「質問状」に対し宗門に回答。
 全国総務・県長会議開催、池田大作会長「さきに師範会議で、教義についての討議、発表がなされました。また、全国総務・県長会議では、僧俗一致を原点として広宣流布のためへの具体的な諸事項が検討、決議されました。これらの機関で確認、決議された事項については、私もまったく同じ気持ちであります。… 広布万年の盤石な僧俗一致の基盤を、いまこそ深く確立しなければなりません。… 私たちは、末法の御本仏日蓮大聖人の正統としての日蓮正宗を外護し、流布しゆく地涌の眷属の使命のうえから、… 私は御法主日達上人猊下のご指南を仰ぎ、ひたすら理想的な僧俗和合を築き、広宣流布、令法久住のためにいちだんと尽力していきたい。それが法華講総講頭としての私の責任でもある、 … 根本の聖地が、戒壇の大御本尊まします総本山大石寺であることは当然の理であります。どうか、皆さんも地元に帰られて、学会はこの路線でいくことを御尊師の方々にも申し上げていただきたい。御尊師の方々も、この私どもの気持ちが通ずれば、安心してくださり、会員を慈しみ、守ってくださることと信じております」
6月29日
 宗門、全国教師指導会開催。細井日達管長、創価学会からの質問状回答を公表し、「最近の問題はこの辺で納めてもらいたい」と、反学会先鋭僧侶を説得。
「みんな、了解してくれてありがとう。今後こういうことにおいて、まちがったことがあって宗務院で気が付かなければ、諸君から注意してもらいたい。即座に学会へ注意いたします。… (本尊模刻事件について)学会の方で板御本尊に直した所があります。それは私が知らなかった。しかしあとで了解をして、こちらも承認したのだから、そういうことをつついて、お互いに喧嘩しないようにして貰いたい。…
 又お寺においても、学会員を無理矢理お寺の檀徒にするということはしない。これは学会との約束であります。これを守ってもらいたいのです。或るところでは、檀徒についた人を中心として学会の方の総代を集めて、"さあ、論争しろ、論争して勝った方に付け" といったお寺が二軒ばかりあったらしいが、そういうことは慎んでもらいたい。… 或る所では、こちらの信徒の団体へ早稲田大学の"嘆異抄研究会"という団体が … 論争しようと言ってきた。信者だけではダメだから花野充道に行けと命令しました。… そこで充道が出ていったら向こうは閉口して … 逃げてしまった。… ただ今の回答では、まだ満足しない人があるだろうけれども、 … 最近の問題はこの辺で納めてもらいたいと思います。どうですか、諸君。(拍手)」(「蓮華」7月号 )
「六月二十九日、創価学会からの回答を一読して失望したのは、当時の学会の言論資料を見れば明了であるように、そのほとんどが池田前会長の発言であるにも関わらず、本人の謝罪釈明が全く見られないことであった。この回答が単にうわべだけの、欺瞞に満ちたものであるかは、この後の十一月七日の学会幹部のお詫び登山、… 会長辞任等の経過、いきさつが、如実に物語っているのである」(「『創価学会の言論資料』の解説」小川只道師「暁鐘編集室」 )
「教師指導会終了後、阿部師が即刻この会合の結果を学会に連絡したことを聞き、日達上人は激怒、内事部において大勢の僧侶を前にして、『こちらから通報するなんて阿部はとんでもない、学会にべったりでどうしようもないヤツだ。向こうが聞いてくるまでほおっておけばいいんだ』と声を荒げられた」
6月29日  月刊ペン、第15回公判(判決公判)。東京地方裁判所、被告 隈部大蔵に懲役十月・執行猶予一年の判決(第1審判決)を下す。 隈部大蔵、これを不服としてただちに控訴。
「一審判決が容易にくつがえるはずがないとの見通しから、創価学会はこれで "一件落着" と判断した」(「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友」
6月30日  創価学会、聖教新聞(第4面)、「教義上の基本問題について」( 通称「6.30」)として、質問状に対する "回答" を掲載。いわゆる「52年路線の教義逸脱」を、自己批判したポーズを取った。
「(1) 血脈について
 「大聖人直結」ということについては、… 御本尊に南無し奉り、境智冥合するとの意味で述べたもの … 唯授一人、遣使還告であられる御法主上人猊下を通して大聖人への直結は当然である
 (2) 戸田前会長の "獄中の悟達" について
 日蓮大聖人の御内証と同じであるとか、大聖人の仏法とは違う仏法を創造したと受け止めてはならない … 「己心の久遠の仏としての生命を覚知した」… そうした言葉は使わないようにしたい
 (3) 本仏論について
 学会には本来、会長本私論などということは絶対にない。… 会長に関して『久遠の師』という言葉を使った場合があるが、… 行き過ぎた表現であった。… 今後、こういう表現を用いない
 (4) 僧俗の関係について
 出家仏教に対して在家仏教を立てるというような印象を与え、結果的に正宗の伝統及び御僧侶、寺院の軽視につながる論拠を与えたことはまことに遺憾である。そうした考えはもとよりない
 (5) 社会への展開について
 実践の教学として社会に仏法を応用展開してきたが、… 宗門伝統の教学に対し、配慮のいたらない部分があった … 「創価仏法」という表現自体は避けるようにしたい」
「後に、日蓮正宗からの抗議で、昭和53年6月30日 『信徒は供養を受けられない』と、自己批判と訂正の記事を聖教新聞に掲載せざるをえなくなった。そこで、脱会者から学会を相手に、『特別財務返還』の集団訴訟が起こされるに至った」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
「その年の六月三〇日付『聖教新聞』に、『教学上の基本問題について』が掲載されましたが、その三日前から、急遽、一番目立たない頁として四面に掲載することとして、しかも、それを三回ぐらい教学のページとされたのは、ほかならぬ先生であり、先生から指示を受けて私がやったのです。その後、山本伸一作詞、作曲の歌で、会員の目先を変えたのは、先生が『6・30』じたいを不満とされた証拠です。先生ご自身がご不満であれば、会内に徹底されないのが当然ではないでしょうか」(「池田先生への手紙」原島 嵩 )
6月 日
 宗門、細井日達管長、「蓮華」誌(第87号)に「質問状」(6月19日付)の掲載を許可。
6月 日  隈部大蔵、東京地方裁判所の有罪判決を不服として、東京高等裁判所に控訴。
7月2日
 妙信講、男子部幹部会開催。昭和56年に三千名結集を誓願。
 浅井昭衛講頭、宗門と学会の教義上のやりとりについて「最も重大な御遺命違背・国立戒壇放棄には、双方とも一言もふれてない。八百長である。宗門に学会を責める資格はない。池田も宗門も、大聖人に懺悔しお詫びしなければならぬ」と。
7月2日
 妙信講、女子部幹部会開催。昭和56年に千三百名結集を誓願。
7月5~8日
 妙信講、本部指導会開催。延べ1千3百余名参加。
7月13日
 宗門、反学会派僧侶。創価学会の "お詫び姿勢" の曖昧さを見て、末寺の御講で一斉に創価学会を激しく批判。
7月20日
 宗門、花野充道師、岡本薫(稿)「『日蓮の本仏論研究』の誤謬を糺す」を刊行。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催。総世帯数2万2千を突破。
 浅井昭衛講頭「『時の貫首たりといえども仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざること』の一条こそ、広布前夜の魔の眩惑・非常事態から、仏法を守り正系門家を守るための日興上人の至上命令である」と。
7月27日  新潮社、「週刊新潮」に創価学会批判記事掲載、池田大作会長の「マジック事件」の現場写真を公開。
7月29日
 宗門、細井日達管長、花野充道師を法華講連合会青年部の指導講師に任命。(「大日蓮」9月号 )
7月29日
 宗門、法華講連合会登山会。細井日達管長「人に折伏だとか、教化するということは、結構であります。それよりもまず、自分の信心を確固として持たなければ、いかに折伏しても本宗の折伏とはならない」と、創価学会の折伏を批判。(「大日蓮」9月号 )
7月30日
 宗門、細井日達管長、同登山会で「信心があれば、謗法をしてもよいのだと考えることはもっての外で、大聖人からの法体の血脈相承を無視した、信心の血脈の流れにも浴しない者であります」と、創価学会の謗法容認を批判。(「大日蓮」9月号 )
7月31日
 妙信講、教学部二級部会。「末法相応抄」講義。
7月 日  光風社書店、境忠雄(志茂田景樹)著「小説幻想産業」発刊。「大寄進」「偶像の護衛者」「俗物教祖」の3編を収録。1980年、書名を「俗物教祖」と改題。
8月1日
 宗門、佐野知道師(浄信寺)、「創価学会言論資料集」を発行。この類書、反学会の末寺において、頻りに発行される。
8月1日
 妙信講、「富士」巻頭言、浅井昭衛講頭「再建満二十一年の夏を迎えて
「正法に魔障は付きものである。ことに広宣流布前夜ともなれば魔は必ず正系門家の隙を窺う、そしてあるいは指導者等の心中に入って正念を狂わせる。この結果が七百年来の御遺命の放棄・正本堂の誑惑となって表われた。… この時、法を惜むゆえに、この非違を糺し正系門家に国立戒壇の正義を蘇らせんと、必死・不退転に云いつのる者があれば、魔は必ず憎もう。『鹿は味ある故に人に殺され、亀は油ある故に命を害せらる』と。まさに妙信講は広布前夜の大悪をくだき、目師御出現の露払いを為す講中なるゆえ、天魔これを憎んで、出発の始めより怨嫉が競いおきたのである。大聖人の御守護なくば、とうてい講中の命脈を持ち得るものではなかった。… 星霜ここに二十一年、使命を果すべき時はいよいよ近ずいた。人類を救うべき唯一の正系門家が、いつまでも魔にたぼらかされて正本堂の誑惑を続けてよいものか。大聖人はお待ち遊ばしていらっしゃる。この一事に身命を賭して、何の悔いがあろうか」(「冨士」第180号 )
8月1日  創価学会、「大白蓮華」8月号発行、「6・30 教学上の基本問題について」再掲。
8月3日
 妙信講、教学部二級部会。「当流行事抄」講義。
8月4日
 宗門、行学講習会(総本山)。細井日達管長、「最近はまた、よく新聞や雑誌に出ている解り易い教義を、正宗の真実の教義と思ってそのまま使用して、正宗の教義そのものを忘れてしまう。誠に残念なのであります」と、僧侶が創価学会の教義解釈に順ずる風潮を批判。(「大日蓮」11月号 )
8月10日  創価学会、熊本・大分・宮崎三県合同幹部会。池田大作会長「九州のいっそうの信心の前進と功徳あふれる楽土建設のために、これからもどこまでも御本尊根本に、僧俗和合しながら、晴れがましい人生、歴史をつくりあげていってほしい」
8月12日
 妙信講、解散弾圧四周年記念幹部会開催。浅井昭衛講頭「解散の弾圧以後、諸天の働きによって池田の誑惑は崩れ出した。宗門と学会の抗争を見よ。細井管長は自ら『学会を誹謗すれば罪を無間に開く』という訓諭を破っている。正本堂の誑惑は宗門と学会の共同責任である。御遺命違背を責める資格は妙信講のみにあり、妙信講に与えられた仏勅である」
8月12日  日中平和友好条約調印、1972年の日中共同声明を踏まえ、日本と中国の外交関係の発展のため締結された平和条約。
 第1条で主権・領土の相互尊重、相互不可侵相互内政不干渉、第2条で反覇権を謳い、第3条で両国の経済的・文化的関係の一層の発展を記述している。
8月15日
 宗門、「大日蓮」8月号。細井日達管長、"創価学会本部常住の板本尊以外の、7体の本尊模刻については関知していない" と表明。
8月20日
 妙信講、折伏講習会開催(豊島公会堂)。浅井昭衛講頭、三世の生命について講義。2千2百名が参加。
8月26日
 宗門、細井日達管長、高橋公純師(信正寺)に目通り。「韓国に数万の檀徒ができました。何卒宗務院の力で、これらの人を救ってやって下さい」との伺いに、「宗門としてはできない。信正寺個人としてやれ。出張所を作ってもいいじゃないか」と。
「三カ月前、猊下より手をつけるなといわれた韓国布教に対して、公に許可が下ったのも同然である」(「覚醒運動の興亡」)
8月26~27日
 宗門、第1回全国檀徒(学会脱退者)総決起大会開催(大石寺)、6千4百名が参加。細井日達管長、創価学会脫退者を激励し、創価学会の教義解釈を批判。
「決議事項
 1.池田会長を総講頭罷免の署名運動
 2.昨年1年間の特別財務の返還運動
 3.「人間革命」等学会系書籍を買い戻させる
 4.シナノ企画から買わされた映写機8ミリフィルムを買い戻させる
 5.学会員の再折伏」
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭「国立戒壇の放棄と正本堂の誑惑は、宗門意志として責任役員会で議決されたことになっている。三人の責任役員は早く、これを取り消さなくてはいけない。大聖人の御眼と臨終を恐れよ」
8月26日  創価学会、第8回東海道本部長会開催。池田大作会長、脱会して檀徒となった者と、争わぬよう指示。「大御本尊を根本として、学会以外の檀家、信徒もいる。すべて仏子であり、互いに包容しあっていかなければならない」と。
8月30日
 宗門、教師講習会開催。細井日達管長「折伏しない者は地獄に堕ちる、という御書を私は見たことがない。この間、学会からこちらからの質問に対する回答があった。あのように質問状をきちんと出した。あれこそ折伏なのである。『法華折伏・破権門理』。権門の理を破してこそ、折伏ではないか。… そのように、教義の間違ったことは、遠慮なくどこまでもやってもらいたいと思います。そうでなければ、いかに日蓮正宗が大きくなろうとも、教義が間違ってしまう。…
 また、『池田会長に法衣を着せれば即大聖人様だ』、などという僧侶がいる。私はびっくりしました。… 全く情けないではないか。… そういう人がいるから日蓮正宗の教義がおかしくなってくるのであります。… 諸君こそ、日蓮正宗を守っていく人なんだから、どうかそのつもりで自ら勉強し、… 教義を曲げないで、心にきちんと留めて、勉強していただきたい」(「大日蓮」11月号 )
8月31日  創価学会、学生部総会(立川文化会館)開催。
 池田大作会長「私も会長になって18年になる。私を追いこもうとする作用がある … 会長が本仏だなどというのはデッチあげである、まずいことは、まずいことで訂正すればいい … 学会が悪いところは全部訂正している。猊下は何度も学会と仲良くしていこうと言っている … 猊下の言ったことを聞けないのか、… 私が出席しないと福運がつかないんだよ … 学会の境涯は大きすぎる、だから回りには解らない」
8月31日   週刊文春、第1回 "全国檀徒総決起大会" の記事掲載。「6千人が大石寺に集まって "反池田教" 決起大会の五項目」の見出しで、「この檀徒大会では、池田会長の法華講総講頭罷免要求の署名運動、学会員を檀徒にするなどの方針が決められた」(「同誌」9月7日号 )
8月 日  創価学会、「大道商事」の商号を「日章」と変更。
「登記簿謄本によれば、代表取締役(社長)は佐藤武一だ。創価学会員である。役員には、戸田城聖と森重紀美子(戦前からの戸田の愛人)の子供=光生(みつおき、故人)の妻、森重裕子も名を連ねている。監査役は学会の有力顧問弁護士の福島啓充。業務目的は損害保険代理業、金銭の貸付、不動産の売買、手形割引、出版、有価証券投資、和洋紙の販売などである」(『宝石』96年7月号) 」
9月 日  週刊誌各誌、「全国檀徒総決起大会」の関連記事を一斉に掲載。
 週刊文春(9月14日号)「創価学会のバイブル、池田大作『人間革命』にはこんなウソがある」
 週刊ポスト(9月15日号)「六千人の幹部が造反した学会の内紛」
 週刊現代(9月21日号)「竹入義勝公明党委員長は”堕落”した」
 週刊ポスト(9月22日号)「学会の財源問題で矢嶋秀覚元理事長が爆弾発言!」
 週刊ポスト(9月29日号)「学会の内紛問題は海外会員にまで波及した」
(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
9月1日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭「日興上人の二十六箇条は、日蓮正宗の憲法である。妙信講の仏法守護の御奉公も、この御遺誡による。学会の内部崩壊・檀徒会等の動きは、完結に至る一過程として、まず学会を罰するべく諸天が起しているものである」
9月2日
 宗門、宗門学会連絡会議。細井日達管長、創価学会が模刻した数体の本尊について、池田会長に「そんなものは人目にさらすな。金庫の中にでもしまっとけ! 」と。(「本尊模刻事件のすべて」継命新聞社 )
9月2日  山崎正友顧問弁護士、「海外について」を細井日達管長に提出、創価学会の海外組織を切り崩し檀徒化する方策を示す。
9月3日  創価学会、本尊模刻を認める記事を、聖教新聞に発表。
「聖教新聞で前日の連絡会議を報道。日達上人より、今まで本部として謹告させていただいた数体の板御本尊について、『すべて学会本部に宝物としてお納めくだされば結構です』との話があった、と伝える」
「あの記事は池田会長の指示で掲載されたんです。しかしそのことが学会にとっては、大失敗だったんです。猊下は『恥さらしになるから極秘にしまっておけ』という意味のお話をされました。にもかかわらず、こともあろうに『宝物』などと書くんですから」(「継命」原島 嵩 80年9月15日号 )
9月 日
 宗門、法華講東京第二地方部総決起大会、菅野慈雲師(大宣寺)「(連絡会議の)数日後、突然、北條理事長から私のところに電話があり、『謹刻した御本尊について、… 学会としても置く場所もないので、どうしたら良いものか』という話がありました。… 私は即座に『総本山にお納めするのが一番良いのではありませんか』と申したところ、北條理事長は『… 大宣寺へお運びしますから、よろしくお願いします』とのことでした。… すぐこのことを日達上人に御報告申し上げましたところ、上人は少しためらっておられましたが、『学会でそうしたいと言うなら、そのようにしなさい』との御返事を下されました」
9月7日  創価学会、第23回全国県長会議、池田大作会長「われわれは宗門を外護していく立場として、いかなることがあったとしてもけっしてあらそってはならない。永久に僧俗和合していくことが、私どもの根本精神であることを銘記されたい」
9月11日  創価学会、第4次訪中団、池田大作会長、宗務役僧ら一行、大阪空港より中華人民共和国に出発。宗門を代表し、野村学道宗会議長・椎名法英重役・尾林広徳副支院長が初参加。
 創価中学・高等学校教職員組合、池田大作会長に公開質問状提出。
「一、無資格の教員が教科を担当している。
 二、必須教科の授業を行っていない。
 三、創価学会の宗教行事のため、授業日数が圧迫されている。
 四、池田氏によって運営が左右され、ことにその意を代表する校長の独裁が行われ、理事会や職員会議が全く無視されている。
 五、教員は、労働基準法に全く違反した過酷な勤務条件を強いられ、創価学会の宗教行事を強制される。私生活も学校内の行動も、すべて創価学会の組織で監視される。
 六、入学試験において、信仰によって差別が行われ、又、経済状態によって差別が行われている」
「こうした動きは、当時の第一次宗創戦争とも絡め合わせながら、マスコミが大きく取り上げた(「週刊ポスト」1978年9月29日号など)こともあって、大いに池田大作をうろたえさせることになる。… ここに出てくる「創価学会の宗教行事」というのが、「栄光祭」をはじめとする、池田大作が学園に足を運ぶ際に行われるセレモニーである」(「カルトとしての創価学会=池田大作」古川利明 )
9月13日
 宗門、高橋公純師、「日蓮正宗信正寺、第一次韓国授戒団覚書」を作成。
「韓国に日蓮正宗が渡って既に十年、それまで創価学会の指導下にあった信者は、一切寺院や僧侶と無関係に教育され、本尊はまあまああとして、授戒などという事は名前すら知らなかったのである。それが突然、日蓮正宗の僧侶が七名も渡韓し約五日間御授戒をし、各会館に特別御形木御本尊の入仏式をやるというのであるから、韓国の檀徒はその覚書を手にして、ワァーという大歓呼をあげたのも無理はない。… もし何の抵抗もなく韓国にいって授戒をすれば、すべて檀徒にする可能性はあった。そうなれば、二十年近く指導して来た創価学会の面目が立たない。ここにすさまじいばかりの反撃が、韓国と日本とにおいて始まったのである」
9月14日
 宗門、反学会僧侶代表、創価学会幹部(野崎・原田・原島)と寿福寺で会談。僧侶側の明確なる "お詫び" 要求に対し、創価学会側は11月下旬まで猶予を求む。
「1.会長を含めて自分たちは増上慢であった。
 2.御本尊の模刻は8体である。
 3.学会の中で直して行く、2ヶ月待って下さい」
「私も御本尊の問題について、大いなる疑問をもたざるをえません。私が知っていた本尊の模刻の件数は八体です。そこで、いわゆる寿福寺会談では『八体です』と答えたわけです。しかしこれはあくまで私が知っていた範囲内でのことです。… 秋谷副会長が『余計なことを言ってくれた』などと言っていたようです。『あいつは甘いんだ』と」(「継命」原島 嵩 80年9月15日号 )
9月20日
 宗門、反学会僧侶。創価学会の本尊模刻事件を、未曽有の大謗法と宣伝。(「勇猛」無辺寺檀徒会会報 )
9月23日  創価学会、本部幹部会(立川文化会館)。池田大作会長、「学会員が五万や六万減ったって、どうということはない」と。
9月24日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。文書『現下の状勢について』『海外について』を、細井日達管長に提出。
「両文書とも、『情勢は宗門側にとって極めて有利に、学会側にとってはことごとく作戦がはずれた形ですゝんでいます』との分析をベースに、国内外にわたる檀徒作りについての作戦を、微に入り細にわたり指南している」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
9月25日
 檀徒会、「第一回日蓮正宗全国檀徒総決起大会紀要」発刊。
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会開催、折伏成果 705、総世帯数 2万3千を突破。浅井昭衛講頭「折伏こそ開目抄の実践である。折伏で積んだ功徳は誰人も壊せぬ」
 男子部主任幹事に、新井絋司任命さる。
9月27日
 宗門、法華講連合会婦人部大会開催。細井日達管長、「よく聞きますが、私は百万遍唱えたとか十万遍唱えたとか、自慢する人がおりますが、それは本宗の信心ではない。信心なくして、何万遍唱えてもしょうがない」と、創価学会を批判。(「大日蓮」11月号 )
9月28日  創価学会、模刻本尊八体のうち、七体を総本山に納める。
「夜の十二時近くに中西治雄総務から、「これから本部を出ますのでよろしく」との連絡を受け、… 中西総務と山崎顧問弁護士が付き添ってきましたので、車から大宣寺の応接間に運び、七体の板本尊と、記名された書類を引き合わせて間違いのないことを確認して中西さんと山崎さんには帰ってもらいました。早速、お預かりした模刻本尊を大宣寺のワゴン車に積み替えて、御本尊のお伴をして本山に向かい、午前6時30分ごろ着山しました。ちょうど大坊の朝の勤行が終わった頃であったと思います。日達上人が内事部に御出仕になり、主任理事の光久諦顕師立会いのもと、これまでの経過報告をして模刻本尊七体をお届けして帰ってまいりました」( 菅野慈雲師 法華講東京第二地方部総決起大会 )
9月29日
 宗門、主任理事・光久諦顕師の指図により、七体の板本尊を奉安殿に収納。
 創価学会が模刻し、発覚・判明している板本尊の脇書、
(1)大法弘通慈折広宣流布大願成就(日昇上人)
(2)賞本門事戒壇正本堂建立 昭和四十九年一月二日
(3)ヨーロッパ本部安置
(4)御守り本尊 昭和二十六年五月三日(日昇上人)
(5)会長室安置 昭和四十二年五月一日
(6)創価学会文化会館安置
(7)アメリカ本部安置
(8)創価学会関西本部安置 昭和三十年十二月十三日(日昇上人)
(※(1)は細井日達管長が開眼、創価学会本部に安置 )
9月 日  週刊誌各誌、創価学会関連の記事の掲載続く。
 週刊現代(10月5日号)「創価学会・公明党の最高機密漏洩ルート」
 週刊ポスト(10月6日号)「創価学会と宗門の対立はまさに泥沼だ」
 週刊ポスト(10月13日号)「『特別財務1500億』をめぐる学会と宗門のツバぜり合い」
 週刊ポスト(10月20日号)「創価学会と全国193日蓮正宗末寺の亀裂」
 週刊ポスト(11月24日号)「池田会長の『お詫び登山』で残った学会の課題」
 週刊現代(11月30日号)「『抗争=大石寺と学会』が和解の生臭すぎる真実」
 現代(昭和54年1月号)「宗門と学会の偽装和解を衝く」
 週刊ポスト(12月22日号)「学会の和解は偽装だ ―― の問題点を指摘する」
 週刊ポスト(昭和54年1月1日号)「学会はやはり池田教ではないのか」
 週刊ポスト(1月5日号)「池田会長の独裁体制を洗い出す」
「これらのマスメディアを、裏で直接間接に操ったのは終始一貫、山崎である。… 昭和53年末ごろまで、マスメディアの創価学会攻撃は尽きることがなかった」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
10月3日
 宗務院、創価学会の本尊模刻事件に関し、一切の論議を禁ずる旨の院達を、全教師宛に発布。
「全国寺院教会住職主管教師僧侶各位 … 依って、今後は学会の板本尊のことに関しては、一切論議を禁止する旨、御法主上人猊下より御命令がありましたので、充分御了知下さるよう願います。… 右、通達いたします」(院達第2915号)
10月8日
 宗門、海外局を廃止。
10月8日
 妙信講、初の大牟田支部大会開催、70名が参加。
10月12日
 宗門、本門戒壇の御本尊建立七百年法要。
14~15日
 宗門、熱原法難七百年記念法要奉修。池田大作会長ほか代表幹部、記念法要に参列。
10月15日
 宗門、花野充道師等、細井日達管長の意を受け、法華講連合会機関誌「慧燈」を発刊。頻りと妙信講を批判。
 常修寺檀徒会、パンフレット「真実の僧俗一致のために」発行。この種の創価学会批判文書、全国の反学会寺院より多数刊行される。
10月15日
 妙信講、大阪地方第2回大会開催(大阪府立労働センター)、100名が参加。
 高知支部第2回大会開催(高知県民センター)、161名が参加。
10月21日  創価学会、10月度本部幹部会(第229回)開催、池田大作会長「われわれは正信を貫いていくためにも、どこまでも僧俗和合でなければならない。そのためにも、御宗門からの学会に対する御指南は全部うけたまわって、和合のために、後世のために従っていきたい」
10月26日
 妙信講、10月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭、「広宣流布・国立戒壇建立は、御本仏の未来記であれば虚妄となるはずはない。十一月の一千折伏実現は、広宣流布を推進する実力団体の誕生を意味する」と。筆頭理事に、小木義馬任命さる。
10月28日
 宗門、高橋公純師。信正寺住職と、韓国へ一週間の親教。
「私達はソウルをふり出しに、三十八度線近くの坡州、議政府、大田、麗水、釜山と回ったが、… 宗門から行っていいという許可があって行ったのに、宗門から罰せられるという。うわさや怒号を背に受けながら、逃げるようにして走った他国の一週間であった」(「覚醒運動の興亡」高橋公純師 )
10月29日
 妙信講、群馬支部第4回大会開催(富岡中央公民館)、111名参加。
11月1日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭「いまの宗門・学会の内紛は、御遺命を曲げた罰の姿である。妙信講の戦いの進展に伴って、諸天が大聖人の御眼を恐れて動き出しているのである。妙信講は誰にもへつらわない。うまく立ち回ろうとは思わない。御遺命が抹殺されんとしたゆえ、解散・除名の弾圧もいとわず立ち上った。これ法を惜しむ一念だけである。将来ともに妙信講はどうなってもよい。正系門家に国立戒壇の正義さえ蘇ればよい。これが妙信講の精神である」
11月1日  創価学会、11月度東京支部長会開催、池田大作会長「未来万年にわたる広宣流布の基盤を築くためにも、われわれはどこまでも僧俗和合で前進していかねばならない」
11月2日
 宗門、反学会僧侶代表5名 (渡辺・佐々木・秋山・坂井・菅野)。創価学会代表4名 (山崎・原田・野崎・原島)と、ホテルニュージャパンで会談。創価学会側、11月7日の和解内容を提示。
11月3日
 宗門、反学会僧侶等。東京で集会を開き、創価学会の11月7日の "お詫び登山" の欺瞞性を警戒し、激論を交す。
11月 日
 宗門、怪文書が宗内に出廻る。創価学会の和解姿勢を偽装とする文書「日蓮正宗全僧俗に訴う」、創価学会に対し全国僧侶に警戒を促す。
11月7日
 宗門、全国教師総会(併・創価学会代表幹部会)開催(大石寺大講堂)。
 池田大作会長、幹部2千人を引き連れお詫び登山。( 通称「11.7 お詫び登山」)
 北條浩理事長「私ども創価学会といたしまして、以下の二点を率直に認めるものであります。すなわち、第一に、学会のここ数年の指導、進み方、教学の展開のなかに、正宗の信徒団体としての基本がおろそかになっていたこと、第二に、昨年のような学会の行き方は行き過ぎがあったこと、以上の二点を私ども学会は、とくにわれわれ執行部は、深く反省するものであります」と、52年路線の誤りを包括的に反省。
 辻武寿副会長「第一に、… 今後、御本尊に関しては、こうしたことも含めて、お取り扱い、手続きなどは、宗風を重んじ、一段と厳格に臨んでまいりたいと思います。…
 第二には、唯授一人、血脈付法の猊下のご指南に従い、正宗の法義を尊重してまいります。…
 第三に、… しぜんに会長への敬愛の念が培われてきましたが、… その心情を表わすのに、行き過ぎた表現は避けなければなりません。… 在在諸仏土常与師倶生とか、如来如実知見とか、大導師とか、本来、仏にのみ用いる言葉を、私どもの立場にあてはめることは、厳に慎むべき」
 池田大作会長「先程来、理事長、副会長等から、僧俗和合の路線の確認、その他の問題について、いろいろと話がありましたが、これは総務会議、県長会議、各部最高会議の全員一致による決定であり、また私の決意であります。… これまで、いろいろな問題について行き過ぎがあり、宗門をお騒がせし、またその収拾にあたっても、不本意ながら十分な手を尽くせなかったことは、総講頭の立場にある身として、この席で深くおわびいたします」と、正式に謝罪。
 細井日達管長「信徒が寺院を非難中傷し、圧迫するようなことがあれば、僧侶はまことに悲しい思いをいたして、否応なく反論しなくてはならないのであります。賢明なる幹部の皆様がこの辺をよく理解の上、正しい寺檀関係の確立に努力されるなら、各僧侶も信頼と感謝をもって応えるにやぶさかでない。大聖人以来、七百年間守りつづけてきた伝統の教義の根本は、あくまで守り伝えなくてはならない。これをふまえなかったらば、かりにこれからいくら勢力が増しても、広宣流布は見せかけのものであったのか、との後世の批判を受けよう。今日以後、真の僧俗の和合を実現して、我が宗門を守って頂きたい」(「大日蓮」12月号・号外 )
「お詫び内容について、活動家僧侶の代表と、学会の代表の間で話合いがもたれました。その席上、お詫び内容に本尊模刻の件が一切ふれられていなかったため、活動家僧侶の代表から『あれだけ御本尊のことで迷惑かけたのだから、… 御本尊のことは申しわけなかったと一札入れなさい』との主張が強硬になされたのでした。これを受けて学会側は、辻副会長の発言の中に、『御謹刻申しあげた御本尊については云々』と入れ、初めて公式に本尊模刻の謗法を犯したことを認めましたが、不誠実かつ不鮮明な文面から見ても分るとおり、何とかその場をごまかそうとしたのです。この原稿に対し日達上人は、『謹刻した御本尊云々』では、謗法の意がつかみにくいと思われたのか、『不用意に』との一語を挿入され、最終的に『不用意に御謹刻した御本尊云々』となさったのです」(「池田証言ハイライト」継命新聞社 )」
11月7日
 宗門、"お詫び登山" の後、全国僧侶集会開催。細井日達管長、宗内に創価学会批判の中止を命令。「一・二年、学会を見て、もしまた同じようなことが繰り返されたら、それが最後だ。その時は僧侶が、一丸となって学会と立ち向かう
 創価学会、"お詫び登山" 後に県長会開催。池田大作会長「僧侶の前で私に頭を下げさせたが、私は広宣流布・令法久住・全学会員を思うが故に、頭を下げたのだ。必ず五年から十年の間に、私が今何をやって来たか、わかる時が来る。その時は坊主ども全員に、頭を下げさせてみせる」
11月8日  創価学会、「聖教新聞」紙上で "本尊模刻" を、創価学会員に公表。
「不用意にご謹刻申し上げた御本尊については … 奉安殿にご奉納申し上げました」(「同紙」11月8日号 )
11月10日  創価学会、泉州文化会館開館記念勤行会、池田大作会長「毎日お話していることだが、僧俗和合についての基本指導の徹底を願いたい。この正しい永久的な路線の確立のために、最大の協力をしていただくよう、重ねてお願い申し上げる」
11月14日
 宗門、海外部を設置。海外信徒の信心指導の権限を、創価学会から取り戻す。
「山崎は、創価学会の海外組織を切り崩し檀徒化する策を、『海外について』(昭和53年9月24日)という密書を認め、細井管長に出している。この『海外について』に基づき、同年11月17日、日蓮正宗に海外部が設置された。山崎は細井管長へ、この初代海外部長に菅野を推挙し、細井管長のご機嫌を取り結び、みずからは菅野を裏から操ろうとした」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
11月18日  創価学会、創立48周年記念 第230回本部幹部会開催。数珠のかけ方を変更、これからは僧侶に合わせて右手に三本、左手に二本とすると発表。
 池田大作会長、「つねに申し上げていることでありますが、僧俗和合がなければ、絶対に広宣流布はありえないというのが、私の信念であります。ゆえに、宗門を外護して永遠に僧俗和合の路線を精進することを、学会永久の指針としておきたい」
11月19日
 宗門、涌化寺檀徒大会開催。反学会僧侶が多数出席。
11月23日
 宗門、讃岐本門寺御会式。細井日達管長「よく、お寺にお参りすると"寺信心だ"と言って悪口を言う人がございますが、そういうことはまちがいでございます。…『お寺に行くから悪い』とか『お寺信心だ』などと悪口を云うのは、むしろその人達は仏法を馬鹿にした謗法と考えてさしつかえない」と、創価学会幹部の言動を批判。(「大日蓮」2月号 )
11月23日  週刊現代、「和解の生臭すぎる真実」を掲載。宗門と創価学会について、抗争も和解も金銭ゆえとする。「ハタからみて、どうにも解せなかったこの抗争と和解も、カネというフィルターを通してみれば、極めてスッキリと見えてくる。… 本山と学会の戦争は、昨年の正月、学会側が『寺へ行かなくてもいい』と言い出したことで決定的な火を噴き、昨年六月には大石寺への登山ストップにまでこじれた。その背景については、いろいろいわれているが、一言で片づければカネをめぐる対立である」(「同誌」11月30日号 )
11月26日
 宗門、法華講連合会第4回青年部大会開催。細井日達管長「最近よく、本山で戦争中、天照大神のお札を貼ったとか、拝んだとかで、それだからして、本山の血脈相承がどこかへ飛んでいってしまった、というようなことを言っている人がままあります。… そこは大書院ですから、御本尊は祭ってありません … その所を、昭和18年の、戦争がいよいよ盛んになった時に、国で借り上げてしまった。… その書院を『中部勤労訓練所』ということにされてしまった。… その時に所長である上中甲堂という人が、書院の上段の間へ天照大神のお札を祭ったんです。… 決して我々が天照大神のお札を祭ったとか、拝んだとかいうことは、事実無根であります。… 本宗において少しも謗法をしたことがない、日興上人の二十六箇条、あるいは日有上人の百二十一箇条の化儀抄に、謗法がやかましく誡めておられる」(「大日蓮」1月号 )
11月27日
 妙信講、11月度総幹部会開催。折伏成果1千3百33世帯、総世帯数2万4千突破。
 浅井昭衛講頭「今回の宗門・学会の和解は、ヤクザの手打ち式以下である。利害から喧嘩を始め、お互いに不利と見るや手打ち式をする。しかし 正本堂の誑惑は、お互いに口をぬぐって知らぬ顔である。大聖人に対し奉り、申しわけないと思わないのか。このような人々には、広宣流布を進める資格はない。妙信講こそ日蓮正宗に在って、内には御遺命の歪曲を強く諫め、外には日本国の一切大衆に三大秘法を勧めている唯一の法華講衆である。十一月の一千突破の大折伏によって、新しい広宣流布の潮流が日本の国に流れ出した」
11月30日
 宗門、富士学林研究科後期講習会閉講式。細井日達管長「私も三・四年前から学会等からいろいろな話があって、自分でも苦しんだ。それに対しては今年の春から、再三諸君にも注意をしてきております。すると『猊下の言うことは、しょっちゅうころころ変わっている』などと言うのであります。変わってはいないんだけれども、言うところの一つ二つ違ったところがあると、そのあげ足を取って、『まちがってる、まちがってる』と言って、本当の真意を知らない。…
 今、学会の方針についていかれない人が檀徒となっておる。その檀徒の方々の面倒をみて、本当の日蓮正宗の信者としていくことが、我々僧侶の役目であります」(「大日蓮」79年1月号 )
12月1日  講談社、「現代」1月号発刊、内藤國夫著「創価学会・池田会長の永久戦争」を掲載。
12月3日  創価学会、第26回全国県長会議開催。池田大作会長、「議決された基本方針については、徹底してその深化につとめていただきたい。… 御宗門と、これからもいろいろと話しあいをして発表する事項があると思うが、僧俗和合のために徹底をお願いしたい」
12月4日
 宗門、週刊現代に対し、抗議文送附。(「蓮華」1月号 )
12月6日
 宗門、成徳寺(各務原)入仏落慶法要、細井日達管長「最近の雑誌等に、本山はたくさんの御供養があるように書かれておりますが、それは違います。私も月給を頂戴しておるのです。… 決して僧侶が勝手に使う訳ではないのでございます。その御供養を受ける資格があるのは、仏様であります」と、本山の会計に対する疑義に言及。
 反学会僧侶約2百名、源立寺(大阪)で決起集会開催。"お詫び登山" は偽装、として今後の行動を協議。
12月7日  大平正芳内閣発足、大平正芳、第68代内閣総理大臣に任命さる。
 福田赳夫が「大福密約」を反故にして自由民主党総裁選挙に再選出馬を表明、大平は福田に挑戦する形で総裁選に出馬した。事前の世論調査では福田有利だったが、田中派の全面支援により総裁予備選挙で福田に勝利した。
12月10日
 宗門、地方寺院で檀徒集会開催。広徳寺(徳島県)、仏心寺(千葉県)、仏眼寺(仙台市)等で、一斉に檀徒集会が開かれ創価学会攻撃の勢い強まる。
12月10日  創価学会、高知文化会館開館1周年記念勤行会、池田大作会長「正宗の祈りのみが真実の追善回向となるのである。ゆえに、僧俗和合をいちだんと立派にお願いしたい」
12月18日
 宗門、正光寺創立二〇周年記念法要。細井日達管長「我々信者が唱えるお題目も、お坊さんが唱えるお題目も全く変わりがない。それでは坊さんは要らないじゃないかという理屈を言う人がいます。しかしそれは第九世日有上人が『貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何れも同等なり。然れども竹に上下の節の有るがごとく、其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか』と、仰せになっております。竹というものは、節がなければすぐに曲がって倒れてしまう。やはり、節があってこそ竹はまっすぐに立つのであります。だから、僧侶がお寺を護っているから皆様も信心しやすい。ただ、行というものに違いがあると仰せになっているのです」
12月21日
 妙信講、12月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭「大聖人のお振舞いと御精神を知ることこそ、広宣流布の原動力である。一月は全講中に、教学の大波動を巻き起そう」
12月26日
 妙信講、浅井昭衛講頭、「南無日蓮大聖人」を執筆。「冨士」第183号に掲載。
「鳴呼、久遠元初の自受用身・末法下種の御本仏・日蓮大聖人は、ここに一代の御化導を終えて非滅の滅を現じ給う。その忍難慈勝のお振舞いを偲びまいらせれば、誰か紅涙頬に伝わらざる。その大恩は香城に骨をくだき、雪嶺に身を投げるとも報ずることはできない。
 大聖人の御法魂はいま本門戒壇の大御本尊として、富士大石寺にまします。しかし未だ御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立は成し遂げられてない。日興上人は『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致すべき事』と仰せである。
 ただし、広宣流布は甚だ近くにあるを、確信せずにはいられない。その前相はすでにあり。今こそ妙信講員は、熱原のごとき不惜身命の信心を以って、御本仏大聖人に応え奉るべ きである」
12月27日  創価学会、群馬センター開館3周年記念勤行会、池田大作会長「僧俗和合への基本についても、よろしく徹底をお願いしたい」
 
  年表  
1月1日
 妙信講、元旦勤行(本部会館)。5回にわけ奉修、2千余名が参加。
「巻頭言 『三万法城を築かん』講頭 浅井昭衛
 まことに当時の宗門・学会の機関誌は、このような曲言で充満していたのである。だが、今日事態はどのように変ったか。本年正月の宗門・学会の機関誌を一見するに、正本堂を御遺命の戒壇などという文言は、もうどこにも見当らない。この変化こそ、妙信講の諫訴に依るものと云わずして何か。たとえ妙信講を憎むとも、誑惑はすでに打ちくだかれ、云い難くなったのである。
 そして今や、あれほど癒着し正本堂の誑惑に共謀した宗門・学会は諸天の働きによって分裂し、解散の弾圧を受けた妙信講は広宣流布の鉾に当る立場に立つに至った。大聖人の賞罰厳たるを伏して拝すべきである。
 ただし、未だ国立戒壇の正義は正系門家に蘇ってはいない。誑惑の言はたとえ消えるとも、学会・宗門ともに懺悔なく、正本堂はそのままになっている。正系門家が御遺命を曲げれば国は必ず傾く。御奉公はいよいよこれからである。
 ここに今、私の念頭にあるのは本年の三万達成のみである。この一事がどれほど将来の御奉公に重大か、言葉には尽しがたい」(「冨士」第184号 )
「年頭所感 八木直道
 畏れ多い事ながら判り易く申せば、事の戒壇とは王仏冥合し日本一同三大秘法受持し南無妙法蓮華経と唱え奉る、所謂広宣流布の暁に於て、国家的総意によって建立(国立戒壇)せよとの御聖意たる事は凡俗為りと雖も理解するは易々たる御文で、之を歪曲し恰も広宣流布達成の如く政府まで偽瞞する事は政治進出の野望以外の何物でも無く、毒気深入失本心故の人為る可し」
1月1日  中外日報、「改めて問う、現代の僧宝論」を掲載。創価学会を擁護し、日蓮正宗僧侶を批判。
1月1日  米中の正式な国交回復。1月1日に鄧小平が中華人民共和国要人(副主席)として初めてアメリカを訪問、ジミー・カーター大統領との間で米中の国交正常化の合意がなされた。
 この交渉では台湾問題が最も厳しい交渉となったが、アメリカは台湾からの駐留軍を撤退させる代わりに、武器援助は続けることで妥協が成立。その結果、アメリカは台湾政府(中華民国)と断交し、米華相互防衛条約は失効した。
1月5日
 宗門、全国教師僧侶初登山(大講堂)。細井日達管長、「一昨年から宗門と創価学会との間に大変軋轢がありまして、昨年の十一月以後、創価学会も平常に戻り、正しい信心をして行くという決心に成って来たのであります。…
 折角学会の指導では正しくないとみて、お寺を頼りにして来た檀徒を、いま改めて学会の人が大勢来るから、そんな者追い出してくれと云ったら、すぐ追い出して大勢来た方へついて行くと。そういう僧侶があるということは、誠に私は情けなく思います。一人でもそういう人が正宗の僧侶の中に居ることは残念です。ここにいらっしゃいますから良く考えて貰いたい。… そういう僧侶は勉強がたらないと思う。信心もたらないと思う」と、創価学会脱退者を冷淡に扱う一部末寺僧侶を叱責。(「大日蓮」2月号 )
1月5日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭「いま私の念頭には、本年の三万達成しかない。学会と宗門との抗争、あるいは妥協なぞ眼中にない。妙信講はただ熱原のごとき鉄石五万の大法華講を作り、宗門を御在世の信心に戻すだけである。一月、教学の大旋風を巻き起そう」
1月7日
 宗門、細井日達管長、山口法興師を妙真寺住職に任命。東京における反創価学会活動の活発化を促す。
1月10~11日
 妙信講、初講義、豊島公会堂で2回に分けて開催。浅井昭衛講頭、「日蓮大聖人一代御化導の大綱」を講義、参加者 1千5百名。
1月14日
 宗門、韓国檀徒の総決起大会開催、約3千名が結集。
1月15日
 宗門、内事部。不開門の脇に「不開門を年に二度あけるのは、謗法の者が無断で供養するのを認めてやり、謗法者に仏縁を結ばしめるため」(取意)との立札を立てる。(「蓮華」2月号 )
1月16日
 宗門、「中外日報」に対し抗議文を送附。(「蓮華」1月別冊号 )
1月17日
 宗門、信正寺住職と高橋公純師、海外部の命で渡韓。
「仏教会側が何名いたかは知らないが、檀徒会側が六十名、… 協議会形式になった。ここで檀徒会は猛烈に、今までの韓国における創価学会の教義逸脱に対する責任追及が始まった。このときの配座は、御本尊を中央に左に仏教会の幹部、右に檀徒会の幹部八名、前面に海外部僧侶三名、山崎正友氏、和泉、細谷、波田野、提の各氏が座り、(中略)海外部長立合いのもとで、檀徒は学会の非をあげ、学会はそれを認め謝罪し、(創価学会国際センターは)韓国に猊下の許しがなければ来ないとまで誓い、海外部長は『では今後両者仲良くやっていきなさい』とすべて丸く収まるように見えた」(「覚醒運動の興亡」高橋公純師 )
1月20日
 宗門、海外部。創価学会系の、仏教会に行なおうとしていた御授戒、中止となる。
「会館に入るとそこには西大門警察署の外事係の刑事三名が待っており、警察立ち合いのもとで話し合いがもたれる事となった。結局授戒は中止となり、檀徒はホッとしたものの、それは大きな致命傷を作った。すなわち、海外部がやろうとした授戒を妨害した、というラク印である」(「覚醒運動の興亡」)
1月20日
 宗門、細井日達管長。藤野喜久命(元創価学会員)に、法華講寿福寺支部組織を許可。(「大日蓮」3月号 )
1月21日
 妙信講、教学部。一級昇格試験執行。21名が受験。
1月23日
 妙信講、支区部長会。浅井昭衛講頭「妙信講は宗門と学会の抗争に乗じて、僧侶に組して学会を攻めることをしなかった。こういうやり方は政治の策略であり、私は好まぬ。御遺命を曲げたことにおいては、僧侶も同罪である。もし妙信講が我が身の為に、僧侶の御遺命違背を見て見ぬふりをして、手を結ぶならば御遺命に不忠となる。大聖人のお叱りを蒙る。
 妙信講は、御遺命の方人を申し上げるのである。よって身の為には動かない。大聖人の御眼のみを恐れて節を貫く。たとえ妙信講を憎むとも、宗門も学会も懺悔して、国立戒壇の正義が蘇り、広宣流布ができるならそれでよい。だが懺悔をさせるには、漢王三尺の剣を重くしなければならぬ。今年は、わき目もふらず三万を達成しよう」
1月26日
 宗務院、院達第2971号、海外における宗教活動に関する件。
1月27~28日
 宗門、日蓮正宗檀徒第2回大会開催。創価学会脱退者5千5百名、僧侶250名が参加。
 細井日達管長、「僧侶達が学会に対してその誤りを指摘して、そしてここに結束して皆様と共に檀徒を作って日蓮正宗を護ろうとした、その誠意は誠に日蓮正宗の根本の精神を広宣流布する為であるという、深い赤誠であることを認めてもらいたいと思うのであります。… まだまだある僧侶は、いかに今迄間違った教義を宣伝されておっても、今だに平気な顔をしておる僧侶もあります。しかし、一応これらの僧侶も日蓮正宗の僧侶としておる以上、私はただ大きな心においてそれらの身を護り、又正宗の一つの団体の僧侶として守っておるのであります。… 今後できるだけ間違った教義だけをどこまでも追及して、正宗の七百年来の大聖人の御本意である広宣流布を、正しい道において守って貰いたいと思います」と、親創価学会派僧侶を批判。(「大日蓮」2月号 )
「明けて昭和54年1月28日、『第2回全国檀徒大会』が本山で開催された。これには5,500人の脱会者が参加。檀徒活動は海外にも及び、韓国の組織は大混乱に陥った」 (「反逆の裏にある顔」北林芳典)
1月 日
 宗門、6名の訪韓僧。海外部長、山崎弁護士、正信会代表と、妙泉坊にて会談。
「しかし、意外な言葉の冷たさに、正信会僧侶のほとんどは韓国檀徒にあまり関心を示してくれないんだな、と寂しい気持ちを持たざるを得なかった」(「覚醒運動の興亡」高橋公純師 )
1月28日
 妙信講、1月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭「いま妙信講の為している御奉公は、正系門家の中における『争子』の役目である。妙信講の諫めにより、たとえ妙信講を憎むとも、誑惑はもう云い難くなった。しかし八十年代においていよいよ日本が傾く時は、日蓮正宗が『諫臣』として一国を諫めなければならない。いまの宗門の状態で、一国を諫めることはできない。どうしても八十年代には、宗門を御在世の信心に立ち還らせねばならない」
1月末日  創価学会、山崎正友顧問弁護士。野崎青年部長とともに池田大作会長と面談、「先生、ここまでくればもう宗門にはかないませんよ。よく出処進退を考えたほうがいいですよ。… 檀徒も30万まではとる決心をしている」と。(「池田名誉会長の法廷証言」(山崎正友裁判)、83年10月31日)
2月3日  創価学会、九州記念幹部会開催 (九州研修道場)。 池田大作名誉会長「永久に忘れてならないことは、私どもの信仰の根本道場は、戒壇の大御本尊まします総本山が中心であるということである。また、血脈付法の御法主上人猊下の大慈悲を仰ぎ奉りながら進んでいかねばならない」(「聖教新聞」2月3日号 )
2月3~6日
 妙信講、本部指導会開催、4回に分け 1千6百名が参加。浅井昭衛講頭、「自殺は苦悩の解決にならぬ」と、三世の生命について講義。
2月14日  創価学会、2月度県長懇談会(東京・広宣会館)、北條浩会長 "過去の過ち" に言及。
「11・7は、我々の信仰の根本である戒壇の大御本尊まします総本山大石寺において、血脈付法の御法主日達上人貌下のご臨席をあおいで、我が学会が過去の行き過ぎは是正し、改めるべきは改めることを誓ったものである。それは、恒久的な僧俗和合へ向けての学会の信心の基本姿勢を示したものである。各幹部とも、この原点を忘れてはならない」(「聖教新聞」2月16日号 )
2月14日  月刊ペン裁判、第2審第1回公判。弁護側、控訴理由について「審理の前提として、日蓮宗の分派である創価学会の教理教説が広がっていけば、社会悪になることを考慮し、この点から本件は公共性があると考える」と陳述。第2審で弁護側は、池田会長の証人申請をするが、裁判所は却下。
2月16日
 妙信講、「富士」巻頭言「何事か成就せざるべき」
 浅井昭衛講頭「本部会館の御本尊について一言申し述べたい。… もし不幸にして後者であった場合、強諫する妙信講に解散処分の弾圧が下ることは容易に想像できた。当時の宗門は完全に学会の傀儡であったからである。私は最悪の事態を想定していた。… 将来の嵐を乗り越えるため、どうしても城が欲しい、かくて建てたのが本部会館であった。昭和四十八年十二月二十二日、この本部会館に御本尊がお出ましになった。妙縁寺御住職・妙信講指導教師・松本日仁尊能師の御計らいによるものであった。安置された御本尊は、第六十代日開上人御書写の、「妙縁寺重宝」との脇書ある大事の御本尊である。日開上人は顧問先生が父とも敬慕申し上げていた謹厳高徳の御法主であられた。… その後、予期のごとく妙信講に理不尽なる解散処分は下った。だが講中は微動もしなかった。この御本尊の御守護である。これに気づいた池田大作は、あわてて裁判でこの御本尊を奪わんとしたが、結果は彼の惨敗に終った。… 御遺命守護完結まで、全妙信講員はこの御本尊のもとに結集し、信心無二に唱題しつつ前進しなければならない」(「冨士」第185号 )
2月20日
 宗務院、「院達」(院第2977号)、特別御形木御本尊に関する件。
2月22日
 宗門、在京檀徒大会開催(妙真寺)。
2月23日  創価学会、聖教新聞「血脈、会長本仏化の誤りの諸問題について」掲載。
「歴代会長を折伏弘教、広宣流布の指導者として尊敬し、またさまざまの指導をうけ、心からの信頼を寄せていることは、会員の自然の心情である。そのことを宣揚するあまり、あたかも大聖人と等しいがごとく受け止められる過大な言葉や表現を用いることは、厳重に慎まなければならない。… 在在諸仏土常与師倶生とか、如来如実知見とか、大導師とか、本来、仏にのみ用いる言葉を私どもの立場にあてはめることは、厳に慎むべきでありましよう」
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催、総世帯数 1万5千を突破。初の一級部員に 5名が合格。
 浅井昭衛講頭「妙信講の前進には、タイムリミットがある。世界の動乱は急ピッチであり、日本の傾きはいよいよ急である。これを救うには、正系門家に国立戒壇の正義を蘇らせねばならない。妙信講の前進がそれに間に合わなければ、大聖人から怠慢のお叱りを受ける」
(※ その "タイムリミット" はとうに過ぎてしまったが、浅井昭衛会長は "ゴールポスト" をどこまでもズラし続けた。令和4年(現在)、44年が経過しても「国立戒壇」をめぐる内外の状況は、ほとんど変わらない。普通の人間なら、そろそろ自身の幾重にも渡る "不見識" の非を認めるところだが、魔に魅入られた人はさすが..と云うべきだろうか。櫻川 忠 )
2月28日  創価学会、小田原文化会館開館記念勤行会(神奈川)。
 池田大作名誉会長「いうまでもなく、私達の信仰の根本道場は総本山であり、信仰の根本は戒壇の大御本尊である。どうかその根本をしっかり銘記し日蓮正宗を守り、また学会を愛し、自分自身を大切にしながら、信心勝利の人生を毅然として歩んでいただきたい」(「聖教新聞」3月2日号 )
3月1日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭「広布の潮流とは、力強い折伏と共に、入信した人々が続々と集会に参加し題目を唱え、広布の戦列に加わる姿である。… 本部会館に御本尊お出ましの意義を心腑に染めよ」
3月6日  創価学会、福島源次郎副会長、大牟田市で「会長本仏論というのは、我々が先生を尊敬するあまりに、誤解されたことである」等と発言、物議をかもす。
「一、池田会長を本仏だと、創価学会で言っているというのは、僧侶の邪推にすぎない。
 一、会長が本山に行ったりすると「先生、先生」と学会員が慕っていくのに、猊下には近づかず慕ってもいかない。
 一、猊下が通っても、どこのおじいさんだという感覚しかない。それを僧侶がやっかんで、会長を本仏としていると邪推したものだ。
 一、カツラをつけて遊んでいる坊主がいる。
 一、本山は旅館業で収入がある。
 この『大牟田発言』が、これまで池田会長が懸命に修復してきた、僧俗和合路線に決定的亀裂を生じさせる。もはや修復は不可能なものとなった」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
3月7~12日
 妙信講、本部指導会開催、6日間にわたり 2千名が参加。浅井昭衛講頭「地球規模の異常気象は、世界の大戦乱の前兆である。やがて日本は、この大渦に巻きこまれよう。これ一国大衆の謗法と、正系門家の御遺命歪曲による。妙信講の使命は重大である。たとえ数は小たりとも、大聖人の御守護を頂けば、必ず大事を成ずることができる。一筋に広布の潮流を強めよう」
(※ 「大聖人の御守護」は頂けなかった、それが "御仏意" ということであろう。櫻川 忠 )
3月8日
 妙信講、「富士」巻頭言「広宣流布の潮流」
 浅井昭衛講頭「力に驕る学会は宗門をして妙信講の首を切らしめ、正義の叫びを圧殺せんとした。 しかし誰人が御本仏の御意たる広布の潮流を妨げ得ようか。国立戒壇を抹殺せんとした学会はかえって罰を感じ、音を立てて崩れ始めた。一方御遺命の方人申し上げた妙信講は弾圧をはねのけ、今や誰人も止め得ぬ国立戒壇めざしての大折伏を開始するに至った。この弘通こそ、まさに新しい広布の潮流ではないか。 大聖人の御意を奉ずるこの新しい潮流が三万・五万と勢いを増す時、国立戒壇の正義は宗門に蘇り、さらに百万・千万となる時、一国は動くのである」(「冨士」第186号 )
3月12日
 宗門、庶務部長・藤本栄道師、3月6日の福島源次郎副会長の発言につき「僧侶がカツラを被って飲みに行った件につき、その僧侶の氏名、場所、日時について」等、創価学会に質問状を提出。(「継命」4月28日号 )
3月13日
 宗門、内事部、福島発言につき創価学会に抗議書提出。(「継命」4月28日号 )
3月15日
 宗門、内事部、讃岐本門寺での幹部発言について、抗議状を創価学会へ送附。
 菅野憲道師(蓮生寺)、創価学会へ公開質問状を提出。
「12、貴殿らは大聖人における戒をどのように考えているか
 13、私の論文に対し、広布研究なる悪書をバラまいたが、公場において論争しようではないか
 14、池田会長が生死一大事血脈抄講義で、創価学会仏と云っているが、如何なる御書、如何なる経文に出て、如何なる仏なのか」等、14項目。(「継命」4月28日号 )
3月15日
 妙信講、教学部、「観心本尊抄」講義開始。
3月16日  創価中学・高等学校教職員組合、再び創価学会・池田大作会長へ公開質問状を提出。
 聖教新聞、「法体・化儀連綿の御僧侶の大功績」掲載。「『僧宝』とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、また会長も発言しているごとく、唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方はしてはならない」
3月17日
 妙信講、男子部班長会開催。浅井昭衛講頭「共産中国は日本が幻想を懐くような、甘い国ではない。牙を持つ修羅の国である。ソ連はさらにすさまじい。閻浮提大闘諍の主役ともなる国である。これら修羅の潮流が全世界を覆いつつある現状を見るにつけ、我々御本仏の末弟は仏界の潮流・広布の潮流を、いよいよ強めなければならない」
3月19日  創価学会、福島源次郎副会長、辞表提出。
3月24日  創価学会、本山内事部へ回答。福島発言は逸脱と認め、讃岐本門寺関係は事実無根と釈明。(「継命」4月28日号 )
3月26日
 妙信講、3月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭「大聖人の立宗の大悲願力を心腑に染めよ。妙信講の御奉公は明快である。大聖人の御振舞いと御精神を、そのまま真っすぐ今日に延長すれば、いま妙信講のなすべきことが浮かび上ってくるゆえである。大折伏を行じて、立宗の御報恩に擬し奉ろう」
3月27日
 宗門、臨時宗議会開催、池田大作総講頭の罷免問題を討議。
3月31日
 宗門、第18回妙観会(大講堂)、細井日達管長「我々宗門としては、学会をつぶそうとか、どうこうしようという、そういう心でやっておるのではなくして … なるほど長い間学会はよく宗門のために尽くして下さいました。その功績は大きいのであります。しかし、功績が大きいからといって、教義が間違い宗門と逸脱してしまえば、これは何にも役に立ちません。… たとえ会長であろうが副会長であろうが、間違ったことを言ったならば、どんどん指摘していかなければ、これからは日蓮正宗の僧侶ではない。…
 これは最近わかったことで、私もびっくりしておるんでございます。そのことは、『曾谷殿御返事」に、『是には惣別の二義あり。惣別の二義少しも相そむけば成仏思いもよらず』、これはだれでもよく引用する御文であります。その解釈に、『惣別とは一往血脈相承なり。再往は池田会長で、信心の大師匠である』と、こういう解釈をしておる。それはもう昭和三十八・九年のことです。… 或いは『新池御書』に、『何としても此の経の心をしれる僧に近づき、いよいよ法の道理を聴聞して信心の歩を運ぶべし』という御文が有ります。その解釈に、『これにつけて七百年前は、大聖人、現在でいえば会長池田先生』、こう解釈している。…
 (学会の逸脱は)昭和三十八・九年のころからもうすでに十六・七年に及ぶ、だから今紛争が起きておるんです。僧侶は腹を決めて、教義の間違ったところを指摘していかなければならない。…
 僧侶は宗門の宗学をきちんと身に付けていかなければならない。もちろん一般仏教というものをしっかり身につけて、そしてしっかり寺を守り、信徒を指導していかなければならない。… 根本の仏教学というものをしっかり身に付けて頂きたい。… だからこれからでも大学へ行って、そういう講義が有れば、何宗によらず仏教学というものを腹に据えて、そして更に本宗の教学を、その上にきちんと身に付けて頂きたい」(「大日蓮」4月号 )
「学会本部の近所の寿司屋で、原田稔氏と野崎勲氏と私の三人でひそかに語り合ったことがありました。原田氏と野崎氏は『池田先生は日蓮大聖人の再誕であると思う』と主張していました。私は『いや久遠元初自受用身の再誕だろう』と言ったのです。このように、先生の後継ぎといわれる中枢の人々でも先生を御本仏と考えていたのです」(「池田大作先生への手紙」原島 嵩 )
(※ 細井日達師が願われたように、"一般仏教" "根本の仏教学" を身に付けようと心がける宗門僧俗は、きわめて少ない。小生は学生の頃から神保町の東洋堂に通い、宇井伯寿・中村元・三枝充悳等の諸学者の仏教書を数多買い求め学んだ。今でも、馬場紀寿・魚川祐司等の新たな研究が反映された書をチェックし、知見を改めることは欠かさない。櫻川 忠 )
3月31日
 法華講連合会、緊急理事会開催、池田大作総講頭辞任勧告を決議。
「昭和54年3月31日、日蓮正宗法華講連合会緊急理事会において左の如く決議致しました。
 決議『池田大作氏はその責に耐えないことを自覚し、日蓮正宗法華講総講頭を辞任されるよう勧告致します』
 理由:近年創価学会におきましては、日蓮正宗教義からの逸脱が多くみられ、宗門からの厳しい御指摘により、昨年11月7日全国教師総会(併・創価学会代表幹部会)を日蓮正宗総本山大石寺大講堂において開催し、日蓮正宗教義からの逸脱を詫び、誤りの訂正を約束されました。法華講連合会におきましても、機関紙「大白法」青年部機関誌「慧燈」及び有志の手による「蓮華八十七号の正しい読み方資料」等により、貴会の教義上の誤り、歪曲を指摘し、貴会が一日も早く教義上の逸脱を訂正し、立ち直られんことを祈り微力ながらも尽力して参りました。しかるに、数か月を経過した現在、何ら今日まで教義の誤りの修正を会員に徹底して知らせることもなく、未だに宗門を騒がせ、その収拾がなされないのみか、学会幹部による最近の言動をみるとき、一向に教義上の逸脱に対する反省がなされていないのが現状であるので、このままの状態では謗法であるとみなさざるを得ません。…
 総講頭として詫びられたことは、その中に私達法華講員も含まれ全く不名誉にして残念至極であり、これ以上私達は池田総講頭の傘下にあることに忍びがたいものがあります。この際貴殿には、現在に至るも創価学会の体質を変えることのできないことについて十分な責任を感じ、総講頭の責に耐えないことを理解すべきであります。以上により、法華講連合会理事及び幹事全員の署名により貴殿の総講頭の辞任を勧告致します。… 日蓮正宗法華講連合会委員長 佐藤悦三郎」
4月2日
 宗門、内事部。創価学会の "3月24日付回答" を不満とし、再回答を求める勧告書を送附。
「貴回答は、当局の質問に対する御回答としては、遺憾乍ら、貴会中枢幹部諸氏の信心と英知と勇断を信頼した当局に対し、充分なる満足を与えるものではこざいません。… 徒らにお為ごかしの小策を弄する前に、胸に当てるべき手を御宝前に合掌して冥の照覧を恐れて下さい。… 願わくは、素直な信仰者としての姿勢に立って、事実を厳しく省察の上、今一度当局よりの三月十三日及ぴ同月十五日付各質間状を逐条吟味し、明確にして正鵠を射た回答を文書を以って可及的速やかに御送付下さい。徒らに言葉尻を追ったり、問題意識を転換したり、事実を歪曲する等従来の経緯を反復するの愚を踏襲せんか、当局には、もはや之に応じて兎毫を染める暇も必要もないことを稟告致します」
4月3日
 宗門、"総講頭辞任勧告" 記事掲載の「大白法」号外、大量に出廻る。
4月6日
 宗務院、「院達」(院第2998号)、創価学会に関する件。
 宗門、内事部主任光久諦顕師・海外部長菅野慈雲師、創価学会代理人・山崎正友顧問弁護士との間で、池田大作会長をまじえ前後三回にわたり討議。結果、会長が辞任をすれば宗門は責任をもって正信会の学会攻撃を終息させる、との約束がなされる。
「4月6日夜、総本山の雪山坊二階の会議室で、池田氏と内事部主任光久(諦顕)尊師、宗務院海外部長菅野(慈雲)尊師、それに私の四人で、二時間ばかり話し合った。… 池田氏はこの会談で、このようなしおらしいことを言う一方、『私のあとは北条(浩氏)に2、3年やらせます。そのあと秋谷(栄之助氏)で、それから野崎(勲氏)あたりと思っています。福島(源次郎氏)はやめさせます。学会はこれから、たとえば滝本(安規氏)とか、人柄の良い、おとなしい人物を副会長にします』などと、『オレがこれからも実権を握り、学会を動かしていくんだ』という本音を、間わず語りに口に出してしまった」(「闇の帝王、池田大作をあばく」山崎正友 )
4月6日
 妙信講、「富士」巻頭言「臨終の事を習うて後に他事を習うべし」
 浅井昭衛講頭「この露のごとき一生を、眼前の名利に追われて未来堕獄の因とするのが愚人であり、永遠の仏果を得るまたとなき修行の場とするのが賢人である。… それにつけても、世間に諂うあまり御本仏の御金言をあなずり、日本一同の広宣流布を「戯論」と笑い、御遺命の国立戒壇を抹殺した無道心の輩の後生を思えば、いかにも不憫である」(「冨士」第187号 )
4月8日  創価学会、北條浩理事長、福島副会長発言(大牟田)につき「信徒にあるまじき不穏当・不謹慎なもの」と、宗門に陳謝の談話発表。(「聖教新聞」同日付 )
「こうした学会の基本方針と努力にもかかわらず、いまだそれが十分に徹底していない地域や組織があることは、まことに残念なことであります。なかでも、三月初旬の大牟田会館での福島副会長の発言や、四国讃岐・本門寺周辺の幹部の言動については、宗務院並びに内事部より文書で具体的な指摘を受けました。ことに、大牟田での発言は、信徒にあるまじき不穏当、不謹慎なものであり、発言者の立場をあわせ考え、まことに遺憾なことであります。御法主上人貌下並びに御宗門の先生方に深くお詫び申し上げるとともに、本部として、今後、このようなことが再び起きないように、必要な措置を十分講ずることを明言いたします」
4月10日
 宗門、知見寺落慶法要。細井日達管長、「本従の師」について「世間では之を間違って一般的に世間の人、或は僧侶にもっていく、これではなくして之は仏である」と、暗に創価学会と法道院の在り方を批判。(「大日蓮」6月号 )
4月11日  月刊ペン裁判、第2回公判。隈部大蔵に対する、弁護側の被告人尋問。
4月12日  創価学会、菅野憲道師に詫び状提出。(「継命」6月1日号 )
4月14日  創価学会、神奈川文化会館落成開館記念勤行会。池田大作会長「幾度か申し上げてきた『6.30』『11.7』の基本精神は、私どもにとっての信心の根本であるゆえに今後もさらにさらに、一人ももれなく指導、徹底を私は心からお願いしたいものである。御本仏・日蓮大聖人の血脈は第二祖日興上人へ、そして代々の御法主上人そして唯授一人・法水潟瓶の現御法主日達上人猊下へと受け継がれていることをけっして忘れてはならない」
4月 日
 宗門、月刊誌「蓮華」4月号発行。第18回妙観会(3月31日)の、細井日達管長の説法を掲載。
4月19日
 宗門、細井日達管長の喜寿祝賀会。
4月21日
 宗門、反創価学会僧侶代表、池田大作の会長ならびに総講頭辞任について、創価学会代表と都内ホテルで打ち合わせ。
「一、会長を辞め、北条浩を会長にする
 二、学会の運営には一切口を出さない
 三、絶対に院政は敷かず、学会の表舞台から姿を消す
の3点について合意」
4月22日  創価学会、池田大作会長、創価学会々長ならびに法華講総講頭の辞任を、細井日達管長に申し出る。
 細井日達管長、これを了承し「名誉総講頭の辞令を差し上げたい」と。
4月24日  創価学会、最高議決機関である総務会を開催(新宿文化会館)。池田大作会長と福島源次郎副会長の辞任、北條浩理事長の第4代会長就任を了承。新たに「創価学会会則」を制定。これにともなう宗教法人「創価学会」規則の改正を議決する。これにより池田大作は名誉会長となる。
「創価学会会則
 第4条(目的)この会は、日蓮正宗を外護し、弘法および儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立をはかることにより、日蓮大聖人の仏法を広宣流布し、もってそれを基調とする世界平和の実現および人類文化の向上に貢献することを目的とする」
「宗教法人『創価学会』規則
 第3条(目的)この法人は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘法および儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立をはかり、もってこれを基調とする世界平和の実現と人類文化の向上に貢献することを目的とし、これに必要な公益事業、出版事業および教育活動等を行なうものとする」(「大白蓮華」同年6月号 )
 池田大作名誉会長、日記に「あまりにも 悔しきこの日を 忘れまじ」と記す。(「聖教新聞」99年4月27日号 )
4月25日
 宗門、早瀬日慈総監、任期満了につき総監退任。
4月25日  創価学会、「聖教新聞」に池田大作会長の辞任発表。
「池田会長の辞意はすでに数年前からしばしば最高会議にもらされていたが、このたび、広布の前進の大きな節として自身示した七つの鐘の総仕上げの節を迎え、今後の安定した発展のために後進に譲りたいとの強い意志が表明され、総務会としても、これを受理したのである」
 新会則制定、「最高教導会議」設置、各地に「僧俗協議会」を設ける。「このほど、本部に『最高教導会議』が新設されたのにともない、日蓮正宗全国布教区単位に『僧俗協議会』が設けられることになった。これには、宗務支院長および副支院長が出席するほか、学会から県長をはじめとする県幹部らが出席、地域ごとの僧俗間の問題について、具体的に話し合うことになった」(「聖教新聞」4月26日号 )
 森田理事長「今回、宗教法人法に基づく規則の改正を行い、新しい会則を制定いたしました。… この会則は、いわば会の憲法のようなものであり、会の運営は、一切これに基づいて進められていきます。その趣旨は、皆で合議し、納得しあって進め、会員の皆さんが安心して、さわやかに活動できるためのものであります。まず、日蓮正宗の御法主上人の指南に則り、教義の厳正を保持し、それに基づく指導を図るために最高教導会議が設けられました。この会議によって僧俗の理想的な和合の姿を、恒常的に実現したいと念願しております」(「聖教新聞」4月27日号 )
 第235回本部幹部会(東京・広宣会館)、北條浩新会長「不肖私が第四代会長ということになりましたが、まことに大任で、弱っております。… 心の中では、先生にはずっと会長をやつていただくんだと思い、また、やめられることがないように願ってまいりました。しかし、今回の先生の決意は非常に固かったのです。七つの鐘という時を、固く心に期しておられたのでありました。… まことに非力な、なんのとりえもない私で、到底この大任には耐えられるとは思いませんが、総務会の決定でこうなってしまいました以上、皆さま方のご支援をいただいて、諸先輩のお力も得て、会員の皆さまのために、全力をあげてつくしていこうと思っておりますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます」(「聖教新聞」4月27日号 )
4月26日  創価学会、池田大作総講頭。総本山に参詣し、総講頭の辞任願を細井日達管長に提出。
「池田名誉会長は二十六日午後、総本山大石寺に参詣し、午後一時半から御法主日達上人猊下にお目通りした。そのさい名誉会長は御法主上人に法華講総講頭の辞表を提出申し上げた。御法主上人からは、宗門の現在の隆盛をもたらした永年の功労に対するねぎらいとともに、今後も外護を願いたい旨御言葉があり、名誉総講頭の辞令を賜った。名誉会長は、この深い御法主上人の御慈悲を拝し、なおいっそうのご奉公をさせていただく旨申し上げた」 (「聖教新聞」4月28日号 )
 同日、細井日達管長、名誉総講頭の称号を贈る。
 創価学会、池田大作名誉会長。会長辞任理由につき、聖教新聞に会員へのメッセージ。「近年、御宗門との関係で皆様方に多大なご心労をおかけし、御法主上人猊下のご宸襟を悩まし申し上げてきたことに対し、過去の経過の一切の責任をとらせていただくものであります」
「先生は、会長を退いた後に『創価学会とは私そのものである。私が創価学会の魂である。新体制も、また会則、規則も、それはあっていいよ。しかし、会則、規則は手段であって、信心は魂である。新執行部は、池田先生の全財産を一時お預かりします、というぐらいの誓いをすべきではないか。私が本当に怒ったらこわいぞ!』とおっしゃいました」(「池田先生への手紙」原島 嵩 )
4月28日
 宗門、教師代表者会議開催(大化城)。細井日達管長、総講頭辞任の経過を説明「池田大作総講頭が、辞任願いを持ってまいりまして、ですから、こちらも宗規に則って、総講頭を辞任した場合は名誉総講頭に置く、という規定のもとに名誉総講頭の名前を贈っておきました。… まあ会長を辞めて一切の責務を退くと、今後はそういうことに口を出さないし、また、常に噂されている "院政" というようなことを絶対にしない、ということを表明しておりました。宗門としては、それで、いちおう解決したものと見ております。… 今後、学会から無理に檀徒として引っ張ってくることはいけない」と、反創価学会活動を抑える。
 反創価学会派僧侶、細井日達管長に対し批判的質問、また創価学会幹部に対し質問多数。
4月28日
 宗門、日蓮正宗全国檀徒新聞「継命」(責任者 山口法興師)創刊。細井日達管長が命名、祝辞を寄せる。
4月28日
 妙信講、4月度総幹部会開催、総世帯数 2万6千を突破。浅井昭衛講頭「池田大作の退陣は、御遺命違背の罰である。だが未だ、御遺命守護の御奉公は終らない。大聖人様のお憤り、お悲しみは晴れ給わない。第一・第二の節を乗りこえた今日、いよいよ第三の節を見つめて、不惜身命の戦いをしなければならない。その新しい出発が、第二十一回総会である」
4月28日  創価学会、既刊の創価学会版経本の使用を中止。
 教師代表者会議(総本山)、「北条会長は、この日のお目通りのさい、… 日蓮正宗の法義を厳正に守り、御宗門を外護し奉り、広宣流布のために全力をあげていきたい … 質疑の中で、創価学会版経本問題について検討 … 今後、学会版経本についての使用を、御観念文を含めてやめ、大石寺蔵版に限ることに決定」(「聖教新聞」4月30日号 )
4月29日
 宗門、宗務院海外部指導下における正式な組織「大韓日蓮正宗法華講仏徒会」が発足。これと前後して、法華講と創価学会系による檀徒会切り崩しが行なわれる。
「当時韓国における日蓮正宗の組織というものは、朴成日氏を中心とした韓国日蓮正宗本部と日本創価学会国際センターの傘下にある韓国日蓮正宗仏教会と、出来上がったばかりの韓国日蓮正宗檀徒会と三派であったが、その日(昭和54年1月18日)を前後して、日蓮正宗宗務院指導下のもと、大韓日蓮正宗法華講(※仏徒会)が結成される。… ここに、檀徒会に続き学会の指導下に入らない新しい団体が、また一つ生まれようとしていたのである」(「覚醒運動の興亡」高橋公純師 )
5月1日
 宗務院、「院達」第3018号。
「① 御講等に於いては、御書による教義以外の説法は固く禁ずる。従来、しばしばこれについての通達があるにもかかわらず、乱れが見られたが自今以後は厳しく自誡せられたい。
 ② 創価学会員に対しては、自分からの意志・希望によって檀徒となることを申出た者は受け入れて差支えないが、それ以外は一切の働きかけを固く禁止する。
 上記について、今日以後これに違背する者は処分も辞さないことになるので、厳重に御注意願います。以上」(「大日蓮」400号 )
5月1日  月刊「現代」6月号、「池田大作の全面敗北の内幕」(内藤國夫)を掲載。
5月3日  創価学会、「七つの鐘」総仕上げ記念 第40回本部幹部会開催(創価大学体育館)。
 池田大作名誉会長「本宗における厳粛なる法水瀉瓶唯授一人の血脈は、法灯連綿と、代々の御法主上人猊下に受け継がれて、… 唯我与我の御法主上人のご内証を、大聖人と拝すべきなのであります。… 私がごとき者を、かりそめにも、本仏などと、言うことはもちろん、思ったりすることも謗法なのであります。…
 戸田城聖先生逝いて二十一年。ここに創価学会創立四十九年。学会第一期の目標である。"七つの鐘" を打ち鳴らしたことによって、ひとまず私は、牧口常三郎先生、戸田城聖先生の遺言は、皆様方の絶大なるお力を得て、私の代としては、ことごとく遂行したことを確信いたします」(「年譜 池田大作」)
 細井日達管長「この数年間、まことに残念な出来事が続き、混乱を招きましたことは、悲しいことでありました。幸いにして前会長の英断と、心ある人々の努力により、再び秩序の回復に向かい、晴ればれと今日の天気のごとく明るい出発ができることは、まことに喜ばしいことであります。… これまでの経緯は水に流して、大同団結して宗門の発展ひいては広宣流布に協力していただきたいのであります。最後に、池田名誉会長には永い間、本当にありがとうございました」(「聖教新聞」5月4日 )
5月3日  週刊新潮、『「女」や「カネ」の噂まで出た池田大作辞任劇の俗臭』を掲載。(「週刊新潮」5月10日号 )
5月7日
 宗門、宗務役員の新人事発表。総監 阿部信雄師、渉外部長 吉田義誠師、庶務部長 藤本栄道師、教学部長 大村寿顕師、海外部長 菅野慈雲師、財務部長 丸岡雄道師。(「大日蓮」6月号 )
(※ 親創価学会僧侶が宗務役員を占め、反創価学会派僧侶との対立が決定的になる )
5月7日
 妙信講、班長会、浅井昭衛講頭「今回 池田大作が退陣に追いこまれたが、これこそ学会が崩れる前兆である。正系門家でいつまでも、誑惑が通るべきはずがない。大聖人の御憎まれを蒙っては誰人の身が持とう、主徳の厳たるはこれである。いま宗門も学会も大聖人を忘れているが、御遺命違背の大罪に恐れおののく時が必ず来る。総会は、妙信講の為すべきことを、年一回大聖人の御馬前に、改めてお誓いする儀式である。今総会を迎え、自分の班を、支区を、革命せよ」
(※ 浅井昭衛講頭は「主徳の厳たるはこれである」と大聖人を持ち出すが、その後 2017年11月18日施行の "創価学会会憲" には第1章総則に「… 第三代会長池田大作先生の「三代会長」は、… 永遠の師匠」とされた。浅井昭衛講頭が「学会が崩れる前兆」と見たがるのは、"認知的不協和とはこれである" と云うことだろう。創価学会・公明党は、今なを長く政権与党にある。大聖人の「主徳の厳」を、貶めているのは誰だろうか! 櫻川 忠 )
5月8日
 宗門、反創価学会派僧侶、妙真寺で集会を開催。院達等の新事態に対処するため協議、細井日達管長への憤懣漲る。
5月10日
 妙信講、「富士」巻頭言「正直の徳
 浅井昭衛講頭「失敗は誰にもある。人は失敗で信用を失うのではない、失敗に対する姿勢で真の評価が定まるのである。 たとえ過ちをおかしても、懺悔の心を以って正直に身を処すれば、かえって信用を得ることもある。逆に過失を隠さんと、嘘に嘘を重ねれば、失うものは犯した過失にとどまらない。正直の徳は世間・仏法ともに尊ばれる。一般社会においても、不正直は一時的に人の眼をごまかし得ても、必ず破滅の因となる。いわんや仏法の世界においておやである。仏法の世界の正直とは、大聖人の御眼を恐れるところにその出発がある。妙信講は再建以来、大聖人の御金言に違わんことのみを恐れ「唯正直」を一筋に貫いて来た講中である。よって今日、大聖人の御守護を頂いているのである」(「冨士」第188号 )
(※ 当時、小生はうすうす "違和感" を感じながらも、宗門と創価学会の "法義歪曲" の無慚無愧に対し、「妙信講は再建以来 … 正直を一筋に貫いて来た講中である」と信じていた。今 顧みるならば、"ブーメラン"とは、まさにこれ(正直の徳)であろう。浅井昭衛講頭は、以後「嘘に嘘を重ね」て行く。"法廷闘争大勝利"の嘘、"核戦争で人類絶滅"の嘘、"御遺命守護完結"の嘘、"地方会館の大幅形木本尊"の嘘、等々..。嘘に嘘を重ね「大聖人の御眼」を恐れないのは、浅井昭衛会長自身である。櫻川 忠 )
5月13日
 宗門、怪文書が流布。「細井日達殿は速かに猊下を退くべし」(京橋消印) との文書、全国末寺に送附される。
5月14日
 宗門、阿部信雄総監、宗祖日蓮大聖人第七百遠忌局委員長に就任。
5月15日
 宗門、NST(日蓮正宗寺院)が、アメリカ・カリフォルニア州から認知される、理事長・菅野慈雲海外部長。
5月16日
 宗門、初の最高教導会議開催(総本山)。細井日達管長「最高教導会議は法義の厳正を期するためのものである」と。
 北條浩会長ら創価学会首脳6名(北條浩・森田一哉・和泉覚・辻武寿・秋谷栄之助・山崎正友・佐藤悦三郎)、法華講大講頭に任命。
「5月16日、総本山大石寺で第一回の最高教導会議と連絡会議が開かれた。最高教導会議というのは、学会の新しい会則によれば、日蓮正宗の役僧と学会の最高首脳で構成される、教義上の最高指導機関となっている。私もそのメンバーに入り、引き続き両者の間の調停を行うことになっていた。… 宗門側は阿部総監、椎名重役、野村宗会議長、それに宗務院と内事部の役僧。学会側が北条会長、森田一哉理事長、和泉、秋谷、辻の三副会長、それに私。ほかに書記的な役割の人達だったと記憶している。日達上人がお出ましになり、学会側のメンバーに大講頭の辞令が授与された。私はいささか驚いた。… 後日、日達上人にお目通りした際、この件についておうかがいしたところ、『私ももう疲れたし、きちっとまとまってほしい。仲裁役のあんたに、引き続きお目付役でやってほしいので(任命)したんだ。逃げないでよろしく頼むよ。阿部もたよりないから、遠慮なくいってやってほしい』 笑いながらおっしゃった」(「闇の帝王、池田大作をあばく」山崎正友 )
(※ 開催日に諸説あり。5月14日(「冨士」第201号)、5月17日(「慧妙」2001年5月1日号)) 
5月17日  週刊新潮、『池田大作名誉会長「国会喚問」の大攻防』を掲載。(「同」5月24日号 )
5月18日  創価学会、辻武寿副会長「登山会・参詣の心構えについて」。
「私は総本山に参詣するたびに、いつも『須弥山に近づく鳥は金色となるなり』の御金言を "なるほど、そうだな―" と思っております。我が身の生命が洗われて、境涯が大きく開き、福運が積まれていくことを心から感じています。生涯の間に、一回でも多く総本山に参詣し、大御本尊にお目通りすることの重要さをひしひしと痛感しております」(「聖教新聞」5月18日号 )
5月19日
 宗門、阿部信雄総監 富士年表増訂出版委員会委員長就任。
5月20日
 宗門、早瀬日慈師 富士学林長に就任。
5月21日
 宗門、活動家僧侶、妙真寺にて創価学会幹部( 野崎・溝口・八尋 )と会談。
 内事部、通達第2号「御本尊のお取扱い等に関する件」
5月21日  創価学会、池田大作名誉会長、最高幹部を引き締め。
「創価学会は俺そのものだ。私が創価学会の魂だ。お前たちは、私の全財産をただ預かっているに過ぎないのだから、『一時お預かりいたします』という一札を書くべきだ。また、私を "永遠の師" と仰いでいく、ということも、誓約したらどうか」と、誓約書を書かせる。
 婦人部幹部に、「今回辞任した理由は、対外的、とくに宗門にたいする建前である。私は頭がよいだろう、うまくいったんだよ。皆、心配することはないよ」と。
5月27日
 妙信講、第21回総会開催、渋谷公会堂に3千名が参加。
 浅井昭衛講頭「妙信講は大聖人の御遺命が曲げられるのを黙っていられず、ただ大聖人への忠誠心から、学会・宗門を諫め、ために理不尽なる解散処分を受けたのであります。… そして解散処分だけでは事足りず、学会・宗門は一体となって妙信講を抹殺せんと、本部会館に御安置してある御本尊を裁判にかけて奪おうとしました。しかし裁判は逆に妙信講の大勝利に終り、第一の節を乗り越えました。… そして今日、御遺命歪曲の元凶である池田大作が、ついに辞任するに至りました。これ第二の節であります。五年前、誰人がこのような事態を予想したでありましょうか。…
 御遺命破壊の最終責任は、細井管長にある。もし管長の仏法相違をそのままにして、池田大作だけを責めるならば、ついに事は徹底を欠き、御遺命守護も為し得ぬこととなるのであります。日興上人はかかる時の門家の心得として「時の貫首たりといえども … 」と仰せられ、人に依らずして大聖人の仏法を堅く守護すべき事を厳しく御命令であります。この御遺誡に基き、いま妙信講では、日達上人を「御法主上人」とお呼びすることをさし控えております。これ七百年来の尊き猊座の尊厳を守り奉るゆえであります。御遺命に背く発言をしておられる間は、御法主としての本心と離れておられる。そのような時には、単に宗務行政の最高責任者として、「管長」の名を以て呼ばねばなりません。但し、もし歪曲御訂正の時は、直ちに「御法主上人」と呼び奉る。妙信講はその日の来るのを心からお待ちするものであります。…
 第三の節とは宗門の懺悔である。御遺命守護は、大聖人が妙信講に下し給うた仏勅である。諸天の守護を得て堂々と完結し、大聖人に御奉公申し上げよう」と。
 八木直道師御祝辞「国立戒壇こそ本宗伝統の教義、"完結" の一念に燃え折伏に精進を」
「王法と仏法が冥合して全民衆がこの三大秘法を持つ時、国家的総意によってはじめて戒壇が建立される、それがすなわち御遺命の戒壇であり、正系門家伝統の教義であります。… 日亨上人は「富士日興上人詳伝」という著書の中で、この御文を次のように会釈しておられます。「伝教大師の円頓戒壇すなわち法華迹門の戒壇は、大師滅後に勅許があったのを例として、事法であるから、すなわち国立戒壇であるから容易な事でなかろうとして、自分が佐渡で死ぬか赦免になって鎌倉へ帰るかは不明でも、お題目はかならず天下にひろまる。しかし、戒壇は容易でないと暗示せられたのである」と。 その時期は一天広布の暁であり、したがってそれ以前の戒壇は、ことごとく義理の上の戒壇と申し上げるのが大聖人様の仰せであり、先師上人の御指南でございます。私は皆様と共に、正法護持・御遺命守護完結に向って懸命の御奉公をなす決意を以って、御祝辞にかえる次第であります」(「冨士」第189号 )
5月 日  週刊文春、妙信講関連記事掲載。「国立戒壇は、日蓮正宗の悲願でもあった。創価学会は宗門側を説得して、教義そのものから国立戒壇を抜き取ってしまった。… 要するに、宗門ぐるみで教義歪曲をしておきながら、それに異を唱えた妙信講を破門してしまった」(「同」6月7日号 )
5月 日  週刊サンケイ、院達を受け取った末寺(堅持院)の反応を掲載。「宗務院としては新体制となった以上(池田会長辞任)直るか直らんかわからんが、しばらく見守るというしかないが、我々としたら学会の体質が変ってない以上、処罪されようと今まで通り活動を続けていくことが、日蓮正宗のため(中略)私どもには院達は痛くもかゆくもありません」(「同」6月7日号 )
5月29日
 宗門、第21回寺族同心会開催。細井日達管長、「週刊文春」(6月7日号)の記事を取り上げ、国立戒壇と妙信講を批判。
 日興上人の廿六箇条の「時の貫首…」の一条の解釈について、「私はまだ猊座に登る前には、今まで妙信講が云っておるようなふうに、解釈をしておりました。しかし猊座に登ってみて、いろいろ総合して考えてみると、これは違いがある。これは『ときの貫首は何でもできるけれども、己義を構えて間違ったことをした--そのような者は用いてはいけない』これが本当である。… 今の若い人達の中には、妙信講の宣伝に染った人もある、と聞いております。また『国立戒壇は正しいのであって、宗門が間違ったんだ』というようなことを云った、という人のことも聞いております。(そのような人は)どんどんやめて頂いて、妙信講へ行って結構です。妙信講でも僧侶が少ないから、今も募集しているでしょう。…
 学会が正しく日蓮正宗の教義を守り、正しい信心をして、また世間の人を折伏していくのならば、我々はそれに準じて、どこまでも学会を守り、学会を信徒団体として受け入れていかなければならないのでありますから、ここしばらく様子を見なければならないと思うのであります。… 学会にいまだに間違ったことがあるのならぱ、宗務院、内事部のどちらにでも言ってきてくだされぱ、それを向こうに注意して、改めさせていくつもりであります」(「大白法」6月16日号 )
5月30日
 宗務院、創価学会員への働きかけの禁止命令は、法華講・檀徒会員にも及ぶ旨 院達。
 院第3037号「先に院第3018号をもって通達いたしました二項目の件のうち、『② 創価学会員に対しては、自分からの意志・希望によって檀徒となることを申出た者は受け入れて差支えないが、それ以外は一切の働きかけを固く禁止する』との件は、単に教師僧侶に対するのみでなく、広く法華講・檀徒をも対象とするものであるので、教師僧侶各位には、よろしく御承知の上、所属の法華講・檀徒全員へこの旨を指導徹底せられるよう願います。右記の通り通達いたします」(「大日蓮」第401号 )」
5月30日  月刊ペン裁判、第3回公判。弁護側が証人として予定していた、日向鉄城が死亡のため出廷できない旨の陳述がなされ閉廷。
5月31日
 宗門、細井日達管長、「怪文書」(5月13日付)と「週刊文春」(6月7日号)の記事について、僧侶ならびに法華講員に対し釈明。(「大白法」6月16日号 )
6月1日
 妙信講、6月度班長会開催。整理部長に佐久間敬之、本部参与に星勇 任命さる。
6月1日  月刊「現代」7月号、「池田名誉会長、創価学会の大ウソ」(内藤國夫)を掲載。
6月4日
 宗門、細井日達管長、「週刊文春」に対し "印鑑盗用事件" の記事(6月7日号)について抗議。
6月 日  創価学会、北林芳典、月刊宗教情報誌「現代宗教研究」を創刊し編集長となる。
6月7~11日
 妙信講、6回に分け本部指導会開催、2千名が参加。 浅井昭衛講頭、第21回総会の講演について、「御遺命破壊の根源の明示は、根源の解決の瑞相である。妙信講が総会で公式に発言したことは重大、 反応は後に必ず現われる」と。
6月13日
 宗門、院達を発布。
「最近某週刊誌において某師の発言として院達を軽視するかの如き言辞が掲載されました。これについて宗務院として某師本人に対し、その真意をただしたところ、本人より『週刊誌の内容はかなり自分の意志と食い違うところがある』および『院達は遵守する』旨の回答がありました。よって宗務院としてこれを了解いたしましたが、諸師はくれぐれも言動をつつしむように」
 週刊サンケイ(6月7日号)の記事に、宗務院がただちに反応。
6月15日
 妙信講、松本日仁能化第3回忌法要、顕正寺で奉修。
 浅井昭衛講頭挨拶「本日、第三回忌に当って、御遺命守護の御奉公も、第一・第二の節を乗り越え、今や第三の節を見つめて大前進を開始したことを御能師に御報告できますことは、大きな喜びでございます。…
 御遺命破壊の根源は、すでに先般の総会で申したごとくであります。さらに広く宗門僧侶の動向を見るに、学会にへつらって一身の栄達を計っている宗務役僧らの無道心ぶりは論外でありますが、反学会の僧侶もまた御遺命の曲れるを見ても黙している、これ大聖人に対し奉り不忠であります。たとえ学会を責めるとも、ただ学会と管長の抗争に便乗し、管長の権威を笠に学会を崩さんとするだけの行動であれば、とうてい純粋なる護法の戦いとは云えません。… 管長の権威を利用して学会と争うことは少しも難事ではない、身は安全のゆえであります。しかし、『正本堂は御遺命の戒壇にあらず、国立戒壇こそ御遺命なり』と、もし一言でも叫ぶならば、この事に関してだけは管長も学会も共に憎み、直ちに宗門追放の身となるは必定であります。
 もし、大聖人への忠誠心より、法を惜しむ大道念より、身命を惜しまず御遺命守護に立つ御僧侶が出るならば、まさに真実の出家、真実の仏子であります。私はかかる御僧侶の出現を確信しております。広宣流布の時は日目上人が御出現されるとは本宗七百年来の云い伝えであります。すでに身を捨てて御遺命守護に立つ講中はあり、どうして純粋護法の御僧侶の出ぬことがありましょうか。もし出るならば、まさに日目上人御出現のさきがけと思うべきであります」
6月 日
 宗門、怪文書「創価学会解散計画」出廻る。
6月18日  宗門、高橋公純師。韓国・信正寺檀徒宛に、海外部指導下に入るよう要請する文書を作成し、関係者に配布。
「国内では正信会から冷遇され、宗門から見離され、韓国内では猊下の公認書、海外部長の親書などを持って、法華講が檀徒を切りくずし、しかも我々が韓国にいけないとすれば、私としては三万八千名まで増加した檀徒の事を、深刻に悩まなければならない。そこで住職と相談の結果、意を決して檀徒を宗務院海外部に入れることにした。… しかし、私が断腸の思いで委ねた檀徒に対して、海外部は一カ月経っても、二カ月経っても、何一つ連絡してくれなかった」(「覚醒運動の興亡」高橋公純師 )
6月21日
 宗門、細井日達管長、体調を崩す。
「山崎は細井管長を、西崎義展が所有するクルーザーに乗せる。途中、強風で細井管長が体調を崩し、急きょ、熱海で降ろした。(中略)細井管長は、西崎のクルーザーに乗り体調を崩したほぼ1ヵ月後の7月22日、富士宮市のフジヤマ病院で急逝した。享年77歳」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
6月25日
 宗門、宗会議員補欠選挙で、反学会活動家僧侶 佐々木秀明師当選。(「継命」7月1日号 )
6月28日  浄土真宗親鸞会、妙信講との法論拒否を通告。(※ 妙信講から正式に、浄土真宗親鸞会に法論を申し込んでいた )
6月28日  東京サミット開催、第5回先進国首脳会議が、初めて日本で開催された。会場は赤坂の迎賓館、議題はイラン・イスラム共和国のイスラム革命を受け、石油問題が中心議題となった。
6月30日
 宗門、活動家僧侶、一斉に御講などで創価学会批判を展開。
7月1日
 宗門、全国檀徒新聞「継命」論説、池田大作に名誉総講頭辞任を勧告。
7月3日
 妙信講、男子部幹部会開催、浅井昭衛講頭「男子部は広宣流布の責任感に立て、広布を推進する日本一の男子部を築こう」
7月7日
 宗門、活動家僧侶 ( 山口法興師・佐々木秀明師・丸岡文乗師 )、妙真寺で創価学会幹部 ( 秋谷栄之助・溝口隆三・八尋頼雄 ) と会談、池田大作の名誉総講頭辞任を勧告。( 週刊サンケイ6月2日号 )
7月13日
 宗門、活動家僧侶、末寺月例御講で創価学会批判を開始。
7月14日  創価学会、男子部会合で一幹部が発言、「再来年の、日蓮大聖人七百年遠忌までに、日達は必ず退位する。そのあとは、阿部がやることになっている。そのときこそ、池田先生が復権するとき。北条なんかメじゃない」(「週刊文春」8月2日号 )
7月15日
 宗門、花野充道師、「慧燈」第4号で親鸞を大聖人と並べ、「鎌倉時代の両聖」と讃える。
7月17日
 宗門、妙流寺本堂庫裡増改築落慶法要、細井日達管長「よく学会の人が間違ったことを言いますね。『師匠が地獄へ行ったら自分も地獄に行っても良い』という考えは、大変な間違いであります」と。
7月18日  月刊ペン裁判、第4回公判。弁護側の証人が病気等で出廷できず、審理せず閉廷。
7月19日
 宗門、宗務院と創価学会の連絡会議開催(総本山)
「一、信徒名簿作成の件
 二、派遣幹部の所属寺院について
 三、祭りと謗法厳誡について
 四、常住御本尊の感得願について
 五、特別御形木御本尊について
 六、お経本について
 七、お経本のふりがなについて
 八、念珠の御開眼について
 九、勤行の鈴の打ち方について
 十、聖教新聞について
十一、"六・三十"、"十一・七" の指導徹底について
十二、檀徒・学会員のトラブルについて
十三、総代の選定方法について」
7月19日  週刊文春、記事取り消し。6月7日号の妙信講関連記事について「抗議部分は穏当を欠くので取り消す」と表明。(「週刊文春」7月26日号 )
7月21日  宗門、細井日達管長 危篤。
「富士宮の病院に入院中だった日達上人は、治療のため東京の病院へ転院することとなり、『どうしてもしなくてはならぬ大事なことがあるので、明日一日だけ、本山に帰る。明後日に東京の病院に行きたい』…と言われ、菅野尊師に『寝たままでいいから、対面所に布団を敷いておくように』と指示された。そして翌22日の早朝、御遷化あそばされた」(「週刊文春」山崎正友手記、80年11月20日号 )
7月22日
 宗門、細井日達管長 逝去。フジヤマ病院において、午前5時5分、心筋硬塞と動脈瘤で急逝。
 午前11時すぎ、緊急重役会。阿部信雄総監、椎名日澄重役、能化を代表して早瀬日慈師が出席。
「席上、阿部総監より『昨年四月十五日、総本山大奥において猊下と自分と二人きりの場において、猊下より自分に対し內々に、御相承の儀に関するお言葉があり、これについて甚深の御法門の御指南を賜ったことを御披露する』との "お言葉" があり、これを承った出席者は深く感動いたし、ひたすら信伏随従をお誓い申し上げた」(「大日蓮」9月号 )
7月22日  創価学会、池田大作名誉会長。扶桑文化センターで山崎正友と面談。
「私は池田大作と会い、御遷化の経過を話した。その時、池田大作から、『次はどうなるんだろう、友さん、知っているか? 』と聞かれ、私は、『はっきり決まっていないから、重役会で決まるんじゃないですか』と答えた。池田大作はニヤリと笑い、『今朝、阿部総監から電話で、"次のことは決まっていますから、御心配なく" との連絡を受けたよ。どういうことだろう? 』と言った」(「慧妙」山崎正友 1995年2月16日号 )
「日達上人の急逝の一報を聞くと、まるで小躍りするような表情でいった。『死にやがったか』
 そして、新法主となった阿部日顕上人とは旧知の仲ということで、故・日達上人との約束を反古にし、あっという間に息を吹き返した」(「池田大作の素顔」藤原行正 )
「日達上人の御遺体が大奥対面所に戻り、身内、関係者による読経が終わった直後のことだ。西奥番室に下がった遺族の細井珪道、琢道、そして日達師の娘婿の菅野慈雲等、数人が話をしているところに、午前7時15分から枕経の導師をすることになっていた当時の阿部総監(日顕)が不安そうな顔をして入ってきた。
 3人の顔を見るなり、『あと(相承)のことはどうなっているのか? 』と切り出した。あきらかに相承についてのことだった。そこで菅野慈雲が、『総監さん(日顕)じゃないんですか? 』と言って日顕を指さした。それは、『あなたしかいないではないか』という意味だった。その瞬間、日顕は、『あぁ‥そうかぁ‥』と呟き、複雑な表情をしたまま、考え込むような格好でゆっくりとうなずいた。遺族も何も聞いていない。日達法主の娘婿であり側近の菅野も何も知らない --。日顕は、この時点で、"日達法主が誰にも相承をしないまま亡くなった" と確信するのである。…
 日蓮正宗の「宗規」には、以下の条文がある。
 第14条第2項「法主は、必要を認めたときは、能化のうちから次期の法主を選定することができる。但し、緊急やむを得ない場合は、大僧都のうちから選定することもできる」
 同第3項「法主がやむを得ない事由により次期法主を選定することができないときは、総監、重役及び能化が協議して、第2項に準じて次期法主を選定する」
 日達法主が、誰にも相承をしないで亡くなった場合、該当するのは第3項の条文となる。つまり、総監、重役及び能化が協議して選定されることになるのである。日顕は「信雄」の名の通り、能化になっていない、大僧都だった。協議で法主の選定が進められれば、次期法主は、まず能化から選定されるのが当然であり、そうすれば、大派閥「法器会」の領袖であった宗内の実力者・早瀬日慈に落ち着くことは明らかだった」(「法主の大陰謀」憂宗護法同盟 )
7月23日
 宗門、細井日達師 御通夜。
 創価学会、聖教新聞「寸鉄」欄、「法水潟瓶して 正法正義の清流は 万代までも流れゆく 我らが広宣流布の前進もまた」(「同」7月23日号 )
7月24日
 宗門、細井日達師 御密葬。
 活動家僧侶( 渡辺広済師・佐々木秀明師・山口法興師・丸岡文乗師・足立堅泉師 )、阿部日顕総監に目通り(総本山)。阿部日顕総監「第3回檀徒大会、日達上人の約束だから許す、ゆるやかにやれ」
 聖教新聞社説、「今、我々は、歴代会長が身をもって示してきた愛宗護法、宗門外護こそ学会精神の第一義であることを深く銘記し、阿部日顕新御法主上人へも、変わらぬ赤誠の御奉公を尽くしていくことを誓い合いたい。それが不減の滅を現じられた御法主日達上人への御報恩の道である」(「同」7月24日号 )
7月25日  朝日新聞、「共創協定骨抜き状態」と報道。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭、細井日達管長の急逝にふれ「今回の突如の御遷化に伴う宗門の異常事態を深く見つめた時、『仏法は体、世間は影』であれば、日本の重大危機はどうしても避けられない。この事態の解決は、日目上人の御出現なくばあり得ない」と。
7月27日
 妙信講、7月度支部長会、浅井昭衛講頭「宗門の異常事態」と。
7月27日  創価学会、溝口男子部長、「週刊文春」に8月2日号の記事訂正を申し入れる。(「聖教新聞」8月31日 )
8月1日
 全国檀徒新聞「継命」第3号発刊、「御本尊ごと売られた結婚式場目黒文化会館! 」
「長年、学会員に親しまれ、いまもなお馴染みの深い"目黒文化会館"が、いつの間に、御本尊ごと売却され、学会とは無関係? の結婚式場になっている。… にもかかわらず、式次第の勤行は学会幹部の導師で行っていることが判明し、宗門無視の、この恐るべき事実に、地元学会員や檀徒も驚き、早くもマスコミに報道され、またしても学会の大謗法が明るみに出た」(「同」8月1日号 )
8月1日
 妙信講、「冨士」8月号巻頭言、浅井昭衛講頭「濁乱の宗門の中に三万法城が屹立する時、戦いは新しい局面を迎える」と。
「最近、花野充道という本宗僧侶が、法華講連合会の教学理論誌「慧燈」(第四号)に「主体的危機意識の確立」と題して一論を発表したが、その内容たるや、邪僧の親鸞を大聖人と並べて「鎌倉仏教の双壁」「両聖」と讃える等、これが日蓮正宗の僧侶の言葉かと思えるほどの逸脱ぶりである。… また彼はここ二・三年来、妙信講の悪口中傷に狂奔していたが、今回はしなくも "一分の信心もなき悪侶・花野充道" の実態を、自らの筆によってさらけ出したことは、まさに諸天の計らいであろう。ここにこの謗法の悪文を粉砕すべく、教学部の三氏が筆を執ったので以下掲載する」(編集部)
8月2日
 宗門、総監に藤本栄道師、庶務部長に菅野慈雲師が就任。
8月5日
 妙信講、顕正新聞「大利剣」、花野充道師の論文を批判。
8月6日
 宗門、阿部日顕師、日蓮正宗管長就任。第六十七世に登座、御座替式奉修 (総本山)。
 阿部日顕管長「日達上人貌下には兼知未萌の大智をもたれまして、ご自身の生涯における一切の事柄をかねてご冥鑑あそばされ、そのうえから、このご処置を賜ったものと拝察したてまつるのでございます。ゆえに皆様におかれましても、このたびのことは、ことごとく先師日達上人猊下の御意のままに運ばれたことであることを、深く信ずることが大切と存ずるものでございます」(「大日蓮」第403号 )
 池田大作名誉会長「日顕上人の御威徳のもと、また無量の御恩を賜った第六十六世日達上人の御高恩に報ずるためにも、いよいよ広宣流布の大願業に力を尽くし … 御法主日顕上人に御奉公の赤誠を尽くすことを固くお誓いする」(「聖教新聞」8月8日号 )
8月7日
 宗門、細井日達師、御本葬。
8月11日  創価学会、聖教新聞社説「日顕上人には御座替式において御言葉を賜り、宗祖大聖人第七百遠忌をあと二年にひかえての重大な時、僧俗が真に一丸となり一致団結して、大聖人の仏法の護持興隆、広宣流布に邁進することが、もっとも肝要である旨、御指南されている」(「聖教新聞」8月11日 )
8月12日
 妙信講、「冨士」巻頭言「いざ三万法城を実現せん」
 浅井昭衛講頭「御遺命を偽る正本堂ができてから七年、妙信講に理不尽の解散処分が下されてより五年、本年は御遺命守護の戦いの途上においてまさに大きな節目の年になりつつある。
 四月には、あれほど権勢を誇った池田大作が退陣の余儀なきに至り、また七月にはいかなる人も御遺命に背いては身が持たぬ、という事実が眼前にされた。まことに仏法の因果は厳しく、また大聖人は賞罰正しき御本仏であらせられること、身震いするばかりである。正系門家で大それた詐惑がいつまでも通用することは断じてあり得ないのである。… 濁乱の宗門の中に三万法城が屹立する時、戦いは新しい局面を迎える」(「冨士」第191号 )
 弾圧五周年記念幹部会開催、浅井昭衛講頭「御遺命守護の戦いは、道理が勝つか権力が勝つかという宗門における歴史的実験であり、一国広宣流布のモデルケースである。仏法の戦いは凡夫の小手先の小細工でやるものでない、信心の力で進めるもの」
(※ さて、"道理が勝つか権力が勝つかという…歴史的実験" より現在(令和4年)まで43年、"一国広宣流布のモデルケース" たる "歴史的実験" の結果は惨憺たるものであるが、浅井昭衛会長は "大成功" と頑なに強弁するのだろうか? 櫻川 忠 )
8月16日
 宗門、花野充道師、「慧燈」第4号論文について宗内僧俗へ謝罪文送附。
8月16日  週刊サンケイ、柴田瑞穂手記「死んでも言いたくなかった真実・池田前会長はなぜ御本尊を偽造したのか」掲載。
8月 日  週刊サンケイ、柴田瑞穂手記2「日達上人を徹底的に無視した池田前会長の罪」掲載。
8月21日
 宗門、阿部日顕管長、訓諭を発布。「血脈法水に基く和衷協力」を強調。
「野衲(ヤノウ)曩(サキ)ニ日達上人ヨリ血脈相承ヲ受ケ本年7月22日総本山第67代ノ法燈ヲ嗣ギ本宗管長ノ職ニ就キマシタ
 顧(オモ)ウニ近年宗門ノ教勢ハ隆々トシテ未曾有ノ進展ヲ示シツツアルコトハ喜ビニ堪エマセンガ亦タ此レニ伴イ種々ノ障碍(ショウゲ)ガ惹起スルコトハ洵(マコト)ニ遺憾デアリマス
 コノ秋(トキ)ニ当ッテハ宜シク血脈法水ニ基ク和衷協力ヲ以テ統一的見地ニヨル諸般ノ匡正(キョウセイ)ト改善ヲ図リ教学ヲ振興シ弘教ニ邁進スルコトガ肝要ト思イマス
 加ウルニ宗祖日蓮大聖人第七百遠忌奉修ニ関スル各般ノ記念事業ハ一日モ忽(ユルガ)セニナシ得ズ至信ノ行業ヲ以テソノ完遂ニ嚮(ムカ)ワネバナリマセン
 野衲ハ徳薄垢重(トクハククジュウ)ニシテソノ器デアリマセンガ伝燈ヲ継承シテソノ責務ノ重大ヲ覚悟スルト共ニ宗祖及ビ先師ノ遺訓ヲ体シ宗内一同ノ協力ヲ得テ宗門ノ興隆ト広布ノ願業(ガンゴウ)ニ邁進スル決意デアリマス
 一宗ノ緇素(シソ)ヨク此ノ微衷(ビチュウ)ヲ諒セラレ三業ヲ正シ護持精進以テ宗門ニ寄与セラレンコトヲ願イマス 右訓諭シマス」
8月21日
 妙信講、折伏講習会開催(豊島公会堂)、1千8百名が参加。
8月22日  創価学会、聖教新聞紙上にて「6.30教学上の基本問題について」(全10回)の連載が始まる。
8月24日
 宗門、アメリカ合衆国公法人・日蓮正宗寺院(NST)設立記念法要(恵日山妙法寺)。
 阿部日顕管長、「日蓮正宗テンプル」設立記念パーティへメッセージ、「本日の慶事を一番お喜び下さっているのは、今はなき第六十六世御法主日達上人猊下であらせられましょう。今回の訪米行事には、第六十六世日達上人猊下がみずから御参加の予定で、心からその日を楽しみにしておられましたが、思いもかけず、去る七月二十二日、御遷化あそばされ、予定変更の止むなきにいたりました」
8月25日
 宗門、第3回全国檀徒総会開催(総本山大講堂)。
「大会は、丸岡文乗師の力強い開会の辞によってその幕が切っておとされた。丸岡師は、御法主日顕上人貌下の大慈悲のもと総本山において第三回総会が盛大に開催される喜びを述べ、同時に昭和五十二年以来、正信覚醒運動を見守りはぐくまれた日達上人貌下の御遷化に、深い奉悼の言葉を捧げた。ここで、御法主上人貌下より御説法を賜った。
 次に、佐々木秀明師より現況報告。四月以降の池田会長辞任に端を発し、数回に亘る学会代表との会談と遅々として進まぬ学会の改善、未だに出てくる謗法逸脱行為、幹部発言等をとりあげて説明。
 次いで「善と悪」と題して児玉大光師の講演。今日に至る創価学会の教義逸脱、大謗法は池田氏唯一人の錯覚から始まったものであり、池田氏の心からの懺悔がない限り、善悪共に救うという大聖人の仏法の大慈悲の立場から、更に正信覚醒を展開していこうと訴えた。
 檀徒代表決意を応身寺講頭。池谷甲一氏、法遊寺講頭。平山弘作氏が行なう。
 ここで、渡辺広済師が講演。最後に、荻原昭謙師が諸注意として今後の檀徒のとるべき信心姿勢について指導。諸注意に加えて荻原師は、創価学会の犯した日に余る大謗法の数々、その大謗法を隠しつづけ、己が権力、組織を守らんが為、大聖人の仏法を壊乱するに至ってはもはや、本末転倒、この法人は百害あって一利無し、と指摘し、今こそ根本解決の時であり、『真の広宣流布を致す真実の法華講衆はいずこにありや、今こそ地涌の本書属出でよ! 』と法華講、檀徒一同の一大奮起を促した。丸岡師の閉会の辞で大会は閉幕した」(「第3回日蓮正宗全国檀徒総会紀要」)
 阿部日顕管長「故に、"自分の心を" という意味と、"自分の心に" という意味との、二つのけじめが大切であります。『自分の心に任せて師匠の言や仏法を観る』ということになると、これは自分の心というものが中心となり、従って師匠や仏法を信じない場合が生ずる。これがすなわち不信となるのであります。不信は謗法であり、堕地獄の根源であります」
8月28日
 宗門、「池田大作は"三秘破壊者"」との活動家僧侶によるパンフレット、宗内に出廻る。
8月30日
 宗門、教師講習会開講式。阿部日顕管長「今までの宗門の中でも随分謗法の姿は今までに有ったのです。現在でもあります。… 慈悲の気持ちで誤ちを改めさせていくということが非常に大切なこと」と、創価学会を庇う。(「大日蓮」10月号 )
 藤本栄道総監 宗祖日蓮大聖人第七百遠忌局委員長就任、早瀬日慈師 富士年表増訂出版委員会委員長就任。
8月31日  創価学会、東京支部長会開催(戸田記念講堂)。北條浩会長と共に、池田大作名誉会長出席。(「継命」55年2月15日号 )
8月31日  週刊サンケイ、柴田瑞穂手記3「密かに画策されていた池田教創価王国構想」掲載。
9月1日
 宗門、「継命」第5号発刊。「最高幹部Z氏の投書」、"池田前会長の復権工策"、"創価学会インターナショナル会長が日蓮正宗を名乗る信徒の上に立つ矛盾"
9月1日
 妙信講、班長会、浅井昭衛講頭「迫る巨大地震」につき講演。
9月1日  創価学会、池田大作名誉会長、聖教新聞社特別ロビーの一室に原島嵩を呼び談話。鈴木第一庶務室長、末定教育部長が同席。
「学会の方が宗門より大事だ … 僧侶が折伏をやらないのは謗法だ … 宗門の批判は(宗門の言っていることは)、あげ足とりで、枝葉末節である。根本(根本問題)ではない …
 日達上人と現猊下を比較すれば日達上人の方が信心があった。現猊下の方が信心がない。ただ晩年、日達上人は、若手僧侶に乗せられてしまった … 七十七歳で死ぬとは誰も思わなかった、君も思ったか」等と語る。(「池田先生への手紙」原島嵩 )
9月5日
 宗門、阿部信雄師、名を「日顕」と変更する届けを提出。
9月 日
 宗門、活動家僧侶、「日蓮正宗の信心をしつつ、公明党を支持しなければ罰が当ると思われている皆さんへ! 」とのビラを宗内に流す。
 山崎正友顧問弁護士、総選挙を前にしてひそかに「謗法選挙の実態に目ざめよ」のビラ原稿を作成。
9月初旬  創価学会、山崎正友顧問弁護士、「申し上げるべき事」を阿部日顕管長に言上する。
「山崎は日顕が登座まもない昭和54年8月から9月にかけて4、5回、日顕に会い創価学会攻撃の献策をした。その献策の内容は、山崎が日顕に会うにあたり書いた『申し上げるべきこと(一)』『申し上げるべきこと(二)』というメモによって裏づけられる。そのなかには、『このまゝいくと、一年半で、檀徒は、15万~20万になる。そこで本当に学会がコントロールできる力を(G)がもたれる。そこで真の解決をすべきである』」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
9月12日  創価学会、松本勝弥編著「池田大作言行録」(社長会記録)の発売禁止仮処分を東京地裁に申請。いわゆる「社長会記録」は、木村靖(東洋物産元社長)のメモだから木村に著作権があり、その出版は著作権侵害だとする。
 聖教新聞、「6・30 教学上の基本問題について④」、"獄中の悟達" は本仏の自覚に非ず。
9月15日  東京地方裁判所、創価学会側の言い分を認め「池田大作言行録」発売禁止の仮処分を決定。
9月17日  泉文社、松本勝弥編著「池田大作言行録」を刊行。仮処分のため発売できず。
9月中旬  創価学会、山崎正友顧問弁護士、山口法興師へ「特別財務返還の訴状」の原案を提出。
9月20日  創価学会、本部総会開催。北條浩会長、公明党への支援を強調。(「聖教新聞」9月11日号 )
9月20日  日本共産党、「赤旗」紙に「日蓮正宗信徒が、公明党の政教一体・選挙批判のビラを、全国でまいている」と掲載。
9月20日  創価学会、原島嵩教学部長、9月20日前後、聖教新聞社保管の機密資料のコピー(ダンボール数十箱)を会外へ持ち出す。
「山崎は、今度は教学部長であった原島嵩をそそのかし、同9月、創価学会の機密資料をダンボール十数箱、盗み出させた。このことを知った創価学会は、11月9日付で原島教学部長を解任した。この原島の資料持ち出しについて山崎は、『原島も、ものすごいものを持ってきた。えらいものが入った。鬼に金棒だ』とハシャいだ」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
「こういった諸々の経緯により、私の心は完全に池田学会と離れてしまいました。そして当時、私に続くという人も、野崎至亮とか、桐村泰次とか、何人かいたんです -- 結局は立ち上がれませんでしたが -- そのうちの野崎と私とで、検証のために『池田語録』をコピーして、安全な山崎さんのところへ運んで、ひとまず保管してもらったのです。ここで誤解しないでほしいのですが、学会は私が "資料を盗み出した" 等と言っていますがね、私は当時、聖教新聞の主幹だったのです。つまり、自分で資料を確認するために、コピーして持ち帰ることのできる立場にあったのですよ。だから、盗んだのでも何でもない」(「慧妙」山崎正友、原島嵩 2003年9月1日号 )
9月22日
 宗門、活動家僧侶(佐々木秀明師、児玉大光師)、寿福寺(大分県別府)で北條浩会長・平井庶務局長と会談。(「継命」55年2月15日 )
「池田さんに、"… 昭和五十二年に集約した学会路線は、私が引いた謗法の路線でありました" と、ハッキリ明言して貰いたい。その明言されたことを、このように言ったと他人には吹聴しません。お互いの信義の為にも … あなた方も、そこ迄池田さんが追い込まれるのは執行部として忍びないでしょう。そして明言された態度を我々が確認した上で、しばらく様子を見ましょう。それだけの余裕は我々にもございます。そのようにして下さい、と念を押したら、北條さんは『ではそのように取り計ってみましょう』というところで、会談は終了した」(「佐々木秀明メモ」正信覚醒運動の歩み )
9月25日
 妙信講、顕正新聞「大利剣」欄、花野充道師の謝罪文につき再批判。
9月25日
 宗門、阿部日顕管長、山崎正友顧問弁護士に「あんたは大ウソつきだ」と叱責し、本山への出入りを禁止。
「私は登座以来、特に昭和54年の9月に、山崎正友が実にインチキ極まる悪辣な策略家であるということを見抜いて『あなたは大嘘つきである』ということをはっきり言いました」(「大日蓮」昭和60年5月号)」
9月26日  月刊ペン裁判、第5回公判。主任弁護人が出廷できず閉廷。
9月 日  創価学会、原島嵩。池田大作名誉会長への「公開討論申し入れ」の文と、百数十枚の原稿を執筆。この原稿は「池田先生への手紙」に収録される。
9月 日
 宗門、山口法興師(活動家僧侶のリーダーの一人)、山崎正友顧問弁護士と接触。
「山崎さん、猊下はもうダメですよ。池田に丸め込まれてしまった。これから宗門は池田の意のままに操られていきますから、あなたも覚悟して、身の振り方を考えたほうがいい。何かあったら、骨は我々が拾うから」
「でも私は、もともと日達上人から命ぜられて、あの人達が暴走するのを抑える役をしていたくらいですから、あの人達の路線に必ずしも賛成じゃなかった。ただ、こうなってきては、それも選択肢として考えざるをえない、とは思いました」(「慧妙」山崎正友、原島嵩 2003年9月16日号 )
9月27日
 宗門、第4回九州檀徒総会開催。
9月27日
 妙信講、支区部長会、浅井昭衛講頭「妙信講は御遺命守護も広宣流布も、口先きだけで論じたことはない。再建以来たゆまぬ折伏によって、大聖人より一つ一つ発言の資格を頂いて今日に及んでいる。… 信心の赤誠をつくし、目師会までに歴史的な三万法城を断じて達成しよう」
10月1日
 宗門、全国檀徒新聞「継命」誌、菅野憲道師の「広宣流布と本門寺の意義」(富士学報 第5号)を掲載。
 宗内に、怪文書「月刊正報折伏」出回る。「日蓮正宗の正信覚醒運動に重大事件発生!」と、"花野問題" を転載。
 関東地区の檀徒414名、創価学会に対し、特別財務金の返還請求訴訟を起こす。(「継命」11月1日号 )。細井日達師の「学会はご供養を集める資格はない」との言葉にしたがって、昭和50年から52年にかけて集めた金 ( 総額 2,705万円 ) の返還を求め元学会員が提訴した。
10月1日  創価学会、「池田大作言行録」第1回公判、社長会メンバー・木村靖の処分申請の報告書を取り下げる。
10月5日
 妙信講、「冨士」巻頭言「三万達成眼前」
 浅井昭衛講頭「もし妙信講が懶惰懈怠にして弘通もなさず、口先だけで広布を論じ宗門を語り、知りたげに法義を談ずるだけの講中であったならば、今日の重大なる御奉公はとうてい叶わなかったであろう。大聖人は口舌の徒には発言の資格を与え給わぬのである。… されば今日の宗門において、御遺命の違背を糺し本門戒壇の正義を論ずる資格あるは、ただ妙信講一人である。
 而してその御奉公において、すでに第一・第二の節は乗り越えた。第三の節とは「宗門の懺悔」である。このこと本年五月の第二十一回総会で明示し、七月には不思議の現証を見せて頂いたが、さらに三万達成と共に新しい戦いは開始される。日目上人が国諫の途上、垂井で御遷化された意義深き十一月十五日までに、全講の赤誠を以てこの三万法城を断じて築き上げようではないか」
10月7日
 妙信講、大牟田支部第2回大会開催、90名が参加。
10月7日  第35回衆議院議員総選挙、公明党 58名当選。大平正芳総理、就任後初の総選挙。自民党・大平総裁は財政再建を旗印に、一般消費税の導入を掲げたが党内外の反発が強く、少なからぬ自民党候補が反対を明言した。自民党は過半数を割り込み、党を二分する抗争(四十日戦争)に至る。
10月8日
 宗門、怪文書「月刊正報折伏」、「真の正信覚醒運動とは、阿部日顕、早瀬日慈らの高僧たちに対する折伏運動のこと」(「週刊ポスト」12月14日号 )
10月8日
 宗門、反創価学会活動禁止の院達(院第18号)発せらる。
「一、創価学会に対する基本的な態度は、前法主日達上人が示された既定の方針と聊かも変わるものではない。
 二、僧侶にあっては上求菩提下化衆生の誓願に徹して慈悲の精神に立ち、法主上人のもと一結して僧俗和合協調の基本路線に添い奉るべきである。
 三、創価学会にあっては、6・30、11・7につき、さらに全会員が十分、その経緯と意義内容を理解し納得するよう、意を尽して説明、徹底することを怠ってはならない」
10月10日
 宗門、全国宗務支院長会議、阿部日顕管長「特に現地における内容は分かりませんが、僧侶が学会を誹謗しているそうです。そして、既にやってはいけないということになっているにもかかわらず、お講等において御書以外の話をし、しかもその内容は、創価学会の過去のことを洗い出して何時までも何だかんだと言っております。『宗門は金のことばかりを言う』と言うけれども、毎日何千人と来る登山者の、その内の90%以上が学会員です。本山をお守りし、そして総本山の灯燭をお守りしてくれるのは、実質的に学会員なのです」
10月12日  創価学会、北條浩会長、院達に対し随順の談話発表。(「聖教新聞」同日付 )
 本部全体会議開催、北條浩会長「創価学会は池田先生あっての組織である。したがって本部職員は、池田先生のもとに誠心誠意、ご奉公していかねばならない。この学会本部全てが池田先生のものである、と自覚するならば一銭たりとも無駄に使ってはならない。君たちの使用するエンピツ一本まで、先生の物である。そのように心得よ! 」
10月13日  東京スポーツ、「創価学会の内幕」の連載開始。
10月14日
 妙信講、高知支部第3回大会開催 (高知県民センター)、243名参加。
10月 日
 宗門、全国檀徒新聞「継命」第7号発行、"院達18号" に対する疑難を取りあげ、6号までの論調とは変わって、阿部日顕管長と宗務院を批判。「現在の我々の主張と行動こそ正しく、これを受け継ぐものであり、先の院達は大きな誤認識にもとずくものである」
10月17日
 宗門、関東地区檀徒代表者大会開催(妙真寺)。院達に対し「正信覚醒運動は従来と変わることなく一層強力に推進していく、来年8月の第5回檀徒総会までに檀徒を倍増しよう」と声明。
10月19日  創価学会、「池田大作言行録」第2回公判。
10月20日  創価学会、聖教新聞「6・30 教学上の基本問題について」
「『僧宝』とは、正宗においては第二祖日興上人のことであり、… 唯授一人の血脈をうけられた御法主上人猊下であらせられる。したがって、この正宗教義の根本となる僧宝と、信心実践面での和合僧ということについては、絶対に混同するようなことがあってはならない。また、広義においても、学会を『僧宝』という言い方をしてはならない」
10月21日
 妙信講、大阪支部結成大会開催(大阪ファミリー会館)。大阪支部長に竹田慶之助、任命さる。
10月23日
 宗門、佐野知道師(常光寺)、小冊子「6・30、11・7を理解する為に」を発刊、檀信徒に無料配布。「やっと宗門からの質問が聖教に少しづつ発表されてはいるが、依然として、日蓮正宗の信徒にあるまじき正宗教義からの逸脱、謗法問題については未だに一般会員は認識を改めていない」
10月26日  大韓民国、朴正煕大統領暗殺事件。大韓民国中央情報部(KCIA)部長・金載圭、ソウル特別市鍾路区宮井洞の秘密宴会場で開かれた晩餐会で、長時間にわたり大統領からKCIAの無能振りを叱責され、朴正煕大統領と車智澈大統領府警護室長の両名を射殺した。
10月28日
 妙信講、群馬支部第5回大会開催(富岡中央公民館)、127名が参加。
11月1日
 宗門、全国檀徒新聞「継命」、論説で "院達" を創価学会擁護であると批判。栗林開道師(福井県宝珠寺)、創価学会に "詫び状" を書かされた経過発表。
11月1日
 妙信講、班長会、浅井昭衛講頭「内得信仰の勤行」につき指導。
11月9日  創価学会、原島嵩を教学部長から解任し、教学研究室長に棚上げ、後任は桐村泰次。副会長が19名となる。(「聖教新聞」10月10日 )
 題目の商標登録について釈明、「折から正本堂の落慶をひかえ、これに関連した商品が数多く販売されることも予想されましたので、その対策について、総本山にご相談申し上げ、その了承を得て、学会が事前に対処することになりました。その一環として特許庁の方針変更にそなえ防衛上押えておく必要があるとの判断で、題目の商標を出願しました。… あくまで題目が他の第三者により商標登録され、独占的に俗事に使用されるのを未然に防ぐため、そのときどきの特許庁の方針を考慮しながら法的防衛措置としてあえて登録申請に踏みきったのが実情であります」(「聖教新聞」11月9日号 )
「十一月九日付けの聖教新聞三面の『お答えします』で、"悪用を防ぐため商標登録" との弁解に対し『御本仏大聖人の御法魂を商品化』と糾弾し、他教団からの異義申し立てがあり、学会があわてて取り下げた経緯を述べている。また、宗務院も許可した覚えがない旨を報道」(「継命」54年12月1日号 )
11月10日
 宗門、菅野慈雲師 庶務部長解任、後任は早瀬義孔師。(「大日蓮」55年1月号 )
11月11日
 妙信講、3万世帯達成。
11月11日  創価学会、院達の趣旨に則り「特別学習会のために」を、聖教新聞に掲載。
 特別学習会テキスト(創価学会発行)を使い、特別学習会を各地で開催し、52年路線の誤りを会員に説明。「一昨年末、近年の創価学会の広布への歩み方をめぐって、宗門と学会の間にさまざまな不協和を生じ、宗門から種々のご指摘がありました。これらの諸点につき、日蓮正宗の伝統ある化儀化法のうえからみて、学会として現代社会に実践的に展開するなかに、行き過ぎ、逸脱等があったことを認め、改めるべき点は改め、正すべき点は正し、日蓮大聖人の大正法を広宣流布するため、永遠の僧俗和合のため努力を重ねてまいりました」
 特別学習会テキストの内容は、
 1)『10・8 院達』の全文。
 2)経過と学習会の意義の説明。
 3)『6・30 教学上の基本問題について』の具体的な指摘箇所を含めての全文。
 4)11・7 での日達猊下の言葉。
 5)同・池田会長の挨拶。
 6)同・北條理事長の挨拶。
 7)同・辻副会長の『教学の基本について』の全文。
 8)昭和54年5・3 での日達上人のお言葉。
11月16日  創価学会、本部幹部会開催(東京戸田記念講堂)。池田大作名誉会長、「元気ですよ皆さん」と顔を見せる。(「週刊サンケイ」12月13日号 )
11月 日  創価学会、原島嵩の自殺未遂、中西治雄の失跡、山崎正友の裏切り等、マスコミに流れる。
11月21日  月刊ペン裁判、第6回公判。弁護側証人として羽柴増穂が出廷。
11月23日  創価学会、池田大作名誉会長、イラン・イスラム共和国のホメイニ師に、人質解放要求を打電。
(※ 1979年11月4日、テヘランでイスラム革命防衛隊率いる暴徒による、アメリカ大使館占拠及び人質事件が発生。444日間続き、1981年1月20日に解決した )
11月26日
 妙信講、浅井昭衛講頭、阿部日顕管長へ諫訴状提出。
「阿部日顕上人には本年七月二十二日管長御就任以来すでに四ヶ月を経られ、その間八月二十一日には訓諭を発布され、また十月八日には宗務院をして宗内僧俗の進むべき方途につき通達せしめられました。
 而してこれら諸令達を拝見するに、現在の宗門の混乱を収拾せんと、訓諭には「諸般の匡正と改善」を訴え、また院達では僧侶に対して創価学会の批判を禁じ、学会に対しては「過去において正宗の化儀化法から逸脱していた部分を明確にし」「率直に反省懺悔」することを促しておられます。但し、詮として不審なることは、これらの御指南の中に、近年宗門・学会が犯した最大の仏法違背たる御遺命破壊については一分の改悔も見られぬことであります。
 思うに、正系門家におけるこの御遺命違背こそ、御本仏大聖人に対し奉る最大の不敬、また日本国を傾け、宗門を混乱せしめる唯一の禍根であれば、ここに妙信講は解散・除名の重科をも顧みず、法の為・国の為・宗門の為、重ねてこれが懺悔訂正を強く訴えるものであります。… しかるにいま宗門は、一国を欺きその上謗法で汚した正本堂に、大御本尊を居え奉っているのであります。御法魂いかで安穏なるべき、恐れ多きことこれに過ぐるはなし。御本仏の御罰こそ深く恐るべきであります。されば阿部日顕管長には早く改悔し、速かに正本堂より奉安殿に大御本尊を御遷座申し上げ、以て誑惑を清算、違背の大罪を償われんこと、ここに敢えて強言を構え、重ねて訴えるものであります」(「冨士」第195号 )(「御遺命守護の戦い」浅井昭衛 )
11月27日
 妙信講、本部会議開催、浅井昭衛講頭「三万達成を大聖人の御命令と感じ、達成と同時に、思いをこめて宗門諫暁を開始した。これは腐敗せる宗門にとって、強烈なクサビである。必ずしるしあるを確信している。その理由は、諫訴状は私言ではない。大聖人の御憤り御悲しみを、そのまま心血を注ぎ一念こめて、顕わさせて頂いたものである。また、一個人の資格で書いたのではない。背景には、捨身の三万世帯がある。妙信講は口舌の徒ではない。いかなる困難も乗りこえ死身弘法してきた、全講員の汗と涙を背景として書かれたものである。ゆえに腐敗の宗門に、強烈なるクサビとなり、しるしあることを確信している。このクサビは、今後月々日々に深く入り、やがて御遺命違背の大きな岩が必ず割れる時がくる。このクサビを深く打ち込む作業が、今後の全妙信講員の折伏である」と。
11月 日  創価学会、北條浩会長の「秘密報告書」2通が漏洩。
「これが猊下かと疑うほど、また信心そのものを疑いたくなるほどひどいもの。… 妙信講問題については大へんごきげんで、よろしくお願いしますという。… 広宣流布など全く考えていない、自分たちの私財がふえることと、信徒を見下してえばって暮せれば満足という風にしか考えられない」(49年5月10日付)
「妙信講の学会攻撃と猊下の発言。妙信講から学会あてに来た返信によると、「蓮華」五月号所載として、猊下の発言をひいています。… 猊下の心理は一時的なものではない。今こんな発言をしたら宗門がメチャメチャになってしまうことも考えないのではないか、困るのは学会だと思っているのだろう。宗門は完全な派閥で、猊下と総監とは主導権争いになっているのではないか。長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。本質は、カソリックとプロテスタントのような違いである。戦術的には、すぐ決裂状態となることは避けて、早瀬理事とのパイプ(山友・八尋が話し易い関係にあります)を太くするとか、当面猊下の異常心理をしづめ、新しい進路を開きたいと考えます。但し、やる時がきたら、徹底的に斗いたいと思います」(49年6月18日付)
11月29日  創価学会、北條浩会長、急拠登山し阿部日顕管長に秘密文書について釈明。(「継命」55年2月15日号 )
11月29日
 宗門、富士学林研究科閉講式。阿部日顕管長、北条文書について「深く誤りを認め、今後の絶対の奉公を誓うという言葉を信ずる」と。
「ある団体の責任者ともいうべき人が、とんでもない、まことに遺憾至極な意見を、内部の意見として述べたということが、文書のような形で伝わっておるようであります。もちろん、その考え方というものは大変な誤りであり、間違いであり、そういう考え方が事実有るならば、どうしてでも、糾明もし、処置もしなければならないわけであります。それにつきまして、実はその責任者が、本日登山致しまして、私に対して重々の陳謝の意を表わし、また、当時、そのような感情にかられたと思われるようなことがあったこと。ただし、もちろんそれが良いのではございません、ということも申しておりましたが『大変に申しわけがない』ということの趣意を、私に対して 申しましたわけでございます」(「大日蓮」55年1月号 )
12月1日
 「月刊正報折伏」(怪文書)、「御本仏日蓮大聖人に背いた前法主」を掲載。
12月1日  創価学会、聖教新聞で北条文書につき謝罪。「一時的、感情的な意見であり、もとより学会としての公式な意見、方針ではなく、当時、池田会長からも戒められたところであります。… この点については、日顕上人にも経過をご説明申し上げるとともに、一時的、感情的にせよ、こうした問題があったことについて、お詫び申し上げました。また、今後とも創価学会は永遠に日蓮正宗を外護し、代々の御法主上人猊下に赤誠のご奉公をお誓い申し上げました」
「大白蓮華」12月号発行。森田一哉理事長の巻頭言「正宗の化儀化法を遵守」を掲載。10月8日付「院達」の全文を掲載。
12月3日  「週刊現代」(12月13日号)と「週刊ポスト」(12月14日号)、「北条文書」を取り上げる。
12月3日  創価学会、聖教新聞で "中西・原島問題" に言及。「両氏とも健康上の理由による静養のためで、幹部間の不協和音は一切ない」と。
12月4日
 妙信講、男子部班長会、浅井昭衛講頭 "本門戒壇の本義" について。
「学会や阿部元教学部長は、本門戒壇を建物という次元で軽く見た。だから『広宣流布の前に建ててよい』とか『勅宣・御教書とは建築許可書』などと云ったのである。実に、本門戒壇の建立こそ、戒壇の大御本尊の妙用により日本を仏国と化す大術なのである。ゆえに一個人・一団体の帰依では未だ不可である。… 日本の全民衆の帰依が国家意志にまで高められ、国家意志として大御本尊守護を公式に表明した時、始めて本門戒壇が立てられる。この定めが『勅宣並びに御教書を申し下して』である。かかる本門戒壇が立てられれば、まさしく戒壇の大御本尊は日本国の魂となる。『日蓮は日本の人の魂なり』とはこれである。この時の日本はまさに仏国ではないか。これが本門戒壇の本義である。そして地球上に一つの仏国が現出すれば、それを節として、やがて全世界が仏国化する。ここに世界の平和が始めて実現するのである。… ここに、国家権力の働きを本質的に変える、すなわち人民に対して慈悲、他国に対しては利他の働きを持つよう、国家権力を仏界化するのが、王仏冥合・本門戒壇の大術なのである。この大理想を、大聖人が門下に御遺命されたのである。さればこの仏法による大革命は人類史上未聞の革命である。妙信講の男子部はこれに身命を賭けよ」(「冨士」第196号 )
12月5日  朝日新聞、「創共協定」に関する「松本清張メモ」の要旨掲載。
12月5日  月刊「現代」、「創価学会・池田名誉会長を襲う大破局」(内藤国夫)を掲載。山崎・原島・中西らの池田離れを指摘。(「月刊現代」55年1月号 )
12月6日  公明党、民社党と「中道連合政権構想」で合意。
12月6日  文芸春秋、「創価学会・日本共産党十年協定の真実」(松本清張)掲載。(「同」55年1月号 )
12月8日
 宗門、活動家僧侶3百人。源立寺(大阪池田)で会合、阿部日顕管長退陣を含めた要求を決議。(「週刊ポスト」55年1月4日号 )
 宗門及び同僚僧侶の悪口を流した、スパイ僧侶全員の名前を公開。
12月10日
 宗門、監正会選挙。活動家僧侶、過半数を占める。
12月11日  創価学会、聖数新聞「お答えします」欄。日本共産党との十年協定の精神について「今日も変わっておらず」と釈明。
12月12日  月刊ペン裁判、第7回公判(判決公判)。東京地方裁判所、新関雅夫裁判長、1審判決を全面支持し被告人隈部の控訴を棄却する判決を下す。被告人、これを不服として最高裁に上告。
12月14日  創価学会、出版妨害。木村靖、「私は創価学会の『スパイ』だった」(下山正行)掲載の「社長会記録」(一部抜粋)に関し、晩聲社と下山正行を著作権法違反で東京地裁に告訴、出版差止めと損害賠償金 419万円の支払いを求める。
12月15日  晩聲社、「私は創価学会の『スパイ』だった」(下山正行)発刊。
「本名はU氏、第一回目の武道館大総会で顕正会杉並支部員として登壇しており、『私は創価学会のスパイだった』の著者であり、ペンネームS氏としても古参会員には名前が知れ渡っている」(「顕正会からの脱出」渡辺雄二 )
12月 日
 宗門、「御法主上人猊下・宗務当局におたずねします」との怪文書、早瀬義孔庶務部長の私行をあばく。
12月 日  創価学会、「北条文書」( 50年8月10日付 ) 漏洩。
「お目通り記録。会長より、今回の共産党との協定、対談を行ったのは、妙信講と共産党の結託をたちきる行為であったと説明。裁判では妙信講に対して、絶対、猊下をお守りしますと再三力説。裁判が長期にわたる見通しのため、共産党との協定も最大限十年にしたこと、裁判さえ見通しがつけば、之を破棄してしまう肚であると説明」
12月20日
 宗門、活動家僧侶、「創価学会機密文書」2冊を発行。
12月29日  日本共産党、「赤旗」で公明党を批判。創価学会に対し「共創協定裏切った」とし、「死文化された "共創協定" と日本共産党の立場」を特集。
 
  年表  
1月1日
 宗門、阿部日顕管長、「大白蓮華」に新年の辞「源遠長流」寄稿。
「その従来の折伏の功徳は誠に大きいが、源流は日蓮正宗の信仰にあることを、全会員が常に銘記すべきであります。… いよいよ魔の跳梁による怨嫉妨害も、盛んとなるでありましょう」
1月1日
 妙信講、元旦勤行。本部会館で6回にわけ奉修、2千百名が参加。浅井昭衛講頭「破局の年代を迎え、強き信心で "別感の功徳" を」と挨拶。
 浅井昭衛講頭、「冨士」巻頭言「月々日々につよリ給え」
「ただし、凡夫は順調の時に心がゆるむ。いかなる幹部といえども、もし信心に油断を生ずれば、魔はたちまちに便りを得る。… すでに "完結" への強烈なる楔は打ちこまれた。本年からの死身弘法の赤誠が、この楔を深く打ち込む作業となる。そして赤誠ついに御本尊に達するの時、御遺命歪曲の大岩は、音を立てて割れ崩れるのである」
(※ "凡夫は順調の時に心がゆるむ"、自分は凡夫だと思っていないのだろう。"いかなる幹部といえども"に、自分は入っていないのだろう。櫻川 忠 )
 八木直道師、年頭所感「爾らば宗務当局こそ宗制を犯し御遺命違背の徒と断ぜざるを得ぬ。かかる謗罪の因は遂に宗門・学会の抗争となり、御本仏の御眼を畏れぬ修羅道と化した。学会の政治野望より発すことは否定出来ぬが、究極は妙信講の諫訴状に明示する如く、譬え池田大作が正本堂を御遺命の戒壇と偽り、御遺命の国立戒壇を抹殺せんと、彼一流の金力・権力を以て大圧力を以て襲いかかるとも、"日蓮が弟子は臆病にては叶まじ" の大信念に立ち、断乎その非を糺し之を許さなければ、かかる大誑惑が成し得たであろうか。天魔の魅入って酔えるがごとく狂えるがごとく、遂に仏勅に違背し、宗綱まで侵犯、前述の正義を拠ち池田に加担し、意のままに『今や広宣流布』『国立戒壇は本宗の教義に非ず』とまで誹謗するにいたったのである。…
 幸か不幸か、池田大作は権力の座を追われ、細井管長また空しく遷化される。此の現証に眼を覆うか。管長の遷化に伴い、宗務当局の一人『国立戒壇論の誤り』の著者・阿部信雄師、突如として管長に就任し、早々院達をして、反学会活動僧侶に対し創価学会の批判を禁じ、従わざれば厳罰に処すと威し、自ら反省懺悔の色一分も見えず、全く現証を無視するも甚しと云わざるを得ない」
1月1日
 宗門、全国檀徒新聞「継命」、菅野憲道師の "吊しあげ・詫び状事件"(昭和52年)掲載。
「月刊正報折伏」(怪文書)配布さる。「前法主が裁断を下せなかった原因と、10・8院達に至る背景」、「第67世には、10・8の院達の責任を取って辞任していただく以外にない」
1月5日
 妙信講、班長会、浅井昭衛講頭「五万鉄石の大法華講を、来年の秋までに必ず完遂しよう」
1月9日
 宗門、阿部日顕管長。池田名誉会長と都内某所で、二人だけの秘密会談。
 森田一哉理事長「日顕法主から『会いたい』との連絡があり、… 本部では会えないので、渋谷の知り合いの静かな店の二階で懇談したんです。… 先生は「今、会ってきた。猊下の話の要点は『謝れと側近が言っている』ということだった。私(池田大作)は猊下に『日蓮正宗は、むごい』と、返事をした」と話されました」(「聖教新聞」91年12月14日号 )
1月 日  創価学会、正月の全国勤行会の出席者が、180万人ほどであることが集計で判明。
1月10日  公明党、社会党と「連合政権構想」で合意。
1月10~11日
 妙信講、初講義。豊島公会堂で2回に分け開催。浅井昭衛講頭「日蓮大聖人一代御化導の大綱」講義、参加者2千余名。
1月15日
 宗門、全国檀徒新聞「継命」第10号発刊。
「1、正信覚醒運動の原点 (道標)
   宗務当局やすべてに対して訴える、三度目の新年を迎えた
 2、創価学会極秘資料 (第1回広布会での池田発言)
 3、身延離山と正信覚醒運動(座談会)
 4、創価学会問題の真相(4)
   池田絶対化と宗門も異常な中央集権化がすすむ、理解に苦しむ宗務当局のなされよう、
   宗務院と有力僧侶を懐柔、宗門内に裏切り者、7百遠忌はどうなる」
1月15日
 妙信講、初の成人式開催(本部会館)。浅井昭衛講頭「上野殿は熱原法難の時、満二十歳であった。上野殿の信心を鑑として、広布の大願に生きる青年たれ」と祝辞。
1月20日
 妙信講、教学部登用試験執行。受験者 752名。
1月23日  池田大作名誉会長、毎日新聞記者・内藤国夫のインタビューを受ける。
「池田大作が、昭和55年1月、私の仲介で内藤国夫氏と「光亭」で会ったとき、『私は公明党をつくった。大学も高校も、民音もつくった。正本堂もつくった。だが、本山も党も大学も高校も、私から持って行くばかりで何もよこさない。良いことは全部向こうで、悪口ばかり私に来る。私は損な人間ですよ』とグチッた。
 内藤氏はすかさず、『あんたの、そんな言い方が良くないんですよ。それだけのことをして、その名誉や何やらで、あり余るものを得ているじゃないですか。変な被害妄想が、学会の不必要な行動を生むんですよ』と、たしなめた」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」)
1月24日  中外日報、「本紙記者座談会」掲載。創価学会を擁護し、宗門活動家僧侶を批判。
1月24日  創価学会、聖教新聞社説「御法主上人の御指南を銘記し、一人一人が日蓮正宗のよき信徒として、正宗の化儀化法を順守していくことこそ、信心の基本であることを瞬時も忘れてはなるまい。昨年五月、日蓮正宗の信徒団体としての基本・正確を明確にした創価学会会則を新たに制定し、さらに昨年末に特別学習会を開催して『6・30』『11・7』の意義内容を徹底したのも、日蓮正宗信徒としてのあるべき信心の基本を明確にするためだったのである。したがつて『6・30』『11・7』の内容については、今後もおりあるごとに学習し、理解を深めて、ふたたび正宗の化儀化法から逸脱することがないよう務めなければない … 私達は、正宗の法義が、大聖人から歴代の御法上人への血脈付法に基づく甚深の奥義であることを正しく理解し、伝統の化儀化法にのっとって、一生成仏と広宣流布のために精進していかなければならないことを銘記したい」
1月26日
 妙信講、一月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「大規模な人事の断行は、五万への決意の表れ、決定的破局の前に断じて五万を」
 教学部員登用試験、合格者 237名。
1月26~27日
 宗門、第4回全国檀徒総会開催(総本山)。阿部日顕管長「少なくとも日蓮正宗の僧侶と名乗り、日蓮正宗の信徒を称するなら、私の意を受けて、具体的に行政上実施している宗務院の方針に従って行くことが肝要であります。もし、これを踏み外して従わないならば、それは法主・管長としての私を否定することであり、本宗の正しい信心のあり方から完全に逸脱するものと言わなくてはならない。それは、私の統率する宗団の外へ出てから、やってもらいたいのであります」
1月27日
 宗門、日蓮正宗ニューヨーク出張所(妙説寺)開所式。
1月30日  創価学会、聖教新聞社説「連合政権への期待と選択」掲載、反共政権構想を示す。
1月31日  創価学会、秋谷栄之助副会長「現在の活動会員数は6百1万人、青年部2百2万人、聖教新聞発行部数 4百54万部」と発表。(「聖教新聞」同日付 )。
2月1日
 宗門、全国檀徒新聞「継命」編集室、紙上で創価学会へ公開質問状。玉沢研済師(宝竜寺)、"吊しあげ・詫び状事件"(昭和52年)経過掲載。
2月8日  日本共産党、「創共協定の死滅」と「戦闘開始」を宣言。
「創価学会側からの、さまざまないっさいの反共主義的論評にたいして、なにものにも拘束されることなく、必要な反撃を加える責任と義務を負うものであることを、あらためて宣言する」(「赤旗」同日付 )
2月9日
 宗門、関東檀徒総会開催(東京白蓮院)。山口法興師(妙真寺)、「時の貫首云々」を引き、暗に阿部日顕管長を批判。
2月11日  公明党、「連合政権構想」で社会党と合意。「社公合意」が、日本社会党大会で正式決定。いわゆる「社公民路線」である。
2月15日
 宗門、創価学会との連絡会議開催。創価学会、6.30、11.7の徹底を申し入れ、海外事情を説明。(「宗務広報」2月20日号 )
2月15日
 妙信講、教学部。昨年に引き続き「観心本尊抄」の講義開始。
2月16日  創価学会、日蓮大聖人誕生会。池田大作名誉会長、"日蓮大聖人直結"、"御書根本" を強調、"唯授一人血脈相承" 否定を始める。
2月 日  創価学会、所有している建築物の数。会館 411、研修道場 18、記念館 9、合計 438ヶ所に。
「これらの建設では、違法な土地の入手や開発、違法建築が続出することになった。たとえば、霧島屋久国立公園内の九州総合研修所は56万平方mという広大な土地に、二階建ての建物や、高さ12.3mの『九州広布の碑』を建てるなど、明らかに国立公園内の自然保護理念に反し、自然環境と景観を害するものであった」
「十和田八幡国立公園…、日光国立公園…、北海道大沼国定公園…、富士箱根伊豆国立公園…」等で、違法建築、違法森林伐採。(「実録 創価学会=七つの大罪」)
2月18日
 宗門、活動家僧侶。妙真寺で緊急会議開催、参加者150人以上。宗会へ16人の候補者名を発表し、三項目の公約を発表。
 一、名誉総講頭、および七百年遠忌式典落慶委員長である池田大作の肩書きを見直すこと。
 二、宗教法人 日蓮正宗は、創価学会の運営面をチェックできるようにすること。(「週刊ポスト」3月7日号 )
2月18日  創価学会、聖教新聞社説「御書拝読の姿勢を厳格に」
「末法の御本仏・日蓮大聖人の御書の文々句々を、正確に拝読するよう、心掛けていきたい … 日蓮大聖人、日興上人以来の、血脈付法、唯授一人の御相伝に基づく代々の御法主上人の御指南を仰ぐことによって、御書の深義を誤りなく信受することができるのである」
2月26日  創価学会、原島嵩、6時間に渡り池田大作名誉会長を諌める。
「(原島嵩)年が明けて昭和55年の2月、池田大作と一対一で会って直に諌めました。内容は、主に板本尊模刻問題、それから、正本堂は直ちに御遺命の戒壇ではないという問題で、話し合いは六時間に及びました。池田は「私は本心から繊悔している」と言う一方で、「俺とおまえの仲じゃないか」という人情に訴える形で、何とか私を丸め込もうとしました。…
 このこと自体、本当に池田が反省繊悔などしていないことを窺わせましたが、その後、池田は私の母や兄に、「嵩は俺を裏切った!」と、怨念をむき出しに語ったのです。これで私の心は完全に学会から離れました」(「慧妙」2003年9月16日号 )
2月27日
 宗務院、「院達」(院第70号)、「継命」編集室へ再々度の警告。「宗務院の意向に沿う意志在りや否や、編集者氏名を3月10日までに必着せよ」(「蓮華」7月号 )
2月27日
 妙信講、支部長会、浅井昭衛講頭「明年五万達成までに、完璧の支部体勢を築く」
3月1日
 宗門、「継命」。高見求道師(満眼寺)、"吊しあげ・詫び状" 経過掲載。
3月1日  創価学会、池田大作名誉会長。読売新聞のインタビュー記事に登場。「共創協定は期間を延ばしてもよい」、イラン革命について「宗教の独善性が政治と結びつくと宗教の堕落となり自壊する」と。(「読売新聞」3月2日付 )
 名誉会長、毎日新聞のインタビュー記事にも登場。(「毎日新聞」3月2日付 )
3月3日  創価学会、池田大作名誉会長、週刊現代のインタビューに登場。
「1、院政や復帰はない
 2、反省すべき点は反省する、多くの会員に迷惑をかけた」(「週刊現代」3月13日号 )
3月5日
 妙信講、「冨士」巻頭言「池田大作の卑劣」。浅井昭衛講頭、内藤国夫インタビュー(「現代」4月号)における池田大作の国立戒壇に対する欺瞞を論難。
「「現代」四月号に、毎日新聞・内藤国夫記者のインタビューに答えた池田大作名誉会長の全発言が掲載されている。一読、その内容は女々しさと欺瞞に満ち、嫌悪を感じさせるものであった。表面に謙虚と反省を装い「つらいです」「心苦しい」「悲しいです」などと繰り返えしながら、外部の批判をやり過ごし、内には無智の会員の同情を求め、眈眈と復権を狙っている底意は見え見えである。宗門との対立抗争についても彼はこう答えている。「結果的に今日のような不協和音を作ってしまい、大変申しわけないです。その責任をとるためにも、私は法華講総講頭を辞任しました。辞めさせられたのではなく、自分で決心したのです。会長職も一歩退きました。御宗門よりご指摘されたことについては、現在、反省すべきは反省し、これにお応えする決心です」と。ここでは「御宗門」などと、歯の浮くような云い方をしているが、つい先日まで学会内部で彼はこう云っていた。「… 坊主だけ太って、食べて、もうかって、こんなバカな、おかしなことがあっていいか」…「寺はまるで銀行じゃないか、何もやらないで金ばかりとる」…
 もし宗門に非があるのなら、堂々と云ったらよい。池田が陰で憤激をぶちまけていることにも一分の理はある。たしかに宗門・僧侶にもずるさがある。学会の財物には頭を下げながら、陰では隙を覗う、これも面従腹背である。池田の腹立ちはここにある。しかし、これを正面切っては云えないところに問題の複雑さがある。その理由は、この宗門・僧侶を今日まであやつり、学会防衛のために利用してきたのは他ならぬ彼だからである。
 宗門利用の最たるものは国立戒壇の否定である。いかに選挙のためとはいえ、大聖人の唯一の御遺命、宗門七百年の悲願たる国立戒壇を否定することは、彼一人で出来得ることではなかった。そこで細井日達管長を籠絡し、教義の改変を内外に公表させたのであった。この時以来宗門は御遺命違背の共犯者となった。もし共犯者が口を割れば主犯の身は持たない。事実宗門が「実は国立戒壇が正しい。学会に頼まれてつい正本堂を御遺命の戒壇と偽った」と公表したら、学会・公明党は忽ちに崩れる。ゆえに池田大作は宗門・僧侶に多くの憤激を懐くとも、開き直られれば面従せざるを得ないのである。…
 御遺命違背の大罪も、妙信講処分の醜行も、そのすべての責任を、今は亡き細井日達上人に負わせるとは、よくよく池田大作とは卑劣な男である。しかしその卑劣が通用する刻限も漸く迫ってきた。仏勅を受けて立つ妙信講の前進はもう誰も止めることはできない。国立戒壇の正義が再び正系門家に蘇る日は近い。大聖人がいつまでもこの誑惑を許し給うはずはないからである」(「冨士」第197号 )
(※ 平成3年1月の教師指導会で阿部日顕管長は「池田名誉会長は … 『三大秘法抄』を挙げて『この法華本門の戒壇たる正本堂』と言ったことが… その当時は、私達もそのような空気の中に巻き込まれてしまって、… 今、それは大いに反省しております。しかし、その時はそのような空気が宗門を巻き込んでいった」と述べ、以後、連々と創価学会・池田大作会長の圧力により "戒壇義" を違えたこと、そして "反省の意" を表している。"共犯者"はすでに、口を割っている。しかし、浅井昭衛会長は「懺悔が足りない」と、宗門の "誑惑訂正"と"反省" を認めない。宗門がもし"国立戒壇" の文語を認めることがあっても、"懺悔が足りない"とする顕正会の宗門復帰はあり得ない。つまるところ、浅井昭衛会長の本音は「国立戒壇の正義が再び正系門家に蘇」ってしまっては、むしろ困るのであろう。櫻川 忠 )
3月5日  月刊「現代」、「池田大作・全疑問に答えた八時間 ゆれ動く創価学会・公明党の内幕」(内藤国夫)を掲載。同年1月23日、名誉会長へのインタビュー内容。( 月刊「現代」4月号 )
3月7日
 宗門、「院達」(院第78号)、反学会活動僧侶に「院達違反の行為は … きびしく対処」と。
「宗務院においては、創価学会に関する問題について、かねてより院達をもつて度々通達し厳重に注意を促して参りましたが、宗内の一部には未だにこれを無視し違反行為を重ねている向きがあるやに風聞しております。万一、今後もなお、このような状況が続くならば、最早や宗門の秩序と統制は失われ、その存立すら危ぶまれる事態を招くことは必至と思われます。依って宗務院としては、今後これら院達違反の行為は宗門を破壊する活動と見倣し、きびしく対処して行く方針を執ることになりました」(「大日蓮」第414号 )
3月9日
 宗門、暁鐘編集室。「創価学会言論資料の解説」(小川只道御尊師監修)を発行。マジック事件、題目商標登録事件、学会教本・念珠などの写真も掲載。
3月11日  創価学会、聖教新聞社説「『小樽問答記念日』に寄せて」
「三月十一日は『小樽問答記念日』である。二十五年前の昭和三十年三月十一日、雪深き北海道・小樽の地で、日蓮正宗創価学会の代表が、日蓮宗身延派の代表を、公開法論の場で徹底的に破折し、大勝利を収めた記念の日なのである。…
 この小樽問答の結果、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、三大秘法の南無妙法蓮華経、なかんずく本門戒壇の大御本尊を根本として、日興上人以来、血脈付法の歴代の御法主上人の御指南により、七百年の間化儀化法を誤りなく伝えてきた日蓮正宗の正統性があらためて社会に広く宣揚されたのである」
3月13日
 妙信講、新教学部会。「立正安国論」講義開始、講師 石原康一教学部長。
3月13日  日本共産党、宮本委員長。「共創協定の現実は、発表と同時に理解しがたい態度を創価学会がとり、実際は死文化の状況になっている。池田氏が公明党の反共路線も肯定する、矛盾した態度をとっている」と。(「赤旗」3月14日付 )
3月15日
 宗門、全国檀徒新聞「継命」、論説掲載。「絶対に許しがたいのは、池田氏の徹底した猊下利用」と。
 法華講連合会青年部『慧燈』第8号、花野充道師の『秘密文書「北条報告書」の背景を探る』を掲載。
3月15~23日
 妙信講、支部大会(都内十支部)、九回に分けて開催。3千名が参加。
 浅井昭衛講頭「"仏法は体・世間は影" であれば、大石寺の姿を見ていれば日本の運命はわかる。いま八十年代を迎えて、日本の危機は世間の者も感ずるようになってきた。戦後35年の安逸が破れる時がいよいよやってきた。一国諫暁を為す資格と義務は妙信講だけにある。なんとしても、決定的破局の起こる前に、熱原のごとき鉄石五万の大法華講を築き上げ、大聖人様に御奉公申し上げねばならぬ」
3月19日  創価学会、聖教新聞、"教学「仏法実践のために」一問一答"
「問い -- 日蓮正宗の名称の由来と根本の教義について教えて下さい。
 答え -- 日蓮大聖人は三大秘法の法体と法義のすべてを本門弘通の大導師である第二祖・日興上人に授けられました。以降、現在の第六十七世御法主日顕上人に至るまで、大聖人・日興上人以来の化法・化儀が正しく清らかに日蓮正宗に伝えられています。私達創価学会員は、日蓮正宗の教義に基づき、仏宝(日蓮大聖人)、法宝(本門戒壇の大御本尊)、僧宝(日興上人)の三宝を信じ尊敬する日蓮正宗の信徒なのです
 問い -- 創価学会員になった私は、勤行のほかに、どういう活動をすればよいのですか。
 答え -- 各地の正宗寺院で行なわれている春秋の彼岸会、毎月の御講など、寺院行事への参加が大切な仏道修行となります」(「聖教新聞」3月19日号 )
3月19日  日本共産党、「赤旗」。「『言葉』と合わぬ死文化の現実、池田大作氏の一連の発言について」掲載。
3月24日
 宗門、「憂宗護法同志会」。反学会派僧侶に対抗する、管長派僧侶が初会合(常泉寺)、30名の僧侶出席。
3月27日
 宗門、野村学道師(日修)、椎名法英師(日澄)、能化となる。
3月 日  創価学会、山崎正友顧問弁護士、創価学会関係のすべての役職を辞任。
「私は昭和39年4月、弁護士登録以来 創価学会顧問弁護士をつとめており、昭和45年以後は、学会はえぬきの弁護団の中心者として、創価学会のダーティーな事件の裏処理にあたってきたものです。又、日蓮正宗大講頭、創価学会総務等、組織の中枢幹部として、長年、創価学会の運営にかかわってきました。今年(1980年)3月、私は創価学会関係のすべての役職を辞任しました。又、4月に顧問契約を解消し、9月には、創価学会より除名処分を受けました」(「山崎上申書」山崎正友 )
3月28日
 宗門、宗会議員の任期満了、宗会解散。
 阿部日顕管長、在勤式祝賀会で「自分から進んで一『僧宝なんだからもっと尊敬しろ』というようなことを思ったならば、やはりこれは間違いであります」と。(「大日蓮」5月号 )
「(森田)学会は法主の言う通りに、僧俗和合のために努力したが、山崎の画策に乗せられた反学会の僧侶たちは、学会に対する日顕法主の態度が弱腰だと、宗門首脳への批判を強めていった。しかも、55年の3月には、宗会議員の任期満了になっており、6月に予定されていた次の宗会選挙では活動家僧侶派が多数派を占める恐れがあった。新法主のもとで、宗内は収まるどころか、大混乱になっていく様相だった。…
 そこで日顕法主は、活動家僧侶を抑えるため、学会を抑える姿をみせたかったのでしょう。また、それが、あの人の本心でもあった。あらゆるものを、自分の支配下に置かないと気が済まないという権力者の権化ですからね。そのために池田先生を利用しようとしたんです。そして宗門側は、すでに勇退されていた先生に、また謝罪を迫り、宗門に従うという姿勢を示すべきだと、強要してきたんです」(「聖教新聞」91年12月14日 )
3月29日
 宗門、法華講連合会春季総登山会。阿部日顕管長、法華講員が創価学会を攻撃せぬよう訓辞。(「大日蓮」5月号 )
3月 日  創価学会、池田大作名誉会長、文化会館内装工事のやり直しを命じる。
「文化会館の内装工事が完成したばかりのところに、池田大作が来て、「誰が決裁したのか!」と激怒し、やり直しを命じたのである。この池田の暴挙に、建設局のM主事は「内装工事費2億円を捨て、新たに1億数千万円かかる工事をするなんて、冗談じゃない!」と憤慨した。M主事が立腹するのは当たり前で、この内装工事の決裁を、池田大作は「北条一任」としておきながら、気紛れで、このような無駄な出費を命じたのであった。「一銭たりとも無駄にするな」と池田大作を庇(かば)い続けた北条会長は、その後、無惨にも、入浴中に非業の死を遂げたのである。これに限らず、池田大作の我が儘(まま)により、やり直しとなった文化会館や、何億もかけた専用施設の取り壊しなど、挙げたらきりがないほどである」(「慧妙」2003年12月16日号 )
4月1日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭、本宗の三宝とりわけ「僧宝」について、また僧俗の関係、供養の本質について言及。
4月2日  創価学会、池田大作名誉会長、聖教新聞紙上に「恩師の二十三回忌に思う」掲載。
「信徒として、もっとも大切な御宗門との間に、さまざまな不協和が生じてしまったことは、まことに残念なことであります。この間の問題について、当時、その責任の立場にあった私として、懺悔すべきは懺悔し、真情は真情として述べさせていただきたいと思うのであります。…  とくに五十二年においては、… たしかに創価学会中心的な独善性もあり、『学会が主、宗門が従』というような状況もありました。その結果、宗門の一部御僧侶に、この方向が、学会が独立を企図しているのではないかとの疑念を生ぜしめ、また、会内にいわゆる『北條文書』などのような感情的な議論のあったことは、まことに申し訳なく思っております。…  いわゆる"会長本仏論"について … 私などを絶対視してはならないし、かりそめにも、主師親の三徳とか、本門弘通の大導師といった表現を用いることは誤りであり、絶対にあってはならないことです。私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております」等と述べ、流出した内部文書「北條文書」が本物であったことを、正式に認めた」(「同紙」同日付 )
「(森田)… 結論して言えば、あの「恩師の二十三回忌に思う」は、宗門の指示を受けて、当時の執行部で相談をして出したものです。すべて先生が泥をかぶってくださったんです。… その時、先生は「私は知らないよ。これで収まるのであれば、それでいいだろう。しかし私はあなたたちの言いなりになったことだけは、ハッキリ覚えておくよ」と、厳しく一言、言われた。それを聞いて、私たちは断腸の思いでした。しかも内容については、執行部が作成した原稿を一切、添削しないようにとお願いしたんです」(「聖教新聞」91年12月14日 )
4月4日
 宗門、活動家僧侶。妙真寺で、宗会議員選挙立候補者16名について最終討議、160名以上出席。
「憂宗護法会」第2回集会。大石寺蓮浄坊で開催、90名の僧侶出席。
4月4日  創価学会、聖教新聞社説で「4・2 所感」を解説。
 近年の宗門との問題が、正本堂建立以降の学会の進み方の基調と、52年の指導性に発端の因があると経過を述べ、反省すべき点として、
「一、近年、創価学会中心主義的な独善性があり「学会が主、宗門が従」というような状況が生じてしまった。特に僧侶、寺院の役割を軽視し、その結果、御宗門に対し、主客転倒の風潮を生んでしまった。
 二、教学の安易な展開は摧尊入卑のそしりを免れない、学会の御書の拡大解釈や逸脱については、すでに「6・30」(教学上の基本問題について)に指摘されており、ここで反省し確認された事項は、今後とも絶対に踏み違えてはならない。
 三、学会の代々の会長は仏法実践展開の指導者であり、指導者と仏とを混同してはならない。したがって、かりそめにも会長を絶対視したり、神格化するようなことがあっては断じてならない」と。(「聖教新聞」同日付 )
4月6日
 宗門、阿部日顕管長の御代替奉告法要を奉修。「午後2時45分、御法主日顕上人猊下が襟立の法衣をまとわれ、大客殿から二天門を通り、御影堂へと御練りの行列が厳粛に進まれた。行列は裏向拝から御形堂へと入堂され、御法主上人の献膳ののち、御法主大導師のもと読経が行われ、「而説偈言」のところで御法主上人が御宝前に進まれ、「敬白文」を奉読あそばされた。このあと、ふたたび自我偈の読経・引き題目が行われ、奉告法要に移った」
 阿部日顕管長「私が今日の宗門について考えることは、第一に「祖道の恢覆」であり、第二に「広布への前進」であり、第三に「異体同心の確立」であります。…
 ただし、創価学会のあまりにも急激な広布への展開のなかには、古来の宗門伝統の思想や形式にたいし種々の特殊性があり、違和的な問題を包蔵していたことも事実と思われます。それが正本堂建立以後において顕著に現れ、宗門対創価学会の間にさまざまの不協和を生じました。その主要原因として、本来、根本である宗門を外護しつつ広宣流布を推進する信徒団体であるべき立場を更に超え、広布のためには学会主、宗門従という本末転倒の指向性が特に現れた時から、さまざまの問題が一時に噴出した感があります。…
 当時の責任者であった池田名誉会長は、とくに今月2日の『聖教新聞』に『恩師の二十三回忌に思う』と題する所感を投じ、過去の種々の面を総合的に含み、かつ要点を括って根本的な反省を致されております。私はこれを、まことに誠意と勇気に満ちた、また深い信心を根本とする仏祖三宝への懺悔と受けとめるものであります。…
 正法をたもつ人がお互いに相 是非することは他宗他門よりの物笑いと軽侮の種となり、それ自体、折伏弘教を阻害すること甚だしいと思います。… 対立意識をもって執拗に文書、演説等で攻撃するのは、法のうえよりみて甚だよろしくないことであり、改めなければ大きな罪業をつくることになります」と、創価学会攻撃を止めない若手活動家僧侶に警告。(「大日蓮」5月号 )
4月7日
 宗門、御代替奉告法要第2日目、御影堂での日興上人御報恩御講、大客殿においての御霊宝虫払い、… 午後からは、正本堂での御開扉につづいて、大講堂においては宗門秘宝の御生骨の御内拝が許され、謹んで拝観した。
 阿部日顕管長、御生骨御説法。「抑々この御生骨は、大聖人御在世中五十余歳の頃、御歯を御抜き遊ばされ、傍らに給仕し給う日目上人へ御授け遊ばされ、… 我が説く所は正法にして一天広布疑いなしとして、其の証明にせよと仰せ給うと伝える我が家の秘宝でありまして、700年、燦として輝き給う御生骨であります。… 仏法の不思議と申すべきであります。能く能く此の事を心に置いて、虔(つつし)んで拝せらる様お願い申し上げます。茲に当山の代替式に際し、宗祖大聖人御真筆御本尊、御生骨、御灰骨、最初仏、御書、御消息、二祖日興上人以下歴代御本尊、各種法宝等の一切を残る所なく、日顕謹んでお預り申し上げ、身を以てお守り仕る所存であります。南無妙法蓮華経」(「大白法」4月16日号 )
4月7日  創価学会、御代替奉告法要における阿部日顕管長の「御言葉」を、聖教新聞に掲載。
4月8日  立正佼成会、庭野日敬会長、創価学会と「停戦協定」を結んでいたことを発表。(「朝日新聞」同日付 )
4月8日  創価学会、立正佼成会庭野日敬会長と朝日新聞社に、「停戦協定の事実なし」と抗議。(「聖教新聞」4月9日付 )
 池田大作名誉会長「山友は金で解決した。内藤國夫も所詮、金次第だ」と。
4月11日
 宗門、高橋秀正師(修覚寺)、全檀徒を召集し妙信講を批判。
4月15日  シーホース、倒産。負債は一般債務が 8億円、金融債務が 34億4000万円の 計 42憶4000万円。
「彼(山崎正友)は最大のピンチに陥った。そこで、最後の"非常手段"に訴えて出た。… 「顧問弁護士」の退職金として、学会に3億円を要求してきたのである。…
 それに何よりも、彼が仕掛けた「三極構造」により、学会はもとより、宗門の不安定状況は、今後、宗内分裂という危険性を孕んでいるものであった。北條会長をはじめとする首脳は苦慮した。そして、ともかく、宗門分裂という一千万信徒の信仰にとって、動揺を招く事態になることだけは回避せねばならないと判断し、彼に、宗門内での画策と陰謀を今後一切行なわないことを条件に、3億円の交付を余儀なくされたのである」(「謀略 山崎弁護士の黒い手口」野崎勲 )
4月21日  創価学会、山崎正友を顧問弁護士から解任。
「昭和54年12月に池田とサシで話し合い、いちおうの合意をみたものですから、翌55年の4月には、約束どおり「シーホース」の運転資金として学会から3億円が出たんです。そのお金は「シーホース」から各債権者へと支払われ、窮地を脱することができました。ところが、この時に"学会が山崎を買収するのに成功した"と聞きつけた藤原行正氏らが、「このままでは山崎が学会に造反せず、自分の反池田活動も不発になってしまう」と思ったのでしょう、内藤國夫氏を焚き付けたのです。… 頭に来た内藤氏が、月刊誌の原稿として、池田大作の女性問題やオフレコで私が語った情報などを盛り込んだ暴露記事を書き、その発売前のゲラ刷りをわざわざ学会本部へ流して、「このネタ元は山崎だぞ」と伝えたのです。そのために、池田と私の関係は一気に崩壊しました」(「慧妙」山崎正友 2003年10月1日号 )
4月22日  創価学会、首脳会議(北條会長・森田理事長・秋谷副会長・八尋弁護士・福島弁護士・桐ヶ谷弁護士)、山崎正友へ3億円を支出することを決定。(「北條調書」)
「2審判決によると、山崎被告は、自ら経営していた冷凍食品販売会社『シーホース』が倒産、その会社整理の資金を得るため、顧問弁護士として知った学会の秘密を暴露するなどと当時の北条浩会長ら学会首脳を脅迫、同年4~5月、現金や小切手で学会から3億円を脅し取った。続いて、同年6月、学会と日蓮正宗との紛争であるいわゆる宗門問題、共産党幹部邸盗聴工作、新宿替え玉投票事件などについての情報を雑誌記者らに流したり、自ら寄稿記事を書いたりするなどと脅し、約5億円を要求したが、学会が警視庁に告訴したため、未遂に終わった」(「読売新聞」91年1月23日付 )
4月25日
 宗務院、「慧燈」編集室スタッフを喚問し、反創価学会の編集方針を叱責。
 阿部日顕管長、花野充道師を法華講連合会青年部指導講師から罷免。(「大日蓮」6月号 )
4月25日  創価学会、池田大作名誉会長、第5次訪中。
4月 日  創価学会、池田大作名誉会長、「北京大学と創価大学の学術交流に関する議定書」に調印。
4月26日
 妙信講、支部長会。浅井昭衛講頭、総会について「天魔は必ずこれを憎み、種々の障礎をなさんとすること必定である。ゆえに断じて油断があってはならぬ。総会に参加する者は全員心を引きしめ、大聖人の御馬前に今後の御奉公を誓い奉るとの、健気な信心に住して参加すべきである」と。
4月28日
 宗門、「宗務広報」(No.278)
 1.学会との連絡会議 ( 池田氏 4.2 所感の徹底を申し入れる )
 2.法華講は宗務院庶務部が窓口
 3.4.8 の朝日新聞の記事に対し、朝日並びに立正佼成会に学会が抗議した事実を確認。
4月28日  墨水舎、「日蓮大聖人自伝」(安立行 編著)を発行。(※ 安立行(あだちこう)は、玉井禮一郎の筆名 )
5月3日  創価学会、「創価学会の日」記念勤行会 (創価学会本部)。
 秋谷栄之助副会長「大聖人の仏法の法灯を連綿と七百年にわたり正しく護持してこられた日蓮正宗の伝統と、創価学会の実践があって、今日の広布の姿があるといえる。さらに五十年後、創立百周年の佳節を迎えるころの広布伸展の姿を想像するとき、大聖人の仏法が世界宗教として定着することは間違いないと確信する」(「聖教新聞」5月4日号 )
 広島の祭り "フラワーフェスティバル"に、天理教・PL教団と共に、趣向をこらし創価学会として参加。(「中外日報」)
5月5日
 宗門、阿部日顕管長。佐藤悦三郎委員長以下7名の法華講連合会幹部を、文京区西片の大石寺出張所に呼び、柳沢喜惣次を連合会総務部長に迎えるよう要請。
5月10日
 宗門、法華講連合会。緊急理事会を開き、柳沢喜惣次の受入れ反対を決議、宗務院に懇請書を提出。
5月 日  月刊「創」6月号、「<特別企画>宗教界を揺さぶるスキャンダル 大票田・宗教界の参院選めぐる加熱ぶり 池田大作復権と日蓮正宗宗会選挙」を掲載。
5月13日  山崎正友と原島嵩、内藤国夫へ盗聴事件の情報を渡す。(「創価学会の真実」野崎勲 )
5月15日
 宗門、阿部日顕管長。佐藤悦三郎委員長に対し、柳沢喜惣次の受入れを再度要請。
5月18日  内藤国夫、月刊『現代』7月号原稿のアウトラインを書きあげ、グランドパレスで山崎正友に見せる。山崎、"マジック事件"の子供の父親が名誉会長だと話し、原稿のトーンアップを示唆する。(「創価学会の真実」野崎勲 )
5月24日  創価学会、台東文化会館にて池田大作名誉会長、「今日の日蓮正宗創価学会がこのように発展し、短期間に正法流布の根を深く広く張ることができたのも、正宗の伝統の根が深く、いままた草創の指導部の方々の謗法厳禁の根本を踏まえた懸命な信心と生活の見事なコントラストの実践によるところが大である。… 人々の心と社会の動きから遊離し、空転していたのでは、いくら立派な仏法の理論を説いてもむなしいからである」(「聖教新聞」5月24日号 )
5月25日
 妙信講、第22回総会開開催「本門戒壇建立こそ仏国実現の秘術」、渋谷公会堂に3千2百余名が参加。
 浅井昭衛講頭「正本堂を建ておわってから、学会は急速に崩壊を始めました。会員は功徳を失い、池田大作は会長職を追われ、いま復権を狙っておりますが、すでに先は見えております。また、妙信講に解散処分が下ったころ、妙信講を潰そうとして、あらゆる卑劣の手段を弄したあの悪徳弁護士・山崎正友は、その後どうなったでありましょうか。彼はいま自ら種々の事件を引き起こし、身の置き所もなく、ついに逐電し、その後ようとして行方が不明であります。…
 阿部日顕管長は、… 昨年七月管長職に就くといえども、未だ一分の懺悔・訂正もなく、昨年十一月、妙信講が三万達成と同時に提出した諫訴状に対しても、ついに黙殺のままであります。しかし、すでに罰は現われつつあります。いま宗門は、阿部日顕管長派と反学会活動家僧侶と、真二つに分れ、激しい抗争を続けております。しかしながら、御遺命の正義を叫ぶ者は、両派ともに一人としていないのは、まことに不思議であります。この宗門の現状を見るにつけ、深い憂いと、強い憤りを感ぜずにはいられません。いよいよ明年は七百年御遠忌であります。妙信講はこの御遠忌をめざして、いよいよ強烈の宗門諫暁を進め、以て御報恩に擬し奉る決意であります。…
 米国が近年にわかに衰退し、かわってソ連が強大な軍事力を背景に、その勢力圏を世界各地に拡大してきております。七十年代には中東・アフリカに進出し、本年八十年代に入るや、アフガニスタンに突如侵略を開始し、世界を震憾させました。ことに最近の極東への軍事力増強はまことに不気味であります。… ここに今日のソ連の異常なる軍事拡張を見る時、御在世における大蒙古の台頭を思わずにはいられません。… まさしく、八十年代は『末法濁悪の直中』であり『破局の年代』であります。この大闘諍の渦から日本を救う道は、国立戒壇の建立以外にはなく、今こそ大聖人の立正安国の御精神を一国に声を大にして叫ばなくてはなりません。… 一国諫暁の資格を有する者は、わが日蓮正宗妙信講以外にない。明年11月までにはなんとしても五万を達成し、大聖人の御心のままに敢然と一国諫暁に立つことを、大聖人に堅くお誓い申し上げようではありませんか(大拍手)」
 総務に村岡長治、男子部長に長岡孝志 任命さる。
(※ "破局" というのは、"行きづまって収拾のつかない局面"、"悲惨な終局" という意味で使われる。浅井昭衛講頭はここで、これでもかと "破局" を煽りまくっている。"八十年代は末法濁悪の直中"、"破局の年代"、"大蒙古の台頭"、"大闘諍の渦" と。浅井昭衛講頭が求めているのは、「水の信心」ではなく「火の信心」である。 "試練と忍従" や "御遺命守護" で講中を支えてきた中核の人材が、"ノルマ" に消耗し "ボロボロ" になって消えていく。人材の使い捨て路線が、いよいよ顕著になって来た。80年代が過ぎれば、"二大氷山"等 また新たな "破局" を、次々に作り出して止まない。2020年代の今も、事態は同様である。 櫻川 忠 )
5月27日
 妙信講、本部会議開催、浅井昭衛講頭「今回の総会は、まさしく大聖人御馬前での大儀式であった。私は、いま宗門に全く消え失せた本門戒壇の本義とその重大性を、大聖人御照覧のもと声も惜しまず叫ばして頂き、妙信講の御奉公を心から誓い奉った。このこと自体が御遺命を曲げた宗門に対する強烈なる諫暁に当たり、また、明年 一国諫暁に立つ序分となった。日本の破局はますます急テンポで近づきつつある。ここに、一国においては諫臣、宗門においては争子たる、妙信講の使命はいよいよ重大である。明年11月五万達成まであと18ヶ月、力強い折伏を進め、以て一路大聖人の待たせ給う大法戦場へ驀進せん」
(※ 御馬前第1号は、1970年10月25日「妙信講にとって試練と忍従の十三年は終った。すでに大聖人の御馬前に於いての斗いである。いつ倒れようと悔いはない」であった。櫻川 忠 )
5月27日
 妙信講、本部通達。男子部、女子部において「大学受験生の組織活動は免除」と。
5月30日
 宗門、寺族同心会(総本山)、阿部日顕管長「例えば『ある団体に入って信心をしておると、いかに正しい御本尊にお題目を唱えても成仏はできない』などと、ばかなことを言う僧侶がおるのであります。これは大きな間違いです … その十四誹謗を犯した人が、それを改めようとしている姿に対して『謗法だ、謗法だ』と目くじら立てて言うならば、それはかえって自分が大謗法を犯していることになります」(「大日蓮」413号 )
5月31日
 宗門、法華講連合会。全国の理事・幹事会を開き、柳沢喜惣次受入れ拒否を再度確認。この人事が強行された場合、委員長以下全員が辞任することを決議。
6月2日  週刊ポスト、「宮本宅盗聴は創価学会がやったとの内部証言」との記事を掲載。(「同誌」6月13日号 )
6月3日
 宗門、法華講連合会。佐藤悦三郎委員長以下全役員、宗務院に辞表を提出。
6月4日
 宗門、宗会選挙行わる。反学会派僧侶、10名当選。
6月5日  月刊「現代」7月号発売。内藤国夫の「池田大作名誉会長復権工作にうごめく怪情報」を掲載。宮本宅電話盗聴事件、新宿替え玉投票事件、会長の女性スキャンダル等を扱う。特に、マジック事件の子供を池田の実子とした。(※ 創価学会側では血液鑑定書を出し、血液型が違うと親子関係を否定、写真は本物と認める )
 週刊文春・週刊新潮等、創価学会批判記事を掲載。一斉に、池田大作名誉会長のスキャンダルを、内部告発情報によって報道。
6月5日  創価学会、山崎正友の恐喝の件で警視庁に被害届を提出。(※ 警視庁捜査四課、創価学会の告訴状を正式に受理したのは、同年10月25日。逮捕は翌年1月24日 )
「創価学会が激怒し、血迷ってしまったのは、毎日新聞記者内藤国夫が、月刊誌「現代」誌上で池田大作の女性関係を、露骨にぶちまけたことが直接の引きがねとなったからである。『山友がやらせたに違いない!』、怒り狂った創価学会は"恐喝罪"で告訴し、警視庁と警察庁に、『何としても奴を逮捕し、刑務所にぶち込んでくれ、返り血を浴びるのは覚悟のうえだ』と、圧力を掛けた」(「月刊ペン事件 埋もれていた真実」山崎正友 )
6月5日  創価学会、週刊文春・週刊新潮に対し抗議、記事の全面取り消しを求む。
6月6日
 宗門、法華講連合会の新委員長に、阿部唯七郎(法道院信徒)が就任。
6月7日  創価学会、月刊「現代」と内藤国夫に対し抗議、記事の全面取り消し要求。
6月7日  文部省、統計数理研究所。文部省科学研究費一般研究(B)の助成を受けた、「統計的決定理論の立場からの文献学的判別問題に対する研究 ― 日蓮の"三大秘法禀承事"の真偽判別解析 ―」の中間発表。
 伊藤瑞叡博士(立正大学)を中心に、日蓮文書の用語の使用法を統計・数理化することで真偽判定。結論として、「三大秘法禀承事」は真書と判定された。(「朝日新聞」「毎日新聞」同日付 )
6月 日  日本共産党、松本善明代議士、山崎正友に接触。
「私は、松本善明氏に会い、十年前のこどの謝罪を、宮本顕治氏に伝えてくれるよう頼んだ。それから、弁護団や赤旗記者の取材を正式に受けることになった」
「私は、数回にわたって聴取に応じ、記憶していることを、ありのままに話した。もう隠す気もなくなったし、自分の立場や将来のことなど一切考えられない、"なるようになるさ"という気持ちに支配されていた」(「自由の砦」山崎正友 2002年1月10日号 )
6月7日  日本共産党、「赤旗」。宮本宅の盗聴器事件、公明党替え玉投票事件、119番ニセ電話事件が、ことごとく創価学会の犯罪であったことを報道。
6月12日  週刊サンケイ、秋谷副会長。評論家・俵孝太郎の質問に答えて、「戒壇建立につきましては、広宣流布というわれわれの仏法が広まっていく過程、段階の中で、宗教的なひとつの目標であったと思います」(「同誌」6月19日号 )
6月12日  週刊文春、「創価学会最高幹部七人の告発(1)」 "御本仏池田大作"演出のカラクリ を掲載。(「同誌」6月19日号 )(※ 連載、同年9月18日号まで続く )
6月12日  大平正芳首相急逝、内閣総辞職、伊東正義内閣官房長官が首相の臨時代理を務める。
6月15日  公明党、正木良明政審会長。NHK討論番組で、替え玉投票の事実認める。
6月16日
 宗門、阿部日顕管長。法華講員の創価学会攻撃に対し、「法主の教導に背いて学会を謗ることは、その所為こそ誤りであり、法主の教導に逆う者は僧にあれ俗にあれ、非法の衆である」と、創価学会を擁護。(「大白法」6月16日号 )
6月17日  創価学会、聖教新聞、"『良き檀那』めざそう"
「根本の『よき師』である日蓮大聖人に帰命し奉り、そしてその法水を現在に正しく伝えられている御法主上人を仏法の師と仰ぎ、日蓮正宗を外護していく使命の大きさは計り知れず、私たちはさらに『よき檀那』たらんと、決意を新たにしたいものです」(「聖教新聞」6月17日号 )
6月18日  日本共産党、宮本委員長宅電話盗聴事件は、北條会長が指示と発表。創価学会に対し、「共創協定死文化」「特定政党支持」「電話盗聴」「替え玉投票事件」等につき、公開質問状を送付。
 創価学会、これに回答せず。
6月19日  週刊文春、「創価学会最高幹部七人の告発(2)」を掲載。(「同誌」6月26日号 )
6月21日  公明党、矢野書記長。NHK政党討論会の席上、日本共産党 不破書記局長の盗聴の指摘に対し、「公明党、創価学会は一切関係ない」と言明。
6月22日  衆参同日選挙、第36回衆議院議員総選挙、第12回参議院議員通常選挙。公明党惨敗、自由民主党圧勝。公明党は衆院33名と後退、参院で12名当選。
 与党内の対立で内閣不信任決議案が可決された解散総選挙(ハプニング解散)、前回選挙からわずか8か月後に実施された。結果として第12回参議院議員通常選挙と同日に実施され、史上初の衆参同日選挙となった。
6月 日  創価学会、原島嵩、「創価学会仏」に言及。
「小平芳平氏と、ある仕事のことで静岡研修道場に呼ばれました。昭和55年6月のことだったと思います。… 別の機会に私は小平氏に聞きました。「戸田先生は、本当に創価学会仏といったのを、あなたは直接聞いたのですか?」これに対し、小平氏は記憶は定かでないとして「いや、よくわからない。池田先生から聞いたのかもしれない」と正直に答えて下さいました。私は、これはどうも(池田)先生のつくりごとか、あるいは戸田先生が事実言われたとしても、決して日蓮大聖人以外に創価学会仏なるものを想定されたこととはどうしても考えられません」(「池田先生への手紙」原島嵩 )
6月23日  日本共産党、創価学会に対して民事訴訟を起こす意思を表明。
6月26日
 妙信講、6月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭、第22回総会後の諸天の動きについて言及。
6月26日  創価学会、秋谷副会長。内部告発について、聖教新聞紙上で釈明。
6月26日  週刊文春、「創価学会最高幹部七人の告発(3)」を掲載。(「同誌」7月3日号 )
6月27日  創価学会、第249回本部幹部会(東京戸田記念講堂)
 森田一哉理事長「最近、一部の週・月刊誌で創価学会、池田名誉会長についての中傷記事が目立っている。ここでは、いかにデタラメな記事が多いか少々事実を明らかにしておきたい … 何があろうとも私達は、大御本尊様と御法主上人猊下がおわかりくだされば、何も恐れることはないと確信しつつ、諸難を乗り越え、さらに広布の前進をいや増していこうではないか」(「聖教新聞」6月28日号 )
6月28日  創価学会、聖教新聞、「秋谷副会長に聞く」
 最近の週刊誌等による誹謗記事について 「『人間革命』に関しては、名誉会長がみずから筆を執り、推敲を重ねて、後世のために書かれてきたものです。『人間革命』は、その指導性、信仰観、人生観は書く人の人柄そのままに出るもので、名誉会長以外には書けません
6月30日  内藤国夫記者、毎日新聞社を退社。社から求められた"始末書"問題がこじれ、退社してフリージャーナリストとして活動。
7月1日
 妙信講、7月度班長会。浅井昭衛講頭、「学会の卑劣・腐敗ぶりは、目を覆うばかりである。スキャンダルをあばかれるのを恐れるあまり、邪教・立正佼成会と停戦協定を結んだり、はては青年部幹部を佼成会に偽装入信させて分裂工作をたくらんだりしている。大聖人の師子王のごときお振舞いを拝するに、池田大作はあまりにも卑劣すぎる。妙信講はただ信心でいく。大聖人にひたぶるの忠誠を尽くして進む時、諸天は必ず動き、小手先の小細工など不用になる。正系門家の濁悪が頂点に達する時、必ず御在世の信心は蘇える。そのカギをにぎっているのが妙信講である」と。
7月1日
 宗門、西本暁道師(常修寺)。「寺報」で妙信講を誹謗。
7月1日  創価学会、北條浩会長。「大白蓮華」巻頭言、「御法主日顕上人猊下のもと、広宣流布の新たなる展開を開始せんとする時、さまざまな謀略や怪情報が乱れ飛びかっている」と、反学会キャンペーンに言及。(「同誌」7月号 )
 原島嵩教学部長、この号を以て「大白蓮華」の編集兼発行人を降り、新教学部長・桐村泰次が着任。
7月2日  創価学会、聖教新聞購読料改定。「来る八月一日から、月ぎめ購読料を現行の一部九百円から千二百円(一部売り定価は現行四十円を五十円)に改定」
7月3日
 宗門、宗会。監正会に関する宗規の一部を改正。(「大日蓮」8月号 )
7月3日  週刊文春、「創価学会最高幹部七人の告発(4)」を掲載。(「同誌」7月10日号 )
7月4日
 宗門、全国教師指導会開催。阿部日顕管長、創価学会擁護の指導を徹底。席上、二十六箇条の「時の貫主...」について、「そのときの貫主が、つまり私なら私に仏法の相違があり、己義を構えた場合、大衆はこれを用いてはならない、というわけです。これについては日達上人も『しからば、その己義というのはだれが判定するんだ』と皆さんに反問されていたことを御承知でしょう。たしかに、そういう意味があるのです。即ち、例えば私が今から、大聖人の仏法の化儀・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分るようなことを云い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。しかし、大聖人の御指南を根本としたうえで云っておることに関してならば、やはりその法主の指南を中心に聞かなければならないはずであります。…
 次に、最近の宗門の姿のなかにおいて、謗法の論議が非常に多い。そのなかでも特に『創価学会は大謗法の団体だ』と言っておる人が、かなり多いのであります。それについて今日指導しておきますが、"絶対に誤りである" と断ずるものであります … 本宗において、大聖人の御本尊を唯一無二に信じ、仰ぎ奉り、そしてこれを自らも信じて御本尊の利益・功徳を受け、またそれを人に向っても教えつつ、広くこの御本尊を流布した団体は何でしようか。これは、七百年の歴史のなかではいろいろな条件はありますけれども、創価学会であります。…
 創価学会にももちろん、謗法はありました。いわゆる中謗法・小謗法というような意味での謗法はあったけれども、この御本尊を受持している以上、大謗法はないのであります。もしも、御本尊を受持している人に対して大謗法呼ばわりするのであれば、これは大聖人・大御本尊に背くものではないか、と私は思います」(「大日蓮」第414号 )
7月4日
 宗門、反学会派活動家僧侶、大石寺塔中の蓮東坊に集い「正信会」を結成。
「彼らは昭和55年7月4日に、自称「正信会」を結成し、日顕上人猊下が制止せられたにもかかわらず、創価学会追及の矛を収めず、ついには、開催の中止を命じられていた第5回檀徒大会を強行した」(「慧妙」2001年7月1日号 )
7月10日  週刊文春、「創価学会最高幹部七人の告発(5)」に、「特別財務6百億円で全国各地につくられた池田大作専用"ラブホテル"」を掲載。
「こうした専用豪華施設は、創価大学、創価学園、民音その他外郭団体にも必ずある。それも、後から出来るものほど、ますます豪華になる傾向だった。広島文化会館の場合などは、会長室が岩風呂つきの、まるで趣味の悪いラブホテルのようなつくりであった。宗教法人の免税申請を受けた税務署が実地調査に来たとき、さすがにあきれて、『この部分は宗教活動と関係ないじゃないか』と会長室部分だけを課税対象にした」(「同誌」7月17日号 )
7月11日  創価学会、週刊文春を告訴。
 7月17日号の"池田大作専用ラブホテル"記事に関し、文藝春秋代表取締役・千葉源蔵、週刊文春編集人兼発行人・川又良一、記事を執筆した氏名不詳者数人を名誉毀損で告訴し、同時に損害賠償5億円と、朝日・毎日・読売各紙および文春誌上への謝罪文掲載を求める民事訴訟を東京地裁に起こす。(※ 83年6月7日、両者に和解が成立 )
7月14日  週刊ポスト、山崎正友顧問弁護士。顕正寺の建立が裁判の結果であることを、不正確ながら公表。(「同誌」7月25日号 )
7月15日  晩聲社、「創価学会・公明党の研究」(段勲 編)を発行。創価学会本部から持ち出された"流出文書"、怪文書、私信など収録。
7月16日
 妙信講、臨時班長会開催(牛込公会堂)。浅井昭衛講頭、「週刊ポスト」(7月25日号)の山崎正友「手記」について、「裁判終結についての記述は歪曲されているが、学会首脳部が今まで隠し続けてきた”顕正寺は裁判の結果建てられた”という事実だけは、不正確ながら立証された」と論評。さらに「山口法興が陰険な策謀をめぐらし顕正寺に出入、八木住職をたぶらかしたが、大聖人の御守護で事なきを得た」
7月16日  創価学会、原島嵩を解任。総務並びに責任役員・師範等、一切の役職から解任された。(「聖教新聞」7月17日付 )
(※ 原島嵩は週刊誌に手記を発表、これが反逆行為と見なされた )
7月17日  鈴木善幸内閣発足、鈴木善幸、第70代内閣総理大臣に任命さる。
7月21日
 宗門、細井日達師一周忌お逮夜法要奉修。(「大日蓮」9月号 )
7月23日
 宗務院、法華連合会青年部機関誌「慧燈」(花野充道師発行)の発刊を停止せしむ。
7月24日
 八木直道師、顕正寺を退出。
7月24日  週刊サンケイ、原島嵩の懺悔手記を掲載。(「同誌」8月7日号 )
7月25日  公明党、大野潔代議士。ラスベガス公費賭博旅行をあばいた「赤旗」を告訴。
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭、「妙信講の前進を阻まんと、顕正寺に便りを得た魔障も、折伏の功徳に降すことができ、顕正寺は再び妙信講と共に、御遺命守護に戦う清らかな寺となった」
7月28日   週刊サンケイ、「原島嵩の懺悔手記」連載開始。細井日達管長が、妙信講の要請に応じて「訓諭の訂正文」を書いたこと、昭和47年に聖教新聞紙上で学会が曲義訂正を行ったことの経緯を発表。(「週刊サンケイ」8月7日号 )
7月31日
 宗務院、「院達」。檀徒大会主催者へ、創価学会への誹謗中傷はしないこと。それが守れなければ大会を中止せよ、と。
「院第145号 昭和55年7月31日 檀徒大会主催者 ○○○○殿
 来る8月24日 武道館において開催予定と云われる檀徒大会につき、次のとおり警告をいたします。
 一、本年7月4日全国教師指導会における御法主上人猊下御指南の旨を全面的に遵守し、創価学会に対する誹謗中傷的言辞は一切行なわないこと。
 二、万一、上記の件を守ることが出来ない場合、もしくは出来ないことが予想される場合は、同大会を中止することを命ずる」(「大日蓮」9月号 )
7月31日  創価学会、池田大作名誉会長、細井日達師の一周忌法要で「もう一度会長をやります」と宣言。
7月31日  三一書房、「創価学会からの脱出」(羽柴増穂著)を発行。79年、80年に「週刊サンケイ」に連載された記事。
7月 日  創価学会、北林芳典。「現代宗教研究」で、山崎正友のスキャンダルを特集。(「同誌」14号 )
8月1日
 宗門、高橋秀正師(修覚寺)、「寺報」に山口法興師の妙信講誹謗の談話を掲載。
 寿量寺(浜松)、「妙信講問題について」と題する誹謗文書を、檀徒に配布。
8月1日
 妙信講、班長会。浅井昭衛講頭、顕正寺問題の背景と本質を詳細に発表。
8月2日  創価学会、原島嵩を創価学会から除名。(※ 後に、原島嵩は正信会機関紙「継命」の嘱託となる )
8月6日  創価学会、 聖教「日顕猊下登座1周年」 「総本山第六十七世御法主日顕上人は、きょう六日、御登座一周年の佳き日を迎えられた。御法主日顕上人におかれては、総本山第六十六世日達上人より唯授一人の血脈相承を受けられ、昨年八月六日、第六十七世御法主として御登座あそばされた。以来、正法のいっそうの興隆へ御法務に精励される一方、全国各地の寺院の法要にも相次ぎ御親修の慈歩を運ばれるなど、ますます御壮健な御法主上人を拝することは、我ら信徒一同にとってこのうえない喜びである」(「聖教新聞」8月6日号 )
8月8日   週刊文春、「宮本顕治邸盗聴事件の真相」(創価学会 内部告発グループ)を掲載。(「同誌」8月14日号 )
8月8日  日本共産党、宮本委員長宅盗聴事件の犯行グルーの指揮者を、山崎正友と断定。(「赤旗」8月8日付 )
8月8日  東京スポーツ、「創価学会の危機」連載を開始。
8月9日  創価学会、森田康夫教学部師範、原島嵩を批判。(「聖教新聞」8月9日付 )
8月11日
 宗務院、「院達」(院第149号)、檀徒大会の開催に全面的に中止命令。
「来る八月二十四日武道館にて開催を予定されている檀徒大会について、宗務院としてはその内容趣旨が七月四日全国教師指導会における御法主上人猊下の御指南に違背するものと認め、この大会を全面的に中止することを命じます。なお、万一、この命令に違背した場合は、相当の処置をとらぎるを得ないことを念告いたします」(「大日蓮」10月号 )
8月12日
 妙信講、解散弾圧6周年記念幹部会開催。浅井昭衛講頭、「御遺命に背く者は亡び、守る者には大聖人の御守護を蒙る。まさに御本仏の御金言の重さを体験させて頂いたのがこの六年であった」と。
8月15日
 妙信講、顕正寺において村松禎道住職代行の就任式を行う。
(※ 村松禎道師は元妙縁寺在勤所化、北海道の実家に戻っていたが、昭和55年8月 浅井昭衛講頭(当時)の要請により顕正会本部職員となり、顕正寺住職代行として葬儀等の法要を執行。昭和59年8月に顕正寺住職に就任、平成17年11月に顕正会本部職員(顕正寺住職)を解雇された。)
8月18日
 宗門、正信会僧侶。妙真寺で会合を開き、150名が参加。「院達無視」等を決議。
8月18日
 宗門、阿部日顕管長。檀徒大会主催者に対し、親書を以て大会の中止を命ず。
8月19日
 宗務院、「院達」を以て檀徒大会主催者に対し、大会の中止を重ねて厳命。
 宗務院、宗門全僧侶に対し、檀徒大会への出席禁止を命ず。(「大日蓮」10月号 )
8月19~20日
 妙信講、特別講習会を豊島公会堂・千代田区公会堂で開催。参加者3千15名。浅井昭衛講頭、「御遺命守護の戦い」と題して講演。
8月19日  創価学会、8月度男子部幹部会(東京戸田記念講堂)。
 北條浩会長「学会の幾百万の人材の山脈は、御本尊を根本とし代々の御法主上人猊下の御指南のもとに、具体的な実践においては戸田先生、池田先生という人生の師の薫陶を受け、自己を磨いてきたからにほかならないと思うのである」(「聖教新聞」8月22日号 )
8月20日   週刊サンケイ、原島嵩が「日達管長が妙信講に手渡した、正本堂訓諭の"訂正文"は実在している」と証言。(「同誌」9月14四日号 )
8月中旬  創価学会、「僧俗和合の破壊者 ―― 山崎・原島の画策」と題するパンフレットを刊行。
8月24日
 宗門、正信会僧侶ならびに檀徒、「院達」を無視し第5回全国檀徒大会を日本武道館で開催。出席僧侶 187名、檀徒・法華講 12,800名参加。原島嵩元教学部長、登壇し謝罪。
 池田大作の名誉総講頭・七百遠忌慶讃委員長辞任、創価学会の支配停止等を決議。終了後、正信会リーダーが記者会見、今後いかなる圧力にも屈しないと宣言。
 反学会派僧侶 264名連判で、阿部日顕管長に『公開討論要求書』を提出。
「一、日蓮正宗法華講名誉総講頭を辞退せよ
 二、宗祖日蓮大聖人第七百遠忌慶讃委員長を辞任せよ
 三、創価学会における実質的支配を直ちに止めよ 右、要求する」(「継命」9月1日号 )
8月24日  晩聲社、「池田大作先生への手紙 私の自己批判をこめて」(原島嵩著)を発行。
8月 日
 宗務院、毛利博道師を海外部主任から解任。
8月25日
 宗門、菅野慈雲師、海外部長を辞任。後任に、早瀬義孔師(庶務部長兼任)就任。(「聖教新聞」8月26日付 )
8月25日  創価学会、第5回全国檀徒大会について「法主の指南に背くもの」と論評。(「聖教新聞」同日付 )
8月26日  日本共産党、宮本共産党委員長盗聴事件で、創価学会の北條浩・山崎正友・広野輝夫・竹岡誠治・北林芳典らを、東京地方裁判所に提訴。
「宮本邸電話盗聴事件は、発生後十年を経て、昭和55年(ワ)第9051号事件として、法廷で、公衆の面前で審議されることになった。… 私は、すでに、事実を告発し、謝罪しているから、訴訟で争うことは何もなかった。しかし、創価学会側はそうはいかなかった。…
 創価学会側は、すぐ、私以外の盗聴に関わった者、及び私の周辺にいた者、すべてを取り込み、いろいろな利益や恩典を与え、懐柔した。…
 学生部の公金を使い込み、(株)シーホースの金を着服して、自宅以外に高級マンションを構えて高価な音響機器を買いそろえ、アルファロメオの高級車を乗り回していた広野輝夫を、"第三文明社"の社員として高額の捨て扶持を与え続け、北林芳典に対しては、"宗教ゴロ"稼業に資金援助を与え、さらに、学会員専門の葬儀社"報恩社"の社長にすえた。その上で、電話盗聴行為について、創価学会、及び北条浩の関与を否定するために、巧妙なストーリーをデッチ上げ、集団偽証を企てたのである」(「自由の砦」2002年1月10日号 山崎正友 )
(※ 1985年4月の判決で、北条浩会長指示のもと行われた犯行として認定された。)
8月27日  創価学会、副会長に森田康夫、大野和郎、伏木芳雄、中山晃の4名が就任。副会長の総数は23名となった。(「聖教新聞」8月27日号 )
8月28日
 宗門、教師講習会開講式、阿部日顕管長「そのようなマスコミの勢力を利用して、日蓮正宗の正しい御本尊を受持信行している人を攻撃することは、それこそ本末転倒であり、それほど卑怯な、大聖人様の仏法の風上にもおけないような姿はありません。"この道理が解らないようでは、日蓮正宗の僧侶ではない"と、私は思います」
8月28日  週刊文春、創価学会・公明党の「賛え玉投票事件」を詳報。(「同誌」9月4日号 )
9月28日  日本共産党、赤旗、「黒い鶴の犯罪」の連載を開始。
8月29日
 宗門、宗務広報(第287号)。持妙寺、昭倫寺の2ヶ寺、「院159号」違反行為により御親修等を中止。
8月29日
 妙信講、8月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「宗門の分裂抗争は、"修羅と悪竜の合戦" である」
9月1日  週刊ポスト、山崎正友の記事掲載。「妙信講本部及び浅井昭衛講頭宅にも電話盗聴器を取り付けようとしたが、これは失敗した。…
 53年7月、前御法主上人猊下から『池田本仏化で日蓮正宗の法義が曲げられ、このままでは法主として、宗開両祖に申し分けない。力を貸して下さい』と私ごときにもったいなくも手をついておおせられた。以来、池田先生の憎悪を一身に集める運命になってしまいました」(「同誌」9月12日号 )
9月3日
 宗門、「お目通り記録」流出。昭和47年7月6日、細井日達管長の妙縁寺下向は、池田大作の懇請によるものであったことが判明。
9月3日  創価学会、全国県長会会議(長野研修道場)で県長決議。「創価学会はいかなることがあろうとも、総本山第67世日顕上人猊下の御指南に従い奉り、あくまでも大御本尊への絶対無二の信心を貫き通し、総本山を外護申し上げ、僧俗和合して広宣流布に邁進する」(「聖教新聞」9月4日付 )
9月4日
 宗門、宗会議員・正信会代表19名。阿部日顕管長に「本尊模刻事件」に関する公開質問状を提出。(「継命」9月15日号 )
9月5日  月刊「宝石」、「池田大作の野望の軌跡」(溝口敦)掲載。(「同誌}10月号 )
9月8日 「文化評論」、「これが創価学会謀略機関だ」(溝口敦)掲載。(「同誌}10月号 )
9月10日  週刊サンケイ、原島嵩の記事掲載。「昭和47年5月の宗規改正は、妙信講の解散・破門処分のため、池田大作が山崎正友に指示してなされた。また池田大作は昭和47年7月、細井管長に『妙信講を切ってほしい』と迫った。昭和49年7月31日付の『宗務院から妙信講への通告書』の文案は学会側で作った」など、当時の事情を暴露。(「同誌」9月25日号 )
9月11日  週刊文春、「創価学会最高幹部七人の告発」(最終回)を掲載。(「同誌」9月18日号 )
9月15日
 宗門、「継命」。原島嵩、「賞本門事戒壇正本堂建立記念本尊」の裏書についての経緯を公表。(「同誌」9月15日号 )
9月16日
 宗門、久保川法章宗会議長以下10名の宗会議員。池田大作名誉総講頭に対し、法華講名誉総講頭ならびに七百遠忌慶賛委員長の職を辞するよう、重ねて勧告。
9月17日
 宗門、正信会有志。処罰禁止・池田除名などを監正会に提訴。
9月18日  創価学会、青年部最高会議、「総本山を厳護し奉る」と決議。「創価学会青年部はいかなることがあろうとも本門戒壇の大御本尊の信心を貫き、大御本尊まします総本山を厳護し奉り、御法主日顕上人の御指南のもと広布流布に前進することを決議する」(「聖教新聞」9月19日付 )
9月 日
 宗門、山口法興師「正信会はいずれ切り崩されて負けます。勝利などしません」(「週刊現代」9月25日号 )
9月22日  週刊ポスト、創価学会の盗聴記事掲載。「現職検事が妙信講と創価学会との教義対決(昭和47年9月)を密かに盗聴していた」と。(「同誌」10月3日号 )
9月24日
 宗門、阿部日顕管長。檀徒大会出席の、反学会活動家僧侶を大量処分。住職罷免 5名 (佐々木秀明・山口法興・丸岡文乗・萩原昭謙・渡辺広済)を含む、201名に及ぶ。
「日蓮正宗は、9月24日、総本山大石寺において責任役員会(代表役員・阿部日顕管長)を開き、去る8月24日に日本武道館で開催した第5回日蓮正宗全国檀徒大会に出席した御僧侶 201名の大量処分を決定した。
 今回の処分理由は「法主が全国檀徒大会の開催中止を再三にわたって命じたにもかかわらず、これに違背して強行し、宗内の秩序を乱した」というもの。(中略)
 処分の内容は
(1)住職罷免 5名
(2)二階級降格(僧侶の階級を二階級下げること)13名
(3)二年間停権(役員もしくは職員の就任および選挙権ならびに被選挙権の停止)23名
(4)一年間停権 155名
(5)けん責(過失を明記した宣誡状をもって叱責すること)5名の、計 201名となっている」(「継命」27号 )
9月25日
 宗務院、住職罷免の5ヶ寺へ寺院明渡し要求。兵庫・堅持院 渡辺広済師、神奈川・小田原教会 佐々木秀明師、静岡・応身寺 荻原昭謙師、東京・妙真寺 山口法興師、千葉・涌化寺 丸岡文乗師。
 宗門、監正会。9月17日付正信会僧侶6名の「提訴状」を認め、檀徒大会出席者を処罰してはならない。正信覚醒運動参加者を差別待遇してはならない。御本尊模刻をした池田大作を擯斥または除名せよ、と採決。
 正信会、宗務院へ処分不当の抗議文提出。
9月25日  東京スポーツ、山崎正友の記事掲載。模刻本尊八体を、昭和54年9月27日深夜、大石寺に運びこんだ、と証言。(「同誌」同日付 )
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会開催、総世帯数 36,687世帯に達す。浅井昭衛講頭「御遺命破壊について、最も無責任でズルイのは宗門僧侶。分裂抗争はこの罰であり、醜い権力闘争である。… 破局の影に旅を急がん」
9月28日
 宗門、正信会僧侶代表・渡辺広済師等。監正会に「住職罷免は職権乱用」と訴状を提出。
9月29日
 宗門、罷免の5僧侶。静岡地方裁判所に地位保全の仮処分を申請、即日仮処分命令下る。
9月29日
 宗門、監正会。9月28日付の渡辺広済師らの提訴に対し、「罷免処分は全て無効」と採決。
 僧侶有志一同267名(正宗僧侶の約半数)、連名で声明文を発表。
「一時、創価学会は池田大作氏の会長辞任や特別学習会によって、体質改善と教義信仰の訂正に取りくむやに見えましたが、今年あたりから、日顕上人の池田大作氏擁護の発言を楯に、急速に反省懺悔の心を失ない、却って、「会長本仏論」や「宗門乗っ取り計画」「人間革命御書論」・「総体革命(日本支配計画)」の謀略を粉砕してきた正信覚醒運動を弾圧せんものとし、管長猊下や宗務院の権威を巧みに利用して、今回の処分となったものです。
 しかし、既に宗制宗規に基づいた宗門の正式裁決が下っているのでありますから、これに従うのが本宗僧侶及び本宗信徒の道であります。また、日蓮正宗管長も当然宗制宗規を遵守し、この裁決に従うものと思います。今回の監正会裁決によって、正信覚醒運動の正当であることが立証され、更に池田大作氏の除名が裁定されたことで、運動も新しい段階を迎えました。私達一同は今後は、この公式決定に基づいて、正法厳護、謗法呵責の運動を更に更に進めていく所存であります。宗門内外の良識ある皆様方の更なる御支援をお願い申し上げます」
9月30日
 宗門、阿部日顕管長。先に住職罷免された山口法興師ら5名を、後任住職の赴任を妨害したとして擯斥処分を通告。(「大日蓮」11月号 )
10月1日
 宗門、阿部日顕管長。宗務支院長、副支院長の大幅な移動を行なう。
10月1日
 宗門、継命新聞社、「継命」第27号発刊。
『宗務院、ついに暴挙を決行』
『宗・創一体で弾圧!住職罷免5名を含む御僧侶201名を大量処分』
『翌日早くも明け渡し要求 5寺院「処分は不当」と一斉拒否』
10月1日
 妙信講、10月度班長会。これより男子部・女子部の班長は参加制限。浅井昭衛講頭、「本年の折伏推進の意義は、一つには昨年阿部日顕管長に提出した諫訴状のクサビを深く打ちこむこと、二つには明年の五万を確実にすることにあった。諫訴状の徴は今や顕然、宗門僧侶の三分の一が処分され泥沼の抗争におち入っている」と。
10月1日  現代の目 11月号、「続・虚人列伝」(榊原史郎)、「挫折感なき正義の"月光仮面"」(内藤國夫を掲載。
 オール読物 11月号、小説「会長の野望」(志茂田景樹)を掲載。
10月3日
 宗務院、院達。「監正会の9月25日の裁定は、同月24日の懲戒処分の効力に、いささかも影響を与えるものではない」
 宗務院、住職罷免の5名を擯斥処分。(「大日蓮」11月号 )
10月3日  週刊文春、内藤国夫の記事掲載。阿部日顕管長の相承問題について、「昭和53年4月15日の件は、清涼寺総代・塚本素山も同席の会食に過ぎなかった」旨、発表。(「同誌」10月9日号 )
10月3日  静岡地方裁判所、宗門の「仮処分異議申し立て」に対し、先の決定の効力喪失を認める。和解成立。
10月5日  月刊「宝石」、山崎正友の記事掲載。昭和47年7月6日、細井管長の妙縁寺における発言を盗聴し、同管長が浅井講頭に対し「訓諭の前の半分は私の気持ちのとおりだが、後半は私の本意ではない。今さら取り消せないので、内容を打ち消す解釈文を出す。正本堂は、将来までいかなる意味でも御遺命の戒壇と断定したのは行き過ぎなので、その旨 解釈文ではっきりさせる。解釈文は、出す前に浅井さんに見せる。口でいくら国立戒壇を云ってもよいが、文書にするのはまずい」と語ったと証言。(「同誌」11月号 )
10月5日
 妙信講、高知支部第4回大会開催(高知会館)、318名参加。
10月8日
 宗門、信正寺(宮城)本堂庫裡新築落慶入仏式。阿部日顕管長「僧であれ俗であれ、その信心をしている人々の立場を攻撃し、非難し、悪口を言うことは、取りも直さず、大謗法でございます。このところの筋道が、最近の宗門においては間違っておる人が多いのであります。もちろん凡夫である人間には、信心上の誤りがある場合もあります。しかしそれは、改めていくならば仏様はその罪障というものを、根本的には必ずお許しくださるのであります。それをいつまでも、いったん過ちを犯したことをもって攻撃をし、そのことによって正法正義が日本乃至世界に広宣流布していくことを妨げるような結果になったならば、これこそ大謗法でございます」(「大日蓮」第419号 )
10月10日
 反学会僧侶 226名、一連の処分撤回を求め、阿部日顕管長に抗議書提出。
10月12日
 妙信講、大牟田支部第3回大会開催(大牟田商工会議所)。96名参加。
10月12日  創価学会、聖教新聞、「きょう戒壇の大御本尊御建立の日」
「一器の水を一器に移すが如く、唯授一人の血脈相承によって、大御本尊の深義は七百年の星霜に凝滞することなく、総本山歴代の御法主上人により、正しく今日に承継されている。本門戒壇の大御本尊の深義は現在、唯授一人の総本山第六十七世御法主日顕上人の、厳護秘伝されるところである。まことにありがたい限りではないか」(「聖教新聞」10月12日 )
10月13日
 妙信講、御大会式奉修(本部会館)。
 浅井昭衛講頭「広宣流布の時には、必ず日目上人が御出現になり、大聖人の「遣使還告」として国家諫暁をなさることになっております。その時は決して遠くはないと私は確信しております。しかし日本の破局はもうそこまで来ている。そしてこれを諌めるべき宗門は、今や醜い権力闘争、内部抗争にあけくれております。大聖人様はこの現状をごらん遊ばし、いかにお悲しみであられましょうか。いま一国を諫める資格は、御遺命を守り通し、真剣に折伏を行じている妙信講をおいて、他にはありません。そこに妙信講は、日目上人御出現まで、あらあら露払いとして、今日の社会状勢に応じて、然るべき所に、然るべき方法を以て、一国諫暁に毅然と立たなければなりません。 本日の御会式に当り、いよいよ御遺命守護の完結と、一国諫暁への決意を堅め、以て御報恩に擬し奉ろうではありませんか。(大拍手)」(「冨士」第205号 )
10月15日  国会、衆議院文教委員会。三塚博自民党代議士、
 一、宗教法人法 第81条「解散命令」の解釈
 二、信仰の強要
 三、宗教団体の集団選挙活動、等につき質問。
10月16日
 宗門、擯斥された5僧侶。池田大作名誉会長、北條浩会長に対し、「どのような責任をとるのか、二週間以内に身の処し方を考えない場合は、驚くような事態が発生する」と通告。
10月16日  創価学会インターナショナル(SGI)、親善代表者会議開催 (サンタモニカ・世界文化センター)。「総本山根本、御法主上人厳護」を決議。「会議では、今後のSGIのすべての根本は総本山であり、大御本尊であり、あくまでも御法主日顕上人猊下に随順するとの根本路線が確認された。ここで『総本山根本、御法主上人厳護』を永遠の指針とする提案がなされ、全員の賛同をもって決議、採択した」(「聖教新聞」10月18日付 )
10月17日  創価学会インターナショナル(SGI)、第1回SGI総会開催(ロサンゼルス・シュライン公会堂)。
 池田大作名誉会長「もったいなくも総本山第六十七世御法主日顕上人猊下の格別の御慈悲によつて『世界平和広宣流布大願成就』の常住御本尊を御下付賜った。この意義深き御本尊にともどもに唱題し、もって御法主日顕上人猊下の御慈悲に報い奉りたいことを誓い合いたいものである」
 秋谷栄之助、創価学会インターナショナル理事長に就任。(「聖教新聞」10月19日付 )
10月17/23日
 妙信講、学習会を2回に分け豊島公会堂で開催。2千余名参加。
10月19日
 妙信講、大阪支部大会開催(大阪府立労働センター)。168名参加。
10月20日  日本共産党、赤旗。「ニセ119番事件」は、"ヤメケンのF" こと元検事・福島啓充弁護士が対策を立てた、と断定。(「同紙」同日付 )
10月21日
 宗門、笠松澄道師、報恩寺(千葉県)建立。(「大日蓮」第417号 )
10月23日  創価学会、第253回本部幹部会開催(秋田・五城目広域体育館)。
 北條浩会長「今日においては、歴代の御法主上人猊下を大聖人と仰ぐのが日蓮正宗の信心である。私達は、何があろうとも御法主上人に従い奉り、御指南通りに僧俗和合で広布にまい進していくものであることを確認しておきたい。これが創価学会の伝統である」
 森田一哉理事長「今回のアメリカ指導の報道でもご承知のように、総本山根本、御法主上人厳護のもとに勤行、教学等の信行学の基本に徹することはまことに大切である」(「聖教新聞」10月25日号 )
10月25日  警視庁捜査四課、創価学会提出の山崎正友に対する「恐喝及び恐喝未遂」の告訴を、正式に受理。
「この問題を学会側から見るとどうなるか。池田の本音はどこにあったのか。復讐である。山崎は52年路線紛争に際し、池田の誤りを知ってかなり宗門側に立った動きをしたのだ。その山崎がシーホース問題でしくじった。よし、この問題を利用して山崎を潰せ、となったのだ。(中略)
 山崎事件とは、「普通の悪人対悪魔の王者」の戦いであったのである。そして、結果は当然のことながら、悪にかけては桁違いに凄い魔王の勝ちとなったのだ。池田は、その圧倒的な力を活かして山崎を潰すことに成功したのであった」(「悪魔の邪望」武田了円 」
10月25日  創価学会、富士桜自然墓地公園の完工式奉修。
「やすらぎの地になるはずの墓苑が完成を目前に控えた80年夏、開発造成にまつわるスキャンダルが発覚したのである。造成業者の一社は地元の「日原造園」であったが、同社の脱税摘発に端を発し、墓苑を舞台にした土地転がし、農地法違反、市行政との癒着などが表面化した。やがて大きな社会問題に進展し、とても"やすらぎの地"どころではなくなったのである。
 富士宮市議会に、墓地問題を追求する「100条委員会」が設けられ、「市を騒がす創価学会は、富士宮市から出て行け」と、地元住民による街頭デモまで行われた。100条委員会でも、創価学会の最高幹部を証人に呼ぶなど真相究明に乗り出すが、いつの問にか解散する。市内で問題追及のビラなどを配布していた市民の代表者宅も、何者かによって、深夜10匹のシマヘビを投げ込まれるなどの嫌がらせを受けたとされる。
 こうした問題続出の富士桜自然墓地公園であったが、販売先は創価学会の信者である。周囲の騒ぎなど関係なく、総工費260億円を投じた巨大墓苑は、墓1基当たり、維持費・管理費込み63万円で販売され、5万基に及ぶ墓地は完売した」(「創価学会財務部の内幕」)
10月25日  文藝春秋社、志茂田景樹著『折伏鬼』を発刊。「折伏鬼」「会長の野望」「虚構の覇者」の3編を収録。のち、文春文庫に所収。
10月26日
 妙信講、群馬支部第6回大会開催(富岡市立中央公民館)。180名参加。
10月26日  創価学会、「聖教新聞」。「山崎正友告訴の経過」を掲載。( 同日付 )
10月26日  読売新聞、脱税発覚記事掲載。富士桜自然墓地公園の工事を請け負った、日原造園(株)の脱税発覚。同霊園の用地取得、工事の発注などに、山崎正友が学会代理人として関っていたことが判明。(「同紙」同日付 )
10月27日
 妙信講、10月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭、「過去学会の弘通は序分、”真の広宣流布”はこれから」と。
10月27日  創価学会、聖教新聞、「山崎正友の僧俗和合の破壊工作」を掲載。( 同日付 )
10月27日  外国人記者クラブ、原島嵩が講演。「公明党幹部も共産党を盗聴していた」と暴露。(「赤旗」10月28日付 )
10月30日  創価学会、野崎勲総合青年部長。青年代表者会で、山崎正友問題の真相について「信心の破綻が転落を招き、金儲けに狂奔し、果ては恐喝した」と。(「聖教新聞」10月30日付 )
10月30日  週刊文春、山崎正友の記事掲載、「阿部日顕管長は池田大作の策略に従って、不正な手段で法主の座をさん奪した」「学会の本尊模刻の動機は、細井管長が池田の信心を疑い、御本尊下附をしなくなったため」と。(「同誌」11月6日号 )
10月31日  東京地方裁判所、宮本邸盗聴事件の第1回公判。山崎正友被告のみ事実を認め、「盗聴は北条会長の指揮」と証言。
11月1日
 宗務院、「八・二四に関する処分経過について」(大村寿顕)を発刊、全国の檀徒に送附。
11月1日
 妙信講、11月度班長会。浅井昭衛講頭、御在世の信心を今に移せと、「御登山、内得信仰の大精神」に言及。
11月3日
 宗門、阿部日顕管長。「宗内檀徒の皆さんへ」と題する文書を全国檀徒に送附。
「先師日達上人が、一時の学会の謗法行為を指摘されたのも事実であります。また、日達上人の御指示に従って学会の過ちを是正しようとした人々の行為も、御仏智に従った行動であったと思います。
 しかし、その指摘を受けた学会が、率直に反省して是正を誓い、その徹底のために努力をしていることも事実であります。それ故に、日達上人は昨年4月末、池田氏の辞任を契機に、宗内の正信覚醒運動など学会批判行為を厳重に禁止して、はっきりとけじめをつけられました。(中略)
 また、全国檀徒新聞の『継命』にしても、たしかに日達上人の命名により発刊されはしました。しかし、その後まもなく、紙面の内容が上人の御意志に反する、学会の過去のことを批判するものであったため、上人の命により同年6月16日付の院達で、同紙の編集者を戒めておられます。(中略)これが日達上人の御真意であります。(中略)
 したがって、現在、正信会などというグループを作って宗門の意に反抗して学会を攻撃したり、宗内の問題を意図的に外部へ流したり、果ては法主を誹謗するような行動をとっている僧侶や、それに付き従っている一部の檀徒の人は、勝手に日達上人のお心を歪めてとらえているのであり、ひいては、大聖人の仏法の本義、血脈の仏法に違背した謗法の姿といえるのであります」
11月3日
 宗門、法華講連合会。関西地方部執行部に対し、正信覚醒運動に参加し猊下に背いた、との理由で辞任を勧告。
11月6日  週刊文春、「山崎正友手記」掲載、阿部日顕管長の相承を否定。(「同誌」11月13日号 )
11月7日
 創価学会の社会的不正を糾す会、決起大会開催。正信会系である同会は、日比谷公園野外大音楽堂において、僧侶160名を含む七千名を結集し、決起大会を開催。池田大作名誉会長の国会喚問の実現と4項目にわたる大会決議を採択。
 引き続き国会周辺をデモ行進すると共に、代表千数百人が自民党本部前庭で、宗教法人創価学会の社会的不正を調査し、池田大作氏の国会喚問を要求する請願書を、約60万名にのぼった署名簿を添えて、自民党調査局長・三塚博代議士ら25人に手渡した。
11月8日  週刊サンケイ、某会員による「池田先生は本仏の再誕」記事掲載。
「池田先生は大聖人の生まれ変わりである。でも池田先生がそれを言ってしまえば、生命の永遠の何かもわからぬ人々から『何を証拠に』とつめよられ、狂人と断じられてしまうから、終生、御自身が日蓮の再誕である、とは明言されないであろう。それを真に理解した者のみの集団が、今後の創価学会となって残る (趣旨)」(「週刊サンケイ」11月13日号 )
「創価学会の不正を正す会」、国会周辺でデモを行う。
11月10日
 妙信講、長岡男子部長。京都・平安寺、岡崎執事と論判。
11月13日  週刊文春、山崎正友手記「二つの疑惑=日達上人の遷化と阿部日顕の相伝」を掲載。
「日達上人は、事実上の "指名" なり、心づもりなりを周囲の人々に話されたことはあるが、"御相伝" そのものは、なされていた形が、どこにも見当らない」(「同誌」11月20日号 )
「私は、日顕上人猊下の "御相承" について否定した見解は、今日では、認識不足であり、大きな誤りであった、との結論に達した。… "御相承" を云々したことは、甚だ僭越なことであり、深く反省し、お詫び申し上げる次第である」(「慧妙」1995年2月16日号 山崎正友 )」
11月15日  創価学会、北條浩会長談話「創立50周年を迎えて」。
「私どもは、どこまでも御法主日顕上人の御指南のもと、総本山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊を根本として、宗門を外護しつつ、ますます篤き信仰で個々の人格の向上を図り、社会にあっては仏法の精神を基調とした平和・文化の推進に力を注いでいく所存である。昨今、ご心配をおかけしていることもあるが、仏法の原理に照らし、過去の経験にかんがみて、信仰のうえからは、当然、起こりうべき障害ととらえ、教訓とすべきは教訓として、今後の前進の糧としていく決意である」(「聖教新聞」11月15日号 )
11月18日  創価学会、創立五十周年慶祝式典開催(創価大学)。
 池田大作名誉会長「創価学会の今日までの発展に対し、本門戒壇の大御本尊、そして歴代の御法主上人の大慈大悲に心から御報恩感謝申し上げる。なかんずく、ゆかりの深い日亨上人、日昇上人、日淳上人、日達上人、御当代日顕上人猊下に深く御報恩謝徳申し上げる」
11月19日  自由民主党、政治資料研究会議。内藤国夫、「創価学会の現状と今後」と題し講演。政治資料研究会議は、のち「創価学会等の社会的不正を糾す会議院連盟」となる。
11月20日  週刊文春、山崎正友の手記掲載。「たとえ、相伝をいつわって登座した方でも、日達上人の御遺志をつぐ方なら、従いお護りすることに、やぶさかではないが、そうでなければ、真実を明かし、戦わなくてはならぬ時が来るに違いないと、私は心に決めていたのである」(「同誌」11月27日号 )
11月23日
 宗門、法華講関西地方部理事会。阿部唯七郎委員長に対し、法華講連合会を脱退する旨を通告。(「継命」56年2月1日号 )
11月26日  創価学会、創立五十周年記念幹部登山。全国の代表幹部、約2,300名が登山。
 阿部日顕管長「学会は昭和53年6月30日の訂正にみられるごとき逸脱があったが、終局的に宗旨には違反するものでなく、未曽有の成果の実証に伴う教義解釈の行き過ぎに起因する。故に、宗門の宗旨をないがしろにする如き底意はなかったと信ずる。…
 今回の僧侶の処分に関連して『創価学会を攻撃、誹謗する僧侶達が処分されたのは、創価学会に誤りがなかった証拠であり、指導者にも誤りなどはなかったのである』などといってはなりません。それは、いわゆる昭和53年6月30日、同年11月7日などの一連の発表にあらわれているように、過去において逸脱があって、これを反省し、訂正したことは事実なのでありますから、たとえ学会に批判的な人達との対話等の場で、多分に感情的な意味からであるとしても、そのような発言があってはならないのであります。…
 もし、その会長に対する信頼と尊敬が、いわゆる神格化につながるようなことがあれば、それは明らかに日蓮正宗の信徒団体としてのあり方から逸脱することになるのであります」(「聖教新聞」11月27日付 )
11月26日
 妙信講、11月度総幹部会開催。総世帯数 39,254世帯に達す。浅井昭衛講頭「宗門濁乱の根源知るは妙信講のみ」
11月26日  自由民主党調査局、政治資料研究会議。原島嵩、「池田創価学会の終焉」と題し講演。
11月27日
 宗門、妙真寺にて在勤教師会が発足。
12月1日  晩聲社、「盗聴教団」(山崎正友著)を発行。
12月3日  自由民主党調査局、政治資料研究会議。山崎正友、「闇の帝王といわれた私の役割」と題し講演。創価学会の内紛問題について諮問、替え玉投票もみけし謀略活動に従事したこと、正本堂の建設費は2百億円足らずであった、などを明かす。
「かつて、私は原島嵩氏が内部告発に立ち上ったとき、百数十万人の方々が同調して下さった。その時、自民党の有力な先生方が、大勢で、「君の身柄は引きうけた。どんな迫害からも護ってあげるから、大船にのった気で、徹底的に戦いなさい」と激励して下さった。創価学会の社会的不正や政教一致についての告発を、国会で徹底してやろうという言葉を信じて、百数十万の人達が国会請願署名をし、自民党の代表の方達にゆだねた。だが、いつの間にか、自民党と創価学会、公明党の間に取引がなされ、追及は立ち消え、請願はにぎりつぶされた。私は秘かに売り渡され、やがて逮捕、起訴された」(「文藝春秋」1994年1月号 山崎正友 )」
12月5日
 宗務院、院達(院第280号)。「継命」は日蓮正宗と無関係であり、今後同誌を寺院等に備えつけることを禁ずる旨、宗内に通達。
「茲に、貴紙(編注・継命新聞)が日蓮正宗とは全く無関係の新聞であることを確認します。従って、今後貴紙関係者に対し、『継命』または貴紙関係者の発行する刊行物に、如何なる形態にせよ『日蓮正宗』の名称を冠し、或は日達上人の揮毫せられた『継命』の字体を使用するなど、これらの刊行物が本宗の公認したものであるかの如き印象を与える記載をすることを禁じます」(「大日蓮」56年1月号 )
12月5日  東京地方裁判所、宮本邸電話盗聴事件裁判、第2回口頭弁論。北條浩・広野輝夫・竹岡誠治・北林芳典は、請求事実を一切否認。
12月7日
 妙信講、男子部会開催(豊島公会堂)、1,070名参加。浅井昭衛講頭「"狂った社会" は一国大変動の前兆、師子王の子となりて広布推進せよ」と。
「なぜこのように放埒・無軌道の世の中になったのか--。その答えはただ一つ、人々が帰依する中心を失っているからです。帰依する中心がなければ、あと残るのは自分の欲望だけ、よって 自己中心・放埒・没道義の畜生道が現出するのです。この時、自分の欲望充足を妨げるものは皆我が敵 となる。だから教師をなぐり、警官に暴行し、親を殺すようなことが平然と行われる。…
 過去 学会の弘通は真の広宣流布の序分であります。途中で慢心し大聖人様をあなずり、仏法を政治野心に利用した。ために罰を受け、今もろもろの醜い世間の失いっぺんに顕われ、世間の物笑いとなっております。世間の人は学会の腐敗した姿を見て、「日蓮正宗なんて云ったって、あんなもの」とあざ笑い、果ては大聖人の御徳にまで傷がつかんとしております。大聖人の弟子として、口惜しさこれに過ぎるものはない。…
 いよいよ明年は五万達成の大事な年である。本日を出陣として、濁乱の世に日本第一の男子部を築き、真の広宣流布は妙信講の男子部で推進御奉公させて頂きますと、大決意に立って大聖人様に応え奉ってもらいたい。(大拍手)」(「冨士」第207号 )
 女子部会開催(本部会館)、603名参加。
(※ "途中で慢心"したのは、浅井昭衛会長も同じである。宗門に対し「大聖人様のお悲しみはいかばかりか」「大聖人様がお許しにならない」として、「反省」も「訂正」も認めようとしないのは "慢心" である。しかし "確証バイアス" のしからしむるところ、自分ではそれに気づくことができない。櫻川 忠 )
12月10日
 宗門、阿部日顕管長。サンタモニカの「世界文化センター」に於て、「世界平和広宣流布大願成就」本尊の入仏式を行う。(「聖教新聞」12月12日付 )
12月11日  創価学会、「聖教グラフ」から「グラフSGI」に誌名変更。
「創刊号では冒頭を飾り、明年の宗祖日蓮大聖人第七百遠忌の新春にあたり、ますますご健勝であられる御法主日顕上人猊下の御近影が、清浄なたたずまいを見せる総本山大石寺・正本堂の雄姿とともに収められている」(「聖教新聞」12月11日号 )
12月13日
 正信会僧侶、久保川法章師以下12名。阿部日顕管長に対し、週刊文春(11月20日号)「山崎正友手記」を受け、相承についての疑義四ヵ条の「質問状」を発し、10日の期限付で文書による回答を求む。(回答なし)
12月13日  創価学会、聖教新聞社説「世界広布へ誓い新たに前進」
「我々は、あのSGI総会で確認された幾つかの誓いを思い起こす。それは『総本山根本、御法主上人厳護』を、永遠の指針として前進するとしたSGI決議である」(「聖教新聞」12月13日号 )
12月13日  毎日新聞、公明党の動向の批判記事。公明党首脳、自民党が池田喚問に同調するようなら「東京・大阪の知事選は自民党といっしょにやることはできない」と自民党を牽制している、と報道。
12月18日
 妙信講、教学部、「観心本尊抄」講義終了。
12月18日  自由民主党調査局、政治資料研究会議。渡辺広済師が「創価学会と正信覚醒運動について」と題して講演。
12月19日  創価学会、聖教新聞、「御法主日顕上人猊下 きょう満五十八歳のお誕生日」
「心よりお祝い申し上げるとともに、総本山根本、御法主上人厳護の信心を貫き、御報恩の誠を尽くしていきたいものである」(「同紙」12月19日号 )
12月24日
 妙信講、浅井昭衛講頭、「如来滅後五五百歳始観心本尊抄を拝し奉る」を執筆。「富士」12月号に掲載。
 
  年表  
1月1日
 妙信講、元旦勤行。本部会館で7回にわけ奉修、2千8百余名が参加。浅井昭衛講頭「五万の大法華講実現の意義は重大」と挨拶。
「年頭の辞 聖滅七百年の大節を迎えて」日蓮正宗妙信講講頭 淺井昭衛
「唯一の正系門家が御遺命たる国立戒壇を捨て醜い内紛にあけくれている姿は、七百年来未曽有の大悪である。一方、日本は恐るべき破局に 刻一刻と近づきつつある。…
 妙信講は国立戒壇の正義を守るゆえに解散の弾圧を受けた。だが今や、師子王の子は岩壁を攀じ登り、身震いして立ち上らんとしている。…
 いま学会ならびに宗門僧侶は、 その腐敗のゆえに世人・邪宗の「群狐」に笑われている、御本仏の御徳を傷つけ奉ること、これより甚しきはな い。ここに妙信講こそ「師子王の子」となりて、大聖人の御心のままに師子吼せねばならない、その時は刻々と 近づいている」(「冨士」第207号 )
1月1日
 正信会、久保川法章師。「正信会報」(第61号)に「唯授一人・金口嫡々なるものが断絶することなく今日に至り、一器の水を一器に移すが如く、歴代の法主が全く同じ法水を伝えてきたとする血脈相承は、全く史実に反する」と、本宗の根本義に違背する言説。
1月1日  創価学会、月刊誌「SGIグラフ」創刊。
「大白蓮華」1月号発行。大村寿顕教学部長と青木亨副会長との新春対談、「大聖人第七百遠忌を慶讃し世界広布へ前進」を掲載。
 北條浩会長「新年あいさつ」、「日顕上人猊下に対し奉り、宗門にあつて、唯授一人の血脈を否定するかのごとき言動があるやに開いておりますが、私どもはすでに誓い合っているごとく、いかなることがあっても御法主日顕上人猊下をお護りし、総本山厳護の我が学会の尊き使命を貫き通していこうではありませんか。… そして、独り池田名誉会長に中傷・非難の攻撃が集中しました。しかし名誉会長は、悠然と一切の防波堤となり、全会員の尾根ともなって、守り支えてくださいました」(「聖教新聞」1月1日号 )
1月2日
 宗門、阿部日顕管長、大聖人第七百遠忌にあたり「訓諭」す。
 阿部日顕管長、大聖人第七百年遠忌慶讃年頭奉告法要を総本山に奉修。(「大日蓮」第419号 )
1月5日  サンケイ出版「正論」2月号、野崎勲の手記「創価学会恐喝事件の真相」を掲載。すべては「恐喝犯・山崎正友の陰謀」とする。
1月7日
 宗門、全国教師初登山。阿部日顕管長「サンケイ出版から出ております『正論』という本の2月号に、ある学会の幹部の人が『創価学会恐喝事件の真相』という題で、ある者のことを書いております。… ひとつ読んでいただきたいと思います。それをよく読みますと、たった一人の人間が、どれほど悪智慧を働かせて宗門と学会との間を錯乱し、それによって多くの人が大きな誤解を抱いて、現在までの "僧俗破和合" の姿に走っていたかということが、よく解ると思うのでございます」
(※ ある学会の幹部とは野崎勲、ある者とは山崎正友である )
1月8~9日
 妙信講、初講義。豊島公会堂で2回に分け開催。浅井昭衛講頭、「日蓮大聖人一代御化導の大綱」を講ず。参加者2千余名。
1月10日
 宗門、阿部日顕管長。大石寺対面所において、年賀の在勤教師 150名より質問を受け、興奮罵倒す。
1月11日
 妙信講、教学部、三級昇格試験を執行。「観心本尊抄」試験は390名、「立正安国論」試験は129名が受験。
1月11日
 正信会、久保川法章師 以下 140名。阿部日顕管長に対し、
「一、貴殿には全く相承が無かったにもかかわらず、あったかの如く詐称して法主並びに管長に就任されたものであり、正当な法主並びに管長と認められない。
 二、正当な法主並びに管長ではないので、貴殿には宗規第14条並びに第15条に定めた本尊書写・任免・懲戒等の権限はない。
 三、貴殿が行った昭和55年9月24日付懲戒処分はいずれも無効である。従って従来の宗会議員・参議・並びに監正員は、いずれも未だ欠員を生じていない。
 四、宗会議員に欠員が生じたことを前提としている 令第159号に基く宗会議員補欠選挙は無効である」、旨を通告。
1月12~22日
 宗門、フランス出張授戒。(「大日蓮」第420号 )
1月13日  創価学会、池田大作名誉会長。山崎正友の恐喝事件で、警視庁の事情聴取を受ける。(「朝日新聞」1月14四日付 )
1月14日  創価学会、第1回世界教学最高会議開催(ハワイ会館)。
 池田大作名誉会長「日蓮正宗創価学会の根本中の根本は、一閣浮提総与の本門戒壇の大御本尊であることはいうまでもない。更にその大御本尊は、日蓮正宗に厳然とおわします。よつて代々の御法主上人貌下が法水潟瓶・血脈相承なされ、現在は日顕上人猊下に一切、受け継がれているのである」(「聖教新聞」1月16日号 )
1月15日
 妙信講、成人式開催(本部会館)、参加者 150名。
1月15日  創価学会、1月度壮年部幹部会(東京戸田記念講堂)。
 森田一哉理事長「たとえいかなる苦難、嵐のなかにあろうとも、どこまでも御本尊根本に、そして御法主上人猊下の御指南を中心に、壮年部が盤石なところ、広布の伸展はある」(「聖教新聞」1月15日号 )
1月17日  富士宮市で、地元の市民団体「疑惑をただす市民会議」が発足。
1月18日
 妙信講、教学部。登用試験を全国19会場で執行、受験者898名。
1月19日  創価学会、御書学習会(ハワイ会館)。池田大作名誉会長「私どもは、大聖人の門下として、全人類の救済めざして、真実唯一の法、三大秘法の南無妙法蓮華経を流布しながら、今再び人間の奥深き世界に覚醒の光をあて、幸福と平和への暁鐘を打ち鳴らしているのである。その根本道場が、一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊まします多宝富士大日蓮華山大石寺である」(「聖教新聞」1月21日号 )
1月21日
 正信会僧侶 183名、阿部日顕管長の "地位不存在確認"と"職務執行停止" を求める訴えを、静岡地方裁判所富士支部に起す。
1月21日  創価学会、第256回本部幹部会(宮城県スポーツセンター)。 北條浩会長「宗祖日蓮大聖人第七百遠忌という重要な時を迎えて、障魔が競い起こるのは当然である。一部僧侶の中に、御法主日顕上人猊下の血脈相承を否定する者がでているが、大謗法といわざるをえない。私達はあくまで本門戒壇の大御本尊のもと総本山を根本に、御法主日顕上人猊下を厳護申し上げ広宣流布の活動を展開していくものである」(「聖教新聞」1月23日号 )
1月24日  警視庁、恐喝と同未遂容疑で、山崎正友を逮捕。
「山崎正友の恐喝容疑が固まり逮捕された昭和56年1月24日、山崎が携えていたのは「週刊文春」に掲載するための原稿であった。… 保釈後の山崎に(株)文藝春秋は『週刊文春』のみならず、『諸君!』においても紙面を割き、山崎擁護、創価学会批判の姿勢を継続させる」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
1月25日  正信会檀徒、富士宮市で「創価学会の社会的不正を糺す会」の集会デモ実施。
1月26日
 妙信講、1月度総幹部会開催、全国16箇支部の陣容整う。筆頭理事に小園江通睦、本部参与に小木義馬が任命さる。
 浅井昭衛講頭「本宗の唯授一人の血脈相承は、いかなる事態にも断絶せず、将来必要あらばそのゆえんを公表せん」と。
「5日前の1月21日、反学会派僧侶百 181名が、ついに阿部日顕管長を静岡地方裁判所に訴えました。阿部日顕管長の罷免を要求する訴訟です。正確に云えば「地位不存在の確認請求」の訴訟と、「職務執行停止仮処分」の申請です。どういうことかと云えば「阿部日顕師は御相承を受けていないから法主ではなく、したがって管長ではない、よって管長として為した処分は無効であり、今後職務執行の停止を求める」という訴えです。私は前々から、「修羅と悪竜の合戦」の行きつくところ、必ず法主の地位をめぐる争いになると思っておりましたが、ついにくるところまで来たという感じです。まことに忌(いま)わしき事態となってまいりました。これもまさしく御遺命に背いたゆえの罰であります。…
 実は一昨年7月、細井管長が急逝された時、私は恐るべき「異常事態」と感じ、三日間飯も食えないほど一人思い悩んだ。そして考え抜いたすえ、かえって大確信を持つに至った。大聖人・日興上人・日目上人...と伝えられる本宗の唯授一人・金口嫡々の御相承というものは、このような事態で断絶するほどチャチなものではありません。微動もいたしません。これからも、マスコミを通して御相承のことが騒がれるかも知れませんが、妙信講員は大確信に住してほしい。たとえ阿部日顕管長のことはどうであれ、本宗の御相承は微動もしないのです。私は、もし将来その必要があるならば、本宗の血脈相承が断じて断絶せざるゆえんについて、信ずるところを公表したいと思っております。…
 ここに、2月は四万世帯を突破する月であります。いま宗門の大罰の姿を見るにつけ、四万突破を期に、阿部日顕管長に第二の諫訴状を強烈に打ちこむべきであると私は決意しておりますが、いかがでしょうか。(大拍手)」(「冨士」第208号 )
1月26日  創価学会、山崎正友恐喝事件。山崎正友が創価学会から恐喝した3億円のうち、1千万円は創価学会前男子部長・溝口隆三に還流されていたことが、警視庁の調査で判明。
1月26日  週刊ポスト、「こんどは阿部日顕の『罷免』をめぐる創価学会・宗門・僧侶の三つ巴」掲載。日顕猊下の相承に疑義をはさむ、正信会・「久保川法章師の談話」、1月10日の「録音テープの内容」等。(「同誌」2月6日号 )
1月28日
 宗門、正信会を排除して臨時宗会開催。事態に備え、創価学会青年部が警備。
 正信会僧侶 108名、「宗会」招集に反対し大石寺に参集、創価学会青年部ともみあう。
1月29日
 宗門、全国教師代表者会議開催(総本山大化城)。
1月30日
 宗務院、海外部長に前川慈調師が就任。
1月31日  創価学会、池田大作名誉会長、東京地方検察庁の第3回目の事情聴取。
1月31日  現代史出版会、野崎勲著・徳間書店発売「謀略 山崎弁護士の黒い手口」を発行。
(※ 野崎 勲、大阪府出身、京都大学経済学部卒、聖教新聞社入社。創価学会男子部長、青年部長、総合青年部長、副会長、神奈川県長を歴任。日本共産党との合意協定に関与した。
 著書
『公明党の姿勢 都議会公明党の活躍を通して公明党の全容を明かす』新社会研究所 1969
『謀略 山崎弁護士の黒い手口』現代史出版会 1981
『創価学会の真実 崩壊した山崎、隈部らの策略』毎日新聞社 1983
『人間失格・こんな悪い奴はいない 裁かれた山崎正友の正体』自由社 2002
 共著
『対論日本における政治と宗教 創価学会・公明のめざすもの』高瀬広居共著 財界通信社 1995
『「対論」民衆運動としての創価学会 戦後民主主義に"光"はあった』岡庭昇共著 2002 )
1月末日
 正信会僧侶、阿部日顕管長の本尊を下附しない旨を決定。(「継命」2月1日号 )
2月1日
 妙信講、2月度班長会、浅井昭衛講頭「2月16日までに4万を達成しよう」
2月5日  週刊文春、「法主を僭称する阿部日顕の素顔」(山崎正友)を掲載。
「あらゆる状況―前後を通じて―からみて、阿部日顕は、相伝を受けているとは考えられず … 道心のなさが、法主僭称という冒とく行為につなかったと、私は見ている。…
 日顕は、… 法主の地位そのものをいつわるという、より一段上の謗法を犯したといえる … 信仰心の薄さを暴露するような愚行が目立った。歴代御法主の御高徳な姿に比べて、余りにかけはなれた行態は、その人の本質を如実に物語っているのである。… 管長の座に自らついてからの宗門行政が、まことに信仰心のうすい、功利主義の権化の如き姿である」(「同誌」2月12日号 )
2月5日  月刊「宝石」3月号、溝口敦の創価学会批判記事を掲載。
2月6日  創価学会、池田大作名誉会長。東京地方検察庁の第4回目の事情聴取。北條浩会長、起訴事実について事情聴取。
2月7日  創価学会、池田大作名誉会長。東京地方検察庁の第5回目の事情聴取。引き続き、北條浩会長から事情聴取、検面調書を作成。
2月9日
 宗門、在勤教師会。宗務院内事部に、
 ①在勤教師の移動のあり方
 ②教師本来の布教のあり方
 ③住職任免のあり方
について主張書を提出。
2月10日
 妙信講、4万世帯を突破。
2月12日
 宗務院、「久保川論文の妄説を破す」刊行。
2月14日  東京地方検察庁刑事部、山崎正友を「恐喝・同未遂罪」で起訴。
2月16日
 妙信講、浅井昭衛講頭、阿部日顕管長に対し第二の「諫訴状」を提出。
「また阿部日顕管長は当時宗務院教学部長として、この訓諭を承けて「国立戒壇論の誤りについて」等の曲論を物す。これまた学会に諂いその指示を受けて書いたこと言を待たぬところであります。
 たとえその序文に「この鳳詔を拝し、かつまた訓諭にもとづき、将来いささかも疑義が生ぜざるよう、猊下に逐次御指南を仰ぎつつ、茲に一論を上梓する次第である」などと美辞を並べるも、いま山崎正友その真相を発いて云く「この論文は9割は原島嵩以下、特別幹部のメンバーと、山崎師団の弁護士、検事、修習生らで書いたものである。のこりの1割を私たちの示唆に従って阿部教学部長が書いた」(盗聴教団)と。山崎正友は虚言多き者とはいえ、この一事においては真実なること、かの論文の内容に歴然であります。すなわちかの書の大旨は、現憲法を至上とし、憲法に適合させるべく御金言をねじ曲げ国立戒壇を否定したもの …
 しかるに阿部日顕管長には未だ一分の改悔なし、これ無懺の人であります。かかる師敵対の人の座に在るは定めて御本仏快からず、ことに本年は意義深き七百年御遠忌に当る、御遺命に背く人の奉修を大聖人果して受納し給うでありましょうか。またかかる僻人の座に在るは宗門の乱れ、一国の禍い、されば阿部日顕管長は速かにその座を去るべきであります。…
 此処に妙信講は仏法のため、宗門のため、国のため、阿部日顕管長の速かなる退座を強く求めるもので あります。
 昭和五十六年二月十六日 日蓮正宗妙信講 講頭淺井昭衛 ㊞ 日蓮正宗管長 阿部日顕 殿」
 教学部会、「撰時抄」の講義開始(千代田区公会堂)。(「冨士」第209号 )
2月16日  日原造園社長・日原茂子(日原博の妻)、贈賄の疑いで逮捕される。
「昭和56年2月16日、日原博の妻で「日原造園」の社長であった茂子は、富士宮市議会の百条特別調査委員会設置をめぐるゴタゴタの中で五百万円を贈賄した容疑で逮捕されている」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
「81年2月、富士宮市は拡大する真相解明の声に背を押されるような格好で、日原に対し富士桜自然墓地公園用地の特別土地保有税が、過去5年間にわたり不申告だった点を取り上げて、約1億7000万円と加算金約4000万円を職権課税している」(「増補新版 池田大作 金脈の研究」野田峯雄 )
2月17~20日
 宗門、韓国出張授戒。(「大日蓮」第422号 )
2月20日  創価学会、池田大作名誉会長、パナマ共和国のノリエガ将軍と会見(パナマ)。 「旧知のSGI会長との再会を喜ぶノリエガ長官は『この島に、日本人で最初にお連れするのは、池田先生しかいないと考えていた』と述べ、島の頂上までみずから案内し『先生を"パナマの市民"として、我々は歓迎する』と語った」(「聖教新聞」2月22日号 )
(※ 後年、ノリエガ将軍が逮捕拘留されると、創価学会はノリエガとの交流をすべて歴史から抹消した。)
2月22日  創価学会、第257回本部幹部会(所沢市民体育館)。 秋谷栄之助副会長「宗内においては、大阪・蓮華寺住職の久保川法章が、本門戒壇の大御本尊並びに唯授一人の血脈相承という正宗の根本義に関して "戒壇の大御本尊と雖も即久遠元初の自受用報身如来であると断定するわけにはいきません" とか "血脈相承は法主にのみ伝えられてきたと考えられておりましたが、これは明らかに間違いであります" と論じるなど、正宗の信仰を根本から否定する異説を唱えるに至っている。故に宗門では訓戒を与えたがそれでも改めないので、二月九日付をもって擯斥処分に付した。また、御法主日顕上人猊下に対し、管長の地位不存在確認を求める訴えを起こし、正宗の僧侶にあるまじき行動に出て宗内を混乱させている動きがあります。これらは、宗祖日蓮大聖人第七百遠忌を前に、いよいよ魔がその正体をあらわしてきたといえる。私どもは、あくまでも御法主日顕上人の御指南を根本とし、総本山外護の任をどこまでも全うし、宗門と学会を壊そうという魔の働きに対して"勝利"の実証をもって断固打ち破っていきたい」(「聖教新聞」2月24日号 )
2月24日
 宗務院、170名の正信会僧侶と、70ヶ寺の反学会系寺院の信徒に対し、登山を禁止す。
2月24日
 妙信講幹部、山口法興師(妙真寺)と対論。
「正信会リーダー『山口法興住職との対論』 男子部長 長岡孝志
 去る2月24日、反学会活動家僧侶のリーダーと目されている山口法興妙真寺住職と、妙信講幹部の間で、一時間余にわたって法論対決が行われた。
 ことの起りは、妙真寺檀徒の婦人数名が小園江婦人部長に折伏され、入講するかしないかの決心を、山口住職と妙信講幹部との法論を見て決したいとして、同住職に法論出席を要請したことから、当日の法論となったものである。
 すでに御存知であろうが、山口住職は陰では国立戒壇を正しい、といいながら、檀徒作りのためか妙信講を怨嫉し、二・三年前には密かに顕正寺に出入して当時の八木住職をたぶらかし、妙信講に叛逆せしめた経歴の持ち主である。… 法論において、山口住職はしばしば言葉をはぐらかすなど消極的姿勢に終始し、最後には自ら座を立ち奥に姿を消してしまった。このため法義的內容としては未だ不充分の憾みがあり、再度の法論を期していたが、山口住職が何も知らぬ檀徒に対し「妙信講をヤッツケた」などと宣伝していることもあるので、とりあえず当日の記録(要旨)をここに発表するものである」(「冨士」第211号 )
2月24日  創価学会、パナマ広布13周年記念勤行会(パナマ会館)。池田大作名誉会長「妙法という法を、一幅の御本尊として御図顕あそばされたのが、日蓮大聖人である。この三大秘法の御本尊は、総本山富士大石寺に、厳然とましまし、七百年の伝統を経て、今、日顕上人が付属されている。その御本尊を、御書写されるのは、御法主上人猊下御一人であらせられ、それが、今、皆さま方が信受し奉っている御本尊なのである」(「聖教新聞」2月26日号 )
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「諫訴状は大聖人の御心に通ずるゆえに、必ず徴(しるし)が現われると確信する」
2月27日
 妙信講、支部長会、浅井昭衛講頭「3、4月こそ天王山」
3月1日
 妙信講、3月度班長会。浅井昭衛講頭、過去12年の宗門諫暁の経緯を述べ「この経緯により、今日阿部日顕管長に云い切る資格は妙信講のみ」
3月1日
 正信会、
 ①戒旦の大御本尊を否定するものではない。
 ②正しい法主上人に対しては信伏随従する。
 ③池田大作の謗法行為は見逃がせない、これを容認弁護する管長・宗務当局は誤りである。
との統一見解を発表。(「継命」3月1日号 )
 正信会、日精上人述「随宣論」を公表。(「正信会報」第7号 )
3月1日
 宗門、関西27ヶ寺の法華講、「正信連合会」を結成。正信会と共に運動推進を決意。(「継命」3月15日号 )
3月3日  富士宮市議会、百条委員会を設置。(※ 9委員のうち4人が設置反対 )
「公明党市議を含む百条委設置反対市議たちが、… 彼らをとりまく状況が悪化したために方針を渋々と転換。百条委がやっと設置されるに到った。
 しかし、同委員会に対して市は非協力の姿勢をあからさまにみせ、また、真相解明に消極的な市議たちと組んだ創価学会側の裏工作が連綿と続き、ズルズルと日が経ち、同時に推進派議員切り崩しがますます熾烈化し、結局、同委員会はみるべき成果を得ないまま81年12月に挫折してしまったのだった」(「増補新版 池田大作 金脈の研究」野田峯雄 )
「竹入委員長、二階堂進に百条委つぶしを依頼」(「実録 創価学会=七つの大罪」)
3月4日  創価学会、3月度全国県長会議(東京・広宣会館)。秋谷栄之助副会長「仏法破壊の動きに対し、我々はどこまでも御法主上人猊下の御指南を根本に、総本山を厳護し僧俗和合して前進したい」(「聖教新聞」3月5日号 )
3月5日  東京地方検察庁、山崎正友の保釈請求を却下。
 原島崇、東京地方裁判所に創価学会に対する「損害賠償債務不存在確認請求」提出。創価学会の言うような損害は与えていない旨、法的に確認を求めたもの。
(※ 昭和59年7月13日、創価学会は訴訟を全面取り下げた )
3月12日  自由民主党、「創価学会の社会的不正を糾す議員連盟」(代表 三塚博代議士)合同総会開催(自由民主党本部)。出席議員 30数名、正信会僧侶 60名、檀徒 600名が出席。席上、池田大作名誉会長の「国会喚問」を求める 80万人の「請願書」が、三塚代議士に渡される。
3月25~29日
 宗門、韓国出張授戒。
3月26日  最高裁第1小法廷、月刊ペン裁判上告審口頭弁論。隈部被告にかわり、弁護人佐瀬昌三が一審・二審の有罪判決が間違いであり、破棄されるべきであると弁論。
3月31日
 宗門、佐藤慈英師、前川慈寛師、吉田義誠師、能化に昇進。
4月1日
 妙信講、4月度班長会。浅井昭衛講頭「妙信講はいま內海から外海へ出んとしている。その節が鉄石五万の大法華講実現である」
4月7日  最高裁判所、「正本堂御供養金返還訴訟」で松本勝弥の控訴を棄却、門前払い判決。
「寄附金返還請求事件 最高裁判所 昭和51年(オ)第749号 昭和56年4月7日 第三小法廷 判決
 ■ 主 文
 原判決を破棄する。
 被上告人らの控訴を棄却する。
 控訴費用及び上告費用は被上告人らの負担とする。
 ■ 理 由
 (1)上告人は、戒壇の本尊を安置するための正本堂建立の建設費用に充てると称して本件寄付金を募金したのであるが、上告人が正本堂に安置した本尊のいわゆる「板まんだら」は、日蓮正宗において「日蓮が弘安2年10月12日に建立した本尊」と定められた本尊ではないことが本件寄付の後に判明した、
 (2)上告人は、募金時には、正本堂完成時が広宣流布の時にあたり正本堂は事の戒壇になると称していたが、正本堂が完成すると、正本堂はまだ三大秘法抄、一期弘法抄の戒壇の完結ではなく広宣流布はまだ達成されていないと言明した、
というのである。
 要素の錯誤があつたか否かについての判断に際しては、
 右(1)の点については信仰の対象についての宗教上の価値に関する判断が、
 また、右(2)の点についても「戒壇の完結」、「広宣流布の達成」等宗教上の教義に関する判断が、それぞれ必要であり、いずれもことがらの性質上、法令を適用することによつては解決することのできない問題である。(略)
 結局本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであつて、裁判所法3条にいう法律上の争訟にあたらないものといわなければならない。(略)
 よつて、… 裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する」
「この訴訟について、創価学会副会長で創価大学教授の桐ヶ谷章氏は、その著書『信教の自由を考える』において「そもそもこの板曼荼羅事件は、『供養金』の返還請求事件であったということであります。『供養』というのは、信仰心の発露として諸物や志を仏に捧げる宗教上の行為です。そのような『供養』を返せということは、そういう宗教行為を後で取り消すということです。いわぱ、冥加金とかお賽銭とかそういうたぐいのものを、後で信仰が変わったから返してくれというのと同じようなもので、きわめて法律だとか訴訟だとかになじみにくい性質のものであろうと思うのです」(第三文明社発行)との見解を述べている」(「慧妙」2003年2月16日号 ) 」
4月10日  創価学会、山崎正友恐喝事件 第1回公判(東京地方裁判所)。山崎正友は、3億円恐喝の犯意並びに5億円要求の事実を、ほぼ全面的に否認。
 検察側は、池田大作・北條浩・秋谷栄之助等 13人の証人を申請、起訴状に於て創価学会が畏怖困惑した最高機密として
 ①日蓮正宗・宗門を刺戟する創価学会の内部文書
 ②宮本委員長宅電話盗聴事件
 ③日蓮正宗妙信講の盗聴事件
 ④新宿替え玉投票事件
 ⑤公明党参議員の千里ニュータウン裏口分譲事件
 ⑥月刊ペン事件の池田大作のスキャンダル
等をあげる。
 山崎正友、この日弁護士登録を、自ら取り消す。
 池田大作名誉会長、ペルー共和国のサンマルコス大学より、名誉教授を授与さる(2番目)。
4月11日  創価学会ならびに大石寺、富士宮市議会百条委員会から請求された資料・記録14点の提出請求と吉田義誠師(渉外部長)の証人出頭要求を拒否、逆に同市議会を相手取り請求の取消しを求める行政訴訟を提訴。
4月16日  最高裁判所、「月刊ペン」裁判。名誉毀損罪について、「記事に書かれた池田会長等の行状は、公共の利害に関する事実に当る」として一、二審判決(懲役10月・執行猶予1年)を破棄、東京地方裁判所に裁判のやり直しを命じた。
「同会長は、同会において、その教義を身をもって実践すべき信仰上のほぼ絶対的な指導者であって、公私を問わずその言動が信徒の精神生活等に影響を与える立場にあったばかりでなく、右宗教上の地位を背景とした直接・間接の政治活動等を通じ、社会一般に対しても少なからぬ影響を及ぼしていたこと、同会長の醜聞の相手方とされる女性2名も、同会婦人部の幹部で元国会議員という有力な会員であったことなどの事実が明らかである。このような本件の事実関係を前提として検証すると、被告人によって摘示された池田会長らの前記のような行状は、刑法230条ノ2第1項にいう『公共ノ利害ニ関スル事実』にあたると解するのが相当であって、これを一宗教団体内部における単なる私的な出来ごとであるということはできない」
(※ この結果、81年から東京地方裁判所は公益性、真実性の審理に入り、池田大作名誉会長、渡部通子らが証人出廷することになる )
4月17日  朝日新聞、社説「与野党間で、池田氏喚問を材料に政治がらみのかけひきが行われている、という観測がそれである。もし事実なら、それが政治勢力が事実上、宗教団体に力を加えているということを意味する。法の建て前とは別の次元で、政教分離の一線を崩すものというべきだろう。政治が宗教に対する時は、格別の節度が望まれる」
4月20日
 宗務院、末寺在勤教師の勝手な在勤寺院変更と、出張所又は布教所等を勝手に設置することを禁ずる旨の「院達」を発す。
4月23日  週刊新潮、月刊ペン事件の被告・隈部大蔵の手記、『私が「池田スキャンダル」を知って書くまで』を掲載。(「同誌」)4月30日号 )
4月25日
 宗務院、渉外部長に秋山広学師が就任。(「大日蓮」5月号 )
4月26日
 妙信講、4月度総幹部会開催、総世帯数 43,323世帯に達す。浅井昭衛講頭「4月の大折伏により、11月5万達成は大地を的とする。… 一国諫暁の戦機は刻々と熟す」と。
4月27日
 宗門、教師補任披露宴(総本山)。 阿部日顕管長「大聖人様の仏法は、常に申します通り、難信難解の法であります。難信難解であるが故に、その起こってくる相は様々であり、到底、凡眼凡智をもってしては計ることの出来ないものであります。そして、今の宗門の相はまさに、そのような意味からの疑いが起こってきておる状態であると、はっきり言えると思うのであります。しかしそれは、疑いの心、あるいは浅はかな心をもって考えれば本山に背いて勝手な行動をとるような結論になるかもしれませんが、御書を深く拝し、御本尊様に真剣にお題目を唱えて、大聖人様の御意を少しでも拝しつつ進む覚悟をもって修行するならば、おそらくその行き先には正しい筋道が、瞭々として現れてくることと思います」(「大日蓮」第424号 )
4月28日
 妙信講、立宗御報恩勤行会奉修 (本部会館)。
 浅井昭衛講頭挨拶「しかしながら未だ広宣流布は達成しておりません。しかもいまの宗門には、大聖人が「大地を的とする」と仰せられた広宣流布に対し "単なる理想に過ぎない" とか、あるいは "机上の空論" などという風潮があります。御本仏の御金言がいかに重いものであるか、仏語は実にして虚しからざることを、我ら仏弟子たる者、断じて実証しなければなりません。ここにおいて、いま日本国に、広宣流布・国立戒壇を一筋にめざし御金言のごとく戦わんとする五万鉄石の大法華講が生れ出でんとする意義は、重かつ大であります」(「冨士」第211号 )
4月29日
 妙信講、本部会館の改修工事始まる。
5月1~8日
 宗門、フィリピン・シンガポール出張授戒。(「大日蓮」第424号 )
5月1日  小説CLUB、門田泰明の小説「邪悪の宰相」を掲載。のち、徳間文庫「黒の乱調」に所収。(「同誌」)6月号 )
5月2日
 宗門、阿部日顕管長、喉頭部手術のため東京・順天堂病院に入院。
5月6日
 妙信講、5月度班長会、浅井昭衛講頭「学習会こそ妙信講の基本行事」
5月3~7日
 宗門、韓国出張授戒。
5月8~16日
 宗門、インドネシア出張授戒。(「大日蓮」第426号 )
5月15~25日
 宗門、タイ・香港出張授戒。(「大日蓮」第425号 )
5月18日  創価学会、ドイツ日蓮正宗20周年記念行事(フランクフルト会館)。  池田大作名誉会長「すなわち、宇宙根源の法を、そのまま御図顕あそばされた大御本尊に帰依することによって、確実なる実証を得ながら、その道を歩んでいるといってよい。その大御本尊まします日蓮正宗総本山大石寺が、その原点なのである」(「聖教新聞」5月20日号 )
5月19/20日
 妙信講、学習会。参加者、2千5百名を突破。
5月21日  創価学会、池田大作名誉会長、ブルガリア共和国のソフィア大学より、名誉博士号を授与さる(3番目)。
5月26日  創価学会、原島嵩に対し「学会の秘密資料を不法に入手し、マスコミなどに流すなどして、宗教団体としての社会的信用を著しく損った」として、4千万円の損害賠償訴訟を起す。流出文書のうち「北条報告書」だけを取り上げ、損害賠償・慰謝料4千万円(うち慰謝料は2千万円)の支払いを求めた。
5月30日
 全国檀徒新聞「継命」、レポート「学会・公明党政教一致の実態」掲載。
「東京戸田記念講堂で行われた、五月度全国男子部幹部会での太田男子部長の指導。七月度東京都議選を三十六日後にひかえ、『選挙活動』の上げ潮つくりに躍起になり、信仰活動と選挙とを故意に混同させた甚だしい逸脱指導の証拠。一般社会向けには政教分離のタテマエ論を掲げ、組織内部では "信仰目的=広宣流布=選挙の勝利" として、政党支持は自由であるはずの学会員に、公明党議員のすさまじい応援を強いる――これこそ社会を欺く学会の姿。男子部長の指導は、録音の上全国各地の座談会等で選挙支援徹底のために流され、これを憤るある地方会員の方から、編集部に録音テープが送られてきた」(「継命」9月1日号 )
5月30日
 妙信講、本部会館改修工事完了。
5月30日  創価学会、イタリア広布20周年記念勤行会(フイレンツェ)。池田大作名誉会長「御観念文について申し上げれば … 三座は、御本仏・日蓮大聖人に対する御報恩感謝、並びに日蓮大聖人の仏法を血脈相承なされ、現在の富士大石寺を御開基なされた日興上人に対する御報恩感謝である。さらには、第三祖日目上人をはじめ唯授一人の血脈を受けられた、正法の正師であられる歴代の御法主上人に御報恩感謝申し上げるのである。現在においては、ご存じの通り第六十七世日顕上人猊下が厳然と大法を受け継がれ、仏法の師匠としておられるのである」(「聖教新聞」6月2日号 )
5月31日
 妙信講、幹部大会開催(渋谷公会堂)、全国代表 3千名が参加。
 浅井昭衛講頭、国家諫暁について具体的内容を初めて明示。「大聖人御入滅七百年の、御正当の日たる11月20日に敢然として立ち、大聖人に応え奉る」と宣言。
「あれほど権勢を誇っていた創価学会は、今や内部分裂によって崩壊寸前であります。ことに注目すべきことは、池田大作は腹心の部下である山崎正友・原島嵩の両名を、告訴あるいは訴訟いたしましたが、この二人こそ會って池田の手先として、原島は教学面で国立戒壇を誹謗し、山崎は謀略面で妙信講を潰滅せしめんとした当事者であります。その二人が揃いも揃って池田大作に反逆し、また池田は池田で二人を告訴し、いま血みどろで骨肉あい食み創価学会を潰しつつある姿は、まさに御遺命に背いた罰たる自界叛逆でなくて何でありましょうか。…
 一方宗門においても、すでに御承知のごとく、細井管長は正本堂の誑惑の訓諭を出してから7年目、妙信講を解散せしめてから5年目に、臨終思うようにならずして急逝、あとを継いだ阿部日顕管長また宗門三分の一に当る僧侶から、法主にあらず、管長にあらずとして裁判所に訴えられ、さらに本年2月妙信講の第二の諫訴状よりわずか60余日を経ずして、にわかに病を感じ只今手術入院中とのことであります。…
 ここに妙信講はいよいよ内海から外海へ、争子から諫臣へと、大事な段階を迎えるに至りました。すなわち従来のごとく宗門に対する責任だけでなく、大聖人の弟子として、日本の運命にも責任を持つべき立場になってきたのであります。…
 御金言のごとくんば、一国の亡ぶる前には、必ず天変地天が起こるとのことであります。すでに異常気象は盛んになりつつありますが、未だ大地震は起きておりません。妙信講はその前に、なんとしてい立ち上らねばなりません。…
 しからば、今日の国家社会において、国家諫暁はいかにして行うか。日本国家の中枢は、いうまでもなく国家意志を決する国会と、行政の府たる内閣にあります。よって現段階においては、内閣総理大臣と衆参両院七百二十三名の全議員に、まず書面を以て諫暁すべきであると私は考えております。
 では、いつこれを為すべきか。私は本年十一月二十日と心に決めております。そのゆえは、この日こそ大聖人御入滅七百年の御正当の日なるがゆえであります」(「冨士」第212号 )
5月31日
 正信会僧侶ならびに檀徒、第6回全国檀徒大会開催(国際貿易センター)。
6月2日
 妙信講、本部会議、浅井昭衛講頭「国家諫暁こそ再建以来の眼目、"大聖人のお待ち遊ばす大法戦場への到着" とはまさにこのことであった」
6月 日  歴史読本 7月号、特集「日蓮 炎の生涯」に、立正大学助教授・伊藤瑞叡の「三大秘法抄の真偽について」を掲載。
6月3日
 妙信講、6月度班長会、浅井昭衛講頭「妙信講の路線は一貫不変、"濁悪" に生まれ合わせたゆえの大使命」
(※ 一貫不変なのは、"破局の煽り"、"誓願未達とスルー"、"嘘とはったり"、"人材使い捨て" 等々。変わった路線は、"教学軽視"、"御遺命守護"、"相承断絶"、"遥拝勤行"、等々。櫻川 忠 )
6月初旬  文芸春秋、創価学会研究「池田大作はなぜ変ったか」を掲載。(「同誌」7月号 )
6月5日  創価学会、第1回ヨーロツパ代表者会議(欧州研修道場)。池田大作名誉会長「私どもはあくまでも日蓮正宗総本山を根本とし、御法主日顕上人を厳護申し上げる」(「聖教新聞」6月7日号 )
6月7日  創価学会、ヨーロッパ記念総会(欧州研修道場)。池田大作名誉会長「この大仏法の究極唯一の法体は、申すまでもなく、本門戒壇の大御本尊であり、法灯連綿、御歴代の御法主上人がこの大御本尊を厳護し奉りてここに七百年、そして、あいがたき宗祖日蓮大聖人第七百遠忌の今日にあっては、第六十七世日顕上人猊下に、この絶対なる血脈は、厳然と承継されているのである。誰人がいかなる非難をいたそうが、これは侵しがたき、明確なる事実なのである。恐れ多くも、遠く日蓮大聖人の時代にあっても、仏法の永遠の師であられる大聖人に弓を引く僧があったが、今また、元正宗の久保川某をはじめとする一派が、御法主上人に違背叛逆している。その『心破作七分』の大謗法は、誠に堕地獄の所業であり、正法奉持の厳しさここに極まれり、と思わざるを得ないのである」(「聖教新聞」6月9日号 )
6月17日  公明党元代議士・伊藤惣助丸、創価学会員から詐欺行為による2億円の損害賠償で訴えられる。(「赤旗」6月21日付 )
6月20日
 宗門、信法寺(福岡)落慶入仏式奉修。
 阿部日顕管長「今日、宗門には様々の思い違いをしておる僧侶や、一部の信徒がおりますが、その人達はその根本である宗門の法義を否定し、信仰を否定して、自らの小さな善悪観に執われて法主の悪口を言っております。このような姿は、自ら法門の無尽を究めようとする心を捨て、仏道の無上を得んとする心を捨て、また衆生の無辺なるを救わんとする心を放棄しておるところの姿であります。これは、根本の大聖人様の血脈の仏法に反しておるのでありまして、したがってその人達の唱える題目は、いかほど唱えても全く功徳はないのであります」(「大日蓮」第425号 )
6月23日  産経新聞、山崎正友恐喝事件の記事掲載。警視庁発表、山崎正友が暴力団員に逃走資金1千万円を渡し、恐喝の3億円の使途がほぼ解明された、と。(「同紙」6月23日付 )
6月24日
 宗門、阿部日顕管長、アメリカ・カナダ親修出発、7月5日帰国。(「大日蓮」第425号 )
6月25日  週刊文春、野坂昭如のコラム「たとえ変節漢とそしられようとも」に、池田大作名誉会長の平和運動を認める意見を掲載。(「同」7月2日号 )
6月27日
 大石寺、固定資産税の洗い直しで、富士宮市の立ち入り調査を受ける。(「読売新聞」6月27日付 )
6月30日  三一書房、溝口敦著「池田大作ドキュメント 墜ちた庶民の神」発行。72年の溝口敦著「池田大作 権力者の構造 墜ちた庶民の神」の改訂増補版。海苔製造業者の五男として生まれた池田大作が、日本屈指の権力者に上り詰めるまでの波瀾に満ちた人生を克明に説き明かす。
7月1日
 妙信講、7月度班長会、浅井昭衛講頭「異体同心なれば万事を成ずる。妙信講は仏様の使いの集団、熱原法華講衆のあとを継ぐ集団なるゆえ異体同心である。ゆえに必ず大事の御奉公は叶う」
7月1日  創価学会、池田大作名誉会長、詩人の国際団体 世界芸術文化アカデミーから「桂冠詩人」の称号を贈られる。
7月 日  創価学会と市政の疑惑を正す市民会議、富士宮市長のリコール運動を開始。
7月2日  週刊サンケイ、池田大作の「国立戒壇放棄」の経緯を詳報。(「同誌」6月9日号 )
7月2日  諸君、山崎正友の告白記事掲載。「創価学会本部乱闘事件(49年10月4日)は、妙信講に "暴力宗教団体" のレッテルを貼るための、創価学会の謀略であった」と告白。(「同誌」8月号 )
7月5日
 妙信講、「資料室」を本部会館内に設置。
7月5日  東京都議会議員選挙、公明党 27名全員当選。
7月5日  川村坦(「創価学会と市政の疑惑を正す市民会議」代表幹事)、後藤組顧問・塩川某から電話で呼び出され、喫茶店「ミミ」で後藤忠政組長から脅迫を受ける。「日原へのリコールを活字にすることはやめてくれ。… 俺はよくても若いもんが黙ってない」と。
7月6日  川村坦ら「市民会議」の代表、後藤忠政組長に呼び出される。後藤組と植松市長に近い戸塚某、「5年くらい喰らいこむのは覚悟のうえだ。おれは暴れる」と脅迫。
7月6日  山崎正友、保釈される。
「山崎正友が保釈になった昭和56年7月6日から昭和67年の終わりまで(株)文藝春秋発行の雑誌を除いて、山崎が直接、書いたものだけでも、マスメディアによる創価学会批判は以下のようなものであった。
「週刊サンケイ」(8月20日号)「学会の本質が見える「北條報告書」と本尊偽造」
「週刊現代」(9月17日号)「「私だけが知っている!」池田大作学会名誉会長はプロレスお好き」
「週刊宝石」(10月17日号)「「密室の池田大作」特別手記上」
「同」(10月24日号)「「私が見た池田大作の本性」特別手記下」
「週刊サンケイ」(12月31日号)「「宮本委員長宅電話盗聴裁判門学会のウソ」が見えてきた山崎証言の衝撃度」
「週刊宝石」(昭和57年2月6日号)「池田大作醜聞隠蔽工作の実態」
「同」(2月13日号)「学会の内部まで広がる池田大作への「不信」と「批判」」
「週刊宝石」(2月20日号)「角栄・大作連合が年内総選挙で動き出した」
「週刊実話」(3月4日号)「学会裁判 山崎証言池田名誉会長の身の下のショック」
「週刊新潮」(3月4日号)「もう嘘は書けない戸田城聖からの学会全裏面史の決定版」
「同」(3月11日号)「学会裏面史(中)もう嘘は書けない池田大作をめぐる「未発表の女」たち」
「同」(3月18日号)「学会裏面史(下)もう嘘は書けない"金の集め方使い方"」
「同」(4月8日号)「もう嘘は書けない(番外編)池田大作スキャンダル・防衛の「隠密」検事たち」
「月刊宝石」(6月号)「元のフトコロ刀が綴る"学会独裁者"の正体」
「週刊現代」(8月28日号)「出廷が決まった池田大作との正面対決全ウソを暴く」
「同」(9月4日号)「池田大作と田中角栄の本当の関係を初めて明かす」
「同」(9月11日号)「「1億円で暴力団を使う」池田学会のヤミ工作を暴露する」
「週刊現代」(9月18日号)「新聞が書かない池田学会「崩壊」を示すこれだけの新証拠」
「週刊宝石」(10月29日)「証人席の池田大作」
「週刊現代」(10月30日)「自ら法廷に出した証拠でバレた「池田大作と学会」のウソ」
「週刊ポスト」(11月5日号)「「山崎正友学会恐喝事件裁判」3億円の金流をさらに洗い出す 池田名誉会長証人出廷でいよいよ核心へ!」
「週刊現代」(11月6日号)「今度ハ3億円恐喝裁判の証人に 池田大作と山崎正友正面対決の7時間証言を完全再録」」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
7月10日  川村坦(創価学会と市政の疑惑を正す市民会議)の自宅、襲撃される。午前3時、何者かが川村宅のガラス戸を破り、シマヘビ10匹を投げ込んだ。
7月17・21日
 妙信講、学習会に2千3百余名が参加。
7月17日  沖縄市選挙管理委員会、共産党の追求で「選挙人名簿」から 11人を抹消。創価学会員の「票移し」が確認される。
「那覇市に選挙権はあっても、住んでいないというユウレイ有権者があちこちで出てきたのである。… 住民票を手がかりに前住所地をあたってみると、なんと9人は『前住所』の浦添市にずっといっしょに住んでいたのです。… 票移動の手口が明るみになりました。那覇市壺屋の創価学会員T・G宅。ここには同じ日に3人分の票移動をしています。うち2人は58歳の女性とその二男(26歳)。夫を残して2人で転入したことになっていますが、実は浦添市の前住所地に家族で住んでいます」(「赤旗」日曜版 7月26日付 )
7月18日  創価学会 北條浩会長、心筋梗塞で急逝。即日、秋谷栄之助副会長が第5代会長に選任。阿部日顕管長「宣正院浩徳日基大居士」の戒名を授ける。
「こういう正直者が恐喝事件で厳しい反対尋問にさらされたらどうなるか。うっかり一言でも真実を漏らせば創価学会そのものが空中分解しかねない事態になる。少なくとも大打撃は受ける。しかも、北条は山友裁判に、公判が大詰を迎える11月に法廷で証言することが決まっていた。『北条氏は検察側の事件立証の核ともいえる重要証人』(「読売新聞」56年7月19日)であったのだ」(「悪魔の邪望」武田了円 )
7月19日  創価学会、北條浩第四代会長告別式。「御法主日顕上人猊下の御名代である藤本栄道総監の導師のもと、東京信濃町の北條家で厳粛に営まれた。… 御法主上人猊下夫人、藤本総監夫人も参列いただいた」(「聖教新聞」7月20日号 )
7月20日  朝日新聞社、宮田光雄著「日本の政治宗教 天皇制とヤスクニ」(朝日選書185)を発行。第3章で、創価学会=公明党の「政教分離」問題を、分析・批判。
7月21日
 宗門、在勤教師会 57名。久保川法章師の損斥処分等について、主張ならびに「要求書」を宗務院に提出。
7月22日
 宗門、総本山で日達上人第三回忌法要奉修。正信会僧侶 152名、広宣寺(大阪)で日達上人第三回忌法要奉修。
7月22日  宮本邸電話盗聴事件裁判、第6回口頭弁論。金谷国太郎(共産党本部勤務員)、盗聴行為発見の経緯を証言。
7月23日
 正信会僧侶 175名、細井日達師の墓参のため大石寺へ、創価学会青年部に墓参を阻止される。
7月24日  創価学会、北條浩会長の本部葬、中曽根康弘内閣総理大臣臨時代理が参列。池田大作名誉会長「暑いなぁ、暑いなぁ、こんな暑い時に死にやがって」と。
「池田大作はその北条さんが亡くなると、その通夜と本葬で集まった1億5,000万円の香典、東京の戸田記念講堂で行われた本部葬、ならびに全国の会館で併行された葬儀で集まった約20億円の香典のほとんどを遺族の手に渡さず、学会本部の金庫へ入れた。…
 一家の柱を失った遺族は長年往み慣れた聖教新聞社前の和風二階建ての家から即刻立ち退きを命じられた。池田大作がそう命じたのである。北条未亡人はやむなく遺産をはたいて都心から離れた狭い一軒家に移り住んだ」(「池田大作の素顔」藤原行正 )
7月25日  創価学会、第262回本部幹部会開催、秋谷栄之助が第5代会長に就任。
 秋谷栄之助新会長、就任挨拶「池田先生の死身弘法の大精神、すなわちこの学会精神を必ず継承し … 学会の永遠の指針である総本山を根本とし、御法主日顕上人を厳護し奉り一層の御奉公の誠を尽くす、池田門下生の一人として前進していきたい」(「聖教新聞」7月27日号 )
7月25日  三天書房、北林芳典著「大陰謀 悪の天才・山崎正友のすべて」を発行。
7月26日  創価学会、那覇市議会議員選挙で不正発覚。居住場所は市外であるにもかかわらず、住民票を選挙前に移し投票券を不正取得する創価学会員が続出。
7月28日
 妙信講、7月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭「8月は妙信講の原点、妙信講の歴史を貫く精神は、"大聖人への忠誠心" 以外にない」
7月29日  東京地方裁判所刑事15部、月刊ペン裁判差し戻し審初公判。
(※ 差し戻し審では "目的の公益性" "内容の真実性" が審理の争点、初めて女性関係の事実審理が行なわれ、池田大作名誉会長や渡部通子らが出廷、証言する )
8月1日
 妙信講、「冨士」巻頭言、浅井昭衛講頭「解散処分満七年に思う」
「処分の翌日から、妙信講を完全に抹殺しようと、学会・宗門一体になっての狂ったような策謀、嵐のような攻撃が始まった。しかし仏法は虚しからず、大聖人は賞罰正しき御本仏であられた。
 まず、あれほどの団結・癒着ぶりを示した池田と細井管長が、自然と反目嫉視するに至り、それを期に学会も宗門もそれぞれに内部抗争が始まった。これを諸天の働きといわずして何といおうか。以来、本年7月の北条浩第四代会長の入浴中の心臓発作による急死に至るまで、想像を絶する不思議な出来事が、学会・宗門には相い次いだ。御遺命に背けば誰人も身が持たぬということの、厳然たる現証である。
 正本堂の誑惑は、道理の上からはすでに妙信講の諫暁で打ち捨かれ、賞罰の現証の上からはこの7年で顕然となった。御遺命守護の "完結" はもう時間の問題である。…
 いま弾圧より7年、時あたかも大聖人御入滅七百年の歳、妙信講は千尋の谷をただ信心の力でよじ登り、ついに五万の大法華講を築き一国諫暁の重大御奉公に立たんとしている。
 御遺命を曲げ分裂抗争に明け暮れている学会・宗門の姿を見るにつけ、"広宣流布はどうなる" との悲憤が胸にこみ上げる。妙信講が身を捨てずして、誰人が立つのか。御本仏の御命令はすでに下っている」(「冨士」第214号 )
8月6日
 宗門、在勤教師会、「謗法の書 "人間革命"」を全国寺院に送付。
8月6日  創価学会、聖教新聞「きょう、御登座二周年」
「総本山第六十七世御法主日顕上人猊下は、きょう六日、御登座二周年を迎えられた。御法主日顕上人猊下は、総本山第六十六世日達上人より唯授一人の血脈相承を受けられ、昭和五十四年八月六日、第六十七世御法主として御登座あそばされた」(「同」8月6日付 )
8月12日
 妙信講、弾圧7周年記念幹部会開催。浅井昭衛講頭「正本堂の誑惑は、道理の上からは妙信講の諫暁によって打ち砕かれ、罰の現証の上からはこの7年で顕然となった。あと "完結" は時間の問題である」と。
8月 日
 宗門、「暁鐘」。正信会批判論文(羽柴増穂)の連載を開始。
「正信会が相承否定の根拠とした山崎手記(「週刊文春」昭和55年11月20日号)に対し、『むしろ山崎手記の内容は、日達上人が日顕上人猊下へ御相承を授けられる御意志であったことの傍証となっている』と」(「同誌」8月号 )
(※ 羽柴増穂は「継命」元編集長 )
8月13日  日本共産党、国会議員団。富士宮市に調査に赴き「大石寺の土地不正取得が莫大なものであるということがわかった。今後国会でも追及する」と。
8月19~23日
 宗門、韓国出張授戒。
8月19~23日
 妙信講、特別講習会、3回に分け豊島公会堂で開催。参加者 4,210名。浅井昭衛講頭「なぜ信心せねばならぬか」と題し講演。
8月 日  創価学会、池田大作名誉会長、明石康国連事務次長(広報担当)と初めて会談。
「昭和56年8月に、池田氏と明石氏は初めて会談。以後、明石氏は東京を訪れると決まって "信濃町詣で" をするようになった。そのたびに、二人の写真が『聖教新聞』の紙面を飾る。国連のお墨付きで、池田氏が信者の尊敬を集める仕掛けだ。…
 国連は、日本人のイメージとは異なり、金の上がモノを言う世界です。出身国の分担金以外に、どれだけ民間から寄付を集められるかが、幹部の地位を左右する。国連事務次長といっても、20人以上います。明石さんの場合、その末席に近い。つまり、それだけ地位は不安定だった。そこで明石さんには、創価学会、立正佼成会、笹川(日本)財団が、寄付金提供の "御三家" だった。…
 創価学会は、国連への寄付の全容を明らかにしていないが、日本財団は、昭和46年から平成9年にかけ、国連の各機関に総額263億8,000万円あまりの寄付を行っている。また立正佼成会は、「総額は把握しきれないが、ユニセフ(国際連合児童基金)だけで50億円以上」(広報課)という。そこから類推すれば、創価学会がいかに巨額の "浄財" を国連に投じ、明石氏を引き立てるのに貢献したか、窺い知れる。…
 明石氏は、池田創価学会の恩義に報いるかのように、過剰なまでのサービスを振りまいてきた」(「週刊文春」99年2月25日号 )
8月24日  創価学会インターナショナル(SGI)第2回総会、ハワイで開催。池田大作名誉会長、佐渡御書を引き「日蓮大聖人の仏法が人間主義・平和主義であることが端的にうかがえる」と。(「聖教新聞」8月27日付 )
8月25日
 宗門、全国教師講習会、阿部日顕管長「たしかに法主は血脈を承けており、大聖人の御内証の法体を受け継いでおることは申すまでもありません。しかし、そのことと法主が仏であるということとは別であります。したがって、私は自分で仏だなどと申したことは一度もありませんし、また私個人についてそんなふうに思ってもおりません。… 大石寺の基本教学はあくまで日興上人を僧宝と立てるのであります。…
 今は学会が色々なことで反社会的だというようなことを週刊誌等で宣伝されておりますが、それも今にはっきりしてきます。あるいは池田名誉会長の問題にしてもはっきりしてくると思います。はっきりしてみれば何ということもないものだと思うのであります。それらは結局、正しいことをきちんと守り、本当に正しい仏法を守っていこうとする人に対しては、悪口を言う人間がいるということであります」
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「学会・宗門ともに御遺命を曲げ内紛にあけくれる中、いま一国広宣流布の御命令 厳として妙信講に下り給う」
 男子部幹事に加藤晴久、恵村誠任命さる。
8月27日
 妙信講、総幹部会の参加に資格制限。組長以上の幹部、および財務部員と決定。
8月28日
 宗会、宗務院に対し「執行部が正信会僧侶と話し合い、七百遠忌以前に事態解決をはかれ」との要望書を提出。
8月30日~
 宗門、ペルー・ドミニカ・ベネズエラ・パナマ出張授戒。(「大日蓮」第431号 )
9月1日
 妙信講、9月度班長会開催、浅井昭衛講頭「もし日本に重大なる異常気象と大地震が踵を接して起きて来たならば、いよいよ大闘諍近しと思わなければならない。妙信講はその天変地天が起こる前に、なんとしても立正安国論のお叫びを、日本国の首脳部に伝えたい。その国家諫暁まであと3月である」と。
「冨士」巻頭言、「広宣流布の仏勅」
 浅井昭衛講頭「広宣流布は凡夫の為し得るところではない、すべては御本仏の仏力の所作である。すなわち、時来れば御本仏が無数の凡夫をして立たしめ、戦わしめ、広宣流布せしめる。而して "今こそその時なり" と、我等は深く自覚すべきである。
 妙信講員は誇りを持て、つたなき凡夫が、広布の前夜濁悪の時に、大事の御遺命実現に方人させて頂けるのだ。未来の果報を思えば、これほどの喜びはない。されば幹部たる者、まず自ら御本尊絶対の不動の確信に住し、朝夕の勤行怠慢なく、教学を練磨し、外には毅然と折伏の陣頭に立ち、內には後輩に慕われるよき指導者となり、広宣流布を力強く推進すべきである。
 妙信講が立たずして誰人が立つのか。広宣流布の厳たる御命令はすでに下されている。妙信講の幹部諸氏よ、勇躍して戦おうではないか」(「冨士」第215号 )
(※ "今こそその時なり"と、"勇躍して戦"った妙信講の幹部諸氏は、今やほとんど残っていない。浅井昭衛会長は、"骨を拾う”どころか、後ろから鉄砲を撃って、主要幹部を排除して行った。残ったのは90歳となった、独善・慢心の孤老である。櫻川 忠 )
9月1日
 全国檀徒新聞「継命」、都議会議員選挙における、太田昭宏男子部長の言葉を掲載。
「私たちのこの戦いは、選挙を選挙としてやっているのでは断じてありません。広宣流布の厚き一念、… 学会精神が胸に燃ゆるがゆえに私たちは戦うのであります」
9月2日
 宗門、新重役に早瀬日慈師、大石寺主任理事に八木信瑩師、妙縁寺住職に光久諦顕師が就任。3人共々、創価学会本部に挨拶に赴く。
9月9日  月刊ペン裁判、第2回公判。弁護側証人として高橋正雄(東北学院大学教授)と高橋芳夫(元学会員)が出廷。
9月10日  創価学会、山崎正友恐喝事件 第9回公判。検察側の証人として、福島啓充(創価学会顧問弁護士)が証言に立つ。
9月12日
 正信会僧侶および檀信徒、「登山願い」を提出。宗務院、これを拒否。(「継命」10月15日号 )
 岩瀬正山師、藤川法融師ら被処分の監正員、宗務院に対し選挙無効を抗議。
9月20日  創価学会、聖教新聞 "視点"「黒いつながりのグループ・正信会の正体」
「全く信心が狂っている。正信会グループは "現法主は相承を受けていない" とか "管長でない者が行った処分は無効である" と言い出し、あろうことか日顕上人猊下への訴訟まで起こしている。御法主上人は『まるで頭が狂っておるとしか思えない不心得者』(「大日蓮」2月号 趣意)と、正信会僧侶を厳しく破折されている。その姿は、まさに『法師の皮を着たる畜生』そのもの」(「同」9月20日号 )
9月22日  富士宮市、百条委員会開催。山崎正友を証人として喚問するも、公明党県議の異議発言により流会。
9月23日
 宗門、監正員の補充選挙(欠員 3名)実施。
9月23日
 妙信講、顕正寺改修工事のため、秋季彼岸会を本部会館で奉修。
9月24日
 正信会僧侶 3名、阿部日顕管長への訴訟取下げ。阿部美道師、大竹希道師、坂本彰道師。(「大日蓮」3月号 )
9月25日
 妙信講、本部会議開催、浅井昭衛講頭「いよいよ宿願たる5万鉄石の大法華講は、日蓮正宗の中に、日本国に厳然と屹立せんとしている。残る所あと 2,033世帯、11月20日までに断じて成し遂げよ」
9月26日
 妙信講、9月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「大戦乱の大渦が日本を襲うのが早いか、国立戒壇の建立が早いか、これこそ、日本の運命、世界の運命にかかわる重大事である。いま私達は大聖人の弟子として、この歴史的な局面に立っている。5万をなんとしても11月20日までに完遂しよう」
9月28日  創価学会、山崎正友恐喝事件、第10回公判。検察側証人の広野輝夫、それまでの犯行否定をひるがえし「宮本宅の盗聴は山崎の指示により、私と竹岡誠治でやった」と証言。
9月30日  月刊ペン裁判、第3回公判。弁護側証人として、出廷予定だった原島嵩が病気で欠席したため、実質審理は行なわれず閉廷。
10月1日  オール読物、志茂田景樹の小説「会長の汚れた椅子」を掲載。(「同誌」11月号 )
10月2日
 宗門、総本山において、蓮蔵坊・宗務院庁舎・書院・大坊西寮、完成す。
10月4日
 妙信講、大牟田支部第4回大会開催(福岡県国保会館)、121名が参加。
10月5日  月刊「現代」、内藤國夫の「裁かれる教祖の悪業 証人・池田大作の苦悶」を掲載。(「同誌」11月号 )
10月5日  週刊宝石 創刊号、山崎正友の「密室の池田大作」を掲載。(「同誌」10月17日号 )
10月6日  創価学会、10月度全国県長会議開催(東京・広宣会館)。秋谷栄之助会長「いよいよ宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌大法会が奉修される十月を迎え、大御本尊根本、御法主上人猊下外護の根本精神を一段と強め、一連の慶讃行事の無事故、大成功を祈念していきたい」(「聖教新聞」10月7日号 )
10月8日  創価学会、10月度東京支部長会開催(東京戸田記念講堂)。秋谷栄之助会長「これら一連の行事の中で僧俗和合の姿が厳然と確立された感を深くした次第である。どうか、あいがたき大慶事に巡りあった私共は、妙法弘通に励むことの喜びにあふれ、信行を倍増していくとともに、総本山根本、御法主上人猊下厳護の精神を貫いてまいりたい」(「聖教新聞」10月10日号 )
10月10-16日
 宗門、大聖人第七百遠忌法会、総本山で奉修。(「大日蓮」第429号 )
10月11日
 妙信講、高知支部第5回大会開催(高知会館)、450名が参加。
10月12日
 宗門、阿部日顕管長、宗祖第七百御遠忌を記念し、池田大作名誉会長に「居士衣」を贈る。のちに創価学会重宝とされる。(「聖教新聞」10月13日号 )
10月12日  月刊ペン事件裁判、第4回公判。弁護側証人として小沢よね(元創価学会幹部)が出廷。池田大作と渡部通子参議院議員の醜聞を証言。
「小沢証人は家族の猛反対をやっとの思いで押し切り、証言前夜は、創価学会の妨害を恐れて、都内のホテルに宿泊した。これほどまでして、信仰も異なる隈部被告のために、同被告を利するような証言をする必要は、まったくなかった。しかも、証言すれば、創価学会の報復があることも覚悟のうえである。…
 "三畳間目撃証言"は、その時に小沢証人と同行していた飯野なみさんも証言台に立ち、ほとんど同じような証言を行なった。『腰を抜かして、しりもちをついた』など、目撃時の狼狽の様子が証言されている」(「自由の砦」山崎正友 96年3月23日号 ))
10月13日
 宗門、「日蓮大聖人正伝」を刊行。
「(蓮長師は)三月二十八日、法華経の経文に照らして、いかなる無量の大難が競い起ころうとも、その無数の大難を凌ぎ、南無妙法蓮華経の大法を弘通しなければならないとの不退転の決意を固め、御内証のうえにおいて宗旨の建立をなされたのである。しかしてこれより一カ月後の四月二十八日を期して、その第一声を放つことを定められたのである」
(※ 2002年に入って、創価学会は3月28日内証宗旨建立説を、"狂っている"と否定 )
10月13日
 正信会、僧侶3百名、檀徒3百名。大石寺に赴き、墓参を強行。
10月13日
 妙信講、日蓮大聖人御入滅七百年御大会式、本部会館で厳修。
 浅井昭衛講頭「『是好良薬」とは本門戒壇の大御本尊、今こそ『遣使還告』の使命果さん」と。
「しかるに、いまの学会・宗門は、国家から国立戒壇のことを尋ねられながら、我が身を惜しむあまり、「国立戒壇などは建てる必要がない、いま建設中の正本堂こそ御遺命の戒壇である」と偽わってしまったのであります。この宗門では、いま七百年遠忌の御報恩とて、巨額の費用をかけ、さまざまの記念事業と儀式を行っております。しかし大事の御遺命を曲げて、何の御報恩でありましょうか。大聖人様はどのような御気持でこれを御覧でありましょうか。…
 国立戒壇を放棄したら国家諫暁は絶対に出来ない。今これを為す資格は、日蓮正宗の中には妙信講以外には断じてありません。いよいよ五万達成も眼前であります。妙信講は日目上人御出現の露払いとして、いよいよ国家諫暁に立つべき時を迎えました」(「冨士」第217号 )
10月10~21日
 妙信講、学習会。参加者、2,500名を突破
10月14日  山崎正友恐喝事件 第11回公判。広野輝夫、山崎師団の一連の活動について「創価学会の教義を批判した妙信講と学会幹部との会話の模様を、宮本委員長宅盗聴事件と同様に盗聴し、さらに妙信講関係者宅を長期間にわたって監視した」と証言。
10月16日
 宗門、阿部日顕管長、池田大作七百遠忌慶讃委員会委員長に、感謝状と金盃を贈呈。(「大日蓮」第429号 )
10月18日
 妙信講、大阪支部第3回大会開催(イカリヤビル)、250名が参加。
10月24日  創価学会、九州池田平和記念館で「私たちと国連」展を開催。
10月24日  週刊宝石、「脱党した公明党議員座談会 (前編)」掲載。
「党活動の最前線にいた証人が語る「公明党=創価学会」の "日本占領計画"。警察との癒着、替え玉投票、池田大作氏の実像、-- 密かに準備された "創価王国" 構想が白日のもとに」
「― その選挙ですが、替え玉投票とか住民票移動の実例をご存じありませんか。
 飯島 私が徳島県の総司令として選挙の指揮をとったとき、あったと聞いています。… 病気の学会員とか、選挙に関心ない知人の入場券をもらってきて、それに似合った年頃の人を仕立ててやったらしい。
 横井 それは全国的にやったんですよ。学会では選挙は法戦、仏法のための戦いだという考え方が徹底されていますから。それが仏法のため、学会のためになると思えば、罪の意識を感じません。幹部から命令されなくても平気でやってしまう。
 小沢 池田大作自身が、そういう選挙違反した人に、"法難賞" を贈って賛えるんですから、違反することが正義になってしまいますよ。
 小谷野 法難賞は "選挙違反奨励賞" の意味を持っていますね。だから全国的になるんです。…
 ― 前に「天下取り」ということが出ていましたが、何か具体的な計画はできていたんですか。
 原島 かつて青年部の最高幹部の間で、きわめて過激な "日本占領計画" が話し合われたことがあります。つまり、学会の人材を密かに送り込んで、自衛隊と放送局、電波を全部押えようというわけです。
 一同(驚いた表情で)ホーォッ!
 横井 それは、いつごろですか。
 原島 昭和46年ごろのことです。
 原島 今の話は非合法の占領計画ですが、公明党では、実は合法的で綿密な "占領計画" が練られていたんです。(以下次号)」(「同」10月31日号 )
10月24日
 渓声社、高橋公純師「覚醒運動の興亡『激動の日蓮正宗』」を発行。
10月25日
 妙信講、群馬支部第7回大会開催(七日市新生活センター)、136名が参加。
10月26日
 妙信講、10月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「意義深き11月、願わくば、妙信講始まって以来の3千世帯の大折伏をなしとげたい。私は皆さんの、涙の出るような真心の弘通を背景として、大聖人御入滅七百年のその日に当る11月20日、敢然として御奉公に立つ」と。
10月26日  月刊ペン事件裁判、第5回公判。弁護側証人として飯野なみ(元学会員)と原島嵩が出廷。原島嵩、創価学会を批判するに至った動機、池田氏と女性職員の異常な関係、「人間革命」などの著作は特別書籍部のメンバーが書いた、等と証言。
10月29日  静岡地方裁判所、阿部日顕管長の地位不存在確認裁判。
 萩原昭謙師、証人に立ち「阿部日顕管長は宗教上においても、手続上においても、その血脈を認めるわけにはいかない」と証言。
10月31日
 妙信講、宿願の5万世帯を達成。
11月1日  週刊宝石、「脱党した公明党議員座談会 (後編)」
「― 前回、「公明党には綿密な日本占領計画があった」という話が出ました。今回はそのへんを具体的に話していただきたいのですが。
 原島 端的にいえば、「天下を取る」という池田大作の野心を実現するための政権奪取構想なんですが、その段階的なプログラムができていたんです。
 小沢 まず自民党との連合政権をつくって、大臣のポストを3つ取る、ということです。これは公明党の夏期講習会で、多田省吾、鈴木一弘、黒柳明など党幹部がはっきりといいました。…
 小谷野 昭和55年は創価学会の創立50周年にあたり、その記念すべき年に標準を会わせた、ということでしょうね。…
 ― その3つのポストについて具体的な話が出たんですか。
 小沢 ええ、「文部、法務、厚生の3つをもらう」と。黒柳さんも鈴木さん、多田さんも「おれが厚生大臣だ」とか、黒ちゃんは何だとかいってました。冗談半分ですが。
 ― とくに文部、法務、厚生の3つを望む裏には、何か狙いがあるんでしょうか。
 飯島 文部省には宗務課があるんで、宗教関係を押えるということだな。
 小沢 創価学会は宗教法人にあるまじき不正行為をたくさんやっていて、「解散させろ」という声まで出ています。それに対する抑えの意味もあるんじゃないですか。
 横井 池田さんは創価大学から幼稚園までつくって、洗脳教育をさせているでしょう。ですから将来的には、文部省を押えて全国民を洗脳することも考えていると思いますね。
 飯島 法務は、創価学会に対する弾圧の抑えだろう。
 小沢 それと同時に、学会以外の者に対する弾圧も考えていると思いますよ。当面はどうか知らないけど、政権を完全掌握したら必ずやりますね。
 小谷野 厚生は、福祉に力をいれて国民を喜ばせ、勢力拡大をはかるのが狙いでしょう。…
 原島 最終ゴールは池田さんが発表しています。池田さんには「留言録」というのがあって、それを48年末のある重要な会合で池田さん自ら披露したのですが、それには、「1990年に天下を取る」と明確に書いてありました。…
 小沢 しかし、池田大作の執念深さは、世間の人が考えているほど生やさしいものではありませんよ。多少の紆余曲折はあるでしょうが、彼は「天下取り」を絶対捨てないと思います。
 原島 同感ですね。池田さんは1度立てた構想は必ず完成させる、という強い信念を持っています。…
 小沢 池田大作はつねづね、私たちにいっていましたよ。「自民党を取り込むことなんか簡単だ。やろうと思えばどうにでもなるよ」と。社会党や民社党などは問題にしていなかった。
 原島 問題なのは共産党。「最後の敵は共産党だ」というのが池田さんの口癖でした。創共10年協定は、そのための抑えの意味もあったわけです。共産党を協定で押さえておいて、その間に自公連合、入閣の手を打って行く。…
 原島 今は外部向けに格好つけて、文化とか平和とか盛んにいっていますが、あれはカムフラージュなんです。池田さんは、「文化活動は煙幕だ。内部はどこまでも革命児でなければならない」という考え方です。…
 横井 昭和42、43年の創価学会の幹部会で、竹入さんが「ぜひ池田先生に総理大臣になっていただこうではありませんか!」と叫ぶと、会場の日大講堂が割れんばかりの大拍手だった。…
 横井 池田が「水滸伝」や「三国志」、ヒットラーの「第三帝国」を公明党の議員や青年部の幹部に勉強させたのは、伊達や酔狂ではありません。そこからありとあらゆる権謀術数を会得させようとしたんです。…
 飯島 とくに公明党は、池田創価学会の御用政党から早く脱皮してもらいたい。それができないなら、解党すべきですね」(「同」11月7日号 )
11月4日  創価学会、聖教新聞「宗祖第七百御遠忌慶讃登山、参詣者200万人超える」
 池田大作名誉会長「まことに値いがたき宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌にあたり、御正当の十月には第七百御遠忌大法会が一週間にわたり御法主日顕上人猊下の大導師の御もとに奉修され、今また、篤信の信徒二百万人の登山達成をもって、大盛儀を荘厳申し上げ、仏祖三宝尊に御報恩謝徳の誠を尽くすことができましたことは、これ以上の喜びはございません。これひとえに御本仏・日蓮大聖人の広大無辺の大慈悲に包まれてのものであり、御法主日顕上人猊下をはじめ御歴代上人の御威光の賜であると深く感謝申し上げるものであります」(「同」11月5日号 )
11月4日  宮本邸電話盗聴事件裁判、第7回口頭弁論。広野輝夫・竹岡誠治が全面否定を変更、宮本宅盗聴を基本的に認める。山崎への原告側の主尋問(盗聴の動機、計画の謀議、資金)、山崎正友「盗聴は北条氏等上層部も了解の上で行われた」と証言。
「裁判が始まってから、じつに1年3ヶ月も全面否認を続けたあげく、広野、竹岡らは、自らの盗聴関与を認めるという、呆れた方向転換を行ない、要するに『北条浩と創価学会は関与を否定する』ということだけを狙った戦術にもとづくものだった。だが、こうした悪らつな企みが成功するわはがない。創価学会の陰謀は、まず、松本篤の"かかえ込み失敗"で、大きく破綻した。そして、無理なストーリーをデッチ上げたために、広野や竹岡の証言のウソが随所でバレてしまい、収拾がつかなくなったのである」(「自由の砦」山崎正友 2002年1月10日号 )
11月5日  週刊文春、山崎正友証言を掲載。細井管長と妙信講との対談(47年7月6日、於妙縁寺)を盗聴し、その内容について池田大作に「日達上人は浅井に乗せられて、正本堂の意義について大幅に後退した解釈を出すと約束している。これでは、大変なことになる」と報告したことを告白。(「同誌」11月12日号 )
11月7日  週刊宝石、「あなたは池田大作の現場を目撃したはずだ!」、太田薫デスマッチインタビュー VS.原島嵩(元創価学会教学部長)
「太田 私はね、原島さん、貧困な人のうち、意識分子は共産党へ行ったが、それ以外の人を創価学会はよく世話したと評価しとるんですよ。その学会指導者の1人だったあなたは、なぜ出られたんですか? まずおききしたい。
 原島 私自身、創価学会をつぶそうとかかいう気は毛頭ありません。ただ、いま太田さんがおっしゃったように、創価学会は庶民、大衆の団体ですよ。そういう肝心の人を犠牲にして、池田さんの専横ぶりがあまりにひどく、権謀術数を用い、金力、権力とのからみで腐敗、堕落してしまった。…
 原島 … 根本を言えば、日蓮正宗という宗教から「生き仏池田大作信仰」の新興宗教になってしまったことです。…
 原島 「日蓮の教えは正しい」これはみんな確信しています。この信仰が純粋であるほど、いつの間にか「池田が正しい」ということになってしまう。そうなると、池田さんの正しさが証明されなければいかん。そのために選挙で勝たねばならん。不可能を可能にしなけれぱならんとなっちゃうんです。池田さんが「国法より仏法が上」と言えば、社会的不正も犯してかまわんとなるから、罪の意識さえなく、犯罪集団化してしまう。…
 原島 外国の要人と会えぱ日本での評価が高まると思うからですよ。今だから申し上げますと、池田さんの『トインビー対談』も、『人間革命』も、みんなダイサク、大きく作るじゃなく代作なんです(笑い)。そのブレーンの中心が僕だったんです。…
 原島 私も池田さんと共犯ですよ。罪深い人閉です。しかし本来の学会に戻っていただくためにこの身を投げうつ覚悟です。戸田2代目会長は陽でした。ところが、池田さんは陰、陰湿です。…
 太田 もう創価学会は、いくらなんでも増えんのでは?
 原島 51年がピ一クです。公称755万世帯といいますが、聖教新聞の部数は約330万。会員数もそんなものでしょう。…
 原島 学会の力に比べたら、私たちは力のない、弱い存在です。その圧力と戦うには、真実を言うしかないんです。真実を言わなきゃ、すぐやられてしまいます。… また有識者の方も、単に宗教問題でなく、日本の将来に関わる大問題と認識していただきたい」(「同」11月14日号 )
11月9日  月刊ペン事件裁判、第6回公判。弁護側証人 原島嵩、宮本宅盗聴事件に池田大作が関与していたと証言。(「諸君」57年1月号 )
11月10日 「山崎正友を支援する会」発足、青法協の小宮山弁護士事務所を拠点に「山崎正友を支援する会」が結成され、「会報」創刊号が発行された。内藤國夫の「わが友・山崎正友さん」を掲載、山崎正友氏の恐喝は "フレーム・アップ (捏造) だ" とする。
11月12日  創価学会、文京区総会開催(東京戸田記念講堂)。秋谷栄之助会長「何を考えているのか、原島嵩が九日『月刊ペン』の裁判に出廷した。皆が思った通り、お話にならない証言で終始した。彼の天性のうそつきは、幹部であった我々は、うんざりするほど知っている。北條前会長もよくだまされた。私をはじめ多くの幹部もだまされてきた。そうした原島を池田先生だけは、元理事長の子息であるからとして、かばっておられた。そこで、彼は誰からも信用さず、いたたまれなくなって去っていったのだ。そこで、彼は自分の悪をすりかえるために、狂奔しているにすぎないのである」(「聖教新聞」11月14日号 )
11月18日  月刊ペン事件裁判、八尋頼雄顧問弁護士の証言。「『池田大作氏を法廷に出さないで済むよう、笹川良一氏に裏工作を依頼し、事件処理費として北条浩副会長が三千万円を山崎に渡した。それを山崎がどう使ったかは知らない』… と不正を認めた」(「諸君」57年2月号 )
11月20日
 妙信講、浅井昭衛講頭、国家諫暁に立つ。首相官邸に赴き、財津昭吾総理大臣秘書官に "国諫状" を手渡し、衆・参国会議員753名に対し "国諫状" を送附。
日蓮大聖人の仏法を国家護持して日本を安泰ならしめん事を訴う
 およそ仏法は国家安泰の根本の原理にして、一国の興亡盛衰もその根源を尋ねれば、ことごとく仏法の法則に依らざるはありません。ゆえに釈迦仏は「正法治国・邪法乱国」と説き、日蓮大聖人は「国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず」と示し給うのであります。すなわち正しい仏法を立てれば一国は安泰となり、正法に背けば必ず国に三災七難を招くのであります。…
 御本仏の金言は不虚にしてまことに重し。ここに日本の破局の眼前なるを憂え、速かに国立戒壇を立て て日本を安泰ならしむるよう、日蓮大聖人の弟子として内閣総理大臣および衆参国会議員に強く訴えるものであります。
 昭和五十六年十一月二十日 日蓮正宗妙信講 講頭淺井昭衛  內閣総理大臣 鈴木善幸閣下」(「冨士」第218号 )
(※ 浅井昭衛講頭は、内閣総理大臣および衆参国会議員に、"速かに国立戒壇を立て"よと訴えるが、時と条件と手順が違うことに思い至らない。創価学会の "舎衛の三億" 論を、"未だ謗法充満の時" と批判していたのは、浅井講頭自身である。宗門上代の先師上人の "申状" に擬え、結果的に "我が身を上げ" ようとする、自己満足に陥っている。上古の時代とは、権力構造・政治状況・文化宗教等の背景が、異なるのである。「三大秘法稟承事」の本門戒壇建立の、時と条件は満たされていない。いたずらに「国諌」をしても無視され嘲笑され、却って "法を下げ"ただけではないか。 櫻川 忠 )
11月20日  創価学会、記念自由勤行会(奈良・明日香文化会館)。池田大作名誉会長「この日蓮正宗、そして創価学会という和合僧の中にのみ、まことの信心修行の正しさがあり、これこそ信心と人生の安全地帯である」(「聖教新聞」11月21日号 )
11月24日
 宗門、涌徳寺(熊本)新築落慶入仏法要。阿部日顕管長、池田大作名誉会長や創価学会についてさまざまな誹謗・中傷がなされていることに触れ、「宗門に比較的悪口が少ないのは、学会が本来、広布のために総本山を外護するという信念で前進してきたが故である」と。
11月24日  創価学会、代表者会議(福井・武生文化会館)。池田大作名誉会長「御法主上人猊下に従順しない人は、もはやいかなる理由があるにせよ、正宗の僧俗ではない。これほど根本的な誤りはないからである。この地にも理想的な僧俗和合をお願いしたい」(「聖教新聞」11月25日号 )
11月26日
 妙信講、11月度総幹部会開催。折伏成果 4,177世帯。総世帯数 52,144世帯に達す。
 浅井昭衛講頭、「国立戒壇建立の戦いは、まさに11月20日に始まった。"大聖人の待たせ給う大法戦場" とはこのことであった」と。
「私は、皆様のこの涙の出るような折伏を背景に、五万達成の翌日から一室にこもり、一念を込めて国諫状を認めました。…
 この国諫状を見て、信心なき政治家は、あるいは黙殺、あるいは嘲笑するかもしれません。しかし、「御本仏の金言は虚しからずしてまことに重し」であります。将来、彼らが嘲笑しようとしても、顔がこわばって笑えなくなる時が必ず来ることを、私は確信しております。
 また今後、妙信講が十万世帯・百万世帯と力強く進むにつれ、一国の邪宗ならびにそれと結託している多くの政治家達は、怨嫉を懐き、憎み、かつ妨害することは必至であります。
 なぜなら、妙信講は「大聖人の三大秘法以外はことごとく邪法である」と決めつけ、さらに「憲法を改正して国立戒壇を建立すべし」と一国に迫っているゆえであります。
 学会・宗門の如く世間の批判を恐れて国立戒壇を放棄したり、あるいは反学会僧侶の如く池田大作の追求を自民党に頼みに行くのであれば、甘く見られることはあっても、一国に怨嫉が競い起こることは絶対にあり得ません。しかし、大聖人様の御心のままに国家諫暁に立ち、広宣流布を強力に進めるならば、一国に三類の強敵の競い起こることは必定であります。
 深く心腑に染めて頂きたい! 国立戒壇建立の戦いは、まさに11月20日に始まったのであります。"大聖人の待たせ給う大法戦場" とは、まさにこのことでありました」(「冨士」第218号 )
11月26日  週刊文春、"裸体レリーフ"カラー写真を巻頭グラビアに掲載。正本堂の礼盤と須弥壇の間の大前机正面に、池田大作の裸体レリーフがはめ込まれている。(「同誌」12月3日号 )
(※ 礼盤に座る導師の目の前に、このレリーフが鎮座している。池田大作名誉会長の破門が決まると、ただちにこのレリーフは撤去された)
「男性が半裸で寝そべっている姿が浮き彫りになっているのだが、このモデルがなんと池田氏だというのである。私も物好きなので、しげしげと眺めたが、なるほどそっくりである。『あれ、先生ですか』池田氏にそう聞くと、『いや、あれは誰かがイタズラしたんだ』とニヤニヤ笑っていた。真正面の大御本尊を拝むと同時に、池田氏似の半裸レリーフも拝むことになる位置関係だ」(「私が愛した池田大作」矢野絢也 )
11月26日
 宗門、阿部日顕管長。定例の教義研究会で、"裸体レリーフ"について「キミらの部屋にだって、ヌードの一枚や二枚はあるだろう。正本堂にあったからって、どうってことはない。美術品だものね。…『文春』は国家権力によって動かされている。内藤・山崎・原島は悪党を通りこして悪魔そのもの。写真を流した僧侶は、いずれ厳しく処分してやる」と。(「週刊文春」12月10日号 )
11月26日  月刊ペン事件裁判、第7回公判。弁護側証人、原島嵩出廷。
11月27日  創価学会、信心懇談会(岐阜文化会館)。池田大作名誉会長「誰人がいかに謀略をしようとも七百年の伝統を誇る日蓮正宗は、不滅である。御法主日顕上人猊下の厳とした御威徳のある限り、わが正宗の前途は限りなく明るい」(「聖教新聞」11月28日号 )
11月27日  衆議院文教委員会、正信会檀徒ら134万人の署名を集めた「創価学会の社会的不正」に関する請願書につき却下。
12月1日  公明党、党大会で「日米安全保障条約」容認、自衛隊合憲に政策を転換。
12月1日  諸君!、内藤国夫の『月報創価学会問題第1回』掲載。「裸スキャンダルで揺れる池田大作サンは御本尊の前でも裸だった」を掲載。(「同誌」)82年1月号 )
12月4日
 大石寺と創価学会、富士宮市議会に対し起こした行政訴訟で、全面敗訴。
12月7日  月刊ペン事件裁判、第8回公判。山崎正友への原告側の主尋問(計画の変更、準備、実行、撤退)
12月8-20日
 宗門、フィリピン・シンガポール・マレーシア出張授戒。
12月9-19日
 宗門、インドネシア出張授戒。
12月9日  宮本邸電話盗聴事件裁判第8回口頭弁論、山崎正友への原告側の主尋問。
12月10日  文芸春秋、原島嵩の手記「池田大作の欲望と支配」を掲載。(「同誌」57年1月号 )
 週刊文春、山崎正友の「池田大作の富士宮市名誉市民推挙は工作によるもの」を掲載。(「同誌」12月17日号 )
12月12日  創価学会と公明党、富士宮市議会に工作し、百条委員長を廃止に追い込む。(「実録 創価学会=七つの大罪」)
 自由勤行会(熊本・白菊講堂)、池田大作名誉会長「日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主日顕上人猊下に従順すべきである。従順せず、いな、弓をひく行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無量のざん言や画策を受けながらも、一貫して総本山を外護し奉り、御法主上人猊下に従順してまいった。これが真実の信心であるからだ。それを、増上慢と権威とエゴの野望のために踏みにじっていく僧俗は、もはや全く信心の二字のなき徒輩であり、そこには日蓮大聖人の広宣流布をせよとの御遺命に反した、邪信の徒と断ぜざるを得ないのである。皆さまは絶対にそれらに恐れたり、騙されたり撹乱されてはならない」(「聖教」12月13日号 )
12月14日
 妙信講、教学部、「撰時抄」講義終了。
12月15日  三一書房、山崎正友著「闇の帝王、池田大作をあばく」を発行。「週刊文春」に、16回にわたって連載した手記を、加筆訂正。
12月17日  創価学会、聖教新聞「憂宗護法の為だ」を掲載。「"正宗の根本義は法主を守ることだ"、 御宗門より擯斥された佐々木某等がこんな大義名文を振りかざし、聞信の友に悪口、中傷、雑言の限りをつくす言辞を何度聞かされた事か。その言葉の本質は今、恐れ多くも御法主猊下に違背し、血脈を否定する暴挙に走る彼等の卑劣な行動が物語っている。何が憂宗か。何が護法か。陰謀と感情と嫉妬と狼狽以外の何ものでもなかった事は、わずか数年の歴史が証明したではないか。真の憂宗と護法は我らの正義にあった事が、明々嚇々と証明されたわけだ。その黒き運動を続けてきた不順な徒輩は、今、互いにののしり合い雲散霧消に近い」
12月18日
 妙信講、浅井昭衛講頭、「撰時抄を拝し奉る」執筆。「富士」12月号に掲載。
12月20日  創価学会、七百遠忌慶讃二百万登山終了奉告法要(総本山)。
 池田大作名誉会長「時あたかも法灯連綿たる本門戒壇の大御本尊、並びに日蓮正宗の根本義たる唯授一人の血脈を否定せんとする愚人の徒輩が狂い、叫ぶように悪口雑言の限りを浴びせておりますが、我らは、猊下の御指南を体して、悠々とそれらを乗り越えながら、広宣の誓いを果たし、もって歴史に厳と輝く青史をつくりあげたいと念願するものであります。… 今、私どもは、涅槃経にある満身創痍になりながら覚徳比丘を守りし有徳王を鏡として、日顕猊下をお護り申し上げ、広布に立ちて波乱万丈の一生を飾りたいと願うものであります」(「大日蓮」第431号 )
 創価学会、国際連合広報局のNGO(非政府組織)に認定さる。現在の名称は、国際連合グローバル・コミュニケーション局、国際連合の広報を行う。
12月21日
 妙信講、12月度総幹部会開催。浅井昭衛講頭「未だに御遺命守護が完結せぬは私の非力のゆえ、ただし完結は断じて成る。不浄の正本堂は取り毀すべきである」
12月24日  創価学会、池田大作名誉会長「御法主上人猊下に随順しない人は、どのような理由があるにしても、もはや正宗の僧俗ではない。これほど根本的な誤りはないからである」
12月28日
 宗門、監正会会長に秋山海学師が就任。(「大日蓮」57年2月号 )
12月31日
 正信会僧侶 3名、阿部日顕管長への訴訟取下げ。小口寛道師、千明束道師、佐藤見道師。(「大日蓮」57年3月号 )
 
  年表  
1月1日
 宗門、阿部日顕管長、新年の辞「いかに訓誡しても耳にいれぬ師子身中の虫の如き者共に、断固たる態度をもって臨むべき年であろう。また外面のみ信順を装いつつ、内心は師中の虫共と心を通わせている者も、ごく一部とはいえ無いとは云えない。これらの者も大いに反省せねばならぬ年である」(「大日蓮」1月号)
1月1日
 妙信講、元旦勤行、本部会館で7回にわけて奉修。3千2百余名が参加。
 浅井昭衛講頭、年頭の辞「外海元年」、「国立戒壇建立への戦いは、昨年11月20日に始まった。今や、腐敗せる宗門・学会は息をつめてこの五万鉄石の大法華講を見つめ、一国の政治家・邪宗の輩は当惑と白眼を以て妙信講の動きに注目している。その中を、吾が妙信講は日蓮大聖人の弟子として、師子王のごとく堂々の前進を開始する。まさに本年は外海元年である。外海に出れば波風の荒くなるのは覚悟の上である。妙信講は何も恐れない、誰にも諂わない。ただ大聖人の御眼のみを恐れ、末法濁悪の世に立正安国の戦いを起こすのみである。…
 また外海に出たればこそ、そして国立戒壇建立を一国に迫っている妙信講なればこそ、国立戒壇に安置し奉る 本門戒壇の大御本尊が、いつまでも誑惑・不浄の正本堂に在すを放置し得ないのである。このままでは大聖人に 申しわけない、妙信講の義務と責任において、断じて御遺命守護完結は成し遂げる。 外海元年 ―。すべては大聖人が御照覧である。死力を尽くして戦おうではないか」(「冨士」第219号 )
(※ "外海元年" というのは、武道館大総会(10月9日)における "顕正会" への名称変更の、周到な伏線であった。櫻川 忠 )
1月1日  創価学会、「大白蓮華」1月号発行。
 阿部日顕管長、新年の辞寄稿「僧俗が一致団結し広布へ」
「一方、池田名誉総講頭・創価学会名誉会長や創価学会に対し、一部の低俗な週刊誌と怨嫉者の共謀による出鱈目にして悪質な宣伝や中傷は、人間として恥ずべく呆れ果てた人権無視の背徳行為と思います。法華経勧持品の『悪鬼其の身に入りて我を罵詈毀辱せん』との菩薩の予言そのままの姿であります」
 山崎尚見副会長「私どもは現在『月刊ペン』裁判をしています。池田名誉会長のスキャンダルと称して、事実無根の記事を書いた編集長を名誉毀損で告訴し、一・二審とも有罪となりましたが、最高裁で差し戻されました。といってもこれは、公益性、真実性という観点からもう一度吟味せよということで、被控訴人が無罪になったとか、書かれたことが本当だったというようなことではないのです」
 細谷昭教学部師範「ここ数年の出版社系の一部週刊誌によるそれは、もはや全くの誹謗・中傷というべきであり、明らかに常軌を大幅に逸している。… 山崎らはすでに数年前からすすんで情報提供者になっており、記者にしてみれば、何の取材の苦労もなく、情報源が向こうから飛び込んできたわけである。… 名誉会長を倒して学会を牛耳ろうとの意図を抱き、そのための武器の一環としてマスコミを利用するという戦略からの一方的な山崎情報が、それが真実か否か何ら吟味されることなく、更にその方面にかけては辣腕の記者によって面白おかしく味つけされたのであった」 
1月5日
 妙信講、1月度班長会開催、浅井昭衛講頭「幹部こそ行体堅固たれ」
1月10日
 妙信講、教学部三級昇格試験を執行、受験者 580名。
1月10日  現代書林、大友俊太郎著「破滅 島原高はなぜ一千万信徒を裏切ったのか」発行。反聖道学会運動をする元教学部長・島原高の破滅するさまを一人称で描く小説。
1月11日
 宗門、無任所教師初登山、阿部日顕管長「山崎正友が九州の檀徒会の会合で、私のことを『日顕』と呼び捨てにしている」(「大日蓮」2月号 )
1月11~12日
 妙信講、初講義、品川文化会館で2回に分け開催。浅井昭衛講頭「日蓮大聖人一代御化導の大綱」、参加者 2千2百余名。
1月14日  山崎正友恐喝事件、第16回公判。
 光久諦顕師「浜中和道が昭和53年1月19日、大石寺内事部を訪れ、山崎正友から依頼された学会非難の文書『ある信者からの手紙』を、日達上人に手渡した」と証言。(「継命」2月15日号 )
1月15日
 妙信講、成人式(本部会館)、参加者 230名。
1月17日
 妙信講、教学部、二級試験を執行、68名が受験。登用試験を全国17会場で執行、受験者1,047名。
1月19日
 宗門、阿部日顕管長、訓諭す。
「第二祖日興上人 第三祖日目上人ノ第六百五十遠忌二當リ … 本宗ニアッテハ唯授一人ノ血脈相承ニヨル正法正義ノ紹継二於テソノ信仰存立ノ基盤ガアルコトハ申スマデモアリマセン 依ッテ宗内ニアッテ些カナリトモコレニ疑難ヲ加エ或ハ否定スル者ハ正ニ城者破城ノ輩デアリ此等ハ須ク迷執ヲ打破シ深ク反省懺悔ヲナスベキデアリマス」(「大日蓮」第432号 )
 宗務院、院達を以て正信会に警告。「最近、宗内の一部にもったいなくも日顕上人猊下の血脈相承を否定し、あまつさえかかる信仰上の根本義を裁判の場に提起し、宗内を攪乱している徒輩がありますが、これはまことに許し難き所業であります。日顕上人猊下は、これらの者に対し、宗祖大聖人第七百御遠忌大法要を前に、大慈大悲の御意の上から再三にわたり御指南・院達・内事部通達を通してその非を諭し、反省懺悔の機会を与えてこられました。然るに未だその迷妄から醒めず宗内の攪乱を続ける者があるということは、まことに遺憾の極みであり、その一日も早い改悔を心より望むものであります」
 能化会議、正信会非難の声明文を発表。
1月19日  週刊宝石、阿部日顕管長の発言記事掲載。
「相伝を否定する者は、本宗の僧侶ではない。… 俺はあと30年は生きる。30年がかりで正信会を始末する」(「同」2月13日号 )
1月19日  月刊ペン事件裁判、第9回公判。弁護側証人、原島嵩出廷。
「同氏(原島嵩)は、昭和45年2月上旬、その日の午後箱根研修所で池田大作氏に上田雅一氏(現創価学会副会長)、桐村泰次氏(現創価学会教学部長)と共に呼ばれた。その時、部屋の隅においてあったユカタに赤いものがついているのを見た。部屋から出た後、箱根研修所の外で上田氏から言われて、それが口紅だと思った、などと証言。
 また、同年4月下旬、同じく箱根研修所で山崎正友氏と二人池田氏に呼ばれた際、池田氏のステテコに赤いものがついていたのを見た。これも上田氏から以前話を聞いたことなどから判断し、口紅だと思った、などと証言した。
 これに対し検察側は、上田、桐村氏のメモ、当時の池田会長の行動記録ノートなどを示し、昭和45年2月上旬とは、2月11日ではないか、又4月下旬とは4月20日のことではないか、と指摘。しかし原島氏は、それらのメモは後から作ったものであるかも知れないので信用できない、として、何日であったかは特定できない、と主張」(「『月刊ペン』事件の内幕」丸山実 )
1月20日~
 宗門、韓国出張授戒。
1月21日  創価学会、第268回本部幹部会開催(千葉文化会館)。 秋谷栄之助会長「御法主日顕上人猊下より訓諭が発せられた。これは、血脈付法の日顕上人猊下のもとに、さらに僧俗和合、異体同心して、広宣流布に邁進しなさいとの訓諭であると拝するものであります。… この日顕上人猊下に対する血脈相承を否定し、あまつさえ信仰の根本義を裁判に訴えようという正信会の僧侶は断じて許すことはできない。私共は、あくまでも御法主上人猊下の御指南のもと、総本山を外護申し上げることを新たな決意でお誓い申し上げ、日顕上人猊下をお守りし、池田名誉会長のもと仏法の正義正道を護りぬくために一歩もひかぬ戦いを展開してまいりたい」(「聖教新聞」1月22日号 )
1月22日
 宗門、宗会議員16名、正信会非難の「決意書」を発表。
「近時、正信会と称する一部の僧侶の中に、無慚にも大聖人の法体の大御本尊をも究極の本尊にあらずといい、第六十六世日達上人による金口嫡々の血脈相承と、第六十七世日顕上人の御法主としての地位、並びに管長職を否定する言動を吐き、加えて世俗の訴訟の場に提訴するが如き反逆行為をなす者が輩出するに至る。かかる言動は全く大聖人、日興上人以来の信仰に反する師敵対の邪義、異説である事は、もとより論をまたない。日蓮正宗七百年の歴史において、これ程の大謗法は無いと断ぜざるを得ない。故に私ども宗会議員一同は、かくの如き本門戒壇の大御本尊と、本宗伝統の唯授一人の血脈相承をも否定して、何等恥ずる事なき徒輩を断じて許す事は出来ない」(「大日蓮」第432号 )
1月23日
 妙信講、男子部。池田大作名誉会長に対し書状を送り、御遺命守護街頭行進を行う。
1月24日
 妙信講、「常盤会館」移転(常盤台駅北口)の開所式を行う。
1月24日  創価学会、板橋広布25周年記念総会開催(創価大学)。
 池田大作名誉会長「正宗における根本は、唯授一人の血脈である血脈相承の御法主上人に随順しゆくことこそ、正しい僧俗の在り方である。この一点を誤れば、すべての根本が狂ってくるのである。創価学会は、御歴代の御法主上人に随順してきたがゆえに、永遠に栄えゆくことは間違いないと確信する」(「聖教新聞」1月25日号 )
1月26日
 妙信講、1月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「武道館大総会こそ一国広布の出陣式
 整理部長に小川善紀任命さる。
1月26日  創価学会、平和委員会を設置。
1月29日  月刊ペン事件裁判、第10回公判。弁護側証人、原島嵩、山崎正友出廷。
1月31日
 妙信講、顕正寺本堂改修・納骨堂完成法要奉修。
2月2日
 宗門、日興・日目六五十遠忌奉修・奉讃両委員会設置。
 阿部日顕管長、藤本栄道師を日興・日目六百五十遠忌法修委員長に、池田大作を法讃委員長に任命。
2月 日  創価学会、791万世帯となる。
2月6日
 妙信講、二祖日興上人六百五十遠忌御逮夜法要、本部会館で奉修。浅井昭衛講頭、日興上人の御徳を偲び、一代の御振舞いについて講演。
2月6日  山崎正友、阿部日顕管長の発言に反論。「正信会僧侶は、なにも教義としての相伝そのものを否定しているのではない。ただ阿部日顕師が『昭和53年4月15日、故日達上人から密かに相伝を受けた』というのは嘘である、という"厳粛なる事実"を指摘しているだけである」(「週刊宝石」1月13日号 )
2月7日
 妙信講、二祖日興上人六百五十遠忌御報恩勤行会、本部会館で3回にわけて奉修。
 浅井昭衛講頭「実に身延離山の御精神を一言で云うならば、濁れる安易を捨て、大聖人の御心のままに進まん、ということであります。この精神が希薄になれば、仏法は正しく伝持できない、必ず曲がる。ゆえに末法万年のため、この事を身を以て教えて下さったのが、いわゆる「身延離山」であります。
 いま宗門に色々な不祥事が起きているのも、みなこの精神が稀薄になったためであります。宗門は学会という大檀越の金力・権力に諂い、その政治野心に引きずられて謗法同座の「聖人展」をやった。さらに重大なことは、御遺命を破壊して正本堂の誑惑をした。日興上人の毅然たる護法の精神を見失ったゆえに、この大違法を犯し、そしていま罰を受けているのであります。
 ここに日蓮正宗の中において、妙信講だけが身を捨てて御遺命守護に立ち上ったこと、まさに日興上人の御精神に則ったものであります。昨年は大聖人の七百御遠忌、本年は日興上人六百五十遠忌、このただならぬ大節を迎え、いよいよ広宣流布近きに在るを確信し、妙信講は身を捨てて宗開両祖に御報恩申し上げようではありませんか」(「冨士」第220号 )
2月8日
 宗門、阿部日顕管長、正信会僧侶 11名を擯斥処分に付す。
 宗務院、早瀬義孔庶務部長、くも膜下動脈瘤破裂で倒れる。
2月8日
 正信会、中浜広修師・ト部乗道師ら8僧侶、宗務院に対し「11名の擯斥処分を徹回せよ」との抗議文提出。
2月9日  創価学会、聖教新聞「血脈否定の僧十一人を擯斥」との記事掲載。
「今回処分された十一人は、いずれも宗内の活動家僧侶によって構成される『正信会』と称する一派の中央委員である。彼らは、あろうことか御法主日顕上人猊下の血脈相承を否定し、これを前提として昨年一月には日顕猊下を相手取って大石寺の代表役員、及び日蓮正宗の管長、代表役員の地位不存在確認の本訴とそれらの職務執行停止の仮処分を静岡地方裁判所に提訴するに及んでいる。血脈相承は宗旨の根幹をなすものであり、それに疑義をさしはさむこと自体、信心の大道からはずれ、正宗僧侶に全くあるまじきことである。まして、そのことを裁判に訴えるなど、言語道断といわざるをえない」(「聖教新聞」2月9日号 )
2月9日  山崎正友恐喝事件公判、内藤国夫が検察側の証人として出廷。
2月10日
 妙信講、教学部、「開目抄」の講義開始。(千代田区公会堂)
2月10日  創価学会、記念勤行会開催(日立会館)。池田大作名誉会長「あくまでも、仏法の根本の御指南は、御法主上人猊下であられる。御法主上人猊下の御指南に従わぬものは、もはや、正宗の僧でもなく俗でもない」(「聖教新聞」2月11日号 )
2月12日  創価学会、桐ヶ谷章弁護士。静岡地裁において、阿部日顕管長の相承問題について「昭和53年4月15日に何があったかを立証する意志はない」と。
2月12日  月刊ペン事件裁判、第11回公判。弁護側証人、山崎正友出廷。
2月16日
 妙信講、御聖誕報恩勤行会、本部会館で奉修。
 浅井昭衛講頭、「ゆえに聖徳太子は、自分が皇太子として生れたことを嘆いて一つの願を立てております。
『この国において妙義未だ足らず、位・儲君(ちょくん)となって門戸に到り説くことを得ず。今思わく、この身命を捨てて微家に託生し、出家入道して衆生を救済せん、これ我が発願なり』と。
 この意味は、"日本には未だ仏法が広まっ ていない。しかし自分は皇太子として生れたため、一軒一軒廻って法を説くことができない。願わくば早くこの身を捨てて「微家」すなわち貧しい家に生れ、大衆を救いたい"というのです。
 これが聖徳太子の発願です。ところが、どういうわけか我々は...(笑)...願いもしないのに「微家に託生」してしまった。(爆笑)...知らないうちに、聖徳太子の誓願を満足してしまっている。(笑)
 これで愚癡をこぼすのはおかしいでしょう。思いっきり仏法を広めることができる。この使命を忘れて、大金持ちになりたい、ぜいたくをしたいなどと、うわべの虚栄を追い求めるのは愚癡の至りというべきです。
 広宣流布以前に、この三大秘法に縁をした人はみな地涌の菩薩の流類です。みな使命を持って生れている。たとえ現在はどのような境涯であろうとも、その立場で真剣にお題目を唱え宿命を変え、御本尊の功徳を証明して人に教える、この大使命があるのです」(「冨士」第221号 )
2月17日  宮本邸電話盗聴事件裁判、第9回口頭弁論。山崎正友への原告側の主尋問(事後処理、その他の盗聴)。
2月17日  富士宮市の市議6人、「百条委は死なず」とする文書を、鈴木善幸首相に送付。
「すなわち、『日原造園、創価学会と市政の三者癒着』を生み出した利権構造を打破し、文字どおり明るい市政への改革でなければなりません」
2月25日
 妙信講、顕正新聞「御遺命守護特集号」発刊。
2月25日  月刊ペン事件裁判、第12回公判。山崎正友、池田大作のスキャンダルを証言。
2月26日
 妙信講、2月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「威力ある御遺命守護特集号を、一人でも多くの学会員に読ませよ」
2月26日  山崎正友恐喝事件、第19回公判。秋谷栄之助会長、証人として出廷。
2月27日  宮本邸電話盗聴事件裁判、第9回口頭弁論。山崎正友、宮本宅の電話盗聴事件後、神崎武法検事(当時)にその事後処理を相談したとする。
3月3日
 妙信講、3月度班長会、浅井講頭「御遺命守護特集号」(顕正新聞)に言及。
3月6~8日
 宗門、総本山で日興上人六五十遠忌法会奉修。(「大日蓮」第434号 )
3月8日  創価学会、日興御回忌祝賀会(総本山)。池田大作名誉会長「この日興上人がおられましたが故に、富士の清流は七百年の苦難の歴史にもいささかも穢されることなく、総本山御歴代の御法主上人により一器から一器へと法水潟瓶されてきたのでございます。… 昨今、こともあろうに、唯授一人の血脈付法を否定せんとする一部の輩の策謀がみられることは、御開山上人の厳格・清浄な正法護持の御精神に照らして、断してあるまじき所業であります」(「聖教新聞」3月9日号 )
3月8日  衆議院予算委員会、共産党の正森成二議員、創価学会員の現職検事の宮本委員長宅盗聴事件関与を取り上げる。「72年には妙信講幹部に対する盗聴にも、神崎検事が加わっている。検察官はいかなる犯罪についても捜査し、公訴を提起する立場にある。その検査官が、犯罪に加担した事実は重大だ。法務省は調査したか」と糾す。
3月10日  幸洋出版、丸山実・坂口義弘共著「花形記者は転んだ」刊行。創価学会批判の内藤国夫を批判する。
3月12日  月刊ペン事件裁判、第13回公判、山崎正友出廷。
「昭和45年4月下旬、箱根研修所で口紅云々については、検察側から山崎氏自身の当時の手帳と山崎氏の事務所の領収書綴などが提示され、箱根にいたのが4月19日(手帳にハコネと書かれてある)であり、4月19日には東京に帰っており、20日に箱根にはいなかった、などが指摘された。特に領収書綴には、昭和45年4月19日付で東京・神田の旅館『花汀』名義の請求書が添付されており、4月19日に山崎氏は東京に戻っており、翌20日には箱根研修所にいなかったことの裏付けとして提示された。ちなみに旅館『花汀』では、麻雀をやっていたとのことである」(「『月刊ペン』事件の内幕」)
3月 日
 妙信講、3月度学習会、刑部左衛門尉女房御返事「御本仏への不孝により天変地夭」
「妙信講は、正本堂におわす大聖人の御心いかばかりと、それだけを思って御遺命守護の御奉公に立っているのであります。力及ばずとはいえ、いま宗門で妙信講だけが、大聖人に対し奉り「孝養の子」であります。本年秋には出陣式たる武道館の大総会が行われますが、天変地天しんしんと起こる中、妙信講は大聖人の御命令のまま、いよいよ一国広布へ本格的な前進を開始しようではありませんか」(「冨士」第222号 )
3月18日
 正信会僧侶 3名、宗門に詫び訴訟を取下げる。清水法瑞師、原規道師、国井等道師。(「大日蓮」3月号 )
3月25日  神崎武法検事、宮本宅電話盗聴事件関与で、法務省刑事局参事官室を退職。
3月26日  月刊ペン事件裁判、第14回公判。
3月29日
 妙信講、3月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「4月は証拠を出す月である。4月に勝たなくては大総会の道は開けない」
3月31日
 宗門、第3回非教師指導会、阿部日顕管長「今現在の状態において、形式に執われたところから相承の有無について軽はずみに云々する者もありますが、私は間違いなく日達上人よりお受けいたしております」(「大日蓮」5月号 )
4月2日
 妙信講、4月度班長会開催、浅井昭衛講頭折伏の大功徳について「一には大聖人の御守護を頂き、二には御本仏の眷族としての生命力が涌現し、三には過去の罪障が消滅する」
4月3日  週刊現代、山崎正友の証言掲載。「47年の妙信講との教学論争の時は、学会員宅の一室に、神崎らが受信機と録音器を持ち込み盗聴した」と暴露。(「同誌」4月10日号 )
4月4日  全日本労働総同盟、国連NGO代表演説に、池田大作名誉会長を推薦する意向を示す。(「聖教新聞」同日付 )
4月5日
 宗門、阿部日顕管長。正信会僧侶 26名を、相承否定の理由を以て擯斥する。(「聖教新聞」4月10日付 )
4月5日  週刊ポスト、創価学会盗聴事件の記事掲載。松本篤、盗聴器製作の事実を語る。(「同誌」4月16日号 )
4月7日
 宗門、阿部日顕管長。池田大作名誉会長招待のため、桜の大木を切り倒し花見の宴を催す。(「冨士」)
 池田大作名誉会長、観桜会で本山の桜20本伐採。「常来坊へ日顕上人をお招きした当日、あいにくの雨になったところ、なんと池田は部下に命じ、20本近くのソメイヨシノを根本から切り倒して常来坊に運び込み、にわか仕立ての桜園を室内にこしらえ…」
(※ どちらが招いて櫻を伐採したか、上記のように両説がある。)
4月9日  創価学会、4月度東京支部長会開催(東京戸田記念講堂)。
 秋谷栄之助会長「正信会と称する御法主日顕上人猊下の血脈を否定している二十六人の僧侶が五日付で擯斥処分にされた。我らはますます総本山を外護し、御法主日顕上人猊下をお護り申し上げゆく名誉会長とともに、広宣流布へ威風堂々の前進を図っていきたい」(「聖教新聞」4月10日号 )
4月9日  月刊ペン事件裁判、第15回公判。弁護側証人として内藤国夫(元毎日新聞記者)が出廷。
「内藤氏は、公明党の渡辺通子参院議員の子息は池田大作名誉会長との間にできた子供である、"マジック事件"の幼女は実は池田氏の子供であるという話を聞いている、この話について当事者に取材なり確認はしていないが、情報提供者から聞いて間違いないと思った、などと証言。
 この内藤証言に対し、検察側は、血液鑑定書を提示し、科学的に『父子関係は存在しない』ことを尋問。内藤氏は『こんな紙キレ一枚見せられても信用できない』などと証言した」(「『月刊ペン』事件の内幕」)
4月10日
 妙信講、顕正寺の管理手伝いに、小川善紀夫妻任命さる。
4月13日  山崎正友恐喝裁判公判、秋谷栄之助会長、MI・M2というスパイが妙信講に潜入していた事実を認める。
4月 日
 宗門、阿部日顕管長、大石寺境内の鳩5百羽を野村慈尊理事等に殺処理せしむ。(「諸君」7月号 )
4月20~21日
 妙信講、学習会に 2千7百余名が参加。
4月24日
 宗門、高橋公純師、訴訟を取り下げ反省懺悔したとして宗門に復帰。
4月26日
 宗門、阿部日顕管長、「日顕上人が日達上人より相承を受けたことは厳然たる事実である。この事実を否定する輩に対しては断固戦う」旨の決議文を作らせ、正信会を除く全僧侶に確認署名をなさしむ。
4月25日  創価学会、「大田の日」記念の集い(立川文化会館)。池田大作名誉会長「現在も、… 当代御法主上人を非難している徒がいる。私は、命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまはてのひらを返して自らが、その根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい」(「聖教新聞」4月27日号 )
4月26日
 妙信講、4月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「国立戒壇建立とは一国の信仰革命である」
 本部参与に太田重市任命さる。
4月27日
 妙信講、支部長会開催、浅井昭衛講頭「あと五ヶ月」
「大総会への関所であった四月、全講員の信心の赤誠により、大法弘通と結集に美事なる証拠が示されたこと、まことに喜びにたえない。大総会への道は大きく開けて来た。… 大総会まであと五ヶ月、油断をすれば魔は必ず便りを得る」(「冨士」第223号 )
4月29日  週刊文春、野坂昭如の連載コラム『右も左も蹴っとばせ!』で、丸山実・坂口義弘共著『花形記者は転んだ』(幸洋出版)を非難し、内藤国夫を擁護。(「同誌」)5月6日号 )
 これをきっかけとして、野坂昭如と丸山実の論戦がはじまる。
4月30日
 宗門、第1回時局法義研鑽委員会開催。(「大日蓮」第436号 )
5月1日
 宗門、法華講連合会前委員長 佐藤悦三郎以下 連合会幹部 24名。創価学会を善導すべき立場の宗務当局が、「逆に創価学会に懐柔され、思うがままに操られているところに、今日の宗内混迷の真因がある」と、阿部日顕管長を批判。(「諸君」7月号 )
5月1日  月刊「現代」、藤原弘達、内藤国夫との対談で「人間の下半身暴露によるペンの攻撃は共に傷がつき、とりかえしのつかないことになる」と忠告。(「同誌」6月号 )
5月3日  創価学会、未入信・新入信者向けのガイドブック、『創価学会 SOKA GAKKAI』を発刊。
「創価学会は、日蓮大聖人の仏法を正しく受け継いでいる日蓮正宗の信徒の団体です。日蓮正宗は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ奉り、日蓮大聖人の出世の本懐である弘安2年10月12日御図顕の本門戒壇の大御本尊を700年間厳護し、根本としてきた唯一の正しい宗教です。創価学会はこの日蓮正宗の教義を信奉し、日蓮正宗を外護し、広宣流布することが目的です」
 第8章『私と創価学会』に、雪村いづみ、杉田かおる、ハービー・ハンコック、木田勇らのミニ体験談を収録。
5月 日
 宗門、羽柴増穂の妙本寺密通が露見し、「暁鐘」は連載を中断。(「暁鐘」5月号 )
5月5日  月刊「宝石」、原島嵩の証言を掲載。「昭和47年6月に、早瀬日慈総監・阿部信雄教学部長(当時)が、妙信講の破折を恐れ数日間 "雲隠れ" した」と言明。(「同誌」6月号 )
5月7日  月刊ペン事件裁判、第16回公判。弁護側証人として、羽柴増穂(元『継命』編集長)が出廷。
5月11日  創価学会、聖教新聞「相承否定の群徒とは断固戦う」
「学会においては、既に一昨年九月『創価学会はいかなることがあろうとも、総本山第六十七世御法主日顕上人猊下の御指南に従い奉り、あくまでも大御本専への絶対無二の信心を貫き通し、総本山を外護申し上げ、僧俗和合して広宣流布に邁進する』との県長会決議を採択。それをうけ、各県においても県決議等を行ってきているが、今回の御僧侶方の決議の趣旨をよく理解し、ますます御法主上人猊下のもと一致団結、僧俗和合して、宗祖日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布へ力強く進んでいくことが大切であろう」(「同」5月11日号 )
5月11日
 第7回全国檀徒大会、品川文化会館で開催。
5月20日  創価学会、第272回本部幹部会開催(市川市市民体育館)。副会長に岡安博司、高沢正の2名が就任、副会長の総数は36名となった。秋山婦人部長、浅見男子部長、太田青年部長、佐野女子部長が就任。(「聖教新聞」5月21日号 )
5月21日  月刊ペン事件裁判、第17回公判。検察側証人として高根美枝(創価学会員)、米山美枝(同)、松島淑(聖教新聞論説委員長、渡部通子の実弟)が出廷。
「高根氏は、松島勇氏(渡部通子氏の実父)の姪で、松島家を手伝うため昭和29年9月ころから11月ころまで松島家に同居していた。一方、米山氏も昭和29年11月ころから32年8月ころまで家事手伝いとして松島家に住み込んでいた。両氏とも創価学会員。両氏は『昭和29年当時、松島家には三畳間はなかった』と証言」(「『月刊ペン』事件の内幕」)
「月刊ペン事件で、池田と通子の関係が争点となった時、学会は私を裁判に出廷させないため必死でした。私が出廷すれば、どんな証言が飛び出すかわからない。… 裁判では、松島家の三畳間で風呂上がりの裸の池田を通子がタオルで拭いていた、という証言まで出ましたが、学会側は、その三畳間自体がなかった、というようなことまで主張したそうです。そういう嘘に嘘を重ねる体質というのは、今も昔も全く変わっていないように思います」(「週刊新潮」96年3月14日号 藤原郁子 )
5月26日
 妙信講、5月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「いかなる事態にも、金口嫡々の血脈は断絶せず
「反学会活動家僧侶はしばらくなり行きを見守っていたが、阿部日顕管長が池田大作に諂い一体となりゆく姿を見て反発し、"正信覚醒運動" なる学会切り崩しの運動をさらに押し進めた。阿部日顕管長は学会の意向を受けてこれを弾圧した。ここに正信会僧侶の阿部日顕管長に対する憎しみは頂点に達し、ことは御相承問題に及び、ついに『阿部日顕師は日達上人より御相承を受けていない。ゆえに法主でもなければ管長でもない。よってその職務執行を停止してくれ』と裁判所に訴え出たのです。この訴訟に加わった僧侶の数は、なんと宗門全僧侶の三分の一に当る 196名に及んでおります。
 阿部日顕管長にとってこの裁判がいかに深刻な問題であるか。ゆえに同管長は正信会僧侶に『裁判を取り下げよ』と迫り、応じないとみるや、見せしめに首謀者を次々と擯斥処分(僧籍剥脫)にした。その数すでに43名。それでも正信会僧侶は反抗を止めない。近き将来、阿部日顕管長は正信会全員の首を切るでしよう。しかしそれでも事は収まらない、ますます争いは激しくなるに違いない。また正信会以外の一般僧侶も、心の中では阿部日顕管長を疑っている者が多い。"いつ裏切るかわからない"、この不安から、今回阿部日顕管長は全僧侶に確認の署名をさせたというわけであります。
 どういうことを確認させたかといいますと、二ヶ条あるのです。すなわち「一、日顕上人が日達上人から相承を受けたことは厳然たる事実である。二、この事実を否定する輩に対しては、断固戦う」というものです。いかにもおかしな確認だと思いませんか。たとえば、本当の親がですよ、大勢の子供に対して『お父さんがみんなの父親であることは厳然たる事実である。(笑い) この事実を否定する子に対しては、子供同志で断固戦う』(爆笑) なんてことを確認・署名させましょうか。いかにもおかしいじゃないですか。こんな不自然のことをやらねばならぬほど、阿部日顕管長の地位は不安定であり、宗門の内紛は深刻だということであります。… どうしてこのような事態になってしまったのか。これこそ、二人の管長は共に御本仏の御遺命に背いたゆえに、法主としての徳を失ったからに他なりません。…
 ただし、いかなる事態が起きようとも、本宗の血脈は絶対に断絶いたしません。本宗に伝わる唯授一人金口嫡々の御相承というものは、いかなる事態が起ころうと、いささかの増減もなく、微動もしない、完璧なものであります。これあらゆる事態を想定された大聖人の御仏智により、残され給うたものなるゆえであります。ゆえに、国立戒壇の御遺命を堅持遊ばす仏意に叶う御法主出現せば、直ちに血脈は厳然としてよみがえる。妙信講員は少しも心配する必要はありません。今日の事態は、御遺命を曲げた罰により、一時的に起きた変態現象に過ぎないのであります。…
 今の宗門は御遺命を曲げ、名聞利養にふけり内紛にあけくれている。宗門の濁乱がその極に達すれば、大聖人の御仏意として正系門家に必ず御在世の信心はよみがえる。いまの妙信講の姿はその現われである」(「冨士」第224号 )
5月30日  ニューヨーク・タイムズ、創価学会の「現代世界の核の脅威展」を報道、「日蓮正宗の信徒団体である創価学会は、日本で強力な反核運動の中心的行動をとってきている」
5月31日
 妙信講、婦人部大会開催(豊島公会堂)、1,054名が参加。浅井昭衛講頭「本大会こそ妙信講婦人部の新しき出発」
5月31日  創価学会、第2回国連軍縮特別総会に、代表50名を派遣。(「聖教新聞」5月30日付 )
6月1~11日
 宗門、タイ・香港・マカオ出張授戒。(「大日蓮」第438号 )
6月3日  創価学会、国連広報局と共催で「現代世界の核の脅威展」をニューヨークの国際連合本部パブリックロビーにて開催。
 池田大作名誉会長、第2回国連軍縮特別総会に提言。全地球的な "平和の包囲網" 形成のため「非核地域平和保障機構創出のための国連特別委員会」を発足し、国連の平和維持機能を強化せよと提言。(「聖教新聞」)
6月4日  月刊ペン事件裁判第18回公判、前回に引き続き松島淑が出廷。
「昭和29年、私はまだ中学二年だったが、三畳間など当時なかったのを、明確に覚えている。三畳間ができたのは、翌年30年の春3月に増築したときである」(「自由の砦」1996年3月23日号 ) 「中野で女子部隊長を務めていた私は、深夜帰宅しても化粧や着替えさえできないような感じだったんです。そこで父にかけあって、玄関の横に建て増しして姉妹専用の場所を作ってもらったのです。その部屋を学会は裁判で存在しないことにしようとしました。私の実弟である松島淑を出廷させ、三畳間の存在を否定させたのです。これには私も驚いてしまいました」(「週刊新潮」96年3月21日号 藤原郁子 )
6月7日  創価学会、池田大作名誉会長「軍縮および核兵器廃絶への提言」を、デクエヤル国連事務総長に提出。
6月10日
 正信会、4月28日の決議文に反撥。「阿部日顕師相承の件」につき、太田慈晃宗会議長に公開討論を要求。(「継命」7月1日号 )
6月11日  山崎正友恐喝事件、第23回公判。秋谷栄之助会長、創価学会が月刊ペン担当弁護士に2千万円を渡す等、裏工作した事実を認める。(「東京スポーツ」6月21日付 )
6月13日
 妙信講、臨時支部長会。大総会をめざし、支部・男子部・女子部・婦人部の組織充実が指示される。
6月16日
 宗門、太田慈果宗会議長、正信会の公開討論要求を拒絶。
6月16日  宮本邸電話盗聴事件裁判、第11回口頭弁論。創価学会、山崎正友が主張する神崎武法検事の関与を否定。
6月17・22日
 妙信講、学習会。参加著 3千名を突破。
6月18日  月刊ペン事件裁判、第19回公判。上田雅一副会長、検察側証人として出廷。
6月21日
 宗務院、未処分の正信会僧侶 150余名に対し、「血脈相承に関する異説を改めよ」との勧告文を送附。(「大日蓮」7月号 )
6月25日  月刊ペン事件裁判、第20回公判。上田雅一副会長、検察側証人として出廷。
6月26日
 妙信講、6月度総幹部会開催、総世帯数 58,285世帯に達す。浅井昭衛講頭「大聖人は人類絶滅を傍観し給わず、ならば今こそ広宣流布の時
6月27日
 妙信講、支部長会、浅井昭衛講頭「いよいよ大総会まであと三月、全妙信講 5万8千の一人一人を強き信心、地涌の流類の自覚に立たせるべく、再折伏、再指導の戦いを開始する時を迎えた」
6月27日  創価学会、7・3記念北海道幹部会開催(小樽文化会館)。池田大作名誉会長「北海道広布といえば、まず思い起こすのは、『小樽問答』である -- 何か事件が起こると、必ず、退転者、反逆者がでる。… 近くは、日達上人の御遷化ののちに、御当代御法主日顕上人猊下に師敵対している正信会が出ている。在家にあっても、その方程式は、また同じである」(「聖教新聞」7月2日号 )
6月28日
 宗門、富士学林研究科開講式、阿部日顕管長「私が日達上人より、過去、数度にわたって相伝の甚深の法門を承り、それらの総括として昭和53年4月15日、大奥において、付嘱の義をもって深意を拝承したことは、仏祖三宝の御照覧において、事実である。しかるに日達上人より私への付嘱血脈を疑うのみか、訴訟を起こすという反逆僧どもがおる」と、正信会僧侶を非難。(「大日蓮」7月号 )
6月29日  山崎正友恐喝裁判公判、秋谷栄之助会長、反対尋問で「内部通告者は秋谷氏ではないか」と尋問さる。(「東京スポーツ」7月14日付 )
7月7日
 妙信講、婦人部班担当会、浅井昭衛講頭「今こそ広宣流布の時である。御在世の婦人の信心が、妙信講によみがえらぬはずがない。婦人部の幹部は、信心強き賢い婦人となり、自ら担当する組織に責任を持ち、広布を推進してほしい」
7月7日
 宗門、藤本栄道総監、「大韓民国日蓮正宗『寂静山高麗寺』と称するものは … 日蓮正宗とは一切関係なくその名称を勝手に詐称しているにすぎません」
「上田(雅)副会長:宗門は表面的には、そうした高橋住職の動きを認めないという態度を示しました。例えば、昭和57年7月7日には、藤本総監が「大韓民国日蓮正宗『寂静山高麗寺』と称するものは … 日蓮正宗とは一切関係なくその名称を勝手に詐称しているにすぎません」と公式に表明しています。この「高麗寺」こそ高橋住職が開設し、その活動の拠点としてきた所です」(「創価新報」1991年7月3日号 )
7月14日
 妙信講、大総会結集の支部誓願式開催、浅井昭衛講頭「武道館大総会は、仏弟子一万人が広布誓う大儀式
「誓願は低く、戦いは雄大に、そして全員が勝って一万人の大結集を成し遂げる。これが大総会に臨む私の心であります。この戦いを進める方法はただ一つ、「倍確運動」を推進することです。すなわち誓願に倍する絶対確実をつかむ、倍の確実を確認する戦いだから「倍確運動」というのであります。…
 すでに核戦争の危機は足元に迫っております。「我日本の柱とならむ」と誓願し給うた御本仏が、この人類絶滅・諸人堕獄の悲惨を傍観遊ばすはずがありましょうか。ここに一国広宣流布の御命令は、厳としていま妙信講に下されたのであります。かかる大総会に、信心なき者は参加する資格はありません。御本仏日蓮大聖人の弟子たる自覚に立った一万人が、大聖人の御馬前に勢揃いして、日本国の広宣流布を誓い奉るのであります。さあ! 誓願は決った。あとは大御本尊に一念こめて祈り、戦い、そしてみごとに勝とうではありませんか。(大拍手)」(「冨士」第225号 )
7月14日  山崎正友恐喝事件公判、秋谷栄之助会長「学会のトップは、宮本宅盗聴を知っていた」と証言。(「赤旗」7月15日付 )
7月14日  創価学会員、深遠寺住職の家族ら5人を殺傷。
「同事件は、7月14日白昼、精神分裂症の病歴を持つ29才の学会青年員が、佐賀県武雄市の深遠寺に乱入、高木当道住職の妻子やお手伝いさんを次々に刺し、住職の5才になる長女、3才の次女、それにお手伝いに来ていた21才の女性が死亡するという、痛ましいものだった。…
 創価学会に入れば、カネ儲けをはじめ、病気の治癒など、利益がいっぱいあると聞かされて入信、学会活動にも励んだが、逆に金を取られる始末。学会への恨みが高じて、授戒を受けた日蓮正宗寺院をも逆恨みするようになった」(「創価学会・公明党の犯罪白書」山崎正友 )
7月16日  月刊ペン事件裁判、第21回公判。検察側証人として上田雅一と桐ケ谷章(学会顧問弁護士)が出廷。
「上田氏は、先の公判で原島氏が『昭和45年2月上旬、箱根研修所で口紅をみた云々』と証言したことに対し、箱根に行ったのは2月11日。そして池田会長(当時)に原島氏、桐村氏とともに呼ばれたのは2月12日午前1時半ごろだ。そのことは、自分と桐村氏のメモにその旨記載されているので明確である。従って、原島氏がその日(日付は特定せず)の午後云々といっているのは全くのデタラメである。また、屋外で私から話を聞いて口紅と分ったなどと原島氏は証言しているが、2月の箱根は零下の寒さ、まして深夜であり、わざわざ屋外で話すはずがないと証言し、原島証言を否定した」(「月刊ペン」裁判の内幕 )
7月20日~
 宗門、イギリス・西ドイツ・イタリア出張授戒。(「大日蓮」第440号 )
7月21日
 宗門、総本山内事部。正信会僧侶 西本暁道師、芳賀体道師、竹內幹行師、松田教導師を、登山停止に処す。(「大日蓮」8月号 )
7月23日  創価学会、損害賠償請求訴訟公判、原島嵩が証言「私と行動を共にすると決意した5人の幹部の内の一人は野崎至亮であった」(「東京スポーツ」8月1日付 )
7月24日  創価学会、関東会第1回研修会(長野研修道場)。
 池田大作名誉会長「御本尊を御認めあそばすのは、御法主上人御一人であられる。令法久住という基調を根幹とし、我々は広宣流布に邁進するのである。いくら広宣流布といっても、御本尊の御認めがなければできない。我々はあくまでも総本山根本、御法主上人厳護の信心で進んでまいりたい。… 思えば、私どもは大変な福運をもつて生まれた。代々の御法主上人のもとに、立宗七百年祭、さらに熱原法難七百年、また大聖人第七百御遠忌等々、数多くの佳節を慶祝することができた。さらには、大石寺開基七百年も迎えることができる。ここで立宗七百五十年を目指すことは、まことに意義深いといわねばならない」(「聖教新聞」7月26日号 )
7月26日
 妙信講、7月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「大聖人への忠誠心こそ妙信講の精神。今や妙信講は外海に在る。日蓮正宗の中だけで御遺命を守護してきた一講中の立場から、いまや日蓮正宗を代表して一国に三大秘法の正義、御遺命たる国立戒壇の正義を顕わしていかねばならぬ立場になった」
7月29日  月刊ペン事件裁判、第22回公判。検察側証人として桐ケ谷章、弁護側証人として戸田哲夫(週刊新潮記者)が出廷。
「桐ケ谷氏は、山崎氏が先の公判で『4月下旬に箱根研修所で口紅云々を見た』などと証言しているが、目撃したとされる4月20日は山崎氏は箱根にいなかったと証言」(「月刊ペン」裁判の内幕 )
7月30日  創価学会、伸一会第10回研修総会(長野研修道場)。
 池田大作名誉会長「今、宗門においても仏法の師であられる御法主上人猊下に師敵対する僧俗が出たことは、まことに悲じむベきことである。これは恐ろしき謗法であり、真の日蓮大聖人の仏法を信解していない証左なのである。血脈付法の御法主上人を離れて、正宗の仏法はありえないのである。広宣流布そして正法正信の直系を離れ、我見の教学を論じ、背信の一群をリードしたとしても、それは異説邪道である」(「聖教新聞」7号31日号 )
7月30日  山崎正友恐喝事件公判、山崎正友の元秘書・坂本龍三、「私は川上聖雄(現創価学会東海道青年部長)のグループに入り、広野輝夫のもとで、妙信講の情報収集あたった。学会を守るため、妙信講の宣伝カーを破壊することもやった。山崎被告人は妙信講の宣伝カーに発信マイクを取り付けることを指示した」と証言。(「赤旗」7月31日付 )
7月31日~  創価学会、「現代世界の核の脅威展」を、新宿 "野村ビル" にて開催。(「聖教新聞」)
8月2日
 宗門、台風10号被害。丑寅の勤行の時、総本山大客殿のガラスが吹き破られる。
8月5日  月刊ペン事件裁判、第23回公判。弁護側証人として稲垣和雄(元学会員)、検察側証人として持永俊之(創価学会神奈川県長)が出廷。
「稲垣氏は、… 創価学会に関するスキャンダル話しは、創価学会の脱会者の集まりや『新宗教新聞』の清水雅人氏などから聞いたもので、具体的根拠のない話しだが、週刊誌などに流したのは自分である、などと証言」(「月刊ペン」裁判の内幕 )
8月5日  小説春秋 9月号、内藤国夫の連載「創価学会インサイドレポート」掲載。
8月11日
 妙信講、再建25周年記念幹部会開催(豊島公会堂)、浅井昭衛講頭「一国広布の大闘争こそ妙信講の正念場
「今や妙信講は外海に在ります。宗門の中だけで御遺命を守護してきた一講中の立場から、すでに日蓮正宗を代表して、一国に大聖人の正義、国立戒壇の正義を顕わしていかねばならぬ立場になってまいりました。
 世界の動乱そして日本の破局は、もう足元に迫っております。大慈大悲の御本仏・日蓮大聖人が、この人類絶滅・諸人堕獄の悲惨を傍観遊ばすはずは断じてありません。 すでに広宣流布の御命令は発せられております。しかし、御遺命を破壊せんとした創価学会、またこれに与同した宗門僧侶に、この大聖人の御命令に応える資格がありましょうか。…
 これを以て思うに、妙信講の過去二十五年の戦いは未だ序分、すべては今日のための準備でありました。これから始まる一国広布の大闘争こそ、まさしく妙信講の正念場であります。本日の二十五周年記念幹部会を機として、全幹部が新しい決意に立ち、大聖人様に応え奉ろうではありませんか。(大拍手)」(「冨士」第226号 )
8月20日
 宗門、大橋慈譲著「まことの生きた法華哲学を語る」発刊。
8月20~24日
 妙信講、特別講習会。4回に分け豊島公会堂で開催、参加者4,786名。浅井昭衛講頭「日蓮正宗妙信講の歴史と使命
「阿部日顕管長は、再び池田大作と手を組んだが、これが細井前管長のもとに集った反学会活動家僧侶二百名の反発を買い、現在阿部日顕管長は "法主にあらず" と裁判所に訴えられている。さらに池田大作は腹心の部下、山崎正友・原島嵩に背かれ、本年十月から法廷に引き出される窮地に立っている。御遺命に背いた学会は、確実に崩壊を始めたのである。まさしく大罰である。
 妙信講は、三万世帯と四万世帯達成を機に、阿部日顕管長を再度諫めた。ここに諫暁すでに十二年、宗門の中において、云うべきことは云い、為すべきことは為した。大聖人様より、不忠の弟子とのお叱りだけは免るべしと思う。日蓮正宗に妙信講ある限り、御遺命の正義はもう誰人も曲げ得ない、国立戒壇の正義は厳然である」(「冨士」第227号 )
8月20日  創価学会、第275回本部幹部会開催(浜松平和会館)。
 秋谷栄之助会長「週刊誌による学会攻撃は、昔からあったともいえるが、一段と卑劣になったのは五十二年ごろからである。学会を攻撃し批判するために、まず、いかにも週刊誌がとびつきやすい、俗受けしやすい話としていわゆる"リンチ事件"とか"口紅事件"と名づけて極めて意図的な悪質な情報が流され、週刊誌はそれを面白おかしく書き連ねた。また"参詣者ただ今ゼロ"という、あたかも学会員が一人も総本山に参詣していないという記事を掲載し、宗門と学会の離間をはかる策略の手先にのって攻撃を始めた(「聖教新聞」8号22日号 )
8月21日
 宗門、阿部日顕管長、正信会僧侶 42名を擯斥処分に付す。
8月26日
 妙信講、8月度総幹部会開催、浅井昭衛講頭「不可能を可能にしてきたのが妙信講の伝統。涙の出るような真心を尽くして結集に勝ってこそ、大聖人の御馬前での晴れの出陣式が叶う」
 楽隊長に黄木敏光、鼓笛隊長に田代雅稔任命さる。
8月31日
 正信会、提訴の一部を取り下げる。(「大日蓮」10月号 )
9月3日  月刊ペン事件裁判、第24回公判。検察側証人として持永俊之と福永修(元『週刊新潮』記者)が出廷。
「持永氏は、… 昭和43年から同50年まで第一庶務(池田大作氏の秘書部局)所属。… 昭和44年6月から同45年11月まで池田会長の行動記録ノートを作成していた。この記録は正確を期してつけていたものである、と当時の状況をふまえ証言した。持永証言は、先の原島証言と山崎証言の"箱根で口紅云々"等は事実に反していることを裏付ける」(「月刊ペン」裁判の内幕 )
9月5日  月刊「宝石」10月号、溝口敦による松本篤へのインタビュー記事を掲載。
9月6日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長の発言掲載。「広宣流布の時には、参議院議員、衆議院議員もいてさ、… 要所要所を全部ね、学会員で占める」
9月13日
 妙信講、男子部班長会開催、浅井昭衛講頭「妙信講の再建は不思議にも、宗門において御遺命が破壊される直前であった。今回の大総会は、日本の破局の直前に行われる。この、時の不思議をよくよく肝に銘ぜよ」
9月16日
 宗門、阿部日顕管長。正信会僧侶 40名を擯斥処分に付す。
9月17日  月刊ペン事件裁判、第25回公判、渡部通子が証人として出廷。
「当の渡部通子女史も法廷に立ち、"三畳間" の存在を否定し、それどころか、池田氏との関わりをここまで否定した。…
 弁護士 あなたが池田さんのそばにいて、世話をするのを見た人がいますが。
 渡部  世話ってなんですか。具体的に言ってください。
 弁護士 たとえば、上着をとってあげるとか、ゆかたを着替えさせるとか、胸をマッサージするとか、お茶を入れてあげるとか。
 渡部  いたしません。なんですか、身の回りの世話とは! 」(「自由の砦」96年3月23日号 )
9月24日
 宗門、阿部日顕管長、正信会僧侶 54名(無任所教師)を擯斥処分に付す。
9月25日  幸洋出版、丸山実著『「月刊ペン」事件の内幕』を出版。「民主主義のもう一つの建て前である三権分立は権力の肥大化による独裁政治を禁ずるためにある。したがって、国民の諸権利を庇護する司法といえども権力の中枢者集団なのだ。その権力者が、仮に創価学会をこのまま放置しておけば学会の指導者である池田大作氏は、共産主義国であるソ連、中国と公権力者以上に密接な関係を持っているからには、いずれ敵対する強力な団体になることは必定。いまなら池田大作氏のスキャンダルをねつ造し、天下に公表することで(先述したマッカーシーの手法をもって)国民に非民主主義者である事を植え付けることが出来ると計算したのだ」
9月29日  宮本宅盗聴事件裁判、第13回公判、山崎正友「稲垣和雄に5千万円、梅沢十四夫に1千万円、その他創対連関係工作費として1千3百万円の金が流れた」と証言。
10月 日  文芸春秋、「池田大作出廷の衝撃」を掲載。(「同誌」11月号 )
10月9日
 妙信講、第23回総会開催(日本武道館)、「あと25年で広宣流布せねば日本は滅亡 日蓮正宗顕正会と改称」
 浅井昭衛講頭「いよいよ妙信講は日蓮大聖人の御意のまま、仏弟子として一国広宣流布に敢然と立つべき時を迎えました。そのゆえは、日本の破局が眼前に迫ってきたからであります。… 日本の破局は、経済崩壊・食糧危機・世界動乱によってもたらされる。その破局の号鐘こそ、来るべき大地震であります。…
 まず第一の経済崩壊でありますが、国内の財政危機だけを見ても、破局寸前であることは衆目の一致するところであります。国債の発行額はすでに百兆円をこえ、その利息だけで年間八兆円、しかもその額は年々増加することはあっても減ることはない。このままいけば、あと数年で、国家機能そのものが麻痺するといわれております。…
 次に食糧危機でありますが、近年の異常気象は数百年に一度あるかないかのものといわれております。この異常気象の影響で、地球の寒冷化・乾燥化が進み、いま世界の至るところで砂漠が広がり、ガン細.胞のように緑の土地が侵蝕されつつあります。この砂漠化で失われる世界の農耕地・牧草地は、毎年九州と四国を合わせた面積に匹敵するといわれております。…
 破局の第三は、最も恐るべき世界動乱であります。大聖人は撰時抄に、御在世の法体広布の時と、未来事の広宣流布の時には、必ず世界規模の大戦争があることを、「前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし」と断定遊ばされておりますが、御在世には大蒙古が世界侵略を起こし、いま事の広布の前夜には、ソ連という修羅の大国が全世界に脅威を与え、第三次世界大戦がまさに起こらんとしていることは、御金言の寸分も違わざることに驚きを感ずるものであります。…
 ソ連という国は共産主義を国是とするイデオロギー国家、そして共産主義のイデオロギーは、階級闘争と体制間の戦争を基本理念としております。すなわち戦争という手段を以て、世界を共産化することを目的としているのであります。… いま世界に蓄えられている核兵器は、全人類を三十数回も殺戮することができ、一触即発の緊張は日一日と高まっております。… このことに気付かず、目先の安逸を貪る今日の日本人は、まさにタイタニック号の乗客と同じ、噴火口上に踊る者と同じ、また火宅にたわむれるいとけなき子供と全く同じであります。…
 しこうして、日本の破局はいつから始まるか。… すなわち大地震こそ破局の序曲であり、号鐘であります。すでにある気象学者は、来年の九月に関東大地震が起こると、年月まで特定して警告しております。これが当たるかどうかは知らない。しかし、仏法の上から考えて、「当らずといえども遠からず」と私は思っております。そのゆえは、大聖人の御在世には文永元年に前代未聞の大彗星が出現し、その数年前にあの正嘉の大地震が起きております。… いま一閻浮提の大闘諍が起こらんとしている時、また兆のないはずはない。すでに昭和六十一年に大彗星が出現することは確定しております。されば大地震また遠からずと、思わざるを得ないのであります。そしてこの大地震を号鐘として、それより日本は破局の坂道をころげ落ちて行くのでありましょう。… もし世界の大動乱始まらんか、生き延びる国、生き残れる人が地球上にあり得ましょうか。人類は絶滅であります。…
 妙信講のこれからの路線について申し述べます。妙信講は現在六万、一両年のうちに十万となり、それより加速度をつけ、百万、そして一千万へと一筋に驀進いたします。…
 これらの仰せを拝すれば、仏弟子として広宣流布を進めるのに、政治進出は全く不要であります。政治権力を求める者は野心であり、必ず自ら腐敗を招くものであります。… 政党のいかんを問わず、国立戒壇建立に賛成する国会議員を以て、将来「国立戒壇建立促進議員連盟」のごときものが結成される時が、必ず来ることを私は確信しております。…
 ここで皆さんに、大事な相談をしたい。妙信講はいま、歴史的な段階を迎えております。… ここに妙信講のこれからなすべき大使命を思う時、いよいよ妙信講はその使命を表わす名称を名乗るべき時を迎えた、と感じております。よって本日の大総会を機に、妙信講の名称を「日蓮正宗顕正会」と正式に改めたいと思っております。…
 今後、大聖人の仏法を広く大衆に広めるのに、「講」という名称は必ずしもふさわしいとはいえない。そのゆえは、世間一般の「講」というものに対するイメージは、「観音講」とか「伊勢講」とか「熊野講」とか、およそ古く閉鎖的で特殊な信仰集団、善男善女の集りというような先入観がある。あるいはまた「頼母子講」とか「無尽講」のごときものもある。少しでもこれらと同一視されることは迷惑であり、広宣流布の戦いを進める上に好ましくありません。さらに宗門の中を見渡せば、あるいは実修講・本因妙講・妙典講・妙観講、あるいは各寺院ごとに〇〇寺法華講等と、数百の小さな講中がある。妙信講という名称は、これらの中の一つ、多数の中の一つ、一支部名に過ぎません。しかし今や妙信講は法華講の中の一支部ではない。学会も宗門僧侶も国立戒壇を全く云えなくなった今日、対外的に日蓮大聖人の御精神を顕わし戦う団体は、妙信講以外にはない、この意味で、妙信講はまさに日蓮正宗を代表する立場であります。…
 妙信講は、日蓮正宗を代表して国に国立戒壇の正義を顕わす唯一の団体であれば、いま「日蓮正宗顕正会」と名乗ることが、最もふさわしいと私は深く考えておりますが、皆さんいかがでしょうか。(大拍手) では、本日只今から「日蓮正宗顕正会」と名乗ることに決定いたします。(大拍手) …
 この改称こそ、背水の陣の決意の表明であります。私はこの戦いに命を捨てる決意であります。もしあと25年で広宣流布できなければ、核戦争によって人類は絶滅するではありませんか」(「冨士」第228号 )
(※ "日蓮正宗顕正会" と名称変更してから、教団のカルト化と迷走が本格化して行く。この「近現代戒壇問題年表」では、その "迷走" の過程を点検し得る "事実" を提示して行こう。
 浅井昭衛会長の講演には、宗門や創価学会にはない特有の "宗教的エートス" が濃厚に現れていて、それは今日に至るまで変わらない。将来の予見めいた "脅迫的見通し" がことごとく外れること、自身の言辞に一切責任を取らないこと、発言自体をなかったことにすること、他者には反省と懺悔を求めるが自分は反省しないこと、そうしたことは一貫不変である。
 "日本の破局が眼前" と盲信すれば、まともな人生設計はできない。教団のノルマ達成に精力を傾け、ボロボロになって使い捨てられていく。どれほど多くの純信を踏みにじって、かけがえのない人生に悲惨と不幸をもたらして来たことか。人をまどわし災いをもたらし、生命を奪う者は "魔" (māra) と呼ばれる。
 この武道館大総会で、「学会より正義にめざめて」と題して登壇したのが、上原成宏(杉並支部)である。創価学会渉外三局でスパイ活動をしていたことを述べ、『これでも池田大作を信ずるか』と『私は創価学会のスパイだった』執筆の経緯を語っている。(「顕正新聞」10月25日号 )櫻川 忠 )
10月12日
 宗門、正本堂建立十周年記念総登山。阿部日顕管長、池田大作名誉総講頭に褒賞の大曼陀羅(脇書「賞大法護持広布並に世界平和貢献之功」)を授与。
「さて先師日達上人が大御本尊安置のこの大殿堂を正本堂と命名せられたことは、宗祖大聖人、日興上人以来の血脈法水を通して深甚の意義を熟慮あそばされたからにほかなりません。…
 正本堂は百六箇抄にある『本門寺本堂』を意味する。なぜ本門寺の名称にしないかといえばまだ謗法の者が多いからだ。だから蔵の形を残した。だが広布達成も近いと思われるので『正本堂』と命名した」
 正本堂建立十周年記念祝賀の集い(大石寺・大書院)、「総本山に秋冷の気満つる本日、一閻浮提総与・独一本門戒壇の大御本尊御建立の意義深き日に、血脈付法第六十七世御法主日顕上人猊下の大導師を賜り、全国の信徒の代表一万余名がこの歴史的な御開扉の荘厳な儀式に参詣列座することができえまして、地涌の菩薩の眷属たる私どもにとり、これに過ぐる歓喜と栄誉はございません」(「広布と人生を語る」第四巻 池田大作 )
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で厳修。
 本部会議、折伏成果の呼称変更。"世帯"から、"人数"に改むことを決定。
10月15日
 宗門、阿部日顕管長。正信会僧侶 手塚寛道師、川島秀随師、岡本領道師の3名を擯斥処分に付す。
10月15日
 顕正会、臨時班長会開催(千代田区公会堂)。浅井昭衛会長「改称こそ背水の陣の決意の表明。25年前の妙信講の再建は宗門濁乱の直前であった。いま顕正会の出陣は日本の破局の直前である。時の不思議と使命の重大さを痛感する」
10月15日  月刊ペン事件裁判、第26回公判。池田大作名誉会長、証人として出廷。出廷回避のため、3千万円の裏工作を認めた。
 赤坂の芸者には3年間で4~5回会っていたことを池田大作自身が語り、また、第一庶務をはじめとした女性を各地研修所に頻繁に連れて行くという、社会常識を欠いた行動を裁判長からたしなめられた。 渡部通子に関して、女子部の "体験集" の中で彼女が池田氏とのことを書いたものが読み上げられた。
「一人で泣いているとき、トントンと階段を上がる音が聞こえてきて、池田先生が上がってきて、私を抱きしめてなぐさめて下さった」(「私の体験・人生の並木道」渡部通子 )」
 創価学会弁護団、池田大作の行動記録を提出。怠慢な生活態度、勤行をしていないことが証明される結果となる。
「かねが戸田の指導を受けるため、当時、国鉄中央線市ヶ谷駅のそばにあった戸田の経営する金融会社「大蔵商事」へやってきて、こう訴えたと元学会幹部は話す。『じつはウチの主人は朝晩の勤行をやりません。五座・三座もやりません。いつもお題目三唱で済ましてしまいます。私がそのことをいうと、"おれは特別だからやらなくてもいいんだ" と答えます。ウチの主人は本当に特別なんでしょうか』、戸田は『何? 』といって絶句したという」(「池田大作・金脈の研究」野田峯雄 )
10月18-22日
 宗門、韓国出張授戒。
10月20日  山崎正友恐喝事件裁判、池田大作名誉会長、第29回公判に検察側証人として出廷。山崎正友の「恐喝」を立証すべく、"正信会の運動は山崎の画策" 等、起訴事実に基いた証言。同日午後、山崎正友弁護側の反対尋問を受ける。
10月26日
 顕正会、10月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「日蓮大聖人こそ人生の杖・柱である。大衆は折伏を待っている。歴史的な出陣式の次は、歴史的な大折伏を」
 第7隊幹事に浅井克衛、第7区長に浅井昌子 任命さる。
10月27日  山崎正友恐喝事件裁判、第30回公判に池田大作名誉会長、証人として出廷。20日にひき続き、山崎弁護側の反対尋問を受ける。
 池田大作名誉会長「日達上人に対し、創共協定は妙信講対策のために結んだもので、妙信講との裁判の見通しがつけば破棄すると説明した」と証言。
「山崎は事前に、『池田氏が証人として出廷する時期が、裁判の山場となるでしょう。秘中の秘ですが、アッという新証拠を出して、私の潔白を証明してみせます』(「月刊サーチ」昭和56年11月号 )… などと述べ、戦う前からその意気込みたるや大変なものであった。ところが、裁判所において直接対決した山崎正友の姿は哀れそのものであった。… 質問要旨は判然とせず、ついに裁判長から「… 君だって弁護士だったのだからわかっていると思って、さっきから黙って聞いていたが、まとまりが全然ない。もっと整理して話しなさい」と注意され、池田名誉会長への山崎の反対尋問は中止された」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 ) 
10月28日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長の山崎正友恐喝事件裁判への証人出廷を報道。
「名誉会長の証言、すべて終わる」との見出しで「弁護人から約6時間にわたって反対尋問が行なわれ、午後5時45分、池田名誉会長への尋問は一切終了した」と掲載した。
 2回で反対尋問が終わらなかったため、裁判終了後、山崎正友側弁護人から再度の出廷を要請されいたが、"一切終了" と報道。
11月1日  創価学会、「大白蓮華」11月号、俳優・鈴木ヒロミツの「理屈を超えて実感した勤行唱題の力」を掲載。
11月2日
 顕正会、男子部班長会、浅井昭衛会長「将来国中の邪宗と、それと結託する政治家が顕正会を怨嫉しよう。かかる強敵が出てこなければ、顕正会は本物ではない。『この戦いに命を捨てる決意』と云ったのは、このことを思うゆえである。強敵を招き降していく信心に立て」
11月4日
 顕正会、11月度支部班長会、浅井昭衛会長「池田大作は御遺命破壊のゆえに、裁判地獄で苦しんでいる。ただし、池田を批判している『月刊ペン』の隈部大蔵、内藤国夫等も謗法者である。顕正会は、これら謗法者とは妥協しない。ただ大聖人の方人を申し上げ、戒壇の大御本尊をお守り申し上げる。これが顕正会の大精神である」
11月4日  週刊新潮、「内閣調査室資料にあった池田スキャンダルの "新しい女"」を掲載。月刊ペン裁判差し戻し審の被告人尋問で、隈部大蔵が述べたことをそのまま記事にした。(「同誌」11月11日号 )
11月5日  創価学会、北風清松副会長、副会長職を辞任。( 月刊「現代」12月号 )
11月7日  宮本宅盗聴事件裁判、第14回公判口頭弁論、広野輝夫への被告側主尋問。広野輝夫、創価学会の組織関与を否定し「三人犯行説」を主張。
11月8日  創価学会、高知地方裁判所の「特財財務返還訴訟」で、高知の正信会檀徒に敗訴。創価学会、高松高等裁判所に控訴。
11月9日  サンデー毎日、野崎勲総合青年部長の「虚構の崩壊(第1回) 不覚に始まり醜態に終わった山崎の"対立劇"」を掲載。(「同誌」11月21日号 )
11月14日  創価学会、広報室、サンデー毎日編集部に "激励の投書" をするよう、呼びかけた内部文書が暴露される。
11月15日
 宗門、日目上人第六百五十遠忌大法会奉修。
 阿部日顕管長「池田法華講名誉総講頭をはじめとして、宗門の御本尊を信受する信徒の方々が、正法受持の実践により広く世界広布の実績を挙げつつ、真の平和のため、また文化の建設のために努力、貢献される姿は、まことに大聖人、日興上人、日目上人の大慈悲に、応え奉る道であると存ずるものであります」
11月15日
 顕正会、日目上人第六百五十遠忌御報恩勤行会厳修(本部会館)、浅井昭衛会長「捨身の国家諌暁実に四十二度
「本日は第三祖日目上人の第六百五十遠忌を迎え奉り、ここに御報恩のため、その御徳を偲び、御振舞いの一端をも申し述べたいと存ずるものであります。
 まことに昨年は御本仏日蓮大聖人の御入滅七百年、そして本年は2月に二祖日興上人の六百五十遠忌、またこの11月には日目上人の六百五十遠忌と、まさにいま広布の途上において、ただならぬ大きな節を迎えているものと感ぜざるを得ません。かかる時 顕正会は、昨年の御入滅七百年には国家諫暁の御奉公に立ち、本年は一国広布の出陣式をなし得ましたこと、まことに有り難いと思うものであります。
 さて、日目上人の御生涯にわたる御振舞いを拝見するに、ただ人ではありません。まさしく日興上人と同じく、御本仏日蓮大聖人の御化導を助けまいらせるべく出現された本化地涌の大菩薩と拝すべきであります。日目上人こそ、末法下種の三宝に直接仕えまいらせ、広宣流布・国立戒壇建立への死身弘法を、後代の私共に、身を以て教えて下さった御方であります。いまその御徳を端的に挙げさせて頂けば、行体堅固・問答第一・死身弘法の三つでありましょう」(「冨士」第230号 )
11月15日
 全国檀徒新聞「継命」、山崎正友恐喝事件裁判で「池田氏の二枚舌露見」掲載。
「池田大作創価学会名誉会長は、10月20日と27日の両日、山崎正友元同会顧問弁護士を被告とする『三億円恐喝・五億円同未遂事件』公判に証人として出廷して証言した。… 池田氏は、これらの法廷でも、池田語録を手に鋭く追求する被告弁護側の反対尋問に『記憶にない』『わからない』を連発、ときには居直る証言を行なった。しかし、否定するあまり自語相違をきたし、顔を紅潮させる場面も。とくに27日の公判では、弁護側から創共協定に関する『北条報告書』をつきつけられ、故日達上人をだましていたことが明らかになった」(「同」11月15日号 )
11月16日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第2回) "悪あがき"で自滅した隈部大蔵」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」11月28日号 )
11月23日  創価学会、「創価新報」創刊。聖教新聞、秋谷栄之助会長談話「『創価新報』創刊について」
「『創価』の名を冠し『創価新報』として本格的に青年部機関誌がスタートすることは、青年部の歴史に画期的な一ページを刻むことになろう。今の世の中に必要なものは、確たる理念に基づいた正しい主張であり、広布推進のうえからも、仏法を広く理解せしめ、誤れる邪悪な言論とは戦う毅然たる主張が要請されている。その意味から『創価新報』の役割は極めて大きいし、発展を心から願うものである」(「同」11月23日号 )
11月23日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第3回) 山崎の首しめた十二年前の麻雀」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」12月5日号 )
11月26日
 顕正会、11月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「明年を『前進の年』と名づけ、八万を達成したい。来年からは、地方の弘通に力を入れていきたい。地方の点を結んで線となし、線を結んで面とする、この面が日本を覆う時が広宣流布である」
(※ ここで、「地方の弘通に力を入れ」が打ち出され、翌年(昭和58年10月)「全国広布の気運満つ」として初めての地方会館である高知会館の建設が発表され、昭和59年8月 高知会館の落慶入仏で日布上人の常住本尊が安置された。続いて、昭和60年2月に藤沢事務所、8月に長野事務所、11月に松戸事務所が開設された。各地に地方会館が必要になって来たのはこの頃からであり、解散処分の当時、一万数千の妙信講員は首都圏に集中しており、念願の "本部会館" 獲得に大満足、"地方会館" の構想などなかったのである。櫻川 忠 )
11月27日  中曽根康弘内閣発足、中曽根康弘、第71代内閣総理大臣に任命さる。官房長官に田中派の後藤田正晴をすえ、ロッキード裁判に批判的な秦野章を法務大臣に起用、「田中曽根内閣」と呼ばれた。
11月29日~
 宗門、フィリピン・シンガポール・マレーシア・インドネシア出張授戒。(「大日蓮」第445号 )
11月29日  創価学会と木村靖、晩聲社との「池田大作言行録(社長会記録)」(松本勝弥著) 出版差し止め訴訟を、無条件で取り下げる。
11月30日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第4回) 実体なき"スキャンダル"の空騒ぎ」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」12月12日号 )
12月2日
 顕正会、男子部班長会、浅井昭衛会長「あと数年で武道館に男子部一万名を結集し、日本国を揺り動かす顕正会男子部の旗上げをせよ」
12月6~14日
 宗門、フランス・スペイン・西ドイツ・デンマーク・イギリス出張授戒。
12月7日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第5回) 世間を欺いた山崎の最高裁上申書」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」12月19日号 )
12月13日
 顕正会、教学部、「開目抄」講義終了。
12月14-16日
 宗門、阿部日顕管長、日目上人六百五十遠忌法会奉修。(「大日蓮」第443号 )
12月14日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第6回) 大ウソも二人でつけば怖くない?」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」12月26日号 )
12月15日
 宗門、遠忌出版事業実行委員会編「日興上人・日目上人正伝」刊行。
12月21日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第7回)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」58年1月2日号 )
12月23日
 顕正会、12月度総幹部会、板橋文化会館に会場を移し開催。浅井昭衛会長「教学は一生成仏と広宣流布のためである。顕正会員は真剣に開目抄を拝読せよ」
12月25日
 顕正会、浅井昭衛会長、「開目抄を拝し奉る」を執筆。(「冨士」第230号 )
12月28日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第8回) 「宗門問題」その「謀略」の「罪と罰」(上)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同誌」58年1月9日号 )
12月 日  創価学会、不当労働行為裁判。解決金的な相応の金を支払い、松本勝弥と和解。
 
  年表  
1月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、年頭の辞「前進」
「昨秋日本武道館において一国広布の出陣式を了え、いよいよ前進開始の時を迎えた。新たなる決意と歓喜、心より湧き上がるをおぼえる。日本の将来について世の識者は、あるいは悲観あるいは楽観、さまざまな見解を述べている。しかしこれらはことごとく皮相の見に過ぎない、未だ仏法を知らざるゆえである。… 仏法の鏡に照らして見れば、日本の破局が眼前たることは疑いない。具さには先の大総会で述べたごとくである。もし広宣流布が実現せねば、大闘諍により日本も世界も滅亡せざるを得ないのである。この破局の前夜濁乱の世に、仏の使いの軍勢はいま陣列を整え粛々と進軍せんとしている。この前進を御本仏は必ず御照覧下さる。そしてこの前進に、日本の運命がかかっている」(「冨士」第231号 )
 元旦勤行、本部会館で7回に分け奉修。4千名が参加。
1月1日  創価学会、聖教新聞社、青年部の機関紙として「創価新報」を創刊。
1月4日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第9回) 「宗門問題」その「謀略」の「罪と罰」(下)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」1月16・23日号 )
1月5日
 顕正会、1月度支部班長会、浅井昭衛会長「開目抄の『詮ずるところは天も捨て給え』の崇高な御心地と、『諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界に至るべし』の御教誡を、心肝に染めねば広宣流布はできない」
1月6日
 宗門、全国末寺住職・寺族初登山、阿部日顕管長「私はたいへん不徳な者でございまして、その不徳なるが故に昨年度、百数十名という人達をやむを得ず処分いたすことになりました。これは一にかかって私の不徳によるものである、と思っておるのでございます。しかしながら、仏法の色々な意味における筋目から考えたならば、やはりこれはやらざるを得なかったのであります」(「大日蓮」2月号 )
1月6日  創価学会、桐村泰次、教学部長を解任さる。(「聖教新聞」1月7日付 )
1月7日  山崎正友恐喝事件裁判、中西治男総務、公判に証人として出廷。
1月10/12日
 顕正会、初講義。板橋文化会館で2回に分け開催、参加者2千8百余名。浅井昭衛会長、「日蓮大聖人一代御化導の大綱」を講ず。
1月15日
 顕正会、成人式開催(本部会館)、参加者2百余名。浅井昭衛会長、「自利利他の大樹に育て」と。
1月16日
 顕正会、教学部。三級昇格試験を執行、824名が受験。
1月16日
 檀徒会、神奈川大会開催。原島嵩、「52年当時、原島・山崎と行動を共にしようとした内部告発者は、野崎至亮・桐村泰次・中西治雄であった」と語る。(「継命」2月1日付 )
1月18日~
 宗門、阿部日顕管長、メキシコ・ブラジル親修出発。2月2日帰国。(「大日蓮」第445号 )
1月18日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第10回)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」1月30日号 )
1月22日
 宗門、一乗寺(ブラジル・サンパウロ市)移転。(「大日蓮」第445号 )
1月23日
 顕正会、教学部。登用試験を全国20会場で執行、受験者1,231名。
1月24日
 正信会在勤教師会、宗務院時局法義研鑽委員会に、公開討論を申し入れる。(「継命」2月5日号 )
1月25日  創価学会、池田大作名誉会長、第8回「SGIの日」記念提言を発表。(1) 核凍結へ米ソ首脳会談の早期実現、(2)「核戦争防止センター」の設置、(3) 軍事費凍結の国際会議、等。
1月25日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第11回)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」2月6日号 )
1月26日
 顕正会、1月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「『折伏』の二字を聞いて、奮い立たぬ者は仏弟子ではない。もし破局のテンポに顕正会の前進がおくれたら、大聖人様にまことに申しわけない」
 理事に栗島富男任命さる。
1月27日  創価学会、港・千代田区幹部会(東京・麻布文化会館)。池田大作名誉会長「私も長く会長職にあったし、少々体も疲れてきたので、昭和五十四年四月に、北条さんに会長職をゆずった。北条さんも年配であり、早くゆずってさしあげたかった。そのころ、私は懇意にしていた著名な財界人と語ったことがある。私は、後継者が育ったし、体も強くないし、パトンタツチすることにしましたといった。すると氏は、大変おどろいた様子で残念がっておられた」(「聖教新聞」1月30日号 )
2月1日
 顕正会、2月度支部班長会、浅井昭衛会長「顕正会は広宣流布の生命体、清浄の組織みんなで守ろう」と、怨嫉を厳しく誡む。
2月1日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第12回)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」2月13日号 )
2月3日  山崎正友恐喝事件裁判、原田稔副会長、公判に証人として出廷。
2月7日
 顕正会、日興上人御正当御報恩勤行会、本部会館で奉修。浅井昭衛会長「『未だ広宣流布せざる間は身命を捨てて随力弘通を致す可き事』との日興上人の御遺誡を顕正会こそ実践し、御遺命達成に向って前進しよう」
 浅井昭衛会長、冨士巻頭言「不沈空母か仏国土か」、「前首相と好対照の中曽根首相は、かえって破局へのテンポを早める宰相となろう。恐らく首相が国土防衛に力を入れれば入れるほど、戦乱の大渦が日本に近づくことは疑いない。… ゆえに顕正会は一昨年の秋、当時の総理大臣以下全国会議員に対し『もし正法を立てずして、国運極まり諸天の守護なければ、いかなる重武装をするとも防衛は不可能である、… もし日蓮大聖人の御金言を軽侮せんか、たとえ内治外交に最善を尽くすとも、磁石が鉄を吸うごとく、国に種々の災難出来し、天変地天ののちついに他国に逼(せ)められ、人も国も亡ぶこと疑いなきところである』と諫暁したのである。 しかるに愚かにも、いま中曽根首相は正法を無視し『日本を不沈空母にせん』などといって、かえって災いを千里の外より招かんとしている。「不沈空母」では日本は守れない、今こそ我ら顕正会員は大聖人の御遺命のまま、この日本を仏国土としなくてはならぬ」(「冨士」第232号 )
2月8日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第13回) 裁かれる創価学会批判者たち デマに踊った内藤式精神構造の研究」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」2月20日号 )
2月9日  創価学会、聖教新聞社説「信心破る組織利用は厳重に注意」
「今日、隆々たる発展を遂げている創価学会の組織は世の驚異であり、それだけにこの学会組織を私利私欲のために利用しようとしたり、商業ベースに乗せて金儲けの手段にしようとする魔手もまた多い。… 問題は、販売組織を拡大するに際して、学会幹部である自分の立場を利用したり、同志の絆に甘えてうまく稼ごうとしたり、あるいはあたかも学会本部が認めているかのような言動を示して会員に販売したりする場合である」(「同」2月9日号 )
2月12日
 顕正会、教学部。「立正安国論」の講義開始(豊島公会堂)、教学部員 1,044名が参加。
2月13日  創価学会員 ヒロエ・クロウ(アメリカ在住)から、阿部日顕管長に "娘の結婚、近況などの報告" が書かれた手紙が届く。
「今回、御法主上人の御出廷にあたり、新たに発見された当時の手帳やパスポート、その他の証拠書類は、色々な形で、様々な所から、思いもよらずに発見されたものである。当時を偲これらの証拠類により、ヒロエ・クロウの欺瞞は明白となった。…
 さて、ヒロエ・クロウは『シアトル事件』の『口止め料』として、毎年贈り物が付け届けられたなどとしているが、今回、御法主上人は陳述書において明白にこれを否定された。上に掲載した手紙は、昭和58年2月、ヒロエ・クロウが御法主上人へ差し上げた報告の礼状である。
 ここにのべられている、「猊下様の御健勝を心よりお慶び申し上げ」「猊下様の御慈悲ある数々の御振る舞い」「過日猊下様より御下賜いただいておりました御念珠を、娘の出発の日に宝として持たせてやりたい」等の文面からは、前項の写真同様、ヒロエ・クロウの御法主上人への尊敬の念が読みとれるが、今回の御法主上人への誹謗中傷において、『口止め』に贈られたとする「長女の婚礼祝いの数珠」も、ヒロエ・クロウが入手していた御法主上人より下賜の念珠を大切に思い、愛嬢の婚礼の餞にしたものにすぎないことは、このクロウ自身の手紙によっても明白なのである」(「大白法」号外 平成10年1月1日付 )
2月15日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第14回)」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」2月27日号 )
2月16日
 顕正会、日蓮大聖人御聖誕報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長、「一大事因縁」について講演。
2月18日  創価学会インターナショナル(SGI)、国際連合・経済社会理事会にNGOとして承認さる。(「聖教新聞」2月21日付 )
 経済社会理事会は、国際連合憲章第10章の規定により、経済・社会・労働・文化・教育等で、必要な議決や勧告等を行う。
2月22日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第15回) 恐るべき"情報操作"のデッチ上げ」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」3月6日号 )
2月25日  月刊ペン事件裁判、論告求刑。検察側、隈部被告に「懲役10月・執行猶予1年」を求刑。
2月 日  山崎正友、手記で「池田大作は正本堂を『御遺命の戒壇達成』と意義づけることで、『大聖人は題目と本尊を建立された。その再誕である自分が戒壇を建立した』と宣伝しようとした」と証言。「(「継命」3月1日号 )
2月26日
 顕正会、2月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「少年非行の根本原因は、親も教師も国家も権威を失っているゆえである。今こそ御本仏の三徳を教えよ。… 3月は本年の関所である」
3月1日  サンデー毎日、「虚構の崩壊(第16回・最終回) "大虚構だった山崎らの学会告発" および "池田名誉会長に対する月刊ペン名誉毀損事件 隈部被告に論告求刑"」(野崎勲総合青年部長)を掲載。(「同」3月13日号 )
3月4日
 顕正会、3月度支部班長会、浅井昭衛会長「今日はすでに、順縁広布の時代に入っている」
3月7日
 顕正会、浅井昭衛会長、冨士巻頭言「四力成就」
「すなわち末代凡夫は自受用身即一念三千という生命の極理を識らない、よって我が色心に迷い苦悩に沈むのである。ここにおいて御本仏大慈悲を起こし、妙法五字の本尊に自受用身即一念三千の相貌を図顕し、末法の一切衆生に授与し給うと仰せられる。日寛上人この御文を承けて云く『我等この本尊を信受し南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即一念三千の本尊・蓮祖聖人なり … 』と。何と有り難いことであろうか。三毒強盛の我ら凡夫が、御本尊の仏力・法力により自然と大聖人の御内証と一体になり、仏身を成就させて頂けるのである。日夜朝暮に南無妙法蓮華経と唱えずにはいられないではないか」(「冨士」第233号 )
3月9日  山口組系後藤組 組長・後藤忠政、池田大作名誉会長と竹入義勝委員長に約束の履行を求める内容証明郵便を送付。
「四方八方に手を尽くしてもどうにもならなかった学会側は、以前の富士桜墓地霊園(公園)造成の時と同じ様に、今度は百条委員会調査打切り、池田大作先生の名誉市民剥奪を叫ぶ市民会議解散、山崎正友元弁護士の証人喚問阻止を、土橋(昌訓)公明党富士宮支部長、公明党元代議士・高橋繁、公明党稲田(圭佑)市議の三氏が、学会側の代理人として私の元に依頼してきたのです。
 私はこの問題解決のため全力を尽くし解決いたしました。… 私は常に物事に対処する時は、自分の生命を賭け、明日を考えずにその一事、一事、に全力をぶつけて力一杯生きています。ですからこの件にしても、若しこれが刑法223条に於ける処の強要罪になったとしても、信念を持ち行動して来ました。… この件に関して私と学会は一心同体のはずです。先にも書いた様に、富士桜自然墓地霊園造成問題に関係して、私の若い者が学会のために6年もの刑を受け今だに受刑中です。それを知り、あえて私に百条委調査打切り、市民会議解散、山崎正友の証人喚問阻止を依頼して来た事実は拭う事の出来ない事実であり、私の信念五分、学会側の依頼五分を言うのも判って頂けると思います。…
 しかるに学会側は、そんな私の心を踏みにじる問題を投げつけてきたのです。私は地位も名誉もないが仁義は守り、その上での意地があります。… 学会の指導者はおのれだけの権力志向を欲望に生き、口先きだけの勤行を唱えているにすぎない。私は池田大作氏の真の声が聞きたい」(「実録創価学会=七つの大罪」)
「これは、Y組傘下のもっとも戦闘的な組織だといわれる、富士宮市に本拠を置くG組の組長からのものである。Gは「事実」を明確にあげて、池田大作に対し直に成功報酬を要求したのだった。その問題がどのように決着したのかは定かではない。が、85年11月12日 東京都新宿区信濃町の創価学会本部に銃弾が撃ち込まれた」(「増補新版池田大作金脈の研究」野田峯雄 )
「後藤と学会の関係は80年代に入ってこじれはじめる。協力の報酬をめぐるトラブルが原因らしい。83年3月、後藤は名誉会長の池田と公明党委員長(当時)の竹入義勝あてに学会の対応を非難する内容証明付き郵便を送りつけた。85年11月には学会本部の文化会館に拳銃2発が撃ち込まれ、後藤組組員が警視庁に現行犯逮捕された」(「野中広務『権力二十年戦争』」魚住 昭 「現代」2004年2月号 )
3月15日  創価学会、兵庫県最高会議開催(兵庫池田講堂)。 池田大作名誉会長「三月一日の大講堂落慶の儀式には、東京都知事、静岡県知事等の来賓を迎え、全国の同志数千人が参加し、日淳上人の大導師を賜って、宗門史に残るであろう、晴れ晴れとした式典が行われた。戸田先生のお体は、非常に衰弱したご様子で、私が片腕を抱えながら、その日の式典の会場へ向かった。その大講堂の式場に向かうエレベーターの中で、先生は『これで自分の仕事は全部終わった。いつ死んでもよいと思っている。あとは大作、頼むぞ』と、ほほえみながらも厳格な口調でおっしやったことが、胸に突きささってはなれない。この時、戸田先生五十八歳、私は三十歳となっていた」(「聖教新聞」3月16日号 )
(※ "三代会長は皆で決めろ" が、戸田城聖会長の遺言である )
3月21日  創価学会、福島源次郎、創価学会の新聞・図書を輸送している(株)日本図書輸送の取締役を辞任。
3月23~26日
 宗門、エクアドル・コロンビア出張授戒。
3月23日  創価学会、副会長に安見福寿・利光安吉・不破年泰・野崎勲が就任。(「聖教新聞」3月24日付 )
3月25日
 顕正会、3月度総幹部会開催、折伏成果 2,703名。浅井昭衛会長「大折伏でみごと"関所"を突破した。十万達成後、再び日本武道館で大総会を開く」
 本部幹事に佐藤和彦任命さる。
3月30日  静岡地方裁判所、正信会提訴の「阿部日顕の管長・代表役員の地位不存在確認」および「職務執行停止」の仮処分申請を却下。
「このたび、静岡地方裁判所において、正信会を称する者達が、日顕上人猊下を相手として提起していた訴訟について判決が下され、争訟の本質が血脈相承という極めて高度な宗教的問題に関わる事柄であるという判断に基づき、裁判所の介入すべき問題ではないとしての、いわゆる門前払いの却下判決となっており、宗門としてはこれまでに当方が訴訟の中で主張して来た事が全面的に認められたものとして、極めて正当な判決と受けとめております」(「大日蓮」第447号 )
 正信会、東京高等裁判所に控訴。(「継命」4月15日号 )
3月31日
 宗門、第4回非教師指導会、阿部日顕管長「六巻抄の『当流行事抄』の最後に "本門下種三宝" の御指南があります。そこにおいては、人即法の大曼茶羅本尊が法宝であり、また法即人の本因妙の教主・日蓮大聖人が末法下種の仏宝であり、そしてこれを正しく血脈のうえに伝受あそばされて、末法万年弘通の基を開かれた二祖日興上人が僧宝であらせられるということにつき、教道のうえに本門下種三宝をきちっと立てられてあるのであります。ですから日興上人といえども、その唯我与我の御境界のなかにおいての御本尊の御内証という意味に約しては大聖人と一体であるけれども、その尊信のかたちとしての仏・法・僧の三宝といううえからするならば区別があるのであり、仏宝と僧宝とはおのずから違うのです。… 歴代法主は僧宝以下の立場であって、それを軽々しく仏様だ、仏様だというような表現は少し言い過ぎであると私は思っております」
3月31日  創価学会、聖教新聞「擯斥僧の理不尽な訴えを却下」
「金口嫡々唯授一人の血脈相承は日蓮正宗の命脈中の命脈である。それに疑義をさしはさむこと自体、大謗法であるのに、それを裁判に訴えるなど、信仰の筋道から根本的に逸脱しているといわざるをえない」(「同」3月31日号 )
4月8日
 顕正会、浅井昭衛会長、冨士巻頭言「順縁広布」
「ではこの順縁広布の時はいつ来るのであろうか。仏意計りがたく凡慮のおよぶところではないが、諸般の事象を以てこれを推するに、甚だ近きにありと感ぜざるを得ない。大観すれば、すでに今日は順縁広布の時代に入っているのであろう。ゆえに逆縁の者も未だ多しとはいえ、顕正会の折伏により月に二千・三千の人々が、全国で入信するを見るのである。やがて月に二万・三万乃至十万・二十万と、入信の大潮流が起こること断じて疑いない。そして残った頑迷の人々も、国家的体験の起こる時、一時に信ずるのである。これ時の然らしむるのみ、すべては御本仏大聖人の御威徳による」(「冨士」第234号 )
4月12日
 顕正会、女子部会開催 (豊島公会堂)、1千名が参加。浅井昭衛会長「日妙殿の求道心を鑑に、日本第一の女子部たれ」
4月 日
 全国檀徒新聞「継命」、山崎正友の証言を掲載。「私は当時、妙信講対策に従事して『破邪新聞』の編集などにたずさわっていた」。(「同紙」5月1日号 )
4月13日
 顕正会、男子部会開催 (豊島公会堂)、1,089名が参加。浅井昭衛会長「広宣流布こそ仏界の革命。一万人の男子青年が命を賭けて立ち上がるならば、広宣流布は必ず達成される」
4月27日~
 宗門、フランス・オーストリア・イタリア・スウェーデン・イギリス・ガーナ・ナイジェリア・スイス出張授戒。(「大日蓮」第449号 )
4月30日  創価学会、第一回「創価草創の集い」開催 (東京会館)。
 池田大作名誉会長「総本山が日蓮正宗の根本道場であり、御歴代の御法主上人が仏法の師であられることは当然である。それを根本とし、我々は戸田先生のもとに集い、青春の生きがいを炎のごとく燃やし戦ったのである。仏法のことも、信心のことも、社会のことも、さまざまな人生のことも、すべてを教わった。それがあったがゆえに、今日の我々があるといっても過言ではない」(「聖教新聞」5月1日号 )
5月1日
 顕正会、日曜勤行、浅井昭衛会長「眼前の証拠」
「法蓮抄に云く『過去未来を知らざらん凡夫は此の経は信じがたし、又修行しても何の詮かあるべき。是れを以て之を思うに、現在に眼前の証拠あらんずる人此の経を説かん時は、信ずる人もありやせん』と。… 『眼前の証拠』とは、日蓮大聖人が示し給うた絶大威力と兼知未萌、すなわち竜の口における御本仏の絶大威力と自他の二難の御予言の寸分も違わぬ現証である。かかる『眼前の証拠』を以て御本仏が三大秘法の功徳をお説き下さる時、始めて我ら凡夫にも広大の仏法が信じられるのである。そしてこの偉大なる御本尊を信ずる時、我が身にも必ず証拠が出る」(「冨士」第235号 )
5月9日  カトリック教会の最高位聖職者、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世、地動説を支持したガリレオ・ガリレイに対する宗教裁判の誤りを認め公式に謝罪、ガリレオの死から350年目。
5月15日
 顕正会、幹部大会開催(渋谷公会堂)、「破局の前の諌暁こそ仏弟子の責務」、全国代表3千名が参加。
 浅井昭衛会長「先般の武道館大総会で述べたごとく、あと二十五年で広宣流布ができなければ、核戦争により日本も世界も破滅することは、一点の疑いもなきところであります。ゆえに私はこの二十五年を逆算して、その時々、今なにを為すべきかを考え、一つ一つ着実に、そして勇気と決断を以て、広宣流布を推進しようと決意しております。…
 思うに、全国広布をなすためには、全国の都道府県ごとに人材の城を築かねばなりません。…
 いま、世界の火薬庫といわれる中東では、米国があと押しをしているイスラエルと、ソ連軍部隊が直接指揮をとっているシリヤとが、いつ戦争を始めてもおかしくないほど不穏な状態になっております、 いやそれよりも、日本を取り巻くソ連の軍事的重圧は、恐るべき速さで日一日と日本にのしかかりつつ あります。… その大闘諍はすでに起こらんとしている。しかるに、大聖人の弟子として立正安国の御聖意を為政者 に教え、一国に国立戒壇建立を迫る声は、今の宗門には絶えて聞こえない。学会も宗門も御遺命を曲げた罰により、内紛と自己保身に明け暮れているだけであります。もしこのまま日本が大戦乱の大渦に巻きこまれたら一体どうなるか、ただ永久の破滅あるのみであります。…
 折伏理論と全国組織と死身弘法の大情熱が全顕正会にみなぎる時、広布の大潮流は轟々たる音を立て一国に巻き起こる。… 私は広布のテンポを限りなく早めたいと思っている。もし顕正会の前進が破局のテンポに遅れたら、まことに大聖人様に申しわけない。その立場にありながら使命を果さぬは不知恩の弟子、懈怠の弟子である。… 破局の前に御本仏の立正安国の師子吼を、日本国上下の耳に入れしむる諫暁こそ、仏弟子として為すべき最大の責務である」(「冨士」第236号 )
 顕正会始まって以来の大人事発表、理事に小木義馬、本部幹事に小園江典子、男子部主任幹事に加藤昌昭、同幹事に小川善紀、女子部副部長に今野愛子、同幹事に西沢礼子任命さる。
(※ 浅井昭衛会長 (当時50歳)は、「あと二十五年で広宣流布ができなければ、核戦争により日本も世界も破滅」と、本気で思っていたのだろうか? 25年と期限を切るのは、自身の年齢も "諸般の事情" の一つだっただろう。"一点の疑いもなきところ" というのであるから、そうとうな自信があったことが伺える。もしそうなら25年後(平成19年)に、自らの "不明" を責任者として、会員に釈明し謝罪すべきであった。あるいは、本気ではなく "ハッタリ" で、会員を駆り立てるだけの "軽々な言明" だったのなら、知らんぷりで謝罪も反省も不要ということになろう。さて、どちらであっただろうか? 櫻川 忠 )
5月18日
 宗門、オーストリア・ニュージーランド出張授戒。
5月18日
 顕正会、男子部臨時班長会、浅井昭衛会長「男子部は人材の宝庫たれ、鉄の団結で一万結集実現を」
5月26日
 顕正会、5月度総幹部会開催、折伏成果 2,487名。浅井昭衛会長「御本尊に力あるゆえ広まる。功徳の感激が広布の原動力」
5月27日
 顕正会、本部会議、浅井昭衛会長「広布のテンポを限りなく早めるには、大情熱と共に智を尽くすことが大切である。もし信心ゆるく打つ手が甘ければ、広布は限りなく遅れる」
5月 日  東京地方検察庁、週刊文春の "ラブホテル" 記事裁判に関し、創価学会と文芸春秋社の両者に和解を勧告。
5月 日  創価学会インターナショナル(SGI)、国連経済社会理事会NGOとして認可さる。(「SGI」誌 )
6月2日
 第8回全国檀徒大会(正信会)、大阪厚生年金会館で開催。
6月2日  創価学会、「第三文明」6月号発行、「特集・反創価学会キャンペーンの"舞台裏"」を掲載。
6月3日
 宗門、宗会議員選挙実施。
6月3日
 顕正会、男子部班長会、浅井昭衛会長「我等の肩書はただ『日蓮大聖人の弟子』である」
6月3日  創価学会、文藝春秋社と、週刊文春 "ラブホテル" 記事裁判に関し、示談書を取交し和解成立。
「一、株式会社文藝春秋は、別紙「謹告」と題する文章を、昭和58年6月9日発売の「週刊文春」6月16日号に掲載する。
 一、創価学会は、昭和55年7月10日 警視総監宛川又良一ほかに対する告訴を、直ちに取下げる。
 一、創価学会は、株式会社文藝春秋ほかを被告として提起した、東京地方裁判所 昭和55年(7)第7355号 謝罪広告等請求事件の請求を放棄し、右事件を直ちに取下げる」
6月7・12日
 顕正会、学習会開催、「四条金吾殿御返事」を拝読。3,694名参加 (全国)。
6月7日  創価学会、週刊文春 "ラブホテル" 記事裁判で、「謹告」掲載を条件に、刑事告訴と5億円請求の民事訴訟を取下げた。
6月8日  創価学会、池田大作名誉会長、ルーマニア社会主義共和国のニコラエ・チャウシェスク大統領と会談。独裁者に「大統領は愛国主義者であり平和主義者であり、民族主義者であることがよく理解できました。… 今後とも世界の指導者としてのご活躍とご健勝を祈ります」と。(「聖教新聞」6月10日号 )
(※ 6年後の1989年12月、ルーマニア革命でチャウシェスクは失脚し政権は崩壊、逃亡先で妻エレナとともに死刑判決が下され直ちに公開処刑された )
 聖教新聞、「このほど文藝春秋側が非を認め、週刊文春 6月16日号に謝罪文『昭和55年7月号の「創価学会最高幹部七人の内部告発・第五回」と題する特集記事及びその広告文に一部不適切な表現がありましたことにつき遺憾の意を表します』と掲載して全面的に謝罪することになり、学会としても告訴を取り下げることになった。… なお、これにともない、民事訴訟も取り下げることになった」
6月8日  静岡県警と富士宮署、「後藤組壊滅対策本部」を設置。
 対策本部設置により、後藤組の組員60名近くが連行されることとなった。後藤忠政組長は、創価学会・公明党が仕組んだものと思案。
6月10日
 継命新聞社、「社長会全記録 人間・池田大作の野望」を出版。
 創価学会、同書の刊行に干渉せず。
6月10日  東京地方裁判所、月刊ペン事件差し戻し審(一審)の判決公判、名誉会長出廷阻止のための創価学会の裏工作を認定し、被告・隈部大蔵に罰金20万円の判決。
「脱退会員その他かつて組織内部にいた者等の間にかねて特定の学会幹部を中心とする男女問題を指摘した批判があり、それが被告人のもとまで漏れ出てきていたという事情や、また池田、渡部ら自身の言動、更には池田の身辺の秘書的事務の処理方法にも男女関係の疑惑を持つ者には、それらしい裏付事実と受けとられかねないものがあったという事情等の、いわば組織の亀裂と学会側の不用意さが存していた。…
 本件では旧第1審当時、学会側と被告人側との間の話し合いにより、被告人が詫び状を差し出し、学会側が告訴を取り下げることのほか、被告人側において池田に対する証人申請をしないよう求め、そのこととの関連で被害者である学会側から加害者である被告人側に2,3000万円という高額の金員が支払われるという、具体的な訴訟手続をめぐる異例・不可解な出来事が介在している。右金員は、被告人に渡らず、その行方は証拠上不明であるが、何と言っても被告人の刑事責任を問う訴訟の中で、しかも名誉毀損のごとく、被害者側の処罰感情が重要な量刑要素となる犯罪において、被害当事者の証人出廷回避にまつわるこのような不明朗な言動が被害者側においてなされたことは、刑の量定上考慮せざるを得ない」
 隈部大蔵は、東京高裁に控訴。
6月15日~
 宗門、インドネシア・香港・マカオ出張授戒。
6月16日  週間文春、聖教新聞(6/8)の和解に関する記事に、反論を掲載。
「謝罪を申し出たこともないし、全面的に謝罪などしていない」と示談経過を説明、「5億円という法外な賠償金をふっかけた大きな訴訟である。たかが『謹告』ごときでとり下げていいものだろうか」、創価学会のやり方は「試合終了のゴングが鳴ったあとで殴りかかるようなもの」(「同」6月23日号 )
6月19日
 顕正会、松本日仁師第七回忌法要、顕正寺で執行。「一国広布こそ最大の報恩
 浅井昭衛会長「本日は松本日仁尊能師の第七回忌法要を迎え、感無量であります。…
 これより二年六ヶ月にわたり法廷闘争が繰りひろげられ、五十二年四月、歴史的な大勝利を以て終結いたしました。この大勝利を見とどけて二ヶ月のち、松本日仁尊能師には霊山へ長逝されたのであります。…
 正系門家が御遺命を曲げたゆえ、いま日本は刻々と破局に近づきつつあります。しかし御遺命を偽り、放棄した学会ならびに宗門は、国立戒壇の「こ」の字も云えなくなってしまいました。ここに妙信講は仏勅を蒙り、昨年十月、名も「顕正会」と改め、「あと二十五年」を期して、一国広布に立ち上ったのであります。… いま加速度をつけて全国広布に驀進している顕正会の姿を、尊能師が御覧になったならば、どれほどお喜び下さるでありましょうか。…
 松本日仁尊能師が長逝せられてよりすでに満六年、これを四回繰り返せば「あと二十五年」という歳月は過ぎ去ります。思うに、顕正会が大事の御奉公を為しとげることこそ、過去二十年間にわたり守って下さった松本尊能師への最大の御報恩であります」(「冨士」第237号 )
(※ 前年から "あと二十五年" を連呼し続けた浅井昭衛会長、その時節が到来したのは平成19年(2007年)で 75歳になっていた。名目上の会員数は 120万人となり、「五十周年記念幹部大会」を実施したが、"日本の破局" もなく "広宣流布" もほど遠い。根拠のない "あと二十五年" のアジテーションを真に受け、一途に人生を賭けた当時の会員達は "燃え尽き"、使い捨てられて25年後にはほぼ姿を消した。櫻川 忠 )
6月23日  静岡地方裁判所、山口法興師の地位保全仮処分申請を却下。
 山口法興師、東京高等裁判所に同仮処分申請を控訴。(「継命」7月15日号 )
6月26日  第13回参議院議員通常選挙、この選挙から比例代表制(拘束名簿式比例代表制)が導入された。
 公明党は、選挙区 6 比例区 8 の 14議席を獲得。
6月27日
 宗門、富士学林研究科開講式。阿部日顕管長、「最近、本山参詣の若い僧侶が私に挨拶しない」と嘆く。(「大日蓮」8月号 )
6月27日
 顕正会、6月度総幹部会開催。浅井昭衛会長、「立正安国論を以て今の異常気象を見よ」と。
6月29日  創価学会、オランダ王国で法人認可。
7月8・10日
 顕正会、学習会開催。「顕立正意抄」を拝読、3,611名参加 (全国)。
7月22日
 宗門、阿部日顕管長。正信会僧侶の岡本領道師を擯斥処分に付す。(「大日蓮」9月号 )
7月26日
 顕正会、7月度総幹部会開催。折伏成果、2,596名。
7月28日
 顕正会、大阪事務所、大阪府高槻市に開設さる。
8月1日
 顕正会、冨士巻頭言「日曜勤行」
 浅井昭衛会長「内得信仰における朝晩の勤行は、我が家において大石寺にまします戒壇の大御本尊を遙拝し奉り行うが、この折御本尊の御姿をしっかりと胸に思い浮べるためにも、一週一度の日曜勤行には、ぜひ参加したいものである。… まさしく御在世は今に在り、今は即御在世である。全顕正会員は共々に励まし、本部会館の御本尊を "直ちに本門戒壇の大御本尊を拝する事よ" と心得、声をつるべて南無妙法蓮華経と唱え、熱原の法華講衆の信心を今に移し国立戒壇の実現に驀進しようではないか」(「冨士」第238号 )
(※ 今や、「遥拝勤行こそ、末法三毒強盛の凡夫を、直接、戒壇の大御本尊に繋ぎまいらせる秘術であり、広布最終段階の信行の姿」、ということになっている。櫻川 忠 )
8月8日  創価学会、池田大作名誉会長、「国連平和賞」(United Nations Peace Medal)を受賞。(「聖教新聞」8月9日付 )
 日本人受賞者、岸信介(1979年)、山口シヅエ(1980年)、福田赳夫(1981年)、寺内タケシ(1981年)、笹川良一(1982年)、村上薫(1982年)、小坂善太郎(1982年)、池田大作(1983年)、並橋友也(1983年)、佐藤隆(1985年)、桑原武夫(1986年)、立正佼成会青年部(1988年)、鈴木俊一(1989年)、二階堂進(1991年)、オルケスタ・デ・ラ・ルス(1993年)、カルロス菅野(1993年)、高田賢三(1998年)。
8月10日
 顕正会、支部・男子・女子合同班長会、豊島公会堂で開催。浅井昭衛会長、池田大作の国連平和賞受賞を「世間にへつらう売名行為」と批判。
8月12~20日
 顕正会、特別講習会を支部単位で開催、「なぜ信心せねばならぬか」(56年講義)をビデオ放映。
8月15日
 顕正会、婦人部班担当会開催、浅井昭衛会長「放埒な妊娠中絶は殺人と同じ
「昨日も婦人だけの反戦演説会が都心で行われていましたが、大きな錯覚があり勘違いがあります。その一つは、「二度と侵略戦争を繰り返すな」と黄色い声を張り上げているが、いまの日本において憂うべきことは、日本が侵略戦争を起こす危険ではなくて、いつ他国の侵略を受けて破滅するかということなのです。…
 もう一つの錯覚は、… 妊娠中絶であります。… もし二百万人としても、戦後三十八年間で実に七千六百万人が堕胎で殺されたことになる。戦争犠牲者の約二十五倍。まことに恐るべき数字であります。戦争の悲惨は声高に叫ぶが、七千六百万人を自分達が殺していることには黙っている。こんな平仄の合わぬ話がありましょうか。これも仏法を知らぬため、胎内の生命を軽く見ているゆえであります」(「冨士」第239号 )
8月16日  創価学会、第4回SGI総会開催(札幌文化会館)。池田大作名誉会長「日蓮正宗の仏法は、すべての次元の根本である。この仏法を純粋に信じ、確実に研鑽し、後世に伝えていかねばならない。それがわれわれの本来の責務である」
8月 日
 全国檀徒新聞「継命」、山崎正友元顧問弁護士の証言を掲載。「52年の宗門問題の際、学会としては、宗門に反撃する用意は十分していたが、共だおれになるおそれがあった。そのとき喜ぶのは、妙信講だけだ」との池田発言を暴露。(「同紙」9月1日号 )
8月26日
 顕正会、8月度総幹部会開催、「今ぞ広宣流布達成の時 客観状勢と条件整う
 浅井昭衛会長「仏法上、今がいかなる時かといえば、まさしく宗門七百年の悲願である広宣流布が達成される時であります。その理由は二つあります。すなわち今の日本には、広宣流布をしなければ亡んでしまうという客観状勢と、必ずできるという条件が整っているゆえであります。…
 広宣流布をしなければならぬ客観状勢とは、世界の最終戦争たる「前代未聞の大闘諍」が刻々と近づきつつあることであります。ゆえに私は先般の武道館大総会で「あと二十五年で広宣流布ができなければ、核戦争によって日本も世界も滅亡する」と云ったのであります。いま世界を覆う異常気象は、この大闘諍の前ぶれであります。…
 次に広宣流布が必ずできる条件とは、まず第一に今日はまことに交通・通信・情報の機能が発達していることです。… 今は新幹線はある、自動車はある、飛行機はある。また電話でどんな遠方とでも連絡をとり指導をすることができる。… さらに最も大きな条件がある。それは今日の社会においては、国家権力による弾圧がなくなったということです。およそ宗門七百年の歴史は、法難と迫害の歴史でありました。… 宗門七百年の歴史の中で、弾圧のない時代は今日だけであります。かかる時代の到来も、深く考えれば御本仏大聖人の御仏意であります。この時に広宣流布せずして、いつの日に広宣流布する日がありましょうか。
 このように今日は、広宣流布をせねばならぬ客観状勢と、必ず出来る条件が整っております。ゆえに七百年来の悲願達成の時というのであります」(「冨士」第240号 )
(※ 浅井昭衛会長、"広宣流布が必ずできる条件が整っている" と妄想を紡ぐが、妄想は妄想でしかない。櫻川 忠 )
8月29日
 宗門、全国教師講習会。阿部日顕管長、正信会僧侶と交遊する宗門僧侶に「皆さん方ははっきりと、あの者どものような法賊は絶対に許さないという気持をもってください。いい加減な気持ちで、"昔は友達だったのだから"という気持ちで、電話がかかってくれば『どうだ、元気か』などと、そのような対話なんかをしてはいけません。もしも電話でもかかってこようものなら『汝は大聖人の仏法を盗み、大聖人の仏法を土泥に踏みにじるところの大賊であるぞ』と云い切りなさい。そして皆さん方は信心において彼等と決別しなさい」と発言。
 さらに「宗門も戒壇問題が起こり、ある時期には種々の考え方が出ました。たしかにそのなかには、ある意味での行き過ぎがあったと私は思っております。総じて法門において、法門を間違えたならば大変なことでありますから、そういうことに関して今後、もし問題があれば、私の職を賭してでも、やるべきことはやるつもりです。それだけにまた我々は、本当に法門を正しく命懸けで守っていかなければなりませんし、弘めていかなければなりません」と。(「大日蓮」10月号 )
「ここに『ある意味での行き過ぎがあったと私は思ってます』と御自身の教学部長当時の説を含めて、宗内僧侶中に、行き過ぎた説があったことを反省あそばされている」(「正本堂に関する御指南の真意」)
(※ 阿部日顕管長による "戒壇問題の行き過ぎ" への言及が、登座後4年を経てなされるようになった。表面的には、宗門に随順している池田大作名誉会長としては、心穏やかではないだろう。櫻川 忠 )
8月29日  創価学会、第1回副会長懇談会(聖教新聞社)。 池田大作名誉会長「ここ数年来の宗門をかく乱し学会を混乱させようとたくらんだ陰謀はすべて私どもの正義が証明され勝利に終わった。これは大御本尊の御威光はもとより御法主日顕上人猊下の御慈悲のたまものである。そして皆さま方もよく頑張ってくださった。これからは、今回の画策を見抜いたと同じように、決して油断することなく、再び僧俗和合の完ぺきを期していかねばならない。… 御法主日顕上人猊下は、未来永遠のために、若き法材(竜象)、若きお弟子達の訓育に御心をくだいておられる。私どもも将来の大宗門を担いゆかれる、この御法主上人猊下の若きお弟子の方々のご成長を心から祈るとともに、盤石なる御宗門の未来のために、お護りし、見守っていかなければならないのである。そのためにも、多くの寺院を建立申し上げ、もって盤石なる『僧俗和合』と『令法久住』と『広宣流布』ヘの法城を整えさせていただく必要があるわけである。… 確かに現実はなにをするにも、財政的な問題があるが、それは、御本尊より大功徳を受け、私どもが更に更に働いていけば、一切が解決していくと私は、確信したいのである。また、これが信者の外護の精神であり、これまた学会精神であると申し上げたい」(「聖教新聞」8月30日号 )
9月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、「宗教批判の原理」を執筆。「冨士」9月号より連載。
9月1日  幸洋出版、「新雑誌X」10月号(創刊号)発行。編集人・坂口義弘、発行人・丸山実。幸洋出版は、「花形記者は転んだ」「「月刊ペン」事件の内幕」「仮面を剥ぐ」など、"創価学会批判書" の批判書を出版して来た。
9月3日
 顕正会、男子部班長会、浅井昭衛会長「大闘諍が早いか、日本の広宣流布が早いか。この一事に、日本の運命・人類の運命がかかっている。広宣流布は、御本仏の大誓願であれば必ずできる。顕正会はこの御奉公のために出て来た、地涌の流類の集団である」
9月8日
 顕正会、学習会開催。「乙御前御消息」を拝読、4,007名参加 (全国)。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長、「大聖人は自受用身即一念三千の下種の本尊を、日本乃至一閻浮提の一切衆生に信ぜしめるため、発迹顕本遊ばしたのである。竜の口における御本仏の絶大威力を拝見し、末法の凡夫は始めて御本尊の御力を信ずることができる。このゆえに大聖人は尊き御身をもって、竜の口の砂浜にお坐り遊ばしたのである」と。
9月26日
 顕正会、9月度総幹部会開催、折伏成果 3,102名。浅井昭衛会長、種熟成の三益に約し「一生成仏」について講演。
 男子部 第7隊長に浅井克衛、同隊幹事に小峰勝彦 任命さる。
9月29日~
 宗門、インド・スリランカ・ビルマ出張授戒。(「大日蓮」第454号 )
9月30日~
 宗門、韓国出張授戒。
9月30日
 正信会、阿部日顕管長に公開討論を申し入れる。(「継命」10月15日号 )
10月1日
 顕正会、支部班長会、浅井昭衛会長「壮年は支部の柱、婦人は母体」
(※ 浅井昭衛会長は、独裁体制を築くため "顕正会" と改名し、まずは "講中の気風" を解消した。続いて、妙信講以来の "支部" 組織を解体し、4者(壮年・婦人・男子・女子)体制に変更。やがて「柱」である "壮年部"も、廃止してしまった。すべては、会長への権力集中の体制を、構築するためである。櫻川 忠 )
10月1日
 宗門、法華講大講頭を任命。秋谷栄之助・森田一哉・和泉覚・辻武寿・阿部唯七郎・小泉隆が就任。(「大日蓮」11月号 )
10月3日
 顕正会、男子部班長会。浅井昭衛会長、「共産主義は修羅界の思想」と、国際共産主義の実態について指摘。
10月4日
 顕正会、女子部班長会。浅井昭衛会長、「折伏こそ大聖人への最高の御供養」と。
10月9日
 顕正会、第6回高知支部大会開催 (県民文化ホール)、801名が参加。浅井昭衛会長「来年の支部大会までに、高知会館を建設する」と発表。
10月13日
 顕正会、御大会式厳修(本部会館)、浅井昭衛会長「内証の寿量品」について講説。
10月13/15日
 顕正会、学習会開催。「秋元御書」を拝読、3,875名参加。(全国)
10月16日
 顕正会、第4回大阪支部大会開催(守口門真商工会議所)、351名が参加。浅井昭衛会長「三年後の支部大会に、千名結集を成し遂げよ」
10月26日
 顕正会、10月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「大闘諍の御予言だけが適中して、広宣流布の御予言が符合せぬことがあり得ようか。将来、大闘諍の大渦がまさに日本を襲わんとする時、日本の広宣流布は必ず達成される」
10月27日  創価学会、スペイン王国で法人認可。
10月31日  山崎正友恐喝裁判、第47回公判。池田大作名誉会長、3度目の出廷。『恩師の二十三回忌に思う』は、「私の書いた文章ではない」、「本意ではなかった」と証言。
11月1日
 顕正会、支部班長会。浅井昭衛会長、宗門・創価学会の現状について指摘。
11月1日  新雑誌X 12月号発刊、潮出版社の広告「竹中労著『聞書・庶民列伝牧口常三郎とその時代』」を載せる。また、創価学会擁護の岡庭昇、太田竜 (一時・日蓮正宗入信) のインタビュー記事を掲載。
11月3日  創価学会、創価大学(八王子) に隣接する「東京富士美術館」を開館。
(※ 池田大作名誉会長が海外で買い集めた美術品、美術評論家には「正直いって、あそこは骨董屋に近く、作品の約7割は贋物」と酷評の声あり )
11月4日
 顕正会、男子部班長会。浅井昭衛会長、「日本国の仏法上の使命」について指摘。
11月6日
 顕正会、福井大会開催(鯖江文化会館)、参加者 145名。
11月7~8日
 顕正会、学習会開催。「佐渡御書」を拝読、4,156参が加。(全国)
11月11日
 宗門、妙寿寺落慶式、阿部日顕管長「明治以降、宗門の布教は信徒によって行われている」旨を発言。(「大日蓮」59年1月号 )
11月13日
 顕正会、宇都宮支部大会開催(栃木県教育会館)、参加者 206名。
11月14日
 顕正会、教学部、「立正安国論」の講義終了。
11月14日  創価学会、聖教新聞「ノリエガ将軍、パナマ第一の景勝の地を「池田展望山」と命名」
「パナマ運河の入り口に浮ぶ太平洋上のフラメンコ島。美しいパナマ運河を望むここからの展望は、パナマ第一の景勝といわれており、この島が、このほど『池田展望山(ミラドール・イケダ)』と呼ばれることになった。これは、パナマのマヌエル・A・ノリエガ将軍により命名されたもので、同地は、昭和五十六年二月、池田SGI会長がパナマを訪れた際、同将軍と会見した場所であり、SGI会長との友情に満ちた平和会談の思い出をとどめるものとなったわけである」(「同」11月14日号 )
11月16日
 宗門、宗務院前渉外部長・吉田義誠師、妙連寺本堂において自民党衆院立候補者・杉山憲夫の応援演説を行う。(「継命」12月15日号 )
11月18日  創価学会、聖教新聞社説「創立53周年の佳節に誓う」、「今日の広布の伸展の姿は、御本尊の御加護であり、血脈付法の御歴代上人の御高徳の賜であり、正法興隆への大慈大悲に報恩感謝することを忘れてはなるまい」(「同」11月18日号 )
 聖教座談会「たゆみなき広布の歩みを語る」
「和泉覚―池田先生は厳然として総本山を厳護し抜かれてきました。創立50周年の時、御法主日顕上人猊下から『不思議なる会や生まれて五十年 妙法さかう不二のふもとに』という御歌を賜りましたが、確かにしみしみと実感されます …
 辻武寿―学会がこの一年間、広布の前進に大回転することができるとともに、御宗門は御法主日顕上人猊下のもと、かつてない隆昌の足跡を刻まれています …
 秋谷栄之助―池田先生の発願による全国各地の多数の新寺院建立について、現在、着々と準備を進めております。登山会も、毎年発展し、充実してきております …
 山崎尚見―傍聴した人がいっていましたが、名誉会長は、終始、悠然とした姿で、一つ一つの尋問にも明快な論旨で的確に答えていた、と。被告人側は、山崎の犯罪隠しのために、全く根拠のない虚構を作り上げてきたのですが、名誉会長は、その虚構の構図を鋭く客観的な事実を通し、彼らの"作り話"をことごとく突き崩していった。先生の気追に圧倒されて、被告人側の弁護士が尋問するのに苦慮していたようです …
 森田一哉―正信会にしてもそうです。日顕上人猊下に敵対して、何が"正信"ですか。"狂信"ですよ。一連の裁判でも、宗門側が全面的に勝訴し、法律上においても正邪がはっきりしてきているのです」(「聖教新聞」11月18日号 )
(※ 古参の妙信講員なら、"先生の気追に圧倒されて、被告人側の弁護士が尋問するのに苦慮" というフレーズに、聴き覚えがあるだろう。櫻川 忠 )
11月18日  山崎正友恐喝裁判(東京地裁)、正信会の浜中和道師(伝法寺)が証言。
11月20日
 顕正会、群馬支区大会開催(富岡市中央公民館)、参加者 219名。
11月22日  特別財務返還訴訟(高松高等裁判所)、創価学会は 702万余円全額の返済と、解決金 100万円を支払うことで、檀徒側と和解。
11月25日
 顕正会、11月度総幹部会開催、折伏成果 3,477名。浅井昭衛会長「再来年の武道館大総会までに、為すべき事が二つある。一つには十万達成、もう一つは全国広布の基盤を築くことである。明年はこの大総会を見つめ、為すべきことを強力に推進する年」
 本部幹事に加藤礼子、第8隊長に横田高明 任命さる。
11月25日  創価学会、池田大作名誉会長。中国共産党・胡耀邦総書記と会見。(「聖教新聞」11月26日付 )
12月7日  創価学会、記念勤行会(福岡・九州平和会館)。池田大作名誉会長「日蓮正宗では、七百年間、御開山日興上人から御当代の御法主上人に至るまで、また未来にわたって、全人類のため、世界平和のために、法灯連綿と丑寅勤行をなされてきた。まことに荘厳であり素晴らしい総本山であられる。このような教団は他にないと信ずる。教義の上からも、また、この事相の上からも、いかに日蓮正宗の仏法が偉大であり、日蓮正宗の御本尊が正しいかということが、明瞭であると申し上げたい」(「聖教新聞」12月9日号 ) 
12月8日
 顕正会、婦人部会開催(豊島公会堂)、886名が参加。浅井昭衛会長「婦人部は御在世の千日尼の信心を鑑とせよ」
12月10日
 宗務院通達、大韓日蓮正宗法華講仏教徒会(正信会系)の組織を解消。
「日蓮正宗宗務院からこのほど、大韓日蓮正宗法華講仏教徒会の組織を解消する旨の通達が出された。この院達の趣旨は、同会が昭和54年4月、韓国における一講中として結成されたものであり、当初は法華講としての活動も行っていた。しかしその後、日本のいわゆる『正信会』の輩にひきいられる別組織の方に移っていき、仏教徒会としての活動は一切なくなり、その組織および設立の目的も完全に失われていた。そこで宗務院としては、その実質に照らし、無用の混乱を防ぐため、同会の組織を解消し、あわせて、今後その名称の使用を禁止する措置を講じた ― というものである」(「聖教新聞」12月16日付 )
12月12日
 顕正会、女子部会開催 (豊島公会堂)、1,002名が参加。浅井昭衛会長「今日ほど、人材の揃った女子部は曽てない。女子部は全国広布の先陣を切れ」
12月13日
 顕正会、男子部会開催 (豊島公会堂)、1,100名が参加。浅井昭衛会長「頻発する国際テロは世界動乱の兆
(※ 何でもかんでも、浅井昭衛会長の眼には "世界動乱の兆" と見えてしまう、"確証バイアス" の典型であろう。そうした根拠のない "妄想・我見" を、"仏法の鏡に照らせば" とか "仏法史観" などと権威付け、会員を煽り続けている。櫻川 忠 )
12月16日  日本共産党・赤旗、元創価学会員の「替え玉投票・住民票移動」暴露手記を掲載。
「替え玉投票の最初の体験は昭和38年の神戸市議選、兵庫県議会選挙の時です。… 組織のなかで信心が弱く、投票日に帰ってこない人の投票入場券を集め、公明党候補当選のために、みんなで替え玉投票をしました。…
 候補の選挙区である兵庫県湊町 … 有本宅に住民票だけをこっそり移しました。有本さんも学会幹部(副B担)でしたので、バレる心配はありませんでした。
 私は上部から、替え玉投票や住民移動をやったものは絶対に他言してはいけない、自分の胸にだけしまっておくこと、もし他人に口外すれば、ご本尊様もお見通し、冥の照覧といって必ず仏罰があることを指導されました。もし、選挙違反で捕まっても二十四時間無言でおれば、ご本尊様のお加護で必ず助かる、上部が警察に働きかけてくれると教えられました。
 創価学会というところは公明党がある限り、政教分離は絶対にできないところです。公明党は見かけだけで、すべて創価学会による選挙です」
12月17日
 顕正会、本部会館内装工事完了。
12月18日  第37回衆議院議員総選挙、一審において田中角栄元首相の関与が認定され、「ロッキード選挙」と呼ばれ与党・自民党が大きく退潮した。公明党は 59名当選。
 週刊誌に、創価学会員の大量の「住民移動」が暴かれる。(「週刊新潮」12月12・22日合併号 )
12月20日
 宗門、実修寺新築落慶法要(東京)。
 阿部日顕管長「昭和四十三年と申しますと、既に皆様も御承知のように、その一年前の四十二年に正本堂の建立発願式が行われ、そして四十三年の十月には着工大法要が総本山において、日達上人猊下のもと、池田総講頭の発願の次第によりまして行われたのでございます。その年頃はまた、創価学会より多くの寺院を建立・寄進をしていただいた時期でございます …
 実は残念なことにその三分の一強の寺院が今日は、宗門のその後の色々な問題におきまして宗門の寺院としての機能を発揮できないままに、宗門に背いて既に日蓮正宗の僧侶ではない者どもの蟠踞するところとなり、そのままの次第になっておるのでございます。これはひとえに、宗門の本義であるところの血脈の法を疑うところの信不具足を根本とし、また令法久住、広宣流布という日蓮大聖人、日興上人以来の御指南を忘れて、つまらない理由をつけて枝葉のところに執われておるというような形があるのでございます」(「大日蓮」第456号 )
12月23日
 顕正会、12月度総幹部会開催。本部参与に木内純一郎任命さる。
 月 日  山崎正友元顧問弁護士、正信会活動から離脱。「血脈否定してからの正信会は、どんどんおかしくなっていきました。… 他の正信会僧侶たちも、もう一国一城の主になった気分で、信者を上から締めつけて支配し、それでいて、自分達はゴルフ・カラオケ・いう体たらくになっていったのです。… これでは誰もついて行かない。だから、最初は賛同者も含めれば80万人近い勢力になりつつあったのに、次第に30万になり10万になって、最近では2・3万しかいないのではないですか。そこで私は、佐々木秀明らに「こんなことをしていて、いいと思っているのか」といって糾弾したのです。 その時は、渡邊広済たちが頭を下げて、「何とか収めてほしい」というので、一旦は収まりましたが、これによって昭和58年以降、私は正信会と完全に一線を画しました。もともと私は、正信会の中で禄を食んだりしておりませんし、原島さんみたいに辛抱強くないから、とても正信会の人達と一緒にはやっていけない、と思ったのです」( 山崎正友「慧妙」2003年10月1日号 )
 
  年表  
1月1日
 顕正会、元旦勤行。本部会館で8回に分けて厳修、4千余名が参加。
 浅井昭衛会長、年頭の辞「大闘諍と広宣流布
「これらの聖文を拝すれば、大蒙古の侵略によって日本が風前の灯のごとくなった時、本門戒壇の大御本尊は日本国に立ち、また将来第三次世界大戦の大渦まさに日本を襲わんとする時、この大御本尊が国立戒壇にお出ましになること、一点の疑いもない。
 すでに第三次世界大戦の序戦は始っている。昨年より世界各地に頻発する「国際テロ」がそれである。このテロは個人的・偶発的なものではない。組織的かつ国際的であり、その背後には国際共産主義運動が存在している。ゆえに年々歳々この「国際テロ」は激しさを増し、やがて第三次世界大戦に至るのである。大闘諍が刻一刻と迫るならば、広宣流布もまた駸々と進まぬはずはない。いま正系門家において広布を推進する者は誰か。御遺命を曲げてこれを為し得る道理はない。されば、大聖人への忠誠心のゆえに国立戒壇の正義を死守し貫いた顕正会以外には、これを為す者は断じてない。顕正会こそ仏勅に応え奉り、大衆救済に敢然と立つ唯一の団体である。
 一国広布へ出陣して第二年、いまや全国各地に澎湃として広布の人材が出て来たのも、まさしく「時」のゆえである。いよいよ明年の武道館大総会をめざし、十万達成と全国広布の基盤確立へ、体をぶつけて猛進しようではないか」(「冨士」第243号 )
1月2日
 宗門、阿部日顕管長、池田大作を法華講総講頭に再任。(「聖教新聞」1月4日付 )
1月4日
 宗門、法華講連合会初登山、阿部日顕管長「今まで法華講の組織のなかにおいて総講頭という重要な役職が欠けておりましたので、本年のこの新しい発足の時に当たりまして、創価学会の池田名誉会長を本年の1月2日に、法華講総講頭として任命いたしました。この総講頭という職は、さきほども申しましたように法華講連合会あるいは創価学会、そのすべてを一丸とした日蓮正宗の法華講信徒という立場の、すべての束ねといたしましての重要な役目でありますが、そこに改めて法華講総講頭の役職を任命いたしまして、これからの宗門の様々な前進の事態に備えることにいたした次第でございます」
1月6日
 宗門、阿部日顕管長。全国末寺住職・寺族初登山で、池田大作名誉会長の総講頭任命につき釈明。(「大日蓮」2月号 )
1月8~10日
 顕正会、初講義、板橋文化会館で2回に分けて開催。参加者 3,431名。浅井昭衛会長「日蓮大聖人一代御化導の大綱」を講義。
1月15日
 顕正会、成人式、本部会館で行う。参加者2百余名。
1月16日
 顕正会、教学部。三級昇格試験、全国10ヶ所で執行、1,025名が受験。
1月22日
 顕正会、教学部。登用試験、全国31ヶ所で執行、1,403名が受験。
1月23日  創価学会、「大ブロック制」から「地区制」に移行。
1月24日  山崎正友恐喝裁判(東京地裁)、正信会の浜中和道師(伝法寺)が証言。
1月26日
 顕正会、1月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「2月は十万の初陣、3千の大折伏をなしとげよ」
1月26日  創価学会、池田大作名誉会長、第9回「SGIの日」記念提言。全人類が「世界不戦」の意志を結集、第1段階はNGO(非政府機関)レベルで「世界不戦宣言」を国連決議として採択等。
「私どもは、これまで恒久平和主義を掲げた日本国憲法を一貫して守り抜く姿勢をとってまいりました。… 私が日本国憲法の擁護運動を若き青年、学生に託したのは、憲法自体が国家という枠を超えて人類全体に対する信頼感に貫かれているからにほかなりません。第九条を憲法に盛り込むことによって、歴史の流れを先取りした英知と先見は、やがて歴史がはっきりと証明していくでありましょう」
2月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、冨士巻頭言「初陣二月 … 顕正会の歴史において、十万達成は期を画する大節である。思えば、宗門において御遺命の正義が消え失せんとした時、この正義を死守したゆえに解散処分の弾圧を受けた顕正会が、大聖人の御守護を蒙り、いままさに十万の大法城を築かんとしているのである。一国広布の上から、この意義は計り知れない。そしてこの法戦の初陣こそ二月である。油断して後れを取ったら必ず悔を残す」(「冨士」第244号 )
 支部班長会開催、浅井昭衛会長「衆生無辺誓願度の大願に立ち、広布を推進せよ」
2月1日
 正信会、宗務院に公開質問状を送付。(「継命」2月15日号 )
2月7日
 顕正会、日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「日興上人の御願業はただ一つ、大聖人の御遺命のまま、富士山天生ヶ原に国立戒壇を建立することである」と。
2月8~10日
 顕正会、学習会、「佐渡御書」を拝読。3,687名参加。(全国)
2月15日
 顕正会、教学部入部式開催(豊島公会堂)、1,160名が参加。浅井昭衛会長「日寛上人の御指南は今日のため、日本第一の教学部築き御奉公を
「いま前代未聞の大闘諍は刻々と近づき、広布の前夜たることは疑いなし。されば日寛上人は今日の私達のために、大事の御法門を残して下さったと申しても、過言ではありません。ならば今こそ、広布のための大教学が興らねばならない。ここに顕正会教学部の果すべき大使命があるのであります。
 これからの教学部の展望を少し述べておきます。来年の一月には久々に二級の昇格試験を行います。… そして来年はこの二級部員を対象に六巻抄を講義し、やがて一級昇格試験を行いたい。現在教学部の組織は、一般部員・三級部員・二級部員・一級部員となっているが、将来その上にさらに講師を作り、この五段階を以て顕正会教学部の究極の組織としたいと思っております。すでに広宣流布の時であれば、顕正会教学部に、信心強き俊秀が続々と集うことを私は確信しております。どうか全員が真剣に学び、日本第一の教学部を築き、以て大聖人様に本格的な御奉公を申し上げようではありませんか」(「冨士」第244号 )
 顕正会、高知会館の土地・建物を賜入。
(※ 論理学の基礎、"A ならば B"、そのとき(対偶) "B でなければ A でない" は、真である。
 "広宣流布の時ならば、顕正会教学部に俊秀が集う"、されば(対偶) "顕正会教学部に俊秀が集わなければ、広宣流布の時ではない" が成立する。
 今や "日本第一の教学部" は夢物語、"広宣流布" は夢のまた夢である。櫻川 忠 )
2月15日  創価学会、聖教新聞「ミラドール・イケダ(パナマ共和国・池田展望台)除幕式」、「ノリエガ将軍は … SGI会長の国際的な平和の足跡を熱知、市民の幸せを願って行動する日々と、その指導に深い共鳴を寄せていた。同将軍によって命名された『ミラドール・イケダ』は、そうしたSGI会長との友情に満ちた平和会談と、訪島の意義を未来にとどめるものである」(「同」2月17日 )
2月17日
 宗門、阿部日顕管長。正信会僧侶 水谷秀旭師・稲葉海道師を損斥処分に付す。
2月27日
 顕正会、2月度総幹部会開催。浅井昭衛会長「いま日本は、内には心の病、外にはソ連の脅威がせまっている。岩に矢の立つ一念心で広布を推進せよ」
 男子部長に加藤昌昭、男子部主任幹事に小川善紀任命さる。
2月28日
 宗門、一乗寺新築落慶1周年記念法要(サンパウロ市)
(池田大作名誉会長は)「仏・法・僧の三宝を敬い、供養申し上げることは、信徒としての根本であるとし、仏宝とは御本仏・日蓮大聖人、法宝とは南無妙法蓮華経即ち本門戒壇の大御本尊であられ、僧宝とは第二祖日興上人の御事であられることを述べた。そして南無妙法蓮華経の大法は、第三祖日目上人、御歴代の御法主上人へと受け継がれ、現在では御当代御法主日顕上人猊下に御相承なされていることに言及。本門戒壇の大御本尊を信し、仏祖三宝尊への報恩感謝が、信心の根本となると語った」(「聖教新聞」3月1日号 )
3月3日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「壮年は支部の重鎮・柱である。重厚の信心を以て、壮年が壮年を折伏せよ」
3月8~12日
 顕正会、学習会開催。「松野殿御返事」を拝読、4,071名参加。(全国)
3月14日  宮本邸電話盗聴事件裁判、第22回口頭弁論。証人・内藤国夫、被告・山崎正友へ原告側の尋問。
3月15日
 顕正会、教学部、「三大秘法抄」の講義開始 (豊島公会堂)。
3月20日  創価学会、聖教新聞社説「真の回向とは何か」、「日蓮正宗以外の宗教では成仏への善根は積めない。それどころかかえって不幸への悪業を積んでいく。そうしたものをもつて回向すれば、精霊の生命はますます苦しむ。… お彼岸の日には、とくに諸精霊の心情を思いやり、日蓮正宗寺院に参詣し、塔婆を立てて、回向していきたい」(「同」3月20日号 )
3月26日
 顕正会、3月度総幹部会開催、折伏成果 3,328名。浅井昭衛会長「初陣の勝利は十万達成の瑞相、4・5月再び3千突破を成し遂げよう」
 関西地方部を解消、四国地方部・九州地方部を新設。本部幹事に森本征昭、四国地方部長に村岡長治、九州地方部長に加藤礼子任命さる。
3月31日
 宗門、大石寺開創七百年記念慶祝準備会議開催。
 池田大作名誉会長、二百ヶ寺の建立・寄進を発願、「七百星霜、法灯は連綿として謗法厳戒の御掟を貫き、一点の濁りもなく唯授一人の血脈法水は、嫡々の御歴代御法主上人によって伝持せられてまいりました。いまここに大石寺開創七百年の出発にあたり、御当代日顕上人猊下の御慈悲を拝することは、無上の喜びであります」(「聖教新聞」4月1日付 )
4月2日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「空海ブーム」について指導。
4月3日
 顕正会、女子部班長会開催、浅井昭衛会長「定業亦能転」について指導。
4月3日  潮出版社、池田大作著「仏法と宇宙を語る」(全3巻)刊行。
4月4日
 顕正会、男子部班長会開催。浅井昭衛会長「仏法の眼で世界の動きを見つめよ」
4月6日
 宗門、霊宝御虫払大法会、阿部日顕管長「今日、この一切衆生即身成仏の大法たる妙法が日本ないし世界に弘まり、創価学会インターナショナル会長・池田大作先生は、広く世界にその足跡を印し、正法広布の指導と激励、さらには世界平和の大目的に向って正宗信徒として、偉大な精進努力を重ねておられることは、まことに本仏大聖人の聖意に適う姿であると信じます」
4月9~11日
 顕正会、学習会開催。「撰時抄」を拝読、4,170名参加。(全国)
4月26日
 顕正会、4月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「広布の責任感は大聖人への忠誠心より生ずる。仏弟子に極楽トンボはいない」
4月26日  創価学会、沖縄研修道場で「世界平和の碑」を除幕。
4月27日
 顕正会、浅井甚兵衛顧問 逝去。「日蓮正宗顕正会顧問・妙信講初代講頭であられた浅井甚兵衞先生には、四月二十七日午後九時三十五分、常盤台の御自宅で安詳として御逝去された。悲報は波のごとく全顕正会に伝わり、三十日・一日の御通夜・告別式には三千有余の会員が涙の中に参列。さらに五月十日、追悼大法会が板橋文化会館において執り行われ、代表幹部千七百余名が真心の唱題と共に、顧問先生の遺徳を心からお偲び申し上げた」(「冨士」第248号 )
4月28日
 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。浅井昭衛会長「大聖人は建長5年4月28日に『我が身即妙法蓮華経』と知り給い、その後不惜身命の御修行により、ついに竜の口において久遠元初の自受用身と顕われ給うた」
5月3日  週刊サンケイ、グループSの創価学会内部告発小説 「小説・聖教新聞」の連載を開始。(「同」5月17日号~8月30日号 ) 実在の人物の名を少し変え、彼等の悪行数々を告発。のちに単行本「小説聖教新聞」(グループS)として出版。執筆した聖教新聞社の幹部は、突き止められ粛清された。
「ところが会員は、われわれが書いている虚像のPを慕っているんだ。純粋な信仰心なんてないというのがPの実像だよ。あの人は事業家なんだ。それも信仰を利用した事業家だよ。組織を拡大し強大にすれば、それだけマーケットも広がると考えているだけさ。つまり、会員はだまされているわけで、われわれはそれに加担しているわけだ」
5月10日
 顕正会、顧問・浅井甚兵衛先生追悼大法会、板橋文化会館で執行。代表幹部 1,700名が参列。
5月14日  創価学会、人材グループ合同結成式(福島文化会館)
 池田大作名誉会長「我が日蓮正宗の、根本中の根本は、ご存知の通り本門戒壇の大御本尊であられる。その大御本専を代々受け継がれる御法主上人がおられ、七百年にわたる伝統法義が厳然とある。この正宗の根本軌道に則った信心こそが、正しき信心であり、無量の功徳があるわけである。自らの信心の濁りや、驕慢から、その根本軌道を失い、同体異心となってはならない。『正信会』が、その一つの最たる例といってよい。このような事は、過去にもあった。現在もあった。未来もまた、あるかもしれないが、よくよく正しき信心を、見失ってはならないのである」(「聖教新聞」5月16日号 )
5月19日
 宗門、全国宗務支院長会議開催。阿部日顕管長、正信会僧侶の反乱について「宗門古来、かって無いような情けない、不幸なことであります」と。(「大日蓮」6月号 )
5月19日  英紙「ザ・ガーディアン」、故トインビー博士の孫娘ポリー・トインビーの寄稿掲載。
「祖父がそれほど老齢でなく、池田自身の怪奇な背景を知ったうえで彼と会っていたならば、彼を支持するようなことはなかっただろう。… 池田氏ほど絶対的権力の雰囲気にあふれた人物には会ったことはない。私は池田の名声をたもつために利用された。池田は無教養な、小さなデブの権力者」と。(「同紙」5月19日号 )
5月19日  月刊「諸君」、創価学会がブラジルで、"マスコミを金で抱き込んでいる" との記事を掲載。
「学会は、日伯毎日新聞社社長中林敏彦氏を鈴木琢郎会長室長が訪問し7千ドルを。バウリスタ新聞には、3千ドルを。サンパウロ新聞には1万ドルを。この外 学会は、プラジル日本文化協会やサンパウロ日伯援護協会に対しても、池田訪伯ムードを盛り上げるために各1万ドル寄贈した」(「同」5月号 )
5月20日
 顕正会、幹部大会、渋谷公会堂で挙行。全国代表3千名が参加、「明年7月16日までに十万達成
 浅井昭衛会長「一昨年の第一回武道館大総会において、私は、日本の破局が経済崩壊と食糧危機そして世界動乱によってもたらされることを断言いたしましたが、今日、この三つは月々日々に加速度を増し、不気味の様相を徐々に表わしつつあります。
 まず経済崩壊の引き金となるであろう国際金融不安でありますが、ここに来てその深刻さを一段と深めております。… …
 また食糧危機も足元に迫っております。… …
 さらに世界動乱の不気味な地鳴りは、このところ急速に高まっております。… …
 そして思うことは "顕正会の前進がもし破局のテンポに遅れたら、まことに大聖人に申しわけない" ということであります。… 顕正会は顕正会のためにあるのではない。広宣流布のためにあるのであります。ゆえにもし、日本の破滅に間に合わぬ顕正会ならば、広宣流布に役立たぬ顕正会ならば、この世に存在する必要は毛頭ないのであります。…
 では、この十万をいつまでに達成するか。いよいよこれを具体的に決めるべき時がまいりました。 私は、明年の七月十六日、立正安国論御建白のその日までに、断じて十万を達成したいと決意してお りますが、皆さん、いかがでしょうか。(大拍手) そしてこの十万達成を機に、明年秋、第二回の武道館大総会を開催したいと思っております。いま宗門一同が、悲しいかな、魔縁にたぶらかされて国立戒壇の御遺命を見失っている時、ただ正直に御本仏の仰せを実践する不惜身命の十万の大集団が、いよいよ明年、この日本国に出現するのであります」(「冨士」第248号 )
 全国20箇支部の陣容整う。男子部幹事に深谷健次・浅井克衛、第三隊長に海老原秀夫、第五隊長に浅井克衛、第七隊長に小峰勝彦、任命さる。
「今の浅井昭衛氏は、かつての栄光の美酒にいつまでも酔っていたいのであろう。そして無謀なノルマを会員に課して、職場や家庭での会員の生活基盤を崩し、多くの顕正会員の人生を狂わせ、かけがえのない時間を奪っている。… 浅井昭衛氏が過去の栄光に耽溺したいなら、自分一人でそうしていればよいのである。前途ある青年を巻き添えにすることは、もう止めてもらわなければならない。… 浅井会長は慢心と執着によって、自らせっかくの功績を台無しにしてしまった。顕正会の目的は一国広布・戒壇建立、目的達成の方途は教学研鑽・異体同心である。この肝心の目的と手段を、浅井会長は違えてしまった。… 宗門に本来の戒壇義が示されるいま、顕正会はすでに存在意義を失ってしまったと言わざるを得ない」(「迷走する顕正会を斬る」櫻川 忠 )
5月22日  創価学会、島根記念県幹部会開催(島根文化会館)。 池田大作名誉会長「利害と毀誉褒貶の心をもつた人は、いつしか、とうとうと流れゆく広宣流布の大河から沈んでしまうものだ。そのよき例として、増上慢の限りを尽くした正信会がある。また、彼らと一体となって宗門と学会を狂気のごとく撹乱しようとして去った幹部もいる。御法主上人猊下に師敵対し、同志を裏切り、仏法を全く知らず、信心も全くなき邪道邪心の面々は、必ず去り沈んでいくものである。… 私どもは原理原則をふまえ、永遠に僧俗和合をしていかなければならない」(「聖教新聞」5月24日号 )
5月23日  月刊ペン事件裁判、第二審公判開催。
5月26日
 顕正会、本部会議開催、4・5月の折伏成果 3,286名。5月末総会員数、81,905名に達す。
5月27日
 正信会、法華講第9回全国大会、名古屋市民会館で開催。
5月27日
 継命新聞社、「池田証言ハイライト - 偽りだった謗法さん悔 -」発行。
6月4日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「顕正会の歴史において、第一の戦いは妙信講再建の時、第二の戦いは御遺命守護、そして第三の戦いは一国広布の戦いである。この第三の戦いこそ最後の法戦である」
6月5日  創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国の北京大学より名誉教授を授与さる(4番目)。池田大作名誉教授、同大学で「平和への道・私の一考察」講演。
6月8日  創価学会、聖教新聞社説「広布史に意義深き米国御親修」、「総本山第六十七世御法主日頭上人猊下は、五日間にわたるアメリカ御親修の全旅程をつつがなく終えられ、六日、御健勝のうちに帰国された。… 今回、御親修されたサンフランシスコの地は、御法主日顕上人猊下が宗門の教学部長に就かれていた昭和三十八年三月、宗門にとって初の海外出張御授戒のため、現・大村寿顕教学部長とともに渡米された折、訪問された地でもある。今から二十一年前に出張御授戒が行われた時に入信したメンパーも今回の落慶入仏式に参列。新寺の誕生をことのほか喜んでいる姿が見られた」(「同」6月8日号 )
6月9~11日
 顕正会、6月度学習会開催、「妙法尼御前御返事」を拝読。4,389名が参加(全国)
6月9日  創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国の復旦大学より名誉教授を授与さる(5番目)。
6月12日  創価学会、秋谷栄之助会長、腸閉塞で倒れ入院。病室に監視役が付く。矢野絢也書記長との電話で、池田大作名誉会長への面従腹背をにおわす。
6月13日
 顕正会、横浜事務所を開設。
6月14日
 顕正会、顧問・浅井甚兵衛の四十九日法要、本部会館で厳修。
6月15日  創価学会、マレーシアで法人認可。
6月17日
 顕正会、大津支区大会、滋賀会館で開催。176名が参加。
6月20日~
 宗門、イタリア・イギリス・西ドイツ・スペイン・フランス・デンマーク出張授戒。
6月25日
 顕正会、6月度総幹部会開催(板橋文化会館)、「一回一回の法戦に勝とう」
 浅井昭衛会長 「私は日本の傾きをじっと見つめながら、必ずや破局に間に合うべく、顕正会の月々の前進を決定しております。よって「破局のテンポに遅れない」ということは、月々の一回一回の法戦に勝つことであります。いよいよ十万達成の明年七月まで、あと一年」(「冨士」第249号 )
 女子部幹事に浅井昌子 任命さる。
6月26日  宮本邸電話盗聴事件裁判、口頭弁論で山崎正友元顧問弁護士が証言。「学会の教えでは、仏法と国法と世法の三つがあり、仏法にそむけば地獄におちる。それを守るためなら、国法、世法は破ってもいいとされている」
6月28日~
 宗門、香港・マカオ・インドネシア出張授戒。
6月29日
 宗門、日蓮正宗護法局設置。(「大日蓮」第462号 )
7月3日
 顕正会、女子部班長会開催、浅井昭衛会長「罪障を消滅せずして成仏なし。折伏の功徳により重罪も消滅」
7月4日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「大聖人が起こし給うた立正安国の戦い未だ終らず、いま立正安国の仏勅に応え奉り実践する者は、ひとり日蓮正宗顕正会のみ」
7月9~11日
 顕正会、7月度学習会開催、「立正安国論」を拝読、4,168名(全国、以下同じ)が参加。
7月12日  週刊新潮、宗務院渉外部長 秋元広学師の脱税記事掲載。(「同」7月26日号 )
7月13日  創価学会、結審間近となっていた原島嵩元教学部長への "資料(北条報告書等)持出し" に対する賠償訴訟を、無条件で全面取り下げ。(「継命」8月5日号 )
 聖教新聞では「窃盗男・原島」と罵ったが、裁判では創価学会の完敗に終わった。
7月17日
 宗門、日蓮正宗護法局第一回理事会開催、局長に藤本栄道師就任。(「大日蓮」第462号 )
7月17日  横浜地方裁判所、佐々木秀明師 (小田原教会主管)の地位保全裁判、判決が延期される。(「継命」8月1日号 )
7月18日  東京高等裁判所、月刊ペン事件裁判差し戻し控訴審で、隈部大蔵被告の控訴を棄却。被告は最高裁に上告。
7月19日  週刊新潮、創価学会の選挙用 "住民移動" ならびに "替え玉投票" について、特集記事掲載。(「同誌」7月19日号 )
7月19日  週刊サンケイ、"池田スキャンダルの証言者は、渡部通子の実姉で藤原行正(公明党都議)の妻の郁子だった" との羽柴増穂(元創価学会文芸部主任)の発言を掲載。(「同」8月2日号 )
7月25日
 顕正会、7月度総幹部会開催、折伏成果 2,597名。浅井昭衛会長、弾圧十周年の意義につき「御遺命を守り抜いた妙信講が、御遺命を達成すべき顕正会と生れ変った不思議の十年」と。
7月25日  朝鮮民主主義人民共和国への帰還事業が終了。1959年より行われた在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)による帰還事業、6,839人の日本人を含む総勢 93,340名が北朝鮮に渡った。
7月28日  ロサンゼルスオリンピック開催、7月28日から8月12日までの16日間、アメリカ合衆国のロサンゼルスで開催された夏季オリンピック競技大会。この大会は税金を使わずに行われ、テレビ放映料・スポンサー協賛金等でおよそ400億円の黒字で終了、"商業五輪" と呼ばれた。
8月1日
 顕正会、顕正寺住職に村松禎道師が就任。
(※ 昭和55年8月、浅井昭衛講頭(当時)の要請により顕正会本部職員となり、顕正寺住職代行として葬儀等の法要を執行。平成17年11月末日を以て、顕正会本部職員を解雇された。)
8月9日
 顕正会、弾圧十周年記念幹部会、豊島公会堂で開催。浅井昭衛会長、解散処分に至るまでの経過を説明し「学会が音を立てて崩れるのは時間の問題である。しかし御遺命を曲げた者が亡んだだけでは事は終らない。御遺命を守り抜いた者こそ、御遺命を達成すべき義務がある」と。
8月11日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「いま顕正会は、宗門の中で御遺命を守り抜いた立場から、いよいよ日本国において御遺命の正義を顕わす立場になってきた。やがて顕正会の行く手には、国家権力等の三類の強敵が立ちはだかるであろう。それを乗り越えなければ広宣流布はできない。その時、一人も退転せぬよう強き信心に立て」
8月12日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「将来一国において、邪宗の者・政治家・学者・文化人等がこぞって顕正会を批判し潰そうとする時が来る。この三類の強敵が現われれば、いよいよ広宣流布は近い
8月13日
 顕正会、女子部班長会開催、浅井昭衛会長「たとえその時は未だ入信していなかったとしても、御遺命守護の大精神を知り、歓喜し、一国広布の決意に立つ者は、その時居たと同じ真の同志である」
8月15日
 顕正会、村松禎道住職代行が、顕正寺住職に就任。
(※ 村松禎道師は、昭和55年8月に浅井昭衛講頭(当時)の要請により顕正会本部職員となり、顕正寺住職代行として葬儀等の法要を執行。昭和59年8月に顕正寺住職に就任、平成17年11月に顕正会本部職員(顕正寺住職)を解雇された。)
8月19日
 顕正会、高知会館落成御入仏式を執行。浅井昭衛会長「高知支部の皆さんは、嬉しい時も悲しい時も、苦しい時も楽しい時も、この会館に詣でお題目を唱えよ。そしてこの高知会館を根城に、四国広布を進めよ」
「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。… 妙信講に解散処分 が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持 されていた 大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人、五十四代日胤上人、五十五代日布上人、五十六代日応上人、六十代日開上人、六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、 このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである」(「顕正新聞」昭和60年3月15日号 )
(※ 高知会館は顕正会として、初めての地方会館開設であり、日布上人書写の常住本尊が安置された。)
8月22日
 顕正会、婦人部班担当会開催。浅井昭衛会長「なんとしても支部を強くしたい、そのカギは婦人部にある」と。
8月22日  創価学会、会長代理に森田一哉・山崎尚見が就任。
8月25日
 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長「御遺命守護の精神と経過を知ることは、過去の追憶ではない。国立戒壇建立へ新たなる決意を固め、将来の三類の強敵に備えるためである」
8月27日
 顕正会、8月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「顕正会の歴史を大きく区分すれば、第一が『試練と忍従の時代』十二年、第二が『宗門諫暁の時代』十二年、第三がいま戦いつつある『一国広布の時代』の二十有余年である。この第三の戦いこそ顕正会にとって最後の御奉公、この最後の戦いに勝たなければ日本は亡びる、また人類は核戦争で絶滅する」
(※ この年は、浅井昭衛会長の "最後の御奉公"・"最後の戦い" の連呼が、これでもかとばかりに続く。そして "最後の戦い" は、平成19年(2007年)に期限を迎えている。"閉店大セール" を謳っていつまでも営業を続ける、"閉店詐欺" さながらの浅井商店である。櫻川 忠 )
9月1日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「将来首都圏を巨大地震が襲うなら、それが日本の破局の序曲・号鐘である。この国土の大難を信心で乗り越え、広宣流布を推進しなければならない」
9月2日
 宗門、早瀬日慈師、日蓮正宗重役に再任さる。(「大日蓮」10月号 )
9月10~12日
 顕正会、9月度学習会開催。「上野殿御返事」を拝読、参加者 4,584名。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「刀杖も及ばず、国家権力さえひれ伏した大聖人の厳然たる竜の口の御尊容を拝する時、立正安国論の『仏国それ衰えんや。乃至、宝土何ぞ壊れんや』との仰せが実感としてわかる。国立戒壇が建立されれば日本は仏国となる」
9月23日
 顕正会、第1回福岡大会、福岡県国保会館で開催、参加者 150名。
9月26日
 顕正会、9月度総幹部会開催。折伏成果 3,518名。浅井昭衛会長「誇りと確信を以て遥拝勤行を
「これが本宗の伝統であります。この遥拝勤行の功徳は、御本尊の前で申し上げる勤行と 少しも変らない、… そのことをいま道理・文証・現証を挙げて説明すれば、次のごとくです。
 まずその道理とは、遥拝申し上げる戒壇の大御本尊は世界総与の大御本尊であられる。… 「我も総与の中の一人」として、富士大石寺の方に向って遥拝申し上げる時は、 必ず戒壇の大御本尊に通じ功徳を頂くのであります。また信心に距離は全く関係ありません。… ゆえに「心こそ大切に候へ」と仰せられるのであります。また大石寺の歴代御法主上人は、七百年来丑寅の勤行を客殿で遊ばされているが、その勤行のあと、必ず客殿の中の遥拝所に座を移し、その窓から、遥か遠く御宝蔵にまします戒壇の大御本尊を拝みまいらせる。すなわち遥拝勤行をなさっておられる。いま私達は、我が家において、この遥拝勤行をさせて頂くのであります。
 次に功徳全く同じという文証を挙げれば、日寛上人は「正しく本尊に向って妙法を唱え奉るは即ち是れ読なり、本尊に向わずして妙名を唱うるは即ち是れ誦なり」(依義判文抄)と。… すなわち御本尊を見て唱え奉るお題目は「読」に当り、遥拝勤行における唱題は「誦」であると仰せられる。どちらも御本尊を信じ唱える題目であるから「本門の題目」であり、功徳は全く同じであるということであります。
 次に現証を挙げれば、あの熱原の法華講衆は未だ一度も大聖人様にお目にかかれず、また御本尊を頂戴することもなく、全員が遥拝勤行に徹したまま、法難に身命を捨て、ついに戒壇の大御本尊の願主として、大聖人様よりその名を末法万年に留められたのであります。このこと、よくよく思うべきであります」(「冨士」第251号 )
 青森地方部長に加藤礼子、九州地方部長に森本征昭、任命さる。
9月27日
 顕正会、本部会議開催。浅井昭衛会長「破局のテンポを上回る本格的前進がいよいよ始まってきた」と。
9月28日  大阪地方裁判所、正信会僧侶 久保川法章師 (蓮華寺住職)の「地位確認請求」を棄却。「主文 一 被告は、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。二 被告の請求を棄却する」
 久保川法章師、即日控訴手続。
(※ 昭和61年5月6日の控訴審では、「原判決を取り消す」との判決となった。 )
9月30日  創価学会、甲子園球場で第4回世界平和文化祭を開催。
10月1日
 顕正会、支部班長会開催。浅井昭衛会長、人材抜擢について「顕正会においては、年功序列も、年令も、男女の別もない。ただ信心強く、広布を推進する力ある人材を抜擢する。さもなければ広宣流布はできない」と。
10月2日
 顕正会、女子部班長会開催、浅井昭衛会長「一人一人が功徳実証の人に」
10月3日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「早く男子部の全国組織を作れ」
10月3日  創価学会、池田大作名誉会長の次男、池田城久急逝。
「池田名誉会長の次男・城久氏は三日夜、胃かいようのため東京・豊島区の癌研究会付属病院で逝去した。享年二十九歳。九月中旬ごろ胃痛を訴え検査したところ胃かいようとの診断で、九月二十五日から治療をしていた。三日午後、容体が急変し同病院に緊急入院し、手術したが、出血のため逝去した」(「聖教新聞」10月5日号 )」
「池田大作はドクター部幹部である婦人科医院に偽名で入院させるが、様態悪化のため癌研究付属病院に転院。実際は胃穿孔という早い措置なら治るはずの病気で死去」
「ジャーナリストの乙骨正生氏はこう解説する。『性格も身体つきも自分と似ている城久が池田は可愛くて仕方がなかったのでしょう。創価大学在学中から、"いずれ4代目になられる方"と皆が言うほど、城久は後継者としての扱いを受けてきました。… 池田は城久が在学時代から、自分のお眼鏡にかなった27人からなる"ご学友グループ"をつけ、城久の側近作りに余念がありませんでした。それだけ彼は将来を嘱望されていたのです』」(「新 創価学会を斬る」山田直樹 週刊新潮 2003年12月25日号 )
「次男の葬儀の場で、池田氏は竹入公明委員長らと自民党総裁選の二階堂擁立に関与、自公連合を仕組む話し合いをする」
10月9~11日
 顕正会、10月度学習会開催。「上野殿御返事」を拝読、参加者 4,476名。
10月12日  日本共産党、「赤旗」、言論弾圧問題の記事掲載。藤原弘達「15年前、田中角栄が創価学会・公明党の意を受けて『創価学会を斬る」の出版をやめろ』と乗り出した」と。(「同誌」10月12日号 )
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「一心欲見仏・不自惜身命・時我及衆僧・俱出霊鷲山
「『我常住於此 ·以諸神通力·令顛倒衆生·雖近而不見』御本仏の御法魂、この日本国に、そして富士大石寺にましますといえども、信心なき輩には全くわか らない。近しといえども而も見えざらしむです。
『衆見我滅度・広供養舎利・咸皆懐恋慕・而生渇仰心』これは未来広宣流布の時の姿です。日本国の一切大衆が日蓮大聖人の大慈悲にめざめ、御本尊を信じ、 恋慕渇仰の心を生ずる時が必ず来るのです。
『衆生既信伏・質直意柔軟・一心欲見仏・不自惜身命・時我及衆僧・俱出霊鷲山』 日本国の一切大衆すでに大聖人に信伏し、一心欲見仏・不自惜身命の大信心に立つ時、「我れ及び衆僧」等とは十界互具の本門の本尊です。本門の本尊が霊鷲山にお出ましになるというのです。すなわち一国に不惜身命の大信心みなぎる時、戒壇の大御本尊は国立戒壇にお出ましになるということであります。… 御在世においては、熱原の法華講衆の不惜身命によって戒壇の大御本尊は御出現遊ばされた。そして広宣流布の時、この大御本尊を守護し奉るにおいては身命も惜しまぬとの大信心一国にみなぎる時、戒壇の大御本尊は国立戒壇にお出ましになるのであります。
 私は、その時が決して遠くないことを確信しております。そのゆえは世界の最終戦争はすでに迫っている。もう広宣流布しなければならぬ時、そして大聖人の御威徳により、やれば必ず出来るという時を迎えているゆえであります」(「冨士」第251号 )
10月14日
 顕正会、第5回大阪支部大会開催(守口門真商工会議所会館・市民ホール)、517名が参加。
10月16日  日本共産党、第9回中央委員会総会開催。宮本顕治議長、「創共協定は死文化」として同協定の廃棄を表明。「協定そのものは世界平和、民衆福祉のため、双方が反共主義をとらず、社会のどんな段階でも信教の自由を尊重するという、まったく正当で立派なものであった。… しかし発表直後からこれほど相手側から不誠実に扱われた協定はないといっていい。… したがって協定は完全に死文化され、辱められたものである。… 死文は死文として葬り去るというのが歴史への誠実であると考えている」
10月21日
 顕正会、第7回高知支部大会開催(県民文化センター)、1,075名が参加。浅井昭衛会長「この山多き不便の高知で千名結集ができたということは、いかなる県でもできるということである。まさしく高知支部の前進こそ、全国広布のモデルケースである」
10月26日
 顕正会、10月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「全員、間もなく発刊される『富士』記念特集号を心肝に染め、御遺命達成への大情熱を燃やせ」
10月27日  二階堂進、自由民主党総裁選で執行部との会談の席上、公明党・竹入委員長らの "二階堂進擁立工作" を明かす。「公明党の竹入委員長から何回も連絡があった。『池田大作名誉会長を含め全創価学会、全公明党を代表して』といって今朝も電話があり『現在の政治の状況を憂い、不満を持っている』といってきた。… 『竹入個人ではなく、全創価学会、全公明党の意見である』ということだった」(「田中支配」朝日新聞政治部 )
10月28日
 顕正会、第1回青森大会開催(弘前市中弘教育会館)、137名が参加。浅井昭衛会長「たとえ大法に値うとも信心の腹を決めなければ功徳は出ない、また決意しなければ広宣流布は一歩も進まない、青森大会も決意したからこそ出来た。日本の広宣流布もいつかは出来るだろうとだけ考え、決意せぬ者は仏弟子ではない」
10月30日~
 宗門、カメルーン・ガーナ・ナイジェリア・コートジボワール・リベリア・トーゴ出張授戒。
10月30日  自由民主党総裁選、任期満了による総裁選で、中曽根康弘総裁が無投票再選。11月1日に、第二次中曽根改造内閣が発足した。
 任期満了に伴う中曽根康弘総裁の再選を阻止するため、鈴木善幸前首相・福田赳夫元首相らが、野党も巻き込んで木曜クラブ(田中派)大番頭の二階堂進自由民主党副総裁を擁立しようとしたが、金丸信・田中角栄の反対で立ち消えになった。
11月1日~
 宗門、デンマーク・イギリス・オランダ・西ドイツ・イタリア・オーストリア出張授戒。
11月1日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「仏弟子ならば力を持て、力は決意から生ずる」
11月5日~
 宗門、ニュージーランド・オーストラリア出張授戒。
11月7~8日
 顕正会、11月度学習会開催。「法華証明抄」を拝読、4,838名が参加。
11月11日
 顕正会、第1回藤沢大会開催(藤沢市民会館)、558名が参加。浅井昭衛会長「相模の国こそ御本仏の発迹顕本の重大な国土、異体同心して神奈川広布を進めよ」
11月12日  東京地方裁判所、宮本邸盗聴事件裁判 第24回口頭弁論。創価学会側、山崎正友証言を崩せず。
11月15日
 顕正会、「冨士」記念特集号「御遺命守護の戦い」発刊。
11月17日  日本共産党「赤旗」、「公明党の結党以来二十年の歴史は、十転万転の変転史、流れ流れて自民党の派閥化」と、公明党の無節操を批判。(「同」11月17日号 )
11月17日  創価学会、「創共協定は共産党が一方的に破棄した」と見解を発表。
11月18日
 顕正会、第1回会津若松大会開催(会津若松商工会館)、250名が参加。
11月18日  創価学会、創立55周年記念勤行会(創価学会本部)。
 副会長に小林宏、吉田要、佐藤武彦、川田洋一、桐村泰次、木村勝、芳賀昭人、松山久夫、上田金治郎、宮川斤也、斉間武、松岡資、宮川清彦、鈴木琢郎、細谷昭の15名が就任。副会長の総数は、53名となった。(「聖教新聞」11月19日号 )
11月23日  創価学会、第4回全国未来会(東京・広宣会館)
 池田大作名誉会長「学会員はすべて日蓮正宗の信徒であり、仏法の師は、代々の御法主上人であられる。それを根本として仏意仏勅を自覚し、広宣流布をば誓願した学会である。… ここ数年来、策略や陰謀、そして迫害の連続の難をうけたが、ことごとく勝利することができた。彼らは『法華経に勝る兵法なし」いう大法理を知らなかったのである。諸君はその原点を深く知らねばならない」(「聖教新聞」11月24日号 )
11月25日
 顕正会、第1回佐渡大会開催(佐渡島総合開発センター)、242名が参加。
11月26日
 顕正会、11月度総幹部会開催、折伏成果 4,232名。浅井昭衛会長「武道館大総会は再来年4月に開催する。来年は23年先を見つめて盤石の基盤・態勢を整える年」
11月27日
 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長「破局のテンポを上回る広布の大潮流は、ここにとうとうと流れだした」
11月30日~
 宗門、阿部日顕管長、北米親修に出発、12月5日帰国。
 聖教新聞、「日顕猊下 ニューヨークヘ親修」、池田大作名誉会長、理事長らが歓送。
「池田名誉会長は諸天も寿ぐ平安な天気のもと、五たびとなる御法主上人猊下の海外御親修の御出発にあたり、信徒一同を代表してお祝い申し上げた。… また世界の中でのニューヨークのしめる重要性に触れ、今回のニューヨーク御親修は末永く宗史に残る御壮途と拝すると語り、つつがない御親修であられるようごあいさつ申し上げた」(「同」12月1日号 )
11月30日~
 宗門、インドネシア・フィリピン・マレーシア・シンガポール出張授戒。
11月 日  龍年光公明党都議会議員、財団法人「土と人間の蘇生の会」を設立。
 内藤国夫、「財団法人設立には、確かに億単位の金が必要だった。だが、竜氏は、学会組織にも党組織にも頼らず、昭和59年11月、独力で法人設立にこぎつけた。法人のパンフにも、「公明党や創価学会に一切関係なく独自の立場で設立」と明記されてある」(「週刊文春」91年2月28日号 )
12月4日  公明党第22回党大会開催、竹入義勝委員長「政権獲得をめざしてガンバロー」と勝どきの音頭。
「先の自民党総裁選にさいして公明・民社両党が二階堂擁立で動いたことについて、「中曽根政治が変わり、特定人物による政治支配の構図が打ち破られるというのであれば、それは国民にとっても大変に歓迎すべきである。… 中曽根氏と二階堂氏の二人を冷静に比較した場合、どうみても二階堂氏の方が"よりまし"な考えの政治家のようであり、政治改革の突破口となるであろうとの見通しから、いわゆる外野席からハンカチを振った」と改めて説明した。… 11月1日の拡大中執委で「つぎのチャンスでは上着を脱いでやる」と発言したことを引用しながら、「そのときには党内のしかるべき正式機関での論議を詰めて、政治改革に正面切って突き進むという決意」だと強調して、連合政権実現への意欲を示した」(「公明新聞」84年12月5日付 )
12月7日
 宗門、阿部日顕管長、顕正会の国諫 (56年11月20日)について「政府の当事者はまだ信心していない。その謗法の者に向って国立戒壇を建てろとは、筋道が立たない」と批判。
12月10日
 顕正会、教学部、「三大秘法抄」の講義終了。
12月16日  東京地方裁判所、宮本邸電話盗聴事件裁判、結審する。
12月19日  香港返還合意、イギリス(マーガレット・サッチャー首相)と中華人民共和国(趙紫陽国務院総理)が、香港返還合意文書に調印。これにより1997年7月1日に、香港が中国に返還されることになった。
 -中国は97年7月1日から香港に対する主権行使を回復(第1項)
 -英国は97年7月1日香港を中国に返還(第2項)
 -香港を特別行政区とする(以下第3項)
 -香港は高度の自治権を享受
 -香港には行政権、立法権、独立した司法権と終審裁判権が与えられる
 -香港政府は現地人によって構成、行政長官は現地で選出、中央政府が任命
 -現行の社会・経済制度、生活様式を維持
 -国際金融センターの地位を保持。香港ドルも使用。
 -これらの方針と政策は50年間変更しない
12月20日  電電公社民営化法案成立、国内通信は日本電信電話公社によって,国際通信はKDDによって独占されていたが,新規事業者による通信事業への参入が可能になった。
「日本電信電話株式会社法」、「電気通信事業法」、「関係法律の整備等に関する整備法」は、まとめて「電気通信改革3法」と呼ばれ,翌年4月に通信自由化がスタートしNTTが発足した。
12月24日
 顕正会、11月度総幹部会開催。
12月28日  創共協定、期限の10年目を迎える。双方とも、協定延長の意思なし。
12月 日  公明党・池田克也衆院議員、リクルート社・辰巳雅朗社長室長から、政治資金の提供を受ける。のち、リクルート事件として発覚。
12月 日  創価学会、"接遇" 活発化。この頃から、名誉会長への "池田詣で" が活発化する。長谷川重夫が介在人としての役割を果たし、一躍名誉会長の側近となる。接遇品の高価な物は名誉会長が独り占めし、その他は本部幹部らに分け与えられ、更に会員に「先生から」と配られた。
 
  年表  
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館で9回に分け厳修。浅井昭衛会長、年頭の辞「三大秘法抄身読の時
「現在、世界各国に蓄積されている核弾頭はその数すでに数万発、その爆発力は広島の原爆の百万倍以上といわれている。もしその一部でも使用されれば、人類の絶滅は火を見るより明らかである。… その行きつく先に思いを廻せば、慄然として肌に栗を生ずる思いである。これが御本仏が予言警告し給うた末法人類の最終戦争なのである。… 未だ大事の御遺命は達成されていない。 このゆえに三年前、思いをこめて一国広布へ出陣したのである。本年はその第三年。二十三年後を見つめ、盤石の基礎を築くべき大事な年である」(「冨士」第253号 )
1月1日  創価学会、副会長に平野恵万、野間浩、北野佑一郎の3名が就任、副会長の総数は56名となった。(「聖教新聞」1月4日号 )
1月1日  新雑誌X、丸山実の「新・山崎恐喝問題とマスコミ 山崎正友への論告求刑を考える」を掲載。(「同」2月号 )
1月 日  プレジデント 2月号、藤原弘達(司会)、俵孝太郎、内藤国夫の座談会記事掲載。
「(内藤)池田大作の究極の目的は、天下取り、権力を握ることですが、そのためには、どんなことをしてもいいわけ」
「(藤原)創価学会では、国民的コンセンサスのべースになんかならない。その点は、これまでも何度も指摘しているところなんだが、日蓮正宗―創価学会は、ホメイニを戴くイスラム教シーア派のようなものだと受け取るほかあるまい。アラブ的紛争を日本に持ち込む危険性のほうが大ありさ」
「(俵) 僕は、モグラのように公明党・創価学会が尻尾を出すたびにポソポソ叩いていればこっちも年をとるけど、敵も年をとる。結局たいしたことにならないで、まあ日本国は安泰だろうと思うんだけどね」
1月7日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「本年は23年先を見つめた盤石の基盤を築く。盤石の基盤とは、人材で打ち堅めた十万法城を築くことである。この十万法城が築かれれば、一国広布は必ず成る」
1月11日
 顕正会、初講義、板橋文化会館で開催。浅井昭衛会長「日蓮大聖人一代御化導の大綱」を講ず。
1月13日
 顕正会、教学部、三級昇格試験。全国12ヶ所で実施、1,256名が受験。
1月15日
 顕正会、成人式(本部会館)、参加者2百余名。
1月20日
 顕正会、教学部、登用試験。全国34ヶ所で実施、1,751名が受験。
1月25日
 顕正会、1月度総幹部会開催。.浅井昭衛会長「『折伏』の二字に奮い立たぬ者は仏弟子ではない」と。
1月26日  創価学会、池田大作名誉会長、SGI発足10周年記念提言。米ソの核軍拡競争をストップさせる契機となる "米ソ首脳会談" の開催、"アジア・太平洋時代" の文明史的意義について提言。
2月3日
 顕正会、藤沢事務所、神奈川県茅ヶ崎市に開設さる。
2月4日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「信心修行と職業」について。
「本年は二十三年先を見つめ、組織も生活も盤石の基盤を築くべき年である。ことに組織においては、青年部の力強い前進と相呼応して壮年部・婦人部の本格的な体制を整えたい。また幹部は、後顧の憂いなく広布の御奉公ができるよう、自らの生活・職業を、しっかり堅めてほしい。…
 三大秘法を修行して広宣流布を推進する立場が本来の姿であり、職業にたずさわっている立場は世を渡る仮の姿である。… 一生成仏を遂げさせて頂くのが人生の目的である。ゆえにこの目的を忘れ、金儲けを、仕事を、人生の唯一の目的と勘違いしたら、本末転倒と云わねばならない。…
 しかしまた、軽薄に考えて職業をおろそかにしたら、仏道修行もできなくなる。在家の身として、職業がきちんとしていればこそ仏道修行も叶うのである。… 大聖人様は「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」と仰せられる。… 仏道修行を助けるための職業である。だから職業を大切にしなければならないし、また仏法のための職業だからこそ御本尊の御守護を頂くのである。かくのごとく信心修行と職業との関係を見つめた上で、仏法のため"いざ"という時には、職業も、いや身命も捨てて悔いなしの決意を秘めているのが、大聖人の真の弟子なのである」(「冨士」第255号 )
2月4日  創価学会、池田大作名誉会長。愛媛県の幹部会で「正信会の姿こそ謗法であり、最大の悪」と講演。
2月8/11日
 顕正会、2月度学習会、「種々御振舞御書」を拝読。参加者 4,817名。
2月 日  政界往来、「創価学会の帝王・池田大作の錬金術」と題して、創価学会の資金ルートと、金に執着する池田名誉会長の実像を追求。(「同誌」60年新春号 )
2月15日
 顕正会、教学部大会開催(豊島公会堂)、1,264名が参加。浅井昭衛会長「御書全集・日寛上人の御筆記・解説書を発刊
「いま日本国において、日蓮大聖人の三大秘法の甚深の御法門を、このように真剣に正しく研鑽しているこれほど大きな集団は、断じて他にありません。… 絶えざる求道心を持ち続けてほしい。もし慢心したり、求道心を失った時、その人の成長はたちまちに止まり、腐敗堕落が始まるのであります。… いよいよ二十三年先を見つめての基盤確立を、教学上においてもなすべき時と、私は感じております。よって本日の教学部大会において、その構想を発表いたします。構想は三つあります。
 まず顕正会において、いよいよ日蓮大聖人の御書全集を発刊しようと決意しております。… 広宣流布のため、内容がより正確で、かつ大きな活字で読み易い御書を、顕正会において発行すべき時が来たと私は思っておりますが、どうでしょうか。(大拍手) もとよりこれは大事業で、短時日にはできません。A五判で全三巻にしようと思っておりますが、本年の四月からこの編纂事業に取りかかり、明年中には第一巻を出したいと思っております。
 次に構想の第二として、日寛上人の御筆記を刊行したい。すなわち六巻抄と重要御書の文段です。… まず六巻抄を本年八月十九日、日寛上人の御命日までに発行しようと思っております。
 次に構想の第三として、広布推進のため、三冊の解説書を単行本として出して行きたい。その三冊とは、すでに「富士」に掲載された「南無日蓮大聖人」と「御遺命守護の戦い」、またそれに加えて「折伏の理論書」、これは月々日々の戦いに追われて発行が遅れておりますが、広布推進に最も大切でありますから、必ず刊行いたします。…
 以上構想を述べましたが、御書全集と日寛上人御筆記および広布推進の三部作が整えば、教学面においての一国広布の基盤はここに確立されると、私は確信しております。私は本年このことに没頭していきたい。全教学部員はこの意義をよくよくわきまえ、自覚を以て各自が学び、そして広布の先陣を切って戦って頂きたい。以上。(大拍手)」(「冨士」第256号 )
2月 日
 顕正会、「立正安国論」「開目抄」の本文ならびに講義録再版さる。
2月23日
 顕正会、本部会議開催。浅井昭衛会長、地方学習会の開催基準ならびに地方拠点の御本尊について重要指導
2月25日
 顕正会、2月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「学習会こそ顕正会の誇るべき伝統行事、顕正会の歴史を貫く根幹の行事である。3月はいよいよ5千名突破の学習会を開こう。顕正会の学習会が日本の潮流となる日が必ず来る」
(※ 今や、「学習会」に参加したことのない会員が、ほとんどだろう。昭和59年2月、浅井昭衛会長は「教学部の組織は、… 将来その上にさらに講師を作り、この五段階を以て顕正会教学部の究極の組織としたい」と、構想を述べていた。"歴史を貫く根幹の行事" であれば、自身で講義するのが大変なら "講師"に任せればよいだろう。しかし、頭角を現す幹部を排除する会長が、自分に取って代わる "講師" を設けることはなかった。本気で "広宣流布・国立戒壇" を目指すなら、顕正会に"講師"が百人・千人と、輩出しなければならない。浅井昭衛会長の「必ず来る」は、 "必ずしも来ない" で終わる。櫻川 忠 )
2月28日  東京高等裁判所、正信会僧侶 山口法興師(妙真寺)の地位保全仮処分の控訴審において、一審(静岡地裁)判決を破棄し、双方の仮処分申請却下の判決を下す。この判決により同住職は当面、妙真寺の退出を免れた。
3月1日  新雑誌X、丸山実の「新・山崎正友恐喝問題とマスコミ(完)"大風呂敷的"ハッタリに弱いマスコミ」を掲載。(「同」4月号 )
3月4日
 顕正会、女子部班長会開催、浅井昭衛会長「広布に通ずる祈りは必ず叶う」
3月8~11日
 顕正会、3月度学習会、「刑部左衛門尉女房御返事」を拝読。参加者、初めて5千人を突破、5,561名に達す。
3月12日  ソビエト社会主義共和国連邦、新書記長にミハイル・ゴルバチョフが就任。
3月15日
 顕正会、教学部、「立正安国論」の講義開始。講師、石原康一教学部長。
3月16日  国際科学技術博覧会、科学万博つくば'85開催(~9月16日)。「人間・居住・環境と科学技術」をテーマとし、日本を含む48ヵ国と37の国際機関が参加した。総入場者数は 2,033万4千人で、特別博覧会史上最高入場者記録となった。
3月26日
 顕正会、3月度総幹部会開催、折伏成果 3,925名。浅井昭衛会長「予定を早め、5月までに十万を達成しよう」
 第十隊長に伊東信昭、第十隊幹事に坪田敏任命さる。
3月26日  山崎正友恐喝事件裁判(東京地方裁判所)判決公判、3億円恐喝事件で 3年10ヶ月 75回に及ぶ審理の結果、山崎正友元顧問弁護士に懲役3年の実刑判決下る。山崎正友はただちに控訴。
「(判決文)被告人自身の捜査段階における供述と対比しても、被告人の前記公判供述は信用できない。… 被告人の供述に右のような矛盾が生ずるのは、その供述が虚構を重ねたものであることに起因すると認められる」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
4月1日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「十万達成は歴史的法戦であれば、歴史的信心でこれを成し遂げよ」
「御書全集」の編集委員に、加藤礼子教学部一級部員、小川善紀二級部員、浅井克衛三級部員任命さる。
(※ 10年後の平成7年、顕正新聞には "「御書全集」の編纂いよいよ始まる"として、「このほど三名の編集委員が正式に任命され、… すでに作業は現在急ピッチで進められつつある。… 新任の編集委員は小泉修、斉藤千鶴、浅井城衛の三氏で、それぞれ男子部・女子部において要職を務め、数学部においては二級部員であり、強盛な信心と明晰な頭脳を持つ若き俊秀である。… 顕正会版の御書は、大聖人一代御化導を順次に拝せるようにと編年体となっており全三巻、第一巻の発刊は来年の予定。サイズはA五判、文字は十八級とのこと」(「顕正新聞」平成7年6月5日・15日合併号 )との記事が掲載されている。顕正会版「日蓮大聖人御書全集」発刊、どうも "日本の破局" には間に合いそうもない。櫻川 忠 )
4月1日  徳間書店、央忠邦著「池田大作の軌跡」発刊。「学会は永久に世襲制はとりません。これは初代、二代、そして三代の私を含めた不文律のようなものになっている。私から北條第四代会長へもそうでした。いわんや会則のもとでは絶対にありえないことです。念のために申し上げれば、長男は高等学校の教員、次男は大学の職員です。三男坊はまだ大学生です。いずれにせよ、まったく論拠のない推測記事でしょう」(※ 央忠邦は当時 朝日新聞記者 )
「だが、その長男博正は、組織的にはなんらの実績もなかったにも関わらず、今や副総合青年部長、SGI会長秘書、創価大学ロス分校主事、創価学園理事、そして池田大作の名代として南米各国をまわり勲章、称号を受け、大統領と会談し、会員を指導している」(「グラフティ創価学会の現実 PART3」継命新聞社 90年7月16日 )
4月1日  日本電信電話公社(電電公社)が日本電信電話株式会社 (NTT) に、日本専売公社が日本たばこ産業株式会社 (JT) に民営化された。
4月2日  創価学会、創価大学と同じ敷地内に、創価女子短期大学開学。
4月3日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「青年部の逞しい前進に相呼応して、 何としても壮年・婦人部が立たねばならぬ。幹部大会を期して、壮年・婦人部の本格的体制を整えようと、私は決意をしている」
4月5日  大石寺宿坊に散弾銃が打ちこまれる。(「読売新聞」4月7日号 )
「85年4月には日蓮正宗総本山・大石寺に散弾銃が撃ち込まれ、同11月には東京・信濃町の創価学会本部の文化会館に短銃2発が撃ち込まれている。11月の事件では、後藤組組員が現行犯逮捕された」(「週刊現代」97年11月22日号 )
4月6日  創価学会、聖教新聞社説「御虫払大法会と富士の正統」
「御本仏・日蓮大聖人の仏法を寸分も誤りなく紹継された日興上人の正法護持、令法久住への御尽力があったればこそ、また御歴代の御法主上人並びに数多くの清信の僧俗の戦いがあったからこそ、今日、我々が大聖人の仏法を正しく信行することができることを忘れてはならない」
4月8~10日
 顕正会、4月度学習会、「法蓮抄」を拝読。参加者6,480名。
4月10日  創価学会、婦人会館に火炎ビン投げこまれる。(「サンケイ新聞」4月11日号 )
4月12日
 顕正会、臨時支部長会開催。浅井昭衛会長、壮年・婦人部の抜本的改革について 重要指導。
4月22日  宮本邸電話盗聴事件裁判(東京地方裁判所)の判決公判、有罪の判決が下り創価学会が敗訴。創価学会首脳の関与を認定し、教団の組織的犯行を認め、前会長・北條浩ら4被告にそれぞれ 100万円の慰謝料支払いを命じた。(第一審)
「昭和60年4月22日、東京地方裁判所民事第12部は、北林芳典以外の被告の犯行を認定し、すでに、北条浩は、昭和57年7月に死去していたから、遺族達に対して、合計金百万円、山崎正友、広野輝夫、竹岡誠治には、各百万円の支払いを命ずる判決を言い渡した。私を除き、創価学会側の被告はただちに控訴したが、控訴審においても、昭和63年4月26日、控訴棄却の判決が下された。創価学会側の被告は、最高裁判所に上告したが、途中で上告を取り下げ、損害賠償金を一方的に供託した。これにより、一審控訴審判決は確定し、宮本邸盗聴事件が、北条浩の指示による創価学会の組織的犯行であることが、公式に認定されたわけである。創価学会側被告は、自らこれを認めて、損害賠償金を自発的に支払った。ちなみに、私は、心からの謝罪と贖罪の意を認められ、宮本氏側から、損害金の支払いを免除された」(「自由の砦」山崎正友 2002年1月10日号 )
(※ 東京地方裁判所は、被告山崎正友らが "妙信講への盗聴" を重ねたことも、併せて事実認定している。櫻川 忠 )
4月23日  創価学会、聖教新聞、秋谷栄之助会長の "宮本邸電話盗聴事件裁判" 判決への談話を掲載。
「審理は、約四年四カ月にわたって続けられてきたが、山崎は故北条氏がすでに他界し反論できないことをよいことに、巧みに虚構をデッチ上げた供述を繰り返してきた。今回の判決では、遺憾ながら、その点を看過して、不当にも故北条氏の関与を認定したものである。故北条氏の遺族は直ちに控訴する、といっている。なお、被告の一人とされた北林芳典氏については、請求が棄却された」
4月 日  創価学会、"電話盗聴事件の判決は、創立55周年を迎えた創価学会への、最大の魔である"、との非公式な見解を会員にくちコミで流す。
4月26日
 顕正会、浅井甚兵衛顧問一周忌法要、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「十万の法城を築き、一国広布を力強く推進することこそ、顧問先生に対する真の報恩・謝徳である」と挨拶。
4月27日
 顕正会、4月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「十万法城はまさに屹立せんとしてい る。この5月、歓喜し、決意し、戦わぬ者は顕正会員ではない」
4月28日
 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。浅井昭衛会長、報恩抄の「日蓮が慈悲曠大ならば、 南無妙法蓮華経は万年の外未来までも流るべし」について講演。
4月28日
 正信会、法華講第10回全国大会、日比谷公会堂で開催。
4月 日  フランス国民会議、文書「フランスの宗派(セクト)」を発表。フランス共和国で社会問題を引き起こしている "ニセ宗教団体"として、統一教会(世界基督教統一神霊協会)と創価学会を挙げる。
「このニセ仏教宗派の特徴は、フランス仏教会からつねにきびしい非難を浴びている」
5月3日  創価学会、聖教新聞社説「不滅の"5月3日"を晴れやかに」
「東京会館で開催中の創立55周年『創価学会特別記念展』は意義が深い。代々の会長が総本山を外護し、会員を守るために、一人心血を注いできた激闘の跡をしのばせる展示品の数々。そしてまた、その不惜の実践に全幅の信頼を寄せ、温かく慈愛を注がれてきた御歴代御法主上人猊下と創価学会との僧俗和合の姿を如実に示す重宝類 …『偉大なる指導者ありて広布また 道にこころし進みゆくらむ』とは、御当代第六十七世御法主日顕上人猊下から池田名誉会長が賜った御染筆で、これも特別記念展に展示されている」
5月5日  創価学会、創価学園出身者の集い "第一回鳳友会" 開催。
「この会は藤原行正氏の次男・範昭氏潰しを目的として、池田氏自身が招集を命じたもの。池田氏が講演を終え移動中、範昭氏が「池田先生、お話があります!」と声を掛け、用意していた質問書を手渡す。ボディーガードの目撃談によると、池田名誉会長は数秒間、うろたえ直立不動のまま、両目も完全に焦点が合わない様子だったと証言」
5月初旬  創価学会、宮本邸電話盗聴事件裁判につき控訴。控訴しなかった山崎正友、北林芳典については刑が確定。
5月12日
 顕正会、幹部大会、渋谷公会堂で挙行。全国代表幹部3千名が参加。壮年・婦人部の組織改革断行、支区部長・地区長以上78名が抜擢さる。浅井昭衛会長「鉄壁の陣容整え一国広布へ
「この十万の法城が人材で堅められ充実した時、一国広布は必ず成る。ゆえに本年を「二十三年後をみつめて盤石の基盤を築くべき年」と定めたのであります。
 この本年、私はなすべきことを三つ考えておりました。一つには教学上の基盤確立。二つには地方広布の推進。三つには壮年・婦人部の本格的体制作りであります。
 第一の教学上の基盤確立については、すでに発表したごとく、日蓮大聖人の御書全集と日寛上人の六巻抄、ならびに解説書の刊行であります。この大事業はすでに本年四月より着手され、数年以内に完結することになっております。
 第二の地方広布の推進は、各地で開かれる地方大会と相まって、現在地方の学習会が燎原の火のごとく全国に広がりつつある。これを月々に力強く推進することこそ、即地方広布の推進であります。
 そして第三番目が壮年・婦人部の本格的体制作りであります。… 壮年は支部の柱、また婦人部は支部の母体たるべきです。しかるに現状は青年部と比べて余りにも弱体のところが目立つ。もしこのまま放置すれば、将来広布の推進にも支障を生ずる恐れがある。よって本大会を機に、抜本的改革を決断したわけであります。この改革は、支部組織における顕正会始って以来の革命的改革であります。… 壮年・婦人部の広宣流布へ戦う体制は、ここにその骨格が始めて整ったのであります。…
 さて、目を外に転ずれば、世界動乱の兆はますます盛んであります。… ことに極東に対する軍事力の強化は目すべきものがある。ソ連軍唯一の奇襲上陸部隊も極東に配置されている …。またソ連と通ずる北朝鮮の動きも、最近まことに不気味であります。いずれにしても、仏法の鏡の照らすところ、謗法の日本が、将来他国侵逼の大難を招くことは避けられぬところであります。…
 もしこの破局に間に合わぬなら、仏弟子として大聖人様にまことに申しわけなく、顕正会のこの世に存在する意義は全くないのであります。明年の武道館大総会こそ、十万の確証を得た顕正会がいよいよ一国をゆさぶる大目標を掲げ、驀進を開始する重要なる節であります」(「冨士」第258号 )
5月17日  男女雇用機会均等法成立、法の下の平等の理念にのっとり、雇用の均等な機会及び待遇の確保を図り、妊娠中及び出産後の健康の確保を図る等の措置を推進する。
5月18日~
 宗門、フランス出張授戒。
5月18日
 顕正会、宿願十万ついに達成。
5月27日
 顕正会、5月度総幹部会開催、折伏成果空前の 5,018名。5月末会員数、101,195名となる。
 浅井昭衛会長「死罪に等しい解散処分を受けた顕正会が十万になったという現証は只事ではない。これ『仏勅ここに下る』の確証、一国広布の大瑞相である。本日よりは明春の武道館大総会を見つめ、この十万法城を人材で打ち堅め、いよいよ大聖人様のお待ち遊ばす一国広布へ、敢然と立とうではないか」
5月30日  創価学会、池田大作名誉会長、パナマ共和国・ノリエガ将軍と会談(聖教新聞社)。
「将軍は会談に先立って総本山大石寺に拝観、… 名誉会長は『世界の指導者の中にあって、閣下は、まだお若く、二十年、三十年の未来が待っておられる。その意味で、一生涯パナマと中米の"柱"として、平和と安定と繁栄のために活躍なされる方であると私は信じている』と語った」(「聖教新聞」5月31日号 )
 池田大作「パナマと中米の"柱"として、平和と安定と繁栄のために活躍なされる方である」
 ノリエガ「昭和56年訪問の際、パナマと中米平和の未来を語り合ったフラメンコ島は、今やその意義をとどめて『ミラドール・イケダ(池田展望台)』と命名した」
 池田大作「大変に光栄です。… 中米諸国で内乱とか紛争のある国が多いなかにあって、将軍の指導されるパナマの国にそれがないことは、まことに喜ばしいことである」
(※ 池田大作は、白糸研修所に「ノリエガ庭園」を造成しノリエガ将軍を招待したが、ノリエガが失脚するやただちに閉鎖した。)
(※ ノリエガ将軍は83年に国防軍司令官に就任、事実上の最高権力者として政治の実権を掌握した。反政府活動家の弾圧に加え、自らを解任しようとした大統領を罷免に追い込むなど「独裁者」として振る舞った。隣国コロンビアの麻薬組織(メデジン・カルテル)と結びつき、パナマからアメリカ合衆国へコカインなどを密輸するルートを私物化した。1989年に大統領選挙に出馬したが、落選が確実になると軍をあげて選挙の無効を宣言、直属の私兵組織を動員し反対者を鎮圧した。その5日後、麻薬の不正浄化、在パナマ・アメリカ軍兵士殺害、選挙結果の不履行を理由に、アメリカ合衆国・ジョージ・H・W・ブッシュ大統領によるアメリカ軍のパナマ侵攻を受け、パナマ国防軍は敗北・投降した。ノリエガ元将軍は、麻薬密輸の罪で懲役40年(後に30年に減刑)の判決を受け、2017年5月29日 83歳で死去した。Wikipedia 参照 )
5月 日  公明党・田代富士男参議院議員、全国砂利石材転用船組合連合会(大阪市北区)から、国会質問趣意書提出の依頼を受け、謝礼として1,000万円を受領。全国砂利石材自家用船組合連合会の顧問であった田代富士男議員は、自家用船から営業船への転用をめぐって営業制限の撤廃を求める、利益誘導のための国会質問趣意書を提出した。1991年11月21日、大阪地方裁判所で結審し、92年に田代富士男元議員の有罪が確定している。
6月1日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「いま十万を達成して、地平線のかなたに、一国広布のゴールがほのぼのと見えてきたような気がする」
(※ 平成10年には「最終段階の戦い開始」、平成12には「広布の最終段階」、平成20年には「広布最終段階」、平成23年には「広宣流布はすでに直線コース」、平成25年には「広宣流布はギリギリの最終段階」、平成26年には「国難元年」、平成31年には「広宣流布の決戦場」と、ゴールはどこまでも後退して行く。櫻川 忠 )
6月5日  横浜地方裁判所、正信会僧侶 佐々木秀明師 (小田原教会)の訴えを棄却し、寺院の明け渡しを命ずる。
6月5日  山口組系後藤組々員、大石寺「五之坊」発砲事件で逮捕さる。
6月 日  週刊サンケイ、創価学会の選挙違反記事掲載、都議会議員選挙における「創価学会」の組織的住民移動登録の証拠を暴く。(「同誌」7月4日号 )
6月10/23日
 顕正会、6月度学習会、「四条金吾殿御返事」を拝読。参加者 7,794名 (全国42会場)
6月16日
 顕正会、第2回福井大会、鯖江市勤労青少年ホームで開催。187名が参加。
6月18日  正信会機関紙「継命」と「中央区選出都議選の公正を見守る有志の集い」(代表 佐藤芳行)、東京都選挙管理委員会に創価学会員による架空住民票移動の疑惑を告発。創価学会関係者とおぼしき架空転入者7件・10名、他に疑惑が持たれるもの13名。
6月 日  公明新聞、「継命」紙等の "架空住民票移動疑惑" の告発を、「またもデマだった!」として独自調査の結果を掲載。
6月25日  公明党都議会議員・藤原行正、池田大作名誉会長を「学会・党を私物化している」と公然批判。(「週刊新潮」8月29日号 )
6月25日
 顕正会、6月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「いま日本国において、大聖人の御聖意のままに立正安国論を実践している団体は、ただ顕正会のみ」
6月26日
 顕正会、本部会議開催。壮年・婦人・男子・女子、各部の所属基準決定さる。
6月27日  創価学会、聖教新聞社説に「金銭貸借禁止令」掲載。「最近、金などの現物まがい商法や、株にまつわる詐欺事件など悪徳商法が横行し、お年寄りや主婦の間で被害が急増し、大きな社会問題となっている。… 学会においては『同志間の金銭貸借は厳禁』が伝統である。金銭の問題で同志を苦しめ、負担をかけることは厳に戒めたい」
「昭和60年6月27日付けの「社説」が言及している「金などの現物まがい商法」とは、金のペーパー商法で多くの被害者を出した豊田商事事件のことだが、この事件では、刺殺された永野会長が創価学会員だったのをはじめ、多くの会員が被害者となった。幹部が会員を利殖で誘うマルチ商法が会内で横行したのである。そこには当然、金銭貸借がからんでいたのだ」(「週刊実話」97年8月21・28日号 )
6月30日
 顕正会、第1回長野大会、長野全逓会館で開催。豪雨の中、198名が参加。浅井昭衛会長「豪雨に打ち勝って開かれた長野大会こそ、まさしく信州広布の幕明けである」
6月30日  日本共産党「赤旗」、選挙関係の創価学会内部文書を暴露。座談会での模範演説文、「創立55周年の大きな時節に行なわれる都議選におきましては、先生が示して下さった "広布の縮図" を何としても作っていく第一歩の戦いととらえて戦う … 」など。
6月 日  公明新聞、81年那覇市架空住民票移動事件の調査結果を掲載。架空転入者のうち創価学会員は2名だけで、しかもその2名も保守系候補を支援するためだったと主張、これにより「一部政党のデッチ上げ体質が指弾されるにとどまらず、これまでの一部マスコミを含めた公明党に対するいわれなき住民票移動呼ばわりに完全に終止符が打たれた」と。
7月1日
 顕正会、男子部班長会開催。浅井昭衛会長、立正安国論の月に因み「近づく破局・他国侵逼を誰一人気づかず、ただ目先の安逸をむさぼっている今の日本は、まさにタイタ ニック号の乗客と同じ」と。
7月3日
 顕正会、婦人部班長会開催、浅井昭衛会長「活動する組織を作ったいま、全幹部が呼吸を合わせ団結せよ」
7月4日
 顕正会、支部班長会開催、浅井昭衛会長「壮年は支部の柱、一家の柱である。壮年が毅然たる信心に立つ時、支部も家庭も盤石となる。もし壮年に決意がなく、力がなけれ ば、頼りない支部、暗い家庭となる。壮年部は 大奮起せよ」と。
7月4日  創価学会、第5回世界青年平和文化祭開催(ハワイ・ホノルル市)。
 阿部日顕管長夫妻、藤本栄道総監、池田大作名誉会長、ノリエガ将軍(パナマ共和国)、アリヨシ州知事らが出席。(「聖教新聞」7月6日号 )
(※ ノリエガ将軍は83年に国防軍司令官に就任、事実上の最高権力者として政治の実権を掌握した。反政府活動家の弾圧に加え、自らを解任しようとした大統領を罷免に追い込むなど「独裁者」として振る舞った。隣国コロンビアの麻薬組織(メデジン・カルテル)と結びつき、パナマからアメリカ合衆国へコカインなどを密輸するルートを私物化した。1989年に大統領選挙に出馬したが、落選が確実になると軍をあげて選挙の無効を宣言、直属の私兵組織を動員し反対者を鎮圧した。その5日後、麻薬の不正浄化、在パナマ・アメリカ軍兵士殺害、選挙結果の不履行を理由に、アメリカ合衆国・ジョージ・H・W・ブッシュ大統領によるアメリカ軍のパナマ侵攻を受け、パナマ国防軍は敗北・投降した。ノリエガ元将軍は、麻薬密輸の罪で懲役40年(後に30年に減刑)の判決を受け、2017年5月29日 83歳で死去した。Wikipedia 参照 )
7月5日  創価学会、池田大作名誉会長、ホノルル・パンチポールの丘の太平洋国立記念墓地に献花。ノリエガ将軍、プラッドレー・ロサンゼルス市長、マカカ連邦下院議員、アリヨシ州知事夫人らが出席。(「聖教新聞」7月7日号 )
7月7日
 顕正会、群馬大会、群馬県民会館で開催。325名が参加。浅井昭衛会長「本日の群馬大会こそ、わずか1年でも、やればできるという証拠を示した意義深き大会である」
7月7日  東京都議会議員選挙、2期目の鈴木俊一都政に対する中間評価、公明党は2議席を増やし29議席を獲得した。
7月9~28日
 顕正会、7月度学習会、「四条金吾殿御返事」を拝読。 6,712名が参加。(全国47会場、この7月より重複参加は算入せず)
7月19日  公明党・田代富士男議員、自家用砂利船転用についての質問主意書を提出。
「第92回国会(特別会) 砂利石材船の一元化に関する質問主意書 右の質問主意書を国会法第七十四条によつて提出する。昭和五十五年七月十九日 田代富士男 参議院議長 徳永正利殿 …
 四年有余にわたつて、日本内航海運組合総連合会(以下「総連合会」という。)と全国砂利石材自家用船組合連合会(以下「全自連」という。)との間で話し合いが進められてきたが、今日なお問題の結着をみるに至つていない。…」
7月21日
 顕正会、第1回札幌大会、札幌市教育文化会館で開催。157名が参加。浅井昭衛会長「北海道の広宣流布こそ急がねばな らぬ。6百万道民の運命をになって、北海道の同志は立ち上がれ」
7月24日
 顕正会、7月度総幹部会開催、折伏成果 2,465名。浅井昭衛会長、六巻抄の発刊につき「広宣流布の日のために留め置かれた秘蔵の御法門書を、いま時来るがゆえに、顕正会員はほしいままに拝読することができる。まことに有難いことである」と。
 本部幹事に橋本幸郎 任命さる。
7月29日  第三文明社、創価学会青年部反戦出版委員会「戦争を知らない世代へ」、シリーズ全80巻が完結。
8月2日  公明新聞、中曽根康弘首相の靖国神社参拝を批判。かしわ手を打たず、公費支出も玉ぐし料ではなく「供花料」名目なので問題なし、としたことについて「参拝する側の手ぶり一つでパッと相手は宗教でなくなる、などという宗教解釈を正気で国家の見解にできるだろうか」と。
8月4日
 顕正会、「長野事務所」開設さる。
8月11日  創価学会、戸田記念墓地公園(厚田)で、北海道広布記念碑を除幕。
8月12日
 顕正会、橋本幸郎本部幹事、ハワイに赴き初の折伏弘通、7名が入会。
8月15日  公明党、中曽根康弘首相の靖国参拝について、政策審議会長談話を発表。「いかなる参拝方式であれ、靖国神社が宗教団体である以上、憲法第20条に抵触することは明らかであり、供花料の公費負担も憲法第89条からみて疑義がある」
8月15日  週刊新潮、公明党都議会議員・藤原行正が、"池田大作名誉会長に反乱" と報じる。(「同」8月22日号 )
8月16~23日
 顕正会、青年部を中心に特別講習会「なぜ信心せねばならぬか」(ビデオ)開催。参加者 3,084名。
8月19日
 顕正会、日寬上人第二百六十遠忌御報恩勤行会、本部会館で厳修。「六巻抄」刊行さる。
 浅井昭衛会長「日寛上人こそ、未来事の広宣流布に備えて、教学上の完璧なる御用意を遊ばすために出現された超凡絶倫の聖者」と挨拶。
8月24日
 宗門、布教研修会編「正しい宗教と信仰」刊行。
8月24日  潮出版社、松山善三著「ああ人間山脈」(「フォーエバーセンセイ」取材の旅)を出版。
8月26日
 顕正会、冨士巻頭言、浅井昭衛会長「靖国公式参拝に思う
「終戦記念日の八月十五日、中曽根首相以下各閣僚が戦後始めて公人の資格で靖国神社を参拝したことが、いま大きな論議を呼び、秋の政争の焦点の一つにもなろうとしている。社会・公明・共産等各野党の反対理由は、公式参拝は政教分離を定めた憲法に違反し、また侵略戦争の肯定にもつながるからというものである。
 この問題の本質を考えるに、まず二つの視点がある。一つには戦没者の追悼儀式を国家が為すことの当否、いま一つはその追悼をいかなる方法を以て行うかということである。
 一について云えば、… これら戦争犠牲者に対しては、国家が追悼の儀式をなし、国家を代表して天皇陸下、そして総理大臣がこれに参列するのは、当然のことと云わねばならない。
 しかし問題はいま一つ、いかなる方法を以て追悼するかということである。ここに法の邪正が問題となって来る。これこそ最も重大なことと云わねばならぬ。… 後生を助ける正法はただ三大秘法の一法のみである。…
 仏法有縁の妙国日本であれば、近き将来必ずや三大秘法受持の本化国主も出現されよう。国立戒壇建立の大機運は冥々のうちに進んでいる。すべては顕正会の戦いにかかっているのである。それにしても、憲法違反だけを反対理由として、法の邪正を一言も云わぬ創価学会・公明党とは、まことに不思議な団体である。顕正会の使命は重い」(「冨士」第260号 )
8月26日
 顕正会、8月度総幹部会開催。浅井昭衛会長、立正安国の大精神を忘れ世間の名利を求める池田大作の堕落を指摘し、「顕正会こそ、大聖人の御心のままに、一筋に日本の広宣流布・国立戒壇建立に驀進せねばならぬ」と。
9月2日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「いま十万の節を越えた。次の節を越える時、顕正会は日本を動かす団体となる」
9月3日
 顕正会、女子部班長会開催、 浅井昭衛会長「早く顕正会は力を持ち、大聖人様の立正安国の大師子吼を、全日本人の目に入れしめればならない。急ごうではないか」
9月4日
 顕正会、婦人部幹部会開催。浅井昭衛会長、六巻抄の拝読につき「十年・二十年、いや生涯をかけてわからせて頂きたいとの、 重厚な信心の姿勢で拝読せよ」と。
9月5日  創価学会、9月度全国県長会議開催(東京・広宣会館)。副会長に長谷川重夫、神谷巌、梅林二也、確井昭雄、久松忠、八谷洋一、辻仁志、新山士朗、井上正路、小島宏章の10名が就任、副会長の総数は66名となった。(「聖教新聞」9月6日号 )
9月6日  創価学会、聖教新聞「名字の言」、「太平洋と大西洋を結ぶ "第ニパナマ運河" が実現へ一歩動きだした。… パナマ運河の入り口にある景勝の地・フラメンコ島は、ノリエガ将軍から『池田展望山』と命名された。同地は四年前の二月、池田SGI会長と将軍の友情に満ちた平和会談の思い出をとどめている。新運河には平和と信頼を運んでもらいたい」
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長、開目抄の「子丑の時に......」の深意について講演。
 浅井昭衛著「宗教批判の原理」発刊。
9月22日  プラザ合意、先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議でなされた、為替レート安定化に関する合意。各国の外国為替市場の協調介入により、ドル高を是正しアメリカの貿易赤字を削減することで、アメリカの輸出競争力を高める狙い。この後、日本は円高不況を経て、バブルへ向かう。
9月23日
 顕正会、9月度学習会、「種々御振舞抄」を拝読。参加者 6,839 (全国49会場)。
9月25日
 顕正会、9月度総幹部会開催、折伏成果 3,456名。9月末会員総数、106,902名。
 浅井昭衛会長、二度にわたるソ連の北海道上陸を想定した演習について言及、「今はまだ演習であるが、このようなことが事実となるのはいつか。… ゆえにこそ立正安国を一国に迫る唯一の団体たる顕正会の前進が急がれるのである。私は必ず間に合うと確信している」と。
10月1日
 顕正会、冨士巻頭言、浅井昭衛会長「歓喜の遥拝勤行を
「勤行には直拝勤行と遥拝勤行がある。すなわち御本尊を直接拝して南無妙法蓮華経と唱え奉るのが直拝勤行であり、遥か遠くから拝みまいらせるのが遥拝勤行である。… 共に御本尊を信じ唱える本門の題目である。… 遥拝勤行において最も大切なことは、眼前に御本尊ましますとの思いを以て、至心に勤行申し上げることである。… 御在世においては、入信早々の信者は一人の例外もなく遥拝勤行であった。弘安元年に入信して翌二年の熱原の大法難に身命を賭された熱原の法華講衆も、遥拝勤行に徹してあの大仏事を成ぜられたのである。… 御在世の信行を今に移す歓喜の遥拝勤行に励もうではないか」(「冨士」第261号 )
 男子部班長会開催、浅井昭衛会長「いま顕正会は十万、あと一段階前進した時、一国諫暁の戦いに立たねばならぬ。この時一国は必ず動く。この御奉公こそ顕正会にとって最後の御奉公であり、これが、"第三の戦い"である」と。
10月4日
 顕正会、壮年部幹部会開催、浅井昭衛会長「幹部会を人材養成の熔鉱炉に」
10月5日  創価学会、石田次男、「池田大作は外道であって地獄に堕つる」と批判。(月刊「現代」11月号 )
10月10日
 顕正会、第8回高知支部大会、県民文化ホールで開催。参加者 1,188名。
 浅井昭衛会長「いま全国広布は着々と進み、もう日本全国いかなる県でも、百名結集ができるようになった。この地方広布の先陣を切っているのが、この高知支部である」
10月11/27日
 顕正会、10月度学習会、「聖人御難事」を拝読。参加者 6,305 (全国56会場)
10月12日
 宗門、大石寺開創七百年記念第2回慶祝準備会議開催(総本山)、両委員会が発足。「慶祝奉修委員会」、藤本栄道委員長、早瀬日慈副委員長。「慶讃委員会」、池田大作委員長、秋谷栄之助副委員長。
 池田大作委員長「総本山を荘厳申し上げる意義から、私どもは一閻浮提総与の本門戒壇の大御本尊まします正本堂を、本格的に補修整備いたし、荘厳申し上げることが何よりも根本と思うものでございます。… 大石寺開創七百年を慶祝する、この計画の記念事業は、万代にわたる極めて意義深きものがあると思っております。これからも現下の御指南をいただきながら、万遺漏なきよう宗開両祖のお心に叶う、すがすがしい真心の結晶とさせていただきたいと念願する次第でございます」(「大日蓮」11月号 )
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で奉修。浅井昭衛会長、富木殿御返事の「事相たる故に一重の大難之れ有るか」の一節を引き、令法久住について講演。
「三大秘法のうち本門の本尊と題目は御在世に流布するも、本門戒壇の一事のみは滅後に建立されることを密示されている。この「富木殿御返事」は短い御消息であるが、まことに重大な御書であります。… 戒壇の滅後実現は、御化導の始めよりの御聖意であられる。その文証がこの「富木殿御返事」であります。
 では、なぜ大聖人は本門の戒壇を御在世中に成就し給わなかったのでありましょうか。蒙古の襲来も大聖人を境として起こり、また竜の口においては法界も大感応を示し国家権力もひれ伏している。かかる御本仏の御威徳を以てすれば、御在世中の広宣流布・国立戒壇も実現しないはずはないと思われる。しかるにその実現を滅後に遺命し給うた御聖意は那辺にあられるか。凡慮の及ぶところではないが、伏して拝し奉るに、偏えに令法久住のためと拝すべきであります。もし大聖人の仏力により御在世中に簡単に国立戒壇が実現したら、大衆はこれを軽く見てしまう。この大法を当り前のように思い、有難さをいのちに染める深刻さに欠ける。… 無数の仏弟子の死身弘法と深刻なる国家体験を経て、始めて国中に命がけの帰依がみなぎり、その時「勅宣並びに御教書」も申し下され、本門戒壇は実現する。かくて建立された本門の戒壇は永遠に日本の魂、世界の中心となる。まことに戒壇建立の滅後実現の御聖意、深く深く拝すべきであります。…
 では滅後の広宣流布はいつ実現するのか。それは、広宣流布せねば日本が、人類が、破滅する時であります。ならば、今まさにその時といわねばなりません。ゆえに私はくり返し「もう広宣流布せねばならぬ時、また大聖人の御威徳によりやれば必ず出来る時」と叫んでいるのであります」(「冨士」第262号 )
10月15日  日新報道、藤原弘達著「創価学会・公明党をブッた斬る」を発行。
10月17日  東京高等裁判所(第4民事部)、宮本邸電話盗聴事件裁判控訴審の第1回口頭弁論。
10月20日
 顕正会、第1回千葉大会、千葉県教育会館で開催。参加者 664名。
 浅井昭衛会長「千葉は大聖人の御誕生の地、また初めて三大秘法を弘通遊ばされた地である。この国土世間に誇りをもち、房総広布の大潮流を起こせ」
10月25日
 顕正会、10月度総幹部会開催。浅井昭衛会長、武道館大総会の日程を「明年の4月27日、意義深き宗旨御建立の前日に決定」と発表。
10月27日
 顕正会、第6回大阪支部大会、京都労働者総合会館大ホールで開催。参加者 518名。
 浅井昭衛会長「広宣流布は、東京と大阪が日本列島における二つの眼として、共に立たなければいけない。現在東京に比べ、大阪がまだおくれている。大阪支部は奮起して、この遅れを取り戻せ」
10月31日  創価学会、池田大作名誉会長、狭心症の疑いで東京女子医大へ入院。(「読売新聞」11月6日号 )
「10月31日から11月10日までの10日間、名誉会長は東京女子医大病院に入院した。原因は糖尿病からくる心臓疾患。当時は気温が25度を下回ると発作が生じるということで、名誉会長が出席する会合には、すべて温度を25度以上に保つための空調機器が選びこまれた」(「週刊実話」平成6年8月4日号 )
「85年10月31日、池田氏は東京女子医大病院に入院した。最終的に創価学会は11月6日になって「風邪と疲れのため」と入院した事実を認めたが、当初は東京・新宿区内にある東京女子医大病院に詰めかけた報道陣に対し、事実を否定し続けたのである。このため、マスコミは、創価学会の情報統制にてんてこ舞いさせられたのだ。同様に、84年に池田氏の次男城久氏が29歳の若さで急逝した際にも、創価学会は池田城久氏の死去の報を1日公表しなかったため、事実確認のために報道陣は右往左往させられた」(「週刊実話」2003年1月23日号 )
11月2日  創価学会、石田次男、池田大作を批判して「学会は仏罰製造会社だ」と内藤国夫に語る。(「諸君」12月号 )
11月8日  創価学会、新版「仏教哲学大辞典」刊行。
11月10日  創価学会、池田大作名誉会長、東京女子医大病院を退院。(「聖教新聞」11月12日号 )
11月11/23日
 顕正会、11月度学習会、「大田入道殿御返事」を拝読。参加者 6,855名 (全国57会場)
11月12日  創価学会、信濃町の文化会館に短銃二発打ち込まれる。犯人 山中清史は、山口組系暴力団 後藤組々員。警備の創価学会員に捕り押えられ、駆けつけた四谷警察署員に逮捕された。山中清史は「学会の問題で頭に来ていたので脅しに撃った」と語る。(「週間サンケイ」11月12日号 )
「藤井(富雄)さんが後藤組長と接触する直接のきっかけは、学会本部が右翼・暴力団の街宣車に悩まされたことでした。それを抑えるため藤井さんは元警視総監らの仲介で後藤組長に会い、彼とのパイプをつくった。それ以来、藤井さんは学会の裏の仕事を引き受けるようになり、『醜の御盾』、つまり学会の裏社会に対する防波堤として力をつけていったんです」(「野中広務 権力二十年戦争」魚住 昭 「現代」2004年2月号 )
「これには池田もビビッただろうな。そりゃそうだわ、行く先々で"パン"って音がするんだから(笑)。それで慌てて、俺んところに池田の使いが飛んできて、侘びを入れてきたんだ」(「フライデー」 後藤組元組長 平成22年5月28日号 )
11月15日
 顕正会、第三祖日目上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長、日目上人が最後天奏の時に所持された申状を奉読。
「この申状の一文一句には、大聖人様の御遺命に応え奉らんとの、日目上人の命がけの御一念がこめられております。… 途上で命尽きるを御存知の上で、あえて国諫に立ち給うたこの御振舞いこそ、大聖人に対し奉る大忠誠心、そして滅後門下の我々に身を以て示し給うた死身弘法であります。… 「先師の地望」とは、大聖人が胸に懐き給うた国立戒壇の大願であります。この大願を遂げんがために日目上人は国諫あそばしたのであります。 而して六百五十三年後の今日、この「先師の地望」は、未だ遂げられていない。未だ国立戒壇は建立されてない。「いま広布の前夜、御遺命を守護しまいらせた顕正会こそ、日目上人のこの御精神を鑑として「先師の地望」実現に、体をぶつけて御奉公せねばなりません」(「冨士」第263号 )
11月18日  創価学会、池田大作名誉会長、創価学会創立五十五周年記念祝賀表彰式に欠席。(「聖教新聞」11月19日号 )
11月18日  地震予知連絡会、茂木清夫副会長、「東海沖に48年以降マグニチュード4.2以上の地震がなく、地震空白域を形成、東海地震の前兆と思われる」と指摘。(「日本経済新聞」11月19日号 )
11月20日
 顕正会、松戸事務所(千葉県松戸市)開設さる。
11月21日  東京高等裁判所(第八民事部)、正信会より提訴の「管長の地位不存在確認請求訴訟」の訴えを棄却。正信会、直ちに最高裁へ上告。(「継命」12月15日号 )
「日顕上人の血脈を否定する者(岩瀬正山ほか百七十三人)が、日顕上人等に対して日蓮正宗の管長、代表役員の地位不存在確認の本訴と、それらの職務執行停止を求める仮処分の裁判を起こしていたが、東京高裁第八民事部(鈴木重信裁判長)は21日、宗門側の主張を全面的に認め『控訴棄却』の判決を言い渡した」(「聖教新聞」11月22日号 )
11月21日  創価学会、池田大作名誉会長、総本山大石寺御会式に欠席。(「聖教新聞」11月21日号 )
11月21日  週間文春、創価学会と山口組系暴力団後藤組との「黒い交際」を暴露。(「同誌」11月28日号 )
11月26日
 顕正会、11月度総幹部会開催、折伏成果 3,479名。11月末会員総数 110,381名。浅井昭衛会長「11月法戦の勝利により、大総会への道は大きく開かれた」
11月27日
 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長「男子部・女子部の逞しい弘通と相呼応して、壮年部・婦人部も力強く立ち、ここに23年後を見つめての四者肩を並べた盤石の基礎は大総会までに必ず整う見通しが立った」
11月 日  創価学会、池田大作名誉会長,インド共和国のラジブ・ガンジー首相と会談。
 ガンジーの祖父はインドの初代首相・ジャワハルラール・ネルー、母はインド首相のインディラ・ガンディー、母の死に伴い1984年10月31日に40歳でインドの首相となった。1991年5月21日、スリランカの反政府武装組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)による自爆テロで暗殺された。
12月3日
 顕正会、婦人部幹部会開催、参加者 416名。浅井昭衛会長「婦人部は、戦う婦人部として団結が出来てきた」
12月4日
 顕正会、壮年部幹部会開催、参加者 363名。浅井昭衛会長「やがて壮年部で、五百、千、二千の折伏をなす時が、遠からず来る。… 壮年部は団結し、"同期の桜" の心意気で立て」
12月4日  創価学会、創価新報、正信会を "狂気のさた" と批判。
「日顕上人は、54年7月22日の日達上人の御遷化にともない、第67世法主・管長に就任。以来1年半にわたって、彼ら(※ 正信会)も日顕上人を法主と仰いていたのである。また、彼ら自身、かっては法主の地位や血脈相承についてうんぬんすることは甚だしい謗法である、と明言していた。こうした経緯からも明らかなように、彼らの訴えは要するに、自分たちの思い通りにならない日顕上人を法主の座から追い落とそうとした、タメにするものに他ならない。いかにタメにするものとはいえ、御法主上人の血脈を否定し、あまつさえ裁判に訴えるなど、日蓮正宗の仏飯をはんだ者には、およそ考えられない所業であり、狂気のさたとしかいいようがない」(「同」12月4日号 )
「現在も、日達上人御遷化の後、御当代御法主上人を非難している徒がいる。私は命を賭して猊下を御守り申し上げる決心である。彼ら(※ 正信会)は、以前には、総本山が根本であると私どもを叱咤しておきながら、いまは手の平を返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言語道断もはなはだしい」(「広布と人生を語る」池田大作 )
12月4日  公明党、第23回党大会開催。竹入義勝委員長、質疑応答で「国民の期待にこたえるものならば、護憲、反軍拡を条件に、集団、派閥、党を問わず、だれとでも連合協議に応じる」と、連合政権づくりに積極的に臨む考えを明らかにした。中曽根康弘首相の「戦後政治の総決算」路線について、「"改憲"に結びつくものとして見過ごしにはできません」と批判。路線問題では、(1) 憲法はあくまでも擁護、(2) 軍拡路線を志向しない、「この二点、すなわち現憲法を擁護する姿勢を明確にした勢力であれば、……『話し合い』は避けるべきではない。… 一定の条件が満たされるならば、日本の将来について党派を超えて政策的な話し合いをおこなってもよいのではないか」
12月8日  創価学会、池袋サンシャインビルで「世界の教科書展」を開催。
12月11日
 顕正会、教学部会、浅井昭衛会長「開目抄」を講ず。
12月16日
 顕正会、教学部会における「立正安国論」(講師石原康一教学部長)の講義終了。
12月20日  自由民主党と公明党の幹部が極秘会談。自民党 ― 金丸信、竹下登、小沢一郎、公明党 ― 竹入義勝、権藤恒夫。
「公明権藤国対委員長に会館に呼ばれる。… 竹入委員長の退陣を確実なものにするための、矢野さんのゆさぶりである。竹入側近の権藤さんが、大勢の前で恥をかかされたということになる。矢野派と竹入派の亀裂はどんどん深まった。矢野さんは中曽根側に、竹入・権藤ラインは、自民党の反中曽根勢力である金丸・竹下・小沢ラインに接近し始めたのだ。…
 12月20日、自民党から金丸、竹下、小沢、公明党から竹入、権藤の5人で、青山墓地の裏手にある小料理屋で極秘会談を行なった。私は参加していないが、ここで自民―公明の提携構想が動き出すのである。しかし結局この構想も実現はしなかった。中曽根さんが61年、「八増七減案」を無理やり成立させて、衆参同日選挙を実施したからだ。自民党は大勝利し、中曽根さんは自民党単独政権を作り上げたのだ」(「公明党「汚れた裏面史」全真相」平野貞夫 「現代」2004年5月号 )
12月24日
 顕正会、12月度総幹部会開催。 婦人部参与に寺田富士恵、高知支部担当に黒岩マキ任命さる。
12月 日  野村沙知代、「明日晴れたら」で潮賞を受賞。新しい着眼点の作品を顕彰する潮出版社の賞で、小説とノンフィクションの2部門がある。2001年、第20回で中止となった。
「沙知代容疑者が、サッチーとして社会進出するきっかけとなったのは、実は学会の外郭企業である潮出版社が設けているノンフィクション賞を受賞したことが契機だった。… これを契機に彼女は、苦難を乗り越える強い女というイメージで、テレビなどに進出することになった。…
 創価学会の元本部幹部が次のように言う。「サッチーが『潮賞』を受賞した’85年前後に、学会では創価学園の野球部の強化が図られていた。… 強化策の中心となったのが、サッチーがオーナーを務める港東ムースからの選手スカウトだった。創価学園では部外生という制度を設け、非学会員である港東ムースの選手を受け入れた」
 創価学園の元関係者も次のように言う。「野村沙知代が創価学園に港東の選手を送り込むにあたって、謝礼が支払われているという噂はずいぶん前から確かにあった」
 もしもこうした噂が本当ならば、少年野球チームの選手の進学に際し多額の謝礼を要求する沙知代容疑者の銭ゲバ手口は、このときに確立されたものだともいえる」(「週刊実話」2001年12月27日号 )
 
  年表  
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館で9回に分けて厳修。
 浅井昭衛会長、年頭の辞「大総会の年」、「本年の眼目は、申すまでもなく四月二十七日の武道館大総会である。… いよいよ一国広布の最終地点を見据え、前進を開始するその大儀式が、今回の武道館大総会なのである。
 而していま日本を見れば、泡沫のごとき経済繁栄も漸く峠にさしかかり、戦後四十年の歴史は、本年まさに一大転機を迎えたごとくである。これより破局は年々にその様相を濃くして行くこと、疑いなきところである。宗門を見れば、すでに学会は御遺命に背いた罰により、本格的崩壊を見せ始めている。いま正系門家・日蓮正宗の中において、仏勅に応え奉り国立戒壇建立を推進する団体は、顕正会以外には断じてない。全顕正会員は大総会の一点を見つめ、大聖人の御照覧を頂く信心と生活を確立しよう。そして大総会を期として、いよいよ四者肩を並べ、一国広布へ堂々の前進を開始しようではないか。昭和六十一年元旦」(「冨士」第264号 )
1月4日
 顕正会、男子部班長会開催。浅井昭衛会長「顕正会は未だ曽って、折伏もせずに口先だけで物を云ったことはない。常に真剣なる死身弘法によって大聖人より一つ一つ発言の資格を頂き、時に叶う御奉公を貫いてきた」と。
1月5日
 顕正会、女子部班長会開催。浅井昭衛会長「今回の大総会は顕正会の歴史において最も大事。そのゆえは、十万の確証を背景として、いよいよ広布の最終地点を見据えて立つ大儀式なるがゆえである」と。
1月5/10日
 顕正会、初講義開催「日蓮大聖人一代御化導の大綱」について浅井先生の講義をビデオ放映。参加者5,440名。
1月6日
 宗門、阿部日顕管長。末寺住職・寺族初登山において、一部僧侶の国立戒壇論支持を批判。(「大日蓮」2月号 )
1月7日
 顕正会、壮年部幹部会開催。浅井昭衛会長「正本堂の誑惑以来、ソ連の軍事脅威増大す」と。
1月12日
 顕正会、教学部三級昇格試験(開目抄・立正安国論)全国19ヶ所で実施。1,295名が受験。
1月15日
 顕正会、成人式、本部会館で行う。参加者約3百名。浅井昭衛会長「仏法持つ人生は必ず末広がり、若い時大法に縁した宿縁を思え、諸君は顕正会が五千法城を実現した年に生れ、大総会の年に成人に達したことを忘れるな」と。
1月19日
 顕正会、教学部二級昇格試験、全国5ヶ所で実施。164名が受験。教学部登用試験、全国40ヶ所で実施。1,944名が受験。
1月25日
 顕正会、本部会議開催。本部会館の入信勤行、2月1日より毎時正刻に開始することを決定。
1月26日  創価学会、第11回「SGIの日」、池田大作名誉会長が記念提言。「アジア・太平洋平和文化機構」の構想提示。韓国、北朝鮮が「相互不可侵・不戦」を誓約し、"恒久平和へ対話の大道を" と。
1月27日
 顕正会、1月度総幹部会開催。浅井昭衛会長「"折伏"の二字を聞いて奮い立たぬは仏弟子ではない。大衆は心の奥で仏法を求めている」と。
1月 日  創価学会、石田次男、創価学会批判記事を発表。創価学会から離反。
2月1日
 顕正会、冨士巻頭言「根ふかければ枝しげし」、浅井昭衛会長「日蓮大聖人が御一人始めて唱え出された三大秘法の南無妙法蓮華経は、大聖人の御予言のごとく二人・三人・百人・千人と次第に唱え伝えられ、今や日本国に広宣流布せんとしている。そして日本の広布が達成されれば、全世界への流布も目睫(もくしょう)の間にある。やがて地球上のすべての人類が、一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る日が必ず来るのである。… まことに大聖人の大慈悲の根深きがゆえに、流布の枝は広く永く茂る。「根ふかければ枝しげし」の仰せ、よくよく拝すべきである」(「冨士」第265号 )
 男子部班長会開催、浅井昭衛会長「政治革命はただ権力の移動に過ぎぬ、信仰革命こそ権力を仏界の働きにする。この信仰革命によって仏国土を築く以外に真の国家安泰はない」
(※ 目睫の間:距離や時間が、きわめて接近していること。目と睫(まつげ)の間のように )
2月4日
 顕正会、壮年部幹部会開催。参加者394名。浅井昭衛会長「折伏は組織がやるのではない。一人一人の仏道修行である」と。
2月5日
 顕正会、「柏事務所」千葉県柏市に開設。
2月7日
 顕正会、第二祖日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長、末法下種の僧宝・日興上人の御徳について指導。
2月10・23日
 顕正会、2月度学習会、「種々御振舞御書」を拝読。参加者6,571名 (全国61会場)
2月13日
 顕正会、「観心本尊抄」講義録再版さる。
2月24日
 顕正会、2月度総幹部会開催。折伏成果 2,364名。浅井昭衛会長「仏法は体、世間は影である。正本堂の証惑よりソ連の軍事的脅威が増して来ている。大総会を、大聖人様は必ず御照覧下さる」と。管理室長に小峰勝彦 任命さる。
2月25日  フィリピン共和国、フェルディナンド・マルコス大統領が国外脱出。約20年間にわたって権力を握ったが、約100万人がマニラのエドゥサ通りを埋めたエドゥサ革命によって打倒され、マラカニアン宮殿が包囲された。コラソン・アキノ大統領が就任。
2月27日
 顕正会、冨士巻頭言「あと二ヶ月」、浅井昭衛会長「武道館大総会まであと二ヶ月。今回の大総会は、正系門家・日蓮正宗の中で、ひとり御遺命を死守し十万の弘通を成した顕正会が、仏勅に応え奉りいよいよ一国広布の最終地点を見据えて立つ大儀式なれば、大聖人は必ず御照戴遊ばす。かかる大事の大総会に、信心不純な者は参加する資格がない。全員、純粋強盛な信心に立ち、御本仏の御馬前に馳せる思いを以て参加しよう」(「冨士」第266号 )
2月27日  創価学会、池田大作名誉会長。研修会にて法然・大本教・マルクス等を例に挙げ、「大いなる偉業に苦難は必定」と。(「聖教新聞」2月27日号 )
2月 日  岩崎美術社、「葛飾北斎富嶽百景」(鈴木重三監修・解説)発行。「大石寺の山中の不二」をモノクロで収録。
3月2日
 顕正会、男子部班長会開催。浅井昭衛会長「今回の大総会は、御遺命を守護して十万の弘通をなしとげた顕正会が、いよいよ仏勅に応え奉り一国広布の最終地点を見据えて立つ大儀式である」と。
3月4日
 顕正会、婦人部幹部会開催。浅井昭衛会長「あと2ヶ月で婦人部は革命的充実をなせ」と。
3月5日
 顕正会、壮年部幹部会開催。浅井昭衛会長「新しい組織を組んだ壮年部が、広宣流布へ御奉公する初陣が今回の大総会」と。
3月10日
 顕正会、「立正安国論」の講義開始。講師・加藤礼子一級部員。
3月11日
 顕正会、女子部有志を以て鼓笛隊結成。
3月15/23日
 顕正会、3月度学習会、「乙御前御消息」を拝読。参加者 7,407名 (全国62会場)
3月15日
 正信会機関紙「継命」、公明党の教育調査の狙いを、(1) "教育の党"のイメージづくり、(2) 教育部(学会員教員)による教育界の乗っ取り、(3) "自公連合"のため"教育"を接着剤に、と分析。
3月26日
 顕正会、3月度総幹部会開催。浅井昭衛会長「眷属なき単己の菩薩では情けない、戦いきった姿を大聖人様に見て頂こう」と。男子部主任幹事に浅井克衛任命さる。
3月29日  山崎正友、秘密クラブにおける賭けマージャン容疑で逮捕される。(「週間サンケイ」3月29日号 )
3月30日  山崎正友、保釈。
4月2日
 顕正会、男子部幹部会、豊島公会堂で開催。参加者923名。浅井昭衛会長「男子部幹部会を豊島公会堂で開くことになったのは、男子部の歴史において新段階である。毎月全幹部一同に会し、広布推進を確認していこう」と。
4月3日
 顕正会、女子部幹部会、豊島公会堂で開く。参加者一、○二二名。浅井昭衛会長「もし女子部の幹部会が毎月武道館で開かれるようになったら、広宣流布はもう手が届く。それを楽しみに、毎月この幹部会を充実せよ」と。
4月10日  週刊文春、山崎正友の「麻雀賭博で『いけにえ逮捕』された私」と題する手記を掲載。
「私が麻布の店で麻雀をしたのは、咋年8月、9月は4、5回ずつ、10月以降は月に2回行ったか行かないかである。… 最初は4人麻雀をしていたが、メンバーの1人のKがどうしても3人麻雀をしたいというので、竹本氏が抜けた。私は3人麻雀がきらいなので気が進まなかったが、誰か替わりが来るまでというので応じた」(「同」4月17日号 )
「山崎はこの「3人麻雀」が今回の容疑事実だとしている。そして自分が現行犯でもないのに麻雀賭博容疑で逮捕されたことは不当であるとし、かつ政治的背景のある逮捕であると主張した。そのうえで麻雀屋に警察が踏み込んだ時、たくさんのカメラマンがついてきており写真を撮ったのは不自然だとも主張している」(「反逆の裏にある顔」北林芳典 )
4月15日  創価学会、福島源次郎、池田大作名誉会長に「誠諫之書」(第1回) を送附。( 全3回 )
4月16日
 宗門、智妙寺(千葉)落慶入仏式、阿部日顕管長「法華講総講頭・池田先生ほか創価学会の幹部の方々、また一般会員の方々が、この大聖人様の仏法、そして日蓮正宗をどこまでも護り、広宣流布をしていくこと以外に人類の幸せはないという深い信念においてこのような供養をしてくださっておるということを、私は有り難く存じておるのであります」(「聖教新聞」4月17日号 )
4月26日  チェルノブイリ原子力発電所事故。ソビエト社会主義共和国連邦、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で、大規模な爆発事故発生。4号炉は保守点検作業中で、冷却水用電源をタービン発電機の慣性回転による発電で確保する実験を行っている最中、原子炉が暴走し蒸気爆発を起こした。
4月27日
 顕正会、日本武道館で第24回総会挙行、1万有余名が参加。浅井昭衛会長、一国広布の具体的大路線発表、「百万を十年で、三段階で一国広布を
「三年半前の総会において私は、日本は将来三つの原因、とりわけ世界大動乱の大渦に巻きこまれ、必ず破局に至るということを断言いたしました。これは私が凡夫の勝手な見解から申したことではありません。経文には末法の時代を「闘諍堅固」と定め、さらに御本仏日蓮大聖人は「前代未聞の大闘諍、一閻浮提に起こるべし」… と御断定さおります。… ゆえに私は、いままさにその時なりと考え、これを云い切ったわけであります。…
 日本海を基地とする太平洋艦隊はソ連海軍中の最大規模のものとなり、… いまや日本列島はソ連の潜水艦・爆撃機・核基地に取り囲まれ、完全にその勢力権下にあるという状態になっております。思えば、大事の御遺命が日蓮正宗において曲げられ始めたのが、昭和四十年でありました。そしてそれより間もなく、ソ連の目が徐々に日本に向けられ、ついに今日の重大なる脅威に至ったこと、仏法の上より見る時、まことに重大と感ぜざるを得ません。…
 思うに非力の凡夫が、一国広布などという重大事を、たやすく口にすることは憚りがある。… しかるに顕正会はこの弾圧の嵐の中に必死の折伏弘通を進め、昨年五月、ついに十万の弘通を成しとげたのであります。かくのごとき事例 七百年の歴史に未だ曽て見ぬところ、このような難事がどうして非力の凡夫になし得ましょうか。…
 私は、広宣流布までの目標を、三つの段階に分けて考えております。第一の目標は百万の達成であります。第二の目標は一千万。そして第三が一億までの弘通であります。まず第一の目標百万を、私は今後十年間で成しとげようと決意しております。そして百万から一千万までを次の七年で成しとげる。さらに一千万から一億の弘通を、次の七年で成しとげる。これが私の決意であります。非力の凡夫の成し得るところではないが、御本仏の御守護を頂けば必ず成しとげられると、私は確信しております。…
 顧れば、顕正会がやっとその弘通千名に達したのが昭和三十四年、そして十倍の一万になったのが昭和四十七年、この間十三年でありました。そしてまた一万から十万までが、同じく十三年間でありました。… これを以て思うに、いまあらゆる試練を乗りこえ、仏勅を承けて立つ十一万三千の顕正会が、今後十年間で、どうして百万の弘通が出来ないことがありましょうか。私は断じて出来ると強く強く確信しておりますが、皆さんいかがでしょうか。(大拍手) …
 正系門家日蓮正宗が、いつまでもこのように御遺命を曲げたままの状態でいることがあり得ましょうか。顕正会の弘通が進むにつれ、必ずや英邁な御法主が出現され、顕正会の純粋な信心と一筋の御奉公を、深く御信頼下さる時が必ずまいります。…
 将来、全国民の過半数がお題目を唱えるようになった時、この憲法改正も必ず実現いたします。この憲法改正こそ御遺命実現の上の最大の関所、そしてこの戦いこそまさしく「第三の戦い」の完結であります。そしてこの時、「勅宣並びに御教書」は申し下され、富士山天母原に国立戒壇が厳然と建立され、戒壇の大御本尊がお出ましになるのであります。…
 もうすでに時は来ております。いま広宣流布ができなければ日本は亡びる、世界は亡びる。「我日本の柱とならむ、乃至ちかいし願やぶるべからず」と仰せられた大聖人様が、この人類絶滅の悲惨をどうして傍観遊ばすでしょうか。ならば必ず広宣流布は遠からず実現いたします。… 本日の大総会を期として、全員が一国広布の最終地点を見据え、まず第一段階の百万をめざし、本日より怒濤の前進を開始しようではありませんか。(大拍手)」(「冨士」第268号 )
4月29日
 顕正会、浅井甚兵衛顧問 第三回忌法要、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「いま顕正会は一国広布の最終地点を見据えて立つ段階に立ち至った。この御奉公を成し遂げることこそ、顧問先生への最大の報恩」と挨拶。
 本部会議開催、浅井昭衛会長「百万への初陣、まず三千の折伏を」と。
5月3日  創価学会、学会芸術部員 此木三九男、「アトリエの茶郎」と題する詩集を発行し、池田大作名誉会長を痛烈に風刺。
5月4日
 顕正会、壮年部・婦人部合同幹部会開催(豊島公会堂)。壮年部 439名、婦人部 489名が参加。
 浅井昭衛会長「大総会での発表こそ、顕正会29年の戦いを背景とした、私の命かけた発言である」
5月6日  大阪高等裁判所、正信会僧侶 久保川法章師(蓮華寺)の "僧籍剥奪処分"控訴審において「大阪地裁の現判決 (処分有効・久保川法章は寺を開け渡せ) は失当であるからこれを取り消す。本件の訴訟は、その実質において宗教上の争いに他ならず、裁判所が法律を適応して終局的な解決をするのは不可能」との判決を下す。( 月刊「諸君」7月号 )
 宗門・創価学会、判決を不服として上告。
5月7日
 顕正会、女子部幹部会、豊島公会堂で開催。参加者 1,000名。
5月8日
 顕正会、男子部幹部会、豊島公会堂で開催。参加者871名、浅井昭衛会長「第三の戦いこそ男子部の正念場」
5月11日  創価学会、本部長の集い開催 (神奈川文化会館)、池田大作名誉会長「法水写瓶の血脈にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つとも無益であり、功徳はないのである。すなわち『信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり』なのである。日蓮正宗を信奉し広布に挺身する創価学会には、『信心の血脈』が脈動している」(「聖教新聞」5月13日号 )
5月16日  創価学会、池田大作名誉会長、「大腸ポリープと7つの潰瘍」の病状を漏らした3人の医師(創価学会ドクター部)を解任。(「週刊宝石」5月15日号 )
5月18日  創価学会、学会本部常住御本尊御下付35周年記念勤行会(学会本部)。
 池田大作名誉会長「この学会本部常住の『大法弘通慈折広宣流布大願成就』の御本尊は … 総本山大石寺において、御法主日昇上人より、直接、戸田先生に御下付いただいている。… 日昇上人は第六十四世の猊座に登られた方で、御歴代の御法主上人は、みな学会を深くご理解くださっていたが、ことのほか学会を愛し、大切にしてくださった。そのお人柄、お振る舞いは、まことに敬い、尊ぶべき猊下であられた」(「聖教新聞」5月19日号 )
5月23日
 顕正会、本部会議開催、「学習会」を「御書講義」と改称。
5月25日  創価学会、聖教新聞、本部幹部会での "金銭貸借禁止" 記事を掲載。
 山崎良輔副会長「同志間の金銭貸借や組織を利用してお金を集めることは、いままでも厳に戒め合ってきたが、今後ともこの伝統は、いささかも変わってはならない」
5月25日  新日本出版社(共産党系)、吉良陽一著「実録創価学会=七つの大罪」を出版。
5月26日
 顕正会、5月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「顕正会は戒壇の大御本尊厳護の大精神に立ち、あらゆる仏敵を粉砕する」
5月26日  創価学会、聖教新聞社説「異体同心で新章節の建設へ」、「今日までの学会の勝利と栄光の歴史は、この御本仏の御金言通り、大御本尊を根本に、御法主上人の御指南を仰ぎつつ、歴代会長を中心にした、麗しき『異体同心』の歩みの中につづられてきた」(「同」5月26日号 )
6月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、巻頭言「一生成仏」を執筆。
6月2日
 顕正会、男子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 856名。浅井昭衛会長「この男子部に天下の人材が集ることを私は確信している。第三の戦い始まるまでに、力ある人材が揃わなければいけない」
6月3日
 顕正会、女子部幹部会、豊島公会堂で開催。参加者 1,007名。
6月5日
 顕正会、壮年部・婦人部合同幹部会、豊島公会堂で開催。壮年部 447名、婦人部 567名が参加。
6月8日
 顕正会、第1回新潟大会、万代シティーホールで開催、参加者 350名。浅井昭衛会長「新潟には大聖人様の尊き足跡が印されている。七百年前のこの大慈悲の御化導が、今日花開き、新潟広布の時を迎えたのである」
6月8日  創価学会、千葉県本部長会開催(千葉文化会館)、"聖教文化賞" など5賞の合同授賞式。
 池田大作名誉会長「民衆を軽んじ、侮蔑していくような指導者は、全くの時代錯誤の存在であると言わざるを得ない。… 宗教の権威をかさにきて、表面的にはさも立派そうにみせながら、その実、信者をへいげいしている宗教家も多い。信者をあたかも自分の家来のごとく扱い、何でも自分のいうことをきくのが「善男善女」だと思っているフシすらうかがえる。これは実に恐ろしいことである。とんでもない錯誤であると言わぎるをえない。私どもは、そうした姿が宗教本来の在り方からどれほど隔たっているかを、鋭く見破っていかなければならない」(「聖教新聞」6月10日号 )
(※ "お詫び登山" 以後、宗門に恭順の発言を繰り返していたが、ここで本音の "52年路線" が顔を出した。櫻川 忠 )
6月1022日
 顕正会、6月度御書講義、「弥源太殿御返事」を拝読。参加者 7,273名 (全国66会場)
6月25日
 顕正会、6月度総幹部会開催、5・6月度折伏成果 3,847名。
 総務に森本征昭・加藤礼子・長岡孝志 任命さる。
6月27日
 顕正会、支区部長会開催、浅井昭衛会長「組長の育成こそ大事である。抜擢しただけでは人材は育たない。支区部長・地区長・支隊長・総班長は常に組長を見守り、心を通わせ、暖く励まし組長の信心を守ってほしい。広宣流布はいつに組長の成長にかかっている」
7月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、巻頭言「勤行こそ仏道修行の基本」を執筆。
 男子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 878名。浅井昭衛会長「男子部の精鋭一万が集う時、一国は必ず動く。"第三の戦い" の開始までには、この一万結集を成しとげねばならぬ。男子部幹部はこのことを胸に刻め」
7月1日  諸君、内藤国夫の創価学会批判記事掲載。記事中に無断で、福島源次郎の「諌言書」(4月15日)を引用、出処は石田次男。(「同」8月号 )
7月2日
 顕正会、女子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者924名。浅井昭衛会長「千数百名の組長全員が力ある人材に成長したら、どれほど素晴らしい女子部になるか。女子部の将来は、いつにかかって組長の成長にある」
7月6日  衆参同日選挙、第38回衆議院議員総選挙。自由民主党圧勝、公認候補のみで300議席を獲得、結党以来の最高記録。公明党、3人落選し 57議席獲得。
 第14回参議院議員通常選挙、自由民主党は過半数を20議席近く上回る勝利。
7月7日
 顕正会、壮年部・婦人部合同幹部会、豊島公会堂で開催。壮年四三一名、婦人五二九名が参加。
 浅井昭衛会長「壮年部・婦人部が、広宣流布に御奉公できる力ある組織に育ってきたことは喜ばしい。全幹部は深々と題目を唱え、力強く広布を推進せよ」
7月9・22日
 顕正会、7月度御書講義、「顕立正意抄」を拝読。参加者 7,303名 (全国68会場)。
7月12日  創価学会、秋谷栄之助会長再任さる。
7月28日
 顕正会、7月度総幹部会開催。浅井昭衛会長「顕正会三十年の歴史を貫く一貫不変の大精神は、大聖人様への一筋の忠誠心、すなわち広宣流布の大道念である」と。
7月 日
 宗門、常泉寺(墨田区)にて創価学会と連絡会議。大村寿顕教学部長、財務について創価学会に質問。
「連絡会議の場ではなく、その終了後の別室における席上であります。大村教学部長は、福島源次郎氏の言葉のみによったのではなく、一般の人々の間でも噂になっていることでもありますので、あえてその噂を否定するつもりで、「財務をノルマのようにしてはいませんね」と伺っただけのことであります」(「『お伺い』書に対する宗務院の返書」90年12月29日付 )
8月3日
 顕正会、浅井昭衛会長「顕正会『試練と忍従』の歴史」を執筆。
「顕正会発足三十周年を明年に控え、富士「編集部」に乞われるまゝ、数年前の原稿に加筆して「試練と忍従の歴史」をここにまとめた。既報の「御遺命守護の戦い」(富士第二五〇号)と合わせ見れば、顕正会三十年の歴史は炳焉である。
 顕正会の歴史を見る時、誰人もその流れが三つの時代に截然と区分されていることに気づくであろう。すなわちその第一は「試練と忍従」の十二年であり、その第二は「御遺命守護」の十二年、そして第三は二十有余年をめどに、いま戦いつつある「一国広布」の時代である。しかし、このように三期に分かれていても、顕正会の精神は一貫不変である。それは、大聖人に対し奉る一筋の忠誠心、すなわち広宣流布への大道念以外にはない。
 時の不祥なるかな、顕正会は創価学会が日蓮正宗の中において御遺命を曲げんとする時に、たまたま生まれ合わせたのであった」(「冨士」第271号 )
 女子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 994名。浅井昭衛会長「8月3日は顕正会にとって最も大事な記念すべき日である。ゆえに一昨年顧問先生のお墓を立てた時も、私は『八月三日、之を建立す』と裏書きした。この8月3日こそ、顕正会が広宣流布の前進を開始した日である」
8月7日
 顕正会、男子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 956名。
8月9日  文芸春秋、「池田大作に迫る四人の反逆者」(内藤国夫)掲載。(「同誌」9月特別号 )
8月10日
 顕正会、壮年部・婦人部合同幹部会、豊島公会堂で開催。壮年 491名、婦人 579名が参加。
 浅井昭衛会長「日興上人の御遺誡廿六箇条こそ、大聖人の弟子たる者の憲法である。顕正会はこの精神で一貫して御奉公を貫いて来た」
8月18/25日
 顕正会、浅井昭衛会長、特別講習会「なぜ信心せねばならぬか」開催、参加者 8,217名 (全国74会場)。
8月21日
 顕正会、浅井昭衛会長、本門正宗 主宰・小野寺日了に、文書を以て法論対決を迫る。
8月23日  本門正宗、小野寺日了主宰、浅井昭衛会長との法論を応諾。
8月26日
 顕正会、8月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「この9月、私は背水の陣で邪教の根を切る戦いを進める。皆さんは3千突破の大折伏をなしとげてほしい」
8月31日
 顕正会、渋川事務所(群馬県)落成御入仏式。
 浅井昭衛会長「将来、この渋川事務所ほどの規模の法城を、全国に数十・数百と作っていきたい。広布の法戦の途上においては、豪華な建物は必要ない。大事なのは燃える情熱と鉄壁の組織である」
9月1日
 顕正会、男子部幹部会、豊島公会堂で開催。参加者 897名。
9月2日
 顕正会、浅井昭衛会長、小野寺日了と法論についての「約定書」を取り交わす。
9月3日  創価学会、池田大作名誉会長、ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャーと対談。(「聖教新聞」9月3日号 )
9月8日  本門正宗、小野寺日了主宰、法論を回避せんとして文意曖昧な文書を二通、浅井昭衛会長に送る。
9月11日  創価学会、9月度全国県長会議開催(広宣会館)。太田昭宏が総合青年部長、浅見茂が青年部長、忍田和彦が男子部長、林総一郎が学生部長に就任(「聖教新聞」9月12日号 )
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修。
9月12日  本門正宗、小野寺日了主宰、法論実施を迫る顕正会の法論交渉委員に対し、暴力行為におよぶ。
9月18日
 顕正会、浅井昭衛会長、小野寺日了主宰に対し「小野寺日了が、約定書に違反して法論を逃避したことを確認・断定する。もしこれに異議あらば、直ちに申し出よ」との最終確認の文書を送附。
9月20日  本門正宗、小野寺日了主宰、「貴殿の使者は9月12日暴力行為を働いた。よって法論は延引する」と返書。
9月21日
 顕正会、秋田事務所、秋田市泉馬場に開設さる。
9月26日
 顕正会、9月度総幹部会開催、9月度折伏成果 3,392名。9月末会員総数 119,980名。
 浅井昭衛会長「小野寺が法論を逃げた以上、私は文書を以てこの邪教の根を断つ。… 広宣流布が進めば、戒壇の大御本尊を誹謗する邪宗は続々と出てくる。顕正会こそ日蓮正宗を代表して、これらの仏敵と戦い、身を捨てて大御本尊を御守護申し上げねばならぬ」
 男子部長に小川善紀、男子部副部長に浅井克衛、城北支部長に加藤昌昭 任命さる。
9月29日  週刊現代、顕正会と本門正宗との法論経緯を報道。(「同誌」10月11日号 )
10月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、巻頭言「広宣流布の針先に当る喜び」、「いま顕正会は日蓮正宗を代表して、まさしく広宣流布の鉾先に当っているのである。歓喜雀躍、この大使命を全うしようではないか」(「冨士」第273号 )
 男子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 875名。
10月2日
 宗門、第2回総本山大石寺開創七百年記念慶祝総合会議(総本山)、六壺の新築計画決定さる。
 池田大作名誉会長「ここに全信徒を代表いたしまして、この新六壺の建設に呼応して、その前庭ともなる大客殿前の広場を、大化城の跡地も合めて拡張、整備するなど、猊下の御指南を仰ぎつつ、荘厳申し上げたいと発願するものであります」(「聖教新聞」10月3日号 )
10月2日
 顕正会、女子部幹部会、豊島公会堂で開催。参加者 940名。
10月2日  創価学会、北京で「核兵器 現代世界の脅威」展を開催。
10月5日
 宗門、阿部日顕管長、池田大作名誉会長と「第7回世界青年平和文化祭」に出席。(「聖教新聞」10月6日号 )
10月8日
 宗門、徳威寺入仏法要、阿部日顕管長「つい最近の宗門の情勢のなかでも一部の僧侶の者どもが、仏法の流布の深い因縁も知らずに総本山に背き、またこのように日本ないし世界に大法を広宣流布してくださったところの創価学会の方々に怨嫉を生じ様々な悪口雑言を唱え、そして宗門の僧侶にあるまじき姿をもつに至りました。これらの者どもについて、いかに論じても改めることがありませんので、ついにその者どもを破門にしたのでございます」
10月9・21日
 顕正会、10月度御書講義、「佐渡御書」を拝読。参加者 7,590 (全国82会場)
10月11日  米ソ首脳会談、アイスランドのレイキャビクで、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長が核軍縮に関する首脳会談。ゴルバチョフは、「アメリカがSDIを断念すれば、ソビエトは核兵器全廃に踏み出す」と、大胆な提案をした。
10月12日
 顕正会、第9回高知支部大会、県民文化ホールで開催。参加者 1,513名。
 浅井昭衛会長「本部から遠くはなれたこの四国高知で、熱烈な信心が実践されていることこそ、一国広布は必ずなるの瑞相・さきがけである」
10月12日
 正信会、山口法興師 (妙真寺)、韓国法務省より不法布教活動の理由により、退去通告処分を受く。(「東京新聞」10月13日号 )
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で奉修。浅井昭衛会長「一期弘法付嘱書」について講演。
「さて、大聖人の御真筆御本尊は、現在日本各地に百五十数幅伝えられております。… 御真筆御本尊は一機一縁といって個人に授与された御本尊であるが、戒壇の大御本尊は一閻浮提総与、すなわち全世界の人類に授与された総体の大御本尊であります。… 今日、身延・中山等の謗法の諸寺に、御真筆御本尊が多数現存しておりますが、これらの御本尊を私達は拝みません。なぜかといえば、謗法の寺には大聖人様の御魂は住し給わない。…
 大聖人様は末法万年の不朽を慮られ、楠を以て「本門戒壇の大御本尊」を造立遊ばされたのであります。楠の樹脂は樟脳の原料となる。だから虫がつかない、腐らない。この楠の厚き板、いや「板」という概念が当てはまらぬほどの重厚なる材質を大聖人様は選び給い、縦四尺七寸五分(一四四センチ)、横二尺一寸五分(六五センチ)の一幅に、久遠元初自受用身の御内証の全体を御図顕遊ばされた。まさしく末法の御本仏の御法魂をここに留め給うたのであります。…
 歴代御法主がこの戒壇の大御本尊をいかように苦心され、命をかけて厳護されて来たか。あの南北朝の動乱のおりには、日目上人は兵火が大石寺に及ぶを懸念され、密かに奥州まで大御本尊を御遷し申しげたこともある。また幕末の神風連の騒ぎのあった時、時の御法主日霑上人は、やはり密かに大御本尊を江戸まで御遷しして御守護されております。この時、警護申し上げた信徒の一人に賞与御本尊が授与されておりますが、その脇書には「御大事守護の功績により、授与する処件の如し」とあります。実はこの賞与御本尊は、妙縁寺御住職・松本日仁尊能師より私が託され、いま顕正会本部でお預りしております。…
 この大御本尊は、広布の日まで一切公開されない「秘仏」であります。… 顕正会は、この大事の御奉公を成し遂げて、晴れて戒壇の大御本尊にお目通りさせて頂きたい。大聖人様の御意に叶うお目通りをさせて頂きたい。一生に一度でよい。これが私の念願であります。…
 いま世界を見れば、米ソの首脳会談も決裂いたしました。今後一進一退はあるとも、一閻浮提大闘諍の大渦はもう誰も止めることができない、じりじりと廻わり、そして迫りつつあります。所詮、仏国を築く以外に日本を救う道はない」(「冨士」第275号 )
10月13日
 顕正会、浅井昭衛会長、「叱呵痴犬抄」(- 小野寺日了一党の悪義を破す -)を著わす。
「しかるに近年、小野寺日了という邪僧、「本門正宗」なる邪教を横浜に作り、盛んに大石寺の大御本尊と血脈を誹謗するを見る。この邪教の所論を見るに、すべてこれ大石寺の義を盗み取り、あたかも自宗が本来の大石寺の伝統を継ぐかのような大誑惑を構えている。昔より正法に敵対する怨嫉者に妄語と誑惑は付きものであるが、小野寺日了・山口稔・玉井礼一郎等一党は、かの提婆・瞿伽梨も舌を巻き、善無畏・弘法も三舎を避けるほどの大それたものである。
 かかる邪教を放置すれば、定めて学会退転者等無智の者の中に、惑わされる者も出よう。またかかる大御本尊誹謗の甚しきを見て、置いて呵責せねば、「仏法中怨」の責めは遁れがたい。ゆえに先般小野寺に対し法論を申し入れ、一挙に事を決せんとするに、彼これを避く。よって彼等一党の誑惑の大綱をここに掲げて粉砕し、以てその根を断たんとするものである。…
 以上、小野寺日了一党の誑惑、その大綱を掲げ、ここにその根を切断し畢った。… しかるにこの者また怖畏懺悔なき一闡提、あるいは提婆のごとく「南無」ばかりにてやむか。不憫、不憫」(「冨士」第274号 )
10月19日
 顕正会、水戸事務所、茨城県水戸市に開設さる。
10月21日  創価学会、池田大作名誉会長、中国人民対外友交協会・中日友好協会より「平和友好杯」を贈らる。(「聖教新聞」10月21日号 )
10月26日
 顕正会、第7回大阪支部大会、京都労働者総合会館大ホールで開催。参加者 646名。
 浅井昭衛会長「私は一千結集を関西広布の一つの節と考えている。いよいよ明年の大阪支部大会で一千結集を実現せよ」
10月27日
 顕正会、10月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「顕正会こそ、今後次々と出てくる仏敵を粉砕して、広宣流布の道を開いていかねばならぬ立場にある」
10月29日  創価学会、本部職員・小田仁 伯、創価学園卒業生をゲリラ的に池田大作名誉会長と面会させる。
「筆者は太田昭宏青年部長への面会を申し入れた。用件は、太田氏と面識のあるN青年を伴っての面談であったが、本当の目的は、この案内所で池田大作を捕まえ、N青年と池田を引き合わす事にあった。… 池田大作は、案内所前で乗用車から降り、来客を伴って本部の中へゆっくりと入ってきた。… N君は「センセー、Nです!センセー、Nです!」と声を張り上げ、「センセー!お話があります」と、駆け出しながら池田に迫っていった。… 池田大作はN君の行動を見て、身構えながらも余裕の態度で「おう!君か!」(※池田はN君とは創価学園の校友会で会っている)と言いながらも、後ずさりし、突然、脱兎のように逃げ出したのである」(「"イケダ体験"雑感」小田仁 伯 「慧妙」2003年12月1日号 )
11月1日
 顕正会、男子部幹部会、豊島公会堂で開催。参加者 833名。浅井昭衛会長「百万以後、顕正会が力を以て一国を諫暁する時、三類は必ず顕われる。その時までに男子部は力ある人材の集団に成長せよ」
11月2日
 顕正会、第1回秋田大会、秋田県農協ビルで開催。参加者 276名。浅井昭衛会長「秋田杉のような真っ直な信心を貫け」
11月3日
 顕正会、女子部幹部会、豊島公会堂で開催。参加者 951名。浅井昭衛会長「信心の功徳は必ず今生に現われる。仰せのままの信心で御金言を実証しよう」
11月5日
 顕正会、壮年部・婦人部合同幹部会、豊島公会堂で開催。壮年 409名、婦人 534名が参加。
11月10/23日
 顕正会、11月度御書講義、「観心本尊抄」を拝読。参加者 7,580名 (全国84会場)。地方における参加者が、初めて東京を上廻わり、52%におよぶ。
11月15日
 顕正会、第三祖日目上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「日興跡条条事」を奉読、「日目上人こそ、末法下種の三宝に仕え奉ることかくの加くあるべし、ということを万年に示されるために御出現された聖者であられる」
11月20日
 宗門、宗祖日蓮大聖人御大会式奉修 (総本山)。
 阿部日顕管長「近年、創価学会の勇猛精進の大折伏により、この正法正義が世界に広布することは、まことに釈尊の予言、宗祖大聖人の御金言、符節を合するところであります。この正法流布の功徳はまた、算数譬喩も能わざるところであります」(「大日蓮」第491号 )
11月20日  公明党、竹入委員長、辞意表明。(「読売新聞」11月20日号 )
11月26日
 顕正会、11月度総幹部会開催、10・11月度折伏成黒 3,494名。11月末会員総数 123,474名。
 浅井昭衛会長「顕正会は広宣流布の生命体である。いかなる幹部もこの組織からはずれれば、たちまち弱々しい愚痴のいのち、もとの素凡夫に戻ってしまう。… 私は破局の号鐘たる巨大地震が、一年でも、一月でも、一日でも遅くなることを願っている。そのゆえはまだ顕正会の力が足りないからである。一日も早く、仏弟子として一国に立正安国の大師子吼をなせる百万の法城を築きたい」
 全支部に、事務長が任命さる。
11月28日
 顕正会、支区部長会開催、浅井昭衛会長「本日集った幹部は、それぞれ広布推進のリーダー、一方の旗頭である。みな分々に応じ広布の重責を双肩ににない、多くの同志を励ます立場にある。この姿はまさしく地涌の流類である。ただし肩の荷をはずし煩悩に流されれば、もとの素凡夫にもどってしまう」
11月30日
 顕正会、第一回名古屋大会、名古屋通信ビルで開催。参加者 280名。
 浅井昭衛会長「尾張法難の名古屋の地において、本日より東海広布の大潮流を起こせ」
12月4日  公明党、第24回党大会開催。竹入義勝が委員長を退き,矢野絢也が委員長、大久保直彦が書記長に就任。
 矢野新委員長、就任挨拶「全身全霊で職を全うしたい。力のかぎり党の最前線で戦い、国民のなかに飛び込む」と決意表明、新基本方針を「フレッシュ・オープン・エキサイティング」と。
12月5日  公明党、矢野殉也新委員長、"黒い金脈" 暴かれる。(「現代」12月号 )
12月10日
 顕正会、教学部会、浅井昭衛会長「撰時抄」を講ず。
12月13日  創価学会、池田大作名誉会長、聖教新聞社でノリエガ将軍と会談。
「会談では、一年半ぶりの再会を互いに喜びあうとともに … 席上、将軍に対して『創価教育栄光賞』が、またパナマのチュー理事長に『聖教文化賞』が贈られた。なお、この日午後、同将軍は総本山大石寺に詣でた」(「聖教新聞」12月14日号 )
12月14日  創価学会、聖教新聞、パナマ共和国・ノリエガ将軍の「私は名誉会長を人生における哲学上の師として尊敬している」を掲載。
12月23日
 顕正会、12月度総幹部会開催。
 
  年表  
1月1日
 宗門、阿部日顕管長、新年の辞「正義と平和実現に一層の進展を」
「現代は仏教において末法という時代であり、闘諍言訟の悪世とされております。人智の発達は空前の物質文明を招来し、人々はこれに心酔していますが、かえってこれが未来に恐ろしい深淵の口を開けていることも留意すべきであります。そして、人心は物質の充足にもかかわらず荒廃し、自我より発する種々の欲望的行動により、尊い自他の命を傷つけている姿が、世界および社会的現象のなかに多く存在しています。… 正法の興隆、そして世界において創価学会が正義と平和の大目的実現にいよいよ進展されること、および皆さま方のご健康、ご精進を祈り、新年の辞といたします」(「聖教新聞」1月1日号 )
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館を初め全国20箇所で厳修。浅井昭衛会長「昨年より日本は大きな曲り角にさしかかってきた。日本の繁栄が根本からゆらぐような局面に突入した。今後年ごとに、破局の様相を色濃くするであろう」と年頭挨拶。
 浅井昭衛会長、年頭の辞「躍進の年」、「昨年の武道館大総会において、顕正会は一国広布の最終地点を見据えて立ち上がったが、広布途上の最も重要な節は "百万達成" である。まさしく百万こそ一国広布の鍵、百万が成れば広宣流布は必ず成る、これが私の確信である。
 本年はこの百万をめざし、いよいよ本格的な前進を開始する。ゆえに「躍進の年」と名づけたのである。 いまや顕正会の弘通は全国的規模になってきた。顧みれば「地方の点を結んで線となし、線を結んで面とする、この面が日本を覆う時が広宣流布である」と叫んで地方弘通に本腰を入れ始めたのが、昭和五十七年の秋であった。… 日本列島のいたる所に、信心強き地涌の流類が続々と出てこなければ、一国広布は成し得ない。… いまの日本を見よ。政治家は党利党略・派利派略にあけくれ、企業家は眠中利潤の追求のほかはなく、大衆は目先の安逸を貪るのみである。…
 まさしく大聖人の御法魂たる「本門戒壇の大御本尊」を日本の魂とし、国立戒壇を柱とする時、日本は始めて金剛不壊の仏国となる。そしていま、この国立戒壇建立の御遺命を奉じて身を捨てて戦っているのは、顕正会のみ。ゆえに顕正会の躍進に、日本の命運はかかっているのである」(「冨士」第276号 )
1月2日  創価学会、第2東京新春代表者会議開催(創価学会本部)、池田大作名誉会長「私は、この二日で、五十九歳となった。完全に学会の宿命を転換したと確信している。ともあれ昨年は、五十八歳という大きな節を乗り越えたことは事実である。ゆえに、ますます広宣流布の前途は、洋々と開け、皆さまと共に希望に満ち満ちた一年の出発となったことを確信している」(「聖教新聞」1月5日号 )
1月3/10日
 顕正会、初講義開催、「日蓮大聖人一代御化導の大綱」をビデオ放映。参加者 6,454名 (全国85会場)、地方比率 55%。
1月6日
 顕正会、壮年・婦人・男子・女子合同班長会開催、浅井昭衛会長「日本の繁栄が根本からゆらぐ時代に入って来た。今こそ広宣流布の時である。まず百万を達成しよう」
1月11日
 顕正会、教学部、三級昇格試験 (撰時抄・立正安国論)。全国25会場で実施、1,551名が受験。
1月15日
 顕正会、成人式、本部会館で開催、223名が参列。浅井昭衛会長「成人式を機に大志に生きよ、大志とは『法を知り国を思うの志』である」
1月18日
 顕正会、教学部、二級昇格試験。全国7会場で実施、154名が受験。
 登用試験、全国41ヶ所で実施。2,173名が受験、地方受験者 51%におよぶ。
1月20日
 宗務院、第一回大石寺開創七百年記念出版御書編纂委員会開催。
1月21日  創価学会、池田大作名誉会長の長兄、池田増雄(69歳)逝去。池田大作は、葬儀・告別式を欠席。(「諸君」4月号 )
1月25日  公明党、藤本道男 (大阪府池田市議会副議長)、公金を不正に使用。(「諸君」4月号 )
1月26日
 顕正会、1月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「いま三災のうち、穀貴と疫病はすでに起こりつつある。ならば、残る兵革の災い、すなわち大戦争も疑いない。もし残るところの大戦乱が起きたならば、その時日本は破滅する。なんとしても、その前に、『立正安国』の大聖人様の師子吼を一国に聞かしむる、力ある百万の法城を築かねばならない」
 浅井昭衛会長、巻頭言「雪中の御本仏を偲び奉る」執筆。
1月26日  創価学会、第12回「SGIの日」記念提言。池田大作名誉会長、アメリカ民主主義の普遍性、「国家主権」から「人類主権」への転換。"人類の議会" 国連を支援、平和憲法の人類史的意義と世界化。
2月1日
 宗門、阿部日顕管長夫人。北・中米旅行へ出発する池田大作名誉会長を、成田空港まで歓送。
2月2日
 顕正会、男子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 857名。浅井昭衛会長「兵役のない今日こそ広布達成の時」
2月2日  創価学会、NSA世界平和池田講堂開館記念勤行会開催(ロサンゼルス)。
 池田大作名誉会長「皆さまの真心によって建設された、この平和講堂に御安置の御本尊は、御法主日顕上人より『世界平和広宣流布大願成就』とお認めいただいた大変に意義深い御本尊であられる」(「聖教新聞」2月5日号 )
2月3日  創価学会、創価大学ロサンゼルス分校(SULA)開所式。
 同3日、ラスベガスの北西約105kmにあるネバダ核実験場で、地下核実験が行われた。アメリカに滞在中の池田大作名誉会長は、地下核実験にも核廃絶にも一言も言及せず。
2月4日
 顕正会、女子部幹部会、豊島公会堂で開催、947名が参加。浅井昭衛会長「大衆の目を開かせ大聖人の大慈悲と御本尊の御力をわからせる、これが開目抄の実践すなわち折伏である」
2月5日
 顕正会、壮年部・婦人部合同幹部会、豊島公会堂で開催。壮年 413名、婦人 509名が参加。浅井昭衛会長「勤行と折伏こそ末法の仏道修行」
2月5日  公明党、松田泰博市議、収賄容疑で逮捕さる。
2月8日  創価学会、池田大作名誉会長、ドミニカ共和国を初訪問。"今日の世界で最も傑出した人物"に与えられる「クリストバル・コロン大十字勲章」を受章。
「池田にとって40番目の訪問国となった。… じつは初訪問の6年前(1981年)、池田はドミニカ訪問の予定を組んでいた。しかしその直前、「第一次宗門事件」で暗躍した弁護士の山崎正友が、恐喝容疑で逮捕されたのである。池田は東京地方検察局の捜査に協力するため、帰国せざるを得なくなった」(「民衆こそ王者 -- 池田大作とその時代」池田大作とその時代編纂委員会 )
2月10/22日
 顕正会、2月度御書講義、「寂日房御書」を拝読。参加者 7,488名 (全国93会場)、地方の比率 54%に。
2月10日  創価学会、池田大作名誉会長、ドミニカ共和国のサントドミンゴ大学より名誉教授を授与さる(6番目)。
2月14日  創価学会、第一回SGIパン・アメリカン諸国会議開催 (マイアミ)。
2月17日  創価学会、池田大作名誉会長、パナマ共和国・ノリエガ将軍と3度目の対談 (パナマ)。
 池田大作は、マヌエル・ノリエガに「創価学会栄光賞」を贈る。ノリエガは池田大作に、特別の功績に対し授与される同国最高位の国家勲章「バスコ・ヌニュス・デ・バルボア勲章」を贈る。
2月20日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長のパナマ発言を掲載。「貴国は国は小さいかも知れないが、指導者はあまりにも偉大であり、大きい」
2月23日
 顕正会、2月度総幹部会開催。浅井昭衛会長、三災のうちの「穀貴」について「世界恐慌で最大の打撃被るは日本、だがいかに世は乱れても、信心強き者は必ず守られる」
 女子部第七区幹事に小峰昌子任命さる。
3月3日
 顕正会、男子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 908名。浅井昭衛会長「仏法の眼を以て、世の動きを鋭くみつめよ」
3月3日
 宗門、阿部日顕管長夫人、北・中米旅行より帰国した池田大作名誉会長を、成田空港に出迎え。(「聖教新聞」3月4日号 )
3月4日
 顕正会、女子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 970名。浅井昭衛会長「今日の女子部幹部会は、質量ともに昔の女子部大会より充実している」
3月5日
 顕正会、壮年部・婦人部合同幹部会、豊島公会堂で開催。壮年 426名、婦人 544名が参加。浅井昭衛会長「顕正会は如説修行の団体。その顕正会の前進が遅れて、もし日本の破局に間に合わないのなら、顕正会の存在意義はない。"一人立つ" の大精神で立とう」
3月9/22日
 顕正会、3月度御書講義、「一念三千法門」を拝読。参加者 7,577名 (全国95会場)、地方の比率52%。
3月12日  創価学会、聖教新聞社新館の開館式挙行。
3月13日
 顕正会、教学部、「立正安国論」の講義開始。講師、加藤礼子一級部員。
3月25日
 顕正会、3月度総幹部会開催、2・3月度折伏成果 3,493名。
 浅井昭衛会長「百万の初陣にみごと勝てたことは、まさしく百万成るの瑞相である。… 世界の広宣流布の鍵は日本の広宣流布にあり、日本の広宣流布の鍵は顕正会の百万達成にある」
3月26日
 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長「4・5月の法戦を勝ち抜けば、広布の潮流はいよいよ勢いを増し、百万への道は大きく開かれる」
4月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、巻頭言「勤行第一」執筆。
4月1日  創価学会、SGIグラフ 4月号、パナマ共和国の "池田展望台"(ミラドール・イケダ)を報道。
4月1日  国鉄分割民営化、日本国有鉄道は、JRとして6つの地域別の旅客鉄道会社と1つの貨物鉄道会社に分割・民営化された。各鉄道会社は4月1日に発足、第3次中曽根内閣の行政改革の一つである。
4月2日
 顕正会、男子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 921名。
 浅井昭衛会長「破局の前に、顕正会は日蓮正宗を代表して、なんとしても一国に "立正安国" の大聖人の師子吼を聞かしめねばならない。これが顕正会の最後の御奉公、第三の戦いである。"大聖人のお待ち遊ばす法戦場" とはこのことである」
4月3日
 顕正会、女子部幹部会、豊島公会堂で開催。参加者 977名。
4月5日
 顕正会、壮年部・婦人部合同幹部会、豊島公会堂で開催。壮年 459名、婦人 564名が参加。
4月6日
 宗門、御霊宝虫払大法会、阿部日顕管長「末法万年の衆生救済の仏法においては、僧俗を問わず、この根本の一器より一器への相伝に対する信解が確立するところ、即身成仏の大法とその利益は縦横無尽に開花し、顕現するのであります。… その一大実証は、近年、正法の日本乃至世界広布の礎を開かれた、創価学会における初代、二代、三代等の会長の方々における信心の血脈の伝承であります。… ゆえに、大聖人より日興上人への血脈が、貫首一人しか解らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは血脈の真義を解せぬ者の戯言であり、信心の一念に法水が流れるところ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳として開かれているのであります」
4月9/22日
 顕正会、4月度御書講義、「兵衛志殿御返事」を拝読。参加者 7,722名 (全国96会場)、地方の比率53%。
4月12日
 顕正会、秋田事務所、秋田市手形に移転。
4月16日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長「ほかの立正佼成会や天理教は、全部教祖がふところに入れて、さもりっぱそうな大聖堂だとか、やれ病院だとか、こんどは天理教あたりは七階建てとかで、地下四階の大きい本部をつくって、東京進出のビルをつくるとか、そんなことばかりやっている。悪い連中です。本当に悪い、じっさい、宗教に無知な人が多いから、みんなだまされて、カネを取られている、それで教団の勢力を張っているわけです。
 私が本部を作る。それからいろいろと東京や関西にも本部をつくって、第一本部、第二本部とつくっておきますし、これからもつくる準備もしておりますけれども、いっさい、皆さんからは永久に一銭もとらない、これが私の精神です」
 池田大作、会館私的利用料不払い発覚。「池田氏は87年から4年4ヶ月に渡って、学会所有の学会第二別館 (敷地2,149平方メートルに鉄筋コンクリと総檜造りの地下1階、地上2階、3億円の建物) に寝泊まりするという、私的利用に家賃を払っていなかったことが発覚」
4月27日
 顕正会、四者合同班長会、豊島公会堂で開催。浅井昭衛会長「5月10日の幹部大会は、本年における最も主要な行事、この日までに誓願達成、あるいはそのメドをつけるまでの戦いをなし、晴れて幹部大会に参加しよう」
4月28日
 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。浅井昭衛会長「我も唱え人にも勧める行人たれ」
5月8日  創価学会、富士宮圏記念幹部会開催(富士富国際文化会館)、池田大作名誉会長「この富士宮の地は、総本山大石寺に本門戒壇の大御本尊のまします、世界で、最極の国土である。そして、全世界の友が、正本堂に参拝し、また信心の清流を求め登山してくる。仏法上、これほど尊く重要な地域はない」(「聖教新聞」5月10日号 )
5月10日
 顕正会、幹部大会開催(渋谷公会堂)、全国代表幹部3千名が参加。浅井昭衛会長「九年後に百万達成、五万人の大総会」、百万達成について具体的内容を明示。
「百万達成までには、全国47都道府県のすべてに支部を作りたい。これらの支部が全国一斉に立つ時、広布は眼前であります。…
 三大秘法この日本にましますとも、一国大衆はこの正法を捨てて顧みない。このゆえに、いま広布の前夜、日本はまさに破局を迎えんとしているのであります。見て御覧なさい。ついこの間まで経済大国を謳歌していた日本は、あっというまに八方塞がりになってしまったではありませんか。仏法の眼を以て見る時、やがて経済崩壊は必至であり、それに伴い政治は不安定となり、国論は分裂し、必ず将来自界叛逆がこの日本に起きてくるでありましょう。そして、最も恐るべきは他国侵逼の難であります。…
 何としても、破局の前に顕正会は立たねばなりません。もし顕正会の前進がおくれ、日本の破局に間に合わなければ、顕正会の存在意義は全くないのであります。…
 "もしいま大聖人ここにましませば、顕正会に何を命じ給うか" この事を常に信心の耳で聞き奉り、その時々になすべき御奉公をなしてまいりました。これが顕正会三十年の歴史を貫く行動規準であり、大精神であります。… 顕正会こそ、日蓮正宗を代表して、なんとしても一国に国立戒壇建立を迫る戦いを起こし、大聖人様に応え奉らねばならない。これこそ、まさしく大聖人のお待ち遊ばす法戦場であり、顕正会の最後の御奉公、すなわち第三の戦いでなのであります。…
 さて、この百万をいつまでに達成するかについては、昨年の武道館大総会ですでに定めております。この路線にいささかの変更もない。あと九年で必ず成し遂げます。いいですね、"あと九ヶ年"です。ここに、大聖人の御遺命を奉ずる仏弟子五万人を結集し、第三の戦い開始の大儀式を行いたいと、私は思っておりますが、皆さんいかがでしょうか。(大拍手) この五万人の大総会こそ、まさしく顕正会が、大聖人のお待ち遊ばす法戦場に到着したことを顕わすものであります。さあ!、あと九ヶ年で百万達成、そして五万人の大総会。本日より全顕正会はこの一事を見つめ、一致結束、一路大聖人のお待ち遊ばす大法戦場へ、驀進を開始しようではありませんか。(大拍手)」(「冨士」第281号 )
 全国21箇支部の陣容整う。会津支部、藤沢支部、群馬支部が誕生。
 男子部長に浅井克衛 任命さる。
5月23日
 宗門、華開山蓮覚寺落慶入仏法要、阿部日顕管長「日本ないし世界に今日までこれだけの正法が弘まり、護持の信徒も多数増えて、しかもその功徳が様々なところに顕れておりつつも、さらに一閻浮提広宣流布に向って勇猛精進される(池田大作)先生の姿こそはまことに皆様信徒の方々の模範であり、尊いものと思うのであります。その先生の指導によってまた日本ないし各国の信徒の方々が、謗法・邪義を正直に捨てて、正直に正法正師の正義を信心しておられるということがまことに心強い次第でありまして、これからますます広宣流布の道が開けていくものと思うのであります」
5月25日  創価学会、モスクワで「核兵器 現代世界の脅威」展を開催。
5月27日
 顕正会、5月度総幹部会開催、4・5月度折伏成果 3,621名、総会員数13万を突破。浅井昭衛会長「もう顕正会の広布の大潮流は、誰人もとどめ得ない。9年後を見つめ、全員が同じ決意に立とう」
5月28日
 顕正会、支区部長会開催、「学会はただ世間の名利を求め
 浅井昭衛会長「国立戒壇の御遺命を捨てた池田大作は、その後、世間の名利を得ることに狂奔している。二・三日前テレビで、モスクワにおいて「核の脅威展」なるものが開かれていることが報道されていたが、これは学会が、「平和団体」を装って、世界各地で開いているものです。なにげなくテレビを見ていたら、どこかで見たような顔が映っているではないか。(爆笑) … なんと池田大作が、有名人と並んでテープカットをしている。(笑) 全く目立つことばかりやっている。(笑) 彼は世界各地を歩いては、前以て根回わしをして、勲章や学位を出させてそれを宣伝する。あるいはお金の力で世界の有名人を対談の相手に引っぱり出し、それを本にまとめては自己宣伝をしている。まことに "目立とう精神" の権化、この名利を求める物狂わしさは、もう "ほとんどビョーキ"(爆笑) という以外はない。世間の眼はこれでごまかせるかも知れない。しかし大聖人様の御眼には、どう映りまいらせるか」(「冨士」第280号 )
5月31日
 顕正会、会津支部結成大会開催、浅井昭衛会長「今後9年で、全国47都道府県に次々と支部が出来るが、そのさきがけがこの会津支部である。会津支部のいかんにより、今後あとに続く支部の動向が決まる。使命は重大である」
6月6日
 顕正会、千葉事務所を千葉市矢作町に開設。
6月8/21日
 顕正会、「幹部大会」((5月10日)を全国でビデオ放映、参加者 8,394名。
6月8日
 宗門、阿部日顕管長夫人・藤本栄道総監、ソ連から帰国する池田大作名誉会長を、空港まで出迎える。(「聖教新聞」6月9日号 )
6月14日
 顕正会、第1回仙台大会、宮城県労働福祉会館で開催、参加者 406名。
6月19日  龍年光、森田一哉理事長と会談 (品川会館)。
「(森田は)『今後は会館に池田の名前をつけない』と断言した。いやしくも宗教法人の理事長の約束であるから、私は信じることにした。ところがその後、会館ばかりか、墓苑にまで池田の名をつける始末」(「週刊文春」平成3年4月4日号 )
6月26日
 顕正会、6月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「7月より折伏法戦を、1ヶ月単位とする」と発表。
7月1日
 顕正会、入信・入会勤行に際しての指導文 (入信勤行の栞入会勤行の栞) 制定。
 入信勤行の栞、「本日よりは、我が家より富士大石寺にまします「本門戒壇の大御本尊」に向い奉り、朝晩怠けることなく遥拝勤行を実践いたしましょう。いま入信勤行に当って眼前に拝する御本尊は、「本門戒壇の大御本尊」を大石寺法主上人が書写あそばされたものであれば、この御本尊を胸に思い浮べ、至心に富士大石寺の「本門戒壇の大御本尊」を遥拝し奉るならば、いかに遠く離れていようとも直ちに大御本尊に通じ、感応道交して大功徳を生ずるのであります。末法の仏道修行とは、この勤行と折伏であります。いま顕正会は、日蓮正宗の中において、日蓮大聖人の御遺命のまま、広宣流布・国立戒壇建立めざし御奉公する唯一の団体であります。今日よりはこの清純なる日蓮正宗顕正会の一員して、大聖人仰せのままに勤行と折伏に励み、現当二世に崩れぬ大幸福を得られんことを、切に祈るものであります」(「冨士」第282号 )
7月2日
 顕正会、四者合同班長会開催 (豊島公会堂)、浅井昭衛会長「ひと月で二千の折伏が出来れば、新しい広布の潮流は流れ出す」
7月5日
 顕正会、第1回沖縄大会開催、参加者 283名。浅井昭衛会長「日本の最南端、弘通の最も困難なこの沖縄で三大秘法の弘通が力強く進むならば、全国47都道府県のいかなる地でも、折伏の進まぬ道理はない。その意味で、全国広布の成否の鍵はこの沖縄の弘通にある。来年5月の幹部大会において、『沖縄支部』を結成する」
7月8/23日
 顕正会、7月度御書講義、「上野殿御返事」を拝読、参加者 7,819名。(全国101会場)
7月14日  東京高等裁判所、宮本邸電話盗聴事件裁判の控訴審が結審。
7月 日
 顕正会、仙台事務所を宮城県仙台市富沢に開設。
7月27日
 顕正会、7月度総幹部会開催、7月度折伏成果 2,310名。浅井昭衛会長「この7月、1ヶ月で 2.310名の大折伏が成しとげられた。ここに顕正会は百万めざしついに離陸した」と宣言。
「財務」を「広布御供養」と改称。
8月1日
 顕正会、「冨士」8月号に「顕正会三十年の足跡」を掲載。
8月7日
 顕正会、「顕正会発足三十周年記念幹部会」開催、代表幹部2千8百名が参加 (板橋文化会館)。「顕正会三十年の足跡」をスライド上映、「大聖人の御威徳により宗門ゆれ動く、"第三の戦い"進む時 一国またゆれ動く」。
 浅井昭衛会長「過去、妙信講の諫暁により、宗門全体がゆれ動いた。これ大聖人様の御威徳による。これを以て思うに、将来顕正会が百万・千万となり、大聖人の仏勅のままに "第三の戦い" をしんしんと進める時、一国また必ずゆれ動く。… 顕正会の過去三十年の御奉公の足跡は、宗門七百年の歴史に燦然である。ただし、未だ広宣流布・国立戒壇建立の御遺命は達成されていない。顕正会の真の御奉公は、いよいよこれからである」(「冨士」第283号 )
8月15日
 顕正会、群馬支部結成大会開催、152名が参加。
8月19/24日
 顕正会、特別講習会「なぜ信心せねばならぬか」(ビデオ放映) 開催、参加者 8,684名 (全国103会場)。
8月22日  創価学会、男子部8月度全国幹部会開催(荒川文化会館)。
 人事発表、副青年部長に池田博正就任。
8月23日
 顕正会、沖縄事務所、沖縄県浦添市に開設。
8月26日
 顕正会、8月度総幹部会開催。
 男子部幹事に横田高明任命さる。
8月30日
 顕正会、長野事務所、長野市安茂里差出に開設。
8月31日
 顕正会、教学部、六巻抄の第一「三重秘伝抄」の講義始まる。
9月2日
 顕正会、男子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者892名。
 浅井昭衛会長「顕正会の過去30年の御奉公は未だ序分である。いよいよこれから最後の御奉公たる "第三の戦い" を起こさなければならない。この戦いを推進するのは青年部である。諸君は顕正会の最も大事な時に、青年として連なった "時" の大事を知るべきである」
9月4日
 顕正会、壮年部・婦人部合同幹部会、豊島公会堂で開催。壮年 394名、婦人 496名が参加。
 浅井昭衛会長「今や、学会はもちろん、宗門のお坊さんも、誰一人『国立戒壇』を叫べない。『立正』を叫べなくなってしまった。しかも日本の破局は刻々と迫りつつある。この客観状勢こそ、まさに大聖人様の厳たる御命令ではないか。ここに顕正会の大使命がある」
9月9/22日
 顕正会、「三十周年記念幹部会」ビデオ放映開催、参加者 8,471名 (全国106会場)。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長「大聖人様に申しわけない、この思いこそ仏弟子の道念。顕正会三十年の御奉公も、"怠けていては大聖人様に申しわけない" との一念で貫かれた歴史である」
9月12日  創価学会、池田大作名誉会長、ヘンリー・アルフレッド・キッシンジャーに創価大学名誉博士号を贈る。(「聖教新聞」9月13日号 )
「ロックフェラー家との交流が深く … 1968年 リチャード・ニクソン政権誕生とともに国家安全保障問題担当大統領補佐官として政権中枢に入り、ニクソン外交を取り仕切る。… 国務省などと激しい権力闘争を行い、ニクソン政権ではNSCが外交政策の決定権を独占することとなる。… 1971年にはニクソンの「密使」として、当時中ソ対立でソ連と緊張状態にあった中華人民共和国を極秘に二度訪問。周恩来中国首相と直接会談を行い、米中和解への道筋をつける。… 。1973年にはパリ協定が調印され、ベトナム戦争終結への道筋をつけることとなった。これを功績としてアメリカ交渉団の代表であったキッシンジャーはノーベル平和賞を受賞する」( Wikipedia )
9月15日  創価学会、各部合同代表者研修会開催、池田大作名誉会長「インドで隆盛を誇った釈尊の仏教が滅びた理由は、比丘たちが、民衆から遊離した "僧院中心主義" に堕落したためである」と、暗に宗門僧侶を批判。
9月18日  創価学会、第336回本部幹部会開催(豊橋文化会館)。
 秋谷栄之助会長「かつて正信会の徒が学会のことを謗法呼ばわりしたが、結局、自ら御法主上人の血脈相承を否定するという最大の謗法を犯しその本性を暴露した。…
 祭りに対する基本原則を考えていきたい。
 ① 謗法厳誠の姿勢を堅持し、主催の中心が神社や寺院である場合には、はっきりけじめをつけ参加すべきでない。
 ② 宗教色がなく、地域の祝い事や民俗芸能から出たものや、地域振興等で催された祭りについての参加は差し支えない」(「聖教新聞」9月21日号 )
9月23日
 顕正会、第1回水戸大会、水戸市民会館で開催、参加者 259名。
 浅井昭衛会長「日本列島の中央はこの茨城である。この県に人材が続々と出て来たことは、一国広布の上にまことに深い意義を感ずる。… 昭和の御代が変わる時、そして大地震の来る時が、日本の変動期である。そして顕正会の国家諫暁を機として、日本全体が日蓮大聖人の立正安国の仰せを深刻に理解せざるを得ぬ時が来る」
9月25日
 顕正会、9月度総幹部会開催、9月度折伏成果 2,664名。
 浅井昭衛会長「私はいま、九年後の大事以外は何も考えていない。すべては九年後から逆算して現在いかにあるべきか、ということだけを考えている」
 第九隊長に小峰勝彦任命さる。
9月26日
 顕正会、本部会議開催。浅井昭衛会長「広布達成までは、なれ合いやアグラをかくことは許されない。常に革命的な気魄を持ち続けよ。『未だ広宣流布せざる間は身命を捨てて … 』との日興上人の御遺誡の精神こそ大事」
9月29日
 顕正会、教学部、「三重秘伝抄」第2回講義。
10月9/22日
 顕正会、10月度御書講義、「四条金吾殿御返事」を拝読、参加者 8,131名 (全国112会場)。
10月4日  創価学会、第6回文化親善家族祭、池田大作名誉会長「悪知識は地獄に人を落とす。原島・山崎は悪知識にひっかかった」と、暗に故・細井日達管長を批判。
10月11日
 顕正会、第1回大阪大会、大阪厚生年金会館で開催、参加者 1,117七名。
 浅井昭衛会長「大阪は関西の中心、関西は西日本の中心である。されば本日の大阪大会こそ関西広布・西日本広布の幕明けである。日本の広宣流布は東日本と西日本が相呼応して立たなければ出来ない」
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「『報恩の要術』とは折伏弘通
「いま、正系門家・日蓮正宗の中で、御報恩の要術を実践すべく、広宣流布・国立戒壇建立に体をぶつけて御奉公しているのは、顕正会以外にはありません。いま大聖人様の御威徳により、広宣流布の時は近づいてまいりました。しかるに、ただ夢のごとく、口先だけで広宣流布を論じているのは仏弟子ではない。広布を明日のごとく思い、体を熱くして実践する者こそ、真の仏弟子であります。すでに一国広布の鍵たる百万達成は、九ヶ年後の現実であります。… いよいよ一国広布の時が来たのです。この広布の大潮流は御本仏の起こし給うものであれば、逆い妨害する者は、宗門の外の者であれ内の者であれ、いかなる立場の者でも必ず身を亡ぼす」(「冨士」第285号 )
10月21日  創価学会、九州代表者会議(福岡研修道場) 開催。
 池田大作名誉会長「私どもは御本仏の御遺命である、この『事の戒壇』の建立に全身全霊を捧げた。すなわち『正本堂』を私の発願により、皆さま方のお力で寄進建立申し上げた。これも、すべて法華経の経文通りの行動であることを確信していただきたい。この正本堂こそ末法広宣流布の『根本道場』である」(「聖教新聞」10月22日号 )
(※ 宗門は抑え込んだと判断したのか、本門寺改称への観測気球か、正本堂落慶以来15年ぶりに "御遺命=事の戒壇=正本堂" と誑惑の言及がなされた。聖教新聞に掲載されており、宗門が気づかないはずはない。しかし、反応は特段なかったようだ。櫻川 忠 )
10月26日
 顕正会、10月度総幹部会開催、10月度折伏成果 2,228名。
10月29日
 顕正会、教学部、「三重秘伝抄」第3回講義。
11月1日
 顕正会、四者合同班長会、豊島公会堂で開催。参加者 1,488名。浅井昭衛会長、「五濁」について説明し、「五濁悪世の真っただ中、顕正会は仏弟子としてしんしんと折伏を進める。十四万まであと二千二十名。全幹部毅然と立とう」と。
11月5/22日
 顕正会、11月度御書講義、「減劫御書」を拝読。参加者 8,549名 (全国117会場)。
11月6日  竹下登内閣発足、竹下登、第74代内閣総理大臣に任命さる。
11月7日
 正信会、阿部日顕管長に対し「意見書」を提出。創価学会と癒着した、阿部日顕管長の退陣をせまる。
11月8日
 顕正会、第10回高知支部大会、高知県民文化ホールで開催、参加者 1,622名。浅井昭衛会長「東日本と西日本が相呼応して立たなければ一国広布はできない。西日本広布の先陣を切る支部は、高知支部を除いてはない。この大使命に生きよ」
11月15日
 顕正会、第三祖日目上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長、「日興跡条条事」を奉読、「日目上人の御振舞いこそ、大聖人の御遺命を奉ずることかくの如くあるべし、ということを、末代の我ら弟子に、身を以て御教示下されたものである」と。
11月18日  創価学会、創立57周年記念勤行会、池田大作名誉会長「票は公明党にとられ、金は坊主どもにせびられ、施設は学会員たちに占領され、創立者の自分には何も残らない。それどころか、悪口、雑言だけが私に集中する。こんなに割の合わないことが、他にあるだろうか」
11月27日
 顕正会、11月度総幹部会開催 (練馬文化センター)、11月度折伏成果 2,488名。
11月29日  大韓航空機爆破事件、ミャンマー沖のインド洋上で、朝鮮民主主義人民共和国の工作員によって爆破された。実行犯の金賢姫は、バグダッド発ソウル行きの経由地アブダビで同機から降り、バーレーンからローマに出国する寸前に拘束された。
12月16日
 顕正会、教学部、「三重秘伝抄」第4回講義。
12月19日  創価学会、池田大作名誉会長、正信会僧侶を「悪鬼入其身の悪侶、外道、大謗法の徒」と罵る。(「聖教新聞」12月21日号 )
12月21日
 顕正会、12月度総幹部会開催、新版「南無日蓮大聖人」発刊さる。
12月23日
 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長「この一年の前進によって、九年後の百万がようやく見えて来た。いよいよ明年よりは百万めざす一筋の道を加速をつけて驀進したい。この一筋の道は大聖人様のお待ち遊ばす所であれば、お互いの想像を越えた前進が必ず出来る」
(※ 9年後の平成9年(1997)、顕正会は百万に遠く及ばず、五十万に留まった。櫻川 忠)
12月24日
 顕正会、教学部、「三重秘伝抄」の講義終了。
 
  年表  
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館を初め全国33箇所で奉修。浅井昭衛会長、年頭の辞「一筋の道」。
「これからの八年間、顕正会員は仏法の眼を開き、日本および世界の傾きゆく姿を、確と見据えてほしい。… 恐らく、今後八年間に、破局の前兆たる経済崩壊は月を追って激化し、天変地天は歳に随って増大するであろう。… 恐るべき世界動乱は刻々と迫りつつある」(「冨士」第287号 )
1月6日  創価学会、池田大作名誉会長のアセアン諸国外遊を前に、小和田恒外務省官房長宛に文書提出。
「本年1月末より2月中旬にかけて、創価学会インタナショナル(SGI)会長・池田大作(創価学会名誉会長)一行が教育・文化交流のため、香港並びにアセアン3カ国(タイ・マレーシア・シンガポール)を約2週間にわたり、下記の日程で訪問する予定です。何卒宜しくお願い申しあげます。…
1. メンバー
(1)池田大作創価学会インタナショナル会長・創価学会名誉会長
(2)池田かね同夫人
(3)池田博正同子息
(4)原田稔創価学会副会長
(5)鈴木琢郎同(略)
 各国訪問のおりには先発メンバーより大使館、領事館と適宜連絡をとらせて頂きます。各国大使館、領事館におかれましては入国、出国の際の空港内の特別通関等の便宜供与を宜しくお願い致します」
1月7日
 顕正会、四者合同班長会開催、浅井昭衛会長「広布前夜の濁悪の世に、もし百万の仏弟子が御本仏の師子王心に同心し奉るならば、広布の大事は必ず成る」と。
1月10日
 顕正会、教学部、三級昇格試験。全国25五会場で施行、1,735名が受験。
1月12/20日
 顕正会、初講義開催、浅井昭衛会長「日蓮大聖人一代御化導の大綱」を講ず。参加者 8,987名。(全国 113会場)
 浅井昭衛会長「正系門家の中の顕正会において、この書 (南無日蓮大聖人) が刊行されたことは、やがて全日本人が『南無日蓮大聖人』と手を合わせる瑞相である」
1月15日
 顕正会、本部会館で成人式、308名が参列、浅井昭衛会長「青年の情熱なくして広布なし。8年後には青年部の中核たれ」
1月16日
 顕正会、教学部、六巻抄の第二「文底秘沈抄」の講義始まる。
1月18日  大阪地検特捜部、砂利船汚職で田代富士男参議院議員を取り調べ。参院大阪選挙区選出の田代富士男議員は、砂利船転用に関連して全国砂利石材転用船組合連合会から謝礼として現金1,000万円をふくめ、政治資金名目等で計7,000万円を受けとった疑いで大阪地検特捜部から取り調べを受けた。
 同議員はただちに離党届けを提出し、参院議長に辞表を郵送した。公明党の国会議員が収賄を問われるのは初めて。この日、公明党は緊急中執委を開き、離党届けを受理するとともに、矢野絢也委員長が記者会見で陳謝。
1月24日
 顕正会、教学部、登用試験。全国42会場で実施、2,565名が受験。
1月26日
 顕正会、1月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「一国広布推進の中に御遺命守護の完結がある。顕正会の折伏が一国にしんしんと進み、全学会員が顕正会の名と御遺命の正義を知る時、殷の紂王と周の武王の戦いは事相となる」
1月26日  創価学会、池田大作名誉会長、第13回「SGIの日」記念提言。ヨーロッパ近代文明の功罪とアジア・太平洋の可能性、国連「平和と軍縮の10年」を人類的課題へ、「世界市民憲章」発足を提案。
1月28日  創個大学、法学部教授·北山茂、首都圈私大教職員研究集会の席上「創価大学における非民主的支配構造」と題する報告を行う。
1月30日
 顕正会、教学部、「文底秘沈抄」第2回講義。
2月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、巻頭言「開目抄の実践
 男子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 878名。浅井昭衛会長「青年の情熱なくして広宣流布はあり得ない。いま顕正会に続々と有為の青年が集うのも、すべては御仏意である。男子部は鋼のような人材の集団になれ」
2月2日
 顕正会、女子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 1,041名。
 浅井昭衛会長「女子部は現在四者の中で最も大きな組織となったが、昭和49年の解散処分以前は最も弱い組織であった。女子部幹部の今日までの捨身不退の精進に敬意を表する」
2月2日  公明党、池田克也議員、公明党本部労働局主任の実弟をともなって記者会見。弟の池田譲がファーストファイナンス社からの全額融資で、リクルートコスモス株 5,000株の譲渡を受け、86年2月に売却して約1,000万円の利益をあげていた事実を明らかにした。
2月3日
 顕正会、壮年部・婦人部合同幹部会、豊島公会堂で開催。壮年 477名、婦人 577名が参加。
 浅井昭衛会長「壮年部は支部の柱、婦人部は支部の母体である。この壮年部と婦人部の本格的前進が今年こそ事相になることを、期待している」
2月3日  創価学会、池田大作名誉会長、タイ王国のプーミポン国王をバンコクのチトラダ離宮に表敬訪問。
2月7日
 顕正会、第二祖日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「広布の責務は正系門家にのみある
2月8/21日
 顕正会、2月度御書講義、「上野殿御返事」を拝読。参加者 8,543 (全国 118会場)。
2月16日
 顕正会、教学部、「文底秘沈抄」第3回講義。
2月22日
 顕正会、2月度総幹部会開催、2月度折伏成果 2,343名。
 浅井昭衛会長「大聖人御入滅後、日興上人の富士門流と五老僧の流れができたように、いまの正系門家に、大聖人の御遺命のままに戦う顕正会と、世間に諂い御遺命を曲げた学会との流れがある」
 昭和64年度の教学試験は、五段階となる旨発表。早稲田支部長に横田高明任命さる。
2月23日
 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長「折伏が激しくなるほど指導が大切。折伏の中に指導、指導の中に折伏を」
3月1日
 顕正会、四者合同班長会開催、浅井昭衛会長「顕正会が百万になった時、全人口の百分の一に当る。この時、一人が百人を折伏すれば、全日本人が大聖人の御大法を耳にすることになる。たとえ逆縁であろうとも、全日本人に下種することが出来る。この意味からも、百万はまさしく一国広布の鍵である」
3月12/21日
 顕正会、3月度御書講義、「上野殿御返事」を拝読。参加者 8,491名 (全国 120会場)。
3月17日
 顕正会、教学部、「文底秘沈抄」第4回講義。
3月26日
 顕正会、3月度総幹部会開催、3月度折伏成果 2,163名。浅井昭衛会長、顕正会の一年の前進のリズムを示し、さらに全班一律の折伏誓願を示す。
4月1日
 顕正会、本部会議開催。浅井昭衛会長、巻頭言「一日片時も心安き事はなし
 男子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 1,430名。浅井昭衛会長「大聖人様を命かけて信じまいらせる男子精鋭一万人が結集すれば、日本の広布は必ず成る。この一万人結集の男子部大会を、顕正会百万達成の大総会の数ヶ月のち、日本武道館で開こう」
4月3日
 顕正会、大阪支部指導会、吹田市文化会館で開催、参加者 412名。
 長野事務所、長野市栗田に移転。
4月4日
 顕正会、壮年部・婦人部合同幹部会、豊島公会堂で開催。壮年 466名、婦人 639名が参加。
 浅井昭衛会長「大聖人の仰せのままに信心すれば、晩年に必ず現世安穏の証拠が出る」
4月5日
 顕正会、女子部幹部会、豊島公会堂で開催、参加者 1,328名。浅井昭衛会長、「祈祷経送状」を引いて "大聖人の仰せのままの信心" を。
4月11/24日
 顕正会、4月度御書講義、「松野殿御返事」を拝読。参加者 8,634名 (全国 123会場)。
4月13日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長のスピーチ掲載。
「近年の悪侶等や山崎一派らのやり方が、まさに"クモの巣"を張って、仏子をアミにかけ、食いものにし、「正宗」と「学会」をからめとろうとの卑劣な陰謀であった」
4月18日
 顕正会、教学部、「文底秘沈抄」第5回講義。
4月22日  創価学会、第4回本部幹部会開催、池田大作名誉会長「山崎正友・福島源次郎・原島嵩等の批判者を責めずに放置すれば、地獄に落ちる」と。(「週刊ポスト」6月3日号 )
4月25日
 顕正会、4月度総幹部会開催、4月度折伏成果 2,402名。
4月26日  東京高等裁判所、日本共産党・宮本顕治議長宅電話盗聴事件裁判判決。「北条前会長の関与は明白、創価学会の組織犯罪」との控訴審判決下る。
 秋谷栄之助会長、内部通達文書「本日の判決について」を流す。
 (1) 事件について、北條前会長が関与したというのは「デッチ上げ」であり、北條が生きていれば、北條関与を認定するような「判断は出なかったのに … 残念」、
 (2) 恐喝罪で告訴されたのを知った山崎が「自分の犯罪をうやむやにしよう」と、盗聴事件を暴露した、だから裁判は山崎と共産党の「慣れ合い」だ、
 (3) 「さまざまな魔が競うのはもとより覚悟の上」、「すべてを変毒為薬しながら、粘り強く障魔を打ち破って前進していこう」、
 (4) 「正義は必ず勝つ」
4月27日  創価学会、聖教新聞、秋谷栄之助会長談話「この事件は … 山崎正友が学生部員らを使って独断で行なったものであり、故北條会長は一切関与していない。… 山崎が、学会を崩壊させようと、なりふりかまわず謀略を企てたことに今回の事件の本質がある」
4月 日  創価学会、三色旗(シンボル旗)制定。
「三色は、それぞれ平和(青)、栄光(黄)、勝利(赤)を表し、一人一人の幸福と平和の実現を目指す創価学会の理念を象徴」( 創価学会公式サイト )
5月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、巻頭言「広布に通ずる祈りは必ず叶う
5月4日  日本共産党、宮本議長宅電話盗聴事件について声明。「この期におよんでなお事実を否認する創価学会と、ひたすら沈黙する公明党の反民主的、反社会的な体質が糾弾されなければなりませんが、とくに指摘しなければならないのは、池田大作創価学会名誉会長の責任です。池田氏は、法的責任が問われないだけであって、その社会的、道義的責任を免れるものではありません」と批判。(「赤旗」5月4日号 )
5月8日
 顕正会、幹部大会、渋谷公会堂で挙行。「広布前夜『他国侵逼』は必ずある」、全国代表幹部3千名が参加。
 浅井昭衛会長「顕正会が近く二十万を達成する時を期として、全学会員に向けて本を書こうと思っております。すなわち『学会員はなぜ功徳を失ったか』(仮題)と題して御遺命違背の事実と経過を誰にもわかるようにやさしく書き、全国書店を通して広く読ませ全学会員を救って行こうと思っております。この書こそ、御遺命守護の決定版。もしこの本が広く学会員の眼にふれるならば、池田大作の誑惑は止めを刺されるものと、私は確信しております。… 広布の大潮流の加速度をいよいよ増すため、私は、長年心に懸けていながら未だ実現していない『折伏の理論書』を、万事をさしおいて執筆し、本年中には発刊することを決意しております。…
 私は思っております。恐るべき他国侵逼の難は、米国が日本を守る力を失った時、そしてソ連が日本を侵略する意志を懐いた時、必ず現実のものになると。… この破局の前に、何としても百万の仏弟子の大集団を築き、御本仏の立正安国の大師子吼を、日本国上下の耳に入れしめなければなりません。…
 二十万が出来れば、百万は確実になり、その姿がはっきり見えてまいります。私はこの二十万を昭和65年半ばまでに成し遂げたい。この昭和65年こそ、日興上人が広布の根本道場たる富士大石寺を建立されてよりちょうど七百年に相当する。この意義深き年に、重要な節たる二十万を、断じて成しとげようと決意しておりますが、いかがでしょうか。(大拍手)
 顕正会の発足は昭和三十二年、そして最初の十万ができたのが昭和六十年、実に二十八年かかりました。しかし次の十万はわずか五年で成しとげることになる。さらに次の十万は二年以内に、その次の十万は一年で必ず出来るでありましょう。このように加速度がついて、八年後には大事な百万が成しとげられる。すべては、大聖人様の御守護であります」(「冨士」第292号 )
 沖縄支部、新潟支部、福井支部結成さる。全国23箇支部の陣容整う。
 名古屋地方部長に加藤礼子 任命さる。
5月10日  文芸春秋、公明党・大橋敏雄衆院議員の「池田大作への宣戦布告」と題する告発を掲載。「私はもはや池田名誉会長に我慢がならない。学会と公明党を私物化して恥じない男を、何としても倒す。そのためには一身を賭しても惜しくはない」と宣言。(「同」6月号 )
「中曽根内閣の後を受け、昭和62年の秋に成立した竹下内閣の最大の懸案は、もちろん消費税法の成立だった。… 63年の常会が終わり、夏からはいよいよ消費税国会だというときだった。公明党を揺るがす大騒動が起こった。いわゆる「大橋問題」である。
 公明党所属の衆議院議員・大橋敏雄氏が、昭和63年5月10日発売の「文藝春秋」誌上で、池田大作・創価学会名誉会長を批判する論文を発表した。中身は、学会を私物化し、相変わらず政教分離を弁えない池田氏を批判したものだった。公明党批判ではなく、あくまで池田批判だったが、この論文は学会のみならず公明党にも大きな動揺をもたらした。
 昭和44年、藤原弘達氏の「創価学会を斬る」に対して、学会・公明党が出版を妨害する事件が起こった。この事件をきっかけに、学会・公明党は「政教分離」を宣言したはずだった。大橋氏の告発は、その宣言が口先だけのものだったことを暴露するものだった。また大橋氏は論文の発表だけでは追及の旗を降ろさなかった。衆院議長への要望書や政府への質問主意書を提出し、池田大作を引きずり降ろすための具体的な行動にも出た」 (『公明党「汚れた裏面史」全真相』平野貞夫 「現代」2004年5月号 )
5月14日
 顕正会、教学部、「文底秘沈抄」の講義終了。
5月15日  創価学会、九州広布35周年記念幹部会開催、秋谷栄之助会長「大橋は我欲と名聞名利の退転者、反逆者。夏に出る蚊が、春に迷い出た」と。
 浅見茂総合青年部長「大橋はドブネズミ、ゴキブリのような者」と。
5月16日  東京スポーツ、66回にわたり『池田大作を撃つ』を連載。
5月22日
 正信会、神戸市(ポートアイランドホール)で、全国大会を開催。
5月22日  創価学会、本部幹部会、退転者名簿を発表。創価高校校長の小林道夫、創価学会副会長に就任。
5月26日
 顕正会、5月度総幹部会開催、浅井昭衛会長「学会の崩壊は御遺命違背の罰、顕正会ある限り正義は必ず蘇る」
 男子部幹事に海老原秀夫任命さる。
5月26日  創価学会、内部で幹部の叛乱続出。工藤直史(男子部主任部長)等、除名さる。(「週刊ポスト」6月17日号 )
5月27日
 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長、二十万達成の意義につき「一に一国広布の鍵たる百万必ず成るの確証。二には御遺命守護の御奉公が新たな段階に突入することを意味する」と。
5月27日  週刊ポスト、「巨大教団の内幕追撃」記事を掲載。(「同」6月7日号 )
5月28日  創価学会、第4回全国青年部会開催、池田大作名誉会長「これまでにも、まさかあの人が、あの幹部が、と思うような人が、正法に反逆していった。しかし、自在に衆生に取り入り、悪の眷属としていくのが、魔の本質である。少しも驚くことはない。むしろ、広布が進んでいく証左である」と大橋等造反幹部を批判。(「聖教新聞」5月31日号 )
6月1日
 顕正会、合同班長会、豊島公会堂で開催、参加者 1,453名。浅井昭衛会長「曽っての御遺命守護の戦いは、道理の正しさを証明する戦いであった。二十万以後は、正しい道理の上に力が加わって完結へ向うのである」
6月1日  創価学会、池田大作名誉会長、第3回国連軍縮特別総会へ記念提言、"新軍縮大憲章" の採択を提案。その具体的な柱として、討議と検証機能をもつ "国連軍縮機構" の創設、各国に平和省の設置など。
6月8/13日
 顕正会、「幹部大会」(63年度) を全国126会場でビデオ放映、参加者 9,069名。
6月6日  公明党、女性問題などを理由に、大橋敏雄代議士を除名。現職国会議員としては、結党以来初の除名処分。大橋代議士「池田名誉会長の独裁的独善的な体制に対して生命を賭して戦う」と語る。同席の藤原行正都議も「矢野君だって昔は一緒に池田打倒を考えていた」と暴露。(「読売」6月6日号、「週刊文春」6月10日号 )
「大橋問題に対する公明党の対応は、あまりに稚拙だった。6月6日、公明党は、告発の内容とは無関係な、「金銭トラプル」や「女性スキャンダル」を理由に大橋議員を除名する。この対応にも批判が集中した」 (『公明党「汚れた裏面史」全真相』平野貞夫 「現代」2004年5月号 )
6月10日  創価学会、池田大作名誉会長、第3回国連軍縮特別総会を記念した「国連栄誉表彰」を受賞。
6月10日  文芸春秋、大橋敏雄の「『人間じゃない』と罵られた私」と題する池田大作批判を掲載。(「同誌」7月号 )
6月12日
 顕正会、九州大会、福岡県婦人会館で開催、参加者 310名。
 浅井昭衛会長「日本の悲劇はソ連が日本海に最大の要塞を作ったことにある。この要塞と太平洋を結ぶ出入口が、津軽・宗谷・対馬の三海峡である。ここに有事の際、北海道と並んで九州の危機が存する。思えば九州は大聖人様の御在世にも他国侵逼を受けている。そして事の広宣流布の時もその可能性を大いにはらんでいる。武力を以て国土を守ることはとうてい出来ない。ただ日蓮大聖人の仏法を以て守る以外にはない。九州の皆さんこそ、広布前夜の厳しい状況を認識し、大法弘通に立ち上がってほしい」
6月14日  創価学会、池田大作名誉会長、米国議会から「青年平和国際賞」を受賞。(「聖教新聞」6月11日号 )
 秋谷栄之助会長「大橋敏雄・藤原行正を『退転者名簿』に記載し、破門に処した」と発表。(「週刊サンケイ」6月15日号 )
6月14日  公明党、第60回中央委員会開催(公明会館)。挨拶に立った矢野絢也委員長、大橋問題について掘り下げた討議を要請。大久保直彦書記長は、政教分離の路線をさらに進めていく決意を表明。
 創価学会との「政教分離問題」の再燃に関し、矢野絢也委員長は創価学会との連絡協議会について、「今後は定期的な形にして、国民に今こういう話をしていると発表する形に運営を変える」と表明。
6月20日  鷹書房、浅沼美知雄著「池田大作名誉会長への公開質問状」発行。浅沼美知雄は、右翼団体(大日本愛国団体連合・時局対策協議会)代表。
6月21日  大橋敏雄代議士、衆参議長に「私と池田大作を証人奥問すべし」と要望書提出。(「赤旗」6月22日号 )
6月21日  公明党、大久保直彦書記長、大橋問題への対応を平野貞夫に相談。
「私は大久保書記長から議員会館の部屋に呼ばれ、大橋問題への対応を相談された。大久保書記長の部屋には、石田幸四郎副委員長、伏木和雄副委員長の顔もあった。… 大橋問題への対応で、公明党の幹部は心身ともに擦り減らしていた。この状態では彼らにまともな議会運営など望むべくもなかった。…
 公明党としては、池田大作名誉会長の証人喚問だけは何とか避けたいと必死だった。一方の自民党にとって、これはチャンスだった。懸案の消費税法は、自民単独で成立させることは不可能だった。社会党や民社党が消費税に強硬に反対している以上、成立には公明党の協力は欠かせない。消費税国会を成功に導く鍵は、公明党が抱える大橋問題をいかにうまく処理するかにかかってきていたのである」(『公明党「汚れた裏面史」全真相』平野貞夫 「現代」2004年5月号 )
6月27日
 顕正会、6月度総幹部会開催(板橋文化会館)、6月度折伏成果 3,063名、15万を達成。
 浅井昭衛会長「(戒壇の大御本尊に対する)内の不敬・外の誹謗のゆえに、日本に刻々と他国侵逼の影は迫り、その前兆として地球的規模の異常気象が頻発している。『未来亦然るべきか』の御金言は、いよいよこれから事実となってくる。顕正会員は仏法の眼を開けて、この実相を見つめよ」
 整理部主任に小峰勝彦任命さる。
6月30日  週刊スパ、大橋敏雄・藤原行正の記事掲載。公明党・神崎武法議員が、検事在職中に "盗聴モミ消し工作" に暗躍したことを暴露。(「同」6月30日号 )
7月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、巻頭言「今こそ立正安国論を心肝に
「而して大聖人御入滅後においては、大聖人の御当体たる戒壇の大御本尊を境として、また一国に現証が出来するのである。すなわち御遺命の国立戒壇建立には必ず大なる怨嫉・抵抗がある。「事相たる故に一重の大難之有るか」(富木殿御返事)と。この時、戒壇の大御本尊を境として、「未来亦然るべきか」の御聖文が事実となるものと拝し奉る。… このゆえに、日本にいま他国侵逼の不気味な影は刻々と迫るのである。その前兆か、世界的規模の異常気象はすでに頻りである。顕正会員は、今こそ立正安国論の明鏡を深く心肝に染めねばならぬ。そして御本仏の御遺命のまま、「立正」の具体化たる国立戒壇建立をめざし、身命も惜まず戦おうではないか」(「冨士」第293号 )
 合同班長会、板橋文化会館で開催、参加者 1,397名。浅井昭衛会長「立正安国の実践とは、折伏以外にない。折伏をせずにいかに立正安国を論ずるとも、それは戯言(ざれごと)であり大聖人には通じない」
7月1日  押木二郎 (元・創価学会本部職員)、池田問題対策事務局を開設。
7月3日
 顕正会、第2回沖縄大会、沖縄県青年会館で開催、参加者 283名。
 浅井昭衛会長「沖縄は本州から最も遠く離れ、弘通にさまざまな困難がある。もしこの地で三大秘法の力強い弘通が進むならば、日本全国いかなる所でも、折伏の進まぬ所はない。その意味で、沖縄支部こそ全国広布の鍵を握る支部である。… 沖縄には数万の学会員がいると聞く。あるいはこの人たちが、最も早く御遺命の正義に目覚めるのではないかと、私は思っている」
7月4日  自民党の小沢一郎衆院議員、創価学会幹部と密談、社公から自公へ戻る方針決まる。
「大橋問題は結局、本人から出された学会の運営などについての質問主意書に対し、政府が答弁書を出したことで一応の決着が付くことになる。最大の論点だった「代表役員でない池田大作名誉会長による学会の支配が宗教法人法違反にあたらないか」との問いに対し答弁書は、「責任役員と代表役員による事務の決定と総理(統一管理)に従って管理運営が行われる限り、同法違反に該当しない」との見解を示したのだ。これによって、大橋問題が巻き起こした波紋は、消費税法の審議に影響を及ぼす寸前で、かろうじて収まった。…
 消費税に公明党を乗ってこさせるためには、ポイントが二つあった。一つは、老人医療の問題で、公明党が力を入れていた「ゴールドプラン」を自民党が採り入れて、翌年度の予算で4,000億円増やしたこと。もう一つは、消費税法を成立させる条件として、国会周辺の右翼の街宣活動による騒音を防止する法律を改正し、対象地域を国会周辺だげから、政党本部にまで拡大したのである。これにより、それまで街宣活動の騒音に悩んできた信濃町の公明党、創価学会が大いに助かったのだ。こうして不十分なものながら消費税が導入されたのだ」(『公明党「汚れた裏面史」全真相』平野貞夫 「現代」2004年5月号 )
7月5日  創価学会、東京練馬・村山圏合同記念幹部会開催。池田大作名誉会長、アフリカの大使から贈られた文面を紹介。
「私は(池田氏)との出合いの印象として、ソロモンの知恵、偉大なるブッダの本質、ギリシャの偉大な哲学者であるソクラテスの謙虚さ、アーサー王の勇気、シェークスピアの知性、リンカーンの清廉、そして、マーチン・ルーサー・キングの夢と信念、詩人キップリングが『IF』という詩の中でいみじくも表現した『"国王らと共に歩みながらも庶民的なものを失わない"その人』に相通じるものを感じた」(「週刊実話」2001年12月13日号 )
7月7日  正信会、宗務院に「創価学会の善導を促す意見書」を送附。
7月8/20日
 顕正会、7月度御書講義、「顕立正意抄」を拝読、参加者 9,065名。(全国135会場)
7月14日  藤原行正 (元公明党中央執行委員)、「矢野委員長は長年にわたって学会・公明党の極秘情報および池田大作に関する情報を内藤国夫氏に流し、秋谷会長も矢野に協力していた」と暴露。(「週刊新潮」7月14日号 )
 週刊文春、"創価学会反乱地図" を掲載。(「同誌」7月14日号 )
7月16日
 顕正会、浅井昭衛著「立正安国論謹講」発刊。
7月17日  創価学会、創価学園正門前で、暴力事件発生。
「この日、創価学園で催された「栄光祭」に出席した池田大作をキャッチしようと、学園門前に待機していたマスコミ各社の記者、カメラマンに対し、学会、学園関係者が、集団で暴行に及んだのである。午後6時20分頃、池田を乗せたとおぼしき黒塗りのセンチュリーが、学園正門を出る、これを撮影しようと十数人のカメラマン、記者が車に群がる。それに対し、50~60名の学会員が襲いかかったのである。路上に引き倒され、頭や腹を蹴られた「フライデー」カメラマンは、救急車で運ばれ、入院。現場写真には学園の北山教諭が、「フライデー」カメラマンを殴打している姿がはっきりと映し出されている」(「グラフティ創価学会の現実 PART3 継命新聞社 )
「この七月十七日は「財務の日」と命名され、そのころは年に一度の財務を集める日 … 栄光祭に出席する池田を取材しようと、創価学園の前に雑誌メディアの取材記者が集まった。既に、小林校長(当時)が報道陣を「ブラックジャーナリスト」と罵り、「魑魅魍魎が学園を狙って跋扈している。革命的警戒心を全員が持ち、一致団結して創立者をお迎えしよう」と檄を飛ばし、学会本部の第一警備はもちろん、学園の男性教員や学園出身のOBも混じって、数十人が警戒にあたった。夕方、体育館でのスピーチを終え、池田が黒塗りの車が出ようとすると、一斉にフラッシュがたかれたが、そこで、警備にあたっていた学会員と取材陣とが押し問答となる。うちフライデーのカメラマンが殴られ、足蹴りにされてうつぶせに倒れされた後、さらに頭を足蹴りにされた」(「カルトとしての創価学会=池田大作」古川利明 )
7月19日  日本共産党、赤旗、「黒い鶴の実相」の連載開始。
7月22日  週刊ポスト、押木二郎 (元創価学会本部職員)の「池田問題対策事務所」設立を報道。(「同」8月12日号 )
7月24日
 顕正会、新潟事務所、新潟県長岡市に開設。
7月26日  創価学会、池田大作名誉会長。本部幹部会の席上「現在の学会に対する様々な誹謗も、その本質は、あの時代(言論問題の起きた45年当時)からいささかも変わっていない。そこには、正しい認識もなければ、真の批判もない。ただ恣意的な曲解と偏見、そして悪意と嫉妬があるのみ」と。
7月27日
 顕正会、7月度総幹部会開催(板橋文化会館)、折伏成果 2,511名。
 浅井昭衛会長「正系門家の中でこの書 (立正安国論謹講) が出来したことは、やがて御本仏の『立正安国』の師子吼が、日本国の上下の耳に入る序であり瑞相である。… 一万人の講習会を実現しよう」
 第9隊幹事に小峰勝彦 任命さる。
7月27日  公明党、大橋政雄代議士、矢野絢也委員長に「公開質問状」を送附。(「週刊文春」7月28日号 )
7月28日
 宗門、法華講連合夏季総登山会。
 阿部日顕管長「私自身も、もし私の行為・行動に対して誤りを指摘してくださる方があるならば、それを大聖人様の教えに照らして考えた上で、誤りと自分が解れば直ちに改めるつもりであります。また、その方に深くお礼を申し上げたいと思います。私もその心掛けを持っております。私の下におります僧侶の者達にも場合によって心掛けが不充分であるというような振る舞いがあれば、私は充分注意をいたします。…
 しかし、僧侶のほうが悪ければ、あくまでこれは直していってもらわなければならない。また、そのことが私の耳に入り、その僧侶が本当に悪ければ、私の立場からもその僧侶に注意をいたします。これが本当の切瑳琢磨であり、正法正義の正しい研鑽であると思います」
7月29日  創価学会、公明党と初の「連絡協議会」開催 (聖教新聞社)。
 初の連絡協議会には公明党側から矢野委員長ら8人、創価学会側から秋谷会長ら8人が出席し、89年の参院選や都議選への支援、党の基本路線、政策などについて意見交換がなされた。この連絡協議会は原則的に2ヵ月に1回程度開かれることになっていたが、88年中に開かれたのはこの1回だけであった。
8月1日  月刊現代、藤原行正「言論出版妨害事件の真相を語る」を掲載。(「同誌」8月号 )
8月2日
 顕正会、男子部班長会開催 (本部会館)、浅井昭衛会長「顕正会は師子王の子とならん」と。
「それより本年で三十一年。発足の時、私は25歳でした。しかし、発足の時と三十一年経った今と、気持ちが全く変わらない。今も25歳の時と同じ気持ちです。… 私は頭が悪いから複雑なことは考えない。発足以来、胸に抱いてきたことはただ一つ、「大聖人様への忠誠」-- これだけです。
 いま学会内部で反乱を起こしている藤原や大橋は、マスコミにもてはやされている。下らんことです。彼らはついこの間まで池田の手先として悪事に加担していた。そして御遺命が曲げられていることは少しも云わない。ただ池田に対する鬱憤だけを晴らしている。…
 将来、顕正会が実力を持って一国に国立戒壇の建立を叫び迫る時、必ずやマスコミは顔を歪めて反感を露わにするに違いない。ここに三類の強敵が起きて来るのです。この三類が顕正会の行く手に立ちはだかるならば、顕正会は真の仏弟子、正しく師子王の子であります。そして三類の強敵が競いおこれば、もう広宣流布は手の届くところにある。井戸を掘るのに、堅い地層にぶつかれば、その下には水がある。三類の強敵が現われれば、一国広布は間近であります」(「冨士」第295号 )
8月9日  産経新聞、公明党矢野絢也書記長の「明電工疑惑」を報道。
 明電工(中瀬古社長)の不正な仕手株売買に関与し、(1) 矢野書記長が10人の名義を使ってカロリナ株と吉田工務店株に約10億円投資して、約2億円の利益を得た。(2) 元秘書・中村道雄の名を使って2億円のカロリナ株を購入した。(3) その他。
8月11日  イギリスのタイムズ紙、創価学会の古城(タプローコート)買い上げに批判的論評。
「創価学会がロンドン西郊のウィンザーに近いバッキンガムシャーにある、チューダー王朝様式の城を600万ポンド(約18億8千万円)で買い取った。仏教は物欲を排した処世に基礎を置くとされるのに、あからさまな献金強要で大きな批判をまき起こしている」
8月17/24日
 顕正会、特別講習会「なぜ信心せねばならぬか」を全国135会場でビデオ放映。参加者 10,545名。「一万人の大講習会」初めて実現。
8月24日  創価学会、8月度本部幹部会、池田大作名誉会長「裏切り者が出る。… 近年のね、フジコウとかもみんなそうでしょ。オオコウ、大橋とか、なんだ、ハラコウとか、なんだ。なにかいるじゃないか、5、6人よ。よくなんか、汚らわしいからいわないけど、全部同じよ、方程式は。… ぼくの眼から見るとね、もう原島、福島ね、フジコウ、全部が、石田、全部。おかしい」
8月25日  右翼団体 (宏道連合会) の幹部、創価学会本部に銃弾を打ちこむ。
 午後2時40分ごろ創価学会本部 (信濃町の創価文化会館)正門受付に、右翼団体「宏道連合会」(新宿区)所属の男 K・S (20)が『創価学会に警告する』『池田大作を追放しろ』『創価学会は解散しろ』『宗教を餌に金儲けをするな』などと書いたビラ10枚を持って訪れ、手渡そうとしたが、警備員に無視され、押し問答となる。その際、男は持っていたイタリア製拳銃を空に向かって1発発射。男がさらに強引に入り込もうとしたため、その場で警備員が3人がかりで取り押さえた。男はその際にも空に向けて拳銃2発を発射した。ほどなく警察官が駆けつけてきて、男は銃刀法違反の現行犯で逮捕された。けが人なし。「創価学会に警告に来た」「上の者に言われて来た」「雑誌を見て憤りを感じて乗り込んだ」などと話す。
8月 日  創価学会、池田大作名誉会長、正本堂記念に大石寺境内に建造した「常灯ヶ峯の久遠の灯」を撤去。(「諸君」10月号 )
8月26日
 顕正会、8月度総幹部会開催(板橋文化会館)、浅井昭衛会長「「本門寺」改称の大陰謀 断じて許さず」と、「本門寺改称」に始めて言及
「私は本年五月に「御遺命守護の御奉公が、新たな段階に突入することを意味する」と申しましたが、その後、日を経るにしたがって、いよいよその思いを深くしております。それというのも、池田大作の御遺命破壊の陰謀が、今日なお密かに、そして着々と進行しつつあるからであります。…  しかし彼は決して諦めたのではない、虎視眈々とその機会を狙っていたのです。… 今学会、そして宗門の動きを深く見つめる時、池田大作はこの誑惑の完結を、昭和65年の大石寺建立七百年の年に、狙い定めているかの如くであります。… 日蓮正宗に顕正会がある限り、このような "誑惑の完結" は断じて許さない。… このような大それた悪事をなすものは、まさに「大謗法者」と断定したいと思うが、どうでしょうか。(大拍手)…
 不思議にも、顕正会の二十万は、池田が狙いをつけている昭和65年の前半に成し遂げられる。これこそ、大聖人様が顕正会をして戦わしむる御仏意であります」(「冨士」第296号 )
 男子部幹事に小峰勝彦任命さる。
9月2日
 顕正会、合同班長会、豊島公会堂で開催、参加者 1,473名。浅井昭衛会長「六十五年の二十万達成こそ御仏意
「さて、再来年の昭和65年は、日興上人が身延御離山ののち大石寺御建立あそばされてより七百年という、まことに意義深き年であります。…
 しかるに今、国立戒壇を否定するため、にわかに大石寺の境内のはずれに正本堂という建物が建てられ、これが御遺命の戒壇と偽称されております。そしてこの誑惑を守るためには、将来「天生原」に本門戒壇が建立されることを、どうしても否定せねばならなくなる。… 一つ嘘をつけば、次々とまた嘘をつかねばならなくなる。そしていま池田大作は、正本堂の誑惑を完結するために、同じく阿諛の阿部日顕管長と心を合わせ、まだ広宣流布も達成しないのに、昭和65年を期して、大石寺を富士山本門寺と改称せんと、大陰謀を企んでいるのであります。…
 大事な昭和65年の前半に、顕正会が二十万を達成することは、まことに不思議である。この不思議こそ、大聖人様が、顕正会をして戦わしめ、池田の大誑惑を徹底して粉砕せしめんとの御仏意であり、御命令ではないかと、私は深く拝しております。池田の誑惑の完結が早いか、顕正会の御遺命守護の完結が早いか、この戦いの帰趨に、日本の命運がかかっていると、私は思っております」(「冨士」第296号 )
9月2日  大橋敏雄衆院議員、原健三郎衆議院議長に「宗教法人『創価学会」の運営等に関する質問主意書」を提出。
「宗教法人の運営も公共の福祉に添うものでなければならず、またその義務を負うものである。宗教法人がこの義務に反して、その目的を著しく逸脱するなど、自由権を濫用すれば法の保護が受けられないことは当然であるし、またそのような場合には、所定の手続きを経て、裁判所が解散を命ずることができるようにもなっている(宗教法人法第八十一条)。最近の各種報道が示すように、国民は、宗教法人創価学会の運営や、学会の池田名誉会長の行動に対し疑念を抱いている」
9月7/23日
 顕正会、9月度御書講義、「刑部左衛門尉女房御返事」を拝読。参加者 10,245名。(全国133会場)
9月7日  創価学会、池田大作名誉会長、婦人部幹部会で「策謀に粉動され、真実を見誤って信心を破られたり、退転することは、あまりにも愚かである」と退転者続出にいらだつ。(「聖教新聞」9月9日号 )
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長「成仏させて頂くには『一心欲見仏・不自惜身命」の信心に立たなくてはならない。我ら仏弟子の『一心欲見仏』とは、御本仏大聖人にあいまみえんとの恋慕渇仰の切なる思いを以て、御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉ること。『不自惜身命』とは、御遺命のまま広宣流布・国立戒壇めざし戦うことである」
9月16日
 顕正会、男子部、妙観講本部で法論対決。浅井克衛男子部長、講頭代理・渡辺茂夫を痛烈に破折。(「顕正新聞」)
 昭和63年9月16日夜8時過ぎ、浅井克衛男子部長以下14名の顕正会男子部員が、突然小金井の旧妙観講本部に乗り込んだ。妙観講側は、"2・3名なら入室を許可するがそれ以外は退去" するよう、通告した。顕正会側は大声で喚きちらし、罵声が近所中に響き渡った。地元住民が警察に通報、パトカーが出動する事態となった。警察官が立ち去った後も、顕正会員は退去勧告を無視、玄関に居座り続けた。深夜10時近く、妙観講側は "用意してきた話だけは聞こう" と、顕正会員全員を本部に入れた。 (動画)
 浅井克衛男子部長「間違いだったら腹キレるんか! … おい! 包丁1本もってきなよ。こっちは真剣勝負しているんだぞ。… 血吐くくらいじゃ済まないぞ、バケツ三杯の細井管長と同じになるぞ。細井管長はな! バケツ三杯の血を吐いて死んでったンだよ。… 細井管長のようになるぞ! こんな誑惑が通用するか! 大草講頭によく言っておけ … 」 (動画)
(※ 顕正会の劣化が激しい、ごろつきさながらである。こんな愚劣なことをやっていて、"一国広布" など望むべくもない。小生は妙信講解散処分後、創価学会謀略組織が送り込む妙信講対策部隊を迎え、妙信講側の代表として "戒壇論" をめぐり何度か小規模な論判をした。双方礼儀を弁え、罵詈雑言が飛び交うことはなかった。理に詰まった相手が声を荒らげれば、当方は "主人咲み止めて曰く"(立正安国論)を踏まえて諭した。浅井昭衛会長はこの頃、"試練と忍従" 期に鍛え上げた人材を排し、経験も少なく未熟な子息を男子部長に据えた。それは当人にとっても、さぞ荷が重かったことだろう。櫻川 忠 )
9月17日  創価学会、池田大作名誉会長、本部幹部会で「悪人と戦わない人にかぎって "自分は忍辱の修行をしている" といって、自らを正当化してごまかしてしまう。しかし、それは自らの臆病さのゆえに、悪の傍観者となっているにすぎない。その人は必ず堕地獄の道に入ってしまう」と、造反者と戦わぬ学会幹部の無気力を嘆く。(「聖教新聞」9月20日号 )
9月18日
 顕正会、第2回新潟大会、長岡商工会議所で開催、参加者 722名。浅井昭衛会長「新潟の地こそ大聖人様の尊き足跡が刻まれた国土である。この地において、御遺命たる広宣流布・国立戒壇をめざす顕正会の折伏が進むをご覧あそばし、大聖人様は必ずお喜び下さる」
9月25日
 顕正会、顕正新聞、一面に「宗内の痴犬、妙観講の実態」掲載、全国末寺に送付。
9月25日
 妙観講、浅井昭衛会長宛に内容証明送付。
 妙観講大草一男講頭、記録ビデオを確認し浅井克衛男子部長の発言を論難する文書を送付、厳しく回答を要求した。しかし、浅井昭衛会長は回答せず、無視黙殺した。
9月26日
 顕正会、9月度総幹部会開催(板橋文化会館)、「宗門・学会の濁乱は御遺命違背の罰」、9月度折伏成果 3,116名。
 浅井昭衛会長「池田はなぜ昭和65年に狙いを定めたのか。それは、この年が大石寺建立七百年に当たるということは、すでに述べました。しかしそれだけではないのです。実はこの年が学会創立六十周年にあたり、また戸田前会長の三十三回忌にあたり、さらに池田自身の会長就任三十周年にも当たっている。いろいろと当たっているんですね。(笑)ことに最後の一つが一番大事らしい。冥利の魔物である池田が、この記念すべき年を見逃すわけがない。かくて何としてもこの年に、年来の誑惑を完結させ、"広宣流布を達成し御遺命を達成したのは自分である"と宣言しようと、狙いを定めていたわけであります。しかし、日蓮正宗の中にこの顕正会がある限り、このような大それた陰謀は断じて許しません。顕正会が先月この宣言をして以来、宗門の真面目な僧侶の中からは、『顕正会の御奉公に期待する』という密かなる声が、あちこちで起きてまいりました。…
 仏法は体、世間は影であれば、正系門家のこの濁乱が、日本国家に影響を与えぬはずはありません。天皇陛下の御容体もただならぬ御様子でありますが、いよいよ日本は重大な変動期を迎えつつあると、私は感じております。ここに思うことは、もし大石寺が『本門寺』と改称されたりしたら、それこそ取り返しがつきません。なんとしても池田大作の大陰謀を粉砕する二十万の法城を築くことこそ、時に当り最も大事であります」(「冨士」第297号 )
9月 日  国際証券、創価学会との間でトラブル発生。創価学会からクレームが付き、損失分をワラントの売買で穴埋め。( 国際証券・松谷社長記者会見 91年7月31日 )
10月2日
 妙観講、9月25日付内容証明文書が隠蔽されぬよう、顕正会本部におもむき文書のコピーを配布。
 顕正会、配布を妨害せんと浅井克衛男子部長ら、集団で妙観講員を威嚇し排除。 (動画)
(※ 9月16日には、自分たちが夜分妙観講本部へ強引に押しかけ、論判を強要したのである。しかして、妙観講員が顕正会本部を訪れると "帰れ! 帰れ!" と醜態を晒す。自信があるなら、喜んで顕正会本部に招き入れ、心ゆくまで論判すればよい。相手を "痴犬" と呼んでおいて、自らは "狂犬" のように吠えて威嚇と暴力に及ぶのは、"清浄な団体" の振舞いではない。櫻川 忠 )
10月5日  文藝春秋、山本七平の「池田問題と異端」を掲載。(「同」11月号 )
10月7日
 宗門、大石寺の六壺・総一坊落成。(「聖教新聞」10月8日号 )
10月7/23日
 顕正会、10月度御書講義、「聖人御難事」を拝読、参加者 9,568名。(全国139会場)
10月9日
 顕正会、西日本大会、毎日ホールで開催、参加者 1,561名。浅井昭衛会長「広宣流布は、東日本と西日本が相呼応して立たなければ、絶対に出来ない。いま西日本各地に、信心強盛・宿縁深き人材が続々と現われるのを見て、"時なるかな" と思わざるを得ない」
 当日、創価学会の謀略部隊、大会の動向を窺う。
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で厳修、「国立戒壇こそ宗門七百年の悲願
 浅井昭衛会長、日目上人の身命を賭しての国諫の御振舞と対比して、今日の御遺命破壊の腐敗堕落に言及し「このような腐敗堕落を大聖人様が御覧あそばせば、いかようにおぼしめされるか。この恐れ多さを思えば、まことに身の縮む思いである。日蓮正宗の中に顕正会ある限り、早くこの誑惑を粉砕し、大聖人様の御心を安んじ奉らなければならない」と。(「冨士」第297号 )
10月26日
 顕正会、10月度総幹部会開催(板橋文化会館)、10月度折伏成果 2,302名。
 浅井昭衛会長「大石寺の姿を見れば日本の運命がわかる。… 破局より日本を救う方法はただ一つ。大聖人様の御法魂まします大石寺を、清浄にする以外にはない。すなわち正本堂の誑惑を粉砕し、大聖人様の御心に叶う清らかな宗門にすることである。… やがて、陰に隠れている学会が宗務院を楯として姿を現わし、顕正会誹謗の大合唱をするようになる。そういう時が来たら、御遺命守護の完結は近い。その時の来るのを私は楽しみにしている。これほどの大仏事に御奉公する以上、悪口中傷などは始めから覚悟の上である。顕正会はただ御一人の大聖人のおほめを頂けばそれでよい」
10月30日
 妙観講、「摧破異流義考」を顕正会本部へ送付。
 大草一男講頭、「摧破異流義考・日蓮正宗を詐称せる浅井昭衛一派の妄説を摧く」を、10月30日付けで浅井昭衛会長宛て送達。先の9月25日付け内容証明と併せ、浅井昭衛会長からの回答を求む。
10月 日  公明党、池田克也衆議院議員、リクルート疑惑で党役員を辞任。
11月1日  公明党、池田克也衆議院議員、読売新聞の「リクルート疑惑」取材に対し、「天地神明に誓ってない。謀略だ」と。
11月2日  公明党、池田克也衆議院議員、リクルート疑惑関与が発覚。のち、記者会見で「弟が知らない間にもらった」と弁明。
11月4日
 顕正会、合同班長会、豊島公会堂で開催、参加者 1,453名。浅井昭衛会長「11月に十六万が出来れば、再来年前半の二十万は絶対となる。いよいよ大聖人様のお待ち遊ばす法戦場に到達するのである。魔はこれを見て必ず憎む。必ず魔障も激しくなってくる」
11月5日
 顕正会、深川警察署を巻き込む謀略事件が起こる。
11月8日
 顕正会、11月度御書講義、「佐渡御書」を拝読。参加者 10,253名。(全国142二会場)
11月15日
 顕正会、第三祖日目上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長「広宣流布の時には、日目上人が再び御出現になる、と、本宗では昔から伝えられている。この事も、そう遠いことではないと私は確信している。『大悪起これば大善きたる』という。いまの正系門家の濁乱こそ、まさに日目上人御出現の相ではないか」
11月20日  鹿砦社、創価学会内部改革派憂創グループ著「池田大作・政教支配の実態創価学会=公明党の覚醒に向けて」(エスエル出版会)発行、正信会の立場で書かれている。
11月21日
 妙観講、大草一男講頭、沈黙した浅井昭衛会長に、重ねて"最終通告書"を内容証明郵便で送付。
「9月25日付け書面に対する回答と併せ、摧破異流義考に対する反論を要求する。… 期限は十二月十三日 … もし期限までに右回答なき場合は、君が全面的に誤りを認め、敗走したものと認定するゆえ、あらかじめ了承せよ」
11月25日  日新報道、藤原弘達著「池田大作をブッた斬る」発行。
「この戦後の虚妄の中で最も下劣で、非人間的、まさに古代的奴隷制度のような人間支配の形態がまさに池田創価党システムなのだ。学会員からえげつなく金を集め、殆ど収奪といってもいいが、集めた金をえげつなく使う。金権主義にどっぷりつかっているのである。しかも、強者は差別的に優遇をし、弱者は切り捨てる。人権意識は皆無。学会の総ては自分の支配下にあり、名誉会長・池田大作の私的所有という考えである。しかも、宗教法人という税法上の特権を悪用した最も効率のよいカネ儲けと、宗教と政治を癒着させ最大限に安上がりの選挙運動で有効投票をふやす。その結果、公明党なる政党の姿を借りた池田創価党が現実政治の中に一定の影響力を行使することになる。国家権力には距離があるが、議会政治、政党政治の力学を利用して、権力と取引をするのである」
11月29日
 顕正会、11月度総幹部会開催 (練馬文化センター)、11月度折伏成果 3,110名、十六万を達成。
 浅井昭衛会長「十六万達成により、再来年前半の二十万は絶対となった。明年は脇目もふらず、ただ大聖人様のお待ち遊ばす法戦場へと、ひた走りに走りたい」
11月29日  公明党、第26回党大会開催。
12月8日  自由民主党提案の議員立法で、静穏保持法(国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律)成立。
12月9日  朝日新聞、巨額の脱税が摘発された「明電工事件」の中瀬古被告が、88年1月におこなった10億円の株取引で株を購入した名義人のなかに、矢野公明党委員長の現秘書2人と元秘書1人の名前があることを報道。
12月10日  公明党、矢野絢也委員長、明電工疑惑を報道した朝日新聞を、名誉毀損で告訴。(※ 89年3月23日取り下げ )
12月12日  公明党、矢野絢也委員長、記者会見。明電工関連会社であるカロリナ社の株を担保に、元秘書からあずかった2億円を石田明電工専務に融資する仲介を、自宅でおこなった事実を明らかにした。
12月13日
 妙観講、大草一男講頭、浅井昭衛会長の反論がなく、12月22、23日の両日にわたり顕正会・浅井昭衛敗走の事実を一般紙に掲載、首都圏全域に広告した。
12月14日
 顕正会、教学部、「開目抄」講義。
12月23日
 顕正会、12月度総幹部会開催 (板橋文化会館)。
12月27日  創価学会、日本共産党宮本議長宅電話盗聴事件裁判の上告を取り下げる。(「赤旗」12月28日号 )
 これにより、創価学会の組織的関与を認定した、第二審(東京高裁)判決が確定。
12月28日  創価学会、聖教新聞、社会面記事に「"宮本邸盗聴事件"裁判 北條前会長の遺族ら上告取り下げ」の見出しで小さく報道。「"宮本邸盗聴事件"裁判の控訴審判決(東京高裁第4民事部)に対し最高裁に上告していた広野輝夫・竹岡誠治両氏が上告を取り下げたことにともない、北條前会長の遺族らも、このほど上告を取り下げた。これにより、この裁判は一切、終了したことになる」
「いま、創価学会・公明党は非常な窮地に立っており、混乱していますから、そのうえ『上告棄却』という形で明確な審判が下るのを避けたいということがあるでしょう。しかし、創価学会側としては、北条氏が関与していたことを認め、宮本氏と社会に対して謝罪するわけにもいかない。そこで彼らは、『談話』等でもいろいろ弁明しているように、創価学会としては北条氏は関与していなかったと信じている、しかし、北条氏の遺族や広野、竹岡らが個人として取り下げてしまったのはやむを得ないという形にして、自分の責任はまぬがれる、しかも、『上告棄却』という、もっとも明確な審判が下るのも同時に避けるというねらいがあるのではないかと思います」(「創価学会・公明党の電話盗聴」松井繁明 )
「盗聴は70年、当時、共産党委員長だった宮本氏宅に対してなされた。共産党はかねてから創価学会批判の急先鋒であり、学会はその動向を把握するため、内部に、後に『情報師団』と呼ぱれることになる秘密組織をつくった。組織は北条浩副会長(当時、後に会長)の指示によって作られ、責任者には学会の顧問弁護士だった山崎正友氏が就いた。宮本氏側は電話に雑音が混じることなどから盗聴に気付いて警察に届けたが、その時点では学会の関与は分からなかった。
 ところが、80年になって、池田大作名誉会長の側近となっていた山崎氏が突然、造反。宮本氏宅への盗聴を暴露したのである。盗聴事件は刑事事件としてはすでに時効となっていたため、宮本氏が学会の北条氏と山崎氏、そして竹岡容疑者ら『情報師団』のメンバー計5名を被告として損害賠償を請求する裁判を起こした。竹岡容疑者は当時、青年部副男子部長を務め、学会ではエリートとして知られていたが、裁判では盗聴の事実を認めた上で、『すぺては山崎氏の指示によるもので、北条氏ほか学会の組織的関与はなかった』と主張した。しかし、裁判所は一審、二審とも北条氏の関与を認め、学会の組織的犯行だったと断じたのである」(「週刊ポスト」2004年3月12日号 )
12月28日  公明党、中央執行委員会開催、「党政治倫理確立と党改革委員会」(委員長:大久保直彦書記長)発足を決定。
 
  年表  
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館を初め全国36会場で奉修。 浅井昭衛会長、年頭の辞「悪は多けれども一善に勝つ事なし
「しかるにいま、明年の大石寺建立七百年の意義深き年を期して、正本堂の誑惑完結を目論む動きが着々と進みつつある。… 大事の法戦場が近づくにつれ、魔障の波風が荒くなるのも当然である。恐らく本年からは魔障も本格化するであろう。まさに魔障の大なるを見て、仏事の大なるを知るべきである。… 彼等の怖畏、察するに余りある。ここに悪人は結託し、あらゆる謀略をめぐらし顕正会を害せんとするのである。しかし御書に云く、「悪は多けれども一善にかつ事なし」(異体同心事)と。… 本年は、競い起こる魔障を破邪の利剣で切り捨てつつ、一筋に二十万をめざし驀進する」(「冨士」第298号 )
(※ この年は浅井昭衛会長に、"魔障の波風が荒く"、"魔障も本格化"、"魔障の大なるを見"、"競い起こる魔障" と予見の通り、魔障が押し寄せた。妙観講から法義上の批判を受け、男子部の暴走、200名以上の大量脱会、元藤狂言事件、高知支部の離反など、数々の問題が競い起こる。櫻川 忠 )
1月1日  日本共産党、赤旗、宮本顕治議長の新春インタビュー「最近、陰湿な反共謀略事件への民主的決着がありました。わが党の糾明は、現代の法廷でも、創価学会による私の家の盗聴という驚くべき蛮行を糾弾し、彼らも18年ぶりに敗北をみとめ、上告をとりさげざるをえなくなりました」
1月6日
 顕正会、合同班長会、豊島公会堂で開催、参加者 1,398名。
 浅井昭衛会長「いま不浄の正本堂に、恐れ多くも戒壇の大御本尊は居えられ奉っている。まさに池田は選挙と名利のために、戒壇の大御本尊を利用したのである。このような不浄なところに、どうして大聖人の御法魂が安穏に住し給うことがあろうか。大聖人のお憤りはいかばかり、日興上人のお悲みはいかばかりか。宗開両祖の御悲憤の聞えぬ者は大聖人の弟子ではない。… いま仏弟子として為すべき御奉公は、一日も早く戒壇の大御本尊を、不浄の正本堂から清浄の御宝蔵に還し奉ることである。これ以外に大聖人の御心を安んじ奉る御奉公は断じてない」
1月7日  天皇陛下崩御、明仁殿下即位。新元号「平成」と定まる。
1月8日
 顕正会、教学部。三級昇格試験 (開目抄)、四級昇格試験 (立正安国論)、全国30会場で施行。1,806名が受験。
1月8日  元号、「平成」が発効。
1月10/17日
 顕正会、初講義開催、「日蓮大聖人一代御化導の大綱」をビデオ放映、参加者 9,272名。(全国139会場)
1月15日
 顕正会、成人式、本部会館で行う。
1月16日
 顕正会、教学部。一級昇格試験 (三重秘伝抄・文底秘沈抄)、都内ヴォーグビルで施行、88名が受験。二級昇格試験 (観心本尊抄・宗教批判の原理)、全国7会場で施行、293名が受験。登用試験 (南無日蓮大聖人)、全国46会場で施行、2,629名が受験。
1月 日
 顕正会、男子部・女子部から一度に200名以上の脱会者が生じ、「脱会表明文」を顕正会本部に送付、その多くが妙観講に入構。各地で脱会者が続出、大量脱会者を出したことがなかった顕正会に、大きな衝撃が走った。
1月20日
 顕正会、浅井昭衛会長、「顕正新聞」に妙観講・大草一男講頭への反論を掲載。
1月25日
 顕正会、顕正新聞「御遺命守護特集号」発刊。
1月26日
 顕正会、1月度総幹部会開催(板橋文化会館)。浅井昭衛会長、第二次御遺命守護の序戦として「御遺命守護特集号」の配布を大号令。
「顕正会十六万の力を結集して、百万部でも二百万部でも、力の限り爆発的に配布しよう。… この新聞が全国の学会員に滲透する時、必ず大きな波動が起きてくる。正義にめざめる者も次々と出てくるであろう。また学会がいよいよ動き出し、顕正会を潰さんとする動きも本格化するであろう。顕正会が有利になるか不利になるか、そんなことは考えない。有利・不利を考えるのは世間のレベル。顕正会の起こす戦いはすなわち仏事である。… 顕正会の第二次御遺命守護の戦いにより、池田大作は必ず亡ぶ。御遺命を破壊した者が、どうしていつまでも持とうか」
1月 日
 顕正会、妙観講に法論対決を申し入れ、1月29日に大阪で対論の運びとなる。
1月26日  創価学会、池田大作名誉会長、第14回 "SGIの日" 記念提言。新たなグローバリズム形成へ、内在的普遍・漸進主義の指標を提示。国連に紛争防止センターと「戦争と平和展」の開催を提言。
1月28日  チベット、パンチェン・ラマ7世、チベット自治区シガツェ訪問中に死去、暗殺の疑いがある。
「ラマ教を信じるチベット人たちが、中国軍の進駐を受けたのは、中華人民共和国建国2年後の51年のこと。以米、59年の「チベット暴動」に代表されるようなダライ・ラマ14世の亡命、反乱や鎮圧、抵抗運動など、磅余曲折を経ながら、中国共産党による強硬な弾圧政治は今も続いている。中でも、チベット暴動30周年にあたる89年、その騒乱は頂点に達した。この時、区都ラサには戒厳令か敷かれ、人々は徹底的に弾圧されるのだ」(「週刊新潮」2002年12月5日号 )
1月29日
 顕正会、男子部、大阪府高槻市民会館で妙観講と法論、卑劣な策略を粉砕。(「顕正新聞」)
 当日、妙観講員が先に到着し入室していたが、浅井克衛男子部長はそれが気に食わず、"出ろ!、誰がここを借りてるんだよ、出ろ!" と、狼藉を働いた。(動画
 "妙観講員10名が負傷" との報告を受けた大草一男講頭は、ただちに浅井昭衛会長に電話をした。
 浅井昭衛会長「… お前は馬鹿だの。… 私はな、池田大作と細井管長を訂正せしめてるんだぞ。お前のような痴犬がなんだ!。… そのうちに男子部を派遣してやる。逃げるんじゃないぞ」(音声)
 
(※ 一連の顕正会男子部員の威嚇・暴力の数々は、一時的・偶発的な暴走ではなく、浅井昭衛会長に起因していることが知られる。櫻川 忠 )
2月1日
 顕正会、合同班長会、豊島公会堂で開催、参加者 1,459名。浅井昭衛会長「顕正会が命をかけて御遺命守護に立ち上がり御奉公するのに、もし諸天が動かぬなら、諸天は怠慢である。必ずや御本仏のお叱りを蒙る。… 全顕正会員は諸天を動かす戦いを展開しよう」
(※ この「諸天が動かぬなら、諸天は怠慢」は、"浅井昭衛本仏論" に通じる慢心の言であること、解る人には判るだろう。櫻川 忠 )
2月5日
 顕正会、男子部員60余名、広報車と共に妙観講本部前敷地に集結。拡声器で抗議文を読み上げ、全員でシュプレヒコールを上げ、本部乱入を阻止する妙観講員に暴行。警察が出動する事態となり、責任者の浅井克衛男子部長は事情聴取を受けた。(動画
 妙観講は傷害事件として、この件についても顕正会を告訴した。
2月6/19日
 顕正会、特別講習会開催、参加者 10,109名(全国142会場)。
 浅井昭衛会長「いま日蓮正宗の中で、御遺命守護の御奉公を為す者は顕正会以外にない。ゆえに全顕正会員は、こと御遺命に関する限りは御法門の練達者、エキスパートになってほしい」
(※ 残念ながら、「おい! 包丁1本もってきなよ。こっちは真剣勝負しているんだぞ。… 血吐くくらいじゃ済まないぞ」という、恐喝の "練達者・エキスパート" を作ってしまった。会長絶対化が進展し、入会成果の数だけが求められ、迷走する顕正会の中にあって、小生は後に「本門戒壇の本義」を執筆し、末文に「深甚の法門を諄々と講義下さった冨士大石寺顕正会会長・淺井昭衞先生に、謹んでこの書を捧げます」と記した。この書の出版を前に、小生は除名となった。櫻川 忠 )
2月7日
 顕正会、第二祖日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長「日興上人が身延を離山せられてより本年はちょうど七百年。いま広布前夜のゆえか、宗門は濁乱の極み、まさに大事の御遺命が破壊されんとしております。ここに顕正会こそ、宗開両祖の御心のまま、身を捨てて御奉公申し上げなくてはなりません」(「冨士」第300号 )
2月13日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長が国連難民高等弁務官事務所初の「人道表彰」受賞。
2月20日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「これまで宗門に対し一生懸命に貢献してきたけれど、結局は利用されただけだった。坊主や寺院に騙されてはならない。学会員を利用しようとするよこしまな黒い動きは、これまで常にあったし、今後も必ず起こるだろう」と、口汚く宗門僧侶を罵る。(「諸君」4月号 )
(※ お詫び登山以降、宗門への恭順の発言を繰り返して来たが、反創価学会僧侶の追放が一段落したことで、いよいよ本音が出てきた。櫻川 忠 )
2月22日  松江地方裁判所、正信会の「代表役員地位確認請求」を棄却。正信会、即日控訴。
2月24日  大喪の礼、内閣の主催で行わる。
「明仁謹んで御父昭和天皇の御霊に申し上げます。… 顧みれば、さきに御病あつくなられるや、御平癒を祈るあまたの人々の真心が国の内外から寄せられました。今また葬儀にあたり、国内各界の代表はもとより、世界各国、国際機関を代表する人々が集い、おわかれのかなしみを共にいたしております。皇位に在られること六十有余年、ひたすら国民の幸福と平和を祈念され、未曾有の昭和激動の時代を、国民と苦楽を共にしつつ歩まれた御姿は、永く人々の胸に生き続けることと存じます」
2月27日
 顕正会、2月度総幹部会、会場を大宮大宮ソニックシティ大ホールに移して開催。参加者 2,704名、2月度折伏成果 2,907名。
 浅井昭衛会長「新しい会場で総幹部会が行われることは、顕正会の前進の新しい段階を象徴するものである。… 御遺命を破壊して平然としているいまの宗門を見る時、どうして日本が安穏たり得ようか。『平成』という年代は、破局を待つ安逸の時代である。この破局から日本を救う道はただ一つ。大石寺を清浄にする以外にない、日蓮正宗を御在世の信心に立ち還らせる以外には、断じてない。現在の宗門・学会は腐敗の極にある。その腐敗を切開するメス、正本堂の誑惑を粉砕するミサイルは何か。すなわち『御遺命守護特集号』である」
3月7/21日
 顕正会、3月度御書講義、「四条金吾殿御返事」を拝読。参加者 9,929名。(全国149会場)
3月8日  中華人民共和国、チベット・ラサに戒厳令。
「3月8日、胡錦濤は、拡大する暴動に、新中国発足以来、初めての戒厳令を発令するのです。最初の2日間で200人のチベット人が殺され、その後の取り締まりで1ヵ月間におよそ1,000人が死亡したと亡命チベット政府は発表しています。… この鎮圧成功によって北京では胡錦濤の評価は一気に高まるのである。そしてわずか3ヵ月後、天安門事件(六・四事件)の際には、これが戒厳令発令のモデルケースとされるのだ」(「週刊新潮」2002年12月5日号 )
3月12日  創価学会、池田大作名誉会長「『仏法は勝負』にどれほど深い意義があるか、皆わかっていない。物事は正邪ではない。勝つか負けるかなんだ。全員が『勝つ』と強く決めていけ! 勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ! 私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。私だけ戦っている。強気でいけ! 強気で勝つんだ! 強気、強気、強気でいこう。どこまでもしぶとくいくんだ。… なんでもいいから、言い返すんだ。こわがったり、ひるんだりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ。… 反逆者は『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ!」(埼玉指導)
(※ 顕正会、浅井克衛男子部長の対妙観講への言説・振舞いは、この池田大作の指導のままであるが、実は浅井昭衛会長直伝である。総幹部会等の穏やかな表の顔と異なり、内部での裏の顔は絶対者として君臨し、"強気"で一方的に指示・命令する。それが、意外なかたちで外に出てしまったのが、1月29日の大草講頭との電話応答である。櫻川 忠 )
3月21日
 顕正会、男子部、都内の主要正宗寺院の前で「御遺命守護特集号」を一斉配布。
3月23日  東京地方裁判所、正信会 (白蓮院・常光寺・行法寺・善福寺・常修寺)の「代表役員地位確認請求」を棄却。
3月23日  公明党、矢野絢也委員長、明電工疑惑を報道した朝日新聞に対する、告訴を取り下げ。事実上、十億円の取引関与を認める。
3月27日
 顕正会、3月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)。参加者 2,737名、3月度折伏成果 2,503名。
 浅井昭衛会長「大事な幹部大会までに十七万を達成して、晴れて大聖人様の御照覧を給わりたい。… 顕正会の真剣なる折伏がよく諸天善神を動かし、池田の陰謀を阻止することができるのである」
3月 日  創価学会、顕正会対策として秘密裡に「広宣部」発足。
 主な活動内容は、郵便物の抜き取り、尾行、盗撮、盗聴、怪文書配布、交友関係調査など。広宣部はさらに宗門や対立組織もターゲットとし、創価学会内で20年に及び隠密部隊として活動した。
 裁判でその実態を暴かれ、その後、公然の組織として認知された。メンバーは池田大作の懐刀である創価班から秘密裡に人選され、周囲にその謀略活動を漏らすことはない。
4月1日
 顕正会、富士4月号に「仏法の実践」掲載さる。
4月1日  消費税スタート、商品の販売やサービスの提供に対し、3%の税金を課する消費税が施行された。
4月3日
 顕正会、合同班長会開催 (豊島公会堂)、参加者 1,406名。浅井昭衛会長、政治の混迷と青少年の凶悪犯罪の実態を示し「この濁悪の世に、三大秘法はしんしんと広まる。折伏を進める顕正会は仏様の使いである。4月は『いわずば慈悲なきに似たり』の大精神で、空前の折伏をなしとげたい」
4月7/19日
 顕正会、4月度御書講義、「崇峻天皇御書」を拝読、参加者 10,314名。(全国146会場)
4月9日  創価学会、合同最高会議開催。池田大作名誉会長、明秋総本山で「大石寺開創七百年記念慶祝文化祭」開催を決定。
4月10日  講談社、藤原行正著「池田大作の素顔」を発行。
「耳を疑う“裸の王様”の正体。こんな男をなぜ許しておくのか。学会幹部・前公明党都議団幹事長が、虐げられた者たちの怒りをこめて、独裁者・池田大作を告発する」
4月13日  東京地方裁判所、正信会(妙真寺)の「代表役員地位確認請求」を棄却、宗門側が全面勝利。
「この山口(法興)は、御法主日顕上人の血脈を否定する『正信会』の中心的人物。昭和五十五年八月、山口は日顕上人猊下の御指南や、その御意を体した宗務院の度重なる中止命令を無視して、学会への誹謗・中傷のために第五回全国檀徒大会を強行開催した一人。これによつて、宗門より住職罷免処分を受けた。さらに、後任住職が赴任しようとした際には、多数の檀徒を使って実力で妨害したため、擯斥処分に付されていた」(「聖教新聞」4月14日号 )
4月14日  創価学会、池田大作名誉会長、李鵬中華人民共和国首相と会談。
4月15日  中華人民共和国、胡耀邦前共産党総書記、死去。
 改革派であった胡耀邦総書記の死をきっかけに、胡耀邦の葬儀までに政治改革を求める学生が中心となり、自然発生的に天安門広場に集まり "民主化要求" 運動が始まった。
4月16日  創価学会、滋賀研修道場で大学会結成と創価同窓の合同総会。池田大作名誉会長、ウィンストン・チャーチルの「敗北には抵抗」という言葉をひき、「党に支配されても、宗門に支配されてもいけない。矢野(公明党委員長)だって汚いじゃないか。明電工から金もらってる」と批判。
(※ 戦争には果断さを、敗北には抵抗を、勝利には寛大さを、平和には賢明さを )
4月25日  竹下登首相、リクルート事件で責任を取り、退陣表明。
4月26日  竹下登首相の秘書、"竹下の金庫番"と呼ばれた青木伊平、自宅の寝室で首吊り自殺。遺書があったことから自殺とされているが、不自然な状況から謀殺の可能性がある。
4月26日
 顕正会、合同班長会開催 (豊島公会堂)。
4月26日  中華人民共和国、鄧小平党中央軍事委員会主席、人民日報社説に「旗幟鮮明に動乱に反対せよ」と、民主化要求運動を "動乱" と呼ぶ。ミハイル・ゴルバチョフと対照的に、鄧小平は民主化要求に厳しい態度で臨んだ。
4月27日  中華人民共和国、天安門前において学生十万人の「民主化要求」デモ。デモは最初は天安門広場で、そして広場周辺に集中していたが、のちに上海市を含めた国中の都市に波及していった。
4月28日  福島地方裁判所、正信会(蓮成寺・願成寺)の「代表役員地位確認請求」を棄却。(「聖教新聞」4月29日号 )
4月 日  創価学会、財務を "振り込み方式" に変更。
 '89~'90年にかけ、財務の集金方式を銀行振り込みに変え、全国の財務部員をデータ管理化、個人の財務状況を詳細に把握。
5月1日
 顕正会、富士5月号、「日蓮大聖人の御化導」掲載さる。
 海老原秀夫男子部幹事「嘘と悪口だけの大臭文書を粉砕す」、大草一男講頭の "続・摧破異流義考" を論難。「この「続・摧破異流義考」なるパンフの性格を一言にして言えば、"学会・宗務院から材料を支給されて、下請けとして書いたもの" に他ならない。… 学会・宗務院の魂胆は、"恥はすべて、この何の責任もなきチンピラに背負ってもらう、そしてできればこのパンフを末端の無知な学会員に読ませて、組織防衛を図ろう" というところにあること、ミエミエである。… いずれにせよ、この悪文出来が、御遺命守護特集号がいかに学会・宗務院を震撼させたか、その何よりの証拠であること疑いない。… それにしても、国立戒壇の正義に対する様々な邪義・論難、さらに顕正会に対する悪口中傷も、すべて今までに出尽くし、何一つ新手のないこと、今更ながらに実感するものである」(「富士」第299号 )
(※ 浅井昭衛監修であろうが、論難の相手を "大臭カスオ" と呼び "宗内ヤクザ" "チンピラ" 等の下劣なレッテル貼りは、"御遺命守護" の意義を汚している。櫻川 忠 )
5月4日  中華人民共和国、趙紫陽共産党総書記、アジア開発銀行理事会総会で「学生たちの理にかなった要求を民主と法律を通じて満たさなければならない。… 我が国の法制度の欠陥と民主的監察制度の不備が腐敗をはびこらせてしまった」と学生の民主化要求を擁護、デモ沈静化に一定の効果があった。
5月7日
 顕正会、幹部大会、渋谷公会堂で挙行、「本門寺改称の大陰謀 断じて許さず」。全国代表幹部 3千名が参加、4月度折伏成果 4,995名、十七万を達成。
 浅井昭衛会長「彼の用意は周到でありました。まず邪魔になる顕正会を宗門から抹殺しようと、昭和49年8月に解散処分を下さしめた。そしてその3ヶ月後の11月、学会の本部総会を開き、時の法主たる細井管長をして、次のようなことを言わしめた。「日本国全人口の三分の一が入信すれば、わが大石寺は … 大聖人御遺命の『富士山本門寺』と改称することもありえる」(大日蓮 347号 趣意)と。… しかも阿部日顕現管長も当時宗務院総監代務者として、…「法主上人の鳳詔を深く心に体し、『本門寺』実現の大目標をめざし … 邁進致そうではありませんか」(大日蓮 347号)と。…
 そして池田がこの陰謀を実現すべく前々から狙っていた年が、実は来年なのであります。池田は明年3月16日の儀式に、何としても時の総理大臣及び閣僚の何人かを大石寺に招待して、誑惑の儀式に利用しようとしております。彼はこの日、なんと「不開門」を開けようと計画している。すなわち時の総理を国主に見立て、自らは精神界の王者、いわゆる国父を気取り総理を先導して「不開門」を通る。そしてその後に、阿部管長以下宗務役僧が続くとのことです。これが彼が描く、広布達成の儀式であります。このように、明年の一連の儀式は3月16日の広布達成宣言に始まり、そして大石寺建立七百年の日の10月12日に、いよいよ本門寺改称が強行されるものと思われる。…
 もし、ごまかしの本門寺改称が実現したらどうなるか。これ御本仏の御遺命の消滅、まさに三大秘法の破壊ではないか。二祖日興上人以来歴代先師七百年の御辛労は水泡に帰するではないか。このような大謗法は断じて許されない。この大謗法を見て平然としている僧侶が日蓮正宗にいたならば、それは大聖人の弟子ではない。いわゆる禿人、職業坊主に過ぎない。たとえ日蓮正宗の僧侶がすべて無道心で池田に協力したとしても、顕正会だけは断じてこの大謗法を許さない。座視しない。私は顕正会二十万の命運を賭して、この陰謀を断固粉砕しようと決意しているが、皆さんどうでしょうか(大拍手)。…
 明年こそまさに御遺命守護の決戦場であります。この大法戦場を見つめ、顕正会は今日まで、二十万の死身弘法を急いで来たわけであります。この二十万法城も、明年6月には必ず成就いたします。いや大聖人様の御守護により、もっと早くなると私は確信している。来年二十万が達成したら、直ちに大総会を開きたい。場所は本年2月完成したばかりの横浜アリーナ。ここに顕正会の代表幹部一万数千人を結集して、池田の陰謀粉砕の大総会を開こうと思いますが、皆さんどうでしょうか(大拍手)。…
 御本仏の大事な御遺命を守るためならば、たとえ顕正会の命が失われても本望であります。顕正会のために仏法があるのではない。大事な大聖人の仏法のために顕正会があるのであります」(「冨士」第302号 )
5月14日
 顕正会、顕正新聞「幹部大会特集号」発刊。"本門寺改称断固阻止" 特集号を、創価学会員を対象に配布。
5月15日  ミハイル・ゴルバチョフ書記長、中華人民共和国を訪問。鄧小平と会談し、国家関係の正常化を盛り込んだ "中ソ共同コミュニケ" を発表、 "中ソ対立" を終結した。
 胡耀邦総書記を追悼する学生が、民主化を求め天安門広場に集結している中、天安門で予定のゴルバチョフ歓迎式典は中止となった。ゴルバチョフと鄧小平の歴史的会談を取材に来ていた各国のマスコミは、天安門広場の騒然とした事態を報道することになった。
5月16日
 宗門、全国宗務支院長会議(総本山)。阿部日顕管長、出席者よりの質問に答えて「本門寺改称」を否定
5月16日  公明党、池田克也衆院議員、リクルート事件で取り調べを受け議員辞職。
5月17日  中華人民共和国、北京・天安門の民主化要求デモ、百万人を超える。
 鄧小平の私邸で政治局常務委員会が開かれ、鄧小平は北京に戒厳令を発令するよう提案。李鵬と姚依林が賛成、趙紫陽と胡啓立が反対、喬石が棄権した。したがって、戒厳令発令は鄧小平に委ねられた。
5月17日  公明党、矢野絢也委員長、公明会館(東京・新宿)で記者会見。自身の明電工疑惑を棚上げし、池田克也議員の取り調べと田代富士男前公明党参議院議員の砂利船汚職での起訴を、主な理由として辞任を表明。
5月19日  中華人民共和国、午前4時に趙紫陽総書記は天安門広場に立ち、民主化要求の抗議絶食を続ける学生たちに声を詰まらせながら「来るのが遅すぎた、申し訳ない」と、拡声器を手に約8分間 "絶食をやめるよう" 呼びかけた。趙紫陽が公の場に姿を見せたのは、これが最後となった。
 午後10時、鄧小平共産党中央軍事委員会主席の決定により、北京に戒厳令が布告され、武力鎮圧の可能性が高まった。民主化を推し進めたミハイル・ゴルバチョフと対照的に、鄧小平は民主化要求デモに対し武力弾圧に踏み切った。
5月21日  公明党、石田幸四郎が委員長に、市川雄一が書記長に就任。マスコミは、無名の石田幸四郎がなぜ委員長か、といぶかしがる論調。
5月22日  創価学会、池田大作SGI会長、英国・ロンドンの首相官邸にマーガレット・サッチャー首相を訪ね会談。
5月22日  東京地方検察庁、リクルート事件にからみ、藤波孝生衆院議員と池田克也衆元院議員を、受託収賄で在宅起訴。
5月26日
 宗門、総本山の大客殿前広場完成。(「聖教新聞」5月27日号 )
5月26日
 顕正会、5月度総幹部会開催 (板橋文化会館)、参加者 2,696名。浅井昭衛会長「未だ広宣流布もしていない今日、もし大石寺を本門寺と改称したら、大聖人の御遺命は完全に破壊される。… "幹部大会特集号" を全学会員に読ませ、陰謀を知らせよ」
5月26日  宇野宗佑、急遽後継総裁に擁立される(竹下裁定)。
 ポスト竹下と目されていた安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄ら自民党の有力者は軒並みリクルート事件に関与していたため身動きが取れず、河本敏夫は三光汽船経営危機問題から敬遠され、伊東正義や田村元、坂田道太、後藤田正晴からも断られ後継の総理総裁選びは難航。主要閣僚中リクルート事件との関連性が薄く、サミットが近かったこともあり、外相であった宇野宗佑に竹下亨が打診。
5月28日  創価学会、ロンドン近郊で第1回創価学会インタナショナル欧州総会開催。
 阿部日顕管長メッセージ「一切衆生皆成仏道の大法を受持する皆さまこそ、世界平和への透徹した良識と信念と実践の力が養われるのであり、その組織的基盤として世界連帯のSGI、また皆さまの欧州各国SGIが存在することはまことに心強い限りであります。皆さまはSGIの育ての親である会長池田先生の指導を受け切り、一人一人が御本仏・日蓮大聖人の尊い仏法の意義を体し、世界平和に貢献されるとともに、欧州各国におけるSGIの充実・発展にますます精進なさることをお祈りいたします」
 池田大作SGI会長「本日は、御法主日顕上人より、丁重なメッセージを賜っている。これは私どもにとつて何よりの喜びであり、私は哀心より感謝申し上げたい」(「聖教新聞」5月30日号 )
5月28日  中華人民共和国、香港で百五十万人の民主化要求デモ。
6月1日
 顕正会、富士、浅井克衛男子部長「警察を巻きこんだ 学会の謀略活動について
「12月20日、私達は再び弁護士と共に深川署を訪れ、先の告訴状の受理と、暴走族に虐待されて命の危険すら感じられる少女たちについての捜査保護を要請いたしました。深川署では副所長及び刑事課長等が応対いたしましたが、元藤班長の事件は、やはり110番通報の記録がないことを理由として、事件そのものの存在を否定し、こちらが求めた当日のパトカー乗務の警官との面会も、副所長は頑強に拒みました。… これが国民の生命を守るべき義務を有する警察のとるべき態度でありましょうか。深川警察署は事件の存在そのものを否定し、かえって元藤班長を被害妄想などと決めつけましたが、真実はただ一つであります。すなわち、元藤班長の言っていることが真実ならば、まさに警察は何者かの働きかけにより、事件そのものをもみ消してしまったのである、と云わざるを得ません。… 警察の不正行為の真相を究明すべく、本年の4月18日、国家賠償法に基づく民事訴訟を起こしました。よって今後は法廷の場で、この真相究明が行われることになりました」(「冨士」第302号 )
6月2日
 顕正会、合同班長会、豊島公会堂で開催、参加者 1,459名。
 浅井昭衛会長「大聖人御遺命の『本門寺』とは、広布の暁の国立戒壇である。もしいま大石寺を本門寺と改称すれば、大石寺は池上本門寺などと同一レベルになり、国中の物笑いとなる」
6月3日  宇野宗佑、第75代内閣総理大臣に就任。リクルート事件で竹下登内閣が総辞職し、ポスト竹下と目されていた安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄らはリクルート事件に関与していて、後継の総裁選びは難航した。サミットが近かったこともあり、外相であった宇野宗佑が急遽、後継総裁に擁立された。
6月4日
 顕正会、松山事務所、愛媛県松山市に開設。
6月4日  中華人民共和国、第二次天安門事件。中国人民解放軍、戦車で天安門広場のデモ隊を鎮圧。6月4日未明、人民解放軍は学生・市民に向け無差別に発砲、犠牲者の正確な数字は不明であるが、死者は約3,700人、負傷者は約1万人と推定される。中国共産党は、さらに抗議者とその支持者を逮捕、外国の報道機関を国外退去させ、自国の報道機関には厳格に報道統制を敷いた。
6月5日  創価学会、池田大作SGI会長、スウェーデン王国のカール16世グスタフ国王を表敬訪問。
6月6/18日
 顕正会、「平成元年度幹部大会」を全国141会場でビデオ放映、参加者 11,109名。
6月6日  サンデー毎日、神楽坂の芸妓の告発を掲載、宇野宗佑首相の女性スキャンダルが表面化。当初、他のマスコミは無視したが、外国メディアに「セックススキャンダルが日本の宇野を直撃」(ワシントン・ポスト)と報道され、国内でも問題化した。
6月8日  日本共産党、不破哲三副議長を新委員長に選出。
6月14日  創価学会、池田大作SGI会長、フランス学士院で「東西における芸術と精神性」講演。
6月15日
 顕正会、松本日仁尊能師第十三回忌法要、顕正寺で厳修。代表幹部80余名が列席、「宗門の圧力の中で顕正会を庇護」。
 浅井昭衛会長「日蓮正宗の僧侶千人の中で、御遺命守護のために擯斥処分を受けたのは、松本日仁尊能師ただ一人でありました。そして妙縁寺を退出する時、尊能師は私を呼ばれて「妙信講のこれからの広宣流布の前進に、ぜひとも必要でしょう」と仰せられて、数百幅の御形木御本尊をお下げ渡しくだされた。この尊能師のご配慮により、こんにち顕正会において全国の拠点ごとに御本尊をご安置することができ、広布の戦いが滞りなく大規模に進んでいるのであります。… やがて御遺命守護完結の暁には、私は時の御法主上人に、まず何よりも松本尊能師の擯斥処分を取り消して頂き、猊下の大導師のもと総本山で満山供養をして頂きたい。このことを何より先に時の猊下に、御願い申し上げる所存であります」
(※ 9年後の平成10年(1998)、浅井昭衛会長は "御遺命守護完結奉告式" を奉修した。松本日仁師の "擯斥処分取消と総本山満山供養" のこと、小生も多くの幹部もはっきり覚えていた。しかし、当の浅井昭衛会長はどういうわけか、しっかり忘れるらしい。櫻川 忠 )
6月24日  中国共産党、中央委員会第4回全体会議、趙紫陽総書記を解任。後任に武力弾圧に理解を示し。上海学生デモの処理を評価された江沢民政治局委員が就任。
 戒厳令布告に反対した趙紫陽は、"動乱を支持し党を分裂させ、4つの基本原則から逸脱し、ブルジョア自由化に寛容だった" として、党総書記ほか全役職を解任された。2005年に死去するまで、自宅軟禁下に置かれた。
6月26日
 顕正会、6月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)、6月度折伏成果 3,407名。
 浅井昭衛会長、折伏理論解説書について「この本は、三毒強盛の大衆を、御本尊に導く案内書である。顕正会において期を画する解説書がここに発刊されることは、やがて期を画する広宣流布の大前進が始まる前ぶれである」と。
 本部幹事に小峰勝彦任命さる。
6月27日  青森地方裁判所、正信会寺院(東大宣寺・行修寺・覚宣寺・要蔵寺・本修寺)訴訟において、宗門側の主張を認め寺院建物明渡しを命ず。(「大日蓮」8月号 )
6月30日  日新報道、内藤国夫著「創価学会・公明党スキャンダル・ウォッチング」刊行。
「秋谷栄之介、石田幸四郎、市川雄一、渡部・多田夫妻など池田体制に取り込まれてしまった人間、大橋敏雄、藤原行正、石田次男、原島嵩、山崎正友ら公然と反池田の旗を掲げるもの等、大作を巡る人物群を通じ実像に迫る」
6月30日  横浜市旭区のゴミ処理場から、1億7千万円の入った古金庫発見さる。
「旧1万円札束で、大手都市銀行の封印のある新札ばかり、個人では入手不可の大蔵省印の官封券も含まれていた」
6月 日  創価学会、池田大作名誉会長、国連難民高等弁務官事務所から「人道賞」受賞。
7月1日
 顕正会、折伏理論解説書「日蓮大聖人の仏法」発刊さる。
 合同班長会、豊島公会堂で開催、参加者 1,480名。浅井昭衛会長「いま顕正会には、広宣流布の時を感じ二十万の地涌の流類が続々と集いつつある。この一人ひとりが折伏理論解説書を心肝に染めて仏様の使いとなるならば、滔々たる広布の大潮流は必ず巻き起こる」
7月1日  創価学会、聖教新聞「寸鉄」欄、前日の金庫事件を揶揄。「今度は廃品金庫から一億七千五百万円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画か縮図か」
「当初、自分のところから出たとは夢にも思わぬ創価学会は、聖教新聞紙上で「1億7000万投棄事件」をオチョくった。だが、警察の調べで、創価学会本部から出たゴミの中にあったことが判ると、パニックにおちいった。結局、既に現役をしりぞいた中西治雄氏に、因果をふくめて一切をかぶせ、中西氏が、外郭会社の本山売店の売り上げをくすね、へそくって貯めた金である、ということにしてクサイものにフタをした」(「池田大作 日本経済乗っ取りの野望」山崎正友 )
7月2日  東京都議会議員選挙、宇野宗佑内閣発足後初めての大型選挙、参議院選挙の前哨戦となった。
 自由民主党はリクルート事件や消費税導入、宇野首相の女性問題などの逆風をまともに受け、現有議席を大幅に減らし惨敗した。公明党も現有29議席より、候補者を絞って選挙に挑んだが、2名が落選し惨敗、得票15万票減。
7月3日  創価学会、中西治雄(創価学会総務・聖教新聞社元専務理事)、1億7千万円金庫の所有者と名乗り出る。
 秋谷栄之助会長、聖教新聞紙上において「今回の事件は直接、創価学会並びに聖教新聞社そのものでないにせよ、誠に残念至極」と釈明。(「同紙」7月4日号 )
「中西は、昭和45年ころから、業者が総本山大石寺に建設中の正本堂に関連する記念品、土産品を勝手に製作して、次々と持ち込んできたことへの対応を担当していたところ、その立場を利用して、将来の生活の保全、個人の事業欲などの動機から、金杯、扇、楯、額、メダル等をHら販宛して利益を得ることを図り、約4年間にわたって実行して現金を蓄積した。… 銀行預金では表ざたになる可能性もあると考え、当初、現金のまま身の回りに置いていたが、そのままにしておくわけにもいかず、その後、(聖教新聞社の)第九倉庫に運び込んだ金庫の中に入れてひそかに保管していた」(「聖教新聞」89年10月17日号 )
7月4日  マスコミ各紙、古金庫事件で一斉に池田大作名誉会長と創価学会を批判。
「中西氏が記者会見で語った『札束入り金庫のことは、おいて5、6年たち、用事に追われて忘れていた』との内容も、一般人の感覚からはかけ離れている。また、中西氏は『7月1日に気付いた』と話しているが、届け出たのは3日で、この2日間の空白にも疑問がつきまとう。さらに、売上金のはずなのに、大蔵省印刷局の帯封のついた未使用の札が含まれていた点も、疑問点の一つとなっている」(「読売新聞」)
7月5日  日本共産党、中央委員会出版局、"共産党ブックレット15"「創価学会・公明党の電話盗聴」発行。
「梅沢十四夫氏。元『山崎師団』メンバーで、創価学会のスパイとして働かされた人物。その反省のうえに、氏自身の人生を狂わせた創価学会の不正、反社会的謀略追及に執念を燃やしています。梅沢氏はいいます。『北條関与の認定は当然。問題は池田さんですよ。彼がかかわっていないはずはないんだから!!』
 14年前の74年10月、梅沢氏はスパイの功績を買われて、山崎の口ききで池田会長(当時)に引き合わされます。そのときの池田氏の "ねぎらいの言葉" は、今も記憶に鮮明です。『全部、山崎から聞いています。これからも私を守ってください』等と」
7月7/20日
 顕正会、7月度御書講義、「四条金吾殿御返事」を拝読。参加者 10,579名。(全国122会場)
7月18日  アエラ、韓国創価学会初代議長・李敦秀の「韓国創価学会メンバーは本部の駒」を掲載。
「60年代後半からは10年近くも韓国創価学会初代議長を初めとした要職をやらせてもらいました。しかし結局、我々韓国人は、彼らにとって使い捨ての将棋の駒でしかないんですね。全ては日本の学会本部とその最高権力者である池田大作の利益のためにあったんです」(「同」7月18日号 )
7月19日  千葉地方裁判所、正信会の法喜寺・善行寺・本顕寺・蓮生寺に関する訴訟において、宗門側の主張を認め寺院建物明渡しを命ず。(「大日蓮」9月号 )
7月23日  第15回参議院議員通常選挙、リクルート問題、施行された消費税、宇野宗佑首相の女性問題などが焦点となった。土井たか子委員長の「マドンナ旋風」ブームで、日本社会党が46議席を獲得、与野党の議席数が逆転した。公明党も惨敗、得票134万票減。
7月26日
 顕正会、7月度総幹部会開催(大宮ソニックシティ)、7月度折伏成果 3,157名、「佞人は危きに居て安きを歎く」(「冨士」第304号 )
 浅井昭衛会長、7月の参院選について「政局の混迷こそ国傾くの前兆であり、日本をとり巻く国際情勢を見る時、国の柱たる国立戒壇を建立せねばならぬ時近づくをひしひしと感ずる。… 公明党の得票数激減は学会の崩壊が始まったことを示す。すでに諸天善神は大聖人様の御眼を恐れて動き出している。顕正会は一切の小手先の小細工を弄する必要はない。『なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし』の御指南のまま、諸天を動かし、堂々と御遺命守護の御奉公を貫き通したい」
8月1日
 顕正会、「冨士」、海老原秀夫男子部幹事「池田滅亡の序曲・一億七千万円事件」掲載。
「金庫の中には中西の指紋だけでなく、池田の指紋もはっきり残されていたと云われている。なぜ池田の指紋かと分かるかといえば、昭和32年、池田は大阪参院補選に絡む買収・個別訪問事件で逮捕されたことがあり、その時指紋を取られているからである。… 今回出てきた金庫は、桐で内張りされているかなり高級なもので、学会の普通の事務施設に置かれていたものとは違い、各地の文化会館などの池田の専用室に設置されていたものではないかとのことである。… まさか金庫が "池田会館" から出て来たとあっては、池田に累が及び、それは口が裂けても云えまい。そこで、聖教新聞社の地下ということになったのであろう。それにしても、池田専用室には同じタイプの金庫が20台もあったということが明らかになっているが、今回の事件によって池田の金まみれ体質がますます露呈してきたことは間違いない。… 金庫が学会のものと判明した時、池田は秋谷栄之助・青木亨・大川清幸、そして中西の四人をすぐさま呼び出し、血相変えて怒鳴りつけたと言うが、池田の周章狼狽ぶりが目に浮かぶようである」(「冨士」第304号 )
8月1日
 顕正会、横浜事務所、横浜市港北区新横浜に開設。
8月10日  海部俊樹、第76代内閣総理大臣に就任。
 宇野宗佑首相が参議院選挙敗北の責任をとり辞意を表明、安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄らニューリーダーは謹慎中で、四大派閥(竹下派・安倍派・宮澤派・旧中曽根派)は後釜の総裁候補を出せる状態になかった。クリーンなイメージがリクルート事件後に相応しく、竹下登の早稲田大学雄弁会の後輩で、近い関係にあった海部俊樹が擁立された。
8月2/22日
 顕正会、特別講習会開催、参加者 11,835名。(全国121会場)
 浅井昭衛会長「この書の中に、日蓮大聖人の仏法の大要は説き示されている。もし熟読して命に染めるならば、折伏に当って恐れる心が無くなる。また地方において、たとえ折伏の応援をしてくれる幹部がいなくとも、この折伏理論書こそ最大の応援者である。どうか本書を常に離さず、いかなる地方においても一人毅然と立ってほしい」
8月17日  創価学会、第20回本部幹部会開催、池田大作名誉会長「組織の発展を急ぐ必要はない」と休戦宣言。(「聖教新聞」8月19日号 )
8月24日  創価学会、衛星通信システムによる "行事中継" スタート。
8月25日
 顕正会、8月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)。 浅井昭衛会長、創価学会が組織防衛のため組織内部に配り始めた、"顕正会誹謗" 文書について言及、さらに「明年の横浜アリーナ大総会を7月8日と決定する」と。
9月4日
 顕正会、9月度御書講義、「兵衛志殿御返事」を拝読。参加者 11,625名。(全国126会場)
9月6日  創価学会、第8回全国婦人部幹部会開催(東京・広宣会館)。
 池田大作名誉会長「個人のプライパシーの守秘、すなわち個人の私事の秘密を守ることについて確認しておきたい … 特に幹部の皆さまは、信心の先輩として、後輩や友人からさまざまな相談を受ける場合が多々ある。その際、相手のプライバシーは絶対に尊重しなければならない。立場上、知り得た秘密を守ることは、いかなる組織、団体においても当然のことである」(「聖教新聞」9月8日号 )
9月8日  創価学会、第17回全国青年部幹部会開催(埼玉池田文化会館)。聖教新聞100万部減で、啓蒙拡大運動本格化。
9月8日  最高裁判所、正信会の蓮華寺訴訟で、蓮華寺(宗門)と久保川法章師、双方の上告を棄却。以後、正信会寺院奪還訴訟は、全て双方却下となる。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修、「大聖人様が命かけて顕し給うた御本尊
 浅井昭衛会長「この御本尊は、大聖人様が竜の口において成道を遂げ給うたその御内証を顕わされたものである。まさに大聖人様が命をかけて顕わして下さった御本尊であれば、私達も命をかけて信じまいらせねば申しわけない。この決定心に立った時、必ず成仏させて頂くことが出来る」(「冨士」第306号 )
9月16日
 宗門、全国宗務支院長会議、数名の僧侶から「本門寺改称はあるのか」との質問が出た。
(※ このとき阿部日顕管長は改称を否定、本門寺改称は広宣流布の達成と、正本堂が御遺命の戒壇と認めることになる )
9月 日  文芸春秋、藤原道宏 (聖教新聞社東海道前総支局長)の「池田大作の金づくり金づかい」を掲載。(「同誌」10月号 )
9月24日  創価学会、秋谷栄之助会長、「聖教新聞の購読部数が百万部激少」と発表。
9月26日
 顕正会、9月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)、9月度折伏成果 4,211名。
 浅井昭衛会長、二十万達成の意義にふれ「国立戒壇のゆえに解散処分を受けた講中が、潰れもせずに二十万法城を屹立するということこそ、御本仏の御遺命は誰人も破壊し得ないという確証、そして国立戒壇は必ず実現するということの厳たる瑞相」と、また「『日出でぬれば星かくる … 』との御金言のごとく、日蓮正宗の中に、御遺命を命かけて守り奉る真の仏弟子の集団が出現すれば、御遺命に背く不純な集団は亡ぶ」と。
9月 日  福宝物産社長 沢井俊光、原野商法の詐欺で逮捕、創価学会の現職の支部長である。
「昭和64年、不動産バブルの風潮を利用し、北海道の、ほとんど資産価値のない土地を、何もわからない主婦達などに売りつけ、いわゆる「原野商法」で詐欺罪に問われ、逮捕された沢井俊光は、熱心な学会員であり、詐欺で得た多額の金を"財務"として創価学会に貢ぎ、池田大作から、サイン入りの著書を贈られた。沢井は、この本を仲間の学会員に自慢して見せびらかしていたという」(「創価学会・公明党の犯罪白書」山崎正友 )
9月 日  サンデー毎日、「オウム真理教の狂気」特集をスタート。
10月1日
 顕正会、「冨士」、海老原秀夫男子部幹事「学会の "邪教平和共存路線" の実態 立正佼成会と停戦協定を結ぶ PL教とも数回にわたり首脳会談」掲載。
「池田が選挙と自身の名利から建てた正本堂のごまかしの正体は、まさにキリスト教神父招待の一件に象徴されている。そしてこのことも、何の前触れもなく突然行われたものではなく、その伏線として昭和40年初頭から立正佼成会 PL教団等と秘密裡に協定を結ぶなどの "邪教平和共存路線" が存在していたのである。… いま、池田の「本門寺改称」の大陰謀が着々と進行中とのことであるが、かかる悪だくみは諸天の働きによって必ずや阻止され、御遺命破壊の元凶たる池田は滅ぶこと、断じて疑いない」(「冨士」第306号 )
10月3日  創価学会、創価学会インタナショナル(SGI)理事会開催(東京・創価文化会館)。SGI副会長の森田一哉理事長が任期満了に伴い退任、秋谷栄之助会長がSGI理事長に再任。(「聖教新聞」10月4日号 )
10月4日
 宗門、阿部日顕管長、創価学会インターナショナル(SGI)の第10回総会に「その(池田大作の)大業に対し、私は心より尊敬する次第であります。また現在及び将来に於ても、私は池田SGI会長を信頼し、広布の指導のすべてをお願いするものであります」とメッセージを送る。(「聖教新聞」10月号5日号 )
10月4日  創価学会、中西治雄総務を懲戒処分。中西治雄、創価学会を退会、以後しばらく行方不明となる。秋谷栄之助会長、中西治雄総務処分につき「悪鬼入其身」との談話を聖教新聞に掲載。
10月10/22日
 顕正会、10月度御書講義、「乙御前御消息」を拝読。参加者 11,508名。
10月11日  蘇生の集い事務局、福島源次郎(元副会長)著「蘇生への選択 敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか」出版。
「青年部の部隊長以来、男子部長・青年部長その他副会長に至る幹部として犯した次の誤りを、全会員に心よりお詫び申し上げます。私の信心のいたらなさの故に心より申し訳なく、慚愧に堪えません。合わせて、御宗門の方々に対しても、同じく心より謝罪申し上げます。又、外部の関係者の方にも、この場を借りて心よりお詫び申し上げます。
 一、 師の資格のない人物を、妙法広布に出現した稀有の仏法指導者と信順し、その偉大さを宣揚してきた誤り。
 一、 その「師」の説く仏法違背の「師弟の道」("師への帰命"も含め)を、仏道修行・広布実現の最要諦として自らも実践し、他にも訴え、指導してきた誤り。
 一、 名誉会長著「人間革命」を学会精神会得と仏道修行上の重要テキストとして、御書と同格のごとく重視し、その学習運動を推進した誤り。
 一、 名誉会長の外道義混入の教説の数々を正しい法理と信じて学び、且つそれを講義し教えたことの誤り。
 一、 私自身の信心の未熟さや人間としての欠点により、幹部としての言動や指示・決済に不適切を招き、いろいろの方々に迷惑や悲しい思いをお掛けした誤り。(この他にも自身、気がつかないことも多々あるかと存じますが、ここに合わせてお詫びいたします)」
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で厳修、「御入滅偲び "御遺命の重き" かみしめよ
 浅井昭衛会長「御入滅直前の半年の間に著わされた御書はたった二つ、すなわち三大秘法抄と御付嘱状である。この二つの御書に、初めて本門戒壇の御遺命が明かされたということは、本門戒壇建立の御遺命がいかに重いか、ということの証左である。… いま正系門家において御遺命が破壊されんとしている時、この陰謀を粉砕することこそ最大の御報恩である。そのカギは二十万への死身弘法にある」(「冨士」第307号 )
10月16日  廃棄金庫から発見された1億7,500万円、他に名乗り出る人がいないとの理由で中西治雄元総務に返還される。
10月23日  創価学会、「戦争と平和」展、海外巡回開始 (ニューヨーク・国連本部)。
10月24日  創価学会、第22回本部幹部会、池田大作名誉会長「悪侶たちは、はじめ学会を波木井実長のごとく誹謗した。口は重宝なものである。下劣な人間は、ずる賢く何でも自分のために利用する。私たちは苦しい思いをしながら耐えた。そして私は戦った。戦ったからこそ、一身に攻撃を受けた。私は理不尽な悪侶に絶対にへつらわなかった。経文と御書に照らし、また道理の上からも、そうせざるを得なかった。… やがて彼らの悪の姿は白日のもとにさらされた。都合が悪くなると御法主をも訴えるという醜悪な本質を多くの人が知った。仮面ははがされた。「正義」の証明はなされた(大拍手)。そもそも法衣を笠に着た権威悪などは、大聖人、日興上人に、根本的に打ち破られている(大拍手)」(「聖教新聞」10月27日号 )と、52年路線の逸脱が間違いではなかったと開き直る。
10月25日
 顕正会、10月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)、10月度折伏成果 3,117名。
 浅井昭衛会長、明年を前にして池田大作名誉会長と阿部日顕管長の "誑惑の二人三脚" が顕著になっていることに言及、さらに「いよいよ二十万達成を眼前にして、全顕正会員は、魔を魔と見破る用心堅固な信心に立ち、ひたむきな大法弘通に励みたい」と。
10月25日  創価学会、中央会議で大石寺開創七百年慶祝行事を討議。
10月日  創価学会、池田大作創価学会インタナショナル会長、「戦争と平和展」開催により「平和貢献・国連事務総長表彰」を受ける。
11月2日  創価学会、創価大学池田記念講堂の定礎式。池田大作名誉会長、世界150大学の石を埋め込む。
11月4日  オウム真理教被害対策弁護団の坂本堤弁護士、妻子とともに行方不明となる。部屋にプルシャが落ちており、マスコミは "オウム真理教の仕業か?" と報道。
 横浜法律事務所所属の坂本堤弁護士は 1989年(平成元年)5月、オウム真理教の反社会性を批判・追及し「オウム真理教被害者の会」を組織、サンデー毎日の「オウム真理教の狂気」特集で取材を受けていた。
11月6/23日
 顕正会、11月度御書講義、「上野殿御返事」を拝読。参加者 10,909名。(全国113会場)
11月7日
 宗門、玉沢研済師(寿福寺)誘拐さる。大石寺に「学会が6億円ぐらい用意できんことはないだろう。学会に頼んで三菱銀行から出すようにせよ」等、身代金6億円を要求する電話が計6回かかる。
11月8日  創価学会、竹入央迪副会長(竹入義勝元公明党委員長の実弟)、犯人の要求にしたがい三菱銀行から6億円を受け取り大分空港へ向かう。犯人・桝永康典、逮捕される。
11月9日  各新聞社、日蓮正宗僧侶誘拐犯逮捕の報道。犯人は地元の現役創価学会ブロック長・桝永康典と共犯の川野健治。
 三津木俊幸副会長が記者会見、「寿福寺は、総本山大石寺の末寺なので、こちらには関係のないことだ。大石寺に聞いていただきたい。犯人から総本山に対して、学会の副会長かだれかが金を持ってこいとの連絡があったので、本山の依頼で行った」(「朝日新聞」)
11月9日  ドイツ民主共和国(東ドイツ)政府、国外旅行・移住規制を撤廃、ベルリンの壁が事実上崩壊。
11月15日
 顕正会、第三祖日目上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長「日蓮正宗においては七百年来、広宣流布の時には日目上人が御出現になる、"国立戒壇建立の時の御法主は日目上人の再誕である" との云い伝えがある。私は、その時もそう遠いことではないと確信している。『大悪起これば大善きたる』と。すでに、七百年来の御遺命が破壊されんとする今日の宗門情勢こそ、日目上人御出現の前兆である」
11月15日  東京高等裁判所、正信会の小田原教会に関する判決、第一審判決を支持し教会建物の明渡しを命ず。
11月16日
 創価学会・宗務院連絡会議、開創七百年慶讃大法要等を協議。(「聖教新聞」11月17日号 )、
11月18日  創価学会、第23回本部幹部会、池田大作名誉会長スピーチ。「牧口先生の十回忌法要の折、第56世日淳上人(当時・尊能師)は、こう仰せくださった。『牧口先生は自解仏乗された方と私はしみじみ思う』。「自解仏乗」とは「自ら仏乗を解す」と読み、自分自身で仏の境地を悟ることである。もちろん、御本仏たる日蓮大聖人の御境涯のことである。その上で、ここでは、日淳上人が、牧口先生の偉大なる信心の実践と境涯を賞賛しておられるお言葉と拝したい(拍手)」
(※ そのような言葉は、"日淳上人全集" にない )
11月20日  大津地方裁判所、正信会の妙静寺に関する判決、宗門側の主張を認め寺院建物の明渡しを命ず。
11日20  チェコスロバキア社会主義共和国、首都プラハで十万人の民主化要求デモ。
11月27日  釧路地方裁判所、正信会の修覚寺に関する判決、双方の訴えを却下。
11月28日
 顕正会、11月度総幹部会開催 (練馬文化センター)、11月度折伏成果 3,768名、「痴犬の誹謗 元藤の詐誑 寺田の叛逆 三つの事件の背後に学会 内外に競い起こる魔障こそ大仏事の証明」
 浅井昭衛会長、元藤事件の真相と寺田高知支部長の叛逆事件について発表。「学会謀略グループは、昨年8月下旬より元藤富子に近づき、様々な方法で巧みに彼女を篭絡し、顕正会を混乱させるために、彼女を使って架空の事件をまことしやかに、女子部幹部に報告させたのでありました。… 謀略グループは、彼女と会うたびに、何回も覚醒剤を注射したそうです。さらに「お金はいくらでも出す、生活に不自由はさせない」と、百万円単位の札たばも見せたということです。結局彼女は買収され、学会の謀略活動の手先となってしまったのであります。…
 寺田の慢心ぶりは一体どんなものであったか。… 自分を偉く見せるため「… 先生の知らないことも知っている」などとウソを云っていた。… そして「指導会」などと称するものを、しばしば勝手に開いていたんですね。… およそ顕正会の信心の指導とはかけ離れている、ただ寺田の名聞名利を中心としたインチキ指導です。… 高知支部が本部と遠く離れていることをいいことに、彼はやりたいことをやっていたのであります。… 学会謀略部隊がどうして、寺田のこの腐敗と叛逆の心を見逃すでありましょうか。… いま寺田についている幹部の間には、相当な金品が実際に流れております。あの欲深き寺田が、どうして自分の身銭を切ってまで、こんなことをしましょうか。多額の金が、背後にあるものから流れている事、疑いありません。…
 さて、顕正会の前進を妨害しようとする魔障は、数えてみるとこれで三つですね。まず初めに昨年9月頃から、顕正会の誹謗中傷を狂ったように開始した痴犬件妙観講が一つ。そして同じく昨年11月に、元藤事件が起きた。これで二つ。この二つは共に、昨年8月、私が総幹部会で始めて本門寺改称の陰謀粉砕を叫んでから起きている。そしていよいよ大事の明年を控えて、ここに今回の寺田の叛逆が起きたのであります。… この三つの事件の背後にあるものは何か。… その根は一つ。共通でした。… すべて学会がやらせていたのであります。… このような魔障が内外に競い起こることこそ、顕正会の明年なさんとする御奉公が、どれほどの大仏事であるかの証明であると、私は確信しておりますが、どうでしょう。(大拍手)」
 さらに「新本部会館の建設」を発表、「十一月法戦により … 二十万の成ることは確定いたしました。しかも大事な御奉公が遅れることは絶対に許されない。ここに私は明年の歳が明け次第、"大聖人のお待ちあそばす法戦場にすでに到着せり" との確信に立ち、一月より、いよいよ大事の諫暁に立とうと決意しております」(「冨士」第308号 )
 高知支部長・高知支部担当に坂本久枝、第十三隊長に宇高明男任命さる。
12月2日  米ソ首脳会談、「冷戦終結」を宣言。地中海のマルタ島で、アメリカ合衆国大統領 ジョージ・H・W・ブッシュとソビエト連邦最高会議議長兼ソビエト連邦共産党書記長 ミハイル・ゴルバチョフによる首脳会談、第二次世界大戦後の40余年にわたった冷戦の終結を宣言、米ソ関係が新時代に入ったことを確認。
 ミハイル・ゴルバチョフ「世界は一つの時代を克服し、新たな時代へ向かっている。我々は長く、平和に満ちた時代を歩き始めた。武力の脅威、不信、心理的・イデオロギー的な闘争は、もはや過去のものになった」
12月10日  青年書館、段勲著「創価学会池田大作打倒の反乱:教団を歪め私物化する池田大作の悪業を糾弾する!」を発行。
「宗教乗っ取りを企み、信仰の過ちを犯し学会を私物化し、スキャンダルを続出させ、政教分離であるべきはずの公明党を支配し、国家掌握の野心を燃やし、本来の宗教団体創価学会を歪め、一般社会にも様々な悪影響を及ぼす独裁者、池田大作の正体と自滅の構造から腐敗しきった学会を救う唯一の道は、池田打倒にありと決起した全国学会員たちの凄絶な造反運動までのドキュメント」
12月13日
 宗門、阿部日顕管長、67歳の誕生祝賀会にて「私は智慧もなく力もなく、ただ『正直』ということを常に自分で考えまして、嘘は絶対につかない、言ったことは必ず実行する、ただ正直ということだけを、まあそれ以外に取り柄がないので......」と。(「大日蓮」2月号 )
12月17日  ルーマニア社会主義共和国、反独裁デモが暴動化。
12月20日  アメリカ合衆国、マヌエル・ノリエガ将軍の身柄拘束のため、パナマ共和国に軍事介入。
12月21日
 顕正会、12月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)。
 浅井昭衛会長「顕正会は、仏勅を受けて立つ広宣流布の生命体である。ゆえに、この顕正会の一員として、それぞれの立場で、力に応じて喜んで御奉公する時には、いかなる人も自然と大聖人様からお力を頂き、自分も幸せに、人をも救う力が出てくる。しかし、この広宣流布の生命休からひとたびはずれ脱落した時は、今まで力あるかに見えた幹部も、たちまち力も気魄も失せ、もとの三毒の素凡夫にもどってしまう」
 本部幹事に鈴木志郎、整理部長に小峰勝彦、本部参与に村岡長治、第二隊長に渡辺雄二、第十七隊長に藤村徹、整理部主任に岡田靖則任命さる。
12月21日  創価学会、池田大作名誉会長、品川池田文化会館に掲げられていたニコラエ・チャウシェスク大統領との会見写真を、取りはずさせる。
 チャウシェスクはルーマニア共産党書記長、ルーマニア社会主義共和国国家評議会議長、初代大統領を歴任。24年間にわたり、共産党政権の頂点に立ち独裁的権力者として君臨した。
12月24日  パナマ共和国、マヌエル・ノリエガ将軍、米軍の軍事介入により投降。ジョージ・H・W・ブッシュ大統領、「ノリエガ恐怖支配体制は終わった。… パナマの自由と民主制度がいま復活している」と声明。
(※ マヌエル・ノリエガは海外の元首クラスで、初めて日蓮正宗の本尊を受持した )
12月25日  ルーマニア社会主義共和国、ニコラエ・チャウシェスク大統領夫妻、処刑さる。
 チャウシェスクが命じた民主化デモ武力鎮圧に反対した、国防相ワシーリ・ミリャの急死をきっかけに、国軍がチャウシェスクに反旗を翻して民主化勢力を援護。チャウシェスク政権側の秘密警察セクリターテとの武力衝突を展開し、国軍は1週間で全土を制圧し非共産党政権を樹立した。
 ルーマニア新政権・救国戦線評議会、チャウシェスク大統領夫妻を (1) 6万人以上の市民殺害関与、(2) 国民と国家権力に対する武力行使の組織化、等を理由に銃殺。
12月29日  日経平均株価、史上最高値 38,915円を記録。90年代半ばから日本経済は急激にバブル化し、89年12月29日に株価が史上最高値を記録、90年1月に下落を始め "バブル崩壊" となる。
 
  年表  
1月1日
 宗門、阿部日顕管長、訓諭を発布。「開創七百年に当り、吾等は更に未来の広布への礎を築くべき深甚の意義を鑑み … 開創七百年に関する諸行事を盛大に奉行し」云々。
 宗務院、「僧俗和合して総本山大石寺開創七百年慶讃大法要を盛大に奉行せよ」と院達。
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館をはじめ全国35会場で奉修。浅井昭衛会長、年頭の辞「"法戦場"に到着せり」。
「しかるに近年、創価学会・池田大作は「国立戒壇」が政治進出に不利をもたらすとして、この御遺命を抹殺せんと俄に大石寺境内に正本堂なる建物を建て、これを「御遺命の戒壇」と偽った。そしてさらに、大石寺建立七百年の本年を期して、大石寺を本門寺と改称せんとしている。これ誑惑の完結を目指す陰謀である。しかも、この違法を摧くべき総本山の阿部管長は池田に阿諛し、この誑惑に加担している。大聖人・日興上人の御悲しみ、御憤りはいかばかりか。もしこの大陰謀が実現せんか、御本仏一期の御遺命は完全に破壊される。これを見ながら知りながら、護惜の道念を起こさぬは仏弟子ではない。… 本年を見つめ二十万の死身弘法をなしてきた顕正会は、すでに法戦場に到着した。大聖人・日興上人の御悲憤を信心の耳で聞き奉り、ただ捨て身のご奉公に徹するのみ」(「冨士」第308号 )
1月1日
 顕正会、「冨士」、海老原秀夫男子部幹事「学会の謀略活動の実態を暴く」掲載。
「いま顕正会が御遺命守護完結への大仏事を前にして、第六天の魔王が拱手傍観しているはずもなく、池田大作も "本門寺改称" の大誑惑を命がけで強行する心算ならば、今後もこれまで以上の激しい謀略・妨害工作が展開されるのは疑いなきところである。ここに改めて、学会が今日まで犯してきた一般世間に対する数々の悪事、さらに第一次御遺命守護のときにおける顕正会に対する悪辣なる策略・奸計の一々を振り返り、以て学会の謀略活動の凄まじさを再確認し、今後の用心を一層深めるための資料として行きたい。
 世間に対する数々の悪事
 1、新宿替え玉投票事件 2、練馬投票所襲撃事件 3、言論出版妨害事件 4、宮本顕治宅電話盗聴事件 5、立正佼成会分団事件 6、富士桜墓園問題
 顕正会(妙信講)に対する様々な謀略
 1) 教義論争 2) 盗聴 3) スパイ潜入 4)分断工作 5)暴力事件 6)妙縁寺攻防」(「冨士」第308号 )
1月3日  創価学会、聖教新聞、ルーマニア新政権について「民衆の総意による新生ルーマニアの誕生を、私はもろ手を挙げて、祝福いたします。『民衆』が勝った。『人間』の叫びが勝った。私どもはもちろん、権力悪と戦う世界の民衆勢力に、強い勇気を与えてくれました」
1月5/16日
 顕正会、初講義開催「日蓮大聖人の御化導と御遺命」(全国百二十二会場)参加者 10,377名。
 浅井昭衛会長「毎年、歳の始めに日蓮大聖人の一代御化導を全員で拝し、以て広布に戦う原動力としてきたが、本年は『本門寺改称』の陰謀が企てられている年なので、一代御化導の肝要を拝した上でことに御遺命の大事を命に染め、本年の御奉公に備えていきたい」
1月7日
 宗門、衆和会初勤行会、阿部日顕管長「九月に総講頭・池田先生の発願によりまして、まだこれは内定でありますが、だいたい判っておることは、大文化祭をちょうど広くなったこの客殿の前の広場で行うということになっています。これにはずいぶん大勢の外国の人達もみえることになっておりまして、池田先生の構想においては下種の意味においてはできるだけ世界の著名人も聖域に参加させ、この盛儀を見させたいというようなこともあるようでありまして」と。(「大日蓮」2月号 )
1月12日  礼宮文仁親王、川嶋紀子と結婚、秋篠宮家を創設。
1月14日
 顕正会、教学部、三級試験 (撰時抄)・四級試験 (立正安国論)、全国29会場で施行。1,949名が受験。
1月15日
 顕正会、成人式、板橋文化会館小ホールで開催、「世界は激動と不安定の時代に
 浅井昭衛会長「日蓮正宗においては昔から、年に一度総本山において、小僧さんたちをもてなす儀式があるそうです。これは "この小僧さんの中より日目上人がお出になる" との精神から、行われると聞いております。… ことに本年の成人式は感慨が深い。それは、皆さんが生まれてから今日までの二十年間が、そのまま顕正会の御遺命守護の戦いの二十年に重なるからであります。…
 いまや世界は激動と不安定の時代に入りました。東欧のあの激しい変動を、世界の誰人が予測したでありましょうか。この変革を、世間の学者は "共産主義の終焉" などと云っておりますが、終焉は共産主義だけではない。大衆の欲望に迎合するだけの、拠り所のない中心のない民主主義社会も、やがて崩れ去る運命を持っていると、私は思う。そこに、人間はいかに生きるべきか、国家はいかにあるべきか、世界はいかにあるべきか、このことに、真の解決を与える指導原理は、日蓮大聖人の仏法以外には断じてないのであります。…
 私は前々から平成の年代を "破局を待つ安逸の時代" と云っておりますが、日本に破局は必ずおとずれる。… 広宣流布は、皆さんが生きているうちに、必ず実現いたします」(「冨士」第309号 )
(※ いま(令和4年)、当時の成人式参加者は、52歳になっている。最近は、成人式にも出なくなった浅井昭衛会長 (90歳)、新成人に「広宣流布は 皆さんが生きているうちに 必ず実現」と、今まだ云えるだろうか? 同様に、云えなくなった言明は、"顕正寺宗門返納" 等々、数多い。そして、"破局は必ずおとずれる"、"広宣流布は必ず実現" 等の扇動を "心肝に染め"、学業も職業も家族も友人も恋人も趣味も抛って "御奉公" を貫き、転落して行った若者がどれほどいたことか…。櫻川 忠 )
1月15日  人間の科学社、大橋敏雄著「"吹けば飛ぶ男"の奮戦記」発行。
「私は、巨悪に対して見て見ぬふりをしている権力構造に、疑問と怒りを感じました。私は国会で池田問題を論議すべく、昭和六十三年九月二日、国会に『国会質問主意書』を提出、同時に『月刊現代』十月号に『決死の国会質問主意書』として発表、世論の喚起を訴えました」
「ところが大橋本人が、みずからの実績として自伝の中で誇っている、この「質問主意書」は大橋自身が書いたものではない。書いたのはなんと山崎正友である。国会議員が、有罪判決を受けている刑事被告人に国会提出の書類を代作してもらったのだ」(「地涌」第19号 )
1月20日  ソビエト社会主義共和国連邦軍、アゼルバイジャン共和国の民族紛争を武力制圧。
1月21日
 顕正会、教学部、二級試験 (観心本尊抄・宗教批判の原理)、全国9会場で施行、328名が受験。
 登用試験 (折伏理論解説書 第一章~第八章)、全国47会場で施行、2,927名が受験。
1月21日
 宗門、法華講大講頭に、山崎尚見・青木亨・柳沢喜惣次等任命さる。(「聖教新聞」1月22日号 )
1月26日
 顕正会、1月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)。
 浅井昭衛会長「本年の顕正会の戦いに、御遺命の滅・不滅、そして日本の運命がかかっている。いま真剣に諫暁書の筆を執っている。… 私は諫暁書に命を削る。全顕正会員は二十万達成に体をぶつけて頂きたい。… 五月上旬までに、二十万を断じて達成する」
1月28日
 顕正会、新本部会館起工式厳粛に挙行、代表幹部80名が参列。
 浅井昭衛会長「この本部会館こそ、大聖人様が、いま日蓮正宗の中においてひとり御遺命守護に戦う顕正会を御覧あそばし、"ここを本陣としてしっかり戦え" と立てて下さったもの」
2月1日
 顕正会、「冨士」、海老原秀夫男子部幹事「"痴犬"の黒幕・小川只道(理境坊住職)の正体」掲載。「いまこの男の、今日に至るまでの足跡を一瞥するに、次の三つの段階、すなわち
 第一段階 -- 細井管長に取り入り、反学会活動に身を投じ、盛んに学会を攻撃していた時代
 第二段階 -- 細井管長が急逝するや、阿部管長側に寝返り、正信会攻撃に転身した時代
 第三段階 -- 阿部管長をも乗り越え、密かに学会に通じ、学会の謀略活動の一環として顕正会攻撃を請け負うに至った最新の時期 … に区分することができる」(「冨士」第309号 )
2月3日  ソビエト社会主義共和国連邦、ミハイル・ゴルバチョフ書記長、複数政党制を導入し "共産党の一党独裁" に終止符。
2月6/18日
 顕正会、2月度御書講義、「種々御振舞御書」を拝読。参加者 10,624名。(全国117会場)
2月7日
 顕正会、日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修、「日興上人の御振舞いにより正法久住
 浅井昭衛会長「大聖人御入滅の時、日興上人は37歳、そして88歳で御遷化あそばされたが、実に大聖人御入滅後五十年にわたって、富士において大聖人の御義を正しく貫き通された。… この五十年の御振舞の中で、最も重要な御事蹟は二つ、すなわち身延離山と大石寺建立であります。… 身延離山は、後世の我ら門下に謗法厳禁ということを教えてくださった。そして大石寺の建立こそ、広宣流布・国立戒壇建立の御遺命を達成すべく、その礎を築いて下さったのであります。…
 しかるに今、大石寺建立七百年の大節を利用して、広宣流布を偽っての本門寺改称のたくらみが、なされんとしております。そのようなことが、どれほど恐れ多いことか、どれほど大聖人・日興上人を冒涜し奉ることに当たるか。断じてこの違法は打ち摧かねばなりません。顕正会の本年の御奉公は重大であります。… 宗開両祖の御心を安んじる御奉公を為さねばなりません」(「冨士」第310号 )
2月17日  創価学会、第11回創価学会インタナショナル総会、ロサンゼルスで開催 (NSA世界平和池田講堂)。
 阿部日顕管長メッセージ「現在、一切に魁けて大きな視野と叡智を以て、その浄業に傾注しておられる方がSGI会長池田先生であります。今日、益々お元気な池田先生を迎へ、世界の日蓮正宗のメムパーがお元気な姿でロスアンゼルスに結集し、世界平和の為、また本仏日蓮大聖人の大正法を流布するため、盛大な総会を開かれることは、私のまことに欣快とする処であります。SGI会長池田先生の指導により、また一層の団結の精神をもって此の総会を機に、世界夫々の日蓮正宗が益々発展されることを、そして皆様一人一人の御健康と御幸福を心より祈り、祝辞といたします」
(「聖教新聞」2月19日号 )
2月18日  第39回衆議院議員総選挙、消費税導入が争点の総選挙、自民党は安定多数を大きく上回る275議席を獲得。野党は、公明党、共産党、民社党が議席を減らした。この結果を受け、第2次海部俊樹内閣が発足。公明党は惨敗し大久保直彦・坂口力等の幹部が落選した。
2月25日  ソビエト社会主義共和国連邦、民主化要求集会に百万人デモ。
2月27日
 顕正会、2月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)、「九・十月の宗門二大行事を見つめよ」、2月度折伏成果 4,002名。
 浅井昭衛会長、正本堂の誑惑が始まる七年前に顕正会が発足し、誑惑完結がたくらまれる年に二十万達成をする顕正会の不思議な使命に言及、「この歴史の流れを見る時、顕正会の生まれ出た時と、池田大作が御遺命を破壊しようとした時は、全く同じ時期である。まさに顕正会が御本仏の御遺命を守り奉るために生まれ出た団体ということ、歴然であります。…
 私はいま心血を注いで諌暁書を書き続けております。百数十頁に及ぶ内容でありますので、書き終えるまで今しばらく時間がかかります。第一回諌暁書は四十四頁でした。第二回は三十六頁、そして今回は百数十頁であります、第一回の諌暁より本年でちょうど二十年。私はこの二十年の間に現れてきた様々な現証を背景として、今度の諌暁書で誑惑の根を完全に断ち切ろうと決意しております。…  さて、本年の宗門行事のスケジュールでありますが、… 9月に池田大作の発願により大石寺の客殿前の大広間において、「大文化祭」なるものが行われるとのことであります。10月に入ってからは、6・7日と12・13日の二回にわたって、大石寺開創七百年の法要を行うとのことであります。もし池田が "本門寺改称" を強行するとすれば、またこの時をおいては絶対にない、と私は考えております。… どうやら誑惑完結のスケジュールも、浮かび上がってまいりました。顕正会の全幹部は、この二つの宗門の行事を見つめて欲しい」(「冨士」第311号 )
 女子部参与に小峰昌子任命さる。
2月27日  ソビエト社会主義共和国連邦、共産党中央委員会総会に政治綱領草案を提出。代議員大会で、憲法改正案と共産党一党独裁の放棄を採択し,大統領制の導入を決定した。
2月28日
 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長「2月の大法弘通が、このように画期的になってきたのは、一つには、全員に法戦場到着の自覚が高まり、意気ごみが違ってきたこと。二つには『折伏理論書』により新しい人材が続々と立ってきたことによる」
3月1日
 顕正会、「冨士」、海老原秀夫男子部幹事「池田大作の無節操・御都合主義」掲載。
「チャウシェスクとノリエガ、二人の池田の朋友が相次いで倒れた。ルーマニアのチャウシェスク政権は、昨年12月22日、それまでの独裁政治を憤り民主化を熱望する民衆の怒涛にあえなく呑み込まれ、またパナマの最高実力者・ノリエガ将軍も、アメリカ政府から麻薬取引の黒幕として追求され、ついにアメリカ軍のパナマ侵攻により捕らわれの身となってしまった。常日頃、池田は「自分と会ったものは福運がつく」と豪語していたと言うが、これは一体どうしたことか。…
 本年、海外の王室を招いて誑惑完結に利用しようという計画が練られている時、二人の朋友の没落は象徴的事件として極めて興味深い。… 本年2月1日号の「ニューズウィーク日本版」によれば、なんとノリエガは創価学会に入信しており、大石寺に度々参詣し、パナマ訛りの日本語で題目を唱えていたというのである。… これに対し学会は、ノリエガが学会員であることを強く否定しているが、真相は果たしてどうなのか。… 過去の聖教新聞を見るかぎり、今回の「ニューズウィーク」の記事を裏付ける報道が多数存在していることも事実である」(「冨士」第310号 )
3月1日  創価学会、池田大作名誉会長、アルゼンチン共和国のブエノスアイレス大学より、名誉博士号を授与さる(7番目)。
3月5日
 宗門、阿部日顕管長、池田大作名誉会長に、丑寅勤行の不参詣について尋ねる。
「平成元年六月二十八日、猊下が池田氏に立川寺院の建立延期について尋ねられ、平成二年三月五日、猊下が池田氏に対し、ほとんどゼロになった丑寅勤行の参詣について尋ねられている。
 しかし、池田氏という方は非常に自尊心のお強い方であるから「何言っている、学会は金を出しているのであるから、囗は出さないでほしい」、「学会の方針、俺のやっている事に、いちいち口を出すな」というが本音ではなかったか」(「妙道の春に」高橋公純師 )
3月9/21日
 顕正会、3月度御書講義、「弥源太殿御返事」を拝読。参加者 11,336名。(全国120会場)
3月10日  創価学会、池田大作名誉会長、メキシコ合衆国のグアナファト大学より、名誉博士号を授与さる(8番目)。
3月10日  ソ連共産党理論誌「コミュニスト」、"共産主義は歴史的役割を終えた" との論文を発表。(「読売新聞」3月10日号 )
3月15日  ソビエト社会主義共和国連邦、ミハイル・ゴルバチョフ、初代大統領に就任。
3月22日  創価学会、戸田城聖三十三回忌法要、常在寺で執行。池田大作名誉会長、法要を欠席して創春会(創価大学出身の女子・婦人の集い)に参加。
3月27日
 顕正会、3月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)、3月度折伏成果 4,073名。
 浅井昭衛会長「この4月こそ、顕正会にとって歴史的な重大な月である。すなわち、国立戒壇のゆえに死罪に等しい解散処分を受けた顕正会が、ついに二十万法城を築き上げる。そしてこの法城を背景として、正本堂の誑惑の根を完全に断ち切る諫暁書が、ついに宗門に顕われるのである」
4月9/22日
 顕正会、4月度御書講義、「佐渡御書」を拝読。参加者 12,278名。(全国126会場)
4月10日  中華人民共和国、新疆ウイグルでの民族暴動に人民解放軍を投入、50人死亡。
4月 日  創価学会、池田大作の「特別形木本尊偽造」問題、各週刊誌が報道。
4月20日
 宗門、涌徳山興本寺落慶入仏法要、阿部日顕管長「今日、創価学会の方々の大折伏によって妙法が弘まっておりますが、ここに至るまでにその方々に大きな難がたくさんあったことと思います。また現在でも種々の難が、特に総講頭・池田先生に対し、またその他の方々に対していわれなき中傷・誹謗等が充満しております。… むしろ妙法を受持し信仰している者に対して色々と悪口雑言をいうところが、この妙法を縁として起こるところの煩悩の姿であります。そしてまた、むしろそれによって真の正法が一切衆生の心のなかに下種されているということを考えるものでございます」
4月22日
 宗門、戸田城聖三十三回忌法要執行(総本山)。
 池田大作名誉会長、法要に参列するも一言も述べず。青年部に対して「大法要 仇を討てとの響きあり 君等の使命と 瞬時も忘るな」と歌を詠む。
4月25日  創価学会、池田大作名誉会長、ブラジル連邦共和国の最高の栄誉章である「南十字国家勲章 コメンダドール章」受賞。渋谷の駐日ブラジル大使公邸で授賞式。
 池田大作名誉会長「一段と深き責任を痛感しつつ、貴国との平和・文化・教育の交流に、最善の努力を重ねてまいることをお誓い申し上げます」と受賞挨拶。
 後に「アルゼンチンから … 大十字勲章をもらったが、これで七つ目である。これが妙法である。信心です。たった五ヶ月の間に三つの勲章(コロンビア、ブラジル)をもらった。… 五ヶ月間に勲章を三つもらえる人は、これまで一人もいなかった。議員でもない私なのだ」と自賛。
4月25日  オースチン彗星、北東の空に出現。89年12月6日、ニュージーランドで発見され、軌道計算により大彗星になるかと予報された。4月9日に近日点を通過し4月下旬に東の空に現れたが、予報より5等も暗く期待はずれとなった。
4月26日
 顕正会、顧問先生第7回忌法要、本部会館で厳修、代表幹部 150名が参列。
 浅井昭衛会長「顧問先生なくして今日の顕正会はあり得ない。… 七回忌を迎え、二十万達成と諫暁書の出来こそ、最大の報恩行と私は思っている」と挨拶。
4月27日
 顕正会、諫暁書「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」(「冨士」第312号 )出来、阿部日顕管長と池田大作名誉会長に送附。
 4月度総幹部会開催、(大宮ソニックシティ)、4月度折伏成果 5,627名、二十万ついに達成。
 浅井昭衛会長、諫暁書出来の意義について「今回の諫暁書は、正本堂の誑惑の根を断ち切り、以て戒壇の大御本尊に対し奉る不敬を一日も早く償い奉るべく、著わしたものである。… "正本堂の誑惑の根" とは何かといえば、阿部日顕管長が宗務院の教学部長時代に著わした『国立戒壇論の誤りについて』と『本門事の戒壇の本義』という二冊の本がある。この悪書こそ、全宗門をたぶらかした "誑惑の根" そのものである。… ここに誑惑の根は、完全に断ち切った。… 誑惑の根を断たれた池田大作は、遠からず必ず亡び去る。… 願うことはただ一つ。戒壇の大御本尊様が、一日も早く誑惑・不浄の正本堂から、清浄の御宝蔵にお戻りあそばすことを。私はひたすらこのことを祈っている。… 私は昭和47年の正本堂落成以来、一日片時も心安き日を送ったことはない」
4月29日  創価学会、東京記念総会開催。池田大作名誉会長「今までの既成宗教は権力と結んで大きくなってきた。学会だけが権力と結ばずに、弾圧を受けながら純枠に大きくなってきた。(なのに)坊さんは供養を取って、弾圧されることもなくて、いい身分だよ」
5月8日
 顕正会、男子部誓願式、豊島公会堂で開催、参加者 1,568名。
 浅井昭衛会長、核兵器の第三世界への拡散こそ世界動乱の兆と指摘ののち、「横浜アリーナ大総会こそ、本門寺改称の陰謀を粉砕し、国立戒壇の実現を大聖人様に誓い奉る重大な儀式である。捨身の護法心に立つ男子精鋭五千の結集は、まことに大きな意義がある」と。
5月10日
 顕正会、女子部誓願式、豊島公会堂で開催、参加者 1,767名。
 浅井昭衛会長、"仏法は体、世間は影" の道理に基づき、戦時中の事例を挙げて正本堂の仏法違背の重大性を述べたのち、「今回の横浜アリーナ大総会は、顕正会の歴史において、最も重大な総会である」と。
5月12日  創価学会、週刊文春に抗議。「最近、『週刊文春』など一部の週刊誌等で学会が『ニセ本尊』を作り会員に下附したかのような誠に悪質なねつ造記事が出ている。これらは大石寺開創七百年、学会創立六十周年の佳節に宗門、学会を混乱させ、離間を図ろうとする策動にのったデッチ上げ記事であることは明白である。ただ、御本尊という信仰の根幹に関わることについて極めて悪質なねつ造であるために、青年部代表二人が『週刊文春』編集部を訪れ同誌の花田紀凱編集長らに厳重抗議し、記事の取消し並に謝罪するよう強く要求した」(「聖教新聞」5月12日号 )
5月16日
 顕正会、壮年部・婦人部合同誓願式、豊島公会堂で開催、参加者 1,404名。
 浅井昭衛会長、「仏法が曲がれば国は必ず傾く、大石寺の姿を見れば日本の運命がわかる」と。
5月16日  創価学会、聖教新聞「登山部から徹底」掲載。「登山会参加証がなければ御開扉の受け付けはできません。フリー登山(登山会参加証による登山)に関して最近、登山会参加証を持参しないで御開扉を希望する人が一部で見られるため、登山部では重ねて、次の点を厳守するよう呼びかけている」
5月29日
 顕正会、5月度総幹部会開催。(大宮ソニックシティ)
 浅井昭衛会長「"名利の魔物"と化した池田大作の物狂わしい行動を具体的に示し、「本門寺改称の陰謀が、形を変えていま着々と進行していることを、顕正会員は見抜かなければいけない。… 今回の大総会こそ顕正会を代表する二万の仏弟子が一堂に会し、陰謀粋砕と国立戒壇実現を大聖人様に誓い奉る儀式である」と。
6月2日
 顕正会、男子部、御遺命守護野外集会を行う。幹部 1,500名、信濃町一帯を "正義宣揚" の街頭行進。
6月19日
 顕正会、合同班長会、板橋文化会館で開催、参加者 1,907名。浅井昭衛会長「横浜アリーナ大総会の成否に、御遺命の滅・不滅がかかっている」
6月20日  創価学会、6月度本部幹部会、公然と宗門批判。池田大作名誉会長「金ばかり取って、小欲知足どころか、大欲傲慢じゃないか。在家を励ますどころか、責める、いじめる、嫌な思いをさせるような人に、我々はなめられてはいけない。秋谷(栄之助会長)はびくびくして、顔色ばかりうかがって、だから宗門からなめられるのだ」
6月26日  創価学会、男子部青年部幹部会。池田大作名誉会長「勝負とは絶対的なものである。勝つか負けるか、中間はない」と、暗に宗門との抗争を示竣。
6月 日  東京国税局、創価学会に税務調査(第1回)に入る。
 創価学会、八尋頼雄顧問弁護士、公明党矢野絢也委員長に国税庁への圧力を依頼。
 国税当局が創価学会の税務調査に乗り出すきっかけとなったのは、89年6月の「捨て金事件」。その1年後の90年6月から92年4月にかけて、東京国税局課税第2部資料調査第3課が2度に分けて大規模な税務調査を実施した。その顛末は、公明党の書記長や委員長などを歴任した政治評論家、矢野絢也氏の著書『乱脈経理 創価学会 vs 国税庁の暗闘ドキュメント』(講談社)で、赤裸々に暴露されている。当時を知る国税関係者は「ごくささいな1~2点を除けば、極めて正確に記されている」と評している。
7月1日
 顕正会、「冨士」、海老原秀夫「末期症状の池田大作 世俗の名利を求めて物狂わしき日々、金力で勲章・名誉博士号・著名人対談」掲載。「本年に入り、池田大作の名利を求める狂奔ぶりは、ますますエスカレートする一方。これ池田の末期症状を示すものであると同時に、本年の陰謀強行に向けての布石・舞台回しであることもまた疑いない。以下、最近の池田の狂気の実態を紹介し、以て "池田滅亡近し" を論証していこう」
7月8日
 顕正会、第25回総会、横浜アリーナで熱烈厳粛に挙行。2万有余名が参加。
 浅井昭衛会長「本門寺改称の陰謀断じて阻止 もし強行せば大石寺に総登山」、
 世界情勢について「これまで世界を支配してきた米ソの二極構造がここに崩れ、世界はいよいよ無秩序と混沌の、新たな戦国時代に入った」と指摘、
 ついで百万達成について「国立戒壇のゆえに解散処分を受けた顕正会が、もし百万になったら、これはもう只事ではない。… 百万になれば、日本の広宣流布の終着点が、もうはっきりと見えてまいります。まさに、百万達成こそ、日本の広宣流布のカギであります。では、この百万をいつまでに達成するか。本日の大総会において、全員で、大聖人様にお誓い申し上げたい。私は、あと八年、平成十年までに、断じてこの百万を達成しようと決意しておりますが、皆さん、どうでしょうか。(大拍手) 」。
 さらに「本門寺改称」の陰謀粉砕について、「"名利の魔物" である池田なら、やるでしょう。すでに、政治野心と名利から、あの大それた誑惑の正本堂すら建ててきた男であります。大石寺の名前をかえる「本門寺改称」ぐらい、平然とやるでしょう。やるなら、やってみたらいい!
 もし、池田が本門寺改称を強行する日時が事前にわかれば、直ちに行動を起こす。あるいは極秘にことが運ばれれば、事後に撤回せしめる。事前であれ、事後であれ、ことのわかり次第、顕正会は立つ。… 私は思う。その時、全顕正会員は、こぞって大石寺に総登山すべきであると。本日は顕正会の 代表二万人だけが集っているが、その時こそ、二十万顕正会の全員が、戒壇の大御本尊の御前に馳せ参じ、大石寺の境内を埋めつくし、信心の力を以て、本門寺改称を断固粉砕しようと私は決意しているが、皆さん、どうでしょうか。(大拍手)」と。 
7月9日  創価学会、苫小牧記念動行会(苫小牧平和会館)、池田大作名誉会長「衣の権威をカサに着て、一部の悪侶が、まじめに信心し弘教に励んでいる、尊い仏の使いを軽んじ、いじめ、見下げてきた。その心は仏法の心ではない。僧としてよりも、人間として許されることではない。… どんなに『自分は偉い」と威張ってみても、現実に一人の人に弘教し、面倒をみ、幸福にしていった『実証』にはかなわない。『高位の人』よりも『弘教の人』が偉いのである。仏法の眼からみれば、実社会のなかに、我が地域のなかに、『正法流布」を進めている皆さま方ほど尊い存在はない」(「聖教新聞」7月11日号 )
7月14日  創価学会、札幌記念幹部会 第1回北海道最高会議(北海道池田講堂)。
 池田大作名誉会長「僧侶は『少欲知足』が本分である。… 踏むべき道を忘れた末法の僧侶のことを大聖人は、食べ物を奪い合う大にたとえて厳しく裁いておられる。"畜生道"であり、また"餓鬼道"の姿である。そして弘法もせず、我が身を養う欲望ばかり盛んな僧侶を、『法師の皮を著たる畜生なり』…『法師と云う名字をぬすめる盗人なり』… と、激しく非難し、指弾しておられる。これは本来、他宗の僧への破折であられた。それが近年、かの悪侶たちのごとく、日蓮正宗からもそうした卑しき輩が出たことは、大聖人のお悲しみ、お怒りは、いかばかりかと嘆かずにおられない」(「聖教新聞」7月16日号 )
(※ "大聖人のお悲しみ、お怒りは、いかばかりか" は、浅井昭衛会長の常套句であり、浅井チルドレンであった小生はさんざん聞かされてきた。そもそも "秘私性" の壁で、他者の<思い>は原理的に知り得ない。さらに、"難解難入 所不能知" の境涯は "一切声聞 辟支仏" も及ばず、いはんや末代底下の凡夫に於いてをや。"先生"や"会長"や"猊下"等が、我慢偏執を投影して "大聖人のお悲しみ" 等と嘯く処には、幾重にも深い誤謬がある。櫻川 忠 )
7月16日
 宗門、西片会議。藤本・早瀬・秋元・八木・河辺・関の各師と、創価学会切り捨ての謀議、結論が出ず2日後に持ち越す。
7月16日  創価学会、池田大作名誉会長。藤本総監に電話で、「いまの猊下は冷たいと、僧侶方は皆そう云っている。どうか総監さんから、そういう声があるということを、猊下に云って欲しい」と述べる。
7月17日  創価学会、秋栄之助会長、宗務院・学会連絡会議(常泉寺)において、僧侶の奢侈を指摘、少欲知足の宗風確立を要望し、「猊下の御発言は名誉会長に失礼である」と。
「秋谷栄之助会長以下学会首脳、宗門の役僧の目の前で役僧の名前をあげ猛然と批判、宗門側か意見を言おうとすると、「今日は話を聞いてもらうだけです」と一方的にまくしたてた。学会は宗門に対して「対話がない、対話がない」と言うが、対話拒否は学会側から始まったのである」(「妙道の春に」高橋公純師 )
7月18日
 宗門、御前会議。藤本・早瀬・秋元・八木・河辺・関の各師が出席。阿部日顕管長「作戦名はCだよ」と述べ、7月決行を主張するが入れられず、一時延期となった。
7月21日  創価学会、池田大作名誉会長、秋谷栄之助会長、阿部日顕管長に目通りし過日の発言につき弁明。
「時に猊下は十七日の学会首脳発言の「猊下の御発言は名誉会長に失礼である」等という事に関して、「どういう事なのですか」とお聞きになった。池田、秋谷両氏はさかんに抗弁して、猊下の発言を封ずるような事があったので、猊下は「法主の発言を封ずるは驕慢謗法となりますよ」とさとされたのである」(「妙道の春に」高橋公純師 )
(※ 阿部日顕管長は、池田大作名誉会長に「驕慢謗法だ」「懲罰にかける」と怒鳴った、と。)
7月21日  創価学会、学生部夏季講習会全体集会(大石寺常来坊)。池田大作名誉会長「学会員は仏子だ。仏子を下に見る者は謗法である。学会員を軽蔑し、苦しめる正法破壊の者は、本当の『信徒の真髄』を知らない。いわんや悪智恵を弄して御書を曲解し、権威をふりかざして学会員を圧迫するようなことがあれば、それは日蓮大聖人、日興上人のお心に背く極悪の行為となる」と、阿部日顕管長を批判。(「聖教新聞」7月23日号 )
7月24日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「かつて衣の権威をカサに着て、一部の悪侶が、まじめに信心し、弘教に励んでいる学会員を軽んじ、いじめ、見下げてきた。その心は仏法の心ではない。僧としてよりも、人間として許されることではない」と、正信会にことよせ宗門を批判。
7月25日
 顕正会、7月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)。
 浅井昭衛会長「いま私の念頭にあるのは、本年秋の御奉公のみ。… もし大石寺が『本門寺』と改称されたならば、御本仏の御遺命は完全に破壊され、三大秘法は完全に蹂躙される。そのあとに、顕正会が残ったとして、何になる。… 『本門寺改称』の陰謀が粉砕されなければ、新本部会館の落成式など、あり得るはずもない」
7月25日  創価学会、池田大作名誉会長、ソビエト社会主義共和国連邦訪問。恒例の、宗門役僧の空港見送りなし。帰国時も同様。
7月27日  創価学会、池田大作名誉会長、クレムリンでゴルバチョフ大統領と会談。
7月27日  週刊文春、創価学会に国税調査が入ったため「池田氏はソ連に逃げた」との記事を掲載。
7月29日
 宗門、法華講連合会総会(客殿前広場)、阿部日顕管長「法華講の皆さまこそ真の仏子である」と、池田発言に対抗。
「「三万総登山」の命題に対し、皆様方の仏祖三宝への篤き尊敬と障魔を摧破する堅い信心修行は、三万名の目標を実に一万数千を上回るところの、四万数千名の、未曽有の総登山・総結集をもって見事に成就し、下種御本仏宗祖大聖人様への御報恩の誠を顕されたのであります。… 法華経宝塔品に「是真仏子 住淳善地」と説かれる如く、一切の仏法の中心たる本門下種の大御本尊を受持し、純粋な信心をもってあらゆる障害を乗り越え、この意義ある大結集に成功した法華講の皆様は、この経文に明らかな真の仏子であると思うものであります。…
 戒壇に義と事があることは、六大秘法の名称をも含めて二十六世日寛上人の指南であります。大聖人様は大事な御書において単に「戒壇」の名前のみをお示しになっておりますが、これは御本尊のおわします所が本門の戒壇たる義によるのであります。…
 次に事の戒壇とは、大聖人御一期の出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊は、本仏宗祖大聖人の一切衆生救済の大慈悲を実際に一閻浮提総与として顕された御本尊なるが故に、そのおわします所が事の戒壇であります。そしてその事の戒法の究極的実相は、仏法と王法の不可思議な冥合の力によって衆生の邪法における執着が破られ、現実にその功徳が国土に顕現する旨を『三大秘法抄』にお示しであります。ただし、その事の戒壇の聖文は仏知仏見によるところであり、凡智をもって軽々しく浅識の解釈をなすべきでなく、信をもって未来永遠にわたる大法広布の実相として拝しゆくべきと思います。…
 平成六年の法華講総世帯数は地涌六万恒河沙の数にちなむところの六万世帯を悠々と突破・達成する時の流れとなっていることを、皆様にはどうか認識していただきたいのであります」
8月2日  創価学会、牙城会大学校5期大会(大石寺常来坊)、池田大作名誉会長「いかにも偉そうな『大物』ぶった偽装の振舞いは、むしろ成長の止まった証明であり、人間的には退歩を示す以外の何物でもない」と、阿部日顕管長を批判。(「聖教新聞」8月4日号 )
8月2日  イラク共和国軍、クウェート侵攻。共和国防衛隊はクウェート国境を越えて侵攻を開始、クウェート軍はイラク軍の50分の1の戦力しかなく、奇襲を受けわずか数時間のうちに制圧された。
8月7日  創価学会、関東会・東京会の合同研修会、池田大作名誉会長「日顕のヤロー、権威だけで威張るなら威張れ、破門するなら破門してみやがれ、大衆は私の味方だ。創価学会は強いぞ、私は強いぞ。トルストイは教会を破門されたが、民衆はトルストイについていった」と、阿部日顕管長を罵倒。
8月9/20日
 顕正会、「第25回大総会」ビデオ放映、全国 122会場で開催。
8月10日
 顕正会、臨時班長会、練馬文化センターで開催。
 浅井昭衛会長、「なぜ学会員は功徳を失ったか」の発刊に当って「18年前の8月は、解散処分を受けての臨時班長会であった。しかし本年の8月は、まさに二十万を背景として、一国に御遺命の正義が顕われんとしている。すべては大聖人様の御計いである」と。
8月12日  創価学会、長野県総会開催。
 池田大作名誉会長「民衆を手段とし、犠牲としていくような悪しき権威の宗教を厳しく戒めなければならない。… 嫉妬の人間の悪口は常に、自分自身の悪と動揺を語っているにすぎない。妬み深い人間は常に動揺している。他の人の動向に一喜一憂しながら、いつも胸中で、あれこれ策をめぐらしている。本当の自信がなく、不安定に、じらついている。心の休まる暇がない。そのうえ、他人の幸福や成功を見るたびに、黒い炎に胸をこがして苦しむ」と、阿部日顕管長を批判。
 秋谷栄之助会長「会員を守るためにも、人々を苦しめる権威・権力とは戦っていかなければならない」と。(「聖教新聞」8月14日号 )
8月17日  創価学会、池田大作名誉会長、ドクター部代表と懇談。「本来は悩める人を守り救うべき立場の人間が、反対にその立場を利用して、人々を傲慢に見下ろし、搾取し、その犠牲の上に利己的な保身を貪る。聖職者は宗教の権威を笠に威張る。傲慢に信者を見下す手段にしている」と語る。(「聖教新聞」8月18日号 )
8月20日
 宗務院・学会連絡会議、常泉寺で開催。
 席上、秋谷栄之助会長「きたる9月2日の大石寺開創七百年慶祝記念文化祭については、顕正会がデモをかけてくるとの噂があるので、その規模を縮小したい」と申し入れる。
 宗務院、創価学会に対して信徒名簿の提出を求める。
 秋谷会長、かえって「僧侶はゴルフ・麻雀・酒を慎んでほしい」と反撃。
8月23日  創価学会、さまざまな形で宗門批判。
「宗門は、阿部日顕猊下が学会にきつい。池田名誉会長も相当強く言っている。池田氏もカリカリで、いまのままでいくと激突する。そこで秋谷会長を正面に立て、第一次宗門戦争で池田氏に会長辞職を要請したとされる野崎、原田たちを使って池田氏の代わりに宗門批判を言わせている」(「乱脈経理」矢野絢也 )
8月24日  創価学会、本部幹部会。池田大作名誉会長「なんにも怖いものはない。何をされようが、どんなにゴウガンにいじめられようが、破門されようが、なんでもないです。… 騙されちゃいけません、権威や何かに。マスコミなんかにも」と。
8月28日
 顕正会、「なぜ学会員は功徳を失ったか」、全国書店で発売開始。
 8月度総幹部会開催。(大宮ソニックシティ)
 浅井昭衛会長、「なぜ学会員は功徳を失ったか」が全国に大反響を巻き起こしていることについて「これこそ御遺命の正義が日蓮正宗に蘇る第一歩。… 破局を前にした日本に対する強烈なる諫暁である」と指摘。さらに「この9月、あるいは10月に、本門寺改称の陰謀が強行されようとしている。だが、ここに来て池田大作は、顕正会の捨身の決意を知り、心大いに迷っているごとくである。… 全顕正会員は、捨身の決意を胸に秘め、大石寺総登山を見つめて9月・10月と待機して頂きたい」と。
8月 日  創価学会、「法難史メモ」を作成し、僧侶の行状をチェック。
8月29日
 宗門、全国教師講習会開催(大講堂)。7月17日の創価学会の申し入れを承け、早瀬義寛庶務部長、「僧侶・寺族の網紀・自粛に関する規準」を説明のうえ厳守を強調。
 阿部日顕管長「僧侶は本来、少欲知足を旨とすべきであるから、これを機に気を引き締めていきたい」と、綱紀自粛の徹底を訴えた。
 引き続いての質疑応答で「最近信者の間で私の悪口を云っている奴がいるらしい。まず、何だっけ? 法主が権威主義であるとか。次に何だっけ? 怒りっぽいとか。これはまあ、当たっているな。それから何だっけ? 遠山の金さんではなく、遠山の顕さんとか云っているらしい。私も欠点のある人間だが、なにもそんなことを信者の前で語る必要はない。私に欠点があれば、そういうことは私に直接云ってもらいたい」と、池田発言批判。
8月29日  創価学会、全国県長会議。秋谷栄之助会長、今後の方針として「反人間主義との戦い、とりわけ権威・権力から仏子を守る戦い」と指示。(「聖教新聞」8月30日号 )
「今後の活動のポイントとして
 ① 会員中心主義の行動を
 ② 一人一人の人格の向上を
 ③ 反人間主義との戦い、 とりわけ権威・権力から仏子を守る戦い」の三点を力説。
8月30日
 宗門、阿部日顕管長、綱紀自粛を呼びかけた翌日、伊豆長岡の超高級旅館で豪遊。
9月1日
 顕正会、「冨士」、海老原秀夫「売国奴の面目躍如・池田大作 金で買ったゴルバチョフ会談、ソ連の対日工作を受けおう」掲載。
9月2日
 宗門、「大石寺開創七百年慶祝記念文化祭」、規模・内容を変更して客殿前広場で開催。出席者 2千人。
「大石寺開創七百年を寿いでの、創価学会による慶祝記念文化祭が …『天座に輝け・幸の光彩』のテーマのもと、大客殿広場で開催された。これには御法主日顕上人猊下が御臨席されたのをはじめ、藤本日潤総監、早瀬日慈重役、各能化、早瀬義雄宗会議長、宗務院の各部長、宗会議員、全国の宗務支院長・副宗務支院長など、多くの僧侶が出席。また創価学会の池田大作名誉会長、秋谷栄之助会長、森田一哉理事長、各副会長らが、芸術部、青年部メンバー、海外六十七カ国・地域の代表ら、約二千人による熱演の舞台を観賞した」(「大日蓮」第536号 )
9月10/19日
 顕正会、9月度御書講義、「三沢抄」を拝読。(全国124会場)
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修、「竜の口の発迹顕本は御本尊を信ぜしめんがため」。浅井昭衛会長「大聖人様は尊き御身を以て、なにゆえ竜の口の砂浜におすわりあそばしたのか。これ実に末法の私たちに、御本尊の功徳の絶対なることを、信ぜしめんがためである。… この大慈大悲を拝すれば、報恩の思いに立たぬ者は人間ではない、畜生である。仏弟子ではない、外道の弟子であります」(「冨士」第316号 )
9月12日  創価学会、第13回全国婦人部幹部会開催(東京創価文化会館)、池田大作名誉会長「言うまでもなく、五座三座は日蓮正宗の伝統である。当然、信者としての私たちは五座三座が基本である。ただし、海外の場合、五座三座が続かなくて退転していくというケースをよく耳にする。また日本においても、五座三座ができなくなると、次第に信心から遠ざかつてしまうと、よく聞く。しかし、大切なのは一生涯、御本尊を受持して信行に励んでいくことである。… それを、形にとらわれるあまり、圧迫感を与えては、途中でいやになってしまう場合がある。… したがって、場合によっては、方便品・自我偈でも、凡夫の世界ではやむを得ない時もあるだろう。人によっては、一度やらなくなるとリズムに乗れず、かえって罪悪感が深くなって、退転してしまうという声もある。こうした点をリーダーは配慮し、きめこまかい、安心できる指導が必要であると思う」(「聖教新聞」9月14日号 )
9月18日  創価学会、第33回本部幹部会開催(東京・広宣会館)、池田大作名誉会長「いつの時代でも、いずこの世界でも、権威、権力の横暴は大なり小なりある。近年の正信会の悪侶の姿もそうであった。私どもは戦った。そして、勝った。権威、権力とはどこまでも戦う。これこそが真実の信仰の精神である」(「聖教新聞」9月21日号 )
9月21日  創価学会、池田大作創価学会インタナショナル(SGI)会長、大韓民国を初めて訪問。
9月28日
 顕正会、9月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)、9月度折伏成果 8,205名。
 浅井昭衛会長、9月の「大石寺開創七百年慶祝記念文化祭」の規模が急遽縮小されたことに「この事実こそ、まさしく御本仏・日蓮大聖人の御威徳と、顕正会の捨身の決意の前に、池田大作が陰謀実現の予定を変更せざるを得なくなったもの」と断言。さらに「10月の大石寺建立七百年の法要が終わるまでは、まだどのようなことがあるかわからない。私は一瞬の油断もしない。ただ耳を澄ませて大聖人の御命令を聞き奉る。そしていざという時には、直ちに立つ」と。
9月28日  創価学会、熊本大分合同記念会合(熊本池田平和会館)、池田大作名誉会長「十年前には、あの悪侶による理不尽な嵐が、この熊本にも吹き荒れた。それは衣の権威をかきに着ての、尊い仏子に対する迫害であった。本来、信徒を守り、励ましていくべき立場にある僧が、健気に広宣流布のために戦っている仏子をいじめ、迫害するなど、僧としてはもとより、人間としても絶対に許されるべきことではない」(「聖教新聞」9月30日号 )
10月1日
 顕正会、「冨士」、一級教学部員 海老原秀夫「第三次宗教ブームに思う 超能力・占いなどを看板に跋扈、"宗教ビジネス" に群がる詐欺師たち」掲載。(「冨士」第316号 )
10月1日  日経平均株価、20,000円割れ。"バブル崩壊" からわずか9か月あまりの間に、半値近い水準にまで株価が暴落した。バブル崩壊後、損失補填、利益供与、巨額損失の隠蔽など金融機関の不祥事が、相次いで発覚する。住専破綻、ゼネコン経営悪化、BIS規制(自己資本比率維持)対応、貸し渋り・貸し剥がし、格付け引き下げ、雇用抑制 等、経済状況が悪化した。
10月3日  統一ドイツ誕生。
 1989年11月9日、ドイツ民主共和国(東ドイツ)は出入国を自由化するとし、数千人の東ドイツ市民が国境検問所に押し寄せ、建設から28年でベルリンの壁が崩壊。
 1990年7月1日、通貨同盟発足。東ドイツの通貨が、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)のマルクに切り替わる。
 1990年7月16日、西ドイツのヘルムート・コール首相とソ連のゴルバチョフ最高会議議長が会談、ドイツはNATOにとどまると決定。
 1990年8月23日、人民議会は、10月3日に東ドイツを西ドイツに統合する事を決議。
 1990年9月24日、東ドイツがワルシャワ条約機構から脱退。
 1990年10月3日、午前零時、国歌が演奏される中、ベルリン帝国議会議事堂にドイツ国旗が掲揚され、東西ドイツ再統一なる。
10月6~7日
 宗門、「大石寺開創七百年慶讃大法要・初会」執行さる。
10月8/21日
 顕正会、10月度御書講義、「松野殿御返事」を拝読。(全国125五会場)
10月12日  龍年光、創価学会を脱会、妙光寺(品川区)の信徒となる。
10月12/13日
 宗門、「大石寺開創七百年慶讃大法要・本会」執行さる。阿部日顕管長、池田大作開創七百年慶讃委員長に「感謝状」と「記念品の目録」を手渡す。「貴殿は大石寺開創七百年に当り、その慶讃委員会委員長として記念事業の推進及び諸般に亘り多大なる貢献を為し、よく外護の任を尽されました。その功績は誠に顕著であります。依って意に記念品を贈呈し甚深なる感謝の意を表します」
 阿部日顕管長、「慶讃文」において「本門寺改称」を否定。「大本門寺の寺号公称は、事の戒法の本義更に未来に於て一天四海に光被せらるべき妙法流布の力作因縁に依るべし。然れば吾等淳善の仏子として、この開創七百年を期とし、一層の正法流布に邁進せん事を誓い奉る」と。
「コノ深意ヲ拝考スルニ佛意ノ明鑑ニ基ク名実共ナル大本門寺ノ寺号公称ハ事ノ戒法ノ本義更ニ未来ニ於テ一天四海ニ光被セラルヘキ妙法流布ノ力作因縁ニ依ルヘシ 然レハ吾等淳善ノ佛子トシテコノ開創七百年ヲ機トシ一層ノ正法流布ニ邁進センコトヲ誓ヒ奉ル者ナリ」(「大日蓮」11月号 )
 池田大作名誉会長「多くのいわゆる伽藍仏教が、自宗の権威と権力におぼれて、信徒を小バカにし、民衆を見くだし、軽視してきたが故に、その活力も発展もなくなっていったことは周知の歴史的事実であります。これに対して日蓮正宗は、常に慈悲であられる。日蓮正宗創価学会は、御仏智とはいえ、この御指南通りに邁進してきたが故に、奇跡的な大発展を見ることができたと、私は信ずるものでございます。私どもはこれからも、御法主日顕上人の御指南どおり、妙法の旗を高らかに掲げながら、多くの民衆の先頭に立ち、民衆の民衆による民衆のための大自法広宣流布へ前進しゆくことを、心よりお誓い申し上げ、私のお祝いの御挨拶とさせていただきます。おめでとうございました」(「大日蓮」第537号 )
(※ 創価学会員、最後の登山となった。)
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で厳修、「大聖人の御遺命いかで虚しくなろうか」。
 浅井昭衛会長「透徹して三世を知り給う大聖人が、『大地を的とするなるべし』と断言し給うた広宣流布が、どうしてむなしくなることがあろうか。また、御本仏のただ一つの御遺命たる国立戒壇が、どうして実現しない道理があろうか。この御本仏の金言をあなずり、『舎衛の三億で広宣流布』とか、『勅宣・御教書は建築許可証』とかいって正本堂を御遺命の戒壇などと偽る者は、まさに無道心・師敵対の者である」(「冨士」第319号 )
10月15日  ソビエト社会主義共和国連邦、ミハイル・ゴルバチョフ大統領、ノーベル平和賞受賞。受賞理由は、アフガニスタン撤退、冷戦の終結、中距離核戦力全廃条約調印、ペレストロイカによる共産圏の民主化、等。
10月17日  創価学会、中央会議開催、池田大作名誉会長「広宣流布は魔との戦いだ。最大の魔はあのジイサンだ。あの魔を粉砕することが、広布なんだ。権威ばかり振りかざして、もうどうしようもないよ。あのジイサンは権威と金取り主義だけだ。これを仏法では魔というんだ」と、阿部日顕管長を非難。
10月20日  公明党、社公民路線と決別、自由民主党との連立を模索。(「読売新聞」10月21日号 )
10月21日  創価学会、創立六十周年祝賀の "関西大文化祭"、大阪城ホールで開催。阿部日顕管長以下、宗門役僧出席せず。
10月25日
 顕正会、10月度総幹部会開催 (板橋文化会館)、「誑惑完結の陰謀ここに潰える」、10月度折伏成果 3,749名、
 浅井昭衛会長「さて、全顕正会員は9月10月の2ヶ月にわたり、 "本門寺改称の陰謀断じて許さじ" と、捨て身の決意を以て「大石寺総登山」をみつめ、待機してくれました。この "陰謀" は果たしてどうなったのか。本日、その結果を発表いたします。…
 まず9月の文化祭はすでに先般発表の如く、「顕正会がデモをかけてくるから」との理由でその内容が変更され、また10月の大石寺開創七百年慶讃法要では、最終日の10月13日に阿部管長が慶讃文の中で、「大本門寺の寺号公称は一天四海広宣流布の未来である」旨を、ついに述べるに至りました。ここに、池田大作と阿部管長が何年も前から心を合わせ本年に狙いをつけていた「本門寺改称」の陰謀は、御本仏日蓮大聖人の御威徳と、大聖人に忠誠を誓い奉る顕正会の捨て身の決意により、ついに粉砕されたことを、本日ここに全顕正会に発表するものであります。…
 これで御遺命が完全に破壊されることだけは免れました。破壊された時の恐ろしさを思えば、こんな有難いことはありません。ただし、未だ戒壇の大御本尊は誑惑・不浄の正本堂に据えられ奉ったままになっている。顕正会員はこのことを、一日として忘れてはなりません。戒壇の大御本尊様が清浄の御宝蔵にお遷りあそばす日こそ、御遺命守護の完結であります。… 顕正会の正しき力が腐敗堕落の学会を圧伏する時、日蓮正宗に国立戒壇の正義は蘇り、戒壇の大御本尊様への不敬は一時に解消されるのであります」(「冨士」第318号 )
 阿部日顕管長「池田は … 私が「大石寺を本門寺と改称したい」とか、「改称する」と言うことを期待していたと思うのです。… 私は一宗を統率させていただくという意味において、安易に「本門寺と改称する」などとは言えないし、また、あそこで「本門寺にする」とか、「本門寺になる」というような意味のことを言わなくて、私はよかったと思っておるのであります」 (「近現代における戒壇問題の経緯と真義」)
(※ "あそこで" とは、"大石寺開創七百年慶讃法要" の席で、ということである。当時、小生は顕正会組織の幼稚化・愚劣化の進展に、役職を返上し活動から身を引いていた。しかし、浅井昭衛会長から "大石寺総登山" の声がかかれば、他事を差し置いて参加していただろう。櫻川 忠 )
11月2日
 宗門、阿部日顕管長、目通りの秋谷栄之助会長・森田一哉理事長に対し「最近の池田さんは、権威悪・権力悪ばかりを強調し、民衆の敵と決めつけているようだが、これはどういうことなんだ。法主の権威に何か文句があるのか」と糾す。
11月3日  創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国・武漢大学より、"名誉教授"を授与さる(9番目)。
11月6/23日
 顕正会、11月度御書講義、「四条金吾殿御返事」を拝読。(全国129会場)
11月12日  今上天皇「即位の礼」、践祚後皇位を継承したことを国の内外に示す国事行為。最高の皇室儀礼であり、中心儀式は "即位礼正殿の儀"。
11月14日
 宗務院・学会連絡会議、藤本日潤総監、創価学会の「二百箇寺寄進計画」の遅れを指摘、理由を糺す。
11月15日
 顕正会、第三祖日目上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長「日目上人の御振舞こそ、我等末流の弟子に、「大聖人に仕え奉ることかくのごとくあれかし、ということを、身を以て教えて下さったものである。広布前夜に生まれ合わせた仏弟子が、日目上人の御精神に立って御奉公する時、広宣流布は必ず成る」と。
 新本部会館落慶式、厳粛盛大に挙行、「"一国広布に身を捨てよ"と大聖人様が建てて下さる」。
 浅井昭衛会長「すでにご承知のごとく、本部会館の御本尊は、総本山大石寺第六十代・日開上人が、唯授一人の相承の心血をかたぶけて戒壇の大御本尊を書写あそばされ、授与された御本尊であります。日開上人は、御宝蔵の御説法において、日興上人以来嫡々代々の御法主が書写されたご本尊について、このように心得よ、と仰せであります。
 すなわち「直ちに戒壇の大御本尊を拝し奉ることよと相心得、受持信行する時には、其の処直ちに戒壇の霊場・事の寂光土なるほどに、臨終の夕に至るまでもこの大御本尊を忘れ奉らざるよう、致さるべし。然る時は即身成仏決定として疑いなきなり」と。…
 この新本部会館は、顕正会が身を捨てて御遺命を守り奉るを大聖人様が御覧あそばし、今後さらに一国広布に身を捨てて御奉公せよ、と建てて下さったものである。ゆえに私は、本日の落成を見て、御本仏の一国広布への厳たる御命令を感じ、粛然たる思いに包まれております」と。(「冨士」第318号 )
11月16日
 宗門、創価学会本部幹部会の録音テープが届けられた。池田大作名誉会長の "阿部日顕管長、宗門、僧侶への蔑視・軽視" 発言が録音されており、発言に不信を抱いた創価学会員が宗門に届け出た。
11月16日  創価学会、本部幹部会開催。池田大作名誉会長、阿部日顕管長および宗門僧侶を批判。「猊下というものは、信徒の幸福を考えなきゃあいけないんです。権力じゃありません。… 全然、またあの難しい教義を聞いたってわかんないもの。誰もわかんねぇ。ドイツ語聞いているみたいでね。… 今の坊さんはね、俺を信者ちゅんだ、自分も信者だ。今はですよ、出家ってもねー、ちゃんと奥さんをもらって赤ちゃんを作ってさ、何食べてもいいんだから」
11月18日  創価学会、創立六十周年記念大文化祭、横浜アリーナで開催。宗門僧侶、一人も出席せず。
11月20日
 宗門、総本山御会式奉修。
 池田大作名誉会長、秋谷栄之助会長ら登山、御会式に参列し阿部日顕管長に目通り。阿部日顕管長、秋谷栄之助会長に「池田氏が言う "権威・権力" とは誰れの事なのか」と問う。秋谷会長は、「国家権力です」と平然と答えた。
11月 日  創価学会、池田大作名誉会長、創立六十周年を祝し、阿部日顕管長批判の和歌を発表。
 "民衆の民衆のために立ちあがり 権威と権力眼下に見おろせ"
 "陰険な波状の攻撃打ち払い 断乎来たれり常楽城へと"
 "陰湿な策謀やぶりて今ここに 喜楽の道と宝華の城かな"
 "卑劣なる嫉妬に狂いし鬼畜らは 正義の剣に哀れな姿と"
11月23日
 顕正会、新・笹口事務所、新潟県新潟市に開設。
11月27日
 顕正会、11月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)、11月度折伏成果 4,754名。
 浅井昭衛会長「法戦場到着といわれた本年の戦いは、ただ『不思議』の一語に尽きるものであった。… 御遺命を守り奉った顕正会こそ、身を捨てて大聖人様の御命令に応え奉らなければならない。… 8年後の百万が出来れば、一国広布は必ず成る。いよいよ明年から、顕正会は百万達成めざし、本格的前進を開始する。… そして御奉公を貫き通した時、日目上人より『よくぞ頑張った』とのお賞めを全顕正会員、涙の中に賜わろうではないか」
11月28日
 宗門、富士学林研究科閉講式(総本山)、阿部日顕管長「池田先生の組織的なまとめによって世界にもその広宣流布の形が、はっきり言えば戦争花嫁だけれども、要するに戦後の人的交流が世界的に行われて、世界に日本人が進出しつつ正法を受持する人が弘まったために、それらの組織的な形の薫陶があり、また指導、拡大発展が行われて、今日、百二十数万というような信徒が世界におるということが言われておる時代になっております。しかしこのような形の中での広宣流布ということが、たしかに行われておるけれども、我々僧侶の面から見たときに、果たしてこれでいいのかということもまた考えなければならないことだろうと思うのであります…」(「大日蓮」第539号 )
12月3日
 顕正会、壮年部・婦人部合同班長会開催。
 浅井昭衛会長「壮年部・婦人部の大きな成長なくしては、広宣流布はあり得ない。壮年部は顕正会の柱、婦人部は大地、そして男子部・女子部は一国広布の先陣を駆ける。このような理想の姿が必ず近い将来整ってくる」
(※ 浅井昭衛会長は、自ら "顕正会の柱" を潰し "理想の姿" を壊し、"広宣流布をあり得なく" してしまった。"日本第一の教学部" を、自ら滅したのも同様である。櫻川 忠 )
12月3日  創価学会、静岡県最高協議会、池田大作名誉会長「大聖人は … 女人よりも男子の罪は重く、男子よりも尼の罪は重い。尼よりは僧の罪は重く、破戒の僧よりも持戒の法師の罪は重い。持戒の僧の罪よりも智者の罪は重いであろう ― と。… かつて、僧という立場、衣の権威を利用して、健気に信行学にいそしむ仏子を、謗法呼ばわりし、迫害した悪侶らがいた。この御書に照らすとき、その罪は計り知れないほど重いことがわかる」(「聖教新聞」12月5日号 )
12月13日
 宗務院・学会連絡会議開催(常泉寺)、藤本日潤総監、秋谷栄之助会長に「お尋ね」と題する文書を手渡し、1週間以内の回答を迫まる。
 秋谷栄之助会長、文書の受取りを拒否。
「このスピーチで池田が阿部管長や宗門僧侶を批判したということで、宗門は「第三十五回本部幹 部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」と題する質問状を学会に突きつけた。しかし、池田のこの「11・16スピーチ」なるも のの内容ですが、今度「富士」二月号に載ってい るから、まあ参考に読んでみて下さい。まことに下らないものですよ。今さら宗門が目くじらを立てて取り上げるほどのものではない。とにかく支離滅裂で何を云っているのかよくわからない。酔っぱらいの寝言みたいな愚劣な内容です。こんなものを聞かされている学会員は気の毒だと思う。… しかし宗門はこれを咎めたのです。スピーチのテープを入手してその文言をとらえて、いわゆる「お尋ね」なる質問状を学会に十二月十六日に送附したというわけです」(「宗門・学会抗争の本質」浅井昭衛「冨士」第321号 )
12月16日
 宗門、藤本日潤総監、創価学会会長・秋谷栄之助に宛て「第35回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」を送附。
「(一)御法主上人・宗門に関する件
 創価学会は60年の歴史の中において、まったく間違いがなく、間違いはすべて宗門の側にあったように述べておリます。… また、この一連の言葉の裏には、当然現御法主上人が学会に対して理解を示さない、学会を守らないという意味を含んでいるものと解釈されます。しかし、正信会から学会及び名誉会長を守られたのも、また名誉会長を総講頭に再任されたのも現御法主上人であります。したがって、「〈今の)猊下はまったく学会を守ってくれない」と考えるのは、まったく過去に受けた恩義を省みない無慙な心であると思いますが、いかがでしょうか。
 (二)創価学会創立五〇周年当時の回顧の件
 (三)僧侶軽視の発言に関する件
 (四)宗門の布教と平和文化活動に関する件
 (五)「真言亡国・禅天魔」の発言に関する件
 (六)「歓喜の歌」合唱について
 大石寺開創七〇一年を迎えるに当たり、… 日蓮正宗の基本的な信仰の在り方と、それに基づく広布への正しい進展を確認したいのであります。以上を発言者池田名誉会長にお伝えの上、何卒、本年12月20日迄に、文書によって当院宛に、責任ある回答をお願いいたします」(「大日蓮」号外 )
12月16日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「なんだかんだ云われる筋合いは無いっての、折伏もしない人間に。いいですか、だまされないで、恫喝されたり脅かされる必要はありません。… 信徒を馬鹿にして、学会を馬鹿にして、日興上人や大聖人のことを解釈するようなことがあったら悪いことです。… 学会員を軽悔し、苦しめる正法破壊の者は、本当の信徒の真髄を知らないんだ。… 御書を曲解し、権威をふりかざして学会を圧迫するようなことになれば、これは日蓮大聖人、日興上人の御心に背き奉る悪の功労者」
12月20日
 宗門、阿部日顕管長、目通りの池田大作名誉会長・秋谷栄之助会長に「最近の学会は折伏・破折をしなくなった。聖教新聞からも、破折・折伏のことが消えてしまった」と非難。
12月21日  創価学会、三重県の仏徳寺を宗門に寄進。池田会長就任以降、創価学会が寄進した寺院は 316ヶ寺。創価学会寄進寺院の総数は 356ヶ寺となる。
12月23日  創価学会、秋谷栄之助会長、宗門の「お尋ね」に対し、「お伺い」と題する書面を送附。
「近年、私どもにとりましても、ご宗門のことで、幾つか、胸につかえ、思い悩んでいることがございます。とくに、本年に入って、7月の登山の際のお目通りの席でのご法主日顕上人猊下のお振る舞い、11月の御大会のお目通りの折のお言葉等につきましては、どう拝すればよいか、大変苦悩しております。… 僧俗和合の将来にとりましても、きわめて重大な問題と憂慮せざるをえません。そこで、私ども信徒の気持ちもお汲みとりいただきたく、左記にお伺いしたい事項をまとめさせていただきました。
(一)本年7月21日 … 恐れ多いことですが、大声をあげて、立ち上がらんばかりの剣幕で「法主の発言を封じた。僑慢だ! 僑慢謗法だ!」と怒鳴られ、叱責されました。…
(二)次に、同日のお目通りの砌 - 猊下は、名誉会長に向かって「… あんた自身が地域の総代に言ったじゃないか!」と頭から決めつけて詰問されました。…
(三)昭和61年7月、東京・常泉寺での宗務院・学会連絡会議における大村教学部長の発言について、お伺い致します。…
(四)次に、本年の7月2日に行われた東京・世田谷の宣徳寺の本堂・庫裡増改築落慶法要の席上での高野法雄尊師(調御寺住職)の話などは、いかなる法義にもとずくものでしょうか。…
(五)再び、… 猊下は、秋谷に前記の「僑慢謗法」と大声で怒鳴られたあと、更に激昂され、名誉会長に「あんたにもいっておきたいことがある。懲罰にかけるから」と激しい口調で、早口で興奮して語られました。…
(六)本年11月20日 … 猊下は、正信会を擯斥処分にしたのは「法主の血脈を否定したから」と言われる一方で、「その彼ら正信会が血脈を否定してまで法主を批判せざるをえなかった原因は、学会にある」と仰せになりました。…
(七)続いて、… 猊下より、「最近の学会は、柔軟になった、折伏、破折をしなくなった、聖教新聞からも、破折、折伏のことが消えてしまった」というお話がありました。…
(八)本年7月21日のお目通りに関して - 前記のお目通りに関して、ある週刊誌には「… 日顕上人猊下の前で、池田名誉会長が机をたたいて怒鳴った」云々という捏造の記事が出ました。…
(九)本年11月14日夜 … 藤本総監より、学会寄進の二百か寺計画の件につき、とくに東京における進捗状況が遅いということで「… 理由は何か」と厳しい問責がありました。…
 以上、とりあえず、現在、私どもの心中にわだかまっていることを、お伺い事項として、9項目に要約させていただきましたが、このほかにも、まだお伺いしたいことは、いろいろございます。従いまして、これからも、場合によっては、お伺いさせていただきたいと存じますが、それも、連絡会議等の話し合いで結構ですので、何卒、そこで温かく御教示、御教導賜りますよう、心よりお願い申し上げるものであります」
12月25日
 宗門、阿部日顕管長、本山対面所にて高橋公純師 (本應寺)・段勲・押木二郎等と面会、創価学会の切り崩しについて相談。「(創価学会員)二百万のうち、二十万人がこちらに来ればよい」と。
「情報筋によれば、会談は、二時間になんなんとする長時間にわたり、かなり突っ込んだ話し合いが持たれたということだ。伝えられる会談の内容は次のとおり。
 ◇ 猊下は段の長年にわたる創価学会批判の労をねぎらい、今後、創価学会および池田大作創価学会名誉会長への批判を、いっそう強めてくれることを依頼、段もこれを快諾した。
 ◇ 猊下はさらに、段一人だけではなくあらゆる反学会ライター及び出版社、各勢力、各政党の学会批判への動員を希望。段は明年(平成三年)が統一地方選であることからして、与野党および大手出版社こぞって創価学会、公明党批判に流れ込む可能性を示唆。みずからが年明け早々、あらゆるマスコミ媒体において先鞭をつけることを約した。
 ◇ 猊下は、池田名誉会長を破門し創価学会を解体する具体的な戦術について細かく述べた上で、段に助言を求めた。
 ◇ 猊下は出席した一同に反池田・反学会勢力の結集と共闘を求め、一同はその盟を約した。
 ◇ 猊下は同席した高橋公純にも、宗内の親猊下の若手僧侶のリーダーとしての活躍を期待していると表明。兄弟そろってからめ手より池田名誉会長及び学会を攻撃することを督励された。また高橋の海外布教に対する意識の高さを誉められ、将来いっそうの活躍の舞台が待っているだろうと激励された」(「地涌」第3号 )
12月25日
 顕正会、12月度総幹部会開催 (大宮ソニックシティ)。
 浅井昭衛会長「もし『折伏理論書』と『南無日蓮大聖人』の二冊を心肝に染めれば、いかなる人も、人間にとって仏法ほど大事なものはない、御本尊ほど有難いものはない、大聖人様ほど尊い御方はあられない、ということが腹の底からわかり、御本仏の眷属、地涌の菩薩の命が湧き上がってくる。ここに折伏の力が湧き、広宣流布は日本国中いかなる所でもしんしんと進むのである。まさにこの二冊こそ、一国広布の戦いになくてはならぬ基本の教本である」
12月26日
 宗門、藤本日潤総監、創価学会に対し「『お尋ね』に対し誠意ある回答なしと断ずる」旨、通告書を送附。
「文書による責任ある回答をお願いしているのであります。然るに、全く回答を示されないのみならず、かえって「お伺い」なる文書をもって、事実無根のことがらを含む九項目の詰問状を提出せられるなど、まことにもって無慙無愧という他ありません。宗務院といたしましては、最早や池田名誉会長の11・16のスピーチについては、文書による誠意ある回答を示される意志が全くないものと受けとめました。上記のとおり御通知いたします」
12月27日
 宗門、第130臨時宗会を招集、宗規改正で池田大作法華講総講頭、資格喪失す。宗規改正により、総講頭・大講頭の "解任処分・信徒処分規定" を追加し即日施行。当事者へ通達する前にマスコミに流し、創価学会組織の破壊を企む。信徒処分事由として「言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき」(第229条5項)が付け加えられた。
「ところが学会は、この「お尋ね」には全く回答せず、かえって「お伺い」と称して九項目からなる詰問状を宗門に送った。これが十二月二十三日。内容は阿部管長がお目通りの際、池田・秋谷等に対して「驕慢謗法だ」と、立ち上がらんばかりの勢いで怒鳴ったなどというものでしたね。これを見て阿部管長は十二月二十七日臨時宗会を召集し、宗規を改訂するという口実で、日蓮正宗の信徒を代表する「法華講総講頭」という地位にあった池田大作を、クビにしたというわけです。しかも宗門はこの処分を当の池田には前以て知らせず、マスコミにはいち早く知らせていた。ここから全面戦争が始まったのです。学会は直ちに全組織にこの処分の不当を訴え、宗門の横暴、僧侶の堕落を宣伝して徹底抗戦の構えをする。一方、宗門は全僧侶に "悪いのは学会だ、池田は猊下を批判し、僧侶をバカにしている" と檄を飛ばす。まさに全面対決となったのです」(「宗門・学会抗争の本質」 浅井昭衛 「冨士」第321号 )
12月28日
 宗務院、宗内教師宛に「急告」を発す。
「最近の宗門と学会との問題について、取り急ぎお知らせいたします。…
 このような一連の流れの中で、現行の宗規に不備が認められたので、12月27日、臨時宗会を開催し、宗規の一部を改正して、即日施行することを議決いたしました。この結果、12月27日付けをもって、従来の総講頭・大講頭などの法華講本部役員は、その資格を喪失したのであります。ところが、こうした宗門の動きを聞き付けた学会は、種々な対応策を立てているようであり、総本山及び各末寺への参詣を停止、乃至制限するなどの動きもあるように聞き及んでおります。
 宗内教師各位には、こうした状況をよく認識し、かつ紛動されることなく、また先走って軽挙妄動することのないよう、宗務院の指示に従って、一意御奉公の誠を尽くされることを願います」
 宗務院海外部書記・福田毅道師、山田容済師(ロサンゼルス・妙法寺)を通し、創価学会の米国組織(NSA)の切り崩し工作。ウィリアムス理事長に、阿部日顕管長からのメッセージを伝える。「もしものことがあれば安心して、宗門についていらっしゃい」
12月28日  創価学会、秋谷栄之助会長、宗門「通知書」(12月26日)に対する「返書」を送附。
「私どもの「お伺い」を「詰問状」であるとか、「回答を示される意志が全くない」とか、「無慙無愧という他ありません」などと一方的に決めつけられ、その旨通知するというのは、あまりにも独断的かつ理不尽きわまりないものであります。私どもと致しましては、何故、ご宗門がこのように頑なに話し合いを拒絶されるのか、全く理解に苦しむものであります。… 私どもは、あくまでも話し合いによって、池田名誉会長のスピーチの真意と広宣流布・宗門外護にかける真情をご理解いただきたいことを、重ねてお願い致します」
12月28日  マスコミ各社、池田大作名誉会長の「法華講総講頭解任」を報道。
12月29日
 宗務院、藤本日潤総監、創価学会からの「お尋ね」への「返書」。
「当方からの文書に誠意ある回答が寄せられない今、これに答える必要はありませんが、あまりにも信心のない、哀れな姿を黙視することが出来ず、正信に目覚める一助になればと認めました。よくよく熟読玩味下さい。
(1)本年7月21日の池田・秋谷両氏の御目通りの件 ― 御法主上人の発言封じについて ―
(2)本年7月21日の池田・秋谷両氏の御目通りの件 ― 事実無根の発言について ―
(3)昭和61年7月の宗務院・学会連絡会議における大村教学部長の発言の件
(4)本年7月2日の宣徳寺本堂・庫裏増改築落慶法要における高野法雄師の祝辞の件
(5)本年7月21日の池田・秋谷両氏の御目通りの件 ― 懲罰云々について ―
(6)本年11月20日の名誉会長など五人の学会幹部の御目通りの件 ― 正信会に対する考え方について ―
(7)本年11月20日の名誉会長など五人の学会幹部の御目通りの件 ― 学会の折伏について ―
(8)本年7月21日の池田・秋谷両氏の御目通りの件 ― 週刊誌に関して ―
(9)本年11月14日の宗務院・学会連絡会議の件 ― 二百箇寺に関して ―」
12月30日
 宗務院、藤本日潤総監、創価学会の「返書」(12月28日)への「返書」を送付。
「それならば「お尋ね」の文書に示された引用文の、どの部分がどのように不正確であるのか、また意味を取り違えているとすれば、どの部分をどのように取り違えているのかを指摘出来るはずであります。この点を文書によってお示しいただきたく思います」
12月30日  創価学会、秋谷栄之助会長、藤本日潤総監に宛て「抗議書」を送附。
 アメリカ日蓮正宗(NSA)、阿部日顕管長に対し福田毅道師の策謀を抗議。
 
  年表  
1月1日
 宗門、阿部日顕管長「新年の辞」、「正法を信仰する者として、慢心や名聞名利こそ仏敵となることを、お互いに心すべきであろう」と、池田大作名誉会長を批判。(「大日蓮」1月号 )
 創価学会機関誌「大白蓮華」寄稿の「新年の辞」、「特に、池田先生の指揮において大書すべきは、戦後の世界的な移動交流のなかで、各国に広まった信徒の方々を組織化した、世界広布への大前進が図られたことであります。今日、地球的規模による広布の着々たる進展がみられることは、撰時抄の御金言のごとく、実に広布史上すばらしいことと思います。また戸田先生のころより始まった総本山への諸供養や末寺寄進は、池田先生によって本格的に行われ、先師日達上人の数々の賞辞が残っております」と、池田大作名誉会長を称讃。(「同誌」1月号 )
 福田毅道師、創価学会組織の切り崩しを宣言する文書を、SGI幹部へ送る。
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館をはじめ全国39会場で奉修。浅井昭衛会長、年頭の辞「一国広布に身を捨てん
「昨年は、まことに "不思議" の一年であった。池田大作が正本堂の誑惑を完結せんと、細井・阿部両管長を籠絡しつつ十八年前から企んできた「本門寺改称」の陰謀が、みごと御本仏の御威徳の前に砕け散った年あった。顕正会は年初より、ただ大聖人・日興上人の御悲憤を信心の耳で聞き奉り、捨身の御奉公に徹してきたが、その一々の戦いに、御本仏の御守護・諸天の働きを、肌身に感じさせて頂いた。…
『本門寺改称』の陰謀がみごと粉砕された時、私の耳朶に響いたのは、"一国広布に身を捨てよ" との御本仏の厳たる御命令であった。… 7年後の百万が成れば、一国広布は必ず成る。広布前夜の濁悪の日本国に、立正安国の大旆をかかげ国立戒壇建立を叫ぶ百万の仏弟子の異体同心が出現する時、広宣流布は眼前となる。… まさに百万達成こそ一国広布の鍵である。7年後をめざし、全顕正会員一結し、共に励まし歓喜の前進を開始しようではないか」(「冨士」第319号 )
「冨士」、海老原秀夫「現代の「殷の紂王」=池田大作」掲載。(「冨士」第319号 )
1月1日  創価学会、秋谷栄之助会長、「『お尋ね』に対する回答」を、宗門に送附。
『私どものこのようなお願いに対し、ご宗門が、総監から秋谷宛の12月26日及び29日付書面において、あくまでも文書での回答をと言われるのは、なぜ、そうまで対話を拒絶されるのか、まことに訝しく思われてなりません。頑ななまでに対話を拒まれ、取り合おうとされない態度には、悲しみすら覚えるのでございます。さて、一連の書面で、ご宗門からの「お尋ね」文書に返答がないとご立腹の件ですが、なぜ私どもが文書より話し合いをお願いしたかという件について、私どもの考えを、一歩立ち入って申し上げさせていただきます。
 一 前文の部分について
 二 「御法主上人・宗門に関する件」について
 三 「創価学会創立五十周年当時の回顧の件」について
 四 「僧侶軽視の発言に関する件」について
 五 「宗門の布教と平和文化活動に関する件」について
 六 「『真言亡国・禅天魔』の発言に関する件」について
 七 「『歓喜の歌』の合唱について」について』
1月1日  創価学会、宗門攻撃のFAX通信「地涌」発刊、全国末寺に送信を開始。この怪文書は、創価学会本部地下の地涌会館で、野崎勲副会長、北林芳典 報恩社社長等によって執筆されている。(「顕正新聞」)
「『地涌』創刊の御挨拶 不破優このたび私ども日蓮正宗宗内の僧俗の有志でFAX通信紙を発行することになりました。昨年十二月二十六・二十七日の「宗会」における規則改正により、信徒を処分できる事由として「言論、文書等をもって、管長を批判し、または誹毀、讒謗したとき」という一項(第二二九条五項)が付け加えられました。これにともない、宗内の言論統制がより厳しくなってくることが予想されます。これでは、かつての本宗の良き伝統であった自由闊達な論談の気風すら根絶されかねません。… 日蓮正宗内の言論の自由を守り、情報を公開し、広く宗内に考える気風を養い、世界宗教としての活性化がなされんことを祈り、本紙を創刊することにいたしました。本紙は原則、日刊とし、真実の僧俗一致のなされる日までねばり強く発行していきたいと思います。… 最後に、一日も早く真実の僧俗一致がなされ、団結して世界広布への力強い歩みがなされんことを祈ります」(「地涌」第1号 )
「宗門史七百年に、これほどまでに悪辣極まりない正体不明の謀略文書はないのではなかろうか。日蓮正宗自由通信同盟発刊のFAX通信「地涌」のことである。平成三年1月1日以来、全国末寺に毎日欠かさず発信データーなしで送信されている。いつまで続けるつもりなのだろうか。…
「地涌」の総元締めは池田大作であるが、池田の意を受けた野崎勲の直接指揮下に竹岡誠治と北林芳典がいる。さらに下請け作業をする宗教ゴロたちとしては、丸山実、大木道恵、梅沢十四夫がおり、彼らを専属の男子部数名が手伝っている。宗門の最新情報提供者は、公然と池田を賛嘆して悼らない僧侶、K、O、N、その他数名である。そして、出来上がった原稿を中外日報の社員がワープロで打ち、中外日報東京本社のFAXを使って全国末寺とマスコミ関係者に流し、宗内外の情報撹乱を狙っている。…
 学会広報室の平塚晋は、調整役として、「地涌」の他に、「中外日報」「新雑誌X」「特ダネ最前線」の執筆陣と濃厚に接触し、スキャンダル情報を適当に振り分けている。…
「新しい宗教観の確立」「清浄なる宗風の厳護」「外護の赤誠」「世界の指導者」「平和の先駆者」「平和への貢献」「開かれた民主主義」等々、聞く者がみな赤面するほどの悪趣味な美辞麗句を連ねて色相荘厳に余念がない池田大作。滅びの日は近い」(「時局雑感」日乃本 魁 )
1月2日  創価学会、地涌第2号「令法久住を願う日興上人の御心に叛くのか」
「本宗において僧俗に限らず順守しなければならないものに、御開山日興上人の遺された「二六の掟」(日興遺誡置文)がある。その中に、
「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」
「衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事」
とあり、この一見相剋するがごとき、二箇条の御遺誡の微妙な緊張関係があってこそ我が富士門流は、七百有余年を経た今日まで、宗祖の教えを違わず伝えることができたのである。しかるに先の宗会における決定は、本宗のしかるべき立場にある方々が、御開山上人の御遺文を公然と踏みにじったことにはなりはしないのか。…
 仏法上の絶対的権威でなければならぬ法主と、宗務行政のトップとして宗政を司る管長とは、身は一つといえども、おのずからその役割は大きく違う。歴代の上人方が「法主」としては、金口嫡々たる御相伝の上で毛筋ほどの違えもなかったことを建前としてきたことは、宗内の誰もが認めるところである。しかし宗政を司る「管長」といった役割において間違いがなかったかといえば、これまた誰人も知るところであるが、宗史に残るがごとく数々の誤りをなしてきた。しかしこれも、御開山上人の深甚なる御遺誡の故に、その誤りを正し克服し得てきた。それ故に現在の大法興隆の時を招来したのである。しかるに御開山上人の御遺誡に逆らい、一信徒団体を封ずるために、宗規が変えられたとなれば、本宗の歴史に拭いがたい汚点を残したことになる」
(※ 妙信講を解散処分に付すため、にわかに宗規を変えさせたのが創価学会である暗黒史について、執筆者(不破優)が触れることはできない。"還著於本人" とはこれである。櫻川 忠 )
1月3日  創価学会、森田一哉理事長、藤本日潤総監に「質問書」を送附。
1月4日  創価学会、聖教新聞に「宗門問題の経過」発表、これより抗議キャンペーン始まる。
1月5日
 宗門、福田毅道海外部書記、山崎正友の部下・梅沢十四夫に、阿部日顕管長から山崎正友に宛てた伝言を伝える。「あの時はウソつきと言って悪かった。かんべんして下さい」
1月5日
 顕正会、合同班長会、板橋文化会館で開催、「学会と宗門ついに全面戦争に
 浅井昭衛会長、創価学会・宗門の抗争勃発の経緯を説明、その本質を「これ、大事の御遺命に背いたゆえに、学会・宗門ともに罰を受け、ここに自界叛逆が始まったのである」と。
 さらに「この濁悪の次には、必ず正系門家に御在世の信心がみなぎる。そして日目上人は必ず宗門に御出現される。またこの濁悪の中から、真の一国広布の戦いは始まる。それが、本年から始まる顕正会の戦いである。濁乱の日本国に、大聖人様に命かけて同心し奉る百万の仏弟子の大集団が出現すれば、日本は必ず救える。一国広布は眼前であります。この百万が、十五年・二十年先では遅い。世界の激動のテンポから見て、破局に間に合わないのです。七年後には、断じて百万を成しとげねばなりません。大聖人様の御守護を頂き、必ずできる。大聖人様は顕正会の前進をお待ちあそばす。顕正会はただ一筋、いよいよ二月から、百万めざし前進を開始しようではありませんか。(大拍手)」(「冨士」第320号 )
1月5日  創価学会、森田一哉理事長、藤本日潤総監に「質問書(二)」を送附。
 創価学会東京婦人部、阿部日顕管長に「抗議書」を送附。
 創価学会青年部、阿部日顕管長に「質問書」を送附。
1月6日
 宗門、全国教師指導会開催、470名が参加。
 阿部日顕管長、"五十二年路線の根源は正本堂問題である" と言及。
「① 宗門・学会抗争の根本原因は正本堂にある
 ② 池田大作は時の法主も云わないのに、正本堂を御遺命の戒壇であると勝手に断定した
 ③ 僧侶は、正本堂が三大秘法抄・一期弘法抄に御遺命された戒壇とは、誰も思っていない
 ④ 昭和47年4月28日の訓諭は、正本堂が御遺命の戒壇であることを否定したものである
 ⑤ 池田大作は訓諭が出たにもかかわらず、今に至るまで反省も訂正もしてない。この慢心が宗門との争いの根源である」と。
「どうしてこのようなことが起こってきたのかということであります。… それは、非常に大事な宗門の教義・信条の根本である三大秘法の意義・内容に関すること、それと正本堂との関係が一番根本になっておるような感じがいたしております。… 私は当座以来、この問題については一言も触れませんでした。… 今日、初めてここで申し上げるのです。
 池田名誉会長は、昭和四十三年の正本堂着工大法要の時に『三大秘法抄』の文を引き、『この法華本門の戒壇たる正本堂』とはっきり言っております。ある一人の信徒の方が確定してしまい、発言してしまったということは、言い過ぎでありますから、これははっきりと反省しなければならない。また、訂正しなければならないと思います。ところが、今日に至るまで、本人がそれに対する反省も、また訂正も全然ありません。
 では、五十二年路線がどうして起こったのかと言う、その元を皆さんは考えたことがありますか。私は、先ほどの正本堂に関する定義を、色々な問題の過程において日達上人がお示しになったことに対して、『法華本門の戒壇たる正本堂』と論じた気持ちにおいて、…日達上人や宗門に対する批判等が五十二年路線だったと思うのであります」(「大日蓮」2月号 )
 藤本日潤総監、全国末寺住職に対し毎月13日の御講で、池田大作名誉会長の批判をするよう指示。
「今後の対学会を呪んだ方針として六項目を発表した。これは、学会からの脱会者は寺院の直属の信徒、あるいは法華議員として積極的に受け入れること等が骨子」(「文藝春秋」平成4年1月1日号 )
「一月六日、総本山大石寺においておこなわれた教師指導会において、日顕上人猊下は自宗の信徒団体である創価学会組織の切り崩しを指示した。主な指示内容は以下のとおり。
 ◇ 学会側の誤っている点について、御講などの席でどんどん発言していく。ただし個人的な発言は止め、宗務院からの書面に基づいておこなう。
 ◇ 葬式、法事、結婚式では、創価学会・名誉会長等についての批判はおこなわない。ただし質問があった場合は遠慮なくやる。
 ◇ 創価学会は、宗門に対して讒謗してきている。徹底的にやるべき時が来た。各寺院は全力で法華講づくりをしていく。
 ◇ 末端の創価学会員に対しては、これ以上ないというぐらいに親切にする。学会をやめて寺院に来たいという者は即座に受け入れる。
 本山では午前中は大客殿、午後からは大講堂で昼食会が持たれ、その後、質疑応答が行われた」(「地涌」第7号 )
「このような中で一月六日、「全国教師指導会」という集りが総本山で開催された。「教師」というのは住職になれる資格を持った僧侶です。阿部管長は全僧侶の団結と引きしめを図ろうとしたのでしょう。集った僧侶は四百七十名。この席で宗務院は、学会との全面対決の姿勢を打ち出し、学会を脱会してきた会員を遠慮なく末寺の檀徒とするよう勧めた。学会組織の切り崩しを公然と指示したわけです。そしてこの席上、阿部管長の極めて重大な発言がありました。追いつめられたあげくに告白したのでしょうが、極めて重大な内容を含んでおります。この発言の主要部分は「資料・ 阿部日顕管長発言」として、本日皆さんに配布いたしました。後でくわしく説明いたします。それはさておき、阿部管長は最後に僧侶の団結を訴えてこうも云っている。「僧侶の中には学会に内通してスパイのようなのがいる。宗門の文書をすぐ学会に送る者がいる。僧侶として恥ずかしくないか …」と。しかしその二時間のちには、この阿部管長の発言テープが、何本も学会本部に届けられていたという。(爆笑)坊さんたちは、腹の中では笑っているでしょう。なんだ猊下こそ、日達上人が学会と争った時には、学会に内通していたじゃないか (大笑)と。坊さんはよく知っている。だからしまらないのです」(「宗門・学会抗争の本質」 浅井昭衛 「冨士」第321号 )
1月6日  創価学会、地涌第6号、「まんまと操作情報に乗せられた宗門中枢 いまだに創価学会最高幹部の“大量造反”なし」
「猊下が池田総講頭を罷免すれば、創価学会内部の反池田名誉会長派の幹部たちが多数決起して、雪崩をうって本山に駆けつけるなどといった分析を猊下側近ではやしていた者がいた。ところが、池田総講頭を実質的に罷免してみせた今日になっても、創価学会の主な幹部は誰も猊下のもとに駆けつけていない。… 創価学会を離反した大物幹部にも、宗門中枢は期待するところ大であった。たとえば福島源次郎・元創価学会副会長、藤原行正・元公明党東京都議会議員、大橋敏雄・元公明党国会議員などである。一説によれば、福島以下三千人、藤原以下六千人ぐらいの脱会者が本山につくといったことも話されていた。だが現実はどうなのか。福島以下十数名、藤原は妻と次男、大橋は妻と長男と数名といったところ。それぞれ既に本山や末寺などに出入りしはじめているが、期待が大きかっただけに、手勢の少なさに宗門中枢は愕然としている」
1月8日
 宗務院、全国各末寺に「念達」を配布。創価学会に対する「当面の方針」を打出す。
1月8日  アメリカ日蓮正宗(NSA)、阿部日顕管長に「抗議書」を送附。
1月9日
 宗門、福田毅道海外部書紀を解任し、謹慎処分。
「日蓮正宗宗務院の海外部の書記をしていた福田毅道が、去る一月九日付をもって免職させられ、自宅謹慎している。福田は新年早々、SGI(創価学会インタナショナル)の幹部に対して「宣戦布告」ファックスを送りつけ、「今後、SGIの要請により海外での出張御授戒・御本尊下附は一切なくなる」「国内の創価学会組織のみならず、海外のSGI組織についても、徹底して切り崩し、破壊してまいります」などと述べた(一月九日付『聖教新聞』参照)。ずいぶんと大胆に本音を述べたものである。宗門もこれにはまいったようで、処分に至ったものだ。… 福田書記の本当の処分理由は何か。それは「創価学会分離作戦」(「C作戦」)の呼称と、その作戦内容の一部を「宣戦布告」の中に書いてしまったことだ。最高機密の電撃作戦を漏洩したのだから、その動機のいかんにかかわらず、"軍律" に基づき厳重処分となったものである」(「地涌」第16号 )
「こうした流れの中で、学会は裏面で阿部管長への直接攻撃を始めた。一月一日から毎日「地涌」という怪文書が全国末寺にFAXで送られてくる。編集長のネームは「不破優」、「フー アーユー」だ(爆笑)。この怪文書で、ズケズケ云いたいことを云っている。… "猊下は昨年七月から学会潰しを画策していた。11・16スピーチを取り上げたのはそのきっかけに過ぎない。総講頭罷免は予定の行動だった" などと。しかしこのような情報を裏づけるように、宗務院の海外部書記の福田毅道という僧侶が、「C作戦」という創価学会分離作戦の存在を自慢そうに公表してしまった。… この "勇み足" を学会に突かれた宗門は、福田毅道書記を一月九日付で免職し、謹慎処分にしております。詰腹を切らせたわけですね。また怪文書は、学会の供養で僧侶がいかに金に埋まりぜいたくをし、堕落しているかを、宗務院の大村寿顕教学部長・秋元広学渉外部長などの名を挙げてあばいている。さらに学会内の公報「創価新報」では堂々と「猊下夫人は昨年だけでも億単位の買い物をしている」などと宣伝している。このような謀略活動では、学会のほうが一枚も二枚も上手という感じであります」(「宗門・学会抗争の本質」 浅井昭衛 「冨士」第321号 )
1月9日  創価学会、青年学術者会議、藤本日潤総監に「質問書」を送附。
「もとより、私たちは「仏宝法宝は必ず僧によりて住す…仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず」との御文にある法義の継承、伝授における僧の意義、また歴代御法主によって継承されてきた法体の意義、またその血脈相承を否定するものでは毛頭ありません」(「宗門の不当措置に抗議」平成3年1月9日 )
1月9日  週刊文春、段勲「大石寺 VS 創価学会 ついに全面戦争へ」掲載。(「同誌」1月17日号 )
1月10日
 宗門、全国教師指導会、阿部日顕管長、再び「正本堂問題」に言及し、"大いに反省" と弁明。
「池田名誉会長は、随分前から、仏法を御自分の考えを中心として解釈し述べておりまして、それによって大きな問題が起こっておると思います。それは正本堂の意義についてであります。… その当時は、私達もそのような空気の中に巻き込まれてしまって、たしかに私も藤本総監も、ズバリとは言っていないが、それに近いようなことを実際に言っており、『大日蓮』にきちんと残っている。今、それは大いに反省しております。しかし、その時はそのような空気が宗門を巻き込んでいった。その一番の元は池田大作名誉会長が、大聖人の御遺命の達成であるという意味で、正本堂を『三大秘法抄』の戒壇であると指名したことであります。… だから、私どもは一時、そのような考え方に多少、引き込まれたけれども、その後においての色々な事情の中で、日達上人が今のような意義内容の定義にされたわけです。… 私は、あの当時の宗務役員として、その経過や色々な過程から、このことを深く感じておるものであります。…
 日達上人は「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」ということを仰せになっておられます。この「たるべき」の「べき」は、推量の意味に使われる助動詞であります。推量ということは「推し量る」ということですから、現在、そうでないから推し量るのです。… 推量はすなわち、予想、予定ということにもなる。「予定は未定にして確定にあらず、しばしば変更することあり」という言葉もあるように、やはり、日達上人が定義され、決められたことは、要するに「正本堂は直ちに『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇ということではない」ということであります」(「大日蓮」2月号 )
「だから阿部管長も曽ては、本門寺改称と正本堂の関係について「この時、現在の正本堂が本門寺本堂となるであろうことは、昭和四十七年四月二十八日の訓諭と合せ拝するとき、まことに明らかであろう」(49年12月・戒壇論後記) などと云ってきたのです。しかしいま、都合が悪くなってきたので、この訓諭の文意をごまかそうとしている。その キーワードが「たるべき」です。この「たるべき」の四字でごまかした。
 いいですか......。「たるべき」の「べき」は推量だ、推量は予想だ、予想は予定だと。そして「予定は未定にして確定にあらず、しばしば変更することあり」というのです。何というデタラメ、訓諭の冒頭には何と書いてあるか。「日達、この時に当って正本堂の意義につき、宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす」とある。「後代の誠証」とは、後の時代のための真実の証明ということですよ。それが「しばしば変更することあり」とは何ごとか。訓諭とはこんなものだったのです。この訓諭に背いたといって、顕正会を解散させたのですよ。
 また「予定は未定にして確定にあらず、しばしば変更することあり」とは何ごとか。たとえば、男が付き合っている女性に「あなたは将来私の花嫁たるべき人である」と云った(大笑)。これは婚約を意味する。そこで何年か後にその女性が「いつ結婚してくれますか」といった ら、男は「私は『たるべき』と云ったはずだ(大笑)。『べき』とは推量の助動詞で予想である(爆笑)。予想は予定だ(爆笑)。予定は未定にして確定にあらず、しばしば変更することあり」と(大爆笑)。ひっぱたかれるよ(爆笑)。まったく無責任きわまる、純真な信徒をバカにし切った話ですね」(「宗門・学会抗争の本質」浅井昭衛「冨士」第321号 )
1月10日  創価学会、執行部会合、池田大作名誉会長「俺はマルチン・ルターになる … 日本での宗教改革の歴史はなかった。今それをやるのだ … 内に甘く、外に厳しい宗規を叩きつぶすまでやる。今後、登山は一切しない … 今は前三後一の時だ。十年に一度は坊主とケンカするのだ … 日蓮正宗とは絶対に離れない。もしもの時でも、大聖人の仏法を掲げて、外から宗門を攻めていく」(「週刊文春」1月31日号 )
1月12日
 宗門、藤本日潤総監、「『《お尋ね》に対する回答』についての指摘」を秋谷栄之助会長に送附。
「学会より平成三年一月一日付をもって、ようやく当初の「『お尋ね』に対する回答」が送付されてきましたが、一二月二三日付文書に示された不誠実と同様、核心をぼかし、内容をすり替え、弁解にならない弁解に終始しています。… 宗務院としては、「お尋ね」に対する回答に、まったく反省や誠意のかけらもみられないことを強く指摘するとともに、再度これに対して反省を促すべく、一文を纏めました。…
(1)について
 ① テープの再生・反訳の相違について
 ② 改鼠テープでないことが判明
 ③テープレコーダーの持込みを禁止する不合理
 ④「親鸞云々』について
 ⑤「推量・憶測』等について
(2)1・1 回答の問題点について
 ①「前文の部分」について
 ②「御法主上人・宗門に関する件」について
 ③「創価学会創立五十周年当時の回顧の件」について
 ④「僧侶軽視の発言に関する件」について
 ⑤「宗門の布教と平和文化活動に関する件』について
 ⑥「『真言亡国・禅天魔』の発言に関する件」について
 ⑦「歓喜の歌」について」
1月13日
 顕正会、教学部、三級試験 (三大秘法抄)・四級試験 (立正安国論)・五級試験 (南無日蓮大聖人)、全国37会場で施行、2,435名が受験。
1月15日
 宗務院、全国教師に対し「急報」を送附。
「創価学会は1月15日付聖教新聞において大見出しで「宗務当局『テープ』の誤り認め質問撤回」とか「今回の措置が根底から崩れる」などの言辞をもって、宗務院からの「お尋ね」文書がいかにも全面的に誤りであったかのような印象を与える卑劣な記事を掲載しております。… 学会は、宗門の指摘した肝心な部分については全く触れずこのような卑劣極まる宣伝をしたのであり、問題の本質をすりかえる学会の無慙な体質を表すものであります。故に宗門の方針は些かも変わらないので、宗内僧侶各位には、このような謀略的な記事に惑わされることなく、いよいよ御法主上人猊下のもと、一結して既定の方針に従ってご精進願います」
「本年一月一日、学会は宗門の「お尋ね」文書のミスを指摘した。すなわち、宗門が池田発言として挙げた箇所に誤りがある、テープの反訳にまちがいがあるというのです。その結果、一月十二日、宗門はテープ起こしのミスを認め、それに基づいて発した三箇所の質問、ならびに伝聞に基づく一箇所の質問を取り消した。その云いわけとして「池田名誉会長の発 音は聞きとりにくい」と云った。たしかに、池田大作の発音は不明瞭なところがある。彼は「ラ行」が「ア行」になってしまう。だから「蓮華」が「エンゲ」(笑)となり、「広宣流布」が「コウセンウフ」(大笑)になってしまう。まあ、それにしても宗門もお粗末ですね。詰問の根拠となる池田発言のテープ起こしが間違っていた、というのでしょう。これではしまらない」(「宗門・学会抗争の本質」 浅井昭衛 「冨士」第321号 )
1月15日
 顕正会、成人式、本部会館で開催。
 浅井昭衛会長「皆さんが30歳になる時、顕正会は百万を大きく突破している。40歳の時には一千万をも突破して、広宣流布はいよいよ勝負を決する正念場を迎える。このような大事な時に生まれ合わせた宿縁はただならない」
(※ 2011年、"40歳の時には一千万をも突破" のはずが、3月にマグニチュード9.0の "東北地方太平洋沖地震" が発生、名目会員数は 150万に留まり、実質会員数は 15万~20万で横這いを続けている。"広宣流布はいよいよ勝負を決する正念場" には、ほど遠い。櫻川 忠 )
1月15日  創価学会、聖教新聞紙上で「宗務当局、テープの誤り認め、質問撤回」と報ずる。
「宗門の「取り消し」を聞いて、創価学会は鬼の首でも取ったように喜び大宣伝した。一月十五日の聖教新聞は一面トップで、「宗務当局テープの誤り認め質問撤回」「藤本総監は重大責任」「陥れの策略明るみに」などの大見出をつけてこれを報道した。さらに翌十六日と十七日、連続して「宗務当局の責任を問う」との抗議書を宗門に送附し、それを機関紙に大々的に発表した。その内容は,宗務当局がテープの誤りを認めたことで、総講頭を罷免した根拠が根底から崩れたのだから、早く不当な措置を全面撤回し、公式に謝罪のうえ藤本日潤総監は責任をとれ、というものです。しかも,書面による回答を十日以内に求める」としている。 宗門は十日経っても回答しなかった」(「宗門・学会抗争の本質」 浅井昭衛 「冨士」第321号 )
1月16日  創価学会、秋谷栄之助会長、「宗務当局の責任を問う」を藤本日潤総監に送附。
 池田大作名誉会長、海外派遣メンバー研修会において「(中世ヨーロッパの)『魔女狩り』は、『財産目当て』が非常に多かった。… ある富裕な騎士団(在俗の信仰団体)は "目をつけられ"、富を全部奪い取られて解散させられた。要するに『魔女狩り』は教会の財源であった。… いかなる理由をつけようとも、無力な庶民を権威でいじめ、苦しめることは、悪である。いわんや仏法を習う者として、そうした行為があれば、その人間は、キリスト教のうちでも最も醜悪な聖職者にそっくりということになる。いわゆる『外道』のなかの『外道』である」と。(「聖教新聞」1月18日号 )
1月17日  創価学会、秋谷栄之助会長、「『お尋ね』文書の誤りにつき、宗務当局の責任を重ねて問う」を藤本日潤総監に送附。
1月17日  国際連合、多国籍軍の派遣を決定、湾岸戦争始まる。34ヵ国の諸国連合からなる多国籍軍は "国連憲章第42条" に基づき、クウェート国を武力で併合したイラク共和国への攻撃を開始した。
1月17日  最高裁判所、山崎正友恐喝事件裁判、山崎正友に "懲役三年" の実刑判決。
1月18日
 宗門、非教師指導会。阿部日顕管長、創価学会問題の経過と現状を説明し、今後の方針と末寺での応対策等を指示。(「大日蓮」2月号 )
1月18日  創価学会、国際部研修会開催、池田大作名誉会長「カトリック教会の権力が『繁栄の頂点』を迎えた中世末期。それは、聖職者たちが『堕落のどん底』に落ちた時代でもあった。…『救済』も、金銭で取引されるようになった。また聖職者の地位も売買された。経済力が教会内の高位を約束した。ますます金が必要になってきた。聖職者の生活も乱脈を極めた。結婚が許されていないのは表向きのことで、子供がいたり、愛人を何人も持っていたり、売春的行為も常識になっていた。…
 魔女狩りがない点だけでも、私どもは仏教徒であってよかった。仮にも、それに通じるような行為、宗教的権威による庶民狩り、信徒狩りがあったならば、それはもはや仏法ではない。『外道』である。仏法破壊であり、当然、大謗法である。無力な信徒を、問答無用に処分するような考え方や行為は、絶対に仏教ではない。いわんや日蓮大聖人の仏法の世界では、大慈大悲の御本仏への反逆となろう」(「聖教新聞」1月20日号 )
1月20日
 宗門、八木信瑩大石寺主任理事、富士学林長となる。(「大日蓮」2月号 )
1月20日
 顕正会、教学部、二級試験 (観心本尊抄・宗教批判の原理)、全国14会場で施行、364名が受験。
 登用試驗 (折伏理論解說書 第一章~第八章)、全国49会場で施行、4,212名が受験。
1月20日  創価学会、池田大作総講頭資格喪失に対し、冊子「宗門の不当措置に抗議」を発行。
(※ 「理不尽な措置」と抗議しているが、後の「魂の独立」宣言と矛盾 )
1月21日  創価学会、聖教新聞紙上に「総監の珍妙なる教学を笑う」の連載を開始。
1月21日
 宗務院、聖教新聞記事を「欺瞞に満ちた文書」と反論。
1月22日
 顕正会、本部指導会開催(本部会館)、浅井昭衛会長「組織活動上のルールと制誡五ヶ条」を発表。
1月24日
 宗門、創価学会対策のため、時局協議会 (指導班、文書作成班、教義究明・資料収集班) 発足。
 代表者会議開催、阿部日顕管長「(戒壇について) 三大秘法抄・一期弘法抄の御文は、ただ単に戒壇を建てるということだけが、主目的では無いと私は思います。… それが正本堂がその戒壇だということになってしまうと、もうそれでその目標は終わったということになる場合がある。どうしてもそうなってしまう」と。
1月24日  海部俊樹内閣、湾岸戦争への追加支援として90億ドル、当時の日本円で約1.2兆円を拠出することを決めた。米国ブッシュ大統領は日本に自衛隊の派遣を求めたが、海部首相は内閣法制局の解釈を尊重し、代替として資金援助という対応策を採り、公明党も賛成した。(「日本経済新聞」)
1月25日
 宗門、現時点における「学会問題の経過と往復文書」発行。
「「号外」の発刊に当たって 経過説明 日蓮正宗総監 藤本日潤
 ① 宗務院より創価学会宛の第三五回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね(平成2年12月13日)
 ② 創価学会から宗務院への九項目の「お伺い」(平成2年2月23日)
 ③ 宗務院より創価学会への「通知」(平成2年12月26日)
 ④ 宗務院より宗内教師宛に発せられた「急告」(平成2年12月28日)
 ⑤ 創価学会から宗務院への返書 (平成2年12月28日)
 ⑥ 創価学会からの「お伺い」書に対する宗務院の返書(平成2年12月29日)
 ⑦ 宗務院より創価学会への返書(平成2年12月30日)
 ⑧ 宗務院よりの「お尋ね」に対する創価学会からの回答(平成3年1月1日)
 ⑨ 創価学会からの「『お尋ね』に対する回答」についての宗務院よりの指摘(平成3年1月12日)
 ⑩ 宗務院より宗内僧侶宛に発せられた「急報」(平成3年1月15日)」(「大日蓮」号外 )
1月25日
 顕正会、1月度総幹部会開催。(川口総合文化センター)
 浅井昭衛会長、宗門・学会の抗争について「この大現証こそ、戒壇の大御本尊への不敬をいつまでも許さぬ、との大聖人の厳しき御意の表われ。… 正本堂の誑惑は、池田大作ひとりの罪ではない。貫主の立場でこれを助けた、阿部日顕管長の責任はさらに重い。… 懺悔がない以上、阿部日顕管長も池田大作と共に、身を亡ぼすこと疑いない
 さらに「やがて歳を経るごとに世界の各地で動乱が起き、将来、北東アジアが地球上で最も危険な地帯となる。… この北東アジアの動乱の大渦が日本を襲う時こそ、日本の事の広宣流布の時である」と。
 総合女子部長に加藤礼子、女子部長に西沢礼子、第七隊幹事に浅井城衛任命さる。
1月27日
 宗門、法華講連合会、創価学会批判の「決議文」を作製。
1月28日
 顕正会、男子部班長会開催、浅井昭衛会長「今回の宗門の不祥事は、原因たる『御遺命破壊』も七百年来未曽有、またその罰たる抗争も規模と深刻さにおいて七百年来未曽有。私はこれを『一閻浮提うちみだす』の前相と思っている。… 北東アジアで動乱の起こる時、大聖人様の御心のままに、立正安国を叫び、一国を揺り動かす力を持った団体が日本になければならない。顕正会の究極の使命は、まさにここにある。この大事な戦いの先陣を承り、中核となって戦う部隊こそ、顕正会男子部である。… 日本国中の心ある青年男子を、すべて顕正会に糾合せよ」
1月30日  創価学会、「宗門『お尋ね』文書事件についての見解」を発表。
 宗門の公式謝罪と藤本日潤総監の辞任、さらに宗門側による池田大作名誉会長の "総講頭剥奪処置" の撤回を要求した。
「学会は一月三十日、創価学会の「本部見解」なるものを、機関紙に発表した。その見出しは「抗議書に宗門回答できず」「テープの誤りに改ざんの意図あきらか」「宗門の悪意と策略が明白に」そして藤本総監の名を挙げて、今度は「辞任せよ」とはっきり迫ったのです。一連の学会文書を見ていると、宗務院の藤本日潤総監を狙い打ちにしている。まるでサンドバッグみたいに(笑)。しかし藤本総監という人はおとなしい人ですよ。これでよく総監が務まるなと思われるくらいおとなしく、会議の記録係みたいな人です。いいこともしなければ悪いこともしない、「沈香も焚かず、屁もひらず」(爆笑)という人です。学会だってそんなことはよく知っている。藤本総監は名目にすぎない。真の狙いは背後にある阿部管長にあるのです。宗門はこの学会の反攻に対して、「お尋ね」の取り消しは一部分にすぎない、他の条項についてどうして回答しないのか、などと云って対抗しております」(「宗門・学会抗争の本質」 浅井昭衛 「冨士」第321号 )
1月 日
 宗務院教学部長、大村寿顕師、「正本堂の意義付けに関する反省」を「大日蓮」に発表。
2月1日
 顕正会、「冨士」編集部「池田大作名誉会長の11・16スピーチ
「満六十周年の創立記念日、本当に嬉しい、ね。五十周年、敗北の最中だ。裏切られ、叩かれ、私は会長を辞めさせられ、ね。もう宗門から散々やられ、正信会から馬鹿にされ。… 会館作るんだって、今大変ですよ。もう、こっちに反対がある。こっちに反対がある、ね。それで今度は友好を、こう結ばなければならない。それからまた、あのー。えー、ビラを配られたりなんかしたり、大変。お寺でも同じ事ですよ。たくさん作っているけれども、そういう苦労が分からないんですよ。もう簡単なように二百箇寺が出来ると。…
 それで、あのー。もう一つ、あのーあれですね。文化活動、ね。… 文化は要らないんだ、謗法だ。もうわけがわからない、ね。なんにも苦労していないから、本当のことを、社会を知らないから、折伏しないから。… 平和・文化、それがいけないって言うんですよ。… 猊下というものは、信徒の幸福を考えなきゃあいけないんです。権力じゃありません。… 全然、またあの難しい教義を聞いたってわかんないもの。誰もわかんねぇ。ドイツ語聞いているみたいでね。…
 今の坊さんはね、俺を信者ちゅんだ、自分も信者だ。今はですよ、出家ってもねー、ちゃんと奥さんをもらって赤ちゃんを作ってさ、何食べてもいいんだから」(「冨士」第320号 )
2月5/17日
 顕正会、特別講習会開催、浅井昭衛会長「宗門・学会抗争の本質」について講演。全国 127会場、一万数千人が受講。
 浅井昭衛会長、宗門・学会抗争の根本原因と仏法上の意義について「ついこの間まであれほど一枚岩のごとく癒着していた両者が、どうしてこのように互いに罵り合うようになったのであろうか。その根本原因は "正本堂の誑惑" にあった。このことは、1月6日の全国教師指導会における阿部日顕管長発言で立証された。… まさしく抗争は、御遺命違背の罰である。そしてこの罰は、顕正会の諫暁によって現われた。… 今回の現証は池田大作の滅亡の始まりであり、また御遺命の正義が正系門家に蘇る瑞相である」と。
「では、問題の一月六日の阿部管長発言を見てみましょう。この発言の中に、二つの告白と二つの卑劣が読み取れる。皆さん、わかりますか …。
 二つの告白とは、一には "宗門・学会抗争の根本原因は「正本堂」にある" と云っていること。二には "正本堂は御遺命の戒壇ではない" と云っていることです。
 二つの卑劣とは、一には未だ国立戒壇を隠していること。そうでしょう、正本堂が御遺命の戒壇でないとすれば、御遺命とはいったい何なのか、国立戒壇以外にはないではないか。それを隠すのはずるく、無慙無愧です。また二には御遺命破壊の大罪を池田大作だけに着せていること。二冊の悪書を書いて誑惑を助けたのは誰だったのか。仏法上の責任から云えば、池田より阿部管長のほうがずっと重い。しかるに池田だけに罪を着せるとは、何とも卑劣で無慙無愧です。この二つの告白・二つの卑劣を見抜けるのは、顕正会だけです。御遺命を命かけて守ってきた当事者であるから、発言の裏の裏まで見抜けるのです。
 さて、阿部管長はなぜ今の時点でこのような発言を敢えてしたのでしょうか。推して考えるに、理由は二つある。一つは昨年四月の顕正会の諫暁書で、正本堂の誑惑の根は完全に断たれた。そしてこの諫暁書は宗門僧侶もすべて読んで知っている。ゆえに何とか自分の立場を釈明しておく必要があった。そこでこの際、池田だけに罪を着せて、自分を始め宗門僧侶はこの誑惑に関係なかったことにしようとしたのでしょう。もう一つの理由は、学会との抗争において、低次元の争いでは学会には敵わない。そこで "池田の最も悪いことは正本堂を三大秘法抄の戒壇と断定したことだ" と暴露して、抗争を有利にしようとしたのです。愚かしいことですね …。泥棒の共犯者が、主犯の悪口を云っているようなものだ(爆笑)。この二つの理由が、阿部管長にこの突発的発言をさせたのでしょう。しかしもっと深く考えれば、時来って、大聖人様が、いつまでも誑惑を許さぬと、阿部管長にこの告白をなさしめ給うたのであります。…
 顕正会は七年後には百万になる。そしてそれより十年のちには一千万になる。北東アジアの危機は、顕正会が百万を達成して一千万までの間に到来すると思われる。それ以前でないことを、私は祈念しております」(「宗門・学会抗争の本質」浅井昭衛「冨士」第321号 )
2月6日  創価学会、聖教新聞紙上に「これでいいのか! 正宗のお講」の連載開始。
 創価新報、「"威張る僧侶" は世界中の笑いもの」を特集。
2月7日
 宗門、「創価学会問題について(一)」(「大日蓮」号外 )を発刊。
「本宗僧侶および檀信徒各位には、聖教新聞における創価学会側の一方的、かつ謀略的な記事や言動に惑わされることなく、今回の一連の問題の根本原因が、池田名誉会長の昭和52年路線に対する無反省と、御法主日顕上人や宗門僧侶に対する蔑視と反発という、信徒の代表者としてあるまじき信仰姿勢にあるという事実を、深く認識していただきたいと存じます。…
 質問一 宗門はどうして … 日蓮正宗の大功労者である池田名誉会長を、非難するのですか。
 質問二 宗門はどうして学会側が提案するように、話し合いに応じようとしないのですか。
 質問三 今回、どうして「宗規」の一部改正が行われ、総講頭の資格が喪失されたのですか
 質問四「宗規」に新しく信徒の処罰条項が加えられたのはどうしてですか。…
 質問五 何の相談や連絡もなく「宗規改正」が行われたのは、… 一方的ではありませんか。
 質問六 宗門はどうして200箇寺建立の、残りの89箇寺の寄進を辞退したのですか。
 質問七 名誉会長の「一一・一六」のスビーチは盗みどりのテープで … 道義的に許されるべきものではないと思いますが、いかがですか。」
 宗門各布教区、池田大作名誉会長に反省懺悔を求める「決意書」を、阿部日顕管長に提出。
2月7日
 顕正会、第二祖日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修、「唯仏与仏の御境涯で大法を万年に」。浅井昭衛会長「いま私たちが戒壇の大御本尊を信ずることができたのも、国立戒壇の御遺命を知ることができたのも、まさに日興上人が大聖人の御意のままに三大秘法を正しくお伝え下さったからである。この御恩徳を私たちは、一日として忘れてはならない」(「冨士」第321号 )
2月7日  中外日報、「創価学会潰し "C作戦" の全容」を掲載。
2月9日
 宗門、藤本日潤総監、秋谷栄之助会長宛てに反省懺悔を求める「通告書」を送附。
「1月30日付の「宗門『お尋ね』文書事件についての見解」と題する創価学会からの書面を読み、今さらながらに学会首脳の傲慢にして無慚極まりない姿勢に深い悲しみを覚えるものであります。そもそも今回の問題は、池田名誉会長の、御法上人および正宗僧侶に対する蔑視と52年路線に対する無反省に起因するものであります。…
 ところが、聖教新聞1月25日号の記事や1月16日および17日付の抗議書は、反省はおろか、指摘された本質的問題には全く触れないばかりか、宗門が反訳ミスを認め撤回した部分を誇大に取り上げて、あたかも宗門が「お尋ね」文書を全面的に撤回したかの如く宣伝しておりますが、これまた卑劣極まるすり替えであります。しかのみならず、宗務当局に今回の問題の責任を転嫁するという、完全に居直った態度に転じたのであります。…
 宗務院としては、今一度、反省懺悔の機会を与えるべく、この一文を送るものであります。… 文底下種の仏法の一切の義を正しく御所持あそばされている御法主上人に随順し奉ることが、成仏への直道であります。全学会員を正信に導くためにも、池田名誉会長並びに学会首脳は、虚心坦懐にその誤りを認め、深く反省懺悔すべきであります」
2月10日
 宗門、創価学会に内通する "スパイ僧侶" 対策を検討。
2月12日
 宗務院、創価学会の「宗門『お尋ね』文書事件についての見解」(1・30文書)への反論を作成。
2月12日
 顕正会、「冨士」巻頭言、浅井昭衛会長「罰を以て徳を推せよ
「阿部管長は二冊の悪書をものして顕正会の諌暁より池田を庇い、また昭和六十五年をめざしてはひたすら「本門寺改称」路線を声高に叫んで池田を援護した。この二人の絆の固さはあたかも岩石のごとく、堅鉄のごとくにも見えたが、今や池田は「あの爺さんは権威と金取り主義だけだ」と謗り、阿部管長は池田を「ウソつき」「驕慢謗法」と罵る。一昨年まで、誰がこの醜い自界叛逆を予想し得たであろうか」(「冨士」第320号 )
2月15日  創価学会、地域幹部の僧侶殴打事件発生。「福岡布教区の教説寺に創価学会地域幹部が怒鳴り込んで乱入し、住職の国島道保師に諭争を挑んだあげく、三方で住験の頭を何回も殴る事件が発生した。国島住職の義父は宗務院の早瀬義寛庶務部長で、創価学会から集中攻撃のターゲットにされている役僧である」(月刊「諸君」4月1日号 )
2月18日  創価学会、聖教新聞記事、「宗務院の策謀また露見」と題し、法勤寺問題(ニセ電話)における偽装工作を暴き、さらに早瀬義寛庶務部長の責任を追及。
2月19日  創価学会、岡山・玉野会館で創価学会最高幹部が暴言。
「法師の皮を着た畜生坊主。供養を欲しがるコジキ坊主、本山の僧侶の位なんかクソクラエ。衣は着とるけど、外見は僧侶でも心は腐っとる」(「週刊実話」4月18日号 )
2月20日  創価学会、創価新報、「これが聖職者のすることか!」を掲載。
2月23日  創価学会、「全創価学会員の名簿作り」に着手。
2月25日
 顕正会、2月度総幹部会開催。(川口総合文化センター) 2月度折伏成果 4,344名。
 浅井昭衛会長「阿部日顕管長の告白は、一には顕正会の諫暁に責められ、二には学会との抗争を機として出てきたものである。しかしさらに深く考えれば、大聖人様がいつまでも正本堂の誑惑を許さぬ、と阿部日顕管長をして告白せしめたものと、私は拝している。… 誑惑というものは、これを顕し責める者があれば必ず崩れる。正本堂の誑惑は二十有余年、いま顕正会の諫暁によって、漸くその厚き氷が解け出してきた」
2月25日  山崎正友、収監さる。最高裁判所で懲役3年の実刑判決が下っていた。
2月26日
 宗門、全国支院長会議、池田大作名誉会長への「謝罪要求書」提出を決定。
2月27日
 宗門各布教区、池田大作名誉会長に対する「謝罪要求書」を作成し、創価学会本部へ送附。
2月27日  創価学会、阿部日顕管長の1月6日・10日の正本堂発言について「お伺い書」を送附。
2月 日  創価学会、僧侶抜きの「学会葬」を始める。
3月1日
 顕正会、女子部班長会開催、浅井昭衛会長「いま顕正会は、日蓮正宗の中で大聖人の仰せのままに御遺命を貫く唯一の団体である。その中で先陣を切る女子部であれば、顕正会の女子部は『日本第一の女子部』である。… 学会は『権力』を以て御遺命を曲げた。宗門は『権威』を以てこれに加担した。顕正会は『正義』を以てこれを竦めた。この権力・権威・正義のそれぞれの主張が、全宗門、いや一国にあらわれてきたということは、誑惑がいよいよ崩れる兆である」
3月1日  創価学会、聖教新聞紙上で「これでいいのか! 塔婆供養」の連載開始。「親や子供、夫や妻を亡くした人の悲しみは、他人がうかがい知ることのできないほど深いものである。ところが、その遺族の心情につけこみ『塔婆供養』を強要するなど、『塔婆』を金もうけの手段にしている正宗寺院が少なくない。信徒に信仰の範を示すべき僧侶が堕落し、日蓮正宗の清らかな宗風を汚していいものか。このシリーズでは、全国のなかから目にあまる事例をリポートする」
「潮」、「日蓮正宗宗門の体質を問う」を特集。(「同誌」3月号 )
3月5日
 宗門、海外信徒の指導を池田SGI会長に一任してきた方針を廃止する旨、創価学会に通告。
「御通知
 宗務院に於いては従来、海外信徒の指導をすべて池田SGI会長に一任し、海外においてはSGI以外の信徒組織は認めない方針をとってまいりました。しかし今後は諸般の事情により、この方針を廃止する事に致しましたので、お知らせいたします」
3月6日  創価学会、聖教特集座談会「信徒利用の金もうけの塔婆を破す」(辻武寿・森田康夫・曽根角二郎・田村志津子・山田郁子・山口寿子・望月教子・今井照磨)
 ・塔婆の本数は信心の厚薄と無関係
 ・塔婆年間数百万本の木材消費
 ・追善供養の本来の意義
3月7/19日
 顕正会、3月度御書講義、「開目抄」を拝読、全国 133会場。
3月9日
 宗門、阿部日顕管長、創価学会の正本堂についての「御伺い書」に対し、回答書を著わす。
「昭和43年の着工大法要の時の挨拶として、池田氏は、… この法華本門の戒壇たる正本堂の着工大法要 … と述べ、まことにはっきりと『三大秘法抄』の戒壇そのものが、ただちに正本堂であることを宣言されました。… 着工大法要の際の池田氏の言葉は誤りですから、正本堂建立発願者という責任ある立場からも、その後において自ら進ん大聖人様に対し奉り、誤りの言そのものをただちにお詫び申し上げ、それを宗内一般に公表すべきだと思います。これそ大聖人の御遺命の重大さを正しく拝する信仰ある者の行為と信じます。…
 落慶法要の時、池田氏は法要が終って下山する信徒に、幹部を通じて、七百年前の大聖人の御遺命が、ここに達成された旨の言葉を伝えさせたのです。このように、池田氏は日達上人の御指南に、あえて背くことを物ともせず、正本堂は御遺命の戒壇という意識に捕らわれ、その落慶が御遺命の達成であると深く執着していたと思われます。
 顧みれば、あの当時、正本堂を何とか御遺命の戒壇として意義づけようとする池田会長と学会大幹部の強力な働きかけや、妙信講の捨て身の抗議があり、その間にあって宗門においても、正本堂の意義がいろいろ考えられました。… そうした中で、3月26日(昭和47年)の宗門公式見解を教学部長より発表する仕儀となりました。教学部長としての私は、その時その時を忠実にと思い、御奉公をしたつもりでありました。
 しかし、今顧みれば、あの時の『正本堂は広宣流布の時に三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇となる』という趣旨の教学部見解は、宗祖大聖人の御遺命たる本門戒壇の正義よりみれば、適当でなかったと思います。… その背景には、正本堂建立発願主を含む創価学会の強力な意義づけに関する主張があったことを、今にして思うものです。…
 池田名誉会長が、昭和43年10月、「本門の戒壇たる正本堂」と明言したことに対して、未だに訂正も反省もないと要求するの筋が通らないと主張していますが、… 47年4月の訓諭によって、正本堂法要の直前、和泉理事長が『聖教新聞』紙上に訂正発表をした理由を、よく考えるべきであります。全ては、時日の経過によって風化させてしまえばよいと考え、他人の真摯な反省も茶番劇と嗤う無慚さを憐れむものであります。
(※ 突っ込み処満載の言明だが、しれっと "正本堂法要の直前、和泉理事長が『聖教新聞』紙上に訂正発表をした理由を、よく考えるべき" とは、あまりに酷い云いようである。常泉寺での七度に渡った、妙信講と創価学会の熾烈な論判は、どこに都合よく消えてしまったのか。このような総括では、浅井昭衛会長が黙っていられないのは、さすがに当然ではないか。いささか "反省の弁" を述べつつ、罪を池田大作一人に押し付けている。櫻川 忠 )
3月9日  創価学会、第1回中国総会開催、池田大作名誉会長「ひねくれた劣等感は、他人への意地悪や、ことさらに優越感をもちたがる権威主義・虚勢となって、自分も他人もともに不幸にしていく。そうした人になってはならない。そうした人の屈折した心理の行動に巻き込まれてもならない」と、阿部日顕管長を批判。
3月11日  アメリカKABCニュース、5夜連続で「『アメリカ創価大学』の敷地不正購入」の特集番組を放送。
3月12日  創価学会、「地涌」(第71号)、阿部日顕管長の「地下プール付き3億円豪邸計画」を暴露。
 地番は目黒区八雲 … 都内屈指の高級住宅街である。敷地面積 555.57㎡、地上2階、地下1階、床面積は合計631㎡。エレベーター付き、地下には車が5台入る駐車場、プールとジムまである。水屋を備え「炉」を切った12畳の茶室、食堂が16畳、肝心の仏間はわずか10畳。二十数億円ともいわれたこの建物は、管長夫妻の隠居後の住まいと指摘された。
3月13日
 宗門、総本山内事部、全国教師に宛て「東京都目黒区八雲大石寺出張所建設計画並びに取り止めについてのお知らせ」を通知。
3月15日
 宗門、「創価学会問題について(二)」(「大日蓮」号外 )を発刊。
「十数年前には、創価学会の、いわゆる「昭和五十二年路線」という言葉に表される、教義上の逸脱という大きな問題があったのです。これは「学会は主、宗門は従」という体制に持ち込もうとした創価学会の策謀に基づくものと思われますが、当時、これに対して、一部の僧侶が創価学会の誤りを糺そうと立ち上がり、日達上人の御指南によって、53年のいわゆる「六・三〇」「一一・七」で是正されました。そして、これらの一切の責任を取って、池田名誉会長は昭和54年4月24日に会長を勇退し、続く26日に法華講総講頭を辞任しました。…
 しかし、最近の池田名誉会長並びに学会首脳の姿勢をみると、十数年前の反省が、果たして本当に心からのものであったのかどうか、はなはだ疑わざるを得ないのです。そこで、まず今回の問題の経緯について述べ、そののちに十数年の経過を辿ってみたいと思います。
 1 池田名誉会長の総講頭の資格喪失について
 2 最近の一連の経緯
 3『宗規』改正後の経過
 4 学会の五十二年路線と正信会」
3月16日
 宗門、7月1日より 創価学会による月例登山を廃止し、末寺添書による登山方式に改める旨、創価学会に通告。
「諸般の実情に鑑み、今後は本来の在り方に立ち還り、学会による登山運営を取り止め、総本山の責任において創価学会の登山を取り扱って参りたいと思います」
3月18日
 宗門、法華講支部指導教師指導会。阿部日顕管長、登山方式の改変と戒壇問題にふれるとともに、法華講組織の役割を強調。
「今、色々な問題がありますが、たしかに池田名誉会長の昨年の十一月十六日の発言において、特に法主に対する蔑視・軽視の発言、宗門の僧侶に対する蔑視・軽視、これも充分認められるところであります。さらに五十二年路線ということに関して、あれ程誓い、あれ程日達上人に対してお詫びを申し上げたにもかかわらず、宗門に対する色々な形での批判とか、そのような考え方が出てきておるようであり、これが最近は特に露わになってきました。前回はあまりに正直にやり過ぎたから、あのように謝らなければならなかったけれども、今度は謝らないと言っているらしい。
 私が思いますのは、十一月十六日に現れた以外の色々な面でも間違いがあったと思うのであります。その一つは戒壇問題でありますが、日達上人も当時の創価学会の、あの破竹の如き折伏大進撃の中で色々な建設が行われ、その中で特に正本堂建立というような事態になり、これらを善導することに非常に苦慮あそばされたと思います。…
 これは常に思うことですが、大聖人様の『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇の御文は、絶対にいい加減なものではないはずなのであり、あの御文は一期御化導の終窮究竟の御文なのです。… 大聖人様の一期の御施化は三大秘法であり、その最後の本門戒壇、すなわち「事の戒法」ということは終窮究竟の御指南であります。… これが、もう出来てしまったのだということですが、… 日本一国においても、まだ様々な邪教が跋扈しておる。このような時において、大聖人様の妙法による一切衆生救済の御誓願が達成されたと言えるでしょうか。そのような馬鹿なことが、あるはずがないでしょう」(「大日蓮」第543号 )
3月18日  創価学会、創価大学・女子短期大学合同卒業式、池田大作名誉会長「悪しき権力の奴隷となってはならない。服従してはならない。… 悪との妥協は、人間性の放棄であり、心の敗北である。… 陰湿で冷たい人間の周りには、人々は集まらない。一時、利害で集まったとしても、長くは続かない」と。(「聖教新聞」3月19日号 )
 森田一哉理事長、杉並ビクトリー勤行会において「絶対に謝罪しません。むこうが悪いんだ! こっちが悪いなら謝罪しますよ。謝罪というのは謝罪しろって云われてするもんじゃないんですよ。こっちがマズかったっていう事が、わかった時には謝罪しますよ。こっちにマズい事は何も無いんですから、マズいのはむこうばっかしですよ。謝罪するのこっちが待ってるわけだ、ところが僧侶は信者には絶対謝罪しません。そうでしょう、偉いんですから坊さんの方が、信者どもね。謝罪しませんよ、むこうも謝罪しないでしょ、こっちも謝罪しないでしょ、永遠に続く。だから1ヶ月や2ヶ月じゃ解決しないんですね、1年2年解決しません、もう百年2百年、こう覚悟を決めたいと思うんですけど」と。
3月20日  創価学会、秋谷栄之助会長。八木信瑩大石寺主任理事に「登山会に関する要望書①」を提出。
 聖教新聞、社説「『回向』の真義を考える」掲載。「回向とは、彼岸や盆などの特別の時だけに行うものではなく、日常的に毎日の動行の際にしていくことが、その基本となる。… 故人の追善供養のため塔婆を立てる風習が存在しているが、これは一つの慣習に過ぎず、塔婆を立てなければ回向ができないというものではない。… 日蓮大聖人が御書において塔婆供養に言及された例もわずかながら存在するが、それは、仏教の本義にたがわない限り、各時代や地域の風習を否定せず、時と場所に応じた弘法を行っていく『随方毘尼』の例として拝すべきであろう」
 創価新報、「ズバリ聞く宗門の堕落と謀略」掲載。「宗門は一連の問題の根拠となる重大な箇所のミスを訂正しながら、なぜ学会に謝罪をしないのか。あくまで僧侶の権威を誇示し、その実、金儲けに狂奔するのはなぜか。今、私たちが直面している宗門問題は、一宗の問題にとどまるものではなく、聖職者の在り方や日本の卑屈な精神風土をただす現代の宗教改革ともいうべき大きな意義を持つ」
3月22日  創価学会、佐賀県支部長会(佐賀文化会館)、秋谷栄之助会長「仏法が世界百十五カ国に流布し、二十一世紀をリードする大白法として光り輝こうとする時代にあって、江戸時代からの檀家制度の悪弊に染まっている宗門の改革が求められる。権威・権力の動向を鋭く見抜く英知の人として、威風堂々と広布を前進させ、自身の勝利と満足の人生を築いてほしい」(「聖教新聞」3月23日号 )
3月25日
 宗門、第1回海外指導に関する教師会。阿部日顕管長、海外布教を僧侶主導型で行うことを強調。(「大日蓮」5月号 )
3月26日
 宗門、法華講連合会春季総登山会目通り(総本山)、阿部日顕管長「創価学会員の方々の中において誤った考えに執われておるような人が皆様方の知人にあれば、やはりその人達に対して仏法の正しい道理を説き、そしてあなた方が盲従しておるところの学会の考え方は誤りであるということをはっきり申し切っていっていいものと思うのであります」(「大日蓮」第543号 )
3月26日
 顕正会、3月度総幹部会開催(川口総合文化センター)、「正本堂の誑惑完全に崩れる」、3月度折伏成果 3,916名。
 浅井昭衛会長、「宗門・学会の全面戦争は、その後いよいよ激しさを増し、文字通り "死闘" デスマッチの様相を濃くしております。宗門はこのたび、学会に対する組織切り崩しの決定的手段として「登山停止」という処置に踏み切りました。そしてその旨を、3月16日付書面で、学会に通告しております。… この通告は、事実上の「登山停止」を意味します。総本山に参詣したかったら、学会を脱会して末寺の信者になれ、ということでしょう。まさに「御登山」を道具にして、学会組織の解体を狙ったものであります。学会憎しとはいえ、思い切ったことをしたものです。…
 一方、学会の宗門攻撃はどうなっているかといえば、この通告の4日前の3月12日、例の全国末寺に流しているFAX通信の「地涌」で、阿部管長の金にまみれた奢りぶりを痛烈に攻撃しております。もう藤本総監などは眼中にない。ストレートに阿部管長への攻撃を開始しております。それによると、阿部管長は東京目黒八雲の高級住宅地に、20億円もの豪邸の建築計画を進めているとのことです。… そして、「地涌」がこれをすっぱ抜いた翌日の3月13日、大石寺内事部から全国末寺に通達があった。いつもは反応が遅い宗門なのに、このことだけは素早かった。阿部管長が、事は重大と思ったのでしょう。…
 それにしても、学会のこの痛烈な暴露は何を狙っているのか--。要するに、"阿部管長は辞めよ" ということでしょう。退座そのものを狙っているのです。また、宗門の「登山停止」処分は、学会組織の壊滅を狙ったものです。まさに修羅と悪童の死闘です。この現状こそ、宗門・学会共に、御本仏の御遺命に背いた罰なのであります。…
 そして仏法上において、何より重大なことは、この宗門・学会の全面抗争を機として、二十余年間正系門家をたぶらかし続けてきた正本堂の誑惑が、音を立てて崩れ出してきたということであります」と。
 阿部日顕管長の1月6日・10日および3月9日の三たびにわたる "誑惑訂正発言" を、創価学会の2月28日の反論と対比。さらに、誑惑訂正はしたものの、未だ真の懺悔なき阿部日顕管長の姿勢について「阿部日顕管長には、未だ御本仏の一期の御遺命を破壊した、罪の重大性がわかっていない。口先で『反省してます』というだけで、ことは済むのか。… 一日も早く戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉らなければいけない。私はこの一事を凝視している。4月こそ御遺命守護完結への道を開く決戦の月である」と。(「冨士」第323号 )
 総務に浅井克衛、壮年部長に佐久間敬之、男子部主任幹事に海老原秀夫、男子部幹事に坪田敏任命さる。
3月27日
 宗門、法華講青年部大会、阿部日顕管長「正本堂という建物が出来たことにより、それはもう大聖人様の御遺命がそのままの形で出来上がっておるというような考え方が過去にありました。けれども、今申し上げたような意味において、これはまさしく誤りであるということを、私は今日、その時がまさしく来たことを感じつつ申し上げておるのであります。
 私は登座以来十年間、この問題に関しては、極めて重大事であり、時が来たらざるが故にこれを申し上げませんでしたが、やはりこのことを、自らの深い懺悔とともに、申しておくものであります。… 二枚舌というのは、ある時にはこう言い、次の時にはこう言う、要するに自分の利益のために適当にその趣旨を変えるのが二枚舌であります。これはたいへん誤ったことであります。
 しかし過去において、やはり仏法の展開の中における形で、どうしても誤っていたということがあるならば、その過去の誤りを誤りとしてはっきりと改めるということは、けっして二枚舌ではありません。これは仏法上の正しい懺悔反省に当たるのであります」と。(「大日蓮」5月号 )
3月28日  創価学会、4・2記念幹部会。池田大作名誉会長「仏法者は、どこまでも道理に従い、自分の非が明らかになっても絶対に怒らない、むしろ喜んで真理に服する。一方、権力者は、自分の主張を公平に吟味されることを嫌い、対等の対話そのものを拒否する、そして相手が自分の主張に従わなければ、一方的に『処罰』する」と。(「聖教新聞」3月29日号 )
3月29日  中外日報、「汚れきった法主一派の贅沢ぶり」を掲載、宗門高僧の奢侈を暴露。
3月30日  創価学会、阿部日顕管長の「回答書」に対し、再度の「お伺い書」を送附。
 聖教新聞、「河辺住職らが企む『宗門の策略』を破す(上)」を掲載。
3月30日  朝日新聞、「ルノワール絵画取引疑惑」を報道。平成元年3月28日、帝国ホテル「桂の間」で売買されたルノワールの油彩『浴後の女』『読書する女』の取引にからむ使途不明金疑惑である。
 絵の買い手は三菱商事で、当初は2点をスイス在住のフランス人2人から36億円で買ったと申告していたが、平成2年秋、東京国税局調査第1部が税務調査に入り、以下のことが判明した。
 ① 2人のフランス人は実在しない
 ② 三菱商事は創価学会から代理購入を頼まれ、東京・青山の画商「アート・フランス」から、21億2千5百万円で購入
 ③ 翌平成2年9月、三菱商事は、創価学会の外郭団体である東京富士美術館 (東京部八王子市)に、41億円で売却。その結果、「桂の間」での取引価格に差額14億7千5百万円が生じ、誰が懐に入れたのかという疑惑が浮上した。
 国税庁調査第1部は特別調査班を投入し、カネの流れを徹底的に洗った結果、「桂の間」での取引に立ち合った人物を特定した。三菱商事デベロッパー事業部の部長代理、創価学会副会長・八尋賴雄、東京富士美術館副館長・高倉達夫、売り主の画廊「アート・フランス」社長・石原優、取引を仲介した陶磁器店「立花」役員・立花玲子、干代田区の投資顧問会社社長・金子暁、豊島区の経営コンサルタント会社相談役・宮田宗信、新宿区の建設会社元役員・森一也の各氏、計8人であった。
 平成3年7月には警視庁も乗り出し、八尋賴雄副会長を事情聴取。平成4年9月には「ルノワールの絵画取引は創価学会の裏ガネ作りを目的としたもの。行方不明の3億円は八尋副会長に渡り、池田氏のノーべル平和賞取りの工作資金だった」旨の、立花玲子の告白テープの存在がメディアに取り上げられた。東京国税局査察部は平成5年4月に、立花らを東京地検特捜部に告発し、同特捜部は5月27日、立花を法人税法違反容疑で逮捕した。三菱商事も、古物営業法違反で書類送検された。(「フライデー」平成22年12月10日号 )
3月31日  創価学会、聖教新聞、「河辺住職らが企む『宗門の策略』を破す(下)」を掲載。
3月 日  アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニ(米ABC放送)、「アメリカ創価大学」(Soka University of America)を "カルトスクール" として報道。(「週刊実話」平成4年3月12日号 )
4月1日
 顕正会、浅井昭衛会長、「冨士」巻頭言「宗門高僧の『反省』に思う」、「いま正系門家に起きた正本堂の誑惑は、二十余年を経て崩れ始めた。すなわち、池田に謳って宗内を誑惑し続けてきた阿部日顕管長自身が、1月6日・10日、3月9日と、三たびにわたって、正本堂は御遺命の戒壇ではない、と否定したからである。
 ただしその論法は極めて卑劣、罪はすべて池田に着せ、己れはあたかも巻きこまれた被害者のごとく装い、わずかに「反省」の弁を述べているに過ぎない。… たとえ池田大作が何を云おうとも、三大秘法抄の御金言は赫々明々、どう間違えたら正本堂が御遺命の戒壇と思えるのか。阿部日顕管長をはじめ宗門高僧は「そのような空気に巻き込まれて」わからなくなったのではない。誑惑であることは百も承知、ただ自己保身のため池田に謳っただけなのだ。御遺命破壊の罪は宗門高僧という立場上、池田大作よりもさらに重い。しかるに宗門高僧には、この大罪を怖畏懺悔する道念がない。ゆえにこのような安易な「反省」の弁が出るのである。… もし後生を畏れるならば、速かに大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉るべし」(「冨士」第322号 )
 壮年部班長会開催、浅井昭衛会長「信心は『始・中・終』不退でなければいけない。壮年期の信心こそ、一生成仏の上で最も大事である。なぜなら、壮年期の信心で晩年の境界が決まり、さらに臨終の善悪が決まるからである」
 冨士、編集部「阿部日顕管長のへつらい語録」掲載。
 冨士、男子部主任幹事 海老原秀夫「大村寿顕教学部長の無節操・破廉恥を検証する」掲載。
4月1日  創価学会、聖教新聞、「猊下の『正本堂ご回答』を拝して」の連載を開始。
4月2日  創価学会、宗門に対し "登山会変更" による「違約金」を要求。 「いきなり三カ月後というのは納得出来ない。そんな無理を言うなら、運輸関係者に対する補償金、総額六十億円を、宗門のほうで払って欲しい」(「週刊文春」6月20日号 )
4月3日  創価学会、創価新報、「宗門の超豪邸計画は本当だった」、「寺院用地は真っ赤なウソ 実体はプール付きの隠居所か」と、特集記事を掲載。
4月6日
 宗門、御霊宝虫払大法会法要執行(総本山)、阿部日顕管長、正本堂について「信徒中の一部の指導者が、いまだ三大秘法抄の御指南の事相に到達しないにもかかわらず、分々の広布相をもって広布の実証とし、御遺命の戒壇としての建物を建てたと執着することは、仏法の道理から見て深く反省すべきでありましょう。… 時いまだ至らざるに、御遺命の戒壇を前もって建てておくという考えは、願望としては許されるでありましょうが、所詮、それは機情の見であり、その機情の見に応じての御指南が先師にあったとしても、それは、その当分の慰撫教導の御心によるのであります。
 真義は、厳然たる御本仏大聖人の金文をもって決すべきであります。総じて、正本堂が現在において、『三大秘法抄』の御遺命の戒壇そのものであると断ずることが間違いならば、未来においてそれが確実に御遺命の戒壇となると言い切ることも、また早計であります。… 要するに、御仏意による『三大秘法抄』の戒壇の文意について、いまだその時が至らないにもかかわらず、直ちに『これなり』と断定し切ったことは、我見・私見であり誤りでありますから、これについて責任者は、おのずからはっきり訂正すべきであります」と。
 引き続いて行われた布教講演会において、創価学会員350名が席を立つ。
4月6/21日
 顕正会、4月度御書講義、「観心本尊抄」を拝読。(全国132会場)
4月10日  創価学会、第40回本部幹部会(大田池田文化会館)、池田大作名誉会長「新人間革命」(小説)の構想を述べる。「いろんなこういう事件がありました。妙信講の事件、それから今の事件、そういう色んな様のねぇ、もう、勝手気ままに書かない。それを厳然と、御書に照らし、そして又道理に照らし、大きい裏付けの上から、キチーッと『新人間革命』として、3巻に亘って構成しようと思っております」
 池田大作名誉会長、 "友人葬" を示唆。 「葬儀は会館でやれば良い。心配は要らない。葬儀は私たちで出来ますよね、しましょう。全国に会館がたくさんありますから。… 痛烈なる権力者に対してのパンチ。宗教、ニセ宗教に対する戦いです」(「週刊実話」5月2日号 )
4月11日  共産党、吉井英勝代議士。衆議院・地方行政委員会で、「ルノワール絵画疑惑」を取りあげ、創価学会を追及。
4月13日
 宗門、開信寺(福岡市)、創価学会男子部員約3百人が乱入し、住職らに集団暴行。全国の寺院で、創価学会員による妨害、居座り、面談強要、参詣者に対する暴行が頻発する。
 柏崎寿宣住職「御講の最中に、約三百人ほど(学会側の言い分では二百人)の青年部員が押しかけ、私の説法をさえぎって取り囲むと、装裟衣を引っ張って糸を切り、足の付近を数十回にわたって蹴り続け、さらに、暴行を上めに入った講頭ら檀徒にまで暴行を働いたのです」
 重松日出彦副講頭「当日の模様は録音テープに取ってあります。地獄絵図でしたね。数人の檀徒が暴行で怪我をし、診断書もある。最もひどい被害を受けたのは八尋由夫講頭です。私も青年部に取り囲まれていましたが、八尋さんは後ろからネクタイで首を絞められ、弓のように後ろにのけ反っておりました」 (「週刊文春」6月20日号 )
4月15日
 顕正会、教学部、六巻抄講義再開、「依義判文抄第三」講義始まる。(板橋産文ホール)
 浅井昭衛会長「私は御遺命守護の御奉公において、六巻抄の御指南をもとに諫暁に立った。まさに六巻抄あればこそ、御奉公ができたのである。そして広宣流布の時には、さらに重大な戦いが待っている。すなわち日本一国の邪宗との対決である。このとき、御遺命を曲げキリスト教神父まで招いた学会に、戦う資格と力があるか。またこの学会に迎合した宗門僧侶に、邪宗と戦う気魄があるか。顕正会こそ日蓮正宗を代表して、大石寺を、戒壇の大御本尊を、守り奉らねばならない。ここに顕正会がいま、六巻抄を真剣に拝読するゆえんがある」と。
(※ "日本一国の邪宗との対決"は、浅井昭衛会長の脳内妄想でしかない。昭和61年、本門正宗の小野寺日了主宰と論判の機運があったが、先方が逃げ「叱呵痴犬抄」(- 小野寺日了一党の悪義を破す -)で沙汰止みとなった。その後は、どうしたことか妙観講からの論判要請に対応できず、避け続けている。それで、"日本一国の邪宗との対決" などできようか。櫻川 忠 )
4月16日  創価学会、創価新報、「正宗の独善と退廃、一切が信徒利用の謀略体質」を掲載。
4月18日  創価学会、池田大作名誉会長、初来日したソビエト連邦のゴルバチョフ大統領と会見。
4月19日
 宗門、全国宗務支院長会議。阿部日顕管長、創価学会と手を切ることを示唆。
4月25日  創価学会、県長会議全国事務局長会(東京広宣会館)、池田大作名誉会長が友人葬を指示。
「全国で学会幹部による葬儀を行なうようにする。ただし学会本部の指示で行なうのではなく、会員の要望を受け入れて実施する体裁をとりつくろうようにと、3項日の秘密指示が出された。
 ① 学会葬は全国の会館で執行
 ② 学会員に学会葬を希望させる雰囲気を作る
 ③ あくまでも会員の強い要望があったとする」(「諸君」7月号 )
4月26日
 顕正会、4月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、4月度折伏成果 5,345名。
 浅井昭衛会長、前年末より宗門に起きた「本門寺改称の陰謀潰滅」「宗門・学会の全面抗争」「正本堂の誑惑崩壊」という三つの不思議について「すべては御仏意である。これら昨年来の不思議を見るならば、戒壇の大御本尊様が遠からず誑惑・不浄の正本堂をお出ましになられること、誰か疑うことができようか」と指摘。
 さらに「阿部日顕管長は大聖人様の御威徳を恐れ、また顕正会の諫暁に責められ、しぶしぶと正本堂の誑惑を告白し始めたが、まだ懺悔が本物ではない。ゆえに私は一瞬も油断をしない。詮ずるところ、顕正会の "漢王三尺の剣" がさらに重くならなければいけない。顕正会の大折伏と、それを背景にした諫暁が強々と行われるとき、御本仏の御裁断はくだり、ことは一時に成る」と。
4月26日  創価学会、本部全体会議。池田大作名誉会長「2年前位だったかな、猊下が『宗門はおかげで本当に栄えました』と云っていたんです。それが急に "謝れ" です。謝らなくてもいいと思う人、…
 みんながそう思っているんだから、謝る必要はない。悪人であり、まさに鬼神です」と。
4月28日
 宗務院、池田大作名誉会長・秋谷栄之助会長・森田一哉理事長に対し、文書を以て「ルノワール絵画疑惑」の釈明を求める。
4月28日
 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。浅井昭衛会長「大聖人様の不退の御決意と大慈想がなかったら、今日、私達がどうして三大秘法を持ち、お題目を唱える身になれたであろうか。この恩を知り、恩を報ずる者こそ、仏弟子である。知恩報恩の念のない者は犬畜生である」と。
4月28日  創価学会、「正本堂問題の真実 (その経過と本質を明かす)」(非売品)を発刊。
 ① 経過説明と「お伺い書」要旨
 ② 「大日蓮」(2月号)抄録
 ③ 日顕猊下の正本堂の意義についての1月6日/10日のご説法に関する「お伺い書」(2月27日)
  一 はじめに
  二 1月6日、10日のご説法の訂正問題について
  三 日顕猊下の自語相違のご説法について
  四 おわりに
 ④ 日顕猊下の「ご回答」(3月9日付 宗務院書面)
 ⑤ 日顕猊下の正本堂ご説法に関する「ご回答」についての「お伺い書」(3月30日付)
  Ⅰ 3月9日の猊下「ご回答」の骨子
  Ⅱ 3月9日の「ご回答」の十箇の問題点
  Ⅲ 「ご回答」の検証並びに「お伺い」
 ⑥ 猊下の「正本堂ご回答」を拝して(熊田士郎弁護士)
 ⑦ 重大問題はらむ「正本堂ご回答」(松村弁護士)
 ⑧ 参考資料「訓諭」(昭和47年4月28日)
4月 日  創価学会、新会館へ模刻本尊安置。
「学会本部職員から宗門戦争について連絡があった。寺院を通して参詣登山した学会員は、自動的に学会を退会したとみなすとのこと。破門された場合、最も困るのは信仰の対象であるご本尊の問題だが、これについて幹部職員は『いままでいただいたご本尊を流用しているが数が足りない。新しい会館がオープンするとご本尊を備えなければならないが、数が足りないのでおそらく模刻している。模刻がバレるので、新しい会館オープンのことは聖教新聞に載せないみたいだ。宗門から模刻をチェックされるのを恐れているようだ』」(「乱脈経理」矢野絢也 )
5月1日
 宗門、時局協議会文書作成班有志。創価学会の「お伺い書」に対する反論を作製。
5月1日  創価学会、秋谷栄之助会長、大白蓮華「巻頭言」、「現在、宗門の一部に見られるような塔婆供養の強要、金額による戒名の相違等、まさに『葬式仏教』といわれてもやむをえないような実態は、まことに恥ずべきものであります。また檀家制度を墨守し、あたかも寺院、僧侶中心の儀式こそ、宗教の要であるかのような考え方も、決して大聖人の御精神にかなうものではないと断言しておきたい。これらは、まさに封建時代の残滓であり、今こそ、それを打ち破り、世界宗教にふさわしい宗風を確立する時であります」(「同誌」5月号 )
 創価学会、地区B長クラスに「冠婚葬祭について」の文書を配布、僧侶抜きの態勢を強化。
5月3日  創価学会、5・3「創価学会の日」記念式典、池田大作名誉会長「今の(阿部日顕管長)は、先師に反している。学会をいじめるなんて、破和合僧だ。魔の所為だ。五逆罪だ。… 宗門なんか何もやっていない。折伏は全部学会がやっているのだ。それをいじめるのは堕地獄だ」と。(「諸君」7月号 )
5月5日
 顕正会、新潟大会、新潟県民会館で開催、参加者 2,429名。浅井昭衛会長「新潟の大地には日蓮大聖人の尊き足跡が刻まれている。新潟は全国広布の先駆けである。この熱烈なる信心が全国各県に起こるとき、一国広布は眼前となる」
5月5日  創価学会、創価教育同窓の集い、池田大作名誉会長「権力者に正論が通るとは限らない。否、正論が通らないのが権力者である。正しい意見を聞けなくなるのが権力の魔性である。そればかりか、その行為が正当であればあるほど憎しみがわく。自分に従うものだけが正しく、従わないものは悪とする。善悪・道理が基準ではなく、自分の小さな面子が基準となってしまう。しかもその狂いが自分ではわからない」と、阿部日顕管長を批判。
5月6日
 宗門、本縁寺(福井県)に創価学会男子部員が乱入し暴行。
「留守を預かるお手伝いさん(50)と信徒の青年(26)が、寺院にいきなり乱入してきた男に殴られる、という事件が発生」(「週刊文春」6月20日号 )」
5月7日  読売新聞、創価学会が "法人所得税23億8千万円申告漏れにつき修正申告" と報ずる。
5月8日  創価学会、森田一哉理事長、宗門の "ルノワール絵画疑惑" に関する「通知書」に対し、「抗議書」を送附。
5月10日
 宗門、宗務院支院長会議開催、添書登山の具体的手続きは未決のまま、御開扉料の大幅値上げを決議。
5月10日
 顕正会、教学部、「依義判文抄」第二回講義。(板橋産文ホール)
5月22日
 宗門、花野充道師(浄福寺)、「新慧燈」を発刊。
「このように宗門と学会の抗争は、ますます陰険な形でエスカレートし、いつの日か、破門によって一応の終焉を迎える可能性が濃厚になってきました。本当の意味で創価学会を愛し、広宣流布のために真剣に僧俗和合を模索している、良識ある学会員の人達と、建設的な討議を重ねて、最悪の事態を何とか回避できないものかと、呻吟している毎日です」
5月25日
 宗門、「改正登山方式の実施について」の文書を創価学会に送附。
「登山方式変更のお知らせ
 来る7月2日から、創価学会員の皆さんの登山、御開扉願の手続き方法がかわります。御開扉を希望する方は、ご自分の所属する寺院から添書をいただいて個人個人で登山することになります。その手続きの際、必要なのは、① 印鑑(認め印でもよい)と ② 自分を証明できるもの(運転免許証・健康保険証等)の2点です。
 なお、「創価学会を退会して寺院に直属する信徒にならなければ添書を受けることができない」などということはありません。学会員のままで添書を受けることができます。
 ◎ 受付開始  6月5日
 ◎ 申込場所  各自の所属寺院
 ◎ 申込締切り 登山希望日の前月の20日
5月25日  創価学会、全国婦人部幹部会。池田大作名誉会長「信心の修行、広宣流布の前進を妨げようとするのは、『悪鬼入其身』と経文にある通り、『悪鬼』が身に入って働いている姿である。釈迦仏が入るのと、悪鬼が入るのと、たとえ外見は似たように見えても、働きは正反対である。その生命の本質を見抜いていくのが、信心、仏法の眼である」と、阿部日顕管長を批判。(「聖教新聞」5月27日号 )
「地涌」(145号)、僧侶の妻帯と血族支配が宗門を腐敗させた、と指摘。
5月26日
 顕正会、幹部大会、幕張メッセで挙行、「改悔なくば抗議の総登山敢行」、全国代表幹部 8千名が参加。
 浅井昭衛会長「いま宗門と学会の抗争は日ごとに激しさを増し、泥沼のような全面戦争は、各所で暴力事件にまで発展しております。
 宗門は池田の「総講頭剝奪」に引き続き、学会員の「登山停止」をすでに決定しておりますが、さらに "創価学会そのものを日蓮正宗の信徒団体として認めない" と公表することも、時間の問題と思われます。これに対抗して学会は、すでに葬儀も僧侶抜きにして学会でやる体制を整え、宗門僧侶の腐敗堕落を大々的に宣伝しては、徹底抗戦の構えを見せております。
 両者の憎しみ合いというのは凄まじいものです。宗門が池田大作のことを「大慢心」「驕慢謗法の者」と罵れば、学会は阿部管長を指して「末法の悪比丘」「僭聖増上慢」さらに「学会を妬み瞋恚の炎を燃やす男」(笑) 映画の題名みたいだ(笑)。また「嘘つきで恥知らずの男」(笑) などと、口をきわめて罵っております。さらに阿部管長の近況を暴露して「痛風と糖尿病で御開扉にも丑寅の勤行にも出られない」などとも伝えております。まさに食うか食われるかのこの凄まじい争いは「修羅と悪竜の合戦」そのもの。この自界叛逆の悪現証こそ、御本仏の御遺命を破壊せんとした大罰でなくて何でありましょうか。
 さて、阿部管長の誑惑訂正の発言でありますが、「正本堂は御遺命の戒壇ではない」と告白はしているものの、その告白は、自らの非は棚に上げて池田だけにその罪を着せようとする、きわめて卑怯なものであります。そもそも阿部管長のこの告白は何によって起きたのかと云えば、昨年四月、顕正会から「正本堂の誑惑を破し、懺悔清算を求む」と題した、誑惑の根を断ち切る諫暁書を阿部管長に送附した。さらにこの本は全国書店に並べられた。この事により、阿部管長は「誑惑すでに破れたり、もう逃げられない」と知ったのです。そこで今回の学会との争いを機に、「正本堂の誑惑は宗門でやったのではない、悪いのは池田大作なのだ」と、暴露を始めたというわけです。
 しかし自らの非を棚に上げようとする無理から、その論旨は支離滅裂、矛盾撞着に満ち満ちております。その責任逃れの発言を一・二挙げてみましょう。
 まず一月六日の教師指導会では「正本堂を三大秘法抄の御遺命の戒壇と一番はじめに云い出したのは、池田名誉会長であ る」(取意)。また一月十日の教師指導会では「私達もそのような空気の中に巻き込まれて、つい云ってしまったが、いま大いに反省している」(取意)。
 さらに三月九日の学会への回答書では「あの当時、正本堂を何とか御遺命の戒壇として意義づけようとする池田会長と学会大幹部の強力な働きかけや、妙信講の捨て身の抗議があり、その間にあって宗門においても、正本堂の意義がいろいろ考えられました。......今顧みれば、あの時の『正本堂は広宣流布の時に三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇となる』という趣旨の教学部見解は、宗祖大聖人の御遺命たる本門戒壇の正義よりみれば、適当でなかった」(大日蓮3.4月号)などと云っております。
 こんな卑怯なことがありましょうか。すべてを池田大作と学会の圧力のせいにしている。たとえ圧力があったにせよ、大聖人に一分の忠誠 心でもあるならば、どうして学会の圧力をはねのけなかったのか、なぜ身を捨てて池田を諫め、その御遺命破壊を止めなかったのか。ところが阿部教学部長は、諫めるどころか、自分の立身出世のために進んで池田に協力し、二冊の悪書を著して、恐れげもなく三大秘法抄の文々句々をネジ曲げ正本堂の誑惑を助けたのであります。
 阿部教学部長がどのように三大秘法抄をネジ曲げたかと云えば、「王臣一同」を "民衆一同" と歪曲し、「有徳王」を "池田先生" とへつらい、「勅宣並びに御教書」を "建築許可証" とたばかり、「霊山浄土に似たらん最勝の地」を "大石寺境内" と偽り、「時を待つべきのみ」を "前もって立ててよい" とネジ曲げた。この宗務院教学部長のネジ曲げ解釈によって、二十有余年の間、日蓮正宗の数百万信徒は誑かされ「国立戒壇は本宗の教義ではない、正本堂こそ御遺命の戒壇なのだ」と思いこんでしまったのであります」
 さらに、正本堂の誑惑が崩れたことについて「これまさしく御本仏の御威徳・御仏意のいたすところと拝する以外にない」と指摘ののち、戒壇の大御本尊への不破解消について「正本堂の誑惑において、最も罪深いことは、この誑惑の道具として戒壇の大御本尊を利用し奉ったことである。… 歴代御法主は大聖人の御意のままに、国立戒壇建立の暁を待って、戒壇の大御本尊を御宝蔵に秘蔵し奉ってこられた。…
 しかるに今、国立戒壇に安置し奉るべき戒壇の大御本尊は、なんと国立戒壇を抹殺するための虚構に居えられ奉っている。しかも邪法の神父を招いて穢した場所に居えられ奉っている。大御本尊への不敬、これより甚しきはない。御法魂、どうして安穏に住し給うであろうか。… いま顕正会員こそ『早く戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉れ』と、声を大に叫ぶべき義務と責任がある。…
 もし阿部日顕管長に一分の改悔なく、不敬をそのまま放置するならば、顕正会は敢然と抗議の行動を起こさなければいけない。すなわち、23万顕正会の総力を結集して大石寺への総登山を敢行し、戒壇の大御本尊の御前において、阿部日顕管長に不敬解消の抗議を、身を捨てて繰り返そうと私は決意しているが、皆さん、どうでしょうか。(大拍手)」
 さらに戒壇の大御本尊に対し奉る不敬がいかに恐ろしいことであるかを、日恭上人の火中の御遷化の現証を以て論証、最後に「全顕正会員は、大聖人様の御悲しみ、御憤りを信心の耳で聞き奉り、最後の御奉公に立とうではないか」と。(「冨士」第324号 )
(※ 浅井昭衛会長は、"大石寺への総登山を敢行し不敬解消の抗議" を"繰り返す"どころか、一度も "最後の御奉公" に立つことはなかった。7年後の平成10年、宗門は突如大御本尊を正本堂から、奉安殿に遷座。浅井会長は驚き慌てて、俄に "御遺命守護完結奉告式" を奉修した。ここは、"不敬解消奉告式"と、すべきであった。"御遺命守護完結" としたことから、宗門復帰が叶わぬ浅井会長はやがて "相承授受否定" へと、あらぬ方向へ迷走を重ねて行く。櫻川 忠 )
5月28日  創価学会、秋谷栄之助会長、阿部日顕管長に宛て「新登山方式について納得のいく話し合いの場を要望する」旨、文書を送附。
5月29日
 宗門、寺族同心会にて添書登山方式の手続を説明、さらに学会脱退者対策として「直属信徒の扱い」と「法華講支部の組織」について通達。
 藤本日潤総監「新しい登山方式は、創価学会の問題を契機とし、本山と末寺の関係のあり方を通して、日蓮正宗本来の信心のけじめを正していくところに意義目的がある。個々の信徒に、末寺の住職などが、定められたルールを無視して私情をはさんだりしてはいけない。それは新登山方式の流れに水をさすことになる」(趣旨)
6月1日
 宗門、大日蓮、「日顕法主様は現代における日蓮大聖人」とする、内田和子(法華講員)の論文を掲載。(「同誌」6月号 )
6月1日
 顕正会、「冨士」、海老原秀夫「滅亡の予兆・池田大作」掲載。
6月1日  創価学会、第43回本部幹部会、池田大作会長、宗門の "檀徒作り" を「泥棒猫」と罵る。
6月4日
 宗門、尾林広徳師(海外部長)と 河辺慈篤師(日正寺住職)、インドネシアで檀徒作り開始。
6月5日
 宗門、一般紙に「創価学会員の皆様へ」と題し、総本山登山勧誘の広告を掲載。
「来たる7月2日から、創価学会の皆さんの総本山大石寺への登山(御開扉願)の手続き方法が変わります。今まで皆さんの月例登山会はすべて学会の組織を通して行なわれて来ましたが、今後は本宗本来のあり方に戻し、総本山と末寺において取り扱うことになりました。従って7月からは学会員の皆さんが登山されたい時は、各所属寺院から発行する添書を所持して個々に登山することになります」
6月5/18日
 顕正会、幹部大会ビデオ放映、全国126会場で開催。
6月7日  創価学会団体登山輸送を業務としていた、「大富士開発(株)」の副社長自殺。
6月10日
 宗門、正興寺(埼玉)新築落慶法要、阿部日顕管長「創価学会などは、大聖人の御信徒を『自分の信徒だ、自分の手下だ』と考えているのです。そして、そこに執われておりますから、大変な嘘まで言って、何とか自分の支配するところにつなぎとめようとしております。そのような姿を外道の我所見というのであります。… 今日、ひどい嘘によって僧侶を誹謗し、あるいは『塔婆などはくだらないことだからやめろ』とか、『寺には行くな』などと言って大聖人様の仏法を護持する宗門を迫害せんとする創価学会の者達がおりますが、これこそが因果撥無の姿であります」(「大日蓮」第545号 )
 尾林広徳師以下5人の僧侶、韓国で檀徒作り開始。
6月11日 「中外日報」、「日顕法主に『隠し子』説」を掲載。
6月14日
 顕正会、「依義判文抄」第3回講義。 (板橋産文ホール)
6月14日  創価学会、池田大作創価学会インタナショナル(SGI)会長、ドイツ連邦共和国のヴァイツッゼカー大統領と会談。
 ドイツの有力経済紙、「東京のドイツ大使館の明確な反対にもかかわらず、本日予定されている連邦大統領と日本創価学会会長の会談は、致命的ともいえる誤った決定である」と報じた。
6月15日  創価学会、森田一哉理事長、「大日蓮」(6月号)掲載の「内田和子論文」における正本堂御供養金に関する記述について、謝罪と訂正を要求。
6月17日  国税局、創価学会「はるな平和墓苑」の申告漏れを指摘、法人税(3年分)を修正申告。
「群馬県渋川市の財団法人・平和墓苑(はるな平和墓苑)に対する関東信越国税局の税務調査が、このほど終了した。その結果、同財団の経理に不正は一切ないことが明らかになったが、墓園事業の税法上の取り扱いについて理論的な解釈の相違があり、17日、昭和62年度、同63年度、平成元年度の3年分の法人税の修正をした。3年分の修正所得金額は約5億7千万円で、これに対する法人税約1億5千万円を高崎税務署に納税した」(「聖教新聞」6月18日号 )
6月18日  創価学会、国税局に約6億円の修正申告を行う。
6月18日  パリジャン紙(フランスの新聞)、創価学会が「リベルテ財団」(総裁・ミッテラン大統領夫人)や政府機関に多額の金権工作を行い、原子力工ネルギー委員会の防衛秘密に不正関与していたとの疑惑を報道。スパイ活動など、国の安危に関わる事柄を調査する内務省国土監視局 (DST) が、フランス創価学会に関心を持って調査中。(「週刊文春」7月4日号 ) 
 東亜日報紙 (韓国紙)、池田大作名誉会長と盧泰愚大統領の会談が中止になった顛末を報道。
6月19日
 宗門、尾林広徳師以下 3人の僧侶、台湾で檀徒作り開始。
6月19日  創価学会、創価新報、「学会登山会の一方的取り止めを破す」特集記事を掲載。
6月19日  PKO協力法 (国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律)、公布。国際連合によるPKO活動のほか、国連その他の国際機関等が行う人道的な国際救援活動に参加するため、自衛隊海外派遣の根拠となる。
6月20日
 宗門、大石寺大坊から 4人の所化が脫走。
6月25日  創価学会、イギリス(タプロー・コート)で、広布30周年イギリス記念総会開催。
 池田大作SGI会長「仏道修行は、水の流れるように『たゆまず』前に進むことが大切である。忙しい時や疲れきっている時、その他、さまざまな事情で勤行が完べきにはできない時もあるかもしれない。そういう時は方便品・自我偶の勤行、また唱題だけでもよいと思う。ただ決して『止まらない』こと、『やめない』こと、『続ける』ことである。ともあれ、だれが決めるのでもない。信仰は自身の『権利』である。やった分だけ、境涯は開け、自分が得なのである」(「聖教新聞」6月27日号 )
6月26日
 顕正会、6月度総幹部会開催(川口総合文化センター)、6月度折伏成果 5,333名。
 浅井昭衛会長、創価学会の登山禁止問題にふれ「すべては御仏意、大聖人が不敬の登山をお許しにならないのである」と、内房尼御前の故事を引いて指摘。
 さらに宗門が一般紙に登山広告を出したことについても「御開扉を本山の収入に利用する不純」として「現在のような不敬・不純な登山は、大聖人の御心には断じて叶わない。よって宗門一同身を震わせて大聖人に懺悔し、大御本尊を清浄の御宝蔵に御遷座申し上げない限り、御開扉は一切中止すべき」と。
6月27日
 宗門、尾林広徳師・高橋粛道師(浄顕寺)ら、スペインで檀徒作り開始。
6月27日  創価学会、電話盗聴されたとして創価学会員が、阿部日顕管長・藤本日潤総監・早瀬義寛庶務部長・日比野慈成師らを相手どり、徳島地裁に損害賠償請求訴訟を起こす。
6月27日  三菱商事、株主総会、諸橋晋六社長が "ルノアール絵画疑惑" について「学会の八尋副会長が取引の依頼をし、無横線小切手を指定した人物である」旨を示唆。
「三菱の諸橋社長の口から初めて、八尋副会長から直接購入の依頼があったことを明らかにされた。さらに発言で注目したいのは、三菱が支払った36億円は、最初、八尋副会長に手渡したこと。しかも、その架空のフランス人名義の領収書は、三菱が、八尋副会長を通して受取っていた。ここまで説明されたら、学会は、絵画取引に無関係どころか、むしろ深く関与していたことを認めるべきでしよう」(「週刊実話」7月18日号 )  
 レベヌマン・ドゥ・ジューディ誌(フランスの有力週刊誌)、「いかにして異端宗教団体・創価学会がミッテラン大統領夫人の慈善事業に潜入したか」との特集を掲載。
6月30日
 宗門、正本堂大前机の "裸体レリーフ" を撤去。
(※ 礼盤と須弥壇の間の大前机正面に、件の "池田大作裸体レリーフ" がはめ込まれ、管長以下全僧侶が拝む構図になっていた。)
 八木信瑩大石寺主任理事、秋谷栄之助会長に宛て「改正登山方式の協議について」を送付。
7月2日
 宗門、「添書登山」方式に切り替え、創価学会の団体登山廃止。
7月3日  創価学会、谷川佳樹男子部長、阿部日顕管長に「質問書」(偽書「通諜」について宗門の謝罪を求む)を送付。
「戦時中、軍部政府による神札の強制に対し、敢然と拒否、殉難の歴史を歩んだ創価教育学会。それに対し、宗門は、戸田理事長名による『通諜』なる文書を持ち出し、学会が神札を容認していたとの言いがかりをつけている。それが、宗門の時局協議会資料収集班一班による、『「神札問題」について』と「日蓮正宗と戦争責任』との二つの文書である」(「創価新報」8月7日号 )
 創価新報、「広宣流布阻止の五逆罪を許すな、目に余る聖職者の悪行を糺す」特集記事を掲載。
7月5日  創価学会、第44四回本部幹部会、池田大作名誉会長、宗門僧侶を「食法餓鬼」と批判。
 秋谷栄之助会長、「添書登山」について「初日は法華講が総動員され約2千6百人が参詣した。その後は人影も少なく、閑散とした総本山と化している。これからも百人から2百人程度のまことに寂しい様相を呈することになりそう」と。
7月6/21日
 顕正会、7月度御書講義、「妙法尼御前御返事」を拝読。(全国125会場)
7月10日  創価学会、第1回SGI世界青年部幹部会、池田大作名誉会長「肥大した病的な特権意識、人を人とも思わぬロボット的冷皿、邪智にたけた策謀好きの性格、好んで悪口ばかり云う嫉妬深さ、権威・権力に寄りかかる臆病さ、そうした本質を私どもは鋭く見破らねばならない」と、阿部日顕管長を批判。(「聖教新聞」7月12日号 )
 創価学会登山会運営委員会 細谷昭委員長、「八木信瑩文書」(6.30)に対し抗議書を送付。
7月10日  ロシア連邦、ボリス・エリツィンが大統領に就任。
7月11日  創価学会、正木正明青年部長、阿部日顕管長に対し「血脈否定の山崎弁護士に謝罪した猊下のご真意をお伺いする」との質問書を送付。
7月14日  創価学会、結成40周年記念青年部総会、池田大作名誉会長、阿部日顕管長を「天魔」「魔性」「師敵対」と罵る。
 秋谷栄之助会長、宗門を「葬式仏教」と批判。(「聖教新聞」7月16日号 )
7月15日
 宗門、「大日蓮」誌上で『謹告』と題するお詫び記事を掲載。「内田和子論文」(6月1日)中の正本堂御供養金額についての誤りを認める。(「同誌」7月号 )
7月16日
 顕正会、「依義判文抄」第4回講義。(板橋文化会館大会議室)
7月16日  創価学会、三菱商事との間で中国製陶磁器をめぐる、30億円売買疑惑が発覚。
 三菱商事が、"ルノアール絵画" 購入の3日後、創価学会の委託を受けて中国製陶磁器200点を、造船会社から22億5千万円で購入し、一年間東京富士美術館に預けた後、買値より7億円高い値段で創価学会に売却したとされる。
7月17日  創価学会、創価新報、「仏法破壊の魔の蠢動を許すな、猊下が血脈否定の山崎正友に"謝罪"」との見出しで、阿部日顕管長に宛てた「質問書」を掲載。
7月20日
 宗門、7月度の添書登山者数、9千数百人に激減。昨年同月の登山者数は、15万人であった。
7月20日  創価学会、「登山輸送センター」ビルを、宗門に明け渡す。
7月21日
 宗門、全国教師指導会、阿部日顕管長、檀徒作りを奨励。
「頭より足が大事なんです、足が。晩のお勤めが終わったら、『さぁ、飯だ』ってんで、女房にごっつぉう作らせて、まっ、ごちそうはなくてもいいが、ほんの二、三品でもいいんでしょうが、とにかく、『さぁ、一杯飲もう』と、ぐちぐち飲みながら、二時間、三時間。そしてテレビを見て、『ああ、今日も一日終わったぜ』、それで休むと。
 今日はそういう時代じゃないんですよ。今ではね、確かにその、お金はたくさん入る。入るなんて云っちゃまずいね、御供養が御本尊様に上がる。… 御書はもう私しゃ飽きるほど読んだから、ゴルフでもやってみようかなんて、それでだいぶゴルフに走った連中もいるとかいないとか。まっ、いないだろうけどもね。えへ、しかし、まぁ、ゴルフも、もうそういう時代じゃないと思いますね」と。
7月21日  創価学会、古参幹部 (和泉覚・辻武寿・柏原ヤス・白木義一郎)、宗門能化に対し書状送付。
「私ども牧口門下は、戦前の牧口常三郎初代会長の時代から、微力ながら、歴代会長のもと、その指導どおり、宗門、総本山を外護し、宗祖日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布を目指し、尽力してきたものでございます。… ところが、作年末から、突風のごとく、宗門と学会の問に起きた嵐は、学会草創期以来、この半世紀にわたり、僧俗和合して広宣流布に邁進し、日蓮正宗を愛してきた私どもにとりまして、まったく信じられない出来事の連続で、毎日、悪夢を見る思いであります。…
 申すまでもなく、今日まで、総本山に一番ご奉公し、一番猊下をお護りしてきたのは、他ならぬ池田名誉会長であります。そのことは、能化の先生方が一番よく知っておられることと思います。それを事前に何の相談もなく、宗規変更と称し、いきなり一片の通知書で総講頭を解任されたのです。しかも、名誉会長が慶讃委員長を務めた大石寺開創七百年慶祝行事の直後の、昨年末のことであり、その性急ななされ方は、どのように考えてみても不可解極まりない処置であります。… このように何の根拠もないのに、口を開けば、慢心だ、三宝破壊だ、五逆罪だと、学会や名誉会長を悪人に仕立て、懺悔、謝罪を云々するのは、異常としか書いようがありません。…
 ご宗門とは牧口先生以来、長いお付き合いになりますが、以前はもっともっと率直に意見を交わしあったではありませんか。私どもが存じ上げているご宗門には、自由にものを言える雰囲気がありました。厳粛ななかにも自由闊達な宗風があったことを懐かしく思い出します。その良き宗風が、最近は、全くなくなってしまい、宗門は、頑なに私どもとの対話を拒否し続けております。否、それどころか、昨年末の宗規変更で、信徒が「言論、文書等をもって、管長を批判」すれば処分するとの条項を加えられました。これでは、信徒は怖くて何もものも言えず、まるで中世暗黒時代の隷属を強いるものではありませんか。…
 早瀬重役をはじめ能化の諸先生方、この事態をこのまま放置しておいてよいのでしょうか。今のままの状態が続けば、一体どのようなことになるのか。宗門は、やがては、顕正会、正信会等の根本的な信心が分からず我見を押し通そうとする徒輩や、また反創価学会を標傍する種々雑多なグループ、更にはブラック・ジャーナリストらの魑魅魍魎が、我が物顔で跳梁跋扈するところとなり、本山は彼らの食い物にされてしまうことでありましょう。能化の諸先生方におかれましては、現在と将来のご宗門を憂える思いは、私ども以上であると拝察致します。現状の暗黒を打開できるのは、諸先生方をおいて外にはないと考えております。どうか今こそ、先生方が勇気を奮い起こして立ち上がり、猊下に進言なされ、まずすべてを昨年12月27日以前の状態に戻し、そこから混迷せる今回の問題に終止符を打ち、宗門の未来に希望の光を点じゆく一石を投ぜられんことを、切に祈るものであります。… 重役早瀬日慈殿」
7月26日
 顕正会、7月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、7月度折伏成果 4,853名。
 浅井昭衛会長、宗門・学会抗争が "地上戦突入" ともいうべき段階に入ったこと、「この抗争の根本原因を知るのは顕正会だけである。私はいま、この根本原因を日蓮正宗全信徒に知らせ、戒壇の大御本尊への不敬を解消せんと、真剣に筆を進めている。この書が、抗争たけなわの時に発刊されることも御仏意である」と。
 本部幹事に海老原秀夫任命さる。
7月26日  創価学会、長野県婦人部の日記念研修会開催、池田大作名誉会長「彼らは陰でこっそり『策謀』をこらす。そしてまず『一人』を退転させる。それを足がかりに広げていこうという計略である。こうした人間は、まさに"泥棒"のような、いまわしい存在である」と、宗門の檀徒作りを非難。(「聖教新聞」7月28日号 )
7月27日  創価学会、霧ヶ峰・第3回研修会開催、池田大作名誉会長、阿部日顕管長を「破和合僧の提婆達多」と非難。
7月28日
 宗門、第28回法華講連合会総会開催(総本山)、阿部日顕管長、池田大作名誉会長を、"波木井実長" になぞらえて批判。
7月31日
 宗門能化、創価学会古参幹部の文書(7.5)に対し回答書を送付。文中「宗門に対して、多大な功績を挙げるならば、池田名誉会長よりも、七百年前の波木井入道のほうがはるかに上」と、再び波木井実長と池田名誉会長を比較。
「一読して、古参の大幹部である貴殿らは、50年もの長い間、一体、何を信仰してきたのかと呆れ果ててしまいました。貴殿らの書面は、結局、従来の学会文書と同じく、学会の根本的な誤りを省みようとしない無慚極まりないものであります。そして、現在、学会内で盛んに流されている口コミと同様、現御法主日顕上人に対する誹謗・悪口に終始しております。…
 貴殿らは、50年という信心歴のあることを自負しているようですが、それならば、なぜ唯授一人血脈付法の御法主上人に信伏随従することができず、池田名誉会長に信伏随従するのでしょうか。人生の師匠は、仏法の師匠に勝れるとでも言いたいのでしょうか。それこそ、本末転倒であります。
 第一に、貴殿らは、今回の一連の問題の発端となった11・16のスピーチをはじめ、最近の池田名誉会長のスピーチを聞いていて、仏法上、何もおかしいと思わないのでしょうか。…
 第二に、はじめにも触れましたが、貴殿らには、唯授一人の血脈に対する尊崇の念が、基本的に欠如していることです。…
 第三に、貴殿らは、唯授一人血脈付法の御法主上人の尊厳を侵しながら、三宝を破壊していないと言っていることであります。…
 第四に、貴殿らは、池田名誉会長が宗門興隆の大功労者であるということをもって、いかなる謗法行為も許されると思っているのでしょうか。… 宗門に対して、多大な功績を挙げるならば、池田名誉会長よりも、七百年前の波木井入道のほうがはるかに上であります。波木井人道は、御本仏大聖人に対し奉り、あらゆる面で直接的に外護申し上げた方ですから、池田名誉会長といえども、その功績については比になりますまい。しかし、波木井入道は、大聖人滅後、民部日向の誑惑にもよって、数々の謗法罪を積み重ねていったではありませんか。そして、大聖人がお住まいあそばされた身延の地を、ついに謗法の地と化してしまったのであります。…
 第五に、僧侶や法華講は外に向かって折伏すべきであって、檀徒作りはやめるべきだなどと述べていることであります …
 以上、貴殿らの書面における基本的な信心の誤りを、五点に括って指摘し破折して、もって正信に目覚めるための一助として認めました。貴殿らは、今回の学会問題の本質をよくよく見極められ、一刻も早く反省・懺悔すべきであります。そして、御法主上人のもとに一結し、私どもとともに池田学会の誤りを糾すべく立ち上がられることを申し上げて、貴殿らの書面に対する回答といたします。…
 法道院主管 早瀬日慈、妙本寺住職 鎌倉日櫻、平安寺住職 椎名日澄、妙蓮寺住職 吉田日勇、寂日坊住職 瀬戸日謙、本行寺住職 高野日海、法霑寺住職 秋山曰浄」
7月31日  創価学会、谷川佳樹男子部長、阿部日顕管長に宛て質問書を送付、偽書の「通諜」に関して宗門に謝罪を要求。
8月1日
 宗門、「大白法」(法華講機関紙)を月2回刊に改める。
 正信会、阿部日顕管長に対し書状を送付。
8月1日  創価学会、八尋頼雄副会長、警視庁防犯部の事情聴取を受ける。
8月5日  創価学会、全国各地幹部の夏季研修開催(軽井沢の長野研修道場)、秋谷栄之助会長、損失補填問題につき陳謝。「このたびの『国際証券』問題は、『損失補てん』とは異なるものの、"株式等は絶対にやらない" という戸田先生、池田先生以来の学会のよき伝統、基本を踏み外した結果であり、全国の会員の皆さまに、大変にご心配、ご迷惑をおかけしたことを、心からお詫び申し上げたい」(「聖教新聞」8月6日号 )
「バブル破綻後、税務調査で、証券会社が大口投資家へ投機損失を自社収益から補填していたことが明らかになる。公平性を著しく損ない、市場秩序を壊す反社会的行為である。国際証券の公表リストには、78法人(件)が載っていたが、そのなかに創価学会が入っていた。創価学会が国際証券に株の取引をさせていた資金は70億円、同運用で発生した損失の補填総額は約4億5700万円とされる。全証券会社の "損失補填" 公表リストに、創価学会以外の宗教法人は存在しなかった」(要旨)(「さらば池田大作」野田峯雄 )
8月7日 「中外日報」、「日蓮正宗の云う出家は、出家の詐称である」と報ずる。
8月12/21日
 顕正会、「顕正会三十周年」ビデオ放映、全国133会場で開催。
8月14日  公明党職員、榊原一裕。鬼怒川温泉で投身自殺。
8月15日
 宗門、「大日蓮」編集兼発行人の名儀が、早瀬義純師から藁科鑑道師に変更。
 京都・本感寺(布田雄暢師)で、創価学会員による暴行事件が発生。
8月16日  創価学会、古参幹部、宗門能化に対し再び書状を送付。
「ご宗門の高僧方のことですから、僧俗和合を願う私どもの心の一端を少しはご理解いただけるものと信じておりました。ところが、長年、仏飯をはんでこられた方とはおよそ信じられないような高圧的、権威的なご返事に、私どもはただただ驚き、呆れ、哀れむばかりであります。…
 もう一度、私どもはお尋ね致します。宗門興隆の最大の功労者である池田名誉会長に対して、事前に何の相談もなく、宗規変更と称して、いきなり一片の通知書で総講頭の資格を喪失させたのは、何故でしょうか、その正当な理由が何一つないではありませんか。
 また、正本堂の意義について、… 日顕猊下は、いわゆる "正本堂ご説法" で、一信徒たる池田名誉会長が宗義の根幹にかかわる正本堂の意義について、宗内で初めて発言したのは慢心であると決め付けられました。ところが、これが日顕猊下の完全な記憶違いによる事実誤認であったことは、猊下ご自身、後に「大日蓮」に訂正を申し出されて明らかになっており、このことは私どもの先の書面で申し述べた通りであります。また、日顕猊下の "正本堂ご説法" の致命的な誤りは、日達上人の昭和47年4月の訓諭の「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」の解釈の誤りです。これについては、学会側が3月30日、十箇の問題点、四十八項目のお伺いを提出しておりますが、未だに回答すらできないことに、すべて日顕猊下のご説法の誤りが明らかになっております。そうした明白な事実にさえ目を覆う尊能師の先生方こそ「問題の本質をみようともせず、ただ猊下や宗門の都合にあわせて、名誉会長を誹毀讒謗している」と言わざるをえないのであります。…
 さて、このように具体的な事実関係には、まともに答えようともせず、ただ「ありもしない種々の事柄」と言葉を濁して言い逃れに終始しているのが、今回の書面の特徴ですが、そこでは、一応、五点にわたって反論とも弁明とも察しかねる回答がつけられていますので、次に、その誤りを指摘しておくことに致します。
 第一に、尊能師の先生方は、昨年11月16日に行われた第三十五回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチをなんとか大問題にしようと、はかない努力をされています。…
 第二に、先生方は「唯授一人の血脈の当処は、戒壇の大御本尊と不二の尊体」であるから、「戒壇の大御本尊と唯授一人血脈付法の御法主上人」の「根本の二つ」に対する信心は「絶対」でなければならないと、驚ぐべき法主本尊不二論を述べています。…
 第三に、下種三法をめぐる幾つかの論難について糺しておきたいと思います。…
 第四に、尊能師の先生方は、池田名誉会長が宗門興隆に大功労のあったことをなんとか帳消しにしようとして、七百年前身延の地を領していた波木井六郎実長を持ち出しております。そして「宗門に対して、多大な功績を挙げるならば、池田名誉会長よりも、七百年前の波木井入道のほうがはるかに上であります」などと、笑止千万、滑稽極まりない珍説を展開しています。…
 第五に、今回の書面では「檀徒づくり」について「本宗の信心の上からいって当然」と、開き直りの一大暴論を述べておりますが、自分達で本尊流布も、布教もしないで、御本尊を持った人をかすめとれ、という御聖訓がどこにあるでしょうか。…
 以上、尊能師の先生方の書面を一読して感ずるままを認めましたが、先生方が一日も早く、否、一刻も早く、謗法の酔いから目を覚まし、広宣流布の大願に立つ学会とともに、僧俗和合の大道を勇気をもって歩まれんことを心より念願する次第であります」
8月18日
 宗門、阿部日顕管長、TBS報道局の取材に応ずる。
8月18日  創価学会、第4回北海道総会、池田大作名誉会長「寺院を奪い返せ」と。
「寺は我々のものだ。僧侶のものでも、本山のものでもない。… こんだけよくして、こんだけ仕えて、こんだけ御供養して、焼きもちやかれて、バカにされて、それで怒れないような世界は、世界じゃありません、… おかしいです、妬んで私を悪者にしようと思って、学会を潰そうと思って、とんでもない所為です。天魔の所為です、全部堕地獄ですよ、宗門は。…
 私たち大多数の信徒こそ、寺院の所有者で主人である。住職も本山も、信徒から寺を預った管理者にすぎない。大猊下、日淳上人のお言葉です。圧迫されたり、威張られたり、遠慮することは絶対に必要ない。…大ボスにはね、出てってもらって。これから、我々が御供養したのみんな返せ、と。出てけ、と。そうだろう、理屈から云って。やりなさい、みんな! 北海道も」と。
「私どもが、どれほど真心を尽くして、宗門にご奉公し、多くの寺院を寄進申し上げてきたか。宗門の世界的な大発展を実現してきたか。これは、だれびとも否定できない事実である。それにもかかわらず、私どもが真心から御供養した寺院を私物化し、まして信徒をいじめ脅かす僧侶 がいるとすれば、まさに『信仰の横領」というほかない」(「聖教新聞」8月20日号 )
8月19日  ソビエト連邦、クーデター発生。新連邦条約の締結で、ソビエト連邦を構成する15の共和国の権限を拡大しようとした、改革派のミハイル・ゴルバチョフ大統領に対し、条約に反対するゲンナジー・ヤナーエフ副大統領ら保守派グループがクーデターを起こした。
 ボリス・エリツィン ロシア共和国大統領を中心とした市民の抵抗により、クーデターは失敗に終わり、逆にソビエト連邦の崩壊を招いた。
8月21日  創価学会、室蘭大勝利幹部会、池田大作名誉会長「正法の信者の信心を破壊し、自分のほうに横取りしようとする者 ― これは三類の強敵のうち、一番たちの悪い僭聖増上慢だ。… 彼らはどうして "泥棒猫" のようなまねをするのか。その心理をわかりやすく云うと、本物の法華経の実践者が出ると、皆そっちのほうへ行ってしまうので、『くやしく』『ねたましく』思うからである。それなら自分達も一から弘教に励めばいいものを、その苦労もせず、ありとあらゆる策略を弄して、正法の信徒をだまし、自分達の意のままになる存在にしようとする。これが古今の『悪僧』の醜い心理である」と。(「聖教新聞」8月23日号 )
8月22日  文部省・統理数理研究所、「『三大秘法抄』は日蓮大聖人の著作」と判定。
8月24日
 宗門、行学講習会閉講式、阿部日顕管長「私が『現在の大聖人様』であるなどということは、毛頭思っていない。そんなことを思ったならば、私自身、大謗法である」と、「大日蓮」掲載の "内田論文"(6月1日)について釈明。
8月24日  ソビエト連邦、共産党解体。ゴルバチョフ・ソビエト連邦大統領は「特別声明」で、ソビエト連邦共産党書記長ポストからの辞任を発表するとともに、ソ連党中央委員会に対し活動を禁止するよう勧告。これにより、ソ連の指導的中核だったソビエト連邦共産党が、事実上解体された。
8月26日  創価学会、北海道文化会館にて、池田大作名誉会長「苦労に苦労を重ねて築き上げた『正法の城』を横取りし、壊そうと策謀するなど、『信心』があればできることではない。城を造るまで手伝いもせず、石の一つも運びもせずに立派に出来上がってから、"少し、こっちへよこせ" では、どんな正義ぶった理屈をふりかざそうとも、賢明な民衆の目はごまかせない」と。(「聖教新聞」8月28日号 )
8月27日
 顕正会、8月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長、発刊予定の "諫暁書" について「この書こそ、過去長い間、正系門家・日蓮正宗を覆っていた誑惑の黒い雲を、一気に打ち払う歴史的な書である」と解説。ついでソ連の激変を例として、御遺命違背が全学会員に知れわたった時、学会もソ連のごとく一時に滅ぶことを断言。
 さらに「ソ連の崩壊こそ、世界が無秩序・混沌となる戦国時代の始まりである。この荒波の中で日本はどうなるのか、これこそ最大の憂いである。… この濁悪の日本に、仏勅を奉じて立つ捨身の百万ができるならば、御本仏日蓮大聖人の立正安国の師子吼を日本国中に知らしむることができる。そうなれば広宣流布は眼前である」と。
8月29日
 宗門、全国教師指導会、阿部日顕管長「かましてやれ」発言。
「脱会させなさいよ! 脫会を君がさせるのが、君の、君の一番の責務なんだ!。… 学会にいて、どうのこうのと云いたい放題のこと言ってんだから、信心がいやになろうが、何しようが、そんなことは関係ないんだ!、君にとっては!。そんなこと、そんなくだらないことを云っておってはだめだってことを、頭から少しかましてやればいいんだ、そんな者に対しては」(音声)
8月31日  創価学会、第2回大田記念文化音楽祭、池田大作名誉会長「自分の感情にまかせて、策略や虚偽を弄し、御書の仰せをないがしろにするのでは、仏法破壊の行為である。仏法破壊は大謗法である。謗法とは断固、戦わなければ、こちらまで謗法になってしまう。悪と勇んで戦わなければ、結果的に悪を認めたことになり、悪の味方になってしまう」
9月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「宗門が公然と脱会者づくりの策謀を行っているのは、まことに常軌を逸しているという他ありません。... ただ衣の権威で人々をたぶらかすような宗門には、今後も徹底して覚醒を促していきたい」(「同誌」9月号 )
9月6日
 宗門能化、創価学会古参幹部の文書(8.16)に対し、再反論を送付。
「信仰歴50年と自負する貴殿らのことですから、今回の書面が到着したときには、「君子豹変」の故事のごとく、正直に前非を悔い、反省改心して懺悔してきたものと思いました。ところが、その内容たるや、7月21日付の書面よりも、なお多くの捏造と事実歪曲を交えた、低俗にして稚拙なものでありました。私どもは、貴殿らのこうした蛙鳴蝉噪(あめいせんそう)の書面を見て、改めて50年もの長い間、一体、貴殿らは何を信仰してきたのかと呆れ果てるとともに、これほどまでに学会組織は腐りきってしまったのかと、哀憐の情を禁じえませんでした。…
 無漸な抗議書提出の真意は信徒懐柔の愚策 …
 虚偽捏造によって宗門僧侶を誹謗すべからず …
 事実無根の御法主批判は為にする讒言 …
 九項目の「お伺い」の正当化は姑息な謀略行為 …
 池田創価学会の支離滅裂な「信伏随従論」を暴く …
 宗規の改正への干渉は越権行為 …
 学会の正本堂意義付けは無知蒙昧な執情 …
 池田創価学会の傲慢体質は明白 …
 池田創価学会の本尊観はまさに外道義 …
 池田創価学会の僧宝観の蒙を啓く …
 唯授一人の血脈の当処は戒壇の大御本尊と不二の尊体 …
 池田創価学会は波木井入道と同轍の反逆者 …
 法華講員・直属信徒として受け入れるのは当然の責務 …
 勇気をもって池田大作氏を諌めよ …」
9月8日  創価学会、鳥取・島根代表記念勤行会、池田大作名誉会長「かりに、だれかが『三宝は一体』であり、広くは、自分も『僧宝』に当たるから、自分と『仏宝』『法宝』は一体である。御本尊と一体不二である。ゆえに自分は絶対である。… こんなことを云ったとしたら驕慢謗法であり、末法下種の三宝の本義を破る妄説であることは明らかである。…『法主と大御本尊は一体不二』『法主は現代における大聖人』等と主張する人がいたとしたら、歴代上人の御指南にも背き、大聖人の仏法の正義を破る謗法となるのである」と、阿部日顕管長を批判。(「聖教新聞」9月10日号 )
9月9日  創価学会、島根県代表幹部会、池田大作名誉会長「不正直の僧、邪曲の悪侶」「欲深く満足することのない『大欲不足』の僧」「どんな立派そうなことを云っても、ゴルフやキャバレー、カラオケなどへの執心は僧道に背く。いわんや自らは謗法を責めず、折伏もせずに、遊戯雑談にふけるのみならず、学会員を謗法呼ばわりする ---。そうした悪侶は "法師の皮を着た畜生" であり、大聖人、日興上人の末流と名乗る資格など、まったくない」と、宗門僧侶を批判。
9月6/22日
 顕正会、9月度御書講義、「顕立正意抄」を拝読。(全国133会場)
9月12日
 宗門、四国・敬台寺(日比野慈成師)で、創価学会男子部員が暴力行為。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部開館で厳修。浅井昭衛会長「久遠元初の御本仏とはいかなる御方かということを、理屈ではなく、眼前の強烈な事実を以て教えて下さったのが、竜の口の御法難である。私たち凡夫は、竜の口の絶大威力を拝するとき、はじめて御本尊様の絶対利益を信ずることができる」と。
9月18日
 宗務院、創価学会員による布教妨害・いやがらせ・脅迫・挑発・暴力行為等を報告するよう、末寺に通達。
9月19日  創価学会、各部代表協議会開催(学会本部)、池田大作名誉会長「御本尊への供養を自分や家族のぜいたくのために利用したり、供養して当然と傲ったり、いわんや脅して供養を強要したりする者がいれば、大聖人に師敵対する謗法の者であろう」(「聖教新聞」9月21日号 )
9月20日  創価学会、青年部・教学部代表協議会、池田大作名誉会長「私どもは … 悪の勢力に対しては、絶対にひるんではならない。こちらが安易に "妥協" したり中途半端に "寛容" になれば、ますます増張し、かさにかかって圧迫を加えてくるだけである。『正論』の呼びかけに耳を閉ざし、『対話』すら拒む "毒蛇" のような心の人々に対しては、相手の非を完全に打ち破るまで徹底して戦い抜くことが、仏法者としての真実の『慈悲』に通じていくのである」
9月23日  創価学会、第1回日米交流研修会。池田大作名誉会長「私どもは、広布と信心を破壊する天魔の所業は鋭く見破り、正法を守り、信心を守り、仏子を守り、民主主義を守るために、悪とは一歩も退かずに戦っていかねばならない」と語る。(「聖教新聞」9月25日号 )
9月26日  創価学会、池田大作創価学会インタナショナル会長、米国のハーバード大学で講演。
9月27日
 顕正会、9月度総幹部会開催。(川口総合文化センター) 9月度折伏成果 6,312名。
 浅井昭衛会長、諫暁書が10月13日に出来することを発表ののち、「この書は、正本堂の誑惑の始めと終わりを括ってその正体を白日のもとに晒したものである。その願いはただ一つ、戒壇の大御本尊に対し奉る不敬解消の一事である」
「醜い抗争により、日蓮正宗が蔑られ、大聖人の御威徳が傷つけられているのが、私には我慢できない。ゆえに本書の中で、日本国民に対して、大聖人の全人類救済の崇高なる御精神、また日本および全世界の運命に関わりをもつ国立戒壇の御遺命を、たとえわかろうとわかるまいと、信じようと信じまいと、はっきりと示しておいた」 「諫暁書と顕正会挙げての大折伏があれば、戒壇の大御本尊の不敬解消は必ず成る」と。
9月27日  中外日報、「日顕法主が"邪宗の墓地"に先祖墓」と、禅寺墓問題の記事を掲載。
9月29日  創価学会、第1回アメリカSGI総会。池田大作名誉会長、阿部管長を「天魔」と罵る。(「聖教新聞」10月1日号 )
 秋谷栄之助会長、「学術部の日」記念の集いで「(宗門は)確かに伝統的な化儀や形式や建物はあっても、僧侶に信仰者としての気風は薄れ、むしろ他の既成宗教と何ら変わりがない職業化が目立ってきている。あたかも封建時代の檀家制度が理想のような時代錯誤の感覚で、権威に固執し、檀徒づくりに狂奔している」と述べる。(「聖教新聞」9月30日号 )
9月29日  創価学会、総本山内の登山センターと雪山坊を宗門に明け渡す。
 総本山警備の「日光警備保障」(学会設立)、総本山との契約を解除さる。
9月29日  国税庁、創価学会に対し第2次調査開始。
9月30日  創価学会、聖教新聞、秋谷栄之助会長「人法一箇の御本尊を信仰し、大聖人に帰伏していくのが私どもの信心である。それを、法主への信伏随従にすりかえるのは、大聖人の御指南に反するものであり、三宝破壊の邪義である」
10月1日  創価学会、第1回アメリカ青年研修会。池田大作名誉会長、阿部日顕管長を「民部日向そっくりで三宝破壊の人」と批判。(「聖教新聞」10月4日号 )
10月3日  創価学会、カナダ・アメリカ最高代表者会議、池田大作名誉会長「学会を『波木井』というのであれば、日興上人のごとく、『我も住むまじき』として、学会寄進の寺院等からは出ていくのが筋だ。… 日達上人は(私のことを) "昭和の南条時光" と云われ、今の宗門は『波木井』と誹謗する。… 思えば堕落僧・日向も、謗法を容認し、折伏に励まず、酒宴で醜態をさらし、日興上人を『外典読み』とまで誹謗し、大聖人の清流を破壊してしまった」と。
10月4日
 宗門、スペイン王国で、法人「正法日蓮正宗スペイン」許可。野口スペイン理事長、副本部長、本部婦人部長らSGIメンバー700名の内、140名ほどが脱会し正宗側へ就く。
10月5日
 宗門、日蓮正宗時局協議会「日顕上人ご建立の墓石に対する学会の誹謗を破す」を刊行、全国の教師宛てに送付。
10月8日  カナダ、カレドン市議会。創価学会による文化会館建設の許可申請を否決。
10月9日  創価学会、学術部の日記念の集い、秋谷栄之助会長「"法主根本主義" は三宝破壊の邪義 … 宗門は、信伏随従という言葉を、信徒を従属させ、拘束するための "道具" として使っている。権威権力によって、信徒に盲従を強いる道具とすることは、宗教としては最極悪であり、断じて許されない」(「聖教新聞」10月10日号 )
10月9/20日
 顕正会、10月度御書講義、「兄弟抄」を拝読。(全国136六会場)
10月10日  創価学会、小田原記念音楽祭、池田大作名誉会長「檀那(信徒)を、自分の "食いぶち" としてしか考えない。その "食いぶち" 得るために、檀那を確保しようとし、ガツガツと供養を得ようと貪る。そのためには手段を選ばない、平気でうそをつく。人を救う慈悲など、まったくない。… こうした『邪見』の僧を、大聖人は、『狗犬の僧』と、厳しく断じられた」(「聖教新聞」10月12日号 )
10月11日  創価学会、"破門" に備え、阿部日顕管長を「日顕」と呼び捨てにすることを宣言。
 秋谷栄之助会長、栃木・千葉の本部研修会において、宗門を「天魔・極悪」と断じ、「法主本仏論」「御書部分論」「波木井礼賛」を強く批判。(「聖教新聞」10月12日号 )
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で厳修、「御付嘱状の重大性心腑に染めよ
 浅井昭衛会長「御付嘱状は、大聖人の一代三十年の御化導のすべてを括って日興上人に示し給うたものであるから、御書四百余篇の中では最も大事である。この短い御文の中に、大聖人様の下種仏法の肝要が、すべて尽くされている。…
 日本国一同に戒壇の大御本尊を信じ奉り、国家意志の表明によって国立戒壇が建立されるならば、この戒壇建立は、そのまま日本国が事相に本門下種の大戒を受持したことに当り、そのとき、戒壇の大御本尊の功能により、"防非止悪" の戒徳また国家・社会に事相としてあらわれる。…
 国家においても十界があるが、修羅界の国家は、内には国家権力を以て人民をしいたげ、外には他国を侵略する。ソ連などはまさに修羅界の国でした。修羅界なるがゆえに軍備を拡張しすぎ、それが経済の破滅をもたらし、いまついに連邦の事実上の解体にまで至ったのです。この現象を見て、世間では「冷戦は終った」といいます。しかし、米ソの冷戦の終りが、新しい戦国時代の始まりであることに気づく者はほとんどいない。これから世界は、間違いなく無秩序と混乱の戦国時代に入ります。見てごらんなさい! ソ連は各共和国に分裂して互いに相争うようになったでしょう。…
 この重大な御遺命を破壊せんとする者は、まさに御本仏の終窮究竟の本願を破壊し、あの流罪・死罪をも忍び給うた一代三十年の御化導を泡沫に同ぜしむるの大罪を犯す者であります。昭和四十七年と六十五年(平成二年)、御遺命は危うく破壊されんとしたが、危機一髪のところで、大聖人様の御威徳によって破壊を免れました。
 そして今、この大罪の恐しさを感じてか、阿部管長は本年に至って「正本堂は御遺命の戒壇ではない」と云い始めた。顕正会の諫暁すでに二十一年、ようやくいま、正本堂の誑惑だけは崩壊いたしました。残るところは、戒壇の大御本尊に対し奉る不敬解消、この一事だけであります。
 ここに今回の諫暁書の重大意義がある。… 直ちに阿部管長に一冊送附いたしました。もう池田大作には送らない。すでに時は過ぎている。彼を諫めるつもりは毛頭ありません。懺悔なき一闡提は、もう亡ぶだけであります。阿部管長は昨年の諫暁書の時には送り返してきました。しかし今回は受け取っております。願わくば――、法のため、国のため、真剣に本書に目を通し、真の改悔を以て戒壇の大御本尊への不敬解消を速かになされんことを、私は心から念願しております。…
 顕正会は一分の油断もなく、ただ身を捨てて完結への御奉公に驀進するのみであります。この諫暁書と顕正会の死身弘法があるならば、御遺命守護は必ず完結する」
 浅井昭衛著「『学会・宗門』抗争の根本原因」(国書刊行会)発刊さる。
10月14日
 顕正会、教学部、「依義判文抄」第5回講義。(板橋産文ホール)
10月14日  創価学会、東京・小金井の本部研修会。山崎尚見副会長「法主・本尊一体不二論」および僧侶の「妻帯」を批判。
10月15日
 宗門、創価学会処分のための重役会議。大石寺東京出張所(文京区・西片)で開催。
10月15日  創価学会、新潟の本部研修会。秋谷栄之助会長、宗門を「六師が末流」「仏法破壊者」「魔の眷属」と罵る。
10月16日
 宗門、「正本堂のご指南に対する創価学会の『再お伺い書』の問難を破す」を発表。(「大白法」350~353号 )
10月17日
 宗門、全国教師指導会開催、参集した四百余人の中から六人の代表僧侶が選ばれ発言。
 青山聴堂師・石橋頂道師・高野法尊師・梅屋誠岳師・花野充道師・水島公正師、
 ① 創価学会への解散勧告
 ② 池田大作・秋谷栄之助・森田一哉の除名
 ③ 御本尊下附の停止
 ④ 登山の停止
等の要望を述べる。
 藤本日潤総監、「十月末までに、各教師は署名捺印をもって要望書を提出せよ」と指示。(「文藝春秋」平成4年1月1日号 )
10月17日  創価学会、関西最高協議会。池田大作名誉会長、阿部日顕管長を「三位房」「大悪魔」と罵る。(「聖教新聞」10月19/20日号 )
10月19日
 宗門、梅屋誠岳師を急拠、渉外部主任に抜擢。
10月21日
 宗門、藤本日潤総監、創価学会・秋谷栄之助会長に対し、"学会葬"停止の「通告文」を送付。
「最近、創価学会では、会員のみの同志葬・友人葬と称すみ僧侶不在の葬儀(以下、学会葬という)を執行するなど、組織を挙げて、本宗伝統の化儀を改変しております。これは、まさに大聖人の仏法と富士の立義を破壊する謗法行為であり、日蓮正宗として、絶対に認めることはできません。
 一、日蓮正宗の信仰の根幹は、大聖人・日興上人以来の師弟相対の信心化儀を中心とした、化儀即法体の法門にあります。…
 二、そもそも本宗における葬儀とは、故人の臨終の一念を扶助し、臨終に正念を遂げた者も遂げられなかった者も、ことごとく、本有の寂光へと尊き、本因妙の即身成仏の本懐を遂げしめる重要な儀式であります。…
 三、日興上人の『曾禰殿御返事』に「なによりは市王殿の御うは(乳母)他界御事申はかり候はす、明日こそ人をもまいらせて御とふらひ申候はめ」と、当時、僧侶が導師を務めて信徒の葬儀を執行したことを示された記述が存しております。…
 四、次に、現在葬儀において必要とされる戒名と位牌について述べておきます。戒名とは、仏法の三帰戒を受けた名でありますから、まさに法名と同意であります。…
 五、以上、本宗本来の化儀・化法の上から、葬儀の在り方を述べました。創価学会においても、牧口常三郎初代会長の葬儀は日淳上人(当時、歓喜寮主管)の導師によって、戸田城聖二代会長の葬儀は日淳上人の大導師によって、北条浩四代会長は日顕上人の大導師によって執行されました。…
 このように、導師御本尊を奉掲せず、僧侶を不要とし、戒名・位牌等を愚弄する学会葬は、明らかに本宗の血脈師弟義に背いた大謗法であります。このことは、創価学会の本宗信徒団体としての存立自体に、大きく影響を及ぼす問題であると考えるものであります。よって、貴殿らには、以上のことを深く反省された上、学会葬の誤りを率直に認め、速かに本宗本来の化儀に改めるべく、その措置を講ぜらるよう、厳に、通告するものであります」
10月21日  中外日報、「大石寺のイメルダ 阿部日顕法主夫人」を掲載。
10月23日  創価学会、第41回中央会議 (東京・創価文化会館)、秋谷栄之助会長「昨年の夏、宗門は、いわゆる『C作戦』なるものを画策していた。『C作戦』とは、学会、名誉会長を『カットする』=『切り捨てる」という作戦である。つまり、名誉会長を総講頭から解任し、日蓮正宗と創価学会とは関係がないと世間に公表し、学会組織の徹底的な壊滅を謀る、というものである」(「聖教新聞」10月25日号 )
10月24日  内外タイムス、「大石寺のイメルダ」を掲載。
10月25日
 顕正会、10月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、10月度折伏成果 4,425名。
 浅井昭衛会長、宗門の "池田除名手続" の開始、学会の "阿部日顕管長退座要求" 署名等、抗争が極点にさしかかりつつある現状を説明、自己保身のために日蓮正宗・大石寺そのものを傷つけ、五百万学会員を悪の道連れにしようとしている池田大作を、「悪知識」と喝破。
 さらに「私は、池田が昭和49年8月12日、宗門をそそのかして顕正会を解散処分にした直後、豊島公会堂で臨時班長会を開き『仏法の破壊者、池田大作を宗門から追放しよう! この卑劣なる解散処分こそ、やがて学会の命取りとなり、池田がその恥を天下に晒すことになる』と云った。17年前のこの叫びが、今日ついに、大聖人様の御意により、事相になる時がきた。… 御遺命守護完結への最も重大なるステップこそ、御遺命破壊の元凶・主犯たる池田大作の宗門追放である」と。
10月25日  創価学会、聖教新聞、「宗門の "黒い意図" を破す」の連載を開始。
10月28日  創価学会、地涌、創価学会処分の「要望書」に、署名拒否した僧侶を紹介。(「同誌」301号 )
10月29日  中外日報、「日顕一派こそ "現代の波木井"」と、批判記事掲載。
10月30日
 顕正会、壮年部決起大会開催、参加者 762名。浅井昭衛会長、信心第一の人生こそ最も大事であること、ついで大石寺と国家の関係を説明、「現在の未曽有の抗争は、未曾有の国難の前兆である」と。
10月30日  創価学会、緊急会議開催、宗門を批判しつつも、御本尊についての不安の声上がる。福島啓充弁護士(副会長)「破門には訴訟で対抗する。猊下も裁判に引っ張り出す
「天魔がゆく」(ビデオ)を作製、全組織に流す。
 秋谷栄之助会長、支部長会において「大御本尊を私物化しようとする陰湿な心は、大謗法である。大御本尊の願主は僧侶ではない。大御本尊は、法主の専有物なのではない」と。(「聖教新聞」10月31日号 )
11月1日
 顕正会、「冨士」特別レポート、海老原秀夫「悪侶小川只道の正体、ますます白日に
11月2日  創価学会、聖教新聞、青木亨副会長「供養貪る僧は『無用の長物』」と。
11月3日  創価学会、全国壮年部幹部会(創価大学)、秋谷栄之助会長「宗門は、自らの謗法の実態を覆い隠し、学会は異流義であるからとして破門をしたい、また、そのように宣伝をしたい、そして、多くの人にそう思い込ませたい、と姑息な手を打とうとしている。これこそ聖職者の常套手段の "たぶらかし" である。… 破門されれば血脈が切れて功徳がなくなると脅してくるかもしれませんが、謗法容認の宗門に、もはやそのような資格はない」と。
 秋谷栄之助会長「学会は一貫して、大聖人の仰せ通り、正法・正義を行じております。したがって、正法・正義を実践するのが日蓮正宗であるなら、創価学会こそが日蓮正宗であり、謗法の宗門は異端であります」(「聖教新聞」11月4日号 )
11月4日  創価学会、第二東京文化音楽祭総会、池田大作名誉会長「宗門が、戦略的に、創価学会の破門や解散を持ち出してくることは、当然推測できることであり、そうだとしても別に驚くほどのことでもない。学会は、宗教法人法にのっとって設立された "独立した人格" を持つ宗教団体である。ゆえに法的に宗門が何を云ってきても、何の実効性もない」と。
11月5日  宮澤喜一内閣発足。宮澤喜一、第78代内閣総理大臣に任命さる。
 自由民主党の総裁選で、渡辺美智雄、三塚博を破って、宮沢喜一が首班となった。
11月6日  創価学会、中央会議開催、秋谷栄之助会長「宗門は日顕が本、大聖人が迹という『顕本仏迹論』を作り出した。… まさに『法滅の法主』と云われてもやむをえない。… このような悩乱ぶりは、日蓮正宗とは全く縁もゆかりもない、否、正宗そのものを破壊する "日顕宗" になったと断ぜざるを得ない」と。
11月7日
 宗門、創価学会に「解散勧告書」を送付。
「創価学会は、本来唯授一人血脈付法の法主の指南、及ぴ教導のもと、日蓮正宗を外護し広宣流布へと挺身すべき本宗信徒の団体であります。ところが、最近創価学会は、自らの本分を忘れ、本宗信仰の命脈たる下種三宝義、並びに血脈相伝義をはじめとする本宗伝統の化法・化儀を、己義をもって改変し、他宗教さながらの様相を呈しております。日蓮正宗としては、これまで慈悲の立場から、種々の指導・善導に努め、教誠等をもつて反省懺悔を求めてきましたが、創価学会は全くこれを無視し、かえってあらゆる手段をもって、法主・宗門に対して、誹謗・攻撃を加えつづけてきております。よって、もはやこれ以上、看過することはできず、ここに創価学会に対し、解散を勧告するものであります」
11月7/20日
 顕正会、11月度御書講義、「聖人御難事」を拝読。(全国139会場)
11月7日  創価学会、全国県長会議(東京・広宣会館)、秋谷栄之助会長「(学会に対して)『解散』を求めるということならば、宗門は広宣流布そのものを破壊する、仏法上、極悪の大謗法であることが決定したといえよう。…『日顕宗』ともいうべき邪宗と化したのは宗門である。… 大謗法の "日顕一派" が、学会に解散を求めるなど、まったく筋の通らない話であり、また法的にもそのようなことに何の意味もない」と。さらに、阿部日顕管長の「十の大罪」を挙げ、「宗史に大汚点を残した法主」「傲慢と邪悪の法主」「平成の提婆達多」と罵り、"退座要求大署名運動" の開始を宣言。
 副会長の総数は180名となり、総合教学部長に青木亨が、新教学部長に斎藤克司が就任、47人の新師範が発表された。(「聖教新聞」11月8日号 )
11月7日  読売新聞(夕刊)、"創価学会解散勧告" を報じる。「現在の学会の活動路線そのものが同宗の教義に折り合わないことを明確にするため、解散勧告を行うことに固まったとみられる」
11月8日
 宗門、梅屋誠岳師(渉外部主任)、大石寺常灯坊で記者会見。「池田氏の仏法解釈は宗門の教義・信条に著しく違背。こちらは同氏の信仰姿勢を問い糺している」と。
11月8日  創価学会、秋谷栄之助会長・山崎尚見副会長・野崎勲副会長、聖教新聞社で記者会見。「教義から脱線したのは宗門であり、日蓮大聖人より日顕法主の方が偉いというのでは、もはや日蓮正宗ではない」「法主の退座要求署名を今後はSGIと共に学会ぐるみが行っていく」と発言。
11月8日 「中外日報」、「宗門いまや"日顕宗"に」と特集組む。
11月9日  創価学会、「聖教新聞」に「C作戦」の全文を写真入りで掲載。
11月10日  公明党現職市議団長(埼玉・川越市)水口和夫、創価学会を脱会、公明党を離党。
11月13日  創価学会、聖教新聞紙上に「SGIの声」と称し阿部日顕管長の「解散勧告」を激しく非難。「傲慢で恫喝的な、しかも、二枚舌の金儲け主義の極悪聖職者」「悪魔的行為」「法主にあるまじき冷酷な謀略、非人間性、非社会性の仕打ち」「歴代法主の中の最低法主」「破壊僧、堕落と欺瞞と二枚舌」等々。
11月14日  創価学会、秋谷栄之助、阿部日顕管長を「日顕法主こそ前代未聞の謗法法主」「日蓮正宗を滅ぼす『法滅の妖怪』であり『時代の妖怪』である」と罵る。
11月15日
 顕正会、日目上人御報恩勤行会、本部会館で厳修、「涙なくして拝し得ぬ死身弘法
 浅井昭衛会長、日目上人が最後天奏の時に所持された申状の末文につき「『先師の地望』とは、日蓮大聖人が胸に懐かれ給うた大願、すなわち御遺命の国立戒壇建立である。日目上人がいかに御遺命を重しとされていたか、この一文の中に深く拝することができる。…
 いよいよ広宣流布の前夜を迎えた今、私たちの立場でこの『先師の地望を遂げんがために』の御奉公を考えるならば、いま正系門家において失せんとする国立戒壇の御遺命を守り奉り、一国に折伏弘通を進めていくことこそ、まさしく『先師の地望を遂げんがため』の御奉公である」と。(「冨士」第328号 )
11月16日
 顕正会、「依義判文抄」第6回講義。(板橋産文ホール)
11月17日  右翼の街宣車、大石寺でイヤガラセ行動を開始。
11月17日  サンデー毎日、野崎勲副会長インタビュー記事掲載。
「質問 もう一点、「極悪」とか「天魔」とか呼ばれる日顕法主の書き写したご本尊を拝むのに、抵抗はないでしょうか。
 野崎 抵抗ある人は、いると思いますよ。いますけど、ご本尊というのは、日蓮大聖人が書いたものをそのまま書写しているわけですよ。日本語では書写ですが、英語でいえばコピーですよね。ご本尊に功徳があるんであって、法主であれば誰が書写したかというのは、問題じゃないんですよ。
 質問 信徒としては、本山に参拝したいと、思いますよね。
 野崎 当初、確かに寂しいという人もいましたけど、同時に、こういう形になってきちゃうと、その本山の座主は日顕法主ですよね。法主自身が狂っちゃってるんだから、会員は、そんなところ行きたくない、という心情になっていますよ。あの法主が退座するまでは本山に行かない、という皆さんが多いんじゃないですか。 (「同誌」11号24日号 )
11月18日  創価学会、「創立の日」記念SGI勤行会。池田大作名誉会長「相伝書は、かつては秘伝の書として伝えられてきたが、… 現在では、その内容は公開され、オープンになっている。… 僧侶だけが知っている、何か特別な根本の法門があるというのではない。日蓮大聖人の仏法の根幹は、「三大秘法」であり、その根本中の根本は「本門の本尊」である。日蓮大聖人が、弘安二年( 一二七九年)十月十二日に御建立になられた、一閣浮提総与の本門戒壇の大御本尊こそ「本門の本尊」であられることは、いうまでもない」と。(「聖教新聞」11月21日号 )
11月19日 「中外日報」、阿部日顕管長の私行を暴く。
11月20日
 宗門、総本山で御大会奉修。右翼街宣車の妨害で「お練り」の信徒参列は中止。
 阿部日顕管長「今や創価学会は、その本来の正法広布の目的と使命を忘れ、大聖人の五段の相対の元意と甚深の法脈に背き、特に、内外雑乱して世間に媚び、利養に貪著し、悪心を懐き、常に世俗の名誉権勢を思い、多くの民衆を誑惑して我見の仏法を申し狂い、正法を持つ僧俗を誹謗し讒言しております。かかる池田創価学会は、もはや昔日の如き正しく正法を弘通する団体ではなく、自らその使命を拠棄した、三宝破壊の集団と化しております。故に本月の七日をもって、宗門においては、創価学会に対し、断固、その解散を勧告いたしました」(「大日蓮」第550号 )
11月24日  右翼街宣車、20台が大石寺に集結。夕刻、境内に火炎ビンが投げこまれる。
11月26日
 顕正会、11月度総幹部会開催。(川口総合文化センター) 11月度折伏成果 6,342。二十六万達成。
 浅井昭衛会長、学会・宗門の抗争がその極に達しているさまを説明ののち「権謀術数や謀略合戦では宗門は学会の敵ではない。その力は大人と子供ほど違う。宗門は御遺命違背を心から懺悔し、大聖人様の御守護を頂く以外にはない」
「法主として大事な御遺命に背いたその罪の重大さを思うならば、阿部日顕管長は五体を地に投げるほどの本物の懺悔に立たなくてはならない。その懺悔のしるしとは、戒壇の大御本尊を、直ちに不浄の正本堂より御宝蔵に遷座し奉ること、これ以外には断じてない」
 さらに北東アジアの危機と顕正会の使命について言及、「明年を躍進の第一年として、断じて三十万を成し遂げたい」と。
11月27日  創価学会、各部代表者会。秋谷栄之助会長、阿部日顕管長の御大会式での発言について「日顕法主一派は、日興上人の正流に真っ向から反し大聖人減後退転した五老僧の眷属であると断ずる」「日顕法主という人はどこまでへ理屈の天才、いじわると邪悪の製造者なのか」と罵る。
11月28日
 宗門、創価学会に「破門通告書」を送付。
「創価学会は、法主並びに宗門の、たび重なる慈悲の教導に背反し、本宗の法義・信仰を著しく改変して、仏法破壊の大謗法団体と化したのであります。ここにおいて、本宗は、創価学会の過去における外護の功績が、いかに甚大であろうとも、謗法厳誡による宗門七百年の伝統法義護持と真の大法広布を目指す上から、もはや日蓮正宗の信徒団体として認めることができません。よって、日蓮正宗は、宗教法人創価学会を破門に付し、以後、日蓮正宗とは無関係の団体であることを通告いたします。さらに、このような創価学会の指導を受け入れ、同調している全てのSGI組織、並びにこれに準ずる組織に対しても、これを破門に付し、以後、日蓮正宗とは無関係の団体であることを通告いたします」(「大日蓮」550号 )
11月29日
 宗門、藤本日潤師等、常灯坊で記者会見。破門通告について「信仰上の追放処分で、信徒団体への措置としては最大の厳罰」「しかし会員個人は信徒であるので、目覚めて、創価学会を辞めて日蓮正宗の信者になるよう働きかける」と述べる。
11月29日  創価学会、秋谷栄之助会長、聖教新聞社で記者会見。破門通告について「何の話し合いもせず、一片の通知で破門などという時代錯誤の措置をとることは中世の暗黒時代そのものであり、まったく理不尽というほかはなく、憲法に保障される信教の自由の精神を踏みにじる冷酷無残な暴挙といわざるを得ません。創価学会としてはこのような破門通告を受ける筋合いはまったくなく、また、具体的な根拠もないものであり、無効なものであると断ずるものであります。… 会員の信仰の自由を妨げたり、さまざまな形の権利を損うようなことがあれば、法的措置を考えねばならない」と。
11月30日
 宗門、全国教師指導会(総本山)、創価学会員への本尊の新規下附・再下附・分世帯下附停止を決定。
 阿部日顕管長「創価学会は五十ヵ所ぐらいで裁判を直ちに起こすそうですから。で、そこへ全部私を引き出すんだそうで。私も別にまあ、場合によったら行ってもいいかと思っている。別にどうってことはない、あんなもの」(「今、改めて問う創価学会・公明党」内藤国夫 )
 藤本日潤総監「まさに、闘いはこれから … 学会に『日蓮正宗』の名称を使用させない」と。
11月30日  創価学会、創価ルネサンス大勝利記念幹部会開催(東京・創価国際友好会館)。
 池田大作名誉会長「11月28日は、歴史の日となった。『11月』は学会創立の月であり、『28』は、法華経二十八品の『28』に通じる。期せずして、魂の"独立記念日"にふさわしい日付になった」と。
 秋谷栄之助会長、県・区に「儀典部」を設置することを発表、「新入会メンバーや分世帯の方々の御本尊下付の問題については、海外のメンバーと同じように、何の心配もありません。また、日本全国どこへ行っても会館もあり、また、どこの家庭にも御本尊が御安置されているのですから、そこへ行って勤行をさせてもらえばよいのです。あくまでも一人一人の信心の姿勢が大事であることを、互いに銘記したいと思います」。さらに、「日蓮正宗の名称不使用」について「現宗門こそ謗法の"日顕宗"であり、日蓮正宗を名乗る資格がない。学会が今後、日蓮正宗という名称を使うかどうかは全くこちらの自由であり、とやかく云われる筋合いはない」(「聖教新聞」12月2日号 )
11月 日  龍年光、「有徳王」を発刊。阿部日顕管長、題字を揮毫。
「龍は日顕をあおり、できもしない創価学会の「法定解散」をするという目的で、法華講組織を総動員して署名運動をした。集められた署名簿は、4月2日、龍の手によって東京都知事に提出されたが、東京都の対応は"門前払い"同様の扱いだった。憲法や宗教法人法を知っていれば、行政が宗教に介入することなどできはしないのは常識である。龍の妄語を真に受けた日顕は、宗教法人のトップでありながら、みずからの依って立っている法律すら知らない者として、世の人々にその無知を笑われただけだった。
 この創価学会「法定解散」の妄動をするにあたり、それを煽動するためにつくられた小冊子があった。龍が理事長をする「財団法人土と人間の蘇生の会」が発行した『有徳王』と題する小冊子である」(「地涌」448号 )
11月 日 「中外日報」編集部、「崩壊する日蓮正宗」を発刊。
12月1日
 宗門、「創価学会員の皆様へ」と印刷したハガキ、および「破門通告書」掲載の「大日蓮」号外を広く創価学会員に送付。
 小川只道師、日本共産党「赤旗」誌(日曜版)のインタビューに登場、創価学会を批判。
12月1日
 顕正会、冨士、編集部「「叱呵痴犬抄」の再掲に当って
「五年前の昭和六十一年、「本門正宗」と名乗る新邪教が横浜で旗上げし、その主宰者・小野寺日了と共謀者・玉井礼一郎の二人が「万年救護本尊」を模刻した贋造本尊を立てて大石寺を悪口誹謗したが、当時、顕正会会長・浅井先生に「叱呵痴犬抄」を以て完膚なきまでに破折されたことは、広く知られている。
 この破折により、小野寺は逼塞して消息不明となったが、共謀者の玉井は小野寺と別れたのち、懲りもせず、今度は自ら日礼などと名乗って再び「万年救護本尊」をかつぎ新邪教を開いているとのことである。… 玉井は本年に入って、自著の「立正安世論」なるものを阿部日顕管長に送附したとのことである。阿部管長は八月二十九日の教師講習会において、これを採り上げ破折しているが、その中で、小野寺・玉井等の曽ての「本因妙大本尊」なる誑惑が、五年前、妙信講により粉砕されていることを次のように述べている。
 阿部日顕管長「そのような勝手な推断でありますから、偽物であるということがはっきりと露呈し、特に妙信講のほうからも破折をされたので、この『大本尊ふたたび出現す』という本の編著者兼発行者である玉井礼一郎という者は、『これではとても駄目だ』と思ったのか、それまでは小野寺日了を師匠とするような形でくっついていたのだけれども、どうもそれから別れたらしいのです。そして今年になって、玉井は玉井で別に『立正安国論』をもじって『立正安世論』という本を出したのです。… 小野寺から離れた形跡があり、色々と塗り変えて自分の説を立てております。しかも、五年程前の『大本尊ふたたび出現す』で小野寺の走狗として自ら論じたことには一言も触れず、説を変えたことについての弁明もありません。まことに無節操、無責任極まる者であります」
 以上のような経過の中で、宗門僧侶から資料として「叱呵痴犬抄」を求める声もあり、また小野寺・玉井の誑惑を広く世に知らしめるため、さらには顕正会員の教学研鑽に資するため、ここに「叱呵痴犬抄」(昭和六十一年十月十三日刊)を再掲する次第である」
12月2日  創価学会、第49回本部幹部会、第3回埼玉総会開催、池田大作名誉会長「本日は、学会が "独立記念日" を迎えてから第一回の本部幹部会となった」
12月3日
 右翼団体、大石寺境内で爆竹を鳴らす。所化20人が木刀・鉄パイプで応戦、右翼リーダーに傷を負わす。
12月4日  創価学会、「創価新報」に「宗門汚した日顕法主の『暴力』と『遊蕩』」との特集を掲載。
12月6日  創価学会、「聖教新聞」に関快道と「C作戦」の関わりを発表。
12月7日  右翼団体「武士の会」、阿部日顕管長に対し「公開質問状」提出。
12月8日  創価学会、本部幹部会。池田大作名誉会長「正本堂は、一部の人間の自己満足や、一宗のみの繁栄を願って建立されたものではない。あくまでも全人類の平和と文化の発展のため、世界のすべての民衆に開かれた殿堂である。... もしも、現在の宗門のように民衆の殿堂を私物化し、"差別の殿堂"にしてしまうのならば、それは大聖人の御心に背くことになる」と発言。
 創価学会、「日顕法主退座要求署名が 1千6百万人を超えた」と発表。
12月10日  大石寺周辺の住民、右翼の街宣活動に対して「陳情書」を富士宮市議会・同警察署に提出。(「中外日報」1月7日号 )
12月12日
 顕正会、「依義判文抄」第7回講義。(板橋産文ホール)
12月14日  創価学会員(千葉県市川市)、阿部日顕管長と藤本総監に対し「破門通告」の撤回を求める「異義申立書」を提出。60日以内に回答ない場合は、静岡地裁に処分無効を求めて提訴すると通告。(「産経新聞」12月15日号 )
12月15日  創価学会、第1回川崎文化音楽祭。池田大作名誉会長「学会を破壊しようとする罪は無間である。『創価学会を地上からなくしてみせる』『全学会員を、ひざまずかせ、支配してみせる』と豪語した策謀者たちの黒い意図は、完全に失敗した」と発言。
12月17日  創価学会、「続・天魔がゆく/実録・C作戦」(ビデオ)を作製。
12月20日
 宗門、大日蓮、「創価学会の処置と今後の対応について」掲載。
「平成三年十一月二十八日付をもって、創価学会に対し破門を通告いたしました。さらに、創価学会の指導のもとにある、SGI組織並びにこれに準ずる組織に対しても、併せて破門を通告いたしました。従って、創価学会、SGI組織及びこれに準ずる組織は、日蓮正宗とは無関係になりました。この破門により、宗門は創価学会を認めないことになりましたが、個々の会員が寺院で受けた御授戒・御本尊下附は、創価学会員としてではなく、日蓮正宗信徒として受けたものであるから、個々の会員については、日蓮正宗信徒としての資格は残ります。…
 一、御本尊下附
 二、御授戒
 三、総本山登山
 四、御報恩御講
 五、各種法要・諸願
 六、墓地
 七、会館入仏式等創価学会からの願い出は一切受け付けない」(「同」552号 )
12月23日  創価学会、荒川・立川文化音楽祭。池田大作名誉会長、平成3年度中に世界各国から入手した"勲章"を披露し、自らの功績を誇る。
12月24日
 顕正会、12月度総幹部会開催。(川口総合文化センター)
 浅井昭衛会長「この一年を振り返ると、御遺命に背くことがどれほど恐ろしいことであるかということを、大聖人様によって眼前に見せて頂いた年であった」
「顕正会は、明年三十万を達成する。そしてその後数年すれば百万は必ず成る。濁乱の宗門、濁悪の日本の中に、大聖人様の御心のままに戦う捨身の百万の仏弟子の集団が出現する、その意義の重大さは到底言葉には尽くし難い」と。
12月25日
 宗門、日蓮正宗時局協議会、「=創価学会破折= 正本堂に関する御指南の真義」発行。
12月25日  創価学会、「日蓮世界宗創価学会」を出願。創価学会は、正式名称を "日蓮世界宗創価学会" に変更するため出願、平成5年3月31日に認可された。
 法道院主管・早瀬日慈師の腐敗を、法道院法華講幹部・藤原栄の "遺書" 発表を以て開示。
12月27日
 宗門、大石寺三門の「日蓮正宗総本山」の大看板、墨で汚される。
12月27日  創価学会、阿部日顕管長に対し「法主退座要求書」を送付、1,624万9,638人が署名。宗門、受取りを拒否。
12月 日  右翼街宣車、阿部日顕管長に見立てた人形を、三門前で引きずりまわす。
 
  年表  
1月1日
 宗門、阿部日顕管長「新年の辞」。
「昨年は日蓮正宗の歴史に於て重大な意義を持つ、厳正適切な処置(破門)が決行された記念すべき年であった。... 宗門支配の企てや仕掛けは、当然の如く破滅した」と記す。(「大日蓮」1月号 )
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館をはじめ全国44会場で厳修。
 浅井昭衛会長、年頭の辞「躍進」、「昨年は、御本仏一期の御遺命に背き奉ることが、どれほど恐しい罰を招くかを、まざまざと見せて頂いた一年であった。... 宗門・学会の曽ての蜜月時代に、誰人が今日の事態を予想し得たであろうか。御本仏を蔑り御遺命に背くことがどれほど恐しいことか、この眼前の罰を見て誰人も深く畏れ慎しまなければいけない。… ただし、主犯の池田大作には未だ一分の怖畏懺愧もなく、その言動は一闡提のごとくである。阿部管長には一分の改悔は見られるものの、その懺悔は五体投地のそれとはほど遠い。ゆえに未だ戒壇の大御本尊は、恐れ多くも誑惑・不浄の正本堂に居えられ奉ったままになっている。正系門家にこの濁乱ある以上、日本が傾かぬはずはない。
 本年、顕正会の弘通は三十万に達する。そして数年後には必ず百万が成る。濁乱の宗門の中に、濁悪の日本国の中に、身命も惜しまず日蓮大聖人の御遺命を奉ずる百万の仏弟子の大集団が出現するのである。その意義の重大さは、とうてい言葉には尽くしがたい。… いま世間は、学会・宗門の醜い抗争を見て、日蓮正宗を軽侮している。だが、顕正会の戦いにより、やがて日蓮大聖人の崇高の御精神、立正安国の師子吼を、全日本人が耳にすることを得よう。… 顕正会はいよいよ躍進すべき時を迎えた」(「冨士」第329号 )
1月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「昨年末の『破門』などの宗門の行為は、自らの悪行を隠蔽したままに、衣の権威で脅そうとする小細工であり、何の痛痒も感ずるものではない。むしろ、その居丈高な態度は、宗門がいかに時代錯誤で陰湿な体質であるかを露呈したものであり、自ら滅亡を示す哀れな姿と云える」(「同誌」1月号 )
 創価新報、早瀬日慈重役を「強欲と詐術のタヌキ坊主」と誹謗。さらに紙上覆面座談会において「狂った宗門が正本堂を閉鎖するという事態が予想される。… もし奉安殿に大御本尊を御遷座するようなことがあったら、完全なる広布の後退だ。… 先師・日達上人への明らかな師敵対」と。
1月2日  右翼街宣車、大石寺境内で信徒に暴行、逮捕さる。(「赤旗」1月4日号 )
 この時逮捕された、住吉連合会翼下の政治結社「新生政経研究会」代表、全 国明(橋本 剛)は、1992年9月末に赤坂のビルから転落死。
1月3日
 宗門、正月登山者数、前年と比べ4万1千人減。
 阿部日顕管長、法華講連合会の目通りで「まだ謗法の輩が充満しておるにもかかわらず、大聖人様が『一期弘法抄』や『三大秘法抄』に一期御化導の究極としてお示しになった本門戒壇の御指南は既に創価学会において達成をして、… 池田創価学会による考え方は、その基本が違っておるということを感ぜざるをえない。…
 この問題 (本門戒壇)に関して、日達上人の統せられた昭和40年代から50年代の初めにおいて様々なことが起こった。それらの内容に対していらだちを感じた池田大作なる人物が、まことに不逞な考えをもって、教義の逸脱、あるいは宗門支配等の姿を色々な角度から、陰に陽に表わしてきたのが52年路線であったと思う。(その後も)宗祖大聖人の究極の御指南である『戒壇』についての意義は、自分達が正本堂を建立したことによって既に完結をした(との考えが)根本的に存在した。... 次第に宗門との対決、宗門に対する懐疑を深めてきた感があり、... この5、6年以来、あるいはもう少し前からかもしれないが、次第に現われてきた」と。
1月5日
 顕正会、冨士、新春紙上座談会「宗門の濁乱と顕正会の使命」掲載さる。
 浅井昭衛会長、宗創抗争の本質と阿部日顕管長の仏法上の責任、そして救われる道、顕正会の大路線に言及。また、創価学会による日開上人誹謗を論駁。(「顕正新聞」1月5日号 )
1月5日  創価学会、杉並・中野合同総会、池田大作名誉会長「創価学会を破門にした日顕管長に近いうちにきっと罰が出る。それも厳しい罰が出るに違いない。先代の日達上人も、私をいじめたために急逝した。日顕も早晩そうなる」と。
1月6日
 宗門、全国教師・寺族指導会、阿部日顕管長、法華講の支部単位総登山を本年より実施する旨を指示。また面従腹背の僧侶の存在を認め、「そんな者は袈裟を返上して僧侶を辞めよ」と。
1月6日
 顕正会、合同班長会、板橋文化会館で開催、「御遺命堅持の日淳上人の時代に戻せ!」。
 浅井昭衛会長「私は毎年、歳の暮に、顕正会を代表して 総本山に詣で、戒壇の大御本尊を遥拝し奉り、大聖人様に御挨拶申し上げております。このことは顕正会の登山が妨げられてより二十一年間、一度も欠かしたことはありま せん。ところで今回は、たまたま大石寺で四台の右翼の街宣車に出会いました。街宣車はみな車体に、黒枠で囲った阿部管長の大きな写真を張りつけ、さらに下劣な絵と文字を書きなぐったオドロオドロしいものです。そして拡声器のボリュームをいっぱいあげ、「日顕は本山を出ていけ」と怒鳴っているのです。…
 先日などは、阿部管長に見立てた等身大の人形を車で引きずり回しながら、罵声を放っていたとのことです。また十二月二十七日の深夜には、大石寺の三門に掲げられている「日蓮正宗総本山」の大看板が、 何者かによって墨ペンキを浴びせかけられるという事件が起きた。それも二度にわたってです。日興上人が大石寺を建立されてより七百年、このような形で「日蓮正宗総本山」の看板が穢されたのは、今回が始めてであります。さらに正月二日には、街宣車で総本山に乗りつけた右翼の者が境内に入ろうとし、これを阻止した信者に暴行を加え、傷を負わせるという事件も発生しております。これからも、何が起こるか全くわからない。…
 宗門は学会を登山禁止にし、破門にし、学会員に呼びかけて「早くこちらにこい」というんでしょう。学会を潰して会員だけを横取りしようというわけです。これは坊さんの生活のための"檀徒作り"ですね。これに怒りを燃やす学会は、なんとしても憎い阿部管長を猊座から引きずり下ろそうと血相を変えているのです。激突しないわけがない。… 恐らく本年は、目を覆わしめるような事が起こるかもしれない。この醜い抗争の現証こそ、 御本仏の御遺命に背き奉った罰そのものでなくて、何でありましょうか。…
 もし大御宝蔵たる奉安殿に大御本尊を遷座し奉れば、宗門は二代前の六十五代・日淳上人の時代に戻る。国立戒壇の正義が堅持されていた日淳上人の時代に戻るのです。宗門はそこから、改めて国立戒壇をめざして再出発、広宣流布への仕切り直しをしなければいけない。これ以外に、阿部管長の救われる道、宗門の救われる道、そして日本を救う道は絶対にない。…
 凡夫の力では大仏事は成就しない。ただ御本尊に祈念申し上げる以外にない。全顕正会員の大聖人に通ずる真剣なる祈りと、体をぶつけた死身弘法の中に、不敬解消の大仏事は必ず成る」と。(「冨士」第330号 )
1月7日  創価学会、新春幹部会、池田大作名誉会長「仏子を『奴隷』化する勢力は大聖人への『師敵対』であり、『極悪』である。『極悪』とは、断じて戦い抜く以外にない」と。
1月8日  創価学会、「創価学会勤行要典」を作成、二座の観念文から「本門戒壇の大御本尊」を削除
 第14回参議会 (学会本部)、「参議会では、『創価学会会則』の改正について原案通り答申した。また、『創価学会勤行要典』及び『御観念文』の制定について、全員の賛同により決議した」(「聖教新聞」1月9日号 )
 第46回中央会議(創価文化会館)、会友運動の目的を「学会共感層の拡大にある」とし、「会友証」の作製を決定。「新たな弘教運動としての『会友』運動について、各方面の状況を交換しながら、活発に意見を交わした。その結果、『会友』運動は、あくまでも『学会共感層』の幅広い拡大に主眼があることを確認。… 共感層の拡大については、『会友』『友人』を合めて幅広く展開していく」(「聖教新聞」1月9日号 )
1月9日  創価学会、森田一哉理事長、総合儀典部長に就任。
 池田大作名誉会長、必勝の檄を飛ばす。「今が正念場だ。ひるんだ方が負ける。私は負け知らずだ。本格的に関ったら、必ず勝てる。『地涌』は、宗門を攻撃するミサイルとして一番の効果をあげている。『地涌からの通信』を百万部のベストセラーにするんだ。婦人部に読ませよう」
1月9日  週刊ポスト、秋谷栄之助会長への直撃インタピュー掲載 (破門直前)。
「Q 学会はやはり時間がきたら宗門から独立するつもりではないか。
 A それは、宗門と学会の分断を画策した連中が、わざと流している話です。私どもの方には、宗門から独立するという考え方は、以前から今に至るまで毛頭なかったのです。
 Q 今回の問題は、学会側が宗門側を兵糧攻めにする"経済戦争"ともいわれている。
 A そんなことは全くない。こちらにはもともと対立する気なんかないんですから。要するに、日顕法主にとっては、こちらが何かものをいうこと自体が気に入らないんです。私もお目通りの席で、"宗門にもの申すなんて、お前は驕慢だ" と大声で怒鳴られたことがあります。
 Q 下付された本尊と大御本尊の関係はどうなるのか?
 A 私たちとしては、大石寺にある大御本尊を根本にしていくことに変わりはない。しかも、私どもは御本尊の写しを本部にも各家庭にもいただいている。従って、どの御本尊を拝んでも功徳においては何ら変わりはないという考えです」(「同誌」1月17日号 )
1月10日
 宗門、阿部日顕管長、手記「創価学会員に告ぐ / 宗門はなぜ『破門』を通告したか」を、文芸春秋 (2月号)に寄稿。
 阿部日顕管長、末寺在勤教師初登山で、龍年光の「創価学会解散署名運動」を挙宗で取り組むことを強調。また「本年から宗門独自で広宣流布をしていく。… 僧侶が先陣を切っていく」と。
1月12日
 顕正会、教学部、三級試験 (開目抄)・四級試験 (立正安国論)・五級試験 (南無日蓮大聖人)、全国45会場で施行。3,384名が受験。
1月12日  創価学会、鎌倉・湘南合同総会、池田大作名誉会長「今の日蓮正宗は、御本仏の経典によらず、御書を軽んじ、御書をゆがめ、勝手な『己義』を中心にして、正法を破壊しつづけている。もはや完全に、大聖人、日興上人の御魂の住まわれない "天魔の山" と化してしまった。…
『己心中の秘法』といっても、仏の極説である『妙法』以外にあるわけではない。妙法を離れて、それ以上の秘法が別に伝えられたのでないのである。自分だけが妙法以上の特別な "秘密の法" を知っているなどと見せかけるのは、それ自体がインチキの姿である」と、暗に血脈相承を否定
1月15日
 顕正会、成人式、本部会館で行う、「上野殿のごとく生涯不退の信心を貫こう」。
 浅井昭衛会長「値いがたき三大秘法、御本尊様にお値いした以上、どんなことがあっても、途中で退転してはいけない。上野殿のごとくに、生涯不退の決意に立つ。これこそ成人式に当って、最も大事なことである。… 生れついて外道に執着するのも、あるいは権経に執着するのも、あるいは文上の法華経に執着するのも、みな宿習である。その中にあって、いま皆さんは文底深秘の大法たる弘安二年の大御本尊様を無二と信ずる身となれたこと、まさに宿縁でなくて何か。…
 私は十七歳のとき発心いたしました。私は日蓮正宗の家に生まれたから、生まれながらにお題目は唱えていたけれども、本当の自覚に立って「この仏法に命をかけよう」との決意に立ったのは、十七歳の時でした。発心したときの感激は今でも憶えております。 たまたま立正安国論を拝読しておりまして、日蓮大聖人の仏法こそ宇宙を貫き三世を貫く生命の根本の法則なのだ。"個人も国家もこの仏法の法則のままに動いているのだ"、"命かけて信じ切れるものは、日蓮大聖人の仏法以外にはない" との歓喜と決意が心中に湧き上がり、興奮して夜も眠れなかったこと、今でも憶えております。 以来、今日に至るまで、この十七歳の時の感激は少しも変わらない。その後、学び、そしてさまざまな体験の裏付けにより、この感激はますます堅固になり、確実なものになってまいりました」と。(「冨士」第330号 )
(※ 昭和34年1月1日、浅井昭衛青年部長はこう語っている。「私が未だ学生であつた頃に三谷素啓という方の書いた"立正安国論精釈"を読みました。その中には大聖人様の仏法哲学が説かれてあつて、… その宇宙観生命観また政治に対する見解とか … かくすればかくなるのだと云う方程式が如実に過去の歴史において示され、… それを見た時に仏語実不虚の云う事は決して観念的な夢でない、… この事を深く感じたことがあつた。もし安国論に説かれてある様な宇宙観が事実で本当であるならば、この流布に目分の人生の凡てをかけても悔いはない、これを知った自分は幸せなんだと感激した事をまざまざ憶えております」と。立正安国論に、宇宙観は説かれていない。「宇宙を貫き三世を貫く生命の根本の法則」というのは、三谷素啓の"立正安国論精釈"の近代的解釈の一面にすぎない。櫻川 忠 )
1月15日  創価学会、全国青年部幹部会、池田大作名誉会長「(御書に仰せの)"一閻浮提広宣流布" を進めているのは、創価学会だけである。… 獄死した恩師牧口先生は、日蓮正宗の悪侶に切られ、いじめぬかれたのである。懺悔し、罪を滅する気があるならば、学会に来るべきである。学会には大聖人の御精神が脈々と流れているのだ」
 創価新報、「"痴"的レベル問われた日顕氏の奇稿文」と、阿部日顕管長の「手記」(文芸春秋)を嘲笑。
1月17日  創価学会、池田大作名誉会長、"己心本尊論" 展開。「大事なのは『自分』である。自分の『生命』である。外にある御本尊も、我が "内なる" 御本尊を顕すためにこそ、大聖人が建立してくださったのである」(「聖教新聞」1月17日号 )
1月19日
 顕正会、教学部、二級試験 (観心本尊抄・宗教批判の原理)、全国16会場で施行。328名が受験。
 登用試驗 (折伏理論解說書 第一章~第八章)、全国60会場で施行。4,754名が受験。
1月20日  中外日報、大石寺労務課長・向井秋雄師の私行を暴く。
1月23日
 顕正会、1月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、「世界は群雄割拠の戦国時代に
 浅井昭衛会長「ついこの間まで、「冷戦は終った」「これで世界は平和になる」などとはしゃいでいた学者・評論家も、その後の激動ぶりを見て、みな口をつぐんでおります。 いまの世界の無秩序と混沌の行く末は、もう誰にもわからないのであります。 私は、今日の世界は、日本の戦国時代の始まりに、まことによく似ていると思っております。…
 また西側陣営も、世界の警察を以て任じていたアメリカが衰退し、すでに自国の経済すら成り立たないという状態におち入っている。だからいま米国内では、「アメリカ・ファースト」という言葉がしきりに使われております。世界のことよりも、アメリカのことが大事だということです。… 見てごらんなさい。ソ連邦の崩壊に伴う各共和国のしのぎを削る群雄割拠を!、「独立国家共同体」などというわけのわからぬものが一応出来たが、あんなものはすぐ崩れます。私は必ず利害の衝突から、共和国同士の内戦が遠からず始まると見ております。…
 もう広宣流布せねばならぬ時、また大聖人様の御威徳により、やれば必ずできる時がきている。… 学会・宗門ともに御遺命たる国立戒壇放棄のゆえに、正系門家における広宣流布の戦いは完全にストップした。… 正系門家・日蓮正宗の中に、顕正会以外に広宣流布の仏勅に応え奉るものは断じてない。顕正会たとえ非力なりといえども、身命を捨てて大聖人様に応え奉らねばならない」と。(「冨士」第330号 )
 総合男子部長に浅井克衛、男子部長に海老原秀夫、壮年部幹事に横田高明任命さる。
1月23日  中外日報、阿部信彰師(大修寺)の私行を暴く。
1月24日  創価学会、会友の資格・基準等を定めた「創価学会会友に関する要綱」を決定。
 聖教新聞、社説「現在の日蓮正宗宗門は(中略)もはや大聖人、日興上人に対する『敵対』といわなければならない。日興上人が『時の貫首為りと雖も 仏法に相違して己義を構えば 之を用う可からざる事』と厳命された通り、貫首(法主)であろうとも、己義を主張して御書に示された法理に違背したならば、その主張を用いることは許されない。根本は仏法 (御書)であり、貫首ではないからである」と。
1月26日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「学会の活動に対して、最も無理解であり、批判的だったのが、現在の宗門だった。それのみか、私どもの実践が世界的に認められたことを嫉妬したのである。民衆のために未来を開くどころではなく、民衆を自らの権威に隷属させようと策謀して、ついに学会を破門するという暴挙に出た」と。
 聖教新聞、「関快道の仮面を剥ぐ」の連載開始。
1月28日
 宗門、法華講支部指導教師指導会、阿部日顕管長「僧侶のなかにもそのような考え (阿部管長が替わって別の法主が立てば学会と元のとおりになる)を持っている者がいるのではないかと思う。… しかし創価学会を破門する必然性があったために宗門はそれを断行したのであり、断行した以上は元の状況に戻るようなことは絶対にない」と、将来にわたって宗門・学会間に和解のありえないことを強調。
1月31日  創価学会、聖教新聞、森田一哉理事長「あの人(阿部管長)は、自分の謗法を棚上げして、血脈をことさらに神秘化して、権威の象徴のように使い、信徒を縛る鉄鎖に使っている。これ自体、血脈の私物化であり、血脈の本義からの逸脱だ。『血脈』を信徒を恐れいらせる、水戸黄門の印籠か何かと考え違いしているのではないか」と。
2月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「(大聖人の仏法に)何か特別に神秘的なものがあるわけでもない。宗門が、結局、信徒から見捨てられ、... さまざまな儀式に神秘性をもたせ、衣の権威を保とうと必死であるが、それは民衆を誑かす魔術である」と、暗に血脈相承を否定。
 森田一哉理事長、寄稿「創価精神に生きる」、「第三祖日目上人滅後、… 富士の清流は枯渇に瀕し、濁流に変じる危機を繰り返しながら … 大聖人の仏法を、その本義のままに展開することなく逼塞せじめたのは、やむをえざる歴史的背景を考慮しても、なお宗門総体としてその責めは免れ得ないであろう。この法滅の危機を救われ、日蓮大聖人の信心の血脈を蘇生させられたのが牧口先生、戸田先生であった。… 現今の宗門の醜態を見るに、日蓮大聖人の御精神を離れること遥かなりと慨嘆せざるを得ない。もはや宗門に大聖人の仏法の血脈はない。… いま大聖人の仏法の血脈を相承した唯一の存在は、創価学会を置いて他にはない」(「大白蓮華」2月号 )
2月2日
 宗門、僧侶の造反始まる。工藤玄英師 (長栄寺)・大橋正淳師 (大照寺)・吉川幸道師 (顕仏寺)・池田託道師 (世雄寺)・串岡雄敏師 (能顕寺)・吉川雄道師 (善興寺)・宮川雄法師 (長栄寺・在勤)の6住職・1教師、宗門を離脱し「日蓮正宗改革派」を名乗り、阿部日顕管長へ「諌暁の書」を送付。
「いまや、かかる愚挙によって、末寺はもちろん、総本山も疲弊と荒廃の一途をたどり、呻吟する僧侶の悲憤・義憤の声は地に満ちております。… 私たちは、今日の破滅的な仏法衰微の事態を、もはやこれ以上、座して傍観することはできません。… 宗門現執行部に対し、信ずるところを諌言するとともに、これを広く宗門内外に訴えるものであります。…
 今回の問題は、偉大なる御仏意の表れであり、… まさに宗門改革の時至れりの感を深くするものであります。しからば、その改革とは何か。
 第一には、真に信徒のための宗門たるべきことであります。…
 第二に、宗門の悪弊、すなわち差別的体質の除去であります。…
 第三には、独裁的体質からの脱却であります。…
 それまで、学会を賛嘆し、僧俗和合を説き、檀徒づくりは布教の邪道であると指南されてきた猊下が、一夜にして掌を返すように学会を攻撃する姿をどう受け止めればよいのでしょうか。… 猊下が名誉会長の慢心を指摘せんとされた正本堂の意義に関する説法は、学会の質問書を待つまでもなく、明らかに日達上人の訓諭の趣旨を曲解し、名誉会長の罪をあげつらわんとして故意に事実を改竄するなど、誤りが多々見受けられたことは、紛れもない事実であります。…
 今、私たちは、謗法の山には住むまじとの断腸の思いで身延離山されし日興上人の御心を心として、あえて石山を離れるものであります。… 宗門が真に宗開両祖の末流たるに恥じない姿に向かうときが来るならば、私たちは、喜んで帰山し、宗祖御遺命たる広宣流布の聖業に僧俗和合して邁進する所存であります」
2月2日  大石寺従業員、労働組合「富士宮ヒューマンユニオン」を結成。阿部日顕管長に対し、人権侵害・不当労働行為の即時中止と、配置転換の撤回を要求。
2月2日
 顕正会、柏崎事務所、新潟県柏崎市に開設。
2月3日
 日蓮正宗改革派、工藤玄英師、記者会見。「今回の問題の元凶は、ひとえに日顕法主の感情的な指南、架配の誤りにあり、なかんずく学会、池田名誉会長に対する怨嫉、嫉妬の念にある」と。
2月4日  石田次男 (元・創価学会理事)、膵臓ガンで逝去、享年66歳。
「三代会長と期待されていた石田は、後年、反池田の立場をとり池田の仏法観を「内外一致の妙法」、「六師義・外道説」であると批判。反創価学会派僧侶の一部により正信会が結成された際には、その理論的支柱となった。実弟の石田幸四郎 (公明党委員長)、妹の明子 (秋谷栄之助会長夫人)、葬儀に参列せず」
2月6日  潮、秋谷栄之助会長「幼児性を露呈した日顕手記を斬る」を掲載。(「同誌」3月号 )
2月7日
 顕正会、第二祖日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修、「波に映る大聖人の御影を御本尊に
 浅井昭衛会長「いま宗門と学会の、僧宝についての論争がさわがしい。学会は"僧宝は日興上人だけ"といっているが、日寛上人は『爾来日目・日道代々ことごとくこれ僧宝なり。および門流の大衆また爾なり』と御指南されている。すなわち僧宝とは、別しては日興上人御一人、総じては歴代御法主、さらに広く論ずれば正系門家の僧俗も僧宝の一分と仰せられているのである。…
 なぜ大石寺門流の僧俗は僧宝の一分なのかといえば、日興上人の『本門弘通の大導師』の戦いを助けまいらせるからである。... しかし、いまこの日寛上人の『門流の大衆また爾なり』の仰せに当るのは、正系門家の中には顕正会以外にはない」と。(「冨士」第331号 )
2月7日  創価学会、大白蓮華、特別号 ①「阿部日顕法主退座要求書」発行。
2月7/19日
 顕正会、2月度御書講義「開目抄」を拝読。(全国135会場)
2月8日
 成田雄具師(興隆寺)、宗門から離脱。
2月8日  創価学会、関西・中部代表幹部会、秋谷栄之助会長「今、日顕も作り話で広宣流布を破壊しようと躍起になっている。"昔良観、今日顕"。この二人こそ、いな日顕こそ仏法史上の最大の悪人に列せられるであろう。... なんと浅ましい、なんと哀れな、なんと愚かな、仏法史上かつてない第六天の魔王の化身として生まれた法主」と。
2月9日
 顕正会、古河事務所、茨城県古河市に開設。
2月9日  創価学会、インド共和国で創価ルネサンス開幕祝賀会、池田大作名誉会長「(宗門は)創価学会を『破門』にしたが、私どもにとっては本格的な世界広布への道が開ける『開門』となった」と。
2月9日  週刊ポスト、創価学会系離脱僧インタビュー記事掲載。
「Q これから学会と行動を共にする、ということか
 A そうです。この1年間は、宗教大改革なんだと。宗門VS学会に見えますけど、もっと重要な意味を含んでいると考えています
 Q しかし学会では、僧侶は必要ないと打ち出しているが
 A いらない、というのは、信徒を苦しめる僧侶はいらないということじゃないでしょうか。いい僧侶になってもらいたいということをいっているんだと思います。私は、必ず学会員といい関係をとり戻せるものと確信しています
 Q 池田大作氏との関係は
 A 学会員時代から知っています。みな元学会員です
 Q 全国600か寺の僧侶の中で、元学会員はどのくらいいるのか
 A 80% くらいがそうです」(「同誌」2月21日号 )
2月10日  中外日報、「関快道 (仏寿寺)こそ、C作戦の企画立案者」と指摘。
2月11日  創価学会、福岡県代表幹部会、秋谷栄之助会長「(創価学会を)破壊せんと画策し、大失態を演じた日顕には、今や、ただ自己の保身と責任転嫁しかない。法主でありながら、我が身の正当化のために、ウソにウソを重ねている彼の醜態は、まさに提婆以上の姿である。先師に違背するどころか、こんな大聖人の御遺命違背と五逆謗法の法主は宗史七百年にもなく、未来永劫にもう出現しないのではないか」と。
2月11日  創価学会、森岡正昭副会長ら幹部、公明党福井県本部長・田賀一成に、本山参詣を止めるよう執拗に迫った。田賀本部長の次女が、昨年暮れに脱会していたことから、創価学会の嫌がらせが激化。副会長らは、田賀本部長を池田文化会館に呼び出し吊るし上げた。
「1. 日顕の悪口を言って歩くことが君の目的だ。ただちに実行せよ
 2. 脱会した者が自殺するまで追い詰めろ、それが池田先生の指令だ
と強烈に詰め寄った。田賀一成本部長が森岡正昭副会長に『脱会した娘を自殺に追い詰めろということですか?』と聞き直すと、副会長は『そのとおりだよ』と答えた」(「時局ニュース」)
「田賀氏が創価学会に入ったのは五三年十一月、以降、福井県の部隊長、男子部長、総合本部長などを歴任。公明党の中央委員、党福井県本部長等、二十五年間つとめてきた。… 田賀氏は、二月十一日、創価学会福井池田文化会館に呼び出され、M副会長ら学会幹部十人から激しくののしられ、数時間にわたってつるし上げられた。『党県本部長としていまやらなければならないのは、日顕(日蓮正宗の法主)を徹底して攻撃することだ。党の政策なんかどうでもいい、学会青年部をつれて選挙並みに全県を回れ、日顕批判をやりぬけ。… もう一点、脱会していった元学会員をあらゆる手をつかっていじめぬけ、おいつめろ』と強要された」(「公明党・創価学会 政権参加を問う」新日本出版社、しんぶん赤旗・特別取材班 )
2月12日
 宗門、静岡地方裁判所に「右翼団体の街宣活動の禁止」を求め提訴。
2月12日  中外日報、河辺慈篤師 (日正寺)を「C作戦の原案者」と指摘。
2月12日  富士宮ヒューマンユニオン、阿部日顕管長に団体交渉開催を要求する「通知書」を送付。
2月15日
 岡崎雄毅師(妙貴寺)、宗門から離脱。
2月15日  元公明党参議院議員、田代富士男。砂利船汚職で懲役2年6ヵ月、執行猶予3年、追徴金1千万円の判決を受ける。
2月16日
 宗門、時局協議会、「学会僧七名による『諌曉の書』を粉砕す」
「本年2月3日、「諫暁の書」(2日付)なる書面が、御法主上人猊下宛に送付されてきた。… 御法主上人並びに宗門に対する彼らの誹謗は、池田創価学会の受け売りであるから、今さら目新しいものは何もない。… 日蓮正宗僧侶の姿を借りて、仏法を破壊しようとしてきた輩の体質を暴き、もって稚書を粉砕するものである。
 そもそも、工藤玄英ら7ないし8名はもともと池田創価学会の絶対的な信奉者であり、池田創価学会という歪んだフィルターを通してしか、日蓮正宗の仏法を学んだことがない。したがって、彼らの教義解釈は、日蓮正宗の相伝から外れたものなのである。実際に首謀者である工藤玄英・大橋正淳らは、以前より池田大作本仏論者だったのである。…
 僧侶不要の創価学会は、宗門から離脱した工藤玄英ら学会僧の輩に対して、果たしてどのように対応していくのであろうか。世智に長じた創価学会のことであるから、工藤玄英ら7・8名の離脱行為を、宗門攻撃のために大げさにクローズアップして報道し、都合よく活用するであろう。しかし彼ら学会僧が、池田創価学会から捨て去られるのも、さほど遠い未来ではなかろう。彼らの末路を考えると、全く哀れさしか感ずるものはない」
2月16日  創価学会、中国代表幹部会、秋谷栄之助会長「先師 (日達上人)に違背する大罪を免れることはできない。何よりも信心の真心で正本堂建立の御供養に参加した世界八百万の信徒に対する大背信である。社会的にもそのようなことは絶対に許されない。嫉妬に狂った醜い慢心で、名誉会長と学会を貶しめるために、正本堂の仏法上の意義まで改ざんし、... 平和と民衆の殿堂を私物化するとは、まさに悪鬼入其身を現じた法主である」と、"正本堂の仏法上の意義"に言及。
2月16日  公明党、福井県本部長・田賀一成、創価学会脱会と公明党離党を表明、石田幸四郎委員長あてに離党届を提出。
「福井市議五期をへて二期目の現職県議だった田賀氏は、福井県における"公明党の顔"でした。記者会見で脱会・離党を公表すると、地元に衝撃が走りました。… 田賀氏の議員引退騒動は、いまも地元福井県に余震を残しています」(「公明党・創価学会 政権参加を問う」新日本出版社、しんぶん赤旗・特別取材班 )
2月16日  週刊実話、野崎勲組織本部長が緊急電文「7人の僧侶の正宗離脱の件」配信、との記事を掲載。
「7人の僧侶の行動は勇気あるもので、今後は温かく見守って行きたい。… ただ、今回の7人が離脱したからといって、葬儀や法要をこの7人に直接依頼したり、御本尊をいただきに行ったりすることのないようにお願い致します。友人葬、また御本尊下付に対する考え方は、従来と一斉変わっておりませんので、ご了承いただきたいと思います」 (「同誌」2月27日号 )
2月17日
 顕正会、教学部、「依義判文抄」第8回講義。(板橋産文ホール)
2月17日
 日蓮正宗改革派、大橋正淳師、「聖教新聞」に「日顕猊下は池田名誉会長に謝罪せよ」との手記を発表。
2月19日
 日蓮正宗改革派、工藤玄英師、「創価新報」に「現宗門は広布途上の『無用の長物』」との論文を発表。
2月19日  創価学会、中央会議、秋谷栄之助会長「日顕一派は、寺院を自らの安逸をむさぼる場に堕落させてしまっている。のみならず寺院という場を利用して、信者から御供養を取ることに汲々とし、金儲けに終始している」と。
2月24日  関晴正・社会党議員、衆議院予算委員会で創価学会の宗教法人問題を追及。
2月25日
 顕正会、2月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、2月度折伏成果 5,420名。
 浅井昭衛会長、阿部日顕管長の足元に迫る自界叛逆と辱めの現証を挙げ「御本仏の御法魂たる戒壇の大御本尊を辱め奉るがゆえに、いま阿部日顕管長自身が辱められ、自界叛逆で苦しむのである。… 阿部日顕管長は心から大聖人様にお詫び申し上げなければいけない。そして一日も早く戒壇の御本尊様を奉安殿に御遷座申し上げなければ、身を亡ぼすこと疑いない。私がこのように連々と不敬解消を云い続けているのも、ひとえに法のため、宗門のため、阿部日顕管長のため、日本のためである」と。
2月25  中華人民共和国、領海法に尖閣諸島を「領土」と明記
「1992年2月25日、中国の全国人民代表大会(全人代、国会に相当)常務委員会で領海法が可決された。日本が領有を主張している沖縄県・尖閣諸島(中国名、釣魚島)を中国領として同法に明記した。日本政府は中国政府に厳重抗議したが、中国側は「釣魚島は古来中国領土であり、国際法上も疑義はない」と反発した」
2月26日
 顕正会、本部会議開催、浅井昭衛会長「入信者の育成」「指導の在り方」について「いま顕正会には熱烈な折伏により毎月数千名におよぶ人々が入信しているが、これら多数の人々を、一人ひとり人材に育て上げることが、これからますます大切になってくる。それには何よりも、入信したら必ず御書講義と総幹部会の基本路線に参加させることである。… 仏法は人々の悩みを解決するためにある。会員の中にはさまざまな悩みを持っている人がいるだろう。生活上の悩みなら、できる助言はしてあげよう。しかし指導の根本は枝葉の助言にあるのではない。実に、信心を励まし、御本尊に祈って解決することを教えるところにある」と。
2月26日  渡辺嘉蔵・社会党議員、衆議院大蔵委員会で創価学会の会計問題を追及。
「渡辺(嘉)委員 昨年新聞、テレビで報道されました創価学会が造成された墓苑の脱税の疑いで税務調査を行われたとあったのですが、これは事実かどうか。それからこの創価学会へのそれまでの税務調査は行ったことがあるのかないのか。御答弁をいただきたい。
 坂本(導)政府委員 宗教法人を含む公益法人についても実地調査を実施しているところでございます。… 御指摘の創価学会の件は、個別の件でございますので、ここでは答弁を差し控えさせていただきたいと思います」(第123回国会 大蔵委員会第4号)
2月26日  静岡地方裁判所、右翼団体 (4名)に対し「宗教活動妨害禁止等」の仮処分を下す。2月12日、宗門が「右翼団体の街宣活動の禁止」を求め、提訴していた。
2月27日  創価学会、アジア総会・平和音楽祭、秋谷栄之助会長「宗門は相変わらずドブネズミのような、またコソ泥のような"檀徒作り"に狂奔している。その狂いの根本はいうまでもなく法主日顕であり、その焼きもちに起因している。... 大聖人直結の信心こそが正道である。聖職者がその間に割って入り、聖職者を通じてでなければ、大聖人に通じないと信者に錯覚を与えるような姿は、大謗法である。... 日顕が先師に背き、己義を構えていることは明らかであり、日顕こそが日蓮正宗から追放されなければならない」と。
2月 日  国税庁、直税部課税第二部、創価学会への調査再開。
3月1日  創価学会、新世紀総会、池田大作名誉会長「学会の外護によって"日本一" "世界一"の繁栄を誇った大石寺も、出家の本義を忘れ、俗世の欲望に走った者たちによって完全に牛耳られてしまった」
 秋谷栄之助会長、大白蓮華「巻頭言」、「宗門は大聖人の仏法に違背し、『死んだ形式』を拠り所として、魂を失った、ただの抜け殻になっている。それどころか、法華講を使って策動を行っている姿は、狂気の沙汰であり、断じて許さるべきことではない」(「大白蓮華」3月号 )
3月1日  オフィス・タクマ、仲路中道「さらば日顕、さらば大石寺 正宗僧侶の内部告発」発刊。
「日顕は平成の天一坊だ。学会破門の裏には信徒を己れの権勢の下に組み敷こうとした日顕の黒い野望があった。日蓮正宗現職僧侶が今ここに痛惜の念をもって暴露した衝撃の事実の数々。背筋の凍るリンチ現場。僧を殴る日顕。ゴミのように焼却される御本尊。伏摩殿大石寺に渦巻く色と欲の狂想曲に、あなたはきっと仰天するに違いない」(「MARC」)
「私、仲路中道(なかみち ちゅうどう)は、長く日蓮正宗僧侶として、籍を置いて参りました。私は、今回の宗門問題を思うにつけ、こちら側、つまり宗門僧侶の側に根本の悪の原因があった、と結論せざるを得ないのであります。信心修行の根本道場たるべき大石寺大坊は、信心修行を通して向上しようと願う若芽を摘み取り踏みにじる、まさに畜生・修羅の世界でありました。…
 この本を出版するにあたり、仲路中道はただ一人の人間ではない、と言う事をご了承下さい。一人称で表現し一人の回想の形式を用いましたが、仲路中道は創価学会を愛する十数人の僧侶の共有の名前です。… 私は学会活動をする僧侶こそ、真の僧侶であると考えるのであります。妻帯せず、肉を食せず等が仏法三千年の出家の原則である以上、厳密な意味での出家は、今日の日本において存在しないでありましょう。であるならば、今後、僧侶とは職業としての僧であると、割り切るべきであります。国家公務員も、弁護士も、大工さんも、仕事が終われば座談会に出席し、学会活動をする。僧とて同じです
(※ "僧侶は職業で、仕事が終われば学会活動" とは、創価学会中枢の考える "宗門支配の" 理想形なのだろう。櫻川 忠 )
3月1日  みくに書房、松戸行雄 (東洋哲学研究所・欧州研究部長)「人間主義の「日蓮本仏論」を求めて ― 創価ルネサンス運動の基礎付けのために」出版。
「日蓮大聖人の目指した人間主義の仏法を理論的に解明。伝統的「大聖人久遠本仏論」の脱構築のための試論。「創価ルネサンス」の思想基盤確立を目指して探究する」(「MARC」)
「日寛教学の伝統に留まる限り、普遍宗教としての展開は望めない時期に来ている。… 教学については、もはや日寛上人の時代に帰れない」と日寛批判。
3月1日  桃園書房、グループ10編著「創価学会破門の真相と阿部日顕の素顔」発刊。
「創価学会 vs 日蓮正宗! 紛争の原因はコレだった。衝撃のグラビアは何を物語る。初めてベールを脱いだ、阿部日顕法主の素顔とは。話題騒然、宗門問題を理解する“決定版”」(「MARC」)
3月1日  潮出版社、安部義和「『山の中』の破壊僧たち -- 日顕は何を策謀したか」発刊。
「宗門問題とは何であったか。その原因はどこにあったか。日顕と宗門はどうあるべきか…。大正末期以来の宗門の軌跡をたどりつつ、慈聞、日開、そして日顕の実態に迫る」(「MARC」)
3月3日  富士宮ヒューマンユニオン、阿部日顕管長に対し「団体交渉申入書」を送付。
 大石寺の売店組合有志、店頭に学会旗を掲げて宗門との対決姿勢を表明。
3月4日
 日蓮正宗改革派、吉川幸道師、創価新報で大石寺大坊の実態を暴く。
3月5日  週刊現代、福島源次郎元創価学会副会長のインタビュー記事掲載。
「福島 平成元年10月『蘇生への選択』を出版後、読者からの強い要望で12月に東京の豊島区民センターで、第1回の勉強会を始めたんです。それから毎月、月末の土・日に2回、毎月ゃった。大阪でも平成2年2月から始め、これも2ヵ月に1回ぐらいやりました
 Q 学会からの妨害は?
 福島 ありとあらゆる行動を、すべて尾行されました。大阪に行くときなど新幹線車内ばかりか、私が降りるてあろう駅すべてに、30人ぐらい学会の人間が配置されていた」(「同」4月25日号 )
3月5日  潮、秋谷栄之助会長の「仏法を歪めた僧侶の腐敗・堕落」を掲載。(「同」4月号 )
3月5日  週刊実話、「大橋元公明議員P献金を明かす」掲載。
「公明党の元衆議院議員大橋敏雄氏は、池田批判に立ち上がった際に、議員歳費から天引きされていた、(P)献金の実態を示す、歳費の「控除額明細書」を明らかにしている。それによると、
 昭和58年3月 1万6000円(東京富士美術館開館祝い)
 昭和59年2月 餞別5万円(池田の北米・南米訪間)
 昭和59年5月 6万5000円(5・3会長就任祝い)
 昭和62年4月 餞別4万5000円(池田の北米・中米訪問)
 昭和62年6月 餞別4万円(池田のソ連・フランス訪問)
 昭和63年1月 祝金1万円(池田の香港訪問)となっている」(「同誌」3月19日号 )
3月7/18日
 顕正会、3月度御書講義「王舎城事」を拝読。(全国139会場)
3月8日
 顕正会、仙台事務所、宮城県仙台市に開設。
3月9日
 日蓮正宗改革派、大橋正淳師、聖教新聞に特別手記「日顕猊下は全学会員に謝罪せよ」を寄稿。
3月10日
 日蓮正宗改革派、工藤玄英師、創価学会の「3・16」記念本部幹部会に出席し「本来ならば、一切の悪の元凶である日顕法主がこの席に来て、全世界の尊い仏子の皆様方に土下座してお詫びしなければならない」と挨拶。
 秋谷栄之助会長「現宗門の改革のため、敢然と立ち上がった僧侶の皆さんの勇気ある行動に、心から敬意と絶賛を送りたい。… 立場は異なるが、相呼応して大謗法、仏法破壊の日顕を追放するまで、断固、戦い抜こう」と。
3月15日
 福島源次郎元創価学会副会長、「蘇生講」を結成。(南之坊所属)
3月16日
 顕正会、教学部、「依義判文抄」終講。(板橋産文ホール)
3月16日
 山本辰道師(常説寺)、宗門から離脱。
3月17日  創価学会、東京・渋谷区地区部長会、秋谷栄之助会長、新経本の観念文第二座について「従来の『南無本門寿量品の肝心 … 独一本門戒壇の大御本尊』の大御本尊に冠せられた句は、すべて御本尊の別称であり、学会版ではその意義を『三大秘法』の一語に込めたのである。『三大秘法』とは、いうまでもなく本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇であり、『本門戒壇の大御本尊』の意義も当然含まれている」と釈明。(「聖教新聞」3月25日号 )
3月18日  創価学会、創価新報、早瀬義純師の私行を暴く。
3月26日
 顕正会、3月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、「学会・宗門ともに戒壇の大御本尊を軽蔑」、3月度折伏成果 4,724名。
 浅井昭衛会長「宗門と学会が現在のように目茶苦茶になってしまったのも、宗門高僧・学会首脳ともに信心が薄く、戒壇の大御本尊を蔑り、不敬の限りを続けてきたからにほかなりません。…
 最近学会は新しく御経本を作りました。ところがその中で、なんと二座の観念文において「本門戒壇の大御本尊」という最も大事な言葉を抜いてしまったのです。… わざと削り取っている。このことは戒壇の大御本尊の否定につながる大謗法といわねばなりません。…
 一方宗門はどうかといえば、恐れ多くも未だに戒壇の大御本尊を誑惑・不浄の正本堂に居え奉ったままにしている。 そしてこの不敬をも顧みず、本山の収入を計るために、声を嗄らして法華講員に対して「登山」「登山」と呼びかけている。…
 所詮、学会・宗門と顕正会とでは戒壇の大御本尊に対する感覚が違う、信心が違う、純粋さが違う。ここに大聖人は濁乱の宗門の中において、ひとり忠誠を貫く顕正会を御守護下さり、手を引いて下さるのである。… 首都圏を襲う大地震の前になんとしても百万を成し遂げたい。… 破局の日本において、立正安国の大精神と国立戒壇の正義を一国に叫び顕わすものは、顕正会以外には絶対にない」(「冨士」第332号 )
3月26日  創価学会、聖教新聞、唯授一人の血脈否定論文を発表。「私たちは、ともすると、『血脈』というと、何か特別の存在があったり、一部の高僧が特別に所有しているものと考えさせられてきました。そうした、『秘儀』を独占することによって在家信徒に対し権威、権力をもち支配し、富を搾取しようとしてきたのが、これまでの仏教界の現状であった。… 血脈といっても、特別な人を介したり、特別な儀式で受けるものではありません。大聖人の御図顕になられた御本尊を信心している一人一人が、その信心によって御本仏から直接うけ継ぎ、その生命のなかに血液のように流れ通うのです」等々。
3月27日
 宗門、阿部日顕管長に短銃の実弾と「脅迫文」が送り付けられる。
3月27日  創価学会、聖教新聞「社説」、「血脈とは元来、万人に開かれたもの、一切衆生に与えられたもの」と、唯授一人の血脈を否定。
3月28日
 宗門、阿部日顕管長、鈴木俊一都知事にあて「総本山から破門された創価学会に宗教法人の資格なし」とし、創価学会の宗教法人解散請求を求める「通知書」を送付。
 法華講連合会春季総登山、阿部日顕管長、池田大作を「魔」と断じ「魔の正体はなかなか見破りにくい … まだほとんどが池田大作という者の魔の正体を見破ることができずに、むなしくその中に付き従っている。… 私は、その根本のところが池田創価学会の仏法に対する傲慢不遜の邪見から表われてきておるということをはっきりと見抜き、昨年来、その上からの処置を正しく執ってきたつもりである」と。
3月28日  富士宮ヒューマンユニオン、大講堂の前で抗議の坐り込み。
3月28日  創価学会、中国ルネサンス幹部会、秋谷栄之助会長、宗門が戦時中に観念文を改変したことを挙げ、創価学会の観念文改変を正当化する。
3月29日
 宗門、第2回壮年部大会、阿部日顕管長「非常なる慢心を起こした池田大作が、大聖人様の本門戒壇の本義を、根本的に邪宗邪義のものとして、尊きものを推きて卑しきものに入れるが如き言動をなしておる」と。
3月29日  創価学会、4・2 記念合唱祭・第2東京総会、池田大作名誉会長「『極悪』の日顕宗とは戦う以外にない。… ほうっておけば、悪侶のヤキモチの炎によって、かけがえのない正法の世界が、すべて焼き尽くされてしまう」と。
3月30日
 宗門、大奥対面所で120名の所化が、阿部日顕管長に目通り。その席で、菅原雄政(応顕寺在勤)が阿部日顕管長に「離山の書」を突きつけ、植松雄増(安住寺在勤)は「こんなことになったのは、日顕! お前が悪い」と大声を発した。松岡雄茂(大護寺在勤)が「決別の手紙」を渡そうとすると、臼倉雄理が顔面を殴打するなど松岡雄茂に暴行を加えた。眼鏡は壊れ顔面は腫れ上がり、後刻、警察が捜査のため大石寺に入った。
 他に2名の改革同盟の青年僧、大塚雄能師(法樹院在勤)、山口雄在師(平等寺在勤)も、目通りに参加していた。「離山の書」には10名の青年僧侶が署名しており、他の5名は、渡辺雄悦(大宣寺在勤)、土井雄育(本山大坊内)、橋本雄正(本山大坊内)、岡崎雄直(妙貫寺在勤)、大塚法樹(平安寺在勤)である。
「離山の書 …
 私たち青年僧侶有志は、宗開両祖の御精神を忘失し、広宣流布の聖業を放擲し、あまつさえ仏意仏勅の団体たる創価学会を破門するという暴挙を犯すに至った猊下、宗門と決別し、その真の改革をなさんがため、大石寺を離山することを決意し、ここに宣言するものであります。… 私たちは、封建的弊害の産物たる『所化の分際で』という差別観を打ち破り、ここに『青年僧侶改革同盟』を結成し、この際、大石寺を離山して、その改革と覚醒の一石たらんとするものであります。…
 腐敗堕落した宗門改革のため、青年僧侶の立場から、あえて三点にわたり述べさせていただきます。
 まず第一に、宗祖大聖人の死身弘法の御化導こそ一切の正邪の基準でなければならない、ということであります。…
 第二に、現在の宗内にはびこる『僧侶主体』という特権意識に基づく広宣流布観を捨て去り、『広布主体』の僧俗和合の実現を図ることこそ急務である、ということであります。…
 第三に、広布主体の真の僧俗和合を築き、新生宗門をつくり上げるためには、誤った教育観を改め、真の人材を育成することが不可欠である、ということであります。…
 猊下におかれては、私たちの信心の至誠よりのやむにやまれぬ行動に対し、御理解を賜るとともに、どうか、宗祖大聖人の本義に立ち還り、自らの進退をお誤りにならないよう、心からお願い申し上げます。日蓮正宗青年僧侶改革同盟」(「地涌」第400号 )
3月31日
 宗門、声明を「報道関係者各位」に発表。
「この度、御師範御法主日顕上人猊下に対し奉り、突然修行僧五名が、無礼不遜極まりない態度をもって『離山の書』なる文章を突きつけるという暴挙に及んだ。一読、その内容たるや、本宗僧侶として見るに耐えないものであった。このような暴挙の中で、中に居合わせた者が、御師範の前での不遜な行動を制止したが、今後、当日計画的な暴挙に出た背後関係を厳重に調査のうえ、断乎、措置する考えである。以上」
 青年僧侶改革同盟、富士市内で記者会見を行い、離山声明と宗門改革の推進を語る。
3月31日  中川満隆(創価学会員)、東京都に対し「有徳王」出版に関わる「要望書」を提出。
 東京都、龍年光に対して「有徳王」回収を指示。
「龍年光は都議会議員を引退後、食肉市場から出る汚物の処理を請け負う財団法人「土と人間の蘇生の会」を設立。財団法人の機関誌『有徳王』を発行し、"反学会"の姿勢を鮮明にした。しかし、法人の目的があくまでも汚物処理の事業であったことから監査請求を受け、東京都は同法人が他団体への批判活動を行うことは法人の目的を著しく逸脱しているとして、1992年4月『有徳王』誌の全発行部数の回収を命じた」(「Weblio」)
3月 日  創価学会員・市河政彦、「蘇生の会」の監査請求を東京都監査委員会に提出。
4月1日
 宗門、大白法、小樽法論後の戸田会長発言(昭和30年3月12日)を掲載。
「戸田城聖氏が、『創価学会は、いつつぶれてもいいのである。しかし、宗門だけは絶対につぶしてはいけない。宗門のための創価学会である』という旨のことをはっきり言われた、ということを、その席にあって聞いておられた方が日記に書いておられたのです」(「同」4月1日号 )
4月1日
 顕正会、冨士、特別レポート「阿部日顕管長を脅かす二つの自界叛逆」(海老原秀夫)掲載。
「日蓮正宗の六ヵ寺・七人の僧侶が阿部管長に対して反旗をひるがえしたのは、去る二月二日のこと。造反したのは、東京・長栄寺の工藤玄英、和歌山・大照寺の大橋正淳、京都・顕仏寺の吉川幸道、滋賀・世雄寺の池田託道、愛知・能顕寺の串岡雄敏、 長野・善興寺の吉川雄進の六住職、お よび長栄寺執事の宮川雄法の七人。これらの僧侶は、連名で阿部管長に 「諫暁の書」と題する文書を送付、あわせて同六ヶ寺の日蓮正宗からの「離脫」を宗門に通告した。さらに翌三日午後には都内で記者会見を行い、阿部管長の学会に対する姿勢を強く批判するとともに、今後「宗門改革」を積極的に展開して行くことを表明した。…
 ところで「離脱」とは具体的にどのようなことを意味するかといえば、法律上、正宗の各末寺は宗教法人「日蓮正宗」に包括される寺院ということに なっているが、この包括・被包括関係を、「宗教法人法」第二十六条第三項 の規定により末寺の側から一方的に廃止し、日蓮正宗の宗制宗規の適用を受けない単独の寺院となるということである。要するに、たった一片の通知を出すだけで簡単に本山から独立でき、しかも寺の財産まで丸ごと手中にできるというわけ。「宗教法人法」という法律のなんとも奇妙なところであるが、これこそ阿部管長が最も恐れていたことであり、 学会が狙っていた必殺技だったのである。学会の弁護士グループが、七人の裏で暗躍し、糸を引いていることはいうまでもない。不気味なる「代理戦争」の幕が、ここにいよいよ切って落とされたのである。そしてもし今後、宗門側が寺の明け渡しを求めてきた場合、七人の側も阿部管長を裁判に引っぱり出そうと応戦するに違いない。…
 さらにいま一つの自界叛逆たる大石寺内での労働組合結成も、阿部管長にとってなかなか厄介な問題である。なにゆえ総本山に労働組合が結成されたのか。これは抗争以後、大石寺において、法華講に属する従業員と学会に属する従業員との間で、不当な差別が行われていたという事実がそのきっかけとなっている。…
 いずれにせよ、阿部管長にはあまりにもスキが多すぎる。今後ますます追い詰められていくことは避けられないであろう。… 学会はいま参院選に向け、組織固めに躍起になっている最中である。そこに現在は二つの自界叛逆という代理戦争を仕掛けているわけであるが、参院選終了後には、いよいよ正規軍による総攻撃が始まることも予想される。そのとき阿部管長はどうするつもりなのか」(「冨士」第332号 )
4月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「宗門は、かたくなに大聖人の御指南に目を閉ざすばかりか、寺院を私物化し自分達を正当化するために、御本尊までもその道具に利用している。… 狂気のような所業に及ぶ宗門は、身延と同様に邪宗であると見極め、これからも日顕宗のあらゆる障魔を打ち破っていきたい」と記す。
 同号、血脈否定の記事を掲載。「血脈とは形式ではなく、南無妙法蓮華経・臨終正念と祈念していく衆生の信心こそが血脈であり、… 血脈相承といっても、特別の儀式の中になされるものではなく、信心の中に受け継がれる」(「大白蓮華」4月号 )
 創価新報、「『御観念文』にも重大改ざん」との見出しで、戦時中の宗門の実態を暴く。
4月2日  龍年光(元公明党東京都議会議員)、「創価学会法定解散請求要求書」を都知事に提出。
「四月二日午前十一時、龍年光とそれに従う脱会者十五名は「創価学会法定解散要望書」を携えて、都庁を訪ねた。都側は、篠田伸夫行政部長が対応し、幸田昭一指導課長も同席した。…
 龍が「要望書」の全文を朗読、他六人が「東京都が創価学会について調査し、裁判所に対し創価学会の宗教法人の解散請求をして欲しい」(要旨)と要望。それらの発言が終えたところで、龍が、「以上で要望を終わります。知事に伝えて欲しい」と言い、退席の気配を見せた。
 ところが、ここで篠田行政部長が、「ちょっと待ってください。私どもの考え方を言います」と龍らの退席をとどめ、都としての明確な意思を伝えた。都側の意思表明は、主に次の三点だった。
 (1) 都知事は、宗教法人法第八十五条に明白なとおり、宗教活動に干渉、関与できない。
 (2) 調査要望については、知事に権限がないので調査できない。
 (3) 解散請求については要望に沿いかねる。
 龍らの都に対する創価学会解散請求の要望は、都側の明確な意思表示をもって即座に拒否されたのだ」(「地涌」第402号 )
4月2日  創価学会、戸田会長追善勤行会、秋谷栄之助会長「宗門はすでに戦前から日蓮大聖人の仏法を捨て去り、法滅の姿であった、… 正法の魂を失った"抜け殻"の中に『悪鬼』が入り込んだ姿が、現在の日顕宗である」と。
4月4日  創価学会、「聖教新聞」に「日顕よ、悪いのはお前だ!」と題する、離脱青年僧侶の手記を連載開始。
4月5日
 宗門、大石寺・妙遠坊に銃弾七発が撃ち込まれる。
4月6日
 宗門、御霊宝虫払大法会、機動隊の厳戒体制下で執行。阿部日顕管長「悪鬼入其身の池田学会の者どもは、全く慚愧の色もない。… 本宗の血脈を疑い否定する邪義と、三宝破壊の謗法のあることは、疑いない。… 池田創価学会は、他の新興宗教の云い分と全く同様、迷乱の姿」等と。
 柳沢喜惣次、法華講連合会委員長に就く。
4月7/19日
 顕正会、4月度御書講義「太田入道殿御返事」を拝読。(全国144会場)
4月7日  創価学会、東京・蒲田地区部長会、秋谷栄之助会長「宗門に従属し卑劣な檀徒づくりに狂奔する法華講に対しては、断固とした姿勢で破折する」と。
4月9日  ロシア連邦、プラウダ紙、ミハイル・ゴルバチョフ招待の裏を報じる。
「元大統領が日本を訪問する際、日本の首脳と会談する時間は30分というから、… 外交レベルの問題でないことは明らか。では、なぜ、インタビュー などに応じるのか。信じうる情報によると、元大統領の利潤のためではないかと思われる。元大統領を招待した"読売"と"朝日"の大手新聞は、元大統領にそれぞれ50万ドル(約6,600万円)の謝礼を約束しているといわれる。また、有名な宗教家である池田大作氏もかなりの金額を支払うという、…
 池田は気前がいいので、… 訪日したソ連人には例外なく接待攻勢をかけてきた。… 日本に行くソ連代表団は必ず接待し、代表者だけでなく、随員や通訳にまでおみやげを配っていた。この話は有名になり、"日本に行ったら、とにかく池田を訪ねるといい"というのは、ソ連人の間では常識になってしまった」 (「週刊ポスト」、5月1日号 )
4月12日
 顕正会、上尾事務所、御入仏・開所式挙行さる。
 浅井昭衛会長「現在、首都圏における大きな事務所は、本部会館を中心として南には横浜事務所、そして北が本日開所のこの上尾事務所である。横浜事務所は開いてから2年有半になるが、青年を中心に爆発的に弘通が進み出した。まさに滔々たる神奈川広布の潮流が起きてきた。ここに私は、本日の上尾事務所の開所式こそ、埼玉広布の新たな出陣だと思っている」
4月15日
 顕正会、教学部、六巻抄「末法相応抄第四」の講義始まる。(板橋産文ホール)
4月15日  中外日報、阿部日顕管長の"奥湯河原豪遊"を、隠し撮り写真入りで暴く。
 創価新報、「謗法も責めず日蓮宗各派に同調した暗黒宗門」と題し、戦前の宗門の謗法与同を暴く。
4月16日
 宗門、福田毅道師 (元海外部書記)、本地寺(彦根市)に転任。
「福田は、平成三年一月、海外部書記を解任された。解任の理由の一つは、SGIのアメリカ組織の責任者であるウイリアムス理事長に対し、創価学会から離反させるために日顕の言葉を伝えたが、それが不調に終わったことである。… 日顕の体面を保つためにも"伝言"は日顕の言葉ではなかったとせざるをえなくなる。結局、日顕の言葉を福田毅道が捏造したとされてしまったのだ。福田は詰め腹を斬らされ、海外部書記を辞任することとなったのである。この福田辞任の裏には、もう一つ大きな理由がある。それは、福田がSGIの久野健アジア部長に「C作戦」について洩らしたファックスを送りつけたことである。…
 それから一年有余、福田は総本山大石寺で蟄居閉門、謹慎の身だったのである。それも、日顕の体面を保つためだけのスケープゴートとされたのだから、無残の一語に尽きる。それでも福田は、いつかは海外組織を統率できる立場に戻れると信じ、時が過ぎ復帰の日が来るのを待った。福田は、若い頃から世界広布に役立とうと、英語、独語、仏語などを勉強し、出家の世界にあっては海外に通用する抜きんでたセンスを持っていると自負してきた。… 日顕が海外寺院の住職に任命する顔ぶれを見れば、日顕が"代々坊主"しか信用していないことが誰の目にも明らかである。日顕ら宗門中枢は、一族の繁栄しか願っていない」(「地涌」第406号 )
4月17日  創価学会、全国婦人部幹部会。池田大作名誉会長「宗門は戦前・戦中以上に謗法と欲望まみれに堕落し、大聖人の仏法を、真っ向から否定する邪教と化してしまった。邪教とは、断じて戦わざるをえない」と。
 秋谷栄之助会長「宗門の数々の悪行に決着をつける時が、今であり、大謗法を犯した日顕の末路は明確である」と。
 また松岡雄茂(改革同盟)も登壇し、宗門の「暴力主義」「階級主義」を糾弾、「大謗法の日顕一派を『永久追放』するその日まで、正義の戦いを断固貫いていきたい」と。
 聖教新聞、「早瀬義寛の悪行を暴く」の連載開始。
4月18日  創価学会、「ニュー山梨」県支部長会、秋谷栄之助会長「江戸時代の檀家制度そのものを踏襲する宗門は、形式に堕して既成宗教化しており、もはや大聖人の仏法の精神を大きく逸脱し、邪宗と化してしまった。… 邪教日顕宗と悪侶を、断じて許してはならない」と。
4月19日
 顕正会、三条事務所、新潟県三条市に開設。
 小田原事務所、神奈川県小田原市に開設。
4月20日  創価学会員、大石寺ダイナマイト爆破予告で逮捕。
「静岡県警富士宮署は … 創価学会高松本部婦人部副本部長、主婦Hを恐喝未遂の疑いで逮捕した。調べによると、Hは(平成4年4月)20日午後3時ごろから20数回にわたって、同県富士宮市上条の日蓮正宗総本山大石寺に『境内に爆弾を仕掛けた。三億円を用意しろ』などと電話で脅した疑い」(「読売新聞」4月22日号 )
4月21日
 宗門、宗務支院長会議、阿部日顕管長「奥湯河原豪遊報道」にふれ、「こういう時に、あういう記事が出たことは申し訳なかった。これからはちゃんとやる」と釈明。
 また「池田大作なる者の本心には第六天の魔王が根本的に入っており、法を護るが如き姿のもとに隠れて、仏法を根本的に壊乱せんとする魔の働きを徐々に現してきたのである」と。
4月23日  創価学会、各部代表者会議、秋谷栄之助会長「(日顕の本音は)御本尊・御書を独り占めにして、御本仏への仲介料として、信徒から供養を巻き上げようとする坊主商売の魂胆が見え見えである。要するに、信徒が無断で御本仏に直結などされたら困る、それではメシの食い上げだ、と云っているだけのことである。… 悪鬼入其身の法主を根本にしてしまった日顕宗こそ、迷乱の新興宗教・日顕宗の誕生というべきである」と。
4月24日  創価学会、聖教新聞、「『戒名』不要論」掲載。
4月25日  創価学会学生部、「『日顕宗僧侶』の悪行を糾弾」のスローガンで全国で大会開催。宗門離脱の青年僧侶等も登壇。
4月25日  日新報道、戸口 浩「池田創価学会の真実 ―『地涌正統』からの通信」発刊。
「創価学会幹部の著者が学会内部者の立場から明らかにした、池田創価学会の知られざる"陰の真実"。これはいわゆる「創価学会訣別書」である」(「MARC」)
「この本には本紙『地涌』を意識してつくられた、宗門側の謀略紙『地涌正統』が収録されているのである。『地涌正統』は、平成三年二月に第一号が出され、同年十二月に第二十号を出したあとは途絶えている。『地涌正統』は、造反した創価学会本部職員が出しているかのように装い、創価大学卒業者と日蓮正宗末寺などの一部に郵送されている。小規模にミニコミ的に発送することにより、あたかも創価学会本部職員のあいだで地下活動がおこなわれているかのように偽装しているのである。… この『地涌正統』出版の司令塔は、"陰の総監"の異名で呼ばれる、北海道札幌・日正寺住職の河辺慈篤である」(「地涌」第412号 )
4月26日  創価学会、5・3 開幕記念中部総会、池田大作名誉会長「日顕宗の寺院は天魔の住処、魔窟になってしまった。私どもの供養した寺院である。天魔は追放せねばならない。… (現宗門は)日蓮正宗の立てる『三宝義』を改変して、法主が仏宝・法宝と等しいという法主絶対化を図った。更に、現法主が根本で、大聖人・日興上人さえ迹であるとする、未曽有の邪義を主張するに至った。もはや、五老僧に勝るとも劣らぬ、邪宗・邪義の輩と成り下がった」と。
4月27日
 宗門、教師補任式、阿部日顕管長、「本門戒壇」について「もし人あってこの戒壇の法門を軽蔑し、『戒壇建立などということは豆腐のオカラの如きもので、形式の形式、従の従たるものである』というようなことを云うことがあるならば、それは大変な我見であり、その『私』の誤った見解をもって、大聖人様の終窮究竟の真の御化導の本義を土泥に踏みにじる如き罪業に当たるのである」と。
 石川雄山師(円徳寺)、宗門より離脱。声明文において、阿部日顕管長を「宗祖の教えとは全く異流義の『邪悪僧』そのもの」と罵り、「堕落法主・日顕こそ宗門腐敗の元凶」と断ずる。
4月27日
 顕正会、4月度総幹部会開催(川口総合文化センター)、4月度折伏成果 5,161名。
 浅井昭衛会長、三十万達成の仏法上の意義について「国立戒壇の正義を守ったゆえに過酷なる解散処分を受けた顕正会が、潰れもせず、大聖人の御守護によりついに三十万になるという不思議こそ、国立戒壇は必ず実現するという兆であり確証である」と。
 さらに真の懺悔なきゆえに一日一日と追いつめられつつある阿部管長に対して「救われる道はただ一つ、不敬を心からお詫びして御遷座申し上げ、戒壇の大御本尊の御前に身を投げて懺悔する時、事は一時に解決する」と。
4月28日  創価学会、大白蓮華、特別号⑤「富士の清流を汚した法滅の法主」発刊。
4月28日
 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。
 浅井昭衛会長、御本仏の御化導の一貫性について「立宗のとき唱えあそばした本門の題目は、実に二十七年のちの戒壇の大御本尊をめざして唱え出されたお題目である。仏様の御化導は本末究竟している。ゆえに立宗のときに、すでに二十七年後の出世の本懐は決定しており、また戒壇の大御本尊御建立のとき、すでに未来の広宣流布・国立戒壇建立は確定しているのである。ここに仏弟子の使命を思うとき、御在世の弟子檀那の使命は、立宗より戒壇の大御本尊御建立までの御化導を助けまいらせるところにあり、滅後の我らは、この戒壇の大御本尊を国立戒壇に安置し奉る御奉公に、その使命がある」と。
4月30日
 立原貞道師(大恩寺)、宗門より離脱。
4月30日  創価学会、第54回中央会議(創価文化会館)、山崎正友・原島嵩・福島源次郎・龍年光・藤原行正・大橋敏雄ら、反逆者12人を学会から永久追放すること、を全員の賛同で決議し署名。(「聖教新聞」5月1日号 )
4月30日  中外日報、阿部政子夫人の「伊豆豪華旅行」を、隠し撮り写真入りでスッパ抜く。
5月1日
 池田託道師(離脱僧)、阿部日顕管長に対し名誉毀損による損害賠償請求の訴えを起こす。
5月1日  創価学会、全国県長会議、秋谷栄之助会長「日顕の振る舞いは、明らかに、僭聖増上慢であり、第六天の魔王の働きなのである。… 今回の宗門問題は、日顕が嫉妬に狂い、権威・権力を振りかざして、学会を壊滅させ、信者を奴隷化しようという、法主狂乱の前代未聞の事件であった。… 日顕は『僧侶中心の広宣流布』などと云っているが、そんな独りよがりの仏法はない。今日まで、僧侶中心で何か役に立つことをしてきたのであろうか。… 師敵対の外道法主が日顕の正体である」と。
 大白蓮華、特別号⑥「離脱僧侶の告発手記」を特集。
 第三文明社、「『日顕宗』悪僧列伝」発刊、シリーズで全27巻に達した。
5月3日
 顕正会、新横浜事務所、御入仏・開所式挙行さる。
 浅井昭衛会長「近代的なオフィスビルであろうと、どこであろうと、御本尊ましますところは義における本門戒壇である。ゆえに戒壇の霊場に詣でるの思いで参詣し、お題目を唱え、折伏を進めていこうではないか。… 本日よりは、スケールを変えた本格的な神奈川広布の出発である。神奈川県といえば相模の国、相模の国といえば大聖人様の御化導に最も縁の深い国土である。この神奈川から、全国広布の先陣を切る進しい戦いを、必ずや起こしてほしい」と。
5月3日  創価学会、「創価学会の日」記念勤行会。
 池田大作名誉会長「宗門に対する私どもの大赤誠は、完全に裏切られた。堕落・飽食の僧侶は、自分たちが安楽に暮らせるだけの蓄財ができたとみるやいなや、嫉妬のあまり"目障り"な学会は切ってしまった。… 今の宗門は、"金欲"と"信徒蔑視"に凝り固った、極悪の教団と化してしまった」と。
 同席した大橋正淳師(離脱僧)「血脈を弄ぶ日顕並びに日顕宗に対しては、絶対に供養してはならない、支持・与同しないということが、謗法を退治する鉄則であり、本山参詣も含め、日顕宗への供養を一切断つことこそ、大聖人の御心に適う道である」と。
 聖教新聞、森田一哉理事長「腐敗・堕落した権威主義の日顕宗からは、次々と『離脱僧』が出ている。日顕一族の豪遊ぶりに、宗門僧侶の中にも深刻な疑問をもつ"心情的離脱僧"が増えているといわれている。この内部からの日顕追放の勢いは今後も全国へ波及するとみられ … 大謗法の日顕宗の末路は明らかである」と。
5月4日  創価学会、学生局代表勤行会、池田大作名誉会長「私は、先日、宗門の悪の糾弾に立ち上がった、青年僧侶の勇気ある行動をたたえたい」と。
5月6/24日
 顕正会、特別指導会開催、浅井昭衛会長、「諸法実相抄」の拝読と質問会 (全国268会場)、参加者 22,171名に及ぶ。
5月6日  創価学会、創価新報、「怒り広がる日顕の奥湯河原豪遊事件」の特集を組む。
5月8日  創価学会、聖教新聞、「学会寄進の『大願寺』から出て行け義寛!」と題し、早瀬義寛師(庶務部長)への攻撃を開始。
5月10日
 顕正会、水戸事務所、御入仏・開所式挙行さる。
 浅井昭衛会長「茨城県は日本列島の中心に位置している。さらに水戸はその茨城の中心である。この水戸から、茨城から、全国広布の波動を、力強く巻き起こしてほしい」と。
5月12日  右翼団体「武士の会」会長ら3人、大石寺境内の土産物店への威力業務妨害で逮捕さる。
5月14日  中外日報、「水面下で進む日顕法主引き下ろし」と題し、反・阿部日顕管長派の動きを報道。
5月15日
 顕正会、教学部、「末法相応抄」第2回講義(板橋産文ホール)。
5月15日
 富士宮ヒューマンユニオン、宗門機関紙「大白法」に対し、捏造記事謝罪要求の「通告書」を送付。
5月16日
 菅原雄政師 (離脱僧)、神奈川・相模原圏本部研修会で「日顕宗の『無慈悲と極悪』の実態」と題し講演。
5月17日
 大石寺宿泊施設「奉天寮」、火炎ビンが投げこまれる。(「赤旗」5月18日号 )
5月17日  創価学会、徳島地区部長会、森田一哉理事長「法主が謗法に堕ちたら、その地もまた謗法の地となる。… 日顕は富士の地を汚濁の魔境と化してしまった。… 今や、大石寺にあるのは、『日顕宗』という、極悪謗法の邪教だけである。… 魔の住処を訪ねることは、かえって魔に力を与えて、その報いを受けることになる。悪をなすものを養えば、かえって自らの生命力を奪いとられる結果となるのである。… 今の日顕は、かの狂った正信会より、はるかに極悪である。大謗法の法主が君臨する今の総本山に参詣したら、それこそ邪義のものどもに力を添え、大御本尊に背く結果となってしまう。… 今は総本山に、高僧の姿をした提婆が出現したのである」と。
 ジョージ・ウィリアムス 米SGI理事長、本部幹部会で「邪宗と化した日顕宗の実態」と題して宗門を糾弾。
5月18日
 渡辺雄範師(大願寺在勤)、「大願寺決別の書」ならびに「離山の書」を提出し離山を表明。
5月20日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「現在、私どもの前には、日向以上の『大聖人否定』の邪僧が出現している。釈尊に師敵対した提婆達多の『化身』のような極悪の法主であり、"提婆の宗" ― 『提婆宗』となってしまった。私どもは断じて戦わねばならない。悪人を追放せねばならない。… 法主を筆頭に一宗あげて悪行乱行の限りを尽くす日顕宗 ― これほど法を下げ、大聖人を辱めている輩はいない」と。
 吉川幸道師(離脱僧)も「日顕と共に、宗門を食いものにする早瀬義寛はじめ早瀬一族を断じて許してはなりません。即刻、宗門から追放すべきであると強く訴えるものであります」と。
5月20日  中外日報、能勢寿生師(大願寺執事)の私行を、隠し撮り写真入りで暴く。
5月23日  中外日報、東京都が「蘇生の会」(龍年光代表)との委託契約の解除を決定、と報道。
5月24日
 宗門、阿部日顕管長、東京第一布教区御親教((常泉寺)、「(学会問題の本質は) 学会の指導者に、本門戒壇の意義に対して根本的な誤りがあったこと」と。
5月25日
 宗門、大願寺(早瀬義寛師)、無許可無届けの納骨業務で、牛込保健所の調査を受ける。
 早瀬日慈師(重役)、脳梗塞で緊急入院。
5月26日
 顕正会、5月度総幹部会開催(川口総合文化センター)、「鉄石の十万人が立てば日本が動く
 浅井昭衛会長「仏法破壊の悪の団体が、仏勅のままに戦う仏弟子の団体を怨嫉するということは、まことに仏法の定理のままで面白い。学会がいかに仏法を破壊したか、その謗法の大綱を挙げれば次の三つです。いいですか。
 一つには、誑惑の正本堂を立てて御本仏の御遺命を破壊せんとしたこと。二つには、経本の観念文から「本門戒壇の大御本尊」を削除して、大御本尊の御威光を隠したこと。三つには、本宗の命脈たる唯授一人の血脈相承を否定したこと。この三つです。
 第一と第二はみんな知っていることだから説明を省き、第三の「血脈相承 の否定」について少し説明します。… 教学誌「大白蓮華」4月号には、このような記事を載せております。「血脈相承といっても特別の儀式の中になされるものではな く、信心のなかに受け継がれるものであり、… 異体同心の実践に励む一人一人の胸中において、血脈相承があるのである」と。すなわち ― 歴代の御法主から御法主へと血脈相承がなされるというのは嘘なのだ、一人 ひとりの学会員の信心の中に血脈があるのだ ― と云っているのです。これは明らかに、大聖人から日興上人、日興上人から日目上人へと、歴代御法主に伝わる唯授一人の血脈相承そのものの完全否定ではないか。
 阿部管長憎しのあまり、そして池田大作を偉く見せるために、ついに下種仏法の命脈たる金口の相承までも、学会は否定してしまったのであります。… これを仏法破壊といわずして、何を仏法破壊というのか。これを大謗法といわずして、何がいったい大謗法でありましょうか。…
 百万達成の時には、必ず十万人が集まる。日本の中で、大聖人に同心し奉る鉄石の団結を持った十万人が敢然と立ち上がるならば、日本の国は必ず動く。いよいよ国立戒壇建立も眼前である。…
 学会の妨害活動こそ、顕正会の一国広布の戦いが本格化したことの何よりの証拠である。… 正系門家の中に、日本の中に、大聖人の御遺命を奉ずる真の仏弟子の集団が出現するならば、偽物の団体は必ず亡ぶ。顕正会は大地震までに何としても百万の法城を築きたい」と。(「冨士」第334号 )
 第十二隊長に浅井城衛任命さる。
5月28日
 宗門、寺族同心会、阿部日顕管長「宗務院をぜひ信頼していただきたい。いままでも本当に誤りなくやってきたと思っております。これからもまず誤りなくやっていきたい。… このお言葉 (日興上人御遺誡の『時の貫主たりと雖も…』) はまことに正しい、すぐれた一切をお考えになっているお言葉だと思うんですね。私がもし狂った、間違ったことを云い出したら、皆さん方は、これは用いてはいけない。大聖人様、日興上人様の御指南であります。用いてはいけないとあるんだ。
 ただちに日顕なら日顕、日顕という私の立場のものにですね、私に対して反逆し悪口を云う、そういうふうに謗ることだということではないんです。用うべからずというのは、受動的な意味があるんです」と。
6月1日
 宗門、大白法、富士宮ヒューマンユニオンの "5.15文書" を受け、「訂正記事」を掲載。(「同誌」364号 )
6月1日
 押田雄勤師 (経説寺)、阿部日顕管長に「離山の書」を提出、青年僧侶改革同盟への参加を宣言。
6月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「日顕は、これまでの数々の所業を見ても『第六天の魔王』であることは明白であり、広布の最大の敵である」と。(「同誌」6月号 )
6月1日  リム出版、永島雪夫「創価学会 池田王国の崩壊 ― 副会長の告発」出版。
「創価学会の会長が3代目になってからの変質ぶりは日を追って大きくなったという。ついには本山日蓮正宗からも破門された。本書は現役の創価学会副会長、信徒、創価学会から脱会した人々、日蓮正宗住職たちから取材した生の声のドキュメントである」(「MARC」)
6月3日
 池田託道師(離脱僧)、阿部日顕管長を相手どり、名誉毀損の裁判を起こす。
6月6日  創価学会、教育部、主張大会を開催し宗門の愚行を弾劾。
6月7日
 顕正会、藤沢事務所、御入仏・開所式挙行さる。
 浅井昭衛会長「この意義深き発迹顕本の地に、なんとしても大聖人の御報恩のために、爆発的な折伏を展開したい。… やがて弘通がしんしんと進んだ時に、竜の口の御頸の座に最も近い良き場所を選んで、御報恩のために大きな記念碑を建立したい。そしてその地続きに、顕正会の法城たる『竜の口会館』を建てたい。全日本人が、この発迹顕本の地を見て、涙を流すときがくる。その時が広宣流布である」と。
6月8日  中外日報、「日蓮正宗・師子身中の虫」の連載開始。
6月10/23日
 顕正会、6月度御書講義「四条金吾殿御返事」を拝読。(全国205会場)
6月10日  創価学会、ビデオ「これが日顕宗の正体だ! 改革派・青年僧侶の証言」を作製。
6月11日
 宗門、法敬院(海老原万道師)、創価学会員遺族80人が遺骨を総引き揚げ。
6月12日  創価学会、聖教新聞、「大村寿顕の悪行を暴く」の連載開始。
6月14日
 宗門、全国末寺に「日蓮正宗憂宗護法同盟」結成の声明書が、FAX送信される。
6月14日  創価学会、地涌、阿部日顕管長の修善寺温泉旅行を暴く。(「同」438号 )
6月15日
 顕正会、教学部、「末法相応抄」第3回講義。(板橋産文ホール)
6月15日  PKO法案、「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」成立。宮澤喜一内閣で、1991年12月3日に衆議院本会議で可決したものの、継続審議となっていた。1992年6月8日に参議院本会議で修正案が可決、6月15日に衆議院本会議で修正案を可決し成立した。
 国会論戦で日本社会党は徹底抗戦、日本共産党、社会民主連合と共に、牛歩戦術で投票を議事妨害。また、社会党衆議院議員137人全員が議員辞職届を提出、衆議院解散に追い込む作戦も行われたが、衆議院議長の櫻内義雄が辞職届を受理せず抵抗は頓挫した。当初、法案に反対であった公明党は突如賛成にまわったが、前年の創価学会への国税調査との関係が疑われる。
6月16日
 椎名法昭師(妙慧寺)、「憂宗護法同盟」の一員を名乗り、宗門離脱を宣言。
6月17日  創価学会、創価新報、「日顕、アメリカの歓楽街で大破廉恥行為」と、「シアトル事件」の宣伝開始、創価学会員ヒロエ・クロウを告発者に仕立て事件を捏造。
6月19日  創価学会、地涌、シアトル事件で「さあ日顕、ここまで書かれて反論の一つもできないのであれば"法主"の座を即刻去れ」と記し、阿部日顕管長を「工口坊主」と罵る。(「同」442号 )
6月22日  創価学会、聖教新聞、「世界広布に嫉妬する破廉恥法主は即刻退座を」と、シアトル事件を大宣伝。
 秋谷栄之助会長「この一事をもっても、即座に退座すべきである。… 正本堂訂正説法といい、禅寺墓事件といい、シアトルの事件といい、これほど不正直で "疵を覆い隠してきた" 品性のない男が法主を名乗っていること自体、御本仏への大冒濱である。信徒への大背信である」と。
6月25日  『蘇生の会』の不正を追及する品川区民有志の会、阿部日顕管長に対し公開質問状を提出。
6月26日
 顕正会、6月度総幹部会開催(川口総合文化センター)、「大石寺の姿を見れば日本の運命わかる」、6月度折伏成果 5,001名。
 浅井昭衛会長「私が憂いているのは、日本、はこれから月々年々にその危うさを増すということです。見てごらんなさい。日本を取り囲んでいるのは、ロシアと中国と北朝鮮でしょう。この三つの国は、すべて核兵器で武装し、毒ガスや細菌兵器を大量に保有している軍事大国です。… みんな日本を仮想敵国にしているのです。このような国々が日本を取り囲んでいることの現実を、よくよく見つめなければいけない。… もし日本を救うべき正系門家の信心が乱れるならば、磁石が鉄を吸うごとく日本に他国侵逼の危機は必ず迫ってくるのであります」。
 そして「大石寺の姿を見れば日本の運命がわかる」として、大正年間の宗門の混乱により日本が破局に至った事例を挙げ、「御遺命破壊の大悪事に協力し、未だ懺悔なき現在の宗門の混乱が日本の運命に重大な影響を及ぼす。…  顕正会は国にあっては諫臣、宗門にあっては争子である。… 濁悪の日本に、大聖人に同心し奉る百万の地涌の流類が出現して、御本仏の立正安国の師子吼を伝えるならば、日本は必ず動く。また御遺命守護完結も必ず成る」と。(「冨士」第335号 )
6月28日
 北近畿布教区宗務支院長 小板橋明英師(能栄寺)、「憂宗護法同盟」の一員として宗門より離脱。
7月1日
 菅野谷道師(元・常来坊)、阿部日顕管長・八木信瑩師・小川只道師を相手取り、不法行為の損害賠償を求め静岡地方裁判所に提訴。
 離脱僧12名、「潮」誌上で「権力に迎合し魂を虐殺した『邪宗門』」とのテーマで座談会。
7月1日  創価学会、「創価学会勤行要典に関する制定」を発表。観念文から「本門戒壇の大御本尊」を削除。(「大白蓮華」7月号 )
 大白蓮華、「巻頭言」、秋谷栄之助会長「もはや信心の命脈を失った宗門は、天魔・日顕が動けば動くほど、語れば語るほどその卑しい本性が露呈し、また悪徳僧侶・寺族たちの不道徳きわまりない数々の行為は世間の嘲笑の的になっている」と。(「同」7月号 )
 創価新報、「シアトル不祥事、第二弾」を特集し、阿部日顕管長を攻撃。
7月3日  創価学会、北イタリア代表幹部会、池田大作名誉会長「(日顕は)もはや正しき法主とはいえない … 大罪を犯した法主に従うことは、自分も重罪に通じてしまう … 私たちは、謗法の法主の信徒ではない」と。
7月4日
 宗門、池田大作名誉会長に対し、東京第二布教区宗務支院長名で信徒除名処分の手続をとる旨、「通知書」を送付し弁疎を求む。
「今般、貴殿の最近の各種会合における発言を調査したところ、左記理由によって、貴殿を本宗宗規第229条及び第230条に基づき、信徒除名処分に付すべきが相当と判断する。よって、貴殿に対し弁疏の機会を与えるので、本通知書到着後30日以内に到達するよう、当職宛て弁疏の書面を提出せられたい。平成4年7月4日 日蓮正宗佛乗寺 東京第二布教区宗務支院長 高橋信興(印)池田大作殿」
7月4日  中華人民共和国、人民解放軍部隊、南シナ海・南沙諸島(スプラトリー諸島)に上陸。
7月5日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長「こんな『法主の信徒』ではなく、私たち全学会員は『日蓮大聖人の信徒』でありたいと思うが、どうだろうか」(「同」7月5日号 )
7月6日  富士宮ヒューマンユニオン、法華講連合会委員長・柳沢喜惣次らを相手取り、名誉毀損で静岡地方裁判所に提訴。
7月6日  ベトナム社会主義共和国、南沙諸島への中国人民解放軍部隊上陸を抗議。
7月8/19日
 顕正会、7月度御書講義、「聖人知三世事」を拝読。(全国196会場)
7月8日  アメリカ創価学会インタナショナル(SGI)、日顕宗への抗議大会をホノルルで開催。「日顕の即時退座と日顕宗悪侶の即刻退去」を決議。
7月10日
 宗門、シアトル事件について「事実無根の虚偽の事柄を捏造」と院達。
7月15日
 中部布教区副宗務支院長・中島法信師(妙道寺)、宗門より離脱。阿部日顕管長の即時退座と宗務執行部の総退陣を「意見書」で要求。
7月15日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長、「信徒除名処分」について阿部管長を罵る。
「取るだけ取り、利用するだけ利用し、遊ぶだけ遊んで、そのうえ、自分に恩恵を与えてくれたものを切り、破壊しようとする。― それは『大悪』であると同時に、まっさかさまに自滅していく『大愚』の行いなのである。天魔は嫉妬に狂っているゆえに、その愚かさが自覚できない。… 寄生虫が、自分のほうからでていったのだから、こんなに、めでたいことはない。… 寄生虫が木から離れれば、木は、いよいよ栄えていく。… 寄生虫が、本体のほうを『破門』したり『除名』したりするのは、笑い話のような転倒である」と。
 秋谷栄之助会長「我々はもともと日顕の信徒ではない。いまだに日顕が、我々学会員を日顕宗の信徒だと錯覚しているなら、まことに迷惑千万である。… 逆に日顕を破門し、絶縁状を全国からつきつけてやろう」と。
 創価新報、「日顕のシアトル・スキャンダル、第三弾」を特集。
7月16日
 宗門、大白法、「シアトル事件」について反論。(「同」367号 )
7月18日  創価学会、聖教新聞、辻武寿副会長「日顕宗の坊主どもは、大聖人に師敵対し邪義に堕ちた五老僧の末流 … 日顕は、史上最低の無知、無学、無節操、無教養、無能、無慈悲な男」と。
7月20日
 顕正会、教学部、「末法相忘抄上」第4回講義。(板橋產文ホー儿)
7月22日
 憂宗護法同盟 (離脱僧グループの一つ)、京都市内でマスコミを集めて記者会見。
「我々3人は憂宗護法同盟の"代表者"ではなく"代弁者"だ。憂宗護法同盟の本体は、宗内にとどまっている。… 私たち3人は法的には確かに宗派離脱という形はとったが、宗内にとどまっている同盟本体の一部である。… 日顕法主を支持しているのは、中枢のごくわずかの取り巻きしかいない。… ほとんどが離れている。我々と連絡が取れて、はっきりとした意識をもっているということであれば、三ケタという数字を、はっきり申しあげておきたい。… 宗門の三分の一の寺院が離脱をすれば、宗門の機能は止まる。… 日顕並びに執行部の総退陣に向け戦う」と。
7月23日  創価学会、聖教新聞、シアトル事件の証人・ヒロエ・クロウの「供述書」を掲載。
7月25日
 宗門、法華講連合会夏季総登山、阿部日顕管長「(シアトル事件について) なんにも無いことを、さも本当に有ったことのように吹聴し、しかも証人まで挙げてでっち上げるという、まことに経文の『恐怖悪世』そのままの、常識では考えられない恐しさであります。もちろん皆さん方は、絶対にそういうものを信じられることはないでしょう」と語る。(「大白法」368号 )
 法華講連合会夏季総登山、御開扉において「中扉」が開かず。
「夏季総登山会の幕開けともいえる第一回目の御開扉が、二十五日午後一時半からおこなわれた。日顕が正本堂の導師席に着座する前に、まず須弥壇の銅色をした扉が重々しく左右に開いた。… ところが日顕が着座し、金と朱色を基調とした緞帳を擬した扉が上がり、いよいよ日顕が磬を入れようとしたとき、なぜかスルスルと緞帳のような扉が降りてきた。… およそ半分くらい降りてきたところで止まったのだ。… しばらくして、また緞帳の扉が上がった。そして、日顕が磬を入れようとしたところ、また再び扉が下がり、今度は三分の一くらい下がったところで止まった。… 導師席の日顕は、左横の僧を中啓で手招き、なにやら指示を出す。指示を受けた僧は、顔面蒼白となって小走りに須弥壇に向かう。… しばらくして再々度、扉が上がった。だが、日顕が磬を入れようとすると、少しではあったが扉がまたも降りてきた。またしても顔色を変えた僧が動き、須弥壇裏手の方にまわり、やっと扉は上がりきった。なんでも、最後は手動で上げたそうである」(「地涌」第465号 )
7月26日  第16回参議院議員通常選挙、PKO協力法が大きな争点となった。自由民主党は第1党の座を維持したが、単独で参議院の過半数を制するには至らなかった。一方、日本社会党は大きく議席を減少させた。PKO協力法に反対する社会党と、賛成する公明党・民社党の間で対立が激化し、選挙協力が進まなかった。公明党の比例区(全国区)得票数、641万票。
7月27日
 顕正会、7月度総幹部会開催 (板橋文化会館)、「顕正会こそ如説修行の団体」、7月度折伏成果 4,797名。
 浅井昭衛会長「顕正会は御書講義のビデオ放映などで、全国の会場を借りているでしょう。その数は百何十ヵ所にもなりますが、その全ての会場に、今度学会が一斉に文書を送りつけてきたのです。… 一般市民を装っての投書の形にはなっているが、学会本部がこれをやっていることは歴然です。
『貴所においてしばしば集会を開いている「日蓮正宗顕正会」なる団体は、次のような問題をかかえております。今後の集会場所提供はお見合わせになった方が賢明かと存じます。
 一、七百年前の日蓮の思想「広宣流布」「国立戒壇」〈要するに一宗独裁国家〉の実現を目標に掲げている狂信的宗教団体。「国立戒壇」の思想は憲法で保証された信仰の自由に反するとして、日蓮正宗本山の大石寺でさえとうの昔に捨て去っているものを、この団体では未だに頑迷にこれを教理としている。…
 非常識な教理を信じ込ませ、異常な宗教活動に走らせる点では、かの悪名高い統一教会やオウム真理教等のインチキ新興宗教と何ら変わるところはありません。われわれ一般市民にとっては迷惑この上ない団体であり、この点からも集合場所の提供は見合わせていただければと存じます。平成4年7月4日』
 こういうわけなんだ(笑)、… 顕正会は合同結婚式なんかやらない(大爆笑)。… 顕正会の悪口はどうでもいいが、御本仏究極の御遺命たる「国立戒壇」について無惨にも「七百年前の日蓮の思想」などと言い放ち … 時代遅れで今日では通用しないと言っているのです。…
 なぜこの文書をこの席で紹介したかというと、喜び身に余るゆえです。… けなしているように見えるが、よくよく見ると、"大聖人の仰せのままに実践している熱烈で狂信的な団体"、これ実は褒めている言葉ではないか(爆笑)。さらに「宗門ですら捨てた国立戒壇の思想を、顕正会は未だに頑迷に守っている」と。これまた御遺命を堅持している顕正会をほめている(大笑)。まさしく彼らの悪口は、そのまま顕正会が大聖人の仰せのままに戦っている、如説修行の団体であることを立証するものではないか。私はこう見ておりますが、どうでしょうか(大拍手)。…
 将来、顕正会が百万を越えて一国において立正安国・国立戒壇建立を叫ぶ時、国立戒壇に対する怨嫉、顕正会に対する誹謗が必ず一国に起きてくる。この三類の強敵が現われるならば、広宣流布はもう眼前であります」と。(「冨士」第335号 )
 第五隊幹事に矢島正明任命さる。
7月28日
 宗門、池田山記念碑を撤去。
7月28日  創価学会、秋谷栄之助会長、阿部日顕管長に対し「宣告書 『日顕法主こそ永久追放』― 無意味な信徒除名通知を破す」を送付。
 創価学会男子部長・谷川佳樹、阿部日顕管長と柳沢喜惣次に宛てシアトル事件を問い糺す「質問書」を送付。(「聖教新聞」7月30日号 )
 地涌、阿部日顕管長を「エロ坊主」と罵る。「日蓮正宗の全僧俗は、末法の御本仏・日蓮大聖人に帰命するのか、エロ坊主にして二枚舌の日顕に帰命するのか、速やかに決断すべきときにきている。日蓮大聖人に帰命する者は、日顕放逐に決起すべきである」(「同」466号 )
7月31日  創価学会、全国県長会議(創価文化会館)、「日顕永久追放の決議」を採択。
「仏法破壊の悪法主・日顕こそ、宗開両祖からの『破門』は明かであり、我々は日顕を大聖人門下から『永久追放』することを宣言する。邪宗『日顕宗』の信徒たることなど、我々のほうから断じて拒否する。
 一、日蓮大聖人に弓を引く、大謗法の所行は、日顕に追随する信心なき末寺住職も全く同罪である。もし日顕が『破門』し『除名』したのだから、その願主名が入った寄進寺院の御本尊を替えるなどという愚かなことを考えているのであれば、その前に学会の寄進寺院から全住職は即刻退去し、ただちに全ての寺院を学会に返還すべきである。
 一、日顕に盲従するのみならず、その甘言にだまされ、走狗となって蠢動している一派についても、その罪は重大である。我々は、この師子身中の虫であり、天魔の眷属たる一派を断固破折し、その破和合僧の悪に対して徹底的に戦う」(「聖教新聞」8月1日号 )
8月1日
 宗門、大白法、「学会の大嘘を断じて許すな」と題してシアトル事件に再反論。(「同」368号 )
8月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「海外で聖職者にあるまじき不祥事を起こした日顕が、苦悩する世界の民衆に対して、どのような貢献をしたのでありましょうか。法主の権威をカサにきて『世界広布を許可した』などと思い上がる姿は、まさに『橋慢謗法』そのものであります」と。(「同」8月号 )
 アメリカSGI・ウィリアムス理事長、阿部日顕管長に対してシアトル事件と御本尊置き忘れ事件を追及した「質問書」を送付。(「聖教新聞」8月5日号 )
8月5日  創価学会、創価新報、「ウソつき日顕、シアトル事件でついに断末魔へ」と、シアトル事件・第4弾を特集。ヒロエ・クロウのインタビュー記事も掲載。
8月6日  中外日報、尾林広徳師 (宗門海外部長)の行状を暴く。
8月7/24日
 顕正会、特別講習会「近代宗門の歴史と今日の問題」開催、全国196会場。
 浅井昭衛会長、日蓮正宗が唯一の正系門家である三つの理由を示したのち、大正年間の「門下統合問題」「立正大師諡号問題」等によって国家に災難が起きたことを例として、今日の正系門下未曽有の濁乱こそ未曽有の国難の兆である、と。
「一、日蓮正宗が唯一の正系門家である理由
  ① 本門戒壇の大御本尊ましますゆえに
  ② 唯授一人の血脈相承ましますゆえに
  ③ 国立戒壇建立の御遺命堅持のゆえに
 二、近代宗門の歴史
  ① 幕末から明治の宗門
  ② 大正時代の宗門
  ③ 戦時中の宗門
 三、今日の問題」(「冨士」第336号 )
8月8日  創価学会、第3回長野県総会(長野研修道場)、「財務は最高の御供養」
 秋谷栄之助会長「広宣流布への財務は最高の御供養であり、大きな功徳があることは間違いありません … 従来、宗門に気を使って表現を遠慮し、何とか調和を取ろうと努力してきましたが、もう破門で無関係なのですから、堂々と『御供養』と言い切っていきたい」(「聖教新聞」8月9日号 )
8月10日  公明党、市川雄一書記長、党本部で軽井沢研修道場での池田発言を引き「名誉会長はこう話していた。"師弟の道とは師匠の仇を弟子が討つことだ。塚本(三郎民社党元委員長)の暴言を石田(公明党委員長)は見逃した。… 仇を討て! 私を守れ! 感謝の気持ちを持て! 学会を守れ!。… 最近は学会を裏切る議員が多い。何とかならないのか。… 選挙の勝利はすべて学会のお蔭。俺のお蔭だ。史上空前の選挙をやった。… 今年の党大会では、これまでどおり石田委員長の体制で行く"」(「乱脈経理」矢野絢也 )
8月11日
 宗門、「池田大作信徒除名処分の件」の院達を出す。
 池田大作名誉会長に対し、東京第二布教区宗務支院長名で「信徒除名処分通知書」を送付。
「今般、日蓮正宗宗規に基づき、貴殿を信徒除名処分に付したのでここに通告する。… 貴殿に対して7月4日付で通知書を送付し、通知書到着後30日以内に、当職宛に弁疏の書面を提出するよう通知した。期日(8月3日)を経過した8月4日に至るも、貴殿からは弁疏の書面の提出がなく、何らの意思表示もなかった。よって貴殿には、自已の行為についての指摘事実を全面的に認め、何らの弁疏を申し立てる意思もないものと判断し、所定の手続きを経て貴殿を信徒除名処分に付し、本通告に及ぷものである。これにより、貴殿は日蓮正宗信徒の地位を喪失し、今後信徒としての一切の権利を行使できなくなったことを念告する」
8月12日
 宗門、尾林広徳師・阿部信彰師等 6名の宗門僧侶、「シアトル事件」の現地調査を行う。
8月11日  写真週刊誌「FLASH」(光文社)、「スキャンダル暴露された阿部日顕法主の"下半身醜聞"」と題してシアトル事件を報道。
8月15日
 青年僧侶改革同盟、阿部日顕管長に対して戦争責任糾弾の書を送付。
8月17日
 顕正会、教学部、「末法相忘抄上」第5回講義。(板橋產文ホール)
8月17日  富士宮ヒューマンユニオン、阿部日顕管長・八木信瑩師を相手どり、団体交渉拒否で静岡地方裁判所に提訴。(「中外日報」8月20日号 )
8月19日
 宗門、海外信徒夏期研修会、阿部日顕管長「戒壇建立などというものは形式の形式、豆腐のおからのようなものである、と大作が昭和39年に云ってます。明らかに本門戒壇の上において、大聖人様の仏様のお心を勝手に、池田大作が自分で外してしまっているのです。… 正本堂をせっかく作っても、大聖人の三大秘法は正本堂によって極まったというような、我意邪見の考え方をもってきたところから大きな誤りがあり …」と。
8月19日  創価学会、創価新報、宗門高僧らのシアトル現地調査の様子を写真入りで報道。
8月20日  中外日報、阿部日顕管長が、龍年光の口座に1千万円を送金していた事実を暴露。
8月21日  龍年光、「有徳王」発行が財団目的に反する違法行為であることを認める。
8月22日  創価学会、聖教新聞、「日顕は五十年遊びつづけた腐乱坊主、インチキ法主は還俗せよ」との見出しで、柏原ヤスの談話を掲載。
 創価学会、全国県長会議で31人の副会長を選出。
8月24日
 宗門、行学講習会閉講式、阿部日顕管長、池田大作の戒壇についての「形式の形式、豆腐のおから」(昭和39年) 発言を再び批判。
8月24日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「『恩ある人』を踏みつけにする今の僧侶が、大聖人、日興上人の直系であるわけがない。… 現宗門は、『大聖人の魂』をまったく失ってしまった。日興上人にも違背し、反逆してしまった。『日蓮正宗』の名に値しない邪教に堕してしまった。… 『正法の敵』日顕宗の撲滅へ向け、各地で意気軒昂の戦いを展開してまいりたい。日顕は今、『シアトル事件』で紅蓮の炎に包まれ、のたうち回っております。この秋の追撃で『日顕永久追放』を断じて戦い抜いていこう」と。
 創価学会、阿部日顕管長に対し「御本尊トイレ置き忘れ事件」に関する、宣誓供述書を送付。
8月25日
 宗門、法華講夏季総登山、阿部日顕管長「私の顔が、シアトルのようなことをした顔に見えますか」と、シアトル事件を釈明。
8月25日  中外日報、憂宗護法同盟が阿部日顕管長に対し、シアトル事件に関する公開質問状送付を報道。(「同」8月20日号 )
8月26日
 顕正会、8月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、「首都圏直下の巨大地震も切迫
 浅井昭衛会長「最近、創価学会は日蓮正宗そのものを破壊しようと、近代宗門の裏面史をことさら歪曲して暴き立てております。それに対して宗門は、事実を隠そうとするだけで、宗門史の仏法上の重大性を見つめようとせず、ただ保身のために "法主無謬論" を繰り返すのみです。そして学会も宗門も、自ら犯した「御遺命破壊」という大罪には全く懺悔がない。また、この御遺命破壊により、日本に未曽有の国難が迫りつつあることの認識もない。だからいま、互いに醜い「修羅と悪竜の合戦」に血道を上げているのです。ここに私は、正系門家が今日の事態に至るまでの近代の歴史を仏法の上から見つめ、以て顕正会の置かれた立場と使命の重大さを全顕正会員が命に染めるよう、今回の特別講習会を開いたわけであります」、
 そして、未だに戒壇の大御本尊を誑惑不浄の正本堂に居え奉っている不敬がいかに恐るべきかについて、7月25日の法華講連合会の御開扉における不思議な現証を挙げ、「いま大正時代にも戦時中にもなかった七百年来初めての御遺命破壊、最大の不敬が行われている。ならば国家に未曽有の災難が起きてなんの不思議もない。私はただこのことを恐れ、憂えている。… 日本の破局の第一段階は首都圏を襲う大地震である。… 顕正会こそ大聖人の弟子として、迫り来る大災難を仏法の眼で見つめ、大衆救済の戦いを進めていかなければならない。大災難を逃れる道は、御本尊の御守護以外には絶対にない」と。(「冨士」第336号 )
8月26日  創価学会、各部代表者会議、秋谷栄之助会長「日顕宗の悪を断固撲滅せよ」と号令。
8月27日  創価学会、聖教新聞、「法主日顕 ― その異常性を診る」と題した、精神科医・高山直子の論文を連載。
 川崎地区部長会、秋谷栄之助会長「シアトル事件は聖職者たるべき法主にとって致命傷、… 日顕は仏法上から、国法上からも、厳しく裁かれるべきであり、天魔とは徹底して戦おう」と。
8月28日
 宗門、全国教師講習会、阿部日顕管長、本門戒壇の誑惑を事実上認め、自著「国立戒壇の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」を破棄したい旨の意を示す。
「国立ということを言ってんのは浅井昭衞のほうの妙信講で、今でも盛んに言ってますな。国立戒壇って。ということを言っていますがねー。私はね、このー、やはりですね、過去において学会との、ハハハ、在り方の中でいろいろ私も変なことを書かされちゃったが、まっ、一遍、国立戒壇に関することを私はある時期に、全部、御破算にしちゃおうかなと思っているんだけれども、まずいかねー。ありゃもう、一切廃棄する破棄すると宣言したらどうかな、どうだ面白いだろうな。(拍手)おお、ありがとう。エヘッ。…
 国立という考え方は、国の機関が作るということになりませんか? 国ってものがね。つまり国ってのは一つの、人が確かに作ってるもんだけども、国という機関だね。… 憲法においてそれはもう絶対にできないことであり、不可能なことである。… 機関が作るということになるとなんかこのー、大聖人様のお心の精神がこもらないんじゃないか。なー、そんな感じがしませんか? そうだろ? あー、みんなよくこれを知ってくれて結構だ。
 そこで私が思うのは、こういうことを言おうと言ってんじゃないよ。私はそれほど偉くないから。あのー、これからこういうふうにしようと敢えて言わないけどねー、ひとつの考え方としては、もし言うならばの話ですよ。言う必要もないかもしれない。三大秘法抄の戒壇、一期弘法抄の戒壇、すなわち御遺命の戒壇で私はいいと思っている。それ以上、特になんだかんだと言う必要はないけれどもだね。敢えて、もし、敢えてだね、一応言うってんじゃなくても、一つの考え方としてもし言うなら、『国主立』という言い方はどうだろうかと、こう思うんだよね。『国主立』だね。『国主立』となるとこれは国家の機関でなく人間的な意味がそこに入ってきませんか。
 国主ということは、その国その国の、その時その時の政治形態において、とにかく主人である。なんでもできるのである、やろうと思えば。だから国主がですね、国民でしょ、今は。主権在民だから国民が国主なんだ、日本の国は。そうすっと、国民が将来その憲法改正し、こういうことをしようってだけの決議ができるだけの数になればいいね。これ憲法違反じゃなく、可能ではあるということが言えるな。と同時に機関が作るんじゃなく、あくまで人が作る。つまり、大聖人様の御仏智を正しく受け継いだ、複数か単数かは別としても、ともかくそういう方がその尊い信心の上から、その意味をもって作るということは、言えるんじゃないですかね。ですから『国主立』という言い方にすれば、そういう面でも異論がないじゃなかろうか」(「地涌」第492号 )
8月28日
 顕正会、千葉県警柏署による不当逮捕拘留事件起きる。
8月29日
 宗門、全国教師講習会閉講式、阿部日顕管長「決して宗務院は、『何も云うな、我々の考えに付いてこい』とは云っておりません。『法主の考えだけが独尊であり、正しいのである、他の僧侶どもに文句を云わせない』というような考えは、私には毛頭ありません」と。
8月29日  創価学会、北海道大勝利総会、池田大作名誉会長「日顕宗は、ただ保身と贅沢のために仏法を利用し、正しき信徒を弾圧するだけの"牢獄"と化してしまった」と。
9月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「謗法まみれの極悪人から今さら『信徒』扱いされること自体迷惑であり、日顕こそ既に宗開両祖から『永久追放』された身である旨の『宣告書』を突き付け糾弾し、さらに法主退座まで追いこんでまいりたい」と。(「同」9月号 )
9月4日  創価学会、聖教新聞、「高野日海の行状を暴く」の連載開始。
 地涌、阿部日顕管長の「国主立戒壇」発言について「日顕は先師 (日達上人)の御指南に反し、顕正会の邪義ににじりよった」と批判。
「顕正会は、先師・日達上人が誤りであると指摘された「国立戒壇論」を改めなかったため破門されたのである。… 正本堂の意義は三大秘法という本宗の根幹に関わる問題である。その正本堂の意義がクルクル変えられるようでは、日蓮正宗の教義はいったいどうなっているのかということになる。ところが、狂乱する日顕は先師の御指南をまったく無視して、三大秘法の本門事の戒壇について珍説を発表した。日顕は、先師・日達上人が仏法正義を守るため破門された顕正会の邪義に、みずからにじり寄ってみせているのだ。… 日顕は、顕正会の復帰を考えているからこそ、正本堂の意義の改変をおこなったのだ。…
 この日顕の理論でいけば、現在の正本堂が、広宣流布の暁に本門の戒壇堂となるわけではない。「国主立」としてふさわしい手続きを経て、改めて建物を建てようというものである。これは正本堂の意義を低め、同時に正本堂建立の発願主である池田名誉会長の地位を貶めようというものであり、ひいては正本堂建立に膏血をしぼって御供養した創価学会員の赤誠を無に帰そうというものである。
 これはまた、正本堂から奉安殿などに戒壇の大御本尊様を御遷座する企みをも有するものである。日顕宗では「チョボチョボ」の御開扉希望者では、正本堂での御開扉は採算が合わないと嘆いている。先師の「訓諭」などに反して、日顕が正本堂の意義を変えようとする背景には、宗教性ではなく採算性と政治性があるのだ」(「同」第492号 )
9月8日  創価学会インタナショナル、世界学生会議、「破仏法の悪僧・日顕 永久追放宣言」を採択。
9月9/23日
 顕正会、9月度御書講義、「種々御振舞御書」を拝読。(全国190会場)
9月10日  創価学会、SGI青年研修、秋谷栄之助会長「宗門問題の元凶は極悪法主」と。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長「大聖人様は何に因って御本仏の大境界・無作三身の仏果を得給うたかというに、それは、乃能究尽の学識でもなければ、楽説無礙の弁才のゆえでもない。実に、立宗以来の『一心欲見仏・不自惜身命』すなわち身命も惜しまぬ御修行に因る。では、私たち凡夫が成仏させて頂くのは何に因るかといえば、これまた『一心欲見仏・不自惜身命』の信心以外にはない。
 これを少し説明すれば、大聖人は、御自身の当体(一心)即妙法蓮華経の五字なりとの御境界を、不惜身命の御修行によって証得あそばして下種本仏と成り給い、我等凡夫は、御本仏日蓮大聖人を一心に見奉らんと身命も惜しまぬ信心に立つとき、始めて成仏させて頂けるのである。…
 発迹顕本の願主の四条金吾殿も不惜身命、本門戒壇の大御本尊の願主となった熱原の法華講衆も不惜身命、ならば、国立戒壇建立を熱願する者、また不惜身命でなくては、この大仏事は絶対に叶わない」と。
9月12日
 渡辺雄悦師(青年離脱僧)、阿部日顕管長の「国主立戒壇」について「日達上人が『正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり』と示された訓諭に真っ向から背く大邪義であり、恐るべき師敵対」と批判。
9月12日  創価学会、地涌、「血脈相承批判」の連載を開始。
「日顕は、大石寺でおこなわれた全国教師講習会の「講義」(8月28日)において、「血脈相承」について話をした。… 日顕は、「兒貫首ということがおこなわれた時代があるんです。…」と述べた。日顕は十歳の童子が「血脈相承」を受けた時代があったことを公式に認めた。… ここで「時代的背景」により「血脈相承」のあり方、"法主"のあり方が違ってくる(あるいは違ってもよい)ということを、日顕が公式に認めたことは特筆に値する。… 十歳の稚児に甚深の法門など伝えようもないだろう。… 日顕は、稚児貫首に触れ、「みんなが支えて、そしてその血脈を伝持していくというその宗団情勢があったわけだね」と結論している。… この相対的な存在である貫首に、"信伏随従"することが信心であると主張することは、移ろう波影に帰命するようなもの。正しくは絶対的に日蓮大聖人の教法に"信伏随従"すべきである」(「同」第500号 )
9月13日
 憂宗護法同盟 (離脱僧グループ)、宣伝紙「同盟通信」を創刊。
9月14日
 顕正会、教学部、「末法相応抄上」第6回講義。(板橋産文ホール)
9月14日
 石井信広師(本山学衆課在勤)、宗門より離脱。
9月15日  創価学会、調布地区部長会、秋谷栄之助会長「日顕宗は仏敵であり、卑劣きわまりない関快道は極悪の魔僧である。仏法破壊の魔僧を野放しにしてはならない。… 仏敵・魔僧とは中途半端に、妥協してはならないし、断固追放すべきである」と。
9月16日  創価学会、渋谷区ビクトリー地区部長会、秋谷栄之助会長「仏敵の日顕宗、仏法を破壊する天魔・日顕に対しては、心の底から怒りをもって徹底して戦え」と。
 創価新報、阿部日顕管長の "海外御親修での夜遊び" を写真入りで報道。
9月17日
 宗門、阿部日顕管長、シアトル事件でヒロエ・クロウから、名誉毀損で提訴さる。賠償請求額 62億円。
9月19日  創価学会、婦人ルネサンス講座、精神科医・高山直子「未生怨の世界 ― 日顕の歪んだ母子関係を解明する」と題し講演。
9月20日
 宗門、大修寺法華講総登山、阿部日顕管長 "本門戒壇" に言及。
「日達上人の時に(池田大作は)我見慢心でひどい謗法をなし、それはひどかったです、色々な面でね。私自身がその渦中に入ってしまっておりまして、その流れの中で慚愧にたえない面もある。…
 一体何からおかしな事になってきたかというと、池田大作が三大秘法の教えを根本的な所で狂わせて、多くの人間に指導したからであります。… 見極めてくると根本はそこにあるのです。… もっと根本的に云えば、本門戒壇に関する池田大作の指導なり、言動です。正本堂問題も起こりました。池田大作が着工大法要で戒壇が正本堂だという事をはっきり云っている。…
 その後正本堂の定義は変わりましたが、あれは大作の本意ではなかった。だから宗門を恨み、日達上人を恨んだのです。それが元になって52年路線を打ち出したのです」と。
9月20日  創価学会、文化親善家族祭、池田大作名誉会長「学会を迫害し、破壊しようとした日顕宗の末路は、仏法の因果に照らし、余りにも明らかである。目を覆わんばかりの無信心、非常識、腐敗、退敗、人格異常の現宗門に対し、永遠に追撃の手をゆるめてはならない」と。
9月22日  中外日報、池田大作名誉会長を「有徳王」になぞらえ、「現代の覚徳比丘出現する時こそ今」との論文掲載。
9月24日
 弘川雄登師(大栄寺)、宗門から離脱。
9月25日
 宗門、宗務公報、シアトル事件について「一切存在しない」、「学会が御法主上人猊下の御退座・失脚をもくろみ、血脈の尊厳を否定せんとして仕掛けた謀略」と。
9月25日
 顕正会、9月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、9月度折伏成果 5,629名。
 浅井昭衛会長、千葉県柏市における不当逮捕事件こそ、顕正会を陥れんとの魔障であることを示し、この事件の背後にある存在について「本年に入ってからの様々な顕正会への妨害もその根は一つ。顕正会が三十万となり、百万となり、国立戒壇の正義を一国に顕わすことを最も恐れている者がこれをやっている。しかし顕正会は卑劣な妨害を受ければ受けるほど、ますます強く逞しく、光り輝いてくる。…
 たとえ讒言による悪口中傷であろうとも、正しい顕正会の名前が知れ渡ることは、御本仏の御遺命たる国立戒壇の正義が、一国に広まる瑞相である。… 三十万達成を前に三類のはしりが出たことこそ、三十万の仏法上の意義がいかに重大であるかの証拠である」と。
 壮年部長に横田高明任命さる。
9月25日
 小倉雄存師 (日正寺在勤)、宗門から離脱。「離山の書」で阿部日顕管長の国主立戒壇を批判、「このたび離山の決心を固めた理由の一つは、貴殿が『国主立戒壇』という『己義』を構えたことです。... 貴殿は、かつて日達上人が破門した顕正会との妥協を図ろうとした」と記す。
9月25日  創価学会、第58回本部幹部会 (創価国際友好会館)、池田大作名誉会長「日蓮大聖人も、御自身が『信徒の葬儀』を執行された例は、御書には一つもない。日興上人はじめ弟子の方々も、同様に信徒の葬儀を行われていたという記述はない。… 今や宗門では大聖人、日興上人の御精神は、まったく失われ、金もうけのための『宗教屋』になり下がってしまった。宗門は完全に『法滅』の姿である。こうした歴史を見るとき、学会の『友人葬』『同志葬』、また同志による『追善動行会』等は、不思議にも、釈尊と大聖人の時代と同じ在り方になっている」(「聖教新聞」9月27日号 )
9月26日  創価学会、武蔵野幹部会、秋谷栄之助会長「法滅の法主は即刻退座を」と。
9月27日  創価学会、学術部、「人間主義宗教の復権 ― 日顕宗の誤謬を破す」とのテーマで。シンポジウムを開催。
9月29日  中外日報、阿部日顕管長の出自についての秘密を暴く。
10月1日
 正信会報、「時の貫首たりと雖も」と題する研究論文を掲載、妙信講解散処分の経過を記す。(「同」63号 )
10月1日
 顕正会、壮年部班長会開催。浅井昭衛会長、宗門濁乱のなか顕正会だけが、宗開両祖の御意に叶う折伏を行じていると指摘。現当二世にわたる幸福は三大秘法の信心以外には絶対にないこと、切迫する巨大地震・北東アジアの危機等について言及し、「どれほど世の中が乱れようとも、強き信心に立つ者は、必ず不可思議の御守護を頂く。大聖人様は四条金吾殿に対して『何なる世の乱れにも、各々をば、法華経・十羅刹助け給へと、湿れる木より火を出し、乾ける土より水を儲けんが如く、強盛に申すなり』と仰せられている。… そこで思うことは、大聖人様が『湿れる木より火を出し、乾ける土より水を儲けん』の御一念で私たちをお守り下さるのなら、私たちもまた『湿れる木より火を出す』の一念で大聖人様に御奉公しなければ申しわけない」と。
近代宗門の歴史と今日の問題」講義録発刊さる。(「冨士」336号 )
 冨士、特別レポート「関東大震災にみる大地震の惨禍」(海老原秀夫)掲載。(「冨士」第336号 )
10月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「日顕宗は、人間を見下して、抑圧、搾取し、不道徳な行為にも全く恥じることなく悪行を重ね、『権威主義的宗教』そのものになっております。… しかも大御本尊を、全く自らの私利私欲のために私物化していることは、大聖人の御心を裏切るものであります。… 世間に恥さらしの悪僧たちを徹底的に対治し、日顕を退座に追い込んでいくことが、仏弟子の使命」と。(「同」10月号 )
10月3日  創価学会、久野健SGIアジア部長、旧知の間柄の福田毅道師を本地寺に訪ね勧誘工作。
「10月3日の会談で、久野氏が「5千万円までなら出せる」と、離脱の見返り条件を提示。… しかし、福田住職は、この離脱勧誘を拒否。逆に、10月下旬に『離脱勧誘始末記』『創価学会幹部3名による離脱勧誘の件』なる文書を宗門内外に配布した」(「週刊実話」平成12年4月27日号 )
 創価学会は事実無根と提訴(12月19日)したが、東京地方裁判所は、原告(創価学会)が5千万円を提示したことを認定した。創価学会はさらに控訴したが、東京高等裁判所はこれを棄却した。
「東京高等裁判所 平成12年(ネ)2224号判決 本件控訴をいずれも棄却する。本件は、宗教法人日蓮正宗の僧侶である被控訴人福田毅道(福田)が、日蓮正宗の関係者及び創価学会会員に対し配布した文書や日蓮正宗全国教師指導会でした発言において、宗教法人創価学会の幹部会員である控訴人らが、福田に対し、日蓮正宗から離脱すれば創価学会が五〇〇〇万円まで出す用意がある旨を話したとの虚偽の事実を摘示したとして、名誉毀損による不法行為であり、日蓮正宗の代表役員で管長かつ法主の被控訴人阿部日顕(阿部)も共同不法行為責任又は代理監督者責任を負うと主張して、控訴人らが被控訴人らに対し、慰謝料の支払と謝罪広告の掲載を請求した事案である。…
 本件公表は、その名誉毀損性が認められないうえ、社会通念上容認できる限度を超えていないものと認められるのであって、不法行為であるとは認められない。したがって、その余の点について判断するまでもなく、控訴人らの被控訴人らに対する請求はいずれも理由がない。よって、控訴人らの請求をすべて棄却した原判決は相当であって、本件控訴はいずれも理由がないので、主文のとおり判決する」
10月4日  創価学会、首都圏学生部学内大会、秋谷栄之助会長「日顕は極悪法主」と罵り、町田の記念幹部会で「日顕宗の極悪の所業は、御書に照らし先師の御指南に照らしても、仏法上の大罪にあたる」と。
10月5日
 宗門、中堅僧侶有志で月刊誌「妙教」発刊。
10月5日  創価学会、聖教新聞「社説」、「権威の幻にだまされてはならない。… 今こそ大追撃の時である。日顕を責め続けることが、仏法の『正義』の証明である。私たちは、極悪日顕を永久追放するその日まで、追撃の手をゆるめてはならない」と。
 東京・調布区創価学会、関快道師に対し「『C作戦』に関し関快道の責任を問う」を送付。
10月6日  創価学会、墨田・江東合同幹部会、秋谷栄之助会長「堕落僧・高野日海を断固撲滅せん」と。
 大白蓮華、特別号⑨「破廉恥日顕よ、どこまで猊座を汚すのか!」を掲載。
10月7日  創価学会、創価新報、「やっぱり首謀者は日顕だった」と、C作戦の密議を暴露。
10月8日
 宗門、日忠上人250回忌法要(総本山)、阿部日顕管長「今日、創価学会は様々な誤りを犯しておりますが、そのうちの一つとして、最近、彼等が決めた観念文には、日目上人までの御報恩はあるけれども、日道上人以下は全く削ってしまっております。これは実に、報恩の道にも外れ、また、仏法の伝承の筋道にも全く反したところの我見・我意の在り方であり、我々は今後、その謗法の姿をはっきり指摘していくべき必要があると思うのであります。本宗の正しい法脈はけっして日目上人をもって消滅したのではなく、常に唯授一人の血脈付法をもって伝えられておるのであります」(「大日蓮」第561号 )
10月8日  富士宮ヒューマンユニオン、阿部日顕管長を相手取り「団体交渉を求める地位確認」請求訴訟を静岡地方裁判所に起こす。(「中外日報」10月22日号 )
10月8/21日
 顕正会、10月度御書講義、「種々御振舞御書」を拝読。(全国191会場)
10月10日  創価学会、壮年部幹部会、池田大作名誉会長「宗門は、仏法史上かつてない御供養の誠を尽くした学会を、取るだけ取ったら、冷酷に切り捨てた。しかも始めからその計画であった。… これまでは学会は宗門を守りに守り拔いてきた。しかし、宗門が、もはや『信者』ですらない大謗法になった以上、私どもは永久に許してはならない。徹底して破折しぬく決心で戦っていきたい」と。
10月12日  中華人民共和国、第14回共産党大会、「海洋権益の防衛」を打出し軍事力拡大を宣言。
10月13日
 宗門、院達、正信会工作を全面否定。
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で厳修、「中国の軍備拡張がやがて日本の驚異に」。
 浅井昭衛会長「本宗の御大会式には二つの重要な意義がある。一つには、大聖人の非滅現滅・常住此説法の御化導を寿ぎ御報恩申し上げること。二つには、大聖人の御遺命達成に仏弟子として不惜身命の誓いを新たにすること」と述べ、一については寿量品の自我偈の「為度衆生故・方便現涅槃・而実不滅度・常住此説法」の経文を引き、二については申状の大精神を挙げた。
 そして「私は、国家にとって最も重大な問題は防衛問題だと思っている。政治家は耳ざわりのいい「福祉」ばかりを選挙のエサにするが、国民の生命・財産を他国の侵逼から守ることこそ、最大の福祉ではないか。ところが日本では、これほど重大な国家の防衛を、どういうわけか冷ややかに見る風汐がある。そんなことでは独立国家は成り立たないのです。しかし今までそれでどうやら済んできたのは、実は米国が日本の防衛をやってくれたからに他ならない。平和憲法があるからではない、米国の傘の中に日本が入っていたからなのです。ところがこのところ、アメリカの経済力に陰りが見えてきた。…
 いま中国は経済的に極めて苦しい。では、苦しいその中国がどうやって高額の最新兵器をロシアから買うのかといえば、その資金は日本からの経済援助ですよ。つまり日本国民が納めた税金が、中国の戦略核ミサイルとなり航空母艦となるのです。中国はもっともっと日本から経済援助を受けたい。… そのためには日中友好のムードを盛り上げなければならない。… 日中国交正常化二十周年を口実にした今度の「天皇訪中」が、中国側から強く求められたのです。中国が天皇訪中にいかに熱心であったかは、過去1年間に7回も要請しているその異常さに表れております。… いよいよこれから、莫大な経済援助が中国に求められるまま、行われることでしょう。…
 では、この国交回復のパイプ役を務めたのは誰かというと、実は池田大作でありその私兵・公明党なんですね。… 正本堂の発願式が行われたのが昭和42年、その翌年の43年9月には、池田が創価学会の学生部総会で「日中国交正常化」について提言を行い…これを受けて公明党の竹入が何度も訪中して…共同声明をまとめ、…かくして実現したのが20年前の「日中国交回復」だったわけです。この調印をしたのが昭和47年9月29日、ちょうど正本堂落慶の直前のことです。まさに正本堂の建設と同時進行の形で、日中国交回復が進められていたわけですね。
 そして今や中国は、日本の膨大な経済援助により、北東アジアにおいて覇を唱えんとしている。その動きは、すでに尖閣列島と南沙群島の領有権の、一方的主張に示されております。まことに御遺命破壊の正本堂と、日本を脅かすに至るであろう日中復交、この両方に池田大作が関わっていたことに、不思議な符合を感ぜずにはいられません。…
 いま、激動する北東アジアの軍事情勢の変化の中で、日本を救う方法は広宣流布・国立戒壇建立以外にはない。そしてこの戦いを進めるものは顕正会以外にない。本日の御大会式に当たり、いよいよ広宣流布・国立戒壇建立への不惜身命の決意を、大聖人に誓い奉ろうではないか」と。(「冨士」337号 )
10月13日  創価学会、訪中の池田大作名誉会長、李鵬首相と会談。
10月14日
 宗門、早瀬義寛師、法道院副主管となる。
10月15日
 顕正会、教学部、「末法相応抄上」終講。(成増区民センター)
10月17日
 渡辺慈済師(大経寺)、宗門より離脱。
10月18日
 宗門、細井琢道師 (実修寺、細井日達管長の二男)、阿部日顕管長に対し「宗風刷新への進言」を送付。
10月19日
 渡辺慈済師、聖教新聞に「日顕よ、今こそ名誉会長に謝罪せよ」と題する上書を寄稿。
10月20日
 成田雄伴師(広説寺在勤)、宗門より離脱。
10月22日  創価学会、聖教新聞、細井琢道師の決起を報道。
 本部幹部会、池田大作名誉会長「『法』を尊ぶといいながら、その法を弘める『人』を卑しみ、バカにする。それは実は『法』をバカにしているのである。見下しているのである。… 『法を弘むる故に』人は尊いのである。宗門は、まったく『法を弘むる』ことがない。ゆえに、どんなに偉ぶってみせても少しも尊くないのである。… 大恩を忘れて、恩を仇で返したのが日顕である。… 絶対に許されることはないであろう。… 私どもは、いよいよ堂々たる言論戦を繰り広げたい。『悪』に対しては『強気』で責めねばならない。戦わねばならない。弱気であったり、臆病であっては、つけ込まれてしまう。… 現宗門が門閥・閨閥にとらわれ、『特権』を追い求めている醜い姿は、… 提婆達多の眷属であり、『提婆の一類』の証明である」と。
 さらに、大橋正淳師・渡辺慈済師・成田雄伴師・細井琢道師の宗門離脱をあげ「日顕宗の崩壊は目前であり、日顕退座は時間の問題」と。
10月23日  天皇陛下、中華人民共和国ご訪問。
10月23日  創価学会、聖教新聞、「袈裟を着たカリギュラ ー ローマの"狂帝"と平成の"狂法主"」を掲載。
10月24日  創価学会、関西最高会議、池田大作名誉会長、日興上人廿六箇条を引用し「現宗門は、二十六箇条の『ことごとく』に違背し、… 『反日蓮大聖人』『反日興上人』の邪教である。邪宗『日顕宗』と呼ぶほかない。… 学会あればこそ、宗門は『正宗』たりえた。学会が正宗を正宗としたのである。学会を離れれば邪教である」と。
10月27日
 顕正会、10月度総幹部会開催。(川口総合文化センタ一)
 浅井昭衛会長、三十万法城の意義について「国立戒壇のゆえに死罪にも等しい解散処分を受けた顕正会が、潰れもせずに、ついにいま三十万になるということは、まさに御遺命の正義が正系門家に蘇り、国立戒壇が必ず日本に建立されるという大瑞である」と述べ、正系門家における顕正会の「争子」としての重大なる立場に言及。
 ことに8月28日の全国教師講習会における阿部管長の国立戒壇の正義を事実上認めた重大発言を挙げ、「論旨のはっきりしない所はあるけれども、この中で述べられていることは、結局、『国立戒壇』と同じことでしょう … 阿部管長は『国立戒壇というと憲法違反になるから』なんて心配しておりますけれども、自ら『憲法を改正する』と言っているわけですから、違反も何もあるわけがないでしょう。こういう所が、論旨が暖昧だというのです。
 しかし私はもう、揚げ足は取らない。… この発言こそ顕正会の諫暁と死身弘法によって御遺命の正義が蘇りつつある姿。… 池田のような第六天の魔王がその身に入った大悪人ですら、御本仏の御遺命だけは絶対に破壊できない、御遺命の正義は御本仏の御威徳により必ず正系門家に蘇るということの現証」と断言。
 さらに「三十万達成を機に、私はさらに諫暁の御奉公をせねばならぬと決意している。たとえ顕正会はどうなってもかまわない。戒壇の大御本尊様への不敬解消さえなれば、顕正会は他に求めるものは何もない」と不敬解消への決意を披瀝。
10月27日  創価学会、秋谷栄之助会長、豊島区地区部長会で早瀬日慈師を罵倒。
10月 日
 宗門、ロサンゼルス地方裁判所に対し「シアトル裁判」却下の申し立て提出。
11月1日
 顕正会、冨士、特別レポート「日中国交回復と池田・公明党の役割」(海老原秀夫)掲載。(「冨士」337号 )
11月2日
 細井琢道師(実修寺)、宗門を離脱。
11月2日  創価学会、第二東京広布30周年記念総会、池田大作名誉会長「学会を『破門』した日顕宗、… 私どもは、謗法の日顕宗を対治するまで断じて戦いぬく。… 極悪は徹底して『強く』責めねばならない。"責めすぎる"などということはない」と。
11月3日  創価学会、「創価文化の日」記念の集い、精神科医・高山直子「日顕の病理性をつく」とのテーマで講演。
11月4日  創価学会、創価新報、細井琢道師・渡辺慈済師の宗門離脱を宣伝。
 創価新報、阿部日顕管長の芸者遊び写真捏造、宗門高僧の古希祝いの席に夫人同伴で招かれた管長の写真に、トリミング・修正を加え掲載。
11月7日
 顕正会、11月度御書講義、「種々御振舞御書」を拝読。(全国194会場)
11月7日  創価学会、全国県長会議、秋谷栄之助会長「日顕宗が壊滅への一途をたどっている今こそ、徹底的に糾弾していく時である」と。また平成5年を「勝利の年」とし「邪悪な日顕宗を断固粉砕して完全勝利をつかむ」と宣言。
 正木正明青年部長、阿部日顕管長に対し「『C作戦』遂行に関わる日顕法主の重大責任を糾す」と題した質問書送付。
11月9日
 成田樹道師(法布院)、宗門を離脱。
11月10日
 東北第一布教区副宗務支院長・西田誠道師(法典院)、濱口寛正師(東漸寺)、宗門を離脱。
11月10日  週刊読売、山崎尚見副会長インタビュー掲載。
「 ― とにかく学会としては、絶縁されても、あくまでも日蓮正宗で行くわけですね。
 もちろんです。改めるべきは"日顕宗"の方ですからね。
 ― 学会側から折れて、和解へという道はありませんか。
 こちらが折れることは、絶対にありません。ただし、宗門が反省すれば話し合いにはいつでも応じる用意はあります」(「同」11月24日号 )
11月11日  創価学会、「文京の日」記念の集い、秋谷栄之助会長「日顕に法主の資格はない」と。
11月12日
 成田宣道師(浄圓寺)、宗門を離脱。
 浄圓寺所蔵の日寛師書写の常住本尊、のちに創価学会がコピーして頒布。
11月12日  中外日報、宗門高僧の内部告発文を掲載。
11月13日  創価学会インタナショナル、初代教学部長に斉藤克司が就任
11月14日  創価学会インタナショナル、 第15回総会開催、池田大作SGI会長「宗門はバカだ、閻浮第一の悪人です。閻浮第一の愚か者、閻浮第一の嫉妬深い、情けない連中なのであります。… 私共は、極悪日顕についに勝ちました。…『こんな野郎は、クビを切りたい』と ― こんな仏は "ホットケ" ばいい。情けない男達です。… 猊下の話なんて、全然わかんねえや。バカなんだね、本当に誰もわかんない。じいっと黙って聞いてさ、わかる? … 今の日顕なんて、仏教を知ってませんよ。… 日顕は、民衆を『ボンクラども』と云うんですよ、どうですか、許せますか。我々を『あの野郎』と云っているんですよ。失礼じゃありませんか。あんな奴にナメられて。… 私達は、大聖人の本当の直結の御本尊もちゃんとありますから、何にも心配ありません。正々堂々と、世界の創価学会、世界創価宗、日蓮創価宗でまいりましょう。永久に、永久に日顕宗とは決別します」と。
11月15日
 顕正会、日目上人御報恩勤行会、本部会館で厳修、「大聖人・日興上人の御遺命を身読実践
 浅井昭衛会長、日目上人の行体堅固と死身弘法に言及し「日目上人の死身弘法の御振舞こそ、大聖人様が『身命を捨てて法を弘むべし』と仰せられたことの身読、また日興上が『未だ広宣流布せざる間は身命を捨てて随力弘通を致すべき事』と遺誡せられたことの実践であられた。そして、この日目上人の御精神を鑑として、広宣流布・国立戒壇めざし死身弘法に励んできたのが日蓮正宗七百年の伝統であった。
 ところが今、広宣流布の前夜に至って、どうしたことか正系門家の折伏・広宣流布は完全にストップしてしまった。… いま全顕正会には、三十万達成を眼前にして、いい知れぬ緊張感が張りつめ、涙の出るような真心の折伏が全国で連日展開されている。このような清らかな死身弘法の団体が、日本のどこに、宗門のどこにあろうか。まさに顕正会こそ、日目上人の御精神を今日に受け継ぎ実践しているただ一つの団体である」と。
11月15日
 改革同盟 (離脱僧グループ)、阿部日顕管長に対し「血脈、戒壇に関する日顕猊下の妄言を破す」と題する書を送付。
11月15日  創価学会インタナショナル、54ヵ国代表研修会、池田大作SGI会長「日顕が極悪人であることは、各国の方々も、今や、十分おわかりのことと思う。… もはや、あんな低級な人間は相手にする必要はないと思う。汚らわしい者は、もう相手にせず、完全に卒業し、見おろし …」と。
11月17日
 宗門、総本山で日開上人第五十回忌法要を奉修。
 全国教師指導会、阿部日顕管長、池田大作名誉会長の「日蓮創価宗」発言を批判。
11月17日  ロサンゼルス地方裁判所、「シアトル裁判」に関する宗門側の申し立てを却下。
11月18日
 渡辺慈済師、阿部日顕管長が平成3年6月に「『国立戒壇論の誤りについて』は後世に残さないようにしよう。まずいな、これは」と発言していたことを証言。(「創価新報」11月18日号 )
11月18日  創価学会、聖教新聞、「学会こそ『正統』の教団」と強調。
11月19日  創価学会、墨田・荒川・葛飾の代表、藤本日潤師へ質問状を送付。C作戦・お尋ね文書・脱税問題・納骨問題を追及。
11月20日
 宗門、総本山で御大会奉修、暴風雨で「御練り」中止。
11月23日
 顕正会、三十万ついに達成。
11月24日
 顕正会、浅井昭衛会長、阿部日顕管長に宛て不敬解消についての「諫暁書」を提出。
11月24日  創価学会、聖教新聞、「日蓮大聖人の血脈革命」と題する論文の連載を開始、唯授一人の血脈を完全に否定。
11月26日
 宗門、富士学林研究科閉講式、阿部日顕管長「これからの宗門は、厳しいことも多々あろうことが予想されます。... 学会が非道・無道な形から様々な裁判を起こしてきております。実に卑劣な、傲慢無礼、極まりない者どもであります」と。
11月26日
 顕正会、11月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、「三十万の死身弘法を背景に直諌」、10・11月度折伏成果 11,229名。
 浅井昭衛会長「この十一月、みなさんの、この涙の出るような死身弘法の真心を背中に感じつつ、阿部管長への諌暁書を書き続けました。三十万達成の二十三日にこれを書き上げ、翌二十四日の夜、総合男子部長を使いとして、これを提出いたしました。… 大聖人の御悲しみ、御憤りを信心の耳で聞き奉り、時に当たって顕正会として言うべきことを、言葉をかざらず直諫させて頂きました。過去すべての諫暁書は、その内容を直ちに公表いたしましたが、今回は公表することは適当でないと考え、差し控えることにしました。事態はそれだけ緊迫し、重大な時を迎えているのだと理解して頂きたい」と、三十万の死身弘法を背景に阿部日顕管長に対して諫暁書を提出したことを発表。
「この諫暁書は大聖人様の御照覧あそばすところ、また諸天の知るところであれば、近き将来、必ず兆が顕われるものと私は確信しております。この大事な諫暁に、全顕正会員が全国で涙の出るような真心の死身弘法を以て、その背景となってくれたこと、心から有難く、感激でいっぱいであります。今後大聖人様はいかなることを顕正会に御命令あそばすか、ただ信心の耳で聞き奉り、さらに大事な御奉公を貫き通したいと思っております」と。(「冨士」338号 )
「国立戒壇論を"馬鹿の一つ覚え"のように繰り返す顕正会会長の浅井昭衛は、日顕が平成4年8月28日、全国教師講習会で述べた「国主立戒壇論」なる珍論に狂喜し、「国立戒壇を事実上、認めた重大発言」だと、次のように語った。「論旨のはっきりしない所はあるけれども、この中で述べられていることは、結局、『国立戒壇』と同じことでしょう … しかし私はもう、揚げ足は取らない」「戒壇の大御本尊様への不敬解消さえ成れば、顕正会は他に求める何ものもない」(10月度総幹部会)
 浅井の言う「不敬解消」とは大御本尊を正本堂から御遷座することである。調子に乗った浅井は幹部会から約1ヵ月後の11月20日、「不敬解消」を訴える諌暁書を日顕に提出。ところが、この時は未だ顕正会の件では宗内の合意がなされておらず、浅井の苦心の諌暁書は無視された格好になった。浅井は約半年間、宗門からの連絡を待っていたが何の音沙汰もなかった。…
 法華講連合会の柳沢喜惣次…は「顕正会が宗門に復帰することはない。断じてさせない」と言い切る。柳沢は浅井が戻れば出る幕がなくなるから必死の抵抗をするだろう。更に、柳沢以上に顕正会復帰を警戒しているのが妙観講の大草一男だ。大草にとって浅井は仇敵である。そこで、浅井が復帰すれば柳沢は隠居、大草は宗外追放だろう」(「勝ち鬨」第324号 )
(※ 諫暁書は非公開であり、提出は郵送でなく浅井克衛総合男子部長が、使者として本山に持参している。浅井昭衛会長は、10月度総幹部会で "御遺命の正義が蘇りつつある"、"もう、揚げ足は取らない"、"顕正会はどうなってもかまわない"、"他に求めるものは何もない"と述べている。顕正会は和解のハードルを激しく下げており、その会長の密命を帯びての使者(名代)である。以上の公開情報を分析すれば、諌暁書提出の席で御遷座と宗門復帰についてなにがしかの交渉があったことは、想像に難くない。櫻川 忠 )
11月27日  創価学会、聖教新聞、「光久諦顕の悪行を告発」と題した連載開始。
11月28日
 宗門、光文社を名誉毀損で東京地方裁判所に提訴。
 阿部日顕管長、平安寺(京都)親教において、新坊建設構想を述べる。「もうお山は青息吐息だろうなんて、学会の連中がみんな思っているだろうけど、宗門には決してお金がないわけじゃないんだ。平成6年の6万人登山に向かって、立派な坊を一つ建てます。今、一番大きいのが、大講堂の750畳でね。これより大きい千畳敷のをバンと造りますから」と。
11月29日
 宗門、大阪布教区御親教、阿部日顕管長「C作戦」を否定し、「池田大作は大聖人様の三大秘法それ自体を、自分自身の我見をもって汚しております。… 本門の戒壇ということに対しては、池田大作の我見によるところの邪義をもって、大聖人の仏法を長い間、誤らしめてきたのであります。また、たしかに正本堂は出来たけれども、正本堂はもっと、本当に清浄な姿で、すっきりと出来なければならなかったのが、様々な問題が起こり、混乱が起こってきたのであります」と。
11月29日
 顕正会、新笹口事務所、御入仏・開所式挙行さる。
 浅井昭衛会長、笹口支部が急成長を遂げたことについて「新潟の大地から忽然として湧き上がってきた感がある。これこそまさに『地涌の義』である」と述べ、御本尊の大功徳を説いて「よくぞ自分ごときが、この値いがたき文底下種の御本尊に値い得たものよとの大歓喜で、しっかりとお題目を唱え、新潟広布を推進してほしい」と激励。
 また学会幹部が新潟において「法論しよう」などとイヤガラセの訪問をしていることについて「私的な小さな法論ではなく、大きな法論にしなさい。どうか池田大作を引っぱり出してほしい。顕正会は私が出る。そして事を一気に決したい。新潟の人たちこそ、この公場対決を推進してほしい。…
 いま滔々と新潟広布が進むのも、その因は七百年前の大聖人様の逆縁下種による。… 大聖人の御在世に御奉公した千日尼・日妙殿、また四条殿・上野殿が、どうして広宣流布のときに出てきて御奉公せぬ道理があろうか。必ず出てこられるに違いない。どうか一人ひとりが、御本仏の眷属、地涌の流類との自覚に立ち、新潟こそ全国広布の先陣を切ってほしい」と。
11月29日  創価学会、第6回東京総会(東京戸田記念講堂)、池田大作名誉会長「正宗は学会によって正宗になったのである。現宗門は、学会を破門にしたことによって、再びもとの大謗法に転落した。学会を切ったと同時に、正宗としての命脈は断絶した。... 日顕自ら、宗門を邪宗に転落させたのである」と。(「聖教新聞」12月1日号 )
11月30日  第三文明社、青年僧侶改革同盟「日顕宗を斬る(1)青年僧侶証言集」発行。
「猊下の即時退座と宗門の抜本改革を要求する/私たちはなぜ日顕を弾劾するか/"日顕宗"の「暴力体質」を告発する/形式のみに堕した儀礼宗教〔ほか〕」
11月 日  第三文明社、高山直子著「法主日顕 ― その異常性を診る」発行。
11月 日  アメリカ創価学会インタナショナル、初代理事長ジョージ・ウィリアムス退任、後任にフレッド・ザイツがSGI理事長に就任。
12月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「仏法の勝負には中途半端はないのであります。まして、純粋な信仰を踏みにじろうとする『極悪』と戦わないのは、信仰そのものの放棄にも通じる。… 日顕宗に完全に勝利するまで、追撃の手を緩めることなく戦っていこう」と。(「同」12月号 )
 潮、阿部日顕管長を「相承なき贋法主」と論ず。(「同」12月号 )
12月1日  新世界社、村川渉「ああ日顕宗、一本孤立の唄」(マンガ)発行。
12月2日  創価学会、全国県長会議、秋谷栄之助会長「日顕宗は法滅の姿をますます色濃くしている。明年も一段と熾烈に追撃の手を強めていきたい」と。
12月3日
 宗門、大石寺墓地内の墓(千数百基)の違法造成発覚。
 阿部日顕管長、「墓地埋葬法」違反で静岡県警に告発さる。(「聖教新聞」12月4日号 )
12月7/20日
 顕正会、質問会 (特別指導会)ビデオ放映、全国で開催。
12月8日  中外日報、「日蓮正宗は正しかったのか?」の連載開始。
12月9日
 椎名法宣師(寿海寺)、宗門を離脱。
12月10日  富士宮市議会、大石寺の違法道路工事疑惑の究明に乗り出す。(「中外日報」12月17日号 )
12月13日  創価学会、全国青年部幹部会、池田大作名誉会長「いやな幹部、いやな議員、いやな坊主が居たり、いやんなっちゃう。あんなやつが幹部か。もう、ほんと、ぶん殴って、あのう、日顕なんかは針金でいわいて、頭ぶんなぐって… 反対に学会を切りやがった。バカだね、本当にバカだ。あんまりにね(皆さんは)そういうことに付き合っていないから分かんないけど、私たちは付き合っているから、そのバカさ加減は幼稚園以下だ」と。
12月17日  創価学会、中部方面代表協議会、池田大作名誉会長「日顕宗を倒すことが『広宣流布』となる。日顕宗の『伝統』といっても、それは大聖人、日興上人と関係のない、むしろ正反対の、江時代以来の『伝統』であり、せいぜい三百五十年の『伝統』である。これに対し、私どもは、七百年前の大聖人に直結し、また日々、久遠の御本仏に直結して生きている」と。
12月19日  創価学会、阿部日顕管長と福田毅道師を相手どり、5千万円勧誘工作(10月3日)の名誉毀損で東京地方裁判所に提訴、損害賠償と謝罪広告を要求。
 聖教新聞、「日蓮正宗の法脈、もはや断絶」との座談会記事を掲載。「今や大石寺には、大御本尊を脅しの道具に使い、金儲けに利用している、信心なき邪教の貫首がいるだけである。… 日蓮正宗はもう、セミの抜け殻みたいなものになってしまった。中身はカラッポ」と。
12月23日  創価学会、婦人部懇談、池田大作名誉会長「御書には、『開眼』『開眼供養』の話は17カ所で用いられているが、そのほとんどは、この『真言による開眼』を破折され、『法華経による開眼』でなければならないことを教えられた御文である。… 実は、仏教で『開眼』について言われだして以来、その仏事は僧侶の重要な『収入源』となった。いくら立派な仏像を作っても、『特別の修行』をした僧の『特別の儀式』によらない限り、何の意味も生じないというのである。当然、『開眼』は、僧侶たちが『かせぐ』絶好の機会となり、『権威を高める』良き機会となったのである」(「聖教新聞」12月25日号 )
12月24日
 顕正会、12月度総幹部会開催。(川口総合文化センター)
 浅井昭衛会長「いよいよ来年は躍進の第二年、すなわち百万への出陣の年、日本国を揺り動かす百万への出陣である。… 一月の教学はその出陣の準備である。御書に『根ふかければ枝しげし』と仰せであるが、正しい教学の根が深ければ深いほど、広宣流布の戦いは本格的に進む。顕正会の教学は学者になるためではない、信心を深めるためにある。教学を学ぶことにより、全顕正会員一人ひとりの胸に"なんと尊い大聖人様か、なんと有難い御本尊様か、自分の人生はもう決まった、自分の人生に不安はない、必ず成仏させて頂ける、自分は日蓮大聖人の弟子として広宣流布に戦うんだ"、この歓喜と確信と決意が胸の底から湧き上がってくることが、教学の目的である。…
 私は、来年からいよいよ百万への本格的体制を整えるべきと、深く決意をしている。まさに顕正会の双肩に、不敬解消と一国広布がかかっているのである」と。
 本部幹事に横田高明任命さる。
12月24日  創価学会、池田大作名誉会長、小説「人間革命」全12巻脱稿。
12月日  創価学会、このころから、全国の末端組織に「日顕撲滅対策委員会」を設置。"寺に行かない・行かせない"、「ビクトリー活動」を展開する。
 (1) D作戦チーム(CUTされたら取り返す、脱講チーム)
 (2) 特別個人指導班
 ・A班 (葬儀・法要・墓・納骨の問題に対応、メモリアルチーム)
 ・B班 (宗門問題解説班、寺信心の色のついた人を脱色、※廃案名、ハイターチーム)
 ・C班 (活動しなくなった人へ手をさしのべる、人間復興・ルネサンスチーム)
 (3) FOCUSチーム(住職、女房、所化の悪業を暴く、ネタ取材班)
 (4) 賢者の利剣チーム(ミニコミ誌、仮称「利剣」などを編集発行)
 (5) 特攻野郎Sチーム(男子部の特殊潜行活動班、別名、鉄砲玉)
 (6) ワイフ・キャッチャーチーム(寺の女房を徹底糾弾、婦人部の追っかけチーム)
 (7) 四条金吾チーム(壮年部の特別抗議行動チーム、別名、893部隊)
 (8) 十羅刹女チーム(婦人部の電話抗議行動チーム、別名、極道の妻たち)
 (9) ネットワークチーム(寺周辺地域包囲対策、略称、ネット)
 (10) パトリオットミサイルチーム(寺からの郵便物回収作業班)
 (11) ナポレオングループ(不可能を可能にする、唱題会の参加者)
 (12) 広布の使者チーム(聖教新聞・創価新報を、内部未講読世帯に推進)
 以上、本部・支部・地区の「ビクトリー責任者」が核となって行動する。
 
  年表  
1月1日
 宗門、阿部日顕管長、新年の辞「平成3年より創価学会は稀代の魔鬼池田大作の傲慢・我見・本末顛倒の狂見・指示に基く、十数年来包蔵していた宗門支配の野望を … 一つ一つ表わして来たのであります。… 彼等邪義謗法の池田創価学会は永久に地・餓・畜の三悪道に本末究竟する事は決定であります。かかる痴犬共の悪口誹謗がいかにあろうとも恐れる必要はありません」(「大白法」377号 )
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館をはじめ全国55会場で厳修。
 浅井昭衛会長、年頭の辞「百万への出陣」、「昨年11月、濁乱の宗門の中に、傾かんとする日本国の中に、日蓮大聖人の御遺命を奉ずる顕正会三十万の法城はついに厳然と屹立した。国立戒壇のゆえに死罪に等しい解散処分を受けた顕正会が三十万の弘通を成しとげたということは、正系門家・日蓮正宗に御遺命の正義が蘇る瑞相、また日本国に御本仏の御予言どおり国立戒壇が実現することの大瑞である。…
 創価学会は今や『唯授一人の血脈』をも否定して完全に邪教化した。一方宗門は相も変らず自己保身に汲汲として死身弘法の精神を全く失っている。これで、広宣流布はいったいどうなるのか。誰人が死身弘法をなすのか。正系門家の中に、顕正会を除いては身を捨てて立つ者は断じてあるべくもない。顕正会はいよいよ百万めざし出陣する時を迎えた。日本をゆり動かす百万への出陣である。百万が成れば一国広布は必ず成る。まさしく百万こそ一国広布の鍵である」と。
 冨士、特別レポート「仏法から見た最新の宇宙構造論」(海老原秀夫) 掲載。(「冨士」339号 )
1月1日  創価学会、池田大作名誉会長、阿部日顕管長等を嘲笑する詩を「聖教新聞」に掲載。
「君たちよともに笑おう / 堕落の幻の指導者を / 愚劣な畜生のごとき聖職者を / 彼らはただ / 乞食袋を重くひっさげて / うろついている輩だ」
1月3日
 宗門、法華講連合会初登山、阿部日顕管長「池田大作の大きな我見と慢心により、仏法の本質である広布の意義を大きく狂わせてしまったのであります。... ひとことをもって申し上げるならば、大聖人様の三大秘法の仏法を池田大作が、慢心による我見をもって解釈したというところに一切の誤りが存するのであります」と。
1月5日
 顕正会、新年幹部会、本部会館で開催、浅井昭衛会長「"百万達成" 数年以内に必ず実現
「曾ては癒着してお互いに褒めあっていた。ところが今は、これ以上はないという罵りを阿部管長は受けております。その凄まじさ、学会の機関誌等には、連日こんな活字が躍っているのです。いいですか。…「売春法主」「遊蕩法主」「贋法主」「詐称法主」「首切り日顕」(大笑)「天魔の日顕」「法滅の妖怪」 妖怪なんてゲゲゲの鬼太郎みたいだ。(爆笑)さらに「平成の提婆」と…。よくもまあ並べたものと、感心する。(笑)
 創価新報などは元日号から、こんな狂歌をのせている。
 「平成の 提婆達多か日顕よ 法師の皮を着たる畜生」(笑い)
 「法燈の 血脈は無し放蕩の 血脈流れるばかりなり」(笑)
 「海越えて 名誉毀損に問われれば 天魔眠れずまた夜遊びか」(大笑)
 こんなくだらぬ歌が、いくつも元日号から並んでいる。… このような池田を見抜けずに、阿部管長は池田にへつらって御遺命破壊に協力した。… 今、その罰として、さまざま様々な蔑り、辱しめを受けているのであります。
 今年はいよいよ、裁判も大変でしょう。何しろ学会が宗門に対して起こしている裁判は、現在約五十。… 学会の弁護団は … ついこの間までは宗門側の代理人として、正信会と宗門との裁判を担当していた。だから宗門の内部事情は裏の裏まで知っているのです。それが今度は、阿部管長を法律の網に引っ掛けようと血眼になっているんですね。… また僧侶の叛逆も、現在は22ヶ寺38人であるが、恐らくこの宗門分裂の傷口は、どんどん広がっていくでしょう。僧侶が次々と池田大作の手先となって、代理戦争をやる。これは深刻な自界叛逆です。…
 大聖人様に応え奉り広宣流布に戦う者は、顕正会以外にはない。百万ができれば一国広布は必ずできる。この百万をなんとしても数年以内に成し遂げ、大聖人様に応え奉ろうではないか。この百万達成に十年・二十年もかかっていたのでは、日本の破局に間に合わない。大聖人様の御守護により必ずできる。しかも一人ひとりが幸せになりつつ広宣流布を進めるのである。…
 国会の議決を得るために、顕正会が政治に出る必要はない。国民の過半数が入信すれば、政治が動くではないか。国会議員は国民が選ぶのだから、国民の過半数が信心するとき、反対できる国会議員がいようか。かくて超党派で『国立戒壇建立・議員期成同盟』のようなものを作ればいい。… 国立戒壇建立には当然憲法改正も必要になってくるが、この憲法改正も、国民投票で過半数を得て、国会議員の三分の二が賛成すればできる。… まさに過半数の入信こそが国立戒壇建立の決め手なのである。…
 百万を達成したら、いよいよ日本国をゆり動かす戦いに入ることができる。私は「出陣」という言葉を、今回を含めて三回しか使わない。すなわち本年が百万への「出陣」、次が一千万への「出陣」、そして一千万が成ったら、いよいよ国民の過半数めざし国立戒壇建立の山場をめざしての「出陣」であります。このことを、そう遠い先と思ってはいけません、… もうその時は近い。だから必ず広宣流布はできるのであります」と。(「冨士」第340号 )
(※ 浅井会長は、"百万達成に十年・二十年もかかっていたのでは、日本の破局に間に合わない" と云っていたが、百万を達成したのは十年後の平成15年であった。櫻川 忠 )
1月5日
 顕正会、顕正新聞、新春紙上座談会「本宗の血脈は絶対に断絶せず」掲載。(「同」1月5日号 )
「総合男子部長 学会は … 今や秘密にすべき相伝なんかないんだと言っていますが …
 先生 法門相承は、日興上人への秘伝ではあっても総付であるから、時代と共に公開されるのは止むを得ない。ここに堀上人が、富士宗学要集の「相伝の部」に、これをすべて公開されたのだね。... だが、日蓮正宗にしかない「唯授一人の血脈」とは、法体相承のことなのです。法体相承の「法体」とは、まさしく本門戒壇の大御本尊の御事であられる。…
 この戒壇の大御本尊の付嘱相承に付随して、「金口の血脈相承」というのがある。この「法体付嘱 ・金口血脈」こそが、正系門家・大石寺にのみ伝わる 「唯授一人の血脈相承」なのです。 いま池田大作は、大石寺を怨嫉する要法寺の謗法貫主と同じ論法で、この「唯授一人の血脈相承」を否定しているんだ。まさに仏法の命脈を断たんとする魔の所行といわねばならない。
 総合男子部長 「金口の血脈」についてもう少し...
 先生 日応上人は弁惑観心抄の中で「たとえ広布の時といえども、別付血脈相承なるものは他に披見せしむるものに非ず」と仰せられているから、時の貫主上人以外には誰人もこれを知り得ない。… ことに「法之道」の中で日応上人は「金口血脈」について「この金口の血脈こそ唯仏与仏の秘法にして、独り 時の貫主の掌握せる所なり。これには数種あり、また 数箇の條目ありといえども、その中の一種の金口血脈には、宗祖己心の秘妙を垂示し、一切衆生の成仏を所期する本尊の極意の相伝あり」と仰せられている。… だから御本尊の書写ができるのです。…
 西沢 (相承授受について) 実際はどうなんでしょうか......。
 先生 歴代上人の場合は、だいたい丑寅の刻に厳粛なる御相承の儀が行われ、一山大衆もこれを知る。だから疑いの余地がない。すなわち魔のつけ入るスキがないわけだ。しかし、細井管長から阿部管長への時は、儀式が省略された。ゆえに「授」なく「受」なしと疑われたのだ。この状況こそ、まさに六十六・七代にわたって行われた御遺命違背の罰なのです。
 だが、血脈は絶対に断絶しない。たとえ御相承の儀式があろうと、なかろうと、絶対に断絶はしないのです。… 戒壇の大御本尊は、一日として付嘱の人の空白ということがない。またこの付嘱に附随して、「金口の血脈」もなくなることはない。… 何千年・何万年経とうと、何代・代を重ねようとも、また面授の儀式があろうと なかろうと、断絶もせず、色も替らず、伝わるように 出来ているんだ。これが御本仏の御仏智なのです。だから御相承の儀式のあるなしは、本質的には全く問題ない。断絶などはあり得ないのです。…
 一同 はあ...。
 総合男子部長 顕正会の前進と政治との関わりあいはどうなるのでしょうか…
 国立戒壇建立のとき、天皇は富士山の本門戒壇の西南に王城を遷し、国家・国民を代表して仏法守護に当られる。その時、国民は天皇を敬愛し、天皇は国民を慈み、天皇と国民は一体となる。そして、その天皇と国民の間に、二大政党を置いて、交互に政権を担当させることが理想だね ー。広宣流布のときには、誰が見ても頭の下がる立派な天皇陛下がお出になるよ。二大政党はたとえ政策に相違はあっても、三大秘法を根底の指導原理とするということと、正法護持の天子に忠誠を尽くすことにおいては、共通でなければいけない。この政権運用の政党を監視するのが、国民なのだ。 権力は必ず腐敗する。だから政党を、天皇と国民の間に置いて、上と下から監視することが、制度として必要だと思う。そして一国全体が戒壇の大御本尊を命がけで信じまいらせるのだ」
1月6日
 宗門、末寺住職・寺族の新年祝賀会、阿部日顕管長「池田創価学会の考えは、池田大作自らが本仏であるというような考えを持って、大聖人様の尊い御法、絶対に凡夫が犯してはならない三大秘法の本義を勝手に解釈し、それによっ々の問題が過去十数年以来、起こってきているのであります。本門戒壇の問題について申し上げるならば、... 仏様のお心を無視して凡夫が勝手に解釈をし、それで『これが本門戒壇だ』とすることはとんでもない間違いだと思います」と。
1月6日  創価学会、新春幹部会、秋谷栄之助会長「極悪・日顕宗は、いよいよ衰亡の坂を転げ落ち始めています。日顕宗は、大石寺をはじめ全国の末寺において、参加者の数が激減し、誠に惨めな有り様であります。... いまだ日顕にくみする日顕宗の全末寺に、ペンペン草を生やしてみせようではありませんか」と。
 正木正明青年部長、「本年で日顕宗壊滅の決定打を打つ」と宣言。
1月7日
 能勢宝道師(法乗寺)、宗門を離脱。
1月8日  創価学会、池田大作名誉会長「宗門、日顕宗にペンペン草を生やせ」と号令。
1月9日
 大塚順妙師(東光寺)、宗門を離脱。
1月10日
 顕正会、教学部、三級試験 (撰時抄)・四級試験 (立正安国論)・五級試験 (南無日蓮大聖人)、全国57会場で施行。4,118名が受験。
1月10日  公明党、西 豊磨市議 (北九州)、筑豊地域の決起集会で「今回の選挙戦は極悪坊主日顕の息の根を止める戦いだ」「日顕の心臓に風穴をあけるような勝利を」と。
1月14日
 宗門、高木当道師(弘法寺)、納骨堂無許可経営で岩国署に書類送検さる。
 早瀬義雄師(妙栄寺)、高野法雄師(調御寺)、尾花泰順師(浄妙寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で大阪地検に書類送検さる。
1月14日  公明党、中央執行委員会、「憲法擁護」から「改憲論義」へと姿勢を一転。市川雄一書記長、記者会見で「"不磨の大典"としてタブー視せず、憲法見直し論議を進める」と。
1月15日
 宗門、暁鐘編集室、創価学会対抗紙「慧妙」を発刊。「慧妙とは、異流義破折の新聞です
1月15日
 顕正会、成人式、本部会館で行う。
 浅井昭衛会長「私は毎年この成人式を楽しみにし、大事に思い、欠かさず出席している。その理由は、広布前夜に生まれ来たった地涌の流類に、顕正会の会長として、どうしても挨拶をしなければ、という思いである。... 日蓮大聖人の仏法だけは絶対である。皆さんは若くしてこの大法に値い得たのである。絶対に退転してはならない。途中で魔にたぶらかされて退転するような者は地涌の流類ではない。... 地涌の流類は、末法濁悪の時に戦うために出てくる。一人ひとりが大きな人材に成長し、大事な時に生まれ合わせた地涌の流類としての使命を立派に果してほしい」と挨拶。
1月17日
 顕正会、教学部、二級試験 (観心本尊抄・宗教批判の原理)、全国26会場で施行。415名が受験。
 登用試験 (折伏理論解説書第一章~第八章)、全国67会場で施行。4,852名が受験。
1月17日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「あさましい嫉妬と瞋恚に支配され、大聖人の御遺命たる広宣流布を断絶させようとした日顕は、これ以上はない"大不孝の者"である。学会を誹謗し、破壊しようとすれば、自らが地獄の苦しみを受けていく。… 本来、『猊座』とは『師子(猊)』の座のことであるが、日顕宗は師子どころか、まさに、『腸の腐った犬』となっている」と。
1月18日
 関口周道師(法成院)、宗門を離脱。 (※ 25ヵ寺・41人目 )
 藤田道雄師(常楽寺)の妻、自殺未遂。
1月19日
 宗門、西九州布教区親教、阿部日顕管長「芸者写真事件」をとりあげ、「捏造をもって私はじめ宗門の僧侶を侮蔑し、悪口・誹謗の限りを尽くしておる姿は、まさに『悪鬼入其身』の団体と化したと言って過言ではない」と。
1月20日
 宗門、戸高提剣師(妙華寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で秋田地検に書類送検さる。
 合原歓道師(仏覚寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で奈良地検に書類送検さる。
1月22日  創価学会、聖教新聞「私の視点」欄、「天魔・日顕は慈覚・智証と同罪」と。
 聖教新聞、椎名法昭師 (離脱僧)、"芸者写真を撮ったこと、その日時と場所を告白" 掲載。
「日顕やその一派はこの有名な『芸者写真』について、あろうことか、日顕の首をすげ替えた合成写真であるとデタラメを言っております。… もし写真が本物ならその場所と日付をはっきりとしてみろと、うそぶいている始末であります。…
 しかし、これらが真っ赤なウソであることは明らかです。なぜそう断言できるのか。答えは簡単であります。実は、この写真はほかならぬ私が撮影したからであります。… 場所は東京・港区の赤坂『川崎』という超、もうひとつ超高級料亭です。日時は昭和六十一年十一月二十二日、宗門二大行事の御大会の翌日であります」(「地涌」第607号 )
1月25日
 顕正会、1月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長、中国の覇権拡大がついに日本海沿岸まで及んできた現状と、首都圏を襲う巨大地震の切迫について言及、これら国難の根本原因を「正系門家未曽有の濁乱」と指摘、「仏法の眼から見れば、『平成大地震』はどうしても避けられない。しかもこの大地震を号鐘として、広布前夜の三災七難は本格的になる。
 だが、同時に、この三災七難の中に、地涌の流類は続々と出てくる。折伏はしんしんと進む。広宣流布はいよいよ急テンポになってくる。まさしく顕正会の百万達成こそ、一国広布の鍵なのである。大聖人様は顕正会の前進をお待ちあそばす」と。
1月26日
 宗門、阿部日顕管長、大石寺総門附近の桜218本を伐採。
「日顕は、総門から三門にかけて植えてあったほぼすべての桜を伐採するように命じた。第一回目の伐採は、昨年(平成四年)十一月におこなわれた。総門から三門にかけて、四半世紀の間、丹精込めて育て上げられた桜の銘木は二百十八本に及んでいたが、このとき、間引くように百五十二本を切った。… こうしておいて、新年明けて間もない一月二十六日前後に、残りの六十六本を一挙に切り倒してしまった。そのあとには、まるで屍が横たわるように桜の切り株が累々と並んでいる。ことに総坊中庭の様子は無残の一言につきる。…
 この切り倒された桜は、正本堂建立を記念して、その意義を後世に伝えようとの趣旨で、昭和四十二年から四十七年にかけて植えられたものである。総本山第六十六世日達上人と池田名誉会長の手によって進められた大事業の一環をなすものである。林立する桜には、正本堂建立という、仏教史上においてもっとも意義深い建築物の寄進に諸手を挙げて参加した人々の尊い御供養の誠が込められている」(「地涌」第598号 )
1月27日
 宗門、高玉広安師(法蓮寺)、高木当道師(弘法寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で山口地検に書類送検さる。
1月27日  創価学会、アメリカ創価学会インタナショナル総会、池田大作SGI会長「日顕宗は信徒を自分たちの金もうけの手段にしか見てない。そうしておいて、常に威張っている」と。
 アメリカSGI&関西合同総会、池田大作SGI会長の異常発言「ハワイ!(中略)マハロー! マハロー! バカヤロー! バッハロー!」
1月30日  創価学会、聖教新聞、社説「真摯な修行も仏法弘通の努力もなく、供養を私物化してぜいたく三昧にふける日顕宗の悪侶こそ『狗犬の僧尼』にほかならない」と。
1月 日
 宗門、木村道昭師(長岡寺)、信徒激減で蒸発。(「創価新報」2月17日号 )
2月1日
 顕正会、冨士「巻頭言」、浅井昭衛会長「我が末弟を軽んずる事勿れ
「そしていま、この「最大深秘の正法」は御本仏の御威徳により、濁悪の世を迎えてまさに広宣流布せんとしている。この重大な時に生まれ合わせては、云うにかいなき凡夫といえどうして勇み立たずにいられようか。 卑屈・愚痴 ・臆病は、日蓮大聖人の弟子には似つかわしくない。たとえ非力なりとも、確信・明朗・勇気に満ちて、この二度となき広宣流布のお手伝いをしようではないか。このけなげに戦う末弟を御庇護下されて、御本仏は 「請う国中の諸人、我が末弟等を軽んずる事勿れ」 と仰せ下さるのである」
 冨士、特別レポート「いよいよものに狂う池田大作」(海老原秀夫) を掲載。(「冨士」340号 )
2月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「日顕宗は、悪行を責められれば責められるほど、非人間的な体質をむきだしにし、愚かにもますます信徒に盲従を強要しております。今や、完全に法滅し、単に社会に害毒を垂れ流すだけの極悪の存在となった日顕宗を撲滅して、...」と。(「同誌」2月号 )
2月3日  創価学会、池田大作名誉会長、マイアミ研修センターで「『仏子を尊敬せよ』―― これが大聖人が『最上第一の相伝』と言われた法華経の根本精神なのである。この教えを、だれよりも実践してこそ、真の『相伝者』である。… この一点だけでも、日顕は大聖人からの正しい相伝をうけているとはいえない。… (学会員を)残酷に利用するだけ利用し、貧欲に貧ぼるだけ貧り、いじめにいじめて切り捨てた。今の宗門に大聖人からの『相伝』など無いことは余りにも明らかである」と。
 創価新報、「日顕一族の餓鬼道ぶり」を特集。
2月4日  中外日報、「日達法主と信雄の血脈は嘘」を掲載。
「細井日達前法主も、法滅の妖怪法主だったのであろうか。つまり、日達法主は、阿部信雄を後継法主に指名するほど愚かな法主だったのであろうか。... 日達法主が賢明な人物であったとすれば、法滅の妖怪法主日顕を誕生させるわけはないと考えるのが常識というものであろう。... 今の日顕は法滅の妖怪だが、前の日達法主は偉かった、という話を聞くたびに、日達法主から日顕法主への血脈相承とやらが妖しげなものに見えてくるのである。... 信雄は、日達法主から断じて血脈を相承していない」
2月5日
 宗門、関西大布教区副宗務大支院長 富田慈龍師(法恩寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で神戸地検に書類送検さる。
 横田智研師(妙德寺)、違法納骨堂経営で刑事告発さる。
2月7日
 顕正会、第二祖日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長「日興上人は、大聖人に多くの御弟子まします中にただ一人、御本仏大聖人と一体不二・唯我与我の御境界に立たれ、大聖人の一代御化導を助けまいらせると共に、大聖人御入滅後においては五十年にわたって広宣流布・国立戒壇建立の基盤を築かれ、以て大聖人の仏法を清く正しく末法万年にお伝え下された御方である。…
 日興上人の御精神は、身延離山の御振舞によって、よくよく拝することができる。...この日興上人の御精神を拝するとき、いま御遺命を偽わる誑惑の正本堂、邪法のキリスト教神父まで招いて穢した正本堂に、恐れ多くも戒壇の大御本尊が居えられ奉っている不敬を見て、不敬解消を願いこれを叫ばぬ者は、日興上人の弟子ではない。顕正会の不敬解消の御奉公こそ、まさに日興上人の御心に叶うものである。…
 身延の地頭・波木井日円の心に魔が入ったということは、まことに残念至極なことではある。しかし仏法の上からこれを見れば、波木井の謗法により、戒壇の大御本尊は自然と戒壇建立の地・富士にお移りになることができた。いま広布の前夜、創価学会に魔が入って国立戒壇の御遺命を破壊せんとしたことも、まことに残念至極なことではあるが、これも深く考えれば、この大悪により、かえって国立戒壇の正義が強く一国に顕われ、御遺命達成が実現するのである」と。
2月8/21日
 顕正会、2月度御書講義「新尼御前御返事」を拝読。(全国198会場)
2月13日
 宗門、法龍寺 (伊藤光暁師) の違法納骨堂経営で、住民が倉敷環境保健所に納骨堂撤去の申し入れ書を提出。
2月18日  創価学会、ルノアール絵画取引疑惑。立花玲子が池田大作名誉会長に宛てた「10億円念書」が発覚。(「フォーカス」2月26日号 )
2月22日
 宗門、丸岡雄道師(持経寺)、違法納骨堂経営で遺族から神奈川県中原警察署に告発さる。
2月23日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長「日顕はその無責任さから、自分に都合が悪いことが出てくると『そんなことするわけがない』『知らなかった』と強弁し、最後には『絶対にない』と嘘を平気でつく癖がある」と。
2月24日
 宗門、東中国布教区親教、阿部日顕管長「池田大作という者が過去から長い間、三大秘法を自分勝手に解釈してきましたが、それらはすべて狂っております。... 特に本門戒壇の法門において、池田大作はめちゃくちゃな我見をもってこれを堕としてしまっております。... どうして池田大作が、大聖人様の御出現の目的たる本門戒壇の法門を、『形式の形式』などと言って蔑む必要があるのか。これはもう根本的に狂っているからにほかなりません。... それらのことが正本堂の建立にまつわる様々な不祥事としてずっと出てまいりました」と。
2月24日
 顕正会、2月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、2月度折伏成果 5,331名。
 浅井昭衛会長、顕正会の重大使命が正系門家のなかにいよいよ鮮明に顕われてきたことを、学会・宗門の抗争が「芸者写真」の真贋論争にまで下劣化している実態と対比して示すとともに、広布前夜の三災七難が足元まで迫っていると言及、「この三災七難が本格的になる前に、なんとしても百万を達成して大事な御奉公に備えたい。これが私の念願である。物事は、何事もその始めに兆が現れる。そこに私は、百万めざして前進を開始した本年の序戦を見つめている。すなわち本年の2月・3月・4月の法戦で、百万は決せられる」と。
2月25日  創価学会、長野祐樹創価新報編集長、阿部日顕管長に対し芸者写真に関する「合成」発言の撤回を求める「通告書」を送付。
2月27日
 顕正会、男子部班長会開催、「広宣流布は青年の熱と力で
 浅井昭衛会長「この仏法の大革命を成し遂げるのは、御本仏の眷属たる若き地涌の流類以外には絶対にあり得ない。… 御在世も、御本仏日蓮大聖人の法体広布の御化導をお手伝い申し上げたのは、みんな若き青年だった。… そしていま事の広宣流布も、これを成し遂げるのは青年以外にない。…
 顕正会は昭和32年、時の御法主第六十五代日淳上人の命を受けて、350名で発足しました。当時私は「一万をやろう」と云った。誰も本気にしなかった。しかしできたではないか。また一万達成のとき、「十万をやろう」と云った。誰も実感が湧かなかった。しかしできたではないか。今すでに顕正会は三十万。もう百万を疑う者は誰もいない。しかも、これほど純粋で、熱烈で、力ある若き男子部が、今ここに集まっているではないか。どうして広宣流布できぬことがあろうか。必ずできる。まずその関所たる百万を、数年のうちに必ず成し遂げようと私は思っている。男子部諸君、一緒にしっかり戦おうではないか。(ハイッ) …
 正本堂の落慶のとき、僧侶といわず、信徒といわず、落成式に参加した誰一人として、涙を流した者はいない。どうしてか、それは、みんな心の中で『これは欺瞞だ』『こんなものは御遺命の戒壇ではない』と思っていたからである。… だが、もし真実の広宣流布が達成して、本当に『勅宣・御教書』が御金言のごとく申し下されて国立戒壇が成就したとき、『ああ、御本仏の本願ここに成る』を眼前にしたとき、これを見て平然たる者が、仏弟子として一人としてあろうか。... それまで戦い抜いた我等顕正会員は、そのときこそ仏弟子として、男として、両眼滝の如く、思いっきり泣かせて頂こうではないか」と。
3月1日
 顕正会、冨士「巻頭言」、浅井昭衛会長「仏法は生活法」掲載。
3月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「法主の相次ぐ愚行に愛想をつかした僧侶たちが次々と離脱し、しかも法華講からも大量の脫講者が続出するなど、日顕宗崩壊のなだれ現象は、止まるところをしりません」と。(「同」3月号 )
 第三文明、「腐敗する末寺編 ー "俗以上に俗"な悪僧たちの腐敗・堕落の実態を衝く! 」を特集。(「同」3月号 )
3月3日  静岡県、農政部、県議会で「大石寺三門前の道路付け替え工事は農地法違反に当たる」と答弁。(「中外日報」3月18日号 )
3月3日  創価学会、聖教新聞「紙上座談会」、「日顕よ! 正直に白状し、謝れ」と芸者写真事件を追及。
 創価新報、「日顕、崖っぷち」との見出しで、芸者写真をカラーで紹介。
3月4日
 椎名法宣師 (寿海寺・離脱)、全末寺に「書簡」を送り「宴席の主催者はまぎれもなく日顕自身」と証言。
3月5日  衆議院、予算委員会第三分科会、関晴正社会党議員が「創価学会の解散」を要求。
3月7日  創価学会、ブラジル代表者研修会、池田大作名誉会長「悪侶の裏切り、背信を永久に許してはならない。悪の"根"は断じて断ち切らねばならない。... 極悪の僧らを呵責し... 」と。
3月9日
 宗門、四国大支院長 安沢淳栄師(実正寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で松山地検に書類送検さる。
3月10日
 宗門、「大白法」号外「創価学会写真偽造事件の真相」を大量配布。
3月10日  創価学会、「日蓮世界宗創価学会」の商標登録申請をしていたことが発覚。
3月10/21日
 顕正会、3月度御書講義「竜門御書」を拝読。(全国196会場)
3月11日  創価学会、アメリカ代表者研修会、池田大作名誉会長「信仰してない人を排除して見るような『排他性』は、反面、信仰しているから自分は何をしてもよい、とする『独善』と裏はらである。その究極が日顕である。… 長年にわたって未曽有の外護を尽くした学会の赤誠を踏みにじり、仏子を苦しめた日顕は、御本仏への敵対者である」と。
3月12日  朝鮮民主主義人民共和国、核拡散防止条約からの脱退を表明。
3月16日
 宗門、芸者写真事件について釈明。
「祝宴の席に芸妓衆を呼び、舞踏等を鑑賞することは、社会的に認知された行為」
「日蓮正宗では、従来、祝宴等の場へ、芸妓衆を同座させることを特に禁じては来なかったし、御歴代上人におかれても、そのような席へ御招きを受けても、敢えてお断わりにはなられなかった」
「そこには一切衆生を平等に救済する、本宗の末法無戒の精神の、裏付けがあられたものと拝する」
3月16日
 顕正会、教学部、「末法相応抄下」第1回講義。(成増区民センター)
 浅井昭衛会長、講義に先立ち「いま宗門は『芸者写真』がウソかホントかなどという愚劣な抗争に明け暮れているが、こんなバカげたことをしていて、広宣流布はどうなるのか。さぞや第六天の魔王が哄笑していることであろう。いま正系門家において六巻抄を、これほど大勢の人達が、これほど真剣に学んでいるのは、顕正会以外にはない。顕正会こそ、日寛上人の御心を体し、来るべき広宣流布の大闘争に備えようではないか」と。
3月17日  創価学会、創価新報・聖教新聞で「日顕ついに芸者写真を本物と認める」と、大宣伝。
3月24日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「威張りくさって、インチキやってさ … 日顕なんて、なんだ。… 貰いきれないけど、50日間回って30の賞を貰った。世界中にいないよ。… まだ世界に行きますよ。… 形のうえでは御本尊を持っていても、同志を裏切り、人間として最低の下劣な姿を示す人間もいる。… 学会員を平気で切り捨てる法主もいる。… 宗教屋、は庶民を睥睨する。さんざん庶民を利用し、取るだけ取ったあげく、冷酷に捨て去る。… そんな連中に絶対にだまされてはならない。… 偉ぶった人間、庶民を馬鹿にし、虐げる人間とは、断じて戦い抜く」と。
3月25日
 顕正会、3月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、3月度折伏成果 5,003名。
 浅井昭衛会長、北東アジアの危機について、北朝鮮の核疑惑、ロシアの内戦前夜ともいうべき混乱、中国の異常な軍備拡大等を挙げ、仏法を以て国を守るべき宗門も国政の衝にある政治家も、腐敗堕落しているとして「迫りつつある三災七難を前にして、いったい日本はどうなるのか。ここに顕正会の百万達成の重大な意義がある。三災七難が本格化する前に、なんとしても顕正会は百万を成し遂げなければならない。大聖人様は熱原の大法難のとき『我が弟子等大願ををこせ、乃至、をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ』と仰せられた。この御金言に涙して立ち上がる百万の仏弟子が集まるとき、広宣流布は必ず成り、日本の国は救える」と。
3月25日
 宗門、川田綱道師(正顕院)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で松山地検に書類送検さる。
3月25日  創価学会、最高幹部協議会、池田大作名誉会長「悪との戦いに妥協はない。... 絶対に最後の最後まで妥協してはならない。『悪の根』『一凶』を残しておけば、必ずまた悪の枝を伸ばしてくる。決して油断してはならない。日顕宗を"根絶"する戦い、悪とは断じて戦い抜く学会精神を一段と燃やしていきたい」と。
3月28日
 渡辺道粛師(開運寺)、「芸者写真」を理由に宗門を離脱。( 27ヵ寺目 )
3月28日
 顕正会、女子部班長会開催、「『一切の女人に題目を』の大願を継げ
 浅井昭衛会長「日蓮、悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願す」との御金言を引き、「どうか顕正会の女子部は、大聖人様が千日尼に仰せられたこの御心を受け継いでほしい。そして、日本のすべての女性にお題目を唱えせしめ、広宣流布を実現いたします。との大願に立ってほしい」と。…
「広宣流布などは数百年後」と言い放つ腐敗堕落の僧侶の実態を示し、「ここにいま広宣流布の時を迎えて、濁乱の宗門の中に、広宣流布を明日のごとく願い、身を捨てて戦う顕正会が出現したのである」と。
3月29日
 宗門、法華講連合会婦人部大会、阿部日顕管長、対学会対策として「即応折伏」「積極折伏」との戦術を打ち出す。
「『即応折伏』は向こう(学会)が脱講運動に来た時に行うべきことでありますが、... こちらから出掛けていくところの『積極折伏』ということを、これは『即応折伏』とは別の意味で考えていただきたいと思うのであります。ですから、『即応折伏』がそのまま『積極折伏』ということではなく、『即応折伏』は『即応折伏』の場においてはっきりやっていただくと同時に、また積極的な意味において... 」と。
3月31日
 宗門、関快道師、海外部主任および富士学林教頭を解任さる。
 上田元道師(慧日寺)、川田綱道師(正顕院)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で、岐阜・松山の地検にそれぞれ書類送検さる。
3月31日  中華人民共和国、江沢民中国共産党総書記、国家主席に就任、党・軍・国家の三権を掌握。
4月1日
 宗門、大日蓮、「巨大謀略組織・創価学会の犯罪 ――『写真偽造事件』について」を掲載。(「同」4月号 )
 責任役員会、「信徒」に関する宗規を変更。
 渡辺道粛師(離脱僧)、「猊下の正直なる『謝罪』と『退座』を願う」と題した書面を阿部管長に送付。 
4月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「大嘘を重ねるごとに馬脚を現し、自らの首を絞めている極悪・日顕一派を徹底的に撲滅することなくしては、学会の正義も証明されることはない」と。(「同」4月号 )
 全国県長会議、秋谷栄之助会長「日顕宗はまったく終末的ともいえる"迷走"の様相を呈しており、最後の撲滅目指し徹底的な追撃の手を」と。
4月1日  文芸春秋、公明党、竹内勝彦衆議院議員(京都一区)「池田名誉会長への直訴状」を掲載。
4月2日
 宗門、日比野慈成師(敬台寺)、南四国布教区宗務支院長を解任さる。
 長町享道師(妙顕寺)、違法墓地経営で刑事告発さる。
4月3日  創価学会、「4.2」記念各部代表者懇談会、池田大作名誉会長「御本尊を形ばかり持っていても、まったく信心がなく、仏法を利用し、人々を苦しめる。"邪心"の人間がいる。三悪道・四悪趣の醜い境涯である。今、日顕をはじめ、僧侶の醜行や最低の人間性が批判を浴び、また、さまざまな不法行為で社会から糾弾されている」と。
4月5日
 宗門、今井戒道師(一心寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で松山地検に書類送検さる。
4月5/18日
 顕正会、4月度御書講義「蒙古使御書」を拝読。(全国203会場)
4月6日
 宗門、御霊宝虫払大法会、阿部日顕管長「この戒壇建立は、大聖人の御仏意による終窮究竟の厳然たる御指南であり、いやしくも凡夫や一信徒が知ったかぶりをして、軽々に口を入れ、論ずべき法門ではありません。もし、そういうことがあれば、これは本仏のお心を踏みにじる、大謗法であります。しかるに、池田大作なる顛誑の大謗法者は、『戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます』として、精神と形式を分け、御本仏の精神、いわゆる御仏意を蔑ろにし、民衆の幸福という空漠たる迷いの機根中心の観念を正として、これに大聖人のお心による戒壇建立を従属化したのであります。これまさに、仏法破壊の天魔の所行であり、大悪言であります。このような誤りによって正本堂を意義づけようとしたところに、池田の指導する創価学会の基本的な狂いがありました」と。
4月7日
 宗門、伊藤信道師(法楽寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で松山地検に書類送検さる。
4月7日  創価学会、創価新報、阿部日顕管長登座十周年の祝宴にも、芸者が招かれていたことを証する写真を公表。
4月9日  創価学会、「現代世界の人権展」を国際連合大学(渋谷区)で開催。
4月9日  朝鮮民主主義人民共和国、金正日が国防委員会委員長に就任、軍の全権を掌握。
4月11日  創価学会、SGI春季研修会、池田大作名誉会長「法主という最も地位の高い者が広布を破壊しようとした行為は『極悪』の中の『極悪』である。大罰を受けるのは必然であろう。... 今こそ極悪と戦い、責め続けなければならない」と。
4月13日
 宗門、仏寿寺(関快道師)、強制捜査による納骨堂の検証が行われる。
4月14日  創価学会、青年部幹部会、池田大作名誉会長「日顕宗の遊興僧をはじめ、民衆利用の悪人に、絶対にだまされてはならない。... 日顕宗は邪教である」と。
4月15日
 顕正会、教学部、「末法相忘抄下」第2回講義。(成増区民センター)
4月20日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「宗門は『"切る"準備が整うまで、尽くさせるだけ尽くさせておこう、取るだけ取ったら、何か理由をつけて切って、あとは自分たちで、好き勝手にやろう』と考えていたのである。放蕩しようが、謗法を重ねようが、うるさいことを云わない奴隷のような信徒だけいればいいという考えであった。… 全部、もくろみは失敗した。日顕は、学会を甘くみていたのである。... これほどの悪党はない。『現代の提婆達多』、それ以上である」と。
4月21日
 宗門、全国宗務支院長会議、阿部日顕管長「創価学会に対してはどこか遠慮をし、あるいは創価学会に対しては何も云わなくていいんだというような考え方があるならば、これはとんでもないことだと思います。そのような考え方が、もしあるならばはっきり捨てて、創価学会の邪悪をどこまでも破折し、その邪義を打ち破っていくというところに、はっきりとした肚を据えていただきたい。…
 将来に向かって広宣流布に大きく進む宗門において、『広布坊』が新たに出来ることに、どれほどの差し障りがあるかと考えたときに、けっしてそのようなことはなく、むしろ建設されることが大きな意義と必要を持つと、私は信ずるのであります。それを、『大きなものを造って、果たして必要があるのか』とか『それらの建設費用が自分達の負担になるのではないか』というようなことがささやかれておるようでありますが、そのような論議は必要ありません。... 『広布坊』は千畳敷きの坊となりますが、広宣流布に向かって進む宗門の、総本山における施設として、一つは必ずあっていいものであると私は確信いたします。...
 要するに、総本山の意向をよくお考えいただいて、『そういうものの必要はないんだろう』というような無責任な御自身での判断があるならば、それは御自身だけのことにしておいていただきたいと思います。... 特に宗務支院長のような立場の方の発言になりますと、どのような意味からでもかなりの重要性をもって、これが響いていくことになります。それが創価学会の乗ずるところになるということを感ずるのであります」と。
4月27日
 宗門、教師補任式、阿部日顕管長「『三大秘法抄』の戒壇の御文は、軽々に我々如き者が『このようなことである』といって述べることは、やはり差し控えるべきかと思います。... しかしながら、御相伝の説法といい、また、御先師日達上人の御指南を拝しますと、そこに『本門戒壇の本尊安置の処は事の戒壇なり』という意味があります。これについて私は、法体の事において、本門戒壇の御本尊がおわします処、すなわち『事の戒壇』であると拝すべきであるかと思うのであります。もう一つは『三大秘法抄』ならびに『一期弘法抄』の『広布に約したところの事の戒法の顕現たる事の戒壇』は、現在より未来にあるということだけ申し上げておきます」と。
4月27日
 顕正会、4月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、4月度折伏成果 5,689名。
 浅井昭衛会長、序戦3ヶ月の弘通合計が空前の1万6千有余名に及んだことについて「この爆発的な大法弘通こそ『百万は必ず成る』の瑞相である。… いま日本国の人々は、宗門と学会の愚劣きわまりない争いを見て嘲笑しているであろう。しかしやがて、顕正会の真剣なる折伏・諫暁を受けるとき、日蓮大聖人の崇高なる大精神を始めて知り、信ずる信じないは別として、順逆二縁ともに顔色を革め深刻なる反応を示すであろう。そこに国家体験が起きてくる。本年からの顕正会は、もう地下工事の段階ではない。まさしく日本国の中の『日蓮正宗顕正会』である」と。
4月27日  山崎正友元創価学会顧問弁護士、黒羽刑務所を仮出所、正信会僧侶が出迎える。
4月28日
 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。
 浅井昭衛会長「一閻浮提広宣流布の雄大なる流れの中で、現在の歴史的位置を見れば、まさしく私達は、いま日本の広宣流布の前夜に生まれ合わせている。顕正会は口舌の徒ではない。日本国広宣流布という、大聖人様の大仏事をお手伝い申し上げている地涌の流類である。本年の大事な序戦において、すでに一万六千有余の人々に『御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えなさい』と勧め入信させることが出来たことはまことに有難い。いよいよ死身弘法・一国広布の決意を堅め、以て立宗の御報恩に擬し奉ろうではないか」と。
4月29日
 顕正会、男子部班長会開催、「『御本仏の軍勢たる』男子精鋭六千を
 浅井昭衛会長「顕正会の前進は、昨年の三十万達成までは地下の基礎工事の段階だった。ビルの建設工事でも、地下工事のときには、外からはわからない。しかし本年からは、顕正会はいよいよ地上にその姿を現すのです。今までは正系門家の中だけの御奉公であった。… まさに日本国の中の『日蓮正宗顕正会』になってきたのであります。2月の男子部班長会に私が出席したのも、いよいよ『本年から』との『時』を感じたからであります。…
 すでに男子部は、二月の男子部班長会において、涙の中に広宣流布の誓いをいたしました。そして今、その誓いを、一つ一つ力強く実践する時を迎えているのであります。その最初の実践とは何か --。まず本年の10月10日、六千人の男子精鋭を結集して、東京ベイNKホールで堂々の男子部大会を開催したいと思うが、どうだろうか (大拍手)。…
 この六千は烏合の衆ではない。御本仏日蓮大聖人に南無し奉り、国立戒壇をめざして鉄石の団結を持った地涌の流類の結集であります。私はこの10月10日の男子部大会こそ、まさしく顕正会男子部が、大聖人様に御照覧を頂く一国広布の出陣式であると心に決めておりますが、諸君、どうだろうか (大拍手)。…
 この大願に立つ『御本仏の軍勢』たる男子精鋭六千が結集するならば、日本の広宣流布は必ず成る」と。(「冨士」第344号 )
(※ いま(令和4年)、当時の "六千人の男子精鋭"、"烏合の衆ではない"、"鉄石の団結"、"御本仏の軍勢" 、"地涌の流類" のメンバーは、もはやほとんど雲散霧消してしまった。その責任は、権威主義的・独善的な教団運営を続け "日本の広宣流布" を阻害した、浅井昭衛会長にある。櫻川 忠 )
4月 日
 宗門、高橋信興師(仏乗寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で東京地検に書類送検さる。
5月1日
 宗門、芸者写真事件で「著しく宗教的人格権および布教権を侵害された」として、池田大作名誉会長と創価学会を相手取り、十億円の損害賠償・謝罪広告を求めて東京地方裁判所に提訴。
 椎名日澄・寺族同心会会長、能勢順道・大石寺執事、親族の中から離脱僧を出した責任を取って辞任。
5月1日
 顕正会、冨士、「ニュースレーダー」掲載。
5月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「邪宗日顕宗は、ついに堕ちるところまで堕ち、桜の木の大量伐採、芸者写真事件などでウソにウソを重ね、日顕が狂乱し、日蓮大聖人の教義に非ざる邪義を平然ととなえ、全くの邪教に堕したことを自ら宣言したも同然であります」と。(「同」5月号 )
5月3日  創価学会、5.3記念勤行会、池田大作名誉会長、カトリック教徒・安斎伸 (上智大学名誉教授) の発言を引用し戒壇の大御本尊と血脈を完全否定。
「(安斎) 名誉会長と初めてお会いした時のことは、いまだに忘れることはできません。... その折、私は『究極に求められるものは何でしょうか』と質問しました。恐らく,板漫荼羅の御本尊、と答えられると思っておりましたが、しかし、名誉会長は『久遠元初の法です』と答えられたのです。… このことから、名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板漫荼羅に、偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し、創価学会の普遍性と発展の因を見た思いでした。以来、学会への協力を決意し、今日にいたっております」
「(池田) 日顕宗の云う『血脈』などは本当にナンセンスな話です。本来、宗教には... 権威主義の『血脈』などは、信仰的には何の意味もない。... それ(『血脈』)を云うこと自体、その宗教団体が堕落している証拠でしかありません」と。
 同集会で秋谷栄之助会長「名誉毀損の訴訟など、もう気が狂ったというしかありません。提婆達多の本性を現わした日顕については、断固、法主の座から引きずり下ろし、土下座をして謝罪するまで更に総攻撃をしようではありませんか」と。
5月6/24日
 顕正会、特別指導会開催、参加者 24,462名。浅井昭衛会長、「種々御振舞御書」の講義と質問会。
5月9日  創価学会、フィリピンSGI最高会議、池田大作名誉会長「日顕宗は自滅した」と。
5月10日
 宗門、木村真悟師(本妙寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で水戸地検に書類送検さる。
5月11日
 宗門、北陸支院長・長町享道師(妙顕寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反の容疑で富山地検に書類送検さる。
5月18日
 顕正会、教学部、「末法相応抄下」第3回講義。(成増区民センター)
5月19日
 宗門、白井浄道師(仏心寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で千葉地検に書類送検さる。
5月20日
 宗門、中部副大支院長 佐々木慈啓師(玉泉寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で名古屋地検に書類送検さる。
 改革同盟、宗門僧侶に「問題の本質と宗門改革」と題した、阿部日顕管長糾弾書を配布。
 勧持院元法華講員、阿部日顕管長と藤本日潤師に対し、渡辺定英・勧持院主管の罷免要求署名簿を送付。
5月23日
 宗門、中部布教区親教、阿部日顕管長「(池田大作は)世界中の後進国へ足を運んでは、勲章をたくさんもらって喜んで帰ってきているようですが、これは法華経を真剣に日本ないし世界に弘めていくところの指導者のやることでは、絶対にない」と。
5月23日  創価学会、九州最高会議、池田大作名誉会長「『悪魔・魔民』となっているのが、現宗門である。... 断じて打ち破らねばならない。戦わねばならない、中途半端は結局、『魔』の味方となってしまう」と。
5月25日
 顕正会、5月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、「池田大作ついに戒壇御本尊を完全否定
 浅井昭衛会長「理事室は今まで有名無実の感がありましたが、今後は名実ともに広布推進の議決機関として、本格的体制を整えなければならない。また総務室も執行機関として、充実させなければならない。ゆえに本日発令したわけであります。…
 時は5月3日、この日は学会の記念日で記念勤行会というのが行われた。この時のスピーチで、池田大作は戒壇の大御本尊を完全に否定したのです。…「名誉会長が、永遠の根源を求めておられ、板漫荼羅に、偏狭にこだわっておられないことに、非常に感動し…」と、こう「宗教社会学者」なるものに云わせている。…
 一方、学会と争っている宗門はどうなのかといえば、… 顕正会が阿部日顕管長に最後の諌暁書を送ったのは、三十万を達成した昨年の11月24日でしたね。それからすでに半年が経っている。その間、間接的にはいろいろなことを伝え聞く、しかし未だに正式の返報にはあずからない。顕正会は我が身のために言っているのではない。... ただただ、戒壇の大御本尊が未だに誑惑不浄の正本堂に居えられ奉っているその不敬が堪えがたい、このままでは大聖人様に申しわけないと思うあまり、直諫したのである。... しかるに4月6日の説法において、またまた無懺の言を繰り返した。これを聞いてはもう、阿部管長の精神構造を疑わざるを得ない」と。
 理事に加藤礼子・浅井克衛・横田高明・佐久間敬之、総務に鈴木志郎・石原康一・小峰勝彦・海老原秀夫、任命さる。
5月26日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「腐敗した悪侶には、絶対にだまされてはならない。庶民を苦しめる魔の存在を、決して許してはならない。―― これが大聖人の御精神であられた。... 日顕宗と徹底的に戦いましょう!。… 学会がどれほどの御供養を捧げてきたか。日顕はその学会をたたえ、守るどころか取るだけ取って切り捨てたのである」と。
5月27日
 宗門、全国教師寺族指導会、阿部日顕管長、布教の停滞を嘆いて「一ヵ寺千世帯」の目標を打ち出す。「私は二十五世帯の法華講の僧俗がまずその目標を、千世帯を目標にしていただきたい。... 千世帯を目標にするのが余りにも荒唐無稽であるという考え方は、これは余りに誤りであり、千世帯を目標にしつつ、現在の二十五世帯から一歩一歩の行動というところに偉大な歩みがあると思います」
5月28日
 宗門、寺族同心会大会、阿部日顕管長、正本堂にキリスト教神父を招き入れたことを認める。「池田大作は、御本尊についても誤り、戒壇についても誤りましたが、これらの元はすべて、根本が解っていなかったのであります。... それが、正本堂の建立の時に、キリスト教の僧侶を招く考えとなった」と。また、富士学林大学科に対する宗内の批判を憤り、「もし御意見があるならば、はっきりと私まで言ってきていただきたい。陰でコソコソ言いながら、批判的な考え方を蔓延させるということは、一番卑怯なやり方であります」と。
5月31日
 宗門、横田智研師(妙活寺)、違法納骨施設で訴えられる。
5月31日  創価学会、八尋頼雄副会長。ルノアール絵画脱税事件で、東京地検特捜部の事情聴取を受ける。
5月 日
 宗門、阿部存道師(明海寺)、長沢弥道師(実妙寺)、日比野慈成師(敬台寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で、松山地検・徳島地検に書類送検さる。
6月1日
 顕正会、冨士「巻頭言」、浅井昭衛会長「北東アジアの緊迫
「このところ、北東アジアの緊迫が、世界の注目を集めている。北朝鮮は核査察を頑なに拒否してきたその姿勢から、核開発の疑惑を世界中から持たれていたが、その北朝鮮が、いよいよ核弾頭の搭載可能な新型ミサイル「労働一号」を、年内にも実戦配備するという。この情報は、防衛庁が四月三十日明らかにしたものである。この「労働一号」は、日本列島の過半を射程内に収め、発射後10分には日本上空に達するといわれる。このミサイルが実戦配備されるとき、日本は重大危機に直面する。
 また近年の中国海軍の増強ぶりは目を瞠るものがあるが、最近明らかにされた中国海軍の内部文書によれば、中国は二十一世紀初めまでに航空母艦を二隻建造し、新鋭の空母艦隊をいよいよ創設するという。このことは、中国が石油・天然ガス等の海洋権益を手中にするため、尖閣諸島・東シナ海・南シナ海を自国の領海とせんとする執念の表われである。そして内部文書には、日本に対する強い警戒心と激しい対抗心が記されているという。この海軍力増強が、やがて日本のシーレーン(海上輸送路)を脅やかすに至るであろうことは、火を見るよりも明らかである。そのとき――日本は存立の危機を迎える。このように、北東アジアの軍事状勢は、いま歴史的な激変を見せつつある。平和ボケした日本人が想像だにしなかった他国侵逼の影が、まさに足下に迫りつつあるのである。この原因を仏法の鏡に照らすとき、一国の謗法はさておく、時に当って最も重大な亡国の因は、正系門家の仏法違背である」
 冨士、実践の教学、海老原秀夫一級教学部員「諸天の守護」掲載。(「冨士」第344号 )
6月3日
 宗門、八木勝道師(本慧寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で津地検に書類送検さる。
6月3日  創価学会、沢たまき等「無許可違法な墓地を販売したのは詐欺による不法行為」として大石寺を相手取り、約一億円の損害賠償を請求して提訴。
6月4日
 宗門、上地広暁師(大慈院)、横田智研師(妙器寺)、伊藤光暁師(法竜寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で、札幌地検・岡山地検・倉敷地検に書類送検さる。
6月4日  大阪在住の大石寺墓地利用者、「大石寺の社会的責任と詐欺による不法行為に基づく民事責任」を求め、大石寺を相手取り大阪地裁に提訴。
6月4/20日
 顕正会、6月度御書講義「刑部左衛門尉女房御返事」を拝読。(全国232会場)
6月6日
 顕正会、青森大会開催 (弘前文化センター)、参加者9百余名。
 浅井昭衛会長「本州北端の青森で、このような地涌の流類の熱烈な結集を眼前にして感激にたえない。... いま顕正会は四者がそれぞれ縦の系列で全国に弘通を展開しているが、本日は青森在住の四者が一堂に会し、この盛大なる青森大会となった。この大会を見て、私は、顕正会が成しとげてきた三十二万の弘通、そして全国いたる所に地涌の流類が出て来つつあることを実感している。…
 同じ御本尊であっても、広布の前夜になると、ことに賞罰が厳然と顕われる。この厳然たる賞罰を確信し、一人ひとりが幸せになりつつ、広宣流布を進めていこう。青森こそ全国広布の先陣を切る気魄で、しっかり頼む」と。
6月7日
 宗門、今福永明師(妙宝寺)、違法納骨堂経営で利用者から総額2千30万円の損害賠償で提訴さる。
 高木当道師(弘法寺)、遺骨返還義務違反で提訴さる。
 堀寿奘師(福成寺)、無許可・違法墓地経営で利用者から損害賠償請求で提訴さる。
6月8日  創価学会、中央会議、秋谷栄之助会長「日顕宗の反社会的な体質に、各地で怒りの声が高まっているが、日顕の永久追放に向けて更に追撃を」と。
6月9日  皇太子徳仁親王と小和田雅子の結婚の儀、宮中三殿において国事行為として行われた。
6月10日  創価学会、聖教新聞、「明るみに出た日顕宗の反社会的体質 ー 全国末寺で続発する違法行為、免れぬ管長日顕の重大責任」を特集。
6月12日  創価学会、秋谷栄之助会長、阿部日顕管長に「抗議書」を送付。無許可・違法の納骨堂・墓地経営等の責任を和弾して「謝罪」と「即刻退座」を迫る。
6月14日
 顕正会、教学部、「末法相応抄下」第3回講義。(成増区民センター)
6月15日
 宗門、浅井広昌師(華光寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で浦和地検に書類送検さる。
6月15日
 顕正会、松本日仁尊能化第17回忌法要、本部会館で厳修、「今日の顕正会あるは尊能化の恩徳
 浅井昭衛会長「松本尊能化との出会いから御逝去に至る二十年間は、実に顕正会の『試練と忍従』『御遺命守護』の歴史と重なっている。…
 尊能化は、妙縁寺を出られる前に、私に多くの御本尊を託して下さった。それは、私が願い出たからであります。私は、"将来全国的に広宣流布を進めるに当って、地方の拠点、拠点に、どうしても御本尊を御安置しなければならない。たとえ一人ひとりは遥拝勤行で信行に励むとも、入信勤行を行う拠点だけには、どうしても御本尊を御安置しなければならない" と思っていた。そこで尊能化に願い出たわけであります。
 尊能化は「妙信講が広宣流布の御奉公をするのに、御本尊がなければ困るでしょう」とおっしゃって、日寛上人の御形木御本尊を大量に、私に託して下さった。実は昭和四十年一月以降、宗門では末寺で授与する御形木御本尊を、日達上人の御本尊に替えたが、それ以前の三十年代には、どの末寺でも日寛上人の御形木御本尊を授与していたのです。松本尊能化はその日寛上人の御本尊を大量に蔵しておられ、それを私に託して下さったのであります。そのほか、本部会館安置の御本尊を含めて、歴代上人の大幅の常住御本尊七幅も、お渡し下さった」と。(「冨士」第346号 )
(※ 浅井昭衛会長には、"入信勤行を行う拠点にはどうしても御本尊を安置" という思いがあったことが知られる。そして、"会館に小サイズの日寛上人の形木本尊では相応しくない"、との思いがあったと推測される。櫻川 忠 )
6月15日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長「日顕ほど、教学もない、大聖人の仏法の何たるかを知らない最低の坊主はおりません。... 日顕は断じて許してはならない仏敵であります。断固追放しようではありませんか」と。
6月16日  東京地検特捜部、ルノアール絵画脱税事件で立花玲子らを、法人税法違反で起訴。
6月16日  創価学会、創価新報、大橋正淳師(離脱僧)の「日顕は法要のたびに芸者大宴会」を掲載。
6月18日
 宗門、水島公正師(能安寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で浦和地検に書類送検さる。
6月18日  衆議院解散、宮沢喜一内閣不信任決議案可決。
6月20日
 宗門、早瀬日慈重役、逝去。
6月21日
 宗門、長岡錬道師(本源寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で宮崎地検に書類送検さる。
6月23日  雲仙・普賢岳、最大の火砕流発生。
6月25日
 顕正会、6月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、6月度折伏成果 4,781名。
 浅井昭衛会長、日本の政治崩壊が他国侵逼の前相たる自界叛逆であるとし、日本の混乱の根本原因である正系門家の信心の濁乱について「最も重大なのは阿部管長の信心である」として、仏法上の欺瞞は訂正せずに東京都知事に対して学会の法人取り消しを訴え出た阿部管長の破廉恥を指摘。さらに建設中の「広布坊」について「そのような無駄な建物を建てる大金があるのなら、なぜ一日も早く立派な奉安殿を造り、戒壇の大御本尊を御遷座申し上げないのか」と。
6月 日
 宗門、埼玉布教区宗務支院長 藤本信恭師(得法寺)、中国副大支院長 青山聴瑩師(興福寺)、「墓地・埋葬等に関する法律」違反容疑で浦和地検・広島地検に書類送検さる。
7月1日
 宗門、佐藤公妙師(本種寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で浦和地検に書類送検さる。
 山本法明師(王林寺)、中川時道師(立正寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で高松地検に書類送検さる。
7月1日
 顕正会、冨士「巻頭言」、浅井昭衛会長「政治崩壊
「米ソの冷戦が終結したとき、多くの民衆・マスコミは浅薄な歓声をあげた。しかし冷戦の終結は、実は世界戦国時代の始まりであった。恐らくは、今回の自民党単独政権の崩壊は、小党分立・合従連衡の混乱時代の始まりとなるであろう。腐敗堕落の政党は、なにも自民党だけではない。野党もまた五十歩百歩といわねばならない。まして公明党という池田大作の私兵集団が一枚これに加わって暗躍しよう。かくて日本の政治は今後、小党分立して抗争を繰り返す「自界叛逆」の様相を呈するようになると思わ れる。"船頭多くして舟・山に登る"の状況、さらには政党・派閥の相剋の結果、無政府状態にならぬという保証はどこにもない。カンボジアの内乱は、決して他人事ではないのだ。そして、この「政治崩壊」しつつある日本を、いま北朝鮮、ロシア、そして中国は、虎視眈眈と狙っている。 日本を救う根本の方法は、三大秘法・広宣流布以外にはない」
 冨士「時の話題」、「ルノアール絵画疑惑」(海老原秀夫) 掲載。(「冨士」第345号 )
7月5日
 宗門、四国大布教区副宗務大支院長・香川布教区支院長 堀寿失師(福成寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で高松地検に書類送検さる。
7月7日
 宗門、広本哲道師(妙行寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で高松地検に書類送検さる。
 阿部唯七郎、前法華講連合会委員長、逝去。
7月7日  創価学会、第66回本部幹部会、池田大作会長「糸満平和会館て、これ名前変えた方がいいんじゃないかな。… ウーマンっぽい、ウーマンっぽい。糸満なんてウーマンっぽい(あまりウケない)… 駄目か。もっといいね、いいのは、キンマン、いや、イトマン、キン○○コだよ!(爆笑)」
 秋谷栄之助会長「日顕という、たぐいまれな遊び人、極悪人が平然として法主の座にすわるという末期症状が表われている。... こんな狂った法主は、邪教の法主という以外にない」と。(「聖教新聞」7月9日号 )
7月7/19日
 顕正会、7月度御書講義、「松野殿御返事」を拝読。 (全国227会場)
7月12日
 顕正会、教学部、「末法相忘抄下」第5回講義。(成増区民センター)
7月14日
 宗門、広本哲道師(妙行寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で高松地検に書類送検さる。
7月18日  第40回衆議院議員総選挙、自民党が過半数割れ。公明党は52人当選、自民党の一党支配崩壊。公明党得票数は 510万票。
7月20日  最高裁判所、宗門 (建物明渡請求) と正信会 (地位確認請求) の双方の上告を却下。
7月23日
 宗門、吉田日勇師、重役に就任。
7月25日
 宗門、法華講連合会第30回総会、阿部日顕管長「創価学会は、池田大作なる者の邪見・邪信により大きな誤りを犯した。... 池田などは、久遠元初などと軽々しく云いながら、その実体もなく、意義も知らず、ただ蛙の鳴く如く、摧尊入卑の戯言を繰り返すに過ぎない」と。
7月26日
 顕正会、7月度総幹部会開催 (板橋文化会館)、7月度折伏成果 4,739名。
 浅井昭衛会長、日本および全世界に「立正安国論」に仰せの通りの広布前夜の三災七難が現れてきたことを指摘、阿部管長が正本堂の完工式にキリスト教神父が招かれたことを認めた重大発言をしたことを挙げ、この発言がこれまでと同様 池田だけに罪を着せた破廉恥なものであると指摘。
「宗門の高僧は、池田に大事な御遺命を売り渡し、正本堂の誑惑に加担するという仏法上の大罪を犯しながら、責任を取ろうともしない、大聖人様にお詫びしようともしない。そしていま、キリスト教神父を招いたことをヌケヌケと認めながら、この謗法で穢した正本堂に戒壇の大御本尊様を居え奉ったままで、平然としている。これはもう道念がない。この正系門家の信心の濁乱によって、日本はいよいよ三災七難を招かんとしているのである」と。
7月27日  中外日報、「インチキ信徒とニセ法主」の見出しで、柳沢喜惣次と阿部日顕管長を批判。
7月31日
 顕正会、男子部誓願式開催 (本部会館)。
 浅井昭衛会長、男子部大会の意義について「いま広宣流布の前夜を迎えて、御本仏の眷属・地涌の流類が、一堂に会して、一国広宣流布を大聖人様に誓い奉る、その歴史的な大儀式、出陣式が、今度の男子部大会である。私はこの大会を、広布史上の重大なる儀式だと思っている」と。
8月1日
 宗門、大白法、佐々木秀明師(正信会)が「日達上人は地獄行きだな。こうなったのも日達上人がいけないんだ。... 最後まで優柔不断な態度で、あんな死に方をして、もう真っ黒になって、あんなのは地獄行きですよ。間違いない」との発言を紹介。
8月3/22日
 顕正会、特別講習会「顕正会の歴史と使命」開催。参加者 20,619名。(全国333会場)
 浅井昭衛会長、日蓮正宗がなぜ正しいかという理由と、大聖人の究極の大願が「国立戒壇建立」にあること、さらにこの大事な御遺命が広布前夜の今日破壊されんとしたことを示し、大聖人に忠誠を貫き通した顕正会の三十六年の歴史を概説。最後に正系門家の混乱と一国の謗法により三災七難が始まってきたことを指摘し、顕正会の大使命に言及。
8月4日  創価学会、創価新報、阿部日顕管長のキリスト神父正本堂招待暴露を取りあげ、「日顕よ! いつから浅井の弟子になったのか! 」と阿部日顕管長を批判。
 また、「富士の濁流 ― "法主絶対"の虚構を暴く」の連載を開始。
8月6日
 宗門、椎名法宣師、離脱表明を撤回。
8月6日  創価学会、池田大作名誉会長、小説「新・人間革命」執筆開始。
8月6日  細川護熙、第79代内閣総理大臣に選出さる。
8月8日  創価学会、第69回本部幹部会、池田大作名誉会長「すごい時代に入りました、ねー、そのうちデエジンも何人かでるでしょう、ねー、ね、もうじきです、あしたあたり出るから、あのー、あの、みんな、みんな皆さん方の部下だから、そのつもりで」
8月9日  細川護熙内閣発足、非自民・非共産8党派の連立政権、公明党は与党となり4人が入閣。
 55年体制の崩壊、1955年の結党以来38年間、単独政権を維持し続けた自由民主党は、初めて下野することになった。
 公明党枠の大臣として、法務大臣・三ヶ月章、郵政大臣・神崎武法、労働大臣・坂口力、総務庁長官・石田幸四郎、環境庁長官・広中和歌子が入閣した。
8月12日
 妙顕寺墓地利用者、妙顕寺と日蓮正宗を相手取り「無許可・違法な墓地を販売したのは詐欺」として、損害賠償請求訴訟を富士地検に提起。
8月15日
 青年僧侶改革同盟、阿部日顕管長に対し「宗門の戦争責任を再度糾弾す」と題する文書を送付。
8月17日  創価学会、関東会研修会、池田大作名誉会長「日顕は自分の内証は大御本尊と一体不二だなどといわせている。そして民衆の中には決して入ることなく、自分を神格化し、権威づけようとしている」と。
8月18日  創価学会、創価新報、再び阿部日顕管長のキリスト神父発言をとりあげ、「浅井からもバカにされた日顕」と。
8月26日
 顕正会、8月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長、阿部管長が5月以来三たびにわたり「池田大作が正本堂の完工式にキリスト教神父を招き入れた」との重大証言を示し、池田がいかにキリスト教に阿諛迎合してきたかを、カトリック教徒である安斉伸との対談、また正本堂の完工式にローマ法王の使いを招き入れたのはローマ法王と会見するための準備であったこと等の事例を引いて、その腐敗堕落の実態を指摘。
「御本仏の御遺命を偽り、邪法の神父で穢した『誑惑・不浄』の建物に、御本仏の法魂たる戒壇の大御本尊を居え奉って、どうして国の亡びない道理があろうか。しかるに阿部管長は未だに御遷座断行の大道心を起こさない。悲しみと憤り、これに過ぎるはない。この正系門家の濁乱により、いよいよ日本に三災七難が起きてきたのである」と。
8月28日
 宗門、全国教師指導会、阿部日顕管長、「芸者写真」名誉毀損訴訟について釈明。
9月1日
 顕正会、冨士「巻頭言」、浅井昭衛会長「勤行こそ根本
 冨士、「盲目の識者を検証する」(海老原秀夫) 掲載。(「冨士」第347号 )
9月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「日顕宗を撲滅へと大鉄槌を加えていくことが、大聖人の御遺命に適うもの」と。(「同」9月号 )
9月6/19日
 顕正会、9月度御書講義、「四条金吾殿御返事」を拝読。(全国228会場)
9月7日
 宗務院、マスコミ各社に対して「今回の創価学会における御本尊授与に関する取決めについて」と題する文書を送付。
9月7日  創価学会、日寛上人の新「御形木本尊」授与を決定。
 本部幹部会、池田大作名誉会長「宗門は正本堂はじめ学会の広布赤誠の無量の御供養を取るだけ取ったあと、我々を、外道、呼ばわりして破門、追放した。… 日顕宗は... 実は,不相伝の輩、なのである。… 日顕宗は、『三大秘法』否定の邪教である。天台大師の深意に背き、釈尊の慈悲に背き、大聖人に背いた仏敵である。大聖人否定、日興上人否定、そして日寛上人否定なのである」と。
 秋谷栄之助会長、「もはや『信心の血脈』なき日顕には、法主の資格も、大御本尊伝持の資格も全くありません」と。
9月7日  最高裁判所、正信会大量処分・管長の地位不存在確認訴訟について、上告棄却の判決を下す。
9月9日
 宗門、「創価学会ついに『ニセ本尊』つくる」の「大白法」号外を大量配布。
9月10日  最高裁判所、妙真寺(山口法興師)事件の上告を棄却。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長、「義浄房御書」において大聖人様が「一心欲見仏」の文を「一心に仏を見る、心を一にして仏を見る、一心を見れば仏なり」と三転読し給うておられることについて「この三転読にはまことに甚深の義がある。むずかしく云えば、下種本仏の成道・本因の境・智・行を明かし給うたものと拝さねばならない。
 すなわち『一心に仏を見る』とは、『一心』とは大聖人の一念の心法すなわち境妙たる大聖人の御生命。『仏を見る』とは妙法蓮華経の五字なりと知り給うたということ。知り給うその御智恵は智妙である。すなわち我が身は即一念三千の南無妙法蓮華経なりと認識あそばしたということである。一代御化導の上からこれはいつのことかと言えば、大聖人御年三十二歳の立宗のとき、かく知り給うたのである。しかし認識されただけでは未だ事は終わらない。それからいよいよ大聖人の御修行が始まるのである。立宗以後、御自ら『南無妙法蓮華経』とお唱えになり、また日本国の一切大衆にも『南無妙法蓮華経と唱えよ』とお勧め下された。この不自惜身命の御修行が『心を一にして仏を見る』ということである。これが行妙である。そして『一心を見れば仏なり』とは、ついに御修行成就し、境智冥合して久遠元初の自受用・無作の三身と顕われ給うた。すなわち法界を自身と開いたという大境界を事実の上に御証得された。これが竜の口における刹那成道である」と。
9月13日
 宗務院、「創価学会の『ニセ本尊』について」の院達を出す。
9月13日
 顕正会、教学部、「末法相応抄下」第6回講義。(成増区民センター)
9月16日  創価学会、アメリカSGI最高会議、池田大作名誉会長「日顕のような、醜悪な人間性や、下劣な行状は、それ自体が、大聖人の仏法に対する人々の信頼を破壊する。… 現宗門は、完全に信心を失い、行学も破綻し、信行学がともに滅んでしまった。… 大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」と。
9月16日  渡辺美智雄・元自民党副総理、創価学会批判を展開。
9月17日
 宗門、阿部日顕管長、平成6年7月の6万人登山をめざし、全法華講員に「六百億遍の唱題」を指示。
6月19日
 宗門、栃木布教区親教、阿部日顕管長「池田大作は昭和52年路線において、少なくとも七体以上の御本尊を勝手に模刻するという大謗法を犯しました。... 実に思い上がった、付嘱を無視し、筋道を乱したところの考えによるのです」と。
9月20日  創価学会、聖教新聞、浄圓寺所蔵の日寛師書写本尊を基にした創価学会版形木本尊を発表。離脱僧の『創価学会の本尊授与に関する法門上の見解』を掲載、僧による認可があり正当であるかのように装う。
 聖教新聞、『自分で開眼できる』、「拝する側の『信力』『行力』によって、御本尊の『仏力』『法力』は発揮する。これが本来の『開眼』の意義である。… 従来は御本尊に関する権能が法主一人に限られたが、現在は『一閻浮提総与』の意味からも法主一人に限定する時代ではない」
9月21日  創価学会、アメリカ最高会議、池田大作名誉会長「現宗門は、日顕をはじめ、破仏法の悪侶だけとなり、大邪宗となってしまった」と。
9月22日  創価学会、池田博正副会長、スペイン王国のマドリード自治大学を訪問した際、勲章を要求。
「会談で、博正氏ら創価大学側は寄付の申し出を行ない、見返りとして池田大作氏に何らかの名誉称号を出してほしいと、強く要請したそうです」 (「週刊ポスト」平成7年1月6日号 )
9月24日  創価学会、ボストン21世紀センター (現・池田国際対話センター)設立。
9月27日
 顕正会、9月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長、顕正会が日本の命運に責任を持たねばならぬ立場になってきた本年、付節を合わせるごとく日本が戦後最大の大変動期に入ってきたことを挙げ、改めて本年の重大意義を示し、「今年の戦後最大の異常気象と大凶作と大不況は何の前ぶれかというならば、まさしく広布前夜の自叛他逼の前兆であると、私は思っている。… ここに本年、顕正会が『日本国の中の顕正会』として立ち上がった所以があるのである」と。
9月28日
 宗門、茨城布教区親教、阿部日顕管長「今から十数年前の昭和52年のころ、正本堂建立の意義等に胚胎する様々な原因により、池田大作は仏法上の非常に大きな慢心を抱きました。... 私はその後、十数年の間、なんとか正しく教導していきたいと願っておりましたが、今日に至り、その本性をむき出しにしてきたのであります」と。
9月29日
 宗門、早瀬義久師(正説寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で静岡地検に書類送検さる。
9月 日
 宗門、細川明仁師(覚正寺)、今福永明師(妙宝寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で山口地検に書類送検さる。
10月1日  文芸春秋、矢野絢也元公明党委員長「極秘メモ全公開」を掲載、公明党の内情を暴く。
10月2日  創価学会、第三文明、「天魔=日顕の正体」を掲載。(「同」10月号 )
10月5日
 宗門、海外部長 尾林広徳師(妙光寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で東京地検に書類送検さる。
10月10日
 顕正会、男子部大会開催 (東京ベイNKホール)、「十万の男子青年あれば一国は動く」、7千名を結集。「日本の広宣流布」を大聖人に誓い奉り、7千の男子大音声で同心を誓う。新曲「両眼滝のその日まで」発表、「男子部旗」の授与が行われた。
 浅井昭衛会長「私は本日の出陣式を、36年前の顕正会の発足にも比肩すべき、顕正会の大きな節であると思っている。顧みれば、36年前の発足の時は、正系門家において大事の御遺命が破壊されんとする、その前夜であった。そして本日の出陣式は、まさに日本に自叛他逼の大難が起こる、その前夜である」と大会の重大意礼を述べ、日本がいよいよ自叛・他逼の前夜を迎えたことを、国際状勢のただならぬ動きを挙げ、ことに他国侵逼について「正系門家の濁乱と一国の捨離により、日本は磁石が鉄を吸うように自然と隣国の侵略を招くのであります。…
 解散処分を受けた顕正会は、大聖人の御守護によりすでに三十三万となった。そしてその先陣を承る男子精鋭は、本日大聖人様の御馬前に馳せ参じて、その数すでに七千有余名。この顕正会が、この男子部が、命かけて大聖人様に御奉公申し上げて、広宣流布が出来ぬわけがあろうか。また仏弟子ならば、他国侵逼を前にして、どうして大聖人様に一国広布の誓いをなさずにいられようか。
 ここに私は顕正会の会長として、本日、ここにいる全員と共に、大聖人様に対し奉り、日本の広宣流布を命の底からお誓い申し上げる。男子部諸君の、決意はどうか。「ハイッ」(大拍手)…
 もうすでに広宣流布を遠い未来の理想として論ずる時代は過ぎ去った。私達はもう具体的に戦いを進めなければならない。さもなければ間に合わない。私は十万の男子青年の結集を念願し、心に決めている。この日本国に『法を知り国を思う』の男子青年十万が結集して、大聖人の仰せのままに立正安国の大運動を起こす時、一国は必ず動く。この十万を実現するための第一段階の目標を、私はきょう決めたい。すなわち、三年後に、横浜アリーナで、二万人の男子部大会を開催しようと思うが、諸君、どうだろうか。(大拍手)
 二万の結集が出来れば十万の結集も成る。十万の男子青年が集まれば日本の広宣流布は必ず実現する。そして日本が仏国になれば、日本を中心として世界に大波動が伝わり、現在のとめどなき泥沼のごとき分裂と抗争は統一と和楽に変わり、地獄・餓鬼・畜生・修羅の地球上は諸天の守護を得る仏国土と変化するのであります。実に世界を救う鍵は、この日本の広宣流布・国立戒壇建立にある。今日よりは命かけて戦い、いよいよ戒壇の大御本尊様が富士山天生原の国立戒壇にお出ましになる時には、全顕正会員、両眼滝のごとくの大感動を以て、御供させて頂こうではありませんか」(「冨士」第349号 )
10月10日  日本共産党、赤旗、「神崎氏は郵政相として適格か」を連載。
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長「御本仏の非滅現滅・常住此説法のお姿を拝し奉り、仏弟子として御報恩の誠を尽くすと共に、御遺命の達成を誓い奉るのが御大会式の意義である」と述べたのち、歴代先師がその実現を願い身命を賭された「御遺命」の重大性について言及。
 ことに対症療法にすぎない国連の平和維持活動の無力さと対比して、日本の広宣流布・国立戒壇建立こそ、全世界を根本から救う鍵であると述べる。
10月15日
 大石寺納骨者有志、阿部日顕管長に「大石寺納骨堂に関する質問書」を送付し、一週間以内の回答を求む。
10月15日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「戒壇大御本尊の『宝筐』には自分の名前が刻まれている」と。
10月20日
 宗門、椎名法宣師、「御詫び状」を提出。
10月22日  創価学会、創価学会インタナショナル総会、池田大作SGI会長「法主だけが"特別の人間"であるとか、法主の言うことなら謗法であっても従わなければならない、とは御書に書かれていない。皆さまは、聖職者のまやかしに絶対にだまされてはならない。… (日顕宗は)遊蕩また遊蕩の日々 ―― 堕落の極みである。そのうえ僧侶という立場を悪用して、尊い仏子をいじめ抜いてきた。貪欲なだけの僧よりも、もっと悪い。… (日顕は)学会員を見下し、いじめだましてきた。最低最悪の反仏法の人間である。ゆえに責めねばならない。戦わねばならない」と。
10月24日  創価学会、東京牧口会館開館式(八王子)、内外装に贅を極めた地上8階建て、最上階は幹部も入れない池田専用フロアである。前面には、古代ギリシャのパルテノン神殿を思わせる白く太い列柱が12本並び、外壁は白い大理石とタイルが張られている。縦長のガラスは一部がステンドグラスとなっており、屋根は銅板で葺かれている。
 池田大作名誉会長「広宣流布の闘士のための殿堂 … 牧口先生がごとく、戸田先生がごとく死身弘法で戦う人が集う場所」と。(「聖教新聞」10月25日号 )
 創価学会幹部「学会員であっても気安く入れる場所ではない。… 礼拝を拒否した礼拝所」と。
(※ 創価大学が隣接するこの一帯での土地買収を巡り、暴力団(後藤組)が暗躍、92年3月に司令部を東京へ移し、とっかかりの仕事が八王子とされる。)
10月25日  創価学会、聖教新聞、東京牧口記念会館に「学会常住御本尊を安置」と報道。
(※ 創価学会本尊に安置されてきた、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の紙幅本尊である。創価学会は、本尊模刻問題で "紙幅本尊が痛んだ" ことを理由に挙げたが、それが偽りであったことを自ら示した。)
10月25日  東京地方裁判所、「芸者写真」事件の第1回口頭弁論行われる。
10月26日
 顕正会、10月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長、一国広布に出陣したゆえんについて「『内の濁乱』と『外の捨離』によって日本に自叛・他逼が迫ってきたいま、御遺命を守り抜いた顕正会こそ大聖人様に応え奉らねばならない ― この思いから、一国広布の出陣式を10月10日に行なった」と述べ、急速に核兵器の増強を計りつつある最近の中国の動向について言及、「私は、遠からず中国が、世界第一の核戦力を持つ軍事超大国になると思っている。これは日本にとって、まことに恐ろしいことである。まさしく大聖人様の御在世の『西海侵逼』と同じ図式が、いま急速に現れつつある」と。…
 さらに、この他国侵逼の大難から日本を救うのは、現在の腐敗堕落した政治家などではなく、日蓮大聖人の弟子以外にはない、と。
10月27日  衆議院、逓信委員会、矢島恒夫共産党議員、神崎武法郵政相の盗聴事件を追及。
10月29日  週刊朝日、創価学会秋谷栄之助会長インタビュー記事、「日顕上人の御本尊問題ない」掲載。 「Q:創価学会幹部は今の日顕上人が書写したものを本尊として拝んでおり、矛盾しているという指摘もあります。
 秋谷;矛盾はしていない。写したもとの御本尊が大事であって、写した人がどうであっても影響はありません」(「同誌」11月12日号 )
10月 日
 宗門、福家重道師(普見寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で津地検に書類送検さる。
 芳賀円道師(大護寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で東京地検に書類送検さる。
11月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「御本尊を信者を脅す道具に利用してきた日顕の極悪非道」と。(「同」11月号 )
11月3日
 顕正会、「尾道事務所」御入仏・開所式挙行さる。
 浅井昭衛会長「顕正会の事務所は、日目上人の『法華堂』の大精神を今に移すものである。ここには地涌の流類が集い、生き生きとお題目を唱え、折伏弘通の火花を散らす、まさに広宣流布の最前戦の砦である。… 本日御安置申し上げた御本尊様は、生きておわする日蓮大聖人である。この御本尊をよくよく信じ南無妙法蓮華経と唱え奉れば、いかなる罪障も消滅し、宿命は変わり、幸せになってくる。広宣流布とは、自分が幸せになりながら、人を救い国を救う大運動である。…
 もうすでに広布前夜の三災七難は始まっている。三災のはじめは『飢渇』である。いまの大凶作と大不況こそ『飢渇』そのものではないか。ここに顕正会は時を感じ、一国広布に出陣した。… 顕正会は濁世の中の白蓮華である。蓮華は泥に染まらない、顕正会も濁悪の世にあって世間の濁りに染まらない。このような団体は日本のどこにもない。本日こそ広島広布・中国広布の出陣である。勇躍して大法弘通を進めてほしい」と。
 開所式終了後、祝賀幹部会開かる。浅井昭衛会長「この広島も、四者の各支部・各隊・各区が入り乱れて折伏が進められている。顕正会はあくまでも縦の折伏系統を中心に一国広布を進めていく。各支部・各隊・各区がそれぞれの折伏系統で、日本列島のすみずみまで折伏を進めるのである。そして地域ごとに集会を開いては、四者が異体同心して団結していけばよい。だから地域ごとに支部を結成するという方式はとらない。交通機関の発達した今日、どこへでも弘通は伸ばせる。縦の折伏系統こそ広布推進の基本である。… 広宣流布が近づくにつれ、御本尊様の賞罰は、諸天の働きで一段とはっきり出てくる。大確信に立って折伏を進めよう。来年は広島大会を開く。大きく成長してほしい」と。
11月7日  創価学会、「魂の独立記念日」祝賀の最高協議会、池田大作名誉会長「宗門が、学会は『破門』にしたが、学会員は信徒から『除名』していない、と言ってきたことは、まったくの詭弁である。信徒を除名したというと、学会員が、まったく寺院にこなくなることを恐れ、寺へくれば信徒だからと葬儀や法事などを引き受ける口実にして、供養を貪るための、狡猾で卑劣なごまかしだったのである。…
 今、日顕宗は、法主の內証と御本尊は『一体不二の尊体』であるとし、御本尊を利用して『法主信仰』の邪義を立てている。... 『法主信仰』『法主絶対』など明らかに後世の邪義なのである。… 日顕は、御本尊を、信徒を隷属させ、供養を貪るための道具として利用するだけで、御本尊への信心などまったくない。… 仏敵・日顕が支配している大石寺は、大聖人の魂が住まわれていない身延のごとく、『謗法の地』と化してしまった。今、大石寺に参詣すれば、功徳があるどころか、大聖人のお叱りを受けて、罰を受けるだけである」と。
11月8/23日
 顕正会、11月度御書講義、「忘持経事」を拝読。(全国227会場)
11月15日
 顕正会、日目上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長「日目上人は、御本仏日蓮大聖人と二祖日興上人に仕え奉り、後代の私たちに『御遺命達成への精神はかくのごとくあれかし』ということを、身を以て教えて下さったお方である。…
 いま広布前夜の三災七難を眼前にして、顕正会は一国広宣流布を大聖人様に誓い奉り出陣した。日目上人の時は天子が国家意志を決定する実権を握っていたから、天子を諫暁あそばされた。しかし今は一国大衆に御本尊の力を教えなければ、国立戒壇は実現しない。ゆえに、日本国の大衆の一人ひとりが御本尊の功徳に目覚めるごとに、国立戒壇建立が近づくのである。顕正会は日目上人の御心を今に移し、その死身弘法の赤誠を、大聖人様に見て頂こうではないか」と。
11月16日
 顕正会、教学部、「末法相応抄下」第7回講義。(成増区民センター)
11月17日  創価学会、創価新報、「日顕宗の謗法と民衆弾圧の歴史」の連載開始。
11月18日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長「新・人間革命」連載を開始。
 本部幹部会、池田大作名誉会長「我が同志をいじめ苦しめた極悪の日顕一派を、絶対に許すことはできない。永久に戦っていく決心である。… 宗門の本音は、『法主教』を隠れミノにして、信徒に何も言わさず、陰で自分たちが好き勝手に遊び暮らしたいだけなのだ。… 『法主絶対論』によって困るのは学会ではない。こんな邪義を振りかざせばかざすほど、追いつめられるのは宗門であり、日顕であり、法華講である」と。
11月20日
 宗門、御大会式、阿部日顕管長「(芸者写真問題について)今日の世間常識の上からしても、いささかも問題にならない事柄を誇張して取り上げ、しかも捏造・作為を逞しゅうし、今日の宗門の僧侶を、破戒僧、不道徳な所行として罵る姿は、謗法怨嫉による毒気深入、無恥冒瀆の悪鬼の所業であります」と。
11月21日  創価学会、中部祝賀大総会、池田大作名誉会長「日顕のように、目先の欲に狂い、小手先の策を使って、学会員を脅せば全部、自分の思い通りになると錯覚しているのは、まったく仏法を知らぬ証拠なのである。… 今や本山は残念なことに『天魔の山』と化してしまった。したがって謗法も責めずに大石寺に行くことは、謗法容認の『与同罪』になってしまう。… 嫉妬は人を狂わせる。日顕の本質は『男のヤキモチ』である」と。
11月22日
 宗門、阿部信彰師、庶務部副部長に就任。
11月23日  ロサンゼルス郡地方裁判所、第1次訴訟「シアトル買春事件」に関し、クロウの訴えを却下。
11月24日
 顕正会、11月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、9・10・11月度折伏成果 12,079名。
 浅井昭衛会長、一国広布に出陣した心情を「大聖人様に、日本の広宣流布を誓い奉るということが、いかに重いことか、私はこのことをひしひしと感じている。開目抄には『つたなき者のならひは、約束せし事をまことの時はわするるなるべし』と。顕正会はつたなき者ではない。この重き誓いを、仏弟子として、ただただ命を賭けて貫き通すのみである」と述べ、「明年を『前進の年』と名付けたい。出陣の次は前進である。顕正会の前進が日本の破局のテンポを上回らなければ、刻々と近づく他国侵逼に間に合わない。…
 私は『折伏理論書』と『南無日蓮大聖人』と、今回発刊される『顕正会の歴史と使命』の三冊を、広布推進の三大書籍であると確信している。たとえ入信の日は浅くとも、この三冊を命に染めるならば、たちまちに人材となる。この人材が日本列島の至る所で毅然として立ち上がるとき、広宣流布は成し遂げられる」と。
11月26日
 宗門、全国教師指導会、早瀬義寛庶務部長「今後、創価学会が販売している『ニセ本尊』を購入した者にあっては、日蓮正宗の信徒としては認めない。ただし一般学会員から各種法要や登山等の申し出があれば、受け付けていく」と。
11月26日  渡辺美智雄議員(自由民主党)、講演会で「自民党がかつて国会で法案を通すために創価学会の脱税もみ消しをした」と発言。
11月27日  創価学会、関西栄光総会、池田大作名誉会長「『末法濁悪』の何よりの証明は、僭聖増上慢である日顕宗の出現である。... 大悪中の大悪である『日顕宗の出現』こそ大善中の大善である『世界広宣流布の到来』を告げているのである。… 宗門は学会のおかげで豊かになったら、再び宗教の権威で、学会を弾圧した。しかし正当な理由がないものだから、ただ『法主に背けば謗法』を繰り返している。要するに、『私益』に目がくらんでいるだけなのである」と。
11月29日  創価学会、旭日最高会議、池田大作名誉会長「今回の宗門問題も、日顕の『小さな、小さな心』の嫉妬から起こっている。実は彼自身が一番『不自由』で、一番『低劣』な人間なのである。… 日顕宗とその一派は『奪命者』であり、『奪功徳者』なのである。… 日顕宗は大御本尊を形だけ拝しているようで、実は『三大秘法』なき完全な邪宗なのである」と。
11月30日  創価学会、岡山の勤行会、池田大作名誉会長「日顕自身がこうなること(無間地獄に堕ちること)は、自業自得」と。
12月1日
 宗門、大白法、大村寿顕師の「創価宗の『二セ本尊』販売に伴う自己弁護を破す」を掲載。
12月6日  創価学会、聖教新聞、「邪教・日顕宗に御本尊への正しき信心はない!」の連載開始。
12月8日
 顕正会、教学部、「末法相応抄下」終講。(板橋産文ホール)
 浅井昭衛会長「私は何年も前から、一国広布に立つ現在の顕正会の立場を想定して、日寛上人が『ひとえに広宣流布のため』と留め置かれた六巻抄を、全幹部が心肝に染めねば一国広布は叶わないとの思いで、講義を続けてきた。本日で講義予定の五巻のうち四巻を終えるが、今後、顕正会の戦いがますます激しくなるにつれ、今回のようにじっくりと数年もかけて六巻抄を講義する時間はとうてい取れなくなる。ゆえに今回の六巻抄講義は、顕正会の歴史における最後の講義と思っている。どうか、この六巻抄講義を機に、一人ひとりが自ら思索し、心肝に染めて、力ある人材に成長してもらいたい」と。
 また講義の中で、大聖人の御判形が弘安元年から変化した深意について、願主の出現に関連しての見解を初めて示す。
12月8日  朝日新聞、渡辺美智雄・元自民党副総裁のインタービュー記事を掲載。
「時の権力者が何もしないで、(創価学会が) 国税Gメンをフリーパスできますか。国税側に歯ぎしりしている人がいっぱいいる。(時の権力者は) 何代もある。知っているんだから」
12月15日
 宗門、「シアトル事件」について池田大作名誉会長と創価学会を相手取り、謝罪広告の掲載と総額20億円の損害賠償を求め東京地方裁判所に提訴。
12月15日
 顕正会、「顕正会の歴史と使命」発刊。
「顕正会の歴史は三十六年間。この大河のような流れを理解するには、まず大綱をつかむこ とが第一です。今回、講義の資料を七章に分けて作りましたから、この各章の要点をつかみ、 大きな流れを把握して下さい。まず第一章と第二章は「顕正会の歴史と使命」を理解する上での基本であり、大前提とな るところ。そして第三章以下が本論です。では各章の要点を簡単に説明します。
 第一章は、日蓮正宗はなぜ正しいのかという理由と、大聖人の究極の大顔が「国立戒壇建 立」にあることを示してある。
 第二章は、この大事な国立戒壇建立の御遺命が、広布前夜の今日、まさに破壊されんとし たことを、具体的に示してある。
 第三章からは顕正会の歴史に入る。その中で第三章は顕正会の発足です。すなわち顕正会の発足は御遺命破壊の前夜であったこと。そして使命あるがゆえに、発足の当初から末寺住職によって潰されんとした魔障があったこと。
 第四章は、三千の弘通を成しとげるや、さらに強大な魔障が法華講連合会となって現われ 顕正会を潰さんとしたこと。これが「試練と忍従」の時代であった。
 第五章は、正本堂の誑惑を眼前にして、いよいよ御遺命守護の御奉公に立ち上がったこと。 その戦いの内容を、第一次諫暁、第二次諫暁、第三次諫暁とに分けて、具体的に示してある。
 第六章は、顕正会の諫暁に次ぐ諫暁により、正本堂の誑惑はついに崩れ、残るは不敬解消 の一事になったこと。
 第七章は、正系門家の濁乱と一国の誇法により、ついに三災七難が始まってきたこと。そ して顕正会の大使命を示したところ。
 以上が、講義の大綱であります」
12月16日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「赤誠の学会を、自分の貪りのため、卑劣な瞋りのため、癡のために憎み、いじめ、破門―。その背信のひどさは到底言葉で表現できない。そして、彼らが受けるであろう因果の報いも想像に余りある」と。
12月19日
 顕正会、春日部事務所、御入仏・開所式挙行さる。
 浅井昭衛会長「春日部事務所は、東京の本部を中心に見たとき、南の横浜事務所と対応する位置にある。本部を中心にして、首都圏における南北の二大拠点である。首都圏の大地震はどうしても避けられない。大地震の来る前に一人でも多くの人々が御本尊を信ずるように三大秘法弘通の大旋風を南の横浜事務所と肩を並べ、この春日部事務所から起こしてほしい。…
 この御本尊様は、個人においては生きていく上での悩みを解決して下さる。また国家においては三災七難を解決して下さる。広布前夜の五濁爛漫の世においては、人ごとに病気・貧乏・家庭不和で悩んでいる。しかしこの三大秘法の御本尊様を拝めば、必ず御本尊様の御守護によって幸せになってくる。また国家における災難は『三災』という。この国家の三災も、個人の病気・貧乏・家庭不和と本質は同じである。だから個人においても国家においても、この悩みを解決するのは御本尊のお力以外にはない。個人においては御本尊様にしっかりお題目を唱えること。そして国家においては、広宣流布・国立戒壇建立である」と。
12月19日  創価学会、池田大作名誉会長、ブトロス・ガリ国連事務総長と会見。
12月19日  香港、サウスチャイナ・モーニング・ポスト (英字紙)、北朝鮮が数発の核爆弾を完成させたと報道。
12月23日
 顕正会、芙蓉会館、落成御入仏式挙行。
 浅井昭衛会長、「芙蓉会館」に御安置の総本山第二十八世日詳上人御書写の常住御本尊についてその由緒を説明し、「芙蓉会館」と命名されたゆえんを「『芙蓉』とは蓮の花のことである。ゆえに富士山を『芙蓉峰』という。ここの会館は富士山天生原を仰いで国立戒壇建立に戦う地涌の流類が集まる法城であるから『芙蓉会館』と名付けた。… 私はいつも白雪を頂いた富士山を見るたびに思う――あの雄大なる裾野を持つ富士山はどっしりとして不動である。信心も不動でなければならない。…
 また富士の白雪は純白である。信心もこのように清純でなければいけない。わずかなことにフラフラするように薄っぺらな信心は不動の信心とはいえない。清純とは謗法の念慮がない、純一無雑ということである。さらにいうならば『一心見仏・不自惜身命』すなわち大聖人様に南無し奉る純粋性である。このことを身を以て示されたのが、熱原の法華講衆である。この願主が出現したとき、大聖人様は本門戒壇の大御本尊様を建立あそばされた。
 そして事の広宣流布の時、熱原の法華講衆のごとき清純なる信心の団体が国立戒壇建立を熱願する時、戒壇の大御本尊様は国立戒壇にお出ましになる。顕正会こそ熱原の法華講衆の信心を今に移し、大聖人様に応え奉ろうではないか」と。
12月23日  アメリカ合衆国、対外情報機関のCIA(中央情報局)、分析報告書に「北朝鮮は15年以内に大陸間弾道ミサイル(ICBM)の製造が可能となる」と。
12月24日
 顕正会、12月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長「世間の人々も、今年が大変動の年であったということは気づいている。政治を見ても、38年間日本を支配してきた自民党政権が崩壊し、経済もあっという間に『平成恐慌』となった。そして異常気象と大凶作。その上どうしたことか識者の間で『皇室の危機』というようなことも囁かれるようになった。これら曽てなかったことが今年になって起きてきた。これすなわち大変動の年というゆえんである。しかし世間の人々は、この大変動が恐るべき他国侵逼の前兆だということは知らない。
 ここに他国侵逼の前兆が今年起きてきたということを見つめて、私は深く思い、決意し、大聖人様に誓い奉って一国広布の出陣をしたわけである。… いま私の胸にあることは、顕正会の前進が他国侵逼の大難に間に合うかどうか、この一事だけである。明年から目の覚めるような大前進を成し遂げていきたい。この前進は凡夫の力でやるのではない。御本仏の御守護を頂いてやらせて頂く。ゆえに必ずできる」と。
 海老原秀夫総務「平成五年の前進を顧みて」(「冨士」第350号 )
 武蔵野支部長に加藤昌昭任命さる。
12月27日  創価学会、秋谷栄之助会長、阿部日顕管長に対し"違法墓地・納骨"についての「謝罪要求書」を送付。
12月 日
 宗門、大石寺と阿部日顕管長、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で静岡地検に書類送検さる。
 
  年表  
1月1日
 宗門、大日蓮「新年の辞」、阿部日顕管長「仏法を根本から惑乱し、世欲に泥み、不道徳の限りを尽くして日蓮正宗の僧侶を誹謗する汚濁にまみれた池田創価宗の者などに、清浄なる地涌の眷属の魂はありえない」と。(「同誌」1月号 )
 大白法「新年の辞」、阿部日顕管長、六百億遍の唱題行と六万塔建立につき「此の功徳の大なることは恐らく算数譬喩も及びがたく宗祖大聖人様、二祖日興上人、三祖日目上人以下歴代上人のお喜びはいかばかりか、... この唱題行に参加する法華講の皆様こそ、大聖人様がお許しあそばす真の地涌の菩薩の資格を持つ方々であります」と。(「同誌」第400号 )
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館をはじめ全国60会場で 厳修。浅井昭衛会長「広布を夢のごとく思う時代は過ぎた。客観状勢がそれを許さない」と。
 冨士、「年頭の辞」、浅井昭衛会長「三十四万人が "一人立つ" の気魄で
「昨年が日本にとって歴史的な大変動の年であったことは、すでに万人の知るところである。すなわち政治を見れば、三十八年間にわたり日本を支配してきた自民党政権が崩壊して分裂と抗争の時代に突入したし、経済は大不況となって "平成恐慌" の様相すら呈してきたし、また異常気象は百年来といわれる大凶作までもたらした。それだけではない、日本国民統合の象徴とされてきた皇室に対しても批判が起き、いわゆる "皇室の危機" がささやかれた --。世人はこれらを見て、日本が変動期に入ったことを知ったのである。…
 私は宗開両祖の御悲憤をそのまま文字として、一昨年の十一月、これを最後との思いで直諌したのであった。だが、阿部管長はこれをも無視した。そして恬然として、法華講員を無理矢理登山させては御開扉を強行している。これ大御本尊を営利の具とするものではないか。…
 昨年十月、顕正会は大聖人に誓い奉って一国広布に出陣したのである。顕正会の前進が、他国侵逼の大難に間に合うかどうか、この一事こそ何よりの重大事である。すべては本年からの『前進』にかかっている。すでに日本列島のいたる所に、三十四万の顕正会員は陣列を整えている。この一人ひとりが『日蓮大聖人の弟子』の自覚に立ち、その地において『一人立つ』の気魄で毅然と立つとき、広布の潮流は滔々として日本全土に流れだす」と。
 冨士、実践の教学「生命力」(海老原秀夫一級教学部員)掲載。(「冨士」第350号 )
1月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「日顕宗は闇の世界にうごめいています。... ひたすら姑息な手段で学会を誹謗するだけであり、檀家制度の上にただあぐらをかいている姿にはあきれはてるばかりです。... 信伏随従する法華講こそ誠に哀れでなりません」と。(「同」1月号 )
 創価新報、河辺慈篤師の自筆「会議メモ」を公表、「C作戦」があったことを暴露。
「今回、日顕らの企てた謀略「C作戦」の真相を知るうえで、またとない資料が平成六年一月一日付の『創価新報』によりスクープされた。日顕の懐刀といわれる河辺慈篤が、極秘裡に記録した「河辺メモ」が世に出たのだ。… 「C作戦」の作戦書の冒頭には、〈目的〉と銘打たれた項目があり、作戦目的が明示されている。
『この計画作戦の目的とするところは、池田名誉会長を総講頭職から解任し、日蓮正宗は創価学会とは無縁の宗教団体であることを一般世間に公表し、創価学会組織の徹底壊滅を図り、もって純粋なる信仰に基づく金甌無欠の組織の再編成を目的とする』
 宗門側の野心は、この文に端的に示されている。まず、創価学会員に以下の(1)(2)の大ショックを与える。
 (1)池田名誉会長を日蓮正宗法華講のトップの地位である総講頭職より解任。
 (2)日蓮正宗は創価学会とは無縁の宗教団体である、すなわち創価学会を「破門」処分にし、それを社会的に公表する。
 この二大ショックにより創価学会員を動揺させ、まず創価学会組織を「徹底壊滅」し、信徒組織の「再編成」をしようとしたのである」(「地涌」第721号 )
1月1日  文芸春秋、山崎正友「学会・公明党暗黒の事件史」を掲載。(「同」1月号 )
1月3日  創価学会、秋谷栄之助会長、阿部日顕管長に対し「"法師の皮を著たる畜生"は、まさに貴殿自身のこと … 貴殿は無間地獄の業火に責められるに値する」と、即刻退座を求める「宣告書」を送付。
 創価学会、藤本日潤総監・秋元広学渉外部長・早瀬義寛師庶務部長・関快道師に対し、「謝罪要求書」送付。(「聖教新聞」1月7日号 )
1月4日
 宗門、阿部日顕管長、一日5千遍唱題について「2時間の唱題をいっぺんにやろうと思って始めたが、年寄りなどは一定の体勢を取り続けると、筋肉が硬直して健康上良くない … そのために身体がおかしくなったり、疲労が蓄積して、さまざまな症状がおきる … まっ、率直に言って私も多少感じました … でっ、これは2時間をいっぺんにやらなければならないという理由は全くないわけです」と。
 日比野慈成師(敬台寺)、宮川雄法師(離脱僧)と創価学会を相手どり、スパイ行為による損害賠償請求訴訟を提訴。
1月5日
 顕正会、新年幹部会、本部会館で開催、「『C作戦』の露見で阿部管長窮地に
 浅井昭衛会長「あの大作センセイが(大笑)元旦に当って、こんな上品な歌をお詠みになった(爆笑)。「陰険な (笑) 日顕打倒の わが友の 勝利と功徳は 三世に薫らむ」。元旦早々、まことに上品な(大笑)お歌です。小学生の悪ガキが作ったみたいな歌だ(大爆笑)。…
 創価学会の機関誌の一つに創価新報というのがある。その元旦号で、阿部管長の陰険な策謀として「C作戦はやっぱり実在した」ということを暴露している。C作戦というのは、「C」とはカットの「C」、要するに池田大作の首を切るための宗門の極秘作戦ということです(大笑)。… 宗門はこれを否定してきた。ところが今回、この「C作戦」の極秘会議のメモが学会の手に入って暴かれたというわけです。… このメモが明らかになったことにより、秋谷会長は1月3日阿部管長に「C作戦の首謀者・日顕即刻退座せよ」との宣告書を送った。…
 宗門がこのような密議をした背景ですが、実はこの年は「本門寺改称」のあの重大な年だった。顕正会はこの年の4月27日に、諌暁書を阿部管長に提出した。… さらにその3か月後の7月8日には、横浜アリーナで2万人の大総会を開き、「もし本門寺改称を強行するならば、顕正会は …」と、捨て身の決意を示した。そしてこの8日後に、この密議が開かれているのです。…
 顕正会は昨年、大聖人様に誓い奉って一国広布に出陣した。この一国広布の戦いが大規模に進むなかに、不敬解消の決め手もある。… いま末法濁悪の真っ只中に熱原の法華講衆のごとき捨身の大集団出現して、国立戒壇が建立されるとき、戒壇の大御本尊様は富士天生原の国立戒壇に必ずお出ましになる。全顕正会員は『両眼滝のその日』まで一筋に戦い、大聖人様に応え奉ろう」と。(「冨士」第351号 )
1月5日
 顕正会、顕正新聞、新春紙上座談会、「大御本尊への不敬冒涜こそ痛恨の極み
「総合男子部長:このように無懺だと、御遷座ということは、とうてい考えられませんね。
 先生:これが最も重大なことだ。私は最後の諫めと して、一昨年の十一月、諫暁書を提出した。もう言うべきことは全部言った。用いないのは阿部管長の罪です。そしてその諫暁から半年後の昨年五月の総幹部会で「阿部管長には、もう御遷座の道念がないと断定する」と云った。顕正会の「断定」は軽くない。後悔をしても始まらない。もう私は、阿部管長には何も期待していない。…
 阿部管長の正本堂に関する告白は、真の懺悔ではない。戒壇の大御本尊への不敬をそのままにしていることが、宗門の破滅、国家の衰亡をもたらし、恐るべき他国侵逼を招きよせる。これが私の痛憤するところだ。…
 核兵器の拡散と北東アジアの緊張の中で、最高唯一の危機管理は国立戒壇の建立である。… 熱原の法華講は弘安元年に入信し、弘安二年にはもう使命を果して姿を消しておられる。顕正会も永遠である必要はない。与えられた使命だけを果たせばそれでいい。永遠なのは戒壇の大御本尊と血脈だけである」と。(「同」1月5日号 )
1月6日
 宗門、寺族同心会初登山、阿部日顕管長「『C』という言葉があるいは出たかもしれない」と、「C作戦」の存在を認める。
 藤本日潤総監「『C作戦』らしきものはあったかもしれない。しかし『C作戦』なるものは存在しなかった … メモ自体は、河辺のものに間違いない。しかし、河辺の主観的考えのメモである … メモの中に、名誉会長追放とあるが、これは追及ということで、本人の勘違いである」と。
1月6日  創価学会、聖教新聞「社説」、本年を「極悪法主・日顕追放へ決着をつける年」として、「C作戦」の徹底追及を訴える。
「聖転者にあるまじき驚くべき謀略であり、断じて許すことはできない … 日顕という人間がどれほど卑劣で、狡猾な人間か、明らかであろう … 今回の『会議メモ』で、日顕は慈悲のひとかけらもないニセ法主であることがますますハッキリした。... こんな人間が法主の座に居座ることは許されない。断固、永久追放する以外にない」と。
1月8日  日本共産党、神崎武法郵政相の「電話盗聴疑惑」を追及。
1月9日
 顕正会、教学部、三級試験 (三大秘法抄)・四級試験 (立正安国論)・五級試験 (南無日蓮大聖人)、全国62会場で施行、5,172名が受験。
1月16日
 顕正会、教学部、二級試験 (観心本尊抄・宗教批判の原理)、全国30会場で施行、520名が受験。
 登用試験 (折伏理論解説書 第一章~第八章)、全国73会場で施行、5,152名が受驗
1月19日  創価学会、創価新報、「宗門を破滅させた元凶は日顕と政子」と題し、離脱僧侶夫人らの座談会の連載を開始。
1月20日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長、阿部管長を「大悪知識」「地獄の使い」と罵り、「日顕には、ありあまるほどの財産がある。ぜいたくの限りを尽くしている。... その『富』は、広布のために使うべき、私どもの『大聖人への供養』を盗用したようなものである。ゆえに、その罪は、一層、重大である」と。
 秋谷栄之助会長「日顕宗はついに、金をエサに信者を集め、人をたぶらかす "奪命集団" としての本性を発揮しております。... 日本では相手にされず、ドブネズミのように海外でチョロチョロしております。一日も早く退治しようではありませんか」と。
1月22日
 宗門、阿部日顕管長、大客殿での唱題会で「唱題がおそい」と苛立ち、駒井専道師ら3人を中啓で殴打。(「創価新報」2月2日号 )
1月24日
 顕正会、1月度総幹部会開催(川口総合文化センター)、浅井昭衛会長「現在の政治の自界叛逆こそ、やがてきたるべき他国侵逼の前兆である。この日本の傾きも、その根源は正系門家の濁乱にある。… この期に及んでも、なお阿部管長は戒壇の大御本尊御遷座の道念を起こさない。依然として誑惑不浄の正本堂に御法魂を据え奉ったままにしている。御本仏の御法魂をいつまで辱め奉る気なのか」と。
 理事に小峰勝彦任命さる。
1月24日  創価学会、関西代表協議会、池田大作名誉会長「世界広布を阻む『悪魔・魔民』が、『破法の法主』日顕の一派として出現したのである。... 徹底して責め、打倒することこそが、世界の『立正安国』の実践である。… 現宗門は、権威と形式、差別と束縛、策謀と搾取、貪欲と嫉妬、遊蕩と贅沢、不信と忘恩、邪義と醜行に支配されてしまった。この『邪宗・日顕宗』と、学会は永久に決別した」と。
1月25日  創価学会、関西最高協議会、池田大作名誉会長「日顕宗の『謀案』と『不実』は、提婆の証明である。... 提婆達多が法主の衣を着ているのである。衣は法主の衣、中身は提婆である。宗門の内外に、その事実がはっきりした。断じて、衣をはぎ取らねばならない」等と発言。
1月29日  衆議院、政治改革関連法が成立。小選挙区比例代表並立制導入を柱とする公職選挙法改正案,政治資金規正法改正案,政党助成法案,衆院選挙区画定審議会設置法案の4法案。
2月5/20日
 顕正会、2月度御書講義、「佐渡御書」を拝読。(全国224会場)
2月7日
 顕正会、第二祖日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修、「三大秘法は富士大石寺にのみ伝わる
 浅井昭衛会長「いま大石寺信徒の中で、国立戒壇の御遺命を守り奉り、その実現に命をかけて御奉公しているのは顕正会以外にない。されば顕正会こそ、真の『富士大石寺信徒』の集団である。いまこそ顕正会員は、日興上人が国立戒壇建立をめざして『未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべき事』と仰せられた御文を一人ひとりが身読して、日興上人に応え奉ろう」と。(「冨士」第352号 )
2月11日
 顕正会、男子部幹部会開催(板橋文化会館)、「中国『20年後の主要敵は日本』と見据える
 浅井昭衛会長「顕正会は過去二回、大事な法戦場に馳せ参じて御奉公させて頂いた。その第一回は、昭和四十七年十月の正本堂完成の時です。このとき顕正会は一万の団結を以て、「御遺命の戒壇 は成就」と誑惑の宣言をしようとした池田の野望を粉砕した。そして第二回目は、平成二年の「本門寺改称」の時です。このとき顕正会は二十万の鉄の団結を以て、この陰謀をついに打ち砕いた。あと残るところの「最後の大法戦場」は、国立戒壇建立の決戦場以外にはない。そしてこのことが、他国侵逼に間に合うかどうか、これこそが何よりの重大事なのであります。…
 では、日本にとって恐るべき他国侵逼はいつ頃になるのか――。このことは凡夫にはわからない。しかし最近の中国の動きは、不気味なことを示唆しております。昨年の十一月二十五日から十一日間にわたって、北京において中国共産党中央弁公庁と中央軍事委弁公庁の共催による「国際情勢発展セミナー」というのが開かれた。… 「中国の二十年後の主要敵は日本である」――と。これが全員の「認識の一致」として確 認されたというのです。日本人にとって、こんな意外なことはない。そうでしょう――、日本はこれまで、卑屈なまでの姿勢で日中友好に努め、経済援助もやってきたではないか。それなのに、なぜ日本が 中国によって「主要敵」と見なされるのか。…
 中国は日本を『二十年後の主要敵』と見据え、この国家戦略に基づいて異常な軍備拡張を着々と進めている。大聖人様は撰時抄に『前代未聞の大闘諍、一閻浮提に起こるべし』と仰せられているが、この大闘諍が、いま静かに、そして刻々と迫るのを見ながら知りながら、もし顕正会が大法戦場に遅れたならば大聖人様に申し訳ない。... この大法戦場への第一関門こそ、実に男子精鋭の二万結集と、顕正会全体の百万達成である。二年後に男子部二万の結集が成り、数年後に顕正会全体の百万弘通が成るならば、一国広布は必ずなる」と。(「冨士」第353号 )
2月16日
 宗門、阿部日顕管長、訓諭を発布。
「昭和20年代以降宗門に於いて創価学会による広布の推進を見ましたが、それは著しい在家偏重の形でありました。... 本年は本来の意義に立ち還えり、僧俗が共に一致団結する真の広布への態勢を調え、揺ぎない前進を図る時であります。… 吾等日蓮正宗の広布の大目標は申すまでもなく宗祖大聖人の一切衆生救済の大慈大悲による一期弘法抄・三大秘法抄の戒壇の実現にあります。之についても今迄創価学会の広布に対する我見私見が元となって種々の見解が出ました。然し正直に宗祖大聖人の御指南を拝する時、本門戒壇の建立を事の戒法の顕現は一体同時の意義を持つことを両抄の聖文により深く信解し奉り、その未来の大目標たる戒壇の実現に向かって大前進を開始する時であります」と。
 御誕生会の席、阿部日顕管長「創価学会による広布の推進は非常な大きな成果を得ましたが、その本質を考えてみるならば、それは在家偏重の広布であったのであります」と。
2月18日  創価学会、沖縄・九州合同協議会、池田大作名誉会長「法主が絶対であり、誤りがないならば、そもそも、このような条目(日興上人の遺誡置文『時の貫首云々』)は必要ないはずである。… 法主の絶対的な権威を強調すれば、信徒の批判は封じられ、無条件で従属させられることになる。ここに、今も変わらぬ『法主絶対論』の目的がある。このカラクリを絶対に見逃してはならない」と。
2月21日
 顕正会、2月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、2月度折伏成果 5,619名。
 浅井昭衛会長「日本を『二十年後の主要敵』と見据えた中国の軍備拡張に、本格的な他国侵逼の影を見る。大聖人様は『一切の大事の中に国の亡びるが第一の大事にて候なり』と仰せられる。顕正会はなんとしても、西海侵逼の前に、大聖人様の待たせ給う大法戦場に到達しなければならない」と。
2月23日
 宗門、全国宗務支院長会議、阿部日顕管長、「麻雀するな、ゴルフするな、酒を飲むな」と綱紀自粛を打出したあと、末寺住職への憤激を述べる。
「宗門のいま現在、末寺の中で苦しい寺院がある。これに対しては、ある額を基準として援助してますね。... たとえば、仮に十万しか収入がなければ、それから上乗せして、うん十万円を必ず末の月に、この毎月の会計にしたがって送っておる。ところがですね、このもらうのをいいことにして、なんにもしない。どうせ生活ができるんだっていうんで、あのー、これで酒買ってきたり、テレビをぼんやりとボケッとして見てたり、なんにも法のために、とにかく動かない人間がいるんじゃないか!いや本当にいると思います。… 一年経っても二年経っても、毎月五万しか、十万しか、ほとんど十万前後のしか収入がない。したがって、それから何十万円を当然のように受け取って生活してるらしい。...
 私が問題にしたいのは、その人の道念です。生活ができるから何もしなくていいという考えの人はいらん! … これからはむしろ若い僧侶がどんどん増えてきますが、寺はできません。私も一時、布教所を開設しようと云いましたけれど、よく考えましたがもうチョット先送りにします。末寺等の実情がそこまできてないし... 」「やはり無任所教師が増えると思います。... 従って個人的にも『俺はこれでもういいんだ』っていうような考えは、まず、自分自身について修行の上から考えて、まず辞めて頂いて... 」と。
2月27日
 顕正会、女子部幹部会開催(川口総合文化センター)、「日妙殿の信心は広布前夜に蘇る
 浅井昭衛会長「皆さんの、この熱烈・純粋なる信心を見るとき、御在世の日妙殿の信心が、いま広布前夜に蘇るを感ずる。この女子部のけなげな信心を大聖人様にご覧頂くために、また昨年出陣した顕正会の一国広布のテンポを早めるために、来年の秋、一万人の女子部大会を堂々と開きたい。… 来年の秋に女子部が一万の結集をし、再来年の秋には男子部が二万人の結集をする。そして顕正会全体の折伏が百万を達成するならば、日本の広宣流布は確実となる」と。
2月27日  創価学会、地涌、阿部日顕管長の「訓諭」に反発。「日達上人が昭和47年4月28日付の『訓諭』で宣示された『正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり』を覆すもの … 正本堂の意義づけといえば、三大秘法という根本教義にまともに関わること。それが22年で覆されるとは、ずいぶんとご都合主義の宗旨である」(「同」742号 )
3月1日
 宗門、谷口宏明師(法種院)、渡瀬広伝師(日香寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で書類送検さる。
3月1日
 顕正会、冨士、実践の教学「三世に通用する肩書きとは」(一級教学部員 海老原秀夫) 掲載。
3月1日  論創社、松戸行雄「日蓮思想の革新―凡夫本仏論をめぐって」発行。
「仏とは「誰」か? 日蓮思想の根本に迫り、徹底した人間主義の立場から"仏とはなにか"を問題にした論争の書」(「MARC」)
「第1章 法主血脈絶対論の終焉
 第2章 凡夫本仏論
 第3章 久遠の教主釈尊とは
 第4章 法体の南無妙法蓮華経
 第5章 本覚思想批判への反論」
3月5日  創価学会、グラフ特集「日顕宗の実態」発刊。
3月7日
 宗門、村上節道師(宣行寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で書類送検さる。
3月7/20日
 顕正会、3月度御書講義、「寂日房御書」を拝読。(全国227会場)
3月9日
 宗門、佐藤秀啓師(法雲寺所属教師)、宗門を離脱。
3月14日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」第1回講義・開講式(成増区民センター)。
3月15日  日新報道、山崎正友著「懺悔の告発」(私だけが知っている池田大作・創価学会の正体と陰謀)発刊。
 池田大作糾弾の会編、「池田大作『破廉恥行状記』」発刊さる。
3月16日
 宗門、阿部日顕管長、御影堂裏に建てられていた日永上人建立の「六万塔」を遠く離れた墓地に移転し、その跡地に新六万塔を建てる。
3月21日  創価学会、東北栄光総会、池田大作名誉会長「日顕宗では、"法主" になれば即 "大御本尊と不二の尊体"、などと云う。袈裟を着けたとたん、如来の使いになるかのごとく云う。全部、まやかしにすぎない。広布を破壊する者が仏になれるはずがない。すべて反仏法の言である」と。
3月26日
 顕正会、3月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、「何をいまさら『戒壇建立の目標確認』か」、3月度折伏成果 5,252名。
 浅井昭衛会長「時に阿部管長は二月十六日、何を思ったか「訓諭」を出しました。訓諭というのは知ってのとおり、「管長が一宗を嚮導するために発する」最高の指南ですね。この訓諭が、先月十六日に発布されたのです。この訓諭の趣旨は二つある。その第一は、創価学会を処分した今日、これからは僧俗和合して広布に前進すべき、ということを云っております。これについても、いろいろと云うべきことはあるが、煩わしいから、きょうは省略いたします。問題は、第二の趣旨として、阿部管長が挙げた本門戒壇に関することであります。これだけはどうしても看過することができない。…
 いいですか。「本門戒壇に関する大目標を確認したい」と云っているのです。 こんなことは、七百年前から決まっていることではないか。大聖人様が三大秘法抄・一期弘法付嘱書に御遺命あそばされたその時から、日蓮正宗の唯一の大目標は「広宣流布の暁の国立戒壇」と決まっているのですよ。今さら確認するもしないもないでしょう(大笑)。 しかしこれまで、「正本堂は御遺命の本門戒壇だ」などと偽わってきたから、今になって「大目標の確認」なんて言い出さざるを得なくなったのです。…
 ところが学会との泥沼の抗争が起きてきたいま、阿部管長は正本堂誑惑の罪をひとり池田になすりつけ、自分は罪を逃れようとして、この訓諭を出したわけです。この訓諭の中では、「本門戒壇の建立と事の戒法の顕現は一体同時」というこの箇所こそ急所です。わざとわかりにくい云い方をしてぼかしているのは、自分も誑惑の共犯者だったから、はっきり云えないのでしょう。しかし阿部管長がここで云わんとしていることは、"広宣流布以前に建てた正本堂は間違いだった" ということなのであります。そして自分は正本堂の誑惑には全く関係がなかったような顔をして、「未来の大目標たる戒壇の実現に向って前進しよう」などと言ってるわけであります。しかし、このような無責任、恥知らず、無惨無愧が、どこの世界に通用しましょうか。世間においてすら断じて通用しない。いわんや仏法の世界においておやです。過去二十余年にわたり、池田にへつらって正本堂を御遺命の戒壇だと、内外に宣伝してきたのは、いったいどこの誰だったのか。また謗法の書とも云うべき「国立戒壇論の誤りについて」と「本門事の戒壇の本義」の二冊の悪書を著わし、全宗門をだましてきたのは、いったいどこの誰だったのか。…
 このような無責任、恥知らず、無慚無愧が、どこの世界に通用しよう。... 正本堂の誑惑不が明らかになった今もなお、阿部管長は戒壇の大御本尊を正本堂に据え奉ったままにして辱め奉っている。どうして『訓諭』など出す資格があるだろうか。もし『訓諭』を出すならば、阿部管長はその前に、どうしてもやらねばならぬことがある、さもなければ大聖人様がお許しにならない。…
 阿部管長がなすべきことは、次の四ヶ条です
 第一に、直ちに戒壇の大御本尊を誑惑不浄の正本堂より遷座し奉り、不敬を解消すること。
 第二は、御遺命違背の二つの宗門公式決定を破棄すること。
 第三に、阿部管長は二冊の悪書の破棄を宣言して謝罪せよ。
 第四に、正系門家の中でひとり御遺命を守り抜いてきた顕正会に下された、不当なる解散処分を直ちに取り消すこと」と。
 総幹部会終了後、本部会議開催。浅井昭衛会長「指導とは感激の増幅である。歓喜なきところに力は湧かない」と。(「冨士」第354号 )
3月31日
 顕正会、「日蓮正宗顕正会・規約」制定さる。
「   (総則)
 第一条 本会は「 日蓮正宗顕正会 」と称する。
 第二条 本会は、本部を東京都板橋区常盤台一丁目一四番一号に置く。
 第三条 本会は、国立戒壇建立の御遺命を放棄する以前の 日蓮正宗の伝統教義に基づき信行する。
 第四条 本会は、日蓮大聖人を末法下種の本仏と崇敬し、大聖人出世の本懐たる 本門戒壇の大御本尊を帰命依止の本尊とし、血脈付法の第二祖日興上人を僧宝 と仰ぎ、国立戒壇建立の御遺命を堅く奉持する。
 第五条 本会は、日蓮正宗の国立戒壇放棄に伴ってなされた、本門戒壇の大御本尊が誑惑不浄の正本堂に居えられ奉った不敬を解消すると共に、日蓮大聖人の御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立を実現し、以て真の日本国安泰および世界平和を顕現することを目的とする。
    (組織)
 第六条 本会に、会長一人を置く。
 第七条 会長は、本会を統帥し、第五条の目的達成のために大法弘通の指揮を執る。
 第八条 会長は、本会組織の役員・幹部を任免する。
 第九条 本会に、左の組織を置く。
     理事室
     壮年部
     婦人部
     男子部
     女子部
     教学部
     財務部
     総務室
 第十条 本会は、第五条の目的達成のため、機関紙・誌その他を発行する顕正新開社を置く。
    (会員)
 第十一条 本会の会員になるには、一切の謗法を捨てて日蓮正宗の教義を信じ、入信願書または入会願書に署名した上で、所定の入信勤行の儀を経なければならない。
 第十二条 会員にして左の各号の一に該当するときは、除名・謹慎(活動停止)・戒告の処分を受ける。
  一、日蓮正宗の教義に違背する言動をしたとき。
  二、本会の活動を妨害したり、組織を破壊しようとしたとき。
  三、入信または入会の手続きにおいて、不正をしたとき。
  四、組織・信仰を利用して、金銭貸借その他の私利を図ったとき。
  五、重大な国法を犯し、仏弟子としての体面を汚したとき。
    (財務)
 第十三条 本会の運営経費は、会員有志の拠出による「広布御供養」と、顕正新聞社の収益金を以て支弁する。
 第十四条 本会の会計年度は、四月一日に始まり、翌年三月三一日に終わる。
  2 予算は、毎会計年度の開始前までに編成する。
  3 決算は、毎会計年度終了後三月以内に作成する。
    (補則)
 第十五条 本会は、日蓮正宗に国立戒壇の正義が蘇り本門戒壇の大御本尊に対し奉る不敬が解消されたときには、時の富士大石寺法主上人に、昭和四九年八月一二日付を以て本会〔当時 法華講支部妙信講〕に下された不当なる解散処分の撤回を申し出るものとする。
   平成六年三月三十一日」
 浅井昭衛会長「いままでは、別に文章にしなくても、顕正会の精神と 目的は顕正会員だけが分かっていれば、それで良かった。しかし、顕正会がここまで大きくなり、名実ともに「日本国の中の顕正会」という立場になってくると、"顕正会とはどんな団体なのか"ということについて、 さまざまな所から問い合わせがくる。また一国広布の上からも、むしろ顕正会は旗色鮮明にして、この際、顕正会の大精神・大目的というものを、はっきりと一国に知らしめるべきである。そういう時が来たのだ――と感じて、改めて規約を成文化したわけであります。規約は全部で十五箇条。極めて簡潔明瞭にまとめられております。…
 この十五箇条の中でも、ことに顕正会の精神・目的を顕わしている大事な条目が、第三条・四条・五条・ 十三条・十五条の五箇条です」(「冨士」第355号 )
3月31日  週刊実話、最高幹部への池田名誉会長指導を掲載。
「一、今年が勝負だ。大勝利でいけ。今年が勝てば、あとはこっちのものだ。
 一、宗門問題ももっと強気でやれ、心配するな。何の為に公明党を作ってきたのか。警察も大丈夫だ。
 一、いよいよ学会の時代だ。天下をつかんだ。(公明)党の名前は、もういらない。国会も伸一会にまかせておけば大丈夫だ。
 一、1人や2人の造反者にビクビクするな。あんなもの虫ケラだ。ふみつけていけ。仏子を裏切ったら地獄へ落ちるんだ。
 一、私は世界だ。日本はせまい。世界が私を待っているんだ。(日本の)あとは、しっかりと守っていけ。
 一、石原慎太郎(衆議院議員)の孫が死んだ。本当は死ななくてもよかったんだ。仏罰だ。創価学会をバカにしてる。なめているんだ。
 一、私に会えば福運が付く。反逆し、敵対すれば地獄に落ちるんだ。きびしい仏法の法則ですよ。よく覚えておきなさい」(「同」4月14日号 )
3月 日
 宗門、白戸鈴道師(福王寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で書類送検さる。
4月1日
 顕正会、冨士、教学解説「還著於本人」(海老原秀夫)掲載。(「冨士」第353号 )
4月4/23日
 顕正会、4月度御書講義、「乙御前御消息」を拝読。(全国241会場)
4月6日
 宗門、海外信徒目通りの席、阿部日顕管長「私は今年で71歳になりますが、本当に心から云えることは、凡夫でありましたから、また現在も凡夫ですから、色々な意味で過去において間違いがありました。... 実を云うと池田大作の根本的な悪い心を見抜けなかったのです。... 私は今、一往、反省しております。しかし、その時に見抜けなかったからといって、私は、正直に仏法の因縁による展開に常に対処し、努力してきたと確信しております。… 私は一生涯において、常に『正直』ということを根本としてきたつもりであります。すなわち、法をどこまでも正しく護るところに真の御奉公があるということであり、これは私自身のやってきた精神であります」と。(「大日蓮」5月号 )
4月10日
 顕正会、八戸事務所開設。
4月14日  創価学会、地涌、阿部日顕管長の相承問題について「このような徳分の片鱗もうかがうことのできない男が、先師亡きあと、相水を受けていたとみずから名乗り、一山の"法主"となった」と。
4月15日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」第2回講義。(成増区民センター)
 浅井昭衛会長「大聖人の御心に背く唱題には功徳がない。慢心者は唱題行をも名利のために利用」と。
4月17日
 宗門、東北第二地方部登山、阿部日顕管長「上行寺っ! 5百何世帯もありながら、50何名しか来ないというようなことでは、困るんだ! 」と怒声。
4月17日
 顕正会、会津事務所、御入仏・開所式。浅井昭衛会長「一人ひとりが"小さな太陽"になれ」と。
4月18日
 宗門、横田智研師、東中国布教区宗務支院長を解任さる。
4月26日
 顕正会、4月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、4月度折伏成果 5,005五名。浅井昭衛会長「日蓮正宗顕正会・規約」の主要の5箇条について解説。
4月27日
 宗門、全国教師指導会の目通り、阿部日顕管長「お酒を飲むとやっぱりムクむね、私らはね。これまでズーと飲んでなくてね、あんまり忙しいから一口飲んだら、尾を引いて三、四日飲んじゃった。まっ、意志が弱いね」と。
4月28日
 宗門、新六万塔開眼法要。
4月28日
 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。浅井昭衛会長、報恩抄の「日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし...」の一節を奉読。
4月28日  羽田孜内閣発足、新生党党首の羽田孜が第80代内閣総理大臣に任命さる。
 細川内閣総辞職を受けて、同じ非自民・非共産の枠組みで政権を継承したが、日本社会党の連立離脱により少数与党での発足となり、在任64日で退陣やむなきに至る。
5月1日
 イーストプレス、憂宗護法同盟「法主の大醜聞 猊下、宗門を汚すなかれ」発刊。
「宗史七百有余年を誇る日蓮正宗の頂点に立つ阿部日顕法主。その真実の姿は数々のスキャンダルにまみれていた。シアトル事件、隠し子事件などの真相を究明し、宗教人のあるべき姿を問う」(「MARC」)
5月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「日顕宗の陰湿な嫉妬の炎は、提婆達多の悪業をもしのぐものであります。... 日顕宗の正体は奪功徳者」と。(「同」5月号 )
5月3日
 顕正会、特別指導会、新潟県民会館で開催。浅井昭衛会長、報恩抄の一節を奉読し「広宣流布は大聖人の大悲願力によって成しとげられる。我々はそのお手伝いをさせて頂くのである」と。
5月3日  創価学会、聖教新聞、「創価学会の日」に秋谷栄之助会長「もはや日顕らの滅亡は、法に照らし、現証に照らし明白であると断じたい」と。
5月7日  創価学会、婦人部最高幹部懇談会、池田大作名誉会長「彼(市川雄一書記長)は私を利用しようとしているんだ」と。
「懇談会では、婦人部側から、市川書記長と小沢一郎氏の一・一ラインの強引な手法、特に国民福祉税問題について非難の声が上ったんです。それに対し、池田氏も遠回しに同意したのがこの発言ですよ。いよいよ"市川はずし"を始めるという宜言」(「週刊新潮」、5月26日号 )
5月8日
 正信会、正信会法華講全国大会開催、宗門側が六万人登山の動員のために正信会の檀徒を取り込もうとしていることを非難、「正信会僧俗を守るため、正信会は全力を挙げて阿部宗門と対決せざるを得ない。… 『法主イコール大聖人』との誤った法主本仏論こそ、諸悪の根本の大謗法」と、宗門に対し改めて宣戦布告。
5月10日
 宗門、松本随道師(妙乗寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で書類送検さる。
5月12日  週刊文春、池田大作名誉会長、"羽田孜首相を密使として、ローマ法王へ親書" との記事掲載。
「訪欧に際し、羽田首相はある『親書』を携えていったんです。それは池田大作氏からローマ法王に宛てられたものでした。無論、学会の意を受け、羽田首相に指示したのは小沢一郎です。当初の日程では、羽田首相はパチカンでローマ法王ヨハネ・パウロニ世と会見することになっていました。ところが出発直前になって法王が入浴中に転んで大腿骨を骨折、会見は中止。結局、羽田首相はパチカンの総理大臣に相当するソダーノ国務長官を表敬訪間するにとどまりましたが、ローマ滞在中にバチカン側に『池田親書』を秘かに手渡した、と学会内部では言われているのです」(「同」5月26日号 )
5月15日
 顕正会、水戸事務所、御入仏・開所式。浅井昭衛会長、日霑上人の御振舞を説明するとともに「一人立つ者こそ師子王の子」と。
5月17日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」第3回講義。(成増区民センター)
5月20日  創価学会、「グラフ特集・日顕宗の実態Ⅱ」を発刊。
5月25日
 顕正会、5月度総幹部会開催。(川口総合文化センター) 浅井昭衛会長「私は念願している。なんとしても本格的な他国侵逼が始まる前までに一国広布の大勢を決しなければならぬと、さもなければ大聖人様に申しわけない。このゆえに昨年10月、日本の広宣流布を大聖人様に誓い奉り、出陣した。あの出陣よりすでに7ヶ月、顕正会はいま序戦を終えて、まさに離陸しようとしている」と。
 壮年部・婦人部における「支部長」「支部担当」の名称を変更。
5月27日  創価学会、「法主狂乱 ① 管長選挙の巻」を発刊。
5月28日
 宗門、全国教師・寺族指導会、阿部日顕管長、創価学会の暴露戦術に対する僧侶の対応を指導。
「暴露だとか、脅し記事なんかに恐れなさんな! そんなものに。私がちょっと昔、ある若い頃、人間だからね、多少はあるよ、若いうちは特に。... 堂々と『あー私は若い時にちゃんとあそこへ遊びに行きましたよ』と、堂々と云い切るくらいの覚悟をもちなさい。… 学会の誹謗なんて... どれ一つ取り上げたからったってね、それでもって我々が手に手錠を掛けられるということがありますか? 全くありやしない。… 過去において多少うしろめたいことをしたのは学会なんですよ。彼らはじーっと御供養して、信仰やって、坊さんが堕落するのを待ってたんです」と。
5月 日
 宗門、水野顕道師(本浄寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で書類送検さる。
6月1日
 顕正会、冨士「巻頭言」、「国の亡びるが第一の大事」。
 浅井昭衛会長「国政の衝にある政治家にとって、最大の責努は他国の侵略より国土・国民を守ることでなければならない。… ところが最近の政治家の国防に関する無責任さは、いったいどうしたことか。まさしくこれ,亡国の兆、といわざるを得ない。… 日本は中国・ロシア・北朝鮮という、核を持つ軍事国家に囲まれている。もし安保条約が消滅して日本が丸裸になったとき、北東アジアにいかなる事態が起こるかは、説明の要もない。… 政治家の無責任さを見るにつけ、仏弟子の責務の重大さを思わずにはいられない。詮ずるところ、日本を救うのは広宣流布・国立戒壇建立以外にはない。破局のテンポを上廻る折伏を以て、御本仏に応え奉ろうではないか」と。
6月1日
 宗門、桑水流道康師(正境寺)、村井馨道師(元住職)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で書類送検さる。
6月1日
 顕正会、冨士「巻頭言」、浅井昭衛会長「国の亡びるが第一の大事
「ところが最近の政治家の国防に関する無責任さは、いったいどうしたことか。まさしくこ れ,亡国の兆、といわざるを得ない。現在の日本において、最も緊急かつ重大な問題は、朝鮮半島の有事に備えての危機管理であるべきはずである。なぜなら北朝鮮の暴発は明日にも起こるかも知れないし、この朝鮮半島の有事は湾岸戦争とは異なり、直接日本国民の生命の安危に関わるからである。
 しかるに日本の政治家は、有事に備えての立法すら整備しようとしない。野党は "憲法違反" と云ってこれに反対し、政府も "中国・北朝鮮を刺激しては......" と及び腰だからだ。 かくていまの日本には、国家の危機管理を論ずることさえ憚られるという風潮が、満ち満ちている。だが、有事に備えての立法ができなければ、どういう事態が起こるか。…
 動乱が起これば、米国は当然、日米安全保障条約の第五条・第六条に基づき、日米共同の侵略対処や、日本の空港・港湾の使用を求めてくるに違いない。これは日本の国土を防衛するためにも、必要不可欠な措置でもある。だが有事立法を怠ってきた現在の日本は、法制上これを受け入れることができない。このことは、日本側の条約義務不履行を意味し、その結果、一年後には米国から日米安全保障約の破棄通告が突きつけられても、やむを得ないということになる。このような事態になって、果して日本の存立はあり得るであろうか。日本は中国・ロシア・北朝鮮という、核を持つ軍事国家に囲まれているのである。もし安保条約が消滅して日本が丸裸になったとき、北東アジアにいかなる事態が起こるかは、説明の要もない。…
 政治家の無責任さを見るにつけ、仏弟子の責務の重大さを思わずにはいられない。詮ずるところ、日本を救うのは広宣流布・国立戒壇建立以外にはない。破局のテンポを上廻わる大折伏をもって、御本仏に応え奉ろうではないか」(「冨士」第355号 )
(※ 冨士6月号(第355号)から、編集兼発行人が遊佐寿美となった。海老原秀夫は、浅井克衛の後任として平成2年1月号(第308号)から、4年半に渡り編集兼発行人を務め、総務・教学部一級部員として冨士に「実践の教学」「特別レポート」等の健筆を奮ってきたが、編集兼発行人の任を解かれたのみならず、一切の役職を剥奪され姿を消した。首脳幹部が突然失脚することは、顕正会ではよくあることである。そして、その事情を尋ねてはいけない。櫻川 忠 )
6月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「提婆が法主の衣を着ている … 断じてこの衣をはぎ取らねばならない」と。(「同」6月号 )
6月6日
 顕正会、6月度御書講義、「上野殿母尼御前御返事」を拝読。(全国246六会場)
6月9日  朝鮮民主主義人民共和国、外務省「わが国は日本の一挙手一投足を注視している。もし日本が制裁に加われば宣戦布告とみなす」と声明。
6月10日
 宗門、仏乗寺(高橋信興住職)の客殿安置の本尊が流出していたことが発覚。(「フライデー」6月24日号 )
 院達、「仏乗寺客殿御本尊盗難の件」、平成5年11月23日に盗難に遭った事実を認める。
6月13日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」第4回講義。(成增区民センター) 「方便品篇」を終了。
6月13日  朝鮮民主主義人民共和国、国際原子力機関(IAEA)からの即時脱退を宣言。
 大韓民国、国家安全企画部長、北朝鮮が数年以内に核兵器輸出国になると警告。
6月15日  創価学会、中央会議、秋谷栄之助会長「六万登山紛砕の勝利宣言」を行う。
「(宗門末寺では)正信会の檀徒をはじめ、仏立宗など他宗の信者もかき集めています。また温泉つき本山見学など、物見遊山の観行ツアーまで組んで六万の数合わせに躍起になっている状況です。こんな信心のない徒輩を、たとえ何万人集めようとも、地涌どころか地獄行きの烏合の衆の集まりにすぎぬ。… (日顕は)『謗法の烏合の盟主』として、宗史に汚名を残すばかり。… 我々は日顕に対しては、断固、退座まで追撃の手はゆるめません」と。
 池田大作名誉会長、英国グラスゴー大学から名誉博士号を贈られる。聖教新聞、「海外大学から得た博士称号はこれで29」と誇る。
6月19日
 顕正会、藤沢事務所、御入仏・開所式。
 浅井昭衛会長「私は、この藤沢の地に格別な思いを懐いている。申すまでもなく、この地こそ日蓮大聖人が御頸を刎ねられ給うた発迹顕本の地・竜の口があるからである。… 二年前の開所式のとき私は『やがてこの地に弘通がしんしんと進んだとき、竜の口のそば近くに御報恩のため記念碑を建立したい』と云ったが、その日が決して遠くはないことを、いま強く感ずる。... 藤沢事務所はもう他に移すことはしない。この事務所が最後である。今度建てるときは、直ちに竜の口会館を建てる。そしてその構内に竜の口の記念碑を建てる。そのときまで全幹部打って一丸、重大なる使命を果たせ」と。
6月23日  反創価学会組織、「四月会」設立総会開催。正式名称は「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会」、設立母体は自民党内勉強会「憲法20条を考える会」である。学者、文化人、ジャーナリスト、宗教団体、政治家のアンチ創価学会組織。代表幹事は俵孝太郎、国会議員84名。設立総会には、自民党の河野洋平総裁、社会党の村山富市委員長、新党さきがけの武村正義代表が出席した。「四月会」と名付けた理由には、4月から検討したからという説と、「死学会」からという説がある。
6月23日  フライデー、"脱会したら創価高校を退学しなきゃダメ!?"との記事掲載。東京・小平市にある創価高校で「転向」を理由に、生徒に退学を強要するという信教の自由を揺るがす「事件」が起きた。
「B教諭は、母親に …「池田批判をしましたね。他の生徒は池田先生を求めて来ているのだから、困るんです」と … とにかく来てくれというので、母親は、重大な問題と思い、弁護士らを伴って学校を訪れた。が、弁護士が名刺を出すとB教諭は姿をくらましてしまい、代わって応対に出た総務課長らは、母親の「学会員でなければ通えないのか」などの質問に即答しなかった。後日、弁護士宛に、「そのようなことはない」と回答してきたが、A君によると、その後も、「池田名誉会長の著作の勉強会に出るように」と指示されるなど、プレッシャーをかけ続けられているという」(「同」年7月8日号 )
6月25日
 顕正会、6月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、6月度折伏成果 5,262名。
6月27日  長野県松本市で毒ガス・サリン事件発生。松本市北深志の住宅街で、オウム真理教の幹部らが猛毒のサリンをまき8人が死亡、約600人が重軽症を負った。教団関係の訴訟を担当していた、長野地裁松本支部の裁判官官舎を狙ったとされる。
6月30日  村山富市、第81代内閣総理大臣に任命さる。
 1995年(平成7年)8月8日まで続く村山富市内閣が発足、公明党は野党となる。羽田孜内閣が総辞職し、自由民主党(河野洋平総裁)は、日本社会党(村山富市委員長)・新党さきがけ(武村正義代表)と連立政権に合意した。「四月会」内閣とも云われた。
6月 日
 宗門、福島布教区宗務支院長 鈴木経行住師(本法寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で書類送検さる。
7月1日  大石寺納骨遺族有志、阿部日顕管長に「大石寺の遺骨大量不法投棄事件に関する告発状」を送付。
7月3日
 顕正会、高知大会、高知県民文化ホールで開催、参加者1千百名。
 浅井昭衛会長「本日こそ四国広布の本格的出発である。この四国には、日興上人の御在世にすでに弘通の手が伸びている。広布前夜に生を受けた顕正会員こそ『未だ広宣流布せざる間は... 』の日興上人の御精神を身に体し実践しなければ申しわけない」と。
 質問会において「村山内閣」につき、「史上最低の内閣、このような内閣ができたことは日本の凶事」と。
7月6日
 大塚順妙、藤本蓮城師の法難を記した「歴史に埋れたもう一人の殉教者」を出版。
(※ 千葉県市川市大和田の「弾正寺」は、昭和7年に藤本蓮城師によって結成された法華講弾正会に由来する。藤本師は昭和18年6月16日に昭和天皇の日蓮正宗への帰依を訴えたため不敬罪により逮捕され、昭和19年1月10日収監されていた長野刑務所で死去、残された弾正会会員によって建立されたのが弾正教会である。
 昭和45年、妙信講が御遺命守護に立ち上がった後、"弾正講等いくつかの講中から、妙信講への支援・連帯等の申し出があったが、丁重にすべて謝絶申し上げた" と、小生は浅井昭衛本部長(当時)から聞いた記憶がある。櫻川 忠 )
7月6/23日
 顕正会、「立正安国についての御聖訓」講義。(全国247会場)
 浅井昭衛会長「なぜ国立戒壇を建立すれば日本は安泰になるのか。この重大な道理を今こそ全顕正会員は命に染めねばならない」として、御書の要文13を挙げて講義。
7月8日
 宗門、早瀬義孔師(常在寺)逝去。
7月8日  朝鮮民主主義人民共和国、金日成主席死去。
7月9日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長、阿部日顕管長の寺族指導会における発言 (「坊さんが堕落したのは御供養のせい」) を取り上げ「こんな極悪非道の聖職者は前代未聞であり、世界中、どこにもおりません。また、こんなひどい言葉は、あの提婆達多でも云わないことであります」と。
7月12日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」第5回講義、「寿量品篇」講義始まる。
7月12~22日  シューメーカー・レビー彗星、木星に激突。
7月15日  創価学会、創価学会諸精霊追善勤行法要、池田大作名誉会長「なさけないことに、この通り(食法餓鬼)の姿を現じているのが、宗門である。食法餓鬼である悪僧たちは、『お金』などの機会を利用して、庶民の心情につけこみ、取れるだけ取ろうとする」と。
7月16日
 宗門、「平成新編・日蓮大聖人御書」発刊。
7月18日  創価学会、秋谷栄之助会長、尾林広徳師 (妙光寺) の遺骨紛失・遺骨スリカエ事件について「こんな非道極まりない坊主など、海外部長、住職の辞任はおろか、即刻、損斥せよと云いたい。こうした坊主を放置したままの日顕の監督責任は重大」と。
7月19日  釜山毎日(韓国紙)、「日蓮正宗国内不法進出にブレーキ」掲載。韓国指導教師 毛利博道師 (妙通寺) らに、釜山地方裁判所から外国為替管理法違反で罰金刑が宣告されたことを報ずる。
7月20日  村山富市首相、衆議院本会議での代表質問で「自衛隊は合憲、非武装中立は政策的役割を終えた」と答弁。
7月21日
 宗門、大橋信明師(室蘭・深妙寺)、国道を走行中センターラインからはみ出し、対向の2tトラックと激突し4時間後に死亡した。事故直後、深妙寺に創価学会員から「住職が事故を起こした」と連絡が入った。住職を追跡していた可能性がある。
7月21日  創価学会、事故の2~3時間後の真夜中、札幌市内で号外発行。
「遂に日蓮正宗天罰下る! 室蘭大橋住職交通事故死! ガードレールに衝突し、10:20頃死亡した」
 対向車のトラック運転手は創価学会員(地区部長)であったが、号外ではトラックの存在を隠し事実を歪曲している。
7月21日  週刊新潮、"アメリカSGIメンバーは2万人" 掲載。
「現在どれくらいの学会員が全米にいるのかということは興味深い問題です。八〇年代に、米国SGI名誉理事長のジョージ・ウィジアムスは五十万人の信者と、ワールドートジビューンの発行部数十万部を目指していました。ところが、九四年の今日で、ワールド・トリビューンの発行部数は二万部であることが明確になっている。これは驚くべき減少です。またマクロスキー副理事長は、マスコミには、米国SGIは三十五万人の信者がいると話していますが、最近、あるグループに対して、実際の数字は、ワールド・トリビューンの部数と同じ二万人に近いと認めているのです」(「同」8月4日号 )
7月22日  創価学会、細井琢道師(実修寺)の導師で、細井日達管長の祥月命日法要を行う。
 席上、西口浩副会長「日顕が日達上人ゆかりの御宝蔵、旧六壺などの諸施設を次々と取り壊すばかりか、日達上人の最大の業績である正本堂の意義をも改変しようとしている。そこには日達上人の業績を留め置くものか、という意図すら感じる」と。
7月23日
 宗門、全国教師指導会、阿部日顕管長「自分の寺院は信徒も少なく、うるさい信徒ばかりで手の付けようがないなどと考えて、毎日、テレビでも見て、そのうちに金がなくなれば、少しは宗門から援助が来るだろうなどという情けない考えの方はいないと思いますが、とにかく、一歩でも二歩でもお互いに踏み出そうではありませんか。…
 我々は、『南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経... 』とお題目を唱えますが、この時は、呼吸でいうと呼、つまり吐く息であります。吸う息でお題目を唱えられる人はいないと思います。息を吸って、次に吐く息の時、『南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経... 』とある程度唱えたあと、息が続かなくなったら、また吸います。その吸う時に、信の一念という気持ちを持つということです。これはどういうことかというと、御本尊様と自分が一体にならせていただくという心をもって息を吸うということです。すると、あとの唱題が何か自然にスーッと出てくる感じがいたします。これは私の体験的な感じなのです。こうすると私どもは、あまり雑念が浮かばないで済むかと思うのです。... お題目を唱えている時は一生懸命でも、吸う息の時にあまり考えない人が多いのではないかとも思うのです。吸う時に、むしろ御本尊様をはっきりと信じた意識をもって息を吸うところに、吐く息でどんどん唱えていくお題目との関連においても、また新しい面が開かれればそれもいいのではないかと思っております」と、本門の題目について未聞の説を披露。
7月24日
 宗門、法華講連合会、「地涌六万大総会」を総本山で開催。
 阿部日顕管長「6万人結集の法華講大総会が、かくも見事に開催されました。皆様、本当におめでとうございます。このすばらしい大総会が、本日、この総本山で行われることは、仏祖三宝の御加護を元として、日蓮正宗の僧俗一致・異体同心の賜物であり、特に法華講員皆様のいかなる魔障にも屈せざる強盛な信心と団結によるものであり、また、地涌の菩薩としての大法興隆・広宣流布への熱誠に基づくものと思います」
7月24日  週刊実話、"創価学会、6万人登山阻止できず" 掲載。
「6万総登山の阻止が無理なので、勝利宣言する形で撤退をはかった。理由は2つ。1つはダメージを最小限に抑えるために、会員の目を6万総登山からそらせること。そしてもう1つは、5月23日の亀井静香代議士(現運輸大臣)の国会質問によって、警察が創価学会の日蓮正宗攻撃の違法性について厳しい態度を示すようになったため、これ以上続けるとまずいという判断に立った。勝利宜言などと称しているが、事実上の敗北宣言だ」(「同」8月11日号 )
7月26日
 顕正会、7月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、7月度折伏成果 4,658名。
 浅井昭衛会長「四〇万達成直後の大総会を明年5月21日、横浜アリーナで開催する」と発表。
 ついで戒壇の大御本尊への不敬・冒瀆を続ける阿部管長の無道心と狡猾を指摘し「このような無道心と御都合主義の変身を、どうして大聖人がお許しになるであろうか。… 顕正会の歴史は37年間、終始一貫である。これは我が身のためを考えず、常に大聖人の御眼を恐れて行動してきたからである。ゆえに顕正会は大聖人の御守護を蒙り、一人ひとりが功徳を頂き、成仏が叶うのである。.. 国立戒壇を建立すればなぜ日本は安泰となるのか。この重大な御指南を顕正会員こそ命に染めなければ、今後20年後を見据えて一国に国立戒壇建立を迫る大闘争はできない」と。
 本部会議開催、浅井昭衛会長「広宣流布の戦いは今後20年にわたる長期の戦いである。ゆえに『夜ふかしをしない』『爽やかな勤行をする』『栄養を摂る』で、生活のリズムを正しくせよ」と。
7月28日  創価学会、最高会議開催(軽井沢・長野研修道場)、池田博正(41)が副会長に就任。新たに、34名の副会長が誕生した。
8月1日
 宗門、大日蓮、秋山日浄布教師会会長「(創価学会は)大聖人より御開山上人へ御遺命された、御仏意による終窮究竟の本門戒壇の御深意をも無視し、『三大秘法抄』『一期弘法抄』をも私見・我見をもって曲解し、『戒壇建立は形式・石碑・印に過ぎない』と暴言を吐き、広布の事相未だ至らざるにもかかわらず分々の広布の相をもって『事の広布なれり』とし、建物をたて『事の戒壇』と偽り、法義を破りながら我が身を飾らんためにその証を唯授一人の御法主日達上人に強要し、猊下をはじめ奉り心ある宗内の僧俗を悩まし続けたことは絶対に許せざる大謗法であります。... 私達は今、創価学会の法義の乱れ、狂乱のすべてが、この『戒壇論の誤り』の一点に、その根源があることを知るべきであります」と。(「同」8月号 )
8月1日
 顕正会、冨士「私の体験」欄、北原修一「 会社創業以来の危機も信心で克服」掲載。
「大阪で起業した後単身で東京へ進出し、大手スポーツクラブのツアー企画を数々手がけた経験を活かして、マリンスポーツに特化した旅行業務を目指して平成元年にマリナーズインターナショナル(株)を設立。以後、地域のクラブ単位によるスクーバダイビングの普及に力を注ぎ、NPO法人としてシーメンズクラブの立ち上げに尽力するとともに、現在では飲食業の展開にも力を注いでいます」(自称プロフィール)
(※ 後に、このシーメンズクラブは、宗教がらみ男女がらみで集客し会員をコントロールしていると、ネット掲示板で被害者から激しい糾弾が行われた。小生は上長を通して、ネットで批判されている事実を文書で示し、真相究明を顕正会本部に求めたが、何の返答も本部からはなかった。化石会員の訴えより、どのような手段であっても大きな勧誘成果を上げる者の方が、組織としては大事なのだろうと小生は理解した。櫻川 忠 )
8月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「日顕は歴代法主の末流にも連ならない破仏法、破戒の最低法主」と。(「同」8月号 )
8月5/24日
 顕正会、「高知大会質問会」ビデオ放映開催。(全国277会場)
8月6日  創価学会、長野県総会、池田大作名誉会長「僧侶のために仏法があるのではない。仏法のために僧侶がある。仏法の広宣流布のために、だれよりも不惜身命で働き、殉教の決意で信徒に尽くしてこそ僧侶である。そのまったく反対をやっているのが宗門である。仏法利用、信徒利用の堕落しきった姿は、極悪中の極悪である。断じて許してはならない」と。
8月9日
 宗門、行学講習会閉講式、阿部日顕管長「在家中心の広布の態勢というものが、いつとなく慢心を生じ、そこから今日、池田大作というような大慢心の輩が、大聖人様の仏法を根本的なところから私して誤って把え、その我意・我見の上から多くの人々を間違った方向へ指導しておるという姿があるのであります。…
 御法主日達上人猊下に対し奉り、池田大作が過去において様々なことを行ったことも、古い人はみんな知っておる。例えば、昭和48年の正本堂の記念法要のあと、正本堂東廊下における罵詈雑言とも言えるような日達上人に対する無礼な言葉、そのほか様々なことを私も知っておる。あるいはまた、日大講堂で行われた総会のあとに、私と当時の総監であった観妙院日慈能化に、『待っていてくれ』と言うので残っていたら、『日達上人は図のぼっている』ということをはっきり言ったこともあります。いやしくも、御法主上人に対して、のぼせあがっているというような意味の言葉をはっきりと言ったのである。実に驕り高ぶった、僧侶を蔑視・軽視した形である。…
 一時的には、それが改まるような形もあった。私も登座したあと、なんとか善導しようと思ったけれども、彼等の根本的な誤りは変わらず、またさらに表れてきたのであります」と。
8月10日
 大石寺納骨被害者の会、静岡県知事へ陳情書を提出し、糾弾大会を開催。
8月11日  週刊実話、元盗聴犯・稲垣和雄の証言を掲載。
「最初に私が関与したのは昭和48年に創価学会が、房総半島の中程、千葉県保田町にある日蓮正宗の古刹「妙本寺」に対し行なった盗聴でした。当時、妙本寺は、反創価学会グループの急先鋒である松本勝爾氏(元民音磯員)らと結んで、日蓮正宗宗門から離脱し、一派を構える動きを見せていたのです。これに手を焼いていた創価学会は、山崎師団の広野輝夫君(当時、学生部主任部長)、竹岡誠治君(当時、学生部常任幹事、後に学会副男子部長。いずれも宮本盗聴事件の実行犯)、北林方典君らを妙本寺に送り込み、門前に建てられた学会外郭企業の栄光建設の飯場の2階をアジトに、数ヵ月間にわたって電話盗聴、発信機による盗聴、見張り、尾行などを続けました。(「同」8月18-25日号 )
8月11日  週刊文春、公明党都議会議員の "学会員を都営住宅入居の口利き証言" 掲載。
「当時のことで鮮明に党えているのは、公明党の品川区議から依頼されたIさんという学会員の婦人のケースでした。… 。彼女の清貧な身の上話を聞くうちに、なんとか助けようと思いまして、住宅局の幹部に、なんとしても入居させてやってくれとお願いしましたよ。まもなく、大田区内の空きが出た都営住宅に入居できた。ほかの公明党議員だって、経験があるはず」(「同」8月25日号 )
8月12日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」第6回講義。(成増区民センター)
 浅井昭衛会長「私は若いときから思い続けてきたことがある。それは『まず富士の地下水に達しなければならぬ。しかるのち、決然として広布の御奉公に立つべし』との思いであった。富士の地下水とは、富士大石寺に伝わる日蓮大聖人の極理の御法門である。この極理の御法門は、日寛上人があの偉大な智徳を以て、広布の今日のために六巻抄・文段として書き残して下さった。『富士の地下水に達する』とは、まさしく日寛上人の御指南を命に染め切ることである。そして富士の地下水に達したならば、誰にもわかる平易な言葉をもって一切大衆に御本尊の大利益を説き切らねばならぬ。これが現在の顕正会の戦いなのである」と。(「冨士」第363号 )
8月12日  創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国・新疆大学より「名誉教授」を贈らる。
8月13日
 宗門、阿部信彰師、大石寺遺骨大量不法投棄事件について「境内に骨を埋めて何が悪い」と述べる。
8月15日
 青年僧侶改革同盟、阿部日顕管長に対し「戦争責任への反省・謝罪なき宗門を断固断罪する ― 時代に逆行し、人権を踏み躙るエセ法主の仮面を剥ぐ」と題した文書を送付。
8月16日  創価学会、池田大作名誉会長、北海道研修道場で「(宗門は)学会の赤誠の供養と不惜身命を当然と思って、傲りきり、堕落した。しかも、その堕落は信徒が供養しすぎたからだ、などと云っている。最低中の最低である。絶対に許してはならない」と語る。
8月17日  週刊新潮、"池田腹心・細谷昭副会長失踪" 掲載。週刊誌各誌、一斉に報道。
「愛想を尽かして細谷が失踪したことは、池田にとっては大ショックでした。軽井沢に十数名の最高幹部を集めた首脳会議の席でも "弟子が憎くて叱る師匠はいないのに・・" と珍しく弱音を吐いているんです。それもそのはずで、細谷は、実は姿を晦ます時、学会のカネの出し入れを網羅している財務のフロッピーを持ち出しているんです。もし、これを国税にでも持ち込まれたら学会は終り。脱税摘発を狙う国税当局に学会の経理状況がすべて明らかになってしまうんですから」(「同」9月1日号 )
8月20日  エバラオフィス、憂宗護法同盟「法主ファミリーの大悪行 宗門の私物化をこれ以上許すな! 」発行。「その日の生活にも事欠く寺院が日を追って増えていくなかで、末寺には自粛を強要しながら日顕法主とその身内だけは呆れるばかりの贅沢のやり放題。いま、その実体が明るみに…。平成の宗教改革を目指す憂宗護法同盟が書き下ろす第2弾」(「MARC」)
8月21日
 宗門、講頭・副講頭指導会、阿部日顕管長「戒壇建立は、大聖人様が御入滅の年にお認めあそばされた『三大秘法抄』に初めて仰せになったことであり、これは三大秘法の御化導の終窮究竟の御指南であります。それを池田大作如き、小僧以下の浅識の者が、戒壇の尊い法門について『従の従、形式の形式』と述べたのですから、御仏意を見下し、さげすむこと、これほど甚だしいものはないわけです。…
 先程『クロウ問題』も出ましたけれども、あれが本当でしたら、私は即座にやめます。また、あれが本当だったら、初めからこういう立場にも就きません」と。
8月24日
 宗門、全国教師講習会、阿部日顕管長「戒壇に関する池田大作の発言を見れば、仏の意を無視した池田の心を中心にし、その狂った見解による民衆を中心にして大聖人様の三大秘法をとらえている」と。
 さらに、「日顕の説法はドイツ語みたいでわからない」との池田会長の批判に対し「信者がね、わがまま言ってだね、なんだドイツ語みたいで難しくてわかんない。なに言ってやがんだ。なーっ! だって難しいの当たりめえなんだよ! ふざけんなって言いたい。易しく説きゃーいいなんて、そんなもんじゃないんだ! ねーっ、仏法は。まー、あのねー、ミーちゃんハーちゃんにわかるようにペコペコよ、頭下げて説いてたら、本当の法なんか説けやしないんだ。だから、そんなものあれですね、あのー、民衆に必ずしも応同する必要はないんだ」と。
8月24日  創価学会、池田尊弘(36)、副青年部長に就任。創価大学卒業後、大阪の創価学園で教師を務める。長谷川重夫副会長や、池田家の家庭教師だった宮川清彦副会長らの側近グループと、正木正明、忍田和彦氏ら創価大27人グループが存在するとされる。
8月24日  米・環境問題調査機関、今後40年間で中国が世界的食糧危機を招く要因となることを予測。
8月26日
 顕正会、8月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、「宗門、御遺命破壊の共犯忘れ"被害者"装う
 浅井昭衛会長、御遺命破壊に協力しながら、被害者を装う宗門の無慚無愧について言及。「大日蓮」に掲載された秋山日浄・布教師会会長の講演「広布の事相未だ至らざるにもかかわらず … 建物をたて『事の戒壇』と偽り、… 猊下をはじめ奉り心ある宗内の僧俗を悩まし続けたことは絶対に許せざる大謗法」を挙げ、その卑怯・無節操を指摘。
「ここに挙げた学会の悪事は、学会だけが云っていたことではない。… 御遺命たる国立戒壇の放棄を公式宣言し、正本堂を御遺命の戒壇と偽る「訓諭」を出した のは、細井管長ではなかったか。… 阿部管長こそ当時宗門の教学部長として、二冊の悪書を以て三大秘法抄を切り刻んで曲解した、その張本人ではなかったか。…「建物を建て『事の戒壇』と偽り」と云っているが、これこそ最重大事だ。池田がそのようなことを云ってるのを聞いたなら、なぜそのとき、一人の僧侶でもこれに反対しなかったのか。細井・阿部管長を始めとして、全僧侶が、諸手をあげて「正本堂は事の戒壇でございます」と、この誑惑を讃えたではないか。身を捨てて諫暁したのは顕正会だけだった。
 このような御都合主義、恥知らずの宗門だからこそ、誑惑不浄の正本堂に戒壇の大御本尊を据え奉ったまま、恐れ多くも大御本尊を営利の道具としているのである。この不敬、この冒瀆が、日本に危機をもたらしている。…
 ここに大聖人は正系門家の中で孤忠を貫き通した顕正会をして一国広布に立たしめ給うた。あの一国広布の出陣式より、はや10ヶ月、私は一日として大聖人様に誓い奉った大事を忘れたことがない。まず来年4月までに四十万の弘通を必ず成し遂げる」と。(「冨士」第359号 )
8月28日
 顕正会、男子部班長会開催、「『前代未聞の大闘諍』刻々と迫る」、参加者 1千5百名。
 浅井昭衛会長、明年8月に班長以上で合宿研修を開くことを発表。「いま私は来年8月のことで構想を考えております。今日、諸君と相談したい。来年の8月は、広々とした高原の中で、班長以上の幹部で2泊3日ぐらいの合宿の研修会を開こうと思っておりますが、どうだろうか(大拍手)。寝食を共にして、気宇壮大に広宣流布をともに語り合っていきたい。そして衛護隊もこの時、野外で集団訓練をやったらいいと思っております」
 さらにロシアの核物質流出による核拡散と、中国の異常な核戦力強化に言及し、「この闘諍堅固の中において、国連も、日本政府も頼りにならない。ここに悲惨な他国侵逼から日本を救うのは、大聖人の御遺命たる国立戒壇建立以外には絶対にない。…
 大聖人の御金言のごとくならば、今度の本格的な他国侵逼の時こそ国立戒壇建立の時である。それまであと20年、お互いに朝露のごとき人生をこの大仏事に賭けようではないか。御本仏が『大地を的とする』と仰せられた国立戒壇の実現を、この目でしかと見させて頂こう。両眼滝のその日まで、男子部諸君は一人も退してはいけない。共に戦おうではないか」と。(「冨士」第359号 )
8月30日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長、阿部管長の講頭・副講頭指導会での発言 (「あれ(シアトル事件〉が本当でしたらね、私はもう即座に辞めますよ」) を取りあげ、「この発言は極めて重大。日顕は、シアトル事件が事実なら即座に退座すると天下に宣言したのである。このことは、自らの退座の期限を決め、自らその退路を断ったのである。退座へのレールが敷かれたといっても過言ではない」と。
8月 日
 顕正会、「機関紙発送センター」開設。
 旧本部会館 (第二会館)、使命終え解体。
9月1日  英軍事専門誌 ジェーン年鑑、ジョゼフ・バミューズ(相談役)「北朝鮮が開発している長距離弾道ミサイル テポドン一号が96年に、同二号が2000年に実戦配備される見通しである」との記事掲載。
9月2日  創価学会、聖教新聞、「反逆者断罪宣言」
「広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい。… 宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい」と。
9月5/21日
 顕正会、9月度御書講義、「撰時抄」を拝読。(全国297会場)
 浅井昭衛会長「撰時抄に御予言の、事の広布の時に起こる『前代未聞の大闘諍』とは、いま迫りつつある世界の大動乱以外にはない。すでに核兵器は世界に拡散しつつあり、また日本を『二十年後の主要敵』とみなして核戦力の強化に狂奔する中国を見るとき、まさに『前代未聞の大闘諍』が刻々と迫りつつあることを肌身に感ずる。…
 顕正会は、学会・宗門がどれほど濁ろうとも、正系門家の中でひとり御本仏の御遺命のままに国立戒壇建立の戦いを進めねばならない。濁乱の日本の中に、御在世の熱原の法華講衆のごとき、大聖人に南無し奉る仏弟子の大集団が出現して御奉公せねばならぬ時がきたのである」と。
9月7日  創価学会、全国県長会議、2001年5月3日に「広宣流布の記念塔」を建てる計画を発表。
9月12日
 宗門、本多遠道師(妙遍寺)、寺院所有の土地問題で阿部日顕管長に反発し、宗門を離脱。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会、本部会館で奉修。浅井昭衛会長、「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ......」の御文につき講演。
9月12日  創価学会、池田大作名誉会長、ブトロス・ブトロス=ガーリ国連事務総長と帝国ホテルで会談。 「年間数千億円もの財務を集める創価学会は絶好のターグット。ガリ事務総長は相当額の支援を池田氏に要請。池田氏もこれを快諾したといわれている。会えばお土産をもたせてくれる池田氏は、名ばかりの元首相経験者よりも重要な存在と認識してるに違いない」(「週刊実話」10月6日号 )
9月13日  大阪地方検察庁、妙栄寺(早瀬義雄師)に対する遺骨訴訟で、創価学会による訴えを却下。
「妙栄寺側は、寺院の一隅で遺骨を預かることは宗教行為であり、原告らを騙す意志は毛頭なかったと主張。また、管理がズサンだったとする主張に対しても、相応の管理をしていたと反論していた」(「週刊実話」11月17日号 )
9月14日  創価学会、記者懇談会、池田大作名誉会長 "証人喚問容認・政教一致" 発言。
「私は世界に出ていって評価を高めるんですから、日本では何をいわれてもいいんです。証人喚問だってなんともないんです。だって私は、何も悪いことしていないんだから」
「こう言うと、また政教一致と言われるけどね。教義を実現するためには、政治の力が必要です。そういう目的で公明党を作ったのだから。それは変らないですよ」
「公明党は新生党にも参加する。しかし、学会は公明党以外の党の候補については、人物本位で対応を決めるということです。だから、甘くないぞと。もともと、私の理想は自公なんです。自民党だと国民は安心します。保守、中道なんてスタンスをとってきてるけど、あれはポーズであって、われわれの本質はやはり保守なんですよ。いまの情勢なら、自民、新生、公明が組めばベストなんです。昔から私はそう言ってきている」(「週刊文春」10月6日号 )
「私の理想は、もともと、自公両党による政権づくり。行きがかり上、公明党は新党結成に協力させるが、学会票は丸ごと回さない。人物本位とし、自民党候補者にも回します。だから証人喚問問題ではお手やわらかに願います」(「諸君」12月号 )
9月15日
 顕正会、福島大会、会津風雅堂で開催、参加者2千5百余名。
 浅井昭衛会長「福島の地に、これほど多くの人材が集り、これほど熱烈な集会が開かれたのは、本日が始めてである。いよいよ本格的な福島広布の時が来た」と。ついで日目上人の死身弘法について「この御振舞いこそ"大聖人・日興上人に仕え奉ること、忠誠を貫くこと、かくのごとくあれかし"ということを、広布前夜の私たちに、身を以て教えて下さったものである」と。
 質問会において「感激の増幅」について指導。
9月16日  大石寺遺骨大量不法投棄事件、目撃者の田中秀人が阿部日顕管長に対し公開質問状を送付。
9月18日
 顕正会、高知会館、全面改修して開館式を行う。
9月21日  創価学会、創価新報、阿部日顕管長の "世田谷豪邸" を掲載。また「"僧形の毒蛇"の頭目・河辺慈篤」の連載開始。
9月26日
 顕正会、9月度総幹部会開催。(川口総合文化センター) 9月度折伏成果 7,001名。
 浅井昭衛会長、7千突破の空前の大折伏が叶ったことについて「広宣流布の前途が洋々と開けゆくを肌身に感ずる」と。
 また「忠誠一筋の顕正会」「邪教化した学会」「腐敗堕落の宗門」と、三者の違いを明確に示し、さらに「日中関係は徐々に険悪化する」と述べ「気がついたとき、日本の一億二千万人の命は完全に中国に握られるということになる。まさに大蒙古国の責めに怯えた御在世の日本と同じ状態が必ず将来現出する」「世界の核拡散といい、中国の圧倒的な核戦力といい、もう国立戒壇を建立して御本仏の御守護、諸天の守護を得る以外には、絶対に日本の一億二千万人の救われる道はない。残された時間はあと20年。しかし御本仏の大悲願力によって、必ず事は成る」と。
 婦人部長に湯浅悦子任命さる。
9月26日  韓国統一院、北朝鮮が「労働二号」(射程 1,500~2,000キロ)を来年開発すること、生物・化学兵器 1,000トン余りを生産し連隊級部隊ごとに化学小隊を編成していることを発表。( 国政監査資料 )
9月29日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長「今や日顕は、支離滅裂の狂乱説法をするかと思えば、末寺住職を怒鳴りつけて離脱に追い込むなど、末寺の困窮をよそに、自分は相変わらず豪遊三昧。末期症状を呈している。... 先日も福島の温泉で遊興した後、すぐに帰ればいいのに翌日は、銀座で日顕ファミリーの宴会を行う等、丑寅勤行を3日も連続してサボって、遊びほうけている。こんな怠慢な極悪法主は、一日も早く退座させるよう、一段と追撃していこう」と。
9月29日  中外日報、阿部日顕管長から龍年光に支払われた工作費 1千万円の「領収書」コピーを公表。
9月30日  米カリフォルニア州地区上級裁判所、ヒロエ・クロウの日蓮正宗への訴えを棄却。
 1、ヒロエ・クロウは、単なる名目的な原告に過ぎず、本当の提訴人は創価学会である。
 2、ヒロエ・クロウ事件は、学会が破門後、日顕法主を法主の座から追い落とそうとして提訴した50余の訴訟の一つであり、その集約。
 3、創価学会は、日顕法主を挑発する記事を学会機関紙の第一面に繰り返し掲載し、日顕法主らにヒロエ・クロウを嘘つきだと言わせるように誘っており、罠を仕掛けたことは明らか。
10月4日
 宗門、阿部信彰師(大修寺)および梶原慈文師(弾正寺)、「墓地、埋葬等に関する法律」違反容疑で書類送検さる。
10月5/22日
 顕正会、福島大会 "質問会"、ビデオ放映開催。(全国 346会場)
10月5日  創価学会、創価新報、「穢れきっていた『法主の座』 -- 日隆、総監時代『妾狂い』で背任罪」特集。
10月9日  創価学会、青年部、四月会に対抗し「権力による宗教への介入に反対する緊急東京集会」を開催。
10月10日
 顕正会、福岡大会、博多市民センターで開催、参加者8百名。
 浅井昭衛会長「相次ぐ地方大会により、列島に火がついてきたような感がする。その中で九州はおくれている。九州さえ立ち上がるならば、広宣流布は列島全体に燎原の火のごとく広がる」と。
 質問会で「台湾問題」指導さる。
10月12日  創価学会、池田大作名誉会長、イスラエル・ヘブライ大学のシロニー教授と会談。
 同教授の「ユダヤ人が長い間、迫害されてきた理由は、『ユダヤ人が理想主義者であったから』だと私は思います。... 日本でいえば、日蓮上人が理想主義者であると思います。そのために日蓮上人も、その弟子も、いつも迫害されました。それは、ユダヤ人への迫害と類似していると思います」の発言に対し、「いい言葉です」と答えた。
 さらに、「一番、ユダヤ人に似ているのは、日本の歴史では、日蓮上人だと思います。(日蓮上人の考え方は)ユダヤの予言者の考え方と同じです」との発言に対しても、賛意を示す。
10月13日
 顕正会、御大会式、本部会館で厳修、「『十月十三日』の大事を命に刻め
 浅井昭衛会長「御遺命とは、遣使還告の使命を果たせとの、御本仏の御命令である。ゆえに仏弟子にとって、大聖人の御入滅あそばされた十月十三日ほど重大な日はない。… 二祖日興上人が書写された御本尊を拝すれば、『十月十三日』の日付の御本尊が際立って多い。… 実に日興上人が認められた『十月十三日』という五文字の中には、大聖人様が常に生きてましますとの深いお気持ちと、同時に御遺命の重きが込められている。
 また日目上人が最後に認められた御本尊の日付も『元弘三年十月十三日』である。日目上人はこの御本尊を書写されたのち、真心込めて御大会式を奉修され、命かけての天奏に旅立たれたのである。このような日興上人・日目上人の御振舞いを拝し奉るとき、仏弟子ならば『十月十三日』を命に刻みつけなければいけない。それはとりも直さず大聖人様への忠誠心である。…
 悲しいかな、いま正系門家は御遺命の国立戒壇を放棄して、戒壇の大御本尊を誑惑不浄の正本堂に居え奉って営利の具としている。この不敬・冒濱により、日本に他国侵逼の影が迫りつつあるのである」と。(「冨士」第360号 )
10月16日
 顕正会、上尾事務所、増設開所式行う。
10月19日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」第7回講義。(成増区民センター)
10月19日  創価学会、創価新報、「"妾狂い"だった六十一世・日隆。日顕よ、血脈付法の法主とはこんなものか!」特集。
10月26日
 顕正会、10月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、10月度折伏成果 4,438名。
 浅井昭衛会長「日本の一億二千万人の生存を揺がす軍事的脅威は、短期的には北朝鮮の核、中・長期的には中国の強大なる軍事力である。ところが日本はこの中国と北朝鮮に対して卑屈な朝貢外交しかできない。相手の顔色を窺っては経済援助をしてご機嫌を取ることしか考えない。だから相手はますます威張って、日本に貢がせた金で軍備を拡大し、さらに日本を威圧するようになる。こんな馬鹿げた話はない。しかし日本の政治家は平然としてこの愚行を繰り返している。この愚かしさと謳いこそ日本の亡国の兆である」「今の日本のやっていることは、まさしく『宋襄の仁』そのものではないか。…
 しかも救い難いことは、日本の政治家たちは、これらの経済援助に伴って中国・北朝鮮に進出する日本企業から利権を得ようとしている。これが今の政治家の実態である。彼らの眼中には『国家の安危』などはない。今の日本は、このような売国的政治家がはびこり、そのうえ国立戒壇建立を迫るべき仏法の正系門家は御遺命に背いて戒壇の御本尊に不敬・冒濱をなし奉っている。ここに磁石が鉄を吸うように、日本は深刻なる他国侵逼を招くのである。…
 これからの二十年間には、『前代未聞の大闘諍』の前兆として、さまざまなことが次々と起こってくる。すでに異常気象は世界を覆っている。また巨大地震が首都圏を襲うことは絶対に避けられない。そして最後に『他国侵逼の大難』が来るのである。広布前夜に生まれ合わせた私たち仏弟子は、これらの三災七難を乗り越えて広宣流布を進めなければいけない」と。
(※ 『宋襄の仁』、「春秋左伝」より、無益の情け、つまらない情けをかけて、ひどい目にあうこと。宋の襄公が楚と戦ったとき、公子の目夷が「敵が陣を敷かないうちに攻めよう」と進言したが、襄公は「人の困っているときに苦しめてはいけない」と、敵に情けをかけたため負けてしまったという故事 )
10月26日  週刊実話、"自民党・川崎二郎代議士に嫌がらせ殺到" 掲載。
「国会の衆院予算委員会で、川崎二郎代議士〈自民党)が、学会に関する質疑をしたところ、創価学会が代議士の地元で抗議集会(2回)をもったばかりか、機関紙『聖教新聞』紙上でも抗議。さらには暴力団まがいの脅迫電話や、無言電話が事務所に1日100本も殺到、関係者は身の危険を感じたという」(「同」11月10日号 )
11月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「仏法破壊の僭聖増上慢は、今や政治権力とも結び極悪の一凶として、はっきりと、その姿を現した」と。(「同」11月号 )
11月2日  創価学会、創価新報、阿部日顕管長に対し「日隆上人事件」について公開質問状を送付。
11月3日  創価学会、青年部、民主主義の基盤「人権」と「信教の自由」を守るためと称し、東京ドームで集会。
11月4/23日
 顕正会、福岡大会 "質問会"、ビデオ放映開催。(全国358会場)
11月5日  公明党、党大会、新進党に分党方式での参加を決定。
11月7日 「創価学会による被害者の会」設立、機関紙「自由の砦」を発行。
11月13日
 顕正会、広島大会、広島市アステールプラザで開催、参加者1千2百名。
 浅井昭衛会長「顕正会は昨年10月、心を一にして、日本の広宣流布を大聖人様にお誓い申し上げた。一たび口に出して大聖人様にお誓い申し上げるということがどれほど重いことか。私は顕正会の代表として、このことを一日として忘れたことがない。この出陣式より一年、顕正会の前進はテンポが変わってきた。相次ぐ地方大会により、今や日本列島に火がついてきた感がする。中国地方もいよいよ本日より前進開始である。…
 日興上人・日目上人は、ただ大聖人の御遺命に応え奉らんと、広宣流布を朝夕近しの御気魄で死身弘法あそばした。この日興上人御門下の大情熱が末法濁悪の未来によみがえる時が、事の広宣流布の時である。いま顕正会の赤誠の死身弘法こそ、その先駆けである」と。
 質問会において「あと二十年」の指導。
11月15日
 顕正会、日目上人御報恩勤行会、本部会館で奉修、「御在世の信心蘇る時が広宣流布
 浅井昭衛会長「日目上人は滅後の私たちに "御本仏日蓮大聖人・日興上人に仕え奉ること、忠誠を貫くこと、かくのごとくあれかし" ということを御身を以て教えて下さったお方である。… 日興上人・日目上人御門下の大情熱が末法濁悪の未来に蘇るときが、事の広宣流布の時である。いま全顕正会にみなぎる燃え上がるような死身弘法の熱情こそその先序である」と。
11月15日
 宗門、阿部日顕管長、総一坊・総二坊安置の本尊脇書の「願主法華講総講頭・池田大作」の文字を抹消せしむ。
11月16日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」第8回講義。(成増区民センター)
11月20日
 宗門、御大会、阿部日顕管長「創価学会は、大謗法者・池田の悪指導により、あらゆるところに行き過ぎの謗法が充満しますが、この三宝においても、宗門七百年の護持・弘教の規範を無視し、僧を押しのけて、自分達が真の僧宝であるとの思い上がりにおいて、仏法の尊い筋道を無慚にも顛倒したのであります。その最も増上慢の甚だしいのが、池田大作如き者をして、本門弘通の大導師と敬う如きことを門下に発言せしめた過去の事例であり !! 」と。
11月23日
 顕正会、横浜会館、開館式行う。浅井昭衛会長「なぜ神奈川にこのように力を入れるのか。それは、大聖人が身命を賭して三大秘法弘通の戦いを起こし給うたその主戦場が当時の相模の国、すなわちこの神奈川県だからである。大聖人はこの神奈川で十九年間、一代御化導三十年の実に三分の二に当たる期間をこの神奈川で師子王のごとく戦われた。ゆえに神奈川の至る所には、御本仏の足跡が残っている、御汗がしたたり落ちている。ならば事の広宣流の時に、この地で爆発的な弘通が進まぬわけがない。また進めねば申し訳ない。この思いから私は神奈川に力を入れているのである。ここに集まった神奈川の代表幹部は私と同じ思いに立ってほしい。神奈川の同志諸君、戦おうではないか」と。
11月26日
 顕正会、11月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、11月度折伏成果 5,627名。
 浅井昭衛会長「人の命を救うべき医者が人を殺し、泥棒を捕まえるべき警官が強盗を働き、国家の安全を図るべき政治家が国を売る時代となった。これが『末法濁悪』の時代相である」と。
 さらに「僧侶が堕落したのは学会の供養のため」と放言する阿部管長と、謀略・犯罪行為を学会員になさしめる池田大作の卑劣を呵責してのち「学会も宗門も、見つめているのは己れの利益だけ。彼らには大聖人様のことも、御遺命のことも、全く眼中にはない。まさしく両者の争いは、御遺命を破壊した者同士の醜い争い以外の何ものでもない。ゆえに『修羅と悪竜の合戦』というのである。このように正系門家が乱れるから世間も濁乱する。しかしこの『末法濁悪』の直中に、熱原の法華講衆のごとき仏法の為には身命も惜しまぬ仏弟子の大集団が出現する。国立戒壇のゆえに解散処分を受けた顕正会は明年4月には四十万を達成する。四十万ができれば百万は必ず成る。百万ができれば一国広布は必ず成る」と。
12月1日
 顕正会、冨士、広島大会質問会 "あと二十年とは"に対する回答、「諸天善神の捨棄により 日本の安全の基礎的条件失せる」掲載。
 浅井昭衛会長「大聖人は撰時抄に、広布前夜には「前代未聞の大闘諍」がおきると御予言されているが、この他国侵逼の大難まで、残された時間は、"あと二十年" と、私は深く思っている。この他国侵逼は、謗法より起こる。… この内と外の謗法により、諸天善神は日本を捨棄したのである。諸天が守護しなくなったことにより、日本にどんなことが起きてきたか。… どの国も、日本を守ってくれない。まさに「自惟孤露・無復恃怙」の経文そのままの姿である。…
 日本にとって重大な脅威は、中国の軍拡である。中国は「二十年後の主要敵は日本」と決め、それに基いて核戦力の強化を進めている。… 諸般の情勢、ことに北東アジアの情勢を見たとき、日本に残された時間は "あと二十年" と、私は深く思い、決意をしている。… 四十万ができれば百万は必ず成る。百万ができれば日本の広宣流布は必ず成る」(「冨士」第361号 )
(※ "あと二十年とは"、北東アジア情勢、ことに中国の日本侵略を根拠としている。平成06年から20年後は平成26年であり、平成17年に百万ができたものの、顕正会は160万で迷走している。日本は日米同盟を堅持し、安全の基礎的条件を失っていない。浅井昭衛会長の論法によれば、"諸天善神は日本を捨棄していない"、ということになる。平成10年には御遺命守護完結奉告式を奉修、不敬は解消されている。櫻川 忠 )
12月5日  公明党が解党、地方議員らによる「公明」を結党。
12月8日  週刊実話、"創価学会による団地支配「団地部組織」" 掲載。
「団地部は、高度経済成長によって首都圏や関西、名古屋などに多くの団地が建設され、そこに多数の学会員が住むようになった20年前の昭和48年に結成された。目的は、地域で広宣流布を進めるということだが、具体的には団地の自治会組織を学会員によって占有し、学会に有利な自治会運営を行うことで、公明党への集票能力を高めることにあった。いわば団地自治会のジャンクを図る組織、それが創価学会団地部だ」 (「同」12月22日号 )
12月10日
 宗門、藤本日潤総監、阿部日顕管長の指示により、山崎正友と総本山内富士見庵において密会。
12月10日  新進党結党、初代党首は海部俊樹。村山富市内閣発足で下野した非自民・非共産勢力は、次期総選挙で施行される小選挙区比例代表並立制への対応に迫られた。小選挙区で野党各党が合流し、各選挙区で候補者を1名に絞らなければならず、新・新党を結成する流れに一気に傾いた。新生党・公明党の一部・民社党・日本新党・自由改革連合などが結集、結成時の所属国会議員数は214人(衆議院176人、参議院38人)であった。
12月10日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長「宗内の人心の日顕離れ、しらけ切った雰囲気、日顕ファミリーに対する不信感、そして、側近にうずまく疑心暗鬼等、行く先々に黒雲を呼ぶ魔性の正体は、いよいよ末期的症状を呈してきている。... あと一歩のところまで追い詰めた日顕退座を、断固戦い抜き、退座に追い込む日が、近いことを確信して戦っていこう」と。
12月14日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」第9回講義。(成増区民センター)
12月15日  創価学会、池田大作名誉会長、ICDO(国際文化開発協会)から「池田SGI会長は、アショカ大王、マハトマ・ガンジー、ジャワハルラル・ネルーに流れる非暴力の伝統を世界に普及した」との理由で、「アジアの誇り」賞を受ける。
12月18日
 顕正会、主要地方事務所に「音声一斉同時放送システム」を導入。
12月18日  創価学会、秋谷栄之助会長、テレビ初出演。テレビ朝日の「サンデープロジェクト」に生出演、評議家・田原総一朗のインタピューを受けた。
「田原 いくらぐらいもらっているのか。
 秋谷 中小クラスの会社の社長程度。あまり金額的なことはチョット。膨大な収入みたいなものはいっさいございません。普通のサラリーマンの、中クラスの会社の社長程度と思っていただければ」
12月20日  エバラオフィス、憂宗護法同盟「法主の大陰謀」発刊。
「日顕への「血脈相承」は本当にあったのか。「法主の大醜聞」「法主ファミリーの大悪行」に続く日蓮正宗現法主に対する糾弾の書。疑惑に包まれる法主の登座。数々の有力証言と資料によって、いま、一切を白日の下にさらす」(「MARC」)
12月21日  元公明党衆院議員 池田克也、リクルート事件で有罪判決。
12月24日
 顕正会、12月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)
 浅井昭衛会長「出陣第一年の本年の前進が、いかに機を画するダイナミックなものであったか、まさに国立戒壇をめざす大行進は始まったのである。この大行進も、すべては昨年10月10日の出陣式の誓いにその源を発している。御本仏日蓮大聖人に誓い奉るということがいかに重いことか、私は一日としてこの重き誓いを忘れたことがない。もし口先だけの誓いならば、かえって大聖人様をあなずり奉ることになる。…
 顕正会は口舌の徒ではない。命の底より大聖人様に誓い奉り、体をぶつけて戦っている。この忠誠心によって、大聖人様の御守護を頂き、広宣流布は今しんしんと進んでいる。もし顕正会の戦いが遅れれば、他国侵逼の大難に間に合わない。顕正会は何としても、大聖人様のお待ち遊ばす最後の法戦場に日本国を揺さぶる実力を以て馳せ参じなければならない」と。
 
  年表  
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館および全国73会場で厳修。浅井昭衛会長、報恩抄の一節を引き「三大秘法を世界に流布し人類の破滅をお救い下さるのが日蓮大聖人の大悲願力であられる。その世界広布にいたる一大関節こそが、日本国の広宣流布・国立戒壇建立である。いま、大聖人様の大悲願力をお手伝いするのは、御遺命を命かけて守り奉った顕正会以外にはもうない。ゆえに顕正会は一昨年の10月10日、一国広布に出陣した。本年は大事な出陣第二年。一筋に広宣流布の大道を驀進したい」と挨拶。
 冨士、「年頭の辞」、浅井昭衛会長「出陣第二年を迎えて
「本年は出陣第二年、四十万法城屹立の年である。思えば21年前、御遺命破壊を企んだ学会と宗門は、諫める顕正会を解散処分に付した。だが、顕正会はこの絶体絶命の法難を撥ね飛ばし、今ついに四十万の死身弘法を成し遂げんとしている。これほどの『不思議』は、日蓮正宗七百年の歴史にもその例を見ない。そして、あれほど固く癒着して一枚岩のごとくに見えた宗門と学会は、今や仲間割れして醜悪・凄絶な死闘を繰り広げている。これまた、凡夫の思慮を絶する『不思議』の現証ではないか。すべては、賞罰正しき御本仏の御力用である。広宣流布の使命と責務は正系門家・日蓮正宗のみが有する。だが、御遺命に背いて国立戒壇を放棄したゆえに、学会は邪教化し、宗門僧侶は『法師の皮を著たる畜生』に堕してしまった。ここに大聖人は、御遺命を守り奉った顕正会をして立たしめ、戦わしめ給うた。まさしく顕正会こそ、御本仏の大悲願力を扶けまいらせる『仏の軍勢』である」と。(「冨士」第362号 )
 冨士、実践の教学、教学部二級部員小泉修「心が固ければこそ諸天善神は守護する」掲載。
(※ 一国広布に出陣して、現在(令和4年)は "出陣第28年" ということになるが、"命の底から御本仏・日蓮大聖人に誓い奉った" こと、誰か覚えている者はあるだろうか? 櫻川 忠 )
1月1日  創価学会、創価新報、阿部日顕管長の「『血脈詐称』疑惑」の連載を開始。さらに、藤本日潤総監と山崎正友の密議を暴く。
1月3日  中外日報、「日顕法主の『血脈相承』は、指名したのは日達上人の息子」と報ずる。
1月5日
 顕正会、顕正新聞、新春紙上座談会 、「王仏冥合こそ究極の政治理念
 浅井昭衛会長「学会は「邪教化」、宗門は「腐敗堕落」、そして顕正会は「忠誠一筋」という姿は、もう誰の目にも明らかになってきたね。… 共産主義はすでに崩壊したが、民主々義もやがて崩壊する。人類が求める究極の政治理念こそ、日蓮大聖人が仰せられる王仏冥合である。…
 広宣流布が達成された時には、餓鬼界の無駄な競争はなくなります。また現在、世界経済を破綻に追い込んでいる軍備競争もなくなる。膨大な軍事費が浮く。そして科学技術が仏界の生命力で生かされる時、人は3時間も働けばそれで済む。食うために働くのは最小限で良いのです。後の時間は、のびのびと仏道修行を行ずる。… そのためには、すべてが妙法化されなければいけない。妙法の政治、妙法の教育、妙法の国防、妙法の農業と。三悪道の社会でなく、仏界の国を作らなければいけない。これが王仏冥合して国立戒壇が建立された『事の寂光土』だ。これから20年。広布前夜の三災七難は一年ごとに激しくなってくる。そして最後に他国侵逼の大難が来る。しかし広宣流布によってすべては解決できる。…
 顕正会は大聖人様がお待ちあそばす最後の大法戦場に、日本国をゆさぶる実力を以て馳せ参じなければいけない。広宣流布のゴールが、いまほのぼのと見えてきたではないか。あと20年。一年一年を大事にして、悔いのない戦いをしよう」と。(「顕正新聞」1月5日号 )
 新年幹部会、本部会館で開催、浅井昭衛会長「本年は、まさに期を画する年である。御遺命のゆえに抹殺されんとした顕正会が、ついに一国広布の基盤たる四十万法城を築く、そして百万を具体化する大総会を開く、ゆえに『期を画する年』というのである。… 首都圏を襲う巨大地震の前に、何としても百万を成し遂げたい。そして三災七難におののく日本の大衆の耳に、御本仏の立正安国論の大師子吼を聞かしめたい。大聖人様の御守護により事は必ず成る」と。
(※ "人類が求める究極の政治理念" を語るなら、顕正会こそ模範たる "妙法の組織" たるべきではないか。しかし実態は、"情報統制"、"ノルマ強要"、"会長独裁"、"幹部専横"、"密告奨励"、"粛清横行"、"会員幼稚化" の "ブラック教団" であり、どこかの独裁専制国家とよく似ている。こんな教団が "一国広布" したら、悲惨きわまりない。櫻川 忠 )
1月6日
 宗門、末寺住職・寺族初登山、阿部日顕管長「(池田大作は)現在から未来にわたって、あらゆる策略を徹底して弄しつつ、この総本山大石寺を再び、いつの日にか創価学会の手で支配することを考えておるということであります。池田大作や秋谷等の幹部の考え方として、宗門とは別個の立場での創価学会としてやっていくということは絶対になく、必ず将来、あらゆる方策を使い、様々な策略によって、再び日蓮正宗を支配しようという考えを持っております。これを新年に当たって、はっきり言っておきたいと思うのです」と述べ、厭戦気分の末寺住職を引きしめる。
1月6日
 改革同盟(離脱僧グループ)、同盟通信、「相承があったとする『昭和53年4月15日』と『総本山大奥において』という二点については、はっきりと言明したことが大日蓮誌上に確認されていることであり、今更変更は許されない。ならばどうして時間とその部屋が特定できないのか。仮に百歩譲って、相承の内容は問わないとしてもその状況をなぜ明かせないのか。理由は全くないはずである。したがって、この根本的な疑惑に明確に答えることを、強く要求する」と、阿部日顕管長に迫る。
1月7日  創価学会、新春本部幹部会、池田大作名誉会長「日顕宗は大聖人の教えを真っ向から否定し、大聖人の仏法を私利私欲で汚した。… "悪い法主を批判してはならない"などとは、(大聖人は)まったく云われていない。御書のどこにもない。... 日顕宗破折の運動は、無量劫、地獄に堕とさないための、慈悲の行動なのである」と。
1月7日  中外日報、山崎正友の阿部管長宛て自筆「書簡」を、写真入りで掲載。
1月8日
 顕正会、教学部四級試験(立正安国論)・五級試験(南無日蓮大聖人)、全国66会場で施行。四級試験に 1,708名、五級試験に 2,088名が受験。
1月8日  シアトル事件担当のラングバーグ弁護士、「シアトル事件を立証する証拠が見つかった」と発表。
1月9日
 宗門、全末寺に宛て「(シアトル事件に関する警察文書の発覚は)国際的な証拠偽造作戦であると見るほかない」との「お知らせ」文書をファックス送信。
1月10日
 宗門、末寺在勤教師・無任所教師初登山、阿部日顕管長「私の方は、もともと何にもないんだから、だからそれがどうなろうと、どのようなことが、それが何しようと、私は御本尊様にお誓い申し上げて、その他、天地あらゆるものに対していささかも恥ずるところがないから、たとえそれがどのようなかたちでですね、世間の人間が一時的にも、永久的にも誤解しようと平気だ」と。
1月13日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」第10回講義。(成増区民センター)
1月14日  中華人民共和国、中央軍事委員会、10ヶ年計画(1996年着手)で航空母艦二隻を建造することを決定。
1月15日
 顕正会、教学部、登用試驗 (「折伏理論解說書」第一章~第八章 )、全国81会場で施行、5,484名が受験。
1月16日
 顕正会、成人式、本部会館で行う。浅井昭衛会長「皆さんの生まれた昭和49年は顕正会の歴史における重大な節、すなわち国立戒壇の御遺命を守ったゆえに、理不尽そして残酷なる解散処分の法難を受けた年である。この年に生まれた皆さんが20年後の今日、こうして顕正会の戦列に連なり広宣流布の御奉公に馳せ参じている、この事を思うとき、不思議な気がする」
「『願くは我が弟子等大願ををこせ、とにかくに死は一定なり、同じくは仮りにも法華経のゆへに命をすてよ』と。この仰せのままに、広宣流布・国立戒壇建立の大願に立とう」と。
1月17日  阪神・淡路大震災発生。5時46分52秒、淡路島北部沖の明石海峡を震源とし、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生し、犠牲者は6,434人に達した。
1月18日  創価学会、創価新報、「これぞ極悪ペテン師・山崎正友の正体」を特集。
1月19日
 宗門、阿部日顕管長、自ら提案した"二時間唱題"を訂正し、"一時間唱題"に変更。
1月20日
 宗門、大韓民国において佐々木雄寛師(海外部書記)・石橋頂道師(慈本寺)・田島寛応師(慈法寺)ら三人が、「出入国管理法」違反で罰金刑および強制出国措置(国外追放)処分。( 韓国紙「国民日報」)
1月24日
 顕正会、1月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、「大地震襲来の前に早く百万を
 浅井昭衛会長、「今連日、新聞・テレビで阪神大震災の惨状が報じられております。一瞬にして、大都市・神戸が壊滅し5千人が圧死したということは、誠に痛ましい限りであります。… 人間の力が三災七難の前にはいかに無力か、また日本の繁栄がいかに砂上の楼閣であったか。このことを、いま全日本人が感じ始めている。… 地震学者によれば、この首都圏直下大地震は「今後十年から二十年のうちに相次いで起こる」とのことです。仏法の上から見て、私もそう思う。… やがて首都圏直下の大地震も必ず来る。この大地震こそ、まさしく『他国侵逼の大難』の前相である。正系門家の濁乱と、日本一同の捨離謗法を見るとき、どうしても『遠からず』と思わざるを得ない。… 日蓮大聖人・日興上人が仰せられた『早く』『速かに』『急ぎ』の大精神で、広宣流布を急ごう」と。
 総合地方部長に加藤礼子任命さる。
1月27日  ラングバーグ弁護士、シアトル事件の現場に立ち会った「重要証人」(元警察官)が存在すると発表。
1月28日  創価学会、秋谷栄之助会長、全国青年部幹部会の席でシアトル事件に新証拠が出たことを挙げ「こんな人間がいつまでも法主の座はもとより、坊主のはしくれに籍をおいていいものだろうか。速やかに法主の座を去り、髪をのばして還俗すべきである」と。
1月29日
 顕正会、京都事務所、開所式行う。
 浅井昭衛会長「邪宗の寺院つらなる中に、関西広布の一大拠点ができたことは意義重大である。.. 地震が活動期に入ったのならば、関西広布も本格的な活動期に入らなければいけない。本日こそ関西広布開始の歴史的な日である」と。
1月31日  創価学会、ハワイで創価学会インタナショナル総会開催。池田大作SGI会長「アローハ! 総会おめでとう。すばらしい晴天おめでとう!… 今回の阪神淡路大震災の折にも、その厳たる実証があったことは、皆さまもご存じのとおりである」と。
2月1日  マルコポーロ、「創価学会は検察庁の部外秘資料で右翼団体に分類されていた」を掲載。
「昭和三十一年十二月 法務省刑事局
 序文 一、今回当庁公安事務室において右翼団体の組織と行動の概要を取纏めて集録した。
 第一編 終戦後の右翼団体
 第二章 新興右翼団体(三十九)創価学会
 本会を右翼団体として集録した理由はその信条に基づく行動に暴力的な動向が顕著に窺われるからである。(折伏の)手段として多数の青年行動隊を軍隊の組織区分に準じて編成し、この折伏の実践に当たらせるものである」(「同誌」2月号 )
2月4/19日
 顕正会、「広島大会質問会」ビデオ放映開催。( 全国335会場 )
2月4日  創価学会、阪神大震災追善勤行法要を関西文化会館で奉修、池田大作名誉会長「大慢心の人間は、結局、信念なく揺れ動いて、状況が変われば、自分も変わる。ひいては、従来の敵に従いさえするのである」と述べ、阿部日顕管長と山崎正友の癒着を批判。
2月7日
 顕正会、第二祖日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修、「『早く』『急ぎ』の大精神を命に刻め
 浅井昭衛会長「日興上人はこの短い申状の中において『早く』『急ぎ』と重ねて仰せられている。これこそ『早く、急ぎ、日蓮大聖人の御遺命を達成して一切衆生を救わん』との大精神であられる。広布前夜に生れ合わせた私たちこそ、この日興上人の御精神を体して、分に応じ、力に応じ、急ぎ早く折伏を進め、以て大聖人・日興上人の御心に応え奉ろう」と。
2月8日  東京新聞、「大石寺が覆面買い」との見出しで、阿部日顕管長の世田谷豪邸問題を掲載。
2月9日  フィリピン共和国・国防省、中華人民共和国が南沙諸島の岩礁に築いた軍事施設の写真を公表。
2月11日
 顕正会、婦人部幹部会開催、2千4百余名が参集 (板橋文化会館)、「千日尼のけなげの信心を鑑とせよ
 浅井昭衛会長「本日の集会こそ、顕正会婦人部が御在世の婦人の跡を継ぎ、いよいよ『あと二十年』の御奉公に立つ歴史的な日であると私は思っておりますが、皆さんどうでしょうか。(大拍手)
 今回の阪神大震災は、日本人が信じていた安全神話を、完全に打ち砕きました。地震学者も技術者も、ついこの間まで胸を張って「高速道路は絶対に大丈夫」、「新幹線も絶対だ」、「地下鉄も絶対だ」と云っていたが、これらがひっくり返っちゃった。凡夫の「絶対だ」などというものが、いかに頼りにならないか。また三災七難の前には、人間がいかに無力かということであります。しかし阪神大震災も、まだ三災七難の序の口にすぎない。… そしてその最後に、恐るべき他国侵逼が事実となるのであります。その前に、何としても全日本人の耳に、御本仏の立正安国の大師子吼を聞かしめなければならない」と。 (「冨士」第365号 )
2月13日
 宗門、阿部日顕管長の世田谷豪邸を「大石寺出張所」とする旨、院達を出す。
2月13日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」第11回講義。(成増区民センター)
2月13日  創価学会、"シアトル事件" で東京地方裁判所に、ヒロエ・クロウ夫人・ウィリアムス名誉理事長(アメリカSGI)・横田特派員(聖教新聞)・阿部日顕管長の4人を証人申請。
2月14日  フライデー (写真週刊誌)、阿部日顕管長の世田谷豪邸問題を追及。大石寺が支払った「6億1千百50万円の領収書」を写真で掲載。
2月16日
 宗門、大石寺大客殿で「阪神大震災殉難者追善法要」奉修、阿部日顕管長 "世田谷豪邸問題" を釈明。
 慧妙、山崎正友「私が"御相承"を拝信するに至るまで」を掲載。(「同」51号 )
2月17日
 宗門、阿部日顕管長、「大石寺出張所移転開設御遷座法要」(世田谷豪邸)を行う。
2月23日
 宗門、南九州布教区親教、阿部日顕管長「近年において、池田大作という仏法破壊の大悪人が現れ、... 我見の上から仏宝を考え、法宝を考えて、大聖人様の仏法を私するようになりました」「大作は、法の宝を破壊し、仏の宝を破壊した上に、僧宝をも破壊しております。すなわち、御歴代上人を実に口汚く罵り、日精上人とか日泰上人等を呼び捨てにしていることが、その例証であります。私のことも色々と言っているようであります。最近はまた、アメリカのほうで新しい証拠が見つかったようなことを報じていますが、もともと嘘に嘘を重ねた作り話ですから、その証拠自体がデッチ上げなのです。その他、実に汚い姿をもって、私のみでなく、あらゆる僧侶を馬鹿にし、誹謗し、罵っております。これはまさに下種三宝のなかの僧宝を破壊するものであり、この現証が出ないはずはありません」と。
2月23日
 顕正会、2月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、2月度折伏成果 7,986名。
 浅井昭衛会長、南シナ海のシーレーン制圧をもくろむ中国の基本戦略を指摘し「中国は核兵器で武装した軍事超大国、もし日中で衝突が起きたとき、日本は右往左往して大混乱に陥るだけであろう。そのとき国は亡ぶ。…
 あと20年、他国侵逼が早いか、顕正会の前進が早いか。この一事に日本の命運がかかっている。この大法戦場に間に合わんがために顕正会は急ぎ前進をしているのである。この前進の中で、今度の横浜アリーナ大総会は極めて大事、まさに日本国の命運かかる仏弟子の大集会ともいうべきである」と。
2月24日  中華人民共和国、南沙諸島カラヤアン群島海域で、新たに2つの礁に標識を設置。
3月1日
 正信会、「阪神大震災のため」として第20回全国大会を延期。
3月1日
 顕正会、冨士、時事解説「迫る食料危機」(浅井克衛総合男子部長) 掲載。
3月1日  創価学会、創価新報、「世田谷豪邸、これでも大石寺出張所と云えるのか!」と、邸内構造を示して批判。
3月3日
 前橋地方裁判所桐生支部、無量寺(舟橋泰妙師)に対し、遺族の埋蔵妨害を禁止し、慰謝料の支払いを命令。
3月4日
 顕正会、芙蓉茶寮を移転。
3月5日
 宗門、香川布教区親教、阿部日顕管長「(池田大作の昭和39年学生部総会での発言 "戒壇建立ということは... 従の従の問題、形式の形式の問題" を取りあげ)池田大作は本門三大秘法の一々について狂った考えを持っており、特に戒壇の大義について暴言を吐き、大聖人の末法万年を救う戒壇建立の真義を蔑し、自分勝手な考えをもって仏法を得々として述べておる」と。
3月6/21日
 顕正会、3月度御書講義、「法蓮抄」を拝読。(全国304会場)
3月8日
 宗門、細井珪道師(常在寺)、宗会において佛乗寺客殿本尊紛失事件を問い糺す。
3月8日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長「(阿部管長の世田谷豪邸の実態につき)末寺の困窮寺院はもとより、日顕宗内には大亀裂が幾重にも走り、提婆達多のごとく、いよいよ地獄に堕ちる様相になっている」と。
3月9日  朝鮮民主主義人民共和国、自由民主党にコメ援助を要請。
3月11日  中外日報、阿部日顕管長が「日淳上人全集」発刊記念の打ち上げを、キャバレーで行っていた事実を掲載。
3月13日
 顕正会、阿部日顕管長に免震構造の新御宝蔵を急ぎ建設すべき旨、「建白書」を提出。
 浅井昭衛会長「ロスアンゼルス地震が起きたとき、日本の専門学者等は口を揃えて、「日本の高速道路は大丈夫」「地下鉄は安全」「新幹線は絶対」と、胸を張って断言しておりました。しかし、これら専門学者の「断言」がいかに虚しいものであったか。いま彼等は、「震度七は想定していなかった」「手抜き工事があった」と釈明するのみであります。
 ここに深く憂えるのは、正本堂の安全性であります。多数の人命に関わる公共工事たる新幹線の橋脚においてすら、「震度七」は想定していなかったのです。いわんや正本堂においておやではありませんか。たとえ設計者の横山公男がいかに「安全」というとも、細井管長の女婿という情実で実力以上の任に就いた設計者の「保証」など、阪神大震災で馬脚をあらわした学者等よりも、更に信ずるに足らざること百千万億倍でありましょう。しかも正本堂の構造たるや、奇を衒う池田大作に阿るあまり、建築の安全性を犠牲にした、怪奇・アンバランスなものと言わざるを得ません。すなわち広い空間を、重く垂れ下がった屋根が覆い、この屋根を支える柱がまた、耐震性により有効な垂直・水平のものは一本もないという有様です。このような建造物は、耐震強度において全く未知数、危険きわまるものと言わねばなりません。
 富士地域を震度七の激震が襲ったとき、恐らく真っ先に崩壊するのは、この正本堂でありましょう。もし、あの重き屋根が須弥壇の上に落下したら、戒壇の大御本尊はいかが相成りましょうか。... ここに、建物自体の揺れを著しく減殺する免震構法による新御宝蔵を、急ぎ建築せねばならぬゆえんがあるのであります」(「冨士」第365号 )
3月15日
 宗門、末寺住職・折伏推進指導会、阿部日顕管長、法華講の弘通不振に苛立ち、昨年度折伏ゼロの末寺住職70人を叱責。
「皆さん方、一体、自分は一体、何だっていうことを自覚しているのか !。… 南無妙法蓮華経を真剣に信じて唱えていないんだよ ! それをやっていないような人間が、何が大聖人様の弟子だ !。… それだから平気で、年間ゼロ世帯の折伏で平気でいられるんだよ ! ダメだ !。… そういう人達に対していつまでも宗門が援助するということが必ずしも必要でないとするならば、そういうことも考えなきゃならない !。… 何年たっても変わらないようでは、まー、これはむしろ、袈裟・衣をはっきり脱いだ方がいい !」と。
3月15日  週刊ポスト、山崎正友が赤坂警察署に告訴状を提出と報じる。
 被告訴人はA氏ほか「氏名不詳者十数名」、容疑は「脅迫罪、威力業務妨害罪」など。告訴状によると、3月6日、A氏は事務所前で見張りを続け、山崎氏の外出にともない、その直後をつきまとったという。(「同」3月31日号 )
3月16日
 宗門、全国宗務支院長会議、阿部日顕管長「(顕正会の「建白書」に対し)宗門から破門された団体などが、このようなことに付け込んで、宗門の今までの在り方を毀謗しつつ、建設的な形で何かを言ってきておるような向きもあるようであります。また、今後とも、宗門を騒がせるような意味で、あるいは僧侶と僧侶、僧侶と信徒との間の信頼をなくさせるような形で、何かの言い方が出てくるかも知れませんが、そういうものは一切、宗門としては関係がありません。また、それらのものに左右されることも絶対にないのであります」と。
3月16日
 顕正会、教学部、「当流行事抄」終講。昭和62年8月以来、7年7ヶ月に及ぶ六巻抄講義、ここに終わる。
3月17日
 宗門、宗務役僧(藤本日潤総監・早瀬義寛庶務部長・尾林広徳海外部長)、高橋公純師を常泉寺に召喚し、台湾における反宗門的行動について誡める。
3月17日  中華人民共和国海軍、南沙諸島への補給船隊を編成、将来の海戦に備える。
3月20日  地下鉄サリン事件発生。東京都内の帝都高速度交通営団、丸ノ内線・日比谷線・千代田線の地下鉄車内で化学兵器の神経ガス「サリン」が散布された。乗客や駅員ら14人が死亡、負傷者数は約 6,300人。平時の大都市で無差別に化学兵器が使用され、類例のないテロリズムとして世界に衝撃を与えた。
3月20日  日蓮宗新聞(身延派機関紙)、山崎正友の「『板本尊偽作論』をもっと掘り下げろ、本腰を入れて取り組め」との記事を掲載。
3月22日  警視庁、2千5百人を動員してオウム真理教を強制捜査、事件への関与が判明した教団の幹部を逮捕。林郁夫の自供をきっかけに全容が明らかとなり、5月16日の麻原彰晃逮捕となった。
3月23日  フィリピン共和国軍、南沙諸島に設置された中華人民共和国の領土標識を爆破。
3月23日  創価学会、沖縄最高会議、池田大作名誉会長「戦争の存在を許してはならないのと同じように、悪い僧侶の存在を許してはならない。この悪を根絶することが『未来を救う』ことである。人と社会を狂わせる『精神の毒草』-- 悪侶の根を残してはならない。根を断ち切らねばならない。そうしなければ、毒草は再び生えてくる。… 日顕宗も、もがけばもがくほど、自縄自縛になっている。悪には黙っていてはいけない」と。
3月25日
 宗門、法華講講頭・副講頭指導会、阿部日顕管長「(自身書写の本尊について)えー、よくこんな手紙を私、前にもらったことがあります。私の、日顕上人の御本尊は字が下手だから、なんかあんまりありがたくない、まー、日顕上人の御本尊は、その境界で書いたと思います、こういうことを言ってきた人がおります。
 まーこれは、全く、これとんでもない考え方ですけれども、しかし、そこにですね、やはり、この、ある一面の真理といいますか、うーん、末法においてはいま、こー、なにしてきて御本尊書写する立場の方と、根本の大聖人様の御本尊とはまったくやはり、その、違うんだろうと、こんなふうな考え方があるがゆえに、そういう、この、言い方をしてきてると思うのであります。まー、私はバカバカしいので返事もしてませんでしたけれども...。
 しかしながら、これは、そこに、この大聖人様が日興上人、日目上人と血脈相伝のうえからの御本尊の内証を口伝せられた意義があるのであります。これは厳然として七百年の今日、伝わっておるのであります。そこには大聖人様のお心が、そのまま御本尊様のうえにはっきりとお示しになってあらわれておるということ、ここに、もういっぺん皆様方にはっきりと申し上げておく次第であります」と。
3月25日  フィリピン共和国海軍・南沙諸島海域で中国漁船4隻を拿捕。
 中華人民共和国、「海洋庁」を創設し南沙諸島の権益確保をはかる。
3月27日
 顕正会、3月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)、3月度折伏成果 5,371名。「建白書」公表さる。
 浅井昭衛会長「(「建白書」について)阪神大震災の凄まじい破壊力を見て、正本堂に据えられ奉っている戒壇の大御本尊の御安危がひたすら心に懸かり、時に当たってこのことこそ一閻浮提第一の大事と思い、あえて強言を構え直諫した」
 またオウム真理教について、「オウムは宗教の仮面をかぶった内賊」「国土に悪鬼が入り乱れた謗法の日本には、立正安国論に仰せのごとく内外の賊が次々と起きて国を危うくする。日本を安泰にするには、広宣流布・国立戒壇建立以外にはない」と。
3月29日  朝鮮民主主義人民共和国、日本の与党3党訪朝団に対し「我が国はいくつかのミサイルを持っている。発射角度を2度ずらせば、日本は大変なことになる」と威嚇。
3月30日  国松孝次・警視庁長官、自宅前で狙撃され4発中3発が腹などに命中、意識不明の重体となった。
3月30日  朝鮮民主主義人民共和国、日本海で対艦ミサイル「シルクワーム」数発を発射。
3月31日  中華民国(台湾)、南沙諸島に巡視船3隻を派遣。
4月1日
 顕正会、冨士、実践の教学「冥の照覧」(教学部二級部員 土屋 誠) 掲載。(「冨士」第365号 )
4月1日  中央公論、誌上インタビュー、池田大作名誉会長「国立戒壇は明確に否定している。日蓮仏法は世界宗教ですから、国教化はそれに反する」と。(「同」」4月号 )
4月1日  月刊タイムズ、阿部日顕管長の世田谷豪邸問題を特集。国土法違反の"覆面買い"の経緯と、大石寺側の依頼が「日顕管長の住まいを探せ」ということであった事実を掲載。(「同」」4月号 )
4月2日
 顕正会、三条事務所、開所式を行う。
 浅井昭衛会長「新潟では学会が卑劣な謀略を構えて顕正会の弘通を妨害していると聞く。学会はいつまでもこんなことをやっていると『仏法の仮面をつけた犯罪集団』と云われるようになる。卑怯なことは早くやめよ。顕正会はいつも正々堂々といく」と。
4月4/22日
 顕正会、4月度御書講義、「兵衛志殿御返事」を拝読。(全国304会場)
4月5日  創価学会、創価新報、訳林洋道師(本仏寺)の1億5千万円の別荘記事を掲載。
4月6日
 宗門、御霊宝虫払大法会、阿部日顕管長「創価学会は、大聖人の御内証に反し、御本尊に背く謗法堕獄の団体と成り下がったのであります。本尊のみならず、題目についても、戒壇においても、池田学会の狂った解釈や在り方はすべて、本仏大聖人の絶対の教旨に背く、池田の我見と誤りに終始しております。…
 池田学会は、歴代上人を悪し様に罵り、あまつさえ『ニセ本尊』を作って、明確な対告衆に対し授与せられた日寛上人の御本尊書写の正意を弄び、下種僧宝を破壊したのであり、この罪業は、まさに三宝一体の寿量の法体に根底から誹謗背反するものであります。天地顛倒、本末顛倒の邪偽の罪業は、到底、言っても言い尽くせるものではありません。外には賢善を装い、内には貪嫉を懐く三類の増上慢は、まさに池田教創価学会であり、いわゆる宗教団体の仮面に隠れて民衆を誑かさんとする、その狡猾極まる偽善と、本仏大聖人に対する罪業は、大いなるものであります」と。
4月7日
 宗門、宗務役僧(藤本日潤師)等、高橋公純師を呼びつけ再度台湾から手を引くことを促す。
4月8日  山崎正友・内藤国夫、国際正法協会(※)の顧問となる。
(※ いわゆる「新新宗教」「第三次宗教ブーム」の代表的な団体の一つ、GLAから派生した集団のなかでは比較的大きく、1000人以上の会員を有した )
4月11日
 宗門、台湾信徒に「通知書」を発表。
「高橋公純が宗門の許可なく渡航し、しかも宗門の方針に違背して行なう一切の活動は、日蓮正宗の布教ではなく、日蓮正宗僧侶としての信仰の筋目から外れ、宗門から脱退した者の勝手な行動と見なします」と。
4月11日  創価学会、各部代表幹部会、秋谷栄之助会長「日顕は"折伏ゼロ寺院"を、口汚く罵り、講頭を集めて、苛立ちをぶつけていますが、もはや、末期的症状以外の何ものでもありません。... 権威におごる日顕の滅亡の時であると、断ずるものである」と。
4月15日
 正信会、議長に水谷秀旭師(仏世寺)が就任。
4月16日
 宗門、高橋公純師、宗務院に反抗して台湾 "蓮葉講" を結成。
4月19日  創価学会、創価新報、「山崎正友の"エセ懺悔"でますます深まる『相承疑惑』」を特集。
4月23日
 顕正会、四十万達成。
4月26日
 顕正会、4月度総幹部会開催(川口総合文化センター)、4月度折伏成果 5,200名。
 浅井昭衛会長「濁乱の世に大聖人の御心のままに戦う白蓮華のごとく四十万の『仏の軍勢』が出現した。… いま日本国の中において国家安泰の法を知るのは、国立戒壇建立の御遺命を守り抜いた顕正会以外に断じてない。この顕正会が、いよいよ百万の大路線を確定し、御本仏の立正安国の師子吼を一国大衆の耳に入れしむるその準備に入るのが、今回の大総会である」と。
4月26日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「人間以上の人間はいない。宗教が、ずる賢く、人間を人間以上のものに見せようとするとき、邪教になっていく。その最大の証拠が『日顕宗』である。『特別の人』などいない。いるはずがない」と。
 秋谷栄之助会長、本部幹部会の席上"シアトル事件"に言及、事件に立ち会った元警察官・スプリンクル氏が当日の状況を克明に語っていた旨を発表。
4月28日
 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。浅井昭衛会長、報恩抄の一節を引き「立宗の前に四十万の弘通を成し遂げることが叶い、大聖人様の大悲願力に一分でもお応えすることができたと思えば有難さがこみ上げてくる。大聖人は『日本乃至漢土・月氏・一閻浮提に... 』と仰せられているが、漢土・月氏・一閻浮提の広宣流布はさておき、日本の広宣流布だけは、なんとしてもこの顕正会が御奉公させて頂かなければならない。顕正会は大事な時に生まれ合わせている」と。
4月28日  創価学会、池田大作名誉会長、「釈尊は、詩をもって友を励ます『桂冠詩人』でもあった」と、"現代の仏陀" を気取る。
4月30日
 宗門、高橋公純師、本応寺を退出し富士市に居を構える。
5月4日
 本山・保田妙本寺(鎌倉日桜師)、遠本寺・顕徳寺と共に、日蓮正宗を離脱。
5月11日
 宗門、法光寺本堂移転法要、阿部日顕管長「第三代の池田大作という人間は、自分中心の立場から日蓮大聖人の仏法をことごとく利用し、その上に本末顛倒の大邪見と推尊入卑の卑見をもって日蓮正宗を徹底的に打ち破ろうとしておる大莫迦者でありまして、これほどの大謗法はないのであります」と。
5月13日  中外日報、東洋哲学研究所・松戸行雄欧州研究部長「日蓮正宗宗義からの脱皮を目指して」と題する論文を掲載、「戒壇の大本尊(モノ)の絶対化は後世の捏造」と。
5月15日  中華人民共和国、地下核実験を実施。
5月16日  オウム真理教、麻原彰晃逮捕さる。殺人を肯定し、信者を利用して国家転覆を最終目標とする一連の事件を起こし、地下鉄サリン事件の首謀者として逮捕された。
5月17日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長、「人間・ブッダ」を強調し「『自ら動こう』『自ら出会おう』『自ら語ろう』これこそ、釈尊の行動であった。ここにこそ人間としての正道があり、真実の仏法者の誉れがある。これが、創価学会の『前進のリズム』である」と、釈尊を礼讃。
 秋谷栄之助会長、"保田妙本寺離脱"・"高橋公純反逆事件"を挙げ「日顕の絶対的権威による支配は足元から揺らぎ、宗内僧侶の精神的動揺は、急速な"日顕離れ"となって広がっております。... 日顕は、宗内の統制もとれずだれも信用できず、露骨な一族主義をとり、完全に追い詰められてきております。日顕宗は、今や崩壊の崖っぷちに立たされております」と。
 創価新報、高橋公純師(本応寺)の反乱を特集。
5月21日
 顕正会、第26回総会、横浜アリーナで挙行、「十万人の大行進で『国会請願』を」、3万人が結集。
 浅井昭衛会長「勤行と、折伏と、国立戒壇、この三つを忘れなければ、必ず生活は守られ功徳が出てくるのであります。この三つも、所詮は一つの信心から出て来る。… 大石寺にまします戒壇の大御本尊に対し奉る純粋一筋の信心から発するのであります。…
 世界広布のカギはどこにあるかといえば、それは日本の広宣流布にある。… では、日本の広宣流布のカギはどこにあるのか。… 顕正会がいよいよ百万達成するところにあると、私は確信しているが、皆さん、どうでしょうか。(大拍手) … では、この百万を、いつまでに達成するか。本日の大総会で、全員でこれを決め、大路線を明確にしたい。私は、この百万を今から七年後の平成十四年までに、断じて達成しようと決意しているが、皆さん、どうでしょうか。(大拍手)
 一昨年顕正会は、自界叛逆・他国侵逼の影日本に迫るを見て、一国広布の出陣式を致しました。この時大聖人様に誓い奉ったその重き誓いを、私は一日として忘れたことがない。そして三災七難は、本年に入っていよいよ激しさを増してきました。まず日本列島が大地動乱の様相を示してきた。その幕あけが1月17日の阪神大震災だったわけであります。そしてついに今、自界叛逆すなわち内乱が、すでに影ではなくてその姿を現してきたではないか。それが日本国中を震撼させた、あのオウム事件であります。オウム事件は国家転覆を企てた内乱であり、この自界叛逆を見て他国侵逼も疑うべからずであります。他国侵逼がひとたび起これば国は亡ぶ。大聖人は『諫臣国に在れば其の国正し』と仰せられている。顕正会は諫臣の使命を果たさなければいけない。…
 では、この国家諫暁を、どのような形で行ったらいいのか。私は、国会請願の形を以て行うことが、最も適切と思っている。… では、これをいつ行うか。私は、百万達成のときと、心に決めている。… 十万人の大行進を以て国会議事堂周辺を埋め尽くし、この請願書を堂々と提出しようと決意しているが、皆さん、どうでしょうか。(大拍手) …
 前々から言っていた『大聖人様がお待ちあそばす大法戦場』とは、このことであります。この国家諫暁により、国立戒壇建立の最終段階の戦いは開始される。顕正会のたゆまぬ死身弘法と、連々たる国家諫暁の赤誠がついに大聖人の御心に叶うとき、御本仏の御威徳により、広宣流布は一気に成る」と。(「冨士」第366号 )
 ビデオ放映、「日蓮大聖人の御遺命と顕正会の使命
 宣誓、理事・壮年部長 横田高明「両眼滝のその日まで
 代表決意、男子部長 浅井克衛「誰人が御遺命を守り奉ったのか
 理事 加藤礼子「四十万法城ついに成る」、顕正会員 全国分布図
5月21日  創価学会、池田大作名誉会長、ハイネの詩をかりて宗門批判。「たとえば『坊主の祈り』。民衆を見下し、虚勢を張り、偉ぶって、信者に服従を強要する工セ聖職者がいる。そのような悪党の祈りが何の役に立つか。皆、同じ人間ではないか。また『時代遅れの弁論』や『気取った詭弁』など信じてはいけない。彼らは何もわかっていないのだ」と。
5月25日
 宗門、全国教師・寺族指導会、阿部日顕管長「今の日蓮正宗の僧侶、特に若い人達は、かなり暇な中において何をしているんだってことを考えた方が良い。... 毎日毎日オウム真理教のテレビを見たってしようがない。我々が今ここで朝から晩までテレビにかじりついて見るべきものじゃないんだ、あんなものは !」と、僧侶の無気力を憤る。
 静岡県当局、大石寺へ立ち入り調査。大気汚染防止法に違反する、欠陥ゴミ焼却場が発覚。
5月25日
 顕正会、本部会議、本部会館で開催。
 浅井昭衛会長、大総会の講演の要点について「一には、使命ある顕正会員としての信心の在り方。二には、百万の大路線の確定。三には、今まで胸に秘めていた『大聖人様のお待ちあそばす大法戦場』とは何かを、初めて明かしたことである。…
 いま他国侵逼を前にして、誰人が、仏様の使いとして立正安国の師子吼を一国上下の耳に入れしめるのか。御遺命を破壊した学会にその資格があろうか。学会に諮って御遺命を売り渡した今の宗門に国立戒壇を訴える資格があろうか。顕正会以外には、あるべくもない。ならば立たねばならぬ。顕正会たとえ身は卑しくとも、日目上人の御出現まで、あらあらその先序を承って、なすべき御奉公をせねばならない。信じようと信じまいと、わかろうとわかるまいと、耳に入れしむるのだ。聞かないのは日本一同の罪、言わないのは仏弟子の罪である。大聖人様の御心のままに毅然と諫める者あれば、他国来難を機として『ただをかせ給へ、梵天・帝釈の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし』の御金言は事相となる。まさしく国家諫暁から、国立戒壇建立の最後の戦いが始まる。全顕正会員は、『戦闘すること有りし者、歓喜すること有りし者』の御金言を身読できることを喜びとして、大法戦場めざし、勇躍前進を開始しようではないか」と。
5月26日
 宗門、寺族同心会大会、阿部日顕管長「お寺の奥さん」の心掛けを説く。
「最近、お寺の奥さんの言動に問題があるということを聞きました。つまり、奥さんの言動によって御信者に不快な思いをさせることがあるようなので、… 住職がいない時、特に在勤者のいない寺院は常に奥さんが信徒と接触するわけでありますから、奥さんの心や態度が、直ちに御信徒の心に伝わるのであります。
 例えば『よくおいでになりましたね』というひとことにおいても、心の底から御本尊様に対する御信心を持った方が見えたのであるという気持ちからそういう言葉が出れば、信徒の方も『このお寺へ来ると、あの奥さんにお会いしてすがすがしい』とか『もう一遍来たい』というような気持ちが起こると思います。それに対して、『本当にいやになってしまう。あの奥さんの顔を見ると何かおもしろくないから、もう二度とあのお寺には行きたくない』ということがあれば、その寺族の方がついうっかりした形のなかで法を下げ、大法の流布を阻害しておるということがあると思うのであります」と、"寺は女房で持つ"ことを強調。
5月29日  本門法華宗大本山・妙蓮寺、宝物館通気口から強盗が侵入し「文永十二年」の大聖人御真筆御本尊を強奪。全国各地で、御真筆御本尊の盗難事件相次ぐ。
5月31日  創価学会、全国県長会議、秋谷栄之助会長、宗内で阿部管長批判が高まり自壊作用が始まり出しているとして、「追撃の手を緩めることなく戦っていこう」と促がす。
 野崎勲副会長、対談集「日本における宗教と政治」の中で、国立戒壇について「学会としては、昭和40年、大石寺に正本堂を建立寄進しようと決めたときに、戒壇は"国立"である必要はない、"民衆立"で建てる旨を明確にしたのです。それは当時の本山の日達法主が、学会が建立寄進しようとしている正本堂こそ、『三大秘法抄』で説く末法の戒壇であることを明らかにしたからでもあったからです。ですから、この時点で、基本的にはもう国立戒壇はやらない意識でいるわけです。"民衆立"の戒壇と宣言しているのですから …
 日蓮正宗の側で教義的にも国立戒壇を公式否定したのです。昭和45年の5月3日に、当時の日達法主が学会の本部総会に出席して、当宗では国立戒壇は使いません、致しません、必要ありません、と表明しました。また、文部省にも同年4月、国立戒壇否定の公式見解を出したのです」と。
6月1日
 顕正会、「日蓮大聖人御書全集」の編纂始まる。
6月6日
 宗門、阿部日顕管長、大石寺に日蓮宗僧侶一行を招く。高野日海師、蓮葉庵で田中日淳貫首をもてなす。
 阿部日顕管長、山崎正友と極秘会談。
6月6/22日
 顕正会、第26回総会ビデオ放映開催。(全国456会場)
6月11日
 顕正会、高崎事務所、開所式行う、「群馬こそ日寛上人御出生の地
 浅井昭衛会長「本日お出ましの御本尊様は、総本山第五十五世日布上人が、相承の心血を傾けて戒壇の大御本尊を書写し奉られたものであれば、この御本尊を即戒壇の大御本尊と拝し奉り、しっかりとお題目を唱えるように。…
 この群馬こそ、日寛上人の御出生の地ですね。… 前橋で日寛上人はお生まれになられた。私は日寛上人の御指南を『絶対』と信じております。私が御遺命守護の御奉公に立てたのも日寛上人の御指南あればこそでありました。そしてこれからなさんとする御奉公も、日寛上人の御指南あればこそできるのであります。この日寛上人が最後に教えて下さったことは『理屈抜きにお題目を唱えよ』ということです」と。
(※ 昭和59年8月19日、高知会館落成御入仏式で浅井昭衛会長は「松本尊能師には私の意をよくお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊7幅と、日寛上人の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この7幅の常住御本尊とは、28代日詳上人、54代日胤上人、55代日布上人、56代日応上人、60代日開上人、64代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうち日布上人の御本尊が高知会館に安置されたのである」と述べている。(「顕正新聞」昭和60年3月15日号 )
 この7幅の常住本尊について、元顕正会本部職員によれば、28代日詳上人:芙蓉会館に安置、54代日胤上人:法要に使用、55代日布上人:高知会館・横浜会館に安置、56代日応上人:顕正寺に安置、60代日開上人:顕正会本部に安置、64代日昇上人:未公表、としている。
 松本日仁師から託された日布上人の常住本尊は、すでに他の会館に安置してある。高崎事務所にどこからか、真新しい日布上人の大幅形木本尊が現れた、ということである。櫻川 忠 )
6月21日  創価学会、創価新報、大石寺・南之坊「蘇生講」分裂の記事掲載。
6月24日  山崎正友、国際正法協会の講演会に講師として出席。「私は教団組織にとらわれず、自由な立場で活動している。日蓮正宗に対しても同様。五重の相対とは天台が立てた法華経最第一としての原理。大乗非仏説があるように、法華経も釈迦が説いたとは云えない。正法協会に入会はしていない。ただし園頭先生は師匠で、私は弟子」と。
 また宗門について、「本当に純粋に信仰し、学んでいる僧侶というのは、本当にごく少数で、後は、皆金のためにやっているような僧侶が多く、イヤ気が差している」と。
6月26日
 顕正会、6月度総幹部会開催(川口総合文化センター)、「宗門はどこまで腐っているのか」、6月度折伏成果 5,129名。"入信手続の改革" 発表さる。
 浅井昭衛会長「従来は、入信者が願主となって自ら入信願書に署名・捺印をした。しかし今度はこれを止めたのです。ではどうするかというと、折伏をした紹介者または入信勤行に立ち会った班長以上の幹部が、入信勤行がこのように確かに行われましたということを、報告書に記入して本部に提出するということになったわけであります。なぜ、入信者の署名・捺印を止めたのかというと、この濁悪の世においては、「署名・捺 印」ということは、不必要な誤解あるいは疑心暗鬼を相手に懐かしめる恐れがあるからです。… 大事なことは、信心を実践させることである。署名・捺印した一枚の入信願書に価値があるのではない。不必要な疑心暗鬼を与えることを除き、まず仏法を実践させ、功徳を頂かせることが大事なのです。これが末法濁悪の世における、時に叶った弘通の方法であると私は確信しておりますが、どうでしょうか。(大拍手)
 ついで、3月13日付の「建白書」に対する阿部管長の対応に言及、「先方からは顕正会に対して、何の返報もありません。しかし阿部管長は … 翌日の3月16日、全国宗務支院長会議において、… こんなことを述べておりました。
『宗門から破門された団体などが、このようなことに付け込んで、宗門の今までの在り方を毀謗しつつ、建設的な形で何かを言ってきておるような向きもあるようであります。… 』
 これを読んで、私は悲しくなった。… 下劣なものは、下劣な推測しかできないのです。… 私は、顕正会の悪口なんかいくら言われても何とも思わない。… 阿部管長は一日も早く、自らの責任において、免震構造の新御宝蔵を速やかに建設すべきであります」
 さらに阿部管長が池上本門寺の僧侶を大石寺に招き、正本堂まで見学させていた謗法与同を厳しく糾弾、「宗門はどこまで腐っているのか。… 大聖人様の御心に応え奉るものはもう顕正会以外には絶対ない。新御宝蔵の建設も、御本仏の立正安国の師子吼を一国に聞かしめるのも、顕正会が御奉公申し上げる以外には絶対ない」と。
6月26日  東京地方裁判所、"シアトル事件" 裁判でヒロエ・クロウ夫人の証人採用を決定。
6月28日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長、阿部日顕管長と山崎正友の密議を暴き「ペテン師・山崎と、またまた懇談した日顕は、まさに貧乏神とともに奈落に転落する末期症状という以外ない」と。
6月30日  東京地方検察庁と東京都、オウム真理教の法人解散請求を東京地方裁判所に申請。
7月1日
 顕正会、冨士「実践の教学」、副男子部長 小泉修「三障四魔と仏道修行
7月1日  創価学会、第三文明、「シアトル事件の決定的証人登場で日顕の『断末魔』の叫びが聞こえる」を掲載。(「同」7月号 )
7月1日  現代仏教 (身延派布教誌)、「大石寺研修参拝記 ― 他宗には門戸開かぬ大石寺に柔軟性」を掲載。(「同」7月号 )
7月3日
 宗門、富士学林大学科の僧侶、研修旅行で鶴岡八幡宮・竜口寺・安国論寺などを訪問。
7月4日  中央公論、池田大作名誉会長の「衆院出馬理由の変節」を掲載。
「本当は私は衆議院にはだしたくなかったんですよ。それは、戸田会長が『衆議院にはださないほうがよいと思う。出すとお前が誤解される』といっていました。しかし、当時の議員たちが『衆参両院なければ本当の政治はできない』といいはじめた。だから、これも時代の流れ、社会と人心の動きというものと思い、時代に即応してゆくことが正しいと判断したものです」と。(「同誌」4月号 )
7月5日
 宗門、阿部日顕管長、高橋公純師(本応寺)を、台湾・韓国で分派活動を行ったとして、損斥処分に付す。
7月5/22日
 顕正会、7月度御書講義、「三度流罪御書」を拝読。 (全国323会場)
 浅井昭衛会長「本抄はこれまで『檀越某御返事』と呼ばれてきたが、その内容から『三度流罪御書』とお呼びすることが最も適切である。ちなみに云えば『種々御振舞御書』は『下種本仏成 道御書』、『聖人御難事』は『出世本懐成就御書』とお呼びすることが最もふさわしい」と。
7月5日  創価学会、池田大作名誉会長、ネルソン・ホリシャシャ・マンデラ南アフリカ共和国大統領を表敬訪問。
7月9日
 宗門、夏期講習会、阿部日顕管長「(勤行の心構えについて) みなさん方もね、ひとつ御本尊様にお題目を唱えるときにね、いろんなこと考えていいんですよ、考えていいんですよ。いろんなことが頭に浮かんでくるでしょ。もうね、もう、とんでもない変なことも浮かんでくる。エッヘッ。それは、その浮かんでくるみなさん方の現在の境界なんです。ねっ。それでいいんです! 増毛したいな! と、もし、思ったら、それはそれでいいんです! いや、ほんとに … 自分自身、この大良薬であるということを感じながらお題目を唱えるとだね、またこの、感じないで、全然、とんでもないこと考えてるよりは、チッといいですよ。デッヘー。まっ、チッとか、たくさんとか知らんけど、とにかくいいんです。まっ、私も体験上、ついでですから、このことについてちょっと申し上げておるわけであります」と。
7月15日  オウム真理教、銃密造計画 (自動小銃一千丁・弾百万発) 発覚。
7月16日
 山崎正友、宗門復帰。
 大石寺元フードセンター、第三工場から出火。
7月19日  創価学会、創価新報、宗門の「護法局寄付金」(総額五十億円)が、援助寺院の急増と訴訟関係費の増大で元金崩れを始めたと報道。
7月20日
 宗門、元創価学会副会長・福島源次郎、法道院・正蓮講に移籍。
7月21日
 宗門、阿部日顕管長、丑寅勤行の直前に所化三人を中啓でメッタ打ち。
7月23日  第17回参議院議員通常選挙、新進党が自民党に迫る議席を獲得、選挙区・比例とも得票率で第1党となり躍進した。新進党は 1,250票を獲得、自民党の 1,100万票を上回った。自民党は議席を増やしたものの、参院過半数の回復には届かなかった。
7月26日
 顕正会、7月度総幹部会開く (川口総合文化センタ ー)、7月度折伏成果 4,912名。広布御供養 と機関紙推進の実施方法改革。
 浅井昭衛会長「今後、広布御供養は十二月、機関紙講読推進は五月の年一回にする。…
 いま私が見つめているのは、七年後の百万達成だけである。宗門・学会の腐敗堕落を見るに、もう大聖人様の御心に応え奉るものは顕正会以外にはない。その顕正会が大聖人様のお待ちあそばす大法戦場に遅れたら申しわけない。しかし焦る必要はない。男子部・女子部の班は二名、壮年部・婦人部の班は一名を誓願として、折伏の月ごとにこれを成しとげていくならば、七年後の百万は必ず成る」と。
7月 日  東京高等裁判所、創価学会員による遺骨毀損裁判で、寺院側の逆転勝訴の判決。
 寺院に預けていた遺骨を引き取ったところ、勝手に骨壷を小さくされたうえ、入りきらなかった遺骨を処分されたとして、創価学会員が寺院を相手に慰謝料を求めた裁判。 一審では、創価学会員側の主張を鵜呑みにし、寺院側に慰謝料の支払いを命ずる判決が出された。。二審においては、葬儀記録の証拠に基づき寺院側の逆転勝訴となった。
8月8日  村山改造内閣発足。村山富市、第81代内閣総理大臣に任命さる。
8月9~13日
 顕正会、男子部合宿研修会開く (富士箱根ランド)。
 浅井昭衛会長、全体集会で日胤上人書写の「御大事守護の御本尊」のいわれに言及、「全班長は、私と同じ気持ちになってもらいたい。共に喜び、共に憂え、共に広宣流布の前進に責任を持つ班長になってもらいたい。… 私は顕正会男子部を誇りに思っている。あと二十年、苦楽を共に戦い抜こう」と。
 浅井昭衛会長、「二十一世紀こそ広宣流布の時」と題し、特別講義を行う。
8月10日  中外日報、野崎勲副会長「創価学会は国立戒壇を明確に否定」の記事を掲載。
8月12日  創価学会、池田大作名誉会長、マハトマ・ガンジー民衆福祉財団から "現代においてガンジー主義を実践し、世界の平和に顕著な貢献をした人物" として「ガンジー賞」を受賞。
8月15日  第50回終戦記念日、村山内閣総理大臣談話『戦後50周年の終戦記念日にあたって』を発表。
「平和と繁栄を築いた日本国民への敬意と諸外国への感謝」「平和友好交流事業の展開と戦後処理問題への対応」「植民地支配と侵略への謝罪」「核兵器廃絶など国際的軍縮の推進」の四つの部分からなっている。とくに第三の部分では「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と公式に植民地支配と侵略を認め、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ち」を表明した。
8月20日
 宗門、柳沢喜惣次・法華講連合会委員長、大修寺青年部を引き連れ身延に参詣。
8月23日
 宗門、教師指導会、阿部日顕管長、地震対策を理由に大客殿取り壊しを発表。(解体費用 五億円)
 藤本日潤総監、 "折伏不振の末寺には資金援助をカットする" 旨を発表。
「本年度におきましては、宗務院といたしまして、折伏の上がらない寺院を対象として宗務院に招集し、ベテランの方々の応援をいただいて、実態に応じてのきめ細かな、ときには懇切丁寧な、ときには厳しい指導をおこない、いわば対症療法を示した処方箋を出してあげて、これに向かって精進、努力するよう指導して参りたい。... しかしそのうえで、数年間経過を見守り、なおかつ依然として向上、発展が見られないところにつきましては、その時点において改めてつぎの段階への処置を考えていく。…
 なおまた、援助寺院に対する援助の在り方ということにつきましても、これまでも援助の方法、内容等がその寺院の発展のためには、かえってマイナスに働いているのではないか、すなわち、依存体質を助長せしめる結果を招いているのではないか、このように思われる。そういう面があるということから、援助の在り方をいかにすればその寺院の自立、発展の方向へと促進することができるかという点に主眼をおいて、その立場からの検討、見直しを進めるべく鋭意準備中であるということを申し上げておきます。いまでは、一定の基準の条件に合致しさえすれば安易に援助してしまう、そういうかたちがあったわけでありますが、これを改めて、今後は個別的に正しい実情、実態の把握につとめ、その事情、実態に即した適切な指導をおよぼしながらの適正な援助を目指してまいりたい、このように考えているところであります」と。
 ちなみに、藤本日潤総監が住職を務める常泉寺も、年間折伏は数名である。
8月26日
 顕正会、8月度総幹部会開く (板橋文化会館)。 浅井昭衛会長「七年後に日本の広宣流布の鍵たる百万ができるのなら、本格的前進の最初の月・9月に、その瑞相の現われぬはずは断じてない」と。
8月28日 ~  9月1日
 顕正会、女子部合宿研修会開く (富士箱根ランド)。
 浅井昭衛会長、全体集会で「女子部大会を平成8年3月10日、国立横浜国際会議場で開催する。日本一の顕正会女子部の姿を堂々と内外に示してほしい。女子部は顕正会の弘通において、常にその先陣を切っている。私はそのけなげな信心を、いつも有難く思っている」と。
 浅井昭衛会長、再度「二十一世紀こそ広宣流布の時」の特別講義を行う。
8月29日
 宗門、毛利博道師(妙通寺、元・韓国指導教師)、外国為替および外国貿易管理法違反で名古屋簡易裁判所から罰金刑を受ける。
8月31日  龍年光事務所、創価学会員に襲撃さる。8月31日午後、元公明党都議・龍年光の事務所(東京・五反田)に、日本刀と長さ1メートルのバールを持った池田大作の四男を名乗る男が押し入る事件が発生。
9月1日
 宗門、大日蓮、「総本山諸堂宇の地震対策ならびに大客殿の問題」を発表。(「同」9月号 )
9月1日  創価学会、第三文明、「希代のペテン師・山崎正友に翻弄される阿部日顕の右往左往」を掲載。(「同」9月号 )
9月1日  反学会活動の朝木明代・東村山市議会議員、転落死。この事件に関わった3人の検察官は、のちに創価学会員であったことが判明。
「平成7年9月1日22時頃、東村山市議会議員の朝木明代が西武鉄道東村山駅の駅前のロックケープビルから転落死した事件。東村山警察署は自殺と断定、事件性はないとされたが、朝木が創価学会の脱会者の救済活動をしていたこと、議会において創価学会・公明党を追及していたことから創価学会による関与を示唆する動きがあり、政界、宗教界、マスコミ、遺族等を巻き込んだ一大騒動に発展した」(Wikipedia)
9月5/22日
 顕正会、特別講義「二十一世紀こそ広宣流布の時」ビデオ放映開催。(全国352会場)
9月5日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「2005年(平成17年)5月3日までを "本門の十年"」と発表。
 秋谷栄之助会長「日顕は既に登座以来、先師・日達上人の建てた六壺を取り壊し、大化城を取り壊し、大坊の「流の庭」を壊し、総坊前の桜をメッタ切りにするなど、先師・日達上人の事跡について、ことごとく破壊してきた。そして今また、あの壮大な大客殿も破壊し、あげくの果ては、やがて奉安殿、御宝蔵までも取り壊す予定のようである」と。
9月11日  創価学会、池田大作名誉会長、ロシア科学アカデミー東洋学研究所から「"釈尊の精神"を蘇らせた」としてサンスクリット語「法華経」初版本と、ペドロフスキー本「法華経」を贈らる。
9月11日  大韓民国、ソウル新聞、「北朝鮮が今世紀中に実用化するテポドン2号は、米本土を射程にしている」と報道。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会奉修 (本部会館)、「崇高・厳粛なる下種御本仏の成道」。
 浅井昭衛会長「日蓮といゐし者は、去年九月十二日、子丑の時に頸はねられぬ...」の御文につき、「この地球上において、一人の大聖人が成道を遂げ給うたことは『一迷先達・以教余迷』、すなわち全人類の成仏の道が開かれたことを意味する。…
 いま広布前夜、人類の危機刻々と迫るとき、この日蓮大聖人の崇高なる御徳を、御本尊の大功徳を、一切大衆に教え、広宣流布を進めなければいけない。このことを為すものはもう顕正会以外にはない」と。
9月12日  大客殿設計者・横山公男、同構造設計者・青木繁、宗門に大客殿取り壊し反対の「意見書」を提出。
9月12日  創価学会、地涌、「日顕は、故・日達上人のなされたことを、ことごとく殲滅したいのである。日達上人の建てられた六壺、大化城などの建造物はすでに壊し、いままた大客殿も破壊しようとしている。大坊も近いうちに改築されるもよう。教学上のことについても同様である。故・日達上人の民衆立の戒壇論を否定し、国主立の戒壇論などという前代未聞の面妖な教義を持ち出し、顕正会の国立戒壇論に接近している」と。(「同」879号 )
9月13日  創価学会、地涌、「新客殿建設は顕正会会長・浅井の『建白』を受け入れたもの」と。(「同」880号 )
9月20日  公明党、公明新聞、「"信教の自由"侵す宗教法人法の改悪を許すな」発刊。
9月22日  自由民主党、総裁に橋本龍太郎通産相が就任。自民党総裁選は、河野洋平前総裁の不出馬により、橋本龍太郎と小泉純一郎の争いとなり、橋本龍太郎が第17代自民党総裁に選出された。
9月25日
 顕正会、9月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、「なぜ正本堂の危険を放置するのか」、9月度折伏成果 7,489名。
 浅井昭衛会長、七千突破の大折伏が叶ったことにつき「百万の瑞相ここに現われたり」と。また「建白書」に対する宗門のその後の動向について言及、大客殿の建て替えだけで正本堂を放置する阿部管長に対し「大客殿と正本堂と、どちらが危険な建物なのか。阿部管長は一日も早く免震構造の新御宝蔵を作らなければいけない。いや新御宝蔵を造る間すらも、心が安らがない。さればまず、直ちに戒壇の大御本尊様を安全な堂宇に遷座し奉った上で、新御宝蔵の建建設を進めるべきである」と。
 さらに宗門が身延派布教師八名を大石寺に招き入れ、法華講員に身延詣でまでさせていたことに対し、「いっ たいどこまで腐っているのか。大聖人はこのような不純、このようなデタラメな宗門のあり方を、絶対にお許しにはならない。… すべては顕正会の前進にかかっている。大聖人様の御心のままを叫びまいらせる顕正会が、あらゆる魔障を乗り越えて驀進すればこそ、大聖人様の御威徳は輝き、諸天は動き、誤りは正され、大石寺が御在世の信心に立ち還るのである」と。(「冨士」第370号 )
 本部書記に土屋誠・泉絵里子任命さる。
9月28日
 宗門、阿部日顕管長、北海道親教にて「平成二年、創価学会がもともと抱いていたところの仏法破壊の念慮をもって、宗門を従えんとして再び行動を起こしてまいりました。これに対し、当初、宗門としては非常に消極的な態度ではありましたけれども、その誤りは誤りとして、きちんと注意をしてまいったのであります」と。
9月28日  創価学会、日本キリスト教協議会が主催する「宗教法人法『改正』に反対する緊急集会」で他宗24団体と提携、「さまざまな主張の違いを乗り越えて互いの立場で協力していきたい」と。
9月29日
 宗門、"シアトル事件"で前言を撤回、「日顕上人はホテルから出ていた」との準備書面を、東京地裁に提出。
9月29日  新日本建築家協会(※)、大客殿の存続を求める「要望書」を大石寺に提出。
 (※ 現在は、公益社団法人 日本建築家協会 )
9月29日  大韓民国、空軍参謀総長、北朝鮮のミサイル配備について「フロッグやスカッドなどの地対地ミサイル数百基を配備しており、フロッグは京畿道安養市まで、スカッドは韓国全土を攻撃可能である」と。
9月30日  創価学会、「御書にみる日蓮大聖人の御生涯」(第三文明社)で、「本門戒壇の大御本尊」を隠蔽。
9月 日  マスコミ各社、東村山市議怪死事件を、創価学会と関連づけ一斉報道。
9月 日  創価学会、東村山市議怪死報道で「週刊現代」を名誉毀損で告訴。
10月1日
 顕正会、"芙蓉茶寮"拡充。顕正新聞社第二編集室を設置。
10月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「『人権』と『信教の自由』を守り抜こう」と。
10月1日  中華人民共和国、新疆ウィグル自治区で独立運動活発化。
「省または自治区としては中国最大であり、世界で8番目に大きな国家行政区画である。ウイグル人、カザフ人、キルギス人、漢族、チベット族、回族、タジク人、モンゴル族、ロシア人、シベ族など、多くの民族が暮らしている」(Wikipedia)
10月2日  ヒロエ・クロウ、"シアトル事件"の証人として東京地方裁判所に出廷。
10月3日  横山公男と青木繁、大客殿取り壊し反対の「意見書」を、再度宗門に提出。
10月4/22日
 顕正会、10月度御書講義、「三沢抄」を拝読。(全国304会場)
10月5日
 宗門、"日達上人遺弟"と名乗るグループ、阿部日顕管長あてに大客殿存続の「嘆願書」を送付。
10月8日  創価学会、池田大作名誉会長、滋賀文化会館で「①世間的な罪、反社会的な行為、②権力に迎合、③貪欲、④無慈悲、⑤修行しない、⑥布教しない ―― のゆえに、日顕宗の悪僧は厳然たる仏罰、なかんずく冥罰は絶対にまぬがれない」と。
10月12日  創価学会、秋谷栄之助会長、阿部日顕管長に「日顕の大客殿取り壊しの愚挙を糾弾する」を送付。
10月12日  横山公男、宗内に「大客殿耐震診断に関する記録」を配布。
10月13日
 顕正会、御大会式厳修 (本部会館)、「熱原法華講衆の不惜身命こそ三請・重請
 浅井昭衛会長、文底下種の寿量品における「三誡・三請、重請・重誡」につき講演。
「釈尊が「汝等当信解・如来誠諦之語」と、三たび繰り返されるのが「三誠」。これに対し、弟子一同が「ぜひお說き頂きたい」と請う。… このように弥勒菩薩を首とした一切大衆が三たび「唯願説之・我等当信受仏語」と願い出るのが三請、さらに重ねて「唯願說之・我等当信受仏語」と請うのが重請です。 この弟子一同の三請・重請に対し、仏は重ねて「汝等諦聴・如来秘密・神通之力」と誠められる。これが重誠です。…
 では、文底下種の寿量品における「三誠・三請、重請・重誠」はどのようなものか。すなわち大聖人の出世の本懐たる戒壇の大御本尊建立におけるそれは、どのようなものでありましょうか。結論から先に申します。それは、熱原の大法難の真っ只中、戒壇の大御本尊御建立の十一日前に全門下に下された 「出世の本懐成就御書」(聖人御難事)において大聖人様が、再三再四、不惜身命の深信を門下一同に教誡し給うたことこそ、御本仏の「汝等当信解・如来誠諦之語」の三誠・重誠であり、また熱原の法華講衆の方々が、平左衛門の再三の責めにも屈せず「南無妙法蓮華経」と命かけて唱え奉ったことこそ、「唯願說之・我等当信受仏語」の三請・重請に当る。かくて、 下種御本仏の出世の本懐たる戒壇の大御本尊は御出現になられたのであると、私は深く拝し奉っております。..
 戒壇の大御本尊は、このように身命を捨てた熱原の方々の「唯願説之」により、始めて世に出現されたのです。仏法の道理は、御在世も滅後も全く同じであります。されば、ふざけた信心、不純な信心で、広宣流布ができるわけがない、国立戒壇が建立されるわけがない。戒壇の大御本尊が国立戒壇にお出ましになるのは、法の為には身を惜しまぬ信心、大聖人 に南無し奉る純粋捨身の信心が、宗門に、一国に、みなぎる時以外には、絶対にあり得ない」(「冨士」第371号 )
10月13日  創価学会インタナショナル、教学指導者会議、日蓮大聖人の仏法を「民主主義の大法」と決議。
10月13日  村山富市首相、「日韓併合条約締結当時は不平等」と。
10月15日
 顕正会、顕正新聞、浅井昭衛会長、総本山の地震対策について「談話」を発表、「設計者の耐震診断が信じられるか!!」。
「阿部管長は万事を擲って、急ぎ免震構造の新御宝蔵を建設すべきである。いや、その完工までの期間すら、危険を放置できない思いが胸にこみ上げる。さればまず、直ちに大石寺内の安全な堂宇に遷座し奉ってのち、新御宝蔵の構築に取りかかるべきである。もし安全適切な堂宇が見当らぬときには、大坊の庭に、戒壇の大御本尊のみを厳護するに足る小規模の免震仮宝蔵を大至急建設し、大御本尊を守護し奉るべきである。もし戒壇の大御本尊の御安危をなおざりにし、万一のことあるにおいては、阿部管長の万死を以てしてもその大罪は償い切れない。繰り返すが、この一事は取り返しがつかないのである。時に当ってこれより重大なことはない。まさに一閻浮提第一の大事ではないか。ゆえに 私は、幾たびも幾たびも、直言申し上げるのである」と。(「同」10月15日号 )
10月16日  創価学会インタナショナル、秋谷栄之助がSGI会長代行に就任。
10月17日  創価学会、「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく」との "SGI決議" を公表。
10月17日  村山富市内閣、宗教法人法改正案を閣議決定。
10月20日  創価学会、秋谷栄之助会長、日本外国特派員協会の記者会見で、オウム神理教への破防法適用に反対を表明。
「他の宗教団体との協力はするのか?」との質問に、「創価学会は従来、教条的で閉鎖的な宗門のもと、他の教団との協力関係を持ってこなかった。宗門の拘束を離れた今、私たちは、他の宗教と協力することに努力する方向を打ち出している。... ...今回の宗教法人法『改正』問題で他のキリスト教団、仏教会などの方々との話し合いの場を持ち、協力体制をとることができた」と。
10月20日  公明党、公明新聞、「国家権力による『宗教管理・統制法』の断固阻止を!」発刊。
10月21日  創価学会、聖教新聞、「"SGI決議"の精神を語る」紙上座談会掲載。
 タカハシ・ドイツSGI総合長「日蓮大聖人の『四箇の格言』は他の宗教をすべて否定するというような偏狭な"排他主義"では絶対にない。...... "『他宗』であるから『邪宗』"とか、"自宗が広まりさえすればよい" というような偏狭性は、大聖人の仏法にはありません」と。
10月26日
 顕正会、10月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、10月度折伏成果 4,726名。
 浅井昭衛会長、オウム真理教と創価学会の広布前夜における存在意義について、「オウムは宗教の仮面をつけて国家転覆を狙った犯罪集団 … 学会は大聖人の仏法の仮面をつけて国家乗っ取りを企てる犯罪集団 … この二つは立場こそ違うが、共に広宣流布を妨害しているということから見て、まさに第六天の魔王がこれを為さしめている」として、この二団体が広布を妨げる内外の魔の集団であると指摘。さらに、池田大作が顕正会対策の秘密組織『広宣部』を作り、卑劣な謀略活動をしていたことを白日の下に晒す。
 体育局主任に浅井城衛任命さる。
10月26日  創価学会、池田尊弘 (池田大作の三男)、総務補に就任。
10月30日  東京地方裁判所、オウム真理教に解散命令。
「宗教法人オウム真理教に対し、検察官及び所轄官庁たる東京都知事鈴木俊一は、同法人が一連のオウム真理教事件において … 宗教法人法第81条1項1号、及び同2号に該当するとして、東京地方裁判所に対し解散命令の請求を行った。… 第1審(東京地裁決定平成7年10月30日)は、請求を認める決定を行った」(Wikipedia)
10月 日
 宗門、大客殿解体始まる。
 妙観会 (細井日達管長徒弟グループ)有志、宗内に文書を大量配布。「信徒激減のこの時、何故にあの堅固なる大客殿を五億円もかけて壊す必要があるのか。......御先師の偉業を無に帰す事など絶対に反対である」と。
10月 日  内藤国夫と亀井静香、創価学会批判の宣伝ビラ、一千枚の配布開始。
11月1日
 宗門、大白法、阿部日顕管長「大作が、正本堂を作ったとき、あの正本堂をどうしても『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇にしないとまずかったのです。だから、何とか『三大秘法抄』の戒壇としようとしたわけです。その証拠があります。私は、学会が問題を起こした時に指摘してあります。その頃の『大日蓮』に出ていますが、池田大作は正本堂着工大法要のときに、『三大秘法抄』の文を挙げて話し、そして『この正本堂』と受けている。まさしく正本堂は『三大秘法抄』の戒壇だという意味になります。ということは、だから広宣流布は達成したんだと。そういうインチキなことを簡単に言ったのです。こんなに謗法が多く、こんなに塗炭の苦しみに喘いでいる人間が、末法において無数におるのですよ。そうすると、大聖人様の大慈大悲の広宣流布は、大作によってすり替えられて、あそこのところまでになってしまう。そんな莫迦げた話があるかと言うんです」と。(「同」第443号 )
11月1日
 顕正会、冨士「解説」、「大客殿建て替えめぐり学会猛烈な反対」を掲載。
 冨士「時の話題」、「東海大地震刻々と迫る!!」(小泉修)を掲載。
 冨士「特別レポート」、「疑惑に包まれる創価学会!!」(土屋誠)を掲載。
 冨士、編集兼発行人、遊佐寿美から小泉修に交代。(「冨士」第370号 )
11月2日  創価学会、法華思想懇話会において、天台宗・立正佼正会・日蓮宗の宗教者と交わり、法華経観を語る。
 公明党加須市議・新井孝司の息子、ヤクザ二人を伴って顕正会男子部班長を脅迫および恐喝。
11月3日
 宗門、日達上人遺弟会、"10・3 藤本文書" に反論し「大客殿解体理由の真実を示せ」と迫る。
11月4日  創価学会、池田大作名誉会長、ネパールのシェール・バハドゥル・デウバ首相から「釈尊の教えを最も人類に伝えている人」と讃えられ、「名誉市民」称号を授与される。
 池田大作名誉会長、ネパールで「人間主義の最高峰を仰ぎて ― 現代に生きる釈尊」と題する講演を行い釈尊を絶賛、日蓮大聖人は呼び捨てにする。
11月7/23日
 顕正会、11月度御書講義、「上野殿御返事」を拝読。 (全国360会場)
11月8~10日
 宗門、檀徒獲得が進展しない170人の末寺住職を、総本山に呼びつけて叱責。
11月14日  創価学会、池田大作名誉会長、「現代のヒューマニズム」を体現したとして、マカオ大学から「名誉社会科学博士」を受ける。
11月14日  大韓民国、金泳三大統領、「この際、(日本の)態度を必ず改めさせる」と、激しく対日批判。
 村山富市首相、金泳三大統領に「日韓併合条約は不平等な関係の中で結ばれた」旨を記した謝罪の親書を送付。
11月15日
 顕正会、日目上人御報恩勤行会奉修 (本部会館)、「身を捨てて大聖人の御命を奉ず
 浅井昭衛会長「日目上人こそ、大聖人の『身命を捨てて法を弘むべし』の仰せを、また日興上人の『未だ広宣流布せざる間は身命を捨てて随力弘通を致すべき事』の御遺誡を実践された御方であり、その御振舞いは "御本仏の御遺命達成に御奉公することかくのごとくあれかし" ということを、後世の私たちに身を以て教えて下さったものである」と。
11月16日
 宗門、全国支院長会議、阿部日顕管長「今年中に檀信徒は全て講員名簿に登録しろ!。… 来年からは最低、世帯の一割は折伏しろ」と厳命。
11月16日  大韓民国、盧泰愚・元大統領、収賄容疑で逮捕さる。
「1993年2月24日の大統領退任後、1995年に政治資金隠匿が発覚した。一審で無期懲役の判決を受け、1995年11月16日にソウル拘置所に収監された」(Wikipedia)
11月18日
 宗門、椎名法宣師(寿海寺)、逝去。
11月23日  創価学会、本部幹部会、「SGI憲章」制定。
「1995年に制定されたSGI憲章は、国際的機構であるSGIが日蓮大聖人の仏法の「人間主義の精神」と「世界市民の理念」に基づき、人権を守り、「非暴力」「寛容の精神」「生命尊厳」という価値観を尊重するとともに、平和・文化・教育への貢献に取り組むことを宣言しています」(創価学会公式サイト)
 秋谷栄之助会長「『信教の自由』を侵そうと策を弄する政治権力に擦り寄っている日顕宗こそ、まさに"亡国の宗"であります。 断じて追撃の手をゆるめることなく戦おう」と。
11月25日
 顕正会、11月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、11月度折伏成果 5,099名。年間弘通 45,912名に達する。
 浅井昭衛会長、創価学会の五大謗法を指摘、「第一に御遺命破壊、第二に戒壇の大御本尊否定、第三に血脈否定、第四に御本仏否定、第五に謗法与同」と。
 さらに、宗教法人法改正をめぐって日本国中の全邪宗・政党が二分して争っていることにつき「これまさに、国家的規模の『修羅と悪竜の合戦』である。この合戦に参加している政治家も邪宗も、すべての者が、あるいは大聖人を軽んじているか、あるいは憎んでいるか、そして国立戒壇にはこぞって大反対である。この濁悪を見て、諸天善神はすでに日本国を捨離している。ゆえにいま大地震は刻々と近づき、恐るべき他国侵逼また刻々と迫りつつある。日本国にこのことを憂えているのは顕正会以外にはない。また大聖人の方人を申し上げ身を捨てる決意を している者も、顕正会以外にはない」と。
11月28日
 宗門、阿部日顕管長、創価学会と創価学会インタナショナルを相手取り、"シアトル事件" で謝罪広告等請求の訴訟を東京地方裁判所に提訴。
11月29日  創価学会、池田大作名誉会長、サハデーブ印度大使と面会し「今こそ、日本は『精神の大国』である貴国に学ばなければならないと私は思っている」と。
11月30日
 宗門、大白法号外、「池田大作・創価学会・SGIを、FBI記録工作疑惑事件で提訴」を特集した"号外"を大量配布。
11月 日
 宗門、御大会・布教講演会、阿部信彰庶務部副部長(大修寺)「現在、私の寺も、なかなか折伏の誓願目標の達成ができずに四苦八苦いたしております。これはひとえに、指導教師たる私の責任であります」と、大修寺で年間9名しかできなかったことを告白。
12月1日
 顕正会、冨士「特別レポート」、「徳島でも元公明党市議が転落死
12月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「人権闘争とは"無明との戦い"の異名であります。人権を奪うものは、魔性であり、サタンである」と。
12月3日  大韓民国、全斗煥・元大統領、光州事件の "反乱・内乱罪" と、不正蓄財疑惑の追及を受け逮捕さる。
12月4日
 宗門、群馬布教区親教、阿部日顕管長「皆様方のお手元にも、ぼつぼつ『大白法』の号外が届くころと思いますが、今回、クロウ事件(シアトル事件)に関連して、宗門から新訴を提起しました。私としては、あのような創価学会の捏造による、謂われのない誹謗・中傷であるクロウ事件について、やはりその邪悪を矯す意味において、また、宗門の人達も日蓮正宗と大石寺の正しい筋目を明らかにすべきということから ......無いもの(クロウ事件に関する「連邦政府記録」)を有ると発表したのですから、そこにはなんらかの謀略があったはずでありますので... ...」と。
 阿部日顕管長、群馬親教の帰りに早瀬義寛(法道院)・舟橋泰妙(無量寺)・野村法慎(覚王寺)を引き連れ、温泉豪遊。
12月4日  創価学会、秋谷栄之助会長、参考人として国会に招致さる。第134回国会、"宗教法人等に関する特別委員会"、参考人は以下の通り。
 神社本庁総長 岡本健治、駒澤大学文学部教授 洗建、日本大学法学部教授 北野弘久、創価学会会長 秋谷栄之助、善隣教教主 力久隆積、全国霊感商法対策弁護士連絡会事務局長 山口廣。
 秋谷栄之助「日蓮正宗の教義を信仰するということでは、私どもは今、日蓮正宗とは現実に関係を絶っている。そもそも日蓮正宗は日蓮大聖人の仏法の本義を正しく伝えるがゆえに、宗旨の今日があるはず。だが、現実には僧侶の堕落によって大聖人の正義が保たれていない。腐敗している。これを改革して大聖人の本義にもどさなければならないというのが私たちの立場だ。つまり大聖人の仏法の正義を日蓮正宗の教義とするなら、それを正しく堅持し、伝えているのが創価学会だと確信している。従って『日蓮正宗の教義』という文言を変更する必要はないと考える」
12月6日  創価学会、「日蓮大聖人の人権闘争」のテーマで教学講座開く。
12月8日  改正宗教法人法、「宗教法人法の一部を改正する法律」成立。
 宗教法人法制定後の社会意識の変化と一部の宗教団体の反社会的活動を契機として、平成7年に大きな改正が行われた。主な改正点は以下の通り。
 ① 所轄庁について
 複数の都道府県に境内建物を備える宗教法人及び当該宗教法人を包括する宗教法人の所轄庁は文部科学大臣とされた。
 ② 監督権の強化
 所轄庁は、宗教法人について認証の取消、解散命令の請求などの事由に該当する疑いがあるときには、宗教法人審議会の意見を聞いたうえで宗教法人に対し、報告を求めたり質問ができることになった。
 ③ 事務所備付書類等の義務化
 役員名簿、財産目録、収支計算書などの作成及び事務所への備付けが義務付けられ、また、事業年度終了後にそれらの写しを所轄庁へ提出する義務も定められた。
 さらに、それら備付書類や帳簿について、信者その他の利害関係人による閲覧請求権も認められた
12月10日
 顕正会、体育文化祭開催 (横浜アリーナ)、男子部・女子部の勇壮・華麗な集団演技に満場感動。
 浅井昭衛会長「顕正会のすべての行動は、広宣流布に結びついている。この体育文化祭も、これを成し遂げた情熱と団結が、広宣流布の道を開き、七年後の国家諫暁を成し遂げる原動力となるのである。今の濁悪の日本を見るに、御本仏日蓮大聖人の立正安国の師子吼を、日本国に聞かしむる者は誰なのか。顕正会をおいてあるべくはずもない。この体育文化祭の感激と団結を以て、大聖人様のお待ちあそばす大法戦場めざし、一筋の驀進をしようではないか」 と。
12月12日  中華人民共和国、尖閣諸島における資源探査 (本年5月~6月) が発覚。
12月14日  創価学会、聖教新聞社説、池田大作名誉会長を「釈尊を実践する人」と讃える。
12月14日  村山富市内閣、オウム真理教への破壊活動防止法適用を決定。
 1995年3月20日に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教を、同年5月に公安調査庁が破壊活動防止法に基づく調査対象団体に指定した。同年12月14日、政府は破壊活動防止法に基づく解散指定を請求するための手続きを始めることを正式決定した。
12月19日  東京高等裁判所、オウム真理教に解散命令。
 検察官及び所轄官庁たる東京都知事鈴木俊一は、東京地方裁判所に対し宗教法人法81条1項に基づく解散命令の請求を行った。第1審(東京地裁決定 平成7年10月30日)は請求を認める決定を行い、第2審(東京高裁 平成7年12月19日)も解散事由に該当するとして、1審を支持し同法人の即時抗告を棄却した。
 村山富市内閣、住専処理に6,850億円の公的資金投入を決定。
 住宅金融専門会社(住専)7社は、バブル崩壊で約8兆円にものぼる不良債権を抱えた。住専の母体行が債権を放棄するとともに、負担能力を超えた分は税金で穴埋めすることとなった。
12月25日
 顕正会、12月度総幹部会開く (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長「本年はまさに期を画する年。すなわちオウムや魔民部の逆風を押し返して四万六千という過去最高の折伏を成し遂げた年。また合宿や体育文化祭に見るごとく『妙法の芸術』 『妙法の体育』『妙法の武道』によって、いまだかつてない大歓喜が全顕正会に漲った年であった。顕正会は両眼滝のその日まで、険しく厳しい広布の路を、皆で励まし合いながら心豊かに明るく戦いを進めていきたい」と。
 さらに、北東アジアの状勢が緊迫しつつあること、一瞬のうちに日本経済を崩壊させ世界大恐慌をも招く首都圏直下大地震が迫ることを指摘、「これらの状勢を見るとき、七年後十万人の国会請願の前に、どうしてもその前段階の諫暁の戦いをもう起こさなければならない。私はそれを五十万達成の時と決意している。この五十万を、なんとしても平成九年の前半までに成し遂げたい。もう日本には時間がない」と。
12月27日  新進党、党首に小沢一郎幹事長が就任。
 新進党は、平成7年7月の第17回参議院選挙で、改選議席19議席を大幅に上回る40議席を獲得した。同年12月に行われた党首選挙では、羽田孜や細川護熙らを中心に"小沢外し"の動きがあり、自ら立候補することを決断、長年の盟友である羽田孜と激突し、小沢一郎は第2代党首に選出された。
 
  年表  
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館および全国87会場で厳修。浅井昭衛会長、「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の御文を引き、明年の一国諫暁に言及。
 冨士「年頭の辞」、浅井昭衛会長「日本には時間がない」、「思えば二十一年前、学会と宗門は癒着して国立戒壇の御遺命を破壊し、諫める顕正会を死罪に等しき解散処分に処した。だが今や、両者は泥沼のごとき抗争に陥り、折伏弘通も全く止まってしまった。しかるに死罪を受けた顕正会はいま、ひとり、大地ゆるがす広布の大行進をなしているのである。これほどの不思議があろうか。まさしく御本仏の御守護以外にはない。大聖人が、御遺命を守り奉った顕正会をして立たしめ、戦わしめておられるのだ。
 而して日本を見るに、一瞬にして首都圏を漕滅させ、一瞬にして日本経済を崩壊させ世界恐慌をも招くであろう巨大地震は、刻一刻と近づきつつある。また北東アジアはキナ臭さを増し、台湾海峡と朝鮮半島では、いつ戦争が勃発するかも知れぬ事態になっている。他国侵逼の影は、日ごと歳ごとに濃くなりつつあるのだ。これらの諸情勢を見るに、六年後の "十万人の国会請願" の前に、どうしても、その前段階の諫暁の戦いを、もう起こさなければならない。私はそれを、五十万達成の時と決意している。この五十万は、平成九年の前半までに必ず成し遂げる。もう日本には時間がないのだ」と。
 冨士、時の話題、小泉修「東海大地震刻々と迫る②」掲載。
 冨士、特別レポート③、土屋誠「共産党・宮本書記長宅の盗聴事件」掲載。
 冨士、時の話題、小泉修「音もなく忍び寄るエイズの恐怖」掲載。
1月1日  創価学会、大白蓮華「巻頭言」、秋谷栄之助会長「学会員はこの五年間、反仏法・反社会の日顕宗との精神闘争、反人権・反『信教の自由』の邪悪な勢力との精神闘争に、すべて勝利してきました。今や、創価学会の"開かれた対話"こそ、日本の人権運動の大きな柱として評価される時代になりました」と。(「同」1月号 )
 第三文明、「日蓮大聖人の思想と生涯」において、大聖人の御名を呼び捨てにする。(「同」1月号 )
 創価学会ホームページ「SOKAnet」開設。
1月2日  香港誌「北京の春」、中国共産党が内モンゴル独立に強い警戒感を募らせていることを示す内部文書を掲載。
1月5日
 顕正会、顕正新聞、新春紙上座談会。浅井昭衛会長「いま何よりも心に懸かることは、戒壇の大御本尊様の御安危である。東海大地震と首都圏直下の大地震、これこそ最も恐るべきものなのだ。遠からず、必ずくる。だから私は『早く免震構造の新御宝蔵を』と云っているのである。それが間に合わなければ、大御本尊様をお守りするだけの、小さな免震仮御宝蔵だけでもすぐ建てなければいけない。御開扉のことなどは考える必要がない。恐れ多いではないか。日興上人・日目上人の上代には御開扉などはなかったのだ。ただ広布の時を待って、秘蔵し奉っていたのである。その御精神を思えば、営利の具とするようないまの御開扉は、いかにも恐れ多い。大聖人様の御意に叶わない。ただ秘蔵し奉って死身弘法しなければいけない。何よりも喫緊の大事は、戒壇の大御本尊様を大地震よりお守りすることだ。これこそ一閻浮提第一の大事ではないか。阿部管長はいったい何をやっているのか。私は深い鬱念と憤りを持っている。…
 宗教の正邪が個人の幸不幸、国家の盛衰に根本的に影響を持つことが認識できたら、邪教を取締り正法を擁護することは、国家の義務となる。これが立正安国論に説かれる守護付嘱である。いま富士大石寺を除いて、他の一切は亡国・堕獄の邪法である。戒壇の大御本尊以外に成仏の法はない。ゆえに一切の邪法を捨てて、戒壇の大御本尊を守護し奉る。すなわち国立戒壇を建立する。このことに目覚めた宗教法人法こそ、究極のものだと私は思っている。これを目指して諌暁するのが、顕正会の使命である。明治憲法は国家神道という毒を取り入れていた。現行憲法は毒を捨てたが薬も用いない。そして広宣流布の時の憲法は三大秘法の薬を用いる。これが時代の大きな流れである。まさに今はその過渡期にある。…
 すでに諸天は日本を捨離している。だから三災七難は、年を逐って激しくなる。日興上人が申状に仰せのごとく『法華本門を建てられざるの間は、国土の災難日に随って増長し、自他の叛逆歳を逐うて蜂起せん』ということになるのである。私がいま最も恐れ憂えているのは、巨大地震と他国侵逼である。その足音が、聞こえてくるようだ。私は五十万達成が、次の大きな節だと思っている。この五十万を、来年平成九年の前半までには、必ず成し遂げる。十万人の国会請願の前に、どうしてもやっておかねばならぬことがある。それを、五十万達成と同時にやろうと私は決意している。日本に、もう時間はない。だから急ぐのである」と。(「同」1月5日号 )
(※ 浅井昭衛会長が「すでに諸天は日本を捨離している」と断言して、令和4年現在、すでに26年が過ぎている。浅井会長の "脳内妄想" かもしれないと、顕正会員は検証してみた方がよいだろう。櫻川 忠 )
1月5日
 顕正会、新年幹部会、本部会館で開く。浅井昭衛会長「これから年々、新尼抄に仰せの一つ一つが事実となってくる。私は新尼抄の仰せを拝するとき、『もう日本には時間がない』ということを、ひしひしと感じる。ここに御遺命を守り抜いた顕正会こそ、大聖人様のお遣いとして、聞こうと聞くまいと、全日本人の耳に御本仏の立正安国の師子吼を聞かしめなければならない。その立正安国の師子吼とは何か。『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』ということである。......
 この大聖人の重き仰せを、日本に大災難の起こる前に、全日本人に告げ知らしめなければならない。前もって言っておけばこそ、事の起きたとき、人々は始めて気がつくのである。このことこそ、十万人の国会請願の前に行なうべき、第一段階の国家諫暁であると、私は心している。顕正会の御奉公は、常に折伏によって、その道が開かれている。明年五十万達成のとき、いよいよ国家諫暁の第一段階の戦いは始まる」と。
(※ この "十万人の国会請願" は、どこに行ってしまったのか …。その釈明は、耳にしたことがない。櫻川 忠 )
1月5日  村山富市首相、突如辞任。
「私は、本日、内閣総理大臣を辞任することを決意いたしました。… この一年半というのは、最初の半年は主として税制改革やら、年金改革やら、あるいは政治改革といったような問題について決着をつけるべく努力をしてまいりました。年が明けてから、昨年になりましてから、これまた思いがけなく一月十七日には阪神・淡路の大震災がございました。六千人を超える方々が亡くなられた。このことは私の脳裏から離れません。… また、三月には地下鉄サリン事件等、一連のオウム事件がございました。…
 当面する内外の諸問題についても積極的に取り組んでいただきたいという思いで私は新たな年に、新たな出発をしてもらうという意味で、人心一新を図りたいというふうに決意をしたところでございます。なお、これまで一年半、今まで申し上げましたような難題を処理出来たのは、何と言っても三党連立政権ががっちりとスクラムを組んで、お互いに主張すべきは主張し合い、忌憚のない議論を深めながら合意点を見出して政権を支えてきた、その基盤が大きな力になったということは申し上げるまでもございません」( 村山内閣総理大臣「記者会見」)
1月11日  橋本龍太郎自民党総裁、第82代内閣総理大臣に就任。自社さ連立による「第1次橋本内閣」が発足、施政方針演説では「強靭な日本経済の再建」「長寿社会の建設」「自立的外交」「行財政改革」の4つを、最重要課題として挙げた。
1月14日
 顕正会、教学部、四級試験 (立正安国論)・五級試験 (南無日蓮大聖人)、全国74四会場で施行。四級試験に 1,777名、五級試験に 2,416名が受験。
1月15日
 顕正会、成人式、本部会館で行う。浅井昭衛会長「人類の危機は、いよいよ二十一世紀の第一四半期に来る。これはもう誰人も避けることができない。この重大な時に御奉公をすべく、皆さんは生まれ合わせているのである。よってこの中から、本物の人材が数多く出てくるということを、私は確信している。広宣流布は青年の情熱によって成し遂げられる。ゆえに御在世を拝見しても、大聖人様がいかに青年の純粋な信心を大事とおぼしめされたか。大聖人様は、たとえ若かろうとも、地位はなくとも、貧しくとも、命かけて御本尊を信じ広宣流布に戦う者を、何よりも大事とし、尊重あそばされたのである。...... 皆さんも、上野殿のごとく、大聖人様から『法華経の行者ににさせ給へり』とのお賞めを頂くような、強い信心に立ってほしい」と。
1月21日
 顕正会、教学部、登用試驗 (折伏理論解說書 第一章~第八章)、全国81会場で施行。5,952名が受験。
1月24日
 顕正会、1月度総幹部会開く。(川口総合文化センター)
 浅井昭衛会長「顕正会の一貫不変の伝統精神と、その不思議な歴史をよく知ってほしい。顕正会の一貫不変の伝統精神とは何か。これ、日蓮大聖人に対し奉る忠誠心以外にはない。顕正会の不思議な歴史とは何か。これ、御遺命のゆえに解散処分を受けた顕正会が、ついにいま正系門家を代表して一国に御遺命の正義を顕わす立場になったということである。…
 顕正会三十九年の歴史には、過去六つの大きな節があった。一には発足、二には試練と忍従、三には御遺命守護の戦い、四には解散処分、五には誑惑崩壊、六には出陣式、そしていま七つ目の大節である一国諫暁の時を迎えんとしている。…
 私は来年から始まる一国諫暁の戦いこそ、顕正会三十九年の歴史の中で、最も重大なる御奉公であると、心に決めている。顕正会の御本公は、常に折伏によってその道が開かれてきた。死身弘法なくしては、すべてが戯れ言となる。顕正会は『口舌の徒』となることを、大聖人様に恥じてきた。五十万達成への折伏の真心が、一国諫暁への道を開く」と。
 男子部幹事に、斎藤暢・浅井城衛・矢島孝一・黒川昌宏・松野稔任命さる。
 女子部幹事に、河野尚子・大沼美和・早川由美一子・小川久美子任命さる。
(※ "十万人の国会請願"、"平成25年までに一千万を成し遂げる" など、立派に浅井昭衛会長は "口舌の徒" である。櫻川 忠 )
1月24日  創価学会、阿部日顕管長と日蓮正宗を「学会中傷の虚偽文書を配布した」として名誉毀損で提訴、二億円の賠償と全国五紙に謝罪広告の掲載を要求。
1月30日  静岡地方裁判所、遺骨を紛失した妙盛寺・有川岳道住職に対し、慰謝料の支払いを命令。
1月30日  中外日報、「露見する数々の反社会的行為」と題し、妙観講(大草一男)の盗聴事件を報道。
2月1日
 顕正会、富士「巻頭言」、浅井昭衛会長「開目抄の実践
「『開目』とは、目を開かしめること。目を開かしめる目的は、ものを見さしめるところにある。では大聖人は、何を一切衆生に見さしめ給うたのであろうか。それは末法の全人類を救わんと久遠元初の自受用身、大悲願力を起こして末法の日本国に出現す、この本仏・日蓮大聖人に背くとき、人も国も亡びる、ゆえに仰いで本尊とすべし、ということである。…
『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』とは "日蓮大聖人の仏法を立てなければ、日本は亡ぶ" ということである。御本仏のこの重き仰せ、すでに御在世には大蒙古の責めとなってその徴を現わしているではないか。そしていま、広宣流布の前夜を迎えて、再びこの仰せは事相とならんとしている。今こそ、全日本人の目かしめ、日蓮大聖人の厳たる主徳と大慈悲を知らしめなければならない。全顕正会員の、慈悲と勇気と忍耐に満ちた一対一の折伏こそ、まさに大衆の目を開かしめる開目抄の実践である。そして、この弘通の赤誠五十万に達するのとき、一国に対する開目の諌めがなされるのである」と。
2月4日
 顕正会、日曜勤行、「三災は徐々にその姿を現し始めた
 浅井昭衛会長「食料危機と流行病と戦争の三災は、まさしく人類を滅ぼす三つの要因であります。… 既に今、地球的規模で三災は徐々に起きつつある。… まず疫病を見れば、現代の疫病とはまさしくエイズです。… それから食料危機。これも近年の世界的な異常気象により、徐々に現れてきました。… それから戦争。日本は戦後50年間、卑屈な程の謝罪外交を続けてきた。ことに中国と韓国に対しては、何を言われても謝ってばかりいた。そうすることが、平和に繋がると思ってきたからでしょう。しかしこのところ、互いに譲ることのできない、深刻な争いの火種が起きてきた。それが領土の問題です。…
 まさに飢渇・疫病・合戦の三災は、徐々にその姿を世界に現し始めてきたではないか。そしてこの三災の嵐は、やがて日本に集約して現れるのであります。この三災より日本を救うのは、もう広宣流布以外には断じてない。そこに、正系門家の中に、顕正会という団体が現れたのであります」(「冨士」第374号 )
2月4~5日  中華人民共和国、尖閣諸島近海で油田を試掘。
2月5日
 顕正会、二月度御書講義、「立正安国論」を拝読。(全国349会場)
 浅井昭衛会長「本年最初の御書講義は、どうしても『立正安国論』を拝読させて頂きたいと思っていた。… 今こそ、御本仏の立正安国の師子吼を、全日本人の耳に入れしめなければいけない。日蓮大聖人の使いとして、立正安国論に仰せの災難がこれから起こるのだということを、前もって告知しなければいけない」と。
2月5日  創価学会、池田大作名誉会長、キューバ共和国・ハバナ大学より「名誉文学博士」を贈られる。
 池田大作名誉会長、中華人民共和国の新輝芸術団を招き「これからも全力を挙げて『永遠の日中友好』のために尽くす決心です」と。
2月7日
 宗門、東京地方裁判所で "シアトル事件" の反対尋問を行う。
2月7日
 顕正会、第二祖日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長「いま日興上人の弘通の足跡を偲べば、まさに驚嘆に値する。その教域は、北は東北から南は四国・九州まで、実に二十都府県にも及ぶ。この大情熱は、いったいどこから出てくるのであろうか。これまさしく日興上人そして日目上人の、大聖人様に応え奉らんとする御信心以外にはない。かくて "広宣流布を朝夕近し" と熱願される鉄をも溶かす大情熱が、この驚嘆すべき死身弘法となったのである。そして今、人類は危機の時を迎えている。この時に当たって、顕正会の中にまた、日興上人御門下の弘通を彷彿させるごとき情熱がたぎり、若き俊秀は全国を駆けめぐり弘通を展開している」と。
2月8日  創価学会、聖教新聞、「『立正安国論』に学ぶ」。「仏国とは、生命尊厳の理念に貫かれた社会であり、生命を最高に尊重していく平和な社会ともいえる。… 『実乗の一善に帰せよ』とは法華経で説かれる,一人一人の人間が主人であり、主である、との人間主義を根本とせよ、と教えられている」と。
2月10日
 顕正会、高崎事務所、全日開館となる。
2月11日  創価学会、「戸田記念国際平和研究所」発足。
2月15日  週刊新潮、池田大作"信平強姦事件"を報道、「北海道婦人部幹部・信平信子の手記」掲載。(「同」2月22日号 )
2月15日  創価学会、新潮社を訪れ池田大作名誉会長の記事につき、厳重抗議。
2月19日  創価学会首脳 (秋谷栄之助・野崎勲・山崎良輔)、新進党と都内料亭で会談、新進党一辺倒の協力体制の方針を転換する旨を示唆。
2月21日  創価学会、谷川桂樹(青年部長)、一級研究例会の席で「釈尊の理念をより鮮明に、現実社会に展開する好機が到来した。...本当のの仏教、平和主義、人間主義とは何かを示す学会の教学運動は、釈尊の戦いが支配的イデオロギーとの闘争であったのと同様に、日本の精神風土を根底から変革する戦いに通じる」と。
2月22日  週刊新潮、再び池田大作名誉会長の「強姦事件」を報道。(「同」2月29日号 )
2月23日
 顕正会、2月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、2月度折伏成果 6,428名。
 浅井昭衛会長、日中・日韓の領土問題、食糧・資源を求めて領土拡張をはかる中国の国家戦略等、緊迫の度を増す北東アジア情勢を指摘し「所詮、日蓮大聖人の仏法を立てない以上は、磁石が鉄を吸うごとく、日本は自然と隣国の責めを受ける。ここに、一国諫暁を決意した所以がある。…
 顕正会がいよいよ大聖人様に応え奉って一国諫暁に立たんとするその前夜に、彗星が出現するということは、まことに不思議である。私は、時の到来を諸天知らしむるものと思っている。もう御本仏の立正安国の師子吼を、どうしても全日本人の耳に入れしめねばならぬ時が、まさに来ているのである」と。
2月23日  信平信子(強姦事件の被害者と称す)、乙骨正生(反創価学会ルポライター)に伴われ、記者会見を開く。
2月24日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長が池田大作名誉会長の「強姦事件」報道に反論。「俗悪週刊誌等を利用して、勝手に作り上げた『虚像』を無責任に撒き散らし、広めていく。......今回の『週刊新潮』のでっち上げ記事の背後には、例によって、山崎正友、竜、乙骨某など退転者の輩が蠢いている」と。
2月29日  週刊新潮、第三弾「信平の手記」を掲載、聖教新聞の反論に反論。
「2月25日付の聖教新聞には、なんと私の後輩である函館の石田道子・婦人部長が大要、こんなことを語っているのです。… この石田なる婦人部長は後輩ですからよく知っていますが、なんでこんなすぐわかってしまうデッチ上げを喋ってしまったのでしょう。私は怒りを通り越して哀れさえ覚えています」(「同」3月7日号 )
2月29日  創価学会、週刊新潮に対し「ウソをもとに、人権侵害・名誉毀損を平然と重ねる新潮社は、もはや日本言論界の恥」と抗議。
2月 日
 宗門、妙観講が秋元広学師の私生活を盗聴したテープが、宗内に出回る。
3月1日
 顕正会、冨士「時の話題」、小泉修「世界を襲う異常気象!!」掲載。(「冨士」第374号 )
3月1日  創価学会、第三文明、多賀雄司・創価学会副青年部長「仏教の寛容性は他宗教を活かす」を掲載。(「同」3月号 )
3月4日  創価学会、謀略紙「勝ち鬨」、「暴かれた色魔と盗聴魔・大草一男の正体」の連載を開始。
3月5日
 顕正会、3月度御書講義、「四条金吾殿御返事」を拝読。(全国357会場)
 浅井昭衛会長「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給ふべし」との御金言につき「私はこの御金言を拝するたびに思い出す。昭和三十二年八月、顕正会発足のとき、『法華経に勝る兵法なし』という題で私は講演をした。『顕正会は小手先の小細工は一切使わない。ただ大聖人様の御目のみを恐れ、裏も表もない信心・忠誠心で進む』と述べた。以来、三十九年間、いまこのことをつくづくと実感している。謀略の限りを尽くしてきた学会は、謀略がかえって我が身の破滅を招いているではないか。宗門も同じである。共に大聖人様の御目を忘れ、我が身のことばかり計って、罰を受けている。日興上人・日目上人のお振舞いを見よ。常に大聖人の御心に叶うことだけを見つめ、身を捨てておられるではないか。顕正会は終始一貫、いま「大聖人様ここにましませば、何を命じ給うか」ということだけを思い、一筋の忠誠を貫いてきた。ゆえに"不思議の御守護"を頂くのである」と。
3月5日  中華人民共和国、全国人民代表大会で尖閣諸島の領有権を主張。
3月8日
 宗門、岐阜布教区親教、阿部日顕管長「(一期弘法付嘱書を引用) この『国主』というのは、国の主、すなわち人的存在であります。国が戒壇を建てるということではないのであります。いわゆる、国主が正法を信じ、その上からの因縁によって戒壇が出来るということの御指南であります。ところが今日において、天皇は既に日本国家の象徴という立場になっております。憲法の上からいっても、天皇の行う国事の内容は定められておりますし、特に宗教という形の上における在り方は、憲法においてございません。そのようなことからも、末法万年の民衆を救うところの正法はあくまで大聖人様の大法であるけれども、これを正しく弘宣し、実践していく姿は、その時代によっておのずから異なる意味が出てくるのであります」と。
3月8~15日  中華人民共和国人民解放軍、台湾南北二ヵ所の沿海海域でミサイル実弾演習を実施。
3月10日
 顕正会、女子部大会、国立横浜国際会議場で挙行、千名が結集。「明年七月、敢然 一国諌暁に立たん」、"女子部旗" 授与が行わる。
 浅井昭衛会長「本日こそ、日本一の会場で開催された、日本一の顕正会女子部の歴史的大会ともいうべきであります。…
 では、このような修羅の軍事超大国をここまで育て援助してきたのは、一体どこの国なのか--。言うまでもない、それはこの日本であります。日本は日中国交回復を機に、中国に求められるまま、へつらうようにして毎年膨大な経済援助を続けてきた。日本が差し出すこの金が核兵器開発に使われ、あるいはミサイルに化け、いま台湾を脅かし、やがて日本を圧伏せんとしているのであります。では日中国交回復の時、日中両国政府の橋渡しをしたのは一体誰なのか。それは、創価学会の池田大作であります。…
 日本国は七百年前に大聖人様の御頸を刎ね奉る大罪を犯して未だその罪を償わず、いまなお一国一同は三大秘法を捨てて顧みない。加えて正系門家は誑惑の正本堂に戒壇の大御本尊様を居え奉ったまま、この不敬を未だに続けている。ゆえに諸天はこの国を捨て、ために国土の災難は歳を逐うて激しくなり、ついに他国侵逼も事実となるのであります。…
 正系門家の中で御遺命を守り奉った顕正会こそ、大聖人様の使いとして、やがて首都圏を襲う大地震ののち他国侵逼があることを、そして日蓮大聖人の仏法を立てなければ日本が亡ぶことを、全日本人に告知しなければいけない。信じようと信じまいと、聞こうと聞くまいと、前もって言っておけばこそ、事が起きたとき、人々は始めて、日蓮大聖人様の御威徳と大慈大悲に気づくのであります。私はこの一国諫暁の御奉公を、明年の七月、立正安国論の月に断じて為すべきと、心に決めております。ゆえに前々から『五十万達成は明年六月まで』と言っていたわけであります。大聖人様は "口舌の徒" には、一国諫暁の資格をお許しにならない。御遺命のゆえに死罪に等しい解散処分を受けた顕正会が、この弾圧を乗り越えて五十万の死身弘法を成し遂げたとき、大聖人様は始めて、一国諫暁の資格をお与え下さるものと、私は深く拝し奉っております。…
 顕正会の女子部は、まさしく地涌の流類の集団であります。私は顕正会の女子部を、誇りに思っている。広宣流布は、決して遠い未来ではない、遠い将来ではない、もう眼前であります」と。(「冨士」第375号 )
3月11日  アメリカ合衆国、ベトナム戦争以来の大艦隊を台湾海峡に派遣。
 中華人民共和国・銭其琛外相、「台湾は中国領土であり、アメリカの保護領ではない」と、米の空母派遣に激しく抗議。
3月14日
 宗門、解体中の大客殿で火災発生、千六百平方メートルを延焼。
3月14日  創価学会、池田大作名誉会長、香港大学から「名誉文学博士」を受ける。(池田大作の名誉博士号は35個目)
3月16日  創価学会、池田大作「法華経の智慧 ―― 21世紀の宗教を語る」(第一巻)を発行。
「池田大作が法華経の哲理をダイナミックに展開。創価学会教学部長らと縦横に語らいながら、日蓮大聖人の仏法の奥底に迫り、法華経の全体像、二十八品それぞれの意義、経文が示している元意など"人類の教典"の真髄を明かす」(「MARK」)
3月18~25日  中華人民共和国人民解放軍、陸海空三軍合同の軍事演習を台湾海峡北部海域で実施。
3月19日  中華人民共和国、江沢民総書記、中央政治局常務委員会委員(チャイナ・ナイン)を召集、新疆の統治を安定的に維持する問題に関し、「新疆の安定を維持するための中共中央政治局常務委員会会議紀要」(中発【1996】7号文件)を発布、新疆ウイグル自治区での "ジェノサイド" を承認した。長年にわたり、新疆ウイグル自治区の統治・鎮圧に携わってきた、王恩茂(おうおんも)の意見が反映されている。
3月26日
 顕正会、3月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、3月度折伏成果 5,250名。
 浅井昭衛会長「三月は、仏法上の重大事が相次いで起きた」として、巨大地震との関連が指摘される河口湖地震、中国の台湾への軍事威嚇、四つの太陽の出現、四百四十年ぶりといわれる大彗星の出現等の現証を列挙し、「これら大彗星等の出現は近き将来、日本が大地震ののち他国に責められることを警告し、また顕正会に一国諫暁の時至るを知らしむるものと、私は考えている。ここに私は、先般の女子部大会において、一国諫暁の時期を明年七月・立正安国論の月と定め、その資格を大聖人様から賜わる五十万達成を、その前月の六月と決めたわけである。この一国諫暁の大事な御奉公は断じて遅らせてはならない。大聖人様は顕正会の前進をお待ちあそばす」と。
3月25日  百武彗星、地球に大接近。
「百武彗星は、1996年1月31日に日本のアマチュア天文家 百武裕司によって発見された。… 発見から2ヶ月後の同年3月に、地球に非常に近い距離を通過した。… 過去200年間で地球に最も近づいた彗星の一つである。このため、地球から見た彗星の光度は非常に明るくなり、… ヘール・ボップ彗星を一時的に凌ぐこととなった。しかし、百武彗星が最も明るかった期間はわずか数日間に終わった。3月25日に百武彗星は地球に最接近した。最接近時には夜空を非常に速い速度で移動し、彗星の明るさは約0等で尾の長さは80度に達し… 満月のほぼ4倍の大きさに見えた」(「Wikipedia」)
3月26日  大韓民国、竹島に本格的な埠頭の建設を開始。
3月30/31日
 宗門、法華講連合会春季給登山、結集人員二万八千余名。
4月1日
 顕正会、冨士、解説「日中国交回復と創価学会・池田大作の関わり」(J)掲載。
4月6日
 宗門、御霊宝虫払大法会、阿部日顕管長、海外信徒と面会のおり客殿取り壊しについて釈明。
「神戸の震災を契機として、また、この東海地方に大地震が起こるということが以前から言われていることもあり、総本山内の諸堂宇の安全性等を調査した結果、種々の状況を鑑みて、今回、客殿を新築をすることにいたしました。......大客殿の屋根は一万一千五百トン(※)ありました。ピンとこないかも知れませんが、今回、新築される新客殿の屋根の重さは一千トンですから、いかに大客殿の屋根が大きく重いものだったかお解りいただけると思います。そういった状況のもと、御本尊様をお護りする上から、また、参詣の御信徒の安全を守る上から、大客殿を取り壊し、新築することにしたのであります」と。
 同法要中において、「紫宸殿の御本尊」を「師資伝授の御本尊」と改称する旨を発表。
(※ 正本堂の屋根の重量が、二万トンであることは言及せず )
4月7日
 宗門、新客殿、起工式を行う。
4月8日
 顕正会、「女子部大会」ビデオ放映開催。(全国380会場)
4月16日  ウィリアム・ジェファーソン・クリントン米大統領、来日。日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)を策定し、冷戦後における日米同盟の新たな定義付けを行った。
 秋篠宮文仁親王殿下、公務を拠ちナマズ研究でタイへ。
4月17日  創価学会、聖教新聞、船守弥三郎許御書を "日蓮大聖人の『人権宣言』"と位置づけ、「他の人々を最も尊敬できる人、その人こそ仏です。仏とは『最高に人を敬う人』なのです。この『人間尊敬』を広めるのが広宣流布です」と。
4月26日
 顕正会、4月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、4月度折伏成果 5,899名。
 浅井昭衛会長「御遺命のゆえに死罪に等しい解散処分を受けた顕正会が、今やついに、宗門全信徒より多くなった。しかも彼らは異体異心の烏合の衆、これは御遺命を奉ずる鉄石の集団。また彼は老人ばかりの檀徒集団、これは若き情熱に燃える仏弟子の集団。いつの間にか立場が逆転してしまった。こんな不思議なことはない。これこそ大聖人様の御仏意以外には考えられない。この現証こそ、大聖人様が顕正会に『正系門家を代表して立正安国の大精神、御遺命の正義を一国に顕せ』と御命令下されているものと、私は拝している。…
 緊迫するアジア情勢を見るならば、他国侵逼が早いのか、顕正会の広宣流布の戦いが早いのか、この一事に、日本の命運が懸かっていると云っても過言ではない。ゆえに五十万は遅らせることができない」と。
4月27日
 顕正会、妙信講初代講頭先生・第十三回忌法要、本部会館で厳修、「強盛の信心で顕正会の基礎築く」。浅井昭衛会長、顕正会の基礎を築かれた初代講頭先生の生い立ちからご臨終に至る信心一筋の御一生について講演、最後に次のごとく述べた。
「私は昨年、父から譲られた御本尊に万一のことがあったら申しわけないとの思いから、大地震に備えて耐震・耐火の持仏堂を造った。私はこの御本尊様を顕正会の源流だと思っている。そして昨年五月、その持仏堂に御遷座申し上げたとき、改めて御本尊の脇書きを拝見した。授与の日付は『昭和八年六月大吉日』と記されている。今から六十三年前のことである。
 このとき私の胸にこみ上げてきた思いがある。それは――この六十三年を十一回繰り返し遡れば、大聖人様の御在世に着くではないか。七百年前などというと遠い昔のように思うが、御在世はつい昨日のごとくだ。その御在世に、日本国は大慈大悲の御本仏の御頸を刎ね奉ったのである。この身の震えるような大罪。日本人はすべてこれを知らない、忘れている。この大罪、いかで現当に逃れようか。ゆえに御在世には、あの大蒙古の責めがあった。そして日興上人・日目上人は、大聖人様の御心のまま、身命を捨ててこの大事を知らせるべく国家を諌暁あそばされた。ところが今、依然として一国が大聖人の仏法を捨てているだけではない、これを諌めるべき立場の正系門家が、国立戒壇の御遺命を捨て、誑惑の正本堂に戒壇の大御本尊を居え奉る不敬を続けている。大聖人の御法魂を辱め奉る、これより甚だしきはない。ゆえにいま、天変地夭はしきりと起き、他国侵逼の影が日本に迫ってきているのである――との思いであった。
 ここにいま、顕正会は大聖人様の御命令を感じて、一国諫暁の大事な御奉公に立たんとしているのである。こんなに有難い御奉公はない。これほどの功徳はない。大聖人様は報恩抄に『されば花は根にかへり、真味は土にとどまる』と。もししからば、顕正会のこの御本公の功徳は、ことごとく初代講頭先生の御身に集まるに違いない。さればこの御奉公を以て、顕正会の基礎を築いて下さった初代講頭先生に対する、我ら遺弟一同の報恩謝徳とさせて頂こうでいないか」と。(「冨士」第376号 )
4月28日
 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。
 浅井昭衛会長、報恩抄の一節を引き「全地球上そして未来水遠という大化導は、大型人様の大悲願力によって成就される。そして大聖人の大悲願力は、地涌の菩薩を次々と出現せしめられることと、諸天に申しつけて客観状勢を作らしめ給うことによって現れるのである。――いま三毒強盛の私たちが、難信難解の御本尊を信じ広宣流布に脳を砕くようになれたのも、ことごとく大聖人様の大悲願力のゆえである。大聖人様の大悲願力によって、無数の仏弟子が立って広宣流布のお手伝いをするのである」と。
4月 日
 宗門、駒井専道師、仲居更迭。
5月8日
 宗門、阿部日顕管長、法華講富士会館安置の「願主・池田大作」(細井日達管長書写)の本尊を撤去、自筆本尊と替えさせる。
5月8日  ダライ・ラマの主治医、中華人民共和国によるチベット弾圧を非難。
5月11日  中華人民共和国、対台湾の軍事力行使を合法とする "国防法" 草案を策定。国防法は、翌年(1997年3月14日)第8期全国人民代表大会で採択、即日施行された。
5月12日
 顕正会、日曜勤行、「『つたなき者』になってはいけない
 浅井昭衛会長「いまの宗門を見てごらんなさい。つい三十数年前までは、日蓮正宗の僧侶すべて「国立戒唱こそ大聖人の御遺命」と、口を揃えて言っていたではないか。ところが、ひとたび池田大作が国立戒壇を捨て、時の法主がこれに同調するや、たちまりにして「国立戒壇などは本宗の教義ではない」となってしまった。これらの僧侶は、大聖人様への忠誠心よりも、保身のほうが大事だったのです。学会の多数の幹部もまた然り。何と、はかなく、薄っぺらで、つたなき者たちでありましょうか。
 この宗門濁乱の中で、顕正会だけは、御遺命の正義を守り奉り、大聖人様への忠誠を貫き通させて頂いた。顕正会が「つたなき者」とならず、大聖人様への忠誠を貫けること、こんな有難いことはない。嬉しいことはない。この顕正会の一員となった以上、いかなる人も「つたなき者」となってはいけない」(「冨士」第376号 )
(※ 浅井昭衛会長もまた、"保身のほうが大事" になり、"はかなく、薄っぺらで、つたなき者" に成り果ててしまったのではないか...。櫻川 忠 )
5月26日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長「四月会の影でうごめいているのが、あの山崎正友らであり、虚偽と捏造の情報を流して画策し、坊主や政治家をあやつり、学会の前進を阻もうと狂奔している本質を見破り、断じてその野心を粉砕してまいろう」と。
5月27日
 顕正会、5月度総幹部会開く (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長、近年の天変につき「立正安国論に仰せの種々の難が、いま一つ一つ事相に現れつつあることは、只事ではない。なぜかといえば、立正安国論には、これらの天変は国土変乱の兆、すなわち他国侵逼の前相として御教示下されているからである。…
 大聖人の御頸を刎ね奉った罰が滅後どのように現れているか。日寛上人は次のように仰せである。『平左衛門は宗祖滅後十二年にして滅亡、また鎌倉の代も宗祖滅後五十二年にして滅亡』と。そしていま、日本国は宗祖滅後七百年にしてまさに亡びんとしている。ここに明年の一国諫暁の大事なることを、よくよく思うべきである」と。
6月1日
 顕正会、冨士、時の話題「『竹島』と『尖閣列島』」(小泉修)掲載。(「冨士」第376号 )
6月2日
 顕正会、日曜勤行、「大悲願力により広宣流布は一時に成る」(「冨士」第377号 )
6月4日
 顕正会、6月度御書講義、「亡国最大事御書」を拝読。(全国340会場)
6月5日
 宗門、顕照寺落慶法要、藤本日潤総監「創価学会では、宗門が次の次の代か、あるいは、またその次の代あたりになれば、学会がまた昔のように宗門に戻れるんだというような話を密かに流して、末端の会員が脱会して宗門に行くのをくい止めようとしておるようでございますが、平成三年の創価学会破門は、永久追放を意味しているのでありまして、再び学会が宗門に戻るようなことは永遠にありません」と。
6月5日  創価学会、創価新報、「日顕よ、血脈相承とはこんなものか!」と題し、「日正上人・日柱上人・御相承関係趣意書」を公表。
6月5日  創価学会元幹部・信平信子、"池田大作に過去三回行暴行された"として、慰謝料7千万円を求めて東京地方裁判所に提訴。
6月8日  中華人民共和国、新疆ウイグル自治区で地下核実験実施。
6月16日
 宗門、夏期講習会登山(二日目)、阿部日顕管長「ありとあらゆる人が、できる限りのウソを言って、最後はスレスレのところでウソ言ってるんですね。ほんで本当の事言っちゃうとマズイから、やっぱりもう、『本当に何を言ってんだろう、あの人の言ってること聞くと、そういうことやったようでもあるし、やらないようでもあるし、それで結局やらないような意味のこと言ってるんだな』ってのはその、そういう言い訳が今の世間の、特に偉い人に多いんですね」「私も絶対にあのー、破和合僧の罪は犯しているつもりはないんです。自分では、ヘッ、......知らず知らずの間に犯してるかどうか分かんないけれども、まー犯してないと思います。…
 いたずらに、そのー信者からの御供養を、葬式法事あったからといって、それをもらって、それでそのー、自分は飲んだり、まっいろんなことして、在家の奴以上に悪い事を陰でしながらですね、仏法の事を何も勤めようとしない、坊主がいると。そういう者は地獄に堕ちるということですね。本宗はそういうのいませんから、そういう人は!......エーイ。ま、いないと思いますから。......いやいや、あー絶対にいないと思います!。…
 僧侶が名誉欲、利益、それを貪るために、その汚い心をもって法を説いて、そしてそのー、みんなから尊敬をされて、それによってあのー、利益を得ようということであります。......見ようによっては、私のことをそう見えるかね?......そういうふうに思っておられる方が、もしあましたら、多少違うんだ」と。
6月21日  フライデー、「法廷に持ち込まれた池田大作名誉会長の『レイプ醜聞』」の特集記事掲載。
6月25日
 顕正会、6月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、6月度折伏成果 8,255名。
 浅井昭衛会長、中距離核ミサイル開発の核実験を強行する中国と、すでに核ミサイル四発を保有したといわれる北朝鮮等の動きを指摘し「これらの諸情勢を見るに、いよいよ他国侵の影がその色を増したこと、誰人も疑うことはできない。このことを、仏法の上から二十余年前から言い続けてきたのは、日本国の中で顕正会だけである。大聖人様は亡国最大事御書において『此の二十余年の間、私には昼夜に弟子等に嘆き申し、公には度々申せし事是れなり』と仰せであるが、いま顕正会は仏弟子なるがゆえに大聖人様の御心を拝し奉り、この重大事を憂え続けてきたのである。大慈大悲の御本仏の御頸刎ね奉った大罰、いま七百年後の日本に漸く現われんとす。そして、その時こそが事の広宣流布の時なのである」と。
 本部会議開く、浅井昭衛会長「外国人の入信」「自宅拠点」「遙拝勤行」につき言及。
6月25日  創価学会、池田大作名誉会長、キューバ共和国のフィデル・アレハンドロ・カストロ国家評議会議長に、創価大学名誉博士号を贈る。
6月30日  第三文明社、「カトリックと創価学会 ― 信仰・制度・社会的実践」(南山宗教文化研究シンポジウム) 発刊。
「宗教間の対話はどこまで可能か。混迷を深める現代世界の中で未来の社会を見すえながら、世界宗教の条件と課題について、縦横に論じ合う白熱の対話」(「MARC」)
6月 日  病原性大腸菌「O157」、列島各地で大流行、感染者一万人にのぼる。
7月1日
 顕正会、冨士、時の話題「立正安国論の仰せ相次ぎ自相に」(小泉修)掲載。(「冨士」第377号 )
7月1日  創価学会、池田大作名誉会長、キューバ共和国から「SGI会長は『平和への不屈の行動者』である」として、国家勲章「フェリックスバレラ最高勲章」を受賞。
7月3日  創価学会、創価新報、「阿部日正と土屋日柱の跡目争い(上)」を掲載。
7月8日
 宗門、富士学林大学科(一、二年生)、研修旅行で日澄寺・清澄寺・鏡忍寺等を見学。
7月8~21日
 顕正会、7月度御書講義、「妙法尼御前御返事」を拝読。(全国341会場)
7月15日  日本青年社、尖閣列島に灯台(北小島漁場灯台)を設置。
7月17日  創価学会、創価新報、「阿部日正と土屋日柱の跡目争い(中)」を掲載。
7月18日  中華人民共和国、尖閣列島の灯台を「中国領土への侵犯である」と激しく抗議。
7月19日  台湾、尖閣列島の灯台建設に抗議。
7月22日
 宗務院、宗門の放漫財政を批判した宗会議員・合原鉄道師(仏覚寺)を、緊急会議で吊し上げる。
7月23日
 顕正会、7月度総幹部会開く(川口総合文化センター)、7月度折伏成果 5,282名。
 浅井昭衛会長「顕正会は御遺命を守ったゆえに解散処分を受けたが、この解散処分によって、顕正会に自然と御在世の信心が蘇ってきた」と述べ、遙拝勤行の精神と形を具体的に指導。
 本部会館管理室長に遊佐寿美、婦人部副部長に松本真智子、小石川支区部長に小峰昌子任命さる。
7月24日  創価学会、中矢吉男愛媛県副県長、公正証書原本不実記載、同行使の容疑(一千二百万円の公金騙取)で、愛媛県警察に逮捕さる。
7月25日
 顕正会、顕正新聞、紙上座談会で浅井昭衛会長、遙拝勤行の精神と形について指導。(「同」7月25日号 )
7月29~30日
 宗門、富士学林大学科(三年生)、研修旅行で比叡山・東寺・要法寺等の寺院を見学。
7月29~31日
 顕正会、箱根小涌園で婦人部合宿研修会開く。
 浅井昭衛会長、全体集会で「婦人部は『体験の婦人部』になりなさい。"自分ごとき者が、こんなに御本尊の御守護を頂いた、こんなにも功徳を頂いた"と、この感謝と感激を広宣流布の原動力としてほしい。… 婦人部もいよいよ一国広布をめざして、期を画する婦人部大会を開き、陣列を整えるべき時が近づいてきた。… 明年の一国諫暁と六年後の国会請願の中間の三年後に、五千人を結集して婦人部大会を行い、大聖人様にご覧頂きたい」と。
 浅井昭衛会長、「開目抄」「日妙聖人御書」の一節について講義。
7月 日
 宗門、花野充道師(浄福寺)、同人誌「道心」で阿部日顕管長を暗に批判。
8月7日  創価学会、池田大作名誉会長・秋谷栄之助会長、朝木明代東村山市議の転落死をめぐり、朝木直子ら三人から損害賠償と謝罪広告を求め提訴さる。
 創価新報、「阿部日正と土屋日柱の跡目争い(下)」を掲載。
8月9~13日
 顕正会、箱根ランドにて男子部合宿研修会開く、「男子部は熱原神四郎殿を鑑とせよ
 浅井昭衛会長、全体集会において「国立戒壇建立のときには、熱原の方々のごとき純粋熱烈の信心がなくてはとうてい叶わない。いや、この信心が、大聖人の御力により広布前夜には必ず蘇ってくるのであります。顕正会男子部こそ、まさに熱原の神四郎殿を鑑とすべき、今その立場にある。もし広布前夜の濁乱の世に、熱原神四郎殿を鑑とする男子部が数万・数十万と結集し、一糸乱れず戦うならば、広宣流布は必ず成る。明年からいよいよ一国諫暁は始まる。顕正会三十九年間の歴史において最も重大な時を、いま迎えているのであります。…
 たとえ一国こぞって大聖人を軽んじ、謗り、蔑るとも、顕正会だけは命かけて大聖人様のお味方を申し上げる。そして全日本人に『日蓮大聖人の仏法を立てなければ日本は亡ぶ』ということを、声も惜しまず告げ知らしめなければならない。たとえ始めは信じなくとも、悪口を言おうとも、大聖人の御威徳により、もしその通りになってきたならば、どうする。日本に本当に他国侵逼の大難が起きてきたら、その時どうする。このとき始めて日本人は、日蓮大聖人の御恩徳を知る。ゆえに、ことの心こる前に、前もって告げしむる戦いこそ大事なのであります。私はこの戦いの先陣を切る。男子部諸君はいささかも離れず、一丸となって付いてきなさい。男子部は常に私と一体である」と。(「冨士」第378号 )
 浅井会長、「日本国いま亡びんとする理由(わけ)」と題する特別講義を行う。
(※ "無二の師匠"と信じて身を抛っても、終わりのない過酷なノルマの連続に心身ともにボロボロにされ、使い捨てられる。はじめから、"常に私と一体" などと、浅井昭衛会長は思ってなどいない。会員は"捨て駒"であり、"消耗品"に過ぎない。そして有能な幹部は邪魔になり、ゴミのように粛清される。櫻川 忠 )
8月13日
 顕正会、壮年部総班長会開く、浅井昭衛会長「私は壮年部に期待をしている。男子部・女子部はすでに陣列を整え、婦人部もまた三年後に五千名の結集をなして陣列を整える。壮年部は一日も早く三者と肩を並べ、見事な陣列を整えてもらいたい。私はその日を待っている」と。
(※ 組織の"柱"である壮年部も、邪魔になりあっさり排除してしまった。櫻川 忠 )
8月14日  創価学会、聖教新聞、池田大作著「新・人間革命」で国立戒壇を否定。
「鎌倉時代と今日とでは、ある意味で時代状況は一変している。信教の自由が保障されている現代では、『勅宣・御教書』などはなくとも、戒壇を建立することができる。また、主権在民の時代には、国民一人一人が社会の主役であり、民衆が正法に帰依していけば、それがそのまま、広宣流布の姿となっていく。そう考えると、今日では民衆の意思こそ、『勅宣・御教書』に代わるものといえよう。また、それを法的な手続きととらえるならば、戒壇という建物の建設に必要な認可を取れば、それですむことである。すると『勅宣・御教書』の御文から、本門の戒壇を『国立』と断定するわけにはいかないことになる。...
 こうした事実を思い合わせるならば、国教化や『国立戒壇』は、大聖人の御意思とは、全く相反するものではないのか。日蓮正宗を日本の国教にしたり、戒壇を『国立』にしたりするならば、かえって、大仏法を一国のものとし、一切衆生のために法を説かれた大聖人の御精神に反してしまうことになるだろう。とにかく、明治以降、宗門でも言われてきた国立戒壇論は、改めるべきであろう。そうしなければ、大聖人の仏法の真実を止め、いたずらに社会の誤解を招くことになる」
8月16日  創価学会、聖教新聞、「カトリックと創価学会」(第三文明社)を紹介。
「大聖人は宗派を立てられたのではない。どこまでも人間根本、民衆根本だ。『人間のため』『人類のため』という共通項からの対話が大事な時代に入った」と。
8月17日  創価学会、池田大作名誉会長、香港大学から「池田博士は『德と智恵』を体現した方」として、名誉文学博士の証書を贈らる。
8月21日  創価学会、池田大作名誉会長、ブラジル連邦共和国のニテロイ市議会から「池田博士こそ世界の希望」「池田博士の世界平和への貢献に感動」「池田博士の声が平和・文化・教育を守る砦」として「顕彰証書」を授与さる。
8月22日
 宗門、画廊スナック経営が発覚して住職罷免された宮田雄大師(若法寺)、阿部日顕管長に公然と反抗。
8月22日  創価学会、池田大作名誉会長、フィリピン共和国のリサール協会から「世界平和の実現と人権擁護推進の模範的な行動」に「大十字勲章」を贈らる。
8月24日
 顕正会、8月度総幹部会開く (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長、巨大彗星 "ヘール・ボップ" について言及、「たとえ世界に、日本に、何が起ころうと、この日本には、日蓮大聖人の御法魂たる戒壇の大御本尊がまします。そして、大聖人様の御遺命のままに捨身で立つ五十万の仏の軍勢がいる。これらを思うにつけ、明年の御奉公の大事をひしひしと感ずる」と。
 本部幹事に中原芙蓉、日本橋地区部長に伊東信昭、城北地区部長に溝口育男、任命さる。
 8月26日~ 9月1日
 顕正会、箱根ランドにて女子部合宿研修会開く、「明年からの戦いこそ顕正会最後の御奉公
 浅井昭衛会長、全体集会において「この合宿は大事です。… 今年は3,300名。すごいですね。班長以上の幹部だけで3,300名です。皆さんの一人一人の後ろには、大勢の班員がいる。…
 皆さんと始めてここで「御大事守護の御本尊」を掛け奉って勤行をしました。… ことに嬉しかったのは、お題目三唱がきちっと揃ったことです。今まで三唱がちょっと長すぎたでしょう。あんまりみんな長く引っ張るので、二唱目で終わりと勘違いして、自分だけ頭を下げちゃったりした人もある(大笑)。この勤行のことを7月の総幹部会で打ち出して、翌日の朝から、全国の顕正会員が一斉に一つのリズムになった。きちんと揃って、誠に気持ちがいいですね。…
 日妙殿こそ、大聖人門下の女性の鑑、日本の女性の鑑、さらに全世界の女性の鑑であります。いま広布前夜に御奉公する顕正会女子部こそ、この日妙殿を鑑とすべき、その立場にある。…
 諸般の情勢を見るに、日本にはもう時間がない。ゆえに私は三年前、一国広布の出陣式を挙行して大聖人に深くお誓い申し上げ、いよいよ明年、五十万の死身弘法を背景として一国諫暁に立たんとしているのであります。… 私は顕正会の会長として、この戦いの先頭に立つ。女子部は、男子部と共に、いささかも遅れることなく、付いてきなさい。明年から始まる戦いこそ、国立戒壇建立への最後の戦い、顕正会の最後の御奉公であります」と。(「冨士」第379号 )
 特別講義「日本国いま亡びんとする理由」のビデオ放映行う。
8月27日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長を「ガンジー思想の具現者」と称える。
8月28日
 宗門、全国教師講習会、阿部日顕管長、管長講義を批判した河野延道師(本縁寺)をつるし上げる。「正しいか、正しくないかはワシが決めるんだ!」「大謗法だ!」等々。
 藤本日潤総監、末寺住職・寺族の副業問題について「本宗の規則の上では総監の認許のもとに世間の仕事をすることができるようになっておりますが、あくまでも僧侶・住職としての本分をおかさないという前提条件がついております上、必ず総監の認許を必要とするものであり、勝手に世務に就くことはできないのであります。平成三年、創価学会破門以来、御法主上人猊下の御慈悲により、援助の必要な寺院に対しては一定の基準のもとに援助を行ってきているのであり、特に何か別の目的でもない限り、副業をしなければならないということはないはずであります」と住職の副業を戒める。
8月30日  創価学会、池田大作名誉会長、ガーナ共和国・ガーナ大学から「世界平和と博愛主義」に、名誉法学博士号を贈らる。
8月 日
 宗門、法華講・夏期講習会大会、阿部日顕管長「法華玄義」に基づき「妙法蓮華経」を解説。
「まっ何ですね、ひとつ御自由に願いたいと思います。んー、ま、しゃべることはしないでくださいね。『何だか難しいわね』『つまんないわね』なんちゃってね、しゃ、しゃべんないように。あのー、そう思ってもいいから、黙って聞いててください。そのかわり、居眠りだけは御自由に」と。
9月1日  新潮45、論文「中国のチベット百二十万人大虐殺」を掲載。(「同誌」9月号 )
9月2日  中華人民共和国、海洋調査船「海洋四号」、尖閣諸島で日本領海を数回にわたり侵犯。
9月7/22日
 顕正会、特別講義「日本国いま亡びんとする理由」ビデオ放映開催。(全国350会場)
9月9日  中華人民共和国、趙雲俊・上海人民対外友好協会会長、「中日の友好に最も貢献されてきたのが創価学会」「中日の国交回復、中日平和友好条約の調印を早めることができたのは、池田名誉会長の大きな功績であり、1968年(昭和43年)の"国交正常化提言"などの発言と行動による」と、創価学会中国交流団に語る。
9月11日  中華人民共和国、孫平化・中日友好協会会長「創価学会の中国に対する友好を永遠に忘れることはない」と。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会奉修(本部会館)、「御頸刎ね奉った大罪は現当に逃れず
 浅井昭衛会長、開目抄の「日蓮といゐし者は、去年九月十二日、子丑の時に頸はねられぬ。......」の御文をひき、「大聖人を害せんとする大罪は、天照・八幡に仕える者を殺す罪とは比較にならない。なぜか、下種の御本仏の御徳というのは、天照・八幡も頭をかたむけ手を合わせ、地に伏してこれを拝し、梵天・帝釈は左右に侍り、日月は前後を照らすのである。このような御徳まします大聖人であられれば、たとえ敬まったとしても間違った敬い方をすれば国は亡ぶ。いわんや二度も流罪し、その御頸を刎ね奉る大罪においておや。この大罪は現当二世に逃れ難いのであります。ゆえに御在世には大蒙古はこの国を治罰し、さらに平左衛門は大聖人滅後十二年にして滅亡、鎌倉幕府は五十二年にして滅亡、そして未だに改悔なき日本国は、いま大聖人滅後七百年にして亡びんとしているのであるのであります」と。(「冨士」第379号 )
9月12日  中華人民共和国、呉学謙・政治協商会議全国副首席、創価学会中国交流団に対し「創価学会は世界の平和に大きく貢献」と。
9月18日  朝鮮民主主義人民共和国、武装工作員が潜水艦で大韓民国に侵入。("江陵浸透事件")
 韓国内に侵入して偵察活動にあたっていた工作員を回収しにきた北朝鮮の特殊潜水艦(サンオ型潜水艦)が、江原道江陵市付近の海岸に接近したところ座礁し、帰還の手段を失った乗組員と工作員26名のうち艦長以下11名が集団自決、他は韓国内に逃亡・潜伏した。大韓民国国軍が掃討作戦を展開、延べ150万人の軍・警察関係者を動員して捜索活動を行い、掃討作戦終了日の1996年11月7日までの間に工作員3名を含む乗組員26人のうち24名の死亡を確認、1人を逮捕、1人は逃走した。
9月24日  東京地方裁判所、池田大作"信平強姦事件"、第一回口頭弁論を開く。
9月26日
 顕正会、9月度総幹部会開く(川口総合文化センター)、9月度折伏成果 9,782名。
 浅井昭衛会長、薬害エイズ事件を例として正系門家における御遺命破壊の構図に言及、御遺命破壊がいかに重大な悪事であったかを指摘、「正系門家が国立戒壇の御遺命を捨てたということは、池田大作や宗門の管長等が罰を受けるだけで止まる小事ではない。それは『日本一国が亡ぶ』ということである。…
 今、一国を諫めるべき宗門が国立戒壇を捨ててしまったゆえに、日本国一同が改悔する可能性は全くなくなった。ゆえに諸天は動きだし、日本が他国侵逼の大難を受けるのである。いま亡国のさまざまな前兆が月々に激しくなるを見て、早く大聖人様に応え奉らなければとの思い、胸に突き上げるを感ずる」と。
 女子部幹事に富高彰子任命さる。
9月27日  衆議院解散。橋本龍太郎内閣総理大臣は、バブル経済崩壊後の住宅金融専門会社の不良債権処理と、沖縄県普天間飛行場の返還交渉の課題が一区切りしたことを受け、第137臨時国会の冒頭で衆議院を解散した。
9月26日  創価学会、本部幹部会開催、池田大作名誉会長「もー "おいらはドラマー、創価のドラマー、おいらが叩けば嵐を呼ぶゼー" わっはっはっはっ、ね、そのくらいね、(ドンッと机を叩く)ドラムでいかなくっちゃ、まぁ。そいで、そう王様(ドンッ)、キング、栄光はありゃ一体なんなん、なんの価値だ。ありゃしませんよ。ね、それよかも、健康で、人のために法のために生きた。俺はこれでいいんだ、この人生がどれほど尊いか。なんのかんの皆人間だもん、兄弟です。心こそ大切だ。ね。…
 イタリアのジョルダーノ・ブルーノという著名な殉教者、宗教で殉教は当たり前です。殉教がないような、そんな宗教はウソです。殉教というのは本当の宗段です。だから、学会は、私も殉教ですよ」と、支離滅裂なスピーチ。
10月1日  中華人民共和国、中国共産党中央党史研究所、報告書「建国以来の数次の政治運動の史実」において、毛沢東の文化大革命で二千六百万人の死者が出たことを明示。
10月3日  ウォルター・モンデール駐日米大使、「尖閣諸島の帰属に関する実力行使を伴う国際紛争の場合、日米安保は発動しない」と発言。
10月7日  創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国・中山大学から「名誉教授」を贈らる。
 池田大作名誉会長、ロシア連邦科学アカデミー"東洋学研究所"から、「東洋哲学の展開」「人間主義の宣揚」「相互理解の促進」を理由に「名誉会員」に選ばる。
10月7日  香港・台湾の抗議団、尖閣諸島に上陸し国旗を掲げる。中華人民共和国人民解放軍は、潜水艦・小艦隊を周辺海域に派遣し日本側の防衛力を分析。
10月9日  イギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)、国際戦略研究所、朝鮮民主主義人民共和国が、日本領土を射程内に収める弾道ミサイル「ノドン」を近日配備する旨を発表。
10月11日
 宗門、田代雄説師(北海道妙立寺)、被援助寺院でありながら高価な犬を飼っていたことを宗務院から叱責され、僧職を辞す。
10月12日  中華人民共和国、海洋調査船「雪龍」「海洋3」、尖閣諸島近海の日本領海を侵犯。
10月13日
 顕正会、御大会式厳修(本部会館)、「広宣流布の滅後成就は甚深の御仏意
 浅井昭衛会長、文底下種の寿量品における「譬如良医」について講演。大聖人が広宣流布・国立戒壇建立を滅後になさしめる深意につき「大聖人の絶大威力を以てすれば、御在世において一挙に広宣流布・国立戒壇が成ることは疑いない。しかしあえてこれを滅後に成就せしめ給うその御聖意を伺うに、これ令法久住のためと拝し奉る。もし大聖人の仏力により事が一気に成るならば、一国大衆はかえって事を甘く考え、憍恣の心を起こし、深刻なる恋慕渇仰の思いを懐かない。よって滅後に、大罰によって国まさに亡びんとし、一国一同、国を惜しみ身を惜しむゆえに、いままで軽んじていた大聖人に対し『助け給え、南無日蓮大聖人』『南無妙法蓮華経』と声をつるべて唱えるとき、始めて広宣流布・国立戒壇を成就せしむるのである。このような国家体験を経ての恋慕渇仰により成った広宣流布・国立戒壇こそ、令法久住のカギなのである。これが大聖人の大慈大悲の御化導であると、謹んで拝し奉る。…
 大地震と他国侵逼の前に、日蓮大聖人の使いとして、日興上人・日目上人の末流として『日蓮大聖人の仏法を立てなければ日本は亡ぶ』ということを日本人全体に告げ知らしめねばならない。顕正会の最も重大な御奉公を明年に控え、本年の御大会式は胸にしみ入るものを感ずる」と。
 冨士、日曜勤行、浅井昭衛会長「末弟いかんぞこの願を立てざる
10月15日  米・ワシントン・ポスト紙、「日本にとって中国は大きな問題なのに、日本の中堅以上の政治家はだれも中国問題を論じようとしない」と指摘。
10月16日  創価学会、創価新報、阿部日顕管長の説法中における度重なる「ボケ」を暴露。
10月17日  中華人民共和国、銭其琛・副首相兼外相、尖閣・靖国問題等を挙げ「日本に軍国主義的考え方が復活している」と。
 新華通訊社 (中華人民共和国・国営通信社)、「真の脅威は日本と米国である」と記した論文を配信。
10月18日
 顕正会、御大会式ビデオ放映開催 (川口総合文化センター)。
10月20日  創価学会、聖教新聞、池田大作名誉会長「中国は必ず創価学会と友好関係をつくるべきだ」という周恩来の言葉を引き、「(周恩来)総理は、私どもが支援する公明党を日中国交回復の仲介役に選んだ」と。
10月20日  第41回衆議院議員総選挙、中選挙区制に代わり小選挙区比例代表並立制が導入された。自民党は239議席と復調したが、過半数には届かなかった。また、社民党は改選前の30議席を大きく下回る15議席と惨敗。新党さきがけも9議席から2議席と大敗を喫した。新進党は4議席減の156議席と伸び悩んだ。
10月23日  朝鮮民主主義人民共和国外務省、ノドン1号の発射実験につき「(ミサイル発射実験は)われわれの主権に属する問題で、だれにも干渉する権利はない」「準備が整えば発射実験を実行する。必要と認められればいつでも実行する」と表明。
10月24日  創価学会、聖教新聞、「インド・中国での仏教衰退の原因は僧侶の堕落と民衆からの遊離である」と。
10月25日
 顕正会、10月度総幹部会開く (板橋文化会館)。
 浅井昭衛会長、顕正会の弘通が法戦ごとに一万名に及ぶに至ったことについて「ドブ泥のような濁悪な世に、三大秘法広宣流布の大行進が始まってきた。大聖人の御遺命を奉ずる清らかな仏弟子の大集団が大地より躍り出てきた。… 顕正会のこの大規模な折伏は、社会のあらゆる階層に及んでいる。顕正会の折伏がしんしんと日本に影響を与えつつある。…
 最近の国際情勢を見るに、亡国の兆日々に濃し、ということを肌身に感ずる。このとき広宣流布を思うに、すでに宗門僧侶は腐敗堕落、また学会は邪教化してどうしようもない。顕正会が立たずして、誰人が大聖人様に応え奉るのか。顕正会の前進が早いか、他国侵逼が早いか、このことをいつも思っている」と。
 本部会議開く、浅井昭衛会長「本年の初頭から『本年中に一国諫暁の準備を終えたい』と云ってきたが、その準備とは、一には諫暁書の準備。二には五十万達成を年内に決定的にすること。三には顕正会の仏法上の立場および法的立場を確立することである」と。
10月25日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長「民衆を蔑視する極悪・日顕宗を、断じて許すことはできない」と。
10月28日  朝鮮民主主義人民共和国の武装工作員、大韓民国への侵入目的は「戦争準備のため」と。
10月29日  第二次橋本龍太郎内閣、「過去の侵略戦争のおわび」を盛り込んだ「村山談話」を外交の基本方針にする、と発表。
10月30日  東京地方裁判所、"シアトル事件"の第二回証人尋問に元警察官が出廷。
11月1日
 顕正会、冨士、小峰昌子「『特別講義』に参加して」掲載。
 冨士、「青少年に広がる薬物汚染」(J)掲載。
 冨士、時の話題、小泉修「尖閣諸島は日本固有の領土!!」掲載。
11月2日  創価学会、池田大作名誉会長、ロシア連邦・極東大学から名誉博士号を贈らる。
(※ 名誉博士・教授号はこの時点で計40に達す )
11月2日  大韓民国、外務省、竹島接岸施設工事に対する日本政府の中止要求を拒否。
11月3日
 顕正会、長岡事務所、増設開所式行なう。
11月4日
 宗門、阿部日顕管長、「新客殿の供養は集めない」との前言を翻し、全国末寺・法華講に対し新客殿の供養を募る。
11月5日  創価学会、秋谷栄之助会長、「クロウ事件終焉」との宗門の「お知らせ」に反論。
「この裁判を一日でも早く『終焉』させたい日顕の苦しさを物語っている。… この期に及んでも、まだ事件がなかったと言うのなら、法廷で堂々と証言すればいい。それができないこと自体『シアトル事件』が紛れもない真実であることを証明している」と。
11月6日  創価学会、創価新報、阿部日顕管長の入院騒動を報ずる。
11月7日  第二次橋本内閣発足、橋本龍太郎が第83代内閣総理大臣に任命さる。社会民主党と新党さきがけは、議席を減らしたため閣外協力に回り、自由民主党単独政権となった。薬害エイズ事件で注目されたさきがけの菅直人厚生相の後任に、先の総裁選で争った小泉純一郎を起用した。
11月5/20日
 顕正会、11月度御書講義、「乙御前御消息」を拝読。(全国348会場)
11月15日
 顕正会、日目上人御報恩勤行会奉修 (本部会館)。
 浅井昭衛会長、日興上人・日目上人の申状の「自他の叛逆歳を逐うて蜂起せん」の御文について、「まさしくその後の日本の歴史は、この仰せのままに推移している」と史実を挙げ、「今、広布前夜の最も深刻なる自界叛逆と他国侵逼の時代を迎えている。すなわち大聖人御入滅後七百年目において、日本はいよいよ亡びんとする時を迎えている」と。
11月18日
 宗門、文部省に、創価学会の解散を求める「意見書」を提出。阿部日顕管長以下、宗門全教師720名が連署。
11月18日  創価学会、池田大作名誉会長「私どもの信奉する日蓮大聖人は『日本は、中国・韓国の弟子なり』と明確に御書に書いておられる。日本は仏教も文化も、中国から、そして韓半島から学んできた。この大恩を絶対に忘れてはならない。それがまことの人間の道であり、また仏教者の生き方である。...... 中国から、私どもがこのように大きな信頼を寄せていただいていること、それ自体が、創価学会が大聖人の正道を歩んでいる証左である」と。
 創価新報、「日顕は十月十八日から今月十二日まで二十六日間も本山から姿を消し、その間、毎朝の丑寅勤行はすべて代理の僧に任せ、宗務支院長会議や日淳上人の満山法要など重要行事もすべて欠席」と暴露。
11月24日  橋本龍太郎首相、日中首脳会談で「尖閣問題は当面棚上げする」と語る。
11月25日
 顕正会、11月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、10・11月度折伏成果 11,452名。
 浅井昭衛会長、顕正会の前進にともない日本の各層から反応・怨嫉が起きつつあることを示し、「そのうち日本国中が『国立戒壇といえば顕正会』『顕正会といえば国立戒壇』と、こぞって悪口をいう時が来る。その時が来たら広宣流布の夜明け直前である。この気運は明年の一国諫暁から始まる。…
 国家の秩序は信によって成り立っている。もし政治家が全国民から信を失ったとき、国家は崩壊する。国家・社会は一見頑丈そうに見えるが、ひとたび崩れ出したら早い。そのとき起こる内乱を『自界叛逆』という」と。
11月27日  創価学会、聖教新聞、秋谷栄之助会長、阿部日顕管長の丑寅勤行欠席を批判。
「宗門は凋落の一途をたどり、僧侶は面従腹背、末寺では講中のいざこざが絶えず、末期症状であり、正邪は誰の目にも明らか。日顕は大聖人から破門されたのだ。…
 日顕が丑寅勤行を約一月も連続して欠席した事実は厳然と残った。だいいち日顕は健康云々以前に、これまでにも信徒が登山しない月末になると、必ず丑寅勤行をさぼり温泉に出かけた。その他、何やかやと理由をつけては丑寅勤行に出席しなかった。(去年・今年と二年続けて百日以上、一年の三分の一もさぼっている)
 本来、広宣流布を祈念するのが法主の務め。『毎自作是念』どころか、きまぐれな"チョボチョボ祈念"しかできない日顕は、この一事を見ても法主失格の烙印を押されて当然」と。
11月30日  創価学会、聖教新聞、秋谷栄之助会長が "信平レイプ訴訟" の原告等を批判。
「今回の狂言訴訟も、(借金トラブルなどの)異常な癖をもった夫婦と、かねてから学会の発展を妬む山崎正友らの影の黒幕たちが結びついた悪質な陰謀だ。信子がやった記者会見まがいの会場の申し込み名が日顕宗関係者だったことも分かっている」と。
11月 日
 宗門、椎場承道師(寿正寺)、客殿建て替えを非難して住職罷免さる。
12月1日  中華人民共和国、江沢民・国家首席、中国共産党中央委員会総会で激しい"対日警戒論"を展開。
12月4日  創価学会、聖教新聞、「信平夫婦の実態」の連載開始。
12月9日  創価学会、池田大作名誉会長、ブラジル連邦共和国のドゥケ・デ・カシアス市から「ドゥケ・デ・カシアス勲章」を贈らる。
12月12日  創価学会、池田大作名誉会長、ブラジル連邦共和国のリオデジャネイロ市議会から「ペドロ・エルネスト勲章」を贈らる。
12月14日  中華人民共和国、新疆ウイグル自治区で独立運動の五万七千人を逮捕、千七百人を処刑。
12月17日  東京地方裁判所、池田大作"信平強姦事件"、第二回口頭弁論を開く。
12月17日  在ペルー日本大使公邸占拠事件、ペルーの日本大使館が武装グループに占拠された。
 トゥパク・アマル革命運動(MRTA)の構成員14人、青木大使をはじめとする大使館員やペルー政府の要人、各国の駐ペルー特命全権大使、日本企業のペルー駐在員ら約600人を人質にした。翌1997年(平成9年)4月22日に、ペルー警察が突入し人質は解放された。
12月22日
 顕正会、12月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、「一国諫暁臨み顕正会の立場確立」。
 浅井昭衛会長、顕正会は今後「冨士大石寺顕正会」と名乗ること、また「宗教法人顕正会」として法人格を取得した旨を発表。
「明年の一国諫暁にあたって、顕正会は腐敗堕落の今の日蓮正宗ではなく、その清き源流に遡って『冨士大石寺顕正会』と名乗りたい。そして日蓮大聖人の弟子、日興上人・日目上人の末流という、仏法上の立場を顕わしていきたい。… 顕正会が一国諫暁に立つ段階に至れば、法律上の立場も堂々と『顕正会』と名乗り、その大目的たる広宣流布・国立戒壇建立も明文化し登記してこれを天下に明らかにしなければならない。…
 顕正会は俗にいう『宗教団体』ではない。宗教屋がメシを食うための、坊主がメシを食うための団体ではない。日蓮大聖人の御遺命を奉じて、広宣流布・国立戒壇建立に戦うことを唯一の目的とする仏弟子の集団である。よって、この使命を終えたならば、解散するのが当然ではないかと、私は前々から思っている。顕正会がなにも永遠である必要はない。永遠なのは、戒壇の大御本尊様と、冨士大石寺だけなのである。私たちは仏弟子として、与えられた使命を果たせば、それでよろしい。… ここに顕正会は、明年の一国諫暁に臨んで、仏法上においても、法律上においても、その立場を確立した。すなわち仏法上の立場は『冨士大石寺顕正会』、法律上の立場は『宗教法人顕正一会』。まさしく仏弟子の大集団『冨士大石寺顕正会』が、法人格の鎧をつけ、いよいよ広宣流布に戦う姿がここに整ったわけである」と。(「冨士」第382号 )
12月24日  橋本龍太郎内閣、千七百五億円の対中円借款を決定。
12月25日  創価学会、"シアトル事件"で阿部日顕管長の出廷を求める「意見書」を、東京地方裁判所に提出。
12月27日  新華通訊社 (中華人民共和国・国営通信社)、「日本は日米軍事同盟を利用して、政治大国、軍事強国への道を急いでいる」と批判。
 
  年表  
1月1日
 顕正会、元旦勤行、本部会館および全国169会場で厳修。
 浅井昭衛会長「日蓮大聖人の重き御金言たる『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』を、わかろうとわかるまいと、信じようと信じまいと、全日本人の耳に入れなければならない時がきた。それが本年である。本年から始まる一国諫暁こそ、顕正会四十年の歴史において、最も大事な御奉公。顕正会はこの御奉公のために、生まれ出てきた仏弟子の集団である」と。
 冨士、年頭の辞「一国諫暁の時来たる」、浅井昭衛会長「七百年前、日本は一国挙げて大慈大悲の御本仏を軽蔑憎嫉し、ついにその御頸を竜の口で刎ね奉った。この天地も驚動する大逆の罪、どうして現当に免れ得ようか。ゆえに御在世には忽ちに自界叛逆・他国侵逼の大難が巻き起こり、そして今『未来亦然るべきか』の御予言のまま、改悔なき日本に自叛・他逼の大罰は起こらんとしている。このとき、五十万の仏弟子の大集団は大地より躍り出で、御本仏の使いとして、一国にこれを告げしむる。これが本年から始まる一国諫暁の御奉公である。すでに顕正会は広宣流布の戦さに備え、『冨士大石寺』の名を冠して仏法上の立場を確立し、法人格の鎧も着した。さあ、大聖人のお待ちあそばす大法戦場へ、一結して勇躍出陣しようではないか。仏弟子の歓喜、これに過ぐるはない」と。(「冨士」第382号 )
 冨士、研究レポート、小泉修「平左衛門の滅亡 大聖人ご滅後十二年にして大罰
1月1日  創価学会、聖教新聞、秋谷栄之助会長「極悪・日顕宗は崩壊寸前、今こそ仏敵・日顕、山崎正友らの『極悪の集団』を完膚なきまでに打ち破る時」と。
 創価新報、「法主の辞め際 ―― 日顕はいかに?」の連載開始。
1月4日  創価学会、池田大作名誉会長、インド・アジア協会から「人類の和合を促進した」として「タゴール平和賞」を贈らる。
1月5日
 顕正会、新年幹部会、本部会館で開く、「入信勤行の栞」「入信・入会報告書」改正さる。浅井昭衛会長、入信勤行の精神について指導。
1月6日
 宗門、末寺住職・寺族初登山、阿部日顕管長「昨年度において一世帯も折伏することができなかった寺院があるとしたならば、それは住職・指導教師の唱題行が足りないからだ」と。
1月9日
 顕正会、新潟・長岡事務所、全日開館となる。
1月9日  創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国・遼寧師範大学から「名誉教授」号を贈らる。
1月11日  創価学会、全国男女記念幹部会、池田大作名誉会長「徹底して悪を責めよ。… いくら理屈をいっても、たとえ幹部であっても、悪と戦わなければ地獄に堕ちる」と、阿部日顕管長への攻撃を煽る。
1月12日
 顕正会、教学部、五級試験 (南無日蓮大聖人)、全国74会場で施行。2,860名が受験。
1月15日
 顕正会、成人式、本部会館で行う。浅井昭衛会長「私は今の日本の青年の姿に亡国の兆を感じている。......仏弟子は大きな志を持たなければいけない。それは一生成仏の志と、広宣流布の志である」と。
1月19日
 顕正会、教学部、登用試驗 (折伏理論解說書第 一章~第八章)、全国90会場で施行。6,106名が受験。
1月25日
 顕正会、1月度総幹部会開く (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長「『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』との大聖人の大慈悲の師子吼を、全日本人にどうしても教えておかなければいけない。それが本年の一国諫暁である。信じようと信じまいと、わかろうとわかるまいと、耳に入れなければいけない。信じないのは日本一同の罪、わかろうとしないのは人々の罪、しかし云わなければ仏弟子の罪となる。…
 いま、御書に仰せの亡国の前兆たる天変地天はほぼ出そろった。残るは首都圏の大地震だけである。一国諫暁の大事な御奉公を前にして、相次いで亡国の前相が出ることは、まことに不思議なことと感じている」と。
 本部幹事に斉藤暢・浅井城衛・黒川昌宏・矢島孝一任命さる。
2月2日  創価学会、第三文明、「日蓮大聖人の思想と生涯」(連載)において、大聖人の身延入山の意義を「法門の総仕上げと門下の育成」とし、戒壇の大御本尊建立を敢えて隠す。(「同」2月号 )
2月6/19日
 顕正会、2月度御書講義、「開目抄」要文を拝読。(全国358会場)
2月7日
 顕正会、第二祖日興上人御報恩勤行会、本部会館で厳修。
 浅井昭衛会長「日興上人は、大聖人ご入滅後五十一年間にわたり、大聖人御弘通の法体とは何か、その信行はいかにあるべきか、一期の御遺命とは何か等々を、残るところなく後代の私たちのためにお示し下された。......まさしく五十一年間で一本の線を引いて下さったのである。この線をそのまま延長すれば、大聖人の御心に叶う信心ができる。もしこの線から逸脱すれば、冨士大石寺の門流ではなくなってしまう。いま顕正会は一国諫暁の年を迎え、日興上人が引いて下さったこの一本の線、この清らかなる源流に立ち還り、『冨士大石寺顕正会』と名乗って御奉公できることは、何とも有難い」と。
2月7日  盛岡地方裁判所、宗門離脱の大塚順妙師(東光寺)に、東光寺の建物明渡しを命ずる。
2月7日  大蔵省、「国と地方を合わせた借金の合計は521兆円に達する」との試算を発表。
2月13日  名古屋高等裁判所、田村慈観師(開顕寺)に、創価学会員の名誉を棄損したとして慰謝料支払いを命ず。
2月14日  創価学会、週刊新潮を批判した「嘘と真実やらせと情報操作の構図」と題するビデオを発売。
2月14日  黄長燁・朝鮮民主主義人民共和国労働党元書記、大韓民国に亡命。金日成の側近であった黄長燁は、中ソ対立のはざまで「自主・自立・自衛」を掲げ、金日成の独裁を正当化する「主体(チュチェ)思想」を体系化した。
2月15日  創価学会、聖教新聞社説、「(大聖人の)『旃陀羅が子』『民が子』とは "人間主義のための宗教" の大いなる宣言と拝したい」と。
 池田大作名誉会長、香港作家・金庸と対談、日本の中国侵略について「日本はもっと率直に、もっと誠実に、おわびすべきでしょう。『あのような過ちは永遠に繰り返さない』と世界に宣言すべきだ。"中国の人々の心に届く" 謝罪をすべき」と。
2月19日  中華人民共和国、鄧小平・元共産党中央軍事委員会主席、死去。中国共産党の政治闘争で3回も失脚しながら復活を重ね、改革・開放政策を推し進めた。"民主化運動" は共産党の不利益とし潰し、愛弟子とされた胡耀邦・趙紫陽をも失脚させた。
2月20日  創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国・吉林大学から「名誉教授」号を贈られる。
(※ 池田大作の名誉教授・博士号は42、うち中国・香港からは13となる )
2月25日
 顕正会、2月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、2月度折伏成果 9,556名。
 浅井昭衛会長「顕正会の御奉公は、過去四十年、常に折伏弘通がその背景となってなされてきた。顕正会は"口舌の徒"ではない。折伏もせずに口先だけで論評しているような者を、どうして大聖人様がお認め下さるか。また燃える信心があるならば、自ずと死身弘法は形となって現われる。…
 顕正会はいかなる時も死身弘法の手を止めたことはない。あの理不尽な解散処分の嵐の中でも、広宣流布をめざし折伏を続けてきた。この真剣なる死身弘法を背景として、その時々の、なさねばならぬ大事な御奉公を貫くことができたのである。… やがて『梵天・帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし』との大聖人の仰せが事相になる。一国諫暁の御奉公こそが、その口火となる」と。
2月25日  東京地方裁判所、"信平裁判" の第3回口頭弁論が開かれる。
2月26日  創価学会、沖縄婦人部最高会議、池田大作名誉会長「精神の大国・インドの知性は、ガンジーの精神の継承をSGIに期待している。この信頼に、私どもは一段と力強く応えてまいりたい」と。
3月5日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「自分は迫害を受けている」と "信平裁判" に言及。
 創価新報、宗門教学部副部長・水島公正師(能安寺)に、「巨額の不正蓄財疑惑がある」との記事掲載。
3月6日  週刊新潮、"信平裁判"・第三回口頭弁論、「池田側弁護団が事件は時効であるとして中間判決を要求した」と報道。(「同」3月13日号 )
 創価学会、週刊新潮(3月13日号)の記事内容について、新潮社に抗議。
3月8日  創価学会、池田大作名誉会長、ヨーロッパ科学技術アカデミーの「名誉評議員」となる。
3月12日  創価学会、新・人間革命、池田大作名誉会長「創価学会は、日蓮正宗を国教にするなどという考えはない。それは日蓮大聖人の仏法の本義のうえからも、あってはならないことなのだ。......御書のどこにも『国教にしなさい』などという御言葉はないし、学会でもそんなことは言ってない。したがって、全く的外れな批判といわざるを得ない」と "国立戒壇" を批判。
 全国婦人部幹部会、秋谷栄之助会長「"信平裁判" を画策したのは山崎正友。信平夫婦の虚言に民事訴訟という衣を着せ、反人権雑誌である『週刊新潮』と結託し、ウソを社会にばらまいて先生と学会に泥を塗ろうとする山崎の黒い謀略である」と。
3月12日  名古屋高等裁判所、宗門離脱を計った日蓮正宗改革同盟・成田樹道主管(法布院)に対する「主管罷免処分は無効」との判決を下す。
3月17日  東京地方裁判所、"シアトル裁判" の第十五回口頭弁論を開く。
3月18日  創価学会、池田大作名誉会長、フィリピン共和国のデ・ラ・サール大学から「平和の本物の先覚者」として「名誉人文学博士」号を贈られる。
 創価大学卒業式、池田大作名誉会長「真実の栄光ある生き方とは何か。それは民衆の中に飛び込み、民衆とともに苦楽をともにし、民衆の信頼を勝ち取る人生である。仏典にも『愚人にほめられたるは第一のはぢなり』とある。戸田先生は『大聖にほめらるるは一生の名誉なり』と言われた。広げていえば、民衆という『大智識』にほめられる人生こそ偉大なのである」と支離滅裂スピーチ。
3月20日  創価学会、週刊新潮(3月27日号)の記事內容について、新潮社に抗議。
3月22日  平成九年の大彗星、地球に最接近。ヘール・ボップ彗星、近日点通過後に見かけの等級が -1前後になる。肉眼で18か月も見ることができ、"1997年の大彗星"と言われる。
3月25日
 顕正会、3月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、「大聖人御入滅後以後最大の彗星出現」。
 浅井昭衛会長、大聖人滅後七百年における最大の彗星「ヘール・ボップ」に言及「彗星は日天子の眷属である。… 日天子は自界叛逆・他国侵逼を起こして、大聖人の御化導を厳然と助けまいらせている。… 大聖人の御聖意を深く拝して今回の大彗星の意義を思うに、まさしく二つある。一つには他国侵逼が起こる前兆。いま一つはいよいよ広宣流布が達成される大瑞、… 戒壇の大御本尊が国立戒壇にお出ましになる大瑞相である。…
 いまヒタヒタと他国侵逼の大難は日本に迫りつつある。この他国侵逼が事実となる時が、日本国一同に信ずる時である。ゆえに大聖人は『ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計として、日本国一時に信ずる事あるべし』と仰せられる。日本国は七百年前に、大聖人の御鎖を刎ね奉った。しかるに未だ改悔なく、一同に大聖人の重き御存在を忘れ、蔑っている。この改悔なき全日本人に、日蓮大聖人の大恩徳を知らしむる一国諫暁こそ、諸天が動く口火となる」と。(「冨士」第383号 )
 壮年部長に府川真也、壮年部副部長に横田高明、銀座地区部長に鈴木志郎任命さる。
3月25日  中外日報、阿部日顕管長夫人、娘・孫娘らと3月13日から一週間、オーストラリアの高級リゾート地で豪遊したと報道。
4月1日
 顕正会、冨士、男子部幹事浅井城衛「『広宣流布の大瑞』に身震い
 冨士、研究レポート、土肥和子「病原菌の逆襲
4月2日  創価学会、池田大作名誉会長、スリランカ民主社会主義共和国の国立ケラニヤ大学から「名誉文学博士」号を贈られる。
 第三文明、小島信泰・創価学会助教授「三大秘法稟承事の真偽はいまだ不明、他の諸御抄から判断すると、本門の戒壇とは、本門の本尊を受持すること」と。(「同」4月号 )
4月6~7日
 宗門、御霊宝虫払大法会、"お練り行列" を大雨と濃霧で中止。
4月7日  創価学会、創価大学入学式、池田大作名誉会長「(旅順での残虐な行為に言及し)この非人間性が近代日本の体質である。だから私はその魔性と戦っている。諸君も戦ってほしい。歴史を見れば見るほど、日本は本当に悪い。しかもいまだに誠実な謝罪をしていない。それどころか、平和の道を進む人を迫害している。… 島国根性の小さな小さな日本を見おろしながら、地球市民として『リーダーシップ』を培っていくことである。後ろを振り向かず、脇目も振らず......」とスピーチ。
4月10日  創価学会、アルゼンチン共和国で「核の脅威展」開催。
4月14日  東京地方検察庁、朝木明代東村山市議転落死事件、不起訴処分とする。
4月16日
 宗門、伊藤慈陽師(法益寺)、宗門の住職罷免処分に反発し寺に籠城。
4月21日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長「日顕は今月19日、宗内向けには『寺院開設』として台湾へ。旅行の申し込みには『グルメツアー』としており、信者のお布施を食い物にする『食法餓鬼』にほかならない。… 学会の前進を阻もうとする数々の謀略の元凶こそ、謀略ペテン師・山崎正友と極悪法主・日顕である。元凶といっても、山崎も日顕もその本性は色と欲にまみれ、全くだらしのない、人格的には破滅した男なのである。山崎正友の野望は創価学会の乗っ取りであり、金儲けが目的である。......シアトル事件で追いつめられた日顕は、相変わらず信者を食いものにし己は豪華・豪遊をほしいままにし、日蓮大聖人とは全く縁もゆかりもない堕落坊主に成り下がっている」と。
4月23日  ペルー共和国、在ペルー日本大使公邸占拠事件、軍特殊部隊の武力突入で解決。
 事件発生から127日が経過した4月22日、ペルー海軍特殊作戦部隊を中心とした軍・警察の合同特殊部隊が公邸に突入し、最後まで拘束されていた72人の人質(日本人の人質は24人)のうち71人を救出、同年2月より掘削を進めていた公邸地下のトンネルを利用した。突入作戦回避を主張していた、橋本龍太郎首相への事前通告はなかった。
4月24日
 顕正会、4月度総幹部会開く (大宮ソニックシティ)。
 浅井昭衛会長、ノドン一号を配備した北朝鮮の脅威と、尖閣諸島の支配を企てる中国の不穏な動向に言及し、「いま一国諫暁を前にして、北東アジアの情勢が日々に激しくなってくること、まことに不思議である。すでに他国侵逼の凶瑞たる大彗星は出現している。これほどの大天変があるならば、それに呼応する地夭すなわち地震がないはずがない。この天変と地夭が前相となって、自界叛逆・他国侵逼が事実となる。…
 日本列島の地震活動はすでに極大期に入っている。私たち仏弟子にとって、情報よりも大事なことは、常日頃の強き信心と、いつ来てもよい、との心の準備である」と。
4月26日  ペルー共和国、アルベルト・フジモリ大統領、"平和的解決" を繰り返した日本政府の対応を「空論」と批判。
4月28日
 宗門、教師補任式、阿部日顕管長、御遺命破壊の罪を池田大作に着せる。
「常に慢心を抱いているのが、池田大作をはじめとする創価学会の者どもであります。この慢心から、いつの間にか『三大秘法抄』『一期弘法抄』の大聖人の尊い御遺命を、まるで自分達の手で達成したかのような考え方になってしまったのであります。…
 今になってみれば、正本堂を造る際に、彼等は徹底して妙な意義付けをしようといたしました。すなわち、大聖人様の『三大秘法抄』の戒壇建立が達成できたような錯覚・誤解をもって色々なことについて発言し、その雰囲気のなかに宗門も飲まれてしまったような形もありました。それらが様々な事情で止められるや、それらを恨みつつも、やむをえず、一時はそれに従ったのであります。しかし、その内実、今はまだ本門寺にはならないけれども、『三大秘法抄』『一期弘法抄』に御遺命された戒壇は正本堂であるということを言いたいのですし、また、事実、言ってきたのであります」と。(「大日蓮」7月号 )
4月28日
 顕正会、立宗御報恩勤行会、本部会館で奉修。
 浅井昭衛会長、報恩抄の一節を引き「日蓮大聖人の御化導はまことに広大で、全世界・全人及ぶ … 広宣流布は、大聖人唯一人の大慈悲の力・大悲願力によって成し遂げられる。......
 では、大聖人の大慈悲はどのように現われ、広宣流布が成し遂げられるのかといえば、一つには、時来たらば無数の地涌の流類を出現せしめ、立たしめ給う。もう一つは諸天に申しつけて客観状勢を作らしめ給うのである。しこうして、無数の地涌の流類を立たしむるとは、いま顕正会の広宣流布の大行進こそその姿ではないか。また諸天に申しつけて客観状勢を作らしむるとは、いま御在世以来の大彗星が出現し他国侵逼が迫りつつあることではないか」と。
4月28日  創価学会、聖教新聞「社說」、「きょう二十八日は『立宗の日』。三十二歳の青年・日蓮大聖人が、仏教を人間の手に取り戻された『仏教の人間化』が始まった日である。......大聖人はどこまでも "一人の人間" に視点を据えられ、荒れ狂う現実の真っただ中に飛び込んで対話を重ね、魂の触発のなかで妙法を弘められた」と。
5月3日  創価学会、池田大作名誉会長、ブラジル連邦共和国のリオデジャネイロ連邦大学から「名誉博士」号を贈られる。
5月4日  創価学会、聖教新聞、「池田会長が現代に『ソクラテスの対話』を蘇らせた」として、池田大作が対談した著名人を列挙。
5月6日  新進党・西村真悟衆院議員ら数名、尖閣諸島の魚釣島に上陸し日章旗を立てた。「上陸の目的は尖閣諸島の現状や領海の警備実態の視察で、日本国の領土を国会議員が視察することは当然のこと」と声明。
 この事態に、中華人民共和国外務省の沈国放・報道局長は、橋本龍太郎首相の「遺憾の意」の表明に「単なる遺憾の意の表明では足りない」と。
5月10~11日
 宗門、舟橋義秀師(応顕寺)、法華講員を引き連れ佐渡の根本寺・妙宣寺・世尊寺・妙照寺を見学。
5月10日  創価学会、池田大作名誉会長、十度目の訪中。
5月11日
 宗門、早瀬義雄・宗会議長、逝去。
5月12日  創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国の上海大学から「名誉教授」号を贈られる。上海大学、池田大作の胸像を作る。
5月12日  東京地方裁判所、阿部日顕管長の "シアトル裁判"、第16回口頭弁論開く。
5月13日  創価学会、聖教新聞、「阿部管長夫妻・藤本総監夫妻ら二十数人は4月19日から4日間、台湾に数千万円のグルメ旅行」と。
5月13日  東京地方裁判所、池田大作の "信平裁判"、第4回口頭弁論開く。
5月14日  創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国のテレビ番組で「(故・周恩来)総理こそすべての指導者の模範中の模範、仏法でいう菩薩の姿です」と。
 中華人民共和国、陳永昌・中日友好協会副会長「池田先生は中国が世界平和の主役であると指摘されました。このような正しい見解をもっていることは、先生が中国を理解し、中国人民を理解しておられるためだと思います」と。
5月14日  橋本龍太郎首相、「ペルー打ち上げ」で、都內超高級料亭で生バンドを入れ歌合戦。
5月19日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長「創価学会の組織をおこがましくも、かじろうとするコソ泥教団が日顕宗。… 今や宗内は、いばりくさった独裁者・日顕に対する反発が次第に沸騰点に近づきつつある。4月には日顕が山形県米沢市・法益寺の伊藤住職をいきなり罷免した。怒った伊藤住職は法華講とともに寺の明け渡しを拒否。寺に立て籠もり徹底抗戦の構えを見せている。......本山にある翠明寮等の寮は罷免や召還された坊主の捕虜収容所、最近増設の噂もある」と宗門批判。
5月23日  創価学会、聖教新聞、福島啓充・学会弁護士が 週刊新潮の「池田レイプ裁判報道」に反論。
5月26日
 顕正会、5月度総幹部会開く (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長、本年出現の巨大彗星について「仏法上の重大意義を思うとき『平成九年の大彗星』と呼ぶべきである。…
 まさしく今日こそ、末法濁悪の直中である。この濁悪の真っ只中に、ただ日蓮大聖人への忠誠一筋で御遺命を奉じて立つ五十万の仏弟子の大集団が出現するということは只事ではない。しかもこの五十万の大集団は、解散処分という理不尽なる弾圧を乗り越えてきたのである。すべては大聖人様の大悲願力による以外にはない。大聖人様が顕正会をして立たしめ、顕正会をして御遺命を守らしめ、そしていま一国諫暁をなさしめ給うのである。…
 諫暁書もこの六月で執筆を完了する。まさしく六月こそ、すべての面で一国諫暁の準備を完全に成し遂げるべき月である」と。
6月1日  創価学会、池田大作名誉会長、フェデリコ・マヨール・ユネスコ事務局長と対談、「ユネスコと創価学会の目的は一致」と。
6月9日  創価学会、池田大作名誉会長、ロシア科学アカデミー東洋学研究所から「日露文化交流に貢献」として感謝状を贈られる。
6月10日  創価学会、山梨最高協議会、池田大作名誉会長「立正安国論の『一凶』とは天魔・日顕である」と述べ、「時の貫首為りと雖も......」の遺誡置文の解釈を、「たとえ時の貫首であっても、仏法の正義に背いて勝手な自説を立てた場合は、これを用いてはいけない」と本来の論に変更。
6月15日  創価学会、池田大作名誉会長、モンゴル国立大学から「名誉哲学博士」号を贈られる。
6月16日  創価学会、本部幹部会、秋谷栄之助会長「(松濤の新豪邸について)宗門問題直後の平成3年1月、末寺住職を前に日顕は『たとえ流浪の身となり、粥をすすっても』と涙を流して訴え、坊主たちをほろりとさせ同情を買った。その裏ではペロリと舌を出し目黒区八雲の豪邸計画、世田谷区等々力の豪邸購入、そして今回の邸宅購入である。......日顕は一ヶ寺の寺を建てるでもなく、自分たち夫婦の住み家たる豪邸ばかり買い漁る。これほど信者を食いものにし、ごうつく張りのどん欲坊主はいない。速やかに退座すべきである。…
 日顕は法華講夏期講習会でも、またまた醜態を現した。講義の途中、イスが動くからといって所化を怒鳴りつけ、公衆の面前で所化の横づらを中啓という扇子で張り飛ばす。講義も支離滅裂で、日顕が『難しいと思った方は手を挙げて』と問いかけると大勢が次から次に手を挙げる。ついに絶句して立ち往生。大聖人の御書には一言も触れずに『ちょうど時間になりました』などと茶化して逃げ出してしまう。そして法華講から、あきれられている」と。
6月18日  創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国・内蒙古大学から「名誉教授」号を贈られる。
6月20日  富士山で大規模な大沢崩れ発生、崩落量は過去最大の25万立方メートル。
 大沢崩れとは、富士山の真西面側にある大沢川の大規模な侵食谷のこと。最大幅500m、深さ150m、頂上の火口直下から標高2,200m付近まで達する。大沢川は潤井川と名称を変更し、海まで通じている。
6月26日
 顕正会、6月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、五十万達成、「いよいよ『一国諫暁』の時来る」、3・4・6月度折伏成果 20,599名。
 浅井昭衛会長、五十万法城を成し遂げた全顕正会員の死身弘法の赤誠を称え「予定通りにこの6月、一分の狂いもなく五十万法城が屹立したこと、ただ不思議。これ大聖人様の御守護なくしては、とうていあり得ぬことである。ついに五十万成った今、私は何よりもこのことを大聖人様に奉告申し上げたい」と。
 ついで、7月より開始される一国諫暁の全貌について「このたび出来した重大なる諌暁書を、五十万顕正会の総力を挙げて、日本国中の人々に見せしめ、さらに7月16日の立正安国論の日、すべての新聞に一ページ大の広告を掲載して、日蓮大聖人に帰依しなければ日本は亡びるということを、全日本人に告げ知らしむる ―― これが一国諫暁の全貌である。五十万を達成した今、いよいよ一国に、日蓮大聖人の大恩徳と、その一重き御存在を、声を大にして知らしむる時が来た。…
 この諌暁書は、御本仏日蓮大聖人の大恩徳と、『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』の御心を顕わし奉り、さらに日本一同七百年前の大逆罪を改悔せずなおも御本仏に背き続けるならば、必ず首都圏を揺るがす大地震ののち、自界叛逆・他国侵逼が起こり日本は必ず亡ぶということを、言い切ったものである。…
 しかしながら、顕わし奉るべき大聖人の御境界はあまりに深く、説明すべき仏法の道理はあまりに広い。しかも相手は、全く信心のない、あらゆる階層、立場の違う全日本人である。ゆえにどのように顕わすべきか、しばしば思い悩んだ。所詮、凡夫の力ではどうにもならない。私は毎朝勤行のとき、ひたすら御本尊様に御祈念申し上げた。『祈請し奉る、大慈大悲の御加被を下し給い、何とぞ大事の一国諫暁の御奉公をなさしめ給え』と。......私はこの諫暁書を書くにあたって、世間に諂って大聖人の教えを下げてわかってもらおう、などという気持ちは全く持たなかった。ただ大聖人様への忠誠心、そして諸天を意識して書いた。…
 この一国諫暁により、国立戒壇建立の最終段階の戦いは始まる。この諌暁書はまさしく、全日本人の元品の無明の大岩を割る楔である。たとえ始めは信じなくとも、反発しようとも、顕正会の折伏が今後しんしんと進んでやがて百万、二百万、五百万、一千万になり、仏の大軍勢がさらにこの楔を深く全国民に打ち込むとき、またそれに伴い、諸天の働きにより三災七難が日ごと年ごとに激しくなって国家体験がいよいよ起きるとき、必ず『わかりました』という時が来る。その時が広宣流布である」と。(「冨士」第387号 )
6月26日  創価学会、池田大作名誉会長、アルゼンチン共和国・モロン大学から「名誉博士」号を贈られる。
6月29日
 顕正会、五十万達成奉告勤行会、本部会館で厳修。浅井昭衛会長、奉告文を奉読。
7月1日  香港返還、香港の主権がイギリスから中華人民共和国へ返還、移譲された。
 1842年の南京条約(第1次アヘン戦争の講和条約)によって、香港島が清朝からイギリスに割譲され、イギリスの永久領土となった。さらに、1860年の北京条約(第2次アヘン戦争の講和条約)によって、九龍半島の南端が割譲された。… 1941年にイギリス植民地軍を放逐し日本軍が香港を占領したが、日本の降伏によりイギリスの植民地に復帰した。… 1982年9月にマーガレット・サッチャー首相が訪中し香港返還交渉が開始され、イギリスの永久領土である香港島や九龍半島の返還も求める鄧小平に押され、イギリスは1997年7月1日に香港の主権を中華人民共和国に返還し、香港は中華人民共和国の特別行政区となることが明らかにされた。共産党政府は鄧小平が提示した一国二制度をもとに、社会主義政策を将来50年(2047年まで)にわたって香港で実施しないことを約束した。
7月2~3日
 宗門、富士学林大学科三年生、比叡山・東寺・要法寺等の寺院を見学する。
7月5日
 顕正会、本部通達「『諌暁書』の発送は分散して!」(「顕正新聞」第0738号 )
7月7/21日
 顕正会、7月度御書講義、「聖人知三世事」を拝読。(全国451会場)
 浅井昭衛会長「『一閻浮提第一の聖人』とは、久遠元初の自受用身、末法下種の本仏ということである。かかる大聖人様を、一国こぞって軽しめ毀り、流罪し、死罪に処するならば、梵釈・日月・四天等は隣国に命じてこの謗法の国を責めしめる。この諸天の厳然たる守護の大現証を以て、日蓮大聖人を一閻浮提第一の聖人と知るべきである。… 『日蓮を用いざれば、必ず此の国、今の壱岐・対馬の如くならん』とは、『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』と全く同じ意である。この御意に基いて私は、今回の諫暁書の題号を『日蓮大聖人に帰依しなければ、日本は必ず亡ぶ』とさせて頂いた」と。
7月9日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「利用するだけ利用してあとは切る。これが宗門の極悪の体質である。… 今もその本性は変わっていない。絶対に、永遠に宗門を信用していならない」と。
 秋谷栄之助会長「今年も日顕が、折伏をやれやれとハッパをかけても、サッパリ成果が上がらない。… 法華講こそ、まさに "泣き面に蜂" である。日顕は、新客殿も、最初は一切供養はいらないと言っていたのが、昨年11月に法華講幹部に陰でけしかけ、再び供養集めを言い始めた。そして記念登山も計画中とか噂されている。『また金集めか』と、あくなき収奪地獄に、羊のような法華講もさすがに笛吹けど踊らず。末寺の坊主のなかには、自分たちの食い扶持が減るからと『新客殿の供養はあまりしなくていい』と法華講に話すなど、宗内にも分裂の様相が加速している。… そのうえ、末寺の住職と法華講が喧嘩をしている寺も多く、お互いに悪口を言い合いながら、疑心暗鬼の日顕は住職解任・左遷・隠居と首切りで締め付けるなど右往左往しているのが現状」と。
7月10日
 宗門、世田谷区中町より、渋谷区松濤の豪邸に "大石寺出張所" を移す。
7月16日
 顕正会、諌暁書「日本国民に告ぐ -- 日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」発刊。
「さればいま日本国は、磁石が鉄を吸うごとく、首都圏をゆるがす大地震ののち、まさに自界叛 逆・他国侵逼の大難を招かんとしている。そしてこのことが事実となったとき、国は亡ぶ ---。日本一同、早く日蓮大聖人の仏法に目覚め、速かに御遺命のごとく国立戒壇を建立し、日本を亡国の淵より救わねばならない。このことを、日蓮大聖人の弟子として日本国民に告げ知らしめんがため、本書を著わした次第である」と。
 顕正会、"一国諫暁" 開始。全国51の新聞に「日本国民に告ぐ ― 日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」の全面広告。
「日本人はこの国に、久遠元初の本仏が出現されたことを知らない。日蓮大聖人こそ、三大秘法を以て、日本および世界の人々を救済される御本仏であり、全人類にとって、主君・師匠・父母であられる。この大恩徳の大聖人を、七百年前の日本国は、誤解して流罪にし、ついには御頸を刎ね奉った。その大罰が蒙古襲来という『他国侵逼』の大難であった。日蓮大聖人に背けば、人も、国も、人類も亡びる。ゆえに開目抄の意に云く『日蓮によりて日本国の有無はあるべし』と。そして今、改悔なき日本に、再び他国侵逼は迫り、国まさに亡びんとしている。その予兆こそ、大聖人御在世の『文永元年の大彗星』に次ぐ巨大彗星『平成九年の大彗星』の出現である」と。
 この日を期して、顕正会の総力を挙げての諫暁書配布始まる。
7月16日  創価学会、聖教新聞「社説」、「立正安国というと、戦前は国家主義的なイメージをもって理解されたが、それは完全な歪曲であり、本来、立正安国とは人間の自立による平和の実現を目指す社会原理なのである」と。
7月20日
 宗門、法華講連合会夏期講習会、阿部日顕管長「あくびも結構、それから寝るのも結構、しかし、しゃべるのだけはやめといてください。隣の人とね、『何だか分からなくてつまんないわねー』なんて言うのはやめてね」と。
7月22日  創価学会、聖教新聞、顕正会の一国諫暁に対し「顕正会とはどんな団体?」を掲載。
8月1日
 顕正会、冨士、特別レポート「スキだらけ スパイ天国・日本!!」(J) 掲載。(「冨士」第388号 )
8月3日
 顕正会、顕正会発足四十周年記念幹部会、国立横浜国際会議場で挙行。「一千万の弘通 御本仏に誓い奉る」、班長以上の幹部 7千5百名が列席。
 浅井昭衛会長「本日の四十周年を記念して、これまで苦楽を共にして戦ってくれた班長以上の幹部に大事なものを贈りたい。それは、大聖人の『諫暁八幡抄』末文の御真蹟写真である。......全幹部は、大聖人様の天馬空を行くごとき流麗にして気魄に満ちたこの御文字を拝しつつ、あと二十年の戦いを、みごとな団結で貫き通してほしい。…
 大聖人様の御予言が事実になる前に、何としても他国侵逼のあることを全日本人に告げ知らしめておかなければならない。信じようと信じまいと、前以て耳に入れておけばこそ、事の起きたとき、人々は深刻にこれを理解するのである。この前以て一国に告げ知らしむる一国諫暁の戦いこそ、時に当たって最も重大。しかもこの戦いは、御遺命を守り奉った者にしかその資格がない。また御遺命を守り抜いた者にはその責務があり義務がある。よって私は立ち上がったのである、…
 もう一つ大事なことがある。それは、他国侵逼の起きる時までに、大聖人のお味方申し上げる仏弟子の大集団が、一国を揺り動かす力になっていなければならないということである。顕正会が一千万人になったとき、一国は必ず動く、事は断じて決すると、深く確信している。… 国立戒壇建立への最終段階の戦いとは、本年七月十六日の一国諫暁に始まり、やがて他国侵逼が事実となって、仏弟子一千万人の諫めにより日本国が一時に信ずるとき、この戦いは終わる。
 私は本日、この大事な集会において、御本仏日蓮大聖人に対し奉り、顕正会の会長として、断じて一千万を成し遂げることを、固くお誓い申し上げる。全顕正会員は私に同心して、同じくこの大誓願に立ってほしいと念願しているが、どうか。… すでに日本に残された時間は少ない。しかし大聖人様の御守護を頂いて、どうして広宣流布ができぬことがあろうか。顕正会が一千万の仏弟子の人集団となるとき、広宣流布は断じて成る。… 過去1千315倍の戦いを成し遂げてきた顕正会が、いま大聖人の御馬前において、わずか20倍の弘通がどうしてできぬ道理があろうか。ここに今、ほのぼのと広宣流布のゴールが見えてきた」と。(「冨士」第388号 )
8月9日
 宗門、行学講習会閉講式、阿部日顕管長「今日、創価学会が未曽有の仏敵・法敵として大逆の集団となっておる......彼等は今、自分達こそ仏意の宗団であり、いわゆる仏語を実践していくところの集団であるということを言っておるが、それは全く大きな思い違いであり、誤りである」と。
8月17日
 宗門、秋元広学渉外部長、自坊の法華講に鎌倉の龍口寺・収玄寺・妙法寺・安国論寺、極楽寺を見学させる。
8月19日
 顕正会、冨士、「諫暁八幡抄の結文を拝し奉る」掲載。
 浅井昭衛会長「この御文は、インドに出現した熟脫の仏・釈尊と、日本に出現された下種の本仏・日蓮大聖人とを対比して種脱の勝劣を判じ給うた、まことに重大な御指南である … 下種御本仏のこの広大なる利益と大慈悲を拝するとき、仏弟子ならば誰か死身弘法の願を起こさぬ者があろうか。そして末文に云く『各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給ヘ』と。これ滅後の門下に、三大秘法広宣流布を命じ、励まし給う有難き仰せである。大聖人御人滅後、日興上人の御門下は、日本列島狭しとばかり驚異的な弘通をされた。一人ひとりが、日々この御文を仰ぎ見ては、大法弘通に戦われたに違いない。いま広布の前夜に戦う顕正会員また、日興上人御門下の跡を継ぎ、この御文を仰いでは勇み立ち、御本仏に応え奉ろうではないか」と。(「冨士」第388号 )
8月20日  東海新報(岩手県有力紙)社説、「いまに通ずる立正安国論」として、顕正会の "諫暁書" の趣旨を紹介。
8月22日  中華人民共和国、李鵬首相、梶山静六官房長官の「周辺有事の範囲には台湾海峡を含む」の発言に激しく反発。
8月23日
 宗門、海外信徒夏期研修会、阿部日顕管長「池田創価学会の者どもが、あらゆる策略をもって、謀議をもって、私をまず、地獄の底に堕とそうという企みによって、もう、平成三年、一九九一年以来、あらゆる非道な迫害をやってきた」と。
8月25日  ブラジル連邦共和国のロンドリーナ市、「池田大作博士平和公園」の建設を決定。
8月26日  創価学会、池田大作名誉会長、ロシア連邦の国立高エネルギー物理研究所から「哲学・物理学名誉博士号」を贈られる。
8月27日  創価学会、"東村山市議転落死事件" で、新潮社等を名誉棄損で東京地方裁判所に提訴。
 本部幹部会、池田大作名誉会長、キリスト教・イスラム教等を例に「宗教は殉教」と強調した上で「私も揺るがない。いかなる嵐があろうとも。普通であれば、病気になるか、死ぬか、気が狂うか、自殺するか ―― それほどの大難また大難であった」と、"信平レイプ裁判"の苦しさを吐露。
8月27日
 顕正会、8月度総幹部会開く (川口総合文化センター)。  浅井昭衛会長、本年七月十六日以降の戦いこそ「御馬前の戦い」であることを示し「一千万こそ広宣流布の決め手である。一千万が成れば広宣流布は必ず成る。ゆえに私は、時を感じて、謹んでこのことを大聖人に誓い奉ったのである。大聖人に誓い奉るということが、どれほど重いことか。もし口先だけの戯れ言であるならば、かえって大聖人を蔑り奉ることになる。この重大さを、誰よりも私は知っている。そのうえで深く心を決し、誓い奉ったのである。......いま私の頭の中には、この一千万のことしかない。そして急がねばならぬという思いでいっぱいである。なぜかと云えば、日本に残された時間が少ないからである。…
 一千万達成は今後18年あれば必ずできる。だが私は、今度ばかりは18年もかける気は毛頭ない。日本にはもう時間がないからである。ゆえにあと15年、いや限りなくこの時間を縮めたい。さもなければ大事に間に合わない」と。
 婦人部主任幹事に小峰昌子、副男子部長に斉藤暢・浅井城術・黒川昌宏・松野稔、女子部副部長に大沼美和・河野尚子・富高彰子、任命さる。
(※ 浅井昭衛会長の「一千万達成は今後18年あれば必ずできる」を検証しておこう。18年後は平成27年(2015)、会員数は自称 170万となったが、実質は 10数万で横ばいである。"諫暁八幡抄"真蹟写真を贈られた当時の幹部は姿を消し、82歳となった浅井昭衛会長は "口先だけの戯れ言で大聖人を蔑り" 奉った。櫻川 忠 )
8月29日
 宗門、全国教師指導会、藤本日潤総監、諫暁書により末寺信徒が動揺するのを恐れ顕正会を誹謗。
8月 日  創価学会、内部資料「我等の師匠池田先生は(中略)末法に入って以来、大聖人に続く二人目の『法華経の行者』になった」と。
9月1日  東京地方裁判所、"芸者写真裁判"の口頭弁論が開かれる。
9月8/21日
 顕正会、九月度御書講義、「立正安国論」の一節を拝読。(全国412会場)
 浅井昭衛会長「金光明経に示された亡国の予兆の中で、ことに重大なのは大彗星と大地震である。大地震は未だ起きてないが"遠からず"と思われる。そしてその後に『他国侵逼』の大難が起こる。見よ、他国侵逼の舞台装置は着々と整いつつあるではないか。すなわち平和憲法によって日本は世界でもっとも侵略され易い国となり、隣国には御在世の蒙古を彷彿させる軍事独裁国家が現出している。いま日本は、一国あげて日蓮大聖人に背き奉り、門下一同は御遺命に背き奉っている。このゆえに磁石が鉄を吸うごとく他国侵逼を招き、亡びんとしているのである。このことを仏弟子として、前もって日本国の人々に知らせ、事の起きたとき、一気に大聖人に帰依せしめねばなたらない。これが時に当たって顕正会のなすべき御奉公である」と。(「冨士」第390号 )
9月8日  産経新聞、コラム「斜断機」、「世界史上まれな、勲章の王様」の見出しで池田大作の勲章狂いを嗤う。
9月10日
 宗門、前川慈肇師(前渉外部長・薬王寺)、法華講員を連れ根本寺・妙満寺・世尊寺等の寺院を訪れる。
9月12日
 顕正会、竜の口法難御報恩勤行会奉修 (本部会館)、「身命をすつるほどの事ありてこそ…」。
 浅井昭衛会長「(佐渡御勘気抄の御文をひき) なぜ釈尊と大聖人の成道の時のお振舞いが違うのかといえば、釈尊は熟脱・垂迹の仏であり、大聖人は久遠元初の下種・御本仏である。根源の下種・御本仏の成道には、垂迹の仏にはない『身命をすつるほどの事』があるのである。......地球上において、ただ一人の大聖人が成道を遂げられたということは、やがて全人類が成仏させて頂ける道がふみ開けられたということである。......ここに思うことは、大聖人ほどの尊い御方が竜の口にお座りになり、命をかけて顕わして下さった御本尊であれば、私たちも命かけて信じまいらせねば申しわけない。肚を決め切る信心に立とうではないか」と。(「冨士」第389号 )
9月14日  創価学会、池田大作名誉会長、国連NGO「核時代平和財団」から「平和の大使賞」を贈られる。
9月15日
 顕正会、仙台会館、開館式行う。
 浅井昭衛会長「日目上人が心魂を込めて折伏弘通せられた陸奥・宮城に、顕正会初の会館が建立されたこと、まことに感激でいっぱいである」と述べ、二十四歳で東北弘通に一人敢然と立たれた日目上人の恩徳と尊きお振舞いに言及し、「日本列島のどこに住んでいようとも、五十一万の顕正会員が、それぞれの地で『一人立つ』の大信心に立ったとき、広宣流布の大潮流は音を立てて流れだす。本日を期して、この宮城から、東北から、広宣流布の大潮流を巻き起こしてほしい」と。
9月16日  山崎正友(元学会顧問弁護士)、日蓮宗総本山の布教研修会で講演を行う。
9月21日
 顕正会、名古屋事務所、開所式行う。
 浅井昭衛会長「顕正会で会館・事務所を建てる精神は、実に日目上人の法華堂の精神である。… 宗門の寺というのは、坊さんたちが職業化し、大聖人の仏法を世渡りの道具にしている。顕正会は仏法のために身を捨てる信心に立っている。この違いである。… 日目上人が最後の国諫でお通りになったこの名古屋、お泊まりになった熱田、この地こそ、まさしく日目上人の尊き足跡が刻まれている。この地に本日、顕正会の法華堂が建てられた。名古屋の同志は、この日目上人の御心を体して、全員が『一人立つ』の大精神で東海広布に奮い立ってもらいたい」と。
9月25日
 顕正会、9月度総幹部会開く (川口総合文化センター)、9月度折伏成果 8,510名。
 浅井昭衛会長「各地をまわって驚くことは、新しく入信した人たちの成長の早さである。この姿を見るとき、広宣流布が近づいてきたことを実感する。…
 三大秘法の信心というのは、この一念信解・初随喜のままで成仏できる。… 顕正会は、先輩も後輩もすべて一念信解、歓喜の信心でいきたい。そして先輩と後輩の歓喜と歓喜がぶつかり合うところ、組織は生き生きとし、広宣流布はぐんぐんと進むのである」と。
 日本橋支区部長に浅井祥子、任命さる。
9月28日  中華人民共和国、北京で「日中国交正常化25周年記念式典」開催、竹下登元首相らとともに創価学会代表が出席。
9月29日
 宗門、臨時宗会開催、阿部日顕管長「創価学会員等は日蓮正宗信徒の格を失う」との宗規改正を行う。
 阿部日顕管長、"シアトル事件"裁判で、証人出廷決定。
9月30日  創価学会、山崎尚見副会長、竹下登元首相らとともに江沢民・中華人民共和国・国家主席と会見。
10月1日
 宗門、創価学会員に「創価学会のみなさん あなたは日蓮正宗の信徒資格を放棄しますか!」とのハガキを送付。
10月1日
 顕正会、冨士、研究レポート、小泉修「鎌倉幕府はいかに滅亡したか」掲載。
 冨士、特別レポート、「阪神大震災の前兆現象」掲載。(「冨士」第390号 )
10月2日  創価学会、各部代表者会議、秋谷栄之助会長「(シアトル事件)裁判で追い詰められた宗門は、まさに断末魔の悪あがきを始めている。… 向こうは、はがきや大白法の号外で学会員をだまそうと躍起になっている。… 阿部管長の悪を四つ挙げると … 第一の極悪は、大聖人への『教義違背』である。今や大石寺は、大聖人、日興上人に師敵対した身延に同化し "完全な謗法の山" となってしまったこと。二点目は、僧が上で信者は下という、徹底した非人間的な『差別主義』。三点目が日顕の破綻した人間像、すなわち、"人並みはずれた嫉妬深さ" と "人並みはずれた遊び人" であること。四点目は、正本堂や大客殿をはじめとする総本山の建物の建立寄進、また三百六十ヵ寺に及ぶ末寺の建立寄進をしてきた広宣流布の大功労者である池田先生を真っ黒な焼きもちと嫉妬で迫害した『広布破壊』の大罪」と。
10月3日  ガーナ共和国、「池田大作博士公園」の設置決定。
10月4日  創価学会、秋谷栄之助会長、阿部日顕管長の出廷につき「一回目の尋問が行われる12月は、奇しくも嫉妬に狂った日顕が、理不尽にも広宣流布の大功労者である名誉会長の総講頭職を罷免してちょうど7年 … シアトル事件が本当なら僧侶をやめると発言した住職もいる」と。
10月6日
 宗門、阿部日顕管長、"シアトル事件" 弁護団長の小長井良浩を突如解任。
10月6日  創価学会、全国学生部総会、秋谷栄之助会長「日顕宗が権力と結託し、日蓮大聖人の教義に対する違背を重ね、身延派にすり寄り、学会を信徒除名にした。戦時中の宗門と全く同じである。この日顕宗こそ、アジアの民衆を塗炭の苦しみに陥れた国家主義を、現代に亡霊の如く蘇らせる『一凶』である」と。
 池田大作名誉会長、中華人民共和国・内蒙古大学から「名誉教授」号を贈られる。
10月8/21日
 顕正会、十月度御書講義、「下種本仏成道御書 (種々御振舞御書)」「開目抄」「佐渡御勘気抄」を拝読 (全国412会場)。浅井昭衛会長、大聖人の竜の口の御振舞いについて講演。
10月8日  朝鮮民主主義人民共和国、金正日、朝鮮労働党総書記に就任。
10月10日  公明、朝鮮民主主義人民共和国・金正日体制を賛美。金正日が朝鮮労働党の総書記長就任した際、藤井富雄公明代表は「建国の父、故金日成閣下の魂を継承され、金正日閣下の指導体制の下でのご繁栄が、極東アジアひいては国際の平和と安寧に寄与されんことを願います」と祝電を送る。(「公明新聞」10月10日号 )
10月11日
 宗門、大日蓮、"諫暁書" による宗内の動揺を抑えるため、「冨士大石寺顕正会の件について」を掲載。
10月13日
 顕正会、御大会式厳修 (本部会館)。
 浅井昭衛会長、大聖人の一代御化導の肝要たる「竜の口の成道」「本門戒壇の大御本尊建立」「日興上人への御付嘱・御遺命」について講演。
 さらに「聖人等御返事」を拝読し「平左衛門は神四郎殿の肉体を壊すことはできたが、大聖人を信じ奉る不惜身命の信心を壊すことはできなかった。神四郎殿は勝ったのである。ここに戒壇の大御本尊を信受し奉る一切衆生を代表する『願主』が出現されたのである。…
 聖人等御返事の中の『其の殃未だ畢らず』との大聖人の御断言は、御在世だけではなく、滅後にも通じている。......いま広布前夜を迎えて、大聖人が御断言された『其の殃未だ畢らず』はまさに起こらんとしている。ここに仏弟子として、日本一同にこのことを告げ知らしめるべく、『日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ぶ』と題して、一国諫暁の御奉公をさせて頂いたのである。熱原の法華講衆のごとき信心が末法濁悪の日本にみなぎるとき、戒壇の大御本尊は必ず国立戒壇にお出ましになる。......いま顕正会も、ただ一念信解の信心で国立戒壇建立への最終段階の御奉公を貫き、大聖人のおほめを賜りたい」と。
10月16日
 宗門、"シアトル事件" に関し「創価学会の邪悪な謀略、崩壊」と題した「大白法」号外を発行。
10月22日  インド共和国、国営テレビ、「ガンジーが生んだ非暴力の哲学はアメリカのキング氏と南アフリカのマンデラ大統領と池田氏に受け継がれている」と。
10月23日  創価学会、池田大作名誉会長、インド共和国の「ラジブ・ガンジー現代問題研究所」で講演。同研究所から「池田博士は釈尊の教えの信奉者」「釈尊の光は池田博士によって一段と輝いた」と讃えられる。
 池田大作名誉会長、インド共和国の「アジア協会」から「タゴール平和賞」を贈られる。
10月23日  月刊テーミス、内藤國夫の連載「検証・創価学会」で、顕正会を論評。
「顕正会による突然の警世大キャンペーンが最近始まった。拙宅にも寄贈主不明のまま送られてきたが、同会会長・浅井昭衛氏著作『日蓮大聖人に帰依しなければ、日本は必ず亡ぶ』と題する分厚い本の刊行がきっかけ。新聞一ページの全面を使って、すさまじいPRを実施中である。会員信者が一人で百冊、千冊単位で購入し、知人に贈呈中らしい。......国立戒壇論を前面に押し出し、二十歳前後の若者をターゲに折伏攻撃をかける。三十年以上も前に池田氏の奸策により、日蓮正宗から追放処分され、小グループから再出発した。いまや(学会の)脱会者を迎え入れる大きな受け皿でもある」と。
10月24日
 顕正会、10月度総幹部会開く (大宮ソニックシティ)。
 浅井昭衛会長、「一念信解の信心」「肚を決め切る信心」「賞罰への確信」に言及し「広宣流布が近づくと賞罰の現われ方が早くなる」と述べ、一国諫暁から三ヶ月で、日本経済が崩壊し始めたこと、橋本内閣が八方塞がりになったこと、阿部管長の出廷が決定したことなどの厳然たる罰を指摘。「顕正会の一国諫暁は我が身のためではない。ただ大聖人の大恩徳を一国に知らせんがため、また日本を亡国より救うわんがためである。この真剣なる命かけての大聖人への御奉公、この諌暁を蔑り誹謗する者は、誰人たりといえども必ず罰を蒙る。諸天がこれを許さない」と。
10月25日  創価学会、池田大作名誉会長、中華人民共和国・中央音楽学院から「名誉教授」号を贈られる。
10月25日  中央ジャーナル、「折伏攻勢をかけ『仏教国家』建設を狙う『顕正会』 一千万信者獲得の野望」との記事を掲載。「注目したい点は、五十万信者を擁する同会の求心力の強さ、驚異的な成長力についてである」と。
10月27日  創価学会、池田大作名誉会長、ブラジル連邦共和国・サンジョン・デ・メリチ市から「慶祝と称賛の顕彰」を贈られる。
10月27日  中華人民共和国、江沢民国家主席、真珠湾を慰霊訪問し「中国と米国はファシストと肩をならべて戦った」と、反日感情を煽る。
10月27日  アジア通貨危機、米国ニューヨーク株、史上最大の暴落。タイ王国の通貨タイバーツの暴落を皮切りに、東アジアの新興国市場を金融(通貨・経済)危機が襲った。
10月29日  創価学会、創価学園創立三十周年祝賀式典、池田大作名誉会長「基準は世界である。一国ではない。私も、小さな島国根性の日本ではなく、世界を相手に行動している。卑しい嫉妬から、ウソを流され、冷笑されても......」と、国内で名利が得られぬ鬱憤を洩らす。
10月 日  創価学会、幹部会、池田大作名誉会長「今後十年間は死んではならない。大変なことがある。有名人が堕ちて、無名人が出てくる。今がその戦いだ。魔に負けてはならない。… 私に直結する以外にない。八十周年までに宿命転換しておきなさい。… 今、大決闘だ。幹部が真剣になって、這いずり回って戦うんだ」と、意味不明発言。
11月1日
 顕正会、冨士、教学解説、理事加藤礼子「一念信解と初随喜」掲載。
 冨士、特別レポート、小泉修「名利の魔物・池田大作」掲載。
 冨士、特別レポート「日中国交回復の舞台裏」(連載 1)掲載。
 冨士、時の話題「『東海大地震』の不気味な兆候」を掲載。
冨士、ワールド・ウォッチ、「今世紀最大のエルニーニョ出現!」(J) 掲載。(「冨士」第391号 )
11月1日  月刊住職、諫暁書を「他宗にも折伏を宣する、日蓮国教化を説く本」と紹介。(「同」11月号 )
11月3日  三洋証券、倒産。バブル期の過剰投資で6期連続の赤字となり、経営難に追い込まれていた。自己資本組込みの劣後ローンの返済期限延長を、生命保険各社から拒否されたことで、証券会社として初の会社更正法の適用申請に至った。
11月5/20日
 顕正会、御大会式ビデオ放映開催 (全国424会場)。
11月8日  創価学会、池田大作名誉会長、モンゴル国・モンゴル国立大学から「名誉人文学博士」号を贈られる。
 本部幹部会、秋谷栄之助会長「9月29日の尋問決定以来、本当は日顕はカッとなってカットするというところを、夢のお告げとごまかして弁護団長の小長井弁護士を解任。あわてて出した『大白法』号外もさっぱり効果がなく、追いかけるように『大白法』第二部なる号外を出して弁解のつもりが、かえって宗内の動揺・困惑ぶりを浮き彫りにするばかり。シアトル出廷ショックで日顕宗はドタバタ劇で大騒ぎ」と。
11月11日  ブラジル連邦共和国、サンパウロ州議会、11月18日を「創価学会の日」に決定。
11月13日  創価学会、池田大作名誉会長、ブラジル連邦共和国・カンピーナス市の「名誉市民」号を贈られる。
11月15日
 宗門、大日蓮、「創価学会による日精上人に対する再度の疑難を破す」を掲載。(「同」11月号 )
11月15日
 顕正会、日目上人御報恩勤行会奉修 (本部会館)。
 浅井昭衛会長、松野殿御返事の「仏法を得べき便あらば、身命を捨てて仏法を学すべし」を引いて「『身命を捨てて法を弘むべし』の仰せこそ、大聖人の御命令である。この御意を承けて日興上人は御遺誡置文に『未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべき事』と仰せられた。そしてこの大聖人・日興上人の御心を、そのまま身を以て行じ給うたのが日目上人である。…
 いま広布前夜、形は出家であっても心は禿人の者たちが宗門に巣くって御遺命を売り渡す。しかしこのとき、形は在家であっても心は出家の者あって、御遺命を命かけて守り奉る、それが顕正会である。顕正会員は一人ひとりが "身はこれ在家なりとも心はこれ出家" の大精神に立ち、日目上人の御跡を慕いて、何としても御遺命を達成して大聖人に応え奉ろう」と。
11月16日
 宗門、大白法、「当宗の僧俗が、身延や日蓮宗の由緒寺院に行くのは参詣目的ではなく、ただの『見学』」と釈明。
11月17日  北海道拓殖銀行、倒産。戦後初の都市銀行の破綻となった。
11月19日  身延派僧侶、大勢の信者を引き連れ大石寺を訪問。
11月20日
 宗門、御大会、海外信徒お目通り、阿部日顕管長「例えば私が一生命な気持をどこかへやってしまって、ちょっとぼけっとしていたり、あるいは、うっかりつまらないことを考えたりしていることがあったとしますと、やはり一年のうちには何度かあるのかも知れませんが、そういう時の大聖人様(御影)は『何をしているのか』とお叱りになられているお顔をはっきり感ずるのです。本当なのです。…
 今年は百万遍のお題目を誓願した。… 来年はまた違った方法でやろうと思っている。今度は数に執われないで、時間を基準として行いたいと思っている。数に執われますと、時間のない日などはお題目が早すぎる形になってしまったりするから......」と。
11月21日  ロサンゼルス地区控訴裁判所、ヒロエ・クロウの阿部日顕管長・日蓮正宗への控訴を棄却。
11月21日  大韓民国、経済危機に陥り国際通貨基金(IMF)に緊急支援を要請。総合金融会社がすべて営業停止となり、金融システムは麻痺状態に陥った。大企業、中小・零細企業を問わず企業の倒産が相次ぎ、多くの人々が路頭に迷うことになった。
 IMFは構造改革として、金融、貿易の保護政策をすべて撤廃させた。韓国人は経済の国家主権を失ったと嘆き、日本による植民地化に続く「第2の国恥」と呼んだ。
11月24日  山一証券、自主廃業、負債総額6兆円。四大証券会社の一翼を担っていたが、バブル崩壊により経営が悪化した上、損失を隠蔽する不正会計を行っていたことが発覚、自主廃業を発表し業務を停止した。
11月25日
 顕正会、11月度総幹部会開く(川口総合文化センター)、10・11月度折伏成果 12,347名。
 浅井昭衛会長「一国諫暁より4ヶ月。いまや日本人の安逸の夢は破れた。… 安逸の夢破れた日本人は、いま胸の奥で、心から頼れる杖・柱を探し求めている。いよいよこれから顕正会の力で、全日本人に日蓮大聖人の御威徳と大恩徳を教えていくべき時が来たのである。…
 経済崩壊は未だ亡国の序曲に過ぎない。これから諫暁書に云い切ったごとく、大地震ののち自界叛逆・他国侵逼があって日本は亡国に至ること、断じて疑いない。日本に残された時間は少ない。何としても他国侵逼の前までに、一千万を築き上げなければならない」と。
11月29日  創価学会、聖教新聞「談話」、秋谷栄之助会長「大聖人に違背した広布破壊の日顕宗はどうか。身延と急接近するなど完全に"謗法宗"と化し、破滅の一途をひたすら転げ落ちている」と。
11月30日  日蓮宗(身延派)滋賀県教学研鑽センター、顕正会に関する公開講座開催。乙骨正生「過激な布教を展開している顕正会について学びたい」「混迷する日本社会では、単純な原理主義が意外と説得力を持ってしまう」と。
11月 日
 顕正会、横浜会館、耐震補強工事完成。
12月1日
 宗門、「12月1日、学会員、日蓮正宗信徒の資格喪失」と公表。
 慧妙、阿部日顕管長の出廷を「竜の口法難における宗祖の御振舞いと酷似」と。
12月1日  創価学会、内部文書で池田大作を "第二の法華経の行者" とする。
「我等の師匠池田先生は、昭和35年に会長就任以来10年毎に順に昭和45年の俗衆増上慢、昭和53~55年道門増上慢、そして次の10年である創立60周年には予定通りに僣聖増上慢を呼び起こし、末法に入って以来、大聖人に次ぐ二人目の「法華経の行者」となったのです」(「日顕宗の邪義を破す」)
12月2日
 宗門、"シアトル事件" で「御法主上人猊下御出廷日の唱題行について」と題する「お知らせ」、阿部日顕管長の出廷時刻に合わせ、全末寺僧侶が唱題するよう指示。
12月9日  創価学会、本部幹部会、池田大作名誉会長「この七年、日顕宗は、わびしく冷たい雨に降られ続けて衰亡の一途である。......『仏法は勝負』である。『勝負は決まった』と申し上げる」と。
12月10日  現代仏教 (日蓮宗身延派機関誌)、顕正会を取り上げる。
12月15日  第三文明社、河合一著「暗黒の富士宗門史 -- 日顕宗の淵源を切る」発刊。
12月16日
 宗門、御法主上人猊下御指南「創価学会の仏法破壊の邪難を粉砕す」発刊。
12月22日
 宗門、阿部日顕管長、"シアトル事件"裁判で東京地方裁判所に出廷。「最近出てきた」という手帳を示し「夜、渡米已来始めて一人歩きし、あちこち尋ねつつ、とうとうウイスキーにありつく。久し振りで酔った。......さあ寝よう、午后一時」との記述をもとに弁明。また、ハワイで御本尊をトイレに置き忘れたこと、「まことに恥ずかしい限り」と認める。
12月24日
 顕正会、12月度総幹部会開催 (川口総合文化センター)。
 浅井昭衛会長、平成9年を「顕正会四十年の歴史において最も重大な御奉公を成し遂げた年」として、一国諫暁の意義を改めて示し、一国諫暁より5ヶ月で急速に傾いた日本の情勢を指摘。
「諸天が捨て去るとき、このようにあっという間に八方塞がりになる。しかしこの経済崩壊は未だ亡国の序曲に過ぎない。これより三災七難はますます激しくなり、ついに最も恐るべき他国侵逼が事実となる。顕正会はこの他国侵逼が事実となる前に、断じて一千万を成し遂げ、日本を救わなければならない。…
 私は明年(平成10年)の折伏弘通の目標について、一千万から逆算した上で前々から考えていた。それには明年、六十万までの弘通を成し遂げねばならない。......明年の六十万が成れば、それより4年後の平成14年すなわち立宗七百五十年の意義深き年に百万は必ず成る。そしてこの百万が成れば、一千万まであと十倍となり、もう手が届く。ここに広宣流布を決定づける一千万は、大地を的として必ず成る」と。
(※ 立宗七百五十年の平成14年、自称会員数は九十万にとどまり、"百万は必ず成る" は成らなかった。浅井昭衛会長の "必ず成る" は、ほぼ "必ず成らない"。 櫻川 忠 )
12月27日  創価学会、聖教新聞、宗門末寺のうち百箇寺が命令を無視し、阿部日顕管長の出廷日に唱題しなかったと指摘。
12月31日  新進党、解散、6党に分裂。
 1994年(平成6年)6月、村山富市内閣の発足で下野した非自民・非共産勢力は、小選挙区比例代表並立制への対応に迫られた。各選挙区で候補者を1名に絞らなければならず、新生党・公明党(一部)・民社党・日本新党・自由改革連合が結集し、同年12月10日に "新進党" を結党した。初代党首は海部俊樹元首相、結成時の所属国会議員数は 214人(衆議院176人、参議院38人)であった。1995年(平成7年)7月の第17回参議院選挙において改選議席の19議席から40議席へと議席を倍増させ、比例区の得票では自民党の獲得票を上回る躍進を見せた。